5 咲羅真御殿はもらってゆくぞ!

小安は悪くない


 愛宮邸――。

 屋敷内を見回る小安が不審者らしき人に声をかけた。
「おいそこのお前っ、おい待てっ」
「はい?」
 引き留められたのは水角。屈託なき万遍の笑みで振り向くと、目の前には銀髪の筋肉メガネがいる。
 小安は目の前の少女、いや少年を覚えている。否! 忘れるわけがない!!
「おまえ、人の関節をはずしておきながら、謝罪ひとつ無しとはいい根性してるじゃないか?」

 ズズイッ。

 まるで道にたむろしている不良がカツアゲでも始めるかの如く水角に顔を近づけた。
 それもそのはず。小安は先日、愛宮総合病院で水角から一撃を食らっている。それも出逢って早々に、だ。

 迫る小安を前に、水角は困った顔でしどろもどろ。胸に手を当てて身を引いた。まるで街で不良にからまれた少女のようだ。

「そ、そういえばそんなことがあったような……」
「『そ、そういえばそんなことがあったような……』ではない。あったんだ!」
 小安は可愛らしいモノマネも取り入れながら、腰をクネクネさせて吠えた。
「ひっ、ごめんなさい。ボク、言われた通りにしか出来なくって……」

 命令通り、邪魔者を排除してゆく。それがババロアの手によって蟲を感染させられた戦士の勤めだった。

 小安が身を乗り出すたび、水角はピクンピクンと肩を震わせ、ひどく怯えているご様子。それだけ目の前の男が野獣に見えるのだ。八卦とはいえ、心はか弱い子供である。
「うるさい、こっちへ来い」 「あっ、ちょっと……!」  小安はメガネをくいっと上げると、水角を無理やり近くの部屋に引きずり込み、レンズを光らせた。
「まあいい、過去のことは水に流そう。それよりも身体チェックをさせてもらうぞ。ほれ、両腕を上げろ」

 グイッ。小安が思い切り水角の上着をつかむ。

「ちょっ、何をするんですか! 乱暴はやめてください」
 水角、必死の抵抗。服を脱がされまいと両手で胸を隠しつつ半身の姿勢、とたんに涙目。
「子供だからといって容赦はせん。上着の下に武器を隠し持っているかもしれないからな。外国では子供が銃を握っている戦場もある。古き友人ジョンは、兵隊の子供が懐に忍ばせておいたカエルの玩具に度肝を抜かし、それっきりショックで寝込んでいる。ジョンはもう戦えないだろう」
 そう。遠い目をしながら、あの日の戦場に思いを馳せるのさ。ジョン・ジャック・ギブソン、いい奴だった――。
 まだだ。戦場で戦えなくなった奴はまだまだいるぞ。
「古き友人ピエールは、何を勘違いしたのかパイナップルと手榴弾を間違えてかじってしまい、顎が外れて寝込んでしまった。どうやったら間違えるんだよ、器用な奴だな……そんな光景を腐るほど見てきたさ……」

 小安、ふたたび遠い目――。

「だから早くこれを脱げクソガキ!」
 くわっ。
 無理やり少年の服を脱がそうとしては、嫌がる水角とパーカーを引っ張り合いになった。
「は、離して! やめてください! ……ジョンさんメンタル弱すぎですよ! ピエールさんはもう意味が分かりません! どちらにしろパイナップルの丸かじりは危険でしょ!?」
「おのれ! 友人を馬鹿にしやがって! 手こずらせるな! さっさと脱がんかい!」
「ボク何も持ってません!」

 ぐいいいいいっ。パーカーの引っ張り合いにより、小安に軍配ががる。
 スルリと脱げて水角の白くて細い肩が露になった。

「だ、だめぇ……見ないでくださぁい」
 甘い吐息を漏らしながら、涙目で訴えてきた。
「ほれ! 腕をどけろ!」
 問答無用、小安が水角の体に手を伸ばす。

 少女のように華奢なライン。しっとりとした肌質の上を小安の手がスケートリンクのように滑ってゆく。

「や、やめ……だ、だめえ……」
「なんだコレは? こんなところにデリンジャーなんぞ隠し持ってやがって! ……ん? デリンジャーにしてはフニャフニャして小さいな」
「そそ、それは違います!」
 赤面する水角の後ろから折り重なるようにガブリよる小安。互いに服の引っ張り合いに発展する。
「乱暴にしないでください!」
「やかましい、大人しくしろ!」
 パーカーが左右にビヨ~ンと伸びたあと、

 ビリリ!
 ……破れた。

「ああ! 洋服がっ。お姉ちゃんに叱られちゃうっ」
 破れたパーカーで必死に上半身を隠す水角。白い肩を震わせながら、怯えた小動物の目。とても悲しそう。
 小安は容赦なく水角に迫った。
「服などいくらでも買える。子供とて容赦はしない、ビシビシいくからな!」
「やめて……うわぁっ」
 水角、後ろ足の逃げ場もなくなり、足がからまってソファに倒れてしまう。

 ボフッ。

 水角は頬を染め、涙を流して訴えた。ソファの上で四つん這いになり、小安に背を向ける。
「ご、ごめんなさいっ。ボク、小安さんのこと本当に何も知らなくって……っ」

 うんうん、あるよねあるよね~。敵か味方かも分からずBB弾を打っちゃうことって……だが小安にはそんな言い訳通じない。そう、それが戦場だ!

「大人しくしろ、二度と歯向かわないように調教してやる」
 怯える仔羊の後ろから小安が覆いかぶさるように近づき、執拗に責め立てた。
「戦場に送り出されたクセに何も知らないだと? 謝って許されるほど戦場はあまくないということを貴様も知っているはずだ!」

 殺るか!? 殺られるか!? それが戦場でい!

 小安は水角の細い腕を掴むと、思い切り後ろに捻じり上げた。
「い、痛い! 痛いよお、小安班長ぉ、痛くしないで……」
 瞳うるうる。売られてゆく村娘よろしく、水角が喘いだ顔で訴えてくる。
 でも小安は聞いちゃいない。
「人間ってのはな、痛い思いでもしなきゃ学ばない生き物だ。それに、多少の痛みがあれば快楽ホルモンで痛覚も気持ちよさに変わる。少しは勉強するんだな」

 涙を流して訴える子羊に対し、オオカミがこれでもかというくらいに顔を近づけてほくそ笑む。

「なんだ貴様、太腿をすり合わせたりして……はは~ん、さてはここに何か隠し持っているな? 見せてみろ!」
 ジーンズが下着を巻き込んで太腿までずり落ちる。
「わわわわわ!?」
 露になったプリケツを死守するため、ジーンズに手をかける水角。苦しさに悶え、ほんのりピンクの細い唇から小さな吐息を漏らし、横目で小安を見つめている。
「はぁ……はぁ……こ、これ以上は、ボク……」
「これ以上は……なんだ? 言ってみろ!」
「ダ、ダメ! ダメだよおっ、お姉ちゃんに怒られちゃう……っ」

 小安は首を傾げた――はて? 目の前のこいつは本当に男だろうか? キメ細かい肌に細くて小さな背中。おまけに腰まで括れている。パーカーで隠されている胸は、気持ち程度ではあるが小さな谷間が見え隠れ。誰が見ても明らかに女の子じゃないか、と。

 コンコン……。

 直後、小安が疑問を抱えるすぐ後ろでドアがノックされて開く。

 振り向く小安の視線の先――

「……小安班長?」
 真顔の御殿が小安を凝視しているではないか。
「げげっ、咲羅真御殿! いや、こ、これは……だな」
 小安の目が右へ左へ。言い訳の行方を探している。

 御殿が懐から端末を取り出す。

「もしもし、警察ですか? ウチの可愛い弟が――」
「わあああああ、やめろやめろやめろ!」
 御殿に近づき携帯端末を引ったくった。

「――ったくもう! 咲羅真御殿、キサマ何を考えている。上司を公安に売る気かボケ! 乳ばかりデカくなりおって!」
 はい、セクハラセクハラ。
 冷たい眼差しの御殿に小安が悪態をつく。そうでもしなきゃ一方的に犯罪者扱いだ。

 そこへ想夜たちが次々とご入場。

「小安ちゃん、お疲れ様でっす!」
「うい~、小安~。おみやげ買ってきたぞ~、プリンだぞう~」
 敬礼ウインクする想夜、ダラダラ歩いてくる狐姫。
 ひん剥かれた水角を見た途端、想夜が飛び上がった。
「ふぇあ!? どうしたの水角クン、大丈夫!?」
 慌てて近づき、自分のカーディガンを羽織らせた。
「こ、小安……おまえ、ついにやっちまったな……」
 悲し気な表情の狐姫。ワナワナと震えながら懐から端末を取り出した。
「あ、もしもし、おまわりサン? 今、目の前におさわりマンが――」
 小安がワナワナと震え、狐姫に近づいて端末をひったくった。
「いい加減にしろよ。おまえら」

 そう、小安は悪くない。悪いのは全てこの世の不条理。人間ってタイミングが大事なの。
 ね? そうでしょう? 小安?


