7 死の天使


 誰か……。
 誰か――。
 誰かこの親子に手を差し伸べてはくれないだろうか?
 野良犬のように腹をすかせた逃亡者に食事を。
 凍え切ったその体に暖を与えてくれたこの親子に。
 他者への慈愛を忘れず、ただそれのみを追求して生きてきた、この親子に。


誰か、救いの手を――。


「――さあ、こっちに来るんだ!」
 無理やり子供の腕を引っ張るフェアリーフォースの隊員。子供とて容赦はない。
「いやあ、離して! パパ! ママ!」
「リーノ!」
 夫婦とその子供。互いに手を伸ばそうとも距離ができるばかり。
 嫌がるリーノの体を乱暴に扱い、隊員たちは無理やり家の外に引きずり出した。

「パパ! ママ!」
「リーノ!」

 ――あの日。華生をかくまい、愛情を与え続けた日。
 フェアリーフォースに見つかった、あの日。
 そうやって親子は、引き裂かれた。
 
 リーノの両親は遠く離れた島にある強制収容所に放り込まれ、リーノはフェアリーフォースに引き取られた。


死刑執行人


 ――強制収容所。

 ここは本土から遠く離れた場所。
 孤島と化した荒野にそびえたつ巨大な建物。全面無機質なコンクリートの打ちっぱなしで作られたその場所は、労働者が収容される施設。
 
 ある日、ひとりの労働者の男が体調を崩した。
 働きもせず、監視の目を盗み、ただ施設で出たり入ったりを繰り返す。そんな奇妙な行動をとっていた男だ。
 
 ここではまともな医療も受けらないが、安静にしていれば回復したであろう。
 
 その日は様子が違った――。

「ゴホッ、ゴホッ……」
 繰り返す咳はしだいにひどくなり、やがて止まらなくなった。
 他者とは違う行動を続け、働きもしない男。苦しそうにむせては、日に日に衰弱してゆく。
 
 この収容所に疫病が蔓延していたのだ――。
 
 リーノの母親は男の横に座ると、手にしたスプーンでシチューをすくった。
「ここでは食料が調達できなくてね。こんなもんしか作れないけれど、何もないよりマシだろうさ。さあ、おあがり――」
 そう言って男の口にほどよく冷ましたシチューを運んだ。
 皆が遠くから声をかけてくる。
「そいつは働きもしないで、ただその辺をうろついて遊びほうけているだけだ。さっさと死んでしまえばいい!」
「そいつの言う通り、助ける必要なんかない! おまけに俺たちの貴重な食糧まで野鳥のエサにして遊んでいた男だ!」
「まったく、働きもしないで毎日毎日何やってたんだか……」
 皆が男に向ける目は軽蔑そのもの。内心、ざまあみろと思っていた。
 皆の言い分はもっともだ。男を責めるその姿を恥ずかしいと思う者はいない。

 周囲がリーノの母親に言葉を投げる。
「本当はアンタだって後悔しているんだろ? 真菓龍の娘をかくまったりしなければ、こんな所にぶち込まれなかったのによ」
 リーノの母親は苦笑すると、男に向き直る。
「今は何も考えなくてもいいのよ。さあ、おあがり――」
「す、すまない……ゴホッ」
 男はシチューを飲み込もうとするが、咳込んで吐き出してしまう。
 血の混じった吐瀉物としゃぶつが命のカウントを取り始める。
 頬は痩せこけ、そうして日に日にやつれてゆく。

 ――もう、命の尽きる時だ。


 ――明け方、男は息を引き取った。
 看取ったのはリーノの両親。2人だけ。

 男の遺体は荒野に投げ出され、野鳥の餌食となった。
 野鳥が鋭いくちばしでむさぼる中、男の体から肉がはぎ取られ、臓器をむさぼられ、やがて骨へと変わってゆく。
 散乱する骨を別の獣がかみ砕き、ボリボリと音を立てては空腹を満たす。
 雑に扱われるその光景を多くの妖精たちが目にすることで、さらなる絶望を植えつけられた。

