3 どら焼きとシベリアの違い


 その日、フェアリーフォース本部は静けさに包まれた――。

 白装束の女は自らをエクレア・マキアートと名乗った。
 腰までまっすぐに伸びた黒髪は、若干の艶やかな赤色が混じり、細身で長身。物腰は柔らかく、争いごとを好まない姿勢。

 座れば牡丹、歩く姿は百合の花――そんな言葉が存在するが、エクレアはまさしくそれだった。静かにほほ笑む表情筋の動きは、あらゆるものを優しく包み込む女神のようでもあり、傷ついた戦士を受け入れてくれる寛容さをも持ち合わせていた。彼女は荒れた場を収める雰囲気を常に醸し出しているのだ。

 エクレアの左右には、さらに長身の女が2人。長い黒髪を落下する滝のように真下に落としている。
 右の付き人シュウ、長く伸びた髪を左で分け流し、右ワンレンヘアに。
 左の付き人クリム、長く伸びた髪を右で分け流し、左ワンレンヘアに。
 両者ともに、流した髪で顔半分を覆い隠したミステリアスレディ。終始一言も喋らず、口も開かず。ただ黙ってエクレアのそばに寄り添っていた。

 エクレアにはシュウとクリムが必要のようで、それが心の支えだと言う。
 言わずもがな、他者に思いを馳せるのは人として立派だと誰もが思う。エクレアはそれを実践しているだけに過ぎない。

 その天上人。門を叩いたとはいえど、押しかけてきたという言葉には語弊がある。
 強引さの欠片もない行動、控えめな言動。それらをタチの悪い訪問セールスと語るものはいない。
 皆が天上人に抱く感情は好感度あるそれだ。
 何より、後光さす天上人の姿にフェアリーフォースは息を呑んでいた。
 手を合わせ、祈りを捧げるものさえ出るほどに、一種の救いを求めるかのように――。
 
 部隊が混乱していようが、隊員たちに不安はなかった。
 その理由は、エクレアの『手当て』によるものだ。
 彼女がそっと手をかざしただけで、ざわつく部隊が静かになる。

 不思議な力、手当て――。

 まるで、まるで苦痛を取り除いてくれる女神そのものだ。
 皆の瞳には救世主として映っていた。

 恥ずかしい話、麗蘭も同じ考えに至った。
(なぜだ? あの女が手をかざしただけで心が軽くなる。イラつく感情、乱れた気持ち、すべてが静かに消えてゆく)
 肩の力が抜け、常にリラックスした状態はあらゆるパフォーマンスとモチベーションを引き上げてくれる。
 疑惑を感じても、そこに価値を見出せないがため、やがて信頼を抱き始めていた。

 ピリピリとした空気がフェアリーフォースから消える日。
 彼女たちが女神として崇められるのに時間はかからなかった。

 ――問題はそこからはじまる。
 
 いつの時代でも弱点を見せれば、そこに何かが割り込んでくる。
 危険を伴う存在は想夜という危険因子ばかりではない。横やりを入れて来る者も厄介である。

 フェアリーフォースは勢力の塊、利用価値がある。

 弱った時こそ、そこに少しの優しさを注がれるだけで、それは壮絶な甘美となり、媚薬となる。

 そこに目をつけ、近づく輩。
 媚薬におぼれるフェアリーフォースは蜜の味を知ってしまったがため、更なる混乱へと堕ちてゆく。

 混乱というよりは混沌か?

 天上人の正体――それに気づく者は誰ひとりとしていないまま、部隊は混沌の舞台へ移行していった。


メイヴちゃん出発進行!


 エクレアが現れてから数日が経過した。
 天上人のおかげもあり、本日もフェアリーフォース本部は笑顔で溢れていた。

 フェアリーフォース本部。
 広い部屋、中央奥に事務の机が一式。
 小さな体で椅子を持て余し、床に足もつかない状態で座るメイヴ。

 メイヴと向かい合う麗蘭は、歌姫のことを問われた。
「歌姫ですか? そういえば最近姿を見ませんが……。FMにも登場していない気が――」
 FMラジオ――フェアリーミュージックラジオ。妖精界のラジオ。
 セイレーンの歌姫。妖精たちの心をその美声で潤してくれる存在。FMラジオでもさっぱり耳にしなくなっていた頃だ。
 もしやオワコンか? いやいやそんなワケがない。

 首を傾げる麗蘭にメイヴが言う。
「歌姫ならここにおるでよ」
 そう言われた麗蘭は、パーティションの向こうに座る歌姫に目を向けた。
 知らずのうちに、ちょこんと座っているではないか。
「……ん?」
 一言も発しない歌姫。
 不信に思った麗蘭は歌姫に近づくと、それを見てたじろぐ。

 ――歌姫の首は皮膚の表面から内部組織までが抉り取られていた。
 それを修復しようと細胞が中央に集まり皮膚を形成。若年にも関わらず、首だけは老婆のようにシワだらけだった。

「おい、その首の傷はどうした?」
 麗蘭に問われた歌姫は悲しげな瞳で麗蘭を一瞥すると、そのまま下を向いてしまった。
「どうした? なぜ何も答えない?」
 そうしてその答えにたどり着く。

「まさか……声が出せないというのか!?」

「左様じゃ」
 代わりにメイヴが答えた。

 目の前の歌姫は、さえずる事を否定された。
 鳴きたくても鳴けず、そこで声なき泣き声を刻むのだ。

 麗蘭は瞼を大きく開いて歌姫を凝視する。
むごすぎる、誰がこのような真似を!?」
 メイヴは一息おき、地獄の妖精の名を口にした。
「……ババロア・フォンティーヌという女を知っておるか?」
「ババロア・フォンティーヌ? いえ、始めて聞く名ですが……?」
「ならば教えてやろう。地獄の妖精の事をな――」
 険しい顔をする麗蘭にメイヴが説明する。


「――酔酔会? 地獄の妖精って……、そんな厄介な連中が人間界にいるのですか?」
 麗蘭が驚愕した。

 地獄の妖精の存在は想夜にも話した事がある。けれど、まさか自分の部下に驚異が迫っているとはつゆ知らず。

「うむ。歌姫の声を奪われたことにより、妖精たちに歌声が届かぬようになっての。京極も知っているであろう、歌姫の声は妖精たちの心に安らぎを与えてくれる」
 メイヴは深く息を吐く。
「美声がなくなった今、妖精たちはピリピリしておる。この世界の空気が日に日に濁っているのだよ」

 その美声なき今、誰の心も癒してはもらえない。
 フェアリーフォースが殺伐としている原因の一つだ。

 実のところ、それもババロアの作戦のひとつだった。
 地獄の妖精は、フェアリーフォースを混乱に招くことにより、政府の機能を停止に追い込もうとしている。

 しかし、である。
 エクレアがいるのなら問題ないのでは?
 彼女たちは妖精の心を癒してくれる――麗蘭はその言葉を飲み込んだ。本能で、それは決して口にしてはいけないと感じたからだ。

 麗蘭の本能が、エクレアを否定したのだ。


「――なので、ワタシは歌姫の声を取り戻しにゆくでな。後のことを頼むぜよ、バイキュ♪」
(バ、バイキュって……)
 呆けた麗蘭がバイキュを引き留めた。
「お、お待ちくださいメイヴ様」
「あん? なんじゃい?」
 すっごく面倒くさそうに返してくるバイキュ。さっさとババロアに引導を、といったところか。
「その、雪車町は……、雪車町はババロアと一戦交える気ですか?」
 メイヴ、顎に手を添え考えるしぐさ。
「そういうことになるやも知れぬ。心配かえ?」
「いえ……、大丈夫です」
 麗蘭はかげりある顔をつくり、肩を落としてうつむいた。
「フム。雪車町想夜にはやってもらわなければならない事があるでな。なぁに、すぐに戻ってくるさ。それまでの間、フェアリーフォースを頼むぞ」
 メイヴは飴玉大の水晶を指でつまみ、表情筋を緩ませ、部屋を後にした。
 
 室内に残された麗蘭は不安に押しつぶされそうだった。
「雪車町が、地獄の妖精と……戦う――」
 窓の向こうに広がる空がどんよりと曇り、しだいに雨を降らせ始めた。
 

ピコット村の惨事


 メイヴが人間界に向かった翌日、麗蘭に調査任務が下った。
 ピコット村との連絡が途絶えたとのこと。

 沈黙した村の様子を探るため、麗蘭は継紗を連れて大陸のはずれにある小さな村を訪れていた。

 ピコット村には腕の立つ職人が多く、フェアリーフォースの隊員が身に着ける勲章やバッジも作られている。
 業者を通して納品される備品だが、今回はその話とは違った。
 
 荒れ果てた村。
 周囲には鉄の臭いが充満し、麗蘭の鼻孔をついた。
「酷い臭いだな。いったい何が起こったというんだ?」
 思わず顔をそむけてしまう。
「京極隊長、こっちです」
 継紗に促された麗蘭は先を急ぐことにした。


 丸太でこしらえた、古びた一軒家の前に立つ。脇には切り株に斧が刺さっており、アナログさを感じさせる。
「静かですね。村には野ウサギしかいませんよ?」
「中に入るぞ」
 ゆっくりと木戸を開け、家の中に入った2人は固唾を飲んだ。
「こ、これは……」

