7 神威人村かむいとむらのシダレヤナギ

無力な御殿


 目が覚めると、そこには何もない。
 どこかの山小屋のようでもあり、家の中とも思える。シンと静まり返った空間には、車のエンジン音ひとつ聞こえず、建物は住宅街から孤立した場所に建てられていると予測できた。
 御殿は起き上がり、ふたたび周囲を見渡す。
「誰も、いない……?」
 と、呟いたときだ。
「ここにいる」
 すぐ後ろから声が聞こえ、御殿が慌てて振り向いた。
 そこには片膝を立て、壁に背を預けて座る朱鷺の姿。片手で絶念刀を抱え、肩に密着させている。どこかの大泥棒の取り巻き侍のよう。いつも刀を持ち歩いているらしい。
 朱鷺はかったるそうに語る。
「こちらからMAMIYAに出向く予定だったが、まさかお主の方から来てくれるとは思わなかったよ。咲羅真御殿」
 朱鷺はすでに御殿が八卦であるという情報を得ていた。朱鷺はシュベスタを嗅ぎまわっていた人物。御殿の行動だってちゃんと入手している。
 絶念刀を目にした御殿は、自分の体を手探りでチェックする。
(どこも、斬られていない――)
 不思議だ。あれだけの至近距離から長刀で斬られたにもかかわらず、御殿の体には傷ひとつなかった。
「どういうこと?」
 御殿が質問すると、朱鷺は気だるそうに頭をもたげて口を開いた。
「『どういうこと?』とは……お主が無様に斬られたことに関してか? それとも、お主が無様に捕虜とになったということか?」
 どちらにせよ朱鷺の言葉ひとつで、御殿の精神にダブルパンチを食らった時のダメージがきた。
 御殿は一度冷静になり、質問をする。
「まず、斬られたことに関して……教えてください」
「よかろう。まず、拙者が風の八卦であることは知っているな? ハイヤースペックは絶念殺。あらゆるものを斬ることができる。それが、『斬れないもの』であったとしてもだ」
 朱鷺は無表情のまま、そう答えた。
「斬れない、もの?」
「ああ。たとえば、お主の能力だ。体術、銃器の取り扱い、そして八卦の力……レゾナンスといったかな? それらをお主の体から切断した」
 御殿はガツンと頭を殴られたようなショックを受け、一瞬にして血の気が引いた。
「……なんですって?」
 もはや風の八卦は尋常なレベルではない。なんと朱鷺は、たった一撃で御殿のハイヤースペックや格闘術までも使用不能にしてしまったのだ。
「ははははは。なにもできないのは無力だよなあ? 咲羅真御殿――」
 朱鷺は立ち上がると御殿に近づき、両手首をつかんで体ごと壁に押し付けた。
「拙者の絶念殺は相手の闘争心すら切り落とせる。つまり殺さずして敵を消すことができるというわけだ。平和的だろう? 政治家が拙者と契約するのは、死体処理の手間が省けるからだ。拙者は人を殺さない。だが、あらゆる敵を戦場から『斬り離す』ことができる。言っている意味が分かるか?」
「殺さずして……敵を消す――」
 朱鷺は、言わば最強の八卦ではないだろうか? 平和的に戦争を終わらせることができる侍。
「拙者の能力を用いれば、この世から戦争がなくなると思ったか?」
 御殿の考えを先読みするも、朱鷺は首をゆっくりと左右させてこう言った。
「あいにくだが、戦争はなくならない。斬っても斬っても、人の心には何故か争う意思が沸き起こってくる。たとえそれを切り捨てたとしても、また新たに生まれてくるのだよ……キリがない」
 朱鷺は顔を強張らせ、目を見開いて御殿に迫る。
「だから拙者は戦うことを止めないのさ。これからも斬って斬って斬り捨てる。とうぜん相手の体を真っ二つにすることだって容易にできる、躊躇などない。殺しにくる相手を殺して何が悪い? 強いものが生き残るのは自然の摂理だ」
 力では到底およばず、御殿はただ朱鷺の行動に身を任せるしかなかった。
 ふと、御殿の胸先に何かがあたった。
(……胸?)
 朱鷺の胸は御殿以上に膨らんでいて、体のラインが女体化していた。元の声も女性に近いため、こうして見ると、長身の女性にしか見えない。肌のキメも整っていて、鼻筋も通っており、明らかに人間の男性ではない。もちろん、八卦であるのだから、半分妖精でもある。
 風の刀を掲げしハイブリッドハイヤースペクター、叢雲朱鷺の姿がここにある。
 御殿は朱鷺に押さえ込まれたまま、キッと睨み返した。
「わたしを、どうする気?」
 御殿の顔のすぐ目の前、朱鷺の表情が緩む。
「こういう時は自白剤などを使うのだろうか? それともキツイおしおきか? まあ、どちらにせよ、お主はここから抜け出せない」
 御殿の表情が曇った。
「フフ、その怯えた目。まるで怖気おじけづいた犬のようだぞ、咲羅真御殿?」
「無様でしょう?」
「ああ、無様だ。本当に、今のお主は……」
 朱鷺は御殿の髪をかき分け、耳元に唇を近づけ、そっと囁いた。

