2 メイヴちゃんの憂鬱

メイヴちゃんと魔界


 エーテルを蓄積しておくためのバッテリー、エーテルポット。
 その開発を行っていたのがMAMIYA研究所の水無月彩乃。
 彩乃がエーテルポットに着目した理由は、エーテルを傷ついた患者に与えることで最先端の治療に役立つと考えていたからだ。
 御殿の育児が理由でシュベスタ研究所に移った彩乃は、そこでエーテルポットの開発に着手する。

 しかし八卦プロジェクトが中止となり、幼かった御殿は失敗作と認定。鴨原の支持のもとに破棄された。
 我が子が捨てられたことを知った彩乃は、絶望の底に突き落とされてしまう。
 その後、彩乃がシュベスタから離れたことにより、エーテルポットは不完全なまま放置状態となった。

 時経たずして、エーテルポットは鴨原の手によって作動する――。

 エーテルポットを満たすためには、吸集の儀式という陣の存在が必要となる。
 吸集の儀式とは、街に住む妖精たちからエーテルを吸い取り、別の生命体に転送させる陣だ。設置した街の妖精からエーテルを分けてもらえるが、無断使用するとクレームがくる。
 鴨原は聖色市に複数の吸集の儀式を作り、そこからシュベスタのエーテルポットに転送させていた。

 シュベスタに置き去りにされたエーテルポットは、仕様書なくしては完成には至らない。

 より完成に近づけるため、メイヴは鴨原を使った――指示内容は、詩織から仕様書を奪還すること、妖精をエーテルポットの被験者として募ること。そうやって妖精たちをシュベスタの一角に閉じ込めた。

 被験者としてのデータが揃い次第、妖精たちは解放されるはずだった。しかしシュベスタの裏で暗躍していた者の手によってエーテルポットの中身は汚染され、被験者たちは汚染エーテルの実験体として利用されてしまう。
 シュベスタに侵入した際、想夜がそのことに気づき、妖精たちが捕らえられた牢獄内で、ひとり必死に行動する。
 懸命になる想夜の姿に同調するかのように、妖精たちも一緒になって牢獄から脱出をした。
 こうして、解放された妖精たちは妖精界へと帰界した。

 メイヴは人間界での行動が有利に動くよう、フェアリーフォースを送り込んで徐々に制圧することを考慮していた。研究熱心な彼女のこと、好き勝手に振舞いたいわけだ。
 戦闘目的のフェアリーフォースが人間界で生息させるためには、大量のエーテルが必要だ。そのためメイヴは、エーテルポットを小型軽量化した魔水晶の開発を行ったものの、御殿の手によって破壊され、メイヴの目論見は散ることとなった。


メイヴちゃん降臨!


 真っ白な毛皮のコートを身にまとい、長靴のようなゆったりブーツ、ふわふわのロシアンハットを頭からかぶる少女。パッツン前髪で黒髪をなびかせながら荒野に立ち、遠くを見つめていた。
 毛皮に隠れた体は首まで包帯まみれ。見るものに痛々しさを与えている。
 シュベスタが崩壊する前、人間界に赤帽子の刺客を放ち、想夜のパラメーター計測を行った――その理由は、想夜の中に眠りし力を確認するためだった。たった一発の核弾頭。それが想夜がフェアリーフォースに入隊できた理由だ。相手のパワーを相殺できるだけの底力を持つ少女の価値。ディルファーに想夜をぶつけてお役御免。シュベスタでの戦闘で、その筋書きが大きくズレたのは言うまでもない。
 想夜はノーランクのエーテルバランサーだ。それにしては明らかに桁違いの戦闘能力だった。そのことを疑問に思ったメイヴは居ても立ってもいられなくなり、パワー計測のために人間界に足を運んだのだが、想夜にゲッシュを植え付けたことが災いし、結果として藍鬼化した少女から返り討ちにあってしまった。女王とて、欲を張ると痛い目にあう。

 まあそれはよい。強い奴、大歓迎――メイヴにとって藍鬼の餌食となるのは些細なこと。面白いものが見られただけでも儲けもの。ワイズナーでブスリとやられた胸の痛みなんぞ、今のメイヴのバストのように無いに等しい。

 妖精界は魔界と手を組んでいる――それは事実だ。が、少し事情が異なる。妖精界が魔界に惚れ込んだ事実はなく、ましてや魔界がへつらい、ゴマをすっている事実もない。実際のところ妖精界と魔界は、腹の底でにらみ合いが続いている。つまるところ、食うか食われるかといった間柄だ。

 魔族は腹にイチモツの刃を隠し持ち、妖精たちを前にニヤリと笑って舌舐めずり。いつ食らいついてやろうかと裏切りの序曲を伺っている。なぜなら相手は悪魔だから平気で妖精を裏切る。
 フェアリーフォースも魔族への警戒を緩める気は毛頭ない。

 利用できるものは利用する――両者とも、それが狙いだ。

 魔界の住人が綺麗な心で妖精界に寝返るなんて、妖精たちは微塵も思っていない。妖精界だってバカじゃない。魔族が風呂あがりのサッパリした笑顔で心を入れ替えるなどと、与太話に他ならないと胸を張って断言していた――。
 

メイヴちゃんと鴨原元副所長


 お昼過ぎ。
 メイヴは鴨原のマンションを訪れた。

 フェアリーフォースとの縁を切って間もない男の一人暮らし。さぞ、やつれた顔をしているだろうと思っていたものの、鴨原の顔色はメイヴが予想していたものとはほど遠く、色ツヤともに問題なかった。むしろ顔色が良くなったようにも思える。女性だったら1トーン明るめのファンデに切り替えていることだろう。
「久しいな、鴨原元副所長」
 メイヴの姿を目にした鴨原が訝し気に顔を歪めた。
「どうした、その姿は? シュベスタでMAMIYAの連中に半殺しにされたとは聞いてはいたが……それにしては大袈裟な恰好だな」

 包帯まみれの幼女メイヴちゃん。擦り傷切り傷バンソウコウ。誰が見ても戦争帰りとしか思えなかった。

「心配してくれるのかの? うれしい限りじゃよ」
 白い歯を見せてニカッと笑う。
「これはMAMIYAから受けた傷だけではない。妖精界も色々と忙しなくてな、体を休ませている時間もありゃしない。それより……」
 メイヴは鴨原の目の前に立ち、下から見上げるように覗き込んできた。
「ずいぶんと顔色が良いようだが、水無月の娘に食事でも作ってもらっているのかえ?」

 水無月の娘――メイヴは御殿のことをそう呼んでいる。

「ふん、余計な詮索はやめろ」

 図星――とたんに鴨原は、年甲斐もなくムスッとふて腐れた。まるで小学生男子が好きな女の子のことで周囲からからかいの声を浴びせられているかのよう。

 御殿はこの数日間、リンのブレインチューニングのお礼も兼ね、鴨原にバランスのとれた料理を持って訪れていた。鴨原が迷惑そうにしていても、炊事、洗濯、掃除までしてくれる。すっかり家政婦、いや、おしかけ女房か?
 鴨原も鴨原で、それが御殿が持つせめてもの気持ちだと分かっており、断るのも何か違うと感じていた。結果、鴨原は御殿の言いなり。強引な女の押しに弱い、相も変わらず不器用な男。
 鴨原は書斎の本棚に本を戻す。『DNAストレージと細胞の記憶』と書かれた本だ。
「シュベスタでNO.01ナンバーゼロイチと一戦交えたそうだな。ご苦労なことだ」

 八卦NO.01――御殿はフェアリーフォースにとって脅威だ。御殿の性格が凶悪でないのが幸いである。でなければ、妖精界政府は今ごろ皆殺しになっていたかもしれない。

 鴨原の挑発を聞いたメイヴがせせら笑う。
「おかげ様でな。お主らの作ったお人形さんは実に良くできていたよ。おかげで魔水晶は破壊されるわ、体はこんなになるわで大忙しだ」
 その場でくるりと回り、幼い体を鴨原に見せ付けた。はじめてのオシャレ気分といったところである。
「似合っているじゃないか。あとで綿菓子でも買ってやろうか?」

