1 性別の侵略と崩壊


『おまえの母親は人殺しだ――』

 自覚はしている。
 母は多くの妖精を殺めた咎人とがびと

 けれども吾輩は、母を嫌いにはなれなかった。

 その黒い翼を、
 そのぬくもりを、

 これからも忘れることはないだろう――。




 妖精界――。
 果てなき砂漠の一角。小さな崖のえぐれた部分――洞穴のような場所。3人の幼子は寒さで震える肩を寄せ合い、汚れた白装束に身を包んでいた。

 ひとりは小麦色の肌の女の子。よどよく伸びた髪を右に束ねてサイドポニーに。
 ひとりは真っ白な肌の女の子。よどよく伸びた髪を左に束ねてサイドポニーに。
 黒髪セミロングの女の子の両脇にしゃがみ込んでは、双子たちが懸命に励ましの言葉を送り続けている。
「ミルさま泣かないで――」
「ミルさま元気だして――」
 そういって双子たちは、『ミルさま』と呼ばれる女の子の顔を手でこすって汚れを拭きとる。粉雪のように白くて弾力のある肌がプニプニ動くたび、元気にな~れと願うのだ。

 血で汚れた白装束はみすぼらしくあれど、とてもあたたかく、凍える子供たちの体を包み込んでくれた。ボロ雑巾のようであれど、3人の子供にずっと寄り添ってくれていた。

 軍隊のような勢力から奇襲を受けてから、かれこれ数時間前におよぶ。
 正義を振りかざす大人たちは子供相手とて容赦がない。

 天上人の成れの果て。3人は誰もいないことを確認すると、冬眠から目ざめた小動物のように崖から抜け出した。
「ミルさま、妖精界は危険です。早く逃げましょう」
「ミルさま、人間界を目指しましょう」

 ミルさまに手を伸ばした矢先、3人目がけて砲弾が撃ち込まれた。

「「ミルさま!!!!」」
 戦場と化した砂漠に双子の声がこだまし、舞い上がる砂けむりが3人の視界を奪った。
 先の見えない空間で散り散りとなった幼子たちは手探りで互いの姿を探し続け、やがて消失。

 人間界で合流しよう――砂けむりの中、主の声を受け入れた双子は手を繋いで人間界をめざす――。


マデロムの計画


 フェアリーフォースのプリズンルーム取調室――。

 投獄されてすぐのこと。マデロムは取り調べで身の潔白を主張。取調官からは素直に話したほうが裁判で有利になると言われたが、それを頑なに拒否した。当然、レリオラという少女についても一切話さなかった。政府への不信感がこの上なく膨張していたのだ。
 知ってか知らずか、フェアリーフォースもレリオラという名を口にすることはなく、マデロムと取調官との睨み合いは長時間におよんだ――。

 その後、マデロムと弁護士との接見が行われる――。
 弁護士の接見とは――逮捕・勾留されている被疑者・被告人が、立会人なしで、原則24時間365日、いつでも弁護士と面会できる制度。 被疑者・被告人が捜査や刑事訴追に対する法的アドバイスを受けることができる重要な時間である。

「マデロム隊長――」
 ふたたび投獄されたマデロムのもとにひとりの少女が顔を見せる。名前はラーナ。マデロムチームの隊員であり、先日の流船るふなでの戦いの際、恋音れおんにこっぴどくやられた少女Bだ。想夜のことをいびっていた過去もあるが、今では仲直りもしており、今度人間界に出向いた時は、想夜の聖色せいろん市案内を楽しみにしている。
 恋音にボコボコに顔面を殴られたが、最近ようやく腫れが引いてきたばかり。切れた口も傷薬がよく効いて塞がりつつある。
 マデロムは逮捕される前、ラーナたちに指令を出していた。

 『レリオラというガキについて調べてこい』――。

 レリオラという少女がフェアリーフォースの隊員として在籍していたはずだ。そのことを憶えているのはマデロムだけ。
 隊員たちの記憶から消された存在――マデロムはそのことがどうしようもなく気になり、政府の懐を探るといった性に合わないことをしている最中だ。
 フェアリーフォースの水晶サーバーからも、隊員たちの記憶からも抹消された少女。そんなバカな話があるかよと、マデロムは何度も首を捻った。
 唯一、レリオラという名前が記録されていたのが掃除当番表だった。新人隊員が担当した掃除当番を記録するための物理ファイル。
 そのファイルもとある隊員に持ち出され、その持ち出した隊員も殺害されてしまった。
 人間界に持ち出された掃除当番表は、恋音の手に渡り、ようやくフェアリーフォースのもとへ返ってきた。
 しかしマデロムは、諸々の罪を被せられ逮捕されてしまう。

 ――部下に与えた指令からそれほど時間経過することなく、ラーナはマデロムの元に戻ってきた。

「マデロム隊長、実はレリオラという子について知っているであろう人物が投獄されているらしくて……」
「やっぱり存在していたのか。俺の脳みそがとち狂ってたわけじゃなかったんだな」
 マデロムは勝ち誇った。と同時に胸を撫でおろした。老化はまだ避けたいものだ。
「ですので、私たちはそちらを調べてみます」
「へえ、頼もしいじゃねえか。調べられるのか?」
「私たちを誰だと思っているんです? マデロムチームのエーテルバランサーですよ? 任せて下さい」
「はんっ。でけぇ口叩いて大丈夫かあ? 後になって調べられませんでしたとか言い出すなよ?」
「だーいじょうぶですよお」

 おちゃらけるラーナがニヤリと口角を上げた。自分たちの隊長のために、その身を挺して奮闘するつもりでいる。その表情は自信に満ちていた。
 一瞬、うつむくラーナの横顔には翳りが見えた。それを感じたマデロムはこの上ない違和感を覚える。
「どうした? やけに暗い顔してるじゃねえか」
「軍人特有の不安感ですよ。心配しないでください。臆病者ほど生き残るんですよ? すぐにここから出して差し上げます――」
 ラーナは漫勉の笑顔を残し、羽を広げてに去っていった。

「――クソガキどもが……」
 無茶するなだなんて、そんなこっぱずかしいこと言えるはずもなく。鉄格子の中、ラーナの背中を見届けるマデロムは微かな安堵を覚えていた。幼い少女たちに手を差し伸べられるのも生き様に合わない。されど、甘えることもまた勝利への道とも感じている。現に彼女たちはマデロムの不安を和らげてくれた。子供とて、立派な戦力なのだと認めざるを得ない。
 同時にマデロムは一抹の不安も感じていた――部下の心配なんてするようなタマじゃなかったくせに。


 ラーナが去ってからベッドに横たわるマデロム。先ほどからフェアリーフォース内部が騒がしくて、ゆっくり寝られやしねえ。
 イラつきながら寝返りを打つと、今度はリーノが鉄格子から顔を覗かせてきた。

「マデロム隊長、お昼ごはんを持ってきたの。たんと食べてブクブク太るの。血糖値バク上がりなの♪」
 鉄格子の脇からトレーを差し出すリーノ。相変わらずお花畑のような話し方である。
 マデロムは横目で食事を見ると、かったるそうにベッドから起き上がった。
「もうそんな時間か。朝っぱらから接見が続いていたから時間の間隔が狂っちまったぜ」
 重い腰を上げてトレーを受け取る。
「外が騒がしいようだが何かあったのか?」