 ここから誰も生きて出たものはいない。
 明日は我が身――それが答え。

 収容所には死刑執行人がいる。
 過酷な労働で死んでいったものの遺体をバラバラに引き裂いて野鳥のエサに。歯向かった者を皆の前で、見せしめのために同じように処刑した。
 死刑執行は惨いものだ。体を切り裂くために器具を使い、桁外れの腕力で肉を引き裂く凶行をやってのける。

 ――まるで地獄の使者。

 その執行人、赤黒い長髪の女。
 全身を白い包帯で包み、顔まで覆う異質な存在。
 包帯は日々の処刑の返り血で真っ黒に変色している。髪の色も血で染まったのではないかと言われるほどに禍々しい。
 何もしゃべらず、語らず。執行人は大釜を携え、いつも大海原を見つめている。
 そんなこともあり、『死の天使』とも呼ばれていた。

 死の天使、エクレア・マキアート。


 フェアリーフォース 訓練校。

 リーノは目を覚ました。
 横にパパとママはもういない。
 まだ夜中の3時。
 その身を不安に消されないよう、枕をぎゅっと抱きしめて顔をうずめた。
 そうすることで心細さをごまかすのだ。

「パパとママも頑張っているんだもん。大丈夫。大丈夫……」

 大丈夫――その言葉に確証はなく、ただ口ずさんでは眠りにつく。
 無理な笑顔のまま、そうやって自分に言い聞かせ、いくつもの時間を耐えていた。


群れる少女たち


 叶子から連絡を受けた想夜は、空の経路で愛宮邸に向かっていた。
 上空から見下ろすと、玄関前に御殿の姿があった。

「御殿センパーイ!」
 高度を落として羽を閉じ、御殿の前に着地。
「思ったよりも早かったわね想夜」
 今まさに、銃を構えて中に侵入しようとしていたところだった。
「叶子と華生さんは裏口から中に入った。わたし達は正面から行く。OK?」
「お、オーケー」

 想夜と御殿、そろって玄関の扉を開ける。
 
「皆さん大丈夫ですか!?」
 勢いよく扉をあけて飛び込む想夜。見ればエントランスにボディーガード達が横たわっているではないか。
 それをみてギョッとする。
「たいへん! 早く治療しなきゃ!」
 慌ててポケットから妖精界の特効薬を取り出した。
 傷は塞がるが、骨折などの重傷まではカバーできない。
 御殿が倒れたボディーガード達の症状を見ている。
「まずいわね。想夜、救急車を呼んでちょうだい」
「はい!」
 御殿が想夜に端末を取り出すよう促したところへ、通路の奥からクスクスと少女たちの笑い声が聞こえてきた。

「――雪車町って本当に聖色市のエーテルバランサーになってたんだあ」
 
「――え?」
 振り返る想夜。
 近づいてくる少女たち。
 マデロムチームに所属するエーテルバランサーだ。そして想夜と同期のフェアリーフォース。
「久しぶりぃ雪車町ぃ、元気してたあ?」
 と腰を曲げ、想夜をおちょくる少女。下から覗き込むように挑発してくる。
 それだけではない。御殿のほうに安っぽい視線を向けて言葉を投げてきた。
「えーとぉ、そっちのおっぱい大きい人は……確か、暴力エクソシストさんでしたよねえ~? きゃははははっ」
 何がそんなにおかしいのだろう。いちいち鼓膜をつんざくほどの高い音階で爆笑する少女たち。
 御殿は不快に感じるも、相手にはしなかった。どうせ妖精界で想夜をネチネチいびっていた事は想像に容易い。言葉を交わすのも時間の無駄だと判断した。