 メイヴは少し考えたのち、鴨原に答えた。

「ふむ……悪くない。甘いものが食べたくなった」
「……いつから冗談が通じなくなったんだ?」
 呆れる鴨原。財布と部屋の鍵を手にすると、マンションを出てゆく。
 その後をちょこちょこと付いて歩くメイヴ。
「どこへ行くのだ?」
「スーパーに食材を買いにゆく。コンビニ弁当だとNO.01がうるさいんだ」
「小言の多い八卦か。まことに愉快じゃ」

 ぷんぷん鴨原。
 にこにこメイヴ。
 そんなこんなで科学者2名、近所のスーパーへと向かった。


メイヴちゃんとお菓子


 スーパーの店内。

 野菜や果物を手にとる鴨原。じっくり吟味し、それらをカゴに入れてゆく。食材選びは御殿から教わった通り。

 その横へとメイヴが擦り寄ってくる。
「のう鴨原。これ買ってもいいかの? オモチャが入っているやつ。人間の作る菓子は面白いものばかりだ。実に興味深い」
 メイヴの手にしたお菓子はオマケ玩具が入ったもの。鴨原は一瞥するとカゴを差し出す。
「好きにしろ。ただし1つだけな」
「主はよい奴じゃの」
 にっこりメイヴ、ごきげんな様子でお菓子をカゴに入れた。

 レジの行列待ちを終え精算をする時、女性店員が幼いメイヴに語りかけてきた。
「あら~、今日はおじいちゃんとお買い物? 偉いわね~」
「うむ。よき祖父じゃよ」
「な!?」
 ドヤ顔のメイヴを横に、鴨原たじろぐ。


 買い物を終えた鴨原。手にはビニール袋をぶらさげ、所帯じみた感じで店を出る。すぐ後ろを小さなメイヴがついてくるものだから、その姿は孫をつれた初老の男性そのもの。店員以外の誰が見てもそう思うだろう。

 駐車場を横切ろうとしたところ、少し離れた場所で若者達が地べたに座り込んでたむろしていた。鴨原を見た途端、にやけた顔を互いに寄せ合った。
「おい、アレ見ろよ。鴨原じゃね?」
 ひとりの少年がアゴで促した。その合図で一斉に視線がそそがれる。
「誰ソレ?」
「ほら、議員だった奴」
「ああ、テレビで見た。エラソーな態度で国会に入っていってたわ」
「あのオッサン、ムカつく顔してんな~」
 せせら笑い、遠くから鴨原のこめかみ目がけ、飲みかけの缶を投げつけてきた。
 ――が、鴨原の顔面に缶が命中する寸前、メイヴの目が光る。

 シュッ!
 一瞬だけ周囲に黒いカーテンが現れた後のこと。巨大な閃光が走り、空中の缶が進行方向を変えて急加速、勢いよく若者たち目がけて突っ込んでいった。そりゃあもうトレーラーが突っ込んでゆくほどの速度で、だ。

 ちゅどおおおおおおおおおおん☆

 小さな空き缶が若者たちの横をすり抜け、爆発音を立てて壁にめり込んだ。そこに小さなクレーターを作成後、跡形もなく燃え尽きる。大気圏を突破して地球に突っ込んできた隕石のようだった。

 闇霧あんむのカーテン――黒いカーテンで物体を包み込み、軌道、座標、速度などを変更するハイヤースペック。女王メイヴの十八番だ。

 ガレキを前に若者たちは呆気にとられ、中には失禁する者さえ出てくる始末。少し離れた場所では、本を抱えた少女が脅えながら鴨原を見ていた。
 政界を退いた鴨原稔は、もはやただの初老の男なのだろう。威勢を無くしたドーベルマンは国民の見世物であり、笑いものだった。

 鴨原が冷たい眼差しをメイヴに向ける。
「ふん、ハイヤースペックか。あの学生たちに命中したらどうする気だ? 全員死ぬぞ?」
「ふむ、いま殺そうとしたのだが……この体では命中率が下がるようだな。次は殺すから安心しておけ。あやつらの首はくれてやる。書斎にでも飾っておけばよい」
「結構だ」
「なら、やつらの学校の理科準備室にでも飾っておくか? ちょうどいい標本ができるぞ?」
「やめておけ」
 メイヴが鴨原を見上げる。
「いつもあんな仕打ちを我慢しているのかえ?」
「……俺にはお似合いだ。行くぞ」
 口ごもり、話を終わらせる。
 やれやれ。後ろ向きな初老の男を見ていると気が滅入る――メイヴは肩をすくめ、何事もなかったように鴨原の後についていった。


 駐車場で綿菓子の屋台を見つけたメイヴ。瞳を輝かせながら、すぐさま店にかけよる。
「なあ、これ……部下に買っていきたいのだが?」

 アニメイラストが描かれた長細いビニール袋にはいった綿菓子たち。5人分くらい入ってる。

「……部下想いだな」
「うむうむ、甘いものが好きな連中でのお。たしか雪車町想夜もそうじゃったの。我が部隊は血の気も戦闘値も高いが、血糖値までは上がって欲しくないものだ」
「ふん、好きにしろ」
 鴨原がサイフを取り出した。
「おまえさんは昔からいい奴じゃの」
 メイヴがニコリと笑う。
「やめてくれ。本当にいい奴ってのは、人を破棄したり撃ったりしない。ましてや部下に罪を着せたりしない」

 鴨原の脳裏には御殿、狐姫、宗盛、そしておとしいれた部下たちの顔が浮かんだ。狂気じみた研究のため、そうやって多くの者たちの冷たい視線を勝手に作り出し、その身に刺しながら生きている。

 うそぶく鴨原の背中をポンポンと叩いて諭すメイヴちゃん。
「そう言って自分をさげすんだ態度をとるところがいい奴なんじゃよ。悪人にはなれない男、大根役者め」

 メイヴは消え入りそうな笑顔の後、口をつぐんだ――いつの世も、人の先を行くものは石を投げつけられる役回りだ。そのことは2人とも、重々承知ノ介。


メイヴちゃんと酔酔会


 思いにふけるメイヴ。その心情を察した鴨原が問う。
「色々あったと言っていたうようだが、何かつかめたのか?」
「ああ。酔酔会すいようかいという酔っ払いどもが台所の隙間に隠れておった」

 酔酔会とは酒好きの集まりが転じて結成された婦人会。その中にはミネルヴァ重工の相談役であるババロア・フォンティーヌが在籍している。
 ババロアは柊双葉を使い、八卦の事情に詳しい彩乃と、その支援者である投資家ロナルドの抹殺を企んでいる。これ以上、彩乃が八卦プロジェクトに立ち入らないようにしたいらしい。それほど八卦を警戒しているようだ。

 言わずもがな、シュベスタは表裏がある。鴨原とメイヴが表だとすれば、見えぬ影は裏――つまるところ、暗躍している連中がいたわけだ。

 暗躍――それが酔酔会。妖精界と人間界に横槍を入れる存在。メイヴの目の上のコブである。

 鴨原が眉を歪ませながら聞いてくる。
「酔酔会? 聞いたこともない名だな。何かの組織か?」
「いや、婦人会じゃ。ババロア・フォンティーヌを知っておるな? あやつも酔っ払いのひとりじゃ。ババロアはコードネーム。本名はバロアと言うらしい」
「驚いたな、ミネルヴァ重工の相談役じゃないか。そんなことがありえるのか?」
「アングラでは有名じゃぞ? 少し見ぬ間に情弱になったのう」

 鴨原が訝しげに表情を歪めた――つい先日、ババロアのことを御殿に話したばかり。その時から良からぬ事態を感じ取ってはいたが、嫌な予感は見事に的中してしまった。

「無理も無い。投資家ロナルド・ルーがその身を削って暴いた輩だ。アンダーグラウンドの連中もざわついておったわい」
「人間界の事情に詳しいな。しばらく妖精界に帰っていたようだが、ゴタゴタか?」
「うむ。その酔酔会とやらがフェアリーフォースに横槍を入れてきおったので可愛がってやったさ。酔っ払いどもの存在は、その時に知った」

