3 魔界化


 あっけなく昼ごはんで買収された想夜は、シュウとクリムを連れてMAMIYA研究所へやってきた。

 先ほど想夜の端末に菫から連絡がった。思い出すのはその言葉――。

『いい想夜? 男は女のどこを見てると思う? ハートよ、ハート! 男はね、優しく包み込んでくれるような女の子が大好きなの。献身的に支えてくれる女に惹かれるものなの。男は敷居を跨げば七人の敵ありって言うでしょ? 疲れた背中を預けられる安心感。それこそが男が求めているもの。 ……え? 7人の敵って誰ですって? そりゃあ、中ボスとか大ボスとかいるんじゃない? 知らないけど。 ……四天王? 知らないわよ、四天王やボスのことはどうでもいいの。とにかく、御殿ちゃんのハートをつかみたいなら、まずは母性あふれる優しい女を目指すのよ! ――てなわけでレッスン1、女は母性よ!』

 受話器片手に遠くを指さすすみれの姿が目に浮かんだ――。

「――菫さん、そう言ってたっけ。よおーし。母性あふれる女を目指しちゃうんだから! レッスン1、女は母性!」
 想夜は腕まくりよろしく、拳を高々とかかげた。わんぱくな双子に目くじら立てず、ひたすら笑顔を振りまいては大人の女を演じて見せる。
「いい? シュウ、クリム。病院の中では走っちゃダメよ?」
 にっこり。両手でシュウとクリムの手を取りながらのおませさん。
「「うるせーばーか!」」
 しかし双子ときたら暴言残して走り出すではないか。想夜、先が思いやられる。
「ちょ、待ちなさい! ……じゃなくて、怒っちゃダメ怒っちゃダメ。こ、こらぁ~、走っちゃダメなんだからねぇ~♪」
 無理やり目尻を下げてるもんだから、この上なくぎこちない笑顔。顔面の筋肉がおかしな角度で硬直している。傍からみると幼女ふたりを追いかける変質者のよう。
「こらぁ~、待ってよぉ~♪」
 3人は水無月チームの研究室へと入っていった。


 研究室の扉が開いている。
「こんにちは~」
 想夜が扉の隙間から室内を覗き込むんだ。
「ぴゃっ!?」
 驚きのあまり、素っ頓狂な声を上げる想夜。それもそのはず、あろうことか大人たちがよってたかって小さな女の子を押さえつけているではないか。
 とうぜん下世話ネタにシュウとクリムが食いつかないはずもなく、想夜の脇からレポーターマイク片手に伊達メガネを上下させながらの猛実況。
「こここここれは、B<ピー>Oが黙っちゃいない展開では!?」
 BPO――N〇Kと民間放送が人権を守るために作った第三者機関。要約すると「問題ありそうなこと放送すんな」ってやつ。
「人体実験と言う名のお医者さんごっこですね。研究員がよってたかって幼女に興奮フンコーして拘束&緊縛プレイですね。わかりますわかります」
 つまり、そういうことを放送すんなよって見張る機関がBP●なの。

 双子が端末を取り出し高速でピボボパとダイヤルプッシュ。

「もしもしお巡りさん? 目の前でいたいけな幼女が襲わr――」
「ちょっと待ったあああー!」
 そこで沙々良が双子から携帯端末を引ったくり通話を切った。
「いきなり犯罪者扱いかい! こちとら新機能のテストしてたの!」
 と、息を切らしての弁解。ネットニュースで犯罪者として取り上げられたくはない。
「仕様ではぐらかすつもりですね、糞エンジニアの言いわけ」
「だまれ小僧。これもお仕事なの。変身アイテムに不具合出たからリンちゃんを抑え込んでたの!」
 シュウに端末を投げて返す。
「ウソつけ! 保護者の許可取ってんのか! ああん?」
 クワッ。今度はクリムが沙々良につめよる。
「取ってるよ」
 クリムの目の前にリンの父ロナルドからのメモを差し出す沙々良。デカデカと「娘をよろしくー」と書かれている。
 印籠を提示されたかのように「ぐぬぬ」とたじろぐ双子。何も言い返せずに撤退準備。
「ほお、これは保護者の容認確定でござるな」
「では我々は失敬。ドヒューン!」
「おい逃げるな」
 沙々良が双子の襟首を摘まんで引き戻した。
「ギャー離せー!」
「そもそも変身アイテムってなんじゃボケー! ちっともわからんぞー!」
 摘まみ上げられてもなおジタバタ暴れる。
「ったく騒がしい。魔法少女実験をしていたところなの!」
「「魔法少女実験~?」」
 シュウとクリムが小馬鹿にしたようなしかめっ面を作る横で、想夜が瞳を輝かせた。
「魔法少女? 魔法少女って、洋服が変わって変身とかするんですよね? あたしもやってみたいです!」
 うんうんそうよね。魔法のステッキで変身するのは女の子の夢だもの。
 だけど瞳を輝かせるエーテルバランサーに対し、シュウとクリムが白い目を向けた。
「『あたしもやりたい』って、おまえ歳いくつだよ?」
「13」
「学年は?」
「中学2年」
「「はああぁ~~~~~~~……」」
 シュウ&クリムが顔をしかめる。&肩をすくめてクソデカため息。
「あのなあ、中2で魔法少女はないだろ。しっかりババアじゃねーか」
「せめて小学5年までがギリセーフだよなあ」
「「なあ……」」
 と、ふたりしてヤレヤレのポーズ。
 ババア扱いされたほうは顔面蒼白。しまいには顔を真っ赤にして大反論。
「バ、バァ……!? なによなによっ、あたしだって魔法のステッキでコスチュームチェンジしたり大人の女性に変身したりしたいもん!」
 わがままなお姉さんである。
 シュウとクリムは憤慨する想夜を無視してリンの左右に並んだ。でもって、指で向かいハートを作っては、児童特有の無邪気で元気いっぱいの笑顔を作る。あら可愛い。まるで雑誌から飛び出した天才子役モデルのような可愛さ。天使の微笑みでババァ……中2に死体蹴りの一言をかます。
「おまえ、ミーたちの若さに勝てんの?」
「無理だよなあ。魔法少女が許されるのは小学生までだよなあ」
 小さなポンコツ妖精ふたり&小学5年生のリン。説得力この上ない3ショットである。
「むうううう~っ」
 プクーと頬を膨らませる想夜。されど女の端くれ。黙っているのも癪に障る。そんなところで、ふたたび菫の言葉が脳裏をよぎった。

(大人の女、大人の女。怒っちゃだめよ想夜。今日からあたしは大人の女なんだから……)

