3 レプラ・スタッフサービス
ほわいとはうす
端末を手にした御殿が沢木と会話をしている。
先日、沢木から得た情報をもとに、とある派遣会社の下調べを終えたばかりだ。
『
「ええ。先ほど専門業者から受け取りました。急ぎだったので助かりました。ありがとうございます」
沢木の
『なあに、お安い御用よ。けど30分以内に手配しろってのは少々驚いたぜ。おまえも頑張るよなあ。それ自腹だろ? 経費で落とさないのか?』
「ええ。銃器類はほぼ自腹です」
仕事を有利に進めるためには身銭を切った方がいい。稼いだ金の一部を犠牲にし、今後の進行を有利に導くのだ。それらを繰り返すことでスキルが身につくこともあるし、転職に役立たせる者もいる。御殿は戦闘に時間をかけたくない。悪魔退治と事件解決を素早くおこなうスタイルだ。
沢木が話を切り替える。
『――この前話した派遣会社の調査が終わったんだって?』
「ええ。沢木さんが仰っていたように、表向きは人材派遣会社でした」
『へえ……で? 他に情報がつかめたから電話してきたんだろ?』
「ええ――」
御殿はベッドに腰かけると、髪をゆっくりとかきあげた。
「株式会社レプラ・スタッフサービス。警備員専門の派遣会社。従業員は約100名、あまり大きな会社でもないけれど、最近になって勢力を拡大化してエクソシストを集め始めている。暴力エクソシストに育て上げるのが狙いみたいね」
『まあなあ、
受話器の向こうで沢木が苦笑する。
『それで?』
「エクソシストの募集をかけるのはいいけれど、そのやり口に疑問がありまして」
『ほお、札束で頬っぺたでも叩いてくるのか? 俺だったらヨダレ流して飛びつくね。ワンワン!』
御殿の性格上、沢木のジョークには付き合わないことにしている。
レプラに所属しているエクソシスト数名に前職を聞いてみたものの、みな言葉を濁した。
やっとのことで仕入れた情報によれば、レプラのエクソシストは以前勤めていた会社とのトラブル後に転職している。
「強引なヘッドハンティングの後、エクソシストたちは元の会社とのトラブルに巻き込まれている」
『ヘッドハンティングにしては妙だな。ひょっとしてあれか? 会社と不仲にさせてエクソシストを追い込み、それを拾ってやるってやつ? 職に困らせたあげくの兵糧攻めか? レプラもエグいこと考えるねえ~』
「ええ、恐らくは弱みに付け込んでの雇用でしょう。所属しているエクソシストたちは問題を起こすような人物ではなかった。うちで欲しいくらいよ」
『おいおい、おまえんとこも人手不足かよ。いい奴いたらこっちにまわせ。紹介料はずむぜ? ……2千円』
安っ。
「紹介料はいりません。いい人材はこっちで確保します」
キッパリと言い切る御殿。人材の奪い合いになると、どこも必死すぎる。
「なんにせよ、レプラが暴力祈祷師にご熱心なのは事実のようね」
『つまりなんだ? エクソシストの争奪戦が始まってるってことか。なんでまたそんな事態に? 給料がいいのか?』
御殿の調査だと、レプラに所属しているエクソシストの給料はスズメの涙ほどだ。だとすれば、給料以外の事情が浮上する。
「暴力祈祷師の敵は暴魔。けれども、
『ひょっとして祈祷師同士を相殺させるのが目的か?』
「矛に矛をぶつける戦法? 人材の使い捨てね」
「まさか
「それを調査中よ。暴力祈祷師はいくらいても困らないと思うのだけれど、レプラが何かを企んでいるのは決定的ね」
端末の向こうでジッポをはじく金属音。それから深く息を吐き出す沢木。
『――で、おまえはどこまで踏み込む気でいる?』
「恐らく放っておいてもレプラはわたしたちの前に現れる」
『だったら、こちらから出向いてやる――そういうことだな?』
「ええ」
一呼吸した後、沢木が御殿に問う。
『――で、CEOはどんな奴だ?』
「
『叩けば小銭が出てくるってね。おし決まりだ。咲羅真、おまえはレプラの調査を続けろ。結果はコミュニティに報告だ』
受話器の向こうで沢木がジッポを弾いた。
株式会社レプラ・スタッフサービス
聖色市から2駅離れた場所にその会社はあった。
高層ビルの一室。広い社長室の奥、机に脂肪がふんぞり返っている。
机から離れた壁一面に本棚とキャビネット。開けた窓からは街並みが見渡せる。
