2 天上人


 日光そそぐ訓練場に麗蘭の怒号が響いた。
「今日からここがお前の所属する部隊だ。バイトだからといって舐めていると死ぬからな、覚悟しておけ。それと分からないことがあれば聞け。いいな?」
「り、了解です!」
 その少女。両手いっぱいに抱えた防具をいそいそと運ぶ姿は、どこから見てもただの小学生だった。

 少女の名は雪車町想夜そりまち そうや――大の男が片手で掴んで持ち上げられるほどの華奢なライン。骨格についた脂肪と筋肉は適当なほどに細やかなものだ。

 麗蘭は想夜の腕を掴むと、筋肉量をチェックする。
「あ、あの……くすぐったいです」
 想夜が不思議そうに麗蘭を見つめながら身をよじった。
「ああ、すまんな。骨格と筋肉を調べている。しかし――」
 麗蘭は頭を抱えたくなった。なぜなら、ちょっと握力を入れただけで想夜の腕はプレッツェルのようにポキッと折れてしまいそうだったのだ。
「お前、こんな貧相な体でよく入隊できたものだな」
「は、はい……」

 自信なく周囲を見渡す想夜。
 横目に飛び込んでくるのは少女たちの雄姿。引き締まった筋肉に強靭なガタイ。軍人たるものそれが当たり前のように、想夜に現実を突き付けてくるのだ。

 想夜は他の隊員よりもずっとずっと、不利な状況からのスタートだった。
 ロッカーに荷物を置きにいこうものなら、すれ違う長身の少女に肩を叩きつけられ、その場でグルリと回って尻もちをついてしまう。
 フェアリーフォースは軍隊。荒くれものの吹き溜まりでもある。

「なぁにあの子?」
「社会見学の小学生でしょ?」
 嘲笑され、汚れた雑巾を頭に叩きつけられ、それでも想夜は落とした防具を素早く拾ってロッカーにしまう。
(本当にあんな小っこいのにフェアリーフォースが務まるのか?)
 遠目から見ていた麗蘭。先が思いやられた。

 ――麗蘭が抱えていた問題は他にもあった。

「ふざけんなよ、お前!」
 想夜と同年代の少女が胸ぐらを掴まれてロッカーに叩きつけられているではないか。黒髪の東洋人だ。
「おい、そこで何をしている!」
 麗蘭が駆けつけ、ケンカの仲裁に入る。
「大丈夫か?」
 少女の乱れた衣服を直し、鼻息を荒くしている隊員たちを睨みつけた。
「おいお前ら! これ以上騒ぎを起こすようなら除隊も覚悟しておけ、分かったな!」
 更衣室に響く麗蘭の声。それを合図に隊員たちが暴言を吐き捨て、渋々と去っていった。

 麗蘭は振り返り、少女の肩をそっと押す。
「なにがあった?」
「すみません。意見の食い違いです」
「そうか。お前はここの部隊だったな。早く持ち場へ戻れ」
「分かりました!」
 どこの出身かは不明。種族も不明。

 少女の名は……。
 思い出そうとすると少女の顔に黒いフィルターがかかってしまう。

 想夜と少女の年齢、背丈、骨格はそっくりだった。おそらくは同年代。
 けれども、おっとりフニャフニャとした想夜とは真逆の、ハッキリとした口調で返事をする少女だった。

 こう言っては何だが、想夜は選考ミスで自分の部隊に入ってきたのだ。システムエラーが生じたのだ――麗蘭はそう思っていた。
 力が未知数のためにエーテルバランサーとして教育し、ディルファーを相殺するための核弾頭としてモルモットにする――そんな真実を負傷したメイヴから聞かされるまでは。


