6 魔界のはじまり


 愛宮まみや総合病院。

 治療室の脇に設置されたベッドの上に狐姫はいた。医師の診断だと大した外傷もなく、すぐに帰宅できるとのこと。
 部屋にはふたりきり。御殿ことのが近づくと、狐姫はゆっくりと瞼を開けて視線を向けてくる。
「御殿……」
 意識が戻り、ポツリと力なくつぶやいた。
「やべえ、起きなきゃ」

 御殿は起き上がろうとする狐姫を寝かしつけた。

「そのままでいい。何があったか話を聞かせて」
 御殿の問いに、しばらくダンマリしていた狐姫だったが、やがて観念したらしく、ゆっくりと口を開いた。

「昨日からルーシーと連絡つかなくてさ。俺、ずっと探してたんだ。で、ようやく見つけたんだけど、逃げられちった」
 たははと頭をかきながら、力なく笑う狐姫。
「だったら連絡くらいよこしなさい。あなた学校も休んだでしょう? 心配したのよ?」
「……うん、ごめん」
 狐姫がションボリとする。
「別に責めてるわけじゃないのよ。一言くれれば一緒に探したのに」

 それを聞いた狐姫は言葉を飲み込もうとしたが、やはり打ち明けることにした。

「ルーシーのやつ、御殿のこと避けてるんだよね」
「わたしのことを? どうして?」
「多分、嫉妬だと思う」
「嫉妬? ルーシーが?」

 御殿は狐姫と出逢った日の出来事を聞かされた――恋音れおんと待ち合わせをしていたあの日、狐姫は恋音から仕事を紹介してもらう約束をしていた。だが、それを横から奪ったのが御殿だ。

 恋音にとって、御殿は友達を奪った敵でもある。到底、心から笑顔を向けて話せる相手ではなかった。

「……御殿」
「ん?」
「へ、変なこと言ってもいい?」

 狐姫が頬を染めて視線を逸らした。いつになくしおらしい態度だ。
 いつも変なことしか言わないじゃない――そんな根も葉もないことは言わず、ここは素直に聞き入ることにする。

「いいわ。何でも話してちょうだい」
「おまえ、『いつも変なことしか言わないじゃない』とか思ったろ? ……いま目ぇ逸らした、図星かよ。まあいいや」

 狐姫は静かに息を吸い、言葉は吐いた。

「俺もさ、想夜に嫉妬する時あるんだよね」
「想夜に? どうして?」
「うーん、なんてゆーの? 御殿と仲良さそうにしてるとさ、相方を取られた感があるっていうか、あいつって妖精だろ? 男とも女とも付き合える体質してんじゃん? つまり……、そういうこと」

 最後のほうはモゴモゴと言いづらそうに口ごもった。
 狐姫から心配事を聞かされた瞬間、御殿の脳裏に彩乃の言葉が浮かぶ。

『ちゃんと付けなきゃダメよ?』

 いつか御殿が自分を捨てて想夜のもとへと行ってしまう――狐姫はそう思っていた。

「そんなことを考えていたの? バカね。わたしと想夜はそんな関係ではないわ」

 御殿は無自覚で取っていた行動に後ろめたさを覚えた。この先、想夜との距離感も考えなくてはならないだろう。御殿の性別がどちらにせよ、両性具有の想夜には何の問題もない。御殿の子を宿すこともできるし、御殿を孕ませることだってできる。逆もまた然り。ハイヤースペックは子孫繁栄に万能なのだ。当然、そういう仲・・・・・になってもおかしくはない。

「ルーシーも似たような感情を持っていたと思う。俺と御殿が仲良さそうに話しているのを見て、つらかったんだと思う。ひとりだけまわりからとり残される不安。まわりはうまくやってるのに、自分だけ進歩がない時の焦り。ルーシーはそれを感じていたんだ。俺、負けたくないばっかりに、少し意地になっていた。俺だってうまくやってる、俺にも相方がいるんだぜって、ルーシーに自慢したかったんだ」

 誰しも大切な人に去られた時の寂しさと不安を持っている。心にポッカリ空いた穴を塞ぐのは大変なこと。人間も獣人も同じだ。

「でも、それが裏目にでちゃったかも……」
「狐姫……」
 いつになく落ち込む狐姫を見て、御殿はどんな言葉を投げたらよいのか分からなかった。

 途切れた会話のなか、狐姫はふたたびポツリと話し始めた。

「俺に截拳道ジークンドー教えてくれたの、ルーシーなんだよね」

 御殿はベッドに腰をおろし、狐姫の隣で話を聞き入る。

「あいつさ、俺よりずっと強いんだぜ? ああいう服着てシスター気取ってるけど、突きも蹴りも全て足の裏で防いじまう。攻撃なんてあたりゃしない。格闘センスがズバ抜けて高いんだ。ああいうのが闘神に選ばれた存在なんだろうね」

 狐姫にそこまで言わせてしまう獣人が存在していることに、御殿は恐怖を覚えた。敵に回ったら厄介だからだ。

「俺さ、自由人だからけっこう浮いた存在じゃん? ハブられることも多かったんだけど、そん時もルーシーはそばにいてくれて、スパーリングにも付き合ってくれた。俺がひとりぼっちになると、いつもそばにいてくれた。そんなことがあったから、俺、強くなれたんだと思う。ひとりだと自分の立ち位置って分からないじゃん? まわりに人がいて、はじめて自分の位置が見えてくるんだよね。ルーシーは俺にとっての灯台なんだよね」

