14 魂たちの回帰


 MAMIYA研究所 水無月チーム研究室。

 突如、天井から染み出してきたタールがローブを形成し、召喚士が姿を現す。部屋の四方に散らばっては素早く詠唱、騎士や動物の着ぐるみを生み出して、彩乃たちを一斉に取り囲んだ。

 いま御殿たちは晴湘市におり彩乃からは目が離れている。研究所の護衛が手薄になったところをババロアに感づかれたことにより、一気に攻め込まれたのだ。
 たまたま顔を出していた沙々良と詩織は有給使っての温泉旅行帰りだった。彩乃に温泉まんじゅうを持ってきたまでは良かったものの、タイミング悪く敵と鉢合わせてしまう。
「いやぁ~、参ったねコリャ。囲まれちゃいましたよ主任~」

 沙々良は彩乃と詩織を後ろに匿いつつ、掃除用具入れからモップを取り出し先陣切って立ち向かう。

「ほりゃっ、こいつっ、これでも食らえ……ありゃ?」
 モップの先で敵を突いて応戦するも虚しく、あっさり噛み折られた。
 詩織が窓を開けて外の様子を確認。
「古賀先輩、窓から飛び降りましょう!」

 そう言ってスカートをまくり上げ、窓に足をかけた矢先、上の階からバケツをひっくり返したようにタールが降り注いできて窓をふさいでしまった。

 分厚い雨雲に覆われたように部屋が暗くなる。
 彩乃は研究器具の詰まったダンボールを持ち上げると、それを着ぐるみ目がけて乱暴にぶちまけた。

 容器から液体が飛び出し、魔物たちの視界を奪う!

「沙々良ちゃん、詩織ちゃん! 今よ、早く逃げなさい!」
 けたたましい音を立ててビーカーやフラスコが散乱する!
 ひるんだ動物に彩乃がタックル。敵の一体がバランスを崩して後ろに倒れた。
「水無月主任!」

 ザシュ!

 詩織が叫んだ瞬間、騎士のレイピアが彩乃の肩を貫いた。
「痛!」
 彩乃は鎖骨の下あたりをえぐられ、派手に血をぶちまける。白衣が見る見るうちに真っ赤に染まっていった。
「万事休すっスね~、こんなことならドンブリの論文を完成させておけばよかったッス……」
 沙々良、彩乃を庇いながら後悔しまくり。いつかはドンブリの論文でノーベル賞を夢見ていたが、ここにきて夢ついえる。
 詩織が後ずさりながら彩乃と沙々良に背中を合わせて叫んだ。
「古賀先輩、囲まれました! もう逃げ道がありません!」

 巨大な肉の塊が立ちはだかり、3人を一斉に串刺しにしようする瞬間だった。
 突如、黒いカーテンが出現し、彩乃の目の前に小さな影が姿を見せる。

「――まったく。研究一筋もよいが、少しは運動くらいしたらどうじゃ?」

 ロシアンハットをかぶった黒髪少女が背を向けて呆れた声を発する。
 彩乃の瞳に一筋の光。
「メイヴ! 来てくれたのね!」
 彩乃の言葉で沙々良と詩織がひっくり返った。
「え!? メイヴって、湖南鳩こなはと先生のことッすか!? ひゃぁ~、こりゃまた随分とコンパクトになりましたね~。わたしゃ酒もドンブリも好きですが幼女も大好物ですよ、はい~」

 メガネをクイックイッと指で押し上げ、メイヴの体をジロジロ見つめている。
 視姦されるメイヴの目が座っている。後ろからメガネの変態に襲われないか不安である。

 召喚士たちが顔を合わせて頷いた。
「メイヴを先に仕留めるぞ、殺れ!」
 ブラスターを発動するべく、メイヴとの距離を一気つめてきたが……
「口を慎め。ワタシを誰だと思っている? ローブまで焼かれおって。大方、狐の小娘にマグマで焼かれて退散してきたのじゃろう? 狐相手に尻尾を巻いたのはお前たちの方だったというわけじゃな。 ……我ながらウマいことを言う」
 メイヴは右人差し指を立ててピストルの形を作ると、レーザーブレードでぶった斬るように左から右に大きく横一線に腕を振った。

 ジュッ。

 閃光。部屋中が真っ白にスパーク、壁に真横一直線、レーザーで焼き後を付けた!
 一瞬の出来事。暴魔や着ぐるみの肉体が真っ二つに焼き切られ、肉片を床にまき散らす。召喚士4人とも首を焼き飛ばされ、その辺に頭部をゴロンと落下させた。

 ドロリ……。肉片がタールに変わり、黒い霧となって蒸発してゆく。

「ふん、他愛もない。お情けで魔界の召喚技術を使ってやっただけに過ぎん。裏切者には死、じゃよ――」
 かつて赤帽子を召喚するべく採用した召喚士たちだったが女王の逆鱗に触れたことにより、あっけなく真っ二つにされた。

