9 グラスに過去を見る


 己を取り巻く今は、過去が作り上げたものだ。
 過去の思いが蓄積され、今という状況を作り上げている。

 所詮は力がすべてなのさ――。
 なけなしの宝物を誰かに奪われた日、人は誰しもそう考え始める――。

 マデロムは夢から覚めた。
「ちっ、目覚めが悪りぃぜ……」
 顔面にまとわりつく眠気を手で拭う。
 右胸筋から右指全てに強烈な痛みを覚え、その日はほとんど眠れなかったのだ。
 腕の痛みは夜中続き、少しの睡眠時間でさえ、鬼の悪夢に荒らされていた。

 マデロムは静かに瞼を閉じ、荒ぶる神経をなだめるように集中させる。
 そこで思い出す過去――。

 幼き日、山賊に故郷を荒らされ、大切なものをすべて奪われた。あの日の出来事。
 政府は当てにならず、かといって仇討ちさえもままならず。
 力を求め、至る場所を彷徨いながら、そうやってフェアリーフォースの門にたどり着いた。

 ずいぶん前になるが、正義を探し求めた日があった。
 しかしマデロムを待っていたのは、腐りきった政府の根っこ。
 それを再認識したからと言って、絶望するほど世界に期待などしていない。

 希望など、故郷が襲われた日に捨てている。

 求めるべきは純粋な力のみ。それさえあれば、話は終わる。
 すべてを力でねじ伏せる――単純すぎる解決方法だ。

 故郷を襲った山賊たちを追い求めてきたが、その尻尾を掴むことすらできていない。
 ブチ殺したい連中を血祭に上げ、目の前で命乞いをする姿を夢見続けては、ときどき思う。
 
 クズどもに復讐するために時間を費やす事は正しいのか? と。

 されど、何もしないで指をくわえている性分ではない。
 何もしないまま、山賊たちが悠々自適に生活している事を想像しては腹が立ち、いつか叶うであろう復讐が正しいのだと心に決めては安堵する。

 マデロムは思う。
 あの時、村を襲撃された日、何故あんなに怒っていたのだろうと。

 何に対して怒りを覚えたのだ?
 負けたからか?
 仲間を殺されたからか?
 
 ――どれも違う。

 マデロムは、じっと手を見る――。

 力がその手に存在していないと知った時、一種の嫉妬に駆られたのだ。
 愛しい人の温もりがその手には無く、別の誰かの手に収まった時、誰しも嫉妬をむき出しにするだろう?

 それと一緒――。

 マデロムは、力がその手に無いと知り、イラつきを募らせた。
 力に恋心を抱く男の姿がそこにはあった。

「飲まなきゃやってらんねえ」
 そうかと言って、酒をあおっても解決しないのは分かっている。

 グラスに並々キツめの酒をつぐ。
 香りを楽しむこともなく、ただひたすら、数日前の会話を振り返る――。


 先日、上層部からマデロムに指令が下った。

 広い会議室の奥。椅子にお偉方が座っている。

「――バッジの回収? 人間界に? なぜそんな指令を俺に?」

 問うマデロム。時間のかかる調査はゴメンだ。手っ取り早く力でゴリ押し。それがマデロムスタイル。
 なかば面倒くさそうに質問するマデロムだったが、返ってくる答えは味気ないもの。要約すると、「下っ端は黙って支持にしたがっていればいい」という類のものだった。
 
「――『余計なことは聞くな』、と? 了解しました」

 不満げに答えては、自分が社畜のひとりなのだと理解し、臭い豚小屋で飼われている事を恥じた。

 会話は続く。

「――え? 真菓龍社の逃亡犯? ええ、確か数年前にのがしましたが……それが何か?」

 己の叱責を咎められるマデロム。その耳に痛い言葉が聞こえた。
 今さら過去の失態を蒸し返されて説教かよ、ウンザリだぜ――伏目がちな態度、小声でうそぶいた。

 上層部はすでに叶子と華生の能力値を把握していた。
 それを告げられるとマデロムは激情。会議室で大声を張り上げた。

「――俺よりもその女が強いということか? 笑わせんじゃねえ! 俺を誰だと思っているんだ! 俺が女子供に負けるわけがねぇだろうが!」

 鼻息荒く、声を荒げるも、人間界に逃亡した華生がMAMIYAのご令嬢とハイヤースペックを共有したと聞かされ、その強さを想像してしまう。それこそが戦士の職業病。

「口を慎め? はんっ、なら俺の方が強いという証明をしてやりますよ」
 鼻で笑いとばし、上層部に宣言する。

「――『どうやって』って? MAMIYAのハイヤースペクターの首を土産に持ってきますよ。きっと俺の力を再評価するはずです」
 マデロムの目つきが鋭くなり、目の前にいる上層部の顔と華生を重ね合わせた。