 小安と水角、はだけた服を着替え中――。

 小安が想夜の目を見ながら真顔になる。
「……で、今日は何の用だ、ションベン妖精」
「えへへ、菫さんに会いにきたの……んもう! ションベン妖精じゃないようっ」
 想夜がぷう~っとホッペを膨らませて鼻息を荒くする。先日からションベンだのウンコだのとヒデー言われようだ。
「菫さんなら裏庭で花の手入れをしてる。早く行け」

 しっし。小安が一同をあしらうように言葉を投げつけた。面倒くさい連中とは関わっていられん。

「あー、誤魔化したぁ~。セクハラ犯罪者め!」
 狐姫に指摘される小安。周囲の冷たい視線を手で払いのけた。
「うるさいクソ狐、ほら、行った行った!」
 しっしっし! ――まとわりつくうるさい輩を無視し、警備に戻っていった。


……で、市長の仕事は?


 想夜が中庭にやってくると、遠くから声がかかった。
「おーい、想夜ー!」
 麦わら帽子に汚れた軍手のまま、想夜に向かってグーパーを繰り返して笑顔を見せてくる。
「菫さん!」

 想夜が笑顔で駆け寄ってゆく。勢いあまって菫に突っ込みそうになるも、両手で抱えられて事なきを得る。

「右手はもう大丈夫なの?」
 菫が想夜の右手を取って確かめる。
「えへへ、大丈夫。だいぶ良くなってきてるんだよ? ほらっ」
 と、自慢気に右手を閉じたり握ったり。回復は順調そうだ。
「良きかな良きかな。よーし想夜、腕相撲しよう」

 菫がガーデンテーブルの上に右肘を乗せて舌なめずり。獲物を狙う蛇のように想夜を待ち構えている。

「いいよー。黄金の右腕、ここに爆誕なんだから!」
 想夜は肩を回し、菫の手をガッチリと握った。
「いくよー、菫さん」
「あいよー、カモオーン!」
「「レディー……GO!」」

 ずどおおおん!
 瞬殺。けたたましい音を立て、想夜が頭から茂みにダイブ。逆さまの状態でスケキヨみたいに両足をVの字にしてくたばっている。

 ――右手の完治までもう少しかかりそう。


 黄金の右腕はさておき、2人はテーブルをはさんでおしゃべり。
 学校から持ってきた包み紙をウキウキ気分で開封――家庭科で焼いたパウンドケーキ。菫にも食べてもらいたくって。
「菫さん、市長の仕事はしなくていいの?」
「い、いいのいいの。もう終わったから!」

 しどろもどろ、菫の視線が泳いだ――中学生を前にして、まさか抜け出してきたとは言えまいて。今頃は良夫が血相かえて探している最中だ。捕まったらどうなることやら。くわばらくわばら。

 募る話はあれど、まずはシュベスタ戦後の出来事を菫に話した。フェアリーフォースを敵に回しながらも生還したこと。それ即ち、戦いは続いているということ。妖精界の支援なくして想夜の学生生活は約束されない。退学や退寮だって考えられる。学生の身分では住む場所が無くなることこが一番不安なワケだが……。

 菫はとくに難しい顔をするでもなく紅茶の香りを楽しんでいる。
「国からは何の連絡もないわね。想夜は今の生活のままで問題ないと思うわよ?」
「……そうですか」
 と、顔を紅潮させうつむいた。

 女子寮を手配してくれたのは菫だ。せっかくの好意を踏みにじるのが申し訳なくって目頭が熱くなり、腕で乱暴に涙を拭った。

 それを見た菫が想夜の頭をワシャワシャと撫でながら、声に力を込める。

「だいじょぶだいじょぶ。露頭に迷うことなんかないんだから、退去要請があったら次の居場所を探してあげるって。子供は余計な心配しなくていいの」
「……はい」
 ぐすん。想夜は鼻をすすり、半べそで顔を上げた。
「菫さんはあたしが妖精だって知ってたんですか?」
「そんなわけないでしょう。あなたの学費や寮の支援だっていくつもの機関を通してあるみたいだから、資金の元手がフェアリーフォースだなんて人間には知ることはできない、叶子ちゃんや華生ちゃんのことだって先日知ったばかりよ?」

 逃亡者の華生。その能力を継承した叶子――廃墟と化した元MAMIYA研究所で皆を迎えていた時、宗盛から諸々の事情を聞いたらしい。

「そりゃあね、最初は驚いたわ。だけどテロリストを聖色市に住まわせているわけじゃないんだから、別に問題ないかなって。そう思ったの」
 フェアリーフォースは政府だ。それに仇名す者は反政府。妖精界にとって想夜はテロリストと変わらない。菫の目には子供と変わらない。人の評価など見る者によって悪にも善にもなる。
「それにほら、見て」
 菫は庭いっぱいの花たちを想夜に見せた。
「ここにある草木は貴方が植えてくれたもの。街の花壇だって貴方が手伝ってくれたおかげで人々に癒しを与えてくれる。人々の心に安らぎを与える想夜だもの。もっと自分の必要性を認識してごらんなさい」
 想夜は市役所の手伝いで、街の花壇を手入れしている。綺麗に咲いた花たちは、いつだって誰かの手によるものだ。
 自分は世界にとって必要ないという考えは、ただの思い込みに過ぎない。そんなこと誰も言っていないし、そんなことを言う奴の価値観こそ疑わしい。

 万物に言えること――本人には分からずとも、いつでも誰かが気にかけているものだ。

 菫は真剣な眼差しで想夜を真っすぐに見つめた。
「だからね想夜、私は決して、貴方の存在を無かったことになんかしないんだからね」
「菫さん……」
 想夜は御殿の言葉を思い出した。

 『あなたの事を好きな人は、たとえ何があっても、ずっとあなたを好きでいてくれる――』。


データマイニング


 御殿は水角を連れて聖色市の街へと繰り出した。
 想夜にも同行してもらう。妖精絡みにはこの上ない味方となる。

 久しぶりの街中は以前と変わらず賑やかだ。買い物客が行きかうストリートを歩いていると、本当に児童失踪事件が起こっているのかと疑わしくもなる。
 事件がなければ可愛い弟とショッピングを楽しむこともできよう。けれどもそんな時間は御殿には用意されていない。

 先ほどから失踪児童宅を何件か回っていたところだ。
 児童行方不明事件はどこから始まり、どこへ向かうのか? そればかりが御殿の頭を埋め尽くしている。

「ゴメンなさいね。あなたたちにまで仕事をさせてしまって……」
 御殿は申し訳なさそうに水角の頭を手繰り寄せ、優しく撫でた。
「ううん。気にしないで。何かあったらボクに遠慮なく言ってね。しっかり守るから」
 サラサラのショートヘアが愛おしい。
「頼もしいわね。お願いするわ」
 姉に甘える弟。手には布に包まれた日本刀が握られている。エクソシストである姉の護衛役を担っている、小さきナイト様。