 深呼吸する想夜がいったん冷静になって余裕の笑みを作る。ソファにちょこんと座って膝を揃え、お手手も膝の上。軽く咳払いをしてシュウとクリムをソファへと促した。
「ほらぁ、いつまでもはしゃいでいないで座りなさい。まったく子供なんだから」
 フフンと鼻を鳴らして年上女の余裕を見せる。精一杯の背伸びをしてみせては瞼を閉じ、静かにお茶をすすった。
(今日からあたしは大人の女になったのよ。御殿センパイも振り向くような大人の女性になるんだから)
 ぎこちない態度で、心にそう言い聞かせた。
 いつもとは違う態度の想夜を不信に見つめる沙々良だった。
「……ん? ところでアインセルちゃんはどこいったん?」
 沙々良の声を聞いた一同がその姿を探せど、アインセルは見当たらなかった。
 大きく開いた窓から風が入り、カーテンを虚しく揺らしていた――。


瞳栖のきもち


 フォーチュンファーマシー店内。

 カウンターのイスに肩を並べて座る麗蘭れいら瞳栖あいす
 麗蘭はときおり観葉植物などに視線を移して言葉を探している。言葉を詰まらせた瞳栖への適切な言葉を探しているのだ。
 そんなふたりをゆったりとした時間が包んでいる。
 ふたりの会話の内容はシュウとクリムのことだった。

 麗蘭が口を開いた。
「――厄介な双子だったが、あいつらの言っている『マイあるじ』という存在が気になってな」
「……」
 ――瞳栖は無言。かつ、ささやかな笑顔でカップに注がれたハーブティーを差し出した。
 麗蘭はカップを両手で包み込むとポツリと呟く。
「わたしたちはふたたび出逢う――黒い巨塔でエクレアがそう言っていた。それが何を意味してるのか、ようやくわかってきたよ」
 麗蘭は次の言葉を告げた。

あの時・・・のトロイメライがそれを意味していたんだな? エクレアはこの未来を……、こうなる未来を知っていたのか。奴はラプラスの悪魔か? それとも導きの預言者か? ……もっとも、こなごなに粉砕してしまった今となっては何もわからないが」

 麗蘭と瞳栖の脳裏によぎるのは黒い巨塔――その地下中枢に設置されていた小さなドーム。ドームは揺りかごのような形状をしており、屋上から注がれる瞳栖の血液によって満たされていた。エクレア、シュウ、クリムによって十字架に貼りつけられた瞳栖は全身を刻まれ、強制的に血液をトロイメライに奪取された。

「――そうして生まれた存在が、あの双子と共に旅をしていたというのか? だとすれば、その子は君の……」
 麗蘭がその事実を言う前に、瞳栖自らが答えた。

「――ええ。新型トロイメライは私の血で命を宿した存在。つまり、私の子供ということね」

 そう答えると、笑うでも怒るでもない。いつものおだやかな表情で、手持ち無沙汰に薬草を瓶に詰めはじめる。
「随分とあっさり言うんだな。気にならないのか?」

 突如、瞳栖の手がピタリと止まった。

「ねえ麗蘭――」
 顔を上げる瞳栖の表情を見た麗蘭が口を閉ざした。なぜなら瞳栖の瞳には涙がこみ上げていたからだ。
「ねえ麗蘭。私がその子のことを心配していないと思う?」
 やがて瞳が涙でいっぱいになる頃、それが溢れ出して頬を伝う頃、麗蘭は瞳栖からの質問に全力で否定をした。
「いいや――」
 続けて瞳栖は消え入りそうな声で問う。
「私が……、私が、自分の子供であろう子に会いたくないと思う?」
「――いいや。君なら真っ先に探しに行くはずだ」
 即答する麗蘭の手前、瞳栖は天窓から青い空を見つめた。
「私、シュウとクリムの話を聞いていて、いても立ってもいられなかった。私の血が流れている子供がこの世のどこかで危険な目に合っている。こうしている今にも……、心がどうかしてしまいそうだわ……」
 崩れ落ちそうな瞳栖。こんなにも取り乱した姿を麗蘭は見たことがなかった。

 麗蘭はハーブティーを飲み干すとワイズナーを背中に差して立ち上がった。そして瞳栖の両肩に手を置いて抱きしめて、そっとささやくのだ。
「探しに行こう。君の……いや、私たちの子供を――」
「麗蘭――」
 瞳栖の瞳から大粒の涙――。それを拭うと、決心するように大きくうなずいた。
「ええ。迎えに行きましょう。私たちの子供を――」


傷だらけの天使


 夕日が差す聖色市――。
 とあるビルの屋上の隅っこにミルキィが座っている。ビルを丸ごとイス代わりにしたような姿勢で足を投げ出し、街全体を見つめていた。西日がとても眩しい。
「――少し、攻撃を受けすぎましたね……」
 か細い声で淡々と語るミルキィ。全身打撲、擦り傷、切り傷は数えきれない。
「細胞がダメージに反応するようになっている。神経回路が増殖して生身の肉体が形成されつつあるのでしょうか……?」
 夕日に手のひらをかかげ、グー、パーを繰り返す。

 数日前までは傀儡の肉体だった。心の痛み以外は感じなかった。だというのに、今はビルに叩きつけられただけでアザだらけだ。生身の肉体というのは実に不便なものだと痛感する。
 各神経の感覚は日増しに増殖してゆき身軽さも増している。神経の通った生物に進化しつつある。先日までは分厚い防具を着ていた感覚で、体全体が重かった。
 神経が通ったことにより、痛みを知る。痛みを知れば戦闘への躊躇も生まれる。本能が痛みを避けるような行動を選ぶのだ。人間が1割の腕力も出せない理由がここにある。100%の腕力でビルを殴ればビルにヒビが入るだろう。ただし拳はボロボロになる。それを避けるための防御本能。ミルキィにはそれが備わりつつある。

「シュウとクリムがいれば戦闘が有利になるのですが、むやみに探し続けるのも危険ですね。あちこち派手に動き回るとフェアリーフォースに見つかりますし、あまり事を荒立てたくはないですね……」
 大鎌のワイズナーをかたわらに置くと、傷薬で治療を始めた。

 妖精界で襲撃を受けた直後、シュウとクリムを逃がすことに成功した。
 人間界に行くためにはフェアリーリングを通過する必要があり、政府の許可が必要だ。だが、どこの世界にも金で動く輩がいる。犯罪者はそんな方法を用いて人間界に侵入している。そしてミルキィもそれらの力に助けてもらい、妖精界と人間界の行き来を可能にしている。

「シュウとクリムはディメンション・エクスプローラーでこちらの世界に送り届けたはずですが、いったいどこにいるのでしょう? 人間界は広くて探す手間がかかりそうです」

 半身を失った経典を手に、いくつかの戦闘を思い出す――妖精界に安息の地はなかった。たどり着いた人間界でも妖精界からの追手に見つかり、おまけに獣人ふたりが割り込んでくるもんだから余計にややこしくなる。