「おもしれぇじゃねえか。受けて立つぜ、ひ弱な人間どもが……!」

 その後、マデロムはリーノの存在を嗅ぎつけニヤリとほくそ笑むのだ。思わぬ所にジョーカーがいた事が、己に勝利の女神が尻を見せてくれたのだと過信して。


 グラスの中の氷がカタンと響いた。
 冷たい塊が溶け出すにつれ、生死の選択に駆り立てられているようでイラつきが増す。

 人間界にMAMIYAグループという組織があることは聞いていた。
 そこの頭首・愛宮鈴道が何者かによって殺害された事実を、風のうわさ程度だが耳にしている。

 フェアリーフォース上層部が人間界で何かをやらかした――そのことについて深く追求するつもりはない。追求すれば、己の首に刃が当てられるのは分かっているからだ。

「人間界と円滑な関係を保ち続けるために、元凶となるバッジを回収しろってことか。 ……違いねえ、犯人の目星はついたぜ」

 鈴道を殺害した人物について、マデロムには心当たりがあった。
 人間界でワイズナーを持ち歩き、バッジまで所有している人物。
 その者の予定では、邪魔なハイヤースペクター・愛宮叶子を殺害し、真菓龍華生を手中に収める。それが狙いだったことは違いない。

「真菓龍の力を我が物とし、妖精界の長として君臨しようと企む奴がフェアリーフォースにいるってか。はっ、こりゃあまた大きく出たもんだ」

 雷鳴轟く愛宮邸内――ふと、長身の女性の振り向くさまがマデロムの脳裏をよぎった。
 
「バッジの回収は容易い――が、おかみの裏舞台に近づけばタダじゃ済まされねえ。ヘタすりゃフェアリーフォース全員虐殺されるぜ」
 
 MAMIYAは己以上に巨大な敵に立ち向かおうとしている――マデロムがこの戦いの悲劇を想像することは容易かった。

 マデロムは前後を塞がれていた。

 手前から妖精界の暗黒。
 後ろから藍色の鬼が追いかけてくる。
 
 前後を挟み撃ちにされ、額に汗する。逃げ道はない。
 グラスの氷のように、滝のように出て来る汗を拭い、闘志を奮い立たせては、少しでも己を大きく見せる。
 それが見栄であろうとも、尻尾を巻いて背を向けるよりはマシだ。

 けれども、振り向けば、背後には藍色の悪魔が――。

 鬼がやってくる。
 藍色の鬼がすべてを奪いにくる――。


 負傷した右手を睨みつけ、グラスを一気に煽った。
「くそ! しゃらくせえ! しゃらくせえ! しゃらくせえ!」

 グワシャアアン!

 テーブルにグラスの底を叩きつけるよう乱暴に置く。それでイラつきが晴れないと分かるとテーブルをひっくり返しては蹴飛ばし、そこらじゅうに当たり散らした。それだけ男の心を引っ掻き回す存在が癪にさわった。
「あんなクソガキに、あんなクソガキに俺がビビっているだと!? クソ! クソ! クソが!」
 
 マデロムは認めざるを得ない――13歳の子供に、己の力が劣っている事実を。

 力でのし上がってきた者を待ち受けているのは、力で制圧される結末か。
 それとも、さらなる力で抗い続ける戦場か。
 
 マデロムよ――その選択肢さえも、お前は腕力でねじ伏せる事ができるというのか?

 薄々感づいているのだろう?
 お前があの少女に嫉妬していることに。

「――うるせえよ……」
 屍のような目で目の前の幻を睨みつけ、正論を述べる幻聴に悪態をつく。

 お前は認め始めている。
 藍鬼の娘が、お前の荒ぶる魂を、お前の血液という名の爽快感で一杯に満たしてくれる未来を。

「――うるせえよ……」
 満身創痍など望んでいない。
 精一杯走った先に爽快感が待っているような未来は俺にはない――そう決めつけている。

 誰だって正義を望んだことがある。
 想夜のまっすぐな瞳が癪にさわる。
 想夜が正義であるというのなら、自分とあいつの違いは何だというのか?

