11 傀儡街
ハッピータウンに足を踏み入れた麗蘭が、とつぜん立ち止まった。
「さて、これからどうしたらよいものか」
考えるは、この先のこと。
エクレアは塔の頂上でなんらかの儀式を実行しようとしている。もし水角の言っていることが正しければエクレアは今日の夜、そこで瞳栖を殺害するだろう。そうしてディメンション・エクスプローラーは完全にエクレアのハイヤースペックとなる。
理由はどうあれ、エクレアは力で世界を支配するつもりだ。大事になる前に瞳栖を救出しなければならない。
噴水の端に座るリーノが空を見上げている。マデロムの前で感情をすべて吐き出した反動からか、無理な笑顔もなく、そうかといってしっかりした表情でもない。ときおり独り言を口にしては、普段通りのゆるい姿勢を保っていた。今まで嘘の笑顔で作ってきた心の器が空となり、どう振る舞ってよいのかわからない。もう何もかもどうでもいい。投げやりでだらしない、閉塞感が支配する世界にいるのだ。
華生はそんなリーノを不憫に思った。シチューを作ってあげたとしても、今のリーノには味すら分からない。心は味覚を作るものなのだから。そう理解している。
噴水広場のベンチ。そこに想夜と叶子が腰をおろして話をしている。内容は成瀬氏の件である。
「そう……」
成瀬氏が見つからなかったことを告げられた想夜は、ションボリと肩を落とした。
「調べられるだけ調べたのだけれど……ごめんなさいね」
想夜がゆっくり首をふる。
「ううん、叶ちゃんが謝ることじゃないよ。それよりも手伝ってくれてありがと」
そうやって感謝いっぱいの気持ちで皆に笑顔を作った。
そんな時、突如リーノの目に宙を舞う何かが映った。
「あ、鳩だ……」
ポツリ。リーノが呟いた。
全員が空を見上げると、羽ばたく鳩がこちらに向かって下りてきては、リーノが差し出した腕にとまった。
「どうしたの? お腹すいちゃったの? お菓子食べる?」
リーノが鳩に問いかける。
「リーノ殿、その鳩を知っているのか?」
朱鷺が訪ねると、リーノは鳩をあやしながら力のない笑顔で答えた。
「うん、友達。いつもリーノの所にきてくれるの。そうよね?」
鳩はあっちを向いたりそっちを向いたり。とても言葉を理解してるとは思えない態度だ。
今度は狐姫がリーノに訪ねる。
「その鳩、なんて名前なんだ?」
「どん兵衛」
「あ、ふーん。センスは想夜の脳みそと瓜二つな、おまえ」
想夜が頬を染めながら体をクネクネさせ、狐姫に近づいてきた。
「やだなあ狐姫ちゃん、褒めても何もでないんだからねっ。はい、アメあげる!」
「……そうか、あんがとよ。 ……なんで嬉しそうなの?」
差し出されたアメを遠慮なく受け取った。
ふと、想夜の視線が鳩の足にいく。
「――リーノちゃん、鳩の足に何か結ってあるよ?」
「ほえ? ホントだ、なんだろ? この紙……」
想夜が指摘すると、リーノは鳩の足にくくりつけられてる紙をほどいてみる。
『甘味処 人生そんなに甘くない』
――そう書かれてある。
「箸ぶくろ? 深い店名ね……」
御殿が苦笑すると、朱鷺がそれを摘まみ上げた。
「ん? このあいだ立ち寄った店のものではないか」
そうして瞳栖にどら焼きをねだられた事を思い出すのだ。
「――京極殿」
「どうした? 叢雲朱鷺」
振り向く麗蘭に朱鷺が箸ぶくろを見せた。
「埴村殿がここにいるのは確かだ。この箸ぶくろは、先日あの女と一緒にいた店のもの」
麗蘭が腕を組んで考える。
「ふむ。やはり瞳栖が箸ぶくろをくくり付けたのだろう。ひょっとして、その鳩が瞳栖の所まで案内してくれるのか?」
問う麗蘭にリーノが答える。
「ムダだと思う。だってこの子、黒い巨塔から来たんでしょ?」
リーノに言われ、一同はマデロムの言葉を思い出した。
『黒い巨塔へ続く道は、別の次元にある――』
想夜が鳩をあやしながら言う。
「黒い巨塔から来たってことは、この鳩も次元をまたいで来たってことですよね? どん兵衛、京極隊長のハイヤースペックと同じ能力を持っているのね」
朱鷺が眉をひそめた。
「同じハイヤースペックだと?」
問われた麗蘭は一瞬だけ言葉を飲み込むも、やはり答えるべきなのだろうと諦めて口を開いた。
「ああ。私のハイヤースペックはエレメント・ナイト。妖精を具現化する事ができ、異なる次元にも飛ばすことができる。使い方しだいで戦闘を大きく有利にできる能力だ」
「なぜ使わない? それを使えば戦闘が有利になるのだろう?」
と、朱鷺がさらっと聞いてみる。ホテルの喫茶店で気になっていたことだ。
「まだ、その必要はない」
だが麗蘭ははぐらかし、頑なに口を閉ざした。
「ほお。能力を使わない理由は、その馬鹿でかいケースと関係ありそうだが――」
朱鷺がジュラルミンケースに目をやると、皆もケースに視線を送った。
叶子がケースを指摘する。
「私も気にはなっていたのだけれど、ケースの中身は何? 人が入れそうな大きさよね。けど旅行用の衣類にしては大きすぎないかしら?」
「これは……、部下たちへの大切な手土産だ」
麗蘭は少々困惑するも言葉を濁した。
(京極隊長、どうしてワイズナーを出さないんだろう?)