 訓練が始まった。
 年齢性別、多種多様――入隊したのは軍人に相応しい肉体の持ち主ばかり。そこに異質なものが約2名。
「雪車町はここに残れ! メニューをこなさなければ一生部屋には帰れないからな、覚悟しておけ!」
 想夜の隣には例の少女もいた。鬼軍曹を前に落ちこぼれ者同士、仲良く居残り授業。
 基礎訓練で想夜は、何度も何度も麗蘭に関節を決められてはベソをかいていた。絆創膏の数は増えるばかり、決して減ることはなかった。


 飛行訓練。逃亡犯を追うのも仕事だ。
 訓練中、急カーブの際に障害物に真正面から激突。そんなことを何度も繰り返す。

 麗蘭に襟首を引っ張られ、ぬかるんだ地面に叩きつけられる想夜。
「なんだ今の飛び方は! 実践だったらビルに突っ込んで死んでたぞ! 分かっているのか!? さっさと立てブタ野郎!」
 仁王立ちの麗蘭を前に、想夜はすぐさま立ち上がる。
「す、すみません!」
「謝って銃撃が止むとでも思っているのか、このマヌケが!」
 鬼の形相をした麗蘭が想夜の胸倉を掴んで睨みつけた。
「き、気をつけます!」
「気をつけます? 何度も何度も同じこと聞かせんなよノロマ! 腕立て200!」
「は、はい!」
 脱落者が増えてゆく一方、想夜の訓練は続いた。
 
 想夜と例の少女、互いに名前を知らない。
 入隊後は番号で呼び合う決まりだ。


 ある日を境に、想夜の顔つきががらりと変わる。まるでフィルター少女の意思が宿ったかのような、凛とした眉の角度を描いていた。
 人との出会いが人を変えるものだ。ひ弱な者でさえ、ちょっとした出逢いで劇的に変化をする。

 出逢いひとつ、言葉ひとつで見違えるように人は変わる――。

 その場にいる者の思考や感情によって、周囲の気持ちは左右されることは珍しいことでない。
 嬉しい。
 悲しい。
 イライラ。
 ワクワク。
 人の感情は感染する。
 この時の麗蘭には、想夜にあの少女の一部が感染したようにも思えた。

 ――1万ほどの入隊希望者は1割まで減り、それがさらに半分になった。


 脱落した者は事務へ異動となる。軍人行きなんてほんの一握りだ。

「雪車町、今日からお前は私のチームに配属される。バイトだからといってぬかるなよ。チンタラしてたらその場で除隊させるからな。分かったか!」
「はい!」
 想夜は麗蘭チームの一員に加わった。
 想夜の他にも新人はいたが、皆、生気の失せた目をしており、意思を持たないロボットのようだった。

 フェアリーフォースの洗脳は、子供にも容赦なく適応されていた。

 麗蘭はギザギザカットの少女に声をかける。
「小動だったな? 新人のまとめ役はお前に任せる。私がいない時は頼んだぞ」
「了解です!」
「イエス・マム、だ」
「イエス・マム!」
「よし」


 人は弱いからこそ嫉妬し、蹴落とす。
 だってそうでしょう?
 己の立場を奪われぬよう、必死にポジションを守らなければ居場所がなくなってしまうもの。
 そうやって、誰もが同じことを考え始める。

 弱い弱いと言われていた想夜が頭角を現すにつれ、周囲の風当たりは一層キツくなった。
 自分よりも下の者がいるだけで、安心しきっていた愚者たちが焦りを見せ始めていた。

 ノロマな亀に追い越される瞬間、ウサギはどんなツラを見せるのだろう。それを麗蘭は目の当たりにした。
 弱者を小バカにしていた連中が吠えヅラをかくのを見て、正直胸がスカッとしたのは事実だ。

 努力を積み重ねてきた者が報われる時、そこに理不尽さは微塵もなく、「世界はこうなるべき」という思いを周囲に植えつける。
 麗蘭は知らず知らずのうちに想夜に引き込まれていた。


「――雪車町を人間界に?」
 進学を目前にした想夜が人間界へ異動となった。
 内心、気が気ではなかった。12歳の子供を誰が守ってくれるというのか。暴魔の餌食になるのがオチだろう。
 そう思っていた。

