8 八卦 埴村瞳栖ばにら あいす


 人は耐えがたい現実を突きつけられると脆くも崩れる。
 妖精とて、それは同じ――。

『お嬢様、わたくしはっ、わたくしは……っ』

 「とんでもない罪を犯してしまいました」――消え入りそうな声を発して泣き崩れる華生をベッドに座らせた叶子は、華生の両肩に手を添え、震えるその身をゆっくり、優しく、何度も撫でた。

(こんなにも震えている。よほど自分を戒めているのね……)
 指先から伝わるその震え。叶子にまで伝わってくる苦痛に、思わず華生の頭を引き寄せた。
「必要以上に自分を責めないで……、それはあなたの責任ではないわ――」
 取り乱す華生をなだめるには時間を有した。
 そうやって叶子は終始、華生に寄り添って髪を優しく撫でるのだ。

 先ほど襲撃を受けた愛宮邸。
 そこに駆け付けた叶子と華生が出くわしたのは、妖精界からやってきたマデロム。
 その巨体の後ろからちょこんと顔を覗かせたのは、リーノという少女だった。
 
 リーノ――その名前、忘れもしない。

 妖精界を逃げまわる華生を受け入れてくれた親子がいた。
 親子は華生をかくまったがために共犯者と見なされ、フェアリーフォースに連行された。
 その後、リーノの両親は皮肉にも収容所で強制労働を強いられることとなった。

『リーノのパパとママね、お姉ちゃんをかばったから捕まっちゃったの』

 笑顔で放つその言葉には、華生の精神をズタズタにするほどの破壊力があった。
 その後の詳細をリーノ本人から聞いた華生は嗚咽を上げ、罪悪感に打ちのめされ、その場に崩れてしまったのだ。

 リーノはフェアリーフォースの訓練校で戦士として育てられた。
 戦場に駆り出される日々を送る中で、戦争の道具として扱われるよう、その身を墜とされた。
 政府の奴隷。共犯者への刑罰である。
 
 以来、リーノは両親と会っていない――。
 
 リーノの過去を知ったマデロムは、リーノを切り札として華生の前に差し出してきたのだ。そうすることでハイヤースペクターとして馬力を有した叶子を足止めすることができる。
 リーノは魔除け・・・ならぬ叶子除け・・・・だ。少女ひとりで強力なハイヤースペクターを相殺できる。

 マデロム――その男、冷徹なる戦略家。

 案の定、心ここにあらずの華生からはハイヤースペックの共有が不十分となり、能力の接続が不完全となる。
 そうなれば叶子でさえも、ただの非力な少女に成り下がる。
 
 マデロムの読み通り、それを戦いとは呼ばなかった。赤帽子の群れに一歩として引かず、24本のネイキッドブレイドをものともせず、一方的な巨体の攻撃が続いたのだから。
 
 叶子と華生は、マデロムに敗北した――。

 バッジはマデロムに奪われ、祖父・鈴道を殺害した者へと繋がる道が途絶えつつある。
 この戦の先を進むには、何としてもそれを取り返し、祖父の仇を取らなければならない。
 愛宮の血がくすぶるにつれて無念さが増し、叶子の全身を蝕んてゆく。
 それが分かっているからこそ、華生の気持ちも泥沼へと堕ちて行く。
 妖精とハイヤースペクターは二人で一身ひとつなのだ。
 
 この悪循環を拭う方法は、どこかにあるのだろうか?



麗蘭じょうし想夜ぶか


 ――女子寮内 想夜の部屋。
 
 翌日、想夜が目を覚ました。
 頬に貼られたシップや体中に塗られたキズ薬。治療はすべて麗蘭と華生によって施されたものだ。
(あたし、どうしたんだっけ……?)
 ふと、昨日のマデロムとの戦闘がよみがえる。戦闘というよりは一方的にフルボッコにされたのが正しい答え。

 想夜は、マデロムに負けたのだ。

 叶子の祖父、鈴道を殺害した犯人への道標たる唯一の存在――フェアリーフォース上層部が所有するバッジ。結果として、それを取り戻すことができなかったのだ。
 藍鬼化のおかげだろうか。不幸中の幸いにも致命傷からは免れていた。
 
 想夜は痛む体をゆっくりと起こし、ベッドの上で各関節を回す。
「痛っ」
 若干痛む箇所がある。けれどマデロムの攻撃を考えれば、どうというケガでもない。
「あたし、何もできなかった……」
 昨日のことに思いを巡らせては、気持ちが沈んだ。
 誰が責めるでもないのに、ひとり勝手に臆病になり、不安になって布団を胸まで手繰り寄せる。

 ガチャ……
 
 扉が静かに開き、誰かが部屋に入ってくる。けが人への気づかいができた入室。
「起きたか、雪車町」
 麗蘭が両手でお盆を抱えながらベッドの横までやってきた。エプロン姿がやけに似合う。
「京極隊長……」
 想夜はこの上なく元気のない声を発する。
「すみません、すぐに起きます」
「まだ安静にしていろ」
 麗蘭が想夜を制止。
「食事は食べられるか?」
 麗蘭は床に膝をついてお盆を下ろした。
「口の中を切っているようだったからな。軽い食事を持ってきた。昨日から何も食べてないだろう? 何か入れておけ。回復も早くなる」
 と、お盆にのったシチューを小皿に移す。

 食欲をそそる匂いが想夜の鼻孔と胃袋を刺激してくる。
 食事を味わっているほど心に余裕もなかったが、人間界にやってきた上司の手前、無理に笑顔を作ってみせる。

「いい匂い……。京極隊長が作ってくれたんですか?」
「真菓龍華生が作ったものを温め直しただけだ。とても君のことを心配してたぞ」
「すみません、あたしが弱いばっかりに、みんなにご迷惑を……」
 うつむく想夜を見た麗蘭がくすりと笑った。
「雪車町はよくやったさ。さあ、今は何も考えずにゆっくり食べろ」
 想夜に食器を持たせ、食事を促した。


 華生の作ってくれたシチューはとても美味しかった。少ししょっぱく感じるのは、想夜の涙が原因か。それとも華生のそれか――。

 美味しいはずのシチューなのに、なんだか美味しくない。せっかくの料理だというのに勿体ない。スプーンを口に運ぶたび、罪悪感が生まれてくる。

 シチューを平らげた想夜を見た麗蘭は一先ずホッとし、コップに入れた紅茶を想夜に手渡した。

「しかし驚きだ。マデロムの攻撃をあれだけ食らっておきながら、その軽傷で済んでいるとはな。藍鬼というのは私の想像を超えた存在らしい」
 鬼化シャドウシーズンが巨体からの攻撃を防いでくれていた。妖精のままでは死んでいたかもしれない。
 
 体は無事だ。が、それで良かったとは思えない想夜。
「あたし、負けたんですよね……?」
 藍鬼化までしておきながらの敗北。想夜はその事実を受け入れるのが困難だった。
 けれども起こったことは事実として受け入れなければ先には進めない。
 苦痛を受け入れるのも、戦士の努めだ。

『鬼化は、無敵のスキルなんかじゃない――』
 
 使えば無双。放てば神の一手――そんな幻想、藍鬼は持ち合わせてなどいなかった。
 
「シュベスタであれだけの人数に重症を負わせ、なおかつ母艦を真っ二つに裂いた力だ。過信する気持ちも分かる」
 麗蘭はカップの中で波打つ紅茶の波紋を見つめた。
「けれども、どんなものだって万能じゃない。相手を舐めた時、それが敗北への入り口となる――入隊時にも教えたな?」
「……はい」
 想夜は藍鬼がジョーカーではない事を受け入れざるを得なかった。


「――ところで雪車町」
「はい」
 キョトンとした表情で聞き入る想夜。
「君は呪いというものを信じるほうか?」
「呪い、ですか?」
 麗蘭からのおかしな質問を受け、さらに首を傾げる。
 おばけや呪いの類が苦手な想夜は顔面蒼白。想像力も手伝ってか釘サボテンの藁人形が脳裏に浮かび、思わず額に縦線が入る。
「いや、すまないな。君はこの手の話が苦手だったか」
 それを知ってか知らずか、麗蘭は苦笑して早々に話を切り上げようとする。
「いえ、その……、はい」
 言葉をつまらせるも、麗蘭に質問してみる。
「呪いが、どうかしたんですか?」
「うむ、実は――」

 麗蘭がこれまでの経緯を打ち明ける。
 
 
 人間界へ出向が決まった麗蘭――。
 それを追って、何人かのフェアリーフォースも人間界へとやってきた。反逆者の掃除である。
 想夜と同様、麗蘭や継紗つかさもフェアリーフォースの洗脳戦略に異議を唱えている。
 それを面白くないと感じた者たちが政府の中におり、『出る杭』の排除を始めたのだ。
 人間界で一定数の追手を排除した麗蘭。のがした隊員を追って人間界のアジトまでたどり着いたまではよいが、そこで彼女を待っていたのはロボットの残骸。
 ガラクタを前に、いったい何が起こったのか分からず、ただ茫然とするばかり。麗蘭にとってみれば、倒した敵が転送されてきたとしか思えなかった。
 
 ――そして、疑問は今も続いている。
 
 麗蘭が腕を組んで難しい顔を作った。
「――私としては、何かおかしな催眠術にでもかかっているのではないかと思っているのだが……」
「倒した相手が別の場所で倒れている。それが未だ原因不明、ということですね?」
「ああ」
「まるで、テレポートしたみたいですね」
「ははっ、手品じゃあるまいし」
「でも、あたし達のワイズナーも武器庫から転送しますよ?」

