9 期待はずれの優等生


 妖精界 フェアリーフォース本部――。

 黒い巨塔――2本の巨大な刃が天まで伸びている。表面上はいつもと変わらぬ忙しさ。だが上層部では隊長格が顔を連ねていた。

 機密情報が漏洩したことがフェアリーフォース上層部で騒ぎになっている。事の経緯は以下である。

 人間界で暴力祈祷師エクソシストを生業としている獣人が情報を入手した。獣耳課フレイムワークスに所属する獅子恋音しるこ れおんである。

 ちょうど人間界に出向していたエーテルバランサーが襲撃を受け、1冊のファイルが奪われた。おまけに所持していた水晶端末を経由して、本部の水晶サーバーのデータの一部が書き換えられている。
 なぜ一介のエーテルバランサーが機密情報を持っていたのか? 水晶サーバーにアクセスしたのは何者か? その2つが問題とされたが、いまだ答えに至っていない。

 変更されたデータは、おもに隊員同士が連絡に使用するためのメールサーバーである。一部の履歴がめちゃくちゃに変更されており、追跡できない状態だった。
 水晶サーバーのデータをたやすく変更できたわけは、先日の天上人騒動にある。
 データベースを管理する水晶サーバーは、各項目ごとに閲覧・変更権限が与えられているわけだが、偶然か必然か、エクレアたちに引っ掻き回された際、設定の一部が初期化されていたのだ。初期化したことにより、隊長クラスなら誰でもアクセス可能となる。どさくさに紛れた内部の犯行と思われる。
 フェアリーフォース内部に反逆者がいるのは明白だった。

 水晶サーバーの脆弱性を突かれた挙句に侵入され、操作権限を昇格されてデータを変更されたとあっては政府の名がすたる。

 いっぽうファイルが紛失した経緯は暴力エクソシストの強奪と噂されている。政府の機密情報を抜かれたのはフェアリーフォースとしてダメージがでかい。ましてや人間界に逃亡中の金盛がそれを狙っているとの情報もあり、上層部はこの問題を即急に解決しなければならなかった。


 フェアリーフォース本部 会議室。

 暗い大部屋に10数名の上層部員が集まった。皆、自分の部隊を率いる隊長クラス。
 木製の机が前方をぐるりと陣取っており、まるで日本の最高裁判所である。
 中央の席から左右対称に弧を描くかたちで席が用意されている。そこに左右、10数名のお偉方が指定の位置に腰を下ろした。幼女メイヴも隅のほうにちょこんと座っている。

 物腰の穏やかな老婆――手にした太い杖を脇に置き、やや腰を曲げ、重そうな足を引きずり、中央の席に腰を落ろす。厚手のフードをたくし上げると、シワが刻まれた表情を見せる。たるんだ目元や大きな鼻は森の魔女そのもの。彼女がフェアリーフォースのおさ、マザー・マース元老院議長である。

 隊長のひとりが皆に流し目を送る。
「――それで、漏洩した機密情報というのは?」
 
 上層部同士が互いに耳打ちをする――。

「――それはまた、えらく重要な情報が洩れたものですな。先の天上人の件といい、今回の件といい。いやはや――」
 「どうしょもねえな、この組織」――といった感じで大袈裟に肩をすくめる者たち。

「だいたいそのような情報を誰が欲しがるのだ?」
「まだエクレアが生きているのでは?」
「天上人たちは京極が対処した。問題はなかろう」
 冷静に事態を見る者たち。

「しかし京極は例の藍鬼娘を擁護しているのだろう? 藍鬼が犯した反逆の処分はないのですかな? バイトひとりにどれだけの損害が出たと思っているのだ。 ……おっと、京極チームはメイヴ隊長の配下でしたな、これは失礼」
 他者の揚げ足を取りつつ、身の保身を主張する者たち。

 ――皆、言い分は様々だ。
 メイヴはそれらを終始無言で聞き入っていた。

 女隊長が威圧的に口を開いた。
「それで、マース元老院はどうお考えでしょうか?」

 ――マース元老院に視線が集まる。

 するとマース元老院は深く息を吸い込み、ゆっくりと諭すように言葉を発した。
鬼化シャドウシーズンの件は不問にすると以前にも申したはずです。雪車町想夜そりまち そうやの除隊は見送り。反逆罪は情状酌量の余地もあり無罪放免としました。それに雪車町四等兵は天上人排除の任務にも一役買っています。これからの未来、若い力は我が部隊に必要なのです。決して粗末にはできない。皆もそう思いませんか?」

 頷くもの。苦笑するもの――フェアリーフォースが分裂している兆候がここで見て取れるだろう。長の考えを良しとしない者がいるのも事実だ。

 マース元老院は続けて言葉を発する。
「まずは機密情報を所持している暴力祈禱師の拘束とファイルの奪還を最優先とします。それから金盛の拘束に向かいなさい」

 ふたたび上層部が耳打ち――。

「暴力祈禱師は拘束後に事情聴取に移行すると思いますが、やはり始末したほうがよろしいのでは?」
「相手はただの獣人だろう? 人間界の住人を手にかけてしまったら懲戒どころの騒ぎでは済まされないぞ?」
「たしかに。その獣人がハイヤースペクターなら話は変わってくるが……」
「――いや、あれ・・を見られた以上は暴力祈祷師も金盛も始末すべきだ」

 幾人かは頭を抱え、また幾人かは不適な笑みを浮かべている。役職の都合によって状況が異なるのだ。

「それにしても不思議なものだ。水晶サーバーにあった機密データはとっくに抹消されていた。アナログじみたファイル1冊など、一体どうやって持ち出したのだ?」
「それが内部で手引きしたものがいるようで……」
「内部に反逆者でもいるのか? やはり京極たちか?」
「それにしてもマース元老院議長は鬼娘に甘くはないか?」
「藍鬼なんか放っておけ。すぐに死体になって戻ってくるさ」
 皆、消え入りそうなほどの小声で本音をぶちまけている。

 メイヴは顎に手を添えて考えていた。
(たしか人間界は赤霧が充満していたな。京極に霧喰丸かじきがんを送ったのはよいが、あれで足りるのか?)
 霧喰丸とは毒性の霧に耐久がつく漢方薬だ。
 メイヴはさらに頭を抱える。
(暴力祈禱師が相手では、並大抵のエーテルバランサーは歯が立つまい。あの凸凹コンビを相手にするだけでも部隊丸ごと半殺しにされたというのに……)
 メイヴの脳内で御殿ことのと狐姫が互いの腕を組み、「ランランラーン♪」とスキップしている。だんだん腹が立ってきた。
(しかし、ここまで本部がバラけているとは。ふたたびエクレアのような輩が出てくれば、組織は簡単に乗っ取られるかもしれんな)
 危機感は募るばかり。
(――しかたない。今は京極からの報告を待つとするか)
 どっこいしょ。あイタタタ、きのう悪い姿勢でゲームをやり過ぎた。メイヴは椅子から立ち上がり、腰をポンポン叩きながら会議室を後にした。


