5 核のような強力な兵器


 ――都内。
 高層ビルが建ち並び、無機質な素材が街を覆う。

 入り乱れる道を多くの人と車が埋め尽くす、黒と灰色のコンクリートジャングル。
 表通りではエンジンとクラクション。裏路地には地面にぶちまけられた酒瓶とタバコの吸い殻。
 表裏がはっきりした世界――都会はいつだって正直だ。

 駅から徒歩数分の高層ビル。
 静まり返ったロビーに御殿はいた。
 受付カウンターには若い女がひとり。脇には警備が2名。
 顔なじみ、互いに笑顔で会釈を交わす。

 奥へと続く廊下。入口は曇りガラスで閉ざされている。
 御殿は慣れた手つきでカードキーを取り出すと、設置された認証システムにカードを通した。
 天上に設置された赤外線スキャンが作動し、虹彩認証を開始。

 ピピッ。

 電子音。ガラス扉が左右に開き、奥のエレベーターフロアへと促した。
 無数のエレベーター。到着は許可されたフロアのみ。セキュリティは厳重だ。
 
 エレベーターが御殿を上空へと運ぶ。

 オフィスに到着すると上袖の社長室の前で立ち止まった。
 ――コンコン。
 御殿の細い指がノック音を奏でると、扉の向こうから声が響いてきた。
「――どうぞ。入りなさい」
 落ち着いた大人の女性の声を合図に、御殿はドアノブに手をかけた。
「失礼します」


 社長室。
 デスクの上に尻を乗せた女がひとり。両肘を包み込むようにして立っている。

 マダム・ルージュ――会社の最高責任者。腰まで伸びたアッシュ色の髪。それを後頭部で一つに結っている。抜かりないファンデーションが毛穴を隠し、黒いアイラインが目元を強調、真っ赤なルージュは呼び名の名残り。額から顎までがキリリと引き締まり、氷の世界の魔女のよう。御殿よりも頭半分ほど長身であるがため、威圧感も十分。
 その切れ長の目――その鋭さが持つ人を見る目は伊達ではない。マダムの前では嘘はすべて無に帰する。おかしな魔法でも使っているのかという周囲の疑問に対し、マダムはそれを「ただの女の感よ」と言い切る。

 向かい合う2人。
 先に口を開いたのは御殿だった。
「咲羅真御殿、ただいま戻りました」
「偉いわね。あなたはいつも時間通り、まるでデジタル鳩時計。たまには遅刻してみたら?」
 マダムはアメリカンコメディのようにくすりと笑って肩をすくめた。その後、、ゆっくりと机から腰を離す。
 それに対し、御殿があきれ顔を返す。
「オフィスは禁煙ですよ?」
「ふふ。相変わらず堅いわね、くわえタバコよ。それにこれは電子式。煙は出ないわ、安心なさい」
「規則の問題です」
「規則規則、まるでロボットね。規則は破るためにあるのよ?」
「そのようなこと、会社の代表が言っていいのですか?」
「ふてくされているだけ。だって御殿、健康よりも規則の心配なんてするんだもの。少しはかまって欲しいものだわ」
 と、ルージュのついたタバコをケースに収め、御殿に近づいてきた。

 視線を御殿の頭のてっぺんから足元に移動させたのち、安堵の笑みを浮かべるマダム。

「どこも壊れてはいないようね」
「わたしは機械ですか?」
 苦笑する御殿。
「あら、3か月前にそういうクレームがあったばかりでしょう? もうお忘れ?」
 キャビネットから辞書ほどの厚みがある書類の束を取り出し、それを御殿に見せつけた。
「こぉれ、御殿への請求書。あたりかまわず破壊しまくっているから大変なことになっているのよね」

 『おたくの祈祷師は暴走列車じゃないのか?』――そんな言葉が脳裏に響いては閉口する御殿、額に冷や汗。それを言われると何も言い返せないんです。

「そ、それは……」
 御殿が目を泳がせると、マダムは思わず吹き出した。
「――とまあ、冗談はさておき」
 キツイ冗談だ。と、胸を撫でおろす御殿。
 マダムはその肩に両手を添え、まっすぐに見つめた。
「よく無事に戻ってきてくれたわね。お帰りなさい、御殿」
 遠足は無事に帰るまでが遠足である。任務もまた然り。
 可愛い部下に何かあったら会社の損害。マダムはひとまず安堵に包まれた。


 御殿は端末を取り出してプロジェクターに接続。これまで写真に収めた経緯をスクリーンに描写した。
「進捗をご報告いたします」
「お願い」
 愛宮邸の九条宗盛から依頼を受けてから今までの間、あらゆるキーワードが御殿の脳裏に浮かんでは消えた。

