6 俺のエデンを荒らすなよ


 想夜はしばらく意識が戻らなかった。
 狐姫は叶子に連絡をとり、負傷した想夜を愛宮邸に運ぶ。
 朱鷺の斬撃を真っ向から受けたものの、幸いにも傷は大したことなかった。しかし痛みは恐怖となりて体に沁みついていた。


 想夜の治療が済んだ後、一同はこれからのことを考えていた。
 朱鷺にさらわれた御殿の安否も、まだ確認が取れていない。

「御殿、無事なのかな……」
 テーブルに突っ伏していた狐姫がやつれた顔で時計を見る。いつもならとっくに昼食を済ませている時刻だが、貨物船の調査もあったことで、朝から何も食べていない。
 華生が狐姫を気にしてか、神妙な面持ちで声をかける。
「狐姫サマ、何か食べなきゃ体が持ちませんよ?」
「ああ……うん、分かってる」
「おにぎりを作りました。どうぞ召し上がってください」

 狐姫は用意してくれたおにぎりを見ては、御殿が腹を空かせていないだろうかと心配になる。
 考え事をしていると食事が喉を通らない。通ったとしても、味気ない米の塊を頬張っているとしか思えなかった。人も獣も脳で食事をするものなのだと学者気取りをしては、無理やり胃袋を満たしてゆく。

「うまいな……」
 呑気に味わうほど器用ではないが、決してマズくはない。本当は美味いおりぎりだって事も分かっている。梅干しの刺激が狐姫の冴えない精神にガツンと訴え、目を覚ましてくれる。
 華生がテーブルの上にお盆を置いた。
「狐姫さま。お茶、ここにおいておきますね」
「ああ、さんきゅ」

 イラつきや考え事が続いて口の中がカラカラだ。ケモ耳をションボリ垂らし、椅子から立ち上がるとお茶に手を伸ばした。

「ふう、愛宮邸特製、最高級の玉露でも飲むか……」
「うふふ、それペットボトルのお茶ですよ?」
「ははっ、冗談だよ冗だ……をわ!?」
 立ち上がろうとしたとたん、

 ドテッ。また何かに躓き、派手にコケた。

「いってええええ。もう、なんなの? 今日の俺、コケてばっかじゃん。骨盤歪んでるんじゃねーの!?」

 周囲にイラつきをまき散らしていたが、突如、どこからともなく覚えのない香りが鼻腔をくすぐる。

「ん? んん! んんん~~~~!?」

 クンカクンカ。狐姫が鼻を鳴らす。

(こ、この匂いは白身魚のフライとアジのフライ、それから……ちくわの磯部揚げか)

 麻薬捜査犬よろしく、鼻を突き出してノロノロと前進する。

 コケた時に頭でも打ったのだろうか? 想夜が本気で心配している。
「どうしたの狐姫ちゃん?」
 狐姫の顔を除きこむと、「しぃ~」と白い歯を見せてくる。
「……?」
 想夜が首を傾げた時だ。
「そこだ! ……捕まえた!」
 狐姫が目の前の何かに飛び掛った!
「ぴゃ!?」
 空気に抱き着く狐姫のすぐ近くで変な声が響いた。

 不可思議な現象を耳にした叶子と華生が周囲を見回している。

「華生、今なにか聞こえた?」
「はい。どなたかの声が聞こえました」

 どたん、ばたんっ。狐姫が空気に抱き着きながら暴れているではないか。

「おい想夜、ここに誰かいるぜ!」
「ふえぁ!?」

 素っ頓狂な声を上げる想夜。慌てて狐姫に近づくと、たしかに空気以外の何かを抱きかかえている。それは目には見えない空気でできたクッションのようなもの。

「暴れるな! 大人しくしやがれ!」

 どた、どた、ばたんっ。

 狐姫がひとり芝居のようにあっちこっちに体を打ち付ける。まるで酔っ払いがひとり勝手に不格好なダンスをしているかのよう。
「狐姫ちゃん、ジャッキーチュンみたい」
「あほー! 酔拳じゃねえ! 俺はブルースリー派!」

 見えない相手は確かにいる。その場にいる全員がよ~く目を凝らすと、その姿が次第に明らかとなる。

「ホントだ! 薄っすらとだけど……なにか見えてくる」

 想夜、さらによ~~~く目を凝らしてみる。するとどうだろう、猫耳フードを被った少女が浮かび上がってくるではないか!

「にゃ゙あああんっ」

 パッ。

「おわっ、なんだコイツ! いきなり現れやがった!!」
 狐姫仰天! 耳と尻尾を立てながら、目の前の少女から飛び退き、半身の構えをとった。
「敵か敵かぁ!? かかってこいコノヤロー!」

 ウルト○マンみたく両手の手刀を突き出して威嚇。マグマなんぞ使わなくたって正義のチョップで倒してみせるぜ!
 狐姫の意気込みに反し、猫耳フードは涙目のまま、ビクビクと肩を震わせていた。

「あの、あの、ご、ごめんなさい! リボンの子が心配になってついて来ちゃって、それで、それで……」

 おろおろ。今にも泣き出しそうなフード少女。
 狐姫は完全に勝ち誇った表情。強い者にもめっぽう強い。弱い者にもめっぽう強い。

「ネコ耳フードなんか被りやがって! さっさとコレ取れや! ……うわあああっ!?」
 少女のフードをむんずと掴んではぎ取った。が、なんとネコ耳フードの下からリアルネコ耳登場! おまけに長くて細い尻尾も登場!
 コゲ茶色の髪の色。肩より少し上まで伸びた髪は、ハサミで乱暴に斬り落としたような不ぞろいな毛先。チョコレートとカフェオレ色のセーラー服にチェックのミニスカート。自身なさげな表情は弱気な性格をそのまま映し出していた。
「なんだお前、猫だったんかい! このネコ耳フード意味あるのん!?」
 猫娘のフードをペシペシと弾いてからかう。
 怯える猫娘。両手で頭を抱え、その場にしゃがみこんだ。
「ふええっ、設定過多の狐に言われたくないよおっ」

 俺っ娘、耳っ娘、袴っ娘。金髪フォーステール&マグマの申し子――設定が重すぎる。

「うるせー! 誰が重いデブだよクソ猫が! これでも食らえ!」

 狐姫が少女のケツにケリを入れようとしたところへ想夜が割って入った。

「イジメちゃダメだよ狐姫ちゃ……あいったー!!」
 が、ケツにモロ蹴りを食らって目をまん丸にした。
「あ、ワリィ。当たっちった~」
 てへペロ。狐姫のことだ、もちろんワザとである。
「もう~、狐姫ちゃんのドS! 狐! モフモフ! 設定過多!」
「オマエな、いい加減にしろよ? モフモフは明らかにオマエのおさわり願望だろ。あと設定過多設定過多って言うな、存在否定って結構傷つくんだよ。それよりも――」

 狐姫はネコ耳を横目で見ながらニヤリと笑う。

「こいつスパイじゃね? どうする? 処す? 処す?」
 なぜかワクテカ。敵にスリーパーホールドをかけながら瞳を輝かせている。

 叶子が顎に手を添えながら考え中。ひとつの答えを出してみる。
「貨物船で想夜たちの行動が読まれていたのはこの子が原因だったってこと? 気配だけで周囲の状況を把握できる侍か。厄介な敵が出てきたわね」
 すると猫娘がモジモジと身をよじらせ、ドモリながら口を開いた。
「とと、朱鷺さんの後を追ってきたら……港まで来ちゃって……」
「『朱鷺さん』? ひょっとしてあなた、叢雲朱鷺を知っているの?」
 叶子が目を真ん丸にして詰め寄る。
「は、はい……知り合いっていうか、その、なんていうか……」
 はっきりしない態度だが、朱鷺サイドの人間であることには違いなさそう。
 いっぽう狐姫は、宝くじに当選したかのように明るい表情だ。
「ヤ、ヤベエぜ……本格的にヤベエぜ。こっちにも捕虜ができたってことじゃん。取引に使えそうじゃね?」