 ――けれども、想夜を信じることにした。

 それが、まさかあのような事態に発展するだなんて、夢にも思わなかった。

 藍鬼あおおに――麗蘭の脳裏におぞましい姿がよぎる。

 シュベスタの最上階で藍鬼と化した部下を目にした時、麗蘭は酷く胸が苦しかった。
 こんなことになるなら、人間界なんかに行かせなければよかった。

 『ずっと、ずっと、私のそばに置いておけばよかった――』

 幼い頃、大事にしていたお人形と想夜が重なり、麗蘭の表情を曇らせた。
 ブロンド三つ編みのおすましさん。スイスの田舎娘が来ている白と赤のワンピース。麗蘭が嬉しい時も悲しい時も、いつも笑顔だった。
(あの人形、どうしたんだっけ……?)
 壁一面の窓ガラス。麗蘭はその向こうに広がる空を見つめていた。


 ある日、あの時の少女の所在が気になった麗蘭は、彼女の異動先について調べてみた。

「そんな……、こんな事、ありえるのか?」
 そこでは驚愕の事実が待っていた。
 データベースや書類をひっくり返してみたものの、フィルター少女の行く先はおろか、存在自体が抹消されていた。
 除隊でもない。死亡でもない。
 ただの空白がそこにはあった。

 とつぜん友達がいなくなった想夜は、いつも彼女のことを気にしていた。

「京極隊長、あの子はどこへいったんですか?」
「……よそのチームのことなど知らん。何度も同じことを聞くな、それ以上聞いても何も答えられん」
 知らないものは知らない。答えようがない。
 のらりくらり。毎回毎回、想夜からの問いをはぐらかすのが大変だった。
(メイヴ様ですら知りえない存在。あの娘はどこへ消えたのだろう?)
 それを知りたいのは麗蘭も一緒なのだ。

 やがて誰も少女の名を口にしなくなった。
 まるで初めから存在していなかったかのように――。



 麗蘭がメイヴに問う。
「そういえば、きのうも会議室で揉めたとの話を聞きましたが?」
 メイヴがニヤリとする。
「おうさ。ワタシは雪車町想夜の観察を続けたかった。にもかかわらず、本部が邪魔をしたのでの。ほんの少し爆発してみたわい」
「シュベスタ研究所に押し寄せた本部の件ですか」
 ほんの少し、という言葉が引っかかる麗蘭。実のところ盛大に暴れたと小耳にはさんでいる。

 想夜の力は未知数だ。そこに目をつけたメイヴはずっと、ずっと、人知れずに想夜のデータを計測していた。
 ゲッシュを体内に埋め込まれた想夜はみごと藍鬼に、つまり鬼化シャドウシーズンを開花させた。
 それだけの力をディルファーにぶつければ脅威は一撃で消える。それがメイヴの目論見。もちろん政府には秘密。妖精の鬼化はご法度だ。

 けれど、藍鬼はフェアリーフォースの仇となった。
 洗脳され切っていない想夜は政府に牙を剥き、13歳の少女の意思を持った兵器に変わる。
 
 『鬼化おにかした隊員にフェアリーフォースを支配されたらたまったものではない』。

 本部はそう結論を下し、想夜やMAMIYA、鴨原の存在を綺麗に消すための一歩として、部隊を人間界に送り込んだ。
 妖精界の存在が明るみになれば、人間界との関係も気まずくなる。
 妖精界にとって人間界は家畜小屋。家畜にはずっとそばにいてもらいたいもの。

 ――主要人物の処刑は言わば口封じ。

 その件に関してはメイヴでさえも蚊帳の外。それが酷く舐められた気がして、癪に触るのだ。――想夜ひとりに返り討ちにされたフェアリーフォースを見てスッキリしたのは秘密である。