オフィスには観葉植物の1つでもあるはずなのに、この会社にはそれがない。とても殺風景。
部屋には金盛と若い獣人のエクソシスト。
そこに怒号が響いた。
「バカヤロウ! 他社に先を越されただあ? てめえ、それで済むと思ってんのか!?」
投げつけられた書類の束がエクソシストの額に命中して散乱する。
書類を投げつけたのは会社のCEO・金盛。身長は低く、全体的に脂肪で垂れ下がった体系。唇はタラコのように分厚く、葉巻をもてあそぶ指には無数の指輪。それらがフランクフルトのように太い指を装飾している。頭頂部には申し訳ないていどの髪がポツンと乗っかっている。
「てめえみたいな獣人のヘタレ祈祷師を雇ってくれる会社がここ以外のどこがあるってんだよ!」
挙動のたびに脂肪でスーツがはち切れそうだ。
「憑依されたガキなんざ、さっさとブチ殺して帰ってこいよ、このマヌケ!」
「だ、だけど被害者は一般人です。家族だっています」
獣人が精一杯の反論をすると金盛が歩み寄ってきた。
「なんだてめえ、誰に口聞いてんだ? ははあん、さては金か? 金が欲しいのか? 金ならちゃんと払ってるだろうが、ああん?」
身長のわりに巨大な顔をこれでもかと言わんばかりに近づけてきては、酷い口臭をただよわせた。
「だけどそれは契約と違います。明らかに契約違反で――」
ドン!
金盛が思い切り拳を振り上げて机を殴りつけた。
大きな音でビクンと肩を震わせて閉口する獣人。
「バカか! 日本にはサービス精神ってのがあんだよ! もらってる金の何倍も働かなきゃいけねえ法律があるんだ!」
無論そんな法律はない。が、反論しようものなら怒鳴り声をあげて相手を黙らせるスタイル。
「文句があるなら辞めてもいいんだぞ? ああん?」
たっぷりと脂肪のついた顔を近づけ、下から舐めるように見上げてくる。
生暖かい息がかかるたび、獣人は鼻を曲げていた。
そこに若い修道女が入室してきた。
「
脂肪の塊は
「おう、頑張ってるみたいじゃねえか、えーと……名前なんつったっけ?」
「獅子です」
「そうそう獅子! ……あん? なんだおまえ、そんな所に突っ立ってねえでさっさと仕事取ってこい!」
金盛は脇に立つ獣人に視線を合わせることなく、足蹴にして退室させる。
背中を見せて出て行く獣人はエクソシスト。頭に「暴力」がついているかいないかで戦闘力に大きな差が出るのだ。
金盛と獣人が話していた内容から察するに、先日の団地の一件だとわかった。
団地にレプラのエクソシストが出向いたと聞き、恋音も応援に駆けつけたわけだが、他社の暴力
その暴力祈祷師が狐姫の相方であることは知っている。
(暴力祈祷師と一般の祈祷師。力の差は歴然だよな)
そう思う恋音だが、金盛のエクソシストに対する態度には軽蔑を覚える。
眉を尖らせる恋音に気づいた金盛が、静かな口調で諭してきた。
「そんなおっかねえ顔すんなよ。前の雇用主を探してるんだろう? おまえも気の毒だったよなあ、いきなり失踪しちまうんだからよお。でも、ちゃあ~んと調べてるから安心しろ。なに、ちょお~っとばかり給料が低いのは、調査料で天引きしてるからだ。他の興信所になんか依頼してみろ。おまえは体を売って金を作らなければならない。それを考えれば、この会社ほど素晴らしい企業はない。だろう?」
労働基準法第24条――給料は全額を支払わなければならない。きほん、税金・社会保険料といったもの以外は、給料からの天引きは認められていない。バイト中に皿を割ったからといって、給料から弁償金を天引きするのは違法行為である。
恋音だってそんなことは知っている。
「お金の問題ではない。小生は元の
恋音は転職して間もない。以前の雇用主は突如、消息を絶っている。「人探しに協力できるだけの情報を持っている」という金盛の声を信じ、しぶしぶレプラに入社することとなった。しかし捜査に進展がなく、途方に暮れているところである。
協力の姿勢を見せる以上、ないがしろにはできない。一刻も早く、前の雇用主とその家族を探し出したい。それだけが願いだった。
話は
「――社長、赤霧のことでお話が」
「あん?」
金盛が恋音を睨み返してくる。
恋音には赤霧に心当たりがあった。