 一筋の光。うまくいけば人質交換が成立する。

 眉を吊り上げた叶子が小安のほうに振り返った。
「小安さん、御殿が尋問される前に手を打ちたいわ。急いでちょうだい。相手は政治家の護衛も請け負っているそうよ」
「わかりました。叢雲朱鷺に連絡を取り付けます。政界絡みなら、すぐに連絡先を割り出せます。うまくいけば交渉できるでしょう」
「お願いするわね」
 愛宮は政界へのコネクションも強い。

 事態は一刻を争う――神経張り詰めた叶子のすぐ横で、水角が瞳を潤ませていた。

「お姉ちゃん、どうなっちゃうの?」
「心配するな。交渉には自信がある」
 小安が水角のサラサラな髪をなで、席を外した。

 ――しばらくして小安が戻ってくる。

「お嬢様、叢雲朱鷺との交渉が成立しました。やはりその猫娘と叢雲は知り合いのようです」
 水角が何かをおねだりするような涙目で小安に近づいてきた。
「小安班長ぉ、お姉ちゃんは無事だったの!?」
「ああ、無事だ……いちいち瞳を潤ませるな」
 小安はフレームを指でクイッと上げ、頬を染めてそっぽを向いた。

 狐姫が瞳を輝かせながら小安に近づき、ガッツボースをとる。
「やるじゃねーか小安! 朱鷺の野郎に何て言ったの?」
「咲羅真御殿に指一本触れれば、猫娘の安全は保障しない、と伝えておいた。 ……呼び捨てやめろ」

 想夜も小安に近づき、哀願するように聞いてくる。
「それで御殿センパイは今どうしてるんですか、小安ちゃん!?」
「電話に出たのは叢雲だけだった」
「それで? なんて言ってたの、小安ちゃん!?」
「叢雲が言うに咲羅真は無事らしい。向こうも下手な行動をとるメリットはないからな。咲羅真を痛めつけるマネはしないだろう……”ちゃん”はやめろ」
「御殿の取引はどうなったの? うまくいったのかしら?」
「ええ。明日の昼、先ほどの港で人質交換に応じる、とのことです」

 叶子の質問にテキパキ答える小安ちゃんだが、次の言葉を付け加えた。

「ただし、叢雲の条件は『人質の安全』とのことです。つまり、猫娘に自決されれば咲羅真も殺されるかもしれません。猫少女には指一本触れることができませんね。ケリなんか入れようものなら人質の首が一瞬で落とされますよ、特におまええええ!」

 ズビシイ!!
 小安が狐姫を指さした。

「え? な、なに? ……俺!?」
「そうそうおまえだクソ狐! てか、おまえしかいないだろクソ狐。いいか、ちょっとでも変なマネしてみろ。耳と尻尾を引きちぎって秋葉原のコスプレショップに売り飛ばしてやるから覚悟しておけ分かったな!!」

 クワッ。小安が脇の銃に手をかけている。既にやる気満々だ。

「そ、そうか……ひ、ひひ、人質は大事にしなきゃだな、ハハ、ハ……」
 狐姫、しどろもどろ。視線ををあちこちに動かして動揺――あやうく相方を見殺しにするところだったぜ。
(んもー、狐姫ちゃんったら……)
 冷や汗だらけの狐姫に、想夜が白い目を突き刺す。まだケツがヒリヒリしている。

 叶子は険しい表情で猫娘に向かっていくと、その小さな顎に手を添え、クイッと引き上げた。

「ふぇ……」
 怯える顔を食い入るように吟味する叶子。続いて両手で頬を包んで引き寄せた。
「ふむ……あなた綺麗な顔をしているのね。名前は?」
「……秋冬、春夏」

 上目づかい。耳も尻尾もシュンと垂らし、おびえながら答えた。黙っていれば何をされるか分からない――春夏にそう思わせる眼光が、叶子から発せられていた。

「春夏か。素敵な名前ね、気に入ったわ。私は愛宮叶子。よろしくね」
「よ、よろしく……お願いします。 ……叶子さん」
「いい子ね」
 にっこり。叶子は表情筋の緊張をほどいて、春夏に笑顔を見せた。
「いいこと春夏? 2点質問をするわ。痛くしないから安心なさい」
「……はい」
 こくり。春夏が頷く。
「1つ目。叢雲朱鷺とはどこで知り合ったの?
「シ、シルキーホーム……子供食堂、です。あと、食堂以外にも緊急で近所の子供たちを預かったり……し、します」
「子供食堂? ボランティア団体じゃないの」

 訳あって食事がままならない子供たちのために作られた食堂。政府の援助だけでは足りないため、ボランティアから送られた食材を使って料理をふるまう施設。春夏が言うに、朱鷺はシルキーホームを支えている支援者の一人だという。時々ふらりと立ち寄っては支援金を置いてゆくらしい。

「政治家の用心棒のクセに子供を支援してるとか、ほんとアイツ、何者なのん?」
 狐姫の想像圏外に朱鷺はいるようだ。

 叶子は質問を続ける。
「2つ目。春夏はそのシルキーホームに住んでるの?」
「は、はい。少し前まではお母さんと一緒に暮らしてたんですけど、今は事情があって一緒じゃないです」
「ふーん……事情ねえ」
 叶子が春夏の目をジッと見つめる。まるで高性能のウソ発見器だ。些細な目の動きでさえ敏感に読み取る。
 鋭い眼光だけで春夏を殺してしまいそうなほどの威圧感。春夏はたまらず目を逸らしてしまう。

 ……チラ。

「あーコイツ今、目ぇ逸らしたぜ? きっとやましいことがあるんだぜ」
 狐姫がからかってくるが、春夏はそれを否定した。
「ち、違うよお、時計を見たんだよおっ」
「時計?」
 傾げる想夜に春夏が聞く。
「想夜ちゃん、いま何時?」
「ふえぁ? んと……夕方5時過ぎだけど?」
 想夜が手にした端末で時刻を確認すると、春夏が目をまん丸にした。
「いけない、もう帰らないと!」

 人質の言動に一同、ポカンと口を開いた。

「……は? 何言ってんのおまえ? 人質が勝手に帰ろうとするんじゃねーよ。脳みそプリンでできてるんじゃねーの?」
 どこぞのゾンビ達が押し寄せて来そう。
「わあ、狐姫ちゃん、脳ミソがプリンとか言っちゃって! それおいしそう!」
 想夜が瞳をキラキラさせる。ゾンビはあなたの身近にいるかもしれない。
「ま、おまえの脳みそはプリン確定だがな……」
 狐姫が想夜を生暖かい目で見ていた。

 叶子が軽く叩きつけるように言葉を発した。
「春夏。あなた、自分の置かれてる状況が分かってる? 捕虜なんだからそれらしく振舞って欲しいの。こちらもいつまでも笑顔でいられるほど、悠長にしていられないの。場合によっては、ただでは済まないことになるかもしれないのよ?」
「――お嬢様、手荒な真似は控えてください。咲羅真の身の安全が保障され兼ねます」
「分かっているわ。けれど……」

 なだめる小安の横で、叶子が春夏をにらみつけている。御殿の身を心配してか、心にゆとりが無くなっていた。

「ご、ごめんなさい」
 シュン……。うなだれる春夏。一応、自分の立場を理解したようだ。

 叶子が焦る気持ちは、その場にいる全員が理解している。皆、同じ心境である。朱鷺だって裏ではどんな本音を隠しているか分かったもんじゃない。御殿を無事に返してくれる保障はない。そんな考えが、皆を一段とピリピリさせるのだ。

「『帰る』って言ってたみたいだけど、シルキーホームに帰るのかしら?」
 コクコク。叶子の質問に春夏が強く頷いた。
「家にはあなたの他にも誰かいるの?」
「うん。近所の小さい子たちの面倒も見なきゃ。あと、それから、子供食堂もやっているからゴハンの支度をしなきゃならないです」

 シルキーホームは、困った状況に置かれた子供たちの命綱だ。
 それを聞いた狐姫が血相変えて割り込んできた。

「ま、待て待て待て! それじゃあ何か? 春夏を帰らせなければ……」
「夕食を作る人がいなくて……」
 想夜と狐姫が顔を見合わせ、
「「子供たち! 飢え死に! キャアアアアア!」」

 えらいこっちゃえらいこっちゃ! 2人して素っ頓狂な声をあげて震え上がった――「寂しいよお」「お腹すいたよお」。頭ん中で、ひもじい思いをした子供たちがバッタバッタと倒れてゆく。こりゃ大変だ!

