2 天上人の成れの果て


 妖精界の南に位置する港町センベイ――。

 数日前のこと。妖精界の片隅に旋律が走った。
「向こうへ逃げたぞ! 逃がすな、追え! 追え!」
 潮風とともに大声がとどろき、無数の大人たちが幼子たちを追いかけ回しては暴行を加えている。
 一般人に危害を加えるわけにもいかず、幼子たちは類まれな力を以ってしてもそれを解放することはしなかった。

 逃げた幼子たちを追うように、港の住人は東へ移動する。

 フェアリーフォースを混乱に陥れた天上人は、当然ながら妖精界の敵と見なされるようになった。
 最近、その生き残りがいるとの情報が妖精界に知れ渡った。お尋ね者が自ら「母はエクレアだ」と漏らしながら旅をしているのだから噂は簡単に広まる。幼子ならではの警戒心のなさ。されど母を探すにはこれが手っ取り早かった。
 エクレア・マキアートはもう、この世にはいないというのに……。

 ミルキィ・マキアート。天上人の成れの果て。
 誰に誘われるでもなく妖精界に迷い込み、その足で各地を旅している。そうしてこの港にたどり着いた。
 ミルキィがこの町に滞在しているのには理由があった。

 ――路地裏。少女ふたりが人目を気にしながらコソコソと話をしている。
 ミルキィと話しているのは青帽子の少女。不揃いの毛先のショートヘア。青い帽子には大きめのゴーグル。丈の長いハンマーを背負い、厚手の手袋。口調もしっかりとしていて自立した女の象徴でもある。

 青帽子あおぼうし――ブルーキャップとも呼ばれる技術に長けた妖精。鍛冶屋やエンジニアが多く、器用さならどんな妖精にも負けない。ただし代価をピッタリ払わないとキレる。値切ったりチップを渡したりしようもんなら血を見ることになる。

 青帽子が手早くお札を数える。
「ひいふうみい……よし、ピッタリだね。まいど!」
 ミルキィからお金を受け取った青帽子の少女カーティン・コーティンは武器商人。手渡された報酬を目にしては、頭のゴーグルを引き上げて満足気な顔を作った。その後、布袋に包んだ大きな荷物を手渡す。ズシリと重量感のある長方形の物体。ミルキィの背丈ほどはある。

 フェアリーフェイス・ワイズナーの違法取引――。

「いやあ、まさかワイズナーの製造注文が入るなんて思わなかったよ。失踪したじっちゃまから作り方は教えてもらったけど、仕上がりにイマイチ自信がなくてね。で、安価にさせてもらったってわけ。いちおう政府の武器だからね。バレるとこっちもヤバいのよ。その点は先日話したよね?」

 ミルキィはコクリと頷くと、ボソッと呟いた。

「安心してください。吾輩、このことは誰にも言いません」
 とてもか細い声。小さな声で淡々と語るウグイスのような話し方。知的で、論理的で、されど己の存在に自信が持てない。そんな印象を与える少女。生まれて間もないのだから無理もない――。
「約束、します……」
 ミルキィはたどたどしい言葉で小指を差し出した。
「ん? ……ああ、指切りね。ゆーびきーりげーんまーん」
 カーティンは手袋を取ると、ぶっきらぼうに小指を絡めて振り回した。若年だが腕いっぽんで稼いでいる。子供っぽいのは性に合わない。
「綺麗な指先をしてるね。 ……ところで君も誰かを探してるの?」
 こくり。ミルキィは無言でうなずいた。

 カーティンは大きめのリュックを背負うとミルキィに愚痴る。
「ピコット村が襲われてから時間が経つけど、じっちゃまは、いまだ行方不明。元真菓龍まかろん社のエンジニアでワイズナーの設計にも関与していた。退職した後も世界一のバッジ職人としても有名。そんなこともあってフェアリーフォースからの依頼も多かったけど……」
 カーティンは悩ましい顔で肩をすくめた。
「まったく。隣の家に住んでいた成瀬のおじさんもいなくなっちゃったし。村のみんな、どこにいっちゃったんだろう?」
 ため息とともに悲しい顔を作るカーティン。天上人の手により多くの村人の命が奪われたが、生き残りも多いのは幸いであった。襲撃された日、ちょうど祖父も旅に出ており不在。家族の無事は素直に喜ぶべきだろう。
 だが見ているほうは表情に翳りを落とし、小さな手で胸のあたりをギュッて掴んだ――鮮血、臓物の散乱した村がフラッシュバックとなって襲ってくる。とても心が痛かった。

「ところで、さっきから港が騒がしいけど何があったんだろうね? 町の食堂で待たせている小さい双子にも気をつけるよう言っときな」

 港を見つめるカーティンの背中に深々とお辞儀をするミルキィは、申し訳なさそうにその場を去る。

 その場にひとり残されたカーティンは語る。
「――なんかエクレア信仰の生き残りが妖精界をうろついているらしいね。君も気をつけなよ、村の人たちみたいに殺されちゃうからさ。 ……ところで、まだ君の名前を聞いてなかったね。本来ならヤバい取引のお客からは名前を聞かないことにしてるんだけど、なんか君の名前だけは聞いておきたくてさ」

