10 忘却の痛みペイン


 一夜明け、準備を整えた一同はハッピータウンの正門前にいた。

 一同――といっても、その場にいるのは想夜、狐姫、水角、麗蘭の4人。他の者は別行動をとっている。

 話の内容は、捕らわれた瞳栖あいすのこと。
「本当に天上なんとかって奴らが『今日の夜』って言ってたのか?」
 狐姫が水角に問いかける。
「うん。間違いないよ。望遠鏡で唇の動きを読めたから。あの人、このままだと殺されちゃう」

 読唇術どくしんじゅつ――唇の動きを見て言葉を理解するスキル。盲目者がこのスキルに長けている事が多い。

 想夜が不安げな表情で麗蘭に問う。
「本当に御殿センパイたちと別行動で良かったんですか?」
「ああ。先ほども言っただろう。咲羅真御殿は体調不良。愛宮叶子と真菓龍華生はマデロムとの戦いには不利。それどころか、リーノとかいう少女を戦闘前に差し出されたのでは、かえって面倒なことにもなり兼ねない」

 リーノは言わば人質。華生の目前に、「仲間を全員始末しろ」と差し出されでもしたら、こちらの体勢が一気に崩れる。叶子と華生に別行動を取らせたのは、それを見越しての苦肉の策だった。

「華生さん、とっても落ち込んでた。もし戦闘になったら、能力を発揮できないかも……」
 叶子と華生の身を案ずる想夜も、酷く落ち込んだ様子だ。感情は感染するもの。
「案ずるな雪車町。代わりに護衛として、叢雲朱鷺を残してきた。あの侍なら皆を守ってくれるだろう」
 麗蘭が持つ朱鷺への信頼は篤い。現在の八卦の中で最強を誇るのだから、それ相応の期待した結果は得られるはずだ。


 数時間前――。

「私たちを残すですって? 何故?」
 訝し気な態度で麗蘭につめよる叶子。

 麗蘭は御殿の体調不良とリーノの件を説明し、3人を説得した――。

 御殿は己の立場を自覚していたのか、麗蘭の考えをすんなりと受け入れた。
 叶子と華生も立場を自覚したのだろう、それを受け入れた。
 叶子に至っては、渋々受け入れたといってもいい。今回に限り、別行動を受け入れるということは、己がマデロムという暴君に敗北した事実までが付きまとってくる。それが腹立たしくて仕方ないのだ。
 とはいえ、華生の精神面のサポートまでも行き届いていなかったことに不甲斐なさを感じ、『ハイヤースペックとは妖精に頼り切りの能力ではなく、スペクター自身が妖精のサポートをできることで本領を発揮できる力』なのだと学習する。

「代わりに君たちには、雪車町の人探しを手伝ってもらう――」
 麗蘭の支持を前に、それぞれが己の立場を受け入れ、マデロムから距離を置いた方が効率よく戦えるという判断に至った。


「――別行動をとることで勢力は分散された。しかし、マデロムが所有するリーノというカードを封じるためには、これしかない。分かってくれるな?」
 麗蘭の言葉を聞き、想夜、狐姫、水角が頷いた。

「分かりました!」
「おう、こっちは任せとけ!」
「ボクにできる事があれば言って下さい」
 年齢的には若すぎるチームだが、麗蘭の思う限りでは、3人とも充分な力を持った戦士たちで心強くもある。
 だが天上人の存在を甘く見てはいけない。気を抜けば、ここにいる全員、死体となるだろう。麗蘭は内心、ピリピリしていた。

 麗蘭がジュラルミンケースに手をかけた時だ。
(来たか……)
 あたりに墨汁をぶちまけたような黒い霧が生まれると、麗蘭たちは息をひそめて状況を伺う。

 ギャアアアアウ!

 人の悲鳴のような、獣の雄叫びのような。耳障りな声があたりに響き、地面に墨汁がにじみ出す。
「まずいな。囲まれたようだ」
「魔族ですね」
「魔臭か。何度嗅いでも慣れないな」
 硫黄に似た悪臭に鼻を曲げてむせる麗蘭。想夜と背を合わせ、周囲の敵を睨みつける。

 黒い水たまりがあちらこちらに出来上がり、その中からヌウッと黒い人型の餓鬼や、獣の原型を留めていないクリーチャーが生み出される。

「ギャアアアウ!」

 小さい体、紫色に変色した肌、かつ貧相な手足に出っ張った腹。出来損ないの鬼の姿で牙を剥きだし威嚇してくる餓鬼。
 いっぽうでは関節が折れ曲がり、黒いアメーバの質感をもったクリーチャーがヨロヨロと足を引きずり向かってくる。

「こんな場所になぜ悪魔が現れるのでしょう?」
 疑問に思う想夜に麗蘭が答える。
「想像に過ぎないが、おそらく天上人に誘われてやってきたのだろう」
「だとすると、天上人というのは邪悪な存在ということなんですね?」
「ああ。少なくとも天からの使者ではない。どちらかと言えば地獄の使者かも知れん」
「地獄の使者……、やっかいですね」

 想夜が背負ったワイズナーを引き抜こうとすると、狐姫が制止した。

「待て想夜。この後マデロムってやつと戦うんだろ? ここは俺と水角に任せて、おまえは体力を残しておけ」
「狐姫ちゃん……」
「言っただろ? 俺が守ってやんよ」
 と親指を立て、白い歯を見せる。
「うん、わかった」
 想夜はその優しさに甘えることにした。

 狐姫と水角が前に出る。

「30体ほどか。水角ぉ、俺全部やっちゃっていい?」
 水角のほうを見ると、既に5体の悪魔の首をはね上げているではないか。
「――え? 狐姫ちゃん、何か言った?」
 何食わぬ顔で振り向く水角。悪魔退治となると目が血走り、八卦特有の鋭い眼光を放ってくる。
「……なんでもねーよ。悪魔相手にムキになるのは姉譲りなのな、おまえ」

 狐姫が袴のボケットに手を突っ込んで聖水のつまった小瓶を確認。

「御殿からもらった聖水は2本。まあ無理に使う必要もないか。ぶっ飛ばしちまえばカンケーねーし」
 半身になって構え、軽いステップを取りながら親指で鼻をはじく。
「ほんじゃ、いっちょやりますか!」
 上半身を大きく手前に倒してダッシュ。拳にマグマを宿しつつ、敵との距離を一気に詰める!
「オラァ、ふっとべぇ!」
 狐姫が大きく振りかぶり、拳を餓鬼の顔面に思い切り叩きつけた!

 ドオオオオン!

 もろにパンチを食らった餓鬼が炎上し、後転しながら吹き飛ぶ!
 燃え上がる死体から距離を取る敵陣。狐姫の存在が危険だと察し、いち早く排除するよう一斉に飛びかかってきた!
「そうそう、最初から束になってかかって来なさい」
 上から攻撃を仕掛けてくる敵に対し、五月雨のような無数のパンチで撃ち落とす!
 たちまち辺り一面が火の海となり、こんがり焼けた魔族の山が出来上がった。

 険しい表情の麗蘭が、戦いの行く末を見届けている。
(これが暴力エクソシストの実力というやつか)
 妖精は酷く暴魔に弱い。魔族を相手にするには、やはり人間の力が必要となってくる。麗蘭はそのことを痛いくらいに再認識するのだ。

 世界中から邪魔者扱いされている暴力エクソシスト。悪魔に対して十字架や聖水では生ぬるいと分かっていて、銃器や拳で道を切り開いてゆく存在。世界平和を求めるならば、そこには力で力を制すことが必要となる場面があるのだ。

 ――それが、今のような状況だ!