 そこへ叶子が割り込んできては、頬に手を当てて困った表情を見せた。
「非常にマズイわね。そうなったら想夜と狐姫さん、明日の朝刊を賑わせるわね。かわいそうに……」

『本日の特ダネ! 児童虐待! 犯人はJC2人組!!』

「おい! なんで俺と想夜だけ犯罪者になってんだよ! そんなオチはコイツだけにしろよな!」
 と、想夜の首に腕をまわし、その頬にグリグリと指を押し付ける。穴が開きそうなくらいグリグリッ、グリグリッと。
「あー! ヒドイよ狐姫ちゃん! テレビだったら一緒に出ようよおおぉおお~っ」
 想夜はピーピー泣きながら、すがるように狐姫に抱き着いた。
「や、やめろおおお離せ! 面倒はゴメンだぜえええ!」
「だだだだ大丈夫だよっ、ジョージョーシャクリョーの余地が……」
「ねーよ! 大量虐殺、どう考えても死刑確定だろ!」

 涙目で訴えてくるリボンの妖精。嫌がる狐姫に抱きついて離れない。

 目の前でじゃれ合うJCふたりを前に、叶子は考えた後、ある決断を出すのだ。
「小安さん、春夏をいったん解放しましょう」
「正気ですか、お嬢様?」
 フレームの隙間から鋭い視線を送る小安が怪訝な顔をする。
「ええ。解放といっても見張りはつける。ひとまず春夏をシルキーホームに返すわ」

 叶子は想夜のほうに顔を向けた。

「想夜、狐姫さん。あなた達には春夏の見張りをお願いするわね。シルキーホームまで同行してちょうだい」
「もちろん! お困りの際は要請実行委員会まで何なりと!」

 想夜は二つ返事を返し、小さな胸をドンと拳で叩いて背筋を伸ばす。斬られた痛みがあるけれど、万能薬が良く効いている。俄然、やる気満々だ。

「えー、なんで俺まで……」
 いっぽう狐姫はやる気ゼロ。まったく気乗りしていない。はよ帰ってゲームやりたい。勇者狐姫のレベル上げをしなきゃだぜ。ってな感じ。とはいえ、御殿が失態を犯したことは事実。それを思うたび、相方としての責任も生じる。
「チッ、あのおっぱい魔人、心配ばっかかけやがって……」
 歯がゆくて仕方がない――居場所が分かれば、すぐにでも乗り込んでゆきたい。どの道、今の状況だと狐姫は足踏みしかできない。


シルキーホーム


 小さな駅から徒歩10分。大した娯楽もないような住宅地の一角に空地はあった。

「おい春夏、まだ着かねーのか?」
 随分歩いた気がする。狐姫が後頭部で腕を組みながらつまらなさそうに聞いた。
「着いたっ、ここだよ」
 春夏は両手をいっぱいに広げ、空地を披露してくるではないか。
「は? おまえ俺の事バカにしてるだろ?」

 ギリリリ……。狐姫が有無を言わずにアイアンクロー。春夏のこめかみを締め上げた。

「あイタタタ……ウソじゃないよお~」
 涙目の春夏。ふたたび空地を指さすと、先ほどまでは確認できなかった障害物が現れた。
「うわっ。家が突然現れたよ!?」
 飛び上がるほど驚いた想夜が、目の前に広がる光景を凝視している。

 ところどころペンキが剥がれたトタン壁、それが等間隔に並んだ大木に簡単に打ち付けてある。その向こうの敷地に木造の貸家。古びたあばら家。築40年といったところか

「さ、どうぞ。入って」
「あ、うん。おじゃまするね」
「お、おじゃましますだぜ……」
 春夏に促され、想夜と狐姫が恐る恐る家に上がる。
 足を踏み入れた途端、自分たちも消えてなくなっちゃうんじゃないかと心配になっていた。


 玄関を入ってすぐ、部屋の奥から子供たちが押し寄せてきて、珍しそうに客人を見てはお出迎え。好奇心旺盛に覗いてくる子、食べられたりしないかと不安な表情の子。
 けれども一番ビックリしているのは想夜だった。
 暖かな日差し、森の温もり――10名ほどの子供たちから妖精の香りが漂ってきたのだ。

「春夏ちゃん、この子たちって……」
「うん、妖精の子供たち。みんなお父さんとお母さんが忙しくって、ここで面倒見てるの。中には両親がいない子もいるんだ」

 先のスペックハザードの影響もあってか人間界に生息する妖精たちは、いつ汚染エーテルの餌食になってしまうかと神経過敏になっていた。けれども、ここにいる子供たちはそんな危機的状況を知らない。元気そのもの。挨拶を早々に終えて、家の中をキャッキャと走り回っている。
 その中にひとりだけ、とても無口な男の子がいた。心ここにあらず。放心状態でふさぎ込んでいるようだ。

 春夏が男の子の肩に手を置いた。
「この子は数年前から何も喋らなくなっちゃったの。よくここを抜け出して、どこかに行こうとしちゃうんだ。今は治療方法がなくって、ご両親が働いている間はここで面倒を見ているの」

 春夏の話も男の子の耳には入っていないらしい。視線は関係ない方向に向けられ、まるで存在していないようにも感じられた。
 子供たちは自分の身を守ることが困難だ。誰かが守らなければならない。

 想夜は子供たち見るなり納得した。
「そうか。ステルス機能は自分以外のものも隠せるのね! 春夏ちゃんやるう~!」
「えへへ、照れちゃうなあ」
 想夜に褒めちぎられ、春夏は満更でもない。
「え? なに? ずっとハイヤースペックを使ってるの? つまりあれか、春夏にもアレが生えてるってことか?」
 狐姫の視線が春夏のスカートを中にロックオン。額に縦線が浮き出ていた。
 アツイ視線に気づいた春夏は、恥ずかしそうに太腿をすり合わせた。
「う、うん。家を消すようになったのは最近のことだよ。スペックハザードが発令されてから、誰かに後をつけられてる感じがして……」
「で、子供たちを守るために力を使い続けているってこと?」
 想夜の問いに、春夏が小さくコクリと頷いた。
「うん。私、ドンくさいからこれくらいしかできないの、あ痛☆」
 言ってるそばから柱に顔を打ち付ける。


 春夏に導かれるように、玄関を突き抜け裏庭に回る。
 想夜が屋内の縁側から外をのぞくと小さな畑が見えた。正方形や長方形に区切られたエリアが複数、野菜別に分けてある。
「ここで野菜を作ってるの?」
「うん。大きく育った野菜をみんなで食べるのが楽しみなんだ~」

 夏になればキュウリやナス、トマトにトウモロコシなど大収穫とのこと。毎日食べる食事、国の援助やボランティアだけでは子供たちの食事は足りない。こうして畑に実る宝物も子供たちの成長には欠かせないのである。

「こっち来てみて。新ジャガのスッゴイのがあるの。あとでみんなで食べよ?」
 春夏につられ、想夜もサンダル履きで畑に降りた。
 縦一列にジャガイモや大根の葉が並んでいる。
「うわあ~、野菜がい~っぱあい♪ ………………ん!?」

 想夜が畑の隅に目をやると、なにやら中型犬ほどの大きさの大根が井戸の淵に立てかけてある。それを見た途端、声を張り上げた。

「あ! マンドレイクだ!」

 少し大きな大根――と思いきや、大根から根っこのような手足を伸ばしてくつろいる。表情はハニワのようなヌボ~ッとした大きくてまん丸い目と、知能が低そうなOの字に開いた口。人の話を聞いているんだかいないんだか分からない、いかにも人を小バカにしたような顔つき。
 マンドレイクは両手を井戸について体を支えて座り、ふてぶてしい態度で足を組み、近づく想夜を見ては、メンドクサイ感じでしかめっ面を作った。