 カーティンは見ず知らずの相手からも名前を聞くクセがある。先日、祖父の付き添いでフェアリーフォースの設備点検についていった。その時だって隊員の子から名前を聞いていたくらいだ。なるべく人間関係を大切にしたいという気持ちは祖父から引き継いでいる。そうやってミルキィにも笑顔を向けるのだ。が、そこにはすでにミルキィの姿はなかった。

「ありゃ、もういなくなっちゃった。みんな忙しないなあ。 ……さて、おいらも出発しますか」
 カーティンはふたたび祖父を探すことにした。

 ――カーティンがフェアリーフォースに囲まれたのはその時だった。

 ひとりの隊員がカーティンの前に立ちはだかると令状を見せる。
「ピコット村在住カーティン・コーティンだな? 武器密輸、違法製造ならびに違法取引の容疑で身柄を拘束する!」
 カーティンの血の気が引いた。
「やっば! フェアリーフォース……っ」
 逃げる際に足がもつれ、つまずいたカーティンが転倒。その細い体に覆いかぶさるよう、隊員たちが一斉に群がった。
「午後1時32分、容疑者確保! 連行しろ!」
 隊員の怒号がセンベイの港にこだました。

 連行されるカーティンに、ひとりの隊員が冷たい視線を向けている。笑うでもなく怒るでもなく無表情。10代半ばの少女。ほどよく伸びた真っすぐな白髪に尖った眼光。弾むようなキューティクルヘアとは裏腹に、冷静さを絵にかいたような存在。胸元のペンデュラムをいじりながら、ミルキィの消えた方角を睨みつけると、ゆっくりと歩き始めた。


シュウとクリム、ふたたび


 聖色せいろん市 駅前――。

 人通りの多いアーケードを小さな双子がトボトボと歩いている。年齢は10に届くかどうか。うつむき気味。持前の元気はどこへやら。
 どれだけ歩いただろう?
 何日歩いただろう?
 妖精界で襲撃を受けたものの、生き残れたのが奇跡だった。

「――いやあ困りましたねえ。まさかマイ主とはぐれてしまうとは。はぐれ刑事純情旅ですねえ。さすが人間界、迷路のようなコンクリートジャングル。長旅で首が凝ってしょうがないですよ。マッサージ店の甘い誘惑に屈しそうですねぇ」
 腕を組んでウンウンうなずく色白の少女。北国生まれかと思うほどに肌も髪も白い。首を回して軽くストレッチ。前世で首をへし折られたのだろうか?

「まったくですねえ。はぐれメタルの気持ちが今、この胸に宿りました。熱い思いがこみ上げてきます。熱いのは苦手ですし猫舌ですが」
 前世で爆風にでも焼かれたか、肌の色は小麦色。手を扇子がわりにパタパタと顔を仰ぐ褐色の少女。南国育ちのように健康な肌の色。

「はぐれメタルを題材に使うとは、なかなかセンスいいですねえ。苦しみにより豊富な経験値をゲットしたいんですね?」
「そうですともそうですとも。痛みを知ることで他人の気持ちをゲットです。痛みを分かち合うことが全人類の成長に繋がるのです」
 ふたたび腕を組んでウンウン頷く片割れ。
「まあこの子ったら、サイボーグ妖精のクセにもう人間気取りですか? 妖怪人間にマウント取りたいんですか?」
「まあこの子ったら、言葉のナイフが手キビシイー!」
 なにが面白いのか。まるでリズムに乗ったような会話でノリノリのふたり。終始、語尾に草を生やしたしゃべり方を繰り返す。
「もうムダな争いはやめましょう……。ところで大阪のお好み焼きと広島風お好みやき、どっちが正義なんですかね?」
「やめましょう。それを言ったら戦争が始まります。火ぶたを切り落としたいんですね、わかりますわかりますブヒー」
「火ぶたと聞いてチャーシューがのったこってりラーメンが食べたくなりましたねえ」
「家系ですか? 二郎系ですか? 並んでいるうちに餓死ですね、わかります」

 しかしこのコンビ、両親はスピーカーじゃないかと思うほど流暢にしゃべる。言語脳が99%を占めているのではないか?