 広い海のど真ん中、自分がどこにいて、どういう状況下にあるのかを知るのは重要なことだ。それを知ることで今後の対策もつかめてくる。他者の立ち位置は灯台だ。光を灯してくれるから、自分が理解でき、どこへでも旅立ってゆける。そして港へと戻ってこられる。人ありきとはそういうことだ。
 それに味方はたったひとりでいい。ひとりいれば、落ち込んだ魂にも光は差し込む。
 狐姫にとって恋音は光だ。その背中が光に見えるならば、狐姫はずっとその背中に手を伸ばすだろう。

 ――だが今は、恋音の立っていた場所に御殿がいる。

「俺、スゲー弱いじゃん?」
 狐姫の言葉に御殿が目を丸くした。
「狐姫が? とてもそうは見えないけど?」

 狐姫は十分すぎるほどの戦闘力を兼ね備えた獣人。相方として申し分ない。それは御殿の認識。
 だが獣人のなかでは、狐姫レベルは軟弱に位置する。この世に強い獣人はごまんいるのだ。それらと比べたら狐姫はお子レベル。話にならない。それが現実だ。

「はじめて御殿と逢った日、俺さ、すげー焦ってたんだよね。ルーシーばっか仕事が入ってきてさ。あいつ強いし、要領もいいから何でもうまくこなせるんだ。俺、何から何まで敵わないんだよね。引けを感じるって言うの? 一緒にいると自分のダメっぷりを突きつけられちゃうんだ」

 狐姫が布団の上で拳をつくる。自分より強い者がどれだけいるのかを知っているからこそ、焦りが己を叱責してくるのだ。「おまえはダメで弱いやつだ。今のままでは話にならない」と。

「さっきも言ったべ? それが悔しくてさ。ルーシーにおまえを紹介したんだ。ルーシーに当てつけたんだ。俺だって頑張ればうまくやれるってところを見せつけたかった。それだけルーシーと同じ目線で歩いていたかった。対等でいたかったんだ。ひとりだけ置いてけぼりを食らうのって、どうしょもなくツラいからさ。自分はダメなヤツなんだって、そんな答えを突きつけられるのは死体蹴りみたいなもんだよね。ダメなのは重々承知だっての。豆乳メンタルだって認めてるっての。けどさ、理解しているところに追い打ちをかけられるのってムカつくよね。追い打ちかけてるのは俺自身なんだけどさ」

 狐姫が力なく笑う。
 御殿は悲観的な言葉を否定した。

「狐姫はダメなんかじゃない。あなただって分かっているでしょう?」
「ああ知ってるよ。俺も弱すぎるレベルってわけじゃない。けどさ、なんだかんだ言っても世の中の価値って相対的なところあるじゃん? まわりのレベルが高すぎると、どんなに自分が強くてもカスに見えちまうんだよね」

 狐姫は深く息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
 
「俺、ハイヤースペック使えないじゃん。コンプレックスってやつ? 俺もハイヤースペック使えたらいいなって、最近思うようになってたんだ。妖精と能力を共有すればいいっていうけど、そんなにうまくいくか? 能力を提供してくれる妖精なんて簡単に見つからねえっての」

 狐姫がしきにりリボンをさわる。いつも身に着けているリボン。入浴する瞬間まで、それをはずすことはない。愛宮邸の入浴場でも、髪を洗う瞬間まで身に着けていた。それを解くと、とたんに無口になる。

「狐姫はそのリボンがお気に入りなのね」
「そうじゃねえよ。 ……変かな?」
 狐姫がリボンをつまんでクネクネといじる。
「ううん。とてもかわいいと思う」
 御殿にそう言われて力なく吹き出した。
「ウソこけ。ワケの分からない文字が並んだリボンなんてかわいいわけねーだろ」
 立ち入ったことを聞く性分ではない御殿だが、ここぞとばかりに聞いてみる。
「そのリボンに愛着があるの?」

 するとどうだろう。狐姫はふたたび口を閉ざしてしまった。
 
「話したくなければ何も話さなくてもいいの。ただ少し気になってしまって」
 取りつくろう御殿の横で、狐姫は窓の外を見て呟いた。

「――業だよ」

「業?」
「ああ。ご先祖が色々と複雑みたいでさ。ワケあって今はリボンを外したくない。正直、俺もなんて説明したらいいか分からないんだよね」
 そう言ってうつむいた。その横顔は、今にも消えてしまいそうなほどに弱々しかった。
「なにか事情があるのね。わかったわ。今は何も聞かない」
 御殿は強引にリボンの話を終わらせた。

 しばらくは何も話さないでいたふたりだが、狐姫のほうから切り出してきた。

「ルーシー、血まみれでさ。何があったのか知りたくて、引き留めたんだ。そん時のルーシーの目、なんかイッちゃっててさ。あれ、いつものあいつじゃなかった。切羽詰まってるっていうの? 話もロクに聞いてもくれない。俺、引き留めることもできなかったよ。情けないよな」
「狐姫が病院に運ばれた理由と関係あるの?」

 恥ずかしそうに口をつぐむ狐姫だったが、事情を話してくれた。

「無理やり引き留めたら……ボコられた」
「ええ!?」
「ていうか、腹パン一発。からの、首の後ろに当身あてみ。1発で決まらなかったみたいでさ、あいつ2発も首に手刀入れるんだぜ? 俺、むち打ちになっちゃうよ」
 狐姫は首の後ろに手をおいて、おちゃらけてみせた。