 ビルの上から見下ろす道路。そこには無数の人と車が流れている。いく本もの血管の中で乱れる赤血球&白血球。それぞれに役割があり、それぞれが目的地に向かって突き進んでいる。
 視線をあげればビル群。たくさんの窓に明かりが灯り、それぞれの生活がうかがえた。いったいどれだけの人間がこの町に住んでいるのだろう? そしてどれだけ多くの想いが交差しているのだろう?
 考えていると頭がパンクしそうだ。

「――人間界というところは実に騒がしいです」
 ため息交じりに空を見上げた。
「……まあ、星がきれいなので、そんなに悪くはない場所ですがね」
 視線の先にはきらめく星々。まんざらでもない気分。よい子も悪い子も寝る時間だ。

「少し眠りましょう。少々床が固いですが、ここなら見晴らしもいいですし襲撃されてもすぐに応戦できるでしょう」
 そう言って汚れた白装束にくるまると、寒空の下でそっと瞼を閉じて眠りについた――。
「エクレア……おかあさん……」

 おやすみミルキィ。
 ――でもね、

 子守唄を歌ってくれたあの人はもう、この世にはいないんだよ――。


拘束部隊ワイヤード


 フェアリーフォースには拘束部隊ワイヤードという役職がある。
 エーテルバランサーが強制帰界の権限を持っているのは周知だろう。
 拘束部隊は拘束と検挙。特殊なワイヤー状のワイズナーを用い、対象者の能力を無害化させて捕縛するやり方をおこなう。
 例えば人間界に出向したエーテルバランサーによって強制帰界させられた犯罪者は妖精界に飛ばされ、そこで拘束部隊によって拘束される。これら2つの役職のコンビネーションがそろっているため、人間界での犯罪者を効率よく身柄確保できるというわけだ。
 拘束部隊が人間界で犯罪者と遭遇した場合は、その場で拘束し、エーテルバランサーに引き渡すことになる。つまり拘束部隊には強制帰界権限はない。このテンポが非情にまどろっこしい。

 ――しかし数年前に事態は急変する。拘束部隊がとある主張をはじめたのだ。

『拘束部隊にもエーテルバランサーと同等の権限を――』

 エーテルバランサーの力を借りなくとも、拘束部隊は対象者を拘束して無力化させる実力者ぞろいだ。つまり人間界への出向はエーテルバランサーだけではなく、拘束部隊でも事足りるというのが我らの本音である。
 拘束部隊は人間界で犯罪者の身柄を確保して妖精界に帰界させる。さらに妖精界で待機している拘束部隊によって身柄の引き渡し。この手順を踏めばエーテルバランサーはお役御免だ。フェアリーフォースはエーテルバランサーがすべてではない。多くの部隊で成り立っている。エーテルバランサーだけ優遇されるのは差別だ。
 だがその主張が発端となり、拘束部隊とエーテルバランサーとの間に亀裂が生じ、今でも両者間で睨み合いが続いている。
 その点においてはフェアリーフォースにも動きがあり、お試しの取り組みとして拘束部隊の人間界出向も計画の1つに上がったわけだ。

 そこで白羽の矢が立ったのが私だ――が……

 私は聖色市の路地裏に立ち尽くす。
「逃げられたか」
 軽いため息のあと、戦闘態勢を解除して緊張感をほぐした。自慢の長い白髪に手櫛を入れ、その場を去る――。

 数日前のこと――。
 天上人の残党が残っているとの情報を得たフェアリーフォースは、関係者から任意で事情を聞くようにとの指令を各部署に通達。
 事の始まりは一般人からの通報だった――天上人を名乗る少女、ミルキィ・マキアートが市民から袋叩きに合っているとのこと。ミルキィはフェアリーフォースを混乱に導いたエクレアの子供らしい。
 事実確認を取るべくフェアリーフォースは血眼になってミルキィを探し、居場所を突き止めることに成功。
 どうやらミルキィは複数人で旅をしていたようだ。しかし発見直後、武装した一般人からの砲撃を受け、彼女たちは散り散りとなった。一部の市民は、天上人を悪魔と見なしている。政府を混乱に巻き込んだのだから無理もない。エクレアたちに脆弱性を突かれたフェアリーフォースは、武力への信頼に損失を負ったのだ。

 ミルキィ・マキアートが人間界へ流れたとの情報を上層部から受けた後、私は人間界に出向することとなった。
 ――だが、今回のターゲットはミルキィ・マキアートではない。ミルキィの件はおまけみたいなものだ。今回の私の任務はスペックハザードによる戒厳令を破った妖精たちの確保である。
「妖精たちの何人かが他のエリアからこの聖色市に侵入しているのはわかっている。その中でも所在がはっきりしている妖精が一名。今回のターゲットはその妖精。戒厳令を破っておきながら平凡に暮らせると本気で思っているとすれば、脳みそお花畑のバカ妖精だな」
 確保に時間はかからない。ワイヤーでくるめて、それで終わり。あとはフェアリーフォースに引き渡すだけ。造作もない仕事だ。

 そして先ほど、私はMAMIYA研究所でターゲットの確保に成功した。


 13年前――いや、もう14年近くになる。
 妖精と天上人の間に生まれた私は、訓練校での特訓を経てフェアリーフォースに入隊した。入隊とはいえ、年齢的にはアルバイト扱い。アルバイト扱いだが、隊員であるため重要な役割を担ってもいる。一定の年齢になるまでは学校での義務教育を受けることになる。同年代の隊員の子は皆、軍隊と学校を行き来しなければならない。私もその立場にあたる。

 妖精特有の半透明な羽もある。ただ、白い羽毛のようなそれは妖精の子とは違っていた。それが異質に見えるものだから、周囲からは生粋の妖精として見られることはなく、差別的な扱いも何度か受けた。

 半分妖精ということもあり、フェアリーフォースへの入隊は許可された。フェアリーフォースは天使を採用しない。その名のとおり妖精だけの組織だ。私は特例だった。

 ――ある日、人間界への出向が決まった。場所は聖色市。都心に近いベッドタウンだ。
 しかし出向当日に状況は一変。私が聖色市に赴くことはなかった。
 
『この子、うちの部隊で引き取りたいなあ』

 ディアナ様からのお誘いだった。普段は背筋を伸ばして凛とした態度を貫くディアナ様だが、ときおり猫なで声で甘えるクセがある。若干11歳だった私でさえ、そんな彼女のワガママに付き合わされることとなった。
 上層部の目前で肩を抱かれ、頬を寄せられ、甘えた声で喘いでくれる。シルクのように流れる髪や白いうなじからは、その妖艶な香り。
 こんな吊り上がった目つきの悪い存在にさえもディアナ様は「子猫のように魅力的だわっ」と歓喜し、愛でてくれる。