 想夜たちの処刑――初めに指令を下したのは誰か?
 その者はメイヴの考えとは相反する者。即ち、ディルファーを支持する者。
 
 戦争を愛する者――。
 
 フェアリーフォースの中に混沌を望む者がいる。メイヴにはそれが気になっていた。
「何かやましい事があるからシュベスタ関係者を消したいのじゃろて。政府の腹の中は真っ黒じゃからの」
「やましい事でありますか?」
「おう。上層部の幾人かに聞いてはみたが、命令を出した者を誰一人知らなかった。口を割らせるために少しばかりおしおきしたまでじゃ、気にするでない」
「少しばかり? また言いましたね? それにしては派手に暴れたみたいですが」
「だってみんな喋らないんだもん!」
 ムスッ。メイヴは子供のようにふてくされて携帯ゲームにのめり込んでしまった。
「まったく子供なんだから……」
 麗蘭は頭を抱えた。


村八分


 フェアリーフォースからの辞令により、京極チームへの支給が止まった。
 政府に逆らったのだから、そうやってジワジワと兵糧攻めに。
 なぶり殺しは始まったばかり。
 支給が途絶えれば街に買い出しにでかけなければならない。


「ん? やけに街が騒がしいな」
 フェアリーフォースを出た麗蘭は異変に気づく。
 
 麗蘭は群衆に混ざっていた隊員のひとりを捕まえて訪ねた。
「おい、どうかしたのか?」
 麗蘭の姿を見るや否や、隊員は下から上へと睨みつけ、吐き捨てるように言葉を発した。
「なんだ、反逆者の仲間か」
 なかば汚らわしいものでも見るかのように睨みつけ、ペッと唾を吐いて去ってゆく。
「なんて素行の悪い――」
 麗蘭は肩をすくめるも、洗脳戦略の暴露が関係していることを認めざるを得なかった。

 想夜をはじめ、麗蘭たちはすでに反逆者として扱われている。他の隊員から良く思われていないのも既知。それほどまでに邪険にされていた。

 ――フェアリーフォースは皆、今までの世界にしがみつく方法しか知らない。知っている事があるとすれば、「組織からの脱線は死を意味する」、それだけだ。
 新しい考えを構築しようとしても、現状維持バイアスも手伝ってか、今までの考えに引き戻されてしまう。
 自由意思を拒否するシステム。洗脳とは恐ろしいものである。

 麗蘭は会話をしてくれそうな隊員を手あたり次第に引き留めた。
「なにが起きているんだ?」
「どうしたもこうしたも……あいつら、またおっぱじめやがった。早くなんとかしてくれよ、アンタ隊長だろ?」
 と、隊員が商店街の一軒を指さす。
 フェアリーフォースご用達の飲食店だった。

 麗蘭が店内に入ると、知った顔が数人で言い争いをしているではないか。
 中心にいるのはギザギサで不揃いな毛先が肩にかかるほどの、ざんばらが特徴の少女。部下の小動継紗だ。

「ウチらに売ってくれないってどういう事だよ?」
「裏切り者め! 洗脳だと? そんな事を言って恥ずかしいとは思わないのか? 政府は絶対だ。おまえの隊長の脳ミソにはウジでも湧いてんじゃないのか?」
「そうだそうだ! おかしな事ばかり言いやがって! お前のチームは呪われているんだ!」
 寄ってたかって愚弄する者たち。
「な、なんだと? もういっぺん言ってみろ!」
 継紗の頭に血がのぼる。

 ちょうど昼食をとっていた他の隊員たちも便乗し、罵声を連呼してきた。
「おまえの仲間が人間界で派手に暴れたそうじゃないか。フェアリーフォースの世話になっておきながら反政府か? 堕ちたもんだな」
「明日から物乞いでも始めるか?」
 店内は大爆笑。ドッとわいた。