 ぐうううう~~~。とお腹の虫が鳴り、ふたりして表情にかげりを作った。
「――しかしお腹がすきましたねえ。こちらの世界にはおいしいものがたくさんあるとの情報をゲットしましたが、是非ともこの目で確かめたいものです。大判焼きというものが気になります」
「今川焼きをディスりたいんですね、わかりますわかります。ついでに回転焼きと御座候フリークも撃退しておきますか」
「中身は……つぶあんを食したいところですねえ。クリームやチョコも入っているとかいないとか。アイスクリームが入っているのもあるとかないとか」
「無数の流し名を持つクセにレパートリーまで豊富な食べ物なんですね。これは胃袋を喜ばせないわけにはいきませんねえ。今川焼でも大判焼きでもなく甘党ホイホイが本名ですね、わかりますわかります」
「おやおや、なにやら前方に未確認甘味処ハケーン!」
とつ確定ですね、わかりますわかります♪」
「へいブラザー、おサイフにはおいくら万円入ってますか?」
「お姉さま、ご自身でおたしかめになられてはいかがです?」
「「おサイフはあなたが持っているのではなくて?」」
「「…………」」

 ふたりの表情が凍りついた。

「……おサイフは、マイ主が所持しているのでしたね」
「……明日からはご自分のお金はご自分で管理しましょう。 ……明日があればの話ですが」
「俺たちに明日はない」
「映画宣伝ですね、わかりますわかりま……」

 ふたたび同時に、ぐう~とお腹が鳴り響いた。
 途方にくれるふたりを寒風が煽る。
 聖色駅からどのくらい歩いただろう。ふたりは甘味処の前に立った。
 褐色の少女が店頭の看板を読み上げた。

 ――甘味処『人生そんなに甘くない』。

「かあー! これは一本取られましたなあ!」
 ケタケタと笑いながら、お店の前で爆笑するふたりだったが、極度の空腹に襲われて万事休す。
「後のことは……よろしくお願いします。部屋のPCはハードディスクごと処分しておいてください……」
「それを先に言うのは残酷物語です。こちらが先に言いたかったです……」

 まるで電池が切れたかのようにその場で背中を合わせてしゃがみ込んだ時だった。なにやら駅の方角から光が差し込んでくるではありませんか。
 後光をまとった聖女・埴村 瞳栖ばにら あいすがふたりに近づいてきては身をかがめる。
「どうかしたの?」
 
 目の前の双子を見た瞳栖は瞬時に感じ取った。天上人特有の嗅覚とでもいうべきか、双子から独特の香りが漂っていたのだ。
 死の天使の残り香――瞳栖がそれを警戒しないわけもなく、ただジッと双子を見つめる。

 いっぽう双子も同じ状況だった。記憶の一部が失われたとしても、自分たちが十字架にかけた女性の事は覚えている。体中を大鎌で切り刻み、血まみれになった聖女の姿は忘れようにも忘れられない。今になって罪悪という枷がふたりの心に重くのしかかってくる。かといって、天上人の血がなければ新たなる命は生み出せなかった。双子の中には罪悪以外の感情があるのもまた事実。ゆえに、ちょっと俯いた感じで上目遣い。瞳栖の顔色を伺う。

 どんな言葉を発したらよいのかもわからず、微動だにしない3人だった。が、ふたたび双子のお腹がぐぅ~と鳴ったのをきっかけに状況は変わる。
「お腹が空いているのね」
 瞳栖はくすりと笑うと、双子の背中を甘味処へと促した。


マイ主はどこに?


 甘味処『人生そんなに甘くない』 店内――。

 黒い木製机にイス。瞳栖と小さな双子が向かい合って座っている。トレーにはいくつものグラスやお椀が重ねられ、ハイカロリーを摂取した後だ。
 瞳栖がおしぼりで双子の顔についた汚れを拭いている。
 双子の空腹が満たされる頃には、すっかり瞳栖に打ち解けていた。

 瞳栖からこれまでの経緯を尋ねられた双子は、瞳栖に事情を説明する。
「それがですねえ、かくかくしかじか。妖精界でなかなか手ごわいお方に目を付けられてしまいましてですねえ。あやうく命を落としそうになりながらも生き延びてきたわけです。奴らはまるで死神ですよ、まったく」
「わかりますわかります。人の心がないんですよ、相手は人間ではないですがね」

 脳に糖分が入ったことにより、マシンガンのようにいっそう喋りまくる。
 瞳栖は緑茶の入った茶碗を両手で包むように聞き入っている。

「妖精界から逃げてきたみたいだけれどフェアリーフォースがらみ? 知り合いがフェアリーフォースに所属しているから相談ならできると思うけど?」
 褐色の少女が気まずそうに頬をポリポリとかく。
「そうしていただきたいのは山々なのですが……、我々を追いかけ回しているのはこれまた非常に厄介なお方たちなんです」
「日々の苛立ちを我々にぶつけているのですね、わかります」
「「はあ~~~~~~~~」」
 ふたりしてクソデカため息。同時に肩をすくめた。