 マデロムがリーノに問う。牢獄の中からでは情報が得られない。それがもどかしいったらない。

 リーノは鉄格子に顔を近づけると、マデロムにそっと耳打ちをした。
「はいなの。実は不審者が妖精界をうろつてるの。フェアリーフォースが情報収集に躍起になってるの」
「不審者?」

 訝しげに眉を寄せるマデロムは身をかがめて柵に近づくと、リーノと小声で会話を始める。監守に聞かれたら厄介だ。

「どんなやつだ?」
「ワイズナーを持った女の子なの。血で汚れた長いマフラー状のコートを首に巻いていたらしいの。小柄で白髪はくはつ……あれ? 青だっけ? あれあれ、黒髪だったかな??? 忘れちった、テヘッ☆」
 リーノは舌をペロリと出して頭をコツンと叩いた。
 マデロムは小馬鹿にされたような気がしてイラつきを見せた。
「しっかりしろよ、いくらなんでも白髪と黒髪は間違えねえだろ」
 しょうがねえなコイツ、とマデロムはため息を吐いた。
「つまりフェアリーフォースの隊員以外にもワイズナーを持っている奴がいるってことか?」
「たぶん、それが問題になっているようなの。もしそうなら一般人が警察手帳を持っているようなものなの」
「どんなワイズナーだ?」
「形状は独特で、剣と大鎌と銃器を併せ持った機能なの。それらを自在に切り替えて反撃してくるから、職務質問した隊員たちは一瞬で返り討ちに合ったらしいの。ガクブルなの」
 リーノが両腕を体を包んでガクガク震える素振りを見せた。
「そいつはハイヤースペックも使うのか?」
「もち」
「どんなハイヤースペックだ?」
「なにせ一瞬の出来事だったから詳細はわからなかったようだけど――」

 リーノは少しだけ口を閉ざした後、能力名を伝えた。

「ハイヤースペックはミルキーウェイ……と叫んだそうなの。天の川なの」
「ハイヤースペック・ミルキーウェイか。どんな能力かわかるか?」
「まず背後からの攻撃。続いて四方八方からの連続攻撃。フェアリーフォースがガトリングザッパーを乱射したけどワイズナーで全弾はじかれたらしいの。おまけにガトリングザッパー撃ち返してくるの」
「全方向をカバーできるオールレンジに特化した攻防一体のハイヤースペック。オールレンジ攻防型か。まさかそいつ、飛行までしないよな?」

 オールレンジ、攻撃防御完備、おまけに飛行までしたらチート以外の何者でもない。しかしながらリーノから返ってきた答えはマデロムに舌打ちを促すものだった。

「空も飛ぶの。めっちゃ飛びまくりなの♪」
「チッ、マジかよ。やってらんねーぜ」
「おまけに妖精ビットも2体完備」
 リーノがVサインを作ってドヤ顔。
「そいつ妖精界から追い出せよ。戦闘力のインフレが起きてんぞ」
 腕力ひとつでのし上がってきたマデロム。もうバカバカしくてやってらんねーぜ。
「安心してなの。人間界に逃げちゃったの」
「へえ。また人間界が騒がしくなりそうだぜ」
 マデロムは肩をすくめて深くため息をついた。
「6時間後に別の子が夕食を持ってくるの。また何かわかったらご報告しますなの。朝食のトレーは持っていくの」
「リーノ、ちょっと待て」
 マデロムは鉄格子に近づいて周囲を警戒すると、袖から小さな紙切れを取り出しトレーの下に滑り込ませた。
「これを人間界にいる藍鬼あおおにのガキに渡せ」

 マデロムはトレーの下に忍ばせた紙切れを素早くリーノに手渡す。
 リーノは紙切れを受け取り、素早くベルトの間に隠した。
「想夜ちんへのラブレター? マデロム隊長、ロリコン覚醒なの」
「次言ったら顎の関節が10個増えるから覚悟しとけ」
「ガクブルなの」
 マデロムのただならぬオーラに足が震えた。

 プリズンルームを去ろうとするリーノの背中に、大木のような腕がかかった。
「ところでリーノ。おまえ……、そろそろ溜まってんじゃねーのか?」
「……え?」
 振り向くリーノは、頬を真っ赤にしながらはにかんだ。

 鉄格子から伸びる手が10代前半の未成熟なボディラインをもてあそぶ。

「マ、マデロム隊長……こんなところでそんなこと……は、恥ずかしいの……」
 視線を逸らすリーノの耳元でマデロムがささやいた。
「無理すんなよ……。おまえの態度見てればわかるぜ」
 リーノの足、腰、胸を舐め回すように視線を移してゆくマデロム。
 モジモジと太ももをすり合わせるリーノは、左手で短いスカートの裾をつまみ、軽く握った右手で口元を隠して恥じらう姿を見せた。
「こ、こんなところで……だめなの。セクハラなの……」
「カマトトぶってんじゃねえよ。おめぇの体が今どうなってんのか、俺ぁよお~くわかってるんだぜ?」
 よだれを垂らしそうな勢いで迫るマデロム。
 上目づかいのリーノ。
 互いに視線を合わせて意気投合。
 リーノは鉄格子から離れると、羽を広げてプリズンルームを後にした。


御殿とバイクと修理屋さん


 御殿ことのは聖色市から少し離れた町にあるバイク屋に来ていた。
 ほどよい広さの展示場にはいろんなバイクが陳列されており、工場では作業員が忙しなく動き回っている。
 自販機の前でジュース片手に休憩をとるツナギ姿の女性整備士。その手前で御殿が難しい顔をしながら雑談をしていた。
「どうしてもここに置いていかないとダメでしょうか?」

 ふたりして工場の作業台に置かれたバイクに目をやる。

「ミネルヴァ重工、レディオスの大型。2032年式だっけ? 左右のミラーは割れているから交換。タイヤの表面は溝がなくなるくらいに溶けている。タイヤも前後輪とも交換。ブレーキの利きが悪くなっているのはブレーキパッドの消耗が原因だけれど、最悪なことにブレーキシステムを分解することができない」
「分解ができない?」
「本来はブレーキシステムを固定しているボルトやピンがはずせるけど、これらが癒着していて分解ができないの。ブレーキパッドと周辺の装置を丸ごと交換になるわね。装置は取り寄せになるから、注文してから修理まで最短でも一週間はかかるかも」
「一週間? そんなにかかるんですか?」
 きわめて冷静に答える御殿だが、素っ頓狂な声をあげたくもなる。バイクは重要な移動手段だ。それが1週間も使えないのは業務に支障をきたす。
「人手不足と部品不足。咲羅真さくらまさんにはいつも御贔屓にしてもらっているから修理はなるべく優先させるけど、部品の到着は急ぐことができないのよ。在庫も限られてるからね」