 MAMIYA、シュベスタ、フェアリーフォース。
 妖精、晴湘市、八卦プロジェクト。

 MAMIYAとシュベスタの間に持ち上がった情報漏洩。
 その根源を探るうち、フェアリーフォースと妖精兵器ディルファー、そして八卦プロジェクトが浮上。
 そうやって御殿は己の生い立ちを知った。

 行きつく先に酔酔会すいようかいの存在――ミネルヴァ重工の相談役であるババロア・フォンティーヌが地獄の妖精であることを突き止めた。彼女は酔酔会のひとりであり、晴湘市を火の海に変えた人物。

 死闘の末、御殿の手によりババロアに引導が渡され、晴湘市は復興を目指し始めた。
 受けた依頼が己の生い立ちに繋がっていたのだから、事実は小説よりも奇なり、である。

 酔酔会はあと4人。
 彼女たちが何者なのか?
 目的は?
 その答えは、この先の闘いの中――。

 MAMIYAの依頼を受けてから今までの出来事。問題が問題を呼び、到達点が遥か遠くに思えてくる。フタを開ければ新たな問題が浮上することばかり。
 それでも進むしかないと悟った時、そこに宿命を見出す。
 妖精というキーワードを前に、強制的に動かされる自分がいる。決められたプログラムに従うよう、ロボットのように黙々と戦闘を繰り返した気もする。

 御殿はロボットか?
 神の視点。
 御殿の視点。
 視点によって、イエスともノーとも取れる。


 報告を聞き終えたマダムはソファに腰掛け、カップを手にした。
「あなたの紅茶、本当においしいわ。また腕上げた?」
「かもしれません」
 御殿は苦笑し、カップをソーサーに戻しながら、想夜や狐姫の顔を思い浮かべた。
 大切な人たちのために美味しいものを提供する。  誰かへの想いが己を行動へと駆り立てる――そんな日々の繰り返しが己を精進させる手助けにもつながる。
 決まったプログラムが走るロボットのようでもあり、魂を宿した立派な生命とも言える。機械と生命の線引きなんて、御殿には分からない。

 御殿は少し頭痛を覚え、こめかみに指を添える。
「あら、具合でも悪いの? 平気?」
 マダムが覗き込んだ。
「いえ、問題ありません」
「そう? ならいいのだけれど」
 毅然とした態度の御殿だったが、マダムは不信に思えた。


「先日、水無月先生からお礼の連絡をいただいたわ」
「……そうですか」
 と、静かにカップに口をつける御殿。
「あら、随分そっけないのね。母親が子供のことを気に掛けるのは迷惑?」
 そんなことを言われても返答に困る。
「別に、迷惑ではないのですが……、こういう感情を何と表現したらよいのか分からなくて……」
 例えるならば、友達と一緒に下校中、親とバッタリ遭遇した時の感覚。それを友達にからかわれた時の感覚に近い。照れ、恥ずかしさ、というやつだ。
「わたし、いつまでも子供ではありませんから……」
 御殿は口ごもり、言葉を濁すのだ。

 ワンテンポおき、御殿が質問する。
「水無月先生、なにか仰ってましたか?」
 とりあえず頭に浮かんだ言葉を口にするも、マダムのにやけた顔を前に後悔する。
「知りたい?」
 頬を赤く染め、プイッとそっぽを向く御殿。
「……いえ、別に」
「あ、そう。素直じゃないのね。じゃあ教えない」
 そう言われると気になる。気持ちは顔に出るもの。すぐさま面白くなさそうな顔を作る御殿。
「『お母さん』とは……、まだ呼べないのね」
「――仕事上、エクソシストと研究者という間柄ですから」
「プライベートの話よ?」
「……」
 御殿はうつむき、だんまりしてしまう。
「ふうん。ま、それでもいいか。他の家の事情に首を突っ込むのもどうかと思うし」
 マダムは御殿の気持ちを察し、話を変える。
「水無月先生からのご依頼は、古賀良夫さんから紹介されたの。市長秘書の古賀さん。知っているでしょ?」
 ふたり、晴湘市を訪れた当時を振り返る。
 御殿はその件に関して、諸々の事情を彩乃本人から聞いていた。

 御殿が晴湘市にやってくる少し前に起きた児童誘拐事件。
 犯人は誘拐した子供とババロアの手下に食い殺されていた。
 無事に保護された子供は両親のもとに戻ったが、「人間を食い殺した」というショックから心を閉ざしてしまい、言葉を失った。それ以来、児童養護施設であるシルキーホームでお世話になっていた。
 誘拐事件を知ったマダムは、同時に良夫からも八卦プロジェクトの話を聞いていた。