 鴨原は以前、ミネルヴァの営業担当者と打ち合わせをしたことがある。その時に小耳にはさんだ情報を持っていた。

「たしかババロアは声帯を痛めていたはずだったが。もう治ったのか?」
「おおとも。汚いやり方でみごと美声に変わりおったわい。近いうちに日本中で聞くことができるじゃろう」
 メイヴは嫌味ったらしくケタケタと笑う。

 余計な詮索は嫌いな鴨原だが、酔酔会に興味がわいている様子。世間話代わりに話に付き合うことにした。

「汚いやり方? 声の整形でもしたのか?」
「いや、ババロアの声帯はとっくに死んでいる。手術くらいでは治らんよ。強いて言うなら……移植の類、かのう?」
 鴨原はとくに驚かなかった。
「ミネルヴァ重工は人工臓器開発に強いからな。人工声帯移植をしても不思議ではないだろう?」
「ふん……あのような美声をミネルヴァ如きが作れるものか」
 メイヴの笑いがピタリと止んだ。それくらい面白くない事態が起こってる。


メイヴちゃんと華生の誘拐


 鴨原は人間界を妖精界に指揮してもらうほうが効率よいと考えていた。フェアリーフォースとの癒着もあり、メイヴから指示を受ける事も多かった。華生の誘拐やエーテルポットの作成などがそれにあたる。

「水無月の娘に愛宮叶子をぶつけて体力を削る計画は良かったと思うぞ?」
 と、メイヴが鴨原の過去を振り返る。
「ああ。まともに彼女たちと殺りあったら、男の俺でも太刀打ちできないからな」

 八卦の御殿を抹殺することにより、シュベスタの失態も消える。その後、負傷した叶子をフェアリーフォースに引き渡す。そうでもしなければ鴨原は叶子に斬り刻まれていたことだろう。叶子を捕獲することで、フェアリーフォースはさらなる戦力増加に努めることができるはずだった。

「……すべては失敗に終わったがな」
 鴨原は深くため息をついた。
「そう落ち込むでない。我らフェアリーフォースとしては、愛宮叶子を華生の護衛役として迎え入れるつもりだった。ハイヤースペクターを確保しておけば、戦闘が有利になることは間違いないからの。何より華生の権限は絶大だ。多くの妖精たちが彼女の声に耳を傾けることじゃろうて。フェアリーフォースは華生もディルファーのデータも欲しいからのう。魔界のスカウトマンの手になんぞ渡したりするものか」

 魔界もスペクター確保に必死だ。その役割をスカウトマンという魔族が行っている。
 当時のメイヴに対して鴨原は協力的だったが、さほど妖精界の抱える問題に詳しいわけではない。華生の存在がどれほど大きいものかさえ知らなかったのだから。


メイヴちゃんと妖精実験


 一度はフェアリーフォースに捕らえられた華生。これを裏で指揮していたのはメイヴだ。人間界へと逃し、そこで捕獲する計画だった。これにより、フェアリーフォースに知られぬまま華生を独り占めできると考えていた。

 ディルファーのデータを持って人間界に逃走してきた華生を鴨原たちは手に入れ、妖精実験に使用していた。もちろんこれも指揮していたのはメイヴ。

 メイヴは華生をフェアリーフォースに引き渡さず、単独で行動していた。すでにこの時、メイヴはフェアリーフォースに不信感を抱いていたからだ。派閥抗争の匂いを感じ取っていたのだ。

 「人間たちのため」と謀られた華生は、不覚にも妖精実験の鍵となった。

 妖精実験とは、妖精からあらゆるデータを検出し、人体に取り込むことでオーバークロック化を図るための人体実験である。それがもとで、ディルファーのデータを用いて作られたハイブリッドハイヤースペクター、八卦は誕生した。

「聞くところによれば、九条華生は妖精界の権力者だそうだな。知らなかったよ」
「左様。真菓龍まかろん社の末裔だ」
 鴨原は少々驚いた顔をする。
「真菓龍社? あの巨大企業の末裔?」
「うむ。我が組織が使用するフェアリーフェイスワイズナーなど、武器諸々の開発元。真菓龍がフェアリーフォースと契約を結んでいることは、前にも話した通りだ」
「ご令嬢様だったとは、また厄介な娘に手を出したものだ。そうと知っていたら、妖精実験を躊躇してたかもしれないよ。妖精界と戦争はしたくないからな。君はフェアリーフォースの味方なのか、はたまた人間の味方なのか、よく分からないところがある」

 『華生は逃亡者。妖精界に戻っても政府のために利用されるだけ。ならば妖精実験に参加させつつ、人間界で匿っていたほうが研究も進む。頃合を見て、妖精界に突き出せば丸く収まる』――鴨原がメイヴから聞かされた内容だった。若干メイヴに謀られている部分はあるが、鴨原自身、実験には興味津々だったからお相子あいこである。

「愛宮鈴道りんどう氏と揉めた日、俺は彼の眼光にたじろいだ。男の世界で生き延びた猛者の姿に尻尾を巻いた。あんな度胸を多くの男たちが欲しがるのだろうな」
 鴨原如き、鈴道の前では青二才。鈴道の孫である叶子でさえ鴨原の手には負えない。結果として、妖精実験のさなか華生は叶子に連れ出された。

 籠の中の小鳥は逃げ出し、少しの自由を得た。そして今も、愛宮邸のメイドとして住み込みで働いている。


メイヴちゃんと吸集の儀式


 吸集の儀式とは、その街の妖精たちから体力を奪うための陣である。この陣をつくることにより、別の生命に体力を分けることができるのだが、無断で体力を奪うこともできるため、いささか迷惑な部分もある。

 愛宮邸でメイドとして働いていた華生を、鴨原は何としても取り返さなければならなかった。抵抗されると分かっていたので、吸集の儀式で華生を弱らせてからメイヴに渡すつもりだった。叶子と華生、戦力を削がなければ太刀打ちすることなどできない。案の定、詩織に指揮させていた赤帽子の軍団は、華生に返り討ちにあっている。人間である鴨原の腕力では話にならないのだ。

「君が愛宮邸から華生を連れ戻せばよかったんじゃないのか?」
「ぬかせ。そんなことをしたらフェアリーフォースにバレる。政府の監視力は一般人の比ではない。舐めてもらっては困る」
「君でも首が飛ぶのは怖いのか?」
「フェアリーフォースの『クビ』の意味するところは、本当に首を落としにくるところじゃよ。くわばらくわばら」
「どこの政府も怒らせると厄介だな」
 鴨原の言葉に、メイヴは面白くなさそうな顔を作り空を見上げた。
「お主こそ、なぜ水無月の娘を消すことに躍起になるのじゃ?」
 鴨原はしばらくだんまりを決めたあと、ポツリと呟いてそっぽを向いた。
「……邪魔者は消すのが一番だからだ。 ……それだけだ」


メイヴちゃんとエーテルポット


 エーテルポットとは、力の源であるエーテルを蓄えておくバッテリー装置。
 吸集の儀式によって得られたエーテルポットに蓄え、それを諸々の実験に利用することができる。開発者はMAMIYA。
 それは彩乃の指揮のもと、詩織が仕様書をまとめ上げて完成する予定だった。現在のところ不具合があり、完成には至っていない。
 その廉価版である魔水晶はメイヴが開発した。

 魔水晶――小型エーテルポット。これを隊員に装備させれば、人間界での戦闘も有利になる。華生の利用と魔水晶の活躍により、メイヴは好きな時にフェアリーフォースを動かすことができると目論んでいた。

「真菓龍社がエーテルリバティを開発したと聞いて、肝を冷やしたのは事実。せっかく作った魔水晶を破壊されては困るからの」
 けっきょく御殿に壊されましたがね(笑)。
 

メイヴちゃんとエーテルリバティ


 エーテルリバティとは、魔水晶を破壊できる素材で構成された飴玉のような宝石。それだけではなく、奪われたエーテルを持ち主に返すための追跡プログラムが仕込んである。開発元は真菓龍社。そこに勤めるエンジニアが娘のラテリアに託し、人間界に使わせた。命をかけた初めてのおつかいだった。