 なんということだろう。1週間、場合によってはそれ以上もの間、足のない状態で生活しなければならない。暴魔を追いかけるのにタクシーを使えとでもいうのだろうか? 「運転手さん、前の暴魔を追ってください!」とか言わなきゃならんのか?
 羽でもあればいいのに……と、想夜のことが羨ましく思えた。

 女性整備士がレディオスを遠目に肩をすくめて言う。
「それにしてもどうしてあんなになっちゃったの? まだ新車同然だよね? 溶岩の中でも走らなきゃ、あんなふうには溶けないと思うんだけど?」
「そ、それは……」

 御殿の額に冷や汗がつたう――先日、赤霧の中での戦闘。死霊の群れの中を縫うように突っ走ったのは記憶に新しい。無数の敵をショットガンで撃ちまくった際、飛び散った返り血がバイクに付着していたのだ。死霊の残骸をタイヤで踏みつけたこともあり、それらが原因で損傷を進めてしまったのだ。

(悪魔の血が各部品を腐らせてしまったのね。すぐに聖水で洗浄すればよかった)
 己の不甲斐なさに、苦笑いで返すしかなかった。
「ほい、これ見積ね」
 女性整備士がよこした端末を見た御殿が閉口する。髪の毛が何本か抜け落ちた気がした。
(今月は食費を減らそう……)
「バイクの修理、よろしくお願いします」
 元気なさげに会釈してその場を去る御殿。その背中に笑顔で手を振る整備士の声がかかる。
「ほいほーい。修理終わったら電話するねー」


誰が送るの?


 今月のバイク屋はサイフが潤いそうだ。御殿はそんなことを思いながら、バスで聖色せいろん駅まで戻ろうとした。その矢先、一台のフェラーリが御殿に横づけしてきた。
「咲羅真どの」
 車の窓から顔を見せたのは朱鷺だった。御殿の前に車を停車させ颯爽と下りてきた。

 問題はその後に起こる。今度は反対方向からポルシェがやってきたかと思えば、運転席の窓から小安が顔を覗かせてくるではないか。
「どうした咲羅真、歩きか? ちょうど愛宮邸に向かうところだ、乗って行け」
 小安はポルシェを停車させて颯爽と下りてきた。
 そこでオスの対立が勃発する。

「なんだキサマは」
「貴様こそ誰だ」

 一触即発の朱鷺と小安。長身男性ふたりが睨み合い、ズズイッと胸をのけ反らせて威嚇する。

「拙者か? 拙者は政府おかかえの用心棒だ。先日、咲羅真どのと婚約を交した叢雲朱鷺という」
 それを聞いた途端、小安の表情がピクリと動いた。
「本当か、咲羅真?」

 ギロリ。なぜか小安に睨まれた御殿だが、「もちろんウソです」と断言すると、「そうか」と胸を撫でおろす銀髪メガネ。

「おい聞いたか侍風情ふぜい。咲羅真はキサマのような時代遅れの素浪人のことなど知らんと言っているぞ。とっとと縄文時代へ帰れチャンバラ野郎」
 ほくそ笑んでは、人差し指でメガネのフレームをくいっと押し上げた。
 すると今度は朱鷺のこめかみがピクリ。
「咲羅真どの。拙者のことを”知らない”とは何ごとだ。共に湯舟につかった間柄ではないか」
「知らないとは言ってません。それに入浴したのは……」

 御殿はそう言いかけて口を閉ざした――小安はハイヤースペクターが両性具有になる事情を知っている。そして男の御殿を女だと思い込んでいる。御殿が男だと打ち明けたとしても、どのみち両性具有になればつがいとなる情事もありえると想像してくるだろう。そこで「朱鷺さんとは両性具有同士なのでお風呂に入りました」などと言おうものなら、さらに憤怒すること間違いなし。公共の場でメガネを光らせて銃をぶっ放しかねない。通行人を巻き込むわけにはいかないわよね。おまけに今の御殿は本当に女体化している。こんなややこしいことってある? ないわ。

(ここは話をはぐらかすのが賢明ね)
 御殿が肩をすくめた時だった。飛行機雲の1つがものすごい勢いで落下してきては、御殿の後ろに着地して派手なブレーキ音を立てる。トラブル増加の予感。

「ここここ御殿センパイ! いいい一緒にお風呂に入ったのは、ほほほほ本当ですか!?」

 御殿が振り向くと、そこには想夜の姿が。両手の拳を握りしめてワナワナと震えていた。うつむき加減で変なオーラを沸騰させながらポニーテールを逆立てている。めんどくさいことになりそう。
「御殿センパイ! 朱鷺さんと一緒にお風呂に入ったんですか!? あああああ洗いっことか、しししししたんですか!?」

 涙目で顔を真っ赤にしながらズカズカと歩みよってきては彼氏に浮気された女のように激情。プクーとほっぺたを膨らませたりして御殿を激しく問い詰める。たいへん厄介な言い方をしてくるJCである。

 「そんなことするわけないでしょ、そもそも朱鷺さんとは男同士――」と弁解しようにも、朱鷺がドヤ顔でほくそえんで余計な燃料投入&引火。&子供相手に挑発を開始。
「無論だ。拙者と咲羅真どのは共に湯舟につかった間柄。体の隅々までを洗いっこした間柄。つまりは……そういう関係なのだ! だからガキの出る幕ではない、すっこんでろクソリボン! わかったな? あーはっはっはー!」
 腕を組んで大笑い。子供に対して言葉のアッパーを叩き込む侍。大人げないことこの上ない。
「いいいい一緒にお風呂⁉ ななな、なんてハレンチな侍なの!」
 朱鷺を指さす想夜。その顔からピーッと音を立てて湯気が吹き出した。子供には刺激が強すぎた。が、ここで引き下がったら女が廃るってもんよ。想夜も余裕の笑みを作り、負けじとマウントを開始。
「ああああ、あたしだって御殿センパイと密着したことあるもの!」
「ふん、どうせ手をつないだ程度だろう?」

 鼻で笑う朱鷺の挑発を真に受けた想夜が顔を真っ赤にして発狂。地団駄を踏みながらお風呂上りのハプニングやら、ババロア戦でのことやらを切り札として男性陣にカウンターをかます。
「ムキー! お風呂からあがった後に裸で密着したもん! 色んなところ触ったり触られたりしたもん! そ、それに……それに、晴湘せいしょう市に行った時に……、手首くらいまで……入れられたもん」
 想夜だって女の端くれ。女の汚い部分丸出しで戦場に挑む。

 小安と朱鷺、顎がはずれんばかりに驚愕。

「「ちゅ、中学生の分際で、手首まで入れられた……だ、と!?」」
 朱鷺が御殿につめよる。
「咲羅真どの、雪車町リボンの言っていることは本当なのか!?」
「え?」
「リボンに手首まで挿入したというのは本当なのか!?」
「え、ええ。まあ……はい」
 想夜はくちびるを尖らせながら、腰に腕を当ておませさんを気取った。
「ああああたしだって大人の女なんですからねっ。いつまでも子供じゃないんですからねっ」

