1 シャドウシーズン


『ニュースをお伝えします。
 昨夜未明、真菓龍まかろん研究所に何者かが押し入り、代表を務める会長夫妻が殺害されました。

 現在、長女の行方が分からず、フェアリーフォースが捜索にあたっております――』


 真菓龍社の派閥抗争から一夜明けた妖精界に一連のニュースが飛び交った。

 真菓龍社の末代である娘、華生けいきがフェアリーフォースに助けを求めたのはその時だ。
 妖精界の半分を吹き飛ばした妖精兵器ディルファーのデータは、正しき者の手に渡らなければ世界戦争の引き金になる。それを見越しての事だった。
 研究所から持ち出したそれは極秘データとして、これから多くの目の色を変えてゆくこととなる――。
 
「真菓龍での惨劇、政府ならば分かってくれるはず」
 そこですべてを打ち明けようと思った華生だったが、手にしたデータを見るや否や、フェアリーフォースの態度は急変。上層部は真菓龍社の情報収集に力を入れ始めた。
 ましてや真菓龍は権力の象徴。その令嬢ともなれば、ゆくゆくは妖精界を変えるほどの存在になる。

 政府にもっと力を――それがフェアリーフォースの本音だった。
 
 データの閲覧にはパスワードが必要だ。
 政府は何としてでも華生から聞き出さなければならなかった。なかば強引に聞き出そうとした報告もされている。

 フェアリーフォースの思惑を知った華生は、政府から戦争の匂いを感じとり、パスワードの譲渡を拒否して逃亡。

 両親を殺され、
 生まれ育った故郷から放り出され、
 多くの妖精たちに白い目で見られ、
 やがて華生は、反逆者として指名手配されることとなった――。
 
 

逃亡者 真菓龍華生


 取り調べ室とは名ばかりの薄暗い小部屋。
 味方などいない時間。
 誰も助けに来ない場所。
 華生はそこにぶち込まれた。
 まだ11歳だ。

 床、天井、鉄格子のかかった窓が一カ所。机の前にひとり座る華生は不安でたまらなかった。

 何時間にも及ぶ聴取の末、隙を見て逃走を図った華生。政府に奪われたディルファーのデータを取り返す作業には骨が折れた。
 追ってくる何人もの隊員をネイキッドブレイドで切り裂き、フェアリーフォース本部の中を走り回った。

 両親を弔うこともできなかった華生はひとり、何日も何日も妖精界を彷徨い、フェアリーフォースから逃げ続けた。


 雪の降る夜のこと――。
 ちぎれたボロボロの布切れを身にまとい、足先までを薄い布で包んで縛り付ける。それを靴とは呼ばないけれど、裸足よりはずっと恵まれている。
 空を見上げて呼吸をすれば、白い吐息が逃げてゆく。
 地面に積もった白い塊が急激に体温を奪ってゆく。
 
 途中途中でたどり着く民家。
『なんだ物乞いか。これやるから早くあっちにいけ!』
 家の主は華生にパンの切れ端を投げつけると、玄関の扉を乱暴に占めた。
 妖精だって女神ではない。その日の飢えをしのぐのにやっとの人々もいる。
「あ、ありがとうございます」
 華生はお辞儀をすると地面に落ちたパンの欠片に手を伸ばし、よく噛んで味わった。


 人気のない村では余計に目立つ。華生は大きな都市に逃げ込んだ。

「おい見ろよ、あいつ真菓龍社のガキじゃね?」
 街を行きかう者たちが華生を指さす。
「マジかよ、あんなに落ちぶれちまったんじゃ真菓龍社の未来もたかが知れてるな」
「政府に肩入れしてる企業だろ? あんなふうになって当然の報いじゃねえの? ハハハッ」
 薄汚い華生を追いかけ回してからかう者たち。
 都会なら姿を隠せるかも。木を隠すためには林が必要という読みも外れ、あまりにも大騒ぎになってしまった。
 ふたたび華生は人目から逃れるよう、そっと街を出て行った。


 いくつもの山を登り、下り――。
 よくもまあここまで歩いてきたものだ。
 華生が雪に残してきた自分の足跡を目で追う。

 かじかむ手。凍える足。
 ハエのようにすり合わせては、無意味なほどの暖を取る。
 凍てつく風が白い息を作り上げ、空へと舞い上げた。
「5分後にはわたくしの命もあのように――」
 遠く遠くへとのぼっては消えゆく息。そこに己が魂と重なりを覚えた。

