4 ステルス妖精 秋冬春夏
インビシブルキャット
性格は顔に出るもの。
自信なさげに傾いた眉と眠そうな瞳。どこかドンクサそう。歳相応の小柄な体格。肩まで伸びたコゲ茶色の髪。毛先はそろっておらず、ジグザグと波打つ。グレーと黒をあしらったセーラータイプのブラウスとチェックのスカートには白いフリル。不安を紛らわせるため、ネコ耳フートを被っての行動。小心者によくある風景。
数時間前のこと――。
「困ったなあ、こんな広いレストラン来たことないよ……」
不安いっぱい、飛び出しそうな心臓の上に手をそえ、あちこちを見回していた。
目の前に広がる光景といえば、小難しい名前の料理がテーブルに並んでいるではないか。
学者とボディーガードが顔をそろえる緊迫した状況下、たった一人だけ部外者がいたことを誰が知っていただろうか?
個室の空間、春夏はMAMIYAからやってきた黒装束の女に近づいた。
(
名前は受付の名簿に記入されていたものを盗み見たから知っている。
(ふ~ん。背ぇ高~い。モデルみたい……)
長身の後ろに立ち、時には目の前に回りこみ、頭のてっぺんからつま先まで何度もチェックする。
(あとは聖水、木刀型の警棒、爆発物らしきものは……ナシ、と)
終始キョロキョロしはじめる御殿を前に、春夏は少し距離をおいた。バレたら地獄。
咲羅真御殿――間近で見ると本当に整った顔をしている。粉雪のような透明感のある肌、健康そうな色をした頬。ピンク色のくちぴる。黒くて長い髪から漂ってくる柔らかい香りはフローラル系。
(シャンプー、何使っているのかな? やっぱり高いやつかな?)
鼻を近づけ香りを楽しむ。
すう……。
(いい香り……)
相手に認識されてないことをいいことに、やりたい放題。
(隣の女の人は学者さんなのね。ふ~ん、頭良さそう……)
春夏は思う――それにしても黒ジャケットの人、MAMIYAの水無月主任にそっくり。きっと水無月主任も10代の頃はこんなだったのかな。それとも研究に明け暮れてボサボサの髪のままだったり。色恋沙汰とは無縁の日々を送っていたのかな? 春夏がいだく研究者イメージは不摂生の塊だ。
この世には透明人間という存在がいる。
漫画にせよ映画にせよ、フィクションで描かれている存在。見えないことをいいことに、あれやこれやとイタズラばかり。あげくには自業自得のクライマックスに陥る。銀幕の悲惨な末路なんて反面教師でしかない。
(ちょおっと失礼しますよお~)
御殿と彩乃の間に割って入る。
耳を澄まさずとも2人の声はよく聞こえる。
御殿の耳打ち。
彩乃の耳打ち。
ヒソヒソ音、細い声、指を使った合図でさえ丸分かり。
(当たるも八卦? 当たらぬも八卦? ――占いでもしてるのかな?)
春夏にはテレビでやっている「今日の占い」くらいしか知識がない。
テーブルの上にならんだ美味しそうな料理をつまみ食い。ひとつくらいならバレたりしない……と思いつつ、デザートもいただき♪
「さっきから私の肉を……!」
「そっちこそ私のフルーツを……!」
学者たちの難しい話や大声が部屋中に響き渡る。
(そろそろ逃げなきゃ。私もエレベーターに乗ろ~っと♪)
御殿と彩乃に紛れ込み、春夏もエレベーターの中へ入る。
チ~ン。
ドアが閉まった途端に彩乃は疲れきった感じで大きなため息をついた。
「はあ~。なんだか退屈な時間だったわ。料理も全然美味しくなかった」
(ええっ!? さっきコッソリつまんだけれど、なかなかの美味でしたよ!? あの気持ち悪いオジサンだって美味しそうに食べてたじゃないですか!)
春夏は無意識に柏木を拒絶していた。あのヌメッとした感じに嫌悪感を抱くのだ。
壁にもたれかかる彩乃の態度を見たフローラル女子が苦笑する。
「有名どころの味ですよ? お口に合いませんでしたか?」
(そうそう、このお姉さん分かってる! 贅沢は敵! もっと言ってやって!)
春夏にとっては豪華な料理。だが彩乃にはそうは見えなかったらしい。
「だってー。堅っ苦しい話をするときに食べるもんじゃないでしょう? 料理って楽しい話をしながらするもんじゃない?」
彩乃が疲れ顔を作る。そんなに料理がマズかったのだろうか? 春夏は首を傾げた。
彩乃が御殿の腕に馴れ馴れしくくっついた。
「ねえ、御殿さん。おなかすいてない? 帰りになんか食べていこうか?」
(結局おなかが空いてるんじゃん。さっきの料理、もっと食べればよかったのに……)
贅沢な人だな――彩乃に対するイメージはそこに定着する。
御殿が小さめの声で答えた。
「軽い食事なら……」
「本当? どこで食べよっか? 御殿さんの好きなところでいいわよ?」
春夏には、はしゃぐ彩乃が子供に見えた。
(研究者ってワガママなんだ。 ……A5ランクのお肉だったのに――)
――お肉の話は置いといて。
御殿が彩乃に語りかけた。
「さっきのレストラン、妙な感じがしませんでしたか?」
ギクッ!
春夏は耳と尻尾を吊り上げて飛び上がった。
(まさか気づかれた!?)