 継紗が余裕の笑みを作り、すぐさま反論。
「へえ、JC1人にフルボッコにされておきながら、よくデカい口が叩けるじゃん。政府の面汚しは弱いアンタらじゃないのか? 今からバイト探しでもしたらどうだ?」
 挑発を真に受けた隊員たちが一斉に立ち上がった。
「あ? もういっぺん言ってみろ裏切り者め」
「聞こえなかったのか? 耳鼻科いく前によく聞いておけよブス。何度でも言ってやる。フェアリーフォース辞めてバイト探せっつってんの。弱いクセにしゃしゃり出て来んなよブス」

 売り言葉に買い言葉。若い奴らは血の気が多い。

「ブスはそっちだろ! 雑巾でも食ってろよ、メス豚!」
 逆上した隊員Aがテーブルの上のフキンを継紗めがけて投げつける。彼女たちにとって「ブス」は真実でありタブーらしい。
 飛んできたフキンがペチャリと顔にかかると、継紗はゆっくりと顔を上げた。
「ウマそうな雑巾だな。お礼を言わないといけないかな……」
 継紗は右膝を手前に上げると、フキンを投げつけた少女の腹にケリをぶち込んだ!

 ドッ!
 ガシャアアアン!

 椅子に座ったまま、後ろにふっとぶ少女たち。
 腹部に走る強烈な痛みのあまり、その場で悶え始める。
「痛てえ……、な、なにすんだコイツ!」
 それを見て継紗がせせら笑う。
「はははっ、どうだ? 少しは腹の足しになったんじゃないのか?」
「よくもやりやがったな!」
「だったらどうした、徒党を組まなきゃ何もできないチキン連中め!」

 バチイイイン!

 継紗が相手をビンタで吹き飛ばし、ファイティングポーズをとって挑発をかます!
「オラァかかってこい! ウチの京極流、とくと味わえブスども!」
 隊員たちが継紗の周りをグルリと取り囲む!
「上等だ裏切り者! 足腰立たなくしてやんよ!」

 取っ組み合いの大ゲンカが始まった!

 隊員Aがテーブルの上に並べられた食器を派手にぶちまけた。
「おいまた喧嘩だ! フェアリーフォースが暴れているぞ!」
 乱闘騒ぎに反応した客たちが逃げてゆく。中には端末で撮影する者もいた。

「喉が渇いただろう? これでも飲めよ!」
 継紗が隣のテーブルに置かれたウォーターピッチャーを取り、ぽっちゃり隊員Bの顔面を殴りつけた!

 ガッ!

 中に入った水を派手にぶちまけ、Bの全身を濡らす継紗。
 Bは髪から水を滴らせながら激情。
「やりやがったな反逆者め!」
「あら~、少しは綺麗になったんじゃないの? 洗ってやったんだから感謝の言葉でも言ったらどうなんだよ猪八戒!」

「キャー!」
「おい、誰か止めろよ!」
「いいぞー! もっとやれー!」
「はいはい、どっちに賭けますかー!?」
「ブスに100!」
「ギザギザに200!」
 巻き込まれる客たちの悲鳴が店内に轟く。あげくに賭け事まで始める。

「よ!」
 継紗がしゃがみこんで足払い。
 体勢を崩したBが後ろによろめき、2人3人と、取り巻きをボーリングのピンのように弾き飛ばした。
「スットラ~イク! ブクブク太りやがって、このブタ野郎!」
 ニヤつく継紗。
 その後ろから隊員Cが握ったビンで頭を殴りつけてきた!

 パリイイイン!