 すべてを捨てて戦う想夜と、政府を捨てられない己の羞恥心を比べては、それに嫉妬している。

 ありったけの力でグラスを握る。
「俺だって捨ててきたさ! 多くのものを捨ててきた! 力だけを見てきたのさ! だからこそ力は俺を愛してくれた! 俺は浮気なんかしてねえぜ? ずっと力だけを追いかけてきたんだからよお! なあ、そうだろう!?」
 己の筋肉に訴えるマデロム。

 ――されど、誰からの返事もない

 胸の奥底に眠る不快な本音はこれだ。
 リーノを使わなければ、叶子にも勝てなかった。
 勝てたとしても、その後、藍鬼と殺り合えば殺されていたかもしれない。

 自分は臆病者――その言葉を拒否する自分と許可する自分に挟まれ、すりつぶされてゆく。

 自分の本音に殺される――そんな苦痛を和らげるためにアルコールを浴びるように飲み、ふたたび眠りにつく。

 俺を見て笑っている――。
 指さして笑っている――。

 胸の中、己を指さす、わだかまり。

 己が力を証明するためには、藍鬼を退治するしかない。
 それしかないと知り得て、子供のように眠りにつくのさ。

 大事なものを、手放したくないと知り得て――。


瞳栖はどこに?


 突如フェアリーフォースに表れた天上人と名乗る白装束。
 その天上人に連れ去られた『地』を司る八卦、埴村瞳栖。
 瞳栖が所持していた八卦のデータ。
 そのデータは今、朱鷺が持っている。
 MAMIYA研究所での検査の結果、水晶の中身は間違いなく天の八卦のデータだった。
 
 ――麗蘭はいま知っている事、1つ1つを想夜たちに打ち明けた。
 
「ディメンション・エクスプローラー……」
 それが地の八卦が持つハイヤースペック。霊界の数値を操作し、物質界のかせを無視する脅威の能力。
 今、その能力はエクレア・マキアートが所持している。

 御殿は先日のサイボーグを思い出していた。
 敵が目の前で消える現象に遭遇し、本気で何らかの呪いにでもかかったのではないかと不安にもなった。
 それらのカラクリは、天上人が関与していた能力によるもの。

 天上人は、間違いなく八卦の力を手中に収めようとしている。
 エクレアは八卦を用い、ディルファーになろうとでも言うのだろうか?

 ――真相は、エクレアしか知りえない。


 I県に位置するハッピータウン。そこへは電車を乗り継いで行く。

 電車の中、向かい合って座る想夜たち。
 女子トークで盛り上がるはずの時間でさえ、想夜は上の空で生返事。それがチラホラ目立った。胸に秘めた困難が緊迫した空気を作り上げてしまうのだ。

 想夜が不安を隠して行動するにも限界がある。心の悲鳴が表に出るもの時間の問題だろう。次にマデロムとの戦いに敗北すれば、バッジが取り戻せないどころか、麗蘭は妖精界から去らなければならないのだから。そのプレッシャーたるや、計り知れないものだ。

(京極隊長……)

 チラリと麗蘭の顔を伺う想夜。当の本人と目が合い、慌てて視線をそらした。
「どうした雪車町、私の顔に何かついているか?」
「いえ、……何でも、ありません」
 ションボリとうつむいた。

 そんな想夜の頭を撫でながら、麗蘭は気丈に振る舞う。
「マデロムの件か?」
「……はい」
「心配するな。妖精界から追い出されたら人間界に移住するさ」
「で、でも……」
「それにまだ雪車町が負けたわけではない。マデロムは姑息な手段も取る男だが、完全勝利じゃなければ不満を抱く男だ。それだけ己の腕力に自信を持っている。それがどうしたことか、奴は藍鬼を前に焦りを見せた。あんな緊迫した表情初めて見たぞ? 大したものじゃないか」
 お褒めの言葉が痛い。
「勝たなければ……意味、ないもん」
 想夜は少しふて腐れた感じで唇を尖らせた。マデロムから勝利を勝ち取り、麗蘭の心に平穏をもたらしたい。それを駄々をこねては欲していた。

 気持ちが沈んでいる想夜に対し、麗蘭がいたずらっぽく笑う。
「それとも君は私が人間界ここで生活することに不満でもあるのか? んん?」
「そ、そんなことないです! あたし、京極隊長のこと尊敬してるもん! ……少し、怖いけど――」
 上目づかいで麗蘭を見ては、視線をゆっくりと外した。

 麗蘭はさらに想夜の髪を撫でながら、流れゆく外の景色に思いを馳せる。田んぼ、住宅、山に海――人間界は奇跡でいっぱいだ。
「人間界もいい所ではないか。コンビニのプリンも美味しかったぞ。たしか雪車町も甘いもの好きだったな」
「はい。あたし、京極隊長が人間界で生活するようになったら、毎日プリン作ります」
 毎日アナタのお味噌汁作ります、みたいに言う13歳。