 山のふもとに家がある。
 丸太を無造作にかさねたような造り。小さな民家だが、頑丈な城にも思えた。
 華生は一歩踏み出し、民家を目指した。
 
 コン、コン……。

 ノックすると窓から婦人が顔を出す。
「あ、あの、もし――」
 家の住人は汚らしい華生を見ては顔をしかめ、すぐにカーテンを閉じた。

 また拒絶されたのだろうか?
 ……でも慣れている。

 華生が来た道を引き返そうとした時だ。

 ギイ……

 酷く立て付けの悪い玄関の扉がゆっくりと開くではないか。
 中から出てきたのは、ほどよく脂肪のついた恰幅のよい婦人。
「まあ、どうしたんだい? こんな雪の中をそんな汚らしい恰好でうろついて」
 玄関の扉の隙間からこぼれる暖かな光。中から漂ってくる匂いで夕食だと分かった。

 靴もボロボロの華生。
 ほとんど素足のままで立ち尽くすその姿を見た婦人が、目を大きく見開いてギョッとした。

「あ、あんた、ひょっとして真菓龍社のお嬢様じゃないのかい?」
「はい、左様でございます。あの……、もしパンがございましたら一切れ分けてはいただけないでしょうか?」
 華生が申し訳なさそうに物乞いをする。空腹が相手ではプライドだって捨てなければならない。飢え死にするよりはマシだ。
 
 難しそうに顔をしかめる婦人を前に、「貧しい人達」に失礼なことを言ってしまったと後悔をしていた。

 けれども婦人がそんな表情を見せたのは他の理由からだった。妖精界に貢献してきた企業の末路がこれなもんだから、あまりにも不憫でならなかったのである。
「何を馬鹿なことを言っているんだい。さあ、入りなさい」
「あ、でも……」
 婦人は華生の背中に手をおき、答えを聞く前に家の中へと招き入れた。

 自分のみすぼらしさを自覚している華生。屋内を汚してしまわないかと気づかったが、暖炉の温もりには勝てなかった。
 
 家には夫妻とリーノという小さな女の子。それから家畜数匹。
 そんな愛情に守られ、華生は今日を生き延びることがでそうだ。


「そんなに慌てなくても誰も取りゃあしないよ、もっとゆっくり食べな。ほら、リーノも口のまわりを拭きなさい」
 ふうふうしないと舌がやけどしてしまいそう。そんなにもあったかいシチューを口に含む。
 ゆっくりと胃袋に落ちてゆくシチュー。おなかの血液が生き返り、そこから全身が温まってゆく。
 ちぎったパンのふっくら感。まるで食材に「元気を出して」と励まされているように思えた。

 食卓が生命を与えてくれる。
 この家庭の食事は、生きている――。

 華生は家の人たちにこれまでの経緯を述べると、家族は涙ながらに何度もうなずいた。
「そうかいそうかい、あんたも大変だってんだねえ。しばらくここにいるといい。頃合いを見て、また旅に出ればいいさ――」
 捨てる者あれば拾う者あり。華生を迎え入れてくれる人たちは確かにいた。
 
 
 ――だが、そんな時間は朝日が来る前に終わった。
 
 
「こんなところに隠れていたのか犯罪者め!」
 周囲の村人の通報によって押し寄せてきたフェアリーフォースに華生は捕らえられた。

 隊長は巨漢の男――分厚い唇にヒゲづらのでっぷりとした、濁った肌の色の暴漢。
 太く、刃こぼれの目立つワイズナー。その形状は人間界で例えるなら電気ノコギリ。エーテルを流して刃をコーティング。波状の金属を回転させて切り刻む仕組みだ。