 散乱した家具や食器が2人を出迎えた。
 食事の支度をしていたのだろう、床にはスープがぶちまけられ、賊にでも入られた形跡がある。
 四方の壁にペンキが散乱し、まるでザクロを叩きつけたかのよう。
 そんな地獄絵図の彩を見せた。

 継紗がポカンと口を開く。
「どこもめちゃくちゃ。暖炉も粉々に破壊されてる……」
 ここではもう、誰も生活していない――その事実を直視させられた。

 テーブルの上、なみなみ注がれたグラスが葡萄酒で満たされている。
 継紗がテーブルに近づき、グラスを手にする。
「お酒飲んでたのかな……?」
 おそるおそる鼻に近づけた途端、

「うわああああぁ!」
 叫び声をあげてグラスを放り出した。

「どうした小動⁉」
 銃撃戦開始時のように麗蘭がビクリと肩を震わせ身構える。
 部屋の隅で縮こまっている継紗の背中が震えていた。まるで雪山で遭難したかのようだ。
 麗蘭が床に転がったグラスに目を向けると、中からコロリとミートボールが顔を出す。
「狂気の沙汰だな。惨いことを……」
 それはミートボールなんかじゃない。

 ――眼球だった。

「だ、誰か、殺されたのですかね……?」
 そんなわけないだろう――そうやって麗蘭に笑い飛ばして欲しかった継紗、ビクビクしながら麗蘭に寄り添う。けれども、目の前の惨事を受け止めなければならない。
「――絶命した後に抉り取られたと、願うしかありません」
 継紗は沈んだ表情で肩を落とした。

 麗蘭が足元を見る。
「……ん?」
 床には何かを引きずった跡があり、血のりが大型冷蔵庫まで続いていた。
「ひょっとして、あの中に生き残りがいるのでは!?」
 パッと明るい表情を作る継紗――冷蔵庫の中に人がいるわけがない。けれども、微かな望みを捨てたくなかった。

 継紗が冷蔵庫歩み寄り、息を殺して耳を近づける。
「あ、開けますね――」
 と、ドアに手を伸ばそうとする。
 いっぽう麗蘭は、冷蔵庫の扉からはみ出したそれ・・を見逃さなかった。

「ま、待て小動、そこを開けるな!」

 それを麗蘭は止めようと叫んだが、継紗によって開かれた冷蔵庫から、バラバラと肉の塊が雪崩れてきた。
 継紗は悲鳴ひとつ出せず、ただ茫然と、死んだ魚のような目で散らばった肉片を見ていた。


 民家から飛び出した継紗は、胃袋の中身をぶちまけるのに時間を有した。お昼に食べたお好み焼きがもんじゃ焼きになって出てきた。
「大丈夫か?」
「は、はい……、すみません。ありがとう、ございます」
 ゲーゲーやる継紗の背中をさすりながら、麗蘭は険しい顔で村全体を見渡した。

 ――ふと、どこかから女性の囁く声が聞こえた。
 麗蘭が慌てて周囲を見渡し、耳を研ぎ澄ます――。

「…………」

 気のせいだった。
 生き残りがいて欲しい――そんな願いからくる幻聴。

 荒野の中にポツンとある村。
 乾いた風が麗蘭の頬を殴りつけ、大規模な戦争でも起きたかのよう、そこに孤立していた。

 2人は手分けして村を調査した。


 継紗が麗蘭のもとへ戻ってきた。
「京極隊長!」
「戻ったか。どうだった、そっちの様子は?」
 問われた方が息を整えてから喋り出す。
「酷いものです。どの家も、こんな状態です」
「……そうか。村の外に逃げた人々がいるといいのだが――」
 麗蘭が低いトーンでため息を吐き、肩を落とす。
 継紗も村全体を見渡し、肩を落とした。自分も被害者の一人になるのではないかと不安でいっぱいだった。
 
 とても小さな村だった――。
 被害者は10名ほど。
 大人も、
 子供も、
 皆、首を捻じり落され殺害されていた。

 惨いやり方で死体を残したのは、一種の警告と見てよい。
 誰が、何の目的でこんな事をしたのだろう?
 何者かは知らないが、犯人はフェアリーフォースに言いたいことがあるようだ。
「小動、本部へ戻るぞ」
「はい」
 麗蘭と継紗は羽を広げて飛び立つ。
 雲の中、直線を描きながら本部へと戻っていった。


うるせえぞ、姉ちゃん!


 本部に戻ってきた麗蘭たちを待っていたのは、さらに予期せぬ事件だった。
「ピコット村の生き残りだと?」
 その生き残りは牢にぶち込まれていた。反逆者として扱われていたのだ。
 その情報を耳にした麗蘭は、さっそく地下の牢獄へと足を運んだ。

 ピコット村に、たったひとりの生き残り。
 フェアリーフォースはその人物から事情を聴こうとするも、抵抗されたために身柄を拘束。やむを得ず、牢にぶち込んだとのこと。
「忙しい時だというのに、厄介者が後を絶たないな」
 真っ直ぐに地下へと伸びる階段を下りながら悪態をつく麗蘭。いつの世も、軍人は厄介事とお友達。


 フェアリーフォースの牢獄は特殊な造りになっている。

 一般的な牢獄を想像して欲しい。
 通路左右に四角い牢屋があり、鉄格子の向こう側には投獄された者――そんな光景を瞬時に思い浮かべるはずだ。牢屋に用がある場合は、通路を行き来するだろう。

 ここフェアリーフォースの牢獄には通路はない。
 正確に言えば廊下がないのだ。
 はるか地下深くまで空洞になっている。つまり谷底。それは脱獄防止のため、もしくは出入りする者を制限するためである。
 豚箱部屋の入口付近、それと鉄格子手前、牢屋の中――足場はそこだけ。
 落下先は針の山。串刺しが好きなら脱獄するべきだ。きっと後悔する。

 麗蘭は看守の許可を得ると羽を広げ、迷路のような牢獄を飛んで行く。

 床のない廊下を飛翔するさなか、横目には投獄された妖精たちが恨めしそうに見ていた。
(ふん、しばらく檻の中で頭を冷やすんだな)
 どんな理由でそこにぶち込まれたかは不明だが、おイタする子にはお灸が必要だ。

 羽の力を抜き、ある牢屋の前で着地する。
「キサマか、ピコット村の生き残りというのは? 派手に暴れてくれたようだな」
 鉄格子の向こうを覗き込むと、淡いミディアムブルーの長い髪の少女がベッドに腰かけていた。落ち着いた物腰が、どことなく誰かにそっくりだ。
 歳は麗蘭と同じか少し下で10代後半だろう。肩から掛けた厚めのストール。白いワンピースで裾の広がったロングスカート、それにブーツ。肌を露にするような恰好を好まないのか、終始大人しくしている。

(本当にこの娘が暴れたのか?)

 疑問に思う麗蘭のすぐ横から罵声が飛んできた。
「うるせえぞ姉ちゃん! ひとりでブツクサと! 早くここから出せや! でっけぇ乳ぶらさげやがって、揉むぞコラ!」
 となりの牢獄から酔っ払いが顔を覗かせてきた。
 ガン!
 それを面白くないと感じた麗蘭は、無言で鉄格子を蹴とばして男を黙らせた。
 
 牢獄の女はとても慎ましく、素直な態度を見せてくる。
(とても暴れるようには見えんのだが……)
 不思議に思う麗蘭。
 けれどもいつ牙を剥くか分からない。愛くるしい想夜でさえ鬼と化したのだ。油断は禁物である。
 
 麗蘭が鉄格子の向こうに語り掛ける。
「聞くところによれば事情聴取にも応じなかったようだな。何故だ?」
「言ったところであなた達のような石頭に理解できるのでしょうか? ……あなたの頭も固そうね、隕石でコーティングしたお豆腐でできているのしら?」
 一定のリズムで話す女。決して感情をむき出しにはせず、若年ながら落ち着いた性格の持ち主のようだ。

 麗蘭のこめかみがピクリと動く。
「ほう~、言ってくれるじゃないか」
 舐められては困る。麗蘭は背負ったワイズナーを抜いて手前にまわし、背を鉄格子に預けて寄りかかり、腕を組んで余裕を見せた。心理戦で負けたら女が廃るってもんよ。
 鉄格子の隙間から襲い掛かってきたら矛先で突いてやるつもりだ。
 
 予想どおり、牢の女が麗蘭の背中に近づいてきた。
(ふん、妙なマネをしてみろ。二度とふざけた口を叩けなくしてやる)
 女が麗蘭の背中に手を添え、小声で何かをつぶやく。
「ん? 何か言ったか?」
 声がよく聞き取れなかった。
「綺麗な羽をしているのね、そう言ったのよ」
 女は意味深に余裕の笑みを見せた。

 白くて細い指先――まるで愛撫するかのように麗蘭の羽をなぞり始める。
 男性器をもてあそぶかのように、繊細なものを扱うよう、ゆっくりと指を動かし、根本から先端へ。
 ツンとした羽先をしつこいほど念入りに、麗蘭の絶頂を伺うように、そうやって指先から相手のエクスタシーを感じ取っている。