 それを聞いて麗蘭が吹き出した。

「プリンくらい自分で作れるさ。これでもお菓子作りは自信あるんだぞ?」
「でもあたし、京極隊長のために作ります! 一生面倒みます!」
 と、力強く訴える想夜に麗蘭が苦笑した。
「ふふふ、君に面倒みてもらえなくても、私は自立できているからな。それより自分自身の心配をしろ。ちゃんと学校の宿題も終わらせるんだぞ」
 そうやって可愛い部下をなだめた。
「――はい。ちゃんと宿題もやります」
 想夜はしおらしく麗蘭の言うことを聞く。
「よろしい」
 想夜の髪をクシャクシャと撫でて話を切り上げる。

(雪車町も心配だが……)
 チラッ。
 麗蘭の視線の先、離れて座る御殿の姿がある。瞼を閉じて眠りについているところだ。
(体調が悪いようだが……、着いてきて大丈夫だったのか?)
 口には出さずとも、終始、御殿の体調を気づかっている。

 ほわいとはうすで約束したことがある――「体の事は誰にも言わないで欲しい」と御殿から言われている。それだけ周囲に気を使わせたくないらしいが、今の御殿では返って皆の足を引っ張ってしまいかねない。故に、気だって使うだろう。

 麗蘭は瞬時に今の状況を把握。分が悪い状況を改善するための戦略を考える。

(咲羅真御殿は体調不良。愛宮叶子と真菓龍華生はマデロムとリーノの件で力を発揮できないでいる。雪車町はご覧の有様だ)
 これだけの妖精とハイヤースペクターがそろっていながら、戦力になる者がほとんどいない。
(戦力になりそうなのは焔衣狐姫と風の八卦か……)
 と、狐姫と朱鷺に目を向ける。
 狐姫は呑気に音楽を聴きながら窓の外を見ている。イヤホンから流れるロックに癒されている所だった。
 いっぽう朱鷺は、身の丈以上の絶念刀を抱えて瞑想中。ヘリでも飛んできたら真っ二つにしそう。心強く感じる。

(待ち受ける敵はマデロムだけではない。一番厄介なのが天上人の存在だが……)
 麗蘭は席から立ち上がると、朱鷺に声をかけた。
「叢雲朱鷺」
 瞑想中の朱鷺が片瞼を開けて視線を麗蘭に返す。
「京極殿、どうした?」
「瞑想の邪魔をしてすまない、少し話がある――」
 麗蘭に誘われた朱鷺は少し考える素振りを見せた後、言葉に従った。
「かなわないさ。拙者も貴殿に話がある。場所を変えよう」
 席から立ち上がり、2人してデッキへと消えた。


I県到着


 ここはI県。空気はうまいし、広がる景色は山や畑ばかりで何もな……とっても綺麗!
 メロンや納豆、ほし芋などが美味しいらしいよ!
 みんなでおいでよ! いばr……I県!

 一同はハッピータウンの最寄り駅で下車。
 ホテルに到着するとさっそく部屋分けをおこない、各自、荷物を運んだ。

 ひと部屋2人用。ベッド、トイレ、バスルームと至ってシンプルなもの。
 高価なインテリアはなく、庶民の懐事情を察しての造り。
 2台のベッドが部屋のほとんどを占領しており、ごろんと床に寝そべるような広さもない。
 遊びに来たわけではないのだから、これくらいがちょうどいい。それにタダ同然だし(笑)。

 部屋分けは以下の通り。
 
 想夜と狐姫。
 御殿と水角。
 叶子と華生。
 朱鷺と麗蘭。


 部屋の窓に目をやる。
 8人の目に黒い建物が焼き付いた。ちょうどロボット工場の方角にそびえたつ鉄塔だ。

『あれは何の建物だろう?』

 長い筒が天高く伸びる。皆、それが何を意味しているのかが気になった。
 高層ビルのようでもあり、銭湯の煙突のようにも見える。
 無論、それを知る者はここにはいない。

 ただ黒き巨塔を見るたびに血の気が引き、皆、目を伏せてしまうのだ。
 暗雲立ち込める空の様子を前に、いい気分になる者はいない。


麗蘭を悩ませるもの


 叶子と華生の部屋。
 
 荷物を運び終えた2人がベッドに腰を下ろした。
 隣同士、手を伸ばせば届いてしまうほどの距離感。

「こうして華生と部屋を共にするのも久しぶりね」
 そう言って窓を開けて空気を入れる。ついでに外を見渡した。
「ほら華生、空気がおいしいわよ。せっかく遠出したんだもの、ゆっくり体を休めたらどうかしら?」