 御殿は驚愕するばかり。相方から簡単にダウンを奪う存在と分かり、恋音に対して警戒心が生まれる。相方の友達というよりは脅威に近い。少なくとも今はそう思っている。

 狐姫が何かを思い出してつぶやくように説明する。

「あいつ、レプラで金盛ってヤツと揉めたみたいなんだよね。それで逃げてきたらしい。赤霧についても詳しいこと知ってるみたいだった」
「金盛と赤霧は関係があるってこと?」
「らしい。もっと話が聞きたくて引き留めたんだけど、このザマ」
 狐姫、両手を広げてお手上げ状態。
「もっと詳しく聞かせて」

「ルーシー、神城かみしろ博士って人を探してるみたいでさ」
「神城博士?」

 御殿が首を傾げた。どこかで聞いた名前だ。たしか彩乃の口から聞いたことがある。

「神城静也さん。以前、ルーシーが護衛していた人で、先日から行方不明らしい。俺もその人の護衛を紹介される予定だったんだ。で、その神城博士が見つかったらしいんだけど、ひでぇ拷問を受けてるらしいんだ。しかも俺たちが神城博士を拉致ってるってガセまで金盛は吹き込んできたらしい。失礼しちゃうぜ。ご丁寧に拷問写真まで見せられたとさ」
「なぜ金盛はそんな写真を持ってるの?」
「だろ? だから俺、ルーシーに言ってやったんだ。『合成写真じゃねーの?』って。でもルーシーのやつ、聞く耳もたなくてさ。何としても神城博士を探し出すって」

 その後のことはご存知の通りである。
 
 金盛が神城博士を拉致していることは恋音も理解していた。狐姫と御殿が無関係だということも分かっている――それらのことを恋音の口から聞かされた狐姫は、とても嬉しかったのだ。

「ルーシー、俺たちを信じてくれてた。俺、嬉しかった」
 
 自分のことを信じてくれる友がいる。誰に何を吹き込まれようとも、信じてくれる友――狐姫はその存在を誇りと感じている。 

「ルーシーが取り乱すほど、神城博士は大切な存在なんだな。ひょっとしたらあいつ、レプラに戻るかも。そこで金盛を殺すかも知れない。殺してでも神城博士を見つけ出すかもしれない。けれども俺、止めることができないでいる」

 獣人がむやみに人を殺せば重罪である。それが妖精であったとしても、種族間での戦争にまで発展しかねない。

「俺、足手まといなのかな? 何もしないほうがいいのかな?」

 弱々しい狐姫。御殿はその震える肩を引き寄せ、そっと抱きしめた。

「そんなことない。よく帰ってきてくれたわ」
 狐姫は瞼を閉じ、御殿に身をあずけた。
「ルーシー、頭に血がのぼっちゃっててさ、平常心もクソもなかったよ。たしか『絵画が祈祷師を食らう』とか言ってた。どういう意味だろう?」

 狐姫がうっすらと涙を浮かべながら御殿の肩に顔をうずめた。
 御殿はそれを諭すように、ゆっくりと頭をなでる。なでるたび、獣の耳がピコピコはねる。はねるたび、狐姫の荒ぶる感情も和らいでいるようだった。

「ルーシーは他にも何か言ってた?」
「他に? ……確か、『金盛の壺を奪いに行く』とか言ってた、と思う」
「壺? たしか金盛は骨董品収集が趣味だったわね」

 金盛のコレクションと赤霧に接点が生まれた。

「あと、ソレイユがどうとかって言ってたけど、俺にはよく分からなかった」
「ソレイユ?」
 御殿は赤霧の中で聞いた声を思い出した。

「なあ御殿、どうすればいい? 俺、どうすればいいよ? ルーシーのために何ができるんだろう?」
 両手で拳を作り、声を振り絞る。
「俺、あいつのために戦いたい。この身が削がれても、あいつのために立ち上がりたいんだ」

 御殿は考える――ルーシーは正気ではなかった。それは神城博士を誘拐されたからだろうか? しかし、正気を失う行動には心当たりがある。交差点で起きたドライバー同士のいざこざが脳裏をよぎる。

 怒り。いや、殺意か――どうやらそれに近い感情が赤霧と関係しているようだ。赤霧は飲み込む全てを魔界化させる力がある。

「怒り、殺意、赤霧、絵画、壺、金盛……そして魔界――」
 御殿の中でバラバラのピースが1つにまとまる。そして結論に近づいてゆくのだ。

『魔界は、妖精界と手を組んだ――』

 いつかMAMIYA研究所で暴魔が吐いた言葉を思い出す。
 ちょうどその時、端末が鳴り響いた。想夜からの着信だ。

「想夜? どうしたの?」
『こここ、御殿センパイ! たったた、大変です!』

 慌てた口調の想夜。御殿に問われて話を続ける。

『先日のレプラコーンですが、気になって調べてみたんです』
「それで? 何かつかめたの?」
 御殿の耳元で想夜が鼻息を荒げた。
『はい、それが大変なんですっ。レプラの金盛という妖精ですが、フェアリーフォースのデータベースで照合した結果、妖精界からの逃亡犯であることがわかったんです!』
 御殿が眉をよせた。
「なんですって? じゃあ金盛は指名手配犯ということ?」
『はい。脅迫、監禁、そして人身売買……、あの人、奴隷法を片っ端から違反してます。妖精たちを監禁して過酷な労働を強要。いわゆる奴隷商人です」