とたんにキョドる春夏。後ろめたいことがあると人も妖精も弱気になる。
「え? 特に何も感じなかったけれど……どうしかしたの? 御殿さん」
「ずっと誰かに見られていた気がしたのですが……監視カメラのような。いえ、強いて言うなら『意思を持った監視カメラ』といったところでしょうか。少なくともドローンは小型とはいえ目立つので考え難いでしょう。隣部屋も確認しましたが、誰かが盗み聞きをしていた気配もありませんでした」
(ちょっ、なにこの人、どんだけ優秀なの!?)
盗み聞きをしてましたですしおすし――アングラ住人をナメてかかると火傷する。春夏は今になって暴力祈祷師の存在に恐怖を覚えた。今にも「そこにいるのは分かっているのよ! このメスブタ!」と、御殿からナックルパンチが飛んでこないかとビクビクしている。姿を消していようが物理作用は活きている。肩がぶつかれば、周囲だって春夏の存在に気づくはずだ。
怯える春夏をよそに、彩乃が御殿の手を握って安心感を与えてくる。
「隠しカメラかしら? 何にせよ見えない敵が用心深い行動をとるということは、こちらの戦力に警戒しているのよ。少なくともナメられているわけではなさそうね」
(見えないですが敵じゃありません)
と、かなりビビッている。
「学者の先生方、水無月先生にたじたじでしたね」
(ああ、たしかさっきケンカしてましたよね)
「ええ。舐められるような研究をしてきた覚えはないもの。あなたの存在を見れば分かるでしょ? 安心して」
御殿が自分の肉体に目を落として納得している。それを見た春夏も一緒に頷いた。
(うんうん、お姉さんカッコイイ! 私ももっと身長欲しいなあ……)
春夏は御殿の体を足先から頭のてっぺんまで見つめて物欲しそうにしている。出るとこは出て、引っ込むところは引っ込んでいる。それがどれだけスゴイことかを提示されているのだ。
「ミネルヴァは風の八卦と言ってましたね。何事もなく済めばいいのですが……」
「だといいのだけれど……神様はどの駒を進めるのかしらね――心配?」
「少し」
「ふふふ、大丈夫よ」
先ほどの大人気なさとは打て代わって、研究者彩乃が頼もしく見える。いっぽう御殿は少し頼りなさそう。まるで子供だ。
彩乃にしっかりと握られた御殿の手を見ながら、少しうらやましく思う。
エレベーターのドアが開き、彩乃と御殿が出てゆく。
MAMIYAの2人を見送りながら、春夏はひとりエレベーターの中に佇んでいた。
「バレなくてよかった……私、どんくさいからなあ」
猫の妖精ケット・シー。抜き足、差し足、忍び足――姿を消すのはお手の物。それが春夏のハイヤースペック、『ステルスムーヴ』。透明になったその姿、存在を知る者など誰もいないのだ!
……多分。
ケット・シー
シュベスタ研究所の火災から避難した者は多い。だが、その中にステルス妖精がいたことは誰も知らない。
シュベスタが崩壊する数時間前の出来事――。
迷路のような牢獄に投獄されていた春夏は、所有するステルス能力を用いて自由に研究所内を行き来していた。捕まった妖精たちを逃すための道を探すため。そして別室に隔離されている母親を探すためだ。ボロ雑巾のような服を着ていた母に、すぐにでも綺麗な洋服を着せてあげたかった。暴撃妖精と化した友達だって早く元に戻したかった。
シュベスタの中、その日は大きな収穫があった。春夏はマスターキーの入手に成功。逃げ道を確保できたのだ。
これで捕まった妖精たち全員で逃げることができる――そう思っていた矢先、牢獄に戻ってみれば他の妖精の姿はどこにもなく、もぬけの殻。隅に寄せられた無数の箱型牢屋と、部屋の中央に大きく描かれた帰界の陣だけが残っていた。
聖色市を守るエーテルバランサーの導きにより、みな妖精界に帰界した後だった。
ひとり、途方に暮れた春夏。
皆、妖精界に帰ったのだ――そう察した春夏は肩を落とし、シュベスタを後にした。
春夏の母親も妖精だ。人間の男性と一緒になり、春夏を人間界で出産する。
父と母。春夏は家族3人で静かに暮らしていた。
そんな時、春夏の体に異変が起こる。
エーテルの揺らぎにより体調を崩す妖精も多い。人間界にはハイヤースペクターが多く存在しているため、無法者が能力を乱用すれば、人間界と妖精界に大きな影響をもたらす。
ましてや人間界の環境破壊も急速に進み、妖精たちの住みにくい世界と化してゆく。妖精がいなくなった人間界は自然崩壊がはじまり、荒波は妖精界にも影響を及ぼす。フェアリーフォースはそれを警戒していた。
エーテルが乱れた人間界で妖精は長く生きられない。臓器に負担がかかることもあり、子供の春夏の心臓は風前の灯火だった。
秋冬春夏は弱者の側だ。一般人である彼女たちは、大きな力に立ち向かうことができない。黙って指をくわえて消え行く時を迎える。それがヒエラルキーの底辺に住む者の宿命だ。
ある日、春夏の心臓移植手術が決定した――臓器バイヤーが昔、春夏の父に世話になったこともあり、心臓を横流ししてくれたのだ。
移植手術は無事に成功。こうして春夏は、今も元気でいる。
ただ残念なことに、父は不慮の事故で無くなった。まるで春夏の命と引き換えられたかのように。