この世には生贄を捧げることで赤い霧を発生させる儀式が存在する。儀式といえば響きはよいが、呪術にように禍々しいものでもある。黒魔術の派生といえばよいだろう。赤霧は言わば、怨念の領域だ。取り込んだものの心に寄生し、悪しき感情を生み出す作用がある。
せんじつ恋音は、金盛が赤霧について話しているところを小耳にはさんでいた。かといって、それを率直に聞くのも角が立つ。正直に答えてくれるとも思えない。それらの事情から、言葉を濁しながら質問をぶつけた。
「実は赤霧が業務進行に支障をきたしておりまして……、何か対策はないでしょうか?」
「赤霧? 赤霧かあ……」
金盛は天上を仰ぐように見つめた後、しれっとした態度で答えた。
「ワシも赤霧には困っているんだ。他のやつに何とかさせよう」
恋音は肩をすくめた。のれんに腕押し。何を聞いても得られるものがないと理解はしていた。
「……そうですか。よろしくお願いします」
「おお、まかせておけ」
金盛は部屋を出てゆく恋音の背中を指さし、恫喝まがいに声を張り上げる。
「おい、おまえはしっかりやれよ。分かってるな?」
恋音は無言のまま軽く会釈して部屋を後にした。
ひとり部屋に残った金盛は、窓の外に広がる街を見ていた。
「チッ、あのメスガキ、感づいてやがる」
ライターをもてあそびながら広い壁を睨みつけて呟く。
「暴力祈祷師は感が鋭くてイラつくな」
葉巻から吸い上げた煙を乱暴に吹き出した。
「気づかぬふりをしていれば長生きできるってものを……」
金盛の瞳の奥、流船の街並みが赤黒く染まる未来が描かれていた。
「あのガキも血祭りにするか――」
想夜の心配
御殿が寝室から出てくるやいなや、想夜がすがるように聞いてくる。
「御殿センパイ、
「ええ、ちょっと邪気にやられたみたいね」
ベソをかく想夜の頭に手を添える。
「安心なさい、水角は強い子よ。疲れが取れれば症状は治まるから。けれど今は睡眠が必要ね」
御殿は水角をベッドに残すと、想夜とともに部屋を出る。
リビングでは
「弟さんの様態はどう?」
出された紅茶も喉を通らない様子。
御殿は瞳栖の向かいの席に腰を下ろした。
「大丈夫。ただ2~3日は戦える状態ではないわね」
「そう」
少しほっとしたのか、瞳栖はゆっくりとカップに口をつけた。
「それより瞳栖さん、はやく傷の手当てを――」
ただでさえ傷だらけの体だったが、さらに太い線が二の腕につけられていた。負傷しているいうのに水角のことを優先させる、見かけによらずタフな女である。
「いったい何があったんです?」
「ああ、これ? ちょっと朱鷺さんと揉めまして」
御殿の問いに対しておちゃらけた感じで話すが、聞いてるほうは全然笑えない。純白の衣服にベットリと鮮血がこびりついているのを見れば、誰しもドン引きである。
「そこに横になってください」
救急箱を手にした御殿が病人をソファにうながす。
「あ、あたしも手伝います!」
想夜も包帯に手を伸ばした。
治療を終えた瞳栖が口をひらく。
「朱鷺さんも赤霧にやられたみたいなの――」
傷だらけの瞳栖が御殿のもとに現れたのが3時間前。
赤霧から脱出した瞳栖だったが、とつぜん背後からの襲撃を受けてしまう。
振り向くと、そこには死んだ目をした朱鷺の姿があった。
何が起こったのか分からぬまま、説得も虚しく、暴れる朱鷺と一戦を交えた。
「――私は戦闘訓練を受けていない。八卦のなかでも一番戦闘に適していない。だから次元の中に彼を閉じ込めるのが精一杯だった」
正気を失った朱鷺を次元の狭間に閉じ込めると、その足で御殿のもとへと急いだ。
ディメンション・エクスプローラーは手を伸ばせば届く場所にある。次元の狭間とは、すぐ目の前にある存在だ。悠長にしていれば、すぐにでも朱鷺が飛び出してくるかもしれない。平穏という時間は限られている。
「こんな時、
瞳栖は両手で自分の肩をそっと抱いた。誰だって心細くなる時がある。自分が抱きしめてあげられなくて、誰が抱きしめてくれるというのか。いつだって自分の味方でありたいものだ。
「大切な人が違う世界にいるということは、こんなにも切ないものなのね」
そのときの瞳栖は傷ついた鳥のように、とても弱々しい姿だった。