 妖精界でも奴隷制度は廃止されている。しかし、社畜や多重派遣が後を絶たないのは何故かしらん? 教えてエラい人。

「逮捕令状は?」
『すでに発行されて京極隊長が所持してます。今こっちに向かってるところです。フェアリーフォースからも援軍がくるようです。早く犯人を取り抑えないと、また逃げられてしまいますっ』
「急がないとマズいわね。すぐ金盛のところへ向かいましょう」
『あたしも今からそっちに向かいます』
「自転車?」
「緊急事態ですよ? 飛んでいくに決まってるじゃないですか! あいたっ」
 部室の窓枠に頭をぶつけたらしい。そうとう慌てている。

 御殿が端末を切ると、狐姫が心配そうに声をかけてくる。
「どうしたん?」

 御殿は少し考えたのち、事情を説明する。

「ルーシーの足取りを追うには金盛に会うのが手っ取り早いかもね」
「探してくれんの?」
「もちろん。狐姫にも手伝ってもらうから。動ける?」

 御殿から事情を説明された狐姫は、頬をつたう一筋を乱暴に拭う。

「あったりめーよ。まかせとけって!」
「よし、さっそくレプラに乗り込みましょう」

 恋音が消息を絶つ前、レプラで何があったのだろう?
 恋音は赤霧の正体を知っている。御殿たちはそれを突き止めなければならない。そして想夜は金盛の身柄を拘束し、フェアリーフォースに引き渡す役目を担っている。

 人間界を闇に変える奴隷商人が、すぐそばにいる――。


猛威の前兆


 御殿と想夜はレプラ・スタッフサービスにやってきた。

 鉄筋造りによくある無機質な企業ビル。うちっぱなしのコンクリートが人々への希薄さを感じさせる。ここは牢獄だと言わんばかりに。
 ロビーに入ってすぐ、お香がただよってきた。
「この匂いは……」

 御殿は瞬時に魔臭用芳香剤だと気づいた。悪魔の体臭を消すための煙がそこらじゅうに充満している。エクソシスト対策。すなわち、ここは魔の巣窟ということだ。一般の暴力エクソシストなら気づかないだろう。八卦ならではの力の差を見せつけた。

「気をつけて想夜、悪魔のテリトリーに踏み込んだわ。社員全員、悪魔かもしれない」
「わ、わかりました」
 御殿に耳打ちされ、想夜は気を引き締めた。


 リクルートスーツに身を包んだ御殿と想夜がソファにすわると、テーブルをはさんで向かい側のソファに人事の男が腰をおろした。
 この男も悪魔かもしれない。命が欲しければ警戒は解かないことだ。御殿と想夜を緊迫した空気が包み込む。

「いやあ、暴力エクソシスト専門のコンサルタント様から直々にご連絡を頂けるとは思ってもみませんでしたぁ~。何でも、よい人材を紹介して下さるそうで?」

 人事の男、腑抜けた声で手もみゴマすり――御殿の華奢な骨格、くびれた腰、ふくよかな胸、はちきれんばかりのブラウス。その生地の向こう側へ、鼻の下を伸ばしながら視線を向けてくる。

「はじめまして。わたくし咲羅真さくらまと申します。弊社には多くの暴力祈祷師が在籍しております。きっとレプラ様に素晴らしい人材をご紹介できると思います」

 キリッ。凛々しい顔の御殿が、伊達メガネをクイッと上げる。続けて小難しい話を始めた。

「弊社といたしましても、御社と提携を結んだほうが効率がよいと判断し、アポを取らせていただきました。36サンロク協定につきましても――」
 御殿にっこり。営業スマイルも忘れない。隣に狐姫がいたらとっくに吐いている。

 36協定とは、労働基準法36条に基づく労使協定。それらによって従業員の立場が法的に守られている。つまり「ブラック企業ファッキン☆」ということ。あれれ~おかしいぞ~、守ってる企業少なくない~?

 人事が歓喜する。
「いやいや、お若いのにさすがです! ……で、そちらの小学生の子は? お嬢ちゃん、会社見学かな?」

 人事に視線を向けられた想夜。ちょっとショックなこと言われた気もするが、ここはスルーで営業スマイル。背筋を伸ばしてご挨拶。

「え、営業3課の雪車町そりまちでござりまする。今年入社しました新人でございまする。オンシャはヘイシャとよりよい関係でありたいと思っておりまして、サンロクキョーテーを目指して日々、こ、昆布ライス、あんず……?」
「コンプライアンス」
 御殿の助け舟。

 コンプライアンスとは企業が法律・規則などを守ること。入社するとコンプライアンステストを受けさせられ、守秘義務などの心構えをチェックされる。できるまで再テスト(笑)。

「日々、コココ、コンプライアンスにはげんでおります。これ、名刺でござりまする」
 まだ中学生でござりまする。難しい言葉はチンプンカンプン。ぎこちなく名刺を渡すも、勢いあまって相手の首にグサリと攻撃してしまう。

「ぎゃあー!」
「し、失礼つかまつりました!」
 と、雑巾で男の首を拭こうとするJC。
「だ、大丈夫です。お気になさらず」
 人事は想夜を制止し、近づかせたりはしなかった。過剰なまでにタオルで首の出血を隠した。
 第一印象は最悪だ。