想夜のまっすぐな視線を受けた麗蘭は、とっさにジュラルミンケースを後ろに隠す。
ケースの中に武器が入っていることは明白だった。だが想夜は、それ以上の追求はしなかった。
朱鷺が難しそうな顔をしながら顎に手を添える。
(箸ぶくろか。策がないわけではないが……)
チラリ。御殿に視線を送る。顔色のすぐれない彼女を確認後、ふたたび考える。
(ここで戦力を削ることになろうとは……、だが先に進むためだ。彼女には涙をのんでもらおうか)
意を決して口を開いた。
「なにも手がない以上、この箸ぶくろの記録を探るしかない」
朱鷺が箸ぶくろを御殿に差し出した。
「咲羅真どの、お願いできるか?」
御殿のハイヤースペック・レゾナンスには心身の融合だけではなく、物体の情報を読み取るサイコメトリー機能も備わっている。
「箸ぶくろが有する情報を読み取って欲しい」
御殿の体調を察しているので心苦しいが、無理にでも先に進まなければならない。
想夜が血相を変えて朱鷺に訴えた。
「御殿センパイは体調が悪いんですよ!? 無理させた――」
「わかっている!」
朱鷺が強い口調で想夜の言葉をさえぎった。
「朱鷺さん……」
想夜はビクリと肩を震わせたあと口をつぐんでしまう。それをなだめるよう、朱鷺が言いなおす。
「わかっているさ。いま八卦の力を使えば、咲羅真どのは戦う力どころか歩くことさえ困難になる。戦力外となる。拙者も八卦のひとりだ、そのくらいのことは分かっているさ。だからここに置いてゆく。拙者も護衛として、ここに残る」
貴重な戦力をつぶし、自分はその護衛につく。朱鷺はその道を選んだ。
「天上人にたどり着く前に、いきなり2人分の戦力を失うのかよ」
狐姫だって先の戦闘で体力を消耗している。エクレアのもとまでたどり着けないかも知れない。頂上に到達するころ、いったいどれだけの人数が残っているのだろう。それを考えては己の力のなさに落胆するのだ。
されど御殿は決心する。
「わかったわ」
箸ぶくろを手にした御殿は身を引き締めるような瞳を作った。先日から身体の動きにキレがないのは分かっている。どのみち役立たずということも分かっている。
「どこまで情報を読めるか分からないけれど――」
これは博打だ。読んだところで何を得られるかわからない。けれども何もしなければ前に進まない。そこでじっとしていても、解決には近づけないのだ。
御殿は袖をまくり上げると、腕を真横に振りかざした。
「アロウサル――」
八卦を解放した瞬間、ひどい頭痛と吐き気に襲われ体を傾ける。それでも深呼吸して意識をととのえ、やっとのことで詠唱にこぎつけた。
「ハイヤースペック・レゾナンス――」
瞳栖の歩いてきた道のりを読む作業――箸ぶくろに記された、記憶を探る旅がはじまる。
瞳栖のきもち
ここは妖精界。ずいぶん歩いた気がする。
ピコット村にたどり着いたのはいいのだけれど、ひとあし遅かった。
村人たちは無残に殺され、村中、血と糞尿の匂いが充満していた。
「なんてひどいことを……」
目も当てられない光景――。
生き残った者たちは私の能力で村の外へと逃がした。ひとりの職人を除いて。村人を先導しているさなか、エクレアと2人の使徒の邪魔が入ったのだから、助けたくともそれはできなかった。
「彼はどうなったのかしら?」
無事でいてくれることを願う。
見上げると、遠くの空からフェアリーフォースがやってきた。
「
ひとりは栗色の髪を2本に結っており、もうひとりは10代前半のギザギザヘア。
血液独特の鉄のにおい。鼻がまがるような悪臭が充満している村。栗色の髪の女もそれを証明するよう鼻を曲げていた。
「酷い臭いだな。いったい何が起こったというんだ?」
顔をそむけて周囲を見渡す。鋭い目を終始、あらゆる場所に向けている忙しなさ。軍人として相当の実践経験を積んでいるようだ。
「京極隊長、こっちです」