「3人で旅をしていたと言っていたわね。もうひとりは?」
「マイ主ですか? 実はマイ主が応戦しながら我々を逃がしてくださいましてねえ。こうして命拾いしているわけです。いや~さすがマイ主、人間ができてます。人間じゃないんですけどねー」
人間界こちらで合流する予定でしたが、やはり予定は未定であって決定ではなかったわけです無念です」
「つまるところ世の中思い通りにはいかないのがカロリーです」
「あいたたたー、それを言うならセロリーだ、しばくぞボケナス」
「あいたたたたたたー、セオリー通りボケを被せにきましたなあー」
「「てへ☆」」
 同時にペロリーと舌を出す。
 会話に入れず絶句する瞳栖。
(やはり糖分を摂取すると脳が活性化されるのね。この1分間で無口な御殿さんのひと月分は喋っているわね)
 とか考えながらお茶をすすった。
「しかし女神様、どうして我々にほどこしを与えてくださったのでしょう?」
「きっとそのお心に聖母マリア様を宿していらっしゃるのでしょう。わかりますわかります」

 双子に問われた瞳栖が「う~ん」と考えてから答える――理由は2つあった。1つはボロボロの子供を放っておけなかったこと。もうひとつは因果を感じたからだ。おそらくは深い関わりになるであろう、そんな直感だ。

「以前このお店でお侍さんにごちそうになったの。そのことを思い出して私も同じことをしただけかも。人の好意は広げてゆくものだから。それに、あなたたちを見ていたら何だか放っておけなくて。縁を感じたのよ。だからほら、遠慮しないでたくさん食べなさい」
「「ま、まぶしいいいいいー!」」
 パアアアアア。あまりの眩しさに目を覆うふたり。
「なんと! 後光がさらに増幅しているではありませんか! あやうく愛で失明するところでした、なんてことをしてくれるんでしょうこの女神は!」
「このようなお方をお釈迦様と呼ぶのですね、わかりますわかります!」
 白肌の少女が涙をながしながらパフェにがっつく。摂取した糖分が速攻で言語脳に到達するらしい。消化吸収最強。
 瞳栖がふたりの口元をナプキンで拭く。まるで面倒見のよいお母さんだ。

「そういえば名前を聞いていなかったわね」
「申し遅れました。自己紹介がまだでした」
 瞳栖から問われたふたりは両手を休めて膝の上におくと、律儀に礼儀正しく頭を下げて自己紹介をはじめる。

「ミーの名前はシュウ。で、こっちのよく喋るほうがクリム」
「おっと、言葉のナイフ再びですね、わかります。はじめましてクリムです。コンゴトモヨロシク――」
 ニコッ。ふたりして漫勉の笑みを作り、深々と頭を下げた。


麗蘭は怒りオヤジ?


 先日の赤霧事件直後のこと。マデロムの手前で倒れた麗蘭は、フェアリーフォースの軍事病院に運ばれた。原因は過度な疲労。有給も溜まっていたこともあり、その足で瞳栖の家に滞在することにした。病み上がりの麗蘭を不安に思った瞳栖の提案だ。

 瞳栖は持前のスキルを活かし、調合士や占い師として人間界に拠点を移すこととなった。薬学に詳しいこともあり、今は麗蘭の看病にいそしんでいる。
 心強い助っ人がいることで、一週間ほどのんびりしようと考えていた麗蘭だったが、やはりトラブルは向こうからやってくるもの。

 瞳栖の家――。
 街から離れた交通量の少ない山のふもと。木造2階建ての一軒家。とてもとても巨大な大木をくり抜いて家にしたような建物。屋根全体には隣から伸びた大木の葉が覆いかぶさり、まるで木の中に住んでいるかのよう。
 一階フロアはテナントになっており、瞳栖が薬局を経営している。店名『フォーチュン・ファーマシー』
 薄暗い店内は都会の騒音から切り離された空間が広がっていて、多くの植物に囲まれ、静かな森の中にいるかのよう。木製のカウンターには薬草の詰まった瓶やら得体の知れない薬、水晶が並べられている。それらはすべて調合や占いに使われる。
 まるで魔女の家。近所の人たちからは『森の薬屋さん』『占い薬局』などと呼ばれている。
 薬局には人ならざる者の来客が多く、妖精や獣人が割合を占める。家賃も馬鹿にできないが、麗蘭と分担しているので苦ではない。
 なので麗蘭もよく泊まりにくるようになった。半同棲生活だ。

 だが麗蘭と瞳栖。仲睦まじく、ちちくり合うこともなく問題は起こる。


「だんっっじて認めん!!!!!」



 麗蘭の怒号が建物を揺さぶった。

 建物二階――瞳栖と麗蘭が寝泊まりに使っている場所に4人が集う。
 路頭に迷う寸前のシュウとクリムを部屋に連れて帰った瞳栖。そこまではよいが、麗蘭に事情を話した途端、たちまち顔を真っ赤にして大激怒。忘れもしない天上人との大決戦。マジで落下して死ぬと思ったんだから!