「ほら狐姫ちゃん、見て見て! マンドレイクだよ!」
「マンドレイク? なんだソレ? シリアルチョコのやつ?」
「うわぁ、チョコフレークのこと? あたしも好きー」
「……ボケに乗っかってくんなよ、ウゼェ」
 甘党想夜、突っ込み役には適していなかった。

 マンドレイクとは――ナス科マンドラゴラ属の植物。よく漢方薬として用いられるが、ナス科のくせに大根の姿をしている妖精でもある。ほとんどの場合、やる気がなさそうな顔をしており、無理やり土から抜くと迷惑を訴えるべく「プギャアアアア」といった悲鳴を上げる。ちなみに大根はアブラナ科である。アブラナとは菜の花のこと。

 想夜は大根のバケモノを、赤ん坊をあやすように抱きかかえた。
「マンドレイク~、かわいい~。妖精界から来たの? 名前は何て言うんですか?」
 子犬をあやすように、一人芝居よろしく大根に耳を傾けた。
 するとどうだろう? 大根は「あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙あ゙~」とか「ゔゔゔゔゔゔゔ~」といった干からびた親父のような、二日酔いのおっさんのネガティヴな溜息のような、そんなうめき声を発してきた。
 それでも想夜は構わず笑顔。
「ふ~ん、そうなのぉ。ジュテーム曽我さんっていうのぉ。51歳なの? ……え? 名乗ったんだからお前も名乗れ? あたし雪車町想夜、13歳。今年から中学2年だよ。よろしくね、ジュテーム曽我さん!」

 むぎゅううううう。

「ゔゔゔあ゙あ゙あ゙あ゙あ゙~!!!!!!」
 ジュテーム曽我(51)が想夜に何か言っている。 ……らしい。
「え? そんなにくっつくんじゃない? ここへ何しに来たのかって? うんとね……」
「おいおいおい、待て待て待て!」
 狐姫が血相を変え、慌てて突っ込んでくる。
「うん? 狐姫ちゃんも抱きたいの? はい♪」
 両手で抱えたマンドレイクを笑顔で差し出してくる想夜。
「はい♪ じゃねーだろ、万遍の笑みしやがって! この大根、タンが絡んだような大声張り上げてるじゃねーか。何モンだよ!」
 大根、改めジュテーム曽我を怪しげにガン見する狐姫。

 ジュテーム曽我はコボウのような手を想夜の細い腕に伸ばし、唸り声を上げながら、乙女の肌を舐めまわすように何度も吟味している。

「お、おい、お前こいつの触手に撫でられてるぞ? 大丈夫か?」
「大丈夫大丈夫。悪人かどうかを調べてるんだよ。よしよし、いい子ね~」
「そ、そうなのか? 13歳が51歳に『よしよしいい子ね~』って言うのもどうかと思うが……」
 曽我さんを大事に抱える想夜の手前、狐姫は顔面蒼白で一連の行為を見ていた。
「狐姫ちゃんそんな目をして……本当は抱きたいんでしょう? はい!」
 また曽我さんを差し出してきた。
「いや、いい。遠慮しとく」
 狐姫は触手に撫でられた感覚を想像しては身震いし、後ろ歩きで10メートルくらい距離をとった。

 春夏が自慢気な顔をしてマンドレイクを紹介してくる。
「曽我さんはここの主なんだよ? 畑に水や肥料を撒いてくれたり、荒らしに来る動物を追い払ってくれるの。 ……ほとんど一日中、縁側か土の中で寝てるけど」
「曽我さん、自宅警備で忙しそうだな。そっとしといてやろうぜ」
 ニョロニョロとした触手に鳥肌がたった狐姫。やっぱり関わりたくなさそう。
 想夜に解放されたジュテーム曽我。文句を言うように意味不明な言葉を吐き捨てながら去ってゆく。おそらくは「まったく最近の若いもんは……」とか「礼儀がなってない」といった感情を吐き出しているようだ。縁側に上って腰かけ、のんびりお茶をすすり始めた。そのまわりを警戒心のない蝶々が2頭、ヒラリヒラリ。騒がしいJCのことなど忘れ、平和の象徴と化していた。

「なあ春夏、他には変な……いや、変わった生き物がいたりするのか?」
「ん? 他にはね……」
 今度は春夏のもとへ猫が擦り寄ってくるではないか。
「な゙あああ~」
 濁った泣き声。かったるそうに鳴く仕草、どうやら文句を言っているらしい。決して可愛いとは言えない態度だ。
 春夏が猫を抱き上げた。
「茶太郎さん、こんにちはっ」
「ちゃ、茶太郎さん……だと? その茶太郎さんとやらは何て言ってるんだ?」
 猫同士なら言葉が分かるだろうという前提、狐姫が恐る恐る聞いてみた。
「ん~とね、『は? 人ん家に上がり込んで挨拶も無しとか? 狐のクセに生意気だ設定過多、油揚げにしてやんよ! おうよ、やってやんよ!』って言ってる。茶太郎さんもここのお留守番をしてるの」
 狐姫が呆けた。
「や、やんよ!? また設定過多って言われたぞ!? そうか……ここは優秀な自宅警備隊に恵まれてるんだな、てか口悪っ」
 お前もな。

 狐姫が茶太郎を両手でつかんで持ち上げる。

「へー、猫もいるのか~。こいつオス? メス?」
 と、茶太郎の腹を覗き込んだ瞬間、
「な゙ああああああああああ!」

 バリバリバリッ。

「痛でででで!」
 顔面を思い切り引っかかれた。
 茶太郎は狐姫の腕を抜け出し、春夏の足元へと逃げ込んでは設定過多を睨みつけた。
「痛ってーな! ちょっと確認しただけだろうーがっ」
「にゃ゙にゃ゙にゃ゙にゃ゙!」
 茶太郎が両手を広げ、物凄い剣幕で訴えてくる。
「あん? 今度は何て言ってんだ!?」
 通訳嬢、想夜の出番でいっ。
「んーとね、『だったらお前は、後ろから誰かに抱きかかえられて、両足を広げられて、股間を大勢の人たちに見られる事が恥ずかしくないんだな? 絶対だな? この淫乱痴女め!』って言ってるよ」
 とたんに狐姫が顔を真っ赤にした。通訳した想夜も耳まで真っ赤だ。
「ああ、そうか。そうだよな、うん、それは恥ずかしい……俺が悪かった」
 狐姫、反省。


 春夏の指示のもと、夕食の準備に取り掛かる。
「にしても……」
 狐姫がエプロンを装備しながら家の中を見渡す。

 決して広くないリビングで、小さな子供たちが走り回っている。大草原と勘違いしているかのような感覚ではないだろうか。

「子供がいたり大根が動いたり、賑やかな家だな」
 まったくだ。
「わーい!」
「コラー、走らないのー!」

 エプロン姿の想夜が全速力で子供たちを追いかける。説得力の欠片もない保母さん。

 いっぽう狐姫は、
「わーい!」
「待て待て待て! そっちに行くな! 春夏が料理してるだろっ。台所にいったら危険だぜ! トラップありまくりだぜ! イテッ」
 散乱している積み木に足を引っかけ、つんのめりながらも子供たちを追いかけまわす。
 子供たちの元気さは留まることを知らない。
「おしっこー!」
「はいはいはーいっ」
 想夜が慌てて子供をトイレにつれて行く。
「うんこー!」
 男の子が狐姫を指差し爆笑している。
「なんだと? 誰がウンコだ誰が!」
 日々の暴言は巡り巡ってその身に戻ってくるものです。