 フェアリーフォースの武器庫にセッティングされたワイズナーは、持ち主の位置を特定して転送される仕組みだ。

「う~ん、ひょっとしたらそれに近いかもしれん。まだ何とも言えんがな」
 麗蘭は肩を強張らせながら考え続け、想夜はシュンとなって肩を落とした。
「すみません。なにも力になれなくて……」
「君が謝ることではない。この話はまた今度な。何かわかったら報告してくれ」
「はい」
 しょんぼりする想夜の頭に手を添え、ニコリと笑いながら、そっと撫でた。


 氷嚢を作った麗蘭が部屋に帰ってきた。
「治療は終わっているが、念のため攻撃を受けた箇所はこれでよく冷やせ」
 氷嚢を想夜に持たせ、頭や顔を冷やすように促す。
「ありがとうございます」
 想夜は笑顔。けど、元気のないもの。

 話はゲッシュ界での出来事に移行する――暴走した藍鬼を鎮めるため、想夜自ら牢獄に入り、自ら手首の腱を噛みちぎった時の事。シュベスタ戦直後のことだ。

「――あの時、牢獄の中であたしに声をかけてくれたの、隊長だったんでしょ?」

『雪車町、君にはまだやることがあるだろう――』

 一匹の妖精が想夜のもとまで飛んできては、言葉を投げた。それにより、想夜は我を取り戻したのである。
「部下が寝坊しているのだから、叩き起こすのが上司の務めだ」
 麗蘭、頬を染めてそっぽを向いた。
 想夜がポツンとうつむいた。
「あたし、本当はね、牢屋の中で、とっても不安だったんです」
 そりゃそうだろう。13歳の妖精の女の子がひとりで人間界にやってきて生活している。そこでひとり反逆者となって政府にケンカを売り、ひとり牢獄の中で鬼と戦ったのだ。普通の中学生の成せることではない。
 それを可能としたのは大好きな人たちへの想い。揺ぎなき絆という支え。その証明が心に根付いていたからこそ、それを成しえることができた。
 
 離れていても、大好きな人たちは勇気を与えてくれる――。

 麗蘭は窓の外に目をむけ、大空を見据えた。今は無き、シュベスタ研究所を思い出している。
「シュベスタの最上階で藍鬼になった君を見た時、一緒に連れて帰ろうと考えていた」
 妖精界に連れ戻し、そして人間界には二度と返さないつもりでいた。過保護もあってか、ずっとそばに置いておきたかったのだ。
「連れて帰る? そんなことしたら、あたし京極隊長に酷い事しちゃうかも……」

 多くの隊員の首筋を食いちぎった藍鬼想夜。麗蘭が向かってきたら迷わずそうしていただろう。
 好きな人々を食い殺す――想夜にとって、それは地獄でしかない。

 それを聞いた麗蘭が笑い出す。
「はははっ。君ごときに私がやられるとでも?」
「でもあたし、あの時、藍鬼だったし」
「おごれるな。藍鬼は無敵ではない。それはマデロムに証明されたではないか」
 麗蘭の言う事は正論である。女といえど、麗蘭はマデロムと互角かそれ以上の戦闘力を保持している。ランクB止まりだが、明らかにそれ以上の実力の持ち主だ。
 今の想夜がマデロムに負けるという事は、麗蘭にも歯が立たないという公式が成り立つ。
「もっとも仲間を思う雪車町のことだ、もしかしたら私でも手が付けられない事態に陥っていたかもな。君は人間界で多くの経験をしているみたいだし、まだ成長段階でもある」
 部下の成長を嬉しく思う反面、心配も多い。

 ふと、麗蘭の視界に想夜の手首が入った。

「――君に対する期待も大きいけれど、自分で手首の腱を噛みちぎるとは……、無茶もほどほどにしろ。死んだらどうする? たくさんの人達を悲しませるつもりか?」
 想夜の右手首に巻かれた包帯。麗蘭はその上からそっと傷を撫でた。
「だって、こうでもしなきゃ藍鬼さんが――」
「ワイズナーを振り回して暴れる、か?」
 コクリと頷く想夜。
「確かに藍鬼はフェアリーフォースの戦艦を真っ二つにするほどの脅威だ。そうだとしても、他に方法があっただろう」
 麗蘭はそう言いかけ、口を閉ざした。想夜の横顔を見れば分かる。そんな余裕すらなかったこと。思考のほとんどを鬼に持っていかれる寸前だったのだ。

 手首の腱を切る――ゲッシュという呪いに体を蝕まれたあの時の想夜には、それが精一杯だった。

「その様子だと手首に埋め込まれた認証チップも噛みちぎっているな?」
「……はい」
「もう本部への入館ができないではないか」
「……はい」
 フェアリーフォースの首輪をちぎるために、想夜は覚悟を決めたのだ。『飼い犬から卒業する』と。
 けれども想夜はフェアリーフォースに戻ってきた。今も政府に首輪で繋がれ、巨大な力から逃れられないのか? 否、一部の者たちが異端を求めている証だ。フェアリーフォースには、想夜にいて欲しいと願う者も少なからずいるのだ。
「本部から集合命令がかかったらどうする気だ?」
「んと……、建物の外で待ってます」
 安易に答える想夜に思わず吹き出す麗蘭。
「ふふ、君らしいな」
 
 未来を切り開こうとする者たちが、想夜という小さな反逆者に夢見てる――。
 
「MAMIYAの人たちのおかげで、右手がここまで動くようになったんですよ、ほら!」
 ぎこちない笑顔を作ってグーとパーを繰り返して見せた。トロイメライの人工神経が想夜の神経になじんでいる証拠だ。
「もうじき包帯だって取れちゃうんだからっ。また前みたいに力いっぱいワイズナーを握れるんだから!」
 それを聞いた麗蘭が表情を曇らせた。

「藍鬼になると、君は自分の体を大切に扱うことを忘れるようだな」

「――え?」
 キョトンとする想夜。
「つまりだな、昨日の戦い、めんどくさい戦闘を鬼に丸投げしているようにも感じたんだ。例えるなら、『強い藍鬼カードが使えるんだから何も考えなくていい』といった感情だろうか。乱暴な言い方をすれば傲慢さとでも言えばいいのか。すまないな、別の言い回しが思いつかなくて」
「そ、それは……」
 言葉に詰まる想夜。反論さえできないでいる。
「――どうにも、君の中にそれを感じてしまったのだよ」
 麗蘭の言葉に面食らった想夜。思わぬことを指摘され、一気に言葉を失ってしまった。

 麗蘭が空になった食器をお盆に戻して立ち上がる。

「――まあ、今は説教もウザいだけだろう」
「そんな……」
 そんなことは微塵も感じていない。想夜はいつだって隊長の言葉を心経の如く受け止めてきた。
「今はゆっくり休め。傷が癒えたら成すべきことをしろ」
 麗蘭は笑顔を残し、部屋から出て行った。

 ひとりになった想夜が窓の外に広がる空を見つめる。
 ひとつの雲が行く当てもなく、ただただゆっくりと流れてゆく。目的なくして漂流しているのが時間の無駄に思えて、とたんに虚しくなった。
「あたし、これから何をすればいいの……?」
 焦る。
 けれど、何もできず。
「あたし、これからどうすればいいの……?」
 ベッドの上で呟くそれは、とても元気のないものだった。

 ――しばらくして、麗蘭が想夜の部屋に戻ってきた。

「雪車町、人間界のプリンを買ってきた。入るぞ?」
 部屋に入り、異変に気づく。
(雪車町……?)
 ベッドはもぬけのから。
 そこに想夜の姿はなかった――。


手紙が導くもの


 喜屋武Dきゃんでぃー地区。
 想夜は成瀬夫人の家を訪れていた。

 彩乃の協力もあり、I県のロボット工場に行くこととなった。早速その事情を夫人に告げる。

「――そう、それはぜひとも主人のことを調べてきて欲しいわね。もっと聞かせてちょうだい」
 そう言ってティーポットをゆっくりと傾け、想夜のカップに紅茶を注いでくれる。
「今日はレディーグレイにしてみたの。想夜ちゃん、好きでしょ?」
「はい、ありがとうございます!」
 御殿にご馳走になったことがある紅茶だ。初めて飲んだ時はこんなにいい香りのする紅茶があるだなんて思わなかった。

 想夜と成瀬夫人は先日のように、何気ない会話をはずませた。

「遠慮しないでお菓子も食べなさい」
「あ、ありがとうございます。でも、お腹いっぱいですから……」
 夫人の顔色を伺うように上目づかいで拒絶する想夜。いつもならまんべんの笑みを見せて頬張るのに。
「あら、元気がないのね。なにかあったの?」
 沈んだ想夜の顔を心配してか、成瀬夫人が覗き込んだ。だって分かるもの。想夜がここを訪れた時から元気がなかった事が。
「想夜ちゃん、なにか悩んでいるのね。私でよかったら打ち明けてみて。言葉にするだけでもスッキリするものよ?」
 何か力になれないかと心配する夫人。少女の小さな胸が抱く苦痛を少しでも和らげたいのだ。想夜にはいつだって笑顔でいて欲しいから。

 想夜はしばらくうつむき、やがて上目づかいで顔色を伺いながら口をひらいた。
「んと……、絶対、誰にも言わない……?」
 キョトンとする夫人は悩める少女の気持ちを察し、目尻にシワを作って見せた。
「ええ、誰にも言わない」
「ホント? 絶対に絶対に、誰にも言わない?」
「ええ、絶対に誰にも言わない。指切りね――」
 夫人の小指が交わす約束は、どんなに豪華な印鑑よりも尊い。
「実は――」