「オラァ! チンタラチンタラ動いてんじゃねーよカスが!」
 魔族の群れの中を、灼熱の拳と蹴りで道を切り開いてゆく。

 いっぽうで水角が日本刀を握りしめ、悪魔を横一文字に切り刻んではショルダータックルで弾き飛ばす!
 敵の群れがひるんだところで腕を真横に振りかざした。

「アロウサル! ハイヤースペック・ソニックウォーター!」

 八卦の力を覚醒させると同時に、瞬く間に敵に囲まれる。
「思ったよりも動きが早いなあ……」
 無数の悪魔に追い詰められると林に近づき、ソニックウォーターで大木の向こう側へとすり抜ける。
 多くの悪魔が大木の前でキョロキョロと水角を探すが、突如、後ろからの閃光によって首はすべて弾き飛ばされた。

 カチャン……

 日本刀を鞘に収める水角。静かに息を吐ききり、戦闘を終わらせる。


 敵を一網打尽にしたところで、狐姫が想夜に笑顔を送る。
「どう? ホレた?」
「うん、ホレたホレた!」
 想夜が狐姫の腕に自分の腕を絡ませる。なかよしJC。
「後でアイスおごりな」
「えー、お金持ってないよー」
「10回払いでいいよ」
「やったー!」
「手数料一回500円な」
「手数料? 全部で5000円?」
「おう」
「たかっ」
 狐姫のボディガードは割高だ。


別行動


 一足先にハッピータウンに踏み込んだ叶子たちは、石畳の道で埋め尽くされる街の中を彷徨っていた。

 麗蘭から別行動を促され、想夜の代わりに成瀬氏を探す一行。リーノという切り札を前に、叶子も華生も戦闘を封じられた身。今できる事は人探しくらいのものだろう。

 叶子が街の風景を見渡す。
「ロボットだらけかと思ってたけど、案外いいセンスしてる街ね」
 ドイツのロマンティック街道を思わせる造り。旅行だったらどんなに素晴らしかったことか、残念なことこの上ない。

「御殿、顔色が悪そうだけど大丈夫?」
 終始、御殿の心配をする叶子。

 皆の心配そうな顔を見るたび、御殿も申し訳なさそうに振る舞う。思った以上に体が言うことを聞かなくて、もどかしい気分。

 朱鷺がシトラススティックを取り出し、1本くわえる。
「案ずるな。何かあっても拙者がフォローするさ」
 とは言っても、先ほどから絶念刀の出番ナシ。本当にこの場所が敵陣地アウェイなのか疑い始めていた。

 通行人も怪しい感じはなく、商店街の人型ロボットもごく普通のサービスAI。もちろん攻撃だってしかけてこない。


 叶子は草木が生い茂る場所にベンチを見つけると、そこに腰を下ろして休憩。
「掃除が行き届いていてすがすがしいわ。とても災害があった場所とは思えないわね」

 丸いカプセルに車輪がついた可愛らしいお掃除ロボットが右往左往。それが一同の目の前を行き来しては、街を綺麗な姿に変えてゆく。

「働き者のロボットがいる以外は、どこにでもある普通の街だな」
 朱鷺がため息を漏らした。

 叶子が奮闘して立ち上がる。
「まだ時間はあるわ。もう一度、手分けして探しましょう。朱鷺さんは御殿と右のエリアで聞き込みね。私と華生は左を調べるわ」
「御意だ」
 そんな感じで探し人の成瀬氏は見つからぬまま、時間だけが過ぎていった――。



VS マデロム


 麗蘭たちが正門を抜けると巨漢がひとり、草むらに胡坐をかいている。
「待ちくたびれたぜ――」

 ゆっくりと片膝を立て、腰を上げる猪ヅラの大男。脇に立てかけたワイズナーを手にすると、矛先を想夜に向けた。

「俺はこれから妖精界に帰界する。その前に、テメエとだけはケリをつけておきたい」
 麗蘭が割って入った。
「マデロム、なぜ君はここにきた?」
 その質問に苦笑するマデロム。
「なぁに、つまらねえ用事さ。上層部の命令で、誰もここを通すなと言われている。例えそれがフェアリーフォースであってもだ」
 と、鋭い眼光を向けてくる。麗蘭たちがここに来ると見越していたようだ。

 麗蘭は考える。
(マデロムに指示を出したのは上層部か。となれば、私がここに来ることを知っていた人物?)

 天上人の思惑を影で擁護する存在――それを想像した麗蘭は、フェアリーフォースの闇を再認識するのだ。

「いったい、この街で何が行われようとしている?」
「あん? 知らねえよ、俺には関係のねえことだ」
 麗蘭の問いに、マデロムは不愛想に答えた。

 麗蘭が周囲を見渡すと、そこにリーノの姿はなく、他の隊員もいない。マデロム一人という状況から読み解くと、想夜との勝負は彼が単独で行っていること。何としても藍鬼と殺りあいたいらしい。

「マデロム、君はそんなに雪車町と決着をつけたいのか? 決闘罪はフェアリーフォースにもある。上層部に知られれば罰せられるぞ?」

 決闘罪――人間界での正式名称は「決闘罪に関する件」という変わった名前の法律。決闘に関わった本人、立ち合い人、決闘場提供者も罪に問われる。法令番号は、明治22年法律第34号。

「上層部のお咎めなんざ怖くもなんともねえ。それが不安なら、隊長のテメエが黙っていればいいってだけの話よ。それとも京極が俺のサンドバッグにでもなってくれるのか? ああ?」
 マデロムはほくそ笑むと、過去を振り返る。
「――なあ京極。俺、言ったよなあ? 入隊してきた時からずっと、お前のことが気に入らなかったって事をよお?」

 電ノコ型のワイズナーをゆっくりと手前に掲げる。過去に思いを巡らせながら手元から、矛先にかけて視線をおくり、切れ味をチェック。

「正義だの秩序だのと体裁のいいことばかり言ってきたお前が、人間界でウロチョロしながら事情聴取。ハハ、笑わせるぜ」

 今回の麗蘭の任務は、華生の連行と想夜の事情聴取――そんな汗臭い労働を吐き捨てるように笑い、波状の矛先を麗蘭に向けた。

「――お前だって分かってんだろう? クソまじめに任務を果たそうとも、俺ら軍人は所詮使い捨ての駒に過ぎねえ。命を捨ててまで庶民のために戦う奴の気が知れねえ。好き勝手言いやがる奴らのために、どうして命をかけなければならないんだ?」

 麗蘭は閉じていた瞼を開き、己が信念を口にする。

「――それが使命だからだ」

 そう言い切った。
 「それが使命だからだ。それがフェアリーフォースだからだ」と――。

 それを耳にした途端、マデロムが表情を歪ませた。
「ああ?」
 麗蘭の正義感が癪に障ったのだろう。声を荒げ、叩きつけるように麗蘭を睨みつけてくるのだ。
「それが気に入らねえっつってんだよ! いつの間にか細胞の隅々まで染み込んできた言葉さ! 使命だの任務だの役割だの……俺は生き方さえも自分てめえで決められない世界に用はねえ! 例え政府に飼い慣らされても、俺は本音に忠実に生きている。てめえらロボットとは格が違うんだよクソボケがああああ!」
 そばにあった巨大な岩にイラつきを叩きつけるよう、拳を振り上げる!

 ドン!

 岩のド真ん中に小さなクレーターができ上がり、粉砕した部分はちりと化した。

(相変わらずの馬力だな。雪車町が一発でも食らえば、ひとたまりもないだろう)

 けれども、麗蘭は小さな違和感を見逃さなかった。マデロムの手の動きがぎこちないのだ。

(――ん? マデロムの奴、ひょっとして……)

 指先一本一本が腫れたその腕は、藍鬼の攻撃により負傷していた。このまま戦闘を続ければ最悪、二度と腕が上がらなくなるだろう――そう麗蘭は察したのだ。それ故、一歩踏み出してはマデロムに近づく。

「おいマデロ……」
「京極隊長――」
 それを止めに入ったのは想夜だった。
「雪車町……」
 麗蘭に対して想夜がうなずく。
「京極隊長、離れていてください」
 眉を吊り上げ、険しい表情を作る想夜。視線をまっすぐ麗蘭に向けてくる。マデロムが負傷していると知りながら、それでも決闘を受け入れている。

 この身が粉々になるまで戦いたい――暴君が抱きし思い。溢れんばかりの血潮が破壊衝動となりて、チンタラと燻っていることを許さない。派手に暴れなければイラつきが増すだけ。そうでなければ己が存在している意味はない。

 想夜だって言葉に出来ない感情から、叫びたい事がある。溢れんばかりの叫びを押さえつけるのは、時として心の底でイラつく燻りとなる。心のモヤモヤした、あの嫌な感じの事だ。同じ心境を経験しているからこそ、誰よりもマデロムの気持ちを察することができる。