 会議終了後、マース元老院はひとりその場に残り、静かに瞼を閉じる。

「フェアリーフォースはすでに分裂が始まっている。それは今に始まったことではない。組織の闇は、上層部の認識できないところまで入り込み、我々を食い尽くそうとしている。深く刺さったバラの棘は、徐々に腐敗を始めている」

 壁中央に掲げられた紋章を見上げては、そっと呟く。
「若い魂たちよ。あなたたちの瞳には、この世界がどう見えていますか――」
 正義を謳う紋章は、何も答えてはくれない――。


 フェアリーフォース本部……の外に追いやられた喫煙所――。

 マデロムが大股でベンチに腰かけている。葉巻をふかしながら、先日の資料室での出来事を思い出していた。

 点検表を読み終えたマデロムが部屋から出て行こうとした時だ。ひとりの女性隊員とすれ違う。
 女性隊員は軽く敬礼すると、そそくさと資料室の奥へと消えていった。

「――はんっ。あんな薄暗い場所でお仕事とはご苦労なこった。仕事ってのは、もっと肩の力を抜いて取り組むもんだぜ?」
 マデロムは葉巻の火をもみ消し、気だるそうにその場から去った。


仕事がない!


 2年前――。
 
『恋音は優秀な子だな』
『本当、将来が楽しみね――』
 両親はそう言って、よく小生の頭を撫でてくれた。
 小生の名は獅子恋音な。恋音、おしるこ、ルーシー、好きに呼べ。あと汁とは呼ぶな。絶対な。
 良い子にしていれば、皆が喜んでくれる。笑っていてくれる。周囲からの期待にこたえ続け、本日も絶賛優等生。
 とはいえど――

 求人所の掲示板前にたたずむ。
「今日も収穫ゼロ。もっと教会に寄付しとくんだったな。ケアヌ・リーブスが5$ケチって後悔する祈祷師を演じてたっけ……」
 肩を落としてトボトボと家路を歩く。足どり重く、微塵の軽快さもうかがえない。
 そもそも修道服を着ている理由からして罰当たりなのだ。両親は敬虔なクリスチャン。子供の頃、両親の付き添いで日曜日に教会に出かけた。ミサに参加すれば教会でお菓子がもらえたのだ。つまり、お菓子の誘惑に負けたわけだな。アーメンよりラーメンな。

 ぐう~とお腹が鳴った。視線の先にはラーメン屋。いつかラーメンセットをお腹いっぱい食べたいよな。もちろん隣の席には狐の友達がいる――そんな夢を密かに描いていたんだ。

 町はずれにある獣人地区。獣人が密集している場所は獣人街と呼ばれていた。
 親元を離れ、独り立ちしてからはずっとここに住んでいる。治安はアレだが家賃は安い。駆け出しの小生にとっては天国のような場所だ。
 されど、隔離されたエリア周辺は大袈裟な量のバリケードで覆われ、人々を遠ざけるような扱いを受けていた。
 なかばスラム化した獣人地区に近づこうとする人間も少なく、役人さえも来たがらない。踏み込んだ結果がどうであれ、すべてを自己責任で処理しなければならない無法地帯。家賃が安いわけだな。

 とある建物。使われなくなった病院を人間が借り入れ、そこで獣人の児童たちを保護するようになった。児童施設のようなものだ。
 といっても、保護とは名ばかり。管理者の人間たちがおこなう躾というそれは虐待そのものであり、目に余るものがあった。
 子供は大人に太刀打ちできない。それが分かっているから余計に人間を調子づかせる。あげくには人身売買にまで手を出す輩まで出てくる。まったく人間というものは困った生き物だよな。

 粗悪なものに対して異議を唱える者はどこにでもいる。小生、そして友達の焔衣がまさにそれだった。


 『規律正しい優等生の獅子。自堕落な不良娘の焔衣。ふたりは正反対なのに気が合うな』――周囲からよく言われた。

 焔衣とつるんでいる理由は、小生の隙間を埋めてくれるようで安心できるからだ。小生がしたかったことを平然とやってのける焔衣に、なかばスカッとする感情を抱いていた。例えるならダイエット中、自分の代わりに大皿を平らげてくれる人物だな。自分の成しえないことの仇を討ってくれる人物が焔衣なんだ。

 どこからともなくフラリとやってきた焔衣を、小生は獣人街に迎え入れた。「旅をしている」と一言だけ告げる彼女に対し、小生はそれ以上問うこともなく、無償で宿を貸した。焔衣も一宿一飯の恩義を感じたのだろう、子供たちのために日々を過ごしていた。ただ、呪符のリボンだけは人前ではほどかなかった。解くときは決まって無口になる。どうしてか、とたずねると焔衣は「家庭の事情」とだけ答えた。それ以上は話してくれなかった。まあ、他人様ひとさまの家庭の事情に首を突っ込むほど、小生も愚かではない。

 ――やがて焔衣は、小生の誘いで獣耳課フレイムワークスに所属することになったんだ。


 獣人コミュニティに所属している小生たちは暴力エクソシストだ。それなりに腕力を有しているために、人間の大人にも対抗できた。小生と焔衣のいる時間だけは獣人の子供たちにとっての安息。もっと子供たちのそばにいてあげたいけど、お金だって稼がなきゃな。

 獣人の存在は表沙汰にできないがため、国からの支援もあてにならず、世界中で迫害が続いているのが現状だ。例えば「イジメも差別もよくない」「ラブ&ピース」などと声を上げておきながら、実際にはイジメも差別も増やし続ける人間たちを見れば分かるよな? 彼らの言っていることには何一つ信頼がないよな、まったく。

 子供は食べ盛り。「腹減ったー」が皆の口グセ。生活費のほとんどは小生や焔衣といった年長者が稼ぎ、そうやって獣人の子供たちは食いつないできた。むろん小生と焔衣も裕福にはほど遠く、1袋のラーメンを分け合って食べていた時期もある。しかもそれが1日分の食事だったんだ。あれはあれで、なかなか美味しかったぞ。けれど、適切な医療も受けられず、小さな肩をよせ合いながら、ずっと空腹に耐える日々が続いていたのは変わらない。生活保護が受けられない人間もいるのだから、獣人なんて尚のこと論外だ。