「んんんっ」
 御殿がかるい咳払いをしてその場を取り繕う。その後、一気に御託をならべまくった。
「弊社の従業員は宝。常に人権を尊重いたします。獣人にしてもそう。獣人だからといって無理な調査はさせませんし、薄暗い場所での作業を強いるマネなんて絶ぇ~っ対にさせません。ほほほ……」

『うわっ、きめぇ。御殿のヤツよく言うぜ。クソでかブーメラン投げてんじゃねえよ』

 人事がキョロキョロと上を向く。
「おや? 天井から女の子の声が……気のせいかな?」
 冷汗まみれの御殿が、ふたたび取りつくろった。
「そそそ、それにしても素晴らしい会社ですね。さぞや社員の皆様も生き生きしていらっしゃるのでしょう?」

 御殿はおねだりするように前かがみになり、男に甘く囁いた。

「いやあ、そこまで言われてしまうと参ってしまいますねえ。 ……よろしければ社内を案内しますよ」
 鼻の下を伸ばす人事。お色気作戦大成功。


 人事にフロアを案内される御殿と想夜。

 御殿は人事に対して恥ずかしそうに上目づかいを作った。
「すみません、ちょっとお手洗いに」
「それでしたら入り口を出てすぐ右に――」
「ありがとうございます。行くわよ想夜」
「え? あたしさっきトイレに行ったばかり……ぶへ!?」
 御殿のボディブローが想夜の腹をとらえた!
「ぐ、ぐおお……」
 くの字に折れたリボンの妖精がその場にうずくまった。今にも口から直腸を吐き出しそうなほどに嗚咽を上げ、悶え、苦しみ、のたうち回る。
「まあ大変、雪車町さん大丈夫? 早くトイレに行かないとっ」
 棒読みよろしく、御殿は愛想を振りまきながら、唸る想夜をつれてオフィスを離れた。


 隣のオフィスに侵入した御殿が瞬時に状況を把握。
(この部屋は人が少ないわね)
 居眠り社員のデスクに放置されたICチップ搭載の社員証に目をつけた。
(あれ使うか)
 社員が目覚めぬよう、忍び足で近づく御殿。時折、社員が目を覚ましそうになるも、ファイルで自分の手を隠しながら社員証を盗み出すことに成功。白目を向いた想夜をかついで歩き、そそくさとフロアを退出した。


 御殿はエレベーター前まで移動すると想夜をおろし、パネルに社員証を当ててロックを解除した。
「ご、ごどのゼンバイ……、酷すぎでずっ」
 想夜が腹をさすりながら、涙ちょちょぎれるほど痛がっている。
「大丈夫。みぞおちは外しておいたから」
「しっかりみぞおちに決まってましたっ」
 光速のボディブローで、胃袋がグニャリと変形した感覚がよみがえる。

 もたもたしていられない。ふたりは素早くエレベーターに潜り込んで上階へと移動する。

 密閉されたエレベーターの中に緊張が漂う。
「狐姫ちゃん、ついて来てますか?」
「ええ。今ダストを伝って登ってきてる……ついたわ。急ぎましょう」

 扉が開き、エレベーターを降りたふたり。そのまま一直線に社長室を目指す。
 社員証を使って二重構造のセキュリティドアを抜け、ズカズカと前進してゆく。


 レプラ 社長室――。

 部屋の奥。金盛が中央に設置されたデスクにふんぞり返り、骨董品の壺を大事そうに抱えている。
「絵画も壺もワシのもの~♪ 人間界もワシのものぉ~♪ グェヘヘヘ……」

 タラコのように分厚いくちびるからヨダレを垂れ流してニヤつく。そうやって終始、壺をキュッキュと布で磨き続ける。

 そこで扉が開き、ワイズナーを手にした想夜が乱入してきた。
「見つけたわ!」
「あん?」

 金盛は慌てる素振りどころか、余裕の表情で睨み返してくる。想夜を一瞥するなり、吐き捨てるように言葉を投げてきた。

「その武器はワイズナーだな? つまりフェアリーフォースがここを嗅ぎつけたってことか。ってことは、テメェひとりじゃなさそうだな」
 想夜を睨みつけ、ゆっくりとデスクの上に壺を置く。
「もうすぐここにフェアリーフォースが駆け付ける。おとなしくお縄につきなさい!」

 想夜に言われた金盛は、小バカにした態度でキョロキョロとあたりを見回した。

「え、どこどこどこぉ? フェアリーフォースの軍隊はどこぉ~? ……って、メスガキひとりしかいねーじゃねえか! 税金ドロボーのクセしてエラそうにしてんじゃねえぞ、貧乳まな板ナイチチクソチビが! ゲヘヘヘェ~」
 ノリ突っ込みさながら、小さな軍人をおちょくってくる。
「もう! そっちだってお腹出すぎのスーツパンパンでしょ!」
「ああん? 聞こえんなあ~?」
 金盛がナンのように分厚い耳を傾けてくる。

 そこで天井から狐姫が降ってきた。拳を突き出し、やる気満々。
「おっしゃあ! 待ってたぜェ!! この”瞬間とき”をよぉ!! 呼ばれて飛び出て狐姫ちゃん登場……って、ありゃ? 御殿は?」