 叫びたい、何かを思い切りぶち壊したい――そんな溢れんばかりの感情。その正体が何なのか。これから想夜は、それに直面する。

「――分かった。マデロムは君に任せる。くれぐれも気を付けろよ」
 部下を信じ、後ろ足で身を引く麗蘭。そうやって見物人に徹することにした。

 想夜の視線。瞬きひとつせず、まっすぐにマデロムを捕らえている。
 マデロムが想夜を見据える。
「このあいだフルボッコにしてやったが、手加減してやったってことは分かっているな?」

 その問いに、想夜は黙ったまま頷きひとつせずにワイズナーを引き抜いた。

「ほお、覚悟は決めてきたようだな。そうでなきゃ面白くねえ」

 想夜に続き、マデロムもワイズナーを構える。

 想夜が瞼を閉じ、深く、深く、深呼吸。

 ふと、成瀬夫人の声が蘇る――。
 午後のひととき。あのお茶の時間に得られたものは、美味しい紅茶や、甘いお菓子だけじゃない――。

(使う時、使わない時。使うべき時、使う必要のない時。節約。互いを補う)

『そう、ハイブリッドね――』
 成瀬夫人の声が聞こえた――。

 精神統一の後、ゆっくり瞼を開いてワイズナーを手前で横に構え、声を発する!

藍ー鬼おーにさーんこちら!」

 その場にいる一同の肌にビリビリとした妖精反応。その後、あたりが藍色のオーロラに包まれる!

 想夜はワイズナーを持った腕をぶらりと垂れ下げ、矛先を地面で引きずるように、半身の構えのゾンビのように佇む。

 闇を抱きしダークブルー。
 それこそが藍色。
 藍色の鬼、ここに現る――。

 マデロムの目つきが歓喜に変わった。
「いいねえ、そのイカレっぷり。ぶっ飛ばし甲斐があるってもんよ。いくぜえええええ!」
 雄叫びを上げ、ワイズナーを振り上げた、その時だ。

「シャドウシーズン、ホットスタンバイ!」

 目の前の藍鬼が声を発し、奇妙な行動に出る。正気に戻ったように瞳がしっかりとして、まっすぐにマデロムを捕らえ、藍色のオーラがたちまち委縮を始めた。

「――あ?」
 何が起こったのか分からないマデロム。訝し気な表情をつくり、藍鬼を凝視した。
 するとどうだろう? 藍鬼から色が抜け落ち、だんだんと想夜に戻ってゆくではないか。

 想夜を取り巻く藍色のオーラは、決して想夜自身を飲み込まず、大人しく周囲を取り巻いくだけにとどまっている。

 鬼の形相になったのはマデロムのほう。藍鬼が消えたこの状況、ケンカ好きとしては面白いわけがない。
「鬼化を解いただあ? ……てめえ、一体何のつもりだ!? 俺をバカにしてんのか! ああ!?」

 想夜はワイズナーを背中に戻すと、右手を手前に突き出し、半身の姿勢で構えを取った。

 クイッ、クイッ。

 拳法の達人よろしく、上に向けた掌を折り曲げ、相手を挑発する想夜。

「ほお、京極流か。一度手合わせしてみたいと思ってたんだぜ」
 マデロムも想夜と同様、背中にワイズナーを戻すと、首の関節をコキコキ鳴らして拳を作る。
「鬼化を解いたことを後悔させてやるぜ。どうせパンチ一発食らえば、またすぐに鬼の力にすがりつきたくなるってもんよ」
 ちょっと痛めつければ、想夜が弱音を吐いて藍鬼にバトンタッチする。今だって目の前のガキんちょはビビッているはずだ。そう確信していた。

 ――が、マデロムの予想に反し、想夜は平然と一歩を踏み出し、広げた羽にブーストをかけて全力で突っ込んでゆく!

(早えぇ! これが話に聞くピクシーブースターってヤツか!)
 マデロムは両腕を交差させて顔面を防御するも、想夜はそこには手を出さず、巨漢の目の前で後ろに回り込み、間髪入れずに後頭部にケリをぶち込んだ!

 ガン!

「うぐぁ!?」
 鈍い音が響き、巨漢の脳全体が揺さぶられて軽い脳震盪が起こる!
 マデロムの体がグラリと揺れて腰を曲げ、手前につんのめって片膝をついた。
(ああ!? この俺が、こんなチビに吹き飛ばされただあ!?)
 ありえない光景を突きつけられるが、起こった事実は現実。それを受け入れざるを得ない。

 鼻息を荒げ、首を大げさに左右させ、乱れた焦点を定めるマデロム。

「ふうううう! 一体、何が起こったんだ!?」
 ピクシーブースターを用いて体重を乗せた回し蹴り。それもただの蹴りではない。明らかに特殊な力が上乗せされていた。
「なんだったんだ、今の蹴りの重みは……」
 たじろぐマデロム。それもそのはず。たった一発ケリを食らっただけなのに、膝がガクガクと笑って一歩を踏み出せないのだ。
「俺が、この俺が恐怖を感じている……だと!?」

 ――信じられなかった。
 少女のケリでビビる自分の不甲斐なさ。それを受け入れるくらいなら、ここで腹を裂いて死んだほうがマシだ。

 想夜を凝視する――マデロムの視線の先、少女の周りに藍色の蒸気がモヤモヤと停滞している。決して藍色に包まれているわけではなく、ただ藍色に染まらず、まとっているだけだ。

「あん? なんだ、あの異質なオーラは……?」
 マデロムは瞬時に推測した。
「――そうか、こまめに鬼化と解除を繰り返してやがるのか!」

 攻撃を叩き込む時だけ藍鬼化を発動。それ以外は想夜自らのパワーで踏ん張っている。
 マデロムほどのレベルになれば、その行為がどれだけ危険かは想像ができた。
「鬼化の節約ってか? けどよお、そんなことを繰り返し続けてみろ。体にかかる負荷は半端ねえぜ?」
 ペッと口の中に充満する血反吐を吐き捨てた。
「まあ、テメエはそれを受け入れているんだろうけどよ」

 案の定、想夜の全身は、耳なし芳一よろしく得体の知れない文字に埋め尽くされていた。先日のシュベスタ脱出時と同じ状態だった。鬼の制御に精一杯なのだ。

 体中を這ってくる文字軍は、やがて想夜の手足から同体へ。同体から首を伝って頬まで侵略してくる。肌に文字が刻まれれば、その場所には血管をえぐられるような強烈な痛みが伴う。その苦痛が全身に達すれば、普通の子供ならのたうち回る頃だろう。

 それでも想夜は、構えを解かなかった――。
 それが力を好むマデロムに対する礼儀だと知って、あえて全力で挑むのだ。

「見てみろよ、テメエのみっともねえ姿をよお。全身、失敗したタトゥーみてぇじゃねえか」
「……」
 マデロムの挑発。それが聞こえているのか聞こえていないのか、想夜は黙ったまま挑み続ける。
「おい、何とか言えよ」
「……」

 想夜は口を閉ざし、ただまっすぐにマデロムを見据えてくる。
 視線をそらさず、マデロムしか見ていない。
 マデロム以外は、眼中にないのだ。

「へっ、おもしれえ、本当におもしれえぜ!」
 太い指で想夜を指さす。
「今の状態を続ければテメエの肉体は1分と持たねえ。それでも……、それでもテメエは、その戦い方を続けるというのか? ああ?」
「……」
 マデロムの声を聞いてもなお、想夜は拳を突き出して構えを解かない。

 まっすぐに向かってくる想夜の眼差し――そこに恐れは、微塵もない。

「たった1分に全てを賭けるってえのか、ああ? テメェはこの1分に、今まで培ってきた力、すべてを注ぎ込むってえのか!? 答えろ!」
「……」

 ――無論だ。想夜の眼差しはそう答えている。

 力に対し、すべての力を注ぎ込む――相手をもてなす心。それを礼儀と呼ばずして、他に何と呼ぶのだろう?

(藍鬼さんに丸投げしてきた反省、マデロム隊長に全力でもてなす礼儀。あたし、負けないんだから!)

 一直線に向かってくる想夜に、マデロムは一歩踏み出して拳を叩きつけた!
「うぜええええええええええ!」
「藍鬼を紡ぐ!」
 想夜も拳にありったけのバワーを注ぎ、マデロム目掛けて叩きつける!