 金がないなら働け――職がないのに食を得ることなどできようか? 「どこにでも仕事はある」「職業を選ばなければ仕事は無限」と威張り腐っているのは、平和ボケした人間のエゴだよな。恵まれた環境で育った者に、他者の痛みなど分かるはずもない。働きたくても働けない者だっているんだ。獣人街の子供たちのようにな。


 ――そうこうしているうちに1年以上が経過した。

 暴力エクソシストの業務は危険そのもの。命を削る日々は、それだけお金になった。数をこなせばはくがつき、新たな仕事を引き寄せる。小生と焔衣の収入が増すにつれ、子供たちが空腹に耐える時間も減っていった。

 焔衣は人並みならぬ努力家だった。寝る間も惜しんで鍛錬をする。整った体幹筋肉は、体の中心に一本シャフトが通ったかのよう、縦一直線に伸びている。あきらかに幼少期から格闘技をかじっている動きだった。截拳道ジークンドーを教えれば、瞬く間に技を習得していった。彼女は格闘センスの塊だな。

 味を占めた焔衣は案件を次々にこなしていった。

 どこで育ったのだろう、焔衣はこの上なく態度が悪かった。道場だったらとっくに破門されているレベルな。挨拶がてら初対面の人に頭突きをかますなど日常茶飯事。クライアントの命令は聞かない。終始、前かがみで袴のポケットに手を突っ込み、上目づかいで相手をギロリと睨みつけて歩く。その瞳の奥に影を落としており、性格のひん曲がった野良猫か、はたまた狂暴な死人のようでもあった。躾ひとつを覚えさせるだけでも、どれだけ苦労させられるか。咲羅真御殿さくらま ことのがホロリとするのもうなずける。うん、うなずけるな。

 小生はいつものように問う。
「なあ焔衣、どうしてそんなにおっかない顔してるんだ? スマイルな、スマイル」
 すると焔衣、
「あ? うるせえ、生まれつきだブス。殺すぞブス」
 と、いつもの繰り返し。取り付く島もない。過去に何があったのかは知るつもりはない。ただ、過去の闇というべきか、彼女なりの業を背負っていることは想像できた。あと手前味噌ではあるが、小生はそんなにブスではないと思うけどな。 ……な!?

 大人の世界とは実に厳しいものだよな。腕っぷしがあり、優秀だからといって、必ずしも重宝されるわけではない。仕事をサボる奴がなぜか出世してゆく。おかしな世界だ。
 おまけに獣人の単独行動にはルール上、規制がかかる。小生たち獣人は、エクソシストの登録を終えた信頼ある人間と行動を共にしなければ仕事は減る一方だ。信頼ある人間とは身元引受人のような存在だな。
 小生は定期的に人間のエクソシストと仕事をこなしてきた。けれども焔衣は、人間とのコンビに恵まれることはなかった。自業自得といえばすんなり腑に落ちるが、それでも焔衣が人間に心を開くことはなかった。


 ――そういえば、隣町の商店街でちょっとした事件が起こったんだっけ。焔衣が警察と取っ組み合いの大ゲンカを始めたんだよな。

「――どうした焔衣!」
 現場に駆け付けた小生が暴れる焔衣を羽交い絞めにした。事情を聞くと、焔衣の言い分はこうだ。
「この警察バカどもが俺を犯罪者呼ばわりしたんだ! ふざけんじゃねえ! ふざけんじゃねえ!」

 どうやら警察とすれ違いざまに職務質問を受けたらしい。そのときに言われた言葉が原因だった。

「――お? あいつ獣人地区のガキじゃねえか?」
「おもしれえ。耳を野球帽で隠してやがるぜ」
 ヒソヒソと話し込む警察官2名。どうやら面白半分で職質を始めたらしい。聴覚の鋭い焔衣には、警官の会話は筒抜けだった。
「獣風情がこんなところまで何しにきた? ひもじさのあまりに盗みでも働きにきたのか?」
「なんだと?』
「おっと、少しでもおかしなマネをしたらタダじゃおかねえからな」
 警察の心無い言葉。とうぜん焔衣だって突っかかりたくもなるよな。

 ――傲慢な警察の心無い言葉に、狐姫はさらに激情した。そこに警官はトドメの一言。


『どうせロクな親に育てられなかったんだろ?
おまえの親も盗人じゃねえのか?』



 ギロリ。
 焔衣は警官を睨みつけ、問答無用で胸倉をつかんだんだ。

 『ふざけんじゃねえ!』という焔衣の言い分はもっともで、警官の中にはいきなりケンカを吹っかけて来る連中も多い。一般人が公安に逆らえないのをいいことに、国民を挑発し、日々のウップンを晴らして楽しんでいる。ましてや獣人をからかって遊ぶなど、よくあることだった。
 通行人も通行人で、怒り狂った焔衣に白い目しか向けなかった。警察相手に噛みついている人を見ては、誰もが気狂い扱いをする。警察が絶対正義だと勘違いしている。

 焔衣は頭に血がのぼっていて手に負えなかった。今にも警察官全員を焼き殺そうとしていが、そうしないのは獣耳課フレイムワークスがあるからだ。コミュニティの名を背負っている以上、皆に迷惑はかけられない。そうかといって、引き下がる性分でもない。あれよあれよと警官は応援を呼び、大乱闘に発展してしまった。

 署に連行された焔衣だったが、処分されることはなかった。事情を聞いた署長が警官に非があると知り、話をうやむやにしたのだ。「公務執行妨害は水に流してやるから、こちらの非も水に流せ」というわけな。
 もちろん焔衣の怒りはおさまることがなかった。
 小生は警察署から焔衣をなかば強引にひきづり出し、事なきを得た。

 ――親のことを言われた焔衣は、とても怒り狂っていた。

 そりゃあ小生だって言いたいことがある。けれども、何事も冷静に無難にこなしてゆけば波風を立たせなくてすむ。丸くおさめることができる。

 静かに、いい子にして、無難に、無難に――小生はずっとそうしてきた。言い換えれば、無力な善人だ。何も守れない。一番タチが悪い。


 獣人に味方する人間などいない。集団意識が強い日本ならなおさらだ。皆でよってたかって攻撃する。周囲が攻撃するからそれにならう。右が黒と言えば、白でも黒。左が白と言えば、黒でも白。日本人に自己主張はない。

 どんなに人間につくしても、人間に憑りついた悪魔をおっぱらっても、小生たち獣人には「おまえら獣人も悪魔と似たようなもんだろう」という人間からの冷たい言葉しかなかった。