 「――無様だ」

 御殿は肩をすくめ、朱鷺の唇から逃れるように顔を背ける。無駄な抵抗だと分かっていても、朱鷺にすべてを委ねることなど考えてはいない。
 朱鷺は諦め混じりにため息をつくと、御殿のそばから離れた。
「今のはほんの冗談だ。安心しろ、お主を辱めたりはしない」
 ここで御殿から2つ目の質問が出る。
「わたしは捕虜になったの?」
 御殿の質問に、朱鷺は表情を強張らせ、御殿の手首を捻り上げた。
「辱めたりはしないとは言ったが、苦痛を与えないとは言ってない。口の聞き方に気をつけろ」
 朱鷺は御殿に足払いをかますと床にねじ伏せ、さらに腕を捻り上げた。
 御殿の腕の関節が徐々におかしな角度へ曲げられてゆく。
「あと、1ミリ捻れば骨がボキリといく。痛みの恐怖を知らないわけじゃないだろう?」
「……っ」
 悲鳴すらあげない御殿ではあるが、頬を床にペタリとつけたままじゃカッコつかなかった。
「お主もエクソシストとして名を馳せているようだが、拙者からすれば子供の盆踊りに他ならない。この状況なら……理解できるな?」
 朱鷺はうつ伏せになった御殿の顎をつかんで振り向かせた。
「どうした咲羅真御殿……返事がないが?」
「……わかりました」
「素直なヤツだな……惚れそうだ」
 関節固めが解かれた御殿は体の自由を取り戻した。痛む手首をさすりながら起き上がる。
「……惚れられるのは迷惑です。と言ったら、またねじ伏せますか?」
 御殿はつまらなさそうにそっぽを向く――結局のところ、体術も使えないので、力で敵う相手ではないと理解してる。何もできないもどかしさや無力感から諦めが生じて、投げやりでふて腐れた態度をとってしまう。ポーカーでカードを一枚も配られなかった時の絶望感だ。戦うことすらできやしない。
「はははっ。見かけによらず子供っぽいところがあるのだな。ますます気に入った。 ……どうだ? 嫁に来ないか?」
「男ですが?」
 驚くこともない朱鷺。そんなことはとっくに知っている。
「構わぬよ。拙者は八卦、お主も八卦。性別の枠はない。つがいになることはいくらでもできるだろう?」
「今のわたしはハイヤースペックを使えません。子供を宿すことはできません」
「なら、拙者が女役になろう。丈夫な子供を生んでやるぞ?」
 ぐぬぬ……御殿、何も言い返すことができず、ただ悔しさのあまり唇をかみ締める。口喧嘩でも負けちゃってるこの状況。誰かなんとかしてーっ、と叫びたい。
 朱鷺は先ほどのように壁にもたれて座り直した。
「しばらくお主の力を利用させてもらおうと考えておったのだが……なかなか上手くいかぬものだな」
 朱鷺の目的はレゾナンスだった。八卦の力にあやかりたいらしい。
「レゾナンスの使用目的は?」
「……」
 寡黙。簡単には答えないようだ。
「上手くいかない、とはどういうことでしょうか?」
「うむ。どんくさい知人がMAMIYAに捕まったらしい。その身柄と引き換えに解放するとのことだ。お互い、人質に指一本触れないことが条件だ。破った時点で戦争をしかけてくるやもしれぬ。そうなれば無論、MAMIYA全員を斬り捨てるまでだがな」
「MAMIYAはあらゆる企業に顔が利きます。ただ事では済むまなくなると思いますが?」
「はははっ。戦争になったらなったで、こちらは一向に構わんよ。拙者はそのために存在している……八卦は立派な兵器だということを忘れてもらっては困る。拙者もお主も八卦、ミサイルと同様……兵器だ。この世界を混沌に変えることができる」
 八卦は兵器――御殿はそう聞かされ、少しカチンときた。人間である誇りを持っていたい。それを否定されているようで不快でたまらなかった。
「なぜそうしないの?」
「この世界に興味がないからさ。何に対しても、な」
「それにしては、先ほどから人の体をベタベタさわりまくっているようですが?」
「構ってもらっているうちが花だぞ?」
「別に構って欲しくありません」
 それを聞き、朱鷺が吹き出した。
「はははっ。確かに構って欲しくない時もあるよなあ? たとえば……」
 と、遠くの方を睨みつけた。
「たとえば、MAMIYA側のスペクターでソナーを打てる人物はいるか? どうやら探知機能を発生させてこちらの位置を特定しようとしているようなのだが?」
「探知機能?」
「ああ、磁気の類だ。たとえば……雷の八卦とかな」
 現在、MAMIYAは御殿救出に力を注いでいる。リンに協力してもらっているようだ。だが、MAMIYA側の情報を公開するわけにはいかない。戦闘が不利になる。
「知りません」
 御殿はシラを切った。
「ふむ」
 朱鷺が疑いの眼差し注いだ。ジッと見つめ、しばらくしてから諦め、視線を逸らした。
「まあいい。見つけ次第、そやつを斬りにゆく。この件に関しての記憶も全て斬り捨てておくとしよう。二度と思い出さないようにな」
 記憶まで消すことができる八卦。「斬れないものはない」というのは事実のようだ。
 朱鷺は立ち上がると御殿に背を向けた。
「それより、汗をかいだだろう? 拙者は風呂に入る。よかったら背中を流してくれぬか?」
 肩に手ぬぐいをかけて退室する。
(……は?)
 残された御殿は状況を飲み込めなかった。
 

朽ちた村

 
 ゴツゴツとした岩の合間に湯が湧き出している露天風呂。決して広くはないが、2人で入浴するには充分すぎる広さだ。
 体にタオルを巻いた御殿が浴場に入ってくる。
(こんなところに温泉が湧き出しているなんて……)
 一足先に来ていた朱鷺が湯船に浸かっていた。
 御殿の視線の先――朱鷺の体は丸みを帯びており、完全に女体化されたラインを保っている。八卦はもれなく両性具有であることだ。
「女体がそんなに珍しいか? お主の体だって似たような構造をしているじゃないか」
 と、朱鷺が御殿のボディラインを視線で舐めるように見つめてくる。
「お湯、ちょうだいします――」
 御殿は朱鷺の冷やかな視線を無視し、桶を手にして湯船の前でしゃがみこみ、湯を汲み取る。
 右肩、ちょろちょろ。
 左肩、ちょろちょろ。
 うん、いい湯加減。
 遠慮がちに、湯が飛び散らないように、静かに、地球最後のお湯であるかのように、そっと白い肩に湯をかける。
 そんな御殿を見ては朱鷺が笑い伏せた。
「そんなに堅苦しくならんでもいいではないか」
 そんなことを言われても、どんな言葉を返したらいいのか分からない。「あざまーす! ほんじゃま、湯船にダイヴしまーす! ヒャッハー、ザッパーン!」とか、狐姫みたいな元気は御殿にない。ましてや、「人間界の温泉って、だぁ~い好きぃ~♪」などと想夜のようにはしゃいだりもしない。
 できるだけ朱鷺と距離をとり、隅っこのほうに移動する御殿。湯船に足をつけ、ゆっくりと腰を落す。肩まで浸かり、ホッと一息。
(ん? あれは……村?)
 御殿が目を凝らす――湯気の向こうに朽ち果てた平屋が並んでいる。そうとう古い家屋らしく、壁が流れ落ち、長年雨に打たれた木材はむき出しの状態で腐っていた。雨宿りくらいはできるだろうが、とても人が住めるような場所ではない。そんなこともあり、あたりには人っ子ひとり見当たらない。静かなものだ。
 御殿は両手でお湯をすくい、顔についた汗を軽く洗う。
「ふぅ」
 暖かい湯舟に浸かったこともあり、凝り固まった気分が少しだけ和らいだ。緊迫した状況下であるが故、だだの風呂でさえも極上の娯楽に感じる。人は不安に陥った時こそ、ふだん何気なく使用しているものでさえもありがたみを覚えるもの。
 首や肩の関節を回して凝りをほぐし、両手を組んで真上に上げる――う~んと伸びをしていると、自分が捕虜であることさえも忘れてしまいそう。お風呂には嫌なことを和らげる効果もあるようだ。
 落ち着いたのもつかの間、朱鷺が御殿のそばまで擦り寄ってくる。
 スス……。
 ススス……。
 御殿がN極同士の磁石みたいに逃げようものなら、朱鷺はその腕を優しく手繰りよせて横に引き寄せる。
「遠慮せずとも、もっとこっちへくればいい」
「遠慮してませんから……遠慮してませんからっ」
 腕で胸のあたりを防御する御殿。完全否定で朱鷺の誘いを嫌がった。
 たぷん、たぷん。八卦2人の胸の脂肪が湯船の上で弾んでは、大袈裟な波紋を作り出す。
 結局、無理やり引き寄せられる御殿。ここは諦めるしかない。
 朱鷺と御殿が肩を並べて湯に浸かる。傍からみると武士とその妻。仲むつまじく温泉旅行、みたいに見えることだろう。
 一時の沈黙のあと、朱鷺がポツリと呟いた。
「咲羅真どの、戦争は好きか?」
「ご冗談を」
 御殿は吐息ていどに吐き捨てた。戦争を毛嫌いしている感情と、それを乗り越える力を持った自分への嫌悪がある。それとは逆に、与えられた使命への誇りもあるのだから、どの感情を優先させればよいのか分からない――そんなイラつきを見せる。
 御殿の態度を見た朱鷺は少し黙った後、考える素振りを見せながら口を開いた。
「貨物船でお主に刀を向けた時、一瞬だが本当に斬り捨てようと考えた。あの場で殺してしまったほうが、お主は永遠に戦いから逃れることができよう……違うか?」
 今度は御殿が黙って聞いている。戦うことから逃げることなど考えてはいない。だが、朱鷺の言うことも正しく、反論することができない。
 『死ねば闘いから解放される』という事実――それは御殿の言葉さえも殺してしまうほどに正論だった。
 なぜ御殿を殺さなかったのか? 御殿の疑問を無視して朱鷺は話を続ける。
「今までに何回か人を斬ったことがある。斬られたこともある……が、命まではとったことはない。敵から殺意を奪うだけだった。それが絶念殺の可愛いところさ」
 朱鷺は絶念刀を肌身離さない。横目をやり、立てかけた刀を愛くるしいペットのように見つめている。
 たい殺めずして心を解放する――朱鷺の格闘スタイルは死体の処理が省ける。アングラでは評判がいい。
「わたしから行動意欲のすべてを奪ってしまえば、こんなまどろっこしいことをせずに済んだのでは?」
 御殿は掌でお湯をすくっては、それをジッと見つめている。掌のお湯を少しずつ指の隙間からこぼしていっては、掌の器を空にする。そうやって完全に意欲を取り上げてられ空っぽにされれば、御殿は牙を抜かれた番犬。あるいはペットショップの犬になっていたはずだ。
 朱鷺は御殿の闘争心に何を見たのだろう? それを奪えば敵をひとり消せたというのに、MAMIYAの番犬は力を無くした今も、こうして牙をむき出そうとしている。
 朱鷺はポツリと打ち明けた。
「父が侍だった。」
 御殿が顔をゆっくりと上げ、朱鷺を見る。
「侍? このご時世に?」
「はははっ。そうだ、このご時世に、だ。侍では食っていけない時代だということは分かっている」
 一本取られたかの如く、朱鷺は笑った。一言、こう付け加えた。
「ただ、妹の夢は違う。別格だった――」
 