 刹那瞬せつなしゅん、藍色の光が想夜を包み、あらゆる速度と威力に加速をかける!

 拳と拳!
 戦鬼と戦鬼のぶつかり合い!

 2つの拳が接触した瞬間――

 ドオオオオオオオオオオン!

 爆発音とともに周囲に突風が吹き荒れ、ハリケーンのような土煙を舞い上げた!

「――始まった!」
 麗蘭が突風で乱れた髪を手で覆い、嵐の中へと視線を向けて目を凝らす。
 もう後には引き返せない、戦鬼同士の攻撃が瞬く間に周囲に飛び火してゆく!

 水角が目を凝らす。
「すごいよ想夜ちゃん、攻撃と回避の瞬間だけ鬼化シャドウシーズンを起動させている。それ以外は想夜ちゃんのままだ」
 水角の横で麗蘭が難しい顔で頷く。
「ああ。鬼化のオン・オフがうまい具合に出来ている。けれども、どこまで通用するか……」

 想夜の全身に文字が浮かび上がり、それはいびつで目も当てられない姿。けれど、ここで目を背けていたのでは想夜の有志を見届けることができない。麗蘭には誇り高き部下を目に焼き付けておく務めがある。自分の部下の姿を、魂に刻んでいたいのだ。誇らしい部下を、己の細胞に刻んでいたいのだ。

「今の雪車町はマデロムに対して容赦がない。場合によってはトドメを刺しに出るかも知れん」
 そんな一抹の不安を抱きながらも、外野はただの見物人でしかない。この戦いの結末を、じっと見届けるしかないのだ。

 ボシュウ!

 ピクシーブースターで巨漢の周りをグルグルと回る想夜。
「ちょこまかと、ウゼェ!」
 蚊を振り払うように腕を振り回すが、攻撃は一向に当たらない。
 ヒット&アウェイでじわりじわりと体力を削ってゆく。力でゴリ押ししない戦闘方法は、今までの藍鬼とはまるで別物。継続した馬鹿力は出せないけれど、こまめに力を放出することで10秒ほどの藍鬼化を1分弱まで伸ばすことができる。

 ただ、1分後に想夜の身に何が起こるかは大体予想がつく。ヘタをすれば、全身の毛穴から血が吹き出し、最悪、発狂して死にいたる。

 ――それでも進む覚悟を持った者にこそ、この戦略は味方をしてくれる。

 マデロムとて戦いの鬼。想夜の戦略は瞬時に察している。身をかがめて防御の姿勢を崩さず、ひたすら想夜の出方を待つ。
(攻撃をしかける時だけ鬼化してやがる。となれば――)

「力を紡ぐ!」
 ピクシーブースターで間合いを詰めてきた想夜だったが、マデロムの目の前でワイズナーを振り上げた瞬間――

(――今だ!)

 マデロムはニヤリと笑いワイズナーの攻撃をかわすと、すぐさま、鬼化を解いた想夜の横っ腹にパンチを叩きつけた!

 ボフッ!

「うぐあ!?」
 想夜の横っ腹に巨大な拳がめり込み、「ミシッ……」と鈍い音を立ては遠くまで吹き飛ばされていった。

「しまった! イノシシパンチがダイレクトに決まったぜ!?」
 狐姫が声を上げる。

「はははははっ、どうよ? 今のは痛てえだろう?」
 感無量のマデロムはスッキリした表情で想夜を嘲笑う。綺麗にパンチが決まった時の爽快感はハンパない。

「う、うげえええ!」
 地面に這いつくばる想夜。胃袋から苦い液体がこみ上げてきては、そこら中に吐瀉物をぶちまけた。
(ま、負けないんだから……)
 血の混じったそれを見て、口の中に充満する反吐をペッと吐き出しては立ち上がる。
「はははっ、汚ったねえなあ。無様にゲロってやがらあっ」
 そんな想夜を腹を抱えて笑うマデロム。

 想夜は笑われながらも、まっすぐに相手を見つめ、ワイズナーを握り直した。

「ほお、まだやれるってか? おもしれ……」
 マデロムがワイズナーを握るのを待たずして、想夜はピクシーブースターに藍鬼化を紡いで一気に突っ込でゆく!

 ガン!

「ぐあ!?」

 想夜の頭突き!
 マデロムが後ろに大きくのけ反った!

「武器を使わず……、頭突き、だとお!?」
 顔面ど真ん中に想夜の額がめり込み、一瞬だけマデロムの意識を飛ばすことに成功。その後、ひるんだ巨漢の全身に数百発のパンチを浴びせる!

 ドドドドドドドドドド!

 藍鬼の奇襲に巨漢が躍る!

「すげえ! あんなパンチの雨浴びたらたまったもんじゃねえぜ……」
 狐姫が思わず息を呑んだ。

「やってくれんじゃねーか、このクソガキ!」
 マデロムも負けじと、すぐさま両腕を交差させてガードに入り、隙を見ては反撃に出る!

 ドドド!
 ガンガン!

 互いの肉と肉がぶつかり合い、武器と武器が激突!
 そうやって想夜とマデロムの攻防はひたすら繰り返された。

 40秒ほど両者の肉弾戦が続く。
 想夜の体力もほどんど尽きている頃だ。

 互いに攻撃をぶつけ合い、体力を削り合い、そして最後には、その場に跪く――。

「――こんな、こんなクソチビに……、俺が負けるわけねえだろうがよおおおお!」
 口の中いっぱいに鉄の味が充満しては、マデロムのアドレナリンが雄叫びを上げさせる。

「俺はマデロムだ! 力こそが俺の存在意義! 鬼神こそが俺の二つ名にふさわしい! 俺こそが力だ! 俺こそがパワーだああああああ!」

 殴って殴って、斬り付け殴る!

 想夜は小さい体でマデロムの腕に張りつき、肩までよじの登ると、左右の足で腕を挟み込んで関節を決める。

「想夜のやつ、マデロムの関節を取ったぞ!」
 狐姫が歓喜する!
「くそ、京極流サブミッションか! うぜえ!」
 右肩にからまる想夜を振りまわし、左手ではぎ取っては足元に叩きつける!

 ドオオオオン!

 地響きとともに想夜の体が地面に激突!
「ぐ、ふう!」
 そこに大きなクレーターを作り上げた。

 想夜の背中を伝う衝撃が、肋骨から肺の中まで侵入。臓器を揺さぶる激痛に襲われ、苦痛と血が入り混じった吐息を漏らす。

「まだまだあ!」
 マデロムは想夜の頭を片手で包むと、思い切り遠くにぶん投げた。
 想夜の体がボールのように弧を描いて落下してゆくが、地面に激突する寸前、ピクシーブースターで反転。ふたたびマデロム目がけ、猛スピードで突っ込んでくる!

 そうして再び、相手に拳を叩きつけるのだ。

 どちらがどちらを? それを問うのは弱者の努め。両者、強者たるもの。殴り、殴られ、そこに存在している。

 鬼神2人、そこにあり――。


 ピクシーブースターを使い、マデロムの目の前で反動をつけた回し蹴りを見舞う想夜!
 自分の横っ面に藍色の蹴りが届く瞬間、マデロムは瞬時に左腕でガード!
「あいつ、想夜の蹴りを止めやがった!」
「藍鬼のスピードについていってるだと!?」
 鬼の速度に匹敵する防御の速さに、見ている者たちは度肝を抜く。が――

 ベキッ……

 鈍い音とともに、マデロムの太い腕がくの字に曲がり、手首と肘の間にもう一つ関節が増えた。

(クッソ! コイツ、俺の左腕を折りやがった!)
 何百何千という鬼の攻撃を腕一本で防いできたのだ。当然、骨にはダメージが蓄積され、非常にもろくなっている。

「疲労骨折!? マデロムの骨にヒビを作り上げていたのか。あのマデロムの鉄壁でさえ連続で防御すれば、あのようになる。藍鬼の攻撃を食らえばひとたまりもないということか」

 疲労骨折――骨の同じ場所に繰り返し力を与えることで、その場所にダメージが蓄積され、小さなヒビが骨折にまで至ること。

 可愛い部下の鬼のような形相に、麗蘭は息を呑んでいた。


 どれほどのぶつかり合いが続いただろう?
 どれほどの時間が2人に、周囲の者たちに緊迫感を与えただろう?