「それじゃあ何か? エクレアの側近である使徒ふたりがこのクソチビというわけか!?」
 ズビシィ! 瞳栖に詰めよる麗蘭がシュウとクリムを指さした。


「こいつらのせいでフェアリーフォースがどれだけ混乱したと思ってるんだ! それに私はこいつらに手首を思い切り掴まれたんだぞ。そうそう、この左右のデカい奴らだ。エラそうに黒い輪っかなんぞ付けおって!」
 と、軍人らしい屈強な手首を見せつけた。アザはとっくに消えていた。

 売り言葉に買い言葉。シュウとクリムも麗蘭を一目見るやいなや、靴底にくっついたウンコを見るような嫌悪の表情を作る。

「出会って早々、いきなりクソチビ呼ばわりとは失礼ですね。今思い出したのですが、私はあなたに頭を鉄骨で串刺しにされてチョークスリーパーで首をへし折られたのでした。あ~首が痛い。この恨み、ハーラ・サーデ・オーク・ベーキ・カー」
 小さな体で深く身構え、正体不明の古武術の構えでユラリユラリと体を動かすシュウ。
「ア・バオア・クーみたいに言うな。それに鉄骨に勝手に突っ込んだのはおまえだろうが」
 と麗蘭がつっこむ。
「戦いのゴングを打ち鳴らそうというわけですね、わかります。今思い出したのですが、私は爆弾であなたに火あぶりにされたのでした。おかげで猫舌です。この恨み、ハラサーデ・オク・ベーキカ! シャカシャカ……」
 小さな体で深く身構え、サンバのリズムで陽気に踊るクリム。
「リオのカーニバルっぽいノリはやめろ。マラカスも振るな。おまえらもこのレールガンレーザーユニットで吹き飛ばすぞ」
 麗蘭がワイズナーに手を伸ばしたとたん、シュウとクリムが拳を作って牙をむく!
「うるせー! やれるもんならやってみろチンカス軍人!」
「この部屋吹き飛ぶぞ暴力ツインテ軍人! 敷金どうなってもええのんか、おおう?」
 双子が腕をまくって臨戦態勢。
「ふたりそろって海兵隊員みたいな口の悪さだな。本当に痛い目見せてやろうか! あ゛あ゛ん!?」
 頭に血がのぼって腕をまくる麗蘭。

 ゴゴゴゴゴ……。麗蘭、シュウ&クリムが視線を叩きつけるたびにバチバチと火花を飛び散らす。

「2対1。おやおや、どう見ても数ではこちらが有利ですねえ」とシュウ。
「おとなしくケツまくって帰りやがれってんだ」とクリム。
「ここは私と瞳栖の部屋だ。どう考えても出ていくのはおまえらだろうが」
 双子が小馬鹿にしたように、やれやれと肩をすくめた。
「おやまあ、子供を寒空にほっぽり出してご満悦ですか、そうですか」
「ネグリジェですね。わかります」
「それを言うならネグレクトだ。わかりますわかりますって、さっきから全然わかってないだろおまえ」
「「あー今自分でネグレクトって言ったー」」
 麗蘭の揚げ足を取っておちょくるように爆笑するシュウ&クリム。
「黙れ。そもそも何でそんなにちっこくなったんだ? 小学生レベルまで縮んでいるではないか」
 エクレアを護衛していた頃のふたりは長身だった。190センチはあったはずだ。
 麗蘭に問われた双子が恨めしそうに視線を返す。
「どっかの誰かさんに体のパーツを吹き飛ばされましてね、チラッ」
「散らばったパーツをかき集めて肉体を作りましたが、色々と部品が足りなかったんですよ、どっかの誰かさんのせいで。チラッ」
 ふたりしてさらに冷たい眼差しを麗蘭に向けた。
 麗蘭も麗蘭で頭に血が上り切っている。
「ほおおおおお? なんならふたりまとめてここで吹き飛ばしてやろうか? あ゛あ゛あ゛ん!?」
 こめかみに青筋立ててワイズナーに手をかけた途端、シュウとクリムが「キャー」と一目散に瞳栖の後ろに回り込んだ。
「ママー、あのおっかない暴力女がいじめるー!」
「ギャー、こわーい!」
「誰がママだ、すばしっこい奴らめ! 消し炭にしてやる! こっちへ来い!」

 キャッキャと走り回る双子。
 鬼の形相で追いかける麗蘭。
 瞳栖は自分のまわりをグルグルと追いかけっこする3人を見ては、眉をハの字にして苦笑する。

 1周……、
「ギャー、捕まったら殺されるー!」
「待てこの!」
 2周……、
「ぎゃー、捕獲して食べる気ですね、わかりますー!」
「やかましい! チョロチョロしおって!」
 3周したところでシュウとクリムの背中に麗蘭の手がかかった。
「――捕まえたぞ! すばしっこいヤツらめ!」
 麗蘭はゼエゼエと荒い呼吸を整えながら、両脇にシュウとクリムを抱えて目くじらを立てた。
「『育メンに失敗したクソ隊長』の巻」
「仕事以外はてんでダメ軍人ですね、わかります」
「変なタイトルつけるな。勝手に理解もするな。大体おまえらは余計な言葉が多すぎる。こっち来い! おしおきしてやる!」
 連れ去られるシュウとクリムが悲鳴をあげてヘルプミー。瞳栖に手を伸ばす。
「「ギャー、母上ー! 食い殺されるー!」」
「誰が母上だ! それに私は怪獣か? だいたい瞳栖が甘やかすからこんなクソ生意気な子供に育つんだ、まったく」
 瞳栖はそんな麗蘭を見ながら、うふふと吹き出した。
「なかなか子育てが様になってるわよ、麗蘭パパ
「うるさい!」
 麗蘭は両脇に双子を抱えたまま障子を締め、隣の和室にこもってしまった――。
 