 救急車が到着するまでの間、負傷したボディーガード達の応急処置にあたる想夜と御殿。
 処置をしている途中も少女たちは想夜に対し、あれこれちょっかいを出してきた。
 
 想夜の手首に巻かれた包帯――暴走した藍鬼に武器を持たせないよう、自らの腱を噛みちぎった時の名誉の負傷。
 その包帯を指摘してきた。
「雪車町ぃ、リストカットしたウワサって本当だったんだぁ~、生きてるのがツラくなっちゃったあ?」
 ボディーガードを安静にさせる想夜の横顔を見ながら、ニヤニヤとほくそ笑む。
 別の少女たちも挑発に便乗してくる。
「なんてったって裏切り者だもんね~雪車町。政府の面汚し。そりゃツラくもなりますわ~。私だったらハズくて死んじゃうかも~、キャハハハハ!」
 チラリと御殿に目を向け、さらに突っかかってきた。
「そちらの暴力エクソシスト様もシュベスタで派手に暴れられたそうじゃないですかあ。ストレスで暴れたい気持ち、よお~く分かりますう~」
 挑発まじりの視線を御殿に向け、腹を抱えて笑い転げた。
 その時だ。
 
「……うるさい」
 
 頭に血がのぼるのは一瞬だった。
 激情した想夜が噛みつくように前に出る。
「あなた達ねえ、この人たち傷ついているでしょ! 治療もしないで見てたの!? 自分たちが同じ目に合ってもそうやって平然としてるわけ!?」
 想夜は眉を吊り上げ、まくしたてた。
「それにねえ! あたしの事は酷く言ってもいいけど、御殿センパイは関係ないでしょ!」
「うわっ、こっわ~。雪車町おこ? おこ?」
「雪車町がキレた」
 と、一斉に吹き出した。
 
「いきなりキレてんじゃねーよ、裏切り者」
 想夜の頭を強く押してケンカを吹っかけ、救急箱を蹴り飛ばした。
「何するのよ!」
 想夜は少女たちを睨み、散乱する包帯や絆創膏を拾い集めた。
「カッコつけてんじゃねーよ。本当は人間の肩持ってポイント稼いでいるだけだろ?」
 と、今度は強く想夜を突き飛ばした。
「あイタッ」
 つまずき、勢いよく尻もちをつく想夜。
 やるほう。
 やられるほう。
 そうとなれば、もう治療どころではない。
「なにするのよ!」
 飛びかかろうとする勢いの想夜。
 それを何者かが引き留めた。

「――やめておけ雪車町」

 後ろから想夜の肩に手をかける人物。
 振り返ると、そこには見覚えのある姿――。

「京極隊長!」

 何が起きているのか分からず、慌てふためく想夜。
「京極隊長、人間界にいらしてたんですか!?」
「ああ。そんなことより自分の成すべき事を優先させろ。この人たちの治療が先だ」
 ボディーガード達に目を向けて想夜を諭すも、当の本人は悔し涙をためて訴えてくる。
「分かってます! でも! だって! ……だって……」
 治療の邪魔はされたくないし、御殿の事を酷く言われるのも癪に障る――想夜は言いたいことが多すぎて言葉が途切れ途切れ。活舌の悪さが引き金となり、発言のタイミングを逃がしては、しょんぼりとうつむいてしまう。作った拳の行方はどこへ向かうでもなく、その場で消えてしまった。

 麗蘭は少女たちを一瞥し、想夜に向き直る。
「あいつらの事は相手にするな。時間の無駄だ」
「分かってますけど……、でも……、だって……、何か言わなきゃ。黙っていればあの子たち、また何か言ってくるもん」

 牙を剥いて襲い掛かる姿勢を見せなければ、いつまでもどこまでも舐められる。それが世の常だということを想夜は知っている。だから同級生や上級生にも噛みついた――過去、あの河原で勇気を振り絞ったのは、想夜の溢れんばかりの苦痛だった。そうしなきゃ心が裂けてしまう。

 麗蘭が想夜の両肩に手を添えてなだめた。
「馬鹿は放っておけばいい。何か言われたら柳に風と受け流せ。馬鹿はいづれ自滅する」
 スルーりょくの素晴らしいところは、無駄な時間を消耗しないところだ。正面きって攻撃を受けない分、いっさいのダメージからも解放される。
「バカに波長を合わせるな。君までバカになるぞ? 雪車町、君はバカなのか?」
「あたし、バカじゃないもん。バカじゃない……と、思う」
「知っている」