スペックハザードが発令され、街に戒厳令が布かれた。が、ステルス妖精にはなんのその。
街から出られないのは退屈――春夏はステルス能力を使って街から街を行き来する。フェアリーフォースからの束縛なんてウンザリ。
決してでしゃばらず、邪魔さえしなければ誰かに命をとられたりはしない。春夏はそう思っている。
透明人間の苦痛ならよく分かる。
信じていた友人は、トイレで春夏の陰口を言っていた。その子の口癖は「ずっ友だよ! 親友だよ」だった。
街でドラマ撮影をしていたイケメン俳優はテレビ番組の中で「俺、アイドルだしい~、トイレ行かないしい~」とドヤ顔で断言しながらも、車の中で鼻クソをほじっていた。&それを服で拭いていた。
自称ネット小説家にいたっては、もはや目も当てられない生活を送っていた。その姿は手術前の春夏の心臓よりもひどく、風前の灯火だった。
全てではないにせよ、それらを許容できるのにはワケがある。春夏だって完璧ではない。人目につかないところで、見られたくない失態をしたりする。鈍臭さなら一級品。人間なんてそんなもの。妖精だってそんなもの。
ましてやステルス能力を使用する時は決まって覗き、盗み聞き、後ろめたい作業ばかり。そんなことをしている自分を棚に上げて他人を笑うなどという行為、春夏の哲学にはない。
いつも笑顔のあの人が、裏では悪人顔負けの行動――そんな日常、見飽きた。
結局、人が見ていないところでは何をしても問題ない。誰も見ていないのだから。それが人の本心だ。本心は自分だけが所有している。黙っていれば誰にも知られることはない。
けれども時々、春夏の胸の底から芽生える感情によって、言葉や行動を左右させられる時がある。春夏の意思を無視しては、想定外の方向へと導いてゆく。春夏はそのことが不快でならなかった。本心が揺らいだ時、人は己の弱さを認めざるを得ない。
自分の意思とは関係なく体が動く、気持ちが揺れる――まるで体を支配されたみたいで気持ちが悪い。受け入れることができない。己の肉体が、心が、敵に見えるのだ。悪性のウイルスに侵食されてゆくように思えるのだ。
街角質問――透明人間になったら何がしたいですか?
入れない場所に入る。
好きな人や芸能人を監視。
食い逃げ。
きっと、どれも飽きてくる。それが春夏には容易く予想できた。結局は罪悪感しか残らない。心は必ず己の精神を蝕み、表面化するものだ。
表裏一体と言えばフェアリーフォースである。
春夏は馴染みの弁当屋の前で立ち止まった。
「私、知ってるんだからね。フェアリーフォースには裏の顔があるってこと。妖精界が混沌へ向かっていること。そして――」
空を見上げ、呟く。
「知ってるんだから。フェアリーフォースが悪魔とつるんで酷い事をする人たちだって」
膝を抱えてうずくまる春夏はムスッとふくれっ面――軍隊が一般人に行った仕打ちの数々を頭に描いた。妖精たちは政府に逆らえないシステムが根強く生きていることを、心底不快に感じている。
けれどもピラミッドの底辺にいる春夏には、政府に対抗する手段がない。体を消すことしかできない。
「私、弱くて何もできないんだ……」
落ち込むその肩に忍び寄る手かかった。
「おう春夏! どうかした?」
「調太郎……」
「また呼び捨てかよっ」
金髪の青年は白い歯を見せて笑った。
春夏がレストランをうろついていたのは、この青年を探していたのが理由だった。
お弁当屋のお兄さん
春夏と調太郎と呼ばれる青年。空き地に放置してある土管の上に2人並んで腰かけた。
「また猫のコスプレ? メシ食ってる時くらい耳と尻尾取れよ」
ペシッと軽く耳をはたかれた。
「あいたっ、これは本物の耳と尻尾なのっ」
「ウソこけ! そんな生物アキバにしかいねーだろ! 奈良公園の鹿は敷地から出たら『奈良公園の鹿』じゃなくなるんだぞ! ちょうどアレだ、金を無くした金持ち? みたいな? だから耳と尻尾を取れ!」
ペシッ、ペシッ。何度も弾く。典型的ないじめっ子。
「やーめーてー! ホントに本物なんだからあ~」
「あ、そ」
軽く流された。いつも信じてくれない。
空き地にゆっくりとした時間が流れる――。
「――あのね調太郎、さっきからずっとレストランの中を探してたんだよ」
「へー、何か用があったのか?」
「んとね、子供たちが絵を描いたの。調太郎たちの顔」
「へー、後で見にいくわ」
白米をこれでもかというくらいにかき込んで頬張る金髪。
「調太郎、ホテルのどこにいたの? 駐車場?」
「俺? 調理場にいた。ヘルプがかかちゃってさ」
調太郎は弁当屋勤務の傍ら、多くの料理人の指導役も務めていた。
調太郎は2つある弁当のうち、1つを春夏に差し出した。
「ほら食え、うまいよ」
「わあ、ありがとう調太郎!」
「さん」
調太郎は天高く、春夏の手の届かないところまで弁当を上げた。「さん」を付けなきゃ死んでも弁当を渡さないらしい。
両手を天高く伸ばして弁当を奪おうと必死の春夏。
「ありがとさん! 調太郎!」
「は? 本気で言ってんの?」
「わあああ間違えた、ありがとう! 調太郎さん! さん! 3! さあああん!」
「よし!」
春夏のよく行く弁当屋。春夏のお気に入り。