 昼食の支度をする瞳栖の耳に、障子の向こうから説教が響いてくる。

 畳に正座させられたシュウ&クリム。
 対面するように麗蘭が腕を組んで正座している。
「おまえら、そこに座れっ」
 まんま昭和の頑固オヤジである。
「先生、もう座ってます」
「あまり怒るとシワが増えますぜ旦那、ケケケケケッ」
 ニヤつくふたり。挑発を耳にしたもんだから麗蘭の眉間のシワが深みを増す。カミナリ落下スタンバイ。

「よおお~し。3・秒・だ・け・待ってやる。ハッピータウンから今までのことをすべて話せ、すべてだ!」
 ――と、脇に置いたワイズナーに手をかけた。子供相手でも脅迫まったなし。

 ハッピータウンとはI県にある無人住宅街。別名、傀儡街。かつては機械で自動化が進んだ都市だったが、大規模な事故により現在は住居者はいない。
 その一角にそびえる黒い巨塔で、麗蘭たちが死闘を繰り広げたのは記憶に新しい。
 そこでエクレアは麗蘭によって処分され、シュウとクリムも同じように始末された……はずだった。

 麗蘭の眼光を前にビビるふたり。耳打ちしながらヒソヒソと話す。
「はわわわわ……」
「マジでご立腹のようですね。わかります」
「瞳栖ママにバブみを感じてオギャりたいだけだろ。変態軍人め」
「わ~か~るぅ~。てか軍人てやっぱチョベリバだよね~、ルーズソックスさげさげなんですけどぉ~」
「聞こえてるぞ。はよ喋れ」
「黒い巨塔から妖精界に行ったあたりまですべて?」
「黒い巨塔から妖精界に行ったあたりまですべてだ」
「道中、ドラッグストアマミリンに寄ったことも?」
「何ポイント使ったかも正確に吐け」
 麗蘭の脅迫により、あっさりと口を割った。

 ――早送り。
 麗蘭はシュウとクリムから事情を聞き出した。内容は以下だ。
 
 ハッピータウンの黒い巨塔でエクレアは天に召された。だが、麗蘭のレールガンレーザーユニットで頭を吹き飛ばされてもなお、エクレアは起動を停止することはなく、その手は生まれくる命を抱いて尽きる。
 新型トロイメライの血液は瞳栖の血液から作られており、エクレアからOSの一部を継承後、それを読み込み人格形成。知能を持った生命体として生まれた。
 役目を終えたエクレアのOSは自己消去が実行され、新型トロイメライの中から姿を消した。

 エクレアと共に歩んできたシュウとクリムだったが、新たなる使命を魂で感じ取り、この世に留まることにした。そのことに対し、頭を吹き飛ばされたエクレアも笑顔で受け入れた。魂あるもの、顔がなくとも笑顔を作れるものなのだ。

 黒い巨塔の地中深く。シュウとクリムはバラバラになったサイボーグ義体をかき集めた。
 時間はかかったが動ける体を手に入れると、先に旅立った新型トロイメライ、つまり新しい主の捜索に出る。

 妖精界にて、やっとのことで主を見つけたふたりだったが、賊に襲撃されて離れ離れになってしまう。

「――道中、お腹すいたのでマミリンでパンを購入。500ポイント使って食料を調達したらしいがハッキリ言ってどうでもよい。シュウとクリムは頑張っているのでノーカンである」
「ちっちゃくてプリチーなシュウとクリムの活躍に乞うご期待」
「余計なナレーションを入れるな、混乱する。 ……で、襲撃した者は誰だ?」
「それがわかったら苦労しないですぜ旦那」
 と、シュウがヘラヘラ笑う。
「ポイントカードはどこで入手した?」
「ハッピータウンに落ちてた」
 と、クリムが答える。
 最後に、
「「どうせ持ち主なんて見つかりっこないっすよぉ~♪」」
 と、ゲラゲラ笑うシュウとクリム。

 3人がそれとなくポイントカードの裏を見ると『雪車町想夜』と書いてあった。

「拾得物横領と窃盗の罪はさておき……」
 呆れ顔の麗蘭は話をすすめた。

 天上人である瞳栖は経典を持っていた。経典があるとハイヤースペックが効率よく使用できる。だが、その経典もエクレアに半分を奪われたままである。
 現在、瞳栖のディメンション・エクスプローラーは半分の経典で発動させているため、能力発動には不十分な効果しか発揮できない。地の八卦として完全なハイヤースペックを発動させるには完全なる経典が必要となる。
 
 完全なる経典は、完全なるハイヤースペック・ディメンションエクスプローラーを発動できる。

「それで、ディメンションエクスプローラーが完全になるとどうなるんだ?」
 麗蘭が問うも、
「知るかボケ。ママに聞け」
「知るかタコ。ママに聞け」
 シュウとクリムは鼻ホジ状態。
「ぐぬぬぬぬぬ……」
 握りこぶしの麗蘭。ついには怒りの雷が落下。
「マジメに聞けええええええええ!!!!」
 拳を畳に叩きつけた瞬間、

 バシュウ!