 それでも小生は、ただ黙って、日々に感謝して感謝して、コツコツ真面目にやり過ごしてきた。

 小生も焔衣と同じように、人間たちからしいたげられる環境に置かれていたが、ただ黙って、日々を過ごしてきた。

 焔衣は言いたいことはきちんと告げる性格だ。失礼なことを言われたら、迷わず相手に牙を剥く。
 牙を剥くべきときに牙を剥く――小生は、焔衣のそんな生き方にあこがれていた。

 けれど、ずっと、ずっと、寡黙に、下を向いて、真面目で、いい子にしてきた――。


 それから数日後 獣人街――。

 ひどく日差しが強い、夏の日のこと。
 神城との契約が完了した小生は、荷物をつめたリュックを背負った。
「――焔衣、小生はしばらくクライアントのところで寝泊まりするからな。いい子にしてるんだぞ」
「コロスぞ」
「あのな焔衣。いつも開口一番が『コロス』はやめろな。今度会うまでにもっと礼儀よくしておけ。な?」
「あ? なんで?」
 焔衣がアホづらで聞き返してきたので答える。
「仕事を紹介できるかも。人間と契約も交わせるかもな」
 ニシシと歯を見せて笑う小生に対し、焔衣はふてくされた態度をとった。
「キョーミねーよ。俺は一生、人間とは組まない。奴らは性に合わん」
 一生独身を貫きます的な言葉だな。

 建物の影になった場所はとても涼しい。ふたりして壁によりかかり、名残り惜しむ。

「そうは言ってもここは人間たちが汗水流して作り上げた社会だ。人間無しでは生きてゆけないぞ? やはり仲良しが一番だよな、うんうん」
「あーはいはい。ルーシーは優等生のいい子ちゃんでうらやましいぜ。俺も器用に立ち回りてー」
 微塵も思ってないなコイツ(怒)。

 たしかに人間の評価だと、小生は信頼もあり、愛嬌の良さからか評判もいいらしい。けれど、小生はおまえのいいところだってたくさん知っているぞ。

「何を言う焔衣。おまえのいいところは小生だってよく知っている。おまえの足りないところは、強いて言うなら……人間関係?」
「は? 人間に媚売って生きろっての? 俺には無理ゲーだな」

 焔衣は頭の後ろで腕を組み、はははと笑う。そんなにのんびり構えていていいのか?

「そう言うな。焔衣には小生がいる。必ず迎えにくる。焔衣はひとりじゃないからな」
「おう、尻尾洗って待っててやるぜ」

 約束――差し出した小指を、焔衣はしばらく見つめていた。そして、しぶしぶと自分の小指を絡めたんだ。

「「ゆーびきーりげーんまーん」」

 その後、小生は神城の護衛につき、焔衣は獣人街に戻っていった。
 ふたり、これから訪れる新たな出逢いを知らずして――。


スプーン1杯の思い出


 元シュベスタ研究所職員 神城静也――ヨレヨレの白衣。実験中に爆発でもしたかのようなボサボサの頭、大袈裟な黒縁メガネ。細身で長身。白髪まじりの無精ヒゲに痩せこけた頬。たるんだ目で寡黙に書物を睨みつけ、そうかと思えばひとりブツブツと独り言をならべ、フラリとどこかに消えてしまう。職務質問は数えきれない。神城静也は忙しない男だった。

 神城静也の娘、沙耶――長い髪をサイドアップで飾った子だ。勝気な性格でハキハキと喋り、サバサバしてるが人情みもある。例えるなら下町のあねさんといったところか。命桜めいおう高校に通う1年生。炊事洗濯掃除、きびきび動いてなんでもこなすぞ。よく部活の助っ人に駆り出されている。勉強よりもスポーツ派だな。友達からの電話が多くて、同じクラスの向井奈美という大人しい子とも仲良し。沙耶は敵も仲間もたくさん作るタイプだな。

 ――神城家。
 小生のクライアントは神城静也。神城本人と沙耶の護衛が今回の任務だ。沙耶は母親と別居中。神城の仕事病にイライラしているらしい。なるほど一緒に生活してるのに邪険にされてると、誰でも心に隙間風を招くよな。
 きらめくような白い毛並みのサモエドも一緒に住んでいる。まるで妖精のようだ。名前はソレイユ。小生の体くらいの大きさはあるぞ。
 しばらくの間、小生は神城家で寝泊まりする。


 いつものこと。台所に立つ沙耶が暖簾のれん/rt>をかき分け、声をかけてきた。
「恋音、おとん見なかった?」
「神城? さっきまでそこに……あれ? いないな」

 ソレイユにブラッシングをかけていた小生。その隣で神城は分厚い本を広げていたはずだ。が、その姿はない。どこへ行ったのかな?

 小生もボディーガードの端くれ。クライアントの外出時には気を配っている。外出はしていないとすると……

 小生はフサフサの耳を立てた――奥の書斎からゴソゴソと物音がして、終始ブツブツと独り言が聞こえてくる。

「――このあたりだったかな。学会の報告が……これと、これと……うーん……」

 小生は書斎にこもる神城に声をかけた。

「――神城。夕食の支度ができたぞ。今日は肉じゃがだ。おいしそうだな! な!」
 肉じゃがは大好きだ。薄味もいいけど、濃い味付けのやつもごはんに合うんだ。何杯でもいけるぞ。
 だが瞳を輝かせる小生とは正反対に、神城は無表情。ひたすら書物を積み上げては生返事を繰り返す。相変わらず研究熱心だよな。
 ときおり難しそうな顔を作っては、「えー、あ、うん……うん、そうか。そうだったな」を繰り返す。

 小生の話を聞いているのかいないのか。科学者という生き物は一度のめり込んだら最後、いつまでも自分の世界から出てこないよな。

「もうすぐごはんできるから、一緒に食べような」
「ああ、うん、うん。 ……たしかに君の言うとおり、この研究データとこのデータが一緒だった、うん……たしかに」
「何をしてるんだ神城? あとで小生も手伝おうか?」

 資料をのぞきこんだが、学術的なことはチンプンカンプン。できる事と言えば本の整理かな。神城のこと、どうせすぐ散らかすけどな。

 台所から沙耶の声が聞こえてくる。
「ほっときなよ恋音。おとんは研究研究……いつもそればっかり。だからおかんを怒らせちゃうんだよ。あたしゃフォローの限界さね」
 と、お手上げ状態で肩をすくめている。大変ですね。