あどけなさが残る顔。ギザギザヘアが発する声には力強いものがあり、活発な性格が読み取れた。京極と呼ばれる女の部下だろう。こんな子供まで軍人として使う政府。それを間違っているとは思わないの? それをフェアリーフォースに問いたい。
私は手を胸に添えると、真横に振りかざした。
「ハイヤースペック・ディメンション・エクスプローラー」
能力を発動させ、次元の狭間に溶け込んだ。こうしていれば2人には私の姿が見えないはず。
2人の隊員は家屋に入ると何かを調べ始めた。
時折、家の中から会話が聞こえる。
数分後に悲鳴が聞こえたかと思うと、部下が飛び出してきては草むらで吐き散らかした。
「見てしまったのね……」
可愛そうに。まだ子供だというのに、こんな役回りまでこなしているなんて。
京極が部下の背中をさすりながら懸命に介抱している。強靭な男のように先陣を走り、女神のようなおおらかさを兼ね備えた彼女に、私は視線を奪われた。
この
「少しのあいだ、あなたの中にいさせて――」
私はふたたび八卦の力を用いて、彼女の体に入り込んだ。こういうのを憑依と呼ぶのだろうか。まるで悪魔ね。
なんにせよ、私と彼女は一心同体となった。
調査を終えた京極は、本土にあるフェアリーフォースに帰還した。
私もそうやって村を脱出し、エクレアの手から逃げのびることに成功する。
思えば、私が奪われたのは視線だけではなかった。あれからずっと、彼女のことを考えているんですもの。
そして、もうひとつ気がかりがある。
村に駆けつけたフェアリーフォースが現場を調査したようだが、なぜあんなに早く撤収してきたのだろう? たった数分で調査が終わる惨状ではなかったはずだ。あたり一面にぶちまけられた臓物を見れば、誰しもそう思うはず。
それが不思議でならない――
フェアリーフォース本部に入った私は、彼女の名前を知る。
「京極麗蘭――素敵な名前ね」
私は麗蘭の体からいったん離れ、本部内を探索した。そこでは思いもしない出来事が待ち受けていた。
白装束のご登場――間違いなくエクレアだった。
「エクレア・マキアート、どうしてフェアリーフォースに!?」
死刑執行人との再会。信じられない光景を前に、私はたじろぐ。
なぜ驚いたかって? 彼女はディメンション・エクスプローラーを奪った張本人。いわば私の半身。同じ能力を持つゆえ、次元の狭間に溶け込んでいる私を認識できる。それだけではない。エクレアの聴覚はアンテナ受信のように鋭くて高性能だ。誰かが私の名を口にすれば、すぐさま周波数をキャッチできる感度が備わっている。
「エクレアが私の存在に気づくのも時間の問題ね」
私はひとまず地下のプリズンルームに身を隠した。
ひとつの牢獄の中に身を寄せる――。
牢の外側には床がなく、脱出できる構造ではない。いつでも飛べる存在がうらやましい。
「すこし窮屈だけれど、贅沢は言えないわね」
脱出したいけれど、ディメンション・エクスプローラーはエクレアの手により不完全な能力になり果てた。次元の扉を開いて霊界を移動するには限度がある。誰かに憑依できれば話は別だが、それには互いの波長が関係してくる。誰にでも憑依できるわけではない。
隣の部屋には初老の妖精がひとり、ピコット村で連行された生き残りの職人。容疑者として連行されたらしい。
(牢の中で再会するだなんて。お互い不憫ね)
政府の強引なやりくちに肩をすくめた。
遠くから人の気配がする――。
「誰か来たようね」
気配のほうに目をやると、羽を広げた麗蘭が飛んでくる。
「きっと隣の職人の取り調べね」
これには困った。取り調べはかなりの時間がかかる。その間に私がエクレアに見つかってしまう。
私は隣の職人と立場をすり替え、麗蘭との接触を試みる。
「――となれば、いったん彼の存在を隠して麗蘭の視線を私に向けさせなければならないわね」
なけなしの力を使って、ほんの数分だけ職人の体を別の次元に移す。転送先は限られている。彼と深く関わりのある世界だ。