 妖精界からやってきたラテリアによって、詩織はハイヤースペクターとなっている。ラテリアはエーテルリバティを所持していたことにより、メイヴから狙われていた。

 諸々の事情を知った鴨原は詩織をワームに感染させ、コマとしてのハイヤースペクターを生成することに成功する。だが、結果として後悔を抱える未来をたどっている。

 鴨原が口を開いた。
「吸集の儀式で得たエーテルをシュベスタのポットに転送する作業は上々だった。魔水晶の破壊を防ぐために、エーテルリバティを鹿山女史から奪う計画も同様。君から言われたとおりに事は進んでいた」

 メイヴからの依頼で、ラテリアからエーテルリバティを奪おうとした鴨原。エーテルリバティは魔水晶を破壊できる宝石だ。魔水晶の破壊を避けることで、フェアリーフォースは人間界での活動が有利になる。その略奪を詩織の体で実行したが、想夜たちの邪魔により計画は失敗に終わった。


メイヴちゃんとシュベスタの囚人たち 1


 メイヴの指示により、シュベスタ研究所には多くの妖精が囚われていた。
『最近、子供の体調がおかしくて』
『臓器移植をお望みでしたね? 我らシュベスタでは、ちょうどエーテル実験の被験者を募っております。人間たちのためにも協力してはくれませんか?』

 ――衰弱した妖精たちを言葉巧みに誘い出した。彼らには共通点がある。拉致したのは全員、臓器移植を待つ子供たちとその両親だった。

「我々はエーテル実験としての被験者を募ったはず。人間界に住む妖精は、どうしてもエーテル不足になってしまうからの。臓器の健康が損なわれた妖精にエーテルを注入することで、どのような結果が出るのか楽しみじゃった。その方法なら移植という大袈裟なことをせずに済む。それ故、大量のエーテルのストックが欲しかったのだ」

 エーテルの献血――強力な妖精であればあるほど、エーテルの消費が激しくなる。軍隊に所属していた想夜でさえ、エーテルを使用すれば体がふらつき、めまいを起こす。以前、吸集の儀式を狩るときに無理をしていたはずだ。

 魔水晶を使えばフェアリーフォースの行動が有利になる。
 エーテルポットを利用することで、傷の回復や人体の強化もできる。
 メイヴにとって魔水晶とエーテルポットは、人間界を制圧するために無くてはならない存在だった。また、彩乃に一目置かれるために躍起になっていた部分も否めない。
「頭の良い女は骨が折れる――」
 メイヴの脳裏に彩乃の姿が浮かんでは消えた。


メイヴちゃんとシュベスタの囚人たち 2


「たしか妖精の子供たちの中には、既に臓器移植を受けていた子がいたな」
「察しがよいな。酔酔会の狙いはそのクライエント、臓器移植を受けた子供じゃよ。利用価値がなくなった別の者は皆、人体実験に当てられたようじゃな」
「お目当ての子が見つかったから他の子は用済みか。ひどい話だな、俺も大概だがね」

 苦笑する鴨原は臓器移植を受けた子供のことを思い出そうとしていた。

「女の子だったな。確か名前は……う~ん、思い出せない。春夏秋冬と四季が巡る度に物忘れが増えて困るよ」

 鴨原は腕を組んで唸っている。思い出せないものは思い出せないのだ。

「……で、その子は今どこに?」
「知らん、消えた」
「消えた? 君ともあろう者が、また随分と無責任だな」
「そうは言っても、文字通り『消えた』のじゃからどうすることもできん」
 メイヴ曰く、神隠しの如くパッと消えたらしい。


メイヴちゃんと汚染されたエーテルポット


 シュベスタに捕らえた妖精たちだったが、実はメイヴと鴨原以外の勢力が関与していた。囚人の子供が暴撃化したのは、これが原因だ。謀られたことにより豹変したが、『別の一押し』が大きく関わっていた。

 シュベスタのエーテルポットの中は、何者かの手によって汚染されていた。

「君は臓器移植希望の妖精たちにエーテルを注入した後のデータを欲しがっていたな」
「うむ。だがエーテルは汚染されていた。目的の子供が見つかったので他の子供たちは用済みという事は先ほど話したが、あのようなエーテルを注入すれば妖精たちはたちまち反乱軍の仲間入りじゃろて」

 結果として、妖精の子供は暴撃化が促進され、目も当てられないような姿に変わり果てた。
 つまりエーテルポットが汚染されていた事実でさえ、鴨原とメイヴは知らなかったのである。

「あやうく我が軍を感染させ、暴徒化させてしまうところだった……ふう」

 税金泥棒! 金返せ! ――妖精たちの暴言がメイヴの頭を埋めつくす。汚染エーテルボットを破壊してくれた想夜たちにより、被害は最小限に食い止められた。不本意ながらも感謝しなければならない。

「感染させたのはババロアたちじゃろうな」
「となると、やはり酔酔会の狙いはフェアリーフォースか?」

 想夜がシュベスタのシステムを停止させた途端、研究所は火の海と化して崩壊した。これらの惨事には鴨原とメイヴは関与していない。酔酔会は人間界にいる妖精とフェアリーフォースを暴撃妖精に変えるために汚染したということになる。

「エーテルの横取りか。どこから汚染させたんだろう? 俺が作った吸集の儀式以外にも陣が存在しているようだな。そこから汚染されたエーテルを流し、シュベスタのエーテルポットを感染させた。陣のセッションハイジャックといったところか」
「割り込み作業か……なるほどなるほど。敵もやりおるな」
 メイヴは顎に手を添え、何度も頷いた。

 鴨原が作ったものとは別の吸集の儀式が、今もどこかに存在している。それもかなり強力なものだ――それはいったい、どこに?

「俺が作るよりも強力な陣を作れる奴となれば君たちか、もしくは悪魔くらいのもんじゃないか?」
 メイヴは腕を組み、深く頷いた。
「うむ。お前さんが言うように、汚染エーテルを分析してみたところ魔族のデータが検出されたよ」
「だろう?」

 鴨原が勝ち誇った顔をする。不覚ばかりが続くものだから、少しは有能なところを自慢しておきたい。

「それだけじゃない。汚染エーテルは風に乗って散らばる途中で、構造に変化が生まれることがわかった」
「ほお。変化とは?」
 メイヴが指折り解説する。
「第一段階が暴撃化、第二段階がワーム化じゃよ」
「エーテルが蟲化だと?」

 鴨原がこの上なく表情を歪ませる――ウイルスがネットワークを泳いでいる途中でプログラムが書き換わり、別の構造を持ったウイルスに生まれ変わる仕組み。それを思い出す。

「変化する汚染エーテルか。興味深いねえ。蟲化したエーテルはどんな脅威をもたらすんだ?」
「分析結果待ちじゃ。ふん、ババロアめ、やってくれおる」
 メイヴちゃん、内心では激おこなんだからね!