 フフンと鼻高々の想夜の手前、御殿はドレッシングまみれの姿やハイヤースペックを使用した時のことを思い出してしまう。男と女。一糸まとわぬ姿のふたり。ヌルヌル抱擁――他人から見れば既成事実にも取れる出来事。少し気まずくなった。


 いっぽう小安は余裕の表情。
「ションベン妖精と咲羅真は女同士だろうが。裸で抱き合ったり手首を入れるくらいどうということはないだろう。妊娠するわけじゃあるま……ハッ」
 小安は想夜ようせいが両性具有になれるのを思い出して顔面蒼白になる。
「おおおおい、ションベン妖精。きさま咲羅真に手を出したりしてないだろうな?」
「手を出すってどういう意味ですか?」
 と想夜がキョトンと反論する。
「手を出すと言ったら入れたり出したりすることに決まっとるだろうが! つまりその……、咲羅真の体に……入れたり出したり・・・・・・・・したかってことだ!」
 くわっ。小安はメガネにヒビが入るくらい感情を荒げた。
「だからさっき言ったでしょう? 御殿センパイはあたしの中に入れたり出したり・・・・・・・・したんです!」
「入れて、出した……だ、と!?」
 小安と朱鷺がたじろぐ手前、顔を赤らめて目を伏せるJC。恥じらう乙女の視線を男性陣に見せつけた。

 誤解を招いているので説明しておこう――御殿のハイヤースペック・レゾナンスは他者と心身を融合できる能力だ。手刀を相手の胸元に挿入することで、相手への接続が完了し、ひとつになることができるのだ!

「あたし、御殿センパイとひとつになったもん……合体、したもん」
「「咲羅真(どの)と合体! しただとおおおおお!?」」
 想夜の言葉で小安と朱鷺が一歩二歩と退いた。

 ちなみに4人の頭の中は以下である。
 子供ができるほどの密着度を妄想中(小安)
 子供ができるほどの密着度を妄想中(朱鷺)
 ドレッシングでコケただけ&レゾナンスの密着(想夜)
 バイクを早く直したい(御殿)

 両性具有の想夜は、もはや男の敵でしかない。JCとて男役に踏み込めるのだから、メスの争奪戦にも参加が可能。それを理解してか、朱鷺は見る見る顔面蒼白になった。

「おのれえ~、ハレンチ妖精めえ~。何も知らない初心うぶなツラをしてからに、腹の中は立派なメスそのものだな。10年早いわ、壁ドンもできないちんちくりんのクソガキめ! ここで斬り捨ててくれる!」
 朱鷺が絶念刀に手をかけ、逃げる想夜を追い回す。
「ちんちくりんは関係ないでしょお! レディに体型のことを指摘するなんて、朱鷺さん失礼だわっ」
 体型のことを言われてカチンときた想夜。涙目で顔を真っ赤にしては、背中にワイズナーを召喚。
 怒り心頭のJCと侍が、互いの矛先をぶつけあう!
 そんなふたりを見て、小安が髪をかき上げ勝ち誇った。
「俺は咲羅真に壁ドンしたけどな」
「「なななな、なんだってええええー!」」
 刃を交えながら、朱鷺と想夜が悲鳴に近い叫び声をあげた。
 想夜の額からドッと汗が吹き出しよろめいた。ちんちくりんの体型では、長身の御殿に壁ドンすらできやしない。
「かかか壁ドンといえば男女の愛のカタチ。婚姻届けと同じ意味を持つ……って、今月号の『ぢゃお』に書いてあったわ」
 そして膝から崩れる。『ぢゃお』は小中学生のバイブル。書いてある内容はすべて真実、と信じて疑わないJC。
「ゴジラくらい身長あれば、あたしだって御殿センパイに壁ドンくらい、ぐぬぬ……」
 アスファルトの上。想夜が力こぶしを作り、四つん這いになりながら血の涙を流す。
「だから咲羅真の送迎ことは諦めるんだな、ションベン妖精」
 子供相手とはいえど容赦はしない小安。それが愛のかたち……。とっても大人げないぞ♪

 しかしこれは恋の争奪戦。恋は人も妖精も狂わせる魔性の媚薬。火事と喧嘩は江戸の華。ここまできて引き下がれますかってんだ!
 小安、朱鷺、想夜――譲る気ゼロのままバトルスタート!

「よって、咲羅真は俺の車で送る」と小安。
「いいや、拙者の車で送る」と朱鷺。
「いいえ、あたしが空輸しますう~」と想夜がくちびるを尖らせる。
「空輸だと? 馬鹿め。経済力こそが女を守れるんだ」と小安
「うむ。車もないガキに女を守れるか」と朱鷺。
「ああああたしだって大人になったら免許とるもん! 車買うもん!」と想夜。
「今日の話をしてるんだ。車もない貧民ションベン妖精め」
「だから咲羅真どのは拙者の車で帰るのだ。わかったな、無免許リボン風情が」
「今日の御殿センパイは空を飛んで帰るのー!」

 各々が炎にニトロ注いでヒートアップ。場の温度が真夏日となる。

「咲羅真は俺が車で送るんだよ!」
「拙者の車で送ると言っているであろうが!」
「絶対絶対あたしが空輸するのおー!」
「咲羅真を落としたらどうすんだションベン妖精め!」
「小安さんは運転乱暴だから御殿センパイを任せられないわ! 絶対ダメよ!」
「なんだとクソリボン。俺は愛宮の送迎もしてるんだぞ! 超安全運転だっつーの!」
「ふん、ひとりで事故ってろ銀髪クソメガネ」
「なんだと長髪ヘタレクソ侍め」
「御殿センパイはあたしが送るの! おふたりともご自分の車でお帰りになって!」
「だまれウンコ妖精、帰って宿題してろ!」
「あ゛ー、またウンコって言ったわねー! おしっこからウンコにアップグレードまでして! 小安さんはデリカシー無さすぎだわ!」
「はははっ、小便くさいリボンにはお似合いの呼び名だな」
「朱鷺さんまで! もっとレディの気持ちを察するべきよっ」
「おぬしは男の拙者より胸がないではないか。なあ~にがレディだ、洗濯板め」
「ムキイイイー! もうアッタマきたわ! 誰が御殿センパイを送るか雌雄を決する戦いの幕開けなんだから! 戦いの火ぶたは切って落とされたんだからね!」
 想夜がキングコングよろしく怒り任せに地団駄を踏んだ。
「拙者は咲羅真どのと婚姻届をかわしたのだ。負けはない」
 と、朱鷺が勝ち誇った態度で腕を組む。
 それを聞いた小安が血相変えて驚愕する。
「おい変態侍! それはどういう意味だ!」
「結婚したに決まっているであろうがクソメガネ」
「全然違いますう~。御殿センパイに無理やり婚姻届を書かせようとしたんですう~」
 口を尖らせる想夜の言葉を聞いた小安がホッと胸を撫でおろす。
「だと思ったぜ。ヘンタイ婚姻凶行侍め」
「どさくさに紛れて妙なあだ名をつけるな銀髪変態メガネ」
「御殿センパイはちゃんとした人がお似合いなんですう~。おふたりは論外なんですう~」
「ちゃんとってなんだ、ちゃんとって。俺はちゃんと小安してるぞ。経済力のないガキなんぞに愛宮邸きってのボディーガードリーダー、この小安直人が負けてたまるか!」
 くわっ。
「貯蓄ゼロの中坊に拙者が負けてたまるか!」
 くわっ。
「あたしだって少しくらい貯金してるもん! お金お金お金! そんなにお金が大事ですか!? 愛こそすべてでしょお!」
 くわっ。
「はははっ、愛だけで腹が膨れるかブタの貯金箱め。咲羅真は俺と帰るんだ」
「やれやれ、これだから子供は。拙者は頭痛で頭が痛いぜよ。咲羅真どのは拙者と帰るんだ」