 叶子の視線の先――林の向こうに長く伸びる道路が目についた。先ほどバスで走ってきた道だ。その先を目で追ってゆくと、ひと際広い住宅街が飛び込んでくる。
「あれがハッピータウンね」
 その先にはロボット工場。さらにその先に見えるのが、あの黒い巨塔だ。

 遠くを睨みつけながら叶子が呟く。その後、華生に振り返った。
「あなたは無理しなくてもいいのよ? 離れていてもハイヤースペックは接続されるのだから部屋で休んでいなさい」
 華生を気づかい、ひとり気丈に振る舞う。リーノの事もあり、今は心を休ませてあげたいのだ。

 叶子の気持ちを受け取るも、華生は首を横に振った。

「いいえお嬢様。わたくしも同行させて頂きます」
 少しうつむき、ためらうように次の言葉を発した。
「わたくしはリーノのことで責任を取らなければなりません。どのような罰でも受ける覚悟です」

 己の過去によってリーノの家族は離散し、その後も酷い仕打ちを受けた――華生は、他人の不幸の上に自分の幸せが存在しているように思えて、終始苦痛を味わっているのだ。

 叶子が悲しい目を作る。
「責任を感じる必要はないのよ。と言ったところで、あなたは聞く耳を持たないでしょうね」
 叶子は苦笑し、肩をすくめた。
「いいわ、私も華生に同行させて頂戴。リーノさんを探すのでしょう? 私にもできる事があるかも知れないし」
「それではお嬢様にご迷惑が――」

 そこで叶子が華生の唇に人差し指を当てて黙らせた。
「私とあなたは一心同体。ひとりになんてさせないんだから――」

 続けて、華生の頬に手を添え、その髪を優しく撫でる叶子。
「それとも、私をひとりぼっちにさせる気かしら?」
 いじわるな質問を前に、華生はなかば髪を振り乱すかの如く首を左右させた。
「とんでもございませんっ。是非ともご一緒に――」
 言葉を聞くまでもなく、叶子は華生の体をそっと抱きしめた。
「そう、それでいいのよ」
 リーノの事で華生が己を責めるのであれば、その荷を一緒に背負う覚悟が叶子にだってある。

 それが一心同体の意――。


 御殿と水角の部屋。

 水角は部屋に荷物を置くなり、調査のためにホテルを出て行った。

 御殿が端末片手に話し中。相手は柊双葉ひいらぎ ふたばだった。
『いーなー。あーしも行きたかったよ、ハッピータウン。なんで誘ってくれなかったの~?』
 ふてくされ声が端末から響いてきた。

 スペックハザードの影響により、ハイヤースペクターとなった柊双葉――現在、雷の八卦であるリン・ルーの家政婦バイトに精を出している。かつてはリンの誘拐計画に一役買っていたというのに、今は護衛も任されているのだから、人生、先のことは誰にも分からないものである。

 リンにはソナーを打って御殿たちの居場所を特定する能力も兼ね備えているが、前もってハッピータウンの場所を知らせておけば、いざという時に素早く遠隔攻撃を繰り出してくれるはずだ。
 雷の八卦、頼もしい味方である。

 会話の話題が弟の事になる。水角とケンカ中の御殿が双葉に相談を持ち掛けた。
『――それな~、分かる分かる~。あーしの弟も生意気なところあるもん』
 と、柊家の姉は語る。

『――で、今回の旅行を機に、ことのん・・・・みずのん・・・・と仲直りしたいわけね?』
 双葉は御殿をことのん・・・・。水角をみずのん・・・・と呼んでいる。
 
『みずのんの事だから、そんなに怒ってないと思うんだけどなぁ。素直に謝っちゃえば?』
「そ、それは……」
 御殿はお姉ちゃん。弟相手に大人げない態度だったことを反省している。
「そうね。わたしが言い過ぎたのが原因だから……。イライラしていたとはいえ、水角を縛り付けるような真似をしてしまったことに罪悪を感じているもの」
 そうやって落ち込んでは己を責めた。
『どうしてイラついてたの? 仕事のストレス?』
 双葉から問われた御殿は、先日のことを思い出していた。

