8 人の姿をした悪魔


 想夜は男を見た途端、筋肉が瞬間冷凍されたように固まった。背筋に走る冷たい感覚。冷たいというよりは凍り付いたと表現したほうが近い。
(え? なにこの反応。今まで感じたことない……き、気持ちが悪い)
 黒くて粘り気のある何かに体を包まれているような不快な気分。皮膚を少しずつ少しずつ剥ぎ取られてゆくような恐怖。
 馬車から降りてきた男を春夏は知っていた。
(この人、たしかレストランでステーキ食べてた柏木っていう人だ)
 怯えるように上目づかいで柏木を見上げる春夏。やはりこの男は苦手だ。耳も尻尾もシュンと下がり、怖気おじけづいていた。
 子供たちもただボ~ッと長身の男を見上げていた。
 春夏へ近づいた狐姫がそっと耳打ちをする。
「おい春夏、この男を知ってるのか?」
「う、うん。実は――」
 レストランでの出来事を想夜と狐姫に話した。
 柏木はシルキーホームの前に立つと子供たちを数え始めた。
「ひいふうみい……うん、いいだろう。充分だ」
 続けて信じられないことを口にする。
「さっそくだがこのガキどもをもらってゆくぞ。取り掛かれ――」
 パチンと指を鳴らし、ウサギたちに支持を出すと、子供たちの体を持ち上げさらおうとするではないか。
「うわあ、何すんだよ、やめろおっ」
「はなしてー!」
 抱えられた子供たちが叫び出すと同時に、想夜の顔から血の気が引く。
「子供たちをどこに連れていこうというの!?」
 背中にワイズナーを召喚し、柄に手をかけた瞬間、後ろで大人しく見ていたウサギの着ぐるみ2体が同時に斬りつけてきた!
「邪魔スルナ、首、ネル!」
「邪魔スルナ、腹、斬ル!」
 想夜がワイズナーを片手でスイング!
「遅い!」
 スパアアアアン!
 プシャアアアア!
 想夜の斬撃のほうが0.1秒早かった。
 ワイズナーで耳を吹き飛ばされた着ぐるみが、あたり一面に墨汁をぶちまけた!
 着ぐるみではなく生身の暴魔だった。斬られた反動で後ろにぶっ倒れた。
「エライこっちゃエライこっちゃ!」
「おいたする子は首を落とすだぁよ!」
 立て続けに2匹のタキシードウサギが騒ぎ出し、手にしたシコ杖ミから剣を抜く。それを想夜めがけ、狂ったように突き出してきた。
「センボンセンボン、ハリセンボン!」
「センボン、セボン、セシボーン!」
「ボンボンボンボンうっさいな! 黙ってあたしにやられなさいよね!」
 カンカン、キキキキキキン! カカカ!
 太いワイズナーと鋭いシコミがぶつかり合い、何十、何百という金属音を奏でる。
 カカン! キキキン!
 双方、突いて突いて突きまくる! 想夜とタキシードの頬に一線の赤い筋が入り、瞬き一つで串刺しになることを証明していた。
 ドン! ドドドドン!
 突如、周辺で爆発音が連発し、狐姫が戦闘に加わった。
「なんだか知んねーけど消えろやカス!」
 着ぐるみ暴魔の体を掴むと、スイッチを入れたように爆発させた。
 ドオオオオオン!  ド派手な爆音を上げながら着ぐるみ暴魔があたりに吹き飛んだ。
「邪魔スルナ! 殺セェ! 殺セェ!」
「うるせー、すっこんでろや! 森の愉快な仲間たちがあ!」
 群がる暴魔たちを振り払っては、足元に蹴りを入れて体勢を崩し、バックナックルで弾き飛ばす!
 立て続けに狐姫にダウンさせられる暴魔たち。
 そこら中に横たわる残骸を振り付けながら、柏木がヌウッと前に出てきた。
「妖獣か。ふん、気に入らないな……消えろ――」
 柏木が右手を前にかざすと、その辺一帯がグニャリと歪んで黒い空間へと変わる。
 それにいち早く気付いた想夜。両手で狐姫を弾き飛ばした。
「狐姫ちゃん危ない!」
「をわ!?」
 ドオオオオオオン!
 つんのめり、駐車中の車のボンネットに弾き飛ばされた狐姫。その後に爆音。
「なななななんだあ!?」
 すぐさま振り返ると、想夜が柏木の攻撃によって吹っ飛んでいた。
「想夜!?」
 何度もバウンドしながら砂煙をまき散らし、コンクリートの分厚い壁を破壊しながら地面に叩きつけられて突っ伏した。
「うっ、ぐう……!」
 腕ではじかれる前の敵の動きを想夜は知っている。
 柏木の右手から発せられる力は人間のものではない。悪しき力で空間を汚染して物理計算に変更を加えたのである。そこに触れた者なら止まっているものでさえ簡単に吹き飛ばすことができる。
 結果、狐姫を庇うと同時に、柏木が作り出した黒い空間に触れた想夜が弾き飛ばされたのだ。
「ふん。フェアリーフォースか……ヌルいな」
 柏木は想夜を一瞥し、足元に転がる狐姫の首に手をかけた。
 グググ……。狐姫の体が持ちあがる
「は、はな、せ……」
 首を締め上げてくる柏木の腕を両手で掴んで逃れようとする狐姫。
(この男の強さ……尋常じゃねえ!)
 と、瞬時に悟った。
「狐姫ねえちゃん!」
 そこへ男の子が駆け付け、柏木と狐姫の間に割って入ると、震える足で地面を蹴った。
「く、食らえ、ボディーブロー!」
 ポス……。
 男の子の拳がスーツに触れた瞬間、柏木がギロリと見下してきた。
「ボディーブロー! ボディーブロー! ボディーブロー!」
 ポス、ポス、ポス……。
 何度も何度も、男の子はデタラメな拳を柏木の体に叩きつけたが、大人相手に意味はなかった。
「……邪魔だ、クソガキ」
 ガ!
 柏木は長い足で子供を蹴り飛ばし、腹の上に足を乗せてグリグリと捻じり込んで力を入れた。
「う、ぐう……痛い! 痛い、よお……」
「おいガキ。貴様も後で連れてゆく、それまで大人しくしていろ」
 悶え苦しむ男の子の表情を柏木は平然と見下し、その後はニヤニヤと笑っていた。
 お人形を抱えた女の子が声を張り上げる。
「そそそ、そんな悪いことしたらいけないんだから! と、朱鷺に言いつけちゃうんだから! 学校の先生にも言いつけてちゃうんだから!」
「ほお……」
 柏木はお人形を奪い取り、その辺に投げ捨てると、女の子の髪を鷲掴みにして持ち上げた。
「い、痛、い……」
 いとも容易く持ち上がる女の子。痛みで顔を歪めていた。
 それを吟味するよう、柏木が顔を近づけて睨みつけた。
「キサマもウマそうな臓物を持っているな。あとでじっくり遊んでやる。フハハハハハハッ」
 柏木は女の子を放り出して馬車に近づくと、扉に手をかけた。
 馬車の扉がゆっくりと開き、白いドレスを身にまとった婦人が下りてくる。
「足元にお気を付けください――」
Merciメルシー、思ったよりも時間がかかっているようだけど?」
 婦人は扇子で口を覆い、糸のように細い目を柏木に向け、ジトリと横目をやる。
「申し訳ございません。どうやらフェアリーランドの使いが紛れ込んでいたようで、少々手こずっております」
 婦人は柏木に差し出された日傘を手にすると、淑女のように静かな面持ちで、散乱する壁に近づいてきた。
 想夜は目の前の婦人を知っている。
(ババロア、フォンティーヌ!?)