 誘拐事件と八卦プロジェクト――すなわち、『妖精』というキーワードがマダムの中で霧のように出現し始めた頃だ。

 人外が絡んでいるとなれば良夫では手に負えない。そう思ったマダムは詳細を調べるべく、自ら晴湘市を訪れた。
 良夫の調査で御殿の居場所も知っており、様子を見るためにダイニングに顔を出す。
 そこでようやく御殿を見つけた。

「調太郎さんには誘拐犯のことを話してある」
 ババロアに金を握らされた誘拐犯。彼は臓器売買に手を染めていた。
「誘拐犯や妖精のことを、どうして調太郎に話したのです?」
 御殿の質問を聞くと、マダムは一息してから口を開いた。
「彼らには生きていて欲しかった。この世には人間の世界以外も存在している。その事実を理解する、一般人代表としてね」
 何も知らない人間と警戒している人間。2者は戦う姿勢が格段に違う。臆病者のほうが生き残るものだ。
「けれども、調太郎たちは普通の人間です。魔界や妖精界に関しては太刀打ちできません、荷が重すぎます」

 御殿は思う――調太郎たちは部外者でいて欲しかった、と。そうやって大切な人たちを危険から遠ざけたかった。

「御殿の気持ちは察しているつもりよ。けれどもね、妖精界と魔界が関わっている以上、もはやこの事案は誰にも避けては通れない。だからこそ、前もって妖精という存在がこの世にいることを知っておいて欲しかったの」
 ――御殿に愛情を与えてくれた調太郎たちにも生きていて欲しいから。
 それがマダムの、調太郎たちに対する精一杯のお礼だった。

 ――過酷な戦いを経て、晴湘市は平和を取り戻す。


「――御殿たちが動いてくれたおかげで肩の荷が下りた人たちも多いようね」
「恐縮です」
「謙遜しなくてもいいわ。晴湘市には思い出があるでしょう? こう見えて、酷な仕事を押し付けてしまったと反省しているのよ」
 眉を下げ、申し訳なさそうにするマダム。
「いえ、仕事ですから」
「嘘」
 ゆったりとした口調。マダムは何でもお見通し。
 そうやって本音を指摘された御殿は、表情を堅くした。本心を覗かれた気がしたのだ。
「私はあなたを何年見てきたと思う? あなたが不器用なのは分かってるつもりよ」
 マダムの言う通り。ババロアの件において、御殿にだって「許せない」という私情があった。仕事じゃなくても怒りの矛先はしかとババロアをとらえていた。それは本人だって自覚している。

 御殿は少し考え、口を開いた。己の本心を受け入れたのだ。

「おっしゃる通り。ババロアが晴湘市を占拠しているのを見て、正直わたしは面白くなかった。思い出を汚されてゆくようで吐き気を覚えました」
 それが人の本音というもの。八卦プロジェクトから生まれたとはいえ、御殿だって人間だ。普通の人間と同様、大切な思い出を胸に抱いている。
「そんなに思い詰めることではないわ。誰だってそう、心の聖域を荒らされたくはない。思い出は汚されたくはないものなの。御殿だけが特別じゃないわ」
 マダムはそう言って立ち上がり、御殿の背後から両肩に手を添えた。
「なんにせよ、よく無事で帰ってきてくれたわね。ありがとう――」
 耳打ち。ルージュの奥から発せられる穏やかな口調。それが御殿の張りつめた気分をどれだけほぐしてくれる事か。
「御殿の活躍により、多くの人々が笑顔を取り戻すことができた」
「はい」
「あなたには人々を笑顔に導く力がある。だから戦士として育てた」
 暴力エクソシストと呼ばれる戦士が静かにうなずく。
 聖なる暴力祈祷師――マダムの目に狂いはない。

 ――2人の会話は、御殿がいた頃の晴湘市に移行する。

「――社長はあの時、ダイニングで働くわたしのことを見ていたのですね」
「遠くからだけどね」
 御殿の捜索を受けたマダムが晴湘市を訪れた時の事。懸命に生きる御殿を見て、「このままのほうが幸せなのかも」と思っていた。八卦という実験体として生きる事を選べば、日常は瞬く間に終わりを迎えるからだ。

 ――けれど、けっきょく御殿は殺戮に巻き込まれ、戦いを避けることはできなかった。
 まるで、戦場が御殿を選んでやってきたようだった――。

「晴湘市であなたは一度、命を落とした。けれども私は、その事を水無月先生には報告しなかった」
 御殿は黙って聞き入る。
「草壁師範にあなたを託したのは、ほとぼりが冷めるのを待つため」
「ほとぼり、ですか?」

 ほとぼり――御殿が生きていると知った酔酔会は、執拗に追いかけてくるだろう。八卦プロジェクトに加担している彩乃にも危害が及ぶのは明白。八卦である御殿が災いを引き寄せてしまうのだ。
 そこで酔酔会に対抗するための駒を育て上げるため、マダムは時間をつくった。