「お姉ちゃん、次はどこの家に行くの?」
「そうね……」
 御殿がビルの隙間の空を見上げて考える。
 行方不明児童の両親からは、詳細を聞かされていた。
 通っている学校や家柄、国籍、性別、すべてが統一性のないものばかりだが、どこかに共通点はあるはずだ。
 御殿は以前、鴨原からデータマイニングという言葉を聞いたことがある。

 データマイニング――ビッグデータから共通点を導き出し、統計に生かす方法。アクセスログなどから犯人の生活時間なども割り出せる。『紙オムツとビール』が有名。

 紙オムツとビール――嘘か誠か、外国のスーパーマーケット。週末に紙オムツとビールが売れていた。そのほとんどが男性客。それに気づいた店側は、紙オムツとビールの棚を近づけた。結果、さらに売り上げが加速。その答は男性客の『家庭』にある。つまるところ男性客は一家のパパであり、ママからおつかいを頼まれたりするのだ。『お父ちゃん、赤ちゃんのオムツ買うてきてぇな』『せやな。週末やし、ついでにビールも買うて帰ろやないかーい♪』というわけ。

 交差点で赤信号に引っかかった御殿。
(どこかに失踪した児童の共通点があるはず)
 ビルの屋上に掲げられているミネルヴァ重工の広告を睨みつけた。家族に囲まれた老人が笑顔で団らんしている。

 『ペースメーカーならミネルヴァ』――血生臭い人工臓器の宣伝が、笑顔というまやかしで柔らかく捉えられている。

 失踪した子供は日本人ばかりではない、中には外国の子供も含まれる。年齢は下が2歳から、上は16歳まで。性別は男女。家の裕福さは無関係。
 先ほどの聞き込みでも、子供たちに対する虐待などの形跡はなく、ごく一般的な両親だった。
 子供が失踪した家庭の共通点はどこにあるのやら?
 御殿は頭を抱えた。

 大勢の子供たちが晴湘市に押し寄せた逆ハーメルン事件との関係性はあるのだろうか?

 難しい顔をした御殿の後ろ、想夜と水角がアイスクリームショップを覗き込んでいた。
「うわあ、新商品のポッピンシャワーだ。食べたーい♪」
 新作アイスの広告に早くも反応するリボンの妖精。甘いの大好き。アイスのショーウィンドウに両手を添えながら、物欲しそうに見つめている。お菓子やオモチャで子供が簡単に釣れることを証明しているかのようだ。
(お菓子やオモチャで釣れる子供たち、か……)
 険しい顔を作る御殿のすぐ横、水角も物欲しそうに見ているではないか。
「想夜ちゃんアイス好きなの?」
「うんうん大好き! 水角クンは?」

 想夜と水角が頭を近づけ、楽しくお喋りしている。何も知らない人が見れば、女の子同士がアイスの話で盛り上がっているようにしか見えない。
 微笑ましい光景が御殿の凝り固まった気持ちをほどいてくれる。強張った表情を崩し、3人で店の中へと入っていった。


 3人がテーブルをはさんでアイスを頬張っている。
 並んで座る想夜と水角が
「水角クン、あたしのも一口食べていいよ」
「わあ、ありがとう。ボクのも食べていいよ」
「わあい」
 互いに差し出したアイスをスプーンですくって食べる。仲がよろしいことで。
「ところで想夜、妖精界で似たような事件はなかった?」
「ふぇあ? 聞いたことありませんよ?」
「そうよね」
 御殿はスプーンでアイスをこねくり回して考え中。簡単に事件が解決したら苦労はしない。

 2年と少し前、ババロアが子供たちを晴湘市まで連れてきたのは分かっている。もし今回も同じケースであれば、直接ババロアをマークしたほうが早いはずだ。

「ババロアの所在地が分かればいいんだけど……」
 ミネルヴァ重工にいるとも限らない。かといって実家があるのかも分からない。あるとしたら地獄の一丁目あたりだろうか?
 御殿のアイスだけカップの中でドロドロに溶けていた。溶けたチョコチップがアイスと混ざるたび、不格好な波模様を作り上げてゆく。やがて原型をとどめなくなる頃、チョコチップの存在は始めから無かったように消えていた。

 溶けた茶色いアイスの中にチョコチップが入っていた事に気づく者はいるのだろうか? 形あるものが消えることに、内心面白くない御殿だった。


戦士の洗脳


 アイスクリームショップから出た想夜と御殿が街を歩いている。
 水角は別のルートを調査中。

「御殿センパイ。ハイヤースペックを発動してから、どこか体の異常とかはないですか?」
 心配そうに御殿の顔を覗き込む。
「特になにも。強いて言うなら――」
 言いかけて口をつぐんだ。
「強いて言うなら、なんです?」
 気になる想夜。御殿の言葉の続きが聞きたくて、促してくる。
 頬を染める御殿がモゴモゴと口を開いた。
「体の一部が、その……女の子に、なった……かな?」

 何度も八卦の力を使っている。その度に、御殿の体では子宮への経路が構築され、女の子としての存在が生まれる――そのことに困惑するのは言うまでもない。

 なーんだ、そんなことか――想夜は驚きもせず、御殿に笑顔を向けた。

「心配しなくても大丈夫ですよ。ハイヤースペックを発動させれば、ハイヤースペクターはみんな両性になるんですから♪」
「そ、それはそうみたいだけど……」
 叶子も華生も女の子なのに、能力を使用すれば男の子の象徴が現れる。あの2人は既に、体の変化に慣れているようだ。叶子に至っては、「華生と繋がれるなら」と、喜びの一面さえ持っている。華生の子供も産めし、華生を孕ませることもできる。逆もまた可能成り。

 両性具有体に不慣れな御殿は思う――人間としては、そんなふうに普通にされても対処に困る、と。

 けれども妖精の想夜は言う。
「片方の性しか所有しないなんて、人間の常識でしかありませんよ。あたし達妖精からしてみれば、そちらの方が不便に思えます」

 想夜の言うことも一理ある。人間界でも両性の生き物は珍しくない。たまたま人間が両性を持った生き物ではなかったというだけなのだ。

 この際だ。御殿は前から聞きたかったことを遠慮なく聞いてみる。
「想夜は女の子なのに、その……男の子が生えたりして……困惑したり、しないの?」

 ほわいとはうすの台所で、裸で重なり合った時の光景が2人の脳裏を埋めつくす――覚えているでしょうか? くんずほぐれつ、互いのラヴリースティックを重ね合っていましたよね!(1話参照)

「自分の裸を見ても何とも思いませんよ? ……べ、別に男の子の裸を見慣れてるとかじゃなですからね!」

 想夜もやはり女の子。男の子の裸体を凝視できるほど性に慣れてはいない。箸が転がっても爆笑するお年頃だけれど、男女のイチャツキは未経験、てんでダメ。

「水角クンはどうなんです? 自分が両性になることで不憫さは感じてましたか?」
「ううん。生まれつき八卦としての自覚があるみたい」
「姉弟同士で体の話とかしないんですか?」
「たまにする。色々とレクチャーしてもらってる。八卦としては水角のほうが先輩だから、そっちの情報には詳しいみたい」
「へえ。水角クンてしっかり者なんですね。どんな時にお話してるんですか?」
「一緒にお風呂に入った時とか……」
「一緒にお風呂!?」
「たくさん披露してもらってる」
「み、見せ合いっこ!?」
 想夜が耳まで真っ赤に染める。
「水角ったら、いろんな知識を披露してくれるの。我が弟ながら博識ね」

 自慢の弟。可愛い弟――御殿、万面の笑み。

「え? ああ……そういう意味ですか。あははっ……」
 姉と弟のイチャLOVE入浴シーンを想像した自分を恥じる13歳。忙しなく視線を動かす。そうやって逃げるように別の話題を探す。思いつくのは、変哲なき日常会話。