転送後、麗蘭がここに到着するのと同時に体に触れて憑依。それが終わると、すぐさま彼をここに連れもどした。
そうやって麗蘭との接触に成功し、彼女のなかで私との会話が始まった。
職人から見れば、誰もいない牢屋に向かって話をする麗蘭の姿は、さぞ滑稽に見えるだろう。だが、私と麗蘭の会話は心のなかで進んでいる。他に方法がない。時間は有限。
こんなことが出来るのも、そろそろ限界ね――体がだるい。エクレアに能力の半分を奪われた身。できる事が徐々に減っていた。
取り調べ室に2人きり。
埴村瞳栖という名。あるいはエクレアの名を口にすれば、天上人に私の居場所がバレる。体内のやりとりとはいえ、体からにじみ出す波はごまかせない。思ったことが体のそとに溢れ、その者の造形を作りだしているのは事実だ。
思考は波となりて具現化する。
想いとは、それだけ力を持った能力なのだ。
物理世界と霊界は深く結ばれており、そこを自在に移動できる存在にも気づいてもらいたい。とうぜん、それを口にすればエクレアが嗅ぎつけてくるだろう。
「なにかよい伝達方法はないかしら?」
思いついたのが『どら焼きとシベリア』。ボキャブラリーが限られるとこのザマである。我ながら残念キャラ。
甘いもの2つ。それだけで
麗蘭との話は楽しかった。いじり甲斐もあるし。また彼女から尋問されるのも悪くない。
その数時間後――。
何者かが仕組んだブリズンルームの爆発。作業に追われる隊員たちの目をあざむき、私は麗蘭の中から抜け出してひとり人間界へとやってきた。エクレアがこちらに向かっているとの情報を守衛から盗み聞いたからである。
エクレアは脅威だ。野放しにはできない――。
人間界――。
天上人の目を盗んでの移動は骨が折れる。ひとこと私の名を口にすれば、エクレアはすぐさま駆けつけてくるでしょう。
警戒しながら人間界をさまようが、エクレアの姿はどこにもない。一刻もはやくエクレアを探しだして排除しなければならない。
首からさげたネックレスを取り、飾りの水晶を見つめる。
ここに来るまでに手に入れた『天』を司る八卦のデータ。それがここにある。
「エクレアはこれさえも手に入れようとしている……」
地の八卦が天の八卦のデータを所有しているもんだから、エクレアからしたら鴨が葱を背負って来たようなもの。執拗に私を狙う理由はそこにある。
誰もが八卦の力を欲しがっている。それがあれば世界を牛耳ることができると思い込んでいる。
けれども、そんなうまい話はない。なぜなら膨大な力は不幸をまねくトリガー。力を持つ者には重い責任がともない、引けば地獄を垣間見る。
力を持つ者――汝、責の重みを理解しているか?
聖色市――。
丘の上にやってきた。
この街はとてもきれい。見わたす景色いっぱいに建物が、緑が、人々が見える。
そこへ妖精反応。発動ポイントは大きな屋敷からだ。
「変わった波ね。この力は一体……?」
妖精が用いるハイヤースペックとは異なる藍色の力。それを見つけた。
しばらくして麗蘭がそこから出てくるではないか。背中にはリボンで髪を結った小さな軍人。この街のエーテルバランサーだ。
妖精界は平和とは無縁。小さな子まで戦いに駆り出されているのだから。
リボンの少女を背負った麗蘭は、屋敷から少し離れた寮の中へと消えていった。
――翌日。
同じ丘に来てみると、寮から麗蘭が出てきた。
街中を行ったり来たり、忙しなく徒歩で移動している。
「何をしているのかしら? 探し物?」
彼女が私を探しているだなんて思いもよらず。自分の鈍感さに反省するばかり。けれども、今のフェアリーフォースはエクレアの手中にある。逃げなきゃ捕まる。捕まれば、殺される。
だというのに、私は足を動かすことなく、ただ丘で麗蘭を待ち続けた。
つかまえて欲しかった。
願いが通じたのか、麗蘭は息を切らして丘の上まで来てくれた。
――嬉しかった。
こうして、再会できることを心から女神に感謝します。
たとえこの先に、偽りの天使が待っていようとも――。