悪いことは重なるもの。瞳栖が現れたすぐ後、今度は想夜から緊急の連絡を受けた。なんでも水角の様子がおかしいらしい。
想夜から諸々の事情を聞いた御殿は、水角を見つけ出すと、嫌がる身柄を強引に確保し連れて帰る。まさか可愛い弟にボディーブローを入れるハメになろうとは思ってもみなかった。
「――瞳栖さん、赤霧のことを詳しく聞かせてもらえるかしら?」
御殿の顔がこわばる。せんじつ憑依された少女、朱鷺、水角――今はゆっくり腰をおろしてはいられない状況下にある。されど、焦りは禁物。まずは戦略を立てなければならない。
瞳栖から赤霧の中の光景を聞き出した御殿と想夜は息を呑んだ。
「赤霧の中でそんなことが……」
「ええ、赤霧は魔界のように不気味な場所よ。
「八卦でも、ですか?」
想夜が静かに問う。
「ええ。八卦は万能ではないの。弱点を探ればいくらでも出てくる。弱点を補うために、8つの力が互いを支え合っているのよ。ひとりの力なんて所詮はそんなもの」
一連の流れを想夜から聞いた御殿は、ただならぬ状況を察した。
「赤霧の中に入ったものは無事では済まないわ」
団地の少女を思い出しながら、そう話した。
想夜が不思議そうな顔をつくる。
「御殿センパイも赤霧に心当たりがあるんですか?」
「ええ。実は――」
御殿は団地で起きたことを想夜に話す。憑依された少女も赤霧の中へ入っていたのだ。
瞳栖が眉をよせた。
「普通の女の子でしょう? どうして霧の中に?」
「霧の中に消えてしまった友達を探してるって言ってた。けど見つからなかったみたい。その子の話だと、まるで映画に出て来る地獄のようだったそうよ」
赤霧に感染すると、邪気を抜くまで霧のことを話さなくなる。おまけに人が変わったように自我も保てなくなる。悪魔に憑依されるからだ――御殿と沢木の調査の末、その結論に達していた。
「そ、それじゃあ、水角クンは赤霧を調べるために中に入ったんですか!?」
「そうとしか思えない。あれだけ単独で危険なことはしないでと言っておいたのに……」
部屋の隅を睨みつける御殿。可愛い弟が心配でしかたない。
想夜が思い詰めた表情をつくった。
「どうしよう、あたし水角クンにひどいこと言っちゃった……」
泣きそうになる肩に御殿がそっと手をおく。
「大丈夫よ。水角、少し疲れているだけだから」
「で、でも……」
想夜は胸がしめつけられるような感覚に襲われた。罪悪感で潰れてしまいそうなのだ。
御殿がひとつ提案する。
「これから赤霧を探しにいくけれど、想夜も一緒に来る?」
リボンの妖精が元気になるおまじないは、これしかない。
曇った表情に一筋の光が差し込む。
「も、もちろんです! あたしもご一緒します!」
「OK、急ぎましょう」
御殿の背中を追いかける想夜。
こうしてふたりは赤霧を目指すことにした。
向かう先は流船。念のため、酸素マスクとボンベを2本持ってゆくことにする。
そこへちょうど狐姫が帰宅した。
「ただいまー、俺ちゃん帰宅ー。めしぃ~ふろぉ~ねるぅ~」
傷だらけの瞳栖を見た狐姫が仰天。
「をわっ、なんだよその怪我」
支度を終えた御殿が狐姫の後ろを通り過ぎる。
「おかえりなさい狐姫。ちょうどよかった、瞳栖さんの着替えを手伝ってあげて」
「お、おういいぜ。御殿と想夜は? おでかけちゃん?」
「ええ。赤霧を調べにいく」
「赤霧? マジで? 帰りにアイス買ってきて」
恋音から霧の噂を聞いたばかりで、それほど深刻にはとらえてないらしい。
「自分で買ってきなさい。こっちは忙しいの」
御殿と想夜が足早に玄関に向かう。
「ふーん、まあ頑張れ。瞳栖、俺の部屋使えよ。こっちだぜ」
「ありがとう狐姫さん」
「ゲームやる? この間の新作が超スゲーの」
狐姫と瞳栖が部屋に消えてゆく。
「想夜、わたしたちも急ぎましょう」
「はい」
御殿と想夜が玄関を出ようとした時、部屋から狐姫が飛び出してきた。
「ななな、なんだよアイツ! 変なもんがツイてんぞ!?」
想夜と御殿が目を合わせた後、狐姫に言った。
「「当たり前でしょ? 瞳栖さんハイヤースペックを発動してるんだから」」
「……え? なに? 俺がおかしいのん?」
さも当然のように言われ、常識に取り残された感がハンパない狐姫だった。
地獄とは?