 酔酔会がついに想夜たちの前に姿を現したのだ。
 ワイズナーが地面に転がっているのを目にすると、面白くなさそうに壁に空いた穴をくぐる。
「ふん、フェアリーフォースか。こんなところで油を売っていないでちゃんと仕事したらどうでしょう? 税 金 泥 棒」
 ズズイと想夜に顔を近づけてくるババロア。
 想夜は思わず仰け反り、たじろぎながらも挑戦的な目で見返した。
「おあいにくさま。あたしフェアリーフォースをクビになったんです」
 えっへん。と威張れることではないけれど、反論しなきゃやってられない。言われっぱなしじゃ女がすたるってもんだ。開き直ってヘラヘラする。
「もっとも? 武器の故障原因によっては自腹だし、時給710フェンリル。残業200時間超えに耐えられるんだったら紹介しますけどお?」
 自分で言ってて泣けてきた。
 それに対しババロアは感情を露にしなかった。ただただ冷たい視線を送り続けてくる。
「政府の糞犬が野垂れ死のうが知ったことではない。例えば人殺しが時効を迎えたとしましょう。その者の手にこびりついた血はおちるのでしょうか? ……否、時間が解決してくれるなどといった理想は人間が勝手に作り上げた常識。それらが適用しない空間も存在するのです。政府を追放されたからといって、お前の汚らわしさが帳消しになどできようか?」
 妖精界にも詳しいババロアのこと。フェアリーフォースが完全なる善ではないことなど、とっくに知っているはずだ。政府を辞めても罪なき妖精たちを苦しめた罰はぬぐえないと豪語してくる。
 想夜は目の前の婦人をキッと睨みつけ、転がっているワイズナーを手繰り寄せると、矛先をババロアに目掛けて構えた。
「たとえフェアリーフォースを追われた身だとしても、あなたに子供たちは渡さないんだから!」
「ここで死ぬことを選びますか、それもよいでしょう」
 ババロアは構えることなく口元を扇子で覆い隠し、もたげた首を上げる。
(相手は酔酔会。一筋縄ではいかないはず。となれば、今のあたしでは対抗する術が限られている)
 言わずもがな、藍鬼化は万能スペックではない。使いこなすのはずっと先の話。発動時間も極端に短い。酔酔会相手にダメージを与えられる保証もない。けれども、けれども……けれどもけれども!!
 今までの努力が意味の無いものだとしたら、心がチョコプレッツェルのようにポキリと折れてしまうのではないだろうか? それを想像するたび、頭のてっぺんから足のつま先まで駆け抜ける酸素がどんよりと雲って不安でいっぱいになる。
(ううん、諦めるのは早い!)
 想夜は不安を払い、ワイズナーを手前で横に倒し、藍鬼化をするために詠唱を開始した。
「藍ー鬼さーんこーちら……」
「うるさいですよ、フェアリーフォースをクビになった雌ブタ風情が……!」
 藍鬼化が発動するよりもずっと早くババロアが動く!
 ドスッ。
 想夜の腹に日傘がめりこみ、胃袋をダイレクトに直撃してきた。
 腹部で響く鈍い音――想夜は悲鳴一つあげることもできずにカッと目を見開き、両手で腹を抑えながら、前のめりに倒れた。
 ワンテンポおいて……
「う……うええええっ」
 地面に突っ伏し、顔をもたげる。鳩尾みぞおちへの攻撃がよほど効いたのか、想夜はその場で胃袋の中身を逆流させてしまう。眼球への圧力が急上昇し、瞳いっぱいに涙を浮かべた。
「う、ぐう……」
 吐瀉物としゃぶつを撒き散らしても尚、起き上がろうとする想夜。
「あらあら、もったいないではありませんか。せっかくの料理なのでしょう? 贅沢は敵、ちゃんと残さずにお食べなさいな……」
 そう言って想夜の後頭部を傘の先で押さえ込み、地面にグリグリと押し付けた。
「うっぐう……」
 想夜が汚れた顔を歪ませる。
「そうですかそうですか、ご自分の吐き出した物は汚いですか。では……綺麗に洗って差し上げましょう」
 ババロア想夜の襟首に傘を引っかけ、その辺の泥水に放り投げた。
 バシャアアア!
 想夜が頭から地べたにスライディングするように、派手に泥水を跳ね上げて地面に倒れる。
「うぐあっ!?」
 ババロアは容赦することなく、悲鳴をあげる想夜の頭を傘の先で押さえつけ、顔面を泥水に沈ませた。
「うぐっ……ガボッ……」
 泥まみれの顔を見せながら、想夜はイヤイヤと首を左右に振ってババロアの手から逃れようとするも、圧倒的な腕力の差を前に、何もできないでいた。
「吐いた料理で汚れたお顔、それを綺麗に洗って差し上げているのです。お礼が欲しいところです。ほらほら! ほらほらほらほら! 何とかお言いなさい!!」
 傘の先で想夜の顎を引き上げ、軽々と持ち上げた。
「う、ぐう……」
 高く高く、十字架に掲げられたキリストのように想夜の体が宙に浮く。顎下に傘先が食い込み、逃れることすらできないでいる。
「おイタする子は……こうです!」
 空地を囲むブロック塀に想夜を叩き付けると、小さな手のひら目掛けて傘を一突き!
 ズシュ!
「痛っ!」
 想夜の手を貫いた傘先がブロック塀にめり込み、蜘蛛の巣状の亀裂を描いた。
「まあ、まあまあまあ! 何ということでしょう? エーテルバランサーとあろう者が悲鳴を上げるだんて……だらしない」
 終始、柏木はニヤついていた。
 ババロアは想夜の手から傘を引き抜き、先端についた血を想夜の頬で拭った後、容赦なく首を締めあげ顔を近づけた。
「エーテルバランサーのお前に質問しよう。キリストは十字架に張り付けられた時、ひとつでも悲鳴を上げたと思うか?」
 ストンッ!
 今度は傘先を想夜の足元に垂直に落下させた。
「うっぐぅ!」
 想夜の右足に狙いを定め、ババロアの傘がローファーを貫く!