 ――私は女の子。なのに、ディアナ様の前で胸を踊らせた。

 トロリとしたものが子宮の底からこみ上げてくるあの時の感覚が忘れられない。彼女には人を引き込み、魅了する力がある。まるで悪魔の誘惑のようにスッと心の隙間に入ってくるのだ。その感覚が何とも心地よい。見つめられただけでもう、中に射精された気持ちになる。私の中が熱いものでいっぱいになる。

 憧れの女性からのお誘い。私を必要としてくれる――それがとても嬉しくて……。
 私は二つ返事でお誘いに承諾し、ディアナチームに所属することとなった。
 舞い上がる気持ちだった――。

 聖色市には他のエーテルバランサーが出向することになった。私と同年代の女の子らしい。名前は知らない。興味もない――。

 ディアナ様はみんなの憧れ。非公認のファンクラブもあるとか。
 私もディアナ様に憧れを抱くひとり。強く、気高く、無邪気で、不安な心にそっと寄り添ってくれる。いつも私を支えて下さる。生活から格闘術まで、すべてを彼女色に染め上げてほしい。

 彼女という存在をこの身にインストールしたい――そんな想いを抱いているのは私だけではないはずだ。
 男も女も魅了するフェアリーフォースの戦士。
 それがディアナ・ジェラート。一国のお姫様――。

 髪の長い女性なら知っているだろう、髪を伸ばすにはそれ相応の時間がかかる。軽いロングにするだけも2年以上。ボブショートの髪を伸ばすと決意したのはディアナ様の影響だ。
 髪のお手入れは大変だけれど、毎日の楽しみでもある。髪に彼女の面影を見出せるから。

 ディアナ様のおそばにいると楽しいお話をしてくださり、たくさんのことも教えてくださる。私の髪はディアナ様への忠誠の証。

 私の名は瀬禅 星斗七らいぜん せどな。フェアリーフォースの拘束部隊。

 フェアリーフォースの隊員には可動変形兵器であるフェアリーフェイス・ワイズナーが支給され、各隊員、武装が許可される。形状は各々違っており、個人の特徴に合ったものばかり。私もそのワイズナーを武装しており、胸元のペンデュラムがそれにあたる。名称はエンジェルフェイスワイズナー。
 ブレイドタイプの隊員がほどんどを占める中、首からぶら下げたこじんまりとした武器は珍しい。だが、これがなかなかのキレもので自由自在に変形するだけではなくパワーも申し分ない。ブレイドタイプと同等の働きをしてくれる優秀な子だ。
 ワイヤーのように伸ばすこともできれば、槍のように固くて垂直な状態にもできる。太さも調整でき、柔軟な動きにも対応しているので対象物に巻き付けて拘束もでき、操ることもできる。
 天使のワイヤーを前に、敵はない。

 だが、脳裏によぎるのは生まれたばかりの天上人と双子の使徒。彼女たちの存在がどうにも気になる。放っておいても大丈夫だろうか?
「ミルキィ以外のふたりも探してみるか。いや、確保した妖精を先にフェアリーフォースに引き渡すか……」

 フェアリーフォースに問う前に考える――ディアナ様なら人間界に残って天上人を探すだろうか? 彼女は常に効率のよいやり方ばかりをするわけではない。時として、自分の納得のいくスタイルで遠回りをする気まぐれな行動を取る。ならば私は、人間界に残ってミルキィたちを追うべきか……。がっかりさせたくはない。いつだって、彼女に褒められたい。彼女には、笑顔でいて欲しい。

「しかし、まさかミルキィを確保する時に獣人の邪魔が入るとは思わなかった。エクソシストコミュニティから来たようだけど、次に会ったらどうしよう。 ……殺そうか?」
 親指の先をカリカリと噛みながら壁を睨みつける。思い通りにいかないと出る悪いクセ。
「動物2匹を始末するだけ。どうということはない」
 そんなことを本気で考えている。

 私はベッドに腰かけた。
 ベッドの上には先ほど確保した妖精を縛り付けている。スペックハザードで暴徒化した妖精とは聞いていたが、彼女はいたって冷静な性格のようだ。凛とした顔つきからは知的さ、否、堅さがうかがえる。学級委員長タイプといったところか。

 ベッドの上――妖精アインセルこと青山萌香もかをブラウスと下着姿のままワイヤーで縛り付けてある。抵抗できないよう最低限の服装に剥いでおいた。口にはタオルの猿ぐつわ。大声なんて出そうものなら、イラつくあまりにワイヤーで口裂け女にしまうかもしれない。激痛で悲鳴なんて上げようもんなら首を切り落とすかもしれない。政府を甘く見ないでほしい。
 純白のショーツの中央に一本の細いワイヤーが食い込み、彼女が女であることを強調している。彼女がハイヤースペックを発動する前に拘束したので性別拡張はされていない。拡張したところで男性器を切断しかねない。ワイヤーの切れ味は本日も良好だ。

「あまり動くとワイヤーがアソコに食い込むぞ? もっとも、股が裂けてもいいなら好きに暴れればいい」

 両手は後ろに。両足は伸ばしたままの状態でしっかり縛ってある。外れることはない。自ら手足首を切断でもしない限りは。
 ワイヤーで強調されたブラウス下、乳房の突起が彼女をはずかしめて抵抗力を削いでゆく。

「そうそう。そうやっておとなしくしていれば、それ以上ワイヤーが胸に食い込むことはない」
 青山萌香の胸に手を置いて優しくまさぐる。ワイヤーで縛られた胸が過敏に反応している。苦しさの一歩手前が緊縛の快楽だと何かの本に書いてあったっけ。つまり、ちょっと締め上げれば皮膚が裂けて血が吹き出す。拷問の一歩手前。
 青山萌香。コーヒーのような名前。モカはコーヒーの中でも古い歴史を持つ豆。果実や花のような香りを持つのも特徴的。
 目の前にいる妖精からも花や果実を連想させるものが漂ってくる。ブラウスの隙間や汗ばんだ太ももからは特にそれが発せられている。硬直した肉体は不安に彩られ、熱をおびた肉体と化す。実に正直な体だ。

「暴れればワイヤーで皮膚が裂けて、最悪八つ裂き。理解が早くて助かる」
 自由奔放なアインセルのクセにやけにしおらしく下唇をかみしめる。怖いのか、悔しいのか、よほど死にたくないらしい。人間界で守るものでもできたのだろうか?
 人間界には、我ら妖精を魅了するものでもあるのだろうか?
 人間に興味のない私には、到底わかりっこない。