 想夜は自分が妖精であること。そして己の中に鬼が住んでいることを打ち明けた――。

 成瀬夫人は終始笑顔でそれに聞き入った。
 妖精――夢見る少女の空想だなんて思わない。成瀬夫人には想夜の言葉をそのまま受け入れる事ができた。
 なぜなら――。

「藍鬼はすっごく強いのに、突然やってきた人に負けちゃうの。絶対に勝つ自信があったはずなのに……」
 力強く言い放つ想夜。その口調には己が抱く藍鬼への自信がこもっている。絶対に負けないという浅はかな自信。
「そう、それは悲しかったわよね」
 成瀬夫人は続けざまに言った。

「――けれどもね、悲しいのは鬼さんも一緒なんじゃないかしら?」

「鬼も、悲しい?」
「そう。鬼も悲しい。だって生きているんだもの、想夜ちゃんの中で。きっと感情だってあるはずよ?」
 夫人が言いたいことは次のことである。
「例えば放課後ね、同級生の子が想夜ちゃんにお掃除を押し付けて帰っちゃった。残されたあなたはどう感じるかしら?」

 想夜は考え、答える。

「……嫌な気分に、なる」
「どうして?」
「だって、あたしに掃除係の仕事を押し付けて自分たちだけ帰っちゃうんでしょ? 無責任だし、身勝手だし……そんなのズルい子がする事だわ」
 と、過去にあったことを思い出し、頬を膨らませた。
「そうよね? 仕事を押し付けるお友達、先に帰っちゃうお友達はズルいわよね?」
 成瀬夫人の問いに想夜はコクンと頷いた。
「じゃあ、どうして同級生は作業を押し付けて先に帰っちゃうのかしら?」
「う~ん……」
 想夜がこの上ない困惑した表情を見せる。他者の感情に思いを馳せるのは難しい。身勝手な人たちの気持ちなら尚のこと。
「掃除は面倒くさいし、あたしなら作業をしてくれるから……、かな?」
「どうして想夜ちゃんなら作業してくれるの?」
「作業ができるから、かな?」
「そうね、つまり想夜ちゃんには作業を終わらせる実力があるわけよね?」
「は、はい」

 夫人は紅茶を一口飲んで一呼吸。空を見上げて口を開いた。

「――人間はね、とても怠け者なの。楽がしたくて使えるカードをどんどん切ってゆく。それを使えば使うほど、自分の思考や筋力を甘やかしている事にも気づかずに、ね」
 そう言って周囲の家電を指さした。
「ほら、ごらんなさいな。家中、あらゆる物がみんなインターネットに接続されている。人間の思考はそこに丸投げ。面倒くさい事から重要な事まで、機械がみんなやってくれるのだから甘えたくもなるわよね」

 IoT(モノのインターネット)が作り出す世界は便利でもあり、怠け者の世界でもある――ネットワークに飼い慣らされた犬たちが怠け者と成り果てる世界が広がっている。

 思考を持たず、ただただ機械に丸投げするその姿勢。それらはジワリジワリと己を蝕み、いつかその足で立てなくなるはずだ。奪われ続ける日々に気づかぬままに――。

 いつだって人類は鍋の中を泳ぐカエルである。沸騰にも気づかず、ただ呑気に泳ぎ続ける愚者なのだ。

 夫人は続ける。
「丸投げは想夜ちゃん自身にもよくない。けれどもね、時にはカードを切ることも重要よ? カードにすべてを任せるのではなく、自分とカードに作業を分担させるの」
「作業の分担?」
「頑張ったその後に、甘えてみてもいいんじゃないかしら? 走り切った後のバトンタッチね。走る距離を分かち合うの。半分こ、ね」
「半分こ?」
「そ、半分こ。痛みも喜びも半分こ。分かち合うことで絆は生まれる。ハイブリッドね」
 そう言って天上を指さした。
「部屋の明かりと一緒。どうしても使わなければいけない時にだけ使う。使わない時は消す。節約」
 想夜は胸に手を当てた。
 
「ハイブリッド……」

 目を閉じ、その身に宿る藍鬼に意識を集中させる。
「うん、あたし、やってみる……」
 自信なさげに言う。けれど、道が少し開けた。
 少しだけ笑顔になった想夜を見ては、まんべんの笑顔を作る成瀬夫人。
「ほら、ここに来た時よりも元気になった。さあ、クッキー食べて。もっと元気が出るから」
「ありがとうございます。で、でも――」
 想夜がお皿と夫人を交互に見る。
 想夜の視線に気づいた成瀬夫人もお皿に目をやり、ハッと瞼を開いた。
「あらやだ、私としたことが。クッキーを盛り付けるのを忘れてたわっ」
「もう、成瀬さんたらっ」
 2人して吹き出した。
「ふふふ、生きてる時間は学びなんだもの、失敗、遠回りはいくらでもあっていいの。その分、学ぶことも多くなってラッキーなんだから。もちろん妖精も、ね?」
 空のお皿を見ながら2人でクスクスと笑った。

 誰にだって抜けた部分はあるのよ。失敗は学びの化身――夫人はそれを伝えたかったのだと、この時の想夜は思った。

 成瀬夫人が思い出したように手を打つ。
「あ、そうそう忘れてたわ。また手紙が届いたの」
 立ち上がり、戸棚から出した封筒を想夜に差し出す。
「新しい手紙……、読んでもよろしいのでしょうか?」
 封筒を受けとった想夜が問うと夫人が答えた。
「もちろんよ。けれど難しいことばかり書いてあって何が何やら。専門の人に聞いたほうがいいかも知れないわね」
 と肩をすくめてカップに口をつける。
 とうぜん手紙を読んだ想夜にも内容がチンプンカンプンだった。彩乃たちの助けが必要だ。
 ただ、手紙の最後にはこう記されていた。
 
傀儡街くぐつがいへ――』


ハナコを求めて


 第3女子寮に荷物を預けた麗蘭は、ワイズナーの入ったジェラルミンケースを手にして街へと繰り出した。

(逃亡犯の華生は叶子のもとから離れることはない。逃走の恐れはないだろう)
 外出している想夜の事情聴取は、ひと段落したら済ませる予定だ。昨日のマデロムとのこともあり、あれこれ質問攻めにするのも適切な対応ではないと判断してのこと。

 ――となれば、やるべきことは一つ。ハナコの身柄確保だ。


「あのどら焼き女め。いったいどこへ消えたのだ? ――ったく」
 イラツキを端末にぶつけながら右往左往。似顔絵写真を片手に、聖色せいろん駅周辺で迷子になりながらも、妖精たちを片っ端から捕まえて聞き取り調査。

 容疑者Aを捕まえた!
「おいキサマ、確か妖精数人をぶん殴って逃亡したゴブリンだな?」
「げ! フェアリーフォースかよ。なに? 写真の女? ひゅ~、可愛いじゃん、紹介してくれんの? ……痛てっ、いきなり肩パンかよ!」
 容疑者A、鎖骨損傷。

 容疑者Bを捕まえた!
「おまえ! コナハト街の団子屋でイタズラしたコロボックルだろ!」
「おはぎと泥団子を入れ替えた時のこと? ははっ、時効っしょ?」
「バカモン! 先 週 の こ と だ !」
「痛たたたたっ、いきなり腕ひしぎ十字固めえええ!?」
 容疑者B、右肩脱臼。

 容疑者Cを捕まえた!
「おい、そこのエルフ! 女風呂を覗いたのはバレてるんだぞ常習犯め!」
「いやいやいやっ、あの時はおっぱいの大きい子がいなかったから無効……」
「知るかバカモン、何が無効だ! キサマの胸だって似たようなもんだろ! 日和山ひよりやまと間違えてしまったではないか! 女だからって許されると思うなよ!」
 日和山――日本一低い山。
「え~ショックぅ~」
 容疑者C、豊胸手術を考える。

 容疑者Dを捕まえた!
「おいおまえ! 下着ドロボーのノームだな? 三丁目の花山さんに下着返してやれよ!」
「い、いいけど、この使用済みのパリパリしたやつでよければ……」
 ポケットから取り出した下着には、しっかりとモザイクがかかっている。
 麗蘭が端末を取り出す。
「あ、もしもし本部か? すぐ人間界に来てくれ」
 容疑者D、強制帰界。

 ハナコ探しは続いた――。

 麗蘭が腰を曲げて地面を睨む。
「ぐぬぬ……、何をやっているのだ私は。軽犯罪者に構っている時間などない、一刻も早くハナコを見つけ出さなければ日が暮れてしまうではないか!」
 食い逃げ、覗き、パンツ泥棒――人間界はちょいワル妖精でいっぱいだ。

 そんなこんなで聞き取り調査は容疑者Zにまで及び、ハナコを見つけたのは夕暮れ時のこと。


 ――小山にそびえたつ木の根もと。丘から突き出した岩が展望台のように広い足場を作り上げて宙に浮いている。
 そこにハナコはいた。
 白いワンピース。肩にかけた落ち着いた色のストール。長く伸びた髪を風になびかせながら、街全体を眺めている。

「ようやく捕まえたぞハナコ! 逃亡なんぞしおってからに――」
 ぜぇぜぇと息を切らして丘を登りきる麗蘭がハナコの細い手首を手繰り寄せ、手錠をかけようとした。かなりご立腹のようで、脳の血液が煮えたぎっている。
「さっそく妖精界に連行する。君には弁護士を呼ぶ権利が――」
 妖精界の法に則って説明する麗蘭をよそに、ハナコは何食わぬ顔で言葉を発した。
「見て麗蘭。ここから聖色市全体が見渡せるのよ。素敵だと思わない?」
 振り向くその表情は笑顔だ。
「あ? そうだな、素敵だな。ほれ、さっさと手を出せ」
 生返事&手錠をかけようとする麗蘭。
「ほら見て、あの場所」
 そう言って麗蘭の手錠をすり抜け、今度は街の一角を指さす。第3女子寮だ。
「こら、手を動かすな! 手錠がかけられないだろうがっ」
 慌ててハナコの手首を手繰り寄せる麗蘭。ハナコの指さすほうを見ては、今まで歩いてきた道のりを目でなぞった。