 麗蘭は抵抗もしない自分を不思議と思いながらも、それを受け入れた。
 女の行動に敵意がなく、一種の愛情表現と認識したからである。

 麗蘭の瞳がトロンとする。
「ふふ、こんなになっちゃって……」
 麗蘭の頬が火照り出した頃合、今度は栗色の艶やかな髪をなぞりはじめた。
「ふふ、本当、綺麗な髪してる。軍人なんかやめたら? 似合わないのに」
 その手のことを周囲の者からよく言われる。「もっと笑顔なら可愛いのに」と。はっきり言ってクソ食らえだ。
「大きなお世話だ、この仕事が好きなのでね」
 ゆるがない態度は虚勢などではない。

「どうして軍人なんてしているの?」
 女が質問してくる。
「大きな世話だと言ったはずだ。これから取り調べを行うのは私のほうだ。お前は問われる側だろう? いちいち質問してくるな、鬱陶しい」
 とはいえ、打ち解けることも重要。何かを聞き出すためには心をほぐすことから始めなければならない。

(ふふっ、こんな時、雪車町だったらカツ丼でも勧めるのだろうな。その後、サイフの中身に気づいてピーピー涙を流し始めるんだ)

 思わずくすりと笑いそうになった。麗蘭は部下をよく分かっている。
 ふたたび隣の酔っ払いの声。
「何ひとりでブツブツ言ってるんだ、気持ちの悪りぃ女だな。 ……尻、揉んだろか?」
 ガン!
 麗蘭はふたたび隣の鉄格子を蹴飛ばした。
「ここでは邪魔が入る。出ろ、取り調べ室に行くぞ」
 鍵を開け、牢から女を出した。


 取調室に2人。机をはさんで顔を見合わせる。
「名前? ……知りたいの?」
「知りたいのではない。言った方が身のためだと言っているんだ」
「う~ん、どうしようかしら?」
「答えろ」
「う~ん………………」
「答えろ」
「……やっぱりやめておく。なんか偉そうだし」
 女は頑なに名乗りを拒んだ。
 麗蘭は何度も同じことを繰り返していると頭がおかしくなりそうだと感じ、次の質問に移行する。

「では名無しの女、ナナシでいいか? それとも権子ごんこがいいか?」
 権兵衛の女版(笑)。
「あなたの好きにすればいいわ。ハナコでもアイスでも」
 女が余裕を見せた。が、少し呆れ顔。もっと頭のいい人だと思ってた……みたいなガッカリ感を麗蘭に向けた。
「ではハナコと呼ぼう。まさか本当に呼ばれるとは思ってなかっただろう?」
 麗蘭、ドヤ顔。
「知ってた。あなたって見かけによらず単純そうだもの」
「……」
 麗蘭にとどめを刺すハナコ。
(ぐぬぬ……。おのれ、調子にのりおって……)
 ニコリと笑うハナコを、面白くなさそうに見返す麗蘭だった。


事情聴取


「――では、お前が村を訪れた時には既に?」
 ハナコは悲しげな表情でコクリと頷いた。
「なぜそれを誰にも言わなかった?」
 麗蘭に問われたハナコが不思議なことを言った。
「だって、そうしてしまったら麗蘭に会えないでしょう? 故に、私はあなたが来るまで黙秘を続けた」
「なんだと? 私に会えないとはどういう意味だ?」
 麗蘭が振り向いた。

 ハナコがすぐ目の前まで顔を近づけている。「これから言うことによく耳を傾けなさい」と言わんばかりに。

「あなたも知っているはず。この世界に起こることに偶然なんてない。すべては偉大なる力に決定づけられている」
 その言葉を聞いた麗蘭が吹き出した。
「まるで一端の預言者だな。供物でも持ってきたほうがいいか?」
「そうね……」
 上を向き、しばらく考えるしぐさ。その後、こうつぶやいた。

「……アイス」

「なんだと?」
 麗蘭がしかめっ面を作る。
「ははっ、甘いものでも食べたくなったか。角砂糖でも持ってくるか?」
 麗蘭は相手にしなかったが、女はふたたび奇妙なことを語り出した。

「――どら焼きとシベリア」

 麗蘭は難しそうな顔をした。
「……なんのことだ? アイスの次はどら焼き? シベリア? この甘党め、私だってガマンしているというのに……。ふざけているのか!」
 それはお互い様ですよ、隊長殿。

 ハナコが麗蘭に顔を近づけ、もう一度言う。
「どら焼きとシベリア」
「……」
 呆ける麗蘭を見たハナコがくすりと笑った。
 そうかと思いきや、今度は頬杖をつき、不思議そうな顔。そうやって何かを考える素振りを見せた。

「――ねえ、どら焼きとシベリアの違いって何かしら?」

「違い? ……あんこと生地の違いだろう?」
 と、麗蘭は軽くあしらった。こんな会話、さっさと終わらせたい。
 それに反し、ハナコはさらに食いついてきた。
「どうして片方は丸くて、もう片方は角ばっているのかしら?」
 麗蘭はフフン、と鼻高々に誇らしげに言ってのける。
「諸説が多いが、一説には銅鑼どらで焼かれたから丸いとか言われているな。自然と円形に広がって火がムラなく通るし、円満を意味しているのかも知れん」
「あまり詳しくないのにドヤ顔ってどうなのかしら? しかも最後は想像で言ったでしょう?」
「う……」
「言ったわよね?」
「……」
 攻めに弱い麗蘭、口ごもる。が、想像で言ったことは、あながちウソでもない。

 どら焼き――あんこをカステラ生地で挟んだ円形の和菓子。江戸時代には既に原型が存在していた和菓子で、別名「三笠みかさ」。丸くて優しいフォルムが奈良県の三笠山に似ていることから名づけられた。諸説が多いが、有力なのは武蔵坊弁慶が銅鑼で焼いたとされるもの。ただ、あんこが登場したのはそれよりも後の話。となると、武蔵坊弁慶が焼いた「どら焼き」とは何だったのだろう?

 シベリア――四角いトレーに生地を流し、その上に固まる前の羊羹を流す。さらに羊羹の上から生地を流す。サンドイッチのように後から挟むのではなく、一緒に焼く工程であり、互いがくっついてる造り。完成形が四角いので、切れば自然と角ができる。名前の由来はシベリアの永久凍土やシベリア鉄道の路線とのことだが、 製作者、出身、ともに不明。

 ハナコの質問は続く。
「じゃあシベリアは? どうして角ばっていてあんこ・・・が挟んであるの?」
「ちょっと待て。シベリアはあんこじゃなくて羊羹だ。間違えるな」
 そうだぜ、間違えるなハナコ。
「あんこと羊羹の違いは?」
「寒天で固まっているかいないか」
「それだけ?」
「それだけ」
「同じじゃない」
「違う」
「ならシベリアの生地は?」
「カステラ生地」
「どら焼きの生地は?」
「カステラ生地」
「同じじゃない」
「違うっつってんだろっ」

 バン!

 机を叩く。ちょっと右手が痛かった。
「あら、それは何故?」
「それは……アレだ。銅鑼で焼いたり、トレーで焼いたり? あんこが固まってたり、固まってなかったり?」

 麗蘭、目が泳ぐ。何も言い返せない。
 はぐらかそうとして、「あなたは粒あん派? それともこしあん派?」とか言い出したい気もあるが、負けた感がパナイので絶対に言わない。

「あなたは粒あん派? それともこしあん派?」
 ハナコに先を越された。
(……絶対に答えてやるものか)
 負けた感、パナイ。

 かるく頷き、ひとり納得するハナコ。
「なるほどね。どら焼きとシベリアの区別は何となく分かったわ」
「分かればそれでよし」
 麗蘭が腰を下ろし、一息つく。
 そこへハナコが追い打ちをかけてきた。
「じゃあナボ〇は?」
「やめろおおおおおおお!」
 もはや嫌がらせとしか思えない。麗蘭はムンクよろしく、悲鳴に近い叫び声をあげた。
「ナ〇ナまで持ち出して話を膨らませるな! 膨らむのは生地だけで十分だ!」

 バンバンバン!

 ヒステリックに机を叩く、何度目だ? 今度は左手がヒリヒリする。多分、今日はもう叩かない。
「あら、うまい事言うのね。 ……ちなみにナボナは洋風どら焼きの謳い文句があるのよ?」
「知ってるなら聞くなよ!」
「そんなに頬を膨らませなくても……」
「やかましいわ!」
 くわっ。
 麗蘭は青筋まで膨らませた。

 ナボナ――お菓子のホームラン王です。

「大体おまえは俯瞰的に見すぎなのだ。その理論だとリンゴと白米は同じ『食べ物』になってしまう。小さな違いが積み重なって、違う存在となって君臨しているのだ。わかったか!」

 ズビシィ!