 八卦を手中に収めようと企む輩がいたのは分かっていた。
 その者たちは、世界を暗黒へと変えてゆく。
 それが酔酔会だと知るまではには時間がかかった。
 敵が姿を現すその時までに、強力なカードをそろえておく必要がある。
 強力なカードが敵に見つからないようにする作業も必要だ。

 ――その時間こそが、この2年だった。
 八卦No.01は、しばらくこの世から消えていたほうが都合が良かった。
 
 マダムの目論見はうまくいった。
 酔酔会の目をあざむき、御殿をエクソシストとして誕生させるというマダムの目論見。
 緊迫した状況下ではあったが、運命はこちら側に味方したのだ。

 それらを聞かされた御殿は肩をすくめて苦笑する。
「――敵を欺くには味方から、ですか」
 マダムはニコリと笑う。
「ええ。八卦に関しては私の出番はもうないようね。今となっては、私より御殿のほうが八卦に詳しいもの」
 なにせ御殿は八卦本人なのだから。
「それにMAMIYAは常に多くの牙を向けられている。死守するためには御殿の力が必要なの、分かるわね?」
「はい、理解してます」
「いい返事ね。任務は継続よ。MAMIYAの人達を守りなさい」
「はい」
「それと鴨原氏も未だ敵に狙われている。八卦の力が必要不可欠となった今、あなたが守るのよ、いいわね?」
「はい」
 八卦プロジェクトの申し子として、御殿は腹をくくった。


 ――2人は酔酔会について話を始めた。

 マダムがテンポよく会話する。
「ほら、うちの会社はあらゆる企業とつながりがあるでしょう。当然、勢力を増してゆく酔酔会の存在を面白がらない人もいる」
 主にアンダーグラウンドの皆さまの事。
「ババロアが失脚した今、ミネルヴァという船舵の奪い合いも始まっているのよね」
「ミネルヴァ重工ともなれば敵も支持者も多いですからね。巨大企業を動かすということは、権力を手にするわけですからね。時として、国の行く末を決めることもできますし」
 何を隠そう御殿と水角のバイク、製造元はミネルヴァ重工。人々の生活の支えになっている側面だってある。

 御殿がマダムの曇った表情を読み取った。
「ミネルヴァの動きに何か変化でも?」
 その問いに、マダムは難しい顔を作った。
「ええ。相談役が空席となってから、ちょっと厄介事が起こってね」
「厄介事、ですか?」
 御殿が眉を寄せた。
 
 『人類の家畜化』――ババロアが望んだシステムを継続しようと企む人物がいる――。
 ババロアの意思を継ぐ者の存在――それがマダムの入手した情報だった。
 
「そんな……」
 マダムから話を聞いた途端、御殿の表情が固まった。
「――ババロアの残党、とでも言えばいいのかしら。手ごわい連中がお出ましよ? 厄介なことにならなければいいのだけれど……」
 事態を重く見ているマダムは、深くため息を漏らして遠くを見つめた。
「ババロアが残した刺客――」
 そうつぶやく御殿。それがどれだけ危険な存在かは想像に容易い。

 マダムは視線を御殿に移す。
「ババロアの意思を継ぐ者が人間なのか、悪魔なのか、はたまた妖精なのか。誰にせよ、近いうちに御殿に牙を剥いてくる。これは避けられない」
 マダムの言葉は鋭利な刃物のよう、御殿の心臓に狙いを定めてきた。
「その相手には体術はおろか、聖水も弾丸も利かないかも知れない。八卦の力だって必須とはいえど万能ではない。過信すると痛い目にあうわよ?」
「八卦の力でも?」

 ディルファーの力をも退けるバケモノがいるというのか――御殿の額に冷や汗が滲む。

「ええ。これは冗談などではなく、場合によっては核ミサイルのような強力な兵器が必要になるかもね」
「核ミサイルのような、強力な兵器……」
「今回の調査も心してかかりなさい」
 その場が一瞬にして重い空気に包まれた。
「酔酔会はあと4人。近いうちに必ず現れる。いつでも戦いに備えておきなさい。いいわね?」
「承知しました」
 目には目を。歯には歯を。暴魔にはミサイルを――暴力祈祷師たちが心に宿した誓い。
 それを胸に秘め、御殿はパレオを翻して会社を後にした。


 御殿が退室した後のオフィス。
 マダムはタバコを手に、ガラス窓から都会を見下ろした。
「……難儀よね。いい子にしていても敵は容赦なく押し寄せてくる。誰しも鬼にならねばならない時がくる――」
 一服。
「無知な善人は格好の餌食。戦うことに背を向けた者から地獄を見る――」
 高層ビルの窓から見える都会の中、いったいどれだけの悪魔が潜んでいるのだろう。
 それは誰にも検討がつかない。