よく買うのはのり弁――350円。白いゴハンの上に海苔が乗っている。海苔の下には薄く海苔の佃煮が塗ってあり、おかずがなくても塩っけがあるので箸がすすむ。海苔の上にはタルタルソースと白身魚のフライ、ちくわの磯部揚げ、キンピラ、たくあん。オーソドックスだけれど、胸も腹もいっぱいにしてくれる魔法のアイテム。たまにアジフライやステーキの切れ端が入っていたりする。そんな日はラッキーデー。
ちなみに本日は……
「うわあ、アジのフライだ! ラッキーデー♪」
春夏はフタを開けた途端、顔をぱあっと明るくしてアジフライを箸で摘まみ上げた。
「おう。よかったな。俺のもやるよ」
調太郎が乱暴に春夏の弁当にアジフライを突っ込んだ。
「いいの?」
「いい」
「ありがとう、調太郎」
「……」
さん、な。調太郎が頭に巻いているタオルを外して汗を拭う。
「調太郎は休憩中?」
「おう。ピーク時間は過ぎたし、ちょっと休みたいからな」
そう言って、空を見ながら想いにふける。
そんな調太郎の横顔を春夏が気にかけた。
「……なんかあったの?」
「ん? ああ、まあな……」
春夏の問いに、調太郎は口をつぐんでは、ポツリ、またポツリと呟くのだ。
「店に新しい客がついたんだけど、そいつがさ……昔、生き別れた家族にそっくりだったんだ。思わず声をかけそうになっちまった……」
「へえ。けっきょく声、かけなかったの?」
「ああ。年齢的に若すぎるし、別れてから2年以上も経っている。いくらなんでも成長してないってことはないだろうし……他人の空似ってやつだろ。不思議なこともあるもんだよな」
はははっ。調太郎が力なく笑う。
「どんな人なの?」
「ショートヘアの子だったよ。ビビったぜ……女よりも可愛くってさ」
「どうして男の子って分かったの?」
「自分のことを”ボク”って言ってた。何から何まで昔の家族と瓜二つだった。ちょっと気弱に見えたかな。ひょっとしたら女の子かもしれないが、詮索する気は……ない」
調太郎は力なくうつむき、おかずを口に運ぶでもなく、ただ箸でつついている。
春夏がポツリとつぶやいた。
「調太郎、最近、偽名は使ってないの?」
「ああ。いつまでも偽名で通すわけにはいかないからな」
「でた、調太郎の口癖。『人は日々進化する』ってやつ?」
「おうよ、いち料理人。日々のアップデートに必死なのよね……
調太郎はガテンの兄ちゃんよろしく、大股開きで春夏の横に座り直し、弁当にがっついた。白米のキャンパスに過去を描いては、それを箸でグチャグチャにかき消し、全てを無かったことにしたかった。
咲羅真 調太郎
晴湘市の惨事から2年半近くが経過した。
炎の街から脱出した調太郎、如月、源次は、碧のお腹から取り出した赤ん坊を救出するため、隣町にある小さな病院に駆け込んでいた。
結果、赤ん坊は一命を取りとめ、その後の容態は良好である。
調太郎たちは知り合いの伝手で聖色市に近いこの街にやってきた。
一連の事件で心を傷めていた源次は、長期のカウンセリングを経て、晴湘市で失われた味を再現するべく古い貸家に店をかまえた。日々の生活もあり、いつまでも亡き妻を優先してはいられない。
災害で両親を亡くした如月ひとみは、源次の店を手伝いながら副業の掛け持ち。政府からの支援などは一切なく、生活は困難を極めていた。
調太郎たちは戸籍上、死んだことになっていた。何者かが書類上から彼らを抹殺し、亡き者にしようとしている。
晴湘市を脱出してもなお、黒い女が追ってくることは知っていた。見つかれば殺される。そんな危険もあり、調太郎たちは偽名を使いながら身を隠し、黒い女に見つからぬよう、毎日怯えながら生き延びてきた。
生活苦の中、賄い食をパンにはさんで空腹を満たしていた調太郎は、その商品化に打って出る。当時の勤め先であった愛宮の厨房で開発をすすめ、各地で商品販売に至った。
――それが聖色サンドである。
「むかし晴湘市にいたころ、賄い料理として出していた具材だ。それをうまいうまいと言って食ってくれたヤツがいてさ、そいつのことを考えていたら、なんかこう……気づかねえうちにパンに賄い料理をぶっこんでいた。俺達にとって、その子はまさに神様だった。いや……妖精だったのかもな」
調太郎は力無い笑いを浮かべ、聖色サンドに食らいつく。
ご存知、聖色サンドは
箸を口元に運ぶ春夏の手がピタリと止まる。
「妖精……」
この人は本気でそんなことを思っているのだろうか? 春夏は調太郎の横顔をまじまじと見つめた。いい大人が妖精の存在を簡単に口にできるものではない。そんなこと言えば、頭のイカれた成人として見られるだろう。
だけど目の前にいる料理人は、まるでその目で妖精を見てきたかのように簡単に口にしている。
春夏が猫の妖精だということは信じないクセに、調太郎は妖精の存在は信じている。
神はいる。
愛はある。
キセキを目にした者は、なんの躊躇もなく、恥ずかし気もなく、それを口にできるものだ。
「調太郎は妖精を信じるの?」
調太郎は難しい顔を作っては首を傾げた。
「さあ……どうだかね。いるかもしれねーし、いないかもしれん」
ちくわの磯部揚げを食いちぎって、モグモグと咀嚼しながら空を見上げている。
春夏は問う。
「私、妖精だよ? 耳と尻尾、本物だよ?」
「あ、そ」