神威人村の才女


 叢雲ゆめという学者がいた。
 叢雲夢――朱鷺の妹。10代にして天才と呼ばれた少女。古びた村で生まれた天才は、多くの企業から手を差し伸べられていた。村を捨てれば未来は約束されたようなもの。そんな少女にもこだわりがある。それが一族だ。中でも夢は兄を慕っており、しっかりしている反面、甘えん坊なところもあった。「兄さんが村を出ないのなら、自分も村にとどまる」――それが口癖。兄から離れることはなかった。
 
「甘えん坊だが、よくできた妹でな。ろくでなしの拙者は、皆によく比べられたものだ」
 『叢雲んところの下の子は優秀だ。それに比べて兄のほうはどうしょもない放蕩者ほうとうものだな』――嘲笑の嵐を全身で浴びながら、歩いてきた。
 それもそのはず。朱鷺は理由もなく日本を行脚してはフラリと村に帰ってくる。職にも就かず、村の発展に貢献することもせず、何を考えているのか周囲には分からなかった。
「己の存在価値に疑問を抱いているのだ。どこかに拙者の存在理由が落ちていないものかと、必死になって探したりもする」
 やさぐれてゆく日々の中、朱鷺は自分が存在しているのかさえも分からなくなっていった。
「今のご時世、侍は世界に不要なのだと理解したよ。父は、世界にふさわしくなかった」
 父と同じ道を辿った朱鷺――やがて存在さえも曖昧になってゆく。朱鷺は存在しているのに……。
「仕舞いに村人は、父と同様に拙者の存在を隠すようになった」
 存在の抹消には妹の夢も加担していた。内心、朱鷺にはこれ以上の苦痛はなかった。信じていたものでさえも自分を消しにかかるのだから、きっと拙者はいなくとも問題はないのだろう。そう自ら認めはじめた。
 
 いつしか若き侍は、いなかったことにされた――。
 
 いつまでも続くと思っていた神威人村の風。終わりはすぐそこまで来ていた。
『神威人を引き払うだと!? 正気か!?』
 夢が政府に提案したのだ。
 朱鷺にはそれが酷い裏切り行為に思えてならなかった。
 時々、妹の考えていることが分からなくなる。けれども天才の考えなど凡人の侍が理解できるわけもなく、朱鷺は知らず知らずのうちに閉塞感に包まれ、「自分が考えても答えなど出ないのだ」と、考えることを止めた。
 夢と結託した村人たちは村の土地を譲り渡した。
 その時に手に入れたであろう多額の金は、いつの間にかどこかへ消えた。
 残ったのは村の端にある数個の小屋だけ。あとは隣村の農家のみだ。

 ある日、夢から呼び出された朱鷺は村の研究所を訪れた。研究所とはいっても、空き家に研究機材を運んだだけのもの。一般的な小学校の理科室のほうがよほど研究所らしい。
 以前、夢の頼みで採血を承諾した朱鷺。ずっと研究室に籠りきりだった妹が何かの結果を出したらしく、手にした注射器を見ながら説明を始める。
『これはディルファーという妖精のデータをエンコード化して血液になじませたもの。兄さんはこれを狙っている輩から守って欲しいの』
『拙者の体内に奇妙なデータを隠すということか?』
 夢は少し悲し気な表情を作った後、あどけなさが残る少女らしく、にこりと笑った。
『ううん。隠すのではなく託すの。兄さんに――』
 朱鷺には夢の言葉の意味が理解できなかった。
 夢の手にした試験管の中に揺らめく液体――その中に無数のデータが蓄積されている。注射一本と全身を駆け抜ける数時間の激痛。
 すべては一瞬で終わり、
 すべてが一瞬で始まる。
『妙な力に頼らずとも、拙者は生き延びることができる』
『その妙な力が兄さんと一緒にいたがっているの。私と同じ、寂しがり屋さんだから。だから……一緒にいてあげて? ……ね?』
 哀願するように朱鷺を見る夢の瞳。それがいつまでも朱鷺の脳裏から離れない。まるで後生の別れのように、八卦に全身全霊を託すようだった。
 
 夢が使用した技術こそがDNAストレージ。八卦の力を体内に取り入れる方法だった――。
 
 妖精界から逃げてきた華生によって、ディルファーのデータはあらゆる場所に散らばった。その行動が正しいか誤りかは誰ひとり答えが出せない。そこにあるのは8つの力が存在しているという事実だけ。
 