 2人も見張りがいるのだから何も問題はないだろう――そう思っていたのが甘かった。想夜と狐姫はてんてこ舞い。子供たちの面倒を見るのは骨が折れる。

 子供たちが想夜のポニーテールを手ではじいてブンブン回している。
「タケコプター! 飛んでけー!」
「やめて! やーめーてー! こらー!」
 きゃははと楽しそうに騒いでは、蜘蛛の子を散らしたかのように逃げてゆく子供たち。
 小さな子供にイジメられるリボンのお姉ちゃん。フェアリーフォースに所属していたとは思えないほど、非常に情けない姿である。
「はははっ、想夜おもしれーっ」
 爆笑する狐姫の腹めがけ、男の子が拳を叩き込んだ。
「食らえ、ぼでぃーぶろー!」
 ボフッ!
「ブフォ!?」
 内臓をえぐるような拳が腹にめり込んだ。綺麗にボディーブローが決まり、目玉が飛び出しそうになった狐姫が腹を抱え、その場にうずくまった。
「こ、このやろう……待ち、やがれぇ……」
「うわああ、キツネ星人が怒ったぞ、逃げろおおお!」
 ヨロヨロと廊下を走って子供を追いかけてゆく姿は、けっこう無様である。ちなみにキツネ星人のHPは1くらいだった。

 大根を器用にカツラ向きにする春夏。その横へと狐姫が近づく。
「おまえ料理うまいな。誰に教えてもらったの?」
「知り合いのお兄さんに教えてもらったんだ。お弁当屋さんの人」
 鍋を覗き込む狐姫に向けて、弾むように春夏が笑顔で答えた。
「へえ。親切な人もいるもんだな。御殿なんかスパルタだぜ?」
 あれ覚えろ、これ覚えろ。あれはするな、これはするな――狐姫が小声でブツブツ言っている。
 それを見た春夏がクスクス笑う。
「そのお兄さんも結構スパルタだよ? 鍋を焦がした罰ゲームで、よく近所までデリバリーに行かされる」
「バイク?」
 春夏は13歳です。
「ううん、自転車」

 キコキコキコ……、チリンチリン♪ 日々、額に汗してチャリンコをこぐ春夏。どこの師匠も容赦がない。

「へえ、お前に料理教えてくれる奴って御殿みてーじゃん」
「御殿ってあの黒い人? 綺麗な人だったね」
 レストランでクンカクンカしたのを思い出す。
「なんで過去形なんだよ。死んでねーよ」
「そ、そういう意味じゃなくてっ」
 あたふたする春夏。過去の出来事を語ると、受け取り方次第では亡き人として捕らえられることがある。気をつけよう。
「諦めねえし、あのおっぱいをゼッテー連れ戻すからな」
 狐姫の決意は強い。

 そこへ想夜が鼻を鳴らしながら暖簾をくぐってきた。

「うわあ、いい匂い~。なに作ってるの?」
 髪をクシャクシャに爆発させたリボンの妖精。子供たちを背中におんぶしたり、首にぶら下げたり、賑やかこの上ない。ご自慢のポニーテールが古くなったホウキのように毛先がボロボロになっている。タケコプターには向いていなかったようだ。
「春夏ちゃん、あたしも何か手伝おうか?」
「え! マジかよ? 家庭科2が手伝ったら春夏の料理が料理じゃなくなるぜ?」
「もう、狐姫ちゃんの設定過多!」
 プンスカと怒る想夜。
「……そろそろ涙が出てきそうだ、今のが最後だと強く願うぜ」
 設定過多。ほんじつ何度目?


 賑やかな日常に慣れっこの春夏、手際よく支持を出してくれる。
「え、と……それじゃあ、お皿並べてくれる?」
「おうよ、皿並べなら俺にまかせろ。なんたって皿並べ検定1級だからな。1ミリたりとも狂わずに食器を並べまくるぜー」
 それは頼もしい。
「皿並べ検定1級? それじゃあ2級は何ができるの?」
 想夜が不思議そうな顔をして質問すると、狐姫は鼻高々に答えた。
「2級なんかねーよ、そんな資格があったらいちいち夕食の支度できねーだろ。んなのテキトーに並べときゃいいんだよ!」
 ゲシッ。想夜の尻を蹴飛ばして急かした。言い出しっぺ、無責任この上ない。


「春夏ちゃん、ここにいる子供たちだけで全員? 他にはいないの?」
「あとは2歳くらいの女の子がお父さんに連れられて、よく遊びに来るよ」
「知り合い?」
「うん。お弁当屋のおヒゲおじさん。ちょっとコワそうだけどすっごく優しいの。お店が忙しい時に子供を預けていくんだ。おかず作ってきてくれる。すっごいおいしいの」
 気心の知れた間柄なのだろう。春夏の笑みからは安心感が滲み出ていた。
「そうか、ここはみんなの不安を払ってくれる場所なんだな……」
 春夏の表情を見るたび、狐姫まで安堵に包まれる。ケットシーの日常が不安だらけではないのがよく分かるからだ。妖精だけれど、多くの人間に愛情を注ぎ、また愛情に包まれているのは聞くまでもなかった。
 

侍と子供たち

 
 夕食時。子供たちと一緒にテーブルを囲み、畳の上に正座する。
「なあ春夏? おまえ朱鷺と知り合いなんだろ? あいつの居場所わかんねーの? お? この大根うまいっ、よく味が沁み込んでるな」

 ブスリ。狐姫が大根の煮物に箸を突き刺し、口に運ぶ。

「うん。朱鷺さん、いつもフラッと立ち寄ってすぐに帰っちゃうの。余計なお喋りは嫌いなんだって。どこに住んでるのかも、何をしてる人なのかも分かんない」
「そ、それって不審者のカテゴリーに入らないか? よく家に上げられるな」
 狐姫が朱鷺の居場所を聞き出そうとしているが、春夏にはサッパリ。
「朱鷺さんとはいつ知り合ったの? 狐姫ちゃん、マヨネーズ取ってー」
 狐姫が想夜にマヨネーズを差し出す。
「ほらよ、1回100万円な」
「ありがとー。高いよっ」
 一瞬だけマヨネーズを使うことを躊躇してしまう。
「私がシュベスタから逃げてくる時に、朱鷺さんにここまで運んでもらったの」
「え? 春夏ちゃん、シュベスタにいたの!?」
 想夜が驚いて箸を止める。
「うん、実は――」

 春夏から諸々の事情を聞いた想夜。牢獄から妖精たちを解放した事実を打ち明けずに、しばらく黙っていた。子供たちの前で話す内容ではないと思ったからだ。
 牢獄の中、汚れ切った想夜に対し、自分の服を千切ってまで差し出してくれた女性がいた。それが春夏の母親だ。

(あの人が、春夏ちゃんのお母さんだったの……)

 苦しい状況の中でも笑顔を絶やさない姿が素敵だった女性。今、彼女は妖精界で治療を受けているだろう。そしていつもいつも、春夏と再会することを夢見ているはずだ。

「あんにゃろーもシュベスタにいたのか!? ホントに神出鬼没な侍だな。 ……想夜、しょーゆ取って」
「はい。一滴1億万円」
「小学生か、コロスぞ」
 ゲシッ。狐姫は正座を崩し、醤油を差し出す想夜のケツにケリを入れた。しかも1億万円という値はない。
「シュベスタと妖精は縁が深いから多くの人たちが警戒していたの。朱鷺さんもその中の一人」

 単独でシュベスタに探りを入れていた侍。腕にはかなりの自信があるようだ。なにせ相手は風の八卦。ディルファーの申し子。想夜たちにとっては脅威である。

「御殿センパイ、今頃どうしてるのかなあ……」
 シュンと落ち込む想夜を元気づける春夏。畑で採れた野菜をよそい、差し出した。
「分かんないけど……きっと無事、だと思う。はい、サラダ食べて」
「思うってなんだよ? 本当に大丈夫なのか?」
 自信なさげに答える春夏を狐姫が肘でつついた。人質交換の条件は捕虜に手を出さないこと。朱鷺はそれを守る人物なのか、その存在は謎に包まれたままである。