 と同時に靴底から血が溢れ出した。
「『うっぐぅ?』、そんな答えは聞いてない」
 続いて想夜の肩を一突き!
 ドス!
「ぐっうぅ……」
 そうやって小さな戦士を串刺しにしながら、壁に張り付けにしてゆく。
「まあ、キリストが悲鳴を上げたかどうかなんて、21世紀の今となっては知る者などおりませんけれどねえ」
 と、つまらなさそうにふるまい、まだ風穴の開いていない想夜の左手に傘先を引っかけ壁に固定した。
「無能なフェアリーフォースにクイズを出しましょう。私クイズだあ~い好きっ」
 ババロアが大して興味のないクイズごっこを始める。
「問題。キリストの誕生は……?」
「じゅ、12月……25、にち……?」
「うふふ……はぁずれ!」
 ドスッ!
「うぐっ」
 想夜は傘先で左手を貫かれ、痛みのあまり身をよじる。
「正解は、『不明』」
 ババロアの言う通り、キリストの正確な誕生日は分かっていない。
 日傘を想夜の左手から引き抜き、今度は膝に狙いを定める。
「続いての問題。これができなかったら1分後には右膝が使えなくなるわね。まあ大変! ……世界中でクリスマスによく食べられる肉は? 正確に答えなさい」
「……鶏肉?」
「ハズレ。答えは七面鳥」
 世界では七面鳥の肉が食べられている。日本では代用品としてチキンが食べられている。
「政府のクセに無知。無知、むち、ムチ、無恥! 鞭! ……鞭? そう、鞭!」
 想夜の膝を貫く瞬間、日傘がピタリと止まった。ババロアが何かをひらめいたようだ。
「そうよねえそうよねえ。無知には鞭! 騎射を喜捨した貴社の記者が汽車で帰社! 私ダジャレもだあ~ぃ好き!」
 両手で扇子を捻じり、黒くて大きいガムのようにこねると……あ~ら不思議。たちまち鞭に早変わり。
「悪い子は……こうです!」
 ビシイイイイッ!
 音速の勢いで想夜の体を打ち付けた。
「こう! こう! こうこうこうこう!」
 ビシ! ビシ! ビシ! ビシイイイィ!
 その場にくずれた想夜は、すでに虫の息。悲鳴すら上げる事ができない。
 それでも容赦なく鞭を振り上げてくる。
「悪い子! ダメな子! 汚い子!」
 ビシ! ビシ! ビシ!
 鞭で打たれ続ける想夜の体にミミズ腫れが出来上がる。肉が裂け、全身がバラバラになるまでババロアは鞭を振るい続けるつもりだ。
 そんなところへ飛び込んできたのは春夏だった。
「もうやめてください! 想夜ちゃん死んじゃう! お願いします! なんでもしますから!」
 ババロアの足元で土下座。泣き崩れる春夏の姿は、まるでボロ雑巾のようだ。
「まあ、なんて汚らしいのかしら。こんな娘に時間を費やしていただなんて……」
 ババロアは足元に転がる糞を見るようにさげすんだ。
「はい、汚いです。私、汚いです!」
 春夏の言葉。ババロアはそれを否定する。
「いいえ。貴方は綺麗です」
「私、汚いで……」
 ぐいっ。ババロアは春夏の髪の毛を掴んで引き上げた。
「私が黒と言ったら、白でも黒! 赤でも黒! 大人も子供も黒! 貴方は綺麗です! ほら! 言いなさい! あ! な! た! は! き! れ! い! で! す! ほら!」
「はい! 私、綺麗です!」
 春夏は泣き叫び、ババロアに合わせた。そうすることで事が丸く収まるなら、こんなに安いことはないではないか。
「いいえ。貴方は汚い雌ブタです」
「はい! 私メスブタです!」
「そうそういい子ねえ……ん? んん~!?」
 春夏の耳と尻尾が飾りではないと分かったババロア。春夏の顔を近づけ、冷たい声を投げかけた。
「強い妖精反応がしますね。あなた……何か隠しているでしょう?」
 ババロアに春夏が声を振り絞る。
「な、何も、隠してません。だから……想夜ちゃんに、手を上げないで下さい……お願いします」
「いいえ! あなた、ハイヤースペックを使おうとしたでしょう!?」
 ババロアは春夏の股に手を入れ、下着の上から小さな小山をまさぐった。
「ほお~らやっぱり! こんなはしたないモノなんか生やして……はしたないったらありゃしない」
 くにくに……。ババロアの手の動きに合わせて春夏が太腿を閉じる。
「ごめんなさい! ごめんなさ、い!」
「発展途上の小山ってところかしら? あなた、歳はいくつ?」
「13……歳、です。中学、2年……で、す」
「乙女たるものがこんなもの生やして、いったいナニに使うのかしら。まあったくお下品!」
 もっとも、私も同類ですけどねぇ――付け足すようにババロアが呟いた。
「どんなハイヤースペックを使うのです? 教えなさい!」
 興味津々のババロア。早口が感情を現わしている。
「ステルスです、消えることが、できるんで、す」
「まあ~、ボロ屋を消していたのは貴方だったの!? つまり今、自分だけ消えて逃げようとしていたのね? まあ卑劣!」
「はい、私、逃げようとしてました……」
「お願いする時にはブヒーというものですよ?」
「お願いします……ぶひ、い……」
 それを見るなり、ババロアはクスリと笑う。その後は一変して面白くなさそうな態度、まるで汚いものでも見るような横目で春夏を見た。
「ふん、鈍臭い娘……」
「はい。私、鈍臭いから……何もできないんです」
 春夏の目に溜まった涙。やがて滝のようにボロボロとこぼれ落ちる。そこに悔しさや恥ずかしさなどはなく、「私にはこれがお似合いだ」といった安心感に包まれた感情のほうが強かった。誇りを放棄することで取り戻せる日常があるのなら、是が非でもそれが欲しかった。
 だって……。春夏は思う。

 ――目の前の婦人は……悪魔なのだから。

 ババロアは春夏を壁に放り投げた。
「ふん。まあいいでしょう。服が汚れても洗濯するのが大変ですし」
 肉をえぐるような視線を横目で作り、扇子で口元を隠す。それから日々の愚痴をあれこれと並べ始めた。
「大体なんです? あの投資家の男ときたら……私は人目のあるところが大嫌いなのです。だから相談役を買って出たというのに、あの男ときたら……、あの男ときたら! あの男ときたら! あの男ときたら!」
 ゲシ! ゲシ! ゲシ!
 何度も何度も。春夏の体を蹴飛ばし憂さ晴らしをする地獄の妖精。
「ごめんなさい! すみません!」
「それにマスゴミ! どこでミネルヴァのケタを嗅ぎつけたのかしら? つまらぬデマを流した輩をとっつかまえて馬車で引きずり回してやりたいこと。なぜ私が番組出演で企業のフォローをしないといけないのです? 楽屋のお茶もマズイ! まったく腹立たしいったらありゃしない!」
 ゲシ! ゲシ! ゲシ!