 とつじょ天井からものすごい稲光が舞い降りてはシュウとクリムの足もとに落下。稲妻が落ちた部分だけ畳がまっ黒焦げになった。

 恐れおののくふたり。今にも失禁しそうな表情である。
「あわわわわわ……、ほほほほ本当に雷を落としやがった、このクソオヤジ」
「ガクガクブルブル……、児童虐待ですね、わかりますわかります」
「いい加減にしろよおまえら。誰がクソオヤジだ。そもそも私には落雷スキルなんかない」
 だがシュウとクリムは聞く耳持たず、怒りまかせに闘牛みたく突っ込んできた。
「ウソをつけえええ! ミー達は機械妖精なんだから、ちったぁ手心というやつを考えろカスがあああ!」
「機械は静電気に弱いんだぞわかってんのかコラ! と遠回しに言ってんだぞ、わかってんのかゴルァアアア!」
 双子の頭を押さえつけてグルグルパンチを回避する麗蘭。
「ええい、ポンコツ妖精どもが! うっとうしい!」

 麗蘭が天井を見上げる。
「――にしても今の雷は一体……? 妖精反応はMAMIYA研究所の方角か。それにしても雪車町のやつ遅いな。道草でも食っているのか?」
 フェアリーフォースから預かった書類などの確認をしてもらうため、先ほど想夜を呼び出したところだ。
 そこでタイミングよく……いや、かなり最悪のタイミングで想夜がやってきた。
 ピンポーン。
「お、やっと来たか」
 両手の闘牛をぽっぽりだして玄関の扉を開ける。
「京極隊長、雪車町到着しました」


想夜はお姉さん?


 書類の確認後、畳の上に正座して聞き入る想夜に対し、諸々の事情を話した麗蘭が任務を与える。
「――というわけで、このガキどもを連れてMAMIYA研究所に行ってくれ。お互い過去のわだかまりもあるだろうが、妖精界の動きがおかしい以上、協力しあって問題解決に取り組もうと思う。それでいいか?」
「了解しました」

 想夜は一つ返事で承諾した。想夜だってお姉さん。かつての敵とはいえ相手は子供。小さい子の面倒見だってちゃんと見られるんだから。

「よろしくね。シュウ、クリム」
 笑顔で挨拶するおませな想夜。
 するとどうだろう。双子はしかめっ面を見せてツバを吐くように悪態をついた。
「けっ、初対面でいきなり呼び捨てかよ。学校で何学んでんだよクソJC」
「愛妃家女学園のツラ汚しめ。退学になっちまえ」
 売り言葉に買い言葉。想夜がくちびるを尖らせた。
「なによなによっ。あたしのほうがお姉さんなんだからね! ちゃんと言うこと聞かないとダメなんだからね!」
 シュウがクソデカため息。両手を見せて肩をすくめた。
「おやおや。中学生にもなって子供相手に同じレベルで対抗ですかぁ? 大人げなーい、プププー」
「先輩風吹かせて何言ってんだコイツ。帰れ帰れ」
 シッシと想夜をあしらうクリム。
「もうっ、京極隊長お~、この子たち嫌い~っ」
 涙目で麗蘭にすがる想夜。子供2人に泣かされる醜態。
 麗蘭は腕組みをして頭を深く落とした。
「うーむ。まるで子育てをしているようだ。世の親御さんの気持ちが手に取れる」

 麗蘭は考える。
(雪車町は子供の面倒見がよい。児童施設などの手伝いもしているし、図書館では子供たちに絵本の朗読をしているそうだ。そんなこともあり手を貸してほしいところだが無理強いはできないか。任務とはいえ、これはパワハラにあたるのではなかろうか?)
 どうしたものか……と思った麗蘭の手前、想夜の目が双子の手にしたポイントカードをとらえた。

「あ! あたしのポイントカード! ふたりとも拾ってくれたのね。ありがとう。さっきは嫌いとか言ってごめんね」
 想夜のニッコリ顔もつかの間。血の気の引くような言葉が返ってきた。
「拾ったから2割請求しといてやったぜチンチクリン」
「500ポイントで手を打ってやった。ありがたく思え税金泥棒」
 それを聞いた想夜が愕然とする。
「ふえぁ!? 500ポイントしか入ってないのにっ。それじゃあ10割請求じゃん! もうっ、やっぱりこの子たちきらーい! 京極隊長ぉ~」
 ふえーんと泣きっ面で麗蘭に訴えた。狐憎たらしい子供の面倒なんてみたくない。とんでもない役目を引き受けてしまったものだと後悔している。
「天上人なのに拾得物横領までするのか。生き残るにはそのくらいの積極性が必要ということか。さすがエクレアの元側近だな」
 子供ながらにしっかりしているというべきか、ちゃっかりしているというべきか。もはや何も言えない麗蘭だった。先行き不安である――。