「御殿センパイは今のお仕事たのしいですか?」

 13歳のハローワーク。フェアリーフォース正式入隊の道が絶たれた今、将来に不安を抱いているのも事実。社会人として御殿は先輩である。就活のことを今のうちから聞いておいても遅くはない。

「想夜は将来の夢とかあるの?」
「ん、と……お菓子に関係している仕事に興味があるかなあ。甘~いやつ」
「ふふ。妖精らしいわね。素敵だと思う」
 13歳とは言え、政府をフルボッコにした挙句、長年に渡り実践されてきた洗脳計画もかき回した。

 多くの同僚たちに白い目で見られ、仲間外れにされ、ついには裏切り者の異端児扱い――中学生の女の子が背負う役回りにしては、あまりにも重すぎるのではないか――御殿はそう思う度、それを不憫に感じた。

 御殿の気持ちに反するよう、想夜は健気に笑顔を作った。
「だけどあたし、フェアリーフォース、クビになちゃったし、ひょっとしたらこのままずっと、妖精界に帰れないかもしれない。今はまだ、未来のことなんか、想像できません……」
 途切れ途切れの会話のあと、笑顔が沈む。その瞳の奥に隠れた悲しさを御殿が見逃すわけがない。
「ツライ役目を押し付けてしまったわね……」
 苦笑する御殿。なだめるように想夜の頭を撫でた。フェアリーフォースが仕掛けてこないのが気になるが、想夜の立場を考えると、一度に解決できない問題ばかりで本人も大変だろう。

 想夜は頭を撫でられる度に元気をもらっている感じがして、すぐに笑顔を取り戻す。

「別にいいんです。いつ寮を追い出されるかわかりませんけど、いざとなったら叶ちゃん家で住み込みの仕事をさせてくれるみたいだし……だから、あたしは大丈夫ですよ」
 健気に胸を張った。
「もしよければ、わたしの調査会社でバイトしてみる? 紹介するから」
「えへへ。その時は、よろしくお願いします」
 やや小声、借りてきた猫のようにしおらしい。エーテルバランサーではなくなった今、メイドや探偵の仕事も魅力的だ。暴力祈祷師の名札を下げつつ、世界中から豆を投げつけられてブーイングをくらうのも悪くない。

 妖精も人間も、人間界で生きてゆくためには金がいる。働かなければメシにありつけない。菫が気にかけてくれてはいるものの、妖精界との縁が切れれば想夜は学校にいられない。その場合、人間の戸籍を持たない想夜は他校での義務教育さえ受けられない。かつての御殿のように。

 御殿は手を伸ばし、不安げな想夜の頭をギュッと包み込んだ。
「大丈夫よ、何も心配はいらないわ」
「御殿センパイ……」
 想夜は御殿の体に回した腕に、さらに力を入れた。
(御殿センパイ……大好き)
 胸に秘めた想いを伝えられないまま、「このままでも悪くない」と現状維持に甘んじてしまう。
 いっそのこと永久就職という手もある。暖かい家庭で料理を作り、パートナーの帰りを待つのだ。女の子がそんな世界を夢見ても罰はあたらない。

 想夜の想いも知らぬ存ぜぬ。御殿は外に見える街並みを睨みつけていた。
(いつ仕掛けてきてもおかしくないはずなのに、フェアリーフォースは沈黙を続けている)

 フェアリーフォースの行動――御殿にはそれが気になる。シュベスタが崩壊した後も、ボロ雑巾のような御殿をしつこく追ってきた。その後、追手はピタリと来なくなった。


「ねえ想夜。あなた確か、『エーテルバランサー達は洗脳されている』って言ってたわよね?」
 洗脳された戦士たちと聞いてはいたが、出来損ないのロボットのような想像しかできない。

 想夜はフェアリーフォースが長年築き上げてきた洗脳戦略を御殿に説明する。

「はい。多くのエーテルバランサーは洗脳状態にあります。政府に逆らわないように訓練されている。そういう思考回路を持った脳を形成されているんです。その洗脳は強烈で、コンピュータのプログラムと変わりません。小さい時から自分の思想を持たないように教育されているんです」
 政府に逆らうなど、とんでもない奴だ。そういった言葉で戦士たちの脳は構築されている。反政府に対し、無意識で思考がいきり立つようにできている。

 なぜ逆らってはいけないの? ――訓練の行く先で、そんな疑問すら持つことがない脳が作られている。

 日本人にはこの手の国民が多い――長い髪を切れ、スーツとネクタイを着て仕事をしないとは何事か。常識に歯向かうとは何事か。警察に逆らうな。政府おかみは絶対。

 それに疑問を抱く者は皆、片っ端から叩かれる。親兄弟でさえ敵に回る。身内でさえ出る杭を叩くシステムに染まっているのだから始末が悪い。家族が敵になることだって日常茶飯事だ。
 暗黙のルールに監視され続ける恐怖を自らに宿らせ、自らを束縛させるよう心理的圧迫を植え付けてゆく――それがフェアリーフォースの洗脳計画。

 おかしい事に「おかしい」と言えないシステムが、妖精界政府には根付いている。

「個性は敵ってことか……江戸時代の発想ね」
「はい。自分たちの置かれた状況に違和感を感じることもあるでしょう。でも逆らえば確実に淘汰されます。それは人間界の比ではありません。多くの奴隷を作り上げ、長い年月をかけて妖精界を牛耳ってきました。やがて人間界と魔界に向けて、そのやり方を実行に移すでしょう」

 洗脳とマインドコントロールについて――カルト教団でよく知られているマインドコントロールは相手の意思を自在に操れること。洗脳は暴力や恐怖で心を支配すること。フェアリーフォースはどちらも使う。

 主にフェアリーフォースは、恐怖を植え付けることでエーテルバランサー達を洗脳状態に陥れている。一部の者は、それに気づいているが、対抗できる力を持っていない。ならば大人しく、いい子でいたほうが賢明だ。逆らったところでご褒美にありつけるわけじゃない。英雄気取りに投げられるのは罵声と引導だ。あとは諦めという閉塞感が待っている。
 そんな集団意思から、暗黙のルールができあがり、『政府に逆らう=悪』という式が構築されていた。
 けれども、先日のシュベスタでの戦闘で状況に変化が見られた。想夜が先陣切って行動したことにより、「ひょっとしたらこの呪縛は解けるのではないか?」という考えが多くの隊員の心にこだまする。誰かが壊すことで道が開けることを知ったのだ。
 脳を縛る鎖はたった一言。たった一事で解除される。
 藍鬼が歯向かったのは、フェアリーフォースの忌まわしき呪縛に対してだ。そう考えると、メイヴの狙いはフェアリーフォースが掲げる奴隷システムの破壊なのかもしれない。決まりきったことが大嫌いな女王様のこと、政府に逆らうことを考えていてもおかしくはない。気に入らないものを徹底的に破壊したいのかもしれない。はじめから想夜を使って政府の取り組みを叩く計画だったとしたら、コナハトの女王は想像を絶するほどに優れた頭脳の持ち主である。
 『政府は命令通りに行動する奴隷たちを作り上げ、妖精界と人間界を手中に収めるためのコマとしている』――想夜の言葉はすでに麗蘭に届いており、エーテエルバランサー達は一辺倒な考えから解放され、己の意思を持った戦士が増えてゆくはずだ。ストライキかクーデターか、何かしらの動きを見せてくれるだろう。そうして自由意志の名のもと、長年続いた呪縛を打ち破り、新しい政府の取り組みを築いてゆくのだ。
 願わくば……想夜はそう思っている。
「エーテエルバランサー達のこれからが始まるってわけね」
「……そう、願ってます」
 あたし達エーテルバランサーの雄叫びは始まったばかりだもの。大丈夫、すべては良い方に進んでいる――想夜は不安気な表情を見せつつも、薄っすらとした希望の微笑みを抱き、吐息をもらしてうつむいた。


あのリア充、またまた降臨!