「痛ってえ!」
 破片が散乱! 床に散らばる!
 継紗の頭皮が裂け、額から赤い汗を垂れ流しながらも顔面の血を拭ってテーブルに手をかける。
「ブスが束になって……目障りなんじゃああああ!」
 くわっ。
 継紗、激おこ。怒り任せにひっくり返したテーブルが宙を舞い――

 ぐわっしゃあああんっ。

 ――落下とともに少女数人を下敷きにして押しつぶした。

 騒音が起こるたび、客が増えたり減ったり。巻き込まれたくない連中は足早に逃げ、逆に面白がって見に来る見物人もいたりした。

 継紗の背後に忍び寄る影。
「捕まえた! やれ! やれ!」
 たった1人を羽交い絞めにし、大勢で殴ったり蹴ったり。誰が見てもリンチ状態だ。
 殴られた継紗の頬が赤く腫れ、それでも相手を睨みつける。
「調子にのるなよカス!」
 羽交い絞めにする相手の胸倉をつかんで背負い投げ!

 ビターン!

 隊員Dの背中を思い切り床に叩きつける!
「ぐはっ」
 床の上に大の字。泡を吹いて気絶した。
 続けてE、F、Gと、殴り飛ばし、蹴り飛ばし。継紗は次々に少女たちからダウンを奪っていった。

「ふん! ウチ1人に苦戦してるとか、どんだけ弱いんだよお前ら」
 ふたたび継紗が取っ組み合いを始めた瞬間、激情した隊員Hが武器に手を伸ばした。
「殺してやる……ここで殺してやんよ! うわああああ!」
 ワイズナーの矛先がギラリと光り、客たちを震え上がらせる。
「おい刃物を抜いたぞ、誰か止めろ!」
「殺し合いが始まったぞ!」
 店内の荒れようは止まるところを知らない。

 継紗の目つきがギラリと変わり、ワイズナーに手をかけた。
「――おもしろいじゃん、ウチだって……ってやるよ」
 もはや収拾がつかない状況。


(――マズいな)
 このまま続ければ誰かが死ぬ。そう思った麗蘭は人混みをかき分けて進み、ケンカの仲裁に入った。
「やめないか小動、やめるんだ」
「京極隊長⁉ なんで止めるんだよ! コイツら隊長のことをバカにしやがったんだ! 想夜のことだってバカにしやがった! さっきから言いたい放題言いやがって!」

 なおも相手に掴みかかろうとする継紗を、麗蘭は後ろから羽交い絞めにした。

「離してください! なぜ止めるんです! あいつら、一発殴らなきゃ腹の虫が納まりませんよ!」
「落ち着け小動……」
 麗蘭に戦う意思がないと分かると、高みの見物をしていた連中が煽ってきた。
「裏切り者が出たのはキョーゴク隊長の責任でしょお~? 色々と問題を起こしまくっているみたいじゃないですかあ? あのロリっ子雪車町がぁ。きゃははっ」
 麗蘭をからかい、ケタケタと笑う。
「言いたい放題言いやがって……」
 継紗は仲間を馬鹿にされるのがとても嫌だった。

「ビビッてんじゃねえよ! お前らに想夜みたいに1人で戦えるだけの度胸あんのかよ!? 全員ケツまくって逃げやがって! ウチ、シュベスタで見てたんだからな! おまえら漏らしてただろ!」

 その一言でほとんどの隊員を黙らせた。心当たりがあるようだ。顔を真っ赤にして口をパクパクさせる奴もいた。
 シュベスタに出向かなかった連中は言いたい放題を続けた。
「なんだと三下の分際が! おまえランクDだろ!」
「それがどうした? おまえら本当にランクCか? 想夜ひとりにビビりやがって! 1人も太刀打ちできなかったじゃないか!」
「なんだと!?」
 継紗の言うことは的を射ていた。シュベスタに出向いたほとんどの者は藍鬼想夜に半殺しにされている。

 継紗の正論に敵うはずもなく、残された反撃といえば暴力のみ。
「チームから鬼を出したんだろ! 恥を知れ!」
「おまえらの存在の方がよっぽど恥だろ! フェアリーフォースやめて犬の散歩でもしてろ、養豚場のブタ!」
「この数を相手にして勝てるとでも思ってんの!?」
 立てかけてあったワイズナーに手を伸ばす者がさらに増えた。