 障子の隙間からエプロン姿の瞳栖が顔を覗かせる。
「麗蘭、お昼ごはんができたから食べましょう。あなたたちも食べていきなさい」
 と、想夜と双子も誘う。
「「わーい!」」
 シュウとクリムが一斉に駆け出してリビングテーブルに着席する。
 お昼は鍋料理。かつての敵と鍋を囲むことになろうとは誰が予想していただろうか?
 それはさておき、温かいうちに召し上がれ。


天上人の足音


 聖色駅の裏路地――入り組んだ通路に狐姫と恋音れおんはいた。突如現れた正体不明の種族が乱闘を始めたらしい。その対処をするようコミュニティから指令がきたのは1時間前のこと。

 天使のような生命体がふたり――駆けつけた場所で死闘を繰り広げていた。

 獣人ふたりが揃っていれば戦闘の収束など容易い作業。おまけに恋音は八卦のひとり。かつて妖精界を火の海に変えたディルファーの業火を扱える。暴魔の群れに対してもハイヤースペック・ギャンサーエフェクターは大いに役に立つはずだった。
 だが、状況はあらゆる者の予想に反していた。

「待ちやがれコノヤロウ! 空ばっかり飛びやがって! 降りてきやがれ!」
 狐姫の声が路地裏に響いた。ターゲットに抱きつこうにも、相手の動きの素早いこと素早いこと。天使のような白い羽で縦横無尽に飛びまわる戦闘スタイルに手も足も出なかった。
「おいルーシー! オクトフレア使えよ!」
「バカ言うなよな! 小生が炎を出したら商店街が一瞬で吹き飛ぶぞ!」
 小さな店舗が乱立した通路。ヘタにギャンサーエフェクターなんて使おうもんなら、プロパンに引火して大惨事。そんなこともあり、八卦の恋音さえも手が出せないでいた。

「くそ! 飛んでいっちまった!」
 狐姫が舌打ち。空に向かって吐き捨てるように言った。
 結局、ターゲット2名を逃がしてしまう。そんな醜態を見せてしまうふたりだった――。


 狐姫は転がったゴミバケツをまたぎつつ恋音に近づく。
「――なあルーシー。さっきの奴らどう思う? ごっついワイズナー持ってたからフェアリーフォースかな?」
「可能性はゼロではないな。ただフェアリーフォースにしては軍服も着てなかったし、コソコソとしていて不審だったな。何者なんだろうな?」

 頬を染めた恋音が狐姫から瞳をそらす――ちょっぴり気まずかったのだ。先日、狐姫に胸の内を打ち明けたばかり。告白の返事はまだ先になってしまうが、こうして顔を近づけられると意識してしまうもの。されど今はお仕事中。邪な感情を振り払いつつ平常心を保って通常運行。

「――フェアリーフォースなら徒党を組んでやってくるはずだが……どうだろう。単独行動しているとなると、おそらくは別の勢力と見たほうが賢明かもな」
 と、恋音は先ほどの戦闘を思い出していた。
「それにあの白い翼。あれは妖精なのか? 小生にはそうは見えなかったよ」
 別勢力と思しきそれは敵か、はたまたそれ以外の何かか。
 ひとりは白い羽。10代半ばの少女。ほどよく伸びた真っすぐな白髪に尖った眼光。ペンデュラムをワイヤーのように振り回して自在に操る存在。
 もうひとりはボロボロに汚れた白装束。白黒の翼。体に墨汁をぶちまけたような天使。否、天上人の成れの果てのように朽ちた天使だった。

 ウンコ座りの狐姫が問う。
「信じられるか? 攻撃が一発もかすらなかった。獣人ふたりがだぜ? それにさっきの奴が使ってたペンデュラム、あれ武器なのん? 伸縮自在、硬直もできるしグニャグニャ曲がる。槍のように尖ってて、物体もズバズバ切れる。まるで意思を持った鋼の蛇だぜ。見ろよ? アスファルトもえぐれてるし、バケツも真っ二つじゃん」
 問われた恋音は終始冷静。狐姫をなだめながら今後のことを考えている。
「そう焦るなよ。たった1分の出来事だろ。奴らが何者なのか調査を始めよう。な?」
「あ~だりぃ~。帰って御殿に報告でぃ!」
 どっこいしょと狐姫は重い腰を上げた。
「小生も帰って沢木社長に報告しなきゃな」
 恋音は空を見上げた。
「ほんと、なにも起こらなきゃいいけどな――」


次回につづく――。