 羽を使えば捜査は容易かった。けれど麗蘭はそれをせず、ハナコを見つけた後も歩いて山を登ってきた。

「あの寮から麗蘭は出てきたのよ?」
 続けて街を指さす。
「しばらく街を行ったり来たり。5時間くらいかしら? ……何してたの?」

「お ま え を 探 し て い た ん だ !」

 くわっ。麗蘭がハナコに詰め寄った。そこで疑問が生じる。
「ちょっと待て。ずっとここで私を見ていたのか?」
「ええ」
 ハナコがにっこりする。
「なぜ逃げなかった?」
「あら、どうして逃げるの?」
 キョトンとするハナコ。
 麗蘭もキョトンとする。もうハナコの思考が読み取れない。
「なぜって、私に捕まるからだろう」
「あら、麗蘭に捕まったらいけないの?」
「いいとかいけないとかではない。そもそもなぜ脱獄した」
 再びハナコがキョトンとする。
「私は脱獄した覚えはないわ」
 キョトンとしていた麗蘭、今度は口を半開きにして呆けた。
「何を言っている、キサマは脱獄しただろう? プリズンルームで調書も取った」
 人差し指で何度もハナコの胸を突っついた。


 プリズンルームの爆発騒動。その時のデータは何者かの手により抹消されている。
 しかし、ハナコの取り調べを行った時の記録は残っているはずだ。
 麗蘭はそれを確認すべく、フェアリーフォース本部に監視カメラのデータを要請した。

 データ受信は1分とかからなかった。

「送られてきたようだな、どれ――」
 監視記録を見た麗蘭は愕然とする。
「ば、バカな……こんなことが――」
 信じられない。
(これは夢だ、何かの間違いだ)
 心の中で幾度も言葉を繰り返し、終始、狐に摘ままれたような顔をしながら水晶端末を凝視する。

 プリズンルーム――そこには麗蘭の姿。誰もいない牢獄に向き合い、ただひとり、言葉を並べている。とつぜん隣の鉄格子に蹴りを入れては酔っ払いの男を威嚇して黙らせる姿。その後は確か、ハナコが麗蘭の羽に手を伸ばして何かを囁いたはずだ。
 と突然、データにノイズが走った。
「ノイズ? 妖精反応だと!? まさか、誰かあの時にハイヤースペックを使ったのか!?」
 麗蘭は食い入るように動画を見ている。

 取調室――そこには麗蘭の姿。机と向き合い、ただひとり、黙々と独り言を喋りながら調書を取っている。時には机を叩き、ふてくされては足を組み、そうやって部屋を出て行く姿。

「私はいったい、何をしているんだ……?」
 とたんに顔面蒼白になる麗蘭。
「これではまるで、ただの道化師ではないか」

 そこで麗蘭はあることに気づいた。
「査問委員会でマデロムが言っていた脱獄者・・・とは、ハナコのことではなかったというのか!?」
 麗蘭は口を押え、息を呑んだ。
「ハナコは、あの場所に存在していなかったというのか!?」
 脱獄したのはハナコがいたと思われる牢獄の隣にいた男――酔っ払いの男。ピコット村で暴れたのはハナコではなく、あのヒゲ面の初老の男だったのだ。
「ピコット村の生き残りとは、あの酔っ払いの事だったのか! では私が話していたハナコは一体……!?」

 揺れる視界。
「――これは、何かの呪いか?」
 乱れる呼吸。
「私は、呪いにでもかかっているのか?」
 ピコット村で惨殺された人々の怨霊が麗蘭の肩に手をかける――そんな幻に苛まれる。
 ピコット村で聞こえた幻聴――あれは殺された者たちの積年の恨みなのか?

 麗蘭の頭に牢屋の男の言葉が蘇る。

『何ひとりでブツブツ言ってるんだ、気持ちの悪りぃ女だな――』


あの時、あの場所には、麗蘭と酔っ払いしかいなかった――。



 これが真実。
 これが現実。
 現実を突きつけられたその胸に、ハナコの言葉が確立される。
 
『どら焼きとシベリア』

 似て異なるもの。
 そこにいて、そこにいないもの。
 見方によって変化を遂げるもの。
 
 倒した相手が目の前で姿を消し、関係のない場所でガラクタとなって発見される。
 そんな不可思議な出来事にも頭を悩まれ続けている。
「私だけではなく、咲羅真御殿さくらま ことのも駐車場で同じ現象に遭遇した。私の頭がイカれているわけでもなさそうだ」
 呪いについて、考えられることはただひとつ。
「呪いの正体は、誰かのハイヤースペックではないのか?」
 麗蘭はハナコをまっすぐに見つめて問う。


ハナコの正体


 街はすっかり暗くなり、住宅に明りが灯る頃――。
 麗蘭とハナコの頬を月明りが照らした。

 呪いのようなハイヤースペックをハナコは知っている。
「あれは肉体から霊体を切り離す能力」
「霊体を分離させるハイヤースペックだと?」
 目を丸くする麗蘭にハナコが問う。
「麗蘭は八百万神やおよろずのかみを知っていて?」
「たしか『万物に神が宿る』という日本の教えだったな?」
「ええ。あらゆるものには魂が宿っている。物体と魂を接続しているのは次元の違う世界での計算処理によって行われている。複数のレイヤーで考えてみると早い」

 複数のレイヤー――イラストが描かれた透明な板が何枚も重なっても、インクは互いに干渉することはない。それが人間界・妖精界・魔界の概念。各界は常に隣り合わせに存在している。

「この物理世界を支配しているのは、目には見えない他の次元によって演算処理され、この物理世界に力を与えている」
 パソコンの場合、モニターに映し出される映像はビデオカードにより投影され、その計算はPC内部のCPUが処理している。目に見えるものは、見えない場所によって決定されている。
「その見えない部分を制御しているのが霊界制御のハイヤースペック」
「霊界を制御するハイヤースペック? 一体何なんだ、それは……?」
 麗蘭の言葉にハナコが答えた。

「一定の条件のもと、魂を持つ者を自在に操作する能力――それがディルファーの能力のひとつ」
 麗蘭が息を呑んだ。
「魂の宿ったサイボーグを自在に転送させる能力……、まさか――」
 そこで麗蘭はようやく答えに近づく。
 と同時に、ハナコがゆっくりと口を開いた。

「あれは『地』を司る八卦のハイヤースペック――ディメンション・エクスプローラー」

「八卦のハイヤースペック!? まさか、エクレアは『地』の八卦なのか!?」
「正解、だけど不正解。エクレアは八卦ではないわ。『地の八卦の能力をまねるだけ』の殺人兵器よ」

 さらに確信に迫る。
「八卦の力をまねる? この世のバックグラウンドから処理を行い、魂が宿る物体の座標を自在に操作するような奴が敵だというのか!?」
「エクレアの能力は完全ではないわ。物体を転送しても、それはほんの一瞬だけ。処理が重複してエラーが起こり、長くは続かないの」
「処理の重複? 他にも同じ能力を持った者がいるのか?」
 麗蘭の言葉を聞き、ハナコは頷くでも首を振るでもなく、悲しみの表情を見せて口を閉ざした。
 その眼差しを目にした麗蘭は、ようやくそれに気づく。
「ハナコ、まさか君は――」
 問われたハナコは麗蘭をまっすぐに見つめ、こう名乗った。

「私の名は埴村瞳栖ばにら あいす――『地』を司る八卦。ディルファーの申し子。そして、その能力の半分を奪い、八卦の力を手中に収めようとしているのが天上人を名乗る人物、エクレア・マキアート」

 ハナコの正体――彼女の名は埴村瞳栖。『地』を司る八卦。
 天上人の正体――エクレア・マキアート。八卦の力を奪い取る、天上人とは異なる存在。

 それが真実だった――。

「瞳栖――そうか、だから君は取り調べ中にアイスクリームと言っていたのか。それが名前だったなんて……、ハナコだなんて呼んだりしてすまなかった。この通り、許してくれ」
 頭を下げる麗蘭を見た瞳栖がくすりと笑う。
「あら、ハナコも素敵な名前だったわよ? なかなかのネームセンスだわ」
「あ、あまりいじめるな」
 麗蘭は顔を赤くし、プイッとそっぽを向いた。

 瞳栖が麗蘭の手を取り、両手でそっと握りしめた。
「ねえ、麗蘭」
「ん?」
 その手の温もりはアイスのように冷たいでもなく、人並みの温かさを持っている。
「今、こうして話をしている目の前の私も、存在していないと思う?」
 そう問われ、苦笑する。
「どうだかな、瞳栖と出逢ってからは振り回されてばかりだからな」

 麗蘭はそっと手を伸ばし、瞳栖の頬に添える。

 この手で、いま目の前にいる確かな存在として、その温もりを覚えておきたかった。
 瞳栖のことを、こんなにも必死に追いかけてきた理由を探していた。
 そうしてようやく己の感情に気づき始めている。
 たとえば夢の中、愛しい人に触れた瞬間に目が覚めてしまった時の儚い想い――なんだ夢か、と落胆するのはもう嫌なのだ。麗蘭は周囲が思うよりも少女で、臆病なのだ。

 瞳栖も瞼を閉じ、頬で、指先で麗蘭の温もりを味わった。その手が己を受け入れてくれるというのなら、温もりこそが愛情表現だと分かるから――。

 麗蘭は、
 瞳栖は、
 互いを求めている。
 本心を受け入れるまで、そう時間はかからないだろう――。


 時は無情。
 しばしの別れはやってくる――。

 連行する意味がなくなった瞳栖に用はない。
「ここで、お別れだ」
 麗蘭がその頬から手を放す。
 心残りはあれど、麗蘭が探すべきはピコット村の男。そいつを捕らえて村で起きた惨事を聞き出さなければならない。あの酔っ払いなら何か知っているはずである。
「瞳栖、もしよかったらプリズンルームでどんな能力を使ったのか、聞かせてくれないか?」
 また、ここで独り言を述べているだけかもしれない。目の前の瞳栖が幻だというのなら、彼女に抱いた気持ちも偽物ということ。それはあまりにも酷ではないか。肌の温もりまで感じさせておきながら、目の前から消えてしまうだなんて……。