 春夏は頭を庇いながら、猫のようにまん丸になって縮こまった。
 ロナルドはあらゆる人脈を使ってババロアの正体を割り出し、ついに尻尾を掴んだ。ミネルヴァの不振な動きに目をつけ、そこをネチネチと攻撃すれば、敵は自ずと洞穴から出てくるもの。彼はまさに、ババロアの目の上のコブだった。
 アンダーグラウンドではロナルドがミネルヴァを嗅ぎまわっていることが周知だったため、消されれば必然的にミネルヴァが怪しいことになる。ババロアは裏での行動を活発化し、ロナルドが抱える関連会社を潰しまわって黙らせようとしたものの、時すでに遅し。
 さらに便乗した某国の女王がメディアにミネルヴァが過去に行ってきた不正取引情報を提供。ミネルヴァを一気に畳みかけてきたのだ。
 暴露暴露のダブルパンチ。ババロアは太陽の下に引きずり出された。
 ミネルヴァの相談役――今では超有名人だ、もちろん悪い意味で。ババロアからしてみれはスポットライトを照らし続けられているようなもの。
「けれども……まあよいでしょう。今頃、あの髭男爵のところへ私のプレゼントが到着していることでしょう」
(……プレゼント? ロナルドさんの所へ?)
 想夜が残りの力を振り絞って立ち上がろうとしている。
「雷の八卦入手には失敗しましたが、今回は順調順調♪ 私の下に八卦が集うのも時間の問題ということです」
「ま、待ちなさいよ!」
 叫ぶ想夜の声でババロアが振り返った。
「なんです? 殺して欲しいなら自決でもなさいな」
 びしっ。扇子を想夜に向けた。
 誰が死んでなかやるものですか。あたしが生きていることが嫌がらせだというのなら、永遠に嫌がらせをしてやろうじゃない! ――想夜は意地でも死ぬ気がない。女同士の戦いはヘドロのようにねちっこい。
「子供たちを誘拐したり、エーテルポットを汚染させたり、ダフロマに日本を襲わせたり……あなた達の目的はなんだというの!?」
 それを耳にしたババロアは、横たわる想夜の頭をグリグリと踏みつけた。
「フェアリーフォースなら自分の頭で考えなさい。もっとも、考えるだけの知能がないから税金を搾り取って生きているんでしょうけど、ね――」
 ババロアは想夜のスカートの中に手を入れ、中央をまさぐり出した。
「女の子のクセにこんなモノを生やして、はしたないったらありゃしない。もっとも、その件に関して問われれば私も同類ですが……」
 キュッキュッ。ババロアの握力の強弱に倣い、想夜は身をよじらせた。
「やめ、やめ……て!」
「見たくもありませんが、どうせ皮かむりなのでしょう? 不潔な娘!」
 ガッ!
 トドメとばかりに想夜の横っ面を蹴飛ばした。
 小さな体がブロック塀に激突し、クシャクシャになったリボンがほどけて草むらに落ちた。
「次に会う時までに自分の首を切り落として死んでおきなさい。これは私からの命令。といっても……」
 日傘の矛先が想夜の小さな額をとらえた。
「ここで脳を抉り出して差し上げるのだから、次回はございませんけれどもねええええええ!!」
 ババロアが日傘を振り上げ、想夜の額をブスリと突き抜く!
 その時だった。
「想夜ちゃん!」
 ヴオオオンッ。
 唸るようなエンジン音とともにバイクが突っ込んできて、想夜とババロアの間に割って入った。
 キキキィィィ!
 スリップ音がこだまし、ドライバーが日本刀をかかげて着地する。
(水角、クン……)
 水の八卦の背中が視界に飛び込んでくる。  横たわる想夜の意識がだんだんと遠のいてゆく。
 

水角 VS ウサギさん


「ハリセンボン! ハリセンボン!」
「センボン、セボン、セッシボ~ン!」
 バイクから飛び降りた水角に向けて、ウサギ暴魔がシコミを突き出し飛び掛かってきた!
「うるさいな、着ぐるみを侮辱するなよ」
 低く屈んで柄を振り上げ、2匹のウサギの横っ面をぶん殴って弾き飛ばした。
「ギャアアアアアア!!」
「ギュオアアアアア!!」
 ウサギがヘドロのように黒く変色し、奇声を上げながら道路脇で転げ回っている。黒き妖精。地獄の妖精。それが着ぐるみの正体だ。
「早く宗盛さんに知らせなきゃ」
 そうしている間にも、一体の中型暴魔が壁の向こうからヌウッと湧いてくる。
 端末を取り出す時間さえ許されない戦闘。水角は半身の姿勢で腰を落とし、刀の鞘に手をかけた。
 車一台が通れるほどの細い小道、水角と中型暴魔の睨み合う。
 水角はクイッと首を軽く捻って挑発に出た。
「来なよ。来ないならボクからイクけど?」
 シュベスタが倒壊した直後、始末屋として動いていた経歴もあってか暴魔退治はお手のもの。矛先の行方だって暴魔の顔面と決めている。一瞬で片づけるつもりだ。
 ババロアが扇子をクイッと動かし、暴魔の位置を水角の後ろへと放り上げた。
(暴魔が消えた!?)
 視界から消えた暴魔。水角が忙しなく眼球を動かす。
「水角、後ろだ!」
 狐姫が叫んだ。が、水角は腰を上げて笑顔を向ける。その後、少し浮き出た刀を鞘に収めた。
「大丈夫だよ狐姫ちゃん……もう、斬ったから」
 狐姫の視線の先――水角の後ろ。切り落としたハムのようにペロンと肉が裂け、中型暴魔が真っ二つになって横たわる。
「す、ずげえ……中型暴魔を一発で仕留めやがった」
 マグマの狐の度肝さえ抜く存在。それが八卦だ。と、関心している場合ではない。負傷した狐姫が水角のもとへと這ってゆく。
「あいつらの狙いは子供たちだ! 誘拐しようとしている!」
 水角の顔が険しさを増し、ババロアに視線を送る。
「ボクはもう、おまえらの操り人形なんかじゃない。アロウサル! ハイヤースペック・ソニックウオーター!」
 水角が壁に滑り込んで姿を消した。
「まあ~~~、なんてはしたない!」
 ババロアは横目でチラリとブロック壁を一瞥すると、
「そんな悪い子に育てた覚えは……ございませんよ!?」
 ドン!
 傘を壁に突き刺す!