 家の中に押し入る隊員たち。
 隊長が葉巻をくわえながら面倒くさそうに椅子を引く。
「ガキが、手間かけさせやがって……」
 乱暴に腰を下ろしてテーブルに足を乗せた。
「シケた飯だなぁ、もっとうまいもんはないのか? ああ?」
 置いてあったパンを引っ手繰ると、乱暴に食いちぎった。
「マデロム隊長、ここの住民はどうしますか?」
 隊員から問われたマデロムという男。たるんだ横目を主人たちに向ける。
「ああん? そいつらか……、全員連行しろ。本部でたあっぷりお灸をすえてやるよ、ゲヒヒヒヒ……」
 逃亡犯隠蔽の罪により、部隊は一家を乱暴に扱った。
「わたくしが出頭しますから、どうか、どうかこの方達を解放してください!」
 華生はマデロムの足に縋りついて哀願する。
 するとマデロムは華生の髪を鷲づかみにして持ち上げ、乱暴に引きはがしては放り投げた。
「汚ねえ女が! 触るんじゃねえ!」

 ドッ!

 前につんのめる華生の背中を蹴り上げ、マデロムは制服をはたいた。
「まったくよお、バイ菌がついたらどうすんだ? 新調したばかりなんだぞ、分かってんのか、ああん⁉」
 華生を睨みつけ、細い体を何度も蹴り上げる。
 その後、ニヤリと笑い優越に浸るのだ。
「まあ、てめえが大人しくフェアリーフォースに出頭するってんなら、この家の奴らを許してやってもかまわねえ」
 チラリ。ワイズナーを目にした途端、心変わりをする。どこまでも幼稚でワガママな男。
「ところで……、俺は好きでフェアリーフォースなんかになったわけじゃねえ」
 ふたたびテーブルのパンに手を伸ばし、むき出しの歯で怒り任せに食いちぎる。
「毎日よお、イラつくことってあるよなぁ? たとえば気に入らねえ事とかよお、あるよなぁ? ワイズナーのオーバーホールとか面倒くせえんだよ、もっとうまく設計できねえのかな。マジでイラつくわ。そんな時にスカッとする方法が一つある。いいか、よぉく見てろ――」
 マデロムはそう言うと、羽交い絞めにされた主人の顔面に拳を叩きつけた。
「オラア!!」
 ガッ!
「うぐ!?」

 ガシャアアアン!

 主人の体が勢いよく吹っ飛び、食器棚に突っ込んだ。
「ギャハハハハ! 見たか今の?」
 隊員たちは横たわる主人を指さして爆笑した。

 マデロムが華生に吐き捨てる。
「おい真菓龍のメスブタ! これで分かったか? ここでは俺が法律だ。てめえら庶民は大人しく奴隷になっていればいいんだ。 ……連れてゆけ」
 拳についた血を子供の服で拭い、華生と一家を連行するよう指示を出す。
 華生はその足もとに縋りつくいた。
「待ってください! 約束が違うではありませんか! わたくし一人が出頭すればこの方達を見逃してくださると約束したはずでは――」
「うるせえ! 口答えするんじゃねえよガキが!」
 華生の首に手を回し、家の外に放り投げた。
 頭から雪に突っ込む華生。体勢を立て直すとマデロムを睨みつけた。

(わたくしのハイヤースペックでは、この人数を相手にするのは不可能。けれどもあの人たちを逃がすことなら……)
 華生が確保された主人たちに横目を向ける。
「ママー!」
 子供が泣き叫ぶ!

(殺るしかないのね――)

 華生の赤い瞳がより深紅になった時だ。
「おおっと、ハイヤースペックは使うなよ? 俺でさえ使えない能力にはイラつくんでね。使えばこの家の奴らがどうなるか分かるよな?」
 ノコギリ型のワイズナーを子供の首に当てるマデロム。
「ハイヤースペックなんざ使わなくても俺はやっていける。何より女のクセにイチモツぶら下げる体質変化が気に入らねえ。女のクセによお、グェヘヘ……」
(くっ、卑劣な……)
 華生は唇をかみしめ、諦めまじりで振りかざした腕を下ろした。

 フェアリーフォースに所属する隊員全員がハイヤースペックを使用できるわけではない。特にマデロムのような隊員は腕力でゴリ押しするタイプに流れてゆく。戦闘スタイルはそれぞれだ。

 睨みつけてくる華生を見たマデロムは、さらに威圧さを増した。
「なんだなんだその目はよお? やる気まんまんじゃねえか、気に入らねえなあ~! もう頭きたぜ、テメェら全員逮捕だ! 分かってんのかこの野郎!!!」
 食器棚に手をかけ、罵声を上げて力いっぱいなぎ倒す!