 もっと話したい。
 もっと時間を共有したい――。

「あの時、取調室で言った言葉。たしか『そうしてしまったら麗蘭に会えないでしょう? 故に、私はあなたが来るまで黙秘を続けた』とか言ってたな? あれはどういう意味だ? まるで私を知っていたかのようだった。それに誰に対して黙秘を続けた? 牢獄で私と出会う前、村で何があった?」
 麗蘭は質問という形で未練たらしく瞳栖を繋ぎとめた。離れたくないばかりに。

 麗蘭から立て続けに質問され、困惑するばかりの瞳栖。

「エクレアは『地』の能力を使うと言ったな? 霊界の数値をいじってフェアリーフォースの隊員たちの思考を制御しているとでもいうのか?」
 麗蘭は質問を続けた。
「そもそもエクレアとは何者なんだ? まさか、本当に天からの使者なのか?」
 瞳栖は難しそうな表情でうつむき、そっと瞼を閉じた。
「いいえ。エクレアは天の使いとは異なる存在。どこから来たのか。誰が仕向けたのか。何の目的があって私たちの前に現れたのか――それら1つ1つの物事を紡ぎ、私たちはこれからその答えを出さなければならない」

 瞳栖が月を見上げた。
「――麗蘭も知っているでしょう。終身刑を受けた者の末路」
「遠く離れた孤島にある収容所で労働を続け、そこで死を迎える」
「ええ。そこに死刑執行人がいたのはご存知?」
「死刑執行人? そんなヤツがいるのか? 初めて聞いたぞ」
 目を丸くして驚く。隊長クラスの麗蘭にだって分からないことがある。それを何故か瞳栖は知っていた。

 エクレアという死刑執行人がいる――。
 その事実を知った麗蘭は愕然とした。

「マズイな、このままではフェアリーフォースが恐ろしい事になる……」
 軍隊が生ける屍となり、死刑執行人の犬へと成り下がろうとしている。エクレアの目的は分からないが、事態が悪い方向へ向かっているのは確かだ。

 額の汗を拭う麗蘭の手前、瞳栖が一枚の手紙を取り出した。
「これはある囚人が私に宛てた手紙。餌付けした伝書鳩を飼い慣らしていたみたいね。食料なんて限られていたはずなのに……」
 瞳栖は囚人に思いを馳せた。

 麗蘭が手にした手紙には、収容所での惨事が細かく書かれていた。
 ひとつひとつが目を疑うものであり、囚人の男は次の内容を残していた。
 
『――エクレアは小さな虫・・・・を飼っている』

「小さな虫? ワームのことか? 除霊はエクソシストの専門だ。我々には荷が重い」
 妖精である麗蘭にはエクソシストの知識を持ち合わせていない。
 肩をすくめる麗蘭の手前、瞳栖が首を振った。
「どうやら蟲ではないようなの」
「蟲ではない? なら一体なんだというのだ?」
 声を荒げる麗蘭とは反対に、瞳栖は冷静に言葉を発する。
「これは私の想像なのだけど……」
「かまわん。言ってくれ」
 麗蘭に促され、瞳栖が口を開いた。
「エクレアはナノマシンを使っているわ」
「ナノマシン? 人間の開発した機械じゃないか」

 ナノマシン――アメリカの物理学者、リチャード・ファイマンが考え出した肉眼で認識するのが難しいくらいの小さなロボット技術。体内に放つことで医療にも使用されている。

 そこで麗蘭、ある事が合致した。
「そうか、フェアリーフォースの連中の様子がおかしくなったのはナノマシンを脳に注入されたのが原因か!」
「ええ。とても小さい機械ですもの。耳や口、ものによっては毛穴からでも体内に侵入できるわ。それを使って脳に信号を送り、脳波を自在に操っているのかもね」
「すると、エクレアの『手当』もナノマシンが?」
「それは低周波ね。人体には生体電気が通っている。それと似た電気を流すことで、乱れた生体電気を整えて治療してる。βエンドルフィンを脳で作り出せれば快楽物質の作用により鎮痛作用、高揚感、幸福感が味わえる」
 『手当て』の効果は麗蘭も身をもって証明している。
「エクレアは天上人ではなく別の何かだったのか……」
「立ち位置としてエクレアは、科学を用いた、言ってみれば人間側に近い存在ね」
「体内に入ったナノマシンを取り出すことは可能なのか?」
「EMPを使えば」

 EMP(ElectroMagnetic Pulse)――電磁パルス。それを使用することで、あらゆる電子機器が死ぬ。ミサイル爆発で起こる衝撃波だが、コンデンサでも発生させることができる。

「EMP? 核でも落とせ、と?」
「それは不可能ね、妖精のあなたが自然を傷つけることは出来ないでしょう。だとすれば体の外に排出させることね」
「どこに生息しているのか分からん、脳か?」
「ナノマシンは体内を動き回る性質を持つ。エクレアは何かを用いてナノマシンをコントロールしているはず」
「コントロール……」

 ――麗蘭の脳裏に、エクレアが所持していた経典が浮かんだ。

「そういえば、エクレアは経典だかを常に持ち歩いていたな」
「きっとそれね。経典に感染者を登録して自在にコントロールしているのでしょうね。経典には隊員たちの個人情報が記されているはず。だとすれば、ナノマシンを操作している経典を叩くしかないでしょう」
「経典はエクレアがたいそう大事に握っている」
「ならエクレアを叩くしかないわね」
「エクレアを……倒すということか? 八卦の力を持った奴をか?」
 なんとか言葉を振り絞った麗蘭。

 八卦ひとりの力はフェアリーフォース1000人に匹敵する。八卦の半分の力を見積もっても、ざっと500人分の能力。
「地の八卦の、半分――」
 使徒に掴まれた腕のアザに目を落とした時、脳裏にフェアリーフォースの隊員たちの声がこだました。
 
『エクレア様になんてことを!』
『天上人様に歯向かうのか!』

『――この裏切り者め!!!!』

 麗蘭はそれらの言葉を拭い、己を奮い立たせた。
「やろう――」
 瞳栖に背を向け月を見上げる。
「意思を残してくれた囚人が今でも元気にしていると願いたい。これはフェアリーフォースの闇に踏み込むための一歩となるはずだ」
 振り返り、瞳栖に礼を伝える。
「感謝す……」
 言いかけた時だった。
 
 麗蘭の目の前、幾枚もの白い羽をまき散らし、空から2人――突如、天からの使いが舞い降りてきたのだ!

「天上人!? たしかシュウとクリム! 人間界に来ていたのか!」
 麗蘭が身構えた瞬間、瞳栖が叫んだ!
「麗蘭、よく聞いて! 私が持っていた水晶、あれに八卦のデータが記録されている! それを風の八卦に託したわ! お願い、水晶を守り抜いて! エクレアはそれを狙っ……うっ!?」
 シュウとクリムの腕がスパークし、瞳栖の全身に荒々しい光が走る!
 強烈な電気ショックを食らった瞳栖は、ぐったりと首を落としてピクリとも動かなくなった。
 瞳栖の左右に立ったシュウとクリムは白い翼を広げ、瞳栖の脇に手を回し、その体をつかんで天へと舞い上がる。
「く! エクレアも瞳栖を探していたのか!?」

 麗蘭が叫ぶ手前、瞳栖は十字架に張り付けられたキリストのような姿のまま連れ去られてゆく。

「どこへ連れて行く!? その女を放せ!」
 さらに叫ぶ麗蘭。ジェラルミンケースからワイズナーを取り出そうとしたところでピタリと手が止まった。
(……ダメだ、今ワイズナーを取り出せば、すべてが水の泡となる)
 ケースに眠る兵器はターゲットを探し求めていた。その照準が定まった今だからこそ、取り出すわけにはいかないのだ。

 何もできないでいる麗蘭は無力そのものだった。


 瞳栖はエクレアから逃れるためにピコット村に身を潜めていた。
 麗蘭が村を訪れた時に聞いた声――瞳栖はあの瞬間、地の能力を使って霊界にもぐりこみ、麗蘭の中に身を移した。それが能力を半分奪われた瞳栖の精一杯だったのである。
 それ故、『ハナコ』は麗蘭にしか認識されなかった。
 こうして瞳栖は、一時的にエクレアの手から逃れた。

 いっぽうエクレアは、『地』の能力を完全なものとするべく、『埴村瞳栖』というキーワードを聞き分け、つねにアンテナを張っていたのだ。

 そして先ほど、瞳栖自らの口でその名を告げ、エクレアに居場所を知らせてしまった。
 だからこそ、頑なに名前を隠していたのだ。「麗蘭と会えなくなる」とはそういう意味だった。

 麗蘭はこの時になって、それらを理解した。

 そして今、最悪の事態は現実のものとなり、瞳栖は麗蘭の前から消えた。
 エクレアは瞳栖から地の能力を取り出し、完全なる地の八卦に生まれ変わろうとしている。

 死刑執行人が八卦の力を手に入れれば、世界は闇に覆われる。
 悪夢は、もはや時間の問題である――。


狐姫の作戦


 ――愛妃家女学園
 
 要請実行委員会 部室。

 放課後。
 狐姫が足を組んで椅子に腰かけ、何やら不満そうに口を尖らせている。
「ったく想夜のやつ、こんな時間に呼び出しやがって。昼飯食わねーで来ちまったじゃん」
 授業が終わり、一度帰宅した狐姫。
 想夜からの電話を受けたのは、それから1時間後。
 時刻は午後1時。
 狐姫だって暇じゃない。暴力エクソシストとしての任務もある。食べてゆくためには稼がなければならない。

 ぐう~。
 
 腹の虫が鳴る。
「そういや朝食も食べてないぜ」
 早朝からMAMIYA研究所の見回り。そこから学園に直行。今夜はハデに空腹を満たしたいところである。
「あー腹減ったな~。今夜の朝食は何かなー」
 幸福で空腹を満たすと決めた時、人も狐も自分勝手になる。
「トレジャーハンターごっこでもするか」

 ガタ……

 椅子から立ち上がり、部屋を物色。
「なんかないかな~♪ なんかないかな~♪」
 勝手知ったる想夜の部室。尻尾をフリフリさせながら、室内を物色する。
「……お? こんな所にこんなものが!」
 キャビネットの奥にお宝発見!