 1分に満たないというのに、永遠に戦い続けていたかにも思える。

 それでも物足りない、鬼神ふたり――想夜とマデロムは、血まみれの体を引きずり、ワイズナーを握るのだ。

「へ、へへっ、もう体力も残っちゃいねえだろう……」
 息絶え絶えのマデロムがワイズナーを振り上げる。

 ――と同時に、想夜もワイズナーを振り上げた。

(あたしの体、もう5秒持たない。隙が欲しい……、もっと大きな隙を作れれば……)
 想夜は終始、マデロムの隙を伺っていた。少しでも大きな隙を作り出せれば、そこに『とっておきのヤツ』をぶち込める。

 訓練校の授業――むかし麗蘭が言っていた言葉を思い出す。

『相手が大きすぎて敵わないだと? いいか雪車町。どんなに大きな奴でも、生まれてから一度は必ず転んだことがある。どんなに大きな体だったとしても、石ころ1つでバランスを崩して簡単に転倒する。タイミングさえ読めば、どんな巨漢でさえも、ちょっとしたことで転ばせることができるんだ――』

(タイミング、タイミング、タイミング……)
 想夜はマデロムの足先から頭のてっぺんまでを見つめる。
(マデロム隊長でも、一度は転んだことがある……)
 足元を見つめ、さらには地面を見つめる想夜。
(マデロム隊長も、ちょっとしたことで転ぶ――)

 人は誰しも転ぶ。
 転んだことがない奴は、ひとりもいない――。

「オラオラどうしたあ! 俺の攻撃は終わらねえぜえ!」
 もう大して力も残っていないくせに、威勢だけはガキ大将。両手に握りしめたワイズナーで突っ込んでくる!

「――今だ!」

 想夜はそのタイミングを逃さなかった。マデロムの手前までピクシーブースターで間合いを詰めると、目の前でうずくまり、背を丸め、アルマジロのようにまん丸になった。
「なん、だと!?」
 拍子抜けした顔を作るマデロム。足元で丸くなる想夜の体に足を引っかけてしまい、大きく体勢を崩した。

 ずでえええん!

 軽い地響き。巨漢が躓き、地面に突っ伏す!
 どんな巨大な奴でも、やり方次第で簡単に転ばせることができる。

 這いつくばったマデロムが見上げると、すぐ目の前で想夜がワイズナーを振り上げているではないか!

「雪車町のやつ! あんな至近距離からザッパーをぶっ放す気か!?」

 麗蘭が叫んだ通りの行動――藍鬼想夜が両手で握ったワイズナーの矛先を天高く掲げる!

 マデロムは藍鬼の目を見て言葉を漏らす。
「クソ……、こいつの目、とても正気じゃねえ!」

 例えばクラスメイトの嫌な奴から惨い仕打ちを受けた時、そこには相手を八つ裂きにしてやりたいといった気持ちが芽生える。そんな感情をむき出しにした時、自然と瞳には暴力的な衝動が姿を現し、ナイフのように鋭い眼力を作り上げる。目の前の藍鬼には、それに別の何かが調合され、見たこともないほどに殺意的な眼差しをしていた。

 魅惑的な殺意のこもった瞳、見れば見るほどやみつきになりそうなくらいにマデロムを凝視してくる。

「コイツ、俺だけを見ている。俺だけで視界をいっぱいにしてやがる。こんなにも、こんなにも俺に対して、心をいっぱいにしてくるヤツがいたのか……」

 今の感情を言葉で表現するとしたら、抱擁感――全身全霊を以ってして、自分に力を解き放ってくれる存在。自分のことを見てくれる存在。

 ――俺は、殺意に惹かれているとでもいうのか?

 やがてマデロムの視界が真っ白に覆いつくされる!

「フェイトン……」
 ワイズナーの根本から矛先にかけて荒ぶるほどに巨大なかまいたちを生み出し、フェイトンザッパーを発動!

「これが、フェアリーフォースの戦艦を真っ二つに切り裂いたと聞く、あの技かよ……!」
 今、光を発するかまいたちの目の前で、その餌食となる男が呟いた。

「藍色の鬼……そんな目で見られたら惹かれちまうじゃねえか。てめえは立派な鬼、てめえこそが藍鬼だ――」

 周囲が消し飛ぶほどの強烈なかまいたち――それを生身の妖精ひとりにぶつけるというのだ。鬼は、容赦がない。

 威圧的な光に導かれ、周囲の空気が揺さぶられる!

 迫りくる光を前に、マデロムは一種のエクスタシーを覚えるのだ。

 ワイズナーを握り直すマデロム!
「けどよお、これだけで終われるかよ!」
 武器と武器が強烈な叫びを上げる!

 ギギギギギイイイン!

 両手でワイズナーをしっかり構え、想夜の攻撃を防いだ――が、全身の筋肉が引き千切れんばかりの力を以ってしても、藍鬼の驚異的な力には到底及ばなかった。

「すげえ! すげえすげえ! こんなの食らったんじゃ、俺の体、バラバラだぜ……」
 それが恐怖でなく喜びであること。それが己よりも力を持った者がいるという確証。敗北を受け入れるという覚悟。

「でも、でもよお――」

 そう、お前はマデロム。諦める前に、すべきことがあるだろうが――。

 力を求める男の役割。
 命尽きるまで、抗うということ――。

「最後まで、くたばるその瞬間まで、俺は暴れて、暴れて、暴れてやるのさあああああ!」

 ガガガガガ!

 巨大なかまいたちが押し寄せる手前、地面が削れる音とともに、マデロムの膝が地面に埋もれてゆく!

「鬼ならば、苦痛を知っているのなら、分かるだろう? 自分を縛り付ける得体の知れない何かをぶちのめしたい気持ちが……俺の中にも、あるって事がよおおおおお!」
 マデロムが魂の底から叫んだ!

 ――もう、鬼の力を支えることができないと知っていながら、往生際の悪い奴と言われても、それでも、それでも、抗い続けるのだ。

 想夜の矛先が、あと数センチ落ちれば、マデロムの巨漢は真っ二つに終わる。

「そんなにバッジが欲しいのかよ!? 仲間の評価がそんなに欲しいのかよ!? 正義ヅラしやがって……、テメエだって……テメエだって、今まで気に食わねえ奴らをボコってきた暴力魔じゃねえのか!? 俺と同じじゃねえのかよおおおお!」

 なぜ戦い続ける?
 なぜ抗い続ける?

 ――マデロムはそう思う。力ばかりを求めてきたけれど、やがて、そうやって、一つの答えを再認識するのだ。

「わかっているさ。俺はもう、わかっているんだ――コイツは……、目の前にいるこいつは、バッジの為に戦っているんじゃなく……」

 友の為でもなく、仲間の為でもない。
 そうかと言って、己が勝利した時の優越感の為でもない。

「鬼の力に溺れる事なく、一発一発、おれの攻撃に敬意を示し、それを礼節として受け入れているということを――」

 そうやってマデロムの顔は、自然と笑顔に変わってゆく。

「そうさ、こいつは、俺の為に戦っている。俺を満たしてくれている。損得ばかりを考え、ただ力ばかりを欲する俺の為に、俺の陳腐なプライドを良しとして認めてくれている。俺をただの暴力魔ではなく、ひとりの戦士として受け入れてくれる――」

 ――この世界に、まだそんな奴がいただなんて。

 こいつこそ、俺の求めていた存在。
 目の前のこいつこそ、力に愛されし、戦いの女神じゃないか――。

 敵のプライドの為に命まで差し出す事なんて……、
 今まで一度もなかったよな、俺――。


 これが、力に愛される奴の生き様なのか――。
 完敗だぜ、愛しき藍鬼――



 マデロムはフェイトンザッパーを防ぎ切った挙句、過度な筋肉の使用により、あちらこちらの血管が断裂。一気に血をまき散らした。

 体勢を崩したマデロム。前のめりになり、それでも残りの力で姿勢を正す。残りのプライドを全て出し切りたかった。

 そうやって、ひとりの鬼神、その場に崩れる――。

 ドオオオオン……

 巨漢が後ろに倒れ、軽い地響きを起こす。
 想夜がマデロムに勝利した瞬間だった――。


手を差し伸べるという事


 叶子が周囲を見回し、肩を落とす。
「街を一通り見て回ったたけど……、収穫ゼロね。諦めるのはもどかしいけれど、想夜たちと合流しましょう」
「そうですね……」
 華生も落胆し、集合地点に向かうことにした。