 想夜をまっすぐに見つめる麗蘭の視線は優しいもの――想夜には、それが自分に向けられる信用であることが確信できた。

「だから、いちいち連中を相手にするな。体力は酔酔会との戦まで温存しておけ。くだらないことに使うな。いいな?」
 その言葉を聞き、頬をゴシゴシこすって涙を拭く想夜。
「はい。分かりました」
「イエスマムな」
「イエスマム」
 コクリ。険しい眉の角度は理解の証。想夜はスルーすることを覚えた。

 バカに正面からぶつかっていたら、いくら体力があっても足りない。時間は限られている。有効に使おう。

 けれども可愛い部下を傷つけられた麗蘭の心情だって面白くはないもの。にやりと口角を吊り上げ、マデロムチームの少女たちに視線を送る。
「ずいぶんと気の利いたご挨拶だな。他の部隊を挑発するようにとマデロムから教わったか?」
「はいぃ~。こっちの世界で京極隊長が、ちゃぁんと仕事してらっしゃるか見張っていろと言われましてぇ~」
 ニヤニヤしながら、覗き込むように挑発を繰り返す。バックにマデロムがいるものだから気も大きくなる。言いたい放題、やりたい放題。
「ほお、ならマデロムに伝えておけ。『部下の躾に失敗してるぞ』、とな――」
 想夜の屈辱の代弁者。麗蘭は少女たちに一言投げておいた。

 救急車が到着した。
 ボディーガード達を救急車に運び、想夜たちはその場を去る。
「あれ~、逃げちゃうんですかあ~? きゃはははっ」
 想夜の背中にいくつもの罵声が叩きつけられた。
 でも想夜は笑顔。麗蘭と一緒に罵声を背中で受け流し、背筋を伸ばして歩いてゆく。
 馬鹿は相手にしない。それがとっても爽快だった。今は指導してくれる人の背中だけ追いかけていればいい。やがて馬鹿を認識さえしなくなる。想夜はそうやって、少しずつ成長してゆくのだ。

 相手にされていないと悟った者たちの惨めな空気。やり場のない空気。結局、遠吠えは己に返るものである。


リーノ


 華生の部屋。
 華生は戸棚の奥にしまっておいたバッジを手にすると、叶子のもとへと急いだ。
「お嬢様!」
 廊下の壁に寄りかかっていた叶子が声に反応する。
「どうだった?」
「ごらんの通り、まだ無事です」
 手にしたそれを叶子に見せ、ひとまず互いに肩を落とす。
「私たちも御殿のところに戻りましょう」
「はい、お嬢様」
 2人、エントランスに向かおうとした時だった。
 
「見つけたぜ、真菓龍のご令嬢様――」

 巨大な影が華生の前に立ちはだかる。
 その姿を目にした華生は目を疑った。
「どうして、人間界に……」
 これ以上にない怒りが込み上げ、もはや正気を失いかけていた。
 華生は忘れない――妖精界での逃亡中、自分をかばってくれた親子に酷い仕打ちをしたクズ野郎の姿を。
 
 とっさに華生の前に出た叶子は、鋭い眼光でネイキッドブレイドを構えた。
「どちら様かしら?」
 叶子の問いに影が答えた。
「俺はフェアリーフォースのマデロム。後ろの女に話がある。そこをどけ」
 マデロムは威圧的に叶子を睨みつけた。
「お生憎だけど、私たちはあなたに話すことはないのよ。あなたこそ、そこをどきなさい」
 叶子も負けじと反論。
 マデロムはほくそ笑むと、一歩だけ後退する。
「まあ俺は別に構わねえんだけどよ。バッジさえ押収できればそれで安泰だ。ただよお……こいつが真菓龍の女に話があるみたいだぜ?」
 するとマデロムの巨体の後ろから、一人の少女が出てきた。