 売り言葉に買い言葉。収拾がつかない状況に拍車がかかった。
 先ほどの乱闘から、殺意は途切れることなく続く。
「もうほっとけ、ゆくぞ小動」
 誰かが死ぬ前に――そう思い、麗蘭は頭に血がのぼった継紗を群衆から引きはがし、店の外へと引きずり出した。


 麗蘭は暴れ馬を路地裏まで引っ張ってきて、諭すように宥めていた。
「――小動、おまえが怒る気持ちはよく分かる」
「だったら!」
 だったら一発くらい殴らせてくれ。なんだったら百発殴らせろ――その言葉を制止した麗蘭は、そっとギザギザヘアに手をおいた。
「いいか、ここで暴れても何の得にもならない。そのことはお前だって分かっているはずだ」
「あいつらはもっと痛い目に合わなければ目が覚めないんですよ!」
「一発殴ったところで、石頭どもには洗脳戦略の意図していることなど理解できないだろう。周囲の言葉が伝わらないほどの洗脳が完了しているのだからな」

 洗脳を解除されているのは、その足で立ち上がることを決めた京極チームのみ。それ以外は皆、アンテナのついた猿のように政府にコントロールされている。

 洗脳は、殴ったところで簡単には解除されない。
 麗蘭と継紗は藍鬼を目の当たりにした途端に政府への疑惑を抱くようになっていた。藍色の驚異に対し、軍隊があまりにも無力でお粗末だったからだ。

 シュベスタ最上階――一発で洗脳が解除された者がここにいる。あの時の闘いを例えるならば、万事塞翁が馬、である。

 政府は妖精たちに馬鹿でいてもらわなければならない。
 支配層がむさぼるためには、何も考えない奴隷が必要なのだ。奴隷を働かせれば、自然と利益は懐に入る。
 そのことに異議を唱える想夜。
 想夜を擁護する麗蘭と継紗。
 政府も妖精界も、京極チームを消そうとしている。
 そうすることで今までの現状を維持しようとしている。

 たった数人の反乱。そんなもんは簡単に捻り潰されてしまう。それは誰しも分かっている。
 
「想夜は命を懸けてみんなの事を想っているのに、なのに――」
 かつては想夜を危険因子としていた継紗でさえ、今では想夜の味方をしている。
「みんな、光の先を恐れているんだ」
 継紗の言う通り。皆、世界を取り巻く得体の知れない空気に支配されている。バイオパワーから出ることを恐れている。

 皆、世界の流れに合わせていなければ生きてゆけないのだ。戦う勇気がないのだ。

 ――悲しいかな。継紗は藍鬼想夜に出会うまで、同じことを考えていた。
 今、鬼が道を標してくれた事実を受け入れなければならない。


 継紗が静かに喋りだす。
「想夜はひとり人間界でがんばっている。ウチ、想夜にね、ひとりでも戦う術を教えてもらった。昔に比べたら、ひとりで戦うことは怖くない。ウチだって想夜に負けてられない。けれども、けれどもね――」

 継紗は瞳いっぱいに涙を浮かべ、麗蘭を見つめた。

「ねえ京極隊長、どうして想夜は、あんな姿になっちゃったの?」
「小動――」
 
 
「――鬼だった。あれは妖精じゃなくて、鬼、そのものだった」
 継紗の脳裏に藍色の鬼が浮かぶ。

 この世をとりまく空気。それをかき分け進んでゆくものは皆、空気に同調した者たちから叩かれる。
 それが出る杭は打たれる、ということだ。

 杭の熱意が強ければ、とたんに周囲を巻き込んでゆく。
 かつては想夜をいじめていた側の継紗でさえ、今では想夜の空気に同調している。
 視点が変わって思うこと、それは今まで継紗自身が犯してきた罪と向かい合わねばならないということ。
 