 想夜と御殿は待ち合わせの場所で狐姫と合流した。

 叢雲朱鷺という人物が八卦であることを伝えると、狐姫がすかざず突っ込んでくる。
「風の八卦? ミネルヴァがなんでそんな情報をくれるんだあ? 柏木って奴の情報は信用できるのん?」
 狐姫の言うことも正論。詳細はひた隠しにしているにせよ、貴重な情報提示がミネルヴァ側に利益をもたらすのだろうか?
「罠の可能性はありませんか?」
 想夜が不安そうに質問する。
 想夜の言うことも正論。

 ミネルヴァと朱鷺がつるんでおり、MAMIYAを罠にかける策略を練っているとも考えた御殿。答えに煮詰まったあげく、例の男に依頼したのだ。

「罠かどうかを知るために、ここで待ち合わせをしているのよ」
「え? 他に誰か来るんですか?」
 首を傾げる想夜の後ろで、

 カランコロ~ン……。

「いらっしゃいませー」
 店の入り口の鈴が鳴り、オラついた男が手を振って入ってくるではないか。
「いや~、お待たせお待たせ。だんだん暖かくなってきて今日も過ごしやすいっスよね~」

 うえ~い、誰もがひれ伏す伝説のリア充、伊集院カズマ参上~。

 アロハシャツ姿に膝丈短パン。整った短髪からはシャンプーの香り。どうやら床屋に立ち寄ったらしい。やけにサッパリしている。
「まーたお前か。何しに来たんだよ?」
 狐姫がストローを加えながら伊集院にジト目を向けた。
「ひどいなあ~、呼び出しておいてそれはないっスよ~」

 いつも通りのにやけっぷり。妖精界で採れる果物が手に入ったので、嫁にお菓子を作ってもらっていたらしい。愛情たっぷりの3時のおやつに舌鼓打っていたのは言うまでもない。

「急に呼び出したりしてごめんなさいね。こちらにどうぞ――」
 御殿は伊集院のために席を引いた。
「は? おまえが呼んだだあ?」
 狐姫が乗り出した。
「ええ。彼に児童失踪事件について調べてもらっていたの」
「マジかよ。で、いくら情報料払ったのん?」

 御殿が狐姫に指を見せた。

「やれやれ。俺らの稼いだ金がコイツの家族の食費に変わるのか。結局、この男に搾取される運命にあったんだな。エクソシストが暴魔に寄付とか、世も末だぜ」
 狐姫がしみじみとサクランボを口に運ぶ。

「――それで伊集院さん、なにか分かったのかしら?」
「それなんスがねぇ……」

 伊集院は面白くなさそうに表情を歪ませ、A4の茶封筒から資料を取り出した。

「まず叢雲朱鷺という人物なんだが、風の八卦であることには間違いない。用心棒を生業として各企業や組織に属しているようで、政治家のボディーガードも請け負っているらしい。かなり腕が立つ奴だ」
「そんな猛者が何故ミネルヴァのコンテナに執着しているのかしら?」

 伊集院がコーヒーをすすりながら答える。

「どうやら子供を探しているみたいだな。叢雲が子供を捜索しているというネタを柏木が嗅ぎつけたらしい」
 伊集院は話を続ける。
「叢雲朱鷺は神威人という村の出身なんだが、そこにも学者顔負けの天才がいたらしいんです。叢雲はその人物から施術を受けている可能性が高いっスね」
「神威人村? どこにあるのかしら?」

 沈んだ顔の伊集院が静かにカップを置いた。

「……もうないぜ」

 一同が首を傾げた。

「もう……ない? どいうこと?」

 伊集院は両手でカップを包み込み、ゆっくりと答えた。

「沈んだ。ダムの底にね」
「そ、そんな……」
「一か所だけ御神木と呼ばれる大きな柳がある。そこだけ叢雲朱鷺が買い取っていて、ダムの完成には至ってないがな。村はほとんどは水の底に沈んだよ」

 想夜が悲しい顔をする――妖精たちは開拓の果てに完成する未来を望んでいない。人間たちの建築物はコンクリートの打ちっぱなしがなんと多いことだろう。人は自然なくしては生きて行けないというのに、都心には自然の欠片しか残っていない。雑踏の中に居続ければ精神のダメージは蓄積されてゆく。人間だってそれが分かっているはずだ。

 ダム開発は進み、故郷なき侍が誕生する。探し人のため、日本各地を転々と、亡霊のようにうろついているらしい。
 狐姫がストローを口にくわえて遊んでいる。
「叢雲朱鷺はなんで柳に執着してるのん?」

 それが分かれば苦労しない――一同の難しそうな表情がそれを語っている。


 伊集院はコーヒーをすすり、静かにカップを置いた。
「晴湘市で起きた逆ハーメルン事件だが、押し寄せた子供たちの体内には、少なからず妖精の血が流れていたらしい。親が妖精じゃなくても、先祖が妖精の場合もある」

 御殿が顎に手を添え呟く。

「子供たちの共通点は妖精の血が混ざっているということ?」
「ああ。それと、親元に帰った子供たちの体内から汚染されたエーテルが検出されていた。後日、子供たちがふたたび晴湘市に行くことはなかった。それを考えると、汚染エーテルを摂取した期間だけ不可思議な行動をとっていたことになる」

 集団で徘徊するのだから不可思議この上ない。

「どうして子供たちは晴湘市を訪れたの?」
 御殿の抱える疑問が今回の事件の中心にある。
「感染した妖精の子供たちは同種の悲鳴に敏感だった。晴湘市で誘拐された子供の悲鳴が何らかのトリガーとなって多くの子供たちを呼び寄せたのだろう。ネットワークの世界でもよく耳にするだろう? ウイルスに感染した多くのホストコンピュータが、たった一台の指示で一斉に誤作動を引き起こす。その現象にそっくりだ」

 多くの子供が1人の悲鳴で動き出す現象。だが、その子供たちは突然親の元へと帰っていった。

「なぜ子供たちは突然帰り始めたの?」
「それなんだが……」

 伊集院はもったいぶった感じで御殿に打ち明けた。

「アンタが晴湘市にいた時、叢雲も晴湘市に足を踏み入れている事が分かった」
「なんですって!?」
「その頃から既に人探しをしていたらしい。ひょっとすると叢雲は逆ハーメルン事件のことを何か知ってるんじゃないのか?」
「叢雲朱鷺が……逆ハーメルン事件について何か知っている?」
 御殿の瞳の奥、ひとつの光が見えていた。
「まあ、アレだな。百聞は一見に如かずってやつ? その目で確かめたらどうだ?」

 そう言って、伊集院は一枚の紙切れを差し出した。
 御殿は紙切れを不思議そうに見つめた。

「これは?」
「ロナルドの旦那からこれをアンタに渡すようにと預かってきた。そこに書いてある時刻に港へ向かえ。ミネルヴァ重工の貨物船が荷物の上げ下ろしを始める」
「貨物船の到着時刻が分かったのね」

 先日のロナルドとの会話に出てきた貨物船の話。どうやら詳細を調べてくれたようだ。伊集院と知恵を出し合い、あらゆる人脈を使ったのだろう。さすが名だたる投資家、顔が広い。

「貨物船は何を運んでいるの?」
「そこまでは知らん。いらんことを知ろうとして命を落としかけたことが山ほどあるからな」

 伊集院の脳裏に数えきれないほどの九死に一生を得る出来事がかけめぐる。狐姫に脅されたり、御殿に銃を突き付けられたり。血の気が多い暴力祈祷師はこれだから……。


 伊集院はコーヒーを飲み終えると席を立った。
「それに叢雲って男、人探しとやらで相当イラついてしてるみたいだぜ? 目にする者すべてが敵に見えてるのかもな。以前にも話したと思うが相手も八卦だ。きっと一筋縄ではいかないだろう、せいぜい頑張りな」
「もう帰るのか?」
 狐姫の横を通り過ぎる伊集院の顔が途端にだらしなくなる。
「ええ。これから子供の学芸会なんスよ、見に行かなくっちゃ。カレーうまかったっス、ごちそうさん。ほいじゃ!」
 と、せんじつ御殿から借りたタッパーを置いて猛スピードで去っていった。よほど子供を可愛がっているらしい。

 タッパーを手にした狐姫がフタを開けた。
「律儀な奴だな。 ……お? 何か入ってるぜ?」
 親切にも奥さんがお菓子を入れてくれていた。
「うわあ、お菓子がいっぱい! 妖精界で採れる果物だー、ドライフルーツにしたんだね!」
 想夜が瞳を輝かせた。懐かしい香りのする果実にほころんでいる。
「愛情たっぷりのお菓子が眩しいぜ。とても魔族とは思えんな」
「奥さんは人間だよ?」
「完全に尻に敷かれてるぜ、あの男――」
 バカな男は賢い女で変わるものなの。そうやって掌の上で転がされ続ける生き物なの。
 ――男ってみんなそう。


咲羅真御殿はもらってゆくぞ!