 ケモ耳立てながらキョロキョロとあたりを見回していると、上空から黒装束が降ってきて綺麗に着地する。腰のホルダーにボニー&クライドと空泉地星くうせんちせいも装備済み。

「お待たせ」
「御殿、どこいってたのん?」
「着替えてた」
「あ、そ」
 伊達メガネとリクルートスーツで戦えるほど器用ではない。
 狐姫はおろした拳をふたたび金盛に突き出した。
「おい金盛とか言ったな! ルーシーに何をした!」

 狐姫が声を張り上げると金盛が一歩二歩と後ずさる。

「チッ、暴力エクソシストも一緒だったか」
「ルーシーにヘタクソな合成写真を見せて、俺と御殿が神城博士を誘拐したというガセを吹き込んだな?」
「ふん、やはり獅子では役に立たんか」
「ルーシーがそんなに頭わりぃワケねえだろ。おまえと一緒にすんなボケ。どうせ神城博士の居場所も分からないんだろ?」

 狐姫の挑発に、金盛はニヤリとくちびるを歪めた。

「ぬかせ女狐。神城の身柄はちゃあんと抑えておるわい。なぁに、ちっとばかし捕らえるのに時間がかかっているだけさ。すぐに見つけ出すさ」

 それを聞いた想夜が御殿に耳打ちをする。

「御殿センパイ、『博士を捕らえているのに見つからない』って、どういう意味ですか?」
「わからない。けど神城博士を好きにはできない状況のようね」

 御殿は瞬時に銃を引き抜き、金盛に銃口を向けた。
 レーザーポインターが金盛の額を赤く照らす。

「あなた、暴力エクソシスト同士をぶつけ合って相殺させているそうね。なにを企んでいるの?」
「おうおう、そこまで調べ上げてたか、でっけえ乳ぶら下げやがって乳牛かっつーの! さすが漆黒の天女、咲羅真御殿。いや、八卦NO.01ナンバーゼロイチ。『沢を司る八卦』だったかな? ん? んん~?」

 油まみれの巨顔が御殿の顔色をうかがってくる。企業同士の情報交換が活発となってる今日こんにち、その気になれば大金を積んで個人情報を得ることも可能だ。ましてやレプラは派遣会社。有力な人材の個人情報を取得するのはお手のもの。

 トリガーに力を入れる御殿。
「そこまで分かっているなら話は早い。ここで赤霧のことをすべて話してもらうわ」
 それでも金盛は終始余裕の笑みを浮かべる。
「ワシがなんの手も打たずにテメェらを招き入れたとでも思っとんのか? 後ろを見てみい」

 御殿が警戒しながら振り向くと、そこには人事の男が立っていた。目玉をむき出し、今にも吐きそうな表情で睨み返してくる。その後すぐ、くるりと一回転。するとスーツが裂け、全身の皮膚が剥がれ落ち、下から真っ黒な組織があらわれた。巨大なコウモリの姿をした暴魔の登場である。

「ギャアアウ!」
 鉤爪を立て、牙をむき出しにして威嚇してくる。

「やはりレプラにも暴魔が潜んでいたわけか」
 御殿は空いた左手でもう1丁の銃を引き抜き、暴魔に銃口を向けた。
 ――が、暴魔は奇声をあげると銃を素早く払い落としに出た。

「思ったより素早い」
 左手の銃を払われた御殿は、金盛に向けた銃を瞬時に暴魔に向けて応戦した。それでも暴魔のほうが各段にスピードが上だ。あっという間にボニー&クライドを払い落とされてしまった。

「しまった!」
 床をすべりゆく銃を目で追う御殿。その背後から暴魔が飛びかかる!
 御殿と暴魔がソファをなぎ倒し、ゴロゴロと転がりながら取っ組み合いをはじめる!
 暴魔は御殿からマウントを奪うと、その襟を両手でつかんで一気に力を入れた!

 ビリリリ!
 ぽよよん。

 ブラウスが引き裂かれ、その下からブラに濃縮された乳が上下左右ワガママ放題暴れては、文句なしの大きさを主張する。

「思った通りだ、でっけえ乳ぶら下げやがって。むしゃぶりつきたくなるなあ、おい」

 面談の時から鼻の下を伸ばしていたが、これがお目当てだったらしい。抵抗する御殿の両手を押さえつけ、野獣のようにブラを食いちぎろうとする。

「いい声で鳴けよ、エクソシストぉ」

 暴魔がヨダレをぬぐう。続けて世紀末アニメに出てくるヒャッハー的な奇声を発した瞬間、横から灼熱パンチが飛んで来た。

「いい声で泣けやクソボケカスがあああああーーーー!!」

 狐姫が暴魔の横っ面にパンチを叩き込んで吹き飛ばす!

 ドッ!

 黒い皮膚に拳がめり込み、暴魔の首がおかしな方向に捻じ曲がる!
「ウギャアアアアア!」
 名刺アタックで受けた切り傷に響いたらしく、悲鳴を上げながら壁に飛んでゆく暴魔。それを待っていた想夜が、大きく振りかぶったワイズナーで打ち返す!
「どっこいそおやあああ!」

 カキーン!