メイヴちゃんとスペックハザードの狙い


 汚染エーテルが日本中に散らばり、妖精たちは暴徒化。
 この混乱を重く見た妖精界は戒厳令であるスペックハザードを打ち出し、各都市にいる妖精たちの立ち入りの制限を設けた。

 風向きの影響もあり、隣街に位置する聖色市への被害は大きく、真っ先にスペックハザードが発令された。

「ふむ……」
 メイヴは顎に手をそえて考えたのち、憶測を告げる。
「雪車町想夜が藍鬼になってからババロアの考えが変わったようじゃ。いくら軍隊が暴徒化しても、藍鬼相手には無力じゃて。シュベスタを爆破し、用済みになったエーテルポットの中身を日本中に散布した理由が知りたいところじゃ」
「フェアリーフォースを暴徒化させる計画を破棄してまで、戒厳令が発令される時を待った理由か」
「うむ。考えられるとしたら、暴徒化したハイヤースペクターを増やすことでフェアリーフォースを混乱に陥れ、政府を足踏み状態にする計画に変更。その隙に人間界の一角に拠点地を作り上げ、そこから立て続けに自分たちの領土を増やす手段かのう。探ればもっと事情が出てくるかも知れぬが……」

 鴨原は話を続ける。

「軍隊が堕とせないから一般の戦士を暴徒化させたわけか。だが、ダフロマを日本に上陸させようとした理由は? なぜわざわざ日本に上陸させようとしたんだ? これをどう説く?」
「日本を崩壊させて得があるようには思えん。なぜ日本の周りをうろついていた? 何かをするための最初の作業のようにも思えるのじゃが……」

 メイヴちゃん、首を傾げて考え中――分らんもんは分らんのじゃよ。と顔でものを語る。

 鴨原が問う。
「ババロアの狙いは日本なのか? ダフロマは海をうろついていたんだろう? 船舶関係を調べたらどうだ?」
「それを今調べている最中じゃよ。敵の目的は世界では無い、なぜか日本に執着している。日本のどこか、今まさに、その答えが眠っているはずじゃ」
 侍、ハラキリ、芸者、アキハバラ。『忍者』と書かれた不思議Tシャツ……日本は不思議と魅力でいっぱいだ。

 ため息ひとつ、メイヴは空を見あげた――答えは、彼方にある。けれど、答えは日本のどこかに絞られた。


メイヴちゃんとディルファープロジェクト


 ――話はディルファープロジェクトに移る。

「九条華生を確保した当初、事態がここまで深刻になるとは思っていなかったよ」
 グッタリしたご様子の鴨原。中年にはこたえる出来事の連続、いやはや骨が折れる。
「別にお主を騙していたわけではない。真菓龍華生がディルファーのデータを持ち出してくれたおかげで、ワタシの手間が省けたしの」

 最初は真菓龍社からデータを奪うことを考えていたようだ。真菓龍社の内部抗争のおかげで、メイヴの仕事がひとつ減る。

 メイヴは楽しそうにしている。彼女のたくらみは今も順調ということなのだろう――したたかな女帝を前に、鴨原は肩をすくめた。

「たしかに君はディルファーのデータを欲しがっていたな。フェアリーフォースから華生を逃がした犯人が君だと知れば、妖精界は大騒ぎだ」
「うむ。フェアリーフォースでは秘密事項に触れることはご法度だし、真菓龍よりも一歩遅れていたからの。入手困難じゃったが、人間界に流れ着いたおかげでデータ分析にありつけた」
 彩乃よりも上を目指したかった。それ故、ディルファーのデータを用いることで、より高度な研究に取り組める。

 水無月彩乃の目を、釘付けにしたかった――。

 女王のやきもちとは関係なく、彩乃のチームはサイバー義体・トロイメライを完成させる。

 メイヴはトロイメライを戦闘訓練の人形として世に送り出そうとしていた。自動修復がそなわっている戦士のほうが、修理が必要なロボットよりもはるかに効率がよいからだ。

 ――だが、目論見は愛宮の血族に悉く粉砕されてしまう。

「今となっては、それでよかったのだろう。トロイメライの暴走が世界に広まれば、今の軍事勢力では対処が困難じゃて」

 ガツガツした欲望に流されていたことを自覚し、メイヴはいったん頭を冷やす。

 しおらしいメイヴも可愛いものである。鴨原は苦笑し、口を開いた。
「君はトロイメライプロジェクトに必死になっていたな。今やトロイメライは世界に貢献できる存在となった。妖精の力とも知らずに医療にあやかっている者やMAMIYAに、なにか言葉はあるか?」
「少しずつでいいからエーテルを分けて欲しいものじゃ。この体では戦闘に向かんのでな。八卦にも対抗できんわ」


メイヴちゃんと八卦プロジェクト


 鴨原が単独で進行させた、ディルファーのデータを用いて作られたハイブリッドハイヤースペクター――それが八卦である。データは8つ存在し、一人に一つのデータが組み込まれたとされている。

「実際のところ、八卦のデータすべてが人間に取り込まれたという確証はない。が、君も八卦プロジェクトにも参加していれば、八卦対策くらいはできたものを……もっと人間界でゆっくりしていればよかったんじゃないのか?」

 鴨原がにやつきながら、嫌味ったらしく言う。つまるところ、「御殿に半殺しにされずに済んだんじゃないか?」と言っている。

「妖精界も暇ではないのだ。2足の草鞋わらじの苦労はお主もよく知っているであろうて」

 メイヴは八卦プロジェクトに参加していない。面白い研究を前に、内心、関ればよかったと後悔している。

「雪車町想夜の藍鬼化といい八卦といい、人間界はつくづくワタシの想像を絶してくれる舞台じゃ。まことに愉快愉快」

 カンラカラカラ――控えめなメイヴの笑いに偽りはない。想定外の出来事は大好物である。

「とはいえ……」
 メイヴの笑みがピタリと止んだ。そのあと、ジトリと鴨原を見上げる。
「お主、なぜ咲羅真御殿を消すことに躍起になる? 八卦を作ったのはお前さんだぞ? 放っておけばよいものを、どうしてわざわさ水無月の娘を聖色市に呼び寄せたのじゃ? 八卦のことになると我を忘れて行動してしまうのは、巨大な力を作ってしまった事による自責の念かの?」

 どうかの? ――メイヴが鴨原の顔を除きこむと、鴨原は気難しい表情で答えた。

「馬鹿を言え。八卦が他社に渡ることを避けただけだ。著作権侵害を避けるためさ」

 とは言っているが、八卦プロジェクトを進行させた鴨原。彼の性格上、妖精兵器である核弾頭を作ったことに罪悪があってもおかしくない。その心に描く真実はどこにある? ――メイヴは考えを巡らせた。

「主は八卦を集めている奴らを恐れておったな? 水無月の娘が奴らに奪われる前に消しておく。それが狙いだったのだろう? 核ミサイルが敵に渡るくらいなら、先に処分しておいたほうが世界平和は守られる。著作権云々は建前だと思うのだが、違うか?」
「察しがいいじゃないか。さすが女王メイヴ様……すっかり縮んだがな」

 鴨原は自分が生み出した兵器で世界が崩壊することを恐れていた。八卦を生み出した理由のひとつは世界から戦争をなくすことだ。それをあろうことか、わけの分からない酔っ払いどもに逆手に取られたとあれば、たまったもんじゃない。オマケに御殿の力が不安定ともなれば、先行き不安である。

「もともと咲羅真御殿は女子おなごとして生まれてくるはずだった。けれども生まれてきたのは男子おのこ。誕生した時から肉体が不安定であることは周囲も分かっていたことであろう?」

 呆れ顔のメイヴ。エラソーな感じで高みの見物よろしく、まるで勉強を子供に教える先生だ。

「ああ。八卦に限らずハイヤースペックは不透明な部分が多すぎる。NO.01の性能が安定を取り戻すのはいつにやるのかを考えれば、気が遠くなりそうだ」
 鴨原はため息交じりで空を見上げた。
 それを見たメイヴは腹にイチモツ抱えたようにニヤリと笑った。
「気が遠くなる、か……ふふ、そうでもないかも知れぬぞ?」
「……?」
 鴨原は視線をメイヴに向けて答えを促した。
「水無月の娘は緩やかではあるが安定してきておる。正常に機能するのは時間の問題じゃろうて」

 鴨原はふと、御殿との会話を思い出した――「八卦の力が発動したわたしを手放したことを後悔してますか?」。たしかそんなことを言っていた。近いうちに安定が見込めれば、八卦のパワーを自在にコントロールできる戦士が誕生するだろう。

 両手に綿菓子のビニールをかかえたメイヴ。それを見た鴨原がからかうようにニヤリと笑う。
「不安定だからこそ、安定を手に入れた時の力は未知数ということか。あれ以上、どんな力が眠っていることやら」
 メイヴは弱々しくうつむき、胸に手を当てる。
「……ワタシをこのような姿にしてしまうほどに、八卦の力は凄まじい。不安定だったにせよ、ワタシにとっては恐怖の塊だった。妖精の存在を不要とするハイブリッドハイヤースペクターか。人間は実にケッタイなものを生み出してくれた」