 体調がすぐれない――その事を鴨原から指摘された御殿は、言われた通り彩乃のところに出向いた。けれど結局のところ、何も打ち明けることができずに帰ってきたのだ。

 とりあえず適当にごまかす。
「え、ええ。ちょっと仕事が重なっちゃって」
『ふーん。あーし、てっきりアレかと思ったよ』
「アレ?」
 首を傾げる御殿に、双葉がおちゃらけながら言う。
「うんアレ。てっきりせい……あー!』
 とつぜん電話の向こうで騒ぎ出した。
「どうしたの?」
『あちゃー、鍋吹いてる! 夕食の支度中だったんだ! ことのんメンゴ~、また連絡するわー。じゃねー』
 一方的に電話を切られた。


 ホテルのロビーから奥へ進むと、こじんまりとした喫茶店がある。
 朱鷺と麗蘭が肩を並べてカウンターに座っていた。

 会話は麗蘭から切り出す。
「――さっきの話は本当なのか?」
 電車の中で二人、デッキで立ち話をした時の続きだ。

 朱鷺は彩乃から預かってきた水晶を懐から取り出し、麗蘭に見せた。
「これが妖精界に暗黒をもたらした妖精兵器のデータの一部?」
「うむ、水無月主任は何か起こることを察知していたのだろう。前もって水晶を拙者に返してきた」

 その煌めき。眩い光に全身を飲み込まれそうになり、麗蘭はたじろいでしまう。

「私は八卦ではないが、これに触れても大丈夫か?」
「水無月主任も触れていた事だし、恐らく問題はないだろう。それに拙者も八卦だ。体の中にデータこれの一部が備わっている。言ってしまえば八卦のデータは家族みたいなものさ。そんなに恐れないでくれ。噛みついたりしないさ……多分な」
 風の八卦の言葉には、この上ない説得力がある。

「これが……、『天』の八卦――」

 彩乃に託したデータからは、天の八卦という結果が出た。それは未だ宿主が見つからぬまま、目の前に存在している。
「エクレアは地の能力の半分を手に入れたというのに、これまでをも欲しがっているのか?」
「らしいな。欲張りな奴め」
 と朱鷺が苦笑した。

 欲張り、という言葉が麗蘭の脳裏をよぎり、ふと御殿から聞かされたMAMIYAでの窃盗事件を思い出す。先日MAMIYA研究所に何者かが侵入し、新型トロイメライを奪った件だ。

「そう言えば話は変わるが、研究所に賊が押し入ったらしいな?」
「ああ。何でも最新型のトロイメライを奪っていったらしい。アングラでちょっとしたニュースになっている」
「トロイメライ?」

 麗蘭が首を傾げると、朱鷺がトロイメライについて解説した。

「――なるほど。MAMIYAはそんな研究までしているのだな」
「うむ。それを奪われると厄介なことになる。組み込むプログラム次第で、自然治癒力を持った殺人マシーンを生み出せると聞いた」
「自然治癒力? まるで生物そのものじゃないか」

 驚愕する麗蘭に、朱鷺が言う。

「生物と機械の境界線なんて曖昧なものさ。人間と同じ肉体を持ったサイボーグを機械と呼べるか?」
「肉体を持ったサイボーグ? ……難しい質問だな。私に聞かないでくれ」
「ああ。拙者にも聞き返さないでくれ。脳細胞がイカレそうだ」
 ふたりして肩をすくめる。


「――で、京極殿。先ほどの戦略話の続きをしてくれ」
 朱鷺に促され、麗蘭は現在の戦力について策を取る。
「ご覧のように、雪車町たちは自分たちの問題対処で精一杯だ。各々目的も違う。故に、こちらの勢力が分散されるとなれば、勢力を発揮できない可能性が高い」

 麗蘭と朱鷺が唸るように考える。

 朱鷺が口を開く。
「仲間のバックアップは引き受けるが、フェアリーフォースからやってきた天の使いとやらの行動が気になるな。次に奇襲を仕掛けてきたら誰が出る?」
 その質問に麗蘭が口を開いた。
「天上人は私に任せろ」
「大丈夫なのか? 相手は3人なのだろう?」
「案ずるな。これでもフェアリーフォースの隊長を任されている」
 そうは言っても、エクレアの付き人でさえもズバ抜けた腕力を持っている。捻じ切られそうになった手首を見ては、未来の不安に駆られる。

 朱鷺がシトラススティックを取り出し口にくわえた。柑橘系のパウダーが脳細胞へとダイレクトに注入されるようでスカッとする。考え事をするのにはもってこいだ。

「攫われた地の八卦の安否も気になる。天上人は『地』のハイヤースペックを完全な物にしようとしているのだろう? すべてが奪われたらバニラアイスクリームとやらは、お役御免ではないのか?」
埴村瞳栖・・・・だ。確かに八卦でなくなった瞳栖は脅威ではなくなる。おまけに変にエクレアの事情に詳しい女だからな。生かしていかないかもしれない」
「よく冷静でいられるな。関心するよ」