 いくら父が優秀だからとはいえ、沙耶は神城の仕事中毒をよく思っていない。家族が離れている原因だから仕方ないか。

「なあ神城、仕事もいいけど少しは沙耶にも構ってあげような? ……な?」
「ああ……、うん、な? いや、そうじゃないな、これはこっちのファイルにだな、スクラップしてあってな……」
 こりゃダメだな。一向に調べものを終えないご様子だな。

 小生は諦めて書斎を出て行こうとした。
 ――が、その背中に神城の声がかかった。

「――ああ、恋音。そう言えばこの前、君が言っていた話だけれど、えーと何だっけ? ……ほ、焔、ほむ……ぽむ……ポムポム?」
「プッ」
 アホっぽいあだ名に思わず吹き出す。ムラムラじゃなくて良かったな焔衣。発情してるみたいだしな。

 神城は、たどたどしいロレツで名前を思い出している。研究のことで頭がいっぱいなもんだから、半分は会話、残りの半分は研究で脳が機能しているようだ。そうやって、へたくそな並列処理を小生に見せつけてくる。

 この前の話とは人材紹介の件だ。以前から友人である焔衣を神城に推していた。「優秀なボディーガードがいるので、どこかで使ってもらえないか?」と何度か頼み込んでいたんだ。そんな経緯もあり、神城も各方面に声をかけてくれていたらしい。やっぱ神城はいい奴だよな。
 それにしても「ポムポム」ときたもんだ。日頃から小生のことを汁だの何だのとからかってくる焔衣だから、今度からそう呼んでやるか。それともムラムラいっとく?

「――ポムポムじゃなくて焔衣な」
「あーそうそう、君の言っていた焔衣君とやらだが、警護を欲しがっている企業が何社かあってね、先方が今度紹介して欲しいそうだ。連れてくるといい」
「ほんとうか!?」

 小生は身を乗り出して喜んだ。これで焔衣に仕事を紹介できる。あわよくば一緒に仕事ができるのだ。気心の知れた友達となら仕事のモチベーションも上がる。うん、実にいいことだな! な!

「――ああ、うん、うん。何社か欲しがっているから、しばらくは君らも食べるのに困らないはず、……えーと……DNA配列とRNA配列を……」

 すでに小生のことなど眼中にないらしい。神城はふたたび分厚い本を広げた。

 小生は嬉しくって嬉しくって、あぐらをかく神城の背中にすがりついたんだ。
「ありがとな神城! おまえ超いいやつだな! な!」
「あーそーかぁ、配列を入れ替えるのと同時に別のレセプターに書き換えればいけるかも知れんな、うん……」
「ありがとな! な! なーなー!」
「ああ、うん……、レセプターが足りないとうまく機能しないんだ……なー……ブツブツ……」
 歓喜する小生には目もくれず、山積みの本の中に潜り込んでしまった。まるで冬眠する熊のようだった。


 台所に戻ると沙耶が盛り付けをしている最中だった。ソレイユも心配そうに近づいてきてくれた。
「よしよしソレイユ~、おまえはいい子だな~。な~」
 モフモフの毛が気持ちいい。本当に犬だろうか? 最近よく吠えるもの気になるな。
「おとん呼んできてくれた?」
「いつもの状態」
「あ、そ。じゃあ、あんた味見ね。熱いからフーフーね」
 沙耶はそう言って、小皿によそった肉じゃがをフーフーした後、箸で小生の口元に運んだ。

「あつ、あつ、あつっ」
 口の中をやけどしないように、ありったけの空気を含ませながら味わう。口の中に広がるしょう油と砂糖の甘辛さ。今日は少し濃いめの味付け。小生のリクエストに答えてくれる沙耶のことも大好きだ。
恋音あんたやけに嬉しそうね、なんかあった?」
「それな! 実はな――」

 沙耶は面倒見のよいお姉さんよろしく、はしゃぐ小生の口のまわりをエプロンで綺麗にふき取った。いつも焔衣にしている小生の行動を思い出す。沙耶の前では小生はまだまだ子供だ。

 ふと、沙耶が翳りある表情を見せた。
「あたしもさ、おとんみたいに優秀ならいいんだけど勉強苦手でさ。よく先生に怒られるんだよね」
 突然の言葉に小生は首を傾げる。
「沙耶、なにかツラい事でもあったのか?」
「うん。小さい頃からおとんと比べられてさ。おまえの父ちゃん研究員なんだろ? 海外の大学出てるんだろ? なんでおまえは満点じゃないのかって毎日イジメられてたのを思い出しちゃって。いつの頃からか、勉強がやんなっちゃったんだ」
「勉強嫌いなのか?」
「勉強が嫌いなんじゃなくて、無理やり口に押し込まれるのが嫌いなのよね。大好物を吐くまで食べさせられる感じ?」
「それは小生もガクブルだな。小生ならほどよい勉強量で教えてやるぞ?」
「いやいや、あんたあたしより年下でしょ。年下に勉強見てもらうとかナイわー」
「そうなのか? 本当に勉強ができるようになりたいのなら、年齢を気にせず取り組むものだと小生は思うぞ?」
「恋音は優等生だなあ、あたしゃ誇らしくて泣けてくるよ」

 ガッツポーズで瞳を輝かせる恋音を前に、沙耶はしばらく考える。

「――まあ、あんたの言うことが正しいか。じゃあ勉強教えて」
「おう、適度な勉強量でがんばろうな!」
「適量ね、適量。小さじ1杯くらい」
「まかせとけ! 大さじ山盛り一杯だな!」
「小さじだっつってんだろ」
 小生は懐から聖水のアンプルを取り出した。
「あとこれ。小生がいないときに使えな」
 いつも小生がいるわけではない。いざという時のためにと沙耶に渡した。

 ――これが神城家の日常だった。

 一見、平和そうに見える家庭。
 では、なぜ暴力エクソシストほどのボディーガードが必要なのか?