聖色市は関東地方の中でも広いエリアに含まれる。おおよその赤霧出現ポイントは絞り込めるが確実性がない。つまり出現するまでは時間との戦いになる。それゆえ、待ち伏せることにした。
車通りの少ない車道。左右に畑が広がる場所。古びたバス停近くにバイクを停めてベンチに座る。
「しばらくバスは来ないみたいですよ」
「ちょうどいいわ。ここで休憩しましょう」
時刻表に記載されたバスの到着時刻はまだ先だ。
――それから小一時間、御殿と想夜は待ちぼうけを食らっている。
固まった体をほぐす想夜。準備運動のあと、道端に腰を下ろす。
「現れませんね、赤霧」
「発生条件でもあるのかしら? 水角たちがたまたま赤霧に侵入できたとは思えないのだけれど」
偶然も三度続けば必然。
この世に起こることはすべて必然。
言い方は様々だが、赤霧の発生条件はあるはずだ。
考えろ。御殿、考えるんだ――。
想夜は瞳栖がっていた言葉を思い出す。
「魔界ってどんな場所なんでしょうね」
「地獄絵図。水のない灼熱の世界よ」
御殿が当然のように答えた。
「え、御殿センパイ魔界に行ったことあるんですか!?」
びっくり仰天。想夜が目を丸くする。
「いちおうエクソシストだから。足を踏み入れたことくらいはあるわ」
「あ、当たり前のように言わないでくださいっ。普通の人は行かないですよっ」
想夜の血の気が引いている。
数々の事件において危険な場所を歩いてきた御殿。彼女がアンダーグラウンドで名をはせているのは不思議ではない。信頼される者は場数を踏んでいる。
「灼熱の世界ってどんなところなんですか? 針の山とか血の池とかあるんですか?」
想夜、怖いもの見たさ聞きたさで質問する。
「熱風が吹き荒れる真っ赤な世界。世界中に赤黒いペンキをぶちまけたような場所。血生臭く、硫黄の匂いが充満している。それから――」
「やややっ、やっぱりいいです。聞かないですっ」
尻ごみする想夜。耳を塞いでペタンと座り込んでしまった。今日はひとりでトイレにいけなさそう。
「魔界も地獄も似たようなもの。人間の世界だって似たような場所かもね。地獄はこの世のいたるところにある。人の心の中でも生まれる。しいて言うなら、地獄とは場所ではなく、生き物みたいなものね。ある時そこに生まれ、血なまぐさい暗黒を築く。人間同士の争いは地獄を生み出す引き金になるわね」
「地獄は堕ちるものではなく作られるもの?」
と、想夜が言った。
「ええ。だから生きてる間、地獄のような日々を繰り返す者だっている。日常の中で、天国と地獄は隣り合わせというわけね」
晴湘市の事件以来、御殿の心は地獄そのものだった。生きた心地がしなかった。
数年の時間が経過しても、御殿は天と地を行ったり来たりしている。
雑談しているふたりから少し離れた交差点で、ドライバー同士のいざこざが始まった。
「どこ見てんだアホ!」
「そっちこそちゃんと運転しろボケ!」
「うるせえ、ブチ殺すぞ!」
道を譲る譲らないの怒鳴り合いの末、双方クラクションに怒りを叩きつけて去っていった。
「……」
想夜が御殿の後ろに隠れた。大声を張り上げる成人男性に怯えているのだ。無理もない、まだ中学生だもの。女の子からすれば、奇声を上げる暴魔となんら変わりない。時折、人間が悪魔とかぶって見えることだってある。
「大丈夫、怖くない。もう行ったから」
御殿が想夜の頭に手を添える。
――異変に気づいたのはその時だ。
「こ、御殿センパイ。時刻表が……」
停留所の時刻表が「地獄表」に変わっている。バスは1分後に到着予定との記載もされていた。
真っ赤な霧が四方八方からふたりを囲むように車道を埋め尽くしてゆく――。
「北の方角から流れてきてるわね。中へ入りましょう」
「りょ、了解ちゃんっ」
御殿が走り出すと同時に、想夜も羽を広げてバイクまで飛翔。エンジンがかかると後部座席に想夜が着地した。
赤霧の中へ
しばらく赤霧の中を走っては見たものの、とくに何も得られなかった。
人っ子ひとりいない真っ赤な世界。大きな声で誰かを呼んでも返事はなく、ただ虚しさだけが残った。
御殿はしかたなくバイクを停止させた。
「御殿センパイ、霧が濃くなってきましたね」
「息を止めて。けっして霧を吸い込まないで」
ふたりがバイクに積んでおいた酸素マスクをかぶる。ボンベの栓を捻ると管の中に酸素が流れはじめた。
想夜が異変に気づいたのはその時だ。
「た、大変だわ!」
前方から雪崩のような霧が襲ってくる!