 ぐわしゃあああん!

 フォークや皿が散乱し、陶器の破片が飛び散る!
 一瞬のうちに食卓がめちゃくちゃになった。
 マデロムは床に転がった金貨を手にすると口角を吊り上げ、主人たちに不気味な笑みを投げた。
「……けどよぉ、俺は優しいんだ。保釈金なら今ここで契約してやってもいい、特別にな」
 子供たちをかばう婦人が恐る恐る聞き返す。
「ほ、保釈金でございますか?」
「ああそうだ、保釈金だ」
 マデロムは指を5本立てて金額を提示した。簡単には払えない額だ。
「毎月俺にこれだけ払え。そうすれば見逃してやる。ただし、支払いが一秒でも遅れたらどうなるかは分かるよな? ガキを売って金に換えてやるよ、ゲヘヘヘヘ……分かったかボケが!」
「きゃ!」
 華生を蹴飛ばし、ふたたび雪の中へと追いやった。
 隊員たちが下品な笑みを浮かべて屋内を物色し始める。まるで強盗だ。

「こんな、あまりにも酷過ぎる――」
 華生は雪に埋もれながら、歯を食いしばって涙を流すことしかできなかった。
 無力。
 無力、無力。
 力いっぱい握りしめた雪。抵抗むなしく溶けてゆく。
 それが己の存在のよう。
 何もできない存在のよう。
 ただ消えてゆく。
 それだけだ。
 
 ――絶望のあまり跪く華生に夫婦の声がかかる!
 
「はやくお逃げなさい!」
「どこか遠くへ! フェアリーフォースに対抗できる人々のいる世界へ!」
 
「い、いや……」
 自分のせいで捕らわれた人たちを残して逃げろというのか?
 そんなマネはできっこない。
 けれども行動を起こさなければ、この先何も変わらない。
 未来は現状を保ったまま朽ちてゆくのだ!

 意を決した華生。
 両手で粉雪をすくい取り、フェアリーフォースの隊員たちにぶちまけ、そこへ落ちていたスコップを投げつける!
 ガッ!
「うわ! 何しやがる、この女!」
 雪にまみれた土が目に入り、隊員たちは視界を殺され右往左往。

 隙をついて脱走した華生。

 データを握りしめ、つかの間の自由を得た鳥のようにフェアリーフォースの追手から距離を取る。
「振り返るな! そのまま走れ! 振り返るんじゃない!」
 主人の声が華生を前へ前へと押し出した。
 走り出す華生!
「……ありがとう、ごめんなさい――!」
 口にした2つの言葉を頭の中で幾億回も繰り返す。
 突如、隊員たちが騒ぎ出し、乱闘が始まった。村人の何人かが氾濫を開始したのだ。その中には小さな子供の姿もあった。
 戦いに年齢など関係ない。戦いが多くの存在を巻き込んでゆく。

 だから、走るのだ――。

「走らなきゃ! どこまでも、どこまでも!」

 胸が苦しい。
 息切れなんかじゃない。
 一体どれだけの妖精たちを犠牲にしてきただろう。
 助けてくれた人たちを見捨てなければならないのがつらかった。
 でも、あの人たちの行為を無にする事こそが悪に思えた。
 そう思っての判断だった。

 向かうは人間界。
 そこで華生を待っているのは無常な妖精実験。
 けれども、その先には光があることをこの時の華生は知っていたのだろうか?
 やがて愛するあの人。
 華生にとっての慈愛に満ちた光。
 手にしたディルファーデータ。
 それは八卦が意思を継ぐ。

 森の中の湖。
 フェアリーリングが光の環となり人間界を映し出す。
「いきましょう、あちらの世界へ――」
 華生は手を伸ばし、未知なる世界へと旅立った――。


 妖精界から逃亡し、4年が経過した。

 愛宮邸――。
 華生は暖かいベッドの中で目を覚ました。
 6畳ほどの小さな部屋。必要最小限の家具。何一つ高価なものはない。けれども華生にとってはこの場所こそがお城。
 懐に叶子の顔――手を伸ばせば愛する存在にたどり着くほどに、近く。
「華生、大丈夫?」
「お嬢様……」
「ひどい汗。怖い夢でも見たのね……」
 悲しげな顔をする叶子。華生の額の汗を拭い、乱れた髪を撫でて整える。
「叶子様、わたくし、わたくし……」
 多くの妖精を巻き込んでしまった罪悪感。それに肩を震わせ、うつむく姿。
 叶子は華生を抱き寄せ、そっと、静かになだめる。
「大丈夫よ、何も怖がらなくていいわ――」
「叶子、様――」
 静まり返った小部屋。2人、抱擁を交わした。