 シュベスタ研究所を離れた神城は、さらなる研究のため海外に渡ろうとした。渡米予定の彼だったが、男ひとりの生活を心配した沙耶がついてくると聞かないものだから、その足取りは重く、そうこうしているうちに日本に留まることになったんだ。
 やがて父と娘、ふたりの生活がはじまるわけだが、神城が狙われるようになったのは、ちょうどその頃からだ。
 嫌がらせの電話や手紙といった類のものではなく、とつぜん神城本人が誘拐されそうになる事が何度か起こった。それも納得のいく話で、多くの者たちが神城の頭脳を欲していたから無理もない。

 誘拐犯のひとりが人ならざるものと分かったエクソシストコミュニティは、さっそくめぼしい祈祷師を派遣させることにした。
 コミュニティから連絡を受けた獣耳課は、何人かをピックアップし、神城家との相性から小生を選び出した。
 緊急要請とのこともあり、小生も他の依頼を断わって今回の護衛を引き受けることにした。


 コミュニティに届けを出し、さっそく神城の護衛につく。朝昼晩とマンションの見回り、不審者や停車中の車も徹底的に調べる。インターホンには真っ先に小生が出て、神城と沙耶の外出時にも同行。そうやって周囲に目を光らせる日々が続いた。
 途中、幾度となく悪漢や暴魔たちとやり合った。とっつかまえて絞り上げると、犯人全員が下請けで、神城が何者なのかさえ知らなかった。

 功を奏したのか、小生の護衛は効果テキメンだった。暴力エクソシストが護衛についたという噂もあってか、よからぬ者が近づいてくる気配は瞬く間に消えた。その後も神城が誘拐されるようなことはなく、沙耶とも良好な人間関係を築けているつもりだ。護衛のモチベーションも保てていた。

 気がかりなのは焔衣のことである。

 どこかの企業と契約を交わすことができれば、焔衣だって収入に困らなくなる。小生は神城の護衛任務のかたわら、あらゆる企業に焔衣の存在を売りまくってきた。そんな時に神城からの朗報をもらえたもんだから、手放しで喜ばないわけがないじゃないか。

 また一緒にいられる――小生はルンルン気分で獣人街の焔衣を迎えに行った。
 けれども、そこに焔衣の姿はなかったんだ――。


 焔衣から連絡を受けたのは数日経ってからだった。

 『人間と契約した』――。

 彼女の口からその言葉を聞いた時は嬉しかったな。

 ――だけどね、小生の知らないところで焔衣の日常が書き換えられたことが少しだけ不快だったんだ。友人を独占しようとしている自分にも不快さを感じていた。最低だよな、友達の旅立ちを祝ってあげられないなんてな。

 それから小生は、焔衣と少しずつ距離をおくようになった。
 焔衣も忙しさからか、プライベートで小生と会うことはなかった。

 たまにフレイムワークスの集会で顔を合わせるも、「調子どうだ?」「悪くないな」が挨拶代わり。それを繰り返すたびに、互いの距離は開いてゆく。
 やがて赤霧の噂が出回るようになった頃、突如として神城と沙耶は姿を消したんだ。


 ふたりが姿を消した後のこと、ソレイユがマンションのまわりをうろついていた。何をしているのかと思えば、終始鼻を鳴らして匂いを嗅ぎ分けているではないか。
「何をしているのか」と聞いたところで言葉が返ってくるわけでもない。いくら獣同士だからといって、会話はできない。人と猿が言葉を交わせないのと同じ。

 もたもたしていると、突如として赤霧が発生する。するとソレイユは咄嗟に走り出し、赤霧の中に飛び込んでいった。

 ――だが小生は、ソレイユの後を追わなかった。

 それから小生は、来る日も来る日も神城と沙耶を探した。だけど、結局ふたりを見つけることができなかった。ソレイユも赤霧に消えたままだ。

 あたたかな家庭が一気に消滅してしまった虚無感――。


 フレイムワークスで焔衣に突っかかってきた男がいた。彼もまた、人間との折り合いがよろしくないとの情報を得ていた。『うまくいっている奴に当たりたい』、そんな彼の気持ちがわかる。人間とうまくいってる獣人は多いわけじゃない。人間の相方とよろしくやっている焔衣を見ていて面白くなかったのだろう。

 小生がクライアントである神城を守れなかったことは、一部の人間に知れ渡っていた。護衛任務としては致命的な失態だ。コミュニティに報告がいけば、誰も仕事を流してくれなくなる。けれど神城と沙耶が見つかるなら、それでもいいと思った。それくらい大好きな人たちだった。

 寝る間も惜しんで神城と沙耶を探したが見つからない、書置き一つ残さない者たちをどうやって追いかければいい? 心当たりのある場所はすべてあたってみたが、ふたりの居場所は一向につかめないままだった。

 途方に暮れていた小生に声をかけてきたのはレプラ・スタッフサービスの社員だ。
 レプラのCEOである金盛に会ってみると、彼はどういうわけか神城と沙耶の行動をよく把握していた。消息を絶った後の詳細を知っていただけでなく、小生にとても協力的だった。

『一緒に神城親子を探してやる』――。

 その言葉がどれだけ小生の心を揺さぶったか。それがわかるかい?
 けれどもね、それが金盛の狙いだったんだ。

 人も獣人も、心の隙間を突かれると、もろく、簡単に崩れてゆく。小生がまさにそれだった。


 金盛に騙されているのではないかと疑りはじめたのは、ニュースで赤霧事件が報道されはじめた頃だ。
 沙耶の友人である奈美が憑依されたと聞き、慌てて流船るふな団地に駆け付けてみれば、そこには黒髪ロングの姿があった。
 奈美の除霊はふたりの祈祷師によって施され、小生の出番はなかった。

 ――いや、出番がなかったわけではない。小生は奈美が苦しんでいる時に、ただ立ち尽くしていただけだった。沙耶を探すために赤霧に入った奈美を、小生は見ているだけだったのだ。

 一度に色んな出来事が重なるたびに、自分の居場所がなくなってゆくのではないかと不安になる。不安になれば誰かに寄り添ってもらいたくもなる。優等生とか優秀とか言われようが、心の弱さは隠しきれない。

 小生は必死に思い出をかき集めた。
 真っ先にたどり着いたのが焔衣の存在だ。

 けれども、その焔衣にはもう人間の相方がいる。
 焔衣の隣はもう、小生の居場所ではないのだ。
 ひとつひとつの別れがつらい。心をジワリジワリと削り取られてゆく。

 ビジネス戦略とは恐ろしいもので、金盛は小生の弱点を見透かしていた。神城と沙耶がいなくなったとたん、小生は野良猫のよう、行く当てもなくさまよいはじめる。
 小生は、大切な人に見守ってもらえないと枯れてしまう存在。
 とても弱い存在なのだ。

 今の小生は、誰にも必要とされていないのだ――。


 レプラ社 社長室――。
 金盛は小生を部屋の奥へと通した。そこで人喰い絵画を見せられる。絵の中ではソレイユが横たわり、今にも息絶えそうだった。

 金盛から焔衣と咲羅真御殿の暗殺を命じられた時は、全力で断った。
 あの焔衣が神城を誘拐するはずがないからだ。周囲への嫌がらせはしょっちゅうだが、相手を傷つけることを率先したりはしない。そんな理由もあり、金盛を問い詰めたのだ。