 なぜ夢はディルファーのデータを入手できたのだろう?  ――風の八卦として生まれ変わってから、朱鷺はよく考えるようになった。
「古びた村ではあったが、人の出入りは盛んだった。流れ者から託されたのか、はたまた噂話を聞いたのか。夢が何らかの方法で入手したのは確かだ」

 突然の別れとは連続するもの。
『兄さん、またお出かけ?』
『すぐに戻るよ』
『わかった。晩御飯、一緒に食べようね』
 ――村に残った夢は、玄関先で朱鷺に手を振り続けた。
 朱鷺が何度も何度も振り返るが、夢はずっと見送っていた。
 光の彼方に包まれた夢の姿――その日以来、夢を目にすることはなかった。
 
 朱鷺が神威人村に戻ると、そこはもぬけの殻だった。
 皆、移住を終え、沈みゆく村を心から捨てたのだろう――そう思うたび、もともと神威人村は存在していなかったのではないかと思えてきた。
 ただ妹の夢までもが消息を絶っている。探しても探しても、見つからなかった。
 
 ――パキッ。野生の動物に踏まれた枝が折れ、命の儚さを証明してくる。
「あなたが探している人って、妹の夢さんだったのね?」
「ああ、拙者は夢を探した。探して探して、探し回った。偉大な父、それを献身的に支えていた母の存在も否定されたくなかった。だから侍の道を歩んだ。いつもいつも、これでよかったのかと疑問に圧し潰されそうになる。2年間、ずっとこんな生活だ――」
 朱鷺がはにかみ、やや斜めに顔をそむけた。目の前の番犬に弱い部分を見せたくなかったのだ。
「どうしてこんなことをお主に話したのだろう、自分でも分からんよ」
 そう言って両手で湯をすくい、まるで頬を伝う汗を隠すかのように、バシャバシャと乱暴に顔を洗う。
「あ~、しみったれちまった。せっかくのお月さんが台無しだっ」
 朱鷺は申し訳なさそうに御殿から距離をとろうとする。今までの行為が無礼の数々だと分かっていたのだろう。子供のように不器用で、そのクセ誠実な侍だった。
 肩を離そうとする朱鷺。御殿は同じタイミングで相手の肩に寄り添った。
「……優しいのだな、咲羅真どの」
 その言葉に対し、御殿は何も言わなかった。慰めの言葉は時として偽善。口を開けば己と相手を汚す行為ともなろう。
 ふたり、肩を並べてお月様を見ている。今はそれでいい。
 若干ではあるが、御殿の肩にもたれかかっている朱鷺の姿。それはまるで母に甘える子供のようでもあった。
 もっと家族に甘えたかったのではないか? 勘繰る御殿に朱鷺が声をかけた。
「咲羅真どの――」
「……はい」
「腹……減ったな」
 朱鷺は独り言のように呟いた。
 

朱鷺の食卓


 御殿は呆れていた。
 この家には……白米しかない。
 いや、白米があるし塩もある。塩おにぎりもなかなかのものだ。でも……ねえ?
 御殿は少し考えた。
「近所にコンビニはないのですか?」
「コンビニ? あるものか。農家の住人が少し離れた所に住んではいるがな」
 御殿はそれを聞くなり、朱鷺に背を向けた。
「おい……」
 引き止めようとする朱鷺を無視し、御殿は無言のまま出て行ってしまった。
 キョトンとする侍。
「なにを怒っているんだ? 人質の分際で厚かましい。まったく、これだから女ってヤツは……」
 朱鷺さん。いま出て行った人……男っす。
 腹を空かせた侍ひとり、御殿の帰りを大人しく待った。
 
 時間にして15分たらず、御殿が朱鷺のところへ帰ってきた。
 待ちくたびれたかのように腰をあげて出迎える朱鷺。母の帰りを待っていた子供のよう。
「帰ってきたか」
「お待たせ。ご近所の方から卵とネギを分けてもらったわ。一緒に食べましょう」
 御殿はたくさんの生卵を布巾に包み、その上に1本ネギを乗せて登場。
 とたんに朱鷺がしかめっ面を見せた。
「物乞いなんて浅ましい真似、よくできるな」
「ご近所付き合いは大切でしょう? それにおかずのお裾分け分けはどこでもやっていることでしょう?」
 ほわいとはうすでも同じ階の人にお裾分けをしたりする。
「そ、そうなのか? それは知らなかった……すまない」
 妻にピシャリと言われる亭主よろしく、朱鷺は黙ってしまった。「まったく、これだから男の人は……」と、言われてしまいそう。
 
「それでは頂こうか」
「いただきます」
 朱鷺が卵を割ってから、重大なことに気づいた。
「……」
 しばらく微動だにせず、ただ茶碗を眺めている朱鷺。
「……咲羅真どの」
「はい」
「……醤油は?」
「……え?」
 御殿の肩からブラウスがずり落ちる。
「醤油も無かったんですか? ……ふう」
 御殿、ため息。こんなことなら醤油も分けてもらえばよかった。
「仕方ないであろう。この村に帰ってくるのも久方ぶりだったんだ。こんなことならお主を連れて帰るついでにコンビニに立ち寄ればよかった」
 人質を担いでレジに並ぶ根性の持ち主。それが侍。
 朱鷺の疲れた体が塩分を欲しがっている。まるで駄々をこねる子供のように腹の虫に代わって鳴き続けるのだ。
 久しぶりに帰ってきた場所。調味料なんか用意していない。
 何かないものか。朱鷺が頭を悩ませている。
「……そうだっ」
 思い立っては荷物をあさり、包み紙を手に戻ってくる。
「酒の肴にとっておいた辛子明太があったんだ。これでメシにするか」
 塩分・LOVE!
「それじゃあ改めて、いただこうか」
「ふふっ、いただきます」
 仕切り直し。2人が手を合わせて箸をとる。
 茶碗によそられたアッツアツの白米。朱鷺は箸を使って中央に穴をあけ、そこに卵を落した。
 白いゴハンの上、満月のように咲いた黄身が朱鷺の食欲を引き立てる。
 そこへこれでもかと言わんばかりに明太子をガッツリとのせ、刻みネギを投入。卵と混ぜながら口いっぱいにかき込んだ。
「うん……うん……」
 朱鷺は「美味い」という言葉の代わりに何度も頷く。それが朱鷺の「美味い」という言葉。
 醤油を使ったシンプルなTKGたまごかけごはんもよかろう。ただ、役者はそればかりではない。
 明太子のしょっぱさが卵に溶け込み、熱々の白米と一緒になって箸がいっそう進む。ネギのシャキシャキとした歯ごたえと風味が主役の争奪戦を繰り広げ、やがて意気投合。トリプルタッグを組んで食欲を挑発してくるではないか。
 御殿は徳利を両手で傾けると、朱鷺にお酌をする。
「どうぞ――」
 朱鷺はいったん箸を休めてお猪口を差し出す。
「気が利くな、咲羅真どの」
「今は、これくらいしかできないから――」
 誰かさんが能力を切断しちゃったので、こんな状態なんです。と遠まわしに言っているのは朱鷺にも分かっている。けれども能力を解放させた瞬間にMAMIYAの番犬が噛み付いてくることだってある。用心に越したことは無い。
「すまないな。お主の力を切っておかないと何をされるか分からない。用心に用心を重ねるくらい臆病なほうが生き残れるのは、お主も知っているだろう?」
「はい。戦場で習いましたから」
「お互い、難儀な道を辿っているものだな……」
 くいっ。朱鷺は酒を一気にあおる。ちびちび飲まない豪快さは上機嫌の証。乱暴に煽るのはイラついている証。朱鷺は上機嫌かつ不機嫌。酒飲みは分かりやすい。