 フェアリーフォースの支持を待ってから小一時間が経過した頃に連絡が返ってきた。
 私は専用端末で妖精界から次の支持を受けることとなった。

 『アインセルの生死は問わない。ミルキィ・マキアートの確保を最優先とせよ――』

「ターゲットの優先順位が変わった。スペックハザードの残党などザコ以下ということか」
 青山萌香の目の前、私はペンデュラムをいじりながらこれからの行動を整理する。
「それじゃあ、この足手まといをどうしようか……?」
 目の前のザコ妖精を睨みつけ、瞳をギラリと光らせた。私の姿がひどく冷徹に見えているだろう。それが政府。私はフェアリーフォースの軍人だ。


恋音れおん、出動


 聖色市 流船せいろんし るふなにある沢木の事務所――。

 聖色駅の路地裏で天使モドキとひと悶着あった恋音は沢木の事務所に戻ると、さっそく状況報告をする。
 デスクにふんぞり返る沢木がタバコを取り出して口にくわえた。机の上に足をのせて、いささかお行儀の悪い社長である。

「――状況はだいたいわかった。似たような報告がさっきエクソシストコミュニティから入った。おそらくは妖精界絡みの案件だろう。その天使モドキとやらをもう少し調べてみてくれるか?」

 ジッポに火をつける瞬間、恋音に口元のタバコを引っ手繰られる。

「沢木社長、事務所は禁煙だ。少しは禁煙しような」
 しっかり者の恋音。相変わらず規則には厳しい。
「へいへい。喫煙者は肩身が狭いねえ」

 沢木は「どっこらしょ」と立ち上がり、デスクの隅に置いてあるメモを恋音に手渡す。

「それからもうひとつ。実は乳羽一帯で人型暴魔が増えているらしい。獅子しるこ、悪りいけど今から様子を見てきてくれや」
 投げやりに案件を放り投げてくる。いやはや人使いの荒い社長だ。

 恋音が殴り書きのメモ用紙に目を通す。そこには乳羽うばの住所が書かれていた。乳羽は聖色市のエリアの1つだ。

「乳羽に人型暴魔?」
 恋音が沢木に問う。
「ああ、半グレ連中が集団で幅を利かせているらしい」
「人型暴魔がうろついてる街か。厄介そうだな」
「ああ。人を喰らう暴魔か、はたまたスカウトマンか……。その付近で例の天使モドキの目撃情報も入ってる。少し賑やかになるかもしれんから、しばらくホテルに滞在して様子を見ていてくれ。ひょっとしたら天使と悪魔がホテルでファックしてるかもしんねーけどな。まあゆっくりしてこいや」
「せっかくホテル泊まりなのにゆっくりできそうもないな」
 恋音、がっかり。
「そうがっかりすんな。ちょっとした旅行だと思って2~3日楽しんでくればいい。あ、領収書はもらってこいよ。あとミニバーのドリンクには手を出すなよ、高けえからな」
 ミニバーとはドリンクや食べ物が入った冷蔵庫。これに手を出すと帰りの会計時に地獄を見る。
「それと、乳羽の一角で魔界化が見られたとの情報もある」

 魔界化とは、人間界の一角が魔界に呑まれる現象のこと。魔界化した場所は魑魅魍魎の巣窟となり、赤霧の中のように死霊がうごめいている。善良な人間さえも悪魔化してしまう邪悪な空間である。邪悪な波長を持つ人間が集まる場所は魔界化が起こりやすい。

「魔界化? 人間界も物騒になったものだな」
「まったくだ。魔界化が始まったらすぐに戻って来い。赤霧事件の時のような騒ぎになる前にコミュニティに連絡を入れる。しっかりやれよ、獅子――」

 沢木の事務所を出た恋音が右手に巻いた首輪をそっと撫でる。
(見守っていてくれな、ソレイユ――)
 そんな経緯から、元優等生の暴力祈祷師は乳羽のホテルに宿泊することとなった――。


恋音の調査


 聖色市 乳羽駅前――。
 ホテルのチェックインを済ませた恋音は、さっそく街なかで聞き込みを開始する。
 乳羽駅周辺を歩き回っていると、あっという間に日没。あたりは暗くなっていた。

 19:00。
 駅前の時計台に目をやる。
「もうこんな時間か」
 空を見上げる恋音。雲がどんよりしていて、あまりいい気分じゃなかった。
 街の聞き込みは収穫ゼロ。肩を落としてホトボトとホテルに向かう途中、数人の青年につけられているのはわかっていた。嫌な臭い。血と薬と邪悪に満ちた体臭。収穫がありそうだとわかり、何かを聞き出すことにした。

(1,2、3、4、5……。20歳前後の男が5人。人間の中に人型暴魔が混じっているな。ここで暴れると目立つ。どこかに誘い込んで暴魔だけ片づけるか)

 恋音はホテルには戻らず、手前の交差点を右折してネオン街へと戻ってゆく。行く当てもない、明確な目的地のない10代女子のふりをする。手にした端末を見ながら何をするでもなくブラブラと街をさまよい、小汚い雑居ビルのあたりに座り込んだ。性欲に飢えた男を釣るためのエサの完成だ。

 ――3分も経たないうちに、恋音の周辺を軽快なステップを踏んだ若い青年が取り囲んだ。

「ねねね、カーノジョ♪ こんなところで何してんの?」
「え、ウソ。耳と尻尾があるっ」
「おいおいおい、これ獣人じゃね?」
「コスプレだろ?」
「めっちゃカワイイんですけどぉ~」
 青年同士、互いに視線を送り合っては気安く恋音を指差した。
「腕につけてるのって首輪? オッシャレ~。オシャレだよなあ?」
 ウェーイと勝手に盛り上がる青年たち。
「その服、ひょっとしてシスターちゃん? じゃあさじゃあさ、俺たちと楽しくすごせるように祈ってよ」

 テンポよく会話を弾ませているのは、先ほどから恋音の後ろをつけてきた連中だ。ポケットに手を突っ込んで猫背で恋音を包囲。女の子を逃がさないためのハイエナのやり方。金髪、束ねたロン毛、モジャモジャ、スキンヘッド、ツーブロック。髪型は様々だが全員ヒゲを生やして威圧的、かつ屈強な筋肉質。肩で風を切るようにオラついて歩き、通行人をいきなり殴りつけるような攻撃的な雰囲気を醸し出している。小柄な恋音から見たら獰猛な猛獣そのもの。

 恋音の体を舐め回すように向けて来る視線――恋音だって女の子だ。それらを生理的に嫌がるのは無理もない。表情に出る嫌悪感。されど、これもお仕事。お金を稼ぐためには頭と体を使わなければならない。でなければ沢木にタバコの煙を浴びせられる。あれだけはゴメンだ。