 案の定、金盛は人間ではなかった。レプラコーンという金に目がない強欲な妖精だ。そんなクズの分厚いタラコくちびるから返ってきた言葉は絶望的な答えだった。

「絵画は赤霧を吐き出して町を包む。赤霧は包んだ町を即席の魔界にすることができる――この絵画の素晴らしいところはな、吐き出した赤霧を吸い込めば、霧の中にいた人間たちまで絵画の中に取り込むことができるんだ。どうだすごいだろう~、ん~?」
「まさか神城たちも一緒に吸い込んだというのか!?」
「ああ~、もちろんだぁ。ただなぁ、神城静也は腑抜けたツラをしているが、おまえを雇うようになってからは警戒心を持つようになってな。そこで娘を利用させてもらったんだぁ」
「おまえ、沙耶に何をした!」
「父親を赤霧に誘い出すため、数日前に妖精を憑依させた。スペックハザードでいきり立った妖精さ」
「スペックハザード?」

 小生は金盛から、ハイヤースペック緊急事態警報の詳細を聞かされた。スペックハザードで狂暴化した妖精は、憑依した人間の人格までも豹変させてしまうらしい。今の沙耶は金盛の使い魔ということだ。

「――つまり、神城を外におびき出したのは、妖精に憑依された沙耶ということか!? なんて卑劣な!」
「ああん? 娘に死霊を憑依させても、どっかのバカ祈祷師が除霊しちまうだろうがぁ」

 金盛はしみったれた顔で小生を睨みつけた。

 情けないことに、金盛に言われてはじめて気づく。たまにソレイユが吠えていたのは、沙耶に憑依した妖精に対してだ。
 ――あの時、すでに沙耶は妖精に憑依されていた。小生はそれに気づくことさえできなかった。

「ただ、この絵画にも欠点がある。吸い込んだ奴らが絵画の中でどこをさまよっているのかがわからんのだ。そぉこぉでえええぇ、神城を吸い込んだ後、一度だけ大規模な赤霧を吐き出させた。飼い主を探す番犬に一役買ってもらうためになぁ。飼い主の体臭は赤霧に乗ってやってくるからのぅ」
「赤霧が発生したあの時か! 神城を探させるためにソレイユまでおびき寄せたのか! この絵画の中で苦しんでる犬はやっぱりソレイユなんだな!? ソレイユ! しっかりしろ! 今ここから出してやるからな!」
「やあぁさしいいいいぃ、さぁすぅがあぁぁ優等生の獅子恋音ちゃんだあぁぁ」
 脂肪の塊が嫌味ったらしく言葉を吐く。

 赤霧に突っ込んでいったソレイユは、霧の中に神城の匂いを感じ取った。そしてソレイユまでもが絵画の中へと吸い込まれてしまったのだ。

 絵画の中、ソレイユは命をかけて神城と沙耶を探し回っていた。アスファルトに鼻をこすりつけ、死霊の群れを走り抜け、そうやって飼い主のもとまで走っていったのだ。見つけたとしても、神城は死霊に憑依されているかもしれないというのに。もう、手遅れかも知れないというのに。

 小生ができないことを、ソレイユは平然とやってのけた。その出来事が、小生の胸にチクリと痛みを残した。

 ――いや、小生にもソレイユと同じ行動がとれたはずだ。 ……けど、しなかった。


 エーテルとは妖精たちのエネルギー源らしく、世界の至る場所に溢れている。
 そのエーテルを赤霧で汚染し、妖精たちを薬漬けのようにする。
 その後、妖精を人間に憑依させれば、狂暴なハイヤースペクターを大量生産できる。
 そして金盛は、狂暴なハイヤースペクターたちを八卦レベルまで強化し、己の配下におこうとしている。

 金盛の野望を成就させるには、神城の頭脳が必要だった。
 たとえ神城が命を落としても、金盛にはなんら問題はなかった。次に狙われるのはMAMIYAの水無月主任だ。

 金盛の策略を聞いた小生は、なんとしても阻止しようと考えた。
 だが金盛は、小生が牙をむくことをとうに察していたのだ。

「赤霧の成分を教えてやろう。これは暴力祈祷師たちの血肉だぁ。怒りに満ちた祈祷師たちは、絵画の栄養分になるうってつけの肥料だぁ」

 ふたたび小生に襲い掛かる人喰い絵画。
 ギロチンのように落下してきた牙を、小生は体を捻って瞬時にかわした。が、出遅れたこともあり肩を傷つけてしまう。破れた修道服の下から大量の出血をともない、ヨロヨロと壁にもたれ、しだいに追い詰められてしまった。

「上司の命令にそむくとわぁ、優等生らしからぬ行動だなあ獅子ぉ。痛むか? 肩の傷が痛むか? それくらいの傷で死ぬなよぉ、一介の社畜風情がぁ。これからおまえにわぁ、やって欲しい仕事があるんだからなあぁ」

 金盛が血まみれの小生に向かってレポート用紙をぶちまけた。

 小生は床に散らばったそれらを乱暴に引ったくると、書かれた内容に目を通した。

「フェアリーフォース? 機密情報? 今度は何だ? これは何を意味している!?」
「おまえは本当に何も知らないんだなぁ、優等生の獅子恋音んんん……」

 問う小生に金盛はほくそ笑むと、次の言葉を告げた。

「咲羅真御殿と焔衣狐姫を始末できないというのならぁ、別の案件を紹介してやろうと言っているんだぁ」

 腰の後ろで腕を組み、一歩、また一歩と絵画の前をうろつきながら雄弁を語りはじめる。

「ここは人間が支配する世界。人間たちの手によってインフラは構築され、人間たちの手によって多くのものが作り出される。だが、それを裏で糸引いているのは、いつの世も人ならざる者の力あってこそ。人間は生きているのではない、生かされているのだ。自然に、悪魔に、そして我々妖精に。それらの代償を考えるならば、国家予算では物足りない。人間は、血肉を捧げるだけのブタのエサに等しい――」

 この世界は一見、人間に造られた世界だが、それら1つ1つの決定権には、あらゆる種族が関与している。人間は、ただの作業員にすぎない。上流工程に人間の存在は必要ない――それが真実なのである。

 イラつくほどに巨大な顔をこちらに近づけると、悪事を吹き込むかのように囁くのだ。

「――ワシは金と権力と暴力でのし上がる。故に、ワシが妖精界、いや、すべての世界の頂点に君臨しなけれならない。ワシこそが王! ワシこそが神! おまえもそう思うだろぉ? なあ、獅子ぉ?」