 成人男性ふたりがかりで13歳女子に正論ぶつけて論破しまくる。それも当然のこと、想夜は御殿を狙うオスの領域にいる。男性陣からはライバルとしてカウントされているのだ。

「それは……、お金も大事だけれど……、一番大切なのは御殿センパイの気持ちでしょおっ」
 想夜だって負けじと正論で戦いに挑む。
 小安がメガネをクイッとあげて光らせた。
「よーしジャンケンで決めようじゃあないか。このMAMIYAグループきっての風雲児、小安直人がキサマらをベトコン仕込みのグーチョキパー拳で血の海に沈めてやるわ!」
「望むところだ。拙者はジャンケン侍との異名があってだな……」
「あたしだって望むところなんだから! パーを出す速さなら誰にも負けないんだから!」

 傭兵あがり、侍風情、ションベン妖精――3人の視線が衝突し、バチバチと火花を散らす!
 雌雄を決する戦い、ここに始まる!!!!
 ……おまえら、御殿の気持ちはどこいった?

「「「最初はグー! ジャンケンポン!!!」」」
 パー、パー、パー。
「「「あいこでしょ!」」」
「「「あいこでしょ!」」」
「「「あいこでしょ!」」」
「「「あいこでしょ!」」」
「「「あいこでしょ!」」」
「「「あいこでしょ!」」」

 グーチョキパー。野獣3匹の攻防。互いに譲らず、押して押されてのせめぎ合い。
 なぜ戦う?
 譲れない思いがあるからさ。
 なぜジャンケンをする?
 そこにジャンケンがあるからさ。

 ――30分経過。

 結局勝負はつかず。ぜえぜえと息を切らしてジャンケン合戦は幕を閉じる――。
「き、今日はこれくらいにしといてやる……っ」
「そ、それは拙者のセリフぜよ……っ」
「あ、あたしだって本気出してないんですからね……っ」
 肩を震わせて息切れする3人は睨み合いの末、「ふんっ」とそっぽを向いて散り散りとなった。

 30分ほったらかしの御殿は、近くのベンチで考えごとをしていた。
「しばらくバイクが使えないのは困ったわね。空でも飛べればいいのに……」
 御殿は大空に目をやると、飛行機雲が一直線に伸びている。羽の生えた存在がどれだけ有利なのかを想像しては、バイクあしをなくした自分に無力を感じていた。
 そして3人のやり取りを見ながら、言葉では表せない警戒心を3人に向けていた――。


性別が意味するもの


 ほわいとはうす。
 御殿と双葉がテーブルをはさんで世間話。
「ぎゃはははは! 腹いたーい!」
 双葉が呼吸困難を起こしそうなほど大爆笑している。

 柊双葉――妖精アインセルからハイヤースペックを継承しているハイヤースペクター。アインセルは双葉そっくりに化けることから、まるで双子が戦うような戦闘スタイルを持つ。他者から技をコピーして使いこなし、記憶も融合することができる。かつては雷の八卦であるリン・ルーを誘拐しようとした強敵だったが、今ではバイトとしてリンの家政婦をしているJK。

 御殿は笑われながらも、黙って双葉のカップに紅茶を注いだ。
「ことのん、それで偶然通りかかった沙々良さんの車で送ってきてもらったってわけ? めっさウケるー!」

 あれから御殿と想夜は、偶然通りかかった沙々良の車で聖色市まで送ってもらった。
 帰りの車内。沙々良から母・彩乃の話題を振られた御殿は、先日の会話を思い出していた。
『生理ね――』
 御殿はまだ、その事を誰にも打ち明けていない。
 自身の肉体に変化があった今、御殿には先ほどの3人のやり取りがメスの争奪戦としてしっかり認識できたのだ。女性ならば、オスの子孫繁栄のための争いを前にしたら尻込みしてしまうもの。
 両性具有かつ御殿目当ての想夜もまた、オスの一員としてカウントされる。女の子の想夜が男の領域に踏み込んでいたのは確かだ。
 女性が男性に向ける警戒心。遺伝子が望む子孫を残すための防衛本能――女性のひとりとして位置する御殿は、その感情を自覚していたのだ。小安に対して。朱鷺に対して。そして、想夜に対しても――。

 男の役割を、女が奪う。
 女の役割を、男が奪う。
 性別の在り方が乱れる世界。
 性別の侵略、そして崩壊――。

 八卦である御殿もハイヤースペクター。つまりは両性具有者。摂理から外れた存在。両性を兼ね備えた肉体が正しい存在なのか、疑問を抱かずにはいられなかった。

 そしてバイクを失った御殿には劣等感が芽生えていた。想夜には羽がある。小安と朱鷺は車を所持している。にもかかわらず、自分は羽をもがれた鳥だ。何もできないと感じては、自分の無力さを恥じた。

 想夜が御殿のところにやってきた理由はクレープ無料券を渡すためだ。何やら町内会の福引で当たったらしく、それを御殿と食べたかったそうだ。
 そんな経緯もあり、御殿は想夜と週末に会う約束を交わした。
(バイク屋のレンタルバイクはすべて貸出し。1週間はバイク移動できないから任務が限られている。週末の護衛任務は狐姫担当だし、家で留守番しているよりは想夜と一緒に外出したほうが楽しいかもね)
 そんなことを考えながら帰宅すると、そこに双葉が訪ねてきていた。んで、ふたりしてお茶を楽しんでいたところだ。が、いくらなんでも笑いすぎではないだろうか?