 他者と共鳴して脅威の戦闘能力を生み出す御殿。
 暴魔の群れを一瞬で切り刻んでしまう水角。
 暴撃妖精ダフロマさえもたった2発で仕留めてしまうリン。

「あと5体もバケモノじみた奴がおるのか……」
 ――まさに八卦は、人が生み出した核弾頭だ。


メイヴちゃんと水角


 水角の話に移る。

 御殿の弟である水無月水角。ババロアに蟲を埋め込まれ、母親抹殺の道具として育てられた八卦NO.02ナンバーゼロニ

「水の八卦がMAMIYA側についたそうじゃの?」
「ああ。NO.01のところで生活している。顔立ちは姉にそっくりだよ。同じ遺伝子だからな。強気な姉とは逆に大人しい子さ」

 水角の話によれば、水角を生み出したのは酔酔会だ。それ以上はわからない。少なくともババロア・フォンティーヌではないのは分かっている。ババロアは水角に蟲を植え付けただけだ。

「酔酔会からの刺客がMAMIYAについたか。手札がそろってきているようじゃの。良きかな良きかな♪」
 八卦がそろった時には多くのデータがメイヴの心を満たしてくれるだろう。


メイヴちゃんの出向


 公園にやってきたメイヴと鴨原。
 ワゴンのクレープ屋でコーヒーとクレープを買った鴨原は、ベンチにメイヴと一緒に腰掛けた。

「まさかクレープまでねだられるとはな。 ……俺をATMに転職させる気か?」
「スーパーの時点から既にATMになっとるぞ? 先ほどからずっとワタシに引き出されておるではないか。貢ぐ女でも作れば、さぞ楽しい人生を送れるものを」
「余計なお世話だ」

 メイヴはニヤニヤしやがら鴨原をいじり倒す。

「水無月の娘にでも何か買ってやったらどうだ? 自責の念が少しは埋まるかもしれんぞ?」
「何が言いたい?」
「近づいてくる水無月の娘を拒否しないお主が、一番よく知っているのではないか?」

 鴨原、ぐうの音も出ない。いや、内心「ぐぬぬ……」とは思っている。数々の罪を清算するためには、八卦を受け入れるしか道はない。彩乃と同様、八卦プロジェクトと向かい合わなければならないのだ。それこそが、力を生み出した者が巻き取る作業である。

「話が長くなったな。本題に入ってくれ。 ……で? 今日は人間界に何しに来た?」
 クレープをほお張るメイヴを横目で見ながら、鴨原がコーヒーをすする。

 柔らかな日差しが心地よい。肌に突き刺さる熱さではなく、羽毛で包み込んでくれるような柔らかな暖かさ。そんな場所で似つかわしくない会話が始まる。

「うむ。先日、ミネルヴァ重工が動き出したとの情報を入手した。なにか知っていたら教えてはくれぬか?」
「今の俺はフェアリーフォースと一線を敷いている。キミから頼まれたエーテルリバティの略奪も失敗に終わった。ミネルヴァの件に関しても、俺にはもう関係のないことだ」

 つっけんどんに返す鴨原だったが、メイヴの一言で事態が変わる。

「八卦の争奪戦はすでに始まっている。主はもう、分かっておるのだろう? 逃げ場所などない。ミネルヴァに牙を立てろ。酔っ払いどもに牙をむけ。でなければ……食われるぞ?」
「……」
 返す言葉もなく、手持ち無沙汰でコーヒーをすする鴨原。眉間にシワをよせ、なんとも気難しそうな態度を見せている。

 シュベスタ戦の数日前、鴨原は詩織に差し入れたコーヒーに蟲を入れて魔族を憑依させた過去がある。カップの中の漆黒の泥沼を見るたび、彼女の苦痛に歪んだ顔が脳裏を過ぎる。それでもコーヒーを一滴残らず飲み干すのは、己に対する戒めもあるからだ。鴨原は、一生コーヒーを残さない人生を送ると胸に誓っている。一度濁ってしまった心がカフェインで浄化されることなどありはしない。そう、誰よりも理解している。

 御殿のようにミルクと砂糖で墨汁をごまかせるのなら、そうしたい。だが、それは鴨原にとって逃げでしかない。
 綺麗ごとだけでは済まされない世界で、鴨原は何人もの人達を傷つけてきた。その目で相手の苦痛を確認するたび、いつかやってくるであろう自分への刃を全身で受け止める覚悟を持っている。でなければ狂気の世界では生きられない。きっと未来では刃や銃を向けられるたびに「自業自得だ、因果応報だ」と自分自身をせせら笑うのだろう――鴨原は常にそう思っている。

「魔界の連中とは、よろしくやっているみたいじゃないか」
「ぬかせ。知っているであろう? 魔族はこちらの隙をうかがっている、今か今かと妖精界の首に食らいつく日をな。フェアリーフォースの戦力を貸す代償として、魔界のポートを借りているだけだ」

 想夜のパラメーター計測のため、メイヴは赤帽子の集団を人間界に送り込んだ。その時に使用したのが魔界の通路だ。妖精界から人間界への通路であるフェアリーリング、その使用許可は簡単には下りない。ゆえに、魔界が所有する転送通路は不正アクセスにはもってこいだった。あれだけ大量の赤帽子を送り込むためには効率がいい。
 けれども、そのポートを使用する者はフェアリーフォース以外にも存在していた。

 ――それが酔酔会だ。

「先日の黒妖犬の群れ。あれはババロアが仕組んだものだ。魔界の連中を絞り上げたら簡単に口を割りおった」
「ほお。魔界のポートを使ってまでMAMIYAにちょっかいを出してくるとはね。やっこさんも八卦争奪に必死じゃないか」

 ババロアが黒妖犬を使ってリンを誘拐しようとしたのは記憶に新しい。おまけに彩乃とロナルドを殺害しようとしていたのだが、その理由はなんだろう?

「水無月主任とロナルド氏を消すことで利益があるのか?」
 鴨原がメイヴに質問をぶつけると、すぐに回答がくる。
「ああ。ロナルド・ルーを消せば酔酔会への足がかりに待ったをかけることができた……が、一足遅かったようじゃな。ロナルドのほうが一足早かった。ババロアはさぞ悔しがっているじゃろて。人間的な表現で例えるならば、ざまあああ、プギャー、めしうま……あたりかの?」
「……そうとう喜んでいるな」
 仁王立ちで鼻を鳴らすメイヴの態度に鴨原が苦笑する。

 酔酔会の存在は、ロナルドの懇親の一撃により暴かれた。それは喜ばしいことだ。

「水無月彩乃を消そうとしているのは八卦がらみじゃろうて。彼女の頭脳を放っておくと酔酔会に大打撃を与えかねないからの。それこそロナルドの打撃とは比べ物にならぬかもしれぬぞ?」
「酔酔会に対抗できるカードがMAMIYA側にそろっているということか」
「うむ。とはいえ、すでに知っているとは思うが八卦のデータはシュベスタの手から離れ、あらゆる企業に渡ってしまった。場合によっては一般人が所有している可能性も無きにしもあらず。今となっては誰が所有しているのかさえ分からん」

 MIAMIYAの抱える八卦は、御殿、水角、リンの3人。
 残り5人の八卦が敵に回れば、勝機はたちまち薄くなる。酔酔会の戦力が分からない以上、こちらも充分な戦力をそろえておいたほうが無難だ。無論、そろえたところで敵の戦力がそれを上回っていれば全滅は免れない。強いカードを大量に切るか、少ないカードで様子を見るか、この先の行動によって勝敗は大きく分かれる。


「ときに鴨原副所長。地獄の妖精の話は知っておるな?」
「ああ。他人事だとばかり思っていたのだが……あっさり巻き込まれたな。逃げるのが一足遅かったよ。これでも学生時代は足が早かったんだがね」

 メダボとは言わないまでも、若い頃よりも出たお腹。鴨原はそれを見る度、食生活を改めるのだ。研究室に閉じこもりっきりだと、足腰が弱くなるものなのです。ちなみにプログラマーは……太る。