 そう言われても、麗蘭の胸の内は焦りに満ちていた。もしもの惨劇から目を背けたくて気丈に振る舞うも、顔に出てしまうもの。

「瞳栖が攫われる際、発信機をつけておいて正解だったよ。だが何故、天上人やマデロム達はロボット工場に向かったのだろう? 正直、私はハイヤースペック無しだと荷が重くなるかも知れん」
「京極殿はハイヤースペックを使わないのか? それとも使えない事情でも?」
「ああ。訳があってな。今は使えない――」

 朱鷺に問われた麗蘭がジュラルミンケースに視線を送る。

「そのジュラルミンケースはなんだ? 高性能爆弾の一種か?」
 朱鷺が視線をケースに向けると、麗蘭が静かに笑う。
「まあそんな所だ。君の絶念刀それと同じだ」
「フフ、それは心強い。楽しみだ」
 と、絶念刀を見ては静かにほほ笑む。

 朱鷺は水晶を懐に収めることなく、麗蘭に手渡した。
「これは京極殿が持っていてくれ」
「これを、私が?」
 なかば強引に押し付ける朱鷺。吸い終えたシトラススティックをしまい、もう1本取り出して口に加えた。
「瞳栖殿は君に持っていて欲しいはずだ。天上人から必死に逃げ続け、それを死守してきたのだ。大した女だよ、あれは――」

「瞳栖……」
 『天』のデータが詰まった水晶。麗蘭はまじまじと見つめ、瞳栖に思いを馳せた。

 麗蘭が時計を見る。
「集合時間だ。皆のところへ行こう――」
 麗蘭はジュラルミンケースを手に取ると、朱鷺と一緒に喫茶店を後にした。


 7人が御殿の部屋に集まった。
 水角はまだ戻ってきていない。

「ハッピータウンには近づけるのか?」
 想夜が首を振った。
「ううん。さっきハッピータウンのそばまで行ってきたんだけど、大きな鉄格子があって中に入れなかったわ。偵察だってお手の物なんだからっ」
 えへん、と鼻高々の想夜。ひとり空を飛んで、すぐに戻ってきたらしい。
「例の人探しか?」
 朱鷺に聞かれて頷く。
「うん。成瀬さんの手紙はこのあたりから出されているんだけど、手紙に記された住所はどこにもなかった。やっぱり誰かのイタズラだったのかも……」
 シュンと落ち込む想夜。

「――ハッピータウンは傀儡街と言われているようだけど、何か変わった様子は?」
 叶子に問われ、想夜が答える。
「警備員さんがいた。人間の」
「なーんだ、ロボット警備員じゃないのか。近づいたらロケットパーンチ! とか撃ってきたりしないのん?」
「もう狐姫ちゃんたらっ。いきなりそんな事されたら一発死だよっ」
「ロケパン一発じゃ想夜は死なねーよ、くらえロケットパンチ!」

 ゲシッ!

「あ痛ったぁー」
「ほらな」
 狐姫の肩パンが想夜の肩に炸裂する。
「もお~御殿センパーイ、いま狐姫ちゃんがあ~」
「うわぁ~、でたぁ~、すぐ御殿にチクるヤツぅ~」
「ほら、二人ともケンカしないのっ」
 狐姫が想夜をからかう。それをなだめる御殿。

 叶子はかまわず質問を続ける。

「それで? 他に何か変わったことは?」
「うん、と……、成瀬さん知りませんかって聞いたら、知らないって」
 朱鷺が肩をすくめた。
「地の八卦に付けた発信機の信号はロボット工場から来ている。天上人やマデロムとやらもそこにいるのだろう? 拙者はこのまま突入しても構わんが、京極殿はどう思う?」
 と、横目で麗蘭を促した。
「どうだかな、そもそも相手の出方が分からない以上、探りを入れてみるしかない。いま水無月水角が調査を続けているようだが、成瀬氏の件、他の件――偶然にしては出来過ぎている。必ず何らかの繋がりがあるはずだ。各自、知りえた事があればここで報告して欲しい」