 街の出口へ向かう途中の事、噴水広場に一人の少女を見つけた。

「リーノ……」

 華生の視線の先――リーノが立ち尽くし、黙って空を見つめている。笑うでも悲しむでもなく、ただ口を閉ざし、空を見つめている。

 他の隊員はいない。リーノひとりきり。

「叶子様……」
 華生の一言で叶子は察した。
「華生ひとりでも大丈夫ね?」
「――はい」

 華生は他の者を残し、ひとり躊躇いながらもリーノに近づいてゆく。

 華生が近づいてくるのが分かっていたのだろう。先に口を開いたのはリーノの方。

「――この空も、パパとママのいる場所までつながっているのかな?」
 青い空を見つめ、両親を思う。

「ええ。そうよ」
 そう言ってみたものの、華生の声を聞いたリーノは苦笑した。
「うそ。パパとママは疫病で死んじゃったんでしょ?」

 同じことを麗蘭から聞かされている。麗蘭自身も瞳栖から聞かされた。伝書鳩にくくり付けられた手紙に書いてあったのだ。

 『収容所で疫病が蔓延。生存者は皆無――』

 孤島に残された多くの囚人たちは疫病の餌食となっていた。
 死体の処理は野鳥がおこない、孤島に散らばる死体は綺麗に片付けられた。
 野鳥は死体に群がり、死肉をむさぼる。その体にも病が感染していると知らず、孤島から飛び立つこともできぬまま、あたり一面、屍の山と化していった。
 
 孤島は、屍だけとなった――。

 当然のことながら、リーノの両親もそこで朽ち果てている。生存は皆無なのだから。

 華生はリーノの傷心を少しでも癒せるようにと、あえて笑顔を作る。
「ねえリーノ、覚えている? あの時のシチューの味」
 リーノは空を見上げ、心に過去を描いた。
「――覚えているよ。あの時のシチューの味は忘れない」
 その後、今にも溢れ出しそうな感情の波を抑えながら呟いた。
「だって、忘れられるわけないもの。人を助ければ地獄に堕ちる、そう知った日の味だから――」

 忘れられるわけないもの――。

 その言葉は世界中のどんな鋭利な刃よりも鋭く、華生の耳を通り、心臓の奥深くまで達してはグサリと貫いた。

「人に手を差し伸べるって、どういうことなんだろうね。自分の幸せと引き換えに、他人に幸せになってもらうということ? 他人の幸せと引き換えに、家族を悪魔に差し出すこと? だったら、自分の幸せを優先させたほうがいいよ。パパとママの幸せを優先させたほうがいい」

 誰よりも、何よりも、世界中のどんな偉人の言葉よりも、リーノが発した言葉は正論だった。大切なものと他人の命、天秤にかけるまでもないのだから。

 己が逃亡した先々で妖精たちが不幸になった事実。それは逃れる事のできない事実――華生はその事実を受け入れるため、ふたたびリーノと出会った。

 再会の時――女神が与えてくれた時間は、覚悟を決めるためのもの。傷つけてしまった者に、どうあがなうかを決めるためのもの。

 華生はリーノの背中にそっと手をかけ、言葉を告げる。
「もし、あなたがシチューの味を苦痛とするのなら、わたくしがあなたのためにシチューを作ります。あなたの中のシチューの味を変えられるよう、一生、あなたのためにシチューを作り続けます」
 その言葉が癪に障ったのだろう。リーノは振り向き、涙いっぱいに声を荒げた。
「もう、遅いよ! だってパパとママはもう、もう帰ってこないんだもの!」
 そう言って、ありったけの憎悪を瞳に宿すのだ。

 初めて見せるリーノの感情。それが本心。憎悪、それも氷山の一角。
 大切なものを取り上げられた子供の悲痛は、風となって無へと消える。

 華生はクシャクシャになったリーノの表情から目を背けることはしなかった。彼女の激痛を受け入れなければならない。そんな宿命を背負い続けて生きてきた。そしてこれからも、十字架を背負って生きてゆく覚悟がある。

 リーノは乱暴に涙を拭い、いつもの力ない笑顔に戻る。

「もうリーノの心、壊れちゃったから。こうやって、ウソでもいいから笑っていれば、神様はパパとママに会わせてくれるって信じてたけど、もう、無意味なんだね」
 どんなに叫ぼうとも、愛すべき両親が目の前に現れるわけではない。それを知り、悪あがきをするくらいなら、いっその事、幸福すべてを捨ててしまったほうが楽だ。だって、失った時の痛みとも無縁になるのだから。

 傷つきたくないのなら、作らなければいい――リーノを取り巻く閉塞感は、怨霊のように彼女の体を縛り、そうやって過去の悪夢から逃さない。

 華生はリーノに自分の過去を打ち明ける。
「わたくしの両親も政府に殺されました。朝起きると家中、血の海でした」

 それを黙って聞くリーノ。
 華生は話を続けた。

「わたくしは多くの助けを求め、妖精界をさまよい、そうしてあなたたち家族に出逢った」
 リーノは吐き捨てるように、うそぶいた。
「ウチになんて来なければ良かったのに……」
「――そうね。わたくしがあなたの家を訪れなければ、今頃はきっと、あなたはご両親と幸せな日々を送っていたでしょう」

 華生はそっとリーノの手を握った。

「わたくしには、あなたの心の傷を埋めることはできないかもしれない。けれども、毎日温かい食事を作ることくらいは出来ます。あなたのご両親に教えて頂いたシチューの味は、今もこの手に焼きついているんですもの」

 華生はあのシチューの味を完全にコピーしている。

「――かといって、リーノがわたくしのシチューを口にしても、きっとご両親が作ってくれた味とは同じにはならないでしょう。わたくしには、あなたの胃袋を満たすことしかできない。その胸を、満たす事はできない」
 華生は己の無力さをかみしめ、それでもリーノの食卓を思い描くのだ。暖かい食事を願い続けながら。

 リーノは、無理やり吹っ切れたような声で話はじめた。

「マデロム隊長と再会した時ね、リーノ、この人を殺してやろうと思ってたんだ。でもね、そんなことしてもパパとママは戻ってきれくれないし、マデロム隊長を見てるとね、なんだか可哀想な人だなあって思って」
「マデロムが、可哀想?」
 首を傾げる華生に、リーノが答える。
「お姉ちゃんも見たでしょ? あの時のマデロム隊長、パンを全部平らげてた。きっとおいしいって言うのが恥ずかしいんだね」

 白い歯を見せ、ニシシと笑うその表情。無理をしてでも笑うクセとは違い、本心からの笑みなのだろう。心が壊れたと言えど、ちりと化したわけでもなさそうだ。

 華生は意気込んでリーノに言う。
「わたくし、あの時のパンの味も覚えてます! わたくしの作るパンは、あなたの食卓から学びました! わたくしにはあなたの胸の傷を塞ぐことはできません。けれども、胃袋は満たす事ができます!」

 リーノの心を修復するには時間がかかる。深くえぐられた胸の傷を埋めるため、華生はあの時のシチューを作り続けると、ここで誓うのだ。それしか出来ないというのなら、出来る事から始めようではないか。少しずつ、ちょっとずつ、ぽっかり開いた穴を埋めるのだ。

「わたくしは、あなたの心の傷が癒えるまで、ずっと、ずっと、あなたのためにシチューを作り続けます」

 遠くで見ている叶子も、かるく頷き、終始を受け入れている。

 リーノは華生の目をまっすぐに見つめ、まるで瞳の奥をサーチしているかのように凝視する。その後、少しだけ吹き出してみせるのだ。

「なんか、大声出したらシラけちゃった。リーノ、マデロム隊長の所へ戻らなきゃ」
 飛行機の羽のように両手を広げ、ハッピータウンを出てゆくリーノ。
「私たちも他の人たちと合流しましょう。想夜とマデロムの事が気になるわ」
 叶子たちもリーノの後ろについていった。


リーノの気持ち


 ハッピータウンから戻ったリーノと叶子たちを待っていたのは、想夜の足もとでダウンしているマデロムの姿だった。

「想夜が勝ったのね」
 叶子はそう確信した。

「マデロム隊長、どうして寝てるの?」
 今までの暴君らしからぬ姿を、リーノは無表情で見つめている。まるで電池が切れた人形のようだ。

 抑えていた感情がむき出しになる瞬間なんて、あっという間に起こるもの。リーノの中でひとつの概念が崩れた瞬間だった。

「あれだけ好き勝手に暴れておきながら、最後はコレですか……?」
 リーノはマデロムに近づき、その場にしゃがむと、自分の手を大木のような右腕に当てた。
「マデロム隊長、右腕、折れてますね、痛みますか?」
 そう言って思い切り手に力を込めた。

 ギリギリギリ!