御殿がふたたびエンジンをふかす!
「引き返すわよ、しっかりつかまってなさい」
「了解ちゃん!」
マスクの中からこもった声で会話する。
ヴオオオオン!
ブレーキで前輪を固定してアクセルを捻り、後輪でアスファルトに弧を描く。
バイクの上のふたりは前のめりになって風の抵抗を減らしつつ、来た道をフルスピードで引き返す。
雪崩のような赤霧がバイクに追いつき、さらに濃さを増してゆく。視界がこの上なく悪くなり、まるで煙の中を走っているような錯覚に陥る。
バイクのライトをハイビームにして少しでも先を見やすくする。
想夜が耳をすますと、後方から誰かの声が聞こえる。
「ん?」
ヒラリヒラリと舞う黒い折り紙。それに導かれるように振り返ると、すぐ後ろに白骨体が数体。凄い速度で追いかけてきてはバイクにしがみつき、頭蓋骨から眼球をむき出しにして威嚇してきた!
「ギャアアアアウ!」
「いやああああ!」
その恐怖たるや、日常で味わうレベルではなかった。想夜はありったけの悲鳴を上げながら腕を振り回して泣き叫んだ。
「死霊? なぜ霧の中に……」
御殿は胸ポケットから聖水アンプル抜き取ると、ガイコツめがけて叩きつけた。
パリン! ジュウウウウ!
砕けたアンプルから聖水が飛び散り、それを頭からかぶる死霊たち。硫酸を浴びたように蒸気を発しながらバイクから振り落とされる。
別の方角。腐乱死体が肉の破片を巻きちらしながら迫ってくる!
さらに別方向。死霊が4足歩行の動物のように全速力で追いかけてくる!
御殿が前後左右を見わたす。
「はさまれたか!」
「御殿センパイ、追いつかれます! もっと早く!」
「160キロ出してるんだけど300キロまで出す?」
ヴオオオオン!
御殿のバイクは排気量1000CCを超える大型スーパースポーツ兼ツアラー。かるくアクセルを捻っただけで想夜の体が宙に浮いてしまう。体重が軽すぎると搭乗者が風で吹き飛ばされる仕様、それがバイク。
「わっわっわっ、落ちます落ちますっ」
前を見ながらアクセル捻る御殿。左右前方、肋骨むき出しの死霊がアスファルトから這い出してくる!
「どうしてこんなに悪魔がでてくるの!?」
と、涙目の想夜。
「恐怖を嗅ぎつけて生まれてくる。悪魔は弱者に容赦なく群がってくる。泣いてる暇があったら武器を抜きなさい」
「……はい」
ぐすん。涙をぬぐうJC。公務員は過酷な労働にも打ち勝たねばならない。
想夜が顔をこわばらせながら、背中のワイズナーに手をかける。
右へ、左へ、御殿は体を倒してバイクを傾け、生ける屍の間を縫うようにかっ飛ばす!