 ハナコの前髪が揺れるほどに、スゴい風圧で指さす麗蘭。
「どら焼きとシベリアの違いも同じ! 調理方法や歴史、その他諸々が違う。小さな積み重ねが大きな誤差となって別の存在になっているんだ! 分かったか! すました顔しおって!」
 一気にまくし立てた。もはやゴリ押しで強引に話を終わらせた。
 これにはハナコも面食らった。

 似て異なる存在――そこに違いを見出すことができるとすれば、麗蘭の言うように、「小さな違いの連鎖が、大きな違いを生み出す」というのもまた事実。

「一方は丸くて優しい。一方は角が立つ。 ……まるで麗蘭のことね」
「ほっとけ……」
 そう言いかけ、表情が固まった。

「――待て。なぜ私の名前を知っている?」

 問い詰めるも、笑顔ではぐらかされた。
 押し問答では埒が明かないと分かった麗蘭。「きっとどこかで私の名を聞いたのだろう」と決めた。多くの犯罪者を捕まえてきたからには、それなりに名は知れ渡っている。
「あなたの腕は確かだもの。多くの悪漢たちにとっては目の上のコブよ?」
 と、期待通りの言葉を言ってもらえてホッとした。何もかもお見通しでは怖くて仕方がない。
「私も有名人になったものだな。老後は独り寂しくネコでも飼うか」
 狂暴な女は好まれない――ため息ひとつ。嫁のもらい手が激減した気がした。

 ――だが、次の言葉で麗蘭の余裕もなくなる。

「――天上人の正体、知りたい?」

 麗蘭が見開いてギョッとした。
「あいつらの正体だと? エクレア達について何か知っているのか!?」
「秘密」
 ハナコがニンマリと笑う。お姉さん気取り。
 麗蘭は肩を落とした。
「黙秘か。賢いな」
 警察に捕まったら、まず黙秘。余計なことは言わないことだ。
 調書もすべて、警察側の罠が仕込まれている。弁護士が来るまでは首を縦に振るな。常に、常に、気を付けることだ。

 ハナコは言う。
「フェアリーフォースに只ならぬ気配を感じるの。だから、今は黙秘――」
 そうやって毅然とした態度を貫いた。
「ただならぬ気配? 例えば?」
 麗蘭の質問に、ハナコはゆっくりと答えた。
「……血生臭い気配、と言えばいいのかしら」
「……」
 麗蘭の脳裏に描かれたのは、天上人より想夜のことだった。

 あの日、シュベスタ研究所では多くのフェアリーフォースが藍鬼の餌食となり、血を見た。
 首筋を食いちぎられ、のたうち回る隊員。
 四肢を踏みつぶされ、壊れた人形のように這いずり、失禁する隊員。
 隊員の顔面を壁に叩きつけ、乱暴に振り回し、サッカーボールのように蹴飛ばして弄ぶ藍鬼。

 ――それはそれは鉄臭く、広いドーム状の部屋一面、バケツの水をぶちまけたような血液が床を覆いつくしていた。

 藍鬼を相手に、どうやって戦えというのだろう?
 その答えは今もでていない。
 無理もない。
 あの場所にいたフェアリーフォースの誰一人、想夜を止めることは出来なかったのだから。

 毎日毎日、麗蘭の夢の中にはそれらの光景が出て来る。
「――まるで過去を見てきたような言い方をするんだな」
 ハナコを見る麗蘭の目は、どこか遠くを見ているようだ。
「――私は暴走した部下を見捨てることしかできなかった」
 そう言いかけ、前言撤回する。
「――いや、すまない。こっちの話だ」
「いいのよ。気にしないで」
 麗蘭のくらい表情を察したハナコは、あえて追求しなかった。

 しばしの沈黙の後、麗蘭がポツリと口を開いた。
「私には、隊長など向いてないのかもな……」
「そんなこと、ない」
 麗蘭の言葉をハナコが否定。沈黙を合わせるのはハナコなりの気づかいでもある。

 ハナコは冷血なロボットではない。深手を負った麗蘭の心を察しているつもりだ。

「あなたはいつだって部下のことを見ている。あなたの部下も分かっているはずよ? だからみんな、麗蘭についてくるのでしょう?」
「ほお、知ったふうな口をきくじゃないか」
「あなたと話していると分かるもの。常に下の子を気にかけている。 ――そんな気がする」
 麗蘭は口を噤んだ。
 ハナコの口調はこれ以上にないほど優しくて、安らぎを与えてくれた。

 心が軽くなる感じ――この状態、最近どこかで味わったはず。

 先日。シュベスタ戦の後、人間界に解き放った妖精が想夜を見つけ出した。
 本当は人間界に残って想夜を探したかった。けれども、致命傷のメイヴを見捨てれば命にかかわる。
 部下を残してきたことを、麗蘭はずっと悔やんでいる。
 麗蘭の放った妖精から送られてくる映像は、目をそむけたくなるものばかり。
 藍鬼と化した想夜はゲッシュ界の牢獄で気を失っており、その悲惨な姿は見るに堪えられなかった。
 麗蘭は想夜に言葉を投げた時のことを鮮明に思い出した。

 ――否、それをハナコが思い出させてくれた。そんな気がする麗蘭だった。


 話は天上人に戻る。
「天上人について何か知っているようだがな、人々の苦痛を取り除くなどと、そんな都合のよい存在がいるわけがなかろう」
 麗蘭は頑なに天上人を否定した。

「どうかしら? いるかも知れないわよ?」

 謎めいた言葉で麗蘭を煽ってくるハナコ。
 それに対抗意識をむき出しにする麗蘭。
「見ず知らずの他人のために己を犠牲とし、笑顔で命を差し出す者――そんなのがいたら、とっくの昔に世界は平和に導かれている。我々フェアリーフォースも必要なくなる」
 綺麗ごとは嫌いだ。そんなものを戦場に持ち込んだら命がいくつあっても足りない。
 ハナコがため息をついた。
「可哀そうに……」
「なんだと?」
 麗蘭が顔をしかめた。
「政府に飼われた身でありながら、己を捨てられずにいる。懸命ね、いい子にしていれば楽ですもの……」

 目の前の女と想夜の面影と重なった。
 『あなたは何も気づいていないのね』と、まだ見ぬ真実を多くの者に突きつけられてるようで不快だった。自分がバカな子供扱いされてる気がしてならないのだ。

「どういう意味だ?」
「言葉通りの意味」
「ぬかせ。そうやって話をはぐらかして黙秘をつづければいい。何も言わなければ状況は変わらない。キサマの処分も直に決まる。それまでそこで大人しくしてろ。弁護士を呼びたきゃ勝手に呼べ」
 麗蘭は一気にまくし立てると時計に目をやった。
「もうこんな時間か……」
 いつの間にかお喋りをし過ぎたらしい。
 麗蘭がハナコの方を向き、言葉をかける。
「話の続きは明日にし……」
 麗蘭の血の気が引いた。

 その取調室には、麗蘭ひとりだけだった――。

 慌てて取調室から飛び出し、ハナコが投獄されている場所まで飛翔する。
 まるで愛する者の所まで飛んで行く、そんな奇行――彼女のことを欲しているかのようだった。

 ――檻の中、そこにハナコはいた。

 鉄格子の向こう。ただ汗だくの麗蘭を見てニコリと笑い、読みかけの本に視線を戻した。


 プリズンルームを後にした出た麗蘭は壁に寄りかかり、そのまま腰を下ろした。
「ふう……」
 心拍数を下げるのに必死だった。
 壁にもたれて天上を見る。
「……私は夢でも見ていたのか?」

 心に侵入されるのは怖い。
 何もかもが怖かった――。

 まるで未来から来たかのように、すべてを見通している女、ハナコ。
 ハナコが勝手に牢屋に戻ったのではない。
 聞けば、麗蘭が牢屋まで運んだというではないか。
「そこだけ記憶が抜け落ちている……」

 10代にして物忘れ?
 ――なわけない。1週間分の食事を覚えているくらいだ。体も脳ミソも、人一倍健康にできている。
 麗蘭は狐に摘ままれたような錯覚に陥っていた。
「……名前、聞きそびれたな――」
 と、少しだけ後悔した。


布教活動


 晴天の下、天上人の布教活動。
 初日だというのにも関わらず、フェアリーフォースの混乱は少しずつ静まっていった。
 戦場でケガを負った隊員の治療。行き場を失った妖精たちのサポート。炊き出しにも率先して参加する。

 その献身的な行動により、多くの戦士たちがエクレアの虜になっていった――。
 
 妖精たちの会話を聞いて欲しい。
「天上人様の加護はもう受けたか?」
「いいや、まだだが?」
「ケガがたちまち治ってしまうんだ。おまえも早く」
「なんだか胡散臭いなあ」
「そんなこと言ったら罰が当たるよ。彼女たちは神に選ばれし者なんだから」

 無論、首を傾げる者たちもいたが、その神通力とも言える癒しを前に、瞬く間に惹かれてしまう。
 
 いっぽう、会話が乱れた途端に摩擦が生じる。
「本当はおまえら、天上人に洗脳されているのではないか?」
「馬鹿なことを言うなよ。エクレア様を侮辱する気か?」
「いや、そんなつもりは……」
「疑いの心を持ちやがって! 貴様、さては暴魔だな!?」
「なんだと? バカも休み休み言え!」
「天上人を愚弄する奴はどこだ!」
「悪魔だ! この本部に悪魔が紛れているぞ!」
 たちまち収集がつかなくなり、混乱は免れず。
 そうやって隊員同士が剣を交える事は日常化していた。