(やっぱ信じてないや……)
シュンとうつむく春夏に対し、調太郎はそ知らぬ顔で答える。
「お前が人間でも妖精でもどうでもいいよ。別に悪いことをしてるわけじゃなさそうだし。ただ……」
「ただ?」
「ただ、妖精たちの目的が分からないのが不安なんだ。正体不明のやつらは何を考えているか分からないだろ? 見えないものが怖いんだ。妖精の価値観だけで人間のルールを捻じ曲げられたら、俺たち人間はついていけないからな」
人と妖精との間には深い溝がある――それを聞く度、春夏は人間である調太郎との距離を自覚せずにはいられなかった。
閑話休題――。
「そういえば、今日ね、レストランでA5ランクのお肉食べた。美味しかった」
「なに? 土産は?」
ちょうだい、と手を差し出す調太郎。
「ふひひ、ないよお」
まさかつまみ食いとは言えまいて。春夏は調太郎の手をかるく
「――でね、強そうな人に会った」
「男?」
「ううん、お姉さん。17歳から20歳くらいかなあ……多分」
「マジで? 美人?」
「うん美人美人、すっごいの! こう、髪が黒くて長くて綺麗な顔をした人。背が高くて、胸がおっきくて、足も長くて、ボンッ、キュッ、ボ~ン! フローラルのいい香りだった」
春夏が自分の発展途上ラインをクネクネと捻じりながらご高説。
「お、おっぱい大きなフローラル? ボンッキュッボーン……だ、と? 綺麗なお姉さん系……マジかよ。この世にそんな女神がいるのか」
瞳を輝かせて力説する春夏の話に調太郎が食いついてきた。テンション上がる上がる。
「そいつ、がっつりメイク?」
「ノーメイクに近かったと思う。リップくらいは塗ってたかも」
「よし! 500円やる、紹介しろ」
春夏はフヒヒと笑い、調太郎が取り出したサイフを拒絶した。
「やだよお、殺されちゃうかもしれないし」
それを聞いた途端にビビる調太郎。眉をハの字にしながら怯えだす。
「そ、そんなに怖い女だったのか……?」
「うん。黒い服の人でね、銃持ってた。あと短刀っぽいの持ってた。ドスっていうの?」
「はあ? 黒服で銃刀法違反かよ。そいつの背中に不動明王のイラストとか描かれてるんじゃねーの? 世の中おっかねー奴もいるもんだな。関らなくてよかったぜー。今の話、パスな」
調太郎の頭の中で、筋肉ムキムキの刺青アマゾネスが登場――瞬く間に関節を決められて気絶する自分を想像しては身震いし、おとなしくサイフをしまう。
「でもMAMIYAの人だったよ? 調太郎の知り合いなんじゃないの?」
「なんだとお? おのれ、この俺がせっかく聖色サンドを提供してやっというのに恩を仇で返しやがって……最悪かよ」
と、ひとり勝手に怒り心頭。聖色サンドの生みの親としては悲しい限りです。
「調太郎の苗字ってなんていうの?」
「本名? 咲羅真。こういう漢字だ」
空地の土に枝で書いては消した。
「咲羅真? どっかで聞いたような……」
記憶を探る春夏をよそに、調太郎は端末を取りだし、時間を確認する。
「やべぇ、もうこんな時間か。源さんに殴られちまうぜ……さてと――」
土管から立ちあがると、その場を去ってゆく。振り向きざま、春夏に向かって声をかけた。
「春夏、あまり無茶するなよ。何かあってからじゃ取り返しがつかなくなるからな」
「お店に戻るの?」
「おう、ガッツリ稼ぐぜ。世界に進出するのが俺の夢だからな!」
「がんばってね」
春夏は手を上げて調太郎を見送った。
「ふう、今日も美味しかった。ごちそうさまでした――」
両手を合わせ、幸せ満喫。
春夏が空地から出ようとしたところ、知った顔が路地を横切った。
(あれ? あの人だ。どこに行くんだろう?)
長髪の青年が向かう先が気になった春夏は、コッソリと後をつけることにした。
向かった先は貨物船が出入りする港だった――。
双葉のアルバイト
ロナルド邸を訪れた御殿の目の前、配送業者のトラックが止まっている。いくつもの大きな荷物を運び出していることから、おそらく家の中に飾る家財道具だろう。
門を抜けると日本庭園の小さな世界が広がる。
ひょうたん池に石橋がかかり、その下を鯉が行ったり来たり、とても楽しそうに泳いでいる。窮屈な思いはしていないようだ。
あらゆるサイズの石組が癒しを与えてくれる存在としてして飾られている――どっしり、のんびりと構えたその姿、忙しない日常から生まれる焦りを忘れさせてくれる。
敷き詰められた砂利は美を謳う役目もあるが、ロナルドの立場を考えると泥棒除けにもとらえることができた。
手の込んだ自然には妖精はいないと聞くが、本当のところはどうなのだろう?
庭に見とれる御殿。その視線の先、奥から現れたのはよく知る人物が姿を見せる。
「やっほー、ことのん」
御殿は驚きを隠せなかった。
エプロン姿の双葉がニカッと白い歯を見せて挨拶してくる。一体どういう状況なのかしらん?
リンとロナルドの姿が見当たらない。御殿は表情を緩めながらも、ぎこちない笑顔を見せた。
「双葉さん、どうしてアナタがここに――?」
事の
「双葉さん、その手は!?」
血が滴る手を指摘したのが間違いだった。
双葉はニヤリとしてエプロンで血を拭うと、御殿の隙をついて身をかがめ、視界から消えた。
「ことのん、足元お留守!」
ガッ!