前方を睨みつけながらアクセルを捻る御殿。
「敵が多すぎる」
すぐさま後部座席の想夜に手を差し出した。
「想夜、ショットガン!」
「は、はい!」
想夜は背負ったバッグからむき出しになったレバーアクションライフルを取り出すと、御殿に手渡した。沢木に頼んでおいた
「サンクス!」
御殿はショットガンを受け取ると右手だけでアクセルと車体を操作する。そうやって敵との距離を合わせつつ、銃口を敵の口に突っ込んでぶっ放す!
ズドオオオン!
勢いよく発射された弾が死霊の後頭部を突き抜け、真後ろの敵もろとも木っ端微塵に吹き飛ばす!
ガチャリ。
レバーに指をかけ、器用に銃を回転させてスピンコック。ショットガンをヌンチャクのように振り回し、薬莢の排出と転送を素早くおこなう。
そしてさらに一発!
ズドオオオン!
威力の強い弾で死霊どもを一掃してゆく。
ガソリンタンクに小さな影が映り込んだことも見逃さない。
「想夜、上!」
「あ、はい!」
上空から10体ほどの敵。さらには周囲10体にも囲まれていた。
「今よ、飛んで!」
「ういっす!」
羽を広げるとシートに足をかけ、ピクシーブースターで一直線に舞い上がる!
ボシュウ!
妖精の羽がジェットのような唸り声をあげ、ワイズナーをひっさげた想夜と死霊たちの空中戦が始まる。握った大剣を右へ左へと振り回し、フルスイングで死霊に叩きつける!
ガシャアアアン! ガシャアアアン!
ぶっとい矛先で敵の骨を砕く! 砕く! 砕く!
四方八方から襲い掛かる死霊をぶった斬る想夜。羽を用いてクルリと回転し、勢いよく振り上げたワイズナーでさらに骨を砕きまくる!
ガシッ、ガシッ、ガシャアアアン!
斬られた死霊たちがアスファルトに叩きつけられ、石灰をぶちまけたように飛び散る!
ひと通り死霊をぶった斬った後、ふたたび一直線に急降下して後部座席に着地する。
「き、きりがありません! ……霧はあるけど(キリッ」
乱れ斬りからの息切れ。何十体もの死霊を撃退しようが次から次に襲い掛かってくる。
ヴオオオン!
バイクが速度を上げる。
「まだ襲ってきます!」
ランナーのようにアスファルトを走り抜ける死霊たち。腐った手足を使って電柱を駆けあがり、電線を伝って想夜に飛びかかってくる!
それをバックミラーで確認する御殿。
「想夜、右後方上空!」
「右後方上空、了解!」
御殿の合図で腰を捻る想夜。上空から降りそそぐ死霊めがけてワイズナーでぶった斬る!
かっ飛ばされた死霊が真っ二つに裂け、胴体がバイクから遠のき、やがてアスファルトの上で砕け散った。
ヴオン、ヴオオオン!
ボコボコにへこんだアスファルトを左右に避けながら、縫うようにバイクが疾走する!
奇襲が続く。
「次、左後方!」
「左後方りょーかい!」
何十匹、何百匹。きりなく死霊が飛びかかってくるも、リボンの妖精はそれらを斬って斬って斬りまくる!
ワイズナーで頭蓋骨を叩き割ると言ったほうが正しいかも知れない。力任せの素振りが延々と繰り返される。
御殿も負けじとショットガンをぶっ放す。
そうやってふたりを乗せたバイクは死霊の群れを走り抜けていった。
赤霧の濃度が薄くなるにつれ死霊の数も減ってゆく。
ふたりを乗せたバイクが赤霧から脱出した直後、バックミラーに綺麗な夕焼けが差し込んできた。
「間一髪ってところか」
安堵もつかの間。御殿がバックミラーで後方を確認していると、今度はミラーの中から巨大な害虫がウジャウジャと這い出してきた。
害虫の大群が無数の手足を動かしながらミラーからハンドルへ、ハンドルからガソリンタンクへと移動。その後、御殿と想夜の腕を伝ってよじ登ってきた。
「きゃあああああ!」
想夜が慌てて害虫をはらう。
「このバイク、結構高いのだけれど……仕方ないか」
パリン、パリン!