 やがて、ひとつの『空気』ができあがる。

 天上人こそが正義。
 疑惑を抱くものは悪。


 ――そんな空気。
 そんな法律――。



天上人信仰


 フェアリーフォースの食堂内。

 食事中、麗蘭が窓ガラスから外を見下ろす。
 庭園にエクレアたちの姿がある。街ゆく人々に囲まれ、まるで女神のような扱いだ。
 エクレアの背後には終始、付き人2人が寄り添っている。エクレア曰く、「この2人は共に世界を愛し、愛と共に生きる存在――」だそうだ。

(愛、か。たいそうご立派なことだ)
 麗蘭はそれを遠目に見ていた。
「……ん?」
 視線の先、突如エクレアが顔を上げて目を合わせてきた。
「――!」
 ゾクリ。
 麗蘭の背筋に寒気が走る。
(どうしたというのだ? あれだけ献身的な連中を前に、私が慄くだなんて……)

 エクレアの瞳の奥に、得体の知れない何かを感じ取ったのだ。
(考えすぎだ、少し疲れているのかもしれん)
 乾ききった喉に潤いを与るため、コップに手を伸ばして一気にあおる。
「ふう……」
 水をあけ、冷や汗をかきながら食堂を後にする。


 天上人が姿を現してから2日3日と経過するにつれ、フェアリーフォース本部は更におかしな状況に陥っていた。

 廊下の中央を歩くエクレア。
 その後ろを付き人2人
 ――これはいつもの事だ。が、その左右にフェアリーフォースの隊員たちが列を作ってこうべを下げているではないか。

 麗蘭が同僚に詰め寄る。
「おまえら、これは何のマネ事だ? フェアリーフォースはいつから教会になったんだ?」
 エクレアを崇拝する同僚たちを睨みつける麗蘭。
 それに対し、まんべんの笑みで口々にこう答える。
「なんだ、京極か。エクレア様の姿を見ただろう? あのお方はまさに天より舞い降りた神の使いだよ」
「ええそうよ。天上人様はいつも妖精界のことを思っていらっしゃる」
「ああ、エクレア様……」
 彼、彼女たちの瞳からは生気が失せていた。

 ――それだけではない。
 麗蘭を敵対視していた者たちでさえ、手のひら返しを見せてきた。

「京極、昨日は支給品を分けないで悪かった。さあ、キミも一緒に神に祈ろう」
「小動はどこだい? 我々と一緒にエクレア様のところに行こう」

 瞳だけではない。全身から生気が抜け落ち、まるで別人だった。普段はシャンとした者でさえ、調教された犬のようなだらしない顔で媚へつらっていた。

「おまえら……正気か?」
 表情をしかめる麗蘭。
 すると同僚たちはギロリと眼球を転がし、口々に悪態をつき始めた。
「正気じゃないなのはおまえの方だよ、京極」
「聞けばエクレア様の治療も受けないそうだな」
「それは本当か? 君こそどうかしてるぞ、京極」
 そうやって死人のような眼差を麗蘭に向け、天上人を擁護。そんな時だけ、瞳には不気味な力が宿っていた。

 同僚たちは行動も言動もすべて同じ。
 麗蘭の目にはそれらがロボットとして映り、吐き気をもよおしてしまうのだ。

 暗黙の空気が組織を支配する――。
 やがて空気は常識となり、支配となり、隊員たちに無くてはならない思想となった。

 『天上人エクレア信仰』という呪い。

 この事態が本部のさらなる混乱を招くだろう。
 そうなれば組織に先はない。
 得体の知れない者からの死の宣告。

 フェアリーフォースは、呪いにかかったのだ――。

(皆、どうしてしまったというんだ……)
 多くの隊員たちに崇拝される天上人を前に、麗蘭は遠くから見ている事しかできなかった。


メイヴへの報告


 今頃メイヴは人間界に到着しているだろう。

 麗蘭は天上人とフェアリーフォースの現状をメイヴに報告することにした。
「アロウサル」
 腕をゆっくり横一文字に動かし、力の発動準備をする。
「ハイヤースペック・エレメントナイト」
 指先から小さな妖精が現れ、麗蘭のまわりを飛び交い、肩に留まった。
 妖精は寝ぼけ眼を擦りながら、麗蘭の頬をポンポン撫でる。「気にしないで」と言っているらしい。
「すまないな、お昼寝の邪魔をして」

 ゲッシュ界で気を失っていた想夜のもとへ飛んで行き、麗蘭の喝を伝えたのもこの妖精だ。おかげで想夜は闇に堕ちずに済んだ。

「またお使いを頼めるか? 人間界にいるメイヴ様のところまで行ってもらいたいのだが」
 それを聞いた妖精は難しい顔を作り、忙しなく手足と羽をバタつかせた。
「なに? 『藍鬼のところに行った時に殺されそうになったから人間界はもうコリゴリ』だと? そう言うな」
 麗蘭、必死の説得。無茶をさせた事は否めない。手のひらサイズの妖精にだって人権はある。

 人間界むこうと通信するには妖精の力が必要だ。それも自然に近い妖精。麗蘭の放つ妖精はまさにそれで、通信機能が備わっている。
「よく噛んで食べるんだぞ。歯も磨けよ」
 ひと欠片のクッキーを妖精に手渡す。それがお駄賃。
 妖精はクッキーを受け取り、ウンウンと大きく頷いた。
「頼んだぞ」
 子供を見送る母のよう、麗蘭は妖精を人間界へと解き放った。

 ふと、後ろに気配を感じて振り返る。
 麗蘭のすぐ後ろにエクレアが立っていた。シュウとクリムも引き連れている。
「天上人殿……、なにか用か?」
 麗蘭が訪ねた瞬間、左右の女が前に踏み出した。
「何をする!」
 2人は麗蘭の両腕を押さえ、体ごと壁に押し付けた。
「これは何のマネだ?」
 身動きの取れなくなった麗蘭がエクレアを睨みつけた。
 エクレアが麗蘭に顔を近づけてこう言った。
「いきなり手荒なマネをしてしまいすみません」
「分かっているなら早くこいつらをどけろ」
 と、左右の女に目をやるが、エクレアは意味深な笑みのまま。
 左右の女は終始無表情を貫いている。
 エクレアは麗蘭の制服に手を伸ばすと、ひとつひとつボタンを外してゆく。
「おい、なにを――!?」
 麗蘭の言葉を遮り、エクレアが口を開いた。

「実はわたくし達、ある人物を探しておりますの――」

「人探し、だと?」
「ええ、とっても大事な人……」
 そっと耳元でささやくエクレア。なおもボタンを外す手は止めない。
 やがてブラウスからはみ出しそうな胸が制服からこぼれた。
「じつは妖精界に女色魔が紛れ込みまして」
「女色魔、だと?」
「ええ……。やたらとベタベタ触る女、ご存知ないでしょうか?」

 問われた麗蘭の脳裏に牢獄の娘が浮かぶ。が、あえて隠し通した。

 麗蘭が口角を吊り上げる。
「――ああ、ベタベタさわる女なら知っているぞ」
 と、天上人たちに生暖かい視線を送った。
「たしか白装束を着ている、それも3人」
「あら、お気を悪くなさいまして?」
 視線を受け取ったエクレアは、さらに指先を麗蘭の太ももに滑り込ませ、しだいに上へ。上へ。
「んん!」
 唇をかみしめ、太ももに力を入れてエクレアの指を阻止する。
 エクレアは麗蘭の行き止まりで指先を止めた。
「ハイヤースペックをお使いになられたのですね? 女の子なのにこんなふうになってしまって……」
 麗蘭は頬を染め、視線をそらす。

 視線の先、エクレアが懐から取り出そうとした分厚い経典が気になった――。

 麗蘭、必死の抵抗を続ける。
「これ以上ふざけたマネをすると上層部に報告する……んん!」
 さすが天上人、伸ばした指の行き先は伊達ではない。ピンポイントで麗蘭の弱点を突いてくる。
「あら、女性同士はお気に召さないかしら? わたくし達、いつもは3人で楽しんでおりますのよ? そうでしょう? シュウ? クリム?」
 エクレアが付き人2人にイラズラな視線を送ると、2人は無表情でコクリと頷いた。
 続けて麗蘭の耳元でささやく。
「寂しい夜はいつでも呼んで下さいな。天国へといざなって差し上げます。ひとりでするより、誰かの手を借りたほうが……」
 麗蘭の肩に手を添え、耳元に唇を当ててきた。
「より遠くに、勢いよく、発射できましてよ?」
 そっと囁き、シュウとクリムをつれてその場を去っていった。

 その場に残された麗蘭は壁に寄りかかり、腰を落とす。
 力いっぱい抵抗はした。
 座りながら乱れた衣服を整え、両手首に目を向けた。
「クソ、なんて馬鹿力だ――」
 視線の先に、くっきりと手の形の青アザが出来ていた。

 ――そこへメイヴの声が届いた。

『――京極か? 早かったのう。ババロアは片付けたぞい。そっちの進捗はどうじゃ?』

 耳元で微かに響くその声を、聞いてはホッと胸を撫でおろす。
 肩、腰、あらゆる筋肉が躍動をやめ、張りつめた糸がプツリと切れ、全身の力が抜けた。
 隊長だって本当は心細い。
 緊迫した状況下、不安なのは麗蘭だって同じ。