「ウワアアアアン!」
 かっ飛ばされた暴魔が窓ガラスを割り、遠くの空へと消えていった。

「ふう、間一髪だったわ」
 想夜が汗をぬぐい、飛んでいった暴魔を見つめていた。
 狐姫は拳をブラブラさせながら、御殿に手を差し伸べた。
「大丈夫か御殿」
「ありがとう狐姫、助かったわ。なんで怒ってるの?」
「知るか! はやく胸しまえ!」
 くわっ。狐姫が声を荒げた。
 キョトンとする御殿が、今度は不満げな表情の想夜を見る。
「なんで想夜も怒ってるの?」
「知りません! はやく胸しまったらどうですか?」
 想夜もプイッとそっぽを向く。
「?」
 御殿は煮え切らない感じで千切られたブラウスで胸を隠した。
 女子2名から思わぬ八つ当たりを受けたのは暴魔だった。

「さて――」
 3人が金盛に詰めよる。
「全部吐いてもらうぜ」
 狐姫がボキボキと指を鳴らして前へ出る。
「ぐ、ぐぬぬ……」
 金盛は苦し紛れに後退をはじめ、冷や汗をかきながら指をさしてきた。

「ワ、ワシを愚弄するとはいい度胸だ。充分な赤霧を用意するには血が不十分だが……、まあよい。今からテメェらの地獄を用意してやる! ……あ! あれはなんだ!?」
 金盛が入口あたりを指さし、驚いて見せる。
「はははっ、どうせ俺たちが目ぇ逸らした隙に逃げるんだろ?」
 狐姫がヘラヘラ笑いながら、金盛の指さす方を振り向いた。とうぜん視線の先には何もなく、金盛に視線を戻す。
「ほらな、やっぱなんもねーじゃん……て、ホントに逃げやがった!」
 目の前に金盛の姿がない。脇を見ると、脂肪の塊が汗だくになりながら壁画に向かって走ってゆくではないか。
「御殿センパイ! 絵画の方に逃げていきます!」
 想夜が叫んだ直後、御殿が連続発砲!

 バンバンバンバン!

 無数の弾丸がキャビネットに突き刺さり、落下した薬莢が床で跳ね返って落下音が響いた。
 それよりもひと足早く、壺を抱えた金盛が背を向けて絵画の中へと飛び込んで消えた。
 絵画はタールのように金盛を飲み込み、波紋を作り上げては元の形状に戻っていった。

「待ちやがれこの野郎!」
 狐姫が追いかけようとする矢先、絵画の額縁が勢いよく閉まる。恐竜の口のように牙を立てて威嚇してきたのだ。
「をわっ、あぶねえ!」
 絵画の前で尻餅をつく狐姫が汗を拭う。
「あ、あやうく体が真っ二つになるところだったぜ……」

 御殿が絵画の前に立ち、状況をうかがう。
「絵画の中に逃げ込んだ!?」
「不気味な絵ですね。灼熱地獄みたい」
 訝しげな顔で絵画をのぞきこもうとした時、異変に気づく。部屋中の空気が絵画に吸い取られて、それに合わせるように3人が前へ前へと引き寄せられてゆく。

「おい、俺たち絵画に吸われてね?」
「ふたりとも何かにつかまって! この絵画、生きている!」

 御殿は絵画から距離をとり、腰に装備した空泉地星に手をかける。多段式の木刀を伸ばすと、矛先を床に突き立て固定。長い黒髪が突風になびいて真横に揺れる!

 想夜は床に突っ伏したままデスクの足につかまり、狐姫は想夜の足につかまった。

 まるで深呼吸をするかのように息を吸い込む絵画。
 ワンテンポおき、今度は一気に息を吐き出してきた!

 グワアアアアアア!

 雄叫びがビルから漏れ出し、町中へと響きわたる。瞬間、社長室の窓ガラスが端から1枚ずつ砕け散り、建物内から外へと赤霧が充満してゆく!

「やべぇぜ、絵画が赤霧を吐き出してきやがった!」
「発生源はこの部屋だったんですね!」
「厄介なことになったわね。ビルから脱出しましょう!」
「くそう、赤霧は絵画の息だったのかよー。逃げるぜ!」

 狐姫が叫びながら後退し、割れた窓から外へと飛び出す!
 それを追うように、想夜と御殿も窓から飛び出した!

 直後、レプラのビルから人間大のコウモリたちが窓を突き破り、ウジャウジャと涌き出してくる。皆、人間に化けていたレプラの社員たち。その正体は人々を奴隷として扱う暴魔。生き血をすすり、肥しを得る者たち。

 3人は地面に散乱したガラス片の上に着地すると、流船るふなの町を見て目を疑った。
 
「町が……、流船が……」

 愕然とする想夜の視線に、真っ赤に染まった光景が広がる。
 変わり果てた流船。赤と黒で覆いつくされた世界は、まるで魔界のような不気味さを主張していた。
 ビルも、車も。すべてが灼熱にさらされ、そこに突風が吹き始めた。

「流船が……、完全に赤霧に飲み込まれてしまった」

 茫然と立ち尽くす3人。そうやって無言のまま、目の前の光景を受け入れることしかできないでいた。


 聖色市せいろんし 上空。

 フェアリーフォースから指令を受けた京極麗蘭きょうごく れいらは部下の小動継紗こゆるぎ つかさ高瀬梨飴乃たかせ りいのを引き連れ、人間界へとやってきた。
「総員速度を上げろ! 急げ、もたもたするな! 後から来る援軍にケツの穴を見られたくなければ速度を上げて犯人逮捕に務めろ!」
「イエスマム!」
「イエスマムなの♪」