削られける戦力
「う……」
御殿は箸ぶくろのリーディングを終えると、その場にひざまずいた。
まぶたを閉じるとコーヒーカップに振り回されている感覚に襲われ、その場で目を白黒させて軽い嗚咽を上げる。
「御殿センパイ!」
「おい御殿、平気か!?」
仲間に支えられながら、ベンチに腰をおろす御殿。深く息を吸い、ゆっくりと吐き出す。言葉を発するまでに少し時間を有した。
「――大丈夫、と言いたいところだけれど、思った以上に体に負荷がかかったみたい」
体調不良ともなれば八卦の力は猛毒だ。八卦は無敵の戦士ではない。無理に発動すればこのような事態をまねくのだと理解する。
「ごめんなさい、これが……、限界、みたい」
顔面蒼白。大げさなほどにグッタリとして、全身から力が抜けている。
「わたしのことより瞳栖さんのことだけど……」
そう言って箸ぶくろを麗蘭にわたすと、皆に瞳栖のことを話した――。
「――なるほど、そんな経緯があったのか」
御殿の話を聞いた麗蘭は、難しそうな顔をしている。
「ええ、すべての情報をリーディングできるわけではないの。ごめんなさいね」
「謝る事はない。感謝するよ、咲羅真御殿」
不明瞭な部分や瞳栖のプライベートに関することは話さなかった。それでも箸ぶくろから読み取った情報量は満足いくものだ。
御殿が塔の真下を指さす。
「塔はレンガの形をした特殊素材が積まれて建てられている。その表面をエーテルフィールドでコーティングしているみたいね」
「エーテルフィールド?」
朱鷺が質問すると、想夜がそれに答えた。
「シャボン玉の表面のような色で、体をつつむ柔らかいバリアです。このまえ日本に上陸した暴撃妖精ダフロマがそれをまとってました」
「つまり壁を破壊して侵入することは不可能ということか?」
御殿がうなずいた。
「ええ。塔のまわりにも高い石壁が積まれていて、それが邪魔して先には進めない」
「どうするよー? 打つ手なしー?」
狐姫が難しい顔をすると、御殿がふたたび塔を指さした。
「手はある。塔の右手を見て」
一同が塔の右手に目を向けると、壁の一角に放送受信に失敗した時のようなノイズが施されていた。
「あの一面だけ色が違うでしょう? どうやら瞳栖さんが塔の中から通路をつないでいるみたいなの」
「瞳栖が?」
麗蘭が目を丸くする。
「ええ。塔に入る瞬間にこちらと
「バックドア? よくエクレアにバレなかったわね」
叶子が関心する。
「タイマーをセットしたらしいの。通路は開いたばかり。けれど能力は継続しないから10分後には閉じる。塔の外壁から霊界に入り、塔までの距離を走り抜けたところで人間界に戻ると塔内に侵入できるわ」
それを聞いた水角が険しい表情をつくった。
「霊界は安全な場所なの? ボクは死者が向かう世界だと思ってるんだけど。そもそも生身の肉体で行ける場所なの?」
御殿が首をふった。
「何もわからない。しかも外壁にたどり着くまでには林を抜けなければならないし、塔周辺では暴魔が群れをなしている。ただ言えることは、霊界には傀儡街と呼ばれる場所があるということだけ。霊界で下手に動き回ると危険度が大幅に増すかも。なんにせよ、実際にその目で確かめるしかない」
叶子がネイキッドブレイドを手にする。
「そうと決まれば行くしかないわね。時間がないわ、急ぎましょう。御殿はここに残って。朱鷺さん、御殿をお願いね」
「御意だ」
朱鷺が絶念刀に手をかけた。
そこへ水角が一歩出る。
「ボ、ボクもお姉ちゃんを守るよ」
「水角……」
御殿と水角。けんか中だけど、やっぱり相手のことが心配。
「お姉ちゃん、堅いところがあるけど、やっぱり放っておけないもん」
チラリと姉の表情をうかがう弟。
御殿は力なくニッコリ笑うと、水角の頭をそっと抱きしめた。
「ありがとう水角、お姉ちゃん嬉しいわ」
「えへへ……」
無事に仲なおり――と思いきや、
「水角、大好きよ……」
「お、お姉ちゃん!?」
むぎゅううう~!