 割れたブロック塀の中から現れた水角が腹を抑えてうずくまった。
「水の八卦。あなたのデータはすでに手中にあります。あなたがどういう行動をして、どういう攻撃に打って出るのか。私には全てお見通し。それが統計というもの。長年のデータ収集は伊達ではございません。理解できましたか?」
 扇子で口を覆い、ホホホと笑う。
 水角はよろける足で踏ん張り、ババロアを睨みつけた。
「ボ、ボクの行動が読めるのなら……今からやることも……分かるよね?」
 ババロアは扇子の奥の訝し気な表情をさらに強め、焦るように早口に変わった。
「フェアリーテイルですか。ここで使われると騒ぎが大きくなりますねえ、まったく困ったちゃんねぇ」
 ぜんぜん困った様子ではない。むしろ街が破壊されることを歓迎しているかのよう。
「とはいえ、あなたに街を破壊することができて?」
「たとえ騒ぎが大きくなっても、友達を守るためなら……ボクは行動に移す!」
 水角がハイヤースペックの暴走、ウォーターリーパーの発動準備に入った。発動してしまえばこの辺一帯がガレキの山となるだろう。それでも友の命を救うために……やるつもりだ。
 ババロアの手元にはない水角のデータ。姉との生活の中で少しずつ変わっている人としての心。それは地獄の妖精の知らない世界。
「仕方ありません。水の八卦、そなたの脳をここで回収しましょう……跪いて首を出しなさい」
 ババロアが扇子を振りかざした瞬間の出来事だった。
 深く、深く、ババロアが作り上げたグレーの暗闇よりもずっと深くて黒いカーテンが周囲を覆う。
 ババロアが眉をしかめた。
「ん? これは……!?」
 スパン! スパン!
「ギャギャ!」
 日本刀のような鋭い切れ味を持ったカーテンがタキシードウサギの首と腕を跳ね上げた!
 1匹の首と、もう1匹の片腕が路上に落下し、トカゲの尻尾のようにビクンビクンと暴れまわる。
 ババロアが横たわる想夜を睨んだ。
「飛んだところで邪魔が入ったようですね。政府の犬は殺さずにとっておきましょう。どのみち臓物をぶちまける未来が待っているでしょうし。お前たち、一旦退きますよ――」
 目立つことが嫌いなババロア。悪しき妖精たちを引き連れ、馬車に乗り込んだ。
「他の子供たちの姿が見えないようだけど?」
 ババロアが聞くと、ウサギ暴魔が耳打ちをした。
「見当たらない? 逃げられたか。まあいいでしょう。馬車を出しなさい」
 片腕を無くしたタキシードが片手で手綱を握って馬車を出す。
 柏木に髪の毛を掴まれ馬車へと押し込まれる春夏、だがその時、端末の着信に気付いた。
(朱鷺さん!?)
 春夏が連絡をしてもずっと繋がらなかったが、やっと連絡が取れそうだ。
(どうしよう、これじゃ電話に出られない!)
 そこへ一匹の猫が飛び出してきては柏木の顔に引っかき傷を負わせる!
「な゛あああああ!」
 バリバリバリ!
「何しやがる、このクソ猫!」
 柏木は顔を背けると、茶太郎に向かって思い切り足を振り下ろした!
 ガッ!
「な゛っ!?」
 茶太郎は思い切り顔面を蹴飛ばされて茂みに落下。その後はピクリとも動かなかった。
「茶太郎さん!」
 茂みに向かって叫ぶ春夏だったが、一瞬の隙をついて端末に飛びついた!
「もしもし朱鷺さん!? 朱鷺さん大変! 早く来て! みんなが! みんなが殺されちゃう!!」
「少し黙っていろ、クソガキ」
 ベキッ。
 柏木は春夏の端末を取り上げて握りつぶし馬車に乗り込むと、春夏の体を乱暴に座席に押し付けた。その後、窓から顔を覗かせ想夜たちに声を投げた。
「おい政府の犬、くれぐれも余計なことはするな。この娘は本社でゆっくり解体してやるから楽しみにしていろ。解体ビデオと目玉くらいはMAMIYA研究所に送ってやる。それまで自分たちの竿でもくわえて大人しく待っていろ」
 惨たらしい言葉をニヤつきながら発して、その場を去ってゆく。
 黒いカーテンが馬車の後ろを引き留めるようにかすめたが届かず。春夏は馬車に乗せられ連れ去られてしまった。
 想夜は意識朦朧。
(春夏ちゃん……)
 何もできない元政府の子犬。横たわったままで唇を噛み締め、拳を握りしめた。弱者にはそれしかできない。
 降り注ぐ雨が想夜の頬を叩くも、一向に起き上がる気配はない。
(センパイ、御殿センパイ……悔しいよ、あたし……悔しい――)
 あたし、無力だ――それっきり、想夜はピクリとも動かなくなった。
 

畑を荒らすなっつってんだろーが!


「想夜! おい、想夜!」
 誰かが頬をペチペチ叩いて起こそうとしている――そのことに気づいた想夜瞼を開けた。
「よかったあ、気が付いたみたい!」
(水角、クン……それに、狐姫ちゃん……)
 ぼやける視界の中、ホッとする狐姫と水角の顔が見える。
(体中が、痛い……)
 ズキンと痛む想夜の手――ババロアに刺された手は包帯が巻かれ、治療が済んでいた。
「安心しろ想夜、治療は終わったみたいだぜ? 妖精界の薬ってやつを塗ってもらったから、すぐに良くなるってさ」
 愛宮邸で襲撃を受けた時、狐姫の背中に塗った薬。特効薬だ。
(治療?)
 狐姫が治療してくれたのだろうか? 想夜は首を傾げたものの、さっそく春夏や子供たちのことが頭に浮かんで飛び起きた。
「みんなは!? 子供たちは!? ……痛っ」
「想夜ちゃん、まだ傷が癒えていないんだから大人しく寝てなきゃダメだよっ」
 よろめく体を水角に支えられた想夜。怯える子供たちを一瞥し人数を数えるが、春夏は当然のこと、子供の数人も足りていない。
「他の子は? ババロアに……さらわれたの?」
 狐姫が首を横に振る。
「分からん。さらわれたようには見えなかったんだけど……」
 春夏以外は馬車に運ばれたことを確認されていない。
「みんな、いったいどこへ行ったの?」
 ふと畑を見ると、曽我さんが井戸に腰を下ろしてボケ~ッとしている。
(曽我さん?)