 歯医者で泣き叫ぶ子供のようになるかと思えば、死んだようにピクリともしないマデロム。
 なおもリーノは手に力を込めた。
「痛いでしょう? 痛いですよね?」

 ギリギリギリ……

 折れ曲がった腕に、リーノの細い指が食い込んでゆく。折れて尖った骨が肉の内側に突き刺さっているのだ。神経を圧迫し、血管にめり込み、それは激痛という言葉では足りないはずだ。
 けれどもマデロムは、それを良しと受け入れる。それが痛みではなく、己が胸に宿る恥であると認識するのだ。

 恥――今まで弱き者たちに向けてきた、暴君の身勝手さゆえの過ち。

 弱き者に拳を向けた報い――それを恥と呼ばずして、何と呼べばよいのか。猛者には似つかわしくない行い。

 マデロムは己の恥に対し、酷くイラつきを見せてはリーノの手を振り払った。
「――痛ぇよ……」
「痛い? 痛いですって? どれだけ多くの人たちが、あなたの前で同じ苦痛を発したと思っているの?」
 リーノはしつこいくらいにマデロムの右腕を握りしめた。

 ギリギリギリ……

 やがて少女は怒りを露にする。
「あなたはどれだけ多くの人たちの涙を、無碍にしてきたというの!」
 さらにはマデロムに馬乗りになって、平手を叩きつけた。
「バカ!」

 バチン!

「バカ! バカバカ! 人でなし! ろくでなし!」
 暴君は顔を叩かれても、いっさい反撃をしなかった。
 その上から何度も何度も平手を叩きつけるリーノ。

 バチン! バチンバチン!

「あなたは政府でしょう!? フェアリーフォースでしょう!? 正義の味方でしょう!? どうして酷いことばかりするの!?」

 バチン! バチン!

「答えてよ! ねえ! ねえ!」

 バチン! バチン!

 顔面にありったけの怒りを叩きつけられ、巨漢の頬が腫れあがる。
 リーノはマデロムの胸倉をつかみ、嗚咽を上げてうつむいた。

「殺してあげたいよ……、今、ここで、あなたを殺してあげたいよおおお!」
 瞳いっぱいに涙を浮かべるリーノ。
「再会した日のこと覚えてる? マデロム隊長はリーノの事を覚えていなかった! あれだけ酷いことをしておきながら、あなたはリーノの過去を調べてからやっと思い出す有様」
 悔しさのあまり、ギリリと奥歯をかみしめるリーノ。
「殺してやりたいの……殺してやりたいよお……」

 胸倉をつかんだ手を、相手の太い首に回す――。

 ギリ……

 リーノの指がマデロムの首に食い込んでゆく。

(リーノ……)
 華生は険しい表情を浮かべていた。マデロムを絞め殺すというのであれば、それもリーノが選んだ道。始終を見守り、殺害を受け入れるつもりでいる。世界がその行為を罪と問うのなら、それを一つの正義として貫き、世界を敵に回しても、リーノの味方をするという心構えもできていた。
 けれども、リーノに目の前の男を殺める事ができるのだろうか? 華生はそう思うのだ。

「いいぜ、テメェがそれを望むなら、ひと思いにりな――」

 いっぽうマデロムは、覚悟を決めたように瞼を閉じ、それを甘んじて受け入れた。

 案の定、いつまでもいつまでも、それ以上リーノの指に力が入ることはなかった。今ここでマデロムを殺しても、過去が修正されるわけではない。それが分かっていて、復讐さえできない自分のことを酷く臆病者だと感じてしまうのだ。

「――リーノには、やっぱり殺せないよ」
 がっくりと頷き、嗚咽を上げる。
「リーノ、これから……、どうしたらいいの……? もう、わかんないよ――」

 それがリーノの『本当』だった。相手を徹底的に殴りつけても収まらない怒りと虚無。抱く痛みに対して見て見ぬふりを続け、やがて記憶の彼方へ追いやった。そうやって眠らせていた過去が一気に噴き出し、やがて何事もなかったように静けさを戻す。

 眠っていた己の感情と出逢い、やがてその存在は目を覚ます――それが忘却の痛みペイン

 麗蘭がリーノの肩に、そっと手が置く。
「もういいだろう、高瀬梨飴乃たかせ りいの。他者の痛みを知っている君には、人殺しはできないよ」
 そう諭しながら、ゆっくりとリーノをマデロムから引きはがした。
「今のマデロムは、君の怒りを重く受け止めている」
 心身ともにボロボロになった巨体を一瞥する。

 ――その時だ。
 
「誰もよお、こんな世界なんか望んじゃいねえ……」
 
 ポツリ。マデロムが呟いた。

「どんなに力をつけても、どんなに馬力を上げても……、さらなる巨大な力に飲み込まれちまう。どんなに力をつけても、逆らえない連中だっているのさ。長いものに巻かれていたほうが、要領よくやっていけるってもんよ――」
 上体を起こし、なかばふて腐れたようにうそぶく姿は、まるで弱者そのもの。

 その腕力を以ってしても捻じ曲げられない影の力。マデロムは、それに太刀打ちできないもどかしさで日々を悶々と繰り返してきた。
 
 どうせダメなんだから――閉塞感に支配され、未来を恨むようになるのは誰しもあること。マデロムもその中のひとりだ。どこにでもいる、普通の男。

 マデロムは麗蘭をうらやましく思う――向かい風に立ち向かい、部下に慕われ、いざとなれば巨大な力にさえ牙をむくであろう狂犬。かつて、そうなりたかった。
 
 そんな生き方こそが、マデロムの夢だった――。

 己の恥を受け入れたたその時――臆病者、そこに現る。己が弱さを認め、修正を繰り返し、やがて強靭な刃へと変化を遂げるのだ。

 己が臆病を受け入れた時――強者、そこに現る。己が戒めを以ってして、初めて闇を貫く準備が整うのだ。
 
 正義の価値は、決して死ぬことがないのだから――。

「マデロム隊長――」
 リーノはマデロムのそばにしゃがみ込むと、力なく首をもたれて俯く。まるで首の関節が壊れた人形のように。

「リーノの心ね、もう壊れちゃったの。だから喜びも、悲しみも、ぜーんぶ無かったことにするの」

 空を見上げ、父と母に思いを告げる。
 
「そうやって、ひとり、虚無を抱いて歩いてゆくの。心は麻酔がかかったように、何も感じないから痛くないの。だからね、悲しくないの――」

 リーノは偽りの笑みを見せながら、そうやって気丈に振る舞うのだ。

 その言葉を受けたマデロムは、リーノの顔を見ては否定する。
 
「――ウソだ」

 その場にいた者がマデロムの言葉に耳を傾けた。

「心がぶっ壊れた奴は、そんな涙なんか流さねえよ……」
 リーノのボロボロと頬を伝う涙を見ては、それを太い指で拭うマデロム。
「だって……、だって……、リーノの心、壊れちゃったから」
 嗚咽を上げ、しゃくりあげ、リーノはマデロムを見る。
 マデロムは首を乱暴に左右に振った。

「――違う。壊れたのは、おまえの家族。それを壊してしまったのは、ここにいる、俺だ――」

 リーノの手前、マデロムは俯き、そして一言――。


「すまねえ――」



 己が過ちを受け入れた。
「謝って済むことじゃねえのは分かっている。だが……、すまねえ――」
 今はそれしか言えない。

 許してくれ、今はこの言葉が精一杯なんだ――地面の土を握りしめ、行き場を失った後悔を握力に込める。そんなことをしても、己が犯した罪の数々が清算されることなどないと知りながらも――。