 麗蘭だって、普通の女の子だ――。


バッジ職人


 プリズンルームの警備当番の日、事件は起こった。
「どうした! なんの騒ぎだ!?」
「プリズンルームで原因不明の爆発があったらしいです!」
 緊急警報の中、麗蘭と継紗は牢獄へ急いだ。


 プリズンルーム。
 看守がそっぽを向いて眠っている。
「爆発があったと聞き、見に来ました」
 麗蘭が看守に声をかけるが、よく見るとあり得ないほうに首を回しているではないか。
「もし……?」
「……」

 ――何度呼んでも返事がない。

 麗蘭は恐る恐る看守に近づいた。
「これは……⁉」
「ひ!」
 麗蘭は表情をこわばらせ、継紗は恐怖のあまり一歩引いた。

 ――首がへし折られていた。

 否、折られるという言葉には語弊がある。
 継紗が喘ぐように麗蘭に声をかけた。
「く、首が……、雑巾のように、捻り折られてます」
 乱れた呼吸を整え、ふたたび麗蘭と向き合う。
「京極隊長、この状態って、殺されたピコット村の妖精たちと同じではないですか?」
 麗蘭は息を殺して周囲に警戒する。
「ふむ……。まだ近くに敵がいるかもしれない。ぬかるなよ?」
「イエス、マム!」
 麗蘭は背中のワイズナーに手をかけ、ゆっくり引き抜いた。

(いったい誰が、何のためにこのような事を?)
 牢獄のひと部屋ひと部屋を見て回り、そこがもぬけの殻と分かると警戒を解く。
(この部屋には異常がないな)
 隣の牢獄に目を向けては、ふたたび警戒心を始める。
 そうやって彼女・・の牢屋までたどり着いた。

 牢屋の前に立つ麗蘭は目の前の光景を疑った。
「バカな……、このような事が起こりうるのか?」
 鉄格子がくの字にひしゃげており、左右に大きく拡張していたのだ。

 ――檻はもぬけの殻。ネズミ一匹いなかった。

 後ろから継紗が覗き込んでくる。
「脱獄、したのでしょうか?」
「鉄格子を広げてか? あの細い体で? にわかに信じがたいな。牢獄は魔法さえも跳ね返す特殊素材だ。例えどんな怪力でも鉄格子を曲げるには時間がかかる」

 ――継紗が何度も首を傾げた。

「どうした、小動?」
「あ、いえ。何でもありません」
 先ほどの看守の姿を忘れられないのだろう。継紗は口を閉ざして考え込んでいた。
 麗蘭の脳裏にはハナコの姿。とてもではないが、あの華奢な体で太い鉄格子を曲げられるとも思えない。
 ハナコはどこへ消えたのだろう?


爆弾妖精


「一度ここを出よう――」
 継紗を連れて引き返そうとした時だった。

 麗蘭の視線の先に、丸いサボテンのような浮遊物体が突っ込んでくる!
「爆弾妖精!? 伏せろ小動!」
 麗蘭が継紗を抱えて飛びのく!
 プリズンルーム全体に一瞬の白いスパーク!

 ドオオオオオオオオン……!

 派手な爆発とともに壁や鉄格子が吹き飛び、あたり一面に煙が充満した。
 ガレキが落下するたび、ワンテンポ遅れて地下深くから振動が鳴り響いてくる。
 底なし廊下から下の地面まではかなりの距離がある。
 そこは谷底。
 爆弾妖精が浮上して侵入できる距離ではない。

 麗蘭は継紗を抱えたまま鉄格子に捕まる。
「大丈夫か?」
「あ、ありがとう、ございます」
 間一髪。真っ先に麗蘭が回避したため、継紗の体はバラバラにならずに済んだ。
「なぜこんな場所に爆弾妖精が……?」
 ブラリと垂れさがりながら、2人はしばらく敵の様子をみることにした。

 頃合いを見て体勢を立て直す。
「次弾はまだ来ないみたいですね。 ……よ!」
 麗蘭の腕につかまる継紗――逆上がりの要領で鉄格子を蹴破ると、牢獄に着地。
「さ、隊長も上がってください」
 と、手を差し出した。

 麗蘭が継紗の手を取り牢獄に這い上がった、ちょうどその時、見渡す限りの爆弾妖精の群れが左右から押しせてきた!
「しまった! 囲まれたぞ! 向かいの牢獄に飛び移れ!」
 麗蘭と継紗は水中を泳ぐように、壁を蹴り上げ向かいの牢屋まで飛翔。

 ドドドドドオオオン!

 先ほどまでいた牢獄内で、ド派手な連続爆破が巻き起こった。
 空間全体の空気が揺さぶられ、爆発の激しさを味わう。
 2人はうつ伏せのまま、飛び散るガレキから両手で頭を守った。
「あぶなかったですね……」
「ああ」
 間一髪、向かいの鉄格子へと飛び移った。

 安心もつかの間、別の方角から爆弾妖精がウジャウジャと涌いてくる。

「小動、後ろだ!」
 麗蘭の声で振り向く継紗。
「はやい! 追いつかれた!?」
 手前で爆発する瞬間、瞬時にワイズナーを抜いて防御!

 ドオオオオオオン!

 継紗の体がド派手に吹っ飛んだ!
 運よく牢屋に転がって着地。衣服の着火を払っているところへ次弾がさく裂!

 ドオオオオオン!

 爆風で壁に叩きつけられた継紗。四つん這いの姿勢のままピクリとも動かない。
「大丈夫か小動!」
 遠くから麗蘭が叫ぶが、
「え!? なんです!? よく聞こえません!」
 爆音で聴力をやられてしまい、しばらく耳鳴りという枷をはめられる。

「……! ……! ……!? ……、……!!」

 麗蘭が忙しなく口を動かし何かを叫んでいる。
 とうぜん継紗はその声を拾おうと必死になるが、聞こえる音はピーとかキーンとか、そればかり。
 やっとのことで麗蘭の叫ぶ声が聞こえてくる。

「……るぎ! おい、小動! 耳をやられたな!? 待て、そこを動くな!!」

 それが聞こえた頃には手遅れ。継紗のすぐ横で爆弾妖精が破裂!

 ドオオオオオオン……

 吹き飛ばされた継紗。壁に全身を強打し崩れた。
「くっそ~。ウチ、焼き芋みたいにプスプスじゃん……」
 矛先を床に押し付け、踏ん張って立ち上がる頃には聴力が回復していた。

「次弾がくる! 力を解放しろ!」

 向かいの牢獄から麗蘭が叫んできた。
「了解でーす!」
 やられてばかりじゃ気が済まない。正面の爆弾妖精が視界に入った瞬間、継紗がハイヤースペックを発動させる!

「ハイヤースペック・シルクワーム!」

 両手の指先から細い糸状のオーラを生み出し、あやとりよろしく、ネットを作って迎え撃つ!
「ほ~らこっちこっち~、おいで~」
 継紗の挑発に誘われるまま、1匹の爆弾妖精が網にかかる。
 それを両手で爆弾妖精を包み込み、繭状のオーラでグルグル巻きにする。
「ほーい、いっちょあがり~」
 継紗の能力は決して強力なものではない、剛腕な者ならあっさり破られてしまう蚕のオーラ。
 戦闘時、有効利用するためには肉体の鍛錬が助けとなる。
 継紗にとってハイヤースペックは、補助的な役割でしかなく、頭を使わなければ使いこなせないほど非力だ。
 ――が、まあるい蚕になった爆弾はしばらくの間身動きが取れない。

 それを継紗が……

「ポンポン爆発しやがって! ジーコサッカー馬鹿にすんな、カスども!」
 蹴り飛ばす!

 2匹目を蚕状にした後、床に置いていた鉄格子の破片を拾い、大きく振りかぶって――

「燃えプロなめんな!」

 カキーン!

 場外ホームラン!

 なんか知らないけど、クソゲーを熱く語るエーテルバランサー。好きなゲームを馬鹿にされた事があるらしい(笑)。

「バカもの! 爆弾をこっちに飛ばしてどうする!」
 麗蘭が向かいの牢屋から叫ぶ。
 継紗の撃ち返しは全弾、麗蘭のいる牢獄へ跳ね返っていた。さっきから爆弾をよけるのに必死である。
「隊長~、ジーコサッカー面白いんですよおお~~、本当なんですよおお~~」
 加害者なのに被害者ヅラ、涙目で訴える。
「知らん! どいつもこいつもゲームばかりやりおって! ……だから! 爆弾を! こっちに! 蹴飛ばすな!」
 さっきから麗蘭の檻だけドッカンドッカン爆発している。
「それなのに、それなのに……」
「おい、聞いてんのか!」
 麗蘭の声を無視し、ふたたび蚕を蹴り上げる!

「どうしてサッカーゲームの中に、調教ゲームが入っとるんじゃああああ!」
 最後の一発を怒り任せに蹴とばした!

 継紗のいる牢屋から蹴飛ばされた爆弾妖精。床のない通路の上、壁から壁へとバウンドを繰り返す!