 想夜と目が合った曽我。重い腰をあげて井戸の上蓋にかかった土を払いのけ、ふたたび想夜の方に目を向けた。何かを促しているらしい。
 想夜と狐姫が互いの顔を見つめながら首を傾げた。
「おい、曽我さんがこっち見てるぜ?」
「なんか……呼んでるみたい」
 サンダルも履かずに畑に降りた一同は、曽我の立っている井戸まで足を運び、その場を見下ろした。
 曽我がゆったりとした動きでゴボウのような手を振り回し、何かを訴えてくる。
「ここを開けろってこと?」
 想夜は畑に膝をつき、泥んこになって井戸の上蓋をスライドさせた。
 すると――
 井戸の中に子供たちが隠れているではないか。各々が小さな体を寄せ合わせ、恐怖で縮こまっている。
「みんな!」
 想夜は井戸の中に飛び込み、子供たちを抱きかかえながら羽を広げて地上に飛ぶ。畑で子供たちを下ろし、隣にいる巨大な大根に語りかけた。
「曽我さん、みんなを助けてくれたの?」
「ゔ……あ゙あ゙あ゙~~~~あ゙あ゙あ゙!!!!!」
 曽我さんがゲロを吐くような悲鳴をあげながら何かを訴えている。
「な、何て言ってるんだ? すげぇ呻き声を発してるが……」
 青ざめる狐姫に想夜が通訳する。
「『春夏が子供を透明にして逃がした』って言ってる」
「ま、マジか……」
 ババロアとの戦闘中にステルスムーヴを発動していた理由がここにある。春夏は決して鈍臭くなどない。迅速な対応ができる戦士だった。
 ゴボウのような手をニュルニュルと振りかざす曽我さんの横で、想夜が通訳を続けた。
「『あいつらが俺の楽園エデンを荒らした、腹が立ってる。人は誰しも心の中に楽園を描いて生きている。見よ、この5本指を! この指先が届くほど近くにある目標を持つことが生きてゆく上でのエネルギーにもなるし、それよりずっと遠くにある大きな夢を持つことができれば、そいつはもはや一人でも歩いて行ける大物だ。人は誰しも、想像したことを叶える力を秘めているのだから――』 ……だって。奥が深いんだね」
 大根、大志を抱く。
「そ、そうか。突っ込みどころが多い気もするが、楽園エデンを荒らされると腹が立つよな。俺もさっきから常識という畑を荒らされ続けている気がするが、夢は大きく持つことにするぜ、うん……」
 触手のような手、どう見ても5本も指はない。ましてや夢に届くほど長い腕でもない……が、狐姫は深く考えないことにした。
「ありがとう、曽我さん! じゅて~む!」
 むぎゅううう。想夜は大根を思いっきり抱きしめた。
「ゔゔゔゔゔ……ぐゔゔゔゔあ……」
 ギシギシ、ベキベキベキ……。
 背骨がへし折れるような、大根を握りつぶすような音。想夜の情熱的なハグによって曽我さんは苦しみ、悶え、体中から白い液体をダラダラと垂らしていた。
「おいっ、その辺にしとかないと曽我さんの絞り汁が全部出ちまうぜ」
 曽我さんを気の毒に思った狐姫が制止する。
 曽我さんは千鳥足のまま、ヨロヨロと畑から逃げていった。
 ジュテーム曽我――余計な言葉を嫌う男。無口な男。ニヒルな男。食える男。

 狐姫が男の子の頭を乱暴に撫でている。
「さっきのボディーブロー、カッコ良かったぜ?」
 柏木に振り上げた小さな拳は、悪魔の痛覚には届かなかった。だが、しかと狐姫の心には響いていたはずだ。例え小さくとも、例え弱者であろうとも、己の魂の欲する正義に背を向けなかった男の子は、この先もヒーローとして歩んでゆくだろう――狐姫にはそれが分かる。
「うん……でも、オレ……オレ、うっぐ……っ」
 男の子はベソを掻きながら、頬を伝う雫を乱暴に拭い、唇を噛み締めた。春夏を守れなかった悔しさと、悪を成敗できなかった悔しさとが入交り、胸をギュウッと痛めつけるのだ。
「……泣くなよ。ヒーローが台無しだぜ? 仇は、ちゃんと取ってやんよ」
 狐姫は男の子を諭すように、髪の毛をそっと、優しく撫でた。
 想夜は包帯だらけになった自分の体を見回している。
「それにしても、妖精界の万能薬がシルキーホームにも常備されていたなんて……」
 万能薬は戦闘用に開発されたもの。一般人は戦闘なんてしないから薬箱には常備されていないはずだ。
 水角が居間を指さしニコリとした。
「あの人が助けてくれたんだ。想夜ちゃんの治療もあの人がしてくれたんだよ」
「え?」
 居間で呑気に茶をすすっている人物に目がいった。膝上には治療された茶太郎が包帯まみれで眠りについている。
「久方ぶりじゃのう、雪車町想夜」
「あ、あなたは……!?」
 目の前のパッツン前髪の少女に驚きを隠せない想夜。そしてこう言った。
「……誰?」
「知らねーのかよ!」
 狐姫がズッコケた。
 コト……。パッツン前髪が静かに湯飲みを置いて、大きく頷いた。
「シュベスタで人のことを半殺しにしておきながら『誰』とはご挨拶だな。 ……まあよい、愛宮邸に行くぞ、酔酔会のことで話がある」
 テーブルに両手を置いたパッツン。
「馳走になった。行くぞ」
 突如現れた黒いカーテンが想夜たちを覆った。
 

ミネルヴァの正体


 愛宮邸にて、想夜は御殿との再会を果たした。そこには彩乃の姿もある。
「御殿センパイ! 無事でよかったです!」
「ごめんなさい。心配かけたわね……」
 びええ、と泣きじゃくる想夜の頭を、御殿は胸に沈めて抱きしめた。
「もう無茶なことしないでくださいね」
「ええ。ごめんなさいね。気を付ける」
 叶子に平手打ちをくらったこともあり、かなり懲りていた。
 そのすぐ目の前、偉そうな態度の幼女が足を組んで座っている。先ほど想夜を治療してくれたパッツンだ。
 パッツンは横たわると、彩乃の太腿に頭を落とした。
 彩乃に膝枕をされたパッツンに、想夜が目を向けた。
「さっきは治療していただきありがとうございます」
 おまけにババロア達から助けてもらったこともあり、深々とお辞儀をした。
「うむ。少しは礼儀正しくなったのう」
「ところで……どちら様でしたっけ?」
 想夜の声を耳にした途端、メイヴはムスッとする。
「いい加減に気付いたらどうじゃ? 藍鬼の一撃、見事じゃったぞ。まだヒリヒリ痛むわい」
 想夜がワナワナと震えながら、パッツンを指さした。
「ひょ、ひょっとして……メイヴ!?」
「やっと気づいたか。様をつけんか、様を。いちおうお前の上司だぞ?」
「う、すみません……」
 シュンとうなだれるリボンの野良妖精。あわてて反論する。
「なな、何言ってるの! もう上司でも部下でもないんだからね!」
 ズビシィ! 威勢よく上司を指をさす。