御殿の秘密


 鴨原のマンション
 失脚したババロアの後継者について調査すべく、御殿は鴨原のもとを訪れていた。
 
 鴨原の部屋。
 そこで御殿は鴨原に迫られる。
「俺の部屋にのこのことやってくる君がいけないんだぞ、分かっているな?」
「か、鴨原さん、いったい何を……」
 ペタンと床に腰を落とし、その場に崩れる御殿。
 その目の前、鴨原が足を肩幅に広げて立つ。
「さあ、おとなしくコレをくわえるんだ」
 鴨原は左手で御殿の頬を掴んで無理やり開口。右手に握った棒状のそれを、嫌がる御殿の口に捩じり込んだ。
「むぐっ、うぐぅ……!?」
 苦しそうに悶える御殿。鴨原の太ももに手を添えて逃れようとするも、男の腕力にはかなわず。ただただ抵抗むなしく、なされるがまま。
「ちゃんとくわえろ! 舌を使え舌を」
「うっぐ……っうぅ」
 男の腕力には抗えない御殿。目にうっすらと涙が浮かぶ。
「歯を立てるなよ? 噛むんじゃない! もっと舌を使うんだ!」
「う……ん、ん!」
 大人しく鴨原に従う御殿。

「――そうだ。なかなかうまいじゃないか。こういうのは初めてか?」
「ん、んん……」
 コクリ。御殿がゆっくりと頷く。
「初めてにしては上出来だ。お? そろそろだ……出るぞ、しっかり受け止めろよ!」
「んん!」
 御殿が声にならない密かな悲鳴を上げた。

 ピピピ……。

 可愛らしい電子音の後、鴨原が御殿の口からそれを抜く。
「ふう、出たようだな。どれ……」
 満足そうな鴨原。
 潤んだ瞳で見上げる御殿。

 出た! 体温の結果が!
 御殿はその目でしっかり、体温数値を受け止めた。

 鴨原が難しそうな顔をする。
「う~ん、やはり体温が安定していないな」
 首を傾げ、体温計を睨みつけては御殿に言う。
「今の君の体はとても繊細だ。何か隠していることがあるんじゃないのか?」
「隠していること、ですか?」
 御殿は乱れた衣服を整え聞き返す。
「ああ、自分でも分かっているはずだ。なにか心当たりがあるだろう?」
「心当たりと言われても……」
 御殿の煮え切らない態度を前に、鴨原が深くため息をつく。
「そんな顔をするくらいなら、一人で悩まずにまわりの奴らに相談するんだな。とりあえず水無月主任に報告するんだ、わかったな?」
「そ、それよりもミネルヴァに関して何か知っていたら……」
「ババロアの失脚以降は何も知らん。俺はこれから用事がある」
「ちょっ……」
「男の俺にはどうしてやることもできん。さあ、帰った帰った」
 鴨原はさっさと御殿を追い出し、ひとり書斎にこもってしまった。

 ばたん。

 玄関のドアが閉まり、外に放り出された。
「もう……っ」
 まるで邪魔者扱い。玄関前、御殿はふて腐れた感じで佇んだ。
「そんなこと言われても……」
 曇った表情でうつむき、目を伏せた。


わがままな姉


 ほわいとはうすに戻った御殿は、さっそく夕飯の準備に取り掛かっていた。
 そこには水角もいる。
「ねえ水角、今日も泊まっていくでしょ?」
 姉の言葉を聞くや、水角は困った顔をする。
「う~ん、今日はやめておくよ」
「え? どうして?」
 とても残念そうな御殿。もっと可愛い弟と時間を共にしたい。
「だって、ずっとこんな感じでしょ? ボク最近、家に帰ってないんだよ? お母さん心配させちゃうよ」
 少し呆れた様子の水角。
 それでも姉は一歩も引かず。まるで子供のわがままを通してくる。
「お姉ちゃんがいるから何も心配なんてないわ。それに、ここからだって学校に通えるでしょう? 今日も泊まっていきなさい。なんならいっそ、ここに住んでも――」

 最近、水角は中学校に通い出した。一般の子供たちと一緒の教育を受けている。
 水の八卦として生を受けたが、やはり一人の人間。義務教育を受ける権利だってある。
 普段は母親の彩乃と一緒に生活をしているが、ここ最近、御殿のわがままに付き合わされっぱなしだった。