「いや~ウケたウケた。それは災難だったねえ~、はははははっ」
 クッキーをつまんで、また喋り出す。
「ことのんも考えすぎだって。あーしも最初はビックリしたけど、両性具有体なんて慣れればどうってことはないっしょ。それに男とも女とも関係を築けるなんてお得じゃん?」
 双葉は両性具有肯定派らしい。
「でも天下の暴力祈祷師、咲羅真御殿さんが送迎のお誘いごときに何もできなかったとはねぇ~、あははははっ」
 まだ笑い足りないらしい。そろそろ怒りで銃に手が伸びそう。
「アインセルと息がピッタリの双葉さんには関係なさそうな苦労です」

 嫌味っぽく言い放つ御殿だったが、双葉は口を紡ぐとカップを静かにテーブルに置いた。

「あ~、それなんだけどねえ。あーし今、アインセルとケンカしてるっていうか……」
「え、それは意外ね。そんなこともあるの?」
 たははと力なく笑う双葉を前に、驚愕した御殿が口をポカンと開いている。
「いやー、アインセルも普通の女の子じゃん? 仲たがいもあるわけ」
「普通の女の子じゃん? と言われても……。アインセルの姿はいつも双葉さんだから、本当の姿を見たことなんて一度もないわ」
「……あ、それもそっか。あの子さぁ、あーしと違って生マジメっつーか、神経質っつーか、つまりお硬い性格なんだよね~。石アタマのことのんと同じでさあ」

 ハハハと笑いながら、双葉はお行儀悪く椅子の上であぐらを組んだ。最後の一言は余計である。

「つまり双葉さんとは正反対の優等生というわけか」
「そうそう……って、どーゆー意味じゃいっ」
 双葉の目が座る。いちおう傷つくらしい。
「それじゃあ、今はハイヤースペックが使えないということ?」
「まあ……、そんな感じ? あははっ」
 後頭部に腕を回しながらの高笑い。そんな双葉を見た御殿は「大丈夫なのか?」と不安そうにしている。
「あははじゃないでしょう? リンさんの護衛はどうするの? あの子はまだ小学生でしょう? ひとりにしたら危険だわ。いつ酔酔会すいようかいが襲ってくるかもわからないのに」
「あ、それなら心配なーい。アインセルに任せてあるから」
 双葉は悠長にカップを口に近づけた。
「へえ。 ――で、そのアインセルは今どこに?」
 呆れ顔で質問する御殿に双葉が答える。
「MAMIYA研究所」
「付き添わなくてもいいの?」
 御殿の問いに、双葉は思いつめた表情で窓の外を睨んだ。
「知らないっつーの。 ……あんなわからずや」


魔法のステッキ


 MAMIYA研究所――。

 リンの手をとる仏頂面の少女――学校指定のブレザーは着崩すことなく。こぼれ毛ひとつないまっすぐ伸びた黒髪に真っ白な肌。瞳は青がかった玉虫色。身長は双葉と同じくらい。体型はややほっそりしている。自分にストイックな性格か、カロリー摂取と日々の運動には気を使っているらしい。
 MAMIYA研究所から呼び出しを受けたリン。その護衛役としてアインセルが同行することとなった。

 沙々良がボサボサの髪をかきながらデスクに腰かける。
「君がアインセル? いつも双葉さんの姿をしているから全然わからなかったよ。今日は双葉さんと一緒じゃないんだね。大丈夫?」
「お気になさらないでください。私ひとりでもリンを守れますから。それに私は双葉の付録ではありません」
 ピクリとも笑わない顔。アインセルの硬い性格がその表情に出ていた。

 アインセルとは晴湘ハイウェイ戦で顔を合わせている。もっともその時は双葉の姿をしていたのだから、沙々良にとっては今回がアインセルの初見となる。
 背筋をピンと伸ばし、両膝をピタリと合わせてイスに腰かける姿。そこからにじみ出る堅苦しい雰囲気を沙々良は強く感じ取った。

「なんてゆーか、双葉さんとは正反対な性格だな」
 双葉の名前を出したとたん、アインセルはプイッと顔をそむけてふくれっ面を作る。
「当然です。あんな汚ギャルと一緒にしないでください」
 双葉をギャルとたとえるなら、アインセルは規律正しい生徒会長といったところか。
「ツンツンして……双葉さんと痴話ゲンカでもしたんか?」
 ハンカチでメガネふきふき。興味なさそうな素振りの沙々良。
「からかったりしたらいけませんよ、古賀先輩」
 詩織がアインセルとリンにジュースを差し出す。
「喉が渇いたでしょう。さあ飲んで」
 有給を取ったことで、女子力だけじゃなく母性までがアップデートされたようだ。
「ありがとうございます、ではお言葉に甘えて。リン、いただきましょう」
「いただきます」
 アインセルはリンと相槌を交わし、ジュースで喉を潤した。面倒見のよいお姉ちゃんである。そういうところは双葉とそっくり。

「――それで、お話というのは?」
 アインセルには無駄がない。効率のよい会話をお求めのようだ。
「世間話はいらんとですか。なるほどなるほど……どっこいしょっと」

 沙々良は重い腰を上げるとキャビネットの鍵を開けて、引き出しから正方形の小箱を取り出した。

「――ほい。これをリンさんに渡すようにって水無月主任から言われてたのよね」
 そう言ってリンに小箱を渡す。
「なんですか? このみょうちくりんな箱は。センスの欠片もないですね」
 横から除くアインセルが質問した。厳格すぎる性格がそうするのか、日頃のストレスが溜まっているのか、言葉の節々に毒がこもっている。
 不思議そうに小箱を見つめるリンに、沙々良がにこりとほほ笑んだ。
「開けてごらん」
 リンがアインセルの顔を見ると、アインセルは不愛想にうなずいた。
 恐る恐るケースを開けると、そこには小型のブローチが入っているではないか。御殿がそれを見たら、間髪入れずに破壊行為に走るかもしれない。

 今リンが手にしている紫色のブローチ――それはかつて『魔水晶』と呼ばれたものと同じ形状をしていた宝石。色は違えど、まさしくそれだった。

 沙々良がメガネを光らせ、くいっとあげた。
「ハイヤースペック・雷門ゲートオブサンダーの威力は絶大。その中でもスプライトマインはダフロマを撃破できるほどに強力だけど、リンさんは体力的に連発ができない。しかも日常生活では体から漏れ出してしまう雷の対処が必要となる。それを逆手に取って、漏れ出した雷をバッテリーに蓄えておけば、パワーを好きな時に解放できるってわけ」
 詩織が補足説明をする。
「ブローチの名前は雷音ライオット。湖南鳩先生が以前開発されていた魔水晶の改良版。エーテルバッテリーの役割ね。中央の宝石にエーテルをチャージして、好きなタイミングで雷の力を解放することができるの」
 メイヴちゃんの悪だくみ。ここに来て本領発揮。
「雷の力を蓄えておく、ということ?」
 リンがキョトンとした顔でブローチを見ている。

「いやー、さすがっすねえ水無月主任。MAMIYAの天才児ここにあり! ……ちなみに水無月主任、宿直室でダウンしてます。南ぁ~無ぅ~」
 チ~ン……。沙々良、合唱。

 彩乃は現在二日酔い。雷音の開発に魔水晶が必要だったのでメイヴに口利きして協力してもらったのだ。協力の報酬としてお酒に付き合う事が条件とされた。
 結果、連日夜の街を連れ回された彩乃は、エブリディ二日酔いである。

 沙々良がメガネを光らせ力説を始めた。
「雷音はおまじないを唱えるとステッキに変化する。その際、リンさんの体も雷の力でコーティングされて変化するようにできている。つまり!!!」
 沙々良はイスから立ち上がり、拳を作って発狂した。