「――お久しぶりです。華生さま」

 ブロンドにヘアバンド。ぎこちない笑み。されど悲惨な過去を背負ったが故に、瞳からは光が消え失せている。
 どこかで見た事ある少女。

 目の前の少女――。
 シチューを口に運ぶ幼い少女――。
 華生の中で、2人の人物が一体化する。

「あ、あなたは……!?」
 とたんに華生の声が震え出した。
 妖精界での逃亡中、華生をかばい、フェアリーフォースに捕らえられた親子。その結果がここにある。
「あなたは……リーノ」
 まぎれもなく、その少女だった。
 

 ズウウウウン……
 
 屋敷が大きく揺れ、想夜たちがよろめいた。
「きゃっ、なに!?」
 慌てて周囲を見渡す。音は裏庭から聞こえたかに思えた。
「始まったな」
 麗蘭が険しい顔を作る。
「始まった?」
 キョトンとする想夜。神経を研ぎ澄ますと、肌にビリビリした感覚が走る。
「これは……妖精反応!? 誰かがハイヤースペックを発動したのね!?」
 御殿が説明。
「叶子がフェアリーフォースと遭遇したんだわ。急ぎましょう」
 麗蘭につづき、御殿と想夜は裏口から外に出た。


 裏庭で大男がワイズナーを構えて陣取っている。
 その手前には叶子。ネイキッドブレイドを左右の手で握りしめていた。
 様子がおかしいのは華生だ。叶子の後ろで俯き、戦意を喪失している。手にした武器の矛先は地面に向いたままだった。

 想夜たちが駆けつけると、そこには赤帽子たちが横たわっていた。皆、叶子が所有する可愛いメイド達。

「真菓龍華生、なにがあった!?」
 麗蘭が正気を失いかけている華生に問うも返事がない。
「まあいい、話はあとで聞く。 ――雪車町!」
 埒が明かないと分かると、麗蘭は想夜に指示を出した。

 想夜がマデロムと向かい合い、険しい顔で見上げた。
(この人、たしかマデロム隊長ね。話したことないけれど、フェアリーフォースでは悪い噂ばかり聞いているわ……)
 目の前にあるのは、まるで巨大な隕石。体格差があまりにも違うため、思わず息を呑む。首の角度を目一杯曲げないと視線が合わない。
「こんなチビ助でもフェアリーフォースが務まるのか。笑わせるぜ」
 せせら笑うマデロム。彼の言う通り、華奢な想夜の体なら片手で捻りつぶされてしまいそう。

「なんだチビ助? バッジを追ってきたのか? ――ん?」
 想夜を見た途端、マデロムは表情を歪ませた。
「ほお、テメェが聖色市のエーテルバランサーってやつか。噂は聞いているぜ? とち狂ったガキがいるってな」
 ズイッと自分の顔を想夜の顔まで近づけた。

 マデロムは想夜のつま先から頭のてっぺんまでを凝視した後、ふたたび口を開いた。

「――よし、賭けをしよう」
「……賭け?」
 想夜が首を傾げると、マデロムはバッジを取り出してかかげる。
「ここで鬼化シャドウシーズンてやつを使え。俺も一度、その狂った能力とやらを見てみてえ」
「シャドウ、シーズン?」
 何も知らない想夜に麗蘭が耳打ちをする。
「フェアリーフォースは鬼化をシャドウシーズンと名付けた。君の藍鬼化は鬼化シャドウシーズンだ」
「京極隊長、知ってたんですか? あたしが……鬼になっちゃった事」
 少し悲しげな表情の想夜。鬼になることで麗蘭に嫌悪されないか不安だった。
 そんな想夜の心配などどこ吹く風。麗蘭はこう言う。
「雪車町、君は鬼になったのではない。鬼を扱えるようになったんだ。それは戦士として誇らしい事。別に恥ずべき事ではない。もっと胸を張れ」
 その言葉がどれだけ想夜に勇気を与えてくれたことか。
「シャドウ、シーズン……」
 そっと胸に手をあて、繰り返す。
 その胸の奥に宿る藍鬼。その吐息を感じ取り、もう一度つぶやく。
鬼化シャドウシーズン
 想夜はワイズナーを抜き、手前で横に倒して詠唱する。

藍ー鬼おーにさーん、こーちら!」

 瞬間、頭上がが黒い雲に覆われ、太陽を覆い隠した。
 想夜を取り巻く空気が藍色へと変わり、妖精を鬼へと変貌させる!
 