御殿。嬉しさのあまり水角にまわした腕にありったけの力を込める。
「んんんー!?」
もがく水角がふくよかな胸に飲まれてゆく。しばらくして、水中から上がってきたかのように顔をあげて大きく息を吸い込んだ。
「ぷはっ。お姉ちゃん、苦しい。息できないよ……」
「ガマンなさい。お姉ちゃん今グッタリなの。ミズノニウムをお姉ちゃんにわけてちょうだい」
「意味がわからないよっ」
「黙ってお姉ちゃんを癒しなさい」
「そういうところを直して欲し……むぐぅ!?」
むぎゅうううう~。
御殿は体よりもメンタルが致命傷なのだと理解する一同だった。
華生がリーノと向かい合う。
「リーノ、あなたはここに残ってもいいのよ?」
それを聞いたリーノ、少し上を向いて考える。
「うーん、リーノここにいても意味なさそうだし、上空での戦闘だったら羽を持ってる方が有利でしょ? 一緒にいくよ」
リーノも立派なフェアリーフォースの隊員だ。飛行訓練だってこなしてきた。
「そう。無理はしないでね」
「かしこまリーノ」
白い歯を見せて敬礼する。力なき笑顔は真か偽か。それをリーノに問うのは酷というもの。
叶子と華生が身をかがめて走り出す。
「麗蘭さん、私と華生が塔の中まで先導するわ。あなたたちは最上階を目指してちょうだい」
「わかった。急ごう」
叶子と華生が走り出すと、その後を麗蘭、想夜、狐姫、リーノが続いた。
探し人
叶子の先導のもと、麗蘭たちは暴魔が群れをなす林の中を走り続け、ようやく塔の手前までたどり着いた。御殿の言うように暴魔の群れは塔周辺を囲んでおり、叶子と華生がそれらを一網打尽にするのに、かなりの体力を消耗してしまった。
傷だらけの叶子と華生が走りつづける。
「見えてきたわ! あれが入口ね」
塔の右手。そこだけが変色しており、灰色と虹色が混ざったペンキがベットリと塗られたかのよう。さらに近づくと、その場所が霊界への入り口だと確認できた。
「このまま突っ切りましょう!」
叶子が叫ぶと、麗蘭が後ろに声を発する。
「雪車町、高瀬! 戦闘準備! これより傀儡街に侵入する! ワイズナーを武装しろ!」
「イエスマム!」
「かしこまリーノ!」
麗蘭の支持のもと、想夜は緊迫した声を発し、走りながら背中のワイズナーを引き抜いた。
リーノはちょっと能天気、緊張感とは無縁。間の抜けた声でワイズナーを手にした。
霊界への入り口は、人ひとりがくぐり抜けられるほどの大きさだ。そこへ叶子が飛び込み、一同もそれに続く。
6人の体が次元の狭間に飲まれ、人間界から姿を消した。
◆
霊界に侵入した一行は、巨大な荷物が陳列する場所にたどり着いた。ビニールにつつまれた四角い箱が等間隔にならんだ広い空間。巨大な倉庫のようだ。
「ふう、思ったより多かったわね」
ネイキッドブレイドにこびりついた暴魔の血をはらう叶子。塔の手前の林からここまで、わき目も振らずに走ってきた。特攻隊長として申し分ない働きだった。何百体という群れを斬ってきたのだから、食らった攻撃もハンパない。
「旅行のために新調したお洋服が台無しだわ、またお父様に叱られるわね」
放任主義の父親だけど、近ごろの叶子のおてんばには、少々頭を抱えているご様子。
叶子はスカートの裾をまくり上げ、太ももにこびりついた血を拭った。
「お嬢様、傷のお手当を」
華生がすぐさま処置を施す。
「ありがとう華生、お願いするわね」
◆
負傷した箇所の手当が終わると、叶子はあたりを見わたした。
「ここが霊界? 私には熱帯雨林の倉庫に見えるけど? それもかなり品薄」
霊界という先入観からか、ご先祖が迎えにきて天国に連れてってくれるイメージを持っていた。ひょっとしたら祖父の鈴道とも会えるも知れないと、なかば期待もあった。けれど現実を目にしたら拍子抜けである。
そこへ突然、奥から男の声が響いてきた。
「――驚いた。こんなところに客人が入ってくるとは……」
麗蘭たちはいっせいに構えをとり、声の方向に目を向けた。
目を凝らし、よおく暗闇を見てみると、そこには――
「……ん? あなたは!?」
おどろく麗蘭。初老の男には見覚えがあった。
「京極隊長、お知り合いですか?」
想夜が訪ねると、麗蘭が言葉をにごす。
「いや、知り合いではないが、先日プリズンルームにいた……」
初老の男はまぎれもなく牢獄にいた人物。瞳栖の隣部屋に投獄されていたピコット村の職人だった。