御殿はやむなしに左右のミラーを銃口で叩き割った。
害虫の発生を防いだ後、体に群がる奴らも1匹残らず払い落とす。
(あれ? 息が苦しい……)
呼吸に違和感を感じた想夜がマスクを見ると、管が害虫に食いちぎられているではないか。
「ど、どうしよう御殿センパイ」
管から酸素が流出し、想夜の肺まで届かない。
「もうすぐ霧を抜ける。それまで息を止めて!」
「むぐうぐぐ! (わかりました!)」
一言だけでも酸素が必要だ。酸素は貴重。超大事。
「むぐぐぐう! (敵が来ます!)」
想夜が御殿の肩をバシバシ叩いて右を指さす。そうやって死霊が襲い掛かってくるのを知らせてくる。
「想夜、ボンベを投げなさい!」
「むぐう!?」
「はやく!」
「むぐうっ (はいっ)」
想夜が背中のボンベをはぎ取り、死霊の群れめがけて思い切り投げつける!
御殿が宙を舞うボンベに向かってトリガーを引いた。
バン!
散弾がボンベに直撃し、
ドオオオオオオオオン!
圧縮された空気が大げさなほどの爆炎を作り出し、死霊たちを飲み込んでいった。
バシバシバシッ。
また御殿の肩を叩いてくる。
「むぐぐ! むぐうむぐぐう!」
「え、なに? トイレ? ガマンして」
バシバシバシ!
「むぐう!」
「え、漏れちゃう? 小?」
バシバシバシバシ!
「むぐうう!」
「え、違う? 大?」
バシバシ、バンバン!
「え? 中? お腹壊してるの? シート汚さないでよね」
バンバンバンバン!
「もう、はっきり言いなさい」
「ぷはっ。霧が薄くなってきましたよって言ったんです!」
くわっ。想夜がイラツキを思い切り吐き出した。最後は怒りまかせに叩いていたようだった。
もうマスクがなくても呼吸ができる。このまま危険地帯から抜け出せそうだ。
「OK、このまま突っ切りましょう!」
御殿がアクセルを捻った。まさにその時、目の前に何かが現れた――。
「あぶないセンパイ!」
「――‼」
キキキイイイイイイ!
突如、飛び出してきた白い大型犬に驚き、慌ててブレーキをかける。
前のめりになる御殿と想夜。
あやうく犬をひき殺すところだった。と思いきや、目の前には何も見当たらない。
想夜は自分の視力が疑わしくなり、御殿に真偽を確認する。
「御殿センパイ、見ました?」
「ええ、見た」
「何だったのでしょう? 今のワンちゃん」
想夜が御殿に目配せをする。
「サモエド。大型犬ね。どうして霧の中に……」
赤い地獄に犬が一匹。
首を傾げる御殿の脳裏に白くてフサフサの毛並みがよぎる。
後ろを振り返るが、ふたりの視界に犬の姿はなかった。ただ、少女のすすり泣く声だけが耳に響いていた。
『ソレイユ……ソレイユ……』と――。
御殿の異変
赤霧を抜けたふたりは近くのベンチに腰をおろした。
「ここは安全みたいですね」
「ええ。にしても、とんでもない敵が現れたものね」
御殿、息切れ。しだいに歩みが止まる。
前かがみになる御殿を想夜が介抱する。
「大丈夫ですか、御殿センパイ」
「ええ、かるい貧血。ちょっとはりきり過ぎたみたい」
先日から続く御殿の体調悪化。想夜はそれを悟っていた。
(ひょっとして御殿センパイ……)
胸の中の疑問がどうあれ、目の前の相手に気づかうのは間違った判断ではない。
「御殿センパイ、少し休みましょう?」
想夜は停留所のベンチへと御殿をうながした。
「心配しなくても大丈夫よ」
「困ったらいつでも頼って下さいね」
「ありがとう。いつも頼りにしている」
その言葉を聞いた想夜は、胸に拳を当てて鼻息を立てた。
「任せて下さい、御殿センパイを守りますから! あたし、がんばっちゃうんだから!」
想夜にささやかながら笑顔が戻った。
御殿には小さな巨人が頼もしく感じられた。
「――それにしても、なぜ霧の中に犬が?」
御殿が首を傾げると、想夜も謎の声を思い出す。
「御殿センパイ、女の子の声聞こえました?」
「ええ聞いたわ。たしかソレイユ……とか言っていたみたいだけど……」
地獄の中は謎だらけだ。
少し体力が回復した頃、御殿が腰をあげる。
「想夜、ちょっと付き合って欲しい場所があるのだけれど」
「はい。あたしは構いませんけど」
御殿は想夜を連れてバイクを走らせる。
向かう先はレプラ・スタッフサービスだ。