 闇をいだきしダークブルー。
 それこそが藍色。
 藍色の鬼、藍鬼。
 
 想夜が藍鬼と化す!
 その瞳が揺れるたび、藍色の残像がテールランプのようについてまわる。

 藍鬼と化した想夜は、いつも片手でワイズナーを引きずるように持つ。ゾンビが鉄パイプを引きずるような姿で、ゆらり、ゆらりと歩くのだ。
 武器を構えるというより、ただ振り回すだけの物体になり下げているようでもある。
 藍鬼のワイズナーを見たマデロムが言う。
「おいおい、政府からの物資だぜ? もっと大事に扱えよ」
 想夜の奇行的な構えを目にしたマデロムは嬉しそうにしていた。これから鬼畜と一戦交えるのだ。力を愛する男として、高鳴る胸の鼓動を抑えることなどできようか?
 
 藍鬼が羽を広げてピクシーブースターを発動。ジェットのような速度でマデロム目がけて突っ込んでゆく!
「オラ来いよ、狂ったようにイカれたその目、嫌いじゃないぜ!」
 同時にマデロムも構えに入る。

 視線と視線。
 武器と武器。
 一瞬で距離が縮まり――
 
 ギイイイイイイイイン……!!

 ――接触!

 ワイズナー同士が接触した瞬間、バチバチと火花を散らしてド派手な金属音を奏で合う!

 上からワイズナーで押し付けるように覆いかぶさる藍鬼。
 それをワイズナーで受け止めるマデロム。
 藍鬼のピクシーブースターが唸る!
 羽から繰り出されるブースターが雄叫びを上げるたび、武器を構えたマデロムの体が地面に沈み、やがて片膝をつく。
「いいねいいねえ! そうでなくちゃ面白くないねえええええ!」
 押されるマデロムだが、表情はいたって余裕の笑み。ギリリと歯を食いしばり、藍鬼の斬撃に耐えている。

 その場にいた全員がたじろぐ。
「あの藍鬼と互角!? ハイヤースペックも使わずに!?」
 マデロムはハイヤースペックを使えない。それ故、力でゴリ押しの戦闘が主体となる。
 
 マデロムが藍鬼を睨みつけ、叫ぶ!
「腕力こそ力! 馬力こそ力! 力こそパワー! パワーは俺! これが力! 俺が力! 俺が法律うううううう!」
 一語一句、重複はあれど自信もある。それだけ馬力にこだわる生き方をしてきた。

 マデロムは「力」を神と例え、崇拝しているのだ。


「弱えぇ奴に正義を語る資格はねえ!
正義をパスする試験は、強さを得てからだ!」



 その狂おしいほどの正しさ、腕力によって証明されたり。

「説得力のねえ正義なんざクソ以外の何ものでもねえ! ――分かったか、クソガキがああああ!」
 空いたほうの手を藍鬼の顔面に伸ばし、頭ごと鷲づかむ。
「ガキは帰って……」
 軽々と藍鬼の体を持ち上げ、
「部屋で小便垂れてろや、ボケがああああああ!」
 片手で地面に叩きつけた後、さらにブロック塀にぶん投げる!

 塀に激突する瞬間、藍鬼は羽を使って体勢を立て直し、プールの折り返しのように空中で前転、塀に両足をついて踏ん張った。
 ――が、そこに追い打ちをかけるようにマデロムが突っ込んでくる!
「耐えたつもりかい!? 甘めえんだよボケがああああ!!」
 デカい掌で藍鬼の頭を掴むと、一気に塀に叩きつける!
 
 ズウウウウウン!
 
 体ごと塀にめり込み、ブロックとともに崩れる藍鬼。
 マデロムはブロックのガレキから藍鬼を引きずり出すと、片手でそれを振り回してあたりに叩きつけた
「弱ええ、弱ええ! 弱ええ弱ええ!!」

 ガッガッガッ!
 
「期待させんじゃねーよ! 弱えぇクセによお!」

 ガッガッガッ!