 御殿がそれとなく朱鷺に聞いてみる。
「八卦の施術を断らなかったのですか?」
 こくり。朱鷺は無言でうなずいた。
「うむ。なにも恐怖することではない。ディルファーとやらに屈服するほど神威人の侍は軟弱ではない。拙者がそれを証明してみせるさ」
「想夜が聞いたら目くじら立てるでしょうね」
 ディルファーを甘く見ないで下さい! ――プンスカピーとがなり立てるリボンの妖精が頭に浮かんだ。
「ふふ。あの乳臭い軟弱リボンのことか……フェアリーフォースも高が知れてるな。ふふふ……」
 友を侮辱されるとカチンときてしまう――御殿は黙っているのが癪だった。
「想夜は、あなたが思っているよりも強い。本気を出せば一瞬で――」
「一瞬で藍鬼の餌食か? 面白い、手合わせしてみたいものだな……もっとも、一瞬で斬らせてもらったが」
「え!?」
 想夜が斬られたのは御殿が絶念殺を食らった後のこと。
 海面に落下した想夜のことを聞かされては、顔面が蒼白になった。
「そ、想夜は無事なの?」
「案ずるな。殺したりはしない。気絶にとどめておいた。綺麗に斬ったから傷も残らんよ。それより――」
 その手前、朱鷺は立てかけてある絶念刀に目を向ける。
「咲羅真どの。お主がシュベスタで暴れた時のデータを見た各研究機関は、こぞって肝を震え上がらせているぞ?」
 御殿は狐姫に対し、レゾナンスで無理に融合した。結果としてフェイタルエラーといった誤作動がおき、バケモノと鳴り果て暴走した。
「すでに知っているだろう? 八卦ひとりの力はフェアリーフォース1000人を凌駕する。それくらい危険な存在なのだよ、我々はね――」
 藍鬼は狂気だが、八卦も同様。決して他人事ではないのだ。朱鷺は苛立ったように、お猪口を煽った。
「たしかに疑問に思うことがある。なぜ拙者は八卦になることを許可したのだろう、とな。人間以外の何かになりたかったのだろうか? ……などと考えることもある。けれどもそこに答えを導き出すことなどできやしない。人は誰だって弱い自分を嘆きたくないから強くなるのだろう? たとえ怪物のように心が強くなって人間以外のものになったとしても、姿カタチが人であるなら、ほどんどの者はそれを受け入れるのではないのか?」
 朱鷺の意見に御殿が反論。
「心は体を作るもの。化け物と化した心が描く肉体は、はたして人の姿をしているものでしょうか?」
「たしかに八卦はバケモノじみている。だが、少なくとも拙者とお主は人の姿をしているではないか」
「わたしがシュベスタでエラーを起こした時、皆はこの体を見てバケモノと呼んでました。想夜がうまく接続してくれた後も、人の姿をしたわたしのことを、フェアリーフォースはバケモノ扱いしていました」
「それは見る者の心がすさんでいる証拠だよ。心が醜いものが綺麗なものを見ると、決まって悪態をつくものさ。人はそれを嫉妬と呼ぶ。お主は人の心が息づいているから、弱者の遠吠えが暴言に聞こえたのだろう。弱いから吠える事しかできない。あれはあれで可哀そうな連中だよ」
 人間は弱すぎる――以前、鴨原が言っていたことを御殿は思い出した。鴨原だけじゃない。人は皆、そんなことを考えて生きている。鴨原は特別なんかじゃない、雑踏にまぎれたただの一般人なのだ。
 強くなりたいのに、弱いまま。
 努力しているのに、弱いまま。
 自分より周囲の方が数段優れている日常を見せつけられては、絶望を噛み締める。
 朱鷺の言っているように、人の姿をとどめているのなら、多少こころがバケモノのように強靭でも悪い気はしないのではないか? 弱いままで搾取され続けるよりも、ずっとマシだ――御殿はそんなことを思ってしまう。

 朱鷺には聞きたいことがあった。
「2年以上前になりますが、あなたは晴湘市という街にいったことはありませんでしたか?」
 ――御殿は単刀直入に、朱鷺が晴湘市を訪れた日のことを聞いてみた。
 朱鷺はお猪口の眺めながら当時を振り返る。
「ああ。たしかに一度だけ晴湘市に行ったことがある」
「夢さんを探しに?」
「ああ、結局見つからなかったがな」
 気の毒そうにうつむく御殿。
 朱鷺は話を続けた。
「その時に妙な集団を目にしてな……」
 御殿が朱鷺の話を聞き入る。
「ひょっとして、子供たちが押し寄せる事件、ですか?」
「よく知っているな」
「わたし、その街で暮らしていたので」
「ほお、これは驚いた。確かに子供の集団と出くわしたよ。けれども奇妙な子供たちでな。瞳虚ろ、心ここにあらずといったところか。子供たちの肉体を縛る黒いヘドロが不気味だったんだが……」
 次の朱鷺の言葉に、御殿が固まった。
「何故だろうな。菓子を与えたら正気に戻ったんだ」
「お菓子を?」
「うむ。夢が支援していたシルキーホームという児童施設によく立ち寄るのだが、そこの管理人である秋冬という女性が妖精界の果実を使った菓子を持たせてくれてな。ちょうどそれを持っていたんだ」
「妖精界の果実を使ったお菓子? ひょっとして子供たちが正気に戻ったのって……」
「うむ。その菓子が気付け薬だったのだろう。拙者の節介は余計だったか?」
 御殿は即座に首を振った。
「いいえ。あなたは多くの子供たちを救ってくれたわ」
 御殿に暖かな笑顔を向けられた朱鷺は、少し照れながらうつむいた。

「なぜ晴湘市に夢さんを探しに来たのです?」
「ある誘拐犯が何か知っているかもしれないという情報を入手してな。結局、そいつは妖精の子供に食い殺されていたよ。我に返った子供が泣きわめくので菓子をくれてやろうと思ったんだが、生憎切らせてしまってね。すぐに親元へと返してやった。 残念なことにその時のショックからか、心をふさぎ込んでしまっている」
「その子供は今どこに?」
「聞いてどうする?」
「ババロアという婦人が関係しているかもしれないのです。彼女に何をされたのかを知りたいのです。子供の居場所を教えていただけないでしょうか?」
「お主にも事情があるのだろうが……」
 朱鷺はゆっくりと首を左右させた。
「子供の傷をほじくり返す行為などやめておけ。心の傷は深い。そっとしとくのが一番さ」
「……」
 これ以上は何もできないと知った御殿は、肩を落として黙り込んだ。
 朱鷺は妹探しに時間を費やしている。そのことと御殿を連れてきたこととは関係があるのだろうか?
「わたしをここに連れてきた理由は?」
 朱鷺はお猪口を握りしめ、囲炉裏の火を睨みつけた。
「すぐに分かるさ」
 もっとも、お主次第だがな――朱鷺は御殿に向けて、意味深な言葉を付け加えた。
 