 すると男の子が狐姫の所までやってきて、服を引っ張りながら言ってきた。

「んーとね! 朱鷺はすっごく無口だよ。でもオモチャ買ってくれる!」
 続けて向かいの女の子も笑顔で答えた。
「お菓子もくれるんだよ。あとあと、喋り方が変なの。お侍さんみたいな喋り方~」
 朱鷺の名を口にする子供は、みな笑顔だ。しまいには丸めた新聞紙を刀代わりに侍ゴッコを始める。
「せっしゃ、ベース侍でそうろー。くせものめー、かくごしろおっ」
「えー? 朱鷺はそんな喋り方しないよー」

 狐姫がチャンバラをつまらなさそうに見ながら頬杖をついた。

「ケッ。お菓子やオモチャで子供の気を引こうって魂胆か。性格ひん曲がってる野郎だぜ……痛て☆」
 ポカッ。新聞が狐姫の脳天に直撃して乾いた音が響いた。
「ポカッだって! いえーい、頭空っぽギツネ~、バーカバーカ!」
「待て、このやろおおおお」
 狐姫が立ち上がり子供たちに襲い掛かった!
「うわあ、キツネ女が怒ったぞ! 逃げろー!」
 すかさず子供たちを押さえ込んでお仕置きタイム。逃げる子供たちはキャッキャと楽しそう。
 

野良妖精


 食事を終え、食器を洗う想夜と春夏。泡だらけのスポンジでキュッキュと皿を洗いながら、当時のことを振り返る。

「シュベスタには、たくさんの妖精たちが連れていかれたの……」
 怒りを抑える春夏に、想夜が答えた。
「あたしが牢獄に侵入した時、たしかに大勢の妖精たちが捕まっていた」

 想夜は牢獄迷路でのことを春夏に話した。
 シュベスタ研究所に捕らえられた妖精たちは、想夜の活躍によって妖精界に帰界させられたわけだが、その妖精たちは「人間に謀られた」と言っていたのを忘れてはいない。

 妖精たちが人間界で生きてゆくにはエーテルが必要不可欠。人間でいうところのビタミン、アミノ酸みたいなもの。栄養に偏りがあると心身ともに支障をきたす。

 妖精たちの健康診断は、人間に紛れた妖精医師が診察することになっている。先日の定期健診の際、シュベスタは「今後の人間界のため」と説明をして妖精たちを集めた。一連の件にはメイヴと鴨原が関与していた。

 ――春夏は遠い目をした。
「人間界のエーテルバランスに影響を与えることなく生活できると聞かされた妖精たちは、進んで協力したの。けれども、誰も戻ってこなかった……」

 みな、シュベスタに捕らえられてしまった。
 妖精がエーテルを大量消費すれば、結果として人間の健康被害にも影響が出てしまう。シュベスタに捕らえられた妖精たちは、それを気にかけていた。

 想夜の脳裏に政府の黒い影が横切った。
「フェアリーフォースも嘘の健康診断に一役かっていた」
 ポツリ、呟く元政府の娘。
「……想夜ちゃん、詳しいね」
「うん……」
 想夜は弱々しく頷き、言葉を発する。
「あたし、エーテルバランサーだったから……」

 春夏が目を真ん丸にした。

「フェアリーフォース? ……想夜ちゃんが?」
「うん。昔はね。でも、逆らったからクビになっちゃった」
 てへへ……。想夜は恥ずかしそうに頭をポリポリとかいた。
「よく殺されなかったね」
 反逆罪は死刑になってもおかしくないはずだと、春夏が不安な顔を見せている。
「殺されそうになったよ。けど……みんなが助けてくれた」
 そう言って狐姫のほうを見る。その眼差しを知らずに子供たちと遊んでいる。
「妖精たちを牢獄なんかに閉じ込めて、いったい何をするつもりだったんだろう?」
 想夜の質問に春夏が頭を悩ませている。
「う~ん、詳しい事は分からないけど、汚染したエーテルを使って何か実験をしようとしていたみたい」
「汚染したエーテルで実験?」

 人間界における自然の汚染は有害物質などが原因だ。むろんポット内のエーテルも何らしかの方法で汚染されたのだが、有害物は一体なんだろう?

「汚染エーテルは妖精を暴徒化させる。けれど、浄化方法だってきっと見つかるはずだわ」

 想夜が意気込むには理由がある。
 スペックハザードの影響を受けた妖精の中には、無事に正気を取り戻した妖精もいた。双葉に能力を継承したアインセルなどはその例である。それを考えると、明るい未来は決して夢ではないのだ。

 想夜が難しい顔をしていると、座敷にいる狐姫が春夏に質問を投げてきた。
「春夏はシュベスタに捕まってたみたいだけど、体、どこか悪かったのか?」
 春夏が元気なさそうに頷く。
「うん。健康状態を維持するためには再検査が必要なんだって」
「再検査?」
 春夏は少し躊躇いながらも打ち明ける。
「私ね、心臓が弱くって臓器移植を受けたの。シュベスタに捕らえられた妖精たちも、臓器移植を待つ人たちだったんだ」
「臓器、移植?」
 初めて聞く話に、想夜が首を傾げた。
「うん。心臓の移植手術」
 襟をめくり、胸の縫い傷を想夜に見せた。

 春夏の傷――小さく、目立たないけれど、胸の中央から腹部にかけてそれは残っている。

 小さな胸に残る傷跡。痛々しい、けれども、想夜の指は自然と前に伸びてゆく。
「触ったら……痛い?」
 なかば顔色を伺うように春夏に目を向けると、ゆっくりと首を左右させる姿がそこにはあった。
「ううん。触ってもいいよ。痛くないから」
「ありがとう、そっとさわるね」

 鎖骨と鎖骨の間から、胃のあたりまで切り裂かれた胸の皮膚。左右に割れた組織が互いに溝を埋めるように、微かに、小さな渓谷のように盛り上がっていた。術後2年弱といったとことか。

 細胞には自己修復機能が備わっている。時間の経過とともに傷は無くなってゆくわけだが、痛みと共にした思い出はどこへも消えはしない。春夏の傷のずっと奥にそれは記録されている。大人であろうと子供であろうと、痛みは相手を選ばない。それを乗り越えた勲章として、傷跡は存在している。

 狐姫も後ろから覗き込んできた。
「お、俺もいい? ……尻尾、さわっていいから」
「さわりっこ? いいよ」
 そっと春夏の胸に手を伸ばす。
「ふひっ。狐姫ちゃん、そんなに触ったらくすぐったいよお」
「あ、わりい」
 悶える春夏の手前、狐姫は慌てて手を引っ込めた。

 春夏は衣服を整えながら2人に打ち明けた。
「知ってる? 心臓ってね、喋るんだよ?」
 狐姫が吹き出した。
「うっそだあ~、いくら何でも心臓は喋らないだろお~」
 心臓に唇がついていることを想像した狐姫、とたんに寒気が押し寄せてきた。
「ううん。喋るの。こうして、胸に手を当てるとね……」

 春夏は瞼を閉じ、胸に手を当て、耳を澄ました。

「…………ほら、ね? 聞こえてくるでしょう?」

 狐姫が春夏の胸に、自慢のケモ耳を当てた。が……

「あん? なんも聞こえねーぞ?」
 聴力には自信がある。でも、心音以外なにも聞こえてこない。
「悪霊にでも憑りつかれてるんじゃねーのか?」
 春夏はシュンとして首を傾げた。
「おかしいなあ。私には聞こえるのに……」
 想夜も春夏の胸に耳を当ててみた。が、やはり心音以外は聞こえなかった。
「春夏ちゃんの心臓、何て言ってるの?」
 想夜に問われ、春夏は困った顔をする。
「それがね、意味の分からないことばかり言うの。『鍵になりなさい』とか何とか」
「なるほど、わからん」
 腕を組みながら、ウンウンと頷く狐姫。
「それに心臓は、いろんな景色も見せてくれるんだよ?」
「いろんな景色?」
「うん。例えばね……にゃあ!?」