「これから俺らと楽しいとこ行かない?」
「こ、ここではダメか?」
 お堅い恋音のこと。男への耐久性ゼロ。おまけにまだ子供。男の誘い方などチンプンカンプン。大人に囲まれれば弱気の部分も垣間見える。
(そういえば先日コミュニティの勉強会でサキュバスの生態を解説してたな。あれを真似てみるか)

 恋音は口に手を添えて染めた頬を斜め下にそむけると、モジモジと体をくねらせ上目づかい。

「え~とぉ、小生、どこかお酒の飲めるところに行きないなぁ」
 我なら大根役者っぷりが気持ちが悪いので吐き気をもよおす恋音。だが、なんとかなりそうだ。
「小生とか言っちゃってるし。めっちゃ若くね? まだ中学生なの? へえ……」
 ロン毛が馴れ馴れしく恋音の細い肩に手を添えると、青年たちが立て続けに恋音を質問攻めにした。
「俺たちそこのビルの5階でメンパブやっててさ。良かったらご馳走するけど、どう?」
 メンパブ――メンズパブ。ホストクラブの堅苦しさを排除し、料金もリーズナブルにしたお店。女性にお酒を出しておしゃべりするところ。子供は行っちゃダメ。当然子供なんて誘っちゃダメ。
 恋音は「う~ん」と考える素振りを見せながらも、「よし行こ!」と強引に連れていかれることとなった。


メンパブの悪魔


 小さなビルの一室にメンズパブはあった。
 店内は薄暗く、まばらな客と従業員。ソファには若い女性を囲むように青年たちが座って談笑している。
 強烈な悪臭を嗅ぎ分けて顔をそむけた。
(魔臭か。ひどい匂いだな)
 ひどくジメジメとした空間。魔族が出入りしているのは間違いなかった。
 
「はあーい。こちらメニューでございまーす!」
 やたらテンションアゲアゲな金髪が漫勉の笑顔でメニューを手渡してきた。慣れた手つき。たくさんの女性を引っかけているようだ。
 メニュー覧を見ると、恋音の視力でも読めないくらい小さな文字でゴチャゴチャと書かれており、顔を近づけないとよく見えない。おまけにムワッとした鼻につく匂いが何とも気持ち悪い。
(ドリンク800円!? たかっ。近所の自販機なら80円だぞ? サービス料とか入ってるのかな? お酒も高いのか安いのかわからないな。何が入っているのかわからないからな。飲むふりだけにしよう)

 運ばれてきたオレンジジュースのグラスを手にすると、青年たちが盛大に乾杯で盛り上げる。まるでハーレム状態。男たちの視線は恋音から離れない。世の寂しがり女はこうして男たちに飲まれてゆく。が、恋音には狐姫がいればそれでいい。


 青年たちと30分ほど会話をしただろうか。それぞれから職歴、年齢、私生活などを聞き出したが、どれもしっくりこない。
(個人の情報はすべてデタラメだな。これでは埒が明かないぞ)

 乳羽周辺で変わった事件がなかったか、それとなく聞いてはみたが、これといった情報も得られないまま時間だけが過ぎてゆく――。

「あれれ~? 恋音ちゃん、さっきからジュースぜんぜん減ってなくね?」
(バレたか。そろそろ帰るか)
 恋音がソファから立ち上がった。
「小生……そろそろ帰る……ります」
 たどたどしい口調の恋音。無力で無邪気な子供を演じるのも楽じゃない。
 しかし、3歩も動かないうちに青年たちが立ちはだかった。
 恋音は鋭い眼光で、頭2個分以上の青年たちをキッと睨みつけた。
「どいてくれ。小生は帰ると言ったんだ」

 とたんにスキンヘッドの表情がこわばった。
「あのさあ、ここまで来て『また来てね』とはいかんでしょ? なあ?」
 青年たちが悪魔の笑みで相槌をうつ。
「おい、あっちのソファに連れてこうぜ」
 ツーブロックが恋音の腕をつかんだ瞬間、その大きな体がグルリと宙で反転。床の上に背中を叩きつけられたては呻き声をあげる。早くも戦闘優等生の洗礼を受ける。
「痛ってえ! やりやがったなクソガキが!」
 瞬時に半身の構えをとる恋音。
「どうした? もう休憩か?」
 くいっ、くいっ。右手を動かし挑発する。が、異変はその時起こった。

(あれ……なんだ、これ? なんだか視界が……体が重くて動かな……い……)

 目の前の青年の顔がグニャリと歪んで視界がバグる。とても立っていられる状況じゃなかった。
 手前につんのめった恋音が床の絨毯に右手をついた。そうして気づくのだ。
(そうか。さっきのメニュー表に睡眠薬が塗ってあったのか!)
 時すでに遅し。青年たちがよってたかって恋音に群がる。
「なになに、恋音ちゃん。もうおねんねの時間でちゅかあ~?」
「ウェーイ、準備完了~♪ 最初誰やる~?」
「ここはジャンケンっしょ」
 青年たちが不敵な笑みを浮かべてはしゃぎだす。
(なんとか……しなきゃ……!)
 恋音は隣テーブルにあった氷入れからシャンパンを抜くと、千鳥足の状態で青年たちに投げつけた。
「あぶね!」
 飛んでくるボトルから身を守るように中腰になる青年たち。
 恋音はその隙をつき、冷水でバシャバシャと乱暴に顔を洗って眠気を覚ました。
「よし。2分は戦えるな」
 パンパン! 両手で頬を叩いて気合を入れる。応急処置だが恋音にはこれだけで十分だ。

「手足おさえて服脱がせろ!」
 そう叫びながら、左右から同時に飛びかかってくる金髪とロン毛。
 恋音はそれ遠くに蹴り飛ばし、足元でつまづいたツーブロックのみぞおち目がけ、振り上げた足を勢いよく振り下ろしてヘコマシを叩き込む。
 ドムッと鈍い音がして、絨毯上のツーブロックがくの字にへし折れた。と同時に顔面を蹴り飛ばして壁に叩きつける。
 おかしな角度に首がひん曲がったツーブロック。めり込んだ壁からヌゥッと起き上がると、恋音を死体のような生気のない目で睨みつけてきた。
「ほお、おまえが人型暴魔か」
「だったらどうした。暴力祈祷師が」
「最初から小生の正体を知ってたのか。なら話は早い」
 恋音は男数人に叫んだ。
「おい、おまえらは悪魔を見ても驚かないのか? おまえらは悪魔と知っていてつるんでいるのか!?」
 すると男たちはヘラヘラを表情筋を歪めた。
「俺らはさぁ、天使とか悪魔とかカンケーないのよ。人類みなキョーダイ、でしょ?」
「悪魔って人類じゃなくね?」
「そーだった、ぎゃはははっ」
「俺ら、女まわせりゃどーでもいいのよね」
 周囲のマヌケヅラを見ては、ため息しか出てこない。こいつらはもう人間ではない。心が完全に邪悪と一体化している。
「だからね、おまえら暴力祈祷師とかカンケーねーんだわ」
 ツーブロックが脅威のジャンプ力でカウンターに飛び上がると、刃物を手にして飛びかかってきた!