お守り

 
 深夜。
 朱鷺に案内され山道を行く。
「突然連れ出してすまないと思っている」
「昨日から振り回されてばかりですね」
 御殿はそっぽを向きながら、道端に生える草を意味なく眺めている。
「まあそう怒るな。用が済んだらすぐに開放してやるさ」
「その保障は?」
「拙者の命でも賭けようか?」
「小学生じゃあるまいし。人は殺さないと、あれだけ命の大切さを語っていたじゃないですか」
「そんな事いつ言った?」
 何時何分、地球が何回廻った? 言ってみろ! ――狐姫がガキっぽく喧嘩を吹っかけてくるのを思い出す。
 先を行く侍は、あんがい子供っぽい。
 雨で湿った落ち葉が散乱しているのを見るたび、「自分たちも木々の下で陽の光すら浴びないまま世界から忘れ去られてしまうのではないか」と、心が縮む思いに晒される2人の八卦。
 土砂で斜めに崩れた坂――御殿は落ちないように近くに垂れ下がる枝を掴み、体重を乗せては上へと登ってゆく。
 上から朱鷺が手を差し出してくれる。
「つかまれ」
「ありがとう」
 手を取り、遠慮なくそれに甘える。できた女房よろしく、御殿は黙って朱鷺の後ろをついて行く。余計な事は一切口にしない。
 
 30分。2人は歩き続け、小さな山と山に挟まれた沢に行き着いた。
「着いたぞ」
 鉄橋を前に、朱鷺が振り返る。
 真下には小さな小川が流れ、それを遠くまで目で追ってゆくと、比較的大きな湖が飛び込んできた。
「人工池?」
 整った地形。そこに出来すぎるほどに、しっくりと大量の水がセットされている。
 朱鷺は遠くの山を見つめながら、こう言った。
「ダムさ。2年前に少しずつ着工し、もうじき完成する」
「まさか、あのダムは……?」
 『神威人村? もう無いッスよ』――御殿の脳裏に伊集院の言葉がよぎった。
 朱鷺は振り返り、御殿の顔を見ながら静かにうなずいた。
「ああ。いくつかの村がダムの底に沈んでいる。卵を分けてくれた農家は隣村の人たちだ。政府に抵抗する手段を持たないが故、山の隅に追いやられたのさ」
 先ほど御殿が訪れた農家には、家屋が3件ほどしかなかった。自給自足で政府の援助もままならない状態で、ずっと生きてきた人たちだった。
 それが分かった途端、御殿は卵一個さえも宝石に思えてならなかった。

 ダムを見守るように、幽霊みたいにうなだれた柳がそびえ立っている。大木からして長い年月、そこにいたようだ。
「シダレヤナギ?」
「ああ、何年も前にここの一角を拙者が所有した。村は政府に渡ったが、ここだけは拙者の許可なくしては取り壊せない」
 朱鷺は柳を守るよう、この土地のみを買い取っていた。
 購入する者などいない、とても危険な場所。柳の向こうは崖になっており、足を滑らせようものならダム周辺まで落下してしまう。
 御殿は命綱の代わりに柳に手を添え、崖を見下ろした。
「わたしをこんなとこまで連れてきて、何を見せたいのです?」
「この柳はずっと昔から神威人村を見守り続けてきた、言わば守り神だ」
 御殿は黙って朱鷺の話を聞き入る。
「聞けばお主のレゾナンスは他者との融合ができるそうだな」
「ええ、まあ……」
 ヘタクソですけどね……と目を逸らす。狐姫、想夜、叶子、華生。融合相手から褒めてもらったことがない。時折受ける白い視線は気のせいだろうか?
「わたしに柳の手入れでもしろと?」
 造園なら想夜に任せたい。そう思っていると、朱鷺が吹き出した。
「ははっ、そうではないさ」
「ここからダムの底に潜れということでしょうか?」
「はははっ。冗談も言えるヤツなんだな、お主は。ますます気に入った」
 朱鷺が思わず笑った。
(……よかった)
 御殿は背を向け、胸を撫でおろした。無論、冗談で言ったのではない。躊躇なく刀を向ける朱鷺のことだ、何をやらされるか分かったもんじゃない。現に御殿はバッサリ斬られているではないか。
「人に刀を向ける人に冗談なんか言いませんよ」
「ああ。拙者は敵と見なした輩は躊躇なく斬る。どこにも属すことのない侍であり、悪魔退治を生業としても生きている。政府の用心棒を続けていると、ときどき人と悪魔の区別がつかなくなることもある。お主も人の姿をした悪魔と出会うことがあろう? だから斬るのさ。躊躇した瞬間、こちらが命を落とすこともあるからな」
 朱鷺の言うことは正論だ。
 正論を前にして、御殿は反論することができない。だから面白くなさそうにすまし顔を作る。
 朱鷺は周囲を見渡し、肺いっぱいに空気を吸い込んだ。
「昔、よく母に連れられてここに来たものさ」
 ゴツゴツとした岩が無数に飛び出し、足場を確保することすら危うい。
「人間の思い出はどこに蓄積されるのだろうと考える事がある。咲羅真どのは、どう考える?」
「側頭葉ではないのですか?」
 人の記録は側頭葉に蓄えられる。そこから偏桃体、海馬、前頭前野へとアウトプットされる仕組みだ。
 朱鷺がゆっくりと頭を左右する。
「脳の話ではない。例えばあそこ――」
 朱鷺が指さすほうに、ダムに沈んだいくつかの古い木造が見える。その中に一軒、ポツンと仲間外れの宿が沈むことなく残っていた。
「あの宿には思い出が詰まっていてな。ガキの頃によく遊んだ」
 今にも崩れそうな宿。だが、近くの井戸や鶏小屋には生活跡が残っており、そこに人々が根付いていた記録が残されている。
「生活感を残す視覚的証拠――そう考えると、必ずしも記録というものは脳だけにとどまらないのだと考えるものさ」
 脳が破壊されれば記録は消える。木造だって壊されれば記録は消える。
 道端に落ちている空き缶は誰が飲んだものなのだろう?
 それとも誰にも飲まれずに零れ落ちただけなのか?
 空き缶ひとつ取っても、それは誰かが作り出した一部として地球に記録されている。
「お主の肉体だってそうだろう? 多くの人たちの思い出の結晶でもある。記録の塊が今のお主を作り上げている。つまり咲羅真どの自身が思い出そのものなのだよ」
 御殿の脳裏には友人、知人、そして彩乃の姿が浮かび上がった。
「わたしは、みんなの記録。わたしは、みんなの思い出――」
 胸に手を添え、そっと呟く――肉体は決して自分ひとりの物ではなく、人々の意思の集合体だ。今まで出会った出来事ひとつひとつによって生かされている。
 朱鷺が柳に手を添えた。
「例えばこの木なのだが、ここにも意思が宿っているとしたら……」
 と言いかけ、御殿へと視線を逸らす。何かを望んでいるようだ。
「咲羅真どの。柳の記録を……探れ」
 朱鷺の突拍子もない言葉に、一瞬御殿が固まった。
「わたしのレゾナンスにサイコメトリー機能があるということでしょうか?」
「試したことがないなら、ここでやってくれ」
「やらなければどうなります?」
「ここまで連れてきた意味がなくなるな。何もしないままMAMIYAに返すさ。その時は当然、お主の能力はそのままだ。戦えない、撃てない、そして……ここでの記憶も消す」
「手出しはできないはずでは?」
「記憶を消してしまえば手出しの証拠もなくなる。もっとも、何もしなくとも既にお主は無力のままだ。無力のまま、何も守れず……死んでゆけ」
 御殿は朱鷺を睨みつけ、唇を噛み締めた。結局、今の自分にはこれしかできないのだと自覚し、やがて落胆する。
「……ふう。分かりました。試しにやってみます」
 ため息のあと、肩をすくめて袖をまくる。
「わたしにかけた絶念殺を解いてください」
「もう解いている。絶念刀で”昨日斬られた事実”を体から切り離した。能力は戻っているはずだ」
 いつの間にか刀を抜いていたらしく、それを柄に収めている。恐ろしいほどに素早い。
「言っておくが、おかしなマネをしたらこの場で殺す」
「人質交換できなくなりますよ?」
 御殿の挑発もなんのその。朱鷺は顔を近づけ、静かに、冷たい口調で言った。
「ああ、分かっている。お主を殺し、その後、MAMIYAの者も全員……殺しにゆく」
 その意思は固く、崖っぷちにいるとしか思えない言動だった。
「さあ、始めてくれ」
 朱鷺は御殿の背中をやや乱暴に押し、過去の読み取り作業を促した。
 柳を前に、御殿は静かに呼吸を整えた。
「アロウサル……」
 続いて大木に右手をかざす――。
「ハイヤースペック・レゾナンス」
 沢の八卦が能力を発動する瞬間を、朱鷺が後ろから黙って見守っている。
 御殿の指先が 大木に触れた瞬間、いくつもの悲鳴と血の匂いによって脳全体を支配される。
(柳が、なにか語り掛けてくる……!?)
 村中に血まみれの死体が転がっている。それを悪魔たちが食い散らかしているではないか。
(これは……晴湘市と同じ光景!?)