「つまり! 魔法少女にトランスフォームするのだ!!!!!!」

 な、なんだってー!? ……とは誰も言ってくれなかった。ノリのよい狐姫と想夜がいれば良かったのにと思うメガネ女史だった。

 アインセルがシュールにツッコミを入れてくる。
「つまり、異空間をクルクル回ったり、純真無垢なJSを裸にひん剥いたあげく、全身をリボンでクルクルと包み込んで強制的に変身させるアレのことでしょうか? どの層を狙っているんですか? 小学生にそんなことやらせて罪悪感はないですか? 一体誰のアイデアですか? 頭にウジでも湧いてるんですか?」
「うう、悪かったなっ。私の趣味だよっ。真顔でさらっと酷い言うなよ。泣くぞ」
 沙々良にはアインセルの脳みそが岩石でできているように思えてならない。
 沙々良は、なかば諦め顔で立ち上がる。
「しかたがない、代わりに私が変身しよう。リンさん雷音貸して」
「古賀先輩、はやく脱いだ白衣を着て下さい」
 ポンコツ先輩、詩織に止められる。
「魔法少女になったからと言ってもリンちゃんはまだ子供。ハイヤースペクターとしての双葉さんのサポートなしでは戦いは困難になることだけは忘れないで」
「――見くびらないでください」

 詩織の言葉をさえぎり、アインセルが感情をあらわにした。

「双葉に能力を継承しているのは私です。『ものまね』だって『コピー』だって『マージ』だって私の能力。双葉がいなくても料理もできるし戦うこともできます。そして学習能力は私のほうが上。ルックスも私のほうが上! 料理も私のほうが上! 双葉より上の三つ葉、四つ葉……、否、億葉おくばに改名してもいいくらいです!」
 「奥歯……?」とリンが首を捻る。アインセルのネーミングセンスは枯葉レベルだと知った。
 「たはー、一本取られたー」とばかりに沙々良が額を打った。
「うわあ、双葉さん言われてるぞ~。さしずめアインセルはクソマジメ……じゃなくて優等生双葉さんてところか。 ……こっちのほうがスペック高くね? いいじゃんいいじゃん、アインセルちゃんひとりでリンちゃんの護衛させてみたらどう? おもしろそうだし」
「もう、古賀先輩ったら……」
 詩織は眉をハの字にして肩をすくめた。
 アインセルの追い打ちは続く。
「端的に言えば双葉は補習魔、つまりアホです。脳幹にまでカラー液が浸透しているんです。大脳までカラーリングしてしまうアホっぷりなんです全国のみなさま本当に申し訳ございません」
 ペコリ。アインセルが頭を下げた。
「ひでぇ言われようだな……」
 あまりの口の悪さに沙々良は口を閉ざしてしまった。
「だから双葉がいなくたって。私は立派にリンの保護者を果たしてみせます」
「そうは言うけど双葉さんは何て言ってるの?」
 詩織の問いに、アインセルはリンの手に自分の手を添える。そして窓の外を睨みつけるようにポツリとつぶやいた。
「知りませんよ。あんなわからずや――」


菫の策略


 17:00
 聖色市役所 市長室――。

 愛宮 菫まみや すみれ――愛宮家とは遠縁の間柄。20代にして聖色市の市長を務めている。想夜の聖色市への居住を斡旋したのも菫だ。「遠い土地から引っ越してくる少女がいるので住む場所を提供してほしい」という政府からの命令で女子寮を薦めたが、聖色市に招いたことを今でも正解だと思っている。菫は想夜のような子が大好き。素直で礼儀正しく、この世のすべてに思いを馳せる想夜のことを可愛がっている。ちょっぴり子供っぽいところも年相応で菫ごのみだ。

 本日のお仕事を終えた菫がソファに背中をあずけた。
「ぶふぇ~、おわったおわったぁ~」
 これから帰って冷たいビールとシャレ込みたいところだ。両指を組んで高くかかげ、「う~ん」と伸びをする。
「ひとっ風呂あびて、キンキンに冷えたビールで今日一日をしめますか」
 肩をモミモミしていると、端末が鳴り響く。
「なによもう、今日は閉店ですよー」
 めんどくさそうに画面を見ると、電話の相手は想夜からだった。
「あら想夜じゃない」

 菫は市長室の隅を遠目に見た――沙々良の父である古賀良夫は残業中。よく働く秘書を持つと毎日楽ちんである。

「はいはーい、想夜? どったの?」
 ノリノリ気分で電話に出ると、想夜の消え入りそうな声が聞こえてきた。とても元気がなさそう。ちょっと心配。
『――もしもし? 菫さん? 今お時間大丈夫でしょうか?』
「いいよいいよー、なんでも聞いてー」
 でも早く帰ってビール飲みたーい。

 想夜が御殿の送迎を奪い合ったことを相談してきた。
 それに対して菫は、暇つぶしにもなるだろうと相談に応じることにした。

「――なるほどねえ。小安さんと朱鷺さんを相手に戦ったわけか。よくがんばったじゃない。えらいえらい」

 よくがんばったじゃない、というのは本心だ。だって青春時代の経験を色々すっとばして経済力で悩む中学生なんていないもの。恋に恋するお年頃なのに、すでに将来設計について考えちゃっている。公務員はそういう思考回路に陥りやすいのだろうか?

『御殿センパイともっと仲良くなるためには、やっぱりたくさんお金がないとダメなんでしょうか?』
 それを聞いた菫が驚いた。
「どうしたの? 突然そんなことを言い出して……」
 想夜からの問いに対し、菫が逆に質問をする。

 ――そんな経緯から、菫は想夜から事情を聞くこととなった。

「――うん、うん。なるほどなるほど。先に言っておくわね。小安さんと朱鷺さんのことだけど、あのふたりがただ御殿ちゃんを送るだけだと思っていたのかしら?」
『え? それはどういう意味なのでしょうか?』
 素っ頓狂な対応の想夜。

 なるほど。想夜は全然わかっていない。小安と朱鷺は成人男性。女性のエスコートには気を配るはず。つまり想夜は、男性についてまったく免疫がないのだ。ただのJCには到底、男の思考回路などわかるはずもない。

「いい? 想夜。男が女を送迎する場合、目的地まで直行するとは限らないの。気の利く男性なら『おなか空いてない?』『お茶でもどう?』とか喫茶店やレストランに誘って、そこで会話をしながら関係を深めていくものなの。ついでに次回会う約束も取り付けるはずよ。今回の場合だとお金を払うのは男性側。女性に経済力を証明して、自分の包容力をアピールしまくるわけ。あのふたりのことだから、安いお店は選ばないでしょうね。とっくにシャレたお店をリサーチ済のはずだわ」
 ひと昔前は『男が奢ってね』という一文とアクセサリーをじゃらじゃら着けた女の画像を用いたネットスラングが流行っていた。女性にとって男の経済力は、それだけ期待されているのだ。
『そ、そんなあ……。あたしお金もないですし、御殿センパイが喜びそうな高いお店も知りません』

 電話口でションボリと肩を落としている想夜の姿が想像できた。一生懸命ティーンズ雑誌をめくって、そこに高価なお店がないと知り、さらに落胆するということも。ローティーン雑誌なら尚のこと、料金高めのお店なんて載ってない。