草刈り釜のようにスライドしてきた双葉の足払いにすくい取られ、御殿がその場に倒れる。
「なにを!?」
冷たい芝生に手をついた御殿がゴロゴロと転がり、双葉との距離をとった。慌てて態勢を立て直し、構えをとる。
「双葉さん、どういうつもり?」
半身で構える御殿の表情が一瞬で強張る。次に聞こえてくるのは戦闘開始の合図だった。
「ハイヤースペック・
腕を交差させた双葉のすぐ横に、同じ姿をした影が生み出された!
「あーしは柊双葉」
「あーしも柊双葉」
「「2人はひとり。2人でひとつ」」
お互いに向かい合い、両手を合わせて御殿に挑戦的な笑顔を向けてきた。
「双葉AとBのご登場ね、一体なんのマネ?」
御殿は目の前のスペクターから目をそらさずに立ち向かう。左右から連続で向かってくる双葉の斬り込みを屈んでよけては、相手の手首を取って捻り上げた。
クンッ!
Aの体が分度器のように宙を舞い――
バシャアアアン!
背中を砂利に体を叩きつけると、大袈裟な音を立てて小石が散乱した。
「他愛もない」
双葉Aに気をとられている御殿だが、相手からニヤリとした笑みが返ってきた。
「ことのん、あまい」
「――!?」
その背中に隙ができるのを待っていたかのように、Bが掌底を打ち込む!
ドッ!
「うっ……」
背中に打撃を受けた御殿が前につんのめる。
(ゲホッ……こ、呼吸が!)
肺を後ろから押されて息が止まる。そく態勢を立て直し、Bに突きを繰り出して反撃。
Bは御殿の手刀を血まみれの両手で払い、ふたたび足払いの姿勢へ。先日の戦闘から御殿の上半身を狙うよりも下半身を狙ったほうが勝機があると学んでいる。
戦いの中、御殿は不思議に思うことがあった。
(何かおかしい。双葉さん、やけに体に触れたがっているみたいだけど……)
先ほどから双葉の動きが気になっていた。明らかに何かを狙っているのだ。
ジワリジワリと御殿との距離を縮めてくる双葉A。やがて御殿の後ろをとり羽交い絞めにした。
(……後ろを取られたか)
御殿がAの腹に肘を入れようとした瞬間、真正面から迫ってきたBが手を伸ばしてきた。
「おっぱいいただき!」
Bの手が御殿の胸を鷲づかみ!
ぽよん……。
「……」
「……」
沈黙――無駄な脂肪が揺れるだけだった。
「……」
羽交い絞めにされた御殿が、乳をつかまれたまま呆けている。
「うげっ やっぱ無理なのかな?」
御殿のこめかみに青筋が浮き上がり、ゆっくりと2丁の銃を抜いた後、落胆するABの額に銃口を突きつけた。
「双葉さん、どういうつもり?」
「わー! たんまたんま、撃たないで!」
乳に伸ばした手を慌てて引っ込め、両手を挙げて降参ポーズ。
「参った参った。あーしの負けね」
「いきなり攻撃してきて降参もないでしょう? 本当に撃つところだったわ」
御殿は構えを解いて呆れ顔。銃は安全装置をかけてホルダーに収めた。
照れながらポリポリ頭をかいている双葉。
「あーん、ことのん怒らないでえ。あーしロナルドさんところでバイトしてんの。変な奴も来るから、一応ボディーガードってやつ? ……やっぱデカいな」
ヘラヘラとだらしない表情で甘えるように喋りながら、ふたたび御殿の乳を揉みしだく。
「変な奴とは失礼ね。ロナルドさんから呼ばれて来たのに」
「ことのんの事じゃないってば。あーし、普段はここの家政婦やってんの。メイドってやつ? いらっしゃいませえ~、お嬢様~。なーんつって♪ どう似合う?」
下手くそに、しおらしく、かがんで会釈する姿はメイドというよりメイドカフェ店員である。しかもお嬢様に対して「いらっしゃいませ」ときたもんだ。
双葉とのやり取りの最中、御殿の背中に長身の影が近づいてきた。
「お待ちしてましたよ、御殿さん。急にお呼びだてしてしまい申し訳ありません」
きちっとしたスーツ姿に角ばった眼鏡、整えた髭で御殿を出迎えた。
「お久しぶりですロナルドさん、それにリンさんも」
御殿の目の前にはロナルド、その横にリンが抱きついている。
笑顔のリンは顔色も良好。ブレインチューニングの甲斐もあり、健康状態は確実に良くなっている。脳が体に与える影響は計り知れないほどに大きい。
よき父、娘の頭に手を置いて優しく撫でた。
「リンもすっかり元気になりました。感謝しております。さあ、どうぞ中へ――」
ルー家にようこそ!