 伊集院から情報を仕入れた御殿たちは、朱鷺が出没するとされる港にやってきた。
「なんかえらく窮屈な場所だな」
 狐姫があたりを見渡すと、コンテナが所狭しと積んである。まるで空から降ってきたブロックが神様の手によって綺麗に整頓されているかのよう。下手くそな神様だと空まで積み上げられて世界がゲームオーバーになっちゃうかも。
 想夜が海を指さした。
「見てください、船が何隻か見えますよ?」

 いくつかの防波堤が海に向かって突起しており、港から離れた場所に貨物船が停泊していた。

「貨物船との距離に開きがありますね。どうしますか?」
 尋ねられた御殿が顎に手を添え、考える。
「そうね……」
 ちょうど出航する漁船を見つけた御殿。 「ちょっと待っててくれる?」  想夜たちを残してそれに近づくと、船員と何やら交渉を始めた。

 しばらくして、遠くの御殿が想夜に合図を送ってきた。どうやら漁船に乗せてもらえるようだ。

 貨物船との距離を保ちながら、想夜たちを乗せた漁船は波をかき分け進む。
「進めー!」
 狐姫が船の先頭に片足をかけて乗り出し、前方を指さした後に腕を組む。気分はすっかり漁師だ! 捻じった手ぬぐいを頭に巻いて、大旗振り回して一曲唄いたい気分。
「俺んの~海い~はあああ~よおおお~♪」
 やはりガマンができなくなり、思わず熱唱。拳が聞いた唄いっぷり。
「狐姫ちゃん、あまり乗り出すと危ないよ?」
「はん! 何言ってんの? そんなんで一人前の演歌歌手になれるかってんだ」

 ザッパ~ン。波からタコが飛び出し、JC2人の顔面にへばりついた。


 陸からかなり離れた場所でスピードダウン。
「このあたりで漁をするみたいね。わたし達も移動しましょう」
 漁船はその場で停泊すると、網を撒いて自分たちの作業に移った。

 御殿は海面から飛び出した岩を踏み、朱鷺が乗り込んだ貨物船へと飛び移る。
 その後に続き、狐姫も貨物船に忍び込むことに成功。想夜は羽を広げてひとっ飛び。


ミネルヴァ貨物船


 ――船内。

 デッキの隅に身を隠したものの、突如、御殿が黙る。
「どうしたんですか、御殿センパイ?」
「静かに」
 想夜の言葉を遮ると同時に、コンテナの陰にいっそう身をひそめる御殿。
 その後ろの想夜がチラリと遠くを伺うと、その先には――
(誰か来ましたよ!)

 できるだけ声を殺す想夜。視線の先には長髪長身の侍がいる。デッキをうろつき、何かを待っているようにも見えた。

「あれが風の八卦ね」

 叢雲朱鷺――距離があるため性別まで分からない。大きな襟がある長いコートに身を包んではいるが細身である。決して力技でゴリ押しするタイプのようには見えなかった。

「日本刀一本だけ。やけに薄い武装ね」
 身の丈以上の日本刀を肌身離さず持ち歩いていることから、銃器を武装しているようにも見えない。
 御殿の筋肉が緊張して固まる。どんな攻撃をしてくるのか分からない以上、油断は禁物。
「なぜ船員たちは彼を咎めないのかしら?」
 本当に不思議な光景だ。船員たちが朱鷺の横を素通りしてゆく。まったく認識していないようにも見える。

 朱鷺の動きに目を光らせていると、偵察していた狐姫が戻ってきた。

「デッキには誰もいなかったぜ。どうやら朱鷺って奴だけみたいだな……イテ!」
 狐姫が足を何かに引っかけた。つまづき、派手にコケてデッキに顔面を打ちつける。
「痛ってえ~。誰か俺の足引っかけただろ?」
 トナカイのような真っ赤なお鼻に周囲が失笑。
「あん? なに見てんだよ? どうせドジッ子の狐姫ちゃん可愛い~とか思ってるんだろ!? そうなんだろ!?」
 ドジッ子というより痛い子。
 御殿はじゃれ合いに目もくれず、朱鷺の監視を続けた。
「……シカトかよ。結構ショックでかいな。鼻擦りむいちゃったぜ」
 痛てててて。狐姫の嗅覚に支障がでているご様子――鼻をさすりながら、想夜の隣に並んで朱鷺を監視することにした。


 想夜がキョロキョロと見回す。
「う~ん……さっきから薄っすらと妖精反応を感じるんですが……」
 でも誰もいない。
「変ね……」
 首を傾げて監視を続けた。

 身を隠してから2~3分した頃。水平線近くを移動していた別の貨物船がだんだんと近づいてくるのが分かった。
 碇をおろし、停泊した貨物船。
「やはり。叢雲は貨物船の合流を待っていたのね」

 御殿の視線の先、後からやってきた船から10名ほどの男性船員が下りてきては、ミネルヴァの船の上で朱鷺と押し問答を始めた。挑発をしかけたのは朱鷺からだ。

「なにか言い争ってますよ。何してるんだろう?」

 争いは止むことなくエスカレート。乗組員たちの怒鳴り声が辺りに響いている。

「おいおいおい! 揉め出したぜ!?」

 船員たちは懐から銃を取りだし、あれよあれよと言う間に朱鷺をグルリと囲んでこめかみに銃口を突きつけた。

「あれだけの人数に近距離で銃を向けられたら、元も子もありませんよ!」
 想夜は慌てふためいているが、御殿は静かに見守っていた。
(叢雲朱鷺は風の八卦。はたして銃ごときに慄くかしらね)

 御殿たちが見守る中、朱鷺を中心に突風が舞い上がり、男たちを弾き飛ばして距離を作らせた。
 と同時に、想夜の肌にビリビリとした感覚が走る!

「妖精反応!? ハイヤースペックを発動しました!」
 先ほどから続いている妖精反応が朱鷺のものだとすれば、この距離まで力を匂わせてくる力の持ち主ということになる。
(風の八卦。どんな能力の持ち主なのかしら? 確かめさせてちょうだい――)

 御殿の視線の先。朱鷺が柄に手をかけた瞬間、太陽光に反射した日本刀がギラリと光、辺りを眩い世界に変えた。
 するとどうだろう? 男たちが朱鷺の周りをウロウロし始め、さっさと船の中に戻ってゆくではないか。

 想夜たちは徘徊する男たちを見ながらキョトンとしていた。
「なにが起こったというの?」
 船員たちには朱鷺の姿が見えていないらしく、真横を素通り、自分たちの船へと戻っていった。

 狐姫が御殿の腕にすがる。
「おいおい、見たかよ御殿! 一体どうなってんだ? 誰にも朱鷺の姿が見えてないみたいだぜ?」

 刀で視力を奪ったわけではない。船員たちが目を切られたなら歩くことさえ困難のはず。だが男たちは何事もなかったように貨物の積み下ろし作業を続けている。

 不可思議な現象を前に、想夜たちは混乱するばかり。
「御殿センパイ、叶ちゃんに報告しよう?」
 想夜が立ち上がり、その場を去ろうとしたが、御殿は寡黙に朱鷺を睨みつけていた。
(叢雲は何をしたの? まったく分からなかった……)
 能力の分析も出来ぬまま、御殿は呆然としていた。