 麗蘭に促されるも、みな首を横に振るだけだ。

「情報がなさすぎる。ネットにも情報がなかった」
 と御殿が答えると、狐姫がベッドの上でゴロンと横になった。
「どうするよ? 一歩踏み込んだ瞬間にレーザーとか打ってきたら。俺ガクブルだぜ?」
 秘密防衛基地か何かだと勝手に思い込んでいる。
 それに対し、麗蘭が深刻な表情で答える。
「焔衣狐姫の言うことは、決して笑い話などではない。こうしている今にも、いきなり目の前に敵が現れるかも知れんのだから」

 地の八卦が用いるハイヤースペック――ディメンション・エクスプローラーは距離を無視する脅威の力だ。1秒後、とつじょ背後から襲ってくるかもしれない。

 麗蘭がそれを告げると、狐姫が首を傾げた。
「でもさ、それができるんなら、俺達とっくに首を切り落とされてなくね?」
 狐姫の言うことは正論だ。
 麗蘭が顎に手を添えて考える。
「確かに。シュウとクリムが瞳栖をさらってから、半日ほど経過している。妙だな」
「だろ? にもかかわらず、むこうから仕掛けてこないってことは……ニヤニヤ」

 チラッ。にやつく狐姫が周囲に目配せ。

「――なるほど、今は八卦の能力が使えない。もしくは何らかの条件がそろわないと、天上人はハイヤースペックを発動できないというわけか」
 と、朱鷺が推測。一同も同じ考えだった。

「そうとなれば善は急げ。早いうちに天上人を叩いたほうが賢明ね」
 御殿がボニー&クライドのマガジンをセットする。
 
 麗蘭が素朴な疑問を投げる。
「そもそも、どうして傀儡街と呼ばれているのだ? ハッピータウンのままで良いではないか」
「あたしにも分かりません。手紙の最後にそう書かれているだけで……」

 想夜は手紙を差し出し、皆に見せた。前もって成瀬夫人の許可は取ってある。

「謎だらけの町ね。潜入したら各自、手分けして目的を遂行しましょう」
 叶子の言葉に麗蘭が付け加える。
「私と叢雲朱鷺、それに焔衣狐姫の3人は、皆のバックアップに回る。言いにくいが、今の君たちは戦力としては不十分だからな」
 と、想夜、御殿、叶子、華生に視線を移す。
「戦力不足、ね――。はっきり言ってくれるわね」
「すまないな」
 ため息まじりの叶子に麗蘭が申し訳なさそうにする。
「まあいいわ、事実だし。私と華生はリーノさんを探すから、しっかり守ってちょうだい」
 叶子は聞き分けがいい。

 狐姫が腕まくり、歯を見せて笑う。
「想夜は俺が守ってやっから!」
「ありがとう狐姫ちゃん! よおし、まずは成瀬さん探しね! あたし、がんばっちゃうんだから!」
 がぜん張り切る想夜。成瀬夫人から借りてきた写真を取り出し聞き取り調査。
「現場百回、捜査の基本だわ!」

「……ん!」
 想夜の手前、狐姫が手を差し出す。

「え? なに、この手」
 ちょうだいハンドを覗き込む想夜に狐姫が一言。
「護衛料、1時間1500円な。分割でもいいぜ」
 と、鼻高々に言う。
「そんな大金持ってないよ! 1500円!? 家建つじゃん!」
「いや、建たねーよ。あと分割手数料1万円な。返済遅れたら1分100円な」
「もー御殿センパーイ! 狐姫ちゃんがまたイジワルー!」
「はい出たー! また御殿センパーイ!」
 狐姫が想夜をおちょくる。
 JCふたり、まったくブレない。


 ハッピータウンの入り口から距離をとった茂み。そこに水角はいた。
 誰の目にも触れないよう、うつ伏せになって息を殺し、ただひたすら望遠鏡で町の様子を伺っている。

 覗き込んだ望遠鏡の景色――。
 遠く、遠く、ずっと遠くに目を凝らす。
 町を抜け、
 工場を抜け、
 たどり着いた視線の先――黒い巨塔の入り口で、女たちが揉めていた。

 ひとりは長い黒髪を右に流して左ワンレンに。
 ひとりは長い黒髪を左に流して右ワンレンに。

 そしてもうひとり――。

 長いミディアムブルーの髪をなびかせながら、白装束の女2人に拘束されている聖女がいた。

 そこへまたひとり――。

 今度は赤黒い髪をなびかせた白装束の女がやってきた。
 その女、右手に大鎌を携え、左手には経典を握っている。

 大鎌の矛先が月夜に照らされ、辺りに反射。まるで死刑執行の瞬間だ。

「大変だ……、お姉ちゃん達に知らせなくちゃ!」
 水角は慌てて立ち上がると、ホテルへと急いだ。