 何度も何度も、藍鬼の体を塀に叩きつけ、体力を奪っていった。
 
 剛腕の前、藍鬼が完膚かんぷなきまでやられている。まるで歯が立たない。
「藍鬼が……やられている!?」
 御殿たちが固唾を呑んで見守っている。手出しをしたい。が、それはご法度。これは賭けなのだ。
 止めに入ろうとする叶子。もはやバッジを諦めてもいいとさえ思った。
「やめて……お願い、もうやめて――」
 華生は今にも壊れそうだ。自分のせいでこんなにも多くの犠牲が出ているのだ。正気を保っているほうがおかしい。

 やがて藍鬼はぐったりとして、死体のようにピクリとも動かなくなった。
 手、足――藍鬼化が解除され、ぶらりと垂れ下がった四肢。
 首つり死体のような想夜をマデロムは片手で吊り上げ、麗蘭の前に放り投げた。
「ほらよ京極。てめえの部下、大して骨がなかったぜ」
「雪車町!」
 麗蘭は目の前に横たわる想夜に手を伸ばして抱きかかえた。
「雪車町! しっかりしろ!」
 クシャクシャになったリボンに血が滲む。
 声をかけても動物の死体のように動かない。

 想夜は、『腕力ちから』に敗北したのだ――。

 麗蘭はキッと睨みつけた。
「マデロム、もう充分だろう!?」
「ほお、だったら……てめえが部下の代わりに俺とり合うか? 俺は全然かまわねえぜ?」
 ズイッと前に出るマデロム。
 麗蘭は咄嗟にケースからワイズナーを取り出そうとしたが、歯を食いしばり、その手を引っ込めた。
「チッ、なっさけねえなあ、それでも隊長かよ。ナニをぶら下げていても所詮は女だよなあ?」
 マデロムは麗蘭を嘲笑し、愚弄し続けた。
 実のところ、周囲の者も首を傾げていた。
 
『なぜ部下がやられているのに武器を握らない?』
 
 御殿たちの心情、麗蘭に対する不信感が漂っていた――。

「――ん?」
 己の肉体の異変に気付いたのはマデロム本人。藍鬼の斬撃をワイズナーで受け止めた時、筋肉の断裂が血管にまで達しており、あつい皮膚を破って血を滴らせていた。
(藍鬼か……。チッ、馬鹿みてえな火力だぜ……)
 誰にも悟られぬよう己が血を拭うマデロムは、何食わぬ顔で横たわる想夜に言葉を投げた。
「おいクソ餓鬼、もう一度てめえにチャンスをやる。俺が妖精界に帰るまでに仕掛けてこい、受けてたつぜ。俺に勝てたらバッジを返してやってもいい」

 完膚勝ちでなければ満足できない。それが力を愛する者のこだわり。

 さらにマデロムは付け加えた。
「俺が勝ったら、そうだな……」
 空を見上げて考え、麗蘭を指さした。
「――京極、てめえはフェアリーフォースを去れ」
「……なんだと?」
 鋭い眼光を見せる麗蘭。
「いや、もう妖精界には戻ってくるな。このまま人間界で残りの人生を楽しめ」
 マデロムはワイズナーの矛先を見つめながら言った。
「俺はよお、てめえのツラを見てるとムカムカしてくるんだ。ずっと前からそうだった」
「……」
 黙って聞き入る麗蘭。
 フェアリーフォースの隊長同士、そこには他者には分からない確執というものがある。
「楽しみにしてっからよ」
 マデロムはバッジを懐に収めると、その場を去っていった。

 麗蘭の膝の上、空を仰いで横たわる想夜。
(あたし、負けた……? どうして? 藍鬼さんを使ったのに……どうして……)
 藍鬼がジョーカーのそれとは違うと悟った今、想夜には打つ手がない。

「あたし、藍鬼なのに……どうして……」

 天から舞い降りてくる。
 死を運んでくる天使が天から舞い降りてくる。
 そんな幻に恐怖しては、悔しさか、情けなさか、その頬を一筋の雫でなぞる想夜だった――。