(愛宮の会合の時に、何度か小安さんに護衛してもらったことがあったわね。レストランでの彼のふるまいなら一般女性だとイチコロね。女をエスコートする包容力ときたら成人男性として恥ずかしくないレベル。いや、妊娠するレベルよね。 ……とか想夜には絶対言えないわね)

 菫は端末を握り直して一呼吸。JCの純粋な心を傷つけないよう慎重に言葉を選ぶ。

「諦めるのは早いわ。想夜は女の子だし、まだ中学生でしょ。経済力のある人に守ってもらう側よね。ということは御殿ちゃんに養ってもらうことになるのかしら?」
『そ、そうかもですけど、あたしも御殿センパイをエスコートしたいといいますか、金魚のフンみたいに後ろにくっついてばかりだと頼もしさがないといいますか……』

 好きな人のために何かしたい――そんな想いが菫の心にひしひしと伝わってきた。

「御殿ちゃんを陰で支える女になればいいのよ。健気に応援してくれる女って男性からすれば魅力的よ?」
『な、なるほど! あたし、御殿センパイを健気に支える女になります!』
「両性具有って難しい関係ね。もっとも御殿ちゃんが何を考えているかは彼女にしか分からないから、外野がとやかく口をはさめないわけだけど……」
『御殿センパイって、やっぱり男の人が好きなのでしょうか? あたしだって……、あたしだって、ハイヤースペックを使えば男の子の中に入れるもん……』

 電話口のトーンがだんだんきつくなってゆく。男性と張り合う姿がそこにはあった。
 恋愛で悩む気持ち、菫にだって痛いほどわかる。だからこそ、かわいい想夜にはつらい目にはあって欲しくない。ついつい応援したくなってしまうのだ。

「想夜は御殿ちゃんと付き合いたいの?」
『そ、それは……っ』
 唐突な質問をされてダンマリ。想夜が御殿との関係を深く考えていないのは明白だった。付き合う意味さえもよく理解できていないのだ。
『あたし、お付き合いするっていうのがよくわからなくて……。でも、でも、御殿センパイと一緒にクレープ食べに行きたい。一緒に映画観たり、街でウインドウショッピングとかして、いっぱいいっぱい、お話したい……です』
「友達以上恋人未満という関係を想夜は欲しているわけね』
『……』

 電話の向こうで口を紡ぐJCの姿が想像できた。無力さながら唇をかみしめ、涙目になり、顔を真っ赤にしているのだ。初々しさの塊――。

(あーもう、余計に応援したくなるじゃないっ)
 菫は端末を握りしめ、前のめりになった。
「いい? 想夜、諦めないで。あなたと御殿ちゃんは学校も同じ。そしていつも行動を共にしている。他の男性よりも有利なはずよ。若いうちにしか得られない楽しみがあるんだから、今できることだけを考えて楽しめばいいの。経済云々は大きくなってからよ。それに想夜は女の子。女の武器を盛大に活かすのよ」
 菫の声を聞いて、想夜は少し元気になる。
「わ、わかりました。でも女の武器って、具体的にどうやって活かせばいいのでしょう?」
「この愛宮菫に、いい考えがある――」
 にやり。親指を立てながら不敵な笑みを浮かべる菫。その眼光がキラリと光った。

 遠巻きに見ていた秘書の古賀良夫が冷たい視線を送っている。
(まーた何か企んでるな? ま、いいか。おもしろそうだし)
 良夫はお茶をすすりながら、のほほんとしていた。そういうところが娘の沙々良に引き継がれたのである。


週末デート?


 愛妃家まなびや女学園 第3女子寮――。
 想夜はベッドに寝転がり、枕に顔をうずめていた。
 商店街の福引で当たった2枚のクレープ無料券。日頃の感謝の思いを込めて御殿を誘ったのはよいが、そこには感謝以外の感情があったのも自覚している。
「……どうしよう。御殿センパイと週末にクレープ食べに行く約束しちゃった……」

 我ながら思い切った行動に出たものである。と、想夜は今さら怖気づいている。
(だって、小安さんと朱鷺さんが御殿センパイを奪い合っているんだもの……)
 恋の争奪戦を前に、言葉と態度が自然に出てしまったのだ。大好きな御殿センパイが取られてしまう気がした途端、想夜はこの上ない危機感を抱いたのだ。

「これって……、デートになるのかしら」

 ふたたびティーンズ雑誌を漁る。どこもお金がかかってしまい、想夜のおサイフ事情ではたくさん見て回れない。公園でジュース片手にお喋りしても、中学生にはジュース代さえ痛手だ。
 ファッション関係のページでさえ眺めているだけで満足だった。小さな文字で金額が記載されていても、それを買う余裕も予定もない。大人を前にしたらどこにでもいる普通の、無力な女子中学生。

 経済力ゼロ――小安と朱鷺の罵りが脳裏をよぎる。

「菫さんは励ましてくれたけど……。あたし、御殿センパイにはふさわしくないのかな」

 咲羅真御殿――炊事・洗濯・掃除・狙撃、なんでもござれ。ルックスはモデル並み。長身でナイスバディ。英語もネイティブの優秀な暴力祈祷師。男性からは引く手数多あまた。なんなら女性からも引く手数多。

 かたや想夜ときたら、どこにでもいそうなちんちくりんの中学生。フェアリーフォースの軍人とはいえアルバイト扱い。時給だって微々たるもの。社会人として生活している御殿のことが、ずっと大人に見えてしまうお年頃。他者と比べて引け目を感じてしまうのも無理はない。

「御殿センパイってば、とっても大人なんだもの。学校でも人気者だし、いろんな子が話しかけてくるから会話だってゆっくりできない」
 人気者の横で色あせる自分を自覚しては、ふさぎ込んでしまう。
「御殿センパイは男の子。八卦だから能力発動で女の子の役割も拡張される。あたし、御殿センパイの前では女の子のままでいてもいいのかな? それとも、女の子をやめなければいけないの?」

 好きな人を前に、あたしは女の子のままでいいの?
 好きな人を前に、あたしは男の子になったほうがいいの?

 ハイヤースペックを発動できる想夜は2つの選択肢に迫られていた。
 性別拡張が許されているが故、想夜は、いつか性別の役割を選ばなければならない。

 焦り。焦り。焦り。
 胸いっぱいの、焦り――。

 大好きな人とつり合いが取れる存在になりたい――例えば街中を並んで歩いた時を想像してみる。はたしてつり合いが取れているのだろうか? 多くの男女が一度は経験したことがある悩みではないか? 想夜は今、人間なら誰しも抱いたことがある悩みに直面している。

「あたし、御殿センパイの横に並んで歩いたら、いけない子なのかな……」
 でもね、何事も挑戦してみなければわからないもの。とても怖いけれど、やっぱり動き出さなければ始まらない。不安を吹き飛ばすよう両手で拳を作ってガッツポーズを作った。
「ううん、弱気になってちゃダメなんだから! せっかく菫さんが応援してくれるんだもの。週末のクレープ計画、がんばっちゃうんだから!」
 恋に悩む13歳。鼻息を荒くして戦いに挑む――。
「でも、菫さんの『いい考え』って何だろう???」