「酔酔会は妖精界と人間界を手中に収めようとしている――まごうことなき事実じゃ。それには戦力が必要。ディルファーの申し子である八卦は、まさに適任なのだよ」

 8人の巨大な影が世界を火の海に変える光景。誰の脳裏にも浮かぶはずだ。
 八卦争奪戦のなか、メイヴの頭にチラチラと御殿の姿が浮かぶ。一戦交えたのは御殿だけ。しかも八卦を発動していない状態で女王に会心の一撃を加えてくる戦士。御殿の存在がメイヴの興味心をくすぐらないわけがない。

「水無月の娘とうまくやっているそうではないか、のう?」
 メイヴの詮索に鴨原がせせら笑う。
「冗談はやめてくれ。向こうが勝手に押しかけて来るだけだ」
「ならば追い返せばよかろうて……のう?」

 チラッ。メイヴはつぶらな瞳で覗き込んでは、大人気ない態度で鴨原をおちょくってくる。
 それを鴨原はうんざり顔でシカト。手にしたコーヒーをすするも、空になった紙コップに気づくと、つまらなさそうにゴミ箱に捨てた。

「たしかに俺は妖精の頭脳に入れ込んでいた。だが戦争をするために妖精界に手を貸していたわけではない。妖精に人間界を統括してもらうという意味は、フェアリーフォースの的確なアドバイスを受けながら地球存続の手助けをするということ。もはや人間任せでは地球の寿命は知れているからな」
「ずいぶんと地球想いじゃな。環境保護団体にでも入ればよかったものを」
「笑わせるな。そんなものに入るくらいなら、とっとと戦争を起こして人間たちに消滅してもらったほうが、よほど地球にやさしいとは思わないか? フェアリーフォースはそれも考えていたはずだ」
「うむ。その手始めとして、シュベスタにやってきた戦艦にたっぷりとエーテルバランサーを乗せていた。が、藍色の飼い犬に手を噛まれおってな。結果、フェアリーフォースの目論見は木っ端微塵というわけだ」

 「悪い子はいねがー」――人間に手出しすれば、問答無用で藍色の鬼が出刃包丁を持って追いかけてくる。そうなればフェアリーフォースはお手上げ状態。もっとも、想夜を鬼に変えるキッカケを与えたのは、他でも無いメイヴ自身だ。自業自得。行き過ぎたデータ収集だった。

「いつかは雪車町想夜のような政府に歯向かうものが出てくると思っていたが、真っ先に目の当たりにするとはのう」
 メイヴは肩をすくめた。


メイヴちゃんと洗脳計画


 フェアリーフォースは数百年もの間、バイオパワー戦略により、戦士の洗脳育成を図ってきた。
 バイオパワーとは、どこかで誰かが監視しているという思い込みから、好き勝手に行動ができなくなるという強迫観念だ。「お天道様が見てるから恥ずかしいことができない」という言葉がもっとも分かりやすいだろう。日本人は皆、お天道様に恐怖している。

 フェアリーフォースの洗脳育成――政府に牙を向けば本人はおろか、身の回りの者までも苦痛を味わうといった、言わば脅迫観念を植え付けては都合のよいロボット兵士を作り上げてゆく。所有する情報は最小限にとどめ、政府の垂れ流す情報だけは漬物のように漬けておく。そうすることで、余計な思考を持たない戦士が作られる。余計な思考を持った戦士を叩く仕組みもできてくる。いい子バカでいてくれたほうが政府は都合がいい。政府に対して牙を向かない戦士がウジャウジャいる。

 鴨原が顎に手を添えて付け加えてくる。
「日本の警察学校でも同じことをやっているな。入学したときは個性を持った一人の人間だが、卒業するころには瞳からすっかり生気が抜けたロボットができあがる。日本の警察官は人であって人ではない。ましてや世間からの目もシビアだ。昔の知人が警察を退職したことがあったが、転職すらままならないと嘆いていたよ」
「うむ。我らフェアリーフォースはそれに輪をかけた軍隊だ。妖精界は人間界の面倒もみておるからな。エーテルバランサーは都合のよいロボットでなければ事がスムーズに運ばんのだよ」
「昔の日本人もテレビをよく見ていたな。大がかりな電波を使って国民の価値観を右へ左へと動かしていた」
「フェアリーフォースはとっくにやっていたさ」

 政府に疑問を抱く奴はみな敵だ! ――政府の命令に、いい子ちゃん達は素直に従ってきた。

「妖精もタチが悪いな」
「いまさら何を言う。この間まで仲良くやっていたではないか」

 メイヴは白い歯を見せ、にししと笑う。上層部に籍をおくものとしては、今さら洗脳計画を指摘されたところで、どうということでもない。

 鴨原はしかめっ面をしながら答える。
「……奴隷か。日本の企業も同じだ。入社3年もすれば立派な奴隷のできあがり。上司に歯向かうこともなく、ただのロボットが完成する。出世すればするほど身動きがとれなくなり、会社のいいなりとなって、自分たちが味わってきたことを部下に向け、理不尽な要求を押し付けるようになる。生身の人間がシステムの一部として取り込まれるのさ。会社のルールが合わないものは真っ先に排除される仕組みが出来あがっている」

 鴨原はそんな社会をごまんと見てきた。それに対し、正直キモチが悪いという感情がある。

 フェアリーフォースに入隊しても、そこで歯向かったものは簡単には死ねない。友人知人親族にまで反逆罪が飛び火する仕組みだ。苦痛を味わいながらのたれ死ぬ――麗蘭はそれを避けるために、似つかわしくない者を片っ端から除隊してきた。除隊するたびに胸を撫でおろしていたのをメイヴは知っている。麗蘭は妖精たちが抱く無駄な苦痛が大嫌いだ。正直、軍人には向いていないのではないかと思っている。

「だというのに、洗脳計画もどこ吹く風――まったく、我が部隊ときたら、どいつもこいつも個性ばかり持ちおってからに……」

 鬼になって上司の胸を刺したり、洗脳計画を暴露したり――メイヴの下には、元気いっぱいのエーテルバランサー達がいる。自分たちの手で未来を変えたいと願う戦士たちの産声だ。

 悪態をつくメイヴの言葉で、鴨原の脳裏にリボンの妖精の姿が浮かぶ。
「藍鬼……いい部下を持ったじゃないか」
 と、へらへら笑う。嫌味ったらしくメイヴに裏のある笑みを見せた。
「ぬかせ。おかげでフェアリーフォースの軍事病院は満員御礼だ。妖精健康保険を何だと思っておる。公務員同士のフルボッコ劇場なんぞ誰得じゃ? 『税金泥棒!』の合唱が薄気味悪いハーモニーとして耳に残っておるわい」

 コンチクショー! と言わんばかりに、メイヴは怒り任せでクレープにかじりついた。あまりにも乱暴に食らうもんだから、口のまわりにクリームがたっぷり張り付いてしまう。
 鴨原は面倒くさそうに紙フキンを取り出し、メイヴの口についたクリームを拭き取る。まるで幼い娘を公園に連れてきたお父さんだ。

 鴨原は「1+1」の答えを即答する奴を毛嫌いしていた。決まりきったことしか出来ない奴はロボットにしか見えない。そんなこともあり、「2」以外の答えを求めてしまう。「1+1=田」でも構わない。2以外が欲しいのだ。
 そんな歪な考えに同意してくれた少女がいた。

 鴨原の脳裏にはリボンの妖精が笑顔のままで記録されている――「1+1の答え」、求め続けることをやめないでと言ってくれた少女。スーツとネクタイの存在に疑問を抱く鴨原のことを「あなたのことを誰も論破できない」と味方してくれた少女。バイオパワーにひれ伏すことなく立ち向かう、13歳のエーテルバランサー。誰にも流されない思考を持った者こそが正義だと胸を張っているようにも見えた。おかしい事に「おかしい」と言う、そこには凛とした存在感があった。
 だからこそ、リボンの妖精が鬼になったと聞かされるたび、鴨原の胸には得体の知れない痛みが走るのだ――自分の中のヒーローが朽ち果ててゆくようでいて、正義が穢れていくようでいて、悔しく思う。

「飼い犬に手を噛まれるフェアリーフォースか。部下は大切に扱え、という教訓さ。ふふ、ざまぁないな……」
 少しだけ想夜に肩入れしたくなる気持ち。それはきっと鴨原の中で、フェアリーフォースよりもリボンの妖精に軍配が上がったということ。鬼になっても、白い目で見られても、ちゃんと味方はいるということだ。

 犬の散歩に来ていた親子連れを見ながら、鴨原は思う。少なくとも目の前の犬は飼い主に噛み付く様子が微塵も感じられない。つまり、飼い主に落ち度が無ければ飼い犬は噛まないという仕組み。そう、鴨原は結論づけた。


メイヴちゃんとフェアリーフォース


 フェアリーフォースの進捗状況について鴨原が問う。
「妖精界が慌ただしいみたいじゃないか。何かあったのか?」
 公園の木々に群がる鳩に対し、猫が睨みつけるように覗き込んでいる。

 猫は何を思う?
 餌を願うか?
 それとも鳩と一緒に飛ぶことを願うか?