 時同じくして妖精界――。

『あなたはいづれ気づくでしょう。
 そこで頬を腫らして泣き続けても変わらぬ現実に、
 行動無くしては何も解決できぬという事実に――』

 夢から覚めた京極麗蘭きょうごく れいらは寝ぼけ眼のまま、むくりと顔をもたげた。
「ひどい汗だ……」
 体中、バケツの水をかぶったようにビッショリ濡れていた。
「嫌な夢だった」
 誰かは知らない、得体の知れない声に導かれるように暗闇を進んでゆく。

 落ちてゆく。
 堕ちてゆく。
 落ちて、堕ちて……。

 その先に光があるとも限らない。
 進むことは博打。
 そこに留まれば何も得られない。けれども退くことで負け犬を演じるくらいなら、いっそのこと炎の中に飛び込んだほうが、何かを得られる可能性はある。
 麗蘭自身に得体の知れない何かが迫っているのは確かだ。
 それは危機の類、戦士の直感がそれを悟るのだ。


隊長マデロム


 警察病院のベッドは想夜に半殺しにされた隊員たちで満員御礼。命に別状はなかったものの、皆、体中に打撲や骨折が目立った。

 藍鬼と化した想夜に首を噛みちぎられた者はみな、布団を頭からかぶって震えあがっていた。
 最新のエーテル治療が行き届いている妖精界。後遺症もなく命拾いした。

 ――にも関わらず、この有様。
 人手不足は深刻さを増した。

 フェアリーフォース内で反逆者が出たとの報告を受けた隊長がいる。
「藍色の鬼にやられただあ? けっ、まったく使えねえ奴らだぜ……」
 枯れ木のように褐色の悪い肌。でっぷりとした脂肪を抱え込み、むき出しの歯ぐきで威張り散らしている。
 小型のトロルほどの巨漢で悪態をつく。
「政府に逆らうクソガキだと? 笑わせるじゃねえか」
 雪車町想夜の名を知った隊長の男は、不揃いの歯並びで葉巻をかじりながらヌメッとした笑みをこぼした。
「まあ、嬲り甲斐のある奴らが出てきて嬉しいが。あの時の逃亡者をかくまった連中のように、たぁっぷりと可愛がってやるぜ。グェヘヘヘ……」
 ヨダレを拭い、警棒というようよりは棍棒に似たそれで肩のコリをほぐす。

 ――「まあ俺にはパトロンがいるからやりたい放題だがな」

 ガハハと大口開けながら爆笑する姿は下品極まりない。
「そ、そうですよね、マデロム隊長の仰るとおりです」
 周囲の部下はゴマをすりながら愛想笑いするだけ。中には進んで同意する者もいた。
「聞けば女だっていうじゃねえか、嬲り甲斐があるぜぇ、ぐぇへへへ……だろぉ?」
「で、でも鬼化した子、まだ中学生ですよ?」
「あん? ガキでも酌くらいできるだろうが、なあ?」
 ギロリと部下を睨みつけ、部下に同意を強要する。
 部下たちは頷き、舌を舐めずり回した。軍人とは名ばかりのゴロツキだ。

 隊長マデロム。
 フェアリーフォースの皮を被った暴漢。


メイヴちゃんと麗蘭


 気に入らない気に入らない。まったく気に入らない――そうやってメイヴは始終、酷く落胆する。

 シュベスタ研究所での戦いにおいて、メイヴはエーテルを使い果たし、見違えるくらいの幼女に大変身。
 パッツン前髪の赤黒いロングヘア。全身に包帯を巻いての生活にも飽きてきた。

 それはさておき、たった今、妖精界は大忙し。
 どうしてかって? それはだな――メイヴはふたたび深くため息をつく。ため息の数だけ女の幸せは逃げてゆくものなの。

 フェアリーフォースが内部分裂を起こしている。時間とともに亀裂は大きくなるだろう。
 藍鬼と化した想夜はフェアリーフォースを片っ端からフルボッコにし、政府に恐怖を植え付けた。
 おまけに『フェアリーフォース洗脳戦略』に一手をかけてきた。