 想夜が不安そうなに御殿の腕を引いた。
「御殿センパイ、相手に見つかったら戦闘になるかもしれません。早く行きましょう?」
「……そうね。引き返しましょう」
 やがて諦めた御殿。漁船に戻ろうとした時だった。


『いい加減出てきたらどうだ、沢の八卦。そこにいるのは分かっているぞ――』


 朱鷺の静かな声が船上に響いた。
「!?」
 背中に声をかけられた御殿、たちまち血の気が引く。
 狐姫が真ん丸に開いた目を想夜に向けた。
(なぜ俺達のことがバレたんだ!?)
 それに対して想夜が首を大きく左右に振った。
(分かんない! どうしよう!?)
(ヤバイな。このままじゃ一戦交えることになるぜ)
 たじろぐ狐姫。後ろにさがった途端、また何かに躓いて尻もちをついた。
「あ痛っ……もうヤダ、も~うヤダ! 実は俺って2足歩行に向いてないんじゃね?」
 手足をついて移動したほうがフルスペックだと疑わなくなってきた。

 想夜が両手を上げて朱鷺に叫ぶ!

「待ってください叢雲さん! あたし達、あなたに話があって……!」
「回りくどいことは嫌いでな。 ……さっさと拙者に斬られろ」

 朱鷺の目はすわっており、リボンの妖精を睨みつけては威嚇してくる。どうやらミネルヴァの関係者と一緒にされたらしい。

「アイツ完全に頭に血が上ってるぜ。なんであんなにピリピリしてんの?」
 眼光だけで人を殺せそうなほどに冷たい視線が狐姫の目に飛び込んでくる。
「うわぁやべぇ……あの目、完っ全に俺たちを殺しにくる気でいるぞ」
「最初から話が通じる相手ではなかったみたいね」

 逃げきれるか!? ――一度はそう考えた御殿たちだったが、背中を見せて逃げ切れる距離ではない。ナイフなどの飛び道具で急所を狙われたら一撃でやられてしまう。

「どうする、御殿?」
 無論、答えは一つだ。

 御殿がボニー&クライドを抜き、向かいのコンテナに素早く移動した。

「叢雲朱鷺はわたしが引き付ける! 2人はこの事を叶子に知らせてちょうだい!」
「で、でも……」
 慌てふためく想夜の肩を狐姫がバンバン叩いた。
「おい、アイツこっちに向かって来るぜ!?」

 想夜たちの視線の先、朱鷺がゆっくりと近づいてきては適度な距離でピタリと止まる。

「そこの3人、貴様らの戦力はすでに把握している。ここからコンテナごと全員の首を一撃で切り落とすこともできる。早く出てこい」

 想夜たちは息を殺して次の言葉を待った。

「――とはいえ、こちらの戦力を見せ付けておかねば、お主たちは調子に乗ることは明白」

 多弁はいらん。でしゃばり好きのお喋りな輩を見ていると、首を切り落としたくなる――大股開いた姿勢から重心を左に大きく落とし、左腰に差した刀の柄に右手を添えて構えた。

「あんにゃろう、いったい何をしようってんだ? あんな距離から刀が届くもんか」
 狐姫がせせら笑うのも無理はない。近いとはいえ3人と朱鷺の間には若干の距離がある。しかも巨大なコンテナが守ってくれている……はずだ。
「斬れるもんなら斬りやがれってんだ」

 スパアアアアン!!

 一瞬だけ金属同士が擦れる音が響く。
 ニシシと白い歯を見せる狐姫の頭上、鋭い空気がかすめた。
「いえーい、空振りい~。ざまあっ……」
「狐姫ちゃん危ない!」
「……へ?」

 ケタケタと笑う狐姫が見上げると、なんとコンテナの上半分が落下してくるではないか!

「ぅ、ぅわぁ……」
 目の前に巨大な影が落ちてくると同時に、真横に飛んで回避する狐姫。

 グワシャアアアアン……。

 コンテナの上半分、散らかった積み木よろしくデッキに横たわっている。
「マジかよ!? 船の上が墓場になるところだったぜ」
 狐姫が尻もちついて青ざめる。
「戦闘は避けられない! 総員、戦闘に入る!」
 御殿が向かいのコンテナから身を乗り出し、朱鷺の太もも目掛けて発砲を続け、デッキの先端まで移動する。

 バンバンバンバン!

 発砲音と同時に朱鷺が横殴りに刀をスイング。

 キキキン!

 無数の弾丸を一振りで弾き飛ばした。
 もっと近くへ。御殿が朱鷺との距離を縮めながら発砲するも、弾丸はあっさりと刀で弾かれてしまう。

(あの長刀のテリトリーに入ったら一瞬で真っ二つね)
 刀の餌食にならぬよう、慎重に慎重に距離を保ちながらレーザーポインターを浴びせるも、容易く弾道を読まれしまい、うまく狙いが定まらない。体に赤線が映る度に体を起用に揺らして回避する姿は、かなり戦闘慣れしているようだった。

 刀を構えて突っ込んでくる朱鷺を前に、御殿の顔に焦りの色が見えた。一戦交えてから、初めて相手の強さに気付いたのだ。このままでは3人同時に斬り殺されてしまう。
「想夜! 狐姫を連れて漁船に戻りなさい! ミネルヴァ船から離れる!」
 御殿は発砲しながら後ろに下がり、想夜と狐姫を護衛する。
「了解ちゃん! 狐姫ちゃん、捕まって!」
「おうよ!」
 狐姫が想夜にしがみつくと同時に一気に飛翔した。

 漁船に着地した2人を見届ける御殿。

「御殿センパイも早くー!」
 漁船上の想夜が両手を振って声を発してきた。
(わたしも尻尾を巻いて逃げるとしますか)

 適度な距離を保っていれば斬られることはない。御殿が朱鷺からさらに距離を取ろうとした、まさにその時だった。

「簡単に逃げられると思うなよ、MAMIYAの犬ども」

 その言葉に御殿は耳を疑った。
(こちらの正体を知っている!?)
 腰を低くして屈み込む朱鷺。刀に手をかけ漁船に狙いを定めた。
 それに気づいた御殿が漁船の想夜たちに叫んだ。
「いけない! そこから逃げなさい!」

 シュ!!。

 御殿の警告遅く、朱鷺の刀がふたたび風を斬った。
「……」
「……」
 ……が、なにも起きなかった。

 漁船の狐姫があたりを見回す。
「ん? ……あれ? なんともねーぞ?」
 体のどこかを斬られた様子もない。耳も尻尾も健在。漁船も無事。それが分かったとたん、気が大きくなる。
「なんでえ、口だけかよあの侍。斬れるもんなら斬ってみろー」

 ベロバロバー。ケタケタと腹をかかえて笑っている。しまいには調子に乗って「デッキでコケて骨折しろ」だの「長髪ハゲろ」だのと罵声を連呼しはじめる。
 ――が、お調子者の宴もそれまでだった。

 朱鷺はニヤリと口角を吊り上げると、漁船を真っすぐ見つめて静かに呟いた。

「斬ったのは、漁船じゃねえよ――」

 静かに刀を鞘に収めた。と同時に、突如、海面がバックリと真っ二つに裂けはじめた!
 まるでモーゼが歩いた後のように、海の真ん中に道が出来上がる。

「なななな、なんだあああ!?」
 グラリと揺れる漁船の上、狐姫が身を乗り出して海面を見下ろした。
「うひゃあ、海底まで見えるぜ……サメが暴れてやがる」

 ビタンビタンと尾ヒレをバタつかせるジンベイザメ。やがて左右に移動した海壁にたどりつくと、そこに飛び込んで泳いで消えた。

「海面が左右に割れて、おっきい壁みたいになってる……」
 常識崩壊を前にした想夜、もはや日本語がおかしいことになっている。
 海底で跳ねる10メートルくらいの深海魚に向かって想夜が指さした。
「狐姫ちゃん、あの光ってるおっきい魚、なーに?」
「リュウグウノツカイじゃね? 生きてるヤツ初めて見たぜ」
「ふーん……スーパーに売ってるやつ?」
「売ってねーよっ。船の上から見れただけでも奇跡だろ!」
 コントも束の間、とつぜん漁船がグラリと揺れナナメに傾いた。
 乗組員が大声で叫んで走ってくる。