「てってれ~! 笹~団~子ぉ~!」

 猫型ロボットよろしく、カエルのような呻き声を発し、少し固くなった笹団子を天高くかかげる。
「家庭科実習の残りか。想夜が来るまで時間があるな……」
 クンカクンカ。狐姫は鼻を近づけ匂いを嗅いだ。
「家庭科2が作った団子かぁ、大丈夫なのん? まあレーションよりマシかもな」
 狐姫は器用に笹をはがして団子を取り出す。
「これは俺のために用意された笹団子! この世に偶然はあらず! それ即ち必然! いただきまーす」

 モキュ、モキュ……

 ほっぺたを動かしながら、笹についた粒あんをペロペロ舐める。
「う~ん、想夜たん、あんこに塩入れすぎじゃね?」
 咀嚼するたび、隠し味の塩っけが狐姫の味覚を苛立たせた。時折、ゴリッとした塩の塊を砕いては、しかめっ面を作る。
「うげっ、しょっぱい。食えたもんじゃねえ。さすが家庭科レベル2、国宝級だな」
 海水を口に含んだような刺激が口の中を支配してゆく。
「でもまあ、塩大福も塩使ってるし、塩笹団子ってことで許してやっか……」
 なんだかんだ文句を言いながらも全部平らげた。

 笹団子1つでは物足りない狐姫。とりあえず口に入るもので空腹を満たしたいところ。
「……この笹、食えるのかな?」
 残った笹を眺め、口に放り込んだ。
「うわっ、かってーな。やっぱ笹は食えねーか。でもスルメみたいに噛めば噛むほど味が……しないな、うん」
 それが食べられないと理解すると、お茶を手にして一気飲み。
 ほどよく喉が潤ったところへ……

 ドドドドド!

 廊下にけたたましい足音。誰かが全速力で部室に近づいてくる。
(……ん? 誰か来るな)
 狐姫がお茶を飲みながら聞き耳を立てた。瞬間、
 
 キキイイイイーーー!

 掘っ立て小屋の前で上履きブレーキの音。
 ドアが開き、想夜が血相かえて飛び込んできた。
「てててっ、てーへんだよ狐姫ちゃん!」
「ブウウウウー!」
 狐姫、あおったお茶を思い切り吹き出し、想夜の顔面にぶっかけた。
 狐姫のしぶきが想夜の顔面にもろにかかる!
「うわ!? 狐姫ちゃん! もう~、きったないなあ~」
 顔からポタポタと垂れる雫を手で拭う想夜。狐姫の手にした笹を見るや否や、眉を吊り上げ指さして吠える。
「あー! それあたしの笹団子! 楽しみにしてたのにい~」
 と涙目。お茶でビショビショになった前髪を直す。
「お茶でこんなに濡れちゃったし、もう~」
 目の前の狐っ娘には骨が折れる。

 狐姫が地団駄を踏む想夜に何かを手渡す。
「ホレ、雑巾」
 想夜が雑巾を受け取り、まじまじと見つめる。これで顔を拭けということか?
「……狐姫ちゃん、先日のこと根に持ってるのね」
 狐姫が聖色市に来た当日を思い出す。よってたかって狐姫の顔面に液体をかけた挙句、雑巾を手渡す集団がいた日のことを。


 成瀬夫人から手紙を受け取った想夜は、さっそくMAMIYA研究所の彩乃に連絡を入れた。小難しい話は知識を所持する者に聞くのが一番だ。

 小難しい手紙を要約すると以下の内容らしい。

 ――I県のロボット工場は、小さな町から少し移動した場所に建設された。
 問題となっているのが、この「小さな町」――まだ地図にも載っていない小さな都市。I県が多額の資金を投入して作られた、ハッピータウンという住宅街。言わば近未来型ベッドタウンである。

 ――数年前、そこで人々が生活を始める計画が上がったが、これが散々な結末を迎えているのだ。

 電気、水道、ガス、金融、交通――あらゆるインフラを人工知能に処理させることで人件費のコスト削減に成功したまではよいが、人間を淘汰し続けた結果、人が住めなくなってしまったという、本末転倒な結末だ。

 以来、生活する住居世帯は数える程度にまで落ち込み、ロボットに処理を丸投げした状態での放置都市と成り果てたのである。

 考えてみて欲しい。人と機械の処理速度の違いを――ダラダラと生活する人間と、文句も言わずテキパキと働く機械。選ばれるのはどちらだろう?

 ――答えは明白である。

 そこで生活していた人々は機械の処理速度についてゆけず、果てには都市から追い出されてしまったのである。
 ロボットに雑用を丸投げした結果、自分たちの首をしめることになってしまった。
 愚かな人間の産物。それがハッピータウン。全然ハッピーではない。

 けれども幸いなのは、そこで人とロボットが戦争を始めなかった事だ。

 ――そして今、時が動き出す。

 その放置都市でエンジニアをしていた成瀬は行方不明となっているが、今も老いた妻に手紙を出し続けている。
 普段は何気ない内容だが、きのう想夜に託された手紙の内容は今までと違っていた。

『傀儡街へ――』
 それが何を意味するのか?

 人工知能に制御された都市は傀儡街と呼ばれていた。
 なぜそう呼ばれているのかは不明である。ただ、成瀬が夫人に書いた手紙は、まるでこの時を待っていたかのように、タイミングよく想夜の手に渡ったのだ。

 驚いたことに、マデロム達が傀儡街へ向かったという情報が入った。
 そこにはリーノも同行している。
 機械が何らかの情報を読み取って計算し、手紙のGOサインを出したとしか思えない。
 文面からは危機感が漂っており、何かを解決しなければ大変な事態に発展するようにも受け取れた。

 想夜とマデロムを結びつけるもの。
 華生とリーノを結びつけるもの。

 成瀬の手紙が、未来を読み取ったかのように、すべてを結びつけてゆく――。

 すべての未来は何者かによって計算されて造られているのだろうか?
 それは神か?
 はたまた悪魔か?
 それとも――

 至急、傀儡街へ来られよ――小難しい手紙の内容は、この一言に尽きる。


 ――話を聞いた狐姫が尻尾とケモ耳をピコリンと立てた。
「するってぇと、これからハッピータウンにご旅行できるってぇわけ?」
「う、うん。でも遊びに行くわけじゃないからね? 成瀬さんを探しに行くんだからね」
「ホテルとかあんの?」
「彩乃さんのお友達が用意してくれた。保護者同伴ならOKだって」
「おまっ、それを先に言えよな!」

 ガタッ。

 席から立ちあがったかと思うと笹をゴミ箱に投げ捨てる。
「ぬおおおおお、笹食ってる場合じゃねえ! 保護者ことのの許可もらいに行くぜえええ!」
 ドドドドドド!
 スニーカーに足を突っ込んで飛び出していった。
「あん、狐姫ちゃん待ってよお~」
 妖精だって笹食ってる場合じゃねえ! 想夜も狐姫の後に続いた。


 ほわいとはうす到着まで待ちきれない狐姫。端末で御殿に連絡を入れる。

『もしもし、狐姫?』
 気だるそうに電話に出る御殿。どうやら睡眠中だったようで、無理やり叩き起こして説得する。

「――てなわけで俺、遊びに……、成瀬さん探しに行くから」
 慌てて言い直す狐姫。
「なあ~、いいだろお~? 朱鷺も保護者として来てくれるらしいぜ?」
 猫なで声、甘え声で端末に問いかける。
 いっぽう御殿は、冷たい口調で突き放した。
『だーめ。愛妃家の警備もあるでしょ? わたしもあなたも聖色市に残る、OK?』
 それを聞き、狐姫は耳と尻尾を立てて憤怒する。
「ふざけんなよな! 『OK?』じゃねえよ、NOだNO! 滅多にないチャンスなんだぜ!?」
『クライエントから距離を取るわけにはいかないでしょう?』
 叶子や学園を放置したら護衛もクソもない――御殿がしぶると、狐姫は耳を立て、腹を立て、駄々をこね始めた。
「よーし分かったぜ。じゃあ叶子も誘えばいいんだろ! ちょっと待ってろ巨乳ブス!」
 狐姫は声を荒げて電話を切り、愛宮邸へと向かった。


 ――愛宮邸 叶子の部屋。
 
「――というわけで、叶子。おまえも来い、ハッピータウン」
「嫌よ」
 即答。狐姫の言葉にそっぽを向く叶子。マデロムから受けた傷もあり、可愛い赤帽子たちの治療も終わってない。
「なんでだよ! 鼻にマシュマロ突っ込むぞ!」
 その言葉を耳にした赤帽子たちが部屋になだれ込んできた。
「をわっ!? 10人いっぺんに部屋に入ってくんなよ! だいたい何でそろって包帯巻いてるのん、暑っ苦しい!」
 10人に囲まれてしまった狐姫がたじろぐ。皆、叶子を護衛しているとあって目が血走っているからだ。
 