「それも確かに正論。なにせお前さんは組織に歯向かったんじゃからのう」
 ニシシと笑い、想夜の出方を伺うメイヴ。威勢のよい部下は見ていて飽きない。嫌いじゃない。
「とりあえずその話は後じゃ」
 メイヴがさっそく本題に入る。
「ミネルヴァの貨物船についてじゃが、お前らが嗅ぎまわってくれたおかげで、こちらの調査が思うよう進んでのう。貨物船が何を運んでいるのかがようやく分かったところじゃ。でかした、とでも言えばよいのかのう?」
 御殿の頭に朱鷺が探していた妹の存在が浮かんだ。
「貨物船? コンテナの中身? ミネルヴァが運んでいたのは子供たちなのでしょう?」
「うむ、当たらずとも遠からず。何故ならコンテナの中身は――」
 この期に及んで言うか言うまいか。メイヴは顎に手を添えしばらく考えたが、やはり言うことにした。

「――子供たちの臓器じゃよ」

 一同が絶句した。
「子供たちの……臓、器?」
「うむ。ミネルヴァは臓器売買に手を出している。妖精と人間、どちらも含めてな」
 メイヴの言うところ、人間界にいる子供たち全てを対象としているらしい。
「なぜそんなことを?」
「ミネルヴァの相談役が酔酔会のメンバーであることは知っておろう。ババロアはミネルヴァ重工を鶴の一声で右にも左にも動かせる存在じゃ」
 株式会社は一般人のものである。とはいえ、それは建て前にすぎない。どこの世にも、それを牛耳る輩は実在する。ババロアがそれにあたる。たった一声で、この瞬間にでも、ミネルヴァ重工は核ミサイルに手が届く。
「金持ち相手にビジネスをするのは万国共通。人間界で臓器を傷めた者たち相手に、それらを売りさばいている」
 とたんに想夜の顔が真っ青になってゆく。
「じ、じゃあ……今までに誘拐された子供たちの中には……」
 メイヴは無言、かつ、面白くなさそうな顔でゆっくりと頷き、
「過去にはバラバラに解体され、臓器を抜かれて捨てられた幼子たちもおったじゃろうて……惨いことじゃよ」
 と、想夜から目をそらし、地平線の向こうに目をやった。そうやって、どこか遠くにいる子供たちに想いを馳せている。
「ミネルヴァがトロイメライと類似した人工臓器で事業を確立したのはデマじゃよ。あれは本物の臓器。奪った臓器が移植手術に用いられてるのじゃ。ミネルヴァには大量の臓器がストックされておる」
 想夜の脳裏に春夏の手術跡が浮かんだ。
「春夏ちゃんの体には、ひょっとして――」
 メイヴから既に話を聞いていた御殿が頷いた。
「ええ。春夏さんの移植手術には、日本で誘拐された朱鷺さんの妹、夢さんの臓器が使われている」
「そ、そんな……」
 想夜は両手で口を押え、胸からこみあげてくる悲しさと苦痛が促す嗚咽に耐えた。
 犠牲になった子供たちは、どこか遠くで人間界を呪っているのだろうか? 女王と言えど、メイヴがその答えを知るはずもない。
「臓器が取り出された肉体は抜け殻となるが、それさえも麻薬カルテルに格安で提供していたようじゃな。使い物にならない死体は悪魔たちにエサとして与えているらしい」
 子供たちの死体の中に薬物を詰め込み、世界中に輸送する――そんな手口を平然とやってのける者たちがこの世にはいる。児童誘拐、行方不明事件の一部はミネルヴァの重役が握っていたのだ。
 狐姫は息を飲み、やっとのことで口にした。
「な、なんて惨いことしやがるんだ……悪魔かよ」
 その言葉に対し、メイヴは異議を唱えない。
「うむ。洒落などではなく、正真正銘の悪魔。お前らの想像どおりの行動を起こす奴らだ。 ……いや、お前らの想像以上に惨い連中じゃよ」
(胸クソ悪いわね)
 メイヴの言葉を聞いた御殿の顔が、途端に鬼のように変わる。
「水無月の娘、それに焔衣狐姫。お前たちもエクソシストならば、人間の姿をした悪魔を何度も目にしてきたであろう?」
「そ、そりゃあそうだけど……」
 事態の深刻さに狐姫がたじろいだ。横目で御殿の表情をうかがったが、想像以上に怒りに満ち溢れているご様子だ。
 人間界には人の姿をした『人』ではない生き物が無数に存在している。それは妖精かもしれないし悪魔かもしれない。例えば電車の中で隣にいた者。エレベーターで一緒になった者――目にした人間は人間ではないかもしれないのだ。
「人間界には人間しかいない、などと語る者は無知をひけらかしているようなもの。善意を持って話し合えば、敵は心を清らかにしてくれる……などとほざく者は、偽善者を名乗っているようなものだ。 ……じゃろう?」

 悪に染まり切った心の持ち主には、人や妖精の価値観は伝わらない――。

 メイヴは頭上にある彩乃に視線を移した。
「それに水無月主任、お主も他人事ではないのだぞ?」
「え?」
 彩乃がキョトンとしている。天才らしからぬ腑抜けた表情。
 メイヴはため息をついて口を開いた。
「先日からお主の命も狙われおるじゃろて。八卦に対抗できる人材を手中に収める、もしくは消す。それがババロアの狙いじゃ」
 天才彩乃。あることに気づいた。
「ひょっとして、ババロアは夢さんの臓器から記憶を引き出すために狙っているの?」
「左様。秋冬春夏の臓器は心臓第一、他はオマケみたいなもんじゃよ。ババロアは春夏の心臓以外はゴミとしか思っとらんて」
 かんらかんら。メイヴがご満悦のよう。これだから彩乃のことが大好きなのじゃ。IQの高い者は、余計な雑談なくして答えにたどり着く。ある学者は、宇宙のはじまりを現わす数式を目にしただけで感動のあまり震える。
「水無月の娘が言うに、叢雲夢は村を襲撃された際に足を滑らせてダムに落下。脳の損傷が激しかったらしくてな、取り出しても使い物にならんかった」
「だからセルメモリーという道を選んで、夢さんの記憶を抽出しようとしたのね」
「うむ。八卦学者の頭脳を欲しがっておるようじゃな」
 とうぜん彩乃の脳も心臓もターゲットの対象だ。殺した後に奪い取る。ロナルドが言っていた「何者かがあなたを狙っている」とは、そういう意味だった。
 狐姫が深刻な面持ちでメイヴに聞く。
「つまりババロアを仕留めない限り、水無月先生と春夏は狙われ続けるってことじゃん?」
「じゃな」
 メイヴは他人事のようにあっけらかんとしている。
 それでもフェアリーフォース上層部なの? ――想夜が心の中で思う。メイヴの態度に不快感を覚えたからだ。自分はもうフェアリーフォースではないけれど、人間を想う気持ちは政府にだって負けてない。軽い態度で取り組まれたら、面白くないのは当然である。