 水角がしかめっ面で、日頃の不満を口にしはじめた。
「最近のお姉ちゃん、なんだか変だよ。イライラして、聞き分けがない子供みたいでさ。なんでそんなにワガママを言うの?」
「ワガママなんて言ってない。わたしはただ、水角のことを思って言ってるのっ」
 語尾を叩きつけるように、少々のイラつきを水角にぶつける。指摘された通り、いつものクールな御殿らしくない態度。
 それを聞いた水角が膨れツラで声を荒げた。
「そんな言い方しなくてもいいじゃん。そんなにお姉ちゃんが強情なら、ボクもう、ここには来ないからね!」
 水角は御殿の制止を振り切り、部屋を出て行く。
「ちょっと待ちなさい水角!」
 御殿の声が誰もいないキッチンに響く。


 地下駐車場まで水角を追いかけたが、バイクのエンジン音は遠くへ去った後だった。
「水角……」
 ションボリと肩を落とし、駐車場に戻る御殿。
「ふう……」
 深くためいき。気分がすぐれない。頭もズンと重く感じる。
「なんか……お腹、痛い……」
 火照った体でフラつきながらエレベーターのボタンに手をかけた。
「ふう……」
 再びため息。息を吐いて鎮静効果を期待するが、ほとんど気休め。頭痛は更に悪化し、一呼吸しなければ立っていられない。
「風邪ひいたのかな……」
 お腹に手を当てる。
「変な病気、かな? どうしよう……」
 不安そうにつぶやいた時だった。
 
「――失礼、このあたりに暴力エクソシストが住んでいると聞いたのだが?」

 背中にかかる男の声。
 振り向く御殿。
 視線の先に目つきの鋭い犬の顔をした男が立っていた。
(その制服、フェアリーフォース!?)
 シュベスタで見た覚えがある、黄色いラインの通った青い制服。走ってきたのだろうか、激しいほど衣服が乱れている。
「しまった!」
 ギョッとして構える御殿の腹に、男が回し蹴りをブチこんできた!
 御殿がとっさに両腕でガードする!
 
 ドウ!
 
 一瞬ガードが遅れ、もろにケリを食らう。
「ぐっ!?」
 御殿の体が勢いよく後ろにふっとんだ!

 がしゃああん!

 燃えないゴミの中に背中から突っ込み、目を白黒させながら横たわる御殿。
「痛っつう……」
 先日、シュベスタ研究所から逃げる時、御殿を執拗に追いかけてきたフェアリーフォース。
 想夜の処分保留が決定したというのに、なぜか御殿が襲撃を受けている。

(ディルファーがらみ!? 政府が八卦を消しにきた!?)

 考えられるとしたら、以前メイヴが言っていた言葉。
「たしか、フェアリーフォースが混乱しているとか言ってたけれど……」
 御殿が目の前の隊員を睨みつけた。
「あれこれ考えている時間はないようね」
 フェアリーフォースの隊員が背中のワイズナーに手をかけながら、横たわる御殿に近づいてくる。
 
 チラリと横目。
 視界の隅にポリバケツが入った。
 御殿はポリバケツを足でたぐりよせ、男めがけて蹴飛ばす!

 ガッ。

 隊員のワイズナーを見事に弾き飛ばしたが、一気に間合いを詰められてしまった。
「逃がガさ、ない」
 隊員は御殿の胸倉をつかんで手繰り寄せ、口からぎこちない言葉を繰り出す。
「エクソ、し、シスト。手……ごわい相手、とは、聞かされていた、が、がガ、他愛もな、い……」
 まるで壊れたラジオ。
 ノイズまじりのその声に違和感を覚える御殿。男の腕から逃れようと必死に抵抗した。が、ものすごい腕力を前にどうすることもできない。
「なんて怪力なの? 本当に生身の妖精!?」
「エクソシス、ト……、少し、黙ってィ……い、ろ」
 酔っ払いのようにろれつが回らない状態で、力いっぱい御殿の体を押さえては地面に投げつけ、乱暴に持ち上げ、何度も何度も壁に叩き付ける!

 ガッガッガッ……!!

 壁や地面に体を叩きつけられる御殿。そうやって体力を徐々に奪われていった。
 狭い駐車場。逃げ場を失った御殿の体に隊員がまたがった。
 隊員が馬乗りになる瞬間、御殿は右へ左へゴロゴロ転げまわって距離を取る。
「逃げられる、と、思うな」
 隊員は御殿の長い黒髪を掴むと、強く引っぱり、足払いをかまして倒した。
 続けて馬乗りになり、拳を肩より高く振り上げて御殿の顔に勢いよく振り下ろす!

 ド! ドカ!

 隊員が2発、3発と、御殿の細い体にパンチを叩きつけて追い込んでゆく。
 逃げ道を失った御殿の顔、腹、背中めがけ、容赦のない連撃を浴びせ続けた。
 御殿も負けじと反撃。相手の顔面、腹、首に掌底打ちを入れる。

 ガッ、ガッ、ガッ。

 下から抉るような掌底打ちが隊員の顎にヒット。首がガクンと斜めを向いたところへ、強烈なヤツをもう一発!