 なんにせよ、鴨原には答えが出せない。

 するとどうだろう、とつじょ現れたカップルが猫をあやし始めた。じゃれつく猫はご満悦。けれども問題なのはカップルの女。「猫を抱く私可愛いでしょアピール」で彼氏のご機嫌を取っている。
 結局、餌にされたのは猫だった。未来の答えはどこに着地するかは分からない。

 横から割り込んできた女。餌にされた猫――メイヴは無表情でそれを見ながら口を開いた。

「シュベスタが経営困難な状況だったとき、あらゆる企業がうまい話を持ってきおったのを覚えているな?」
「ああ。どいつもこいつもシュベスタの研究にあやかろうと躍起になっていた。世の中そんなもんだがな」
「水無月主任はあれで結構抜けておるでな。お人好しというべきか……やってくる話に耳を傾けてばかりだった」
「君と俺で、一体どれだけの詐欺野郎を追い返したものか。カウントを取ったらコンピュータがオーバーフローを起こすかもな」
「まったくじゃ。オマケにくだらん通販商品ばかり買い込みおって。あんなもんにダイエットの効果などあるものか」

 おおげさな造りをした器具を思い出すたび、メイヴは落胆してしまう。彩乃自身は「検証のため」と言い訳をしながら体重計とにらめっこ。天才科学者だって誰かに支えてもらわないと成り立たない。ちなみに「効果がなければ全額返済」と謳っていたが返済してもらえず、結局のところ消費者センターに問い合わせるという見当違いの検証に走ってしまった。
 いや、それもうダイエットの検証じゃないから。詐欺の検証だから。

「フェアリーフォースが手を焼くほどの存在とやり合っているのか?」
「案ずるな。今ごろ我が部隊が迅速に処理を済ませておる。すぐに土産話を持ってきてやるよ」
 と、眉をよせる鴨原をメイヴが諭す。
「だったら、上司がこんなところで油を売っているのはマズいだろう。フェアリーフォースが税金泥棒かつブラック企業じゃ妖精国民だって怒るんじゃないか?」
「こっちはこっちで忙しい。手取り足取り、妖精界に残してきた部下の面倒を見ているワケにはいかんのでな」

 両手で包んだクレープをいったん膝の上に置き、空を見上げた――。

「さて……」
 メイヴがゆっくりと立ちあがる。
「帰るのか?」
「うむ。これまでのあらすじ、少しは思い出したかの?」
「誰に言っているんだ? 俺を馬鹿にしてるのか?」
「いやいや。色んな事が多すぎてまとめるのが大変だっただけじゃ。気にするな」
 メイヴは白い歯を見せてニッコリと笑った。
「いつまで人間界にいるんだ?」
「3日くらいかの。妖精界からの連れを待たせておるし。久々に話が聞けて楽しかった。主も気をつけるのじゃよ。プロジェクトから外れたとはいえど、八卦に関係しているのだから」
「ご忠告どうも」
「なーに、ATMゴッコの礼じゃよ」
 メイヴは綿菓子の袋を高く上げ、鳩が群がる向こうへと姿を消した。


メイヴちゃんと鳴かない歌姫


 メイヴは浜辺に立ち、広い広い水平線を見つめていた。
「さて……どうしたもんかのう」

 シュベスタ戦で藍鬼想夜に一撃で仕留められた屈辱などはない。ただ、メイヴほどのパワーを持ったものが人間界で行動するとなると、大量のエーテルが必要となる。そのための魔水晶でもあったが、シュベスタ戦で御殿に破壊されてしまった。
 おかげでメイヴは、人間界で好き勝手できない。

「ふう」
 やれやれ。綿菓子の袋を片手に、メイヴは深くため息をついた。
「こんな小さな体のままで、ワタシにどうしろというのだ?」
 10代前半ほどにまで縮んだ体。コンビニで酒を買うことすらできない。年齢確認ボタンに手を伸ばそうもんなら、店員に「えー、お嬢ちゃん確認ボタン押しちゃうの~? 飲酒して問題とか起こさないでよね~。厄介事はゴメンだからね~」とか疑いの目で見られること間違いなし。
 シュベスタの最上階で藍鬼に一撃でやられた後、「酔いどれ女うんぬん~」とか名女優を演じた頃がワタシにもありました――と、ちょっとふて腐れる。

 晴湘市の災害には虐殺が関係している――その事実が世界中で明るみとなり、御殿たちの耳に黒幕の情報が入った。当然の事ながら、それはメイヴの耳にも入っていた。

 酔酔会を探していたのは、必ずしも御殿たちばかりではない。メイヴも前々からその存在に目を光らせていた。
「ババロア・フォンティーヌ、か……」
 メイヴは手にした飴玉大の水晶を見据えながら呟いた。
「酔酔会……ババロアめ、テレビに炙り出してやったまでは良いが、これからどうしたものかのう」

 ミネルヴァの違法事業の噂に便乗したメイヴは、各メディアに働きかけた。結果、ババロアを公共の場に引きずり出すことに成功。

 今回、メイヴができることは限られている。大幅なパワーダウンの成れの果て。日々の無理が祟っての事。

 すぐそばの岩にひとりの少女が腰掛けている。動きやすそうな丈の短いジャケット。足首まで隠すフレアスカートは、彼女の貞操観念を強く現わしている。ムダに肌を露出することはしない硬い性格の持ち主。
 生気を失った瞳。されどその奥には何かしらの決意が見えている。地の奥底で、何かを待っているかのよう。
 大人しい色合いの紺色の長い髪が風に揺れるたび、かげりを落とした表情が見え隠れする。喉のあたり、抉られたような大きな傷跡が残っており痛々しさがある。一言も声を発することなく、ただただ悲しげな表情のまま、じっとうつむく少女。鳴かないカナリヤのように、そのままでは死んでしまうというのに。

 人間界。気が狂うほどの巨大な力が、すぐそこまで迫ってきている――そのことに、いったいどれだけの者が気づいているのだろうか?

「藍色の鬼――雪車町想夜……」
 メイヴは曇り空を見上げ、今後の行動を模索していた。

 ふわり――一匹の妖精がメイヴのもとへとやってきた。麗蘭が人間界へと放った使いだ。

「なんじゃ、京極のペットではないか。どうした?」
 ぷんぷんぷんっ。ペットと聞いてふて腐れる妖精。
「ちょうどよい。これを京極に渡しとけ。ちゃんと歯を磨くようにとも伝えておけ」
 むぎゅう~っ、と綿菓子の袋を妖精に押し付けた。

 それはさておき、小さな妖精に耳を傾けるメイヴ。
「――なに? 調査を手伝いたいじゃと? ふん、こっちを手伝うほどのゆとりがあるなら、フェアリーフォースの便所掃除でもしていろ……と、言いたいところじゃが――」
 一呼吸して腹を決める。
「事態は一刻を争う。その『晴湘市の生き残り』とやらを探し出しておくれ。頼んだぞ、京極麗蘭――」
 曇り空の下、メイヴはポツリと呟き、妖精を見送る。そうやって、鳴かない小鳥とともに歩き出した。