 無論、メイヴだってバカじゃない。手土産くらいは持っている。想夜たちを一人一人指さし、こう告げた。
「――先日、晴湘市にミネルヴァのコンテナが運ばれた。どういう道を辿ったかは知らぬが、海上でパッタリと消息が途絶えたコンテナじゃ。今回の児童失踪事件で消えた子供たちは、おそらくその中じゃ。一刻も早く探し出して救出しろ」
 想夜が困惑している。
「晴湘市のどこにコンテナが運び込まれたんですか?」
「知らん」
 メイヴがそっぽを向く。
「ふえぁ!? 知らないのに救出なんてできないですよ!」
 と、全身で訴えた。
 いっぽう御殿には考えがある。
「リンさんに協力を依頼しましょう」
 狐姫がポンッと拳を手に打ち付けた。
「そうか! ソナーを打ってもらえば位置情報はイッパツじゃん! あ、ダメか。八卦の居場所しか分からないんだっけ?」
 現在、リンのソナーは顔が知れた八卦のみにしか適応できない。距離も制限つき。問題は他にもある。既にババロアの『プレゼント』がロナルド邸に送られているを想夜は耳にしている。
「急がないとロナルドさん達が危ないです!」
 焦る想夜の肩に御殿が両手を置いて落ち着かせた。
「何かあれば双葉さんが時間稼ぎをしてくれる。彼女だってハイヤースペクターなんだからロナルドさんとリンさんを護衛できるはずよ」
「ギャル1人で大丈夫なのかよ? リンは病み上がりだぜ? 戦えるのか?」
 狐姫の疑問はもっともだ。雷門ゲート・オブ・サンダーを発動させるにはチャージが必要。刺客が群れを成してきたらどうなることか。
「ババロアの側近である柏木という男が指揮しているようじゃ。そいつをブチのめさなければ襲撃は終わらんじゃろう」
 柏木は春夏をさらい、どこかに消えてしまった。
「あークソ! こうしている間にも春夏の身がヤバいぜ!」
 狐姫が拳を掌に叩きつけながらイラついている。
 それを見たメイヴが一つ提案する。
「現在フェアリーフォースがミネルヴァ重工からおかしな数値を計測している。おそらくは柏木の力が引っかかったのじゃろう。ミネルヴァに行けば春夏とやらの解体ショーが見られるかも……のう?」
 チラ。メイヴは想夜たちに視線を送った。つまり「ミネルヴァに向かえ」と言っている。
「春夏ちゃんが殺されちゃう! どうしよう、もう時間がないよ!?」
 想夜が眉をよせて泣きそうな表情を作る。
 かなり切羽詰まっている状況。事態は一刻を争う。
「もたもたしていたら春夏さんから心臓が取り出されるわ。急がなきゃ」
 御殿の言葉で皆が息を呑んだ。
「けれども、ミネルヴァ重工に到着するには1時間はかかります。その間に春夏ちゃんは……」
 想夜の脳裏に惨い光景が浮かび上がろうとした瞬間、御殿が割って入った。
「だったら今すぐ行けばいい。もともと時間などないのだから――」
 御殿がメイヴと向かい合った。
「メイヴ、確かアナタもハイヤースペックを使用できたわよね?」
 メイヴが訝し気な顔をつくり、眉をひそめた。
 ハイヤースペック・闇霧のカーテン――漆黒のカーテンで包み込んだ物体の座標や軌道の変更ができる。
「ああ、可能じゃよ。お前さん……既に腹は決まっているようじゃのう?」
 メイヴが上目で伺う。
 御殿は一歩前に踏み出すと胸に手を添え、答えた。
「ええ。メイヴ、わたし達を今すぐミネルヴァ重工に飛ばしてちょうだい」
「え!?」
 想夜は驚き、狐姫は無言のまま御殿の言葉に耳を傾けた。
「たった今、朱鷺さんから連絡が入った。ミネルヴァへの侵入に成功したそうよ」
 と、端末画面に表示されている朱鷺とのやり取りを見せた。
 想夜が気を失っている間、朱鷺はシルキーホームを去る馬車の後を追っていった。
 メイヴがニヤリと笑う。面白いものが見れるといった期待で胸が溢れているようだ。
「相手は正真正銘の悪魔じゃぞ? その辺の暴魔の比ではない。それでも一戦交えるというのか?」
「悪魔相手はいつもの事。わたし達を誰だと思っているの? ここから先は……暴力祈祷師の出番でしょう?」
 御殿は胸を張り、微笑んで余裕をかました。それは引きつった笑顔。緊迫ながらも覚悟の表情。
 準備はできているのか? その質問に対し、二つ返事で返せるほどに御殿は地獄を歩いてきた。これまでの道のりは決して甘いものではなかったけれど、今、こうして、悪魔に対抗できる力を手にして君臨している。伊達に地獄は見ていない。
 彩乃が助言を残した。
「ミネルヴァ重工はいくつものセキュリティがかかっているはず。いくつものロックを解除している時間はないから、柏木の所までピンポイントで飛ばなければならない。おそらくは朱鷺さんがいる場所だと思うのだけど……」
 御殿はふたたび携帯端末でリンの安否を確認。ロナルド邸はまだ無事のようだ。
「リンさん、朱鷺さんの現在地を教えてちょうだい。顔写真を送るわ。おそらくミネルヴァ重工にいるはずよ」
 そう告げると、端末をメイヴに投げてよこした。
 メイヴが端末に耳をあてると、リンから朱鷺の座標が知らされる。場所は……
「――ほお、ミネルヴァの会議室か」
 メイヴは目を見開き、言い聞かせるよう一同を指さした。
「おもしろい……いいだろう。雪車町想夜、そしてエクソシスト。貴様らの歩いてきた道のりに何一つ無駄がないというのなら、悪魔の鮮血でそれを証明しておくれ」
 一同の決意は整った。
「それから愛宮のご令嬢と華生はここに残れ」
 叶子と華生が不思議そうに互いの顔を見合わせた。
「なぜ? 私たちがついていったほうが効率よく敵を倒せるでしょう?」j
「お主の言うことはもっともじゃ。だが、敵はこちらの戦力の分散を仕掛けてきておる。その答えがじきに分かる」
 メイヴには皆の前で辱めを受けている故、言いたいことがある。だが個人の怒りのために時間を割いている場合ではないことも承知。諦めて指示にしたがうことにした。
「わかったわ。貴方に従ってあげる」
「よい心がけじゃな」
 メイヴは片手を振りかざし、ニヤリと笑った。
「ハイヤースペック・闇霧のカーテン――」
 メイヴの瞳が亜麻色に輝き、小さな背中に巨大な黒い羽が生え、霧状に散らばっては想夜たちを包み込んだ。
「よいか? タイムリミットは5分だ。魔族のテリトリーでは大量にエナジーを消費する。一級悪魔じゃが一瞬でカタをつけろ。何としても秋冬春夏の心臓摘出を防ぐのだ。ババロアの右腕に君臨する悪魔の首を狩ってこい。5秒後に貴様らをミネルヴァの会議室に転送する、ゆくぞ!」
 メイヴが作り出した黒い霧に包まれ、想夜たちは姿を消した――。