 ガン!!

 隊員の体から鈍い音が響き、御殿の攻撃が敵にダメージを蓄積させてゆく。
 よろめく隊員の手首を捻り上げ、地面にねじ伏せ、関節を決めた。
「少し痛いけど、我慢してちょうだい」
 御殿はうつ伏せになった相手の背中に乗り上げ、さらに腕を捻じり込み、肩甲骨を殴りつけて関節を破壊する!

 ガ! ガ! ガッ!

 ややキレの悪い攻撃を続ける御殿。その際、おかしな感覚に包まれていた。

(どういうこと!? 痛覚がないとでもいうの!?)

 相手の男。無表情。痛みを恐れないというよりは、痛みを学習したことがない人形のようにも思えた。
「ありえない! 体じゅうを破壊されても眉一つ動かさないなんて……」
 たじろぐ御殿。
 隊員はむくりと起き上がると、手を伸ばして御殿の首をとらえた。
「しまった!」
 相手の指が皮膚に食い込み、頸動脈を圧迫。そのまま天上付近まで持ち上げられた。

 ギリギリギリ……

 頭に血液が上昇。苦しさのあまり、口角からヨダレを垂れ流す御殿。
「う、ぐぅ……っ」
 もう少しで首の骨がボキリといく。
 銃も聖水も空泉地星くうせんちせいもない。丸腰の御殿。
 両足をバタつかせてもがくも、無駄な抵抗に終わる。
「意識が……」
 酷い耳鳴りの後だった。


「そいつの顔面にもう一発入れろ!」


 駐車場の出入り口から遠くから声が聞こえてきた。

(だ、……誰?)
 うっすらと瞼を開く御殿。
 視線の先にはフードをかぶった女の姿。柱と柱の間。通路の中央を陣取っている。唐草模様の風呂敷で包んだ長方形のジュラルミンケースを片手に、御殿をまっすぐに見据えていた。

(あの制服は……フェアリーフォース!?)

 どういうわけか、またもやフェアリーフォースの隊員だった。
 可愛い弟に逃げられるわ、軍隊と2回もエンカウントするわ……今日の御殿は厄日か?
 御殿はフードの女に言われた通り、掌底を思い切り隊員の頭に叩きつけた。

 ガン!

 今まで以上に鈍い音がして、手ごたえのある攻撃だった。
 隊員の腕力から解放された御殿が地面に落下し、尻もちをつく。
「攻撃が効いている!?」
 目の前でよろめく隊員を見て、そう確信した。
 さらに面食らったのは次の瞬間だ。

「じっとしていろ、エクソシスト!」

 フードの女が御殿と隊員の間に滑り込んでくる!
 スライディングで隊員の足をすくい、体勢を崩させる!
 宙に浮いた男の顔面めがけ、風呂敷で包んだケースを振り上げ殴りつけた。

 ゴキュ!

 首の関節が折れる鈍い音と同時に、襲撃者の体が錐もみ回転をしながら吹き飛ぶ!

 ガン! ガン、ガン……。

 車にはねられた人形のように、襲撃者が地面の上を何度もバウンドしながら転がってゆく!
 壁に激突後。カタン、カタンと不自然な手足の動きを見せた。
「任務、執行……、ニン、ム……、シッ……」
 ビクン! ビクン! と男が手足を痙攣させてのたうち回る。タチの悪い酔っ払いがひとりで暴れまわっているかのようにも見えた。
「コウ、ム、シッコウ、ボウガ……ィ――」
 捻じ切れそうな首を動かし、眼球を白黒させながら睨みつけてくる。
「シィィス、テェェム……エェーラァーァー……」
 ゆっくりと流れる籠った声。それを最後に、駐車場が静まり返った。


 時折、バチバチと電線がショートする音が聞こえてくる。
 フードの女が頃合いを見て襲撃者に近づいた。
 大の字にうつ伏せになった襲撃者の頭を乱暴に掴み、御殿に視線を移した。
「これを見ろ」
 女は崩れた男の顎に手を添えて上に引き上げると、首のジョイント部分からむき出しになったハーネスを御殿に見せた。

「サイボーグ!?」

 驚愕する御殿――目の前の女と自分、力の差は歴然としていた。
「いったい、なにが起こって――」
 御殿がそう言いかけた時、フードの女が人差し指を唇に当ててきた。
「静かに!」
 女が駐車場出口を睨みつけた。
「足音……、6人か! 衣服とワイズナーがこすれる音、武装しているな?」
「わかるの!? またフェアリーフォース!? ならわたしも――」
 立ちあがる御殿を女が制止した。
「下がっていろ、足手まといだ。本当に死ぬぞ?」
 そう言って御殿の手首をつかみ、自分の後ろにまわして護衛する。