「ことのん、足もと気を付けてね。こっちが入り口だよ。スリッパはこれを使ってね」
双葉が石畳の玄関に御殿を招き入れた。
「ありがとう、お邪魔します――」
双葉に案内されながら、御殿はルー邸に上がり込んだ。
ロナルドが日本に移住してから10年以上経過している。愛宮邸の広さとまではいかないが、敷地面積は結構な広さだ。
西洋と日本の両方を取り入れた木造住宅。靴を脱ぐあたりが日本寄りだ。
家の作りは西洋風ではあるが、ところどころ日本の文化を取り入れた造りになっている。
長い廊下はやや暗い。間接照明が優しい光を届けてくれるあたり、リラックス空間を演じているのだろう――その目論見は、設計士に軍配が上がっていた。
凹字の廊下。ガラスの向こうの中庭を見ると、緑で覆われた空間にちょっとした池。泳いでいる鯉からしてみれば十分な広さ。ストレスのない快適さはあるはずだ。
でしゃばるほど大きくもない灯篭を見ていると、ロナルドの嫌味のない性格が滲みだしているようだと御殿は思った。
長い廊下をさらに歩くと、等間隔に
2階に案内された御殿の目に、甲冑の飾りが入った。
2体、左右からジッとコチラを見ては笑っている……というわけではない。ただ騎士同士、互いに見つめ合ったまま、微動だにしない。置物らしく、仕事はキッチリこなしているようだ。
それに気づいたロナルドが御殿の隣に立った。
「これですか。イギリス貴族の古い友人にプレゼントされたものですよ。夜な夜な勝手に動き出すようなことはないのでご安心を」
ハハハと笑うロナルドではあるが、聞かされるほうは平常心を保てるのだろうか? 動かれたらたまったもんじゃない。夜、ひとりでトイレに行けない――想夜なら、きっとそう思うだろう。
廊下の隅には縦長の未開封ダンボールが10個ほど陳列されていた。
「これ全て家財道具ですか? ずいぶんたくさん送られてきたのですね」
「いや、これは宅配業者が他所の家と間違えて送ってきたものです。すぐに引き取りにくるはずです」
「……そうですか」
凛として構える騎士を尻目に、御殿はふたたび歩き出す。
「掃除が行き届いているのね。プロ並みだと思う」
御殿の誉め言葉を聞いた双葉がニシシと歯を見せた。弟の面倒見もよく、家の手伝いもしっかりとこなしているようだ。周囲の人たちに優しさを配るできた子供。養父母から愛されないわけがない。
「だしょー? あーしが掃除してるんだあ~。チリ一つ残さないし……って、障子の埃を指で拭うのやめてくんない? それも真顔で」
「ほんの冗談よ」
「ことのんって、本気と冗談の線引きが分かんないだよね……」
普段、冗談のひとつも言わない奴は、なんでもかんでも本心として受け取られてしまう。
とはいえ、関心する御殿におだてられた双葉も鼻が高い。いくつもバイトを掛け持ちしていた時に身に着けたハウスクニーニングのスキル。戦士のスキルは何も戦うことばかりではない。日々の生活を謳歌するためには、手にしておくと便利な技は無数に存在しているのだ。ハイヤースペックを使わなくても習得できるスキルが世の中には無数にある。
「ことのん家は誰が掃除してるの? ことのん? 狐姫っち?」
「当番制。基本、自分で散らかしたものは自分で片づけるようにしているわ」
当たり前のことだが、一人暮らしだと否応にも自分で片づけなければならない。それが2人になったところで自分のものは自分で片づけるスタイルは変わらない。空からメイドさんが降ってきて部屋を綺麗にしてくれればいいのに、と誰しも思う。
「双葉さんのバイトはここだけ?」
「うん、まあね。やばいバイトはもうこりごり。危うく取り返しのつかなくなるところだったし……」
苦笑しながら頭をかいている。ババロアからの無茶ぶりに懲りたご様子。
「いい心がけね。酔っ払いに付き合うのは時間の無駄ということよ」
家庭的な双葉にはこのバイトが似合っていると御殿は思った。
ロナルドが自慢気に笑う。
「優秀なボディーガードが欲しくてね。しばらくの間、彼女にお願いすることにしたんだ。リンのお守りも含めてね」
と、御殿に向けてウインクをした。
「さっきから気になっていたんだけど、その手についた血は?」
御殿が台所に立つ双葉の手を指して聞いてみる。
「ああ、これ? ちょうど生肉を卸しててさ、よかったらことのんも食べていって」
ズバン!
――と、まな板のぶあつい肉めがけて包丁を叩き付ける。戦力は格段に向上しており、危うく餌食になるのは御殿の方だったかも。
呆ける御殿――
弟といえば、双葉の弟の
今では体調もすっかりよくなり、双葉の抱える問題も一般の学生レベルまで下がっている。
人見知りが激しいリンでさえ、今ではすっかり双葉に懐いていた。
双葉はエプロンにまとわりつくリンの肩に手を回し、保護者のように振舞う。じゃれ合う姿が微笑ましい。案外、保母さんとか似合うかもしれない。
「リンさんともすっかり仲良しね」
一度は誘拐犯罪に加担していた双葉だったが、今は護衛役として存在している。妹ができたような生活。人生とは先が分からないものである。
リビングに通された御殿はロナルドと向かいあってソファに座り、本題に移る。
「何か情報つかめたとお聞きしましたが?」
御殿の問いにロナルドが手を組みながら、少しだけ困った表情を見せた。
「――ええ。ミネルヴァ重工に探りを入れておりましたところ、港に大量のコンテナを運んでいることが分かりました。部下に中身を調べてもらったのですが、医療器具ばかりでこれといって怪しいものではありませんでした」
「コンテナ、ですか?」
御殿は食事会で見た映像の中にコンテナ港が映っていたことを思い出す。
(叢雲朱鷺……)
脳裏に風の八卦が浮かんでは消えた。
「貨物と児童失踪事件との関係性はあるのですか?」
御殿の質問にロナルドは、さらに難しそうな表情で首を横に振った。