 空中でカウンターを狙う恋音――壁を蹴り上げ三角飛び。ムーンサルト宙返りのような姿勢で浮遊しながらのサマーソルトで相手の顎を粉砕。ベッドの上に着地後、追加で飛び蹴りをぶち込む!
「はい、獣人ちゃんつっかまーえた♪」
 背後にいたモジャモジャが恋音の髪と尻尾を掴んで体を持ち上げると、真横に思い切りぶん投げた。 
「悪魔だのなんだのって、俺たちはどーでもいーの……よっと♪」
 吹っ飛ぶ恋音の体がガラスのパーティションをぶち破り、隣のテーブルの上に突っ込む。
 グワシャーン!
 けたたましい音とともにグラスやらビール瓶が飛び散って床に散乱。
「はい、もう一発」
 モジャモジャが恋音の頭部めがけてビール瓶を大きく振り下ろす!
 パリン!
「ギャッ」っと恋音の悲鳴が轟く。
 ビール瓶で頭をかち割られ、避けた頭皮から大量に血が飛び散った。あまりの激痛でケモ耳が垂れさがり、壁、天井、そこらじゅうが血だらけとなる。
 頭から額、そして瞼に汗が流れる感覚――それを汗だと思って拭ってみると、手にはビッチリの鮮血。鉄臭い液体がとめどなくドバドバと流れ落ちてくる。
「痛ったあ……。やってくれたな!」
 したたる血が瞼にとどく頃だ。恋音はスキンヘッドに羽交い絞めにされた。
「ガキの分際でいい気になってんじゃねえぞコラ!」
 恋音を床に叩きつけると、小さな体めがけて複数人が蹴りを入れまくる!
「おチビちゃんさあ、今裸にひん剥いてまわしてあげるからね~」

 モジャモジャは恋音の髪を鷲づかみにするとテーブルの上に叩きつけるように寝かせ、ジャケットの内ポケットから注射器の入った小型ケースを取り出した。

「1日中MDMAバツ食ってるヤツでもビビッて手が出せない上物だ。これ一発で一生ヨダレ垂らしながら腰も尻尾振れる毎日が待ってるよん」
 針先から透明な悪魔の液体がしたたる。これで多くの人間が廃人になれる。
 とたん、恋音の目がギロリと光った。

「――ほお。だったら、そのお友達とやらに伝えておけ。これから暴力祈祷師が迎えに行くってな!」

 突如、上空から巨大な影がビルのガラス窓に突っ込んできた!
 ドオオオオオン!
 窓ガラスが割れるけたたましい音とともに、鳥型の飛行物体がコンクリート壁をぶち破り、恋音に群がる青年たちを薙ぎはらった!
「中型暴魔だと!?」
「暴力祈祷師が暴魔を操るなんて聞いたことねえぞ!」
「なら憶えとけ! そういう暴力祈祷師がここにいるってことをな!」
 頭に血がのぼった恋音。もう誰も手がつけられない!
 突如現れた鳥型暴魔で店内は大混乱。ソファもテーブルもあっちこっちに飛び交う。
「くそっ、暴力祈祷師ってただの祈祷師のことじゃねえのかよ!?」
「気づくのが遅い。小生のプリティフェイスをその少ない脳ミソに叩き込んでおけ」
 隙をついた恋音が逃げ腰のモジャモジャの股に膝を叩き込む!
「ぐえ!?」
 くの字にひしゃげたモジャモジャの手首を捻り上げ、注射器をその首にぶっ刺す!
「ギャギャッ%&グェ#♪!X!!!」
 注射を打たれたモジャモジャが首の後ろを手で覆い、どこの国の言葉かわからない奇声をあげながら白目でのたうち回る。
「その薬でどれだけの人を廃人にしたかは知らないが、今回はおまえの出番が回ってきたようだな。廃人にされた人々の苦痛、思い知ったか」
 床でヨダレを垂らしながら悶えるモジャモジャ。
「やべえ、勝てねーわ」
 逃げ出す青年もチラホラ。それを周囲の青年が唖然と見るさなか、奥のフロアから何人もの男が溢れ出てきた。人間、人型暴魔、種族は色々だが心は邪悪な連中ばかりだ。
「てめえ、調子こいてんじゃねえぞクソガキがあ!」
 ワラワラと溢れ出てきた男たち。その数ざっと20人ほど。
 突如、恋音が酷い悪臭に襲われた。
「うっ、なんだこれ!? 硫黄の匂いが増した! 魔界化の前兆か!」
 男たちの皮膚が焼け剥がれ、頭蓋骨むき出しの悪霊に変貌を遂げる。
「街に悪霊まで潜んでいるのか! ……ちょうどいい、ここで全員片づけておくか」
 腐乱したゾンビのように悪霊たちが恋音に襲いかかる!
「街が魔界に呑まれる前に手を打たないとな」

 恋音は鳥型暴魔に合図を送って撤退させた。
「よし。それじゃあ……、張り切っていこうか。ソレイユ――)
 首輪が巻かれた右手を手前に構えてひときわ険しい顔を作ると、腕を勢いよく……真横に振る!

「アロウサル! ハイヤースペック・ギャンサーエフェクター!」

 恋音の瞳がたちまち焔色に染まる!
 灼熱の業火が店内の温度を急上昇させて酸素を一気に食らいつくす!
「ディルファーの焔、ソレイユと共に――」
 火の八卦、ここに覚醒――足を大きく開いて腰を落とし、高く振り上げた両腕を胸元で交差させる。

「オクトフレアだけが小生の技だと思うなよ? 先に言っておくが、これはマッチの炎レベルだ。初歩の初歩の初歩の初歩だ」
 恋音は男たちを睨みつけると半身の姿勢をとり、右腕に焔を宿して素早く手前に差し出す!