 こちらの神経を逆なでるように煽ってくる。そこで小生の能力を見越してのことか、交渉を持ちかけてきた。

「獅子ぉ、おまえには特別に、赤霧に入る特権を与えてやる。魔界の中で、神城とその娘を探す特権だぁ。ソレイユに先を越されて悔しいのう、悔しいのう。その汚名返上のチャンスだと思わないか? のう? のうのうのう?」
「ふん、フェアリーフォースの機密情報と絵画通行特権を交換か。その機密情報をもとにフェアリーフォースとやらをも手中に収めるというわけだな。いいだろう、小生はまず何をすればいい?」

 金盛は両手で天を仰ぐように歓喜した。

「交おおおおぉ渉おおおぉ成ええええぃ立うううぅ~。聞き分けがいいなぁ獅子ぉ~、さすがは優等生の獅子恋音だぁ。ワシが欲しい情報は一冊のファイル。それが先日、部隊に所属する何者かに持ち去られてしまったらしい。そいつを探し出してファイルを奪い取れ。待っているぞぉ獅子ぉ」

 そうして金盛は、絵画の赤い吐息に消えていった――。


 時間がない。一刻も早くファイルを奪わなければならない。
 有利なことと言えば、ファイルを盗み出した輩は人間界にいるということくらいだ。いくら小生でもフェアリーランドへの行き方なんて知らない。夜空にお祈りをしたところで、妖精たちが迎えに来てくれるわけではない。

 小生はあらゆる場所を走り回った。

 ファイルの捜索中、偶然出くわした焔衣に引き留められた。小生を心配しているようだったが、構っている時間はない。
 焔衣の説得など耳に入らない。友の制止を振りきり、当身あてみを食わらせるが躊躇してしまう。結局2発目で相手を落とした。小生からすれば、焔衣の格闘技術はまだまだヒヨッコだ。

 時間がない。
 焦っている。
 焦っている焦っている!
 まずいまずい、早く何とかしなければ!
 絵画に食われるのはおろか、時間に食われてゆく!

 時間が、小生の仮面を食らいつくしてゆく。
 時間が、小生を裸にひん剥いてゆく――。

 1つの失敗がさらなる失敗を引き起こす。
 1つの挫折がさらなる挫折を引き起こす。

 そうやって小生は、少しずつ、少しずつ、壊れてゆくのだ。
 浜辺に建てられた砂の城のように、だんだん波に削られてゆき、最後には跡形もなくなる。
 だが時間は待ってはくれない。

 神城、沙耶、ソレイユの命の灯火ともしびは、もうすぐ消える――。


フェアリーフォース機密情報ファイル


 街のあちらこちらを探してまわる。

 情報屋、アンダーグラウンド――思いつくかぎり片っ端から当たってみる。数えたらきりがない。

 裏路地にたむろする連中が舌なめずりしながら情報交換を持ち掛けてきたのでフルボッコにしてやった。性欲バカに構っている時間などない。
 そうやって、しらみつぶしに探してまわった。

「ファイルを持ち出した人物――どこだ、どこだ、どこにいる!?」

 情報収集の対象者が人間から魔族になり、やがて妖精たちから情報を集めるようになった。この短時間のうちに、この世の闇があらゆる種族で繋がっていることを再認識した。


 脅迫、暴力、泣き落とし――小生はあらゆる手段を用いて、金盛が欲しているファイルにたどり着いた。フェアリーフォースからファイルを持ち出した隊員から奪い取ったわけだが、高額な金を要求してきたので埒が明かなかった。一応、有り金のほとんどは置いてきた。フェアリーランド政府も闇に染まっているな。

 ファイルを手にする。


『フェアリーフォース システム室・点検表――』


 ペラペラとめくっても、それらしい情報は記されていない。隊員の名前がズラズラと並んでいるだけだった。
「――金盛はこんなものが欲しいのか? ただの掃除当番表だな」
 だが、これさえあれば絵画に入れる。広大な絵画の中だが、おそらくは神城が拉致されているあたりまでは飛ばしてくれるだろう。金盛も神城を欲しがっているわけで、こちらに協力する姿勢を見せている。

「あとは神城と沙耶とソレイユを見つけ出して、解放すればいい」

 そこで、小生の役目は終わりでいい――。


 奈美のお見舞いに行った。少しの雑談だけだったが、元気な顔を見れてよかったな。
 小生が獣人であることも伝えたかったけど、あまり精神に負担をかけたくないので黙っていた。
 憑依された奈美を救えなかったことを後悔している。そのことだって伝えたかった。けど、黙っていた。

 なにも言えないでいる小生の横で、奈美が油絵を取り出す。

『恋音ちゃんがいつも元気をくれるから完成したんだよ』

 そう言って、落ち込んだ小生に絵を見せてくれた。小さい額縁に入っているけれど、巨大で禍々しいアレよりは、ずっとずっと、世界を彩ってくれる。
 奈美が”愚か者”じゃなくてよかった。

 ファイルを奪った際、ありったけのお金を置いてきてしまったので手持ちがない。
 小生の気持ちを一輪、それだけ置いてきた――。


 レプラに戻り、社長室にたどり着く。「ファイルをよこせ」とすごんできたチンピラ社員たちを、片っ端から半殺しにした。用があるのはおまえたちではない。小生もナメられたものである。

 ファイルを手にし、絵画の前に立つ。大口あけたそれをよそに、夕焼けに染まる空を窓から見つめた。

 ――焔衣。小生はな、心の奥底でおまえのことを欲していた。

 ――焔衣。おまえはいつだって、いかなる困難にも臨機応変に対応して壁を乗り越えてゆく。そんなおまえのことがうらやましかった。

「――小生もおまえみたいになりたかった。もっと楽観的に考えられたらよかったのにな。この世界はな、どんなに除霊をしても、どんなに悪い奴らをぶちのめしても、どんなに世界を救う手伝いをしても、全然変わらないんだよ。全然いい方向に進まないんだよ。人間たちの心の隙を狙う魔族。簡単に隙を作っておきながら悪魔に憑依され、除霊された後でも何一つ反省せず、感謝もせず、性懲りもなくヘラヘラと笑って、ふたたび過ちを繰り返す愚か者たち――」

 がんばっても、がんばっても報われなくて、
 はがゆくて、もどかしくて、
 それでも必死に抗い続け、腹をすせた野良犬のように歩いてきた。

 そんな小生のことを、おまえはいつも励ましてくれたな。

 焔衣。
 小生は、おまえに追い越される恐怖も感じていた。

 焔衣。
 小生は、おまえにあこがれも抱いていた。

 でもね、焔衣――今まで歩いてきた道のりで、気づいたことがあったんだ。


「小生はね、なんだか疲れちゃったんだよ。
 小生はね、なんだかイヤ・・になっちゃったんだよ――」