 まるでビリヤードボールのように互いを押しのけあう爆弾たち。衝突を繰り返すたびに爆発の連鎖が起こり、牢獄全体が真っ白にスパーク!

 ドドドドドドドドドオオオン……!

 あれよあれよという間に敵を一掃。
 綺麗にコンボが決まり、2人は負傷しながらも事なきを得た。

 ボロボロになった牢獄に佇む2人。
「どうしてあのような危険な妖精たちが侵入できたのでしょう? ……壁を爆発させて入ってきたとか?」
 継紗が首を傾げる。
「プリズンルームのセキュリティは鉄壁だ。やつらが自力で入れるはずもない。とすれば、何者かが運んだとしか思えん」
「何者か、ですか……。すぐそこの監視室に記録されてるはずです。ウチ、ちょっと見てきます」
「頼む。くれぐれも油断はするなよ」


 記録の確認作業を終えた継紗が戻ってきた。

「どうだった?」
 監視カメラは正常に作動し、記録が残っているはず。

 ――だが麗蘭の想像に反し、継紗は首を左右に振った。

「記録装置の電源が落とされてました。何も記録されてません」
「そうか……」
 継紗の言葉に肩を落とす麗蘭。
 2人はただ茫然と立ち尽くすだけだった。
 
 
 プリズンルーム出てすぐ、状況は急展開を迎える――。

 牢獄の爆発さわぎから1時間と経たないうちに、上層部からの呼び出しがかかった。
「爆弾妖精の事で何か分かったのでしょうか?」
「さあな。とにかく会議室に行ってみよう」
 麗蘭と継紗はお互い首を傾げ、上の会議室へと向かった。


査問委員会


 無意味に広い会議室。
 横一列に並べられた席には上層部数名、裁判員のようにふんぞり返っている。
 まるで最高裁判所だ。
 その脇にマデロムがだらしのない姿勢で直立していた。

 今、この場所で査問委員会は開かれる。

 フェアリーフォースの査問委員会――組織内で問題行動を起こした者、または反乱の疑いがある者の取調べをおこない、懲罰や辞令などを決める委員会のこと。

 要約するとこうだ。
 『京極麗蘭は牢にぶち込んだ容疑者と口論の末に逆上し、手あたり次第に破壊活動を行った』

 ――どうやら、そういうことになっているらしい。

 継紗はこれに猛反発。使用できるありったけの言葉でその場にいた全員に噛みついたが、抵抗むなしく終わる。

 ――これから麗蘭にジャッジが下される。

「よお京極、プリズンルームで派手に暴れたそうだな。おまけに脱獄までされたそうじゃねえか。ちゃんと見張っておかねえからそうなるんだぜ?」
 麗蘭はマデロムを一瞥すると議会長に視線を戻した。

 上層部席。中央に座る議会長が口を開いた。
「京極隊長。雪車町想夜の反乱といい今回の件といい、こうなったのはすべて貴殿のずさんな管理が原因ではないのか?」
「――な⁉」
 険しい顔を作ったのは麗蘭本人ではない。継紗だ。
「そんなことはありません! 京極隊長は下の者たちの面倒をちゃんと見てくれております!」

 皆が麗蘭に向ける信頼は篤かった。
 けれど継紗が誰に叫ぼうとも、目の前の石頭たちは苦笑して首を振るばかり。誰一人として取り合おうともしない。
 それもそのはず。麗蘭のチームは継紗と想夜を残し、みなフェアリーフォースを去った。弱小チームの存在が説得力に欠けるのだ。

 ――その監督不行届の責任は、麗蘭の肩に重くのしかかっていた。

 マデロムは当てつけとばかりに、声を張り上げた。
「俺が見張っていればこんなことにはならなかったのによお。やっぱ隊長は責任感がないとなあ。そうだろう、京極?」
 麗蘭の失態が周囲に響きわたるのをいいことに、マデロムは勝ち誇ったように麗蘭に横目を流した。
「ふざけいで下さい! これは罠です! ウチ騙されないからな!」
 頭に血がのぼっている継紗。今にもマデロムに飛びかかりそう。
「おいおいギザギザちゃんよぉ、チームは違えど俺は隊長だぜ? つまりテメェの上司ってわけだ。分かるだろう? 口の利き方ってもんがあるだろうが、三下のバイト風情がよお。ゲヘ、ヘ――」
 ゲロを吐くよう下品な笑い声をあげた。
「今は委員会の最中です。口を慎みなさい――」
 上層部は継紗を叱責するばかりだった。

 そこで、今回の落とし前をどうつけるのか?
 その辞令が麗蘭に下る――。

「京極麗蘭、人間界に逃亡中の真菓龍華生の身柄確保に努めなさい――」

 周囲がざわつく。
「無茶ですよ! あいつのバックにはMAMIYAグループがついてるんですよ? 殺されに行くようなものじゃないですか!」
 継紗は上層部に叫ぶと、麗蘭に視線を移した。
「京極隊長も何とか言って下さいよ!」
「口を慎みなさい」
 と、議会長。
 それでも継紗は叫ぶことをやめなかった。
「隊長! 京極隊長 ……あ、何すんだ! 離せよ!」
 尚も叫ぶ継紗が警備員に両脇を抱えられ、外に放り出される時だった。
「――待ってください」
 麗蘭が上層部をまっすぐに見つめる。

 場が静まる――。

 麗蘭はしばらく考え、やがて意を決したように顔を上げた。
「私、京極麗蘭は、これから人間界に向かい、逃亡者である真菓龍華生の身柄確保に努めます――」

 周囲がさらにざわつく。
「京極が? たった一人で?」
「死にに行くようなものだろう?」
「いいのか? 行かせても?」
「死ぬのは我々ではない。軍人一人消えたところでどうということでもなかろう」
 妖精たちが隣の席の顔色を伺う。

「ほ、本気ですか? 京極隊長?」
 継紗が問うと、麗蘭は眉を下げて笑みを見せた。まるで何かを諦めたかのように……。
「ああ、今回の責任は私にある。責任は私ひとりで取る」
「そんなぁ~」
 継紗はうなだれ、悲痛に近い声を上げた。

 上層部はしばらく考え、やがて首を縦に振った。

「――よろしい。京極麗蘭、これより貴殿に対し、人間界への出向を命じる――」

 その言葉にマデロムが便乗してくる。
「ついでだから京極隊長には、シュベスタで暴れまくった暴力エクソシストの処分もお願いしたらいかがでしょう? 聞くところでは、八卦とかいうハイブリッドハイヤースペクターだそうです。フェアリーフォースの立派な監視対象です」
(暴力エクソシスト? ……いったい誰のことだ?)
 麗蘭でも分からない人物でさえ、マデロムは詳しかった。それがとても疑問に思えた。

「――それと、例の藍鬼の始末もしてもらいましょう。幸いにも京極隊長の部下のようですし、裏切り者の弱点くらいは知っているんじゃないですかねえ。グェッヘヘ」
 そうやって立場の弱い麗蘭を追い詰める言動を繰り返した。
「あいつ、言うに事を欠いて想夜のことまで!」
 継紗は悔しさのあまり拳を握りしめ、マデロムを睨みつけた。

「雪車町想夜の処分については保留となっている。上層部でも分からないことが多いのでな――」
 議会長はマデロムの言葉を退けた。
 それに対し、面白くなさそうに舌打ちをする巨漢。

 査問委員会は瞬く間に終了。
 全ては最初から決まっていたかのようだった――。


 継紗はポカンと口を開けたまま突っ立っていた。
 麗蘭は終始表情を変えることなく、黙ったままであった。
 そんな麗蘭を横目に見ていた継紗。次の瞬間、マデロムが発した言葉を聞き逃さなかった。

『京極、人間界で……待ってるぜ――』
 
 言葉を発したマデロムは、歯茎をむき出しにして終始ニヤついていた。


人間の作ったモノ


 人間界に向かう支度をする麗蘭。
 上層部の辞令に反論しなかったのには理由がある。
 それは夢に出てきた言葉――。
 

『あなたはいづれ気づくことでしょう。
 そこで頬を腫らして泣き続けても変わらぬ現実に。
 行動無くしては何も解決できぬという真実に――』


 誰の言葉だ?
 何が言いたい?
 シュベスタから生還した夜からずっと、あの夢を見続けている。
 まるで、麗蘭を人間界へといざなうかのように。毎日。毎日。

『人間界へ向かいなさい――』

 麗蘭はそうやって駆り立てられるのだ。
 それを考えると牢獄での乱闘も、何かの縁だったのかも知れない。それを切っ掛けとして現状に続いているのだから。
「この世に偶然はない、か――」

 時計を見る。
 18時を回っていた。
「ワイズナーのオーバーホールが終わっている頃だな」
 査問委員会が終わってすぐ、万が一のためにラボに立ち寄り、武器を預けておいた。


 ラボの受付でワイズナーを受けとる麗蘭。
 客人が訪れたのはその時だ。
 聞けば、金を握らされた商人が営業に出向いたとの事。

 ノームの武器商人――長く、大きく、垂れ下がった鼻。低身長で猫背。上目づかいで下から見上げる様子は、麗蘭の懐事情を伺っているとしか思えない。「いかがですかねぇ、いかがですかねぇ」。ヘラヘラと笑いながら、そうやって美味しい兵器を提示してくるのだ。