 想夜の胸に秘めた思い。
 子供でも軍人だ、政府への反感もあっただろう。
 軍人でもまだ子供だ、日々のイジメへの復讐もあっただろう。
 それらの怒りと矛先は、シュベスタに降下した部隊に向けられた。人間に向けられていたら死者が出ていたのは明白だった。
 
「それにしても藍鬼の鬼畜っぷりには目を覆いたくもなる」
 負傷した人数が多かったこともあり、フェアリーフォースは人手不足に陥っている。人間界に手を下そうとした政府の自業自得でもあるのだが。

 思うは想夜が暴いた『フェアリーフォース洗脳戦略』。
 戦士を洗脳し、戦争の駒に育てるための取り組み。
「確かに政府に忠実な戦士は必要不可欠だ。が、軍隊をまとめるだけの理由にしては洗脳はやり過ぎではないか?」
 メイヴほどの女性であっても、フェアリーフォース上層部の考えが分からない時がある。
 そんなことをよく考える。

 先日のシュベスタ戦から生還したエーテルバランサーのひとりが、想夜からの言伝を京極麗蘭たちに打ち明けたことから事態は急速に動き出す。
 自分たちが洗脳されていたとなれば、エーテルバランサー達も面白い顔をしない。政府への忠誠に揺らぎが生じ、内部紛争にも似た暴動が起こるのに時間はかからなかった。

 ――洗脳はどこにでもある。そこに大掛かりな装置など必要ない。『空気』を支配すればそれが洗脳に役立つ。それがバイオパワーの役割を果たす。

 例として洗脳装置を上げるとすれば、目にするテレビ番組。
 頭にタライが落下したら大勢で笑わなければいけない。洗脳が完了している者は、とある芸人がテレビに登場すれば自然と笑い出す。登場だけで、だ。

 まるでパブロフの犬だ――。
 
 ラジオの電波に乗ってやってくる情報。
 雑誌、ニュース、CM、タレントのおすすめ商品、人々が拡散するウワサ話。
 大勢をターゲットにできる情報伝達は洗脳効率が非常によく、この上ない武器になる。

 洗脳を流れよく行うためには、疑惑を排除しなければならない。詐欺に対して疑惑を持たぬものは、あっさり罠に引っかかる。

 効率よく洗脳するため、時には人質も必要だ。
 村八分を恐れる妖精たちは皆、身のまわりの存在を大切にする。コミュニティで生きてゆくためには団結が必要だから。
 原始時代からの考え。女子供はマンモスを狩ることができない、故に集団で村にとどまり、食事の支度をする。そこにはコミュニケーションが必須とされる。

 ――それ即ち、コミュニティから排除されることは死を意味する。
 
 死ぬのは怖い。だから死に物狂いで集団に属さなければならない。周囲に合わせなければ生き残れない。
 
 政府は妖精たちに対し、あらゆるサービスを提供している。
 家のない者たちでさえも食料に困ることはない。寒くなれば衣服も屋根も無条件で与えられる。
 そうすることで政府は正義に君臨し続けてきた。

 ――その答えは、妖精たちの餌付けである。
 
 妖精界の住人にとって、政府は絶対だ。
 『政府は正義』と心で決めれば、自然と多勢が所有する『空気』は出来上がってゆく。
 空気とは、決まり事・暗黙のルール。
 それらを逸脱する者を変わり者、または反逆者として扱う。

 出る杭は打ち殺される。
 妖精たちは政府の味方。
 政府は支配の味方。

 政府にしてみれば、国民は馬鹿でなければならない。でなければ一般人に国を乗っ取られるからだ。
 そのため、出る杭を打つためのジャッジシステムが必要だった。

 ――それがフェアリーフォース。

 フェアリーフォースの隊員たちにも洗脳が必要だ。政府の駒となって動いてもらうシステムに徹する駒だ。すべてを効率よく進ませるための歯車と潤滑油。

 まわりと違うのは恥ずかしい事。

 隊員には限られた情報しか与えず、食器やポスター、日ごろ目にするあらゆるものにサブリミナルを埋め込んでいる。何度も目にすれば脳にこびりつく。
 そうやってジワリジワリと洗脳してゆく。
 あらかじめ空気を作り上げていた妖精界にとって、それは容易いプロジェクト。