 そこに華生の姿はない。
 リーノの事で放心状態に近い華生だったが、「仕事を休むわけにはいかないので」と、街へ買い出しに出かけていた。その方が気が紛れるようだ。

 狐姫はベッドの上に寝転ぶと、手足を投げ出してジタバタ。ダダをこねる子供のように吠えまくった。
「あーもー! 俺もロボット工場に行くのお~! 行きたいったら行きたい! 行~きぃ~た~い~の~!」

 チラッ。
 狐姫が叶子に横目をやるが、てんで相手にしてもらえない。

「あ~も~、行ぃ~くぅ~のぉぉお!」
 ベッドの上、ふたたびジタバタ暴れ出す。

 叶子を誘えば御殿も護衛としてついてくると思ったのだが、策略は失敗に終わった――。

 そこで狐姫、いいことを思いついた。
「くそぅ、諦めてなるものか。作戦Bに変更だぜ」
 おもむろに端末を取り出し、想夜に連絡を入れた。
「もしぃ? 想夜ぁ? 俺ぇー」
 人ん家で端末片手にお喋りを始めるキツネ。

「狐姫さん、相変わらず自由よね」
 あきれ顔の叶子。紅茶をすすりながら、ベッドに寝転がる狐姫に生暖かい眼差しを向けた。


 想夜は調太郎が働く弁当屋を訪れていた。

 調太郎たちはババロアの手から晴湘市を取り戻し、復興に向けて頑張っている。
 弁当屋の主である源次が晴湘市にも出店したことにより、ふたたびダイニングを見る日も近い。
 掛け持ちの労働は大変だが、未来を見据えた時こそ、人の歩みは確実なものへと進化を遂げるもの。
 目標あればこそ、日々のモチベーションも上がるというもの。

 人手不足だが、源次がいない日は水角が店を手伝いに来ていた。
 
 弁当屋はこじんまりした食堂も兼ねている。うまい飯を提供しているだけあって、客の入りにも恵まれていた。

 店先の小窓から弁当を受け取る客を見送った想夜は、客足が途絶えた合間をみはからい、入口から食堂へと入っていった。

「調太郎さん、こんにちは!」
「おう暇人。よく来たな」
「ひ、暇人……」
 開口一番、酷い挨拶。

 金髪ヘッドに巻いたタオルをむしり取り、汗を拭う青年。

 店内をキョロキョロと見渡す想夜。
「水角クンはいますか?」
「あん? 水角なら配達行ってるぜ。1時間くらいで帰ってくんじゃね?」
「1時間!? そうですか、残念ね。一緒にロボット工場に行こうと思ったんだけど……」
「ロボット工場だと? 俺が代わりに行ってやんよ。どうせ遊びに行くんだろ?」
「もうっ、お店はどうするんです?」
「お前がやれ」
「どうしてそうなるですかっ、あたし帰りますっ」

 踵を返す想夜を調太郎が引き留めた。

「ちょっと待て、馬の骨……じゃなかった、馬の尻尾の髪型をしたJC」
「せめて髪型くらいは英語に直してくださいっ。しかも最初、馬の骨って言いましたよね!?」
 ふくれっ面のポニーテールに調太郎が何かを差し出す。
「ほら、せっかく来たんだから――」
「ほえ? 何かごちそうしてくれるんですか?」
「いや、せっかく来たんだから洗い物していけ」
 と、想夜に無理やりスポンジを握らせた。
「スポンジ!? なんで!?」
「せっかく来たんだからキッチンの掃除な。まずは皿洗いから、気合入れてガッツリ洗えよ。手ぇ抜いたら殺すからな」
「ふえーんっ」
 涙目の想夜。結局、ガッツリ働かされた。


 30分経過――。


 鼻の頭についた泡を拭いながらキッチンから出て来る想夜。
「調太郎さん、洗い物終わりましたよ?」
「おう、おつかれちゃーん」
 泡まみれの想夜が洗い物を終え、調理中の調太郎に話しかける。
「次は配達な。早くしろよ、のろまJC」
「ふえあ!?」
 すっとぼけた顔でポカンと口を開くJC。
「『ふえあ!?』じゃねえよ、すっとぼけたツラしやがって。そこにおかもち・・・・があるだろ? 中に焼肉定食入ってっから、3丁目の山本さんに届けてこいよ」
「ななな、何であたしがデリバリーしなきゃならないんですか!?」

 すごむ想夜に調太郎が無理やりおかもちを押し付ける。

「こまけぇこたぁいいんだよ、めんどくせーガキだな。早く行けよ、メシ冷めちまうだろーが」
「あたし免許持ってません。自転車貸して下さい」
「いま水角が使ってる」
「代わりは?」
「ない」
「一台だけしかないの?」
「一台だけしかないの」
「歩いて配達に行けと?」
「そんなことは言わん」
「良かった」
「走って行け」
「ふぁ!?」
「Bダッシュな」
「ちょっ……!?」
「それが嫌なら飛んでいけよ、おまえ羽ついてんだろ?」

 調太郎はおかもちを使い、想夜の体をグイグイ押して店から叩き出す。

「ほら、行った行った」
 しぶしぶおかもちを受け取る想夜。ほっぺたをフグのように丸く膨らませた。
「もう~! 御殿センパイに言いつけちゃうんだからねっ」
「御殿? はははっ、俺、御殿こわくねーし」
 さすが育ての親。
「ふーんだっ、調太郎さんなんか髪染めすぎて頭頂部だけ薄くなって、料理の味も薄くなって、味覚音痴の方向音痴になればいいのよ、べーだ!」
 舌を出して背を向ける想夜。おかもち片手に、羽を広げて空に飛び立っていった。

 JCの背中を見送る調太郎。
「……最後の一言は、ちょっとショックだったぞ、アニマルパンツ」
 言葉のボディブローがじわじわと調太郎の体力を奪っていった。


 配達帰り。上空から街を見下ろす想夜の目に、自転車をこぐ水角の姿がとまった。
「あ、水角クンだ! おーい!」
 飛行中の想夜が地上の水角に手を振った。
 天空からの声に気づいた水角が顔を上げる。
「あ、想夜ちゃんだ、おーい!」
 と、パァっと明るい表情を見せながら手を振り返した。
 
 想夜は高度を下げ、水角の手前で着地。さっそく本題に入る。
 
「――え? ロボット工場? うわぁ、ボクも行きたい!」
 水角の笑顔にはどことなくかげりがある。
 それを想夜は見逃さなかった。
「どうかしたの、水角クン? なんだか元気ないね」
 想夜が水角の浮かない顔を覗き込んだ。
「うん、それがね、お姉ちゃん、最近おかしいんだ……」
 水角の顔がさらに曇った。
「御殿センパイがおかしい?」
 首を傾げる想夜に水角が打ち明けた。

 過保護の姉。怒りっぽい姉。水角はここ数日、そんな姉のピリピリした雰囲気に悩まされていた。

「――だから喧嘩しちゃったんだ」
「そう」
 一緒にシュンとする想夜。
「どうしよう、ボク、お姉ちゃんに言いすぎちゃった」
「そんなに自分を責めないで。御殿センパイ働き者だもの、少し疲れてるのよ」
「ありがとう、想夜ちゃん。ハッピータウンの事はお母さんの許可を取っておくから」
「うん! あたしにできる事があったら何でも言ってね」
 少しだけ水角に笑顔が戻った。

「――で、水角クン」
「うん?」
 屈託のない笑みの水角に、想夜が言った。
「……どうして女子の制服着てるの?」
 白いブラウス、膝上10センチの紺色スカート――あまりの違和感のなさに、気づくのが遅れる想夜だった。


 聖色駅前 ホームセンター。

 華生の買い出しに付き合う想夜。
 2人して、両手いっぱいに荷物を抱えて店を出てきた。

 せっかくなので華生もロボット工場に誘ってみることにした。
 リーノの一件もあり、はじめは誘うことを躊躇した想夜だったが、同じ妖精同士、聖色市に残して行くのも心配だった。

「――本当? いいの?」
「ええ。その日はちょうど有給をいただいておりますし、いい刺激にもなりそうなので」
 にっこり微笑む華生。
 案外あっさり決まったことに拍子抜けする想夜。
「けれども、傀儡街という場所が気になりますね。一体どのような所なのでしょう?」
「う~ん、分かんない。謎だらけなの。人工知能がどうとかって言ってたけど、行ってみなきゃ始まらないわ」
「かしこまりました。危険もおありでしょう、何かございましたら護衛に回りますわね」

 笑顔の裏――華生は内心、リーノの事が頭から離れない。この先、マデロムと刺し違えてでもバッジを取り戻し、リーノの生活を維持していく覚悟でいる。

 華生に合わせ、想夜も白い歯を見せる。
「やったあ、頼もしいわ。華生さんも参加決まりね」
「ええ、楽しみですわ」
 はしゃぐ想夜を前に、華生は本音を打ち明けることができなかった。

 そこへ端末のベルが鳴る。

「あ、狐姫ちゃんから電話だ。華生さんゴメン、ちょっと待ってて――」
 想夜の背中を見つめながら、華生は藍鬼への謝罪の念を肥大させてゆく。
(ごめんなさいね、あなたにまでつらい思いをさせてしまって――)
 華生が傀儡街に同行するのは、想夜に対する精一杯の謝罪の気持ちからだった。


 叶子の部屋。
 狐姫がベッドからむくりと起き上がり、端末に吠えた。
「――なんだと!? 華生もロボット工場に行くのか。うらやまし……あ! 何をする!」
 言いかけた矢先、叶子に端末を奪われた。
「もしもし想夜? 華生に代わって。そこにいるのでしょう?」