「ハウンドランナー……行けソレイユ!」

 ビルの一室。恋音を中心に、炎をまとったサモエドの幻影が縦横無尽に走り回る! 無数の悪霊に噛みついては焼き殺し、カーテンにも引火。その場が一瞬で灼熱地獄と化す!
 ディルファーの焔にはソレイユと名付けた。これからも一緒に戦えるように……。

「ようこそ、小生の火炎地獄へ――」
 恋音は悪霊たちを迎え入れるように両手を差し出し交差させる。前かがみの体勢からのけぞり、両手を大きく、とてもゆっくりと広げた。

「ディルファーペイン」

 恋音から高出力で放たれた熱風が部屋の密度を牛耳り膨張。内部から押し出されるように窓ガラスの中央がひしゃげて外へと破裂する!
 残った窓ガラスが端から端まで一枚ずつ、パリンパリンと割れて上空に飛び散る!
 天井や壁がドロドロに焼け落ち、瞬く間に真っ黒い部屋の完成だ。例えるなら大火災後の黒焦げ部屋である。
 部屋の熱気が膨張。凄まじい火力……では言葉が伝わらない――爆炎が人型暴魔や悪霊の体を押し出して一瞬で黒炭に。邪悪な存在を跡形もなく消し飛ばした。

 恋音は向かいのビルにめり込んだ男たちに一言告げる。
「悪霊は焼き払ったが人間を焼き殺したらペナルティだからな。お灸レベルに留めといてやる。感謝しろ」
 男たちの体はプスプスに焼き焦げていた。生かしておくのは優しさだ。悪魔と手を組んだ人間に同情するのも反吐が出る。


「ソレイユ。ありがとな」
 手首の首輪にそっと唇を重ねてからビルの外に出てみると、そこらじゅうにガラスが散乱している。繁華街はひどい有様だった。
 消防車とパトカーの赤色灯が街を真っ赤に染め上げ、事態の深刻さを物語っている。向かいのビルに頭から突っ込んだ青年が長いハシゴで救助されていた。
 いったん引き返して非常口から逃亡。ビルの裏から小道に抜けることに成功。
「派手にやっちゃったな。沢木社長になんて言い訳しよう……」
 恋音があれこれ言い訳を考えていると、背中に声がかかる。

「おい!」

 ビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り向くと、そこにいたのは狐姫だった。

「おいルーシー、何があったんだ!?」
 狐姫が騒ぎを聞いて駆けつけてきたのだ。乳羽駅付近を調べてほしいと御殿から言われて街をうろついていたところ、繁華街でちょうど乱闘騒ぎを聞きつけたところだった。
「魔界化を阻止した。とりあえずここを離れよう」
「魔界化? マジで? それよか、その傷どうしたんだよ!?」
「あとあと!」
 恋音が狐姫の手を引いた時だった。

「――ちょっと待ちなさい」

 運悪く警察に引きとめられてしまう。
 やべえといった表情を作る狐姫。体を使って血まみれの恋音を隠そうとしたけど間に合わず、警察官に一発で不審がられる。
「ん? 獣人? その耳と尻尾は本物か?」
「え、あ、いや、その……」
 ふたりとも警察官に詰め寄られて何も言い返せない。
「頭から血が出てるじゃないか。救急車の中で手当てするからこっちにきなさい。詳しい事情はこれから聞くから」
 狐姫と恋音が逃げようとするも、後ろから来た警察官に経路を経たれてしまう。
 どうやって弁解しよう。そう思っていたところで、今度は若い女に声をかけられた。今日はなにかと忙しい。

「あーいたいた。こんなところにいたのね!」

 声を発したスリム体型の女性。髪はショートで派手めのカラーリング。耳に大量のピアスを開けており、年齢は20後半といったところか。喋り口調が淡々としており、サバサバした性格なのが見て取れる。
「仮装パーティの途中で抜け出しちゃダメだろ? お客さんシラケちゃったじゃん」
 わけもわからぬまま、狐姫と恋音はピアスの女に手を引かれる。
「おまわりさんごくろうさま。この子たちウチのアルバイト。私、すぐそこのビルでビアンバー経営してんの。知ってるでしょ?」
 夜のお店は厄介事も多く、警察も足を運ぶことが多い。
「びあんばー?」
 首を捻る狐姫に「レズビアンバー」と恋音が耳打ちする。
 女の言葉を察し、互いの顔を見る獣人ふたり。
「すみません店長。バイト戻りまーす♪」
 とっさに口裏を合わせ、いそいそと女の後ろをついてゆく獣人ふたり。
「あ、ちょっと待ちなさい! その子たちどう見ても未成年でしょう!?」
 警察官の言葉に対し、
「この子たち若く見えるだけなんですー! 実はクソババアなんですー! ほら走るわよ!」
 大声で走り出すピアスの女。
 狐姫が恋音に耳打ちする。
「なあルーシー、俺たちってババアなのん?」
「小生はまだ自分のことを若いと思ってたんだがな……。しかもご丁寧にクソまでつけたぞ? ショックだ」
 頭部からしたたる血がちょっぴりしょっぱく感じた。


 乳羽駅から少し外れた場所にあるレズビアンバーの店内――とあるビルの地下1階にそれはあった。

 扉を抜けるとそこは店内。部屋の隅々まで照明が明るく照らしていて安心感があった。
 カウンター奥には無数の酒瓶とグラス。未成年の狐姫と恋音には、どれも同じ種類に見える。
 壁にはお酒の広告や同性愛者のためのイベントポスターが貼られており、店内を嫌味のないレベルで彩っている。暴力的なものが排除されたフロアは家庭的な柔らかさを醸し出しており、友達の家に遊びに来たかのようなウキウキした気持ちにもなる。
「先ほどのメンパブとの雲泥の差だな」
 恋音は驚きを隠せないでいる。男性はガサツ。女性は華やかといったイメージが芽生えるのも無理はない光景だった。

「――適当に座って。今治療するから」
 ピアスの女に促される前に、先客の存在に気づく狐姫。奥の席にフェミニンでこぎれいな女性が座っているではないか。
 向こうも狐姫の存在に気づいてグラスをかき回していたストローを止める。
「狐姫ちゃんじゃないの。どうしたの、こんな時間に出歩いたりして……」
「詩織さん?」
 そこにいたのは詩織だった。仕事帰りだろうか、とてもやつれた顔でカウンターに突っ伏していた。
「それに後ろの子、酷いケガじゃないのっ」
 流血した恋音の姿を見た詩織が驚愕。
「なに? その子たち、詩織の知り合い?」
 ピアスの店員がジュースを用意しながら興味深々。
「AKIさん、この子を手当てしたいので治療室を使わせてもらえますか?」
「あいよ」
 カウンターのAKIが壁のスイッチの1つを押すと奥の扉のロックが外れる。こういう事態は珍しくないのか、手慣れたものだ。
 分厚い扉の向こうは、さらに地下へと続く階段が設置されていた。
「恋音さんだっけ? さ、切れた頭皮を塞ぎましょう」
「あ、はい。よろしくお願いします」
 詩織に促された恋音は、借りてきた猫のように大人しく、素直に甘えることにした。


次回につづく――。