「ウチね、はじめは想夜のこと嫌いだった。日常を壊す存在だから怖かったの。コイツは危険な奴だって思ってた。だって、みんなと違う考えを持っているんだもん。群れを成さなくても、ひとりでも事足りる奴で、すごく芯が強いんだもん」
 継紗は空を見上げた。

「だから……、いなくなってしまえば、平穏が訪れると思って、意地悪してきたの――」

 麗蘭は黙って耳を傾けた。
「――そうしたらね、想夜のやつ、本当にいなくなっちゃった。鬼になっちゃった。あんな風になっちゃった……」
 麗蘭は無言で継紗の頭を撫で続け、先を促す。
「本当はね、うらやましかっただけなの。自分の気持ちを解放したかっただけ。それができない臆病者だから、他人のことをうらやんで、うらやんで、足を引っ張って、引きずりおろして。でね、ざまあみろって心で笑う。ウチは、そんな……、恥ずかしいヤツだった」

 鼻をすすり、話を続けた。

「――こんなウチだったけど、今はちゃんと想夜の味方だよ。鬼になっちゃったけど、やっぱり想夜を応援したいんよ。政府のシステムを変えたいんよ」
 継紗の肩にそっと手をおく麗蘭。
「分かっている。もう泣くな」
 そう言って継紗の頬の雫を指で救った。

「――ウチだって力になりたい。けれど、何もできない。ねえ隊長、どうして想夜だけあんな業を背負っているの? ウチ、弱くて、何もできなくて、悔しくて、情けなくって、うっぐ……」
 涙をこらえようとも、溢れ出すそれを止めることはできない。
「メソメソするな小動。おまえが正しいことは分かっているよ。誰だって仲間を侮辱されたら悔しいものさ。寄り添えない時の無力さだって、歯がゆいものさ」
 麗蘭は継紗の頭を両手でそっと包み、自分の胸へと沈めた。
「だが今は、できる事をしていこう。そのためにはお前の協力が必要不可欠だ」
 継紗は麗蘭の胸の中でコクン、と小さく頷いた。
 チームの中で、麗蘭は厳しい父であり、暖かい母だ。

 麗蘭が周囲を見渡す。
 最近チームの妖精たちを見ていない。
「ほかの連中は?」
「……みんな、本日付けで、フェアリーフォースを去りました――」
 継紗は麗蘭の胸に顔をうずめ、ポツリとつぶやいた。
「10名全員か?」
「……はい」
「……そうか」

 麗蘭のチームは継紗と想夜だけが残った。
 現状のままでは暴撃妖精認定された想夜が抜ける可能性が非常に高い。
 そうなれば、京極チームはもう……。


天からの使い


 どこもかしこも、フェアリーフォースに異見する者は皆、村八分にされた。

 麗蘭のチームは、もはやフェアリーフォースのおジャマ虫。世間からの扱いもひどく、チームを去った者の中には、思い詰めて自傷行為に走るものさえいた。

 村八分は恐怖でしかない。
 物すら売ってもらえない、切羽詰まった状況下。
 麗蘭たちは一体どうなってしまうのだろう?

 政府に疑惑を抱く者。
 疑惑を嫌悪する者。
 2つの思いが衝突をはじめ、やがて派閥が生まれる。
 混乱が混乱を呼び、やがて内乱は勃発する。

 フェアリーフォースは、本来の機能に問題が生じていた。

 麗蘭と継紗は次第に居場所を失ってゆく。
 そんな2人を気の毒に思ったメイヴは、少しでも懐に置いておく時間を増やした。2人がいつ殺されてもおかしくなかったからだ。


 ある日のこと――。

 フェアリーフォース本部のエントランスに白装束をまとった長身の女が訪れた。
 その女、2人の使徒を引き連れ舞い降りる。

 後光さす白装束は、ゆっくりと両手を差し出し、隊員たちを迎え入れるようにこう言った。

「わたし達は天上人、天より舞い降りし使い。
 迷いし子羊たち。
 さあ、この手を取りなさい――」