 春夏のスカートを男の子が派手にめくり上げた。と同時に猫の尻尾がピーンとナナメにはね上がる。

「いえーい! パン、ツー、まる、見えー!」
「コラー! やめなさいって言ったでしょう!」
 スカートめくりの被害者、おたま片手に男の子を追いかけていった。

 子供たちが抱える感情は、決して寂しい事ばかりではない。そう思ったのも束の間だった。微笑ましい光景に包まれている想夜の元へ、例の男の子が近づいてきた。ひとりだけ暗い表情で、とても元気がない。

「お姉ちゃん、警察? ……フェアリーフォース?」
「え、あ……うん。そうだよ」
 飛び切りの笑顔で答える。「上司ボコッてクビになりました」、「反逆罪でクビになりました」、なんて難しい話、ここでは似合わないだろう。
 顔が引きつる想夜に向けて、男の子が途切れ途切れに聞いてくる。
「悪い事したら、逮捕……されちゃう?」
「うん、逮捕、逮捕だぞおおおっ」
 森の熊さんみたいにガオーと襲い掛かるマネをするも、ぜんぜん迫力ない。
 男の子は口を噤み、それでも拳に力を入れて話はじめる。
「ぼ、僕……僕ね……僕……ぼっ……」
「うん? ……どうしたの?」
 会話が一向に進まない。しまいには瞳いっぱいに涙を浮かべてこう言った。

「僕……男の人……殺し、ちゃった……食べ、ちゃった……」

 男の子の頬に一筋の雫。しまいには天井をあおぎ、大泣きしてしまった。

 想夜と狐姫、それに春夏から笑顔が無くなり、互いの目を見ては男の子に聞いてみる。
「何があったのか、お姉ちゃんに話してみて? 怖くないから……ね?」

 想夜は男の子の目線までしゃがみ込み、手をギュッて握りしめ、柔らかい口調で質問した。
 男の子はある町で起きた誘拐事件について話し始めた。


被害者の子供


「――え? きみ、晴湘市に行ったことがあるの?」
 こくり。男の子が想夜に向かって泣きっ面を見せながら小さく頷いた。食べられてしまうんじゃないかと思っているらしい。
 想夜の脳裏に御殿から聞いた話が浮かんだ。
「ひょっとして、きみは……」

 晴湘市で起きた誘拐事件。その被害者の子供は、ここにいた――。

 子供は誘拐され、凌辱されそうになったものの、当時の記憶がまるでない。どうやって晴湘市に来たのかも分からないと言う。

 事件当時。子供が我に返ると、誘拐犯の死体が目の前に散乱していた。口の中にネットリとした鉄臭い液体。口の周りを拭うと袖が赤く染まった。そうして、犯人の一部を平らげたのだと気づいたのだ。
 子供は親元へと戻ったが、白昼夢のように徘徊したり、放心状態のままコミュニケーションも滞っていた。育児に悩んだ両親は、シルキーホームの噂を聞き、助けを求めるべく預けるようになった。

 想夜の目の前にいる子供は、ずっと、ずっと、忌まわしき過去を引きずりながら生きてきた。

 僕は人殺し。僕はきっと逮捕され、死刑になる――我に返る瞬間が訪れる度に、その恐怖を何年ものあいだ抱いて生きてきた。気が狂うほどに、思いつめ、どうすればよいのかを考え、そうして今に至る。

 想夜は子供を抱き寄せ、震える体をギュッと抱きしめた。
「大丈夫よ、怖がらないで。大丈夫、逮捕されない。きみは死刑にもならないわ。お姉ちゃん達が守るから、泣かないで……ね?」
「うん……うん……ごめんなさい……ごめんなさい」
 抑えきれない苦痛に耐えきれず、助けてくれるかもしれない人と出逢った安心感からか、しまいには「わああ」と泣き出してしまった。

 想夜は想う――今はただ、その涙の行く先が、苦痛からの解放であることを祈るばかりだ、と。

 想夜も、狐姫も、春夏も。ただ黙って男の子を諭すことに時間を費やす。戦士であっても、それしかできない。腕力だけではどうすることもできない問題と直面していた。

 腹の中に入った邪悪な肉片を掻き出そうにも遅すぎる。喉の奥に手を突っ込んで吐き出そうとしても無駄なこと。男の子の体に、脳の奥底に、異臭はこびりついて離れない。

(我を忘れたからといって、子供がそこまで豹変するものなの?)
 鬼になったのならまだしも、目の前の子供は妖精の子供。ごく普通の子供。
(子供がこんなことになるなんて……一体、何が起きているというの?)
 想夜は子供を抱く傍ら、遠く輝く星を睨みつけた。何もできない星々と自分が重なり合って、無力を自覚する。

 座敷のテーブルには、男の子の食べかけのお菓子が散らかっている。伊集院から受け取ったものだった。
(妖精界の……お菓子――)
 

泣く子よ、今は眠れ――


 ――陽もどっっぷりと沈み、夜うぅ~。

 夕食を終えたシルキーホームはとても賑やか。
 被害者の男の子は泣き疲れて眠ってしまった。せめて夢の中では悪夢から解放されて欲しいと願ってやまない想夜たち。
 春夏が暖簾をかき分け座敷に入ってきた。
「お風呂沸いたよー」
「あ、はーい! 今いくー!」

 廊下の向こうから想夜の声が聞こえてくる。家中、あちこちを走り回っているようだ。

「いえーい! ちっぱーい!」
「こーこまーでおーいでー」
「こらー、走らないのーっ」

 全裸で走り回る子供たち。それをバスタオル姿の想夜が追いかける。

「ナイチチ女ー」
「ちゃんとあるもんっ」

 痛いところを突かれ、子供相手に向きになる。バスタオルをはぎ取られそうになり、引っ張り合いになる。もう、てんやわんや。

「んもうっ、狐姫ちゃんも手伝ってようっ」
 バスタオルを取られまいと奮闘する想夜。
 狐姫もスポーツブラ姿で子供たちの相手をしていた。
「いいか? 拳をこう……相手の腹に叩き込んでだな」
「えー、わかんなーい」
「拳を突き出す時は足は肩幅にして……」
「ねー、なんで耳と尻尾ついてるのー? 春夏みたーい♪ ねえ、消えてみてー」

 狐姫がベタベタ触ってくる子供の手を払う。

「うるへー触んな、ステルス機能なんかねーよ、黙って聞け。こう、足を肩幅に開いてだな……」
「耳さわらせてー」
「尻尾さわらせてー」
「わたしもわたしもー」
「オレもオレもー」

 何度も伸びてくる子供の手をペシペシ払う。

「おさわり道場じゃねーんだよ、黙って聞け。こう、半身の姿勢で構えてだな……」

 ファイティングポーズを決める狐姫を、子供が困惑した顔で見ている。まるで珍獣を見る時の冷たい目そのもの。

「キツネ女がなんか言ってるぞー」
「カタハバってなにー? むずかしくって分かんなーいっ」
「かーっ。どうして分かんねーかなあ~。いいか? ブルースリーが特性のサンドバッグを使ってケリの練習をしている時にだな……」
 とつぜん男の子が拳を繰り出す!
「うるせーくらえっ、ぼでぃーぶろー!」

 ボフッ。

「うが!?」
 戦闘訓練満々の狐姫だったが、子供の鉄拳をもろ鳩尾みぞおちに喰らい、腹を抱えてその場に突っ伏した。
「いえーい、弱えーでやんのー」
「こおぉ~のおぉ~やああぁ~ろおおおおぉぉ、待ちやがれえぇ……」
 ヨロヨロと千鳥足で子供を追いかけていった。

 ズズズ……。曽我さんは縁側に腰かけ、月を見ながらのんびりと茶を啜っていた。


水角への依頼


 無関係の春夏を人質に取るMAMIYAのやり方は、かなり乱暴だった。けれども、御殿の安全が保障されるならば、それも仕方のないこと。
 朱鷺が何故そこまで春夏にご熱心なのか? それは誰にも分らない。ただ御殿さえ無事ならば、春夏の監視を速やかに解くつもりだ。