 足手まとい――その言葉にカチンとする御殿。無理にでもフードの前に出て戦おうとする。
 
「やめておけ。今の君には無理だ」
「平気」
「何度も言わせるな」
 呆れる女。聞き分けのない御殿にイラ立ちを覚えていた。
「無理をするなと言っているんだ。さっきの戦闘で君は今日、2回は死んでるぞ?」
「くっ……」
 正論を前に、御殿は反論もできずに悔しさで唇をかみしめていた。

 すべてが女の言う通りだった。
 助けがなければ死んでいた。
 その後も、女の言葉・行動は正しく、武装したフェアリーフォースをたった一人で蹴散らしていった。
 襲撃者たちは全員、さきほどの玩具と同じだった。


 静まる駐車場に2人が立っていた。

 御殿が慌てる。
「サイボーグを隠さなければ。誰かに見られたら厄介でしょう?」
 フードの女はため息まじりで俯くと、視線を御殿の背後に飛ばして顎で促した。
「心配するな。後ろを見ろ」
「え?」
 振り向く御殿の視線の先には、首からハーネスが飛び出した襲撃者たちが倒れている……はずだった。
「こ、これはいったい……!?」
 瞼を大きく見開く御殿。視線の先には……、

「誰もいない!?」

 敵の姿はなかった。一体もだ。
 御殿はゴミ置き場に慌ててかけより、ガラクタを漁りはじめた。
「そんな! あの男たちはどこへ消えたというの!? わたし達はたしかに襲撃されたはず――」
 愕然として地面に尻をついて座り込む御殿。
 その肩に、後ろから近づいてきたフードの女が手をおいた。
「驚くのも無理はない。君が見たものは幻のようなものだ」
「幻? こんなにダメージを受けたのに?」
 御殿は両腕を広げ、全身の痛々しい姿を見せた。殴られ放題の自分が、滑稽なピエロに思えて泣けてくる。
 フードの女は御殿の乱れ髪を整えると、前言を撤回した。

「いや、幻というよりは『呪い』のようなものだ。今頃は別のどこかであのサイボーグと同じガラクタが眠っているはずだ」

 フードの女はやたらと襲撃者に詳しかった。
「やけに詳しいのね、あなたは一体……?」
 御殿の言葉を受け、女はフードをゆっくりとまくり上げた。
「すまない、自己紹介が遅れた。緊急事態でな――」
 艶やかな唇、しっかりとした意思を抱いた強い眼差し。
 栗色の髪の毛が現れ、まっすぐに御殿を見つめる。

「私は京極麗蘭。妖精界、フェアリーフォースからやってきた」

「京極……」
 耳にしたことのある名。顎に手を添え思い出す御殿。
「ひょっとして……」
 御殿が口にする前に麗蘭がうなずいて見せた。
「うちの雪車町がお世話になっているみたいだな。感謝する」
「想夜の?」
 御殿に頭をさげ、挨拶もほどほど。急いでいるようにも思えた。
 麗蘭は懐から写真を取り出し、ミディアムブルーの長い髪が映った女を御殿に見せた。
 御殿はしばらく写真を見つめ、それから視線を麗蘭に戻す。
「この女性は?」
「どら焼き好きの女だ。シベリアやアイスも好きかもしれん。心当たりはあるか?」
「ど、どら焼き? シベリア? いったい何を言って……」
 別次元から来たどら焼き好き――未来から来た猫型ロボットしか知らない。
「馬鹿も休み休み言って――」
 御殿が口にした、その時だ。

 フラリ……。

 御殿の体が傾いた。
 意識が遠のいてゆく瞬間、倒れる寸前の御殿の体を、麗蘭は両手でしっかりと受け止めた。
「無理をするな。部屋まで運ぶ。少し休もう」
 そう言って御殿を部屋まで連れてゆく。


 いっぽうその頃――。

 懐に刀を携え、シトラススティックをくわえた侍、朱鷺。
 厚手のストールを肩にかけた白いワンピースの女と甘味処で出会う。ぐうぜん席が隣になったのだ。
 いや、偶然というよりは女のほうから近づいてきたようにも思えた。
 美味しそうにどら焼きをほおばる女。
「どら焼き好きの女か。 ……どこから来た?」
 朱鷺の視線の先には、女の首にかけられたネックレス。先端には水晶がぶら下がり、光り輝いている。
 周囲の目を奪うほどに神聖なネックレス。
「その光、どこかで見た記憶があるな――」
 朱鷺は問う。己と関係の深い光。

 水晶を掲げるその女、ミディアムブルーの髪をした聖女だった。