 村人は一角に集められ、無残にも悪魔の餌食となった。
(村中に血痕が残らないように、一か所に集めたのね? なんて惨いことを……!!)
 目を背けたくなる光景の中で、逃げる娘に御殿の意識が合った。
 黒髪を束ねた和服の少女が数人の男たちに追われていた。
 石に躓き、転倒しても尚、立ち上がる。
 草をかき分け、目の前に迫る枝を振り払い、走って、走って、ひたすら走る。
 息絶え絶え、結った髪を振り乱し、それでも走ることをやめない。
 やがて男たちに追いつかれ、袖を掴まれた途端、ぬかるんだ足元にとられて体勢を崩し、派手に転倒した。ちょうど柳の真下だった。
 大事に抱えていた荷物が周辺に散乱すると、少女が何かを叫んだ。

 男たちと夢が激しく揉み合っている。何かを奪い合っているようだ。
 奪われたものを必死で取り返そうと、男たちの腕に噛みつき、無理やり奪い返す。
 そんなやり取りを繰り返すうちに、男に殴り飛ばされ、少女は足をすべらせ、谷底に落下していた。
 ダムを構築するコンクリートの上、少女は頭を強く打ったために心肺停止の状態。処置をしても恐らくは息を吹き返さないだろう。
 少女の脳はダメージが酷く、すでに機能していない状態だった。
 動かなくなった夢を見るや否や、男たちは誘拐を諦め、その場で肉体を切り刻み、使える臓器を片っ端から摘出してクーラーボックスに収めた。
 そこで指示を出していた人物に心当たりがある。
(あの男は!?)
 御殿の意識が向いた先――そこにいたのは、ミネルヴァ重工の柏木だった。
(なら他の男たちは!?)
 御殿が男たちに意識を向けると、皮膚が削げ、瞬く間に悪魔に変貌を遂げる。
 無残にも解体された少女。その肉片に悪魔たちが群がり、食い散らかしてゆく。手足を引きちぎり、骨をコリコリとかみ砕き、再利用できない臓物をまき散らし、それらを一片も残さず口に運んでいった。
 悪魔たちが去った後、現場には服の切れ端と髪の束、それに血の海以外は何も残っていなかった。
 
 ――そんな惨劇を目にした御殿は嗚咽を堪え、柳から慌てて手を離して引っ込めた。
「どうした咲羅真どの!?」
 朱鷺が御殿の背中に手を添えた。
「な、なんでもありません」
 青ざめる御殿。取り繕ったように目を伏せてはみたが、朱鷺には通用しない。
「なにか分かったんだな!?」
 朱鷺の言葉に首を思い切り振った。
「い、言えません」
 朱鷺は諦めることなく、御殿の両肩に手をかけ乱暴に揺すった。
「答えろ! 頼む! 教えてくれ! 村人たちは? 妹はどこにいるんだ!?」
 何度も何度も、叫ぶように言ってくる。
「妹は……夢は着物を着ているんだ! なにか見えたんだろう!?」
 御殿はとても耐えられる状態ではなくなり、しまいには眉を寄せて瞳に涙を浮かべた。
「こんな……こんな役回り……あんまりです。もう……MAMYAに返してください」
 やがて暴力祈祷師の頬を涙が伝う――。
 冷静を取り戻した朱鷺が腕の力を抜き、御殿を解放する。
「すまん。何があったのか……教えてはくれぬだろうか?」
 朱鷺は御殿に深々と頭を下げた。どうしても知らなければならない事が侍にはある。
「頼む。つらい役目だろうが……頼む――」
「朱鷺さん……。あなた、本当は夢さんがどこにいるのか、すでに知っていたんですね」
 弱い子犬のように元気をなくした朱鷺を前に、御殿は記憶に流れてきた出来事をすべて打ち明けた――。
 