「まいったよ、足をくじいてしまってね。思うように歩けない」
そう言って、負傷した足を引きずりながら近づいてきた。
麗蘭が男に詰めよる。
「やっと見つけたぞ。先日プリズンルームから逃亡したな? どうしてこんな所に隠れていたのだ?」
そう問われると、男は不満そうなツラを返した。
「どうしてって言われても、妖精界は本来いるべき場所ではない。私はもともと人間だからな」
「なん、だと……!?」
一同絶句。
麗蘭の顔から血の気が引き、茫然と立ち尽くす。
「では聞くが、あなたはピコット村の職人ではなかったのか?」
男はゆっくりと首を振った。
「いいや。私は昔、人間界でエンジニアをしていた者だ。ハッピータウンの建設中、大規模な火災に巻き込まれた。気づいたら妖精たちの世界にいたもんだから、頭がおかしくなったかと思ったさ。おまけに帰りたくても帰れやしねえ」
リーノが初老に近づく。
「おじさん、妖精界の食料を食べちゃったのね?」
「ああ、そうしなければ生き残れなかった。背に腹は代えられない。飢え死にするよりましさ」
「妖精界の食べ物を口にするとどうなるの?」
と、叶子がリーノに聞いてみる。
「んーとね、人間が妖精界の食料を口にするとね、人間界に戻れなくなっちゃうの。帰界の際、フェアリーリングで弾かれちゃうの」
「ふうん。けれど二度と人間界に戻れないわけでもなさそうね。現状だと、こちらのかたはディメンション・エクスプローラーで幾世界の行き来が証明できてるんだし」
悲しいかな、知らぬ間に人体実験させられた初老のモルモットさよ。
想夜がオドオドしながら初老の前に出た。
「あ、あの、ひょっとして、あなた……成瀬さん!?」
想夜の言葉に皆が驚いた。
初老の男、こんどは首を縦に振る。
「ああ、そうだ。私が成瀬だ。どうして私の名を?」
探し人、ついに発見――想夜は少しだけホッとした。
「成瀬さん、実は――」
成瀬夫人の出会いから、これまでのことを打ちあけようとした、その時だ。
ガシャアアアン!
鼓膜をつんざくような音が壁の向こうから響いてきた。
一同、ビクンと肩をふるわせ武器を構える。
「なんだ、今の音は!?」
麗蘭の言葉に成瀬が叫ぶ。
「いかん、ヤツらが来る! 早くここから逃げなくては!」
「ヤツら? それは誰のことだ!?」
「偵察機だ、傀儡街を巡回している。それは弊社で作られた。設計したのは我々のチーム。型番は『ORUSUBAN -5963』。少数だが装甲が頑丈だ。見つかったら容赦なく襲ってくるぞ、気をつけろ」
「やっぱここが傀儡街なのか。てか、お留守番ごくろうさん? どんなネームセンス?」
狐姫が首をかしげる。よく御殿に言われる言葉。
麗蘭が逃げようとする成瀬を引きとめた。
「なぜ偵察機が我々を襲ってくる?」
「人間が不要だからだ。ロボットたちは長年のデータをもとに、人間を地球を蝕む害虫と認定した。人間と同じ行動をとる妖精も例外ではない」
と成瀬が激しい口調、それでいて暗い表情で答えた。制作した自分らのおこないに罪悪を感じているのだ。
麗蘭は小声で成瀬と会話をしながら、想夜とリーノにハンドサインを送った。
サインを受けた2人は親指を立てると身をかがめて前進し、各自配置につく。息を殺し、壁にはりつき、すばやく状況を確認。
(雪車町、クリア)
(リーノもクリアなの)
想夜とリーノ。まだ敵が迫っていないと分かると、ふたたび麗蘭に向けて親指を立てた。
麗蘭も瞬時に状況を確認する。安全に見えるこの場所も、いずれ戦場になると予測できた。
麗蘭が険しい顔で成瀬に話しかける。
「なぜそのような危険な兵器が霊界をうろついている?」
「もとはハッピータウンを警備するサイボーグだったが、先の災害で体ごと霊界 に飛ばされてきたらしい。お留守番は人工知能を備えている。性能が上がるにつれて会話のボキャブラリーが増してゆき、しだいに自我が芽生え、独自の感情を抱くようになった。そこへ何者かがクラッキングをしかけて思考を奪った。その作業は非常に短時間で行われた。なぜなら人間に近づくにつれて心にも脆弱性が増えるものだから。そこをクラッカーにつけこまれた」
悪いハッカーをクラッカーという。
人間の心理を把握している者にとっては、洗脳などたやすい。ロボットにも同じことが言えると成瀬は語る。
「ロボットが人間と同じだというのか? まるで魂を持っているようじゃないか」