 御殿たちがリーノの面倒をみている中、麗蘭と想夜はマデロムと話し込んでいた。

「――マデロム隊長、あの……」
 もじもじ想夜。少々やりすぎ感があってか、謝りたい気持ち。
「いちいち謝るんじゃねえよ。楽しめたんだ、悔いはねえさ」
「あ、はい――」
 想夜はそれっきり何も言わなかった。
 マデロムときたら、やたら藍鬼と一戦交えたことを誇りに感じている。暴君として箔がついた事にご満悦そう。

 折れた右腕に添え木をして治療をする麗蘭。
「マデロム。ハッピータウンについて、他に何か知っていたら教えて欲しいのだが――」

 マデロムは街のずっと向こうを指さした。

「黒い巨塔が見えるだろう、あれは妖精たちが築き上げた産物だ。傀儡街からのエネルギー供給によって、あの頂上に大量のエーテルが集まってくる」
「頂上だと?」
「ああ。そこで何をするかは知らねえが、天上人のことだ、まがいなりにも世界平和のために何かをするだなんて思っちゃいねえ」
「では、奴らは頂上で一体何を?」

 麗蘭の質問に、マデロムは少し考え口を開いた。

「お前らも知っての通り、膨大なエーテルはハイヤースペックにこの上ない倍率をかけることができる。エクレアのハイヤースペックはディメンション・エクスプローラーだったな? もし、膨大なエーテルの中心でディメンションエクスプローラーを発動したら、おそらく人間界はただじゃ済まねえだろう」
「どうなる?」

 ふたたびマデロムは考え、口を開いた。

「人間界と霊界が繋がり、物理世界の秩序崩壊がはじまる」
「物理世界の秩序崩壊!?」
 想夜が声を荒げた。

 マデロムは話を続ける。

「霊的な世界――そこではディメンションエクスプローラーを所有している者が自由に時空と時空を行き来でき、完全な支配者となる。すなわち、エクレアがこの世の神となる」
「あいつは、神になろうとしているのか!?」

 麗蘭の身の毛がよだった。

「エクレアは死刑執行人だ。それゆえ、多くの魂を支配し始め、やがて人間界を飲み込んだ霊界は、たちまちディストピアとなるはずだ」
「人間界が、ディストピアに……」
 想夜がたじろいだ。
「エクレアは両手いっぱいに魂を抱え込み、それらを奴隷や家畜として支配してゆくだろう。今のフェアリーフォースを見ていれば分かることさ」

 ディストピア――数日後、いや、数時間後にはそれは実行される。

 その場にいた者の胸に、ひとつの目的が宿る――天上人の暴君、何としても止めなければならない。

「――ならば、一刻も早く傀儡街に向かわねば」
 意気込む麗蘭をマデロムが止めた。
「待て京極、どこへ向かう? まさかお前、ハッピータウンが傀儡街だと思っているんじゃねえだろうな?」

 マデロムの言葉に一同が仰天する。

「ハッピータウンは傀儡街の事だったんじゃないんですか!?」
 想夜の言葉を聞き、「当たらずとも遠からず」という困惑した顔を作る巨漢。
「傀儡街はハッピータウンと同じ場所に位置する。が、次元が違う。物理空間からは入れねえ。黒い巨塔への道も傀儡街からじゃなければ入れないと聞く」

 同じ場所に、重なるように世界が広がっている――傀儡街は、まるでゲッシュ界のようでもある。

 麗蘭が何かを思い出したかのように、ハッとした。
「どら焼きとシベリア……」
 そう呟くと、マデロムが吹き出す。
「うまいこと言うじゃねえか。まあ、そんな所さ。次元を行き来できればいいんだがな……」
「それは無理な話だ。瞳栖が連れ去られた今となっては、この中にそのようなハイヤースペックを使う者はいない――」
 打つ手はないのかと、麗蘭が肩を落とした。

 シンと静まり返る場――。

 そこにマデロムの部下が端末片手に血相を変えてやってきた。
「マデロム隊長、大変です!」
「あ? 何があった?」
「フ、フェアリーフォースが!」

 部下に耳を貸すマデロム。受け取った端末に耳を傾け、通信相手から話を聞き終えると、麗蘭に視線を投げる。

「おい京極、フェアリーフォースが本格的に宗教じみた団体になっているらしいぜ」
「フェアリーフォースが? 一体なにがあった!?」
 麗蘭がとたんに険しい表情を見せた。
「隊員たちが天上人の不在を知っておかしな行動に出ているらしい。エクレア信者たちがお前の部下を血祭に上げようとしている」
「暴徒化だと!?」
「確かめてみな。ギザギサ髪のガキんちょからだ――」

 マデロムはそう言うと、麗蘭に端末を投げた。
 受け取った端末に、すぐさま耳をあてる麗蘭。
小動こゆるぎか? どうした? そっちで何が起こってる!?」

 端末から慌てふためく声――継紗つかさが息を切らせて叫んでくる。

『京極隊長! フェアリーフォースが! どうしよう、ウチもう、ダメかも知んない!』

「おい小動! 何があったんだ!?」

 そこで通信が途絶えた――。

「クソ、こんな時に!」
 焦る気持ちをどこへぶつけたらよいのか分からず、ただ端末を睨みつける麗蘭。そうかといって、エクレアを前に帰界することもできず。

「いま妖精界に向かえば、小動を救えるかも知れない。だが、エクレアをこのままにはしておけば人間界は……」

 誰かを救えば、誰かが犠牲になる――。

 麗蘭にできるのは、1つの戦いを取ることだけ。一人にできることなんて、所詮は1つの道を歩くことだけなのだ。

「京極隊長! 小動が……」
 想夜が哀願するように見つめてくる。やがてワイズナーを握るとヨロヨロと立ち上がる。
「待て雪車町、どこへ行く?」
「あたし、妖精界に戻ります」
「戻ってどうする? 今の君は戦う力など残っていないだろう?」
「でも、でも、何もしないよりは……」
 麗蘭に支えられてる己を自覚し、想夜は口を噤んだ。結局、今の自分には何もできないのだと理解せざるを得ない。

 そこに声がかかる――。

「――ったく、見てられねえぜ」
 
 マデロムはワイズナーを背中のホルダーに収めると麗蘭たちに背を向け、気だるそうに言葉を発した。

「どのみち、これから妖精界に帰るところだ。ついでにテメエの部下の様子も見て来る。まあ、無事だったら助けてやらねえ事もねえが」
「マデロム……」

 麗蘭はマデロムの近くまで走ってゆき、深々と頭を下げた。

「頼む! 小動のことを……頼む――」
 マデロムはイラつくように麗蘭をどける。
「やめてくれ、そういうのは性に合わねえ。これで貸し借りは無しってことだ。テメエには下らねえことを言っちまったからな」

 その後、黙ったかと思うと、視線を逸らしてポツリと呟く。

「女のクセに女を孕ませる事ができるオメエらは、良いとこ取りでいいよな」
「マデロム、キミはひょっとして……」

 麗蘭の言葉を遮り、己の本音を打ち明けた。

「ああそうだ、嫉妬さ。男のテリトリーにまで踏み込んでくる女に危機感を抱いている。俺は自分の立場を脅かされることに、ひどく恐怖を抱く臆病者さ」

 それを聞いた麗蘭の顔は一瞬だけ顔をほころばせ、またいつもの険しい表情へと戻した。

「誰だってそうさ。私だって怯えることくらいあるさ」
「男勝りの京極隊長様もか?」
「言うなよ。これでも気にしているんだ。さすがに失礼だぞ」

 麗蘭とマデロムは互いに肩をすくめ、背を向ける。
 先日の賭け、麗蘭はまた妖精界で忙しい日々を送る事になりそうだ。

「おい京極、リーノはここに置いてゆく。何かと役に立つだろうよ。行くぞオメエら――」
 マデロムは部下数人とともに妖精界へと向かった。

「頼んだぞ、マデロム――」
 麗蘭は生まれ変わりし巨漢の背中を、じっと見とどけた――。