 御殿から事の経緯いきさつを聞いた朱鷺は、何も言わずに肩を落としていた。内心、怒りで打ち震えていることだろう。だが、ここで叫ぼうが、何も変わらない。それを本人はよく理解していた。
 柳が見た過去――柏木たちと争う夢は、茂みに向かって何かを放り投げていた。
 御殿はライトを照らし、柳のそばの茂みに潜り込むと、あちこちを手探りする。
(たしかこの辺ね…………)
 草をかき分け、何度も何度も土を掘り返す。
 やがて御殿の全身が泥まみれになった頃。
(……見つけた)
 指先に触れたお守りを手にし、それを朱鷺に差し出した。
「これ、夢さんが持っていたお守り。朱鷺さんに渡すつもりだったみたい」
 柏木たちに襲われた時、荷物の中から茂みに落下したものだ。
 「兄さんのお守り!」――夢の叫びが御殿の脳裏に焼き付いている。お守りから流れてくる記憶を読めば、妹がどれだけ兄を慕っていたのかが分かる。護身のために時間をかけて選んだ光景が蘇ってくる。レゾナンスにサイコメトリー機能が備わっているのは間違いなさそうだ。
 朱鷺はお守りを受け取ると、しばらく見つめていた。
 何を思っているのだろう。御殿には想像すらできない。
 そのお守りがどういうものなのか、中身をほじくり出してまで調べることなど、御殿にはできなかった。
 やがて朱鷺は空を見上げ、しばらく沈黙を続けた後、ひとり納得するように頷いた。
「そうか。うん……そうか――」
 気持ちの整理をしているのだろう。朱鷺はひとり、溢れる感情を堪えている。
 御殿は朱鷺が描く感情の隙間に入ることもできず、何もできないまま、侍の背中を悲しげに見ているだけだった。
 
 宿に戻った2人はこれといった会話をすることもなく、黙って床についた。
 すっかり元気を無くした侍に対し、御殿はどんな言葉を投げたらよいのか分からなかった。相手の気持ちを察してしまい、どんな言葉さえも無神経に思えてならない。お休みなさいも言えぬまま、部屋の明かりを消した。
 長い長い旅の途中、朱鷺は夢の居場所を割り出していた。けれども、確信に至るためには証拠が欲しい。証拠がないのなら、永遠にこの世を彷徨い続けていたことだろう。
 御殿を利用したのは、気持ちの整理を付けたかったからだ。妹探しを終わらせるための、最後の作業だったのかもしれない――。

 布団をかぶり、目を閉じる御殿の背中に朱鷺が声をかけてくる。
「咲羅真どの……」
「……はい」
 朱鷺が一瞬だけ口を噤むのが分かった。侍らしからぬ、モジモジとはっきりしない態度だ。
 少し間をおいて、声が聞こえた。
「お守り、感謝する。それから……めし、美味かった――」
 好き嫌いなく食べられました。えらいえらい――夢の一件がなければ、そうやって侍の頭を撫でたくなるのは御殿だけだろうか?
 御殿はやるせない気持ちのまま、静かに瞼を閉じた。
「明日、お主をMAMIYAに引き渡す。妙なマネをしたらその場で……もういい。だから――」
 だから、大人しくしていてほしい――朱鷺は御殿に告げると、自分も静かに瞼を閉じ、眠りについた。
 

人質交換

 
 ちゅんちゅん。
 朝です。
 スズメの鳴き声が目覚まし時計――というわけでもなく、ここは山奥なので鶏がエサを吐くようなガラガラ鳴き声で起こされた。

「準備はできたか?」
 ネクタイをしめる御殿の背中に声がかかった。
「大丈夫です」
「ゴミは持ったか?」
「はい」
「拙者も手伝おう」
 御殿の手にしたビニール袋に手を伸ばし、御殿と一緒に玄関を出る。ほんと、知らない人が見たら新婚夫婦みたい。
 時間通りの行動。朱鷺に連れられ、御殿は山を後にした。
 
 港に到着したのは昼過ぎ。
 先日、朱鷺と一戦交えた場所。そこで御殿と春夏の交換が予定されている。
 朱鷺が御殿の耳元で囁く。
「少しでも妙なマネをしたら、MAMIYA全員の筋力を切断して海に投げ込む。泳ぐことも出来ぬまま魚のエサだ。理解できるな?」
 コクリ。朱鷺と視線を合わせぬまま、御殿は頷いた。朱鷺が殺すと言ったら本当にやるだろう。
 遠くの方から叶子が歩いてくる。その後ろに華生、小安が同行していた。
 それぞれが距離を縮め、やがて双方が目の前で立ち止まった。
 叶子は無言のまま、御殿を激しく睨みつけた。そして――
 ぱちんっ。
 平手打ち。
 御殿の左頬が赤く染まった。
 叶子が今にも泣き出しそうな顔をしていた。
「なんて無茶なことをしてくれたの?」
「……申し訳ございません」
 今回ばかりは御殿が悪い。朱鷺のフェイントに簡単に引っかかってしまうんだもの。突っ走ったのはプロ失格の行動である。
「……ばか」
 と叶子は御殿の首筋に抱きつき、耳元で囁いた。
「あまり心配かけないの。眠れなかったんだからね……」
「ごめんなさい……」
 友人を困らせた罪は重い。これからどんな仕返しが待っていることやら。御殿はそれを償わなければいけない。
 朱鷺が眉を寄せて周囲を見回した。
「春夏が見当たらないが?」
 それを聞いた叶子が携帯端末を取り出した。
「おかしいわね。そろそろ想夜たちが連れてくる時間なんだけど……」
 朱鷺の表情がとたんに険しくなる。
「ぬけぬけと。約束が違うんじゃないのか?」
 口調がこの上なく冷たくなり、絶念刀に手を伸ばす。
 心配そうに見守る御殿の手前、叶子が想夜に連絡を入れたものの……。
「おかしいわ。連絡がつかない」
 御殿も自分の端末から連絡を入れてみるが、狐姫も電話に出ない。
 と、叶子の端末に宗盛から連絡が入った。
「もしもし、宗盛? どうしたの?」
 端末から聞こえる宗盛の声で、叶子の表情が見る見る固まってゆく。
「なんですって? 鴨原さんから? ……分かったわ」
 端末を切り、御殿のほうに目を向けた。
「ババロアがシルキーホームに向かったそうよ」
「シルキーホームって確か……」
 御殿が朱鷺に目をやる。
「そう言えば叶子、想夜たちが見当たらないけど何処にいるの? 学校?」
 叶子が首を振る。
「シルキーホーム。児童施設よ」
「児童施設? どうしてそんなところに……」
 御殿が首を傾げる。
 朱鷺は自分の端末を取り出すとバッテリーを入れなおした。そこで春夏から何度かの着信があったことに気付く。GPSをシャットアウトしていたため、バッテリーを抜くクセがある。
 折り返し連絡を入れてみる。
「春夏か、どうした? なにをしている?」
 すると端末から春夏の叫び声が響いてきた。
『――朱鷺さん! 朱鷺さん大変! 早く来て! みんなが! みんなが……!!』
 朱鷺が端末に食らいついた。
「どうした!? 何が起こった!? 答えろ! 答えろ春――」
 プツン、ツーツーツー。  なかば取り乱す声のあと、電話は切れた。
 朱鷺の目が吊り上がる。
「今行く。待っていろ――」
「朱鷺さん!」
 御殿の制止を振り切り、朱鷺は走り去っていった。
「シルキーホームで何かあったみたいね。私たちも急ぎましょう」
 叶子に促され、御殿も港を後にした。