「無論だ。魂の学問は私の専門ではないが、人工知能だって人間と同様に不完全なもの。それでいて突拍子もない行動に出るものだ、甘く見ない方がいい。それに我々だって人工知能かもしれないのだから」
「私たちが自分たちのことを人間や妖精と勘違いしているロボットということか。想像しただけでも震え上がるよ」
「もっともだ。だが、それを証明するすべなど、科学が発達した今になっても存在しない」
麗蘭と成瀬のやり取りを聞いた想夜。ふと脳裏に成瀬夫人の言葉がよみがえる。
『――ロボットを供養したのよ』
(ロボットにだって魂がある――)
想夜はそんな議論に直面している。
成瀬が話を続ける。
「霊界 は魂の世界。ここで確定した数値が人間界、つまり物理界に反映される。どういう原理かは知らんが、我々は生身のまま霊界に入っている。お留守番の制御コードを奪い返そうと頑張ってはみたんだが……間に合わなかったか」
成瀬は近づいてくる足音を聞きながら落胆した。
「制御コードを奪う方法とは?」
麗蘭の質問に成瀬が答える。
「人間界のハッピータウンにあるコントロールルームに制御端末がある。霊界 にも同じものが存在するが、セキュリティが鉄壁で侵入できそうもない。だが人間界からコントロールサーバーにハッキングをかければ、お留守番の制御ていどなら奪える。人間界で確定したことも霊界に影響をおよぼすんだ」
麗蘭がディメンション・エクスプローラーの扉を睨む。
「もう空間が閉じる。 ……よし!」
麗蘭は成瀬の腕をつかむと、叶子と華生に引きわたした。
「すまない愛宮叶子。成瀬氏を人間界まで送りとどけてくれ」
「わかったわ、急ぎましょう華生!」
「かしこまりました、お嬢様」
叶子と華生は成瀬の肩を抱きかかえ、来た道を引き返していった。
◆
叶子と華生が去り、戦力はさらに削られた。
残されたのは麗蘭、想夜、狐姫、リーノの4人。しかも想夜はマデロムとの戦闘で負傷している。戦力としては頼りない。狐姫にしても先の暴魔との戦闘で負傷している。天上人との対決までは持たない。
麗蘭がリーノの肩に手をかけた。
「すまんな高瀬。うちのチームではない君まで巻き込んでしまって」
するとリーノ。目を静かに閉じて首をふった。
「ううん、いーの。いま、妖精界が大変なんでしょ? リーノの役目が、叶子封じのカードだけじゃないって証明してあげるの」
「そうか……、頼んだぞ」
「かしこまリーノ!」
白い歯を見せ、まんべんの笑顔を麗蘭におくる。
戦力は多いほうがいいとマデロムが置いていったリーノの貴重さ。それが身に染みる麗蘭。隊長として、ここからが腕の見せ所だ。ジェラルミンケースを手にし、倉庫の出口で足を止める。
「さて、我々はガラクタのお守りといこうか――」
自動ドアが左右に開き、4人が足を踏み出す時だった。
「待て」
狐姫は右腕で他の3人を制止すると、ひとり前に出る。
「例のサイボーグが壁の向こうまで来ている。ドアを抜けたら対面する距離だ」
「ほお、思った以上に素早いようだな」
麗蘭、想夜、リーノが互いの顔を見合わせ、アイコンタクトで狐姫にすべてを任せることにした。
「焔衣狐姫、ひとりで大丈夫か?」
麗蘭に問われた狐姫が自分の胸を拳で叩いてみせた。
「まかせとけって。てか俺、体力的に天上人んとこまで付き合ってやれそうにない。ここで留守番ロボットを引き付けるから、おまえらは先を急げ」
麗蘭は少し考える素振りを見せると、力強くうなずいた。
「わかった。ここは頼む」
麗蘭が想夜とリーノに声をかける。
「焔衣狐姫が敵を引き付けてる間に強行突破する。留守番には構うな!」
「イエスマム!」
「かしこまリーノ!」
真剣なまなざしで答える想夜。楽天的でリズミカルに答えるリーノ。態度が正反対にみえても息はピッタリ。
「成瀬さん、頑丈って言ってたな」
狐姫は成瀬の言葉を思い出すと懐に手を入れ、ヌンチャクを取り出した。
ヒュンヒュンヒュン、パシ!
生贄としての儀式。ヌンチャクを振り回して風を切り、フィニッシュで脇に挟み込む。特殊素材で作られたヌンチャクは鉄よりも固い。脳天に叩き込めば頭蓋骨を簡単にへこませられる。むろん、敵の装甲が戦車並みでなければの話だが。
「今日からサクリファイス狐姫ちゃんて呼んでくれ」
狐姫は右手に装備したヌンチャクを脇に挟んだまま、尻尾を揺らしてステップを踏む。そうやって半身に構え、ドアの向こうの傀儡街へと侵入していった。