 叶子は電話口の華生と話を始め、一言二言のやり取りの後、すぐさま電話を切った。

「……」
 無言で端末を握りしめ、うつむく叶子。何やら考え中。
「ど、どうした叶子?」
 心配する狐姫が息を呑むと、すぐさま答えが返ってきた。
「私も行くわ、ロボット工場」
「え、マジで!? どういう風の吹き回しなのん?」
 こうして、叶子と華生が参加することになった。


 ほわいとはうすに戻った狐姫が御殿に打ち明ける。
「――てなわけで、俺らロボット工場に行ってくっから。叶子の面倒は俺が見ていてやんよ。みやげ買ってくるから大人しく留守番してろよ御殿。 ……あ、あと水角も行くから、俺たちがいない間、よろぴく~♪」
 ニシシと笑い、プレプレβで遊び始める狐姫。
 御殿が狐姫の背中に質問する。
「本当に叶子が行くって言ったの?」
「おう、叶子も華生も行くってよ」
「想夜も行くの?」
「おう、想夜も行く」
「水角も?」
「おう、水角も」
 生返事の狐姫。もう石頭の御殿など眼中にない。『みんなでロボット工場へ行こう作戦(御殿は除く)』は大成功。

 その後ろでおタマを手にした御殿。何やら考え中。

「――なら、わたしも行かなきゃね、ロボット工場」
 狐姫が振り返った。
「……は?」
「だって叶子が行くんだから護衛が必要でしょう?」
「あん? 叶子には華生がいるからいいだろっ」
「水角だってまだ子供よ? 保護者が必要でしょ?」
「朱鷺がいるからいいんでね?」
「姉のわたしが保護者でなくて何だというの?」
「知るか、お前だって子供だろ! しかも4歳じゃねーか! おとなしくMAMIYA研究所でお袋の相手でもしてろよ」
「さっき水無月先生に会ってきた」
「だったらもう一回会ってこいよ、母ちゃんだから何回会っても金取られねーよっ」
「どうして一日に何回も行かなければならないの?」
 御殿が肩をすくめた。
 
 狐姫が荷造りを始め、パンパンになったバッグの上に乗った。これでもかと言わんばかりに荷物を押し込む押し込む。
「――それで? 御殿は何で水無月先生んとこ行ってたのん?」
「それがね――」

 昨晩、MAMIYA研究所に何者かが押し入り、保管されているトロイメライを奪っていった。
 奪われたトライメライは最近発表された最新型。遺伝子を取り込んでから細胞分裂を行うまでのスピードが飛躍的にアップしている新機種である。
 
 噛みちぎった想夜の右手首の腱にも、トロイメライの研究の一つである人工神経が使われている。最近になって、ようやく自身の神経と一体化してきたところだ。
 そのスピードが格段に上がっているのだから、トロイメライは生物の領域に達している。
 
 御殿から説明を受けた狐姫が耳を立てて驚愕。
「スゲー、そんなのできたん? 最先端じゃん」
「ええ。ロボットが生身の肉体を得る日だって、そう遠くはないはずよ」
「もう人間いらなくね? まるでハッピータウンじゃん」
「それは倫理や宗教上の問題になってくるわね。MAMIYAはあくまで技術レベルでの開発をすすめる立場だから、今できる事をやるだけなのよ」

 いつしか人工知能が自分たちを人間と名乗り、人権を主張する未来がくる。それは決して否定できない未来――。

「ふーん、研究ってっ、いろんなっ、問題がっ、ついてっ、くるんだなっ」
 いっけん会話をしているように見えるが、狐姫だけせっせと荷造りを進めている。
 バッグに、
 荷物を、
 ギュウギュウと、
 押し込む、
 押し込む!
「まあ、がんばれよ御殿。留守番シクヨロ~。歯ブラシ歯ブラシ~♪」
 狐姫がソファを乗り越え洗面所に向かおうとした時だ。
「ちょっと待ちなさい」

 くいっ。

 御殿が狐姫の足首を掴んだ。
「をわっ!?」

 ガッ。

 狐姫が派手にコケてソファに顔面を打ち付けた。
「いってーな、何しやがるんだ、このおっぱい魔人! タンスの角だったら死んでたぞ!」
 鼻をさすりながらキャンキャン吠えまくる。
「大丈夫。狐姫は死んでも死なない」
「は? マジでコロスぞ! お前の歯ブラシだけ脱毛すっぞ! 本当はお前だって行きたいんだろロボット工場! 行きたいなら行きたいって言えよな!」
「わたしも行きたい、ハッピー工場」
 キリッ。
「うるせーよ、喋るおっぱい! なんでドヤ顔なんだよ! 色んな単語混ぜてんじゃねーよ!」
 ほわいとはうすは今日もにぎやか。


想夜のプレッシャー


 陽も沈み、お月様が顔を出す頃。

 想夜は自室のベッドにゴロンと寝そべり、窓の外を眺めていた。
 いくつもの星が視界に入り、それらは微動だにすることはない。

 月を見ながら歩くと月が追いかけてくる――そんな錯覚を思い出しては、月も一つの生命なのだと仮定し、生命の線引きを考え始める。

『ロボットの供養をしたのよ――』

 成瀬夫人の言葉が脳裏をよぎる。

 浮かない顔をした想夜の目の前、窓の外に狐姫が現れた。
「よ、想夜。入るぞ」
「狐姫ちゃん」
 窓からの侵入者は遠慮がない。
 想夜は窓を開けて狐姫を招き入れた。


 暗い部屋に2人。横になって星を眺めている。

「――御殿から聞いたぞ、マデロムって奴のこと」
 狐姫がポツリと言う。傷ついた者たちへの気配りができた静かなトーンで。
「……うん」
 想夜はうつむき、元気のない声で答えた。

「……フェアリーフォースの奴なんだろ?」
「……うん」
「……強いんだって?」
「……うん」
「……勝てるのか?」
「……分からない」
 この上なく元気のない返事。けれども時間は待ってはくれない。次に敗北したらバッジは戻ってこないのだ。
「今度マデロム隊長と戦う時に別の戦闘になったら、あたし体力続かないかも。そうなったら、また負けちゃう。そうなったら、もう叶ちゃんにバッジ、渡せないかも……」
 それだけではない。麗蘭もフェアリーフォースを去り、妖精界を捨てなければならない。
 想夜の肩に重くのしかかるプレッシャー。

 ひどく落ち込む想夜。しまいには瞳いっぱいに涙をためた。

「この前、あたし、負けちゃったから……、藍鬼さんに嫌われちゃったから……」
 グジグジとベソをかき、掌で乱暴に涙を拭う。
 さぞ悔しいだろう。
 己の傲慢さを恥じているのだろう。
 嘘をつかない涙の理由わけを、想夜は受け止めなければならない。
 闇を突き進む以上、血で血を洗う戦いからは逃れられない。

 次の敗北は、許されない――。

 想夜に、この上ないプレッシャーがのしかかる。
 押しつぶされそうな妖精の姿を見た狐姫は、星を見ながら言った。
 
「大丈夫だって。俺に任せておけよ。守ってやっからさ」
 想夜の隣に座り、手で涙を拭いてやった。
「だから、いつまでもピーピー泣くなよ。女だろ?」
「…………うん、ありがと――」
 真っ赤な鼻をすすり、涙をこらえる努力をする。
「よし、いい子だ、偉いぞ――」
 狐姫は想夜の頭を撫でながら、ゆっくり胸元まで手繰り寄せた。この時ばかりは、狐姫のほうがお姉ちゃんだ。

 涙は女のジョーカーだ。それに頼りっぱなしでは進歩がない。
 泣いても何も始まらないのなら、思い切って前進するしかない。

 戦いの女神は、泣きっ面には振り向かない。

 何事も、思い切りが大事だ。

 飛び込めよ。
 飛び込むんだ。
 目の前の恐怖にタックルかまして進むんだ。
 待っていても何も生まれないのなら、なりふり構わず突っ込んでいけ。

 暗闇に閉ざされた道を、その手で切り開け――。

 明日の今頃はロボット工場にいる頃だろう。
 こうしている間にもマデロムが妖精界に帰る日が迫っている。それまでにバッジを取り戻さなければならない。

 手紙に記された『傀儡街』とはいったい何を意味しているのだろうか?

 想夜の瞳の奥。宿る焔が、フェアリーフォースの闇を照らし始める――。



麗蘭の疑問


 麗蘭は丘の上から月を睨みつけていた。
 
 瞳栖が連れ去られた今だからこそ浮かぶ、本当の疑問――。
「瞳栖は一体、何者なんだ?」

 彼女は地の八卦。
 彼女は人間なのか?
 彼女は妖精なのか?
 
 瞳栖が首に下げていたネックレスには水晶。この上なく眩い光が宿っていた。
 それは風の八卦に託された。
「あの水晶にも八卦の力が宿っているというのか……」
 
 そしてふたたび疑問を抱く。
 
「瞳栖は……どこから来たんだ?」

 なぜ水晶を持っていた?
 なぜ八卦に関わっている?
 
 残された麗蘭はジェラルミンケースを睨みつけ、瞳に焔を掲げつつ、ひとつの決断を下す。

「――これの使い道は決まった」

 R・Lユニットを装備したフェアリーフェイスワイズナー零式ゼロしき
 トリガーを引けばどうなるのか?
 その威力は?
 ――まだ誰も知らない。

 脳裏にエクレア・マキアートの姿がよぎる。

「待っていろ、偽りの天上人――」

 息を整える。

「瞳栖は……誰にも渡さない――」
 踵を返し、2本に伸びた毛先を揺らす。

 近いうち、麗蘭はケースからワイズナーを取り出す時がくる。

 その時こそが、この人間界で核弾頭・・・をぶっ放す瞬間だ――。