 『政府に反する者は悪。
 政府は神。
 村八分は、死――』


 ――中には想夜のように真実を見る目を持つ戦士もいる。
 そんな戦士にはさらなる調教が必要だ。
 それがメイヴの植えつけたゲッシュ。反乱を犯すものを条件に、呪いを発動させ地獄に落とす罰。力づくの調教。

 想夜のように稀な存在は政府の標的。それ以外は家畜。皆、知らぬうちに洗脳されている」
 メイヴは深くため息をついた。



「――メイヴ様」

 ハイヤースペックは人間の所有物ではない。
 人間にとって妖精とはなんぞや?
 都合のいい道具か?
 いやいや、そうではなかろうて。妖精だって意思を持った魂だ。気に入らない者を前にして、平常心を保てるわけもなし。
 人間たちのご都合主義に則って動くほど、愚かな生き物ではないのだよ妖精は。
 わかるかね、人間よ。
 
「メイヴ様?」

 妖精にとって、あるいは人間にとってもっとも住みやすい場所、それがどういうわけか人間界には存在しない気がする。
 人間が住む世界だというのに。かつては妖精も住んでいた世界だというのに、だ。

「メイヴ様?」

 安らぎの場をなくした世界――その理由をつきつめてゆけば、おのずと見えてくるものがある。それこそが妖精と人間の意志一線が交わる場所にある答えなのだよ。
 つまるところ連立方程式のようなものだ。
 2つの公式から導き出される答えは何処いずこへ向かうというのか?

 なぜ妖精は人間界を去ったのか。
 なぜ人間は妖精を捨てたのか。

 人間から割り出された解答。
 妖精から割り出された解答。

 それら2つの解答を使い、xとyの中身を探り当てよ。
 答えは簡単だ。
 ハイヤーとサイバー。互いの技術の二極化がそうさせた。
 xとyには異なる技術が当てはまる。2つの値が+なのか-なのかによって、解は飛翔もすれば落下もする。

 人間よ――科学でこの世の全てを語るなど、傲慢な考えもいいところだ。神にでもなったつもりか?

 妖精よ――魔術でこの先を生きてゆこうなど、怠惰な考えもいいところだ。原始人のままでいるつもりか?

「メイヴ様」

 なにが言いたいのかって? そりゃあ決まっている。
 メイヴはゆっくりと口を開いた。
「別々の方角を目指した技術同士であったとしても、いづれはどこかで収束するのさ。避けては通れない交差点に差し掛かっている。それは妖精界、人間界、魔界を行き来する者たちが、その身で語っているであろう? すべての世界において、技術の進化に限界がきているということさ。技術は、互いを尊重しあってこそ高みを目指せる」
 そう言ってぺろんぺろんと価値の低い、安っぽい笑い方をする。それだけ妖精と人類が行ってきた傲慢さが無価値に近いことを意味している。

 右へ左へ。
 東へ西へ。
 行けど戻れどゴールは見えず。

 一見、横にしか移動していないように見えるのは、おまえさんの立ち位置がワンパターンだからさ。
 かるく首を傾けてみろ。左右に動くものですら、上下に移動しているではないか。
 のう? 頭カチンコチンの削り節脳よ。

 ――そう言ってやりたい奴らが多すぎる。

 フェアリーフォース上層部は、雪車町想夜を危険因子とみなし、除隊させる方向でいた。
 一定の条件のもとで発動する妖精の鬼化。

 それが『シャドウシーズン』。

 妖精という存在から線引きされた悪しき能力は、妖精界で恐れられていた。
 
 天才メイヴはハイヤー技術とサイバー技術の融合のもと、見事に想夜のシャドウシーズンの発動に成功した。
 想夜の体内にゲッシュまで埋め込んでデータ採取をしたのに、返り討ちにあったともなれば、今までの努力が丸つぶれ。
 このままではイカンと思ったメイヴ。先日も会議中、派手に喧嘩してきたところだ。