「船が海から落ちるぞおおお! 総員退避ーーーー!!!!」

「「「な、なんだってーーーーーー!?」」」
 えらいこっちゃえらいこっちゃ! この漁船、今から海底に落下するでー! 別の乗組員もデッキの上で大騒ぎ。

「ヤベェぜ想夜! 俺たちも救命ボートで脱出するでー!」
 狐姫に関西弁が感染ったで!
 想夜もつられてテンパりはじめた。
「緊急事態でっしゃろかいな! はよぉあたしに捕まりなはれ!」
 意味不明な言動の連続、もはやどこの言葉なのか分からない。とりあえず羽を広げ、乗組員たちを抱えてボートに運ぶ。右手を負傷しているので救出に手こずっている。一名ずつしか運べず非常に効率が悪い。

 海底に落下する漁船。
 それをミネルヴァ船から確認する御殿。

「あっちは避難がはじまっているみたいね」
 安心も束の間、目にとまったのは刀に手をかける朱鷺の姿。身をかがめ、次の攻撃に移行している。
「いけない、あの角度からだと漁船が真っ二つにされる!」

 危険を察知した御殿がコンテナの陰から飛び出す!

「おい御殿、そいつに近づくな! あぶねーって!」
 裂けた海面の端でナナメに落下する漁船。救命ボートの上で狐姫が声を張り上げるも、御殿はそれを無視してデッキ先端の朱鷺に向かって突っ込んでいった。

 御殿が空中で腰のホルダーに手を伸ばし、空泉地星で朱鷺の足を払おうとした時だった。
 目の前の朱鷺がニヤリと笑った。

「かかったな。この時を待っていたよ、咲羅真御殿――」

 朱鷺が半身の姿勢で屈みこみ、刀に手をかけた。
 御殿の顔が一気に凍りついた。
「フェイント!?」
 船の上の想夜たちを狙っていたわけではない。御殿をおびき出すために漁船をおとりに使ったのだ。
 朱鷺の狙いは……はじめから御殿だった。
 態勢を立て直して回避しようとする御殿の真正面、朱鷺が縦一文字に刀を振り下ろす!
 
「ハイヤースペック・絶念殺ぜつねんさつ!!」

 ズバシュウッ!!

 朱鷺の斬撃を真正面から受けた御殿。風の刃が背中まで貫き、あたりに突風を巻き上げた。

 ドサ……。

 肉の塊を軽快に斬ったさわやかな音。
 その語、御殿がそのままデッキに落下した。

 カチン。静かに息を吐ききり、刀を鞘に納めた。
「……フゥ」

 一瞬の出来事だった。朱鷺の一振りで御殿の体はあっけなく打ち落とされたのだ。

 朱鷺の足元、御殿は死体のように、そのままピクリとも動かない。刀の切れ味が良すぎるためか、血も噴出していない。

 横たわる御殿のそばに朱鷺が近づき、身の丈以上に伸びた刀を手に呟いた。
「この刀の名は『絶念刀』。拙者の能力はあまりにも大きいため、ただの小太刀に力を吸収させてこのような長刀に変化している。絶念刀はあらゆるものを切断できる。斬れないものはない……今のところはな――」

 「またつまらぬものを斬ってしまった」――朱鷺は御殿の体を軽々と持ち上げ肩に乗せ、想夜たちに一言残した。

「咲羅真御殿は……もらってゆくぞ――」
 ミネルヴァの貨物船が遠のいてゆく。

 あまりのショックに、上空から見ていた想夜が口に両手を添え悲鳴を上げた。
「センパイ……御殿センパイ……いやあああああああ!」

 想夜はワイズナーを手にし、ピクシーブースターで朱鷺に向かっていった。
 素早くザッパーをスタンバイ。フェアリーフォースの戦艦をたった一撃でしとめた風の刃を朱鷺に打ち込もうとした。

「御殿センパイを返して! フェイトン・ザッパ……」
「すこし、黙っていてくれないか?」

 ギロリ。朱鷺は矛先のような鋭い目を作り、鞘から抜かずして刀を下ろす。問答無用で想夜にザッパーを撃ち込んだ。

「そんな! 一瞬でザッパーを発動させるなんて!」
 遠距離ザッパーをいとも容易く作り出す侍が一匹、そこにいる。

 バシュウッ!!

 かまいたちが想夜の体をナナメにつんざいた。

「そん、な……」
 信じられないものを目にしたような顔をする想夜。
「ふん、つまらぬものを前に拙者の刀を抜く必要などない。妖精と言えど、弱者は……ね――」
 上空で散ってゆくリボンの妖精を、朱鷺はつまらなさそうに一瞥した。

 斬り裂かれた想夜が真っ逆さまに海へと落下してゆく。

「想夜あああああ!」
 狐姫が傾いたデッキを走りぬけ、頭から海に飛び込んだ。

 水面でプカプカと浮かぶ想夜。海水には大量の血が滲み出している。狐姫はそこに近づいてゆき、急いで救出する。

「大丈夫か想夜!? 今助けるからな!」
 幸いにも海面が元に戻り、漁船が安定を取り戻した。

 漁船のデッキの上に想夜を運ぶ狐姫。
 ゴロンと仰向けに横たわる想夜の体。時折、ビクン、ビクン、と痙攣しながらうわごとのように「御殿センパイ」と連呼する。
 右肩から左脇腹にかけて大きな斬撃のあとがある。そこから血が滲み出していた。

「大丈夫だ、傷は浅い! いま治療してやるからな!」
 パイスラッシュを作るブレイドホルダーが想夜の身を守ってくれていた。バックリと裂けたホルダーが朱鷺のザッパーの威力を語っている。

 想夜の肩からホルダーを外すと、狐姫が青ざめた。

「こ、このホルダー……肩掛けの部分中央に沿って綺麗に斬られてるぜ?」
 縦に裂けた酢昆布みたいなホルダーをつまんでは、殺されなかったことを奇跡ととらえた。

 遠く離れた想夜のホルダーに沿って、ザッパーを放つ――斬る場所は想夜の体ではなくホルダーが狙いだった。直撃すれば想夜の体は真っ二つ。これは警告にすぎない。「朱鷺はこれ以上近づけば、次ぎは首を刎ねる」と言っているのだ。

 双眼鏡を覗きながら狐姫が叫んだ。
「やばいぜ、御殿が朱鷺のやろうに連れ去られちまった!」
 狐姫の視力に問題がなければ、御殿は間違いなく斬られている。
「あの距離からだと真っ二つだろ! ……ウソだ、冗談じゃねえ! こんなの信じるかよ!」

 取り乱す感情を必死で堪える狐姫――簡単に御殿が殺されるわけがない。これは悪い夢だ。そう思うことでしか精神を保っていられなかった。

 御殿、それに想夜――こちらの主要戦力がたった一撃で打ち落とされてしまった。

「風の八卦……あんな奴を敵に回しているのか、俺たち――」
 桁外れの強い奴を前に、狐姫は足が竦んだ。

 MAMIYAの番犬が人質として捕まった。今はその事実を認めざるを得ない。
 御殿が死んでいれば、死体はどこかの研究所の解剖室でバラバラにされて調べられる。死体となって八卦の研究に大きく貢献することになる。
 もし御殿が生きていればどうなるか?

 その身を保障できる者は、誰もいなかった――。