 朝食を終えた叶子は人質交換のため、一足早く港へと向かった。
 すでに想夜とは連絡をとっており、お昼過ぎに合流予定。
 そこには御殿を連れた朱鷺もくるはずだ。


 宗盛が端末を手にして難しい顔をしている。相手は水角。至急こちらに向かうよう、連絡を入れたばかりだった。

 ギュオオン……ガコン。

 エンジン音が近づいてきて、愛宮邸の駐車場にバイクが止まった。
 乗っていたのは水角。庭に立つ宗盛の方へ近づいてくる。

「――宗盛さん、おはようございます!」
「やあ、おはよう水角君。すまないね、急に呼び出したりして」

 水角は朝一番のすがすがしい笑顔を送ったものの、宗盛の深刻な表情を読み取り、顔が強張った。

「いいんです。それより、どうかしたんですか? 浮かない顔して」
 宗盛の顔を覗き込む水角に、宗盛が答えた。
「はい。たった今、鴨原から連絡を受けたのですが……どうやら、ミネルヴァの相談役が動いたようです」
「ババロアが?」
「子供の捜索を行っていたのは風の八卦だけではございません。何故かは存じませんが、ミネルヴァも子供を探しているようなのです」
「ミネルヴァが子供を? ど、どうしてですか?」

 水角はババロアの配下にいた。そんな過去から感じること、それは「モルモットはボクだけじゃ物足りないというのか?」といった怒りと悲しみ。これ以上、犠牲者を増やしたくはないのだ。

 宗盛は険しい顔を水角に向けた。
「どうやらその子供というのがシュベスタ研究所から消えた子供、秋冬春夏さんらしいのです」
「春夏ちゃんがターゲット!? じゃあ、ババロアが向かった場所って、まさか……」
 鴨原がつかんだ情報がいち早く宗盛に届いていた。
「はい、シルキーホームです」
「そんな! あそこには想夜ちゃんと狐姫ちゃんもいます! いくらなんでもババロア相手じゃ歯が立ちません、早く撤退させてください!」

 水角が宗盛にすがるように叫んだ。水の八卦と言えど、危機感を抱くもの。それだけ大切な人達ができたという証。

「想夜ちゃん達には連絡を入れたんですか!?」
「はい。ですが、先ほどから一向に電話に出ないのです」
「ま、まさかもう……」
 できることなら悪い方には考えたくない。思考が実現してしまうのが怖いのだ。

 御殿は朱鷺に捕まったままだ。姉に甘えることさえできない状況下、水角はひとりになった気がして不安になる。
 想夜と狐姫、2人だけで酔酔会を相手に立ち回れるわけがない。地獄の妖精のバワーはケタ違いだ。

「どうしよう、宗盛さん?」
 重要な会議中のため、愛宮邸の傭兵を動かすこともできず、そうかといって会議を中断するわけにもいかない。
 宗盛は悩んだ末、決断を下した。
「お嬢様には既にこの事を連絡しております。水角君、わざわざお呼びだてしてすまないと思っているが、君にお願いがあります――」

 宗盛の言葉を受け取った水角は忍者刀のベルトを肩にかけ、バイクにまたがった。
(みんな、ボクが行くまで無事でいて――)

 ヴオオオオン!

 キーを捻ってエンジン始動。水角はスロットを捻り上げ、愛宮邸を後にした。


カボチャの馬車


 ――翌朝。

 シルキーホームにはホットケーキの甘~い香りが漂っていた。

 人質交換の前の腹ごしらえ。朱鷺と戦うわけではないが、甘いもので気合を入れたいお年頃。
 おやつ準備の最中、冷蔵庫を開けた春夏が困ったような声を上げた。

「どうしたの?」
「いっけない、メープルシロップ切らしちゃった……」
「よし、俺が買ってくるぜ。BダッシュBダッシュ~♪」
 よっこらしょ。と、狐姫が席を立つ。
「あ、あたしも行く!」
 想夜も挙手。
「は? それじゃ誰が春夏を見張るんだよ!」
「あ、そっか」
 首を傾げて天井を見上げる想夜だったが、いいアイデアを思いつく。
「じゃ、みんなで行く?」
「女子トイレかよ。メープルシロップ買うのにこの人数はないだろ~、ひとりで充分じゃね?」
 まとわりつく子供たちを見ては、狐姫が困ったような顔を作った。
「こひめー、行こう行こう!」
「お菓子買ってー、こひめー」
「”ちゃんサマ”つけろっつってんだろーがっ」
 狐姫は頭をかきながら悩んだ末、子供たちのお守も兼ねて連れ出すことにした。
「ち、しゃーねーな。ほんじゃ、みんなで行くか!」
「いえーい、やったー!」
 子供たち、大喜び。


 玄関を出てすぐのこと。
「あれ~? 急に天気が悪くなってきたー」
 子供のひとりが空を指さす。

 先ほどまで晴天だった空が真っ黒い雲で覆われ、しだいにポツポツと雨が降り注いだ。

 想夜が手をかざす。
「ほんとだ。雨も強くなってきちゃった」
「傘持ってきてないぜ? どうする?」
 狐姫がウンザリ顔を向けた時だった。

 ……カッ……ポッ、カッ……ポッ。

「……ん?」
 耳を澄ますと、遠くから動物が闊歩する音が聞こえてくる。

 カッポ、カッポ……。

 しだいにリズミカルな音へと変わっていった。

(ん? これは……馬の足音か? なんだ、この嫌な感じ……)
(妖精反応!? 狐姫ちゃん、どうする?)
 想夜と狐姫はよからぬ事態が起きていることをいち早く察知した。
 腹の底からゾッとする寒気が押し寄せ、足がすくむ。ただ事ではないと悟った瞬間、狐姫が想夜に耳打ちをした。
「おい想夜、春夏と子供たちを連れて愛宮邸へ逃げろ」
「う、うん。分かった」

 想夜と狐姫が遠くの路地を睨みつけていると、曲がり角から突如、2頭の馬が現れこちらへと走ってくるではないか。

「おい想夜、アレを見ろ」
 顎で曲がり角へと視線を促された想夜は、目の前の光景を疑った。
「……馬? 馬だ」

 ポカンと口を開いていると、さらに信じられない光景を目の当たりにする。

「――カボチャだ……黒いカボチャだ」

 住宅地の路地裏、馬が引いていたのは黒くて大きい、まあるいカボチャの馬車だった。

 カボチャの御者台にはタキシード姿の短足デッパのウサギが座り、無表情で手綱を引いていた。

 ゆっくり移動するカボチャのまわりを動物の造形をした小型暴魔たちが楽しそうに、一緒になって歩いている。

 春夏や子供たちが珍しそうに指をさす。
「わあ、馬車だ! すげー!」
「見たい見たい!」

 テーマパークのパレードのような行進劇を前に、子供たちがはしゃぎながら馬車へと近づいてゆく。暴魔を遊園地の着ぐるみと勘違いしているようだ。

 それを狐姫が引き留めた。
「やめろ。近づくんじゃねえ!」
 狐姫の鬼気迫る口調に、子供がビクッと肩を震わせた。

 一匹の暴魔が叫びながら馬車を先導してきた。

「どけどけどけ~! カボチャの馬車のお通りだ~い!」
 子供たちの波を割るように、馬はシルキーホームの前で歩みを止めた。
「よいしょっと♪」
 タキシードの御者が手綱を離し、身軽そうに席から降りた。

 想夜や子供たちが何事かと見ていると、御者がカエルを踏み潰したよな笑い声をあげながら言ってきた。

「げひゃひゃひゃひゃっ。頭が高いねえ~、頭が高いね~。アッタ~マ切り落とされたくなかったら控えおろうだぁよ~。地面にアッタ~マ、こすりつけるだぁよお~」
 ノリノリのテンポで話す御者が馬車の横で立ち止まり、扉をゆっくりと開けた。

 すると中から男の声が――。

「ずっと探していたよ。まさかボロ屋を透明化させていたとはな……驚きだ」

 馬車から降りてきたのはミネルヴァの男。

 想夜が子供たちを庇うように先頭に立ち、男に鋭い視線を向ける。
(……なに? なんなの? この邪悪な感じは――)
 男の向こうに座っている婦人から、桁違いの妖精反応を感じ取っていた。