 麗蘭に下された指令とは、妖精界から逃亡した金盛の身柄拘束と盗まれた骨董品の押収である。
 緊急事態ということもあり、金盛のスピード逮捕を狙うフェアリーフォースは、京極チームを人間界に向かわせたのだ。

「京極隊長。暴力エクソシストをエサにする絵画なんて本当に実在するんですか? ウチ、にわかに信じられませんよっ」
 継紗が先頭を飛行する麗蘭に問いかける。
「ああ、私も信じられん。暴力エクソシストほどの強靭な連中を片っ端から丸のみできる暴魔がいるだなんて。しかもその血で作り上げた赤霧を用い、世界を魔界に返ることができる暴魔か。 ……脅威としか思えん」
 ため息まじりの麗蘭。脳裏に御殿の姿が浮かび上がり、首を傾げた。
「オマケにその赤霧を吸収できる壺があるなんて、リーノびっくりぃの♪」
 京極チームに所属してから日が浅いリーノ。最愛の両親と再会してからは本当の笑顔を取り戻しつつある。モチベーションは万全だ。

 世界を魔界に変える赤霧。
 それを打ち消し、もとの平和な町に戻せる壺。

 そんなおいしい組み合わせを所有した妖精が人間界に逃亡し、身を潜めている。
 それが妖精レプラコーン、金盛だ。

 レプラ・スタッフサービスに向かう途中、麗蘭は地上を見渡しながら速度を落とす。
「これは……!?」
 視界に飛び込んできた光景を疑った。ひとつの町が赤黒く染まっていたのだ。
「なんということだ……」

 右手を上げ、後ろを飛行するふたりに停止をうながす。

「どうしたんですか、京極隊長」
 継紗とリーノが急ブレーキをかけ、麗蘭の横についた。
「あれを見てみろ」
「え?」

 麗蘭にうながされ、ふたりが流船駅周辺を見つめる。

「町が……!」
「真っ赤なの!」

 麗蘭がヘッドセットに叫ぶ。

「こちら京極チーム。フェアリーフォース指令室、応答せよ」
『こちらフェアリーフォース指令室』
 すぐに返信がきた。
「現在、聖色市上空を飛行中。流船駅周辺で赤霧を確認。援軍はまだか!?」
『別チームが応援に向かっている。到着まで1時間かかります』
「遅い! ケツでも蹴り上げて急がせろ! はやくしないと金盛が逃げてしまうぞ!」
『やっている! 何とか持ちこたえて下さい!』

 慌てる麗蘭。
 迅速対応を務めるフェアリーフォース。
 どちらも精一杯。

 麗蘭が他のふたりに声をかける。
「雪車町と連絡が取れた者は?」
「ダメです、通信が死んでます」
 継紗が水晶端末をかかげてお手上げ状態。
「こっちもダメなの! 想夜ちゃん音信不通なの!」
 リーノも同じく水晶端末をかかげて泣きっ面。

 部下の安否を気づかい、息をのむ麗蘭。
「たのむ雪車町、応答してくれ――」
 赤霧に覆われた町の上空。3人はゆっくりと円を描きながら、侵入を試みていた。


 流船駅前――。

 あちらこちらで暴動が始まった。
 その上空を巨大なコウモリの暴魔が無数に漂っている。

 ナナメに停車した自動車の列が、ジグザグ状に道路を占拠している。
 運転席から飛び出すドライバーたちが憤怒し、あたりかまわず罵声を張り上げていた。

「おい早くどけ!」
「うるせえぞ、ブッ殺されてえのか!」

 相手を思いやる心のない世界。自分のことしか考えず、イラつきと怒りを抱く者たちが増殖しはじめる。

 想夜が通行人の中に割って入った。
「おちついて下さい! これは赤霧のせいなんです、ケンカはやめてください!」
「うるせえ、ガキはすっこんでろ!」
「きゃあ!」
 割り込んで制止したものの、怒り任せの行動をとる人々に思い切り突き飛ばされてしまった。

 想夜は膝をすりむきながらも立ち上がった。
「そんな……、どうしてこんなことに」
 怒れる人々を目の当たりにして、ただ半ベソをかきながら困惑するしかなかった。

 狐姫はずっと、レプラのビルを見つめていた。
(ルーシー、おまえどこにいるんだよ……)
 今にも恋音がビルの中から出てきてくれる。そんな期待を胸に秘めたまま、じわじわと赤霧に飲み込まれてゆく。

 赤霧が流船を支配してゆく。
 赤霧が世界を黒く染め上げる――。


 それから12時間後、赤霧は流船から姿を消した。

 ――否、姿を消したのではない。赤霧は人々の呼吸の分だけ薄れ、肺の中へと住居を移したに過ぎなかったのだ。

 恋音の居場所も分からず、金盛が攻撃を仕掛けてくる気配もない。
 だが、絵画から溢れ出した赤霧はウイルスのように人々に感染しはじめ、瞬く間に関東の一角を地獄に変えていった。

 御殿たちが金盛のもとに乗り込まなければ、さらに被害は拡大していた。赤霧計画が不完全だったのが唯一の救いでもある。
 とはいえ、今の状況は御殿たちに不利をもたらす。地域の一部が混乱してインフラが麻痺しはじめたのだ。これでは思うように行動ができない。

 絵画から漏れ出した赤霧が作り出す魔界。
 日本中、怒りに満ちた世界が広がろうとしていた――。


 次回へつづく――。