「――ミネルヴァ重工から頼まれた? 人間界の兵器製造会社が何の用だ?」

 怪訝な顔をする麗蘭に商人は言う。
「いえね、人間界に出向く方がいらっしゃると小耳にはさみましてねぇ、とっておきの商品をお持ちいたしましたですぅ、ええ。いえいえ、お代は結構、出世払い」
 語尾の伸ばし方に金への執着か、そんないやらしさを感じた。
「出向の事か? よく知っているな。その情報、どこで仕入れた?」
「いえね、ですからね、ちょっと小耳にはさんだだけですよぉ、ええ。旅の支度は万全にですぅ、ええ」
 直訳すると、”金の匂いには敏感”らしい。

 えげつない顔の商人を前に、麗蘭はしかめツラを強めた。

「営業マンとしてはご立派だな。とはいえ、あいにく戦争の兵器なら使わん。帰ってくれ」
 と、軽くあしらった。
 麗蘭は人間界で作られた兵器が大嫌いだ。あれは自然を破壊し続ける存在。あってはならないと思っている。
「まあ、そうおっしゃらずに。ご感想だけでも聞かせていただきたいのです」
 そう言うと、営業はケースから長方形のユニットをとりだした。

 その黒く、縦長のフォルム。縦10センチ、横30センチのコンパクトサイズーー何に使うものなのか検討もつかない。

「これは最近、ミネルヴァ重工が開発いたしましたユニットでして――」
 ノームは説明書とワイズナーのレブリカを取り出すと、話を続けながら装着して見せた。
「このユニットをですね、こうして引き延ばし、こうして広げて……こうやってワイズナーの中央にセットする装置なんですよぉ。いかがでしょう?」

 2つに分かれたワイズナーの矛先。その中央にピタリと収まる長方形ユニット。
 ハーネスで接続されたトリガー装置を柄にセットし、片手で操作する仕様だ。

 ノームが両手で持ったワイズナーにはユニットが装着され、ズシリと重く感じられた。
「それは飛び道具なのか?」
「さすが京極隊長、お察しが早い」
「確かに飛び道具の一つくらいは欲しいが……」
 部下である想夜だってアローモードでレーザーを撃ちまくっている。ひどく命中率が悪いようだが、悔しくないといえばウソになる。

 麗蘭は背中のワイズナーに横目をやる。
 オーバーホールしたばかり。大切な武器だ。おかしな輩に触れられたくはないし、おかしな武装もお断り。
 麗蘭の剣術の腕は確かだ。余計な兵器に頼らずともやっいける。

 けれども……

 麗蘭は自分のワイズナーにユニットを装着すると、矛先をノームに向けた。
「こうか?」
「おおっと! ここでぶっ放さないでくださいよぉ。本部のフロアごと吹き飛ばすおつもりですか? ダルマ落としは他所でどうぞ、ええ」
 ノームがはじめて焦りの色を見せた。それだけで答えは出たようなものだ。
「そんなにスゴイ威力なのか? いったいこの武器はなんだ?」
 その問いにノームは自信タップリに答えた。


 ノームとの会話の中で、ふと疑問を抱く。
「私のフェアリーフェイスワイズナー零式は特注品だ。なぜユニットがピッタリと当てはまる?」
 そのユニットが麗蘭専用に開発された兵器であることは明らかだ。
 上目づかいのノーム。親指と人差し指で輪っかを作り、それをチラつかせてくる。
「言ってもいいですけれど……コレ、次第ですかねぇ」
「ふん、なら聞かん。その話は墓場まで持っていけ」
 麗蘭は鼻で笑い飛ばした。もちろん払ってやらない。今月は買いたいものがある。
「ああ、そうですか……」
 ノーム、しょんぼり。

 ノームから一通りの説明を受けた麗蘭がラボを出ようとした時だ。
「あ、京極様。もしもの時に、これもお使い下さい――」
 営業は光沢のある小さなピラミッドの模型を取り出した。四角錐の先端が手前に傾いており、動物の耳のような形にも見える。手前の面が赤く塗りつぶされ、側面は白く、Cautionシール。つまり取り扱い注意を意味している。

 麗蘭が模型を受け取り、不思議そうな顔をする。
「……これは?」
 営業、ニヤリと口角を吊り上げた。
「お守り代わり、といったところでしょうか。身に着けておいてください。いえ、これはサービス。今後とも御贔屓ごひいきにしていただきたいものですから、ええ……」
 手をモミモミ、ごま、すりすり。

 模型はとても軽くて30グラムにも満たない。ピンポン玉より一回り大きく、プラスチックのような素材でできている。

「やけに軽いな。中に何が入っているんだ?」
 振ってみると微かな音。液体のようでもあり、細かい部品のようでもある。
「これもワイズナーにセットするのか?」
「それは単独で使用します。表面の赤い部分で指紋認証、パスワード入力、それを終えましたらカチッと鳴るまで押し込んで下さい。きっと人間界を守ってくれるでしょう、ええ……」
 
 謎のユニットと謎の装置。
 麗蘭は説明を聞き入っている自分に反吐が出そうだった。


 フェアリーフォースからさほど離れていない場所に社員寮がある。
 巨大な塔型の建物。それが地上30階にもおよぶ。
 無機質な鉄骨で組み立てられた数々の部屋。規則正しく四角い窓ガラスがグルリと、幾段も整列している。
 建物の中央が空まで吹き抜けており、橋がかかるように、上空までいくつもの渡り廊下が設置されている。
 基本、移動エレベーターとエスカレーター。
 社員寮での飛行は禁止。ベランダの外からの侵入を防ぐためでもあり、プライベートは保護されている。

 部屋の前で継紗が待っていた。壁によりかかり、つまらなさそうに、不安そうに――これでもかと言わんばかりに、心境を表に出している。

「どうした、小動」
「お帰りなさい、京極隊長」
 麗蘭の姿を見て安心したのか、パアッと顔が明るくなる。
「早く部屋に戻れ。おまえは明日も学校だろう?」
 継紗も想夜と同じく中等部の学生だ。
「そ、そうですけど……」
 煮え切らない態度で口ごもり、麗蘭にすがってくる。
「京極隊長、ウチ、これからどうすればいいの? 隊長以外の指令なんて……イヤ」
「小動……」
 麗蘭から視線をそらし、ションボリとうつむいてしまった。不安でいっぱいなのだ。
「まったく、おまえは甘えん坊さんなんだから……」
 気持ちを察しては苦笑し、ついつい可愛い部下の頭を撫でて甘やかしてしまう。
 勤務外はいつもこんな感じ。だからチームのみんなは麗蘭のことが好きなのだ。
 たとえフェアリーフォースを去った者たちでも……。

「わがままを言うな。おまえはそれでも軍人か?」
「で、でもウチ……」
「気持ちはありがたく受け取っておくよ。しばらくメイヴ様の所にいろ。守ってくれるはずだ」
「イヤ。メイヴ様、対戦で足払いばかりしてくるし、ウチのアイテム横取りするし……」
 麗蘭が吹き出す。
「またゲームの話か。少しの辛抱だ、相手になってやってくれ」
「はい……」
 継紗はしぶしぶ受け入れた。物わかりがよいあたり、メイヴよりもお姉さんである。

 しばらくの間、フェアリーフォース内での継紗の肩身は狭くなるが、尊敬する麗蘭のため、それを快く受け入れるつもりでいる。

 無論、継紗は想夜のことも気にかけていた。
「それから、想夜のことですが……」
「ん?」
「ウチ、想夜に酷いことばかりしちゃって……」

 継紗は想夜にしてきた仕打ちの数々を打ち明けた。
 ――即ち、イジメである。

 聞かされた麗蘭の心境は面白くないものだったが、やっぱり継紗の頭を撫でてしまうのだ。
「そうか。よく話してくれたな」

 なでなで……。

 頬を染める継紗、反省をしていながらも嬉しそう。
「ふふ、何を笑っている。ちゃんと反省しなきゃダメだぞ? 気づかなかった私も反省しているのだから」
「わ、わかってます。ウチ、ちゃんと想夜に謝りたいの。ゴメンって言いたい。ずっとずっと、友達でいて欲しいの」
 そのまっすぐな眼差しが嘘偽りでないことも麗蘭には分かっている。
「ああ、人間界に行ったら雪車町にそう伝えておくよ。雪車町もきっと喜ぶだろう」

 会話を終えた後、継紗の背中を見送る麗蘭。
 その間、継紗は何度も振り返り、麗蘭に頭を下げる。
 しばしの別れ。互いにやるべきことは果たす。
 軍人である役目を果たすのだ。


 麗蘭は部屋に戻ると窓から星空を見上げた。
「明日は人間界か。どうなる事やら……」
 玄関に置いたユニットケースに目を向け、フェアリーフォースの未来を想像する。

 華生の身柄確保。
 想夜の事情聴取。

 それよりずっとずっと、大きな問題と対峙する未来が待ち受けている。
 その事実を、この時の麗蘭は想像しているのだろうか?