「ふう~」
 深く、大きく、静かにため息をつく。その身を包むほどの革製のオフィスチェアに身をあずけ、背もたれに突っ伏した。
 ゴロリンと寝返りを打ち、部屋の中央で直立する栗色の髪の少女、麗蘭れいらに視線を送る。

「メイヴさ――」

「あ~、わーっとるわい、さっきからうるっさい。主は相変わらず石のように堅いのう、京極?」
「は! 任務ですので」
 ビシッ。カカトをそろえた麗蘭が真っ直ぐな視線を返してくる。
「雪車町の一件では世話になったのう」
 とプレプレβを取り出しゲームを始める。視線は常にゲーム画面。感謝してるんだかしてないんだか。

 藍鬼化した想夜に殺されかけた際、メイヴを救出したのは麗蘭だ。
 優秀な部下のおかげで命拾いした事に感謝している。
 感謝はしているが、先ほどから麗蘭の声が傷にしみる。突き刺さるような真っ直ぐな声が針のように刺さって痛いこと痛いこと。

 想夜にゲッシュを埋め込んだのは他でもないメイヴ本人。戦士の管理には首輪が必要だ。故に、自業自得なのは重々承知。されどワイズナーで貫かれた体に響く響く。
 おまけに御殿に魔水晶を破壊され、顔面半分が吹き飛んでしまった。修復するのに3日もかかってしまったではないか。
 しかも体形も幼稚化。先が思いやられる。

「色々と落胆はあれど、感謝しているぞ、京ご……」
「は! 任務ですので!」
「ひぎっ!?」
 ビリビリッ。メイヴの傷口にビシビシと声が突き刺さる。でも、まあガマンガマン。

「時に京極? お前の部下のギザギサ娘はどうなった?」
 肩まで伸びたギサギサの毛先が印象的な少女。フェアリーフォースの隊員であり、想夜と同じチーム。ざんばらヘアの小動継紗こゆるぎ つかさ
 シュベスタ最上階にて、想夜から洗脳戦略を知らされ、これを暴露する行動に出た少女。

 シュベスタにおいて、フェアリーフォースが藍鬼を見た後のことだから、洗脳戦略の暴露には相当の説得力があった。

 けれども、事態は混乱に変わる。
 継紗の言葉に同意する者、否定するもの――それが小さな混乱の発端となり、継紗は反逆罪の汚名を着せられてしまった。
 継紗のフェアリーフォースからの扱いは酷いもので、本人の所属する京極チームまでも村八分にされてしまう有様だ。

 麗蘭や継紗に向けられる白い目。その数だけ洗脳が色濃く残っている証。
 そりゃそうだろう。『おまえらはおかしな洗脳にかかっているから正常ではない』と言われれば、誰だっていい気はしない。

 皆、己の信じてきた道を否定されたら敵意むき出しで牙を向けてくるものだ。
 誰だって、今の自分が正しいと願いたい。
 過ちを認めるには勇気が必要なのだ。

 いつか、戦士たちの洗脳は解除されるのだろうか――麗蘭は不確かな未来を想像しては、肩を落とすのだ。

「のう、京極?」
「は!」
 ビリビリッ……。
 麗蘭の頑な姿勢に口を閉じるメイヴ。その石のように堅い意思を捻じ曲げることもできず、リスの唸り声に近いため息を吐いた。でも視線はゲーム機に釘付け。
「主の部下である雪車町想夜は暴撃妖精認定されたぞ? よってディルファーと似たような扱いになる。これについてはどうなると思うね?」
「私に聞かれましても……」
 麗蘭は静かに俯いた。
 力の制御が利かなくなった妖精は暴撃化し、世界を混沌へと導いてゆく。
それを暴撃妖精と呼ぶ。
 藍鬼が脳裏をよぎり、それがかつての可愛い部下だったことを受け入れようとはしなかった。

「のう京極。部隊にいた時の雪車町想夜はどんな娘じゃったかの?」
 日常の想夜などメイヴの記憶にさえ残らない。ただのモルモットとしてフェアリーフォースに飼われていた小動物の存在なんてそんなもの。組織の片隅でうずくまって消えてゆくものだから。
 けれども、想夜の日々を気にするようになってから、メイヴはいつも上の空。そこに藍鬼以外の魅力を見出してしまう。
「雪車町、ですか……」
 麗蘭は無機質な天上を見上げ、当時を振り返る――。