「斡旋業者がコンテナに児童をつめこんで海外に運んでいる可能性も考えました。船長の中には金しだいで何でも運ぶ輩がおります。けれども今のところ、そのような人物はおりません」
「怪しい動きを見せている貨物船などは?」
「港から遠く離れた海上で停泊しているミネルヴァの貨物船が目立つようですが、それ以上詳しいことは何も」
ロナルドは記録媒体を御殿の前に差し出した。
「これは?」
「失踪した児童たちのデータです。お役立てください」
「ありがとうございます。使わせていただきます」
御殿がそれを胸ポケットにしまうと、胸のあたりで小さな魂たちの泣き声が幻聴となって聞こえてくる。
管理が厳しい日本の港から大勢の子供を送り出すことは不可能だろう。そんなことをすれば一発でバレる。人身売買としては雑な作業だ。
ロナルドはじゃれ合うリンと双葉に視線を向けながら話を続けた。
「以前、リンの臓器移植を考えていたことがあります。その際、闇のブローカー数人を紹介されました」
闇のブローカーは人身売買のプロだ。ロナルドの顔が利く人脈も存在している。とはいえ、ロナルドの表情は難しいままだ。
「ブローカー達に話を聞いてはみたものの、アングラで大勢の日本児童が売りさばかれている事実は確認できませんでした」
児童の人身売買がなかったことにホッと胸を撫で下ろす御殿。
「だとすると、失踪した子供たちは一体どこへ消えたのでしょう?」
「ワタシが言いたいのはそれです。失踪というにはあまりにも数が多すぎます。誘拐であることには違いないでしょう。少なくとも子供たちはまだ日本から出ていないはず。出国する前に、この事件を終息させなけれなならない。こうしている今も、日本のどこかで子供たちが監禁されているはずです」
「宗教がらみの線はどうでしょう? いけにえの儀式に子供が使われる可能性もありますが?」
頭のイカれたカルト教団は『神』という免罪符を用い、無垢な子供でさえ平然と犠牲にする。御殿たち暴力祈祷師は、それらの集団をいくつも潰してきた。中には悪魔崇拝をおこなっていた宗教も多々あった。暴力祈祷師はそれらを片っ端から排除して回っている軍隊だ。
悪魔崇拝、宗教がらみ――たしかに御殿の専門分野だ。政府ですら太刀打ちできない戦場に、ズカズカと土足で踏み込んでゆけるのが暴力祈祷師の強みである。そして政府もそれを秘密裏に公認している。よごれ仕事を御殿たちに任せておけば、お偉方は自分の手を汚さずに済むのだから願ったりである。また暴力祈祷師もその力の発揮場所を提供されていることで、そこにWINWINの関係が成立している。
ロナルドにならい、御殿も難しそうな表情になって眉を寄せた。
「そもそも、それだけの大人数を誘拐すれば足がつくはず。やることが大胆すぎませんか?」
「イエス。御殿さんの言うとおりです。バレる可能性をまったく考慮していないように思えます。誘拐スキルによほど自信があるのでしょう。例えば、誰も立ち入ることができない土地を所有しており、そこに子供を隠している……とかね」
「誰も立ち入ることができない土地、ですか……」
金持ちなら無数に土地を所有しているだろう。考えたらキリがないほど多すぎる――。
御殿は懐から1枚の写真を取り出すと、それをロナルドに見せた。
「話は変わりますが、この人物に心当たりはございませんでしょうか? 名は叢雲朱鷺。風の八卦とのことです」
ロナルドは写真を見たものの、残念そうに首を振った。
「――いえ。ですが、もしかしたらこの青年は、コンテナに子供が拉致されているという結論に至ったのかもしれません。そこから推測するに、風の八卦も子供を探しているのではないでしょうか?」
「子供を探す八卦……人探しの依頼、ですか?」
御殿と同様、朱鷺もどこかの業者から捜索依頼を請け負っているのだろうか?
風の八卦は敵?
それとも味方?
――御殿の視線の先。窓の向こうに流れる雲が答えてくれるはずもない。
「御殿さんには惜しみなく情報を提供するつもりですが、ミネルヴァの貨物船は不定期でしてね。港に到着する時間がランダムでなかなか絞り込めないのです。それを調べてくれる人材が欲しいところですが……」
「では情報屋をご紹介します。少しうるさいですが腕はたしかです。彼ならうまく動いてくれるでしょう」
御殿の脳裏にリア充男の顔が浮かんだ。
雑談も兼ねた話し合いの後、ロナルドが葉巻に手を伸ばした。
「――なんにせよ、今回もドンパチは免れないようですな。八卦が動いているともなれば、さらに過酷な戦闘になるかもしれません。アナタの腕の見せ所です。期待してますよ、ミス
会社の半身を削られたとはいえ、波を読む能力は健在。今でも優秀な投資家であることには変わりない。投資先のMAMIYAに打撃が加われば、ふたたび株価にも影響がでる。スペックハザードによって誰もが勉強したはずだ。
頭を悩ませる事態に一服しなければやってられないといったところか。ババロアから命を狙われ続けるロナルド、ひとり静かに考えたいのだろう。手にしている葉巻が主人の火を待っている――それを察した御殿が立ち上がった。
「長々とお邪魔しました。情報提供に感謝いたします――」
ロナルドが御殿の背中を見送る。
「ワタシの顧客も、今回の事件に関して面白くない顔をしている者が多い。早急に事件解決に向かいたいところです」
「かしこまりました。何か分かり次第、ご報告いたします」
「これからどちらへ?」
「いただいたリストに載っている児童の保護者を当たってみます」
「分かりました。くれぐれもお気をつけて」
「お心使い、感謝いたします――」
御殿は深々と会釈してルー邸を後にした。
御殿が時計を見ると午後4時を回っていた。
「もうこんな時間か。想夜に連絡を入れる時間ね」
想夜に連絡を入れるとすぐに返信があった。「愛宮邸にいる」とのこと。御殿はそこで合流することにした。
捜査の基本。足を使う。さっそく聞き込み開始だ!
御殿はきびきびと愛宮邸に向かう――可愛い弟の身に危機が迫っていることも知らずに……。