「フッ」
 メイヴは荒野のガンマンよろしく、人差し指の先に息を吹きかけて煙を消した。

 一部始終を見ていた沙々良が呑気に歓喜な声を上げる。
「ひゅ~、かっこいいッスね~湖南鳩先生」
 沙々良が拍手喝采。
「んん?」
 メイヴが振り向く。顔を歪ませた後、穏やかなものへと変わった。
「おお! お主は確か……」
「お久しぶりっス!」
「……はて? 誰だったかの?」
「言うと思った」
 沙々良のメガネがズリ落ちた。
「古賀ですよ! 古 賀 沙 々 良!!」
 沙々良が自分の胸をバンバン叩いて猛アピール。かつての部下を簡単に忘れられては悲し過ぎる。
 耳元で叫ぶ沙々良の声が鬱陶しい。メイヴはたまらず、指で耳栓をした。
「あーはいはい、わーっとるわーっとる。酒グセの悪い古賀沙々良じゃろ」

 チラリ。メイヴは詩織に視線を落とした。

「そして、そちらはコーヒーに憑依されたマヌケな鹿山詩織じゃな」
 鴨原に憑依されたこともあり、メイヴに向ける詩織の視線は多少なりとも敵意がこもっていた。
「おかげさまで。コーヒーが嫌いになりそうです」
 かんらかんら、詩織の軽蔑の眼差しを受けたメイヴが笑い飛ばした。
「そうふて腐れるでない。あれ以来、鴨原元副所長は大のコーヒー好きになったぞ。めでたしめでたしではないか」

 鴨原がコーヒーを一滴も残さない習慣を送っていることをメイヴは感づいていた。それが彼にとっての戒めの儀式。彼は一生、それを続けてゆくことも想像に容易い。

「ワタシが作った魔水晶は、エーテルリバティによって破壊されてしまった。お前さん方にはしてやられたが、おかげで新しい発明ができた。感謝するぞ」
 にっこり顔のメイヴ。想夜に託したヴォイスリバティはエーテルリバティから発想を得ている。

 彩乃がゆっくりと腰を上げて沙々良と詩織に手を伸ばし、2人を起こしながらメイヴに言った。

「――メイヴ。あなたはシュベスタで私の胸をレーザーで打ち抜いた。けれど、本当は胸ポケットにハートプレートがあることを知っていたのでしょう?」
 白い歯を見せてニシシと笑うメイヴ。
「ほお、どうしてそう思う?」
 挑発的なメイヴに対し、彩乃は淡々と答えた。
「あなたほどの慎重な女なら、心臓と頭を打ち抜くはず。そのほうが確実に私を殺せるもの。なのにあなたは私の胸しか狙わなかった。どうしてプレートを装備していることが分かったの?」
「ふん。胸の表面に角ばった出っ張りがあれば誰にでも分かることじゃよ。主のデカ乳の形は誰より知っておるでな」

 シュベスタ時代のメイヴは、研究中もずっと彩乃を観察していた。それだけ彩乃にご執心。
 手に入らないなら壊してしまえ。一瞬だけでもカッとなったのは事実であり、レーザーを彩乃に向けた瞬間に後悔したのも事実。駄々っ子のイラつきは殺意なき閃光となって愛する者へと放たれ、どこかへと消えた。

「水無月主任、貴女が手榴弾を手にした時、ワタシは一緒に消えてもいいと思っていたのだよ。本当だよ。貴女に目を向けてもらえない世界は、ワタシにとってみれば実につまらない世界、虚無なのだから」

 気に入った者と心中する。それもまた美――メイヴの胸にはそんな答えが眠っている。

「メイヴ……」
 彩乃は口を噤んだ。

 女王にも後輩にも愛されている贅沢な女、水無月彩乃――彼女を取り巻く世界はいつだって、最先端技術のように目まぐるしく変化してゆく。知能高く、魅力あふれる女性だ。少しおっちょこちょいだけど。

 メイヴは元気いっぱい、両手で乱暴にドアをスライドさせて出てゆく。
「どれ、ロナルド邸にでも顔を出してみるかのう。ご令嬢どもがケリもつけている頃だ――」
 面白いものを見に行く。メイヴはいつだって好奇心の塊だ。
「まったくあなたという人は、何も変わらないのね」
 やれやれ。苦笑しながら肩をすくめる彩乃。目の前の幼き女王が無邪気な子供に見え、多くの悪さが子供のイタズラと思えてつい許してしまう。
「なにを今さら。ワタシがこういう性格だということは貴女が一番よく知っているではないか。 ……のう?」

 小さき女王――不適な笑みを残し、闇のカーテンに包まれ消えていった。


ババロア・フォンテーヌの最期


 狐姫の体が黒泥こくでいに呑まれる。
「想夜と御殿が食われちまった。くそう、これまでかよ……マグマも飲み込むヘドロとかチート使ってんじゃねーよ、あんまりだぜ……」
 愕然と肩を落としながら沈んでゆく。
「お姉ちゃん……想夜、ちゃん……」
 水龍と化していた水角もフェアリーテイルが解けて息が上がり、刀の矛先を地面に突き刺して寄りかかっていた。ウォーターリーパーで何千もの悪魔を根こそぎ食らいつくし地獄に送り返したが、デュラハンの領域テリトリーでは意味がない。そこが地獄の一角であるのだから悪魔は何度も蘇ってくる。
 ついには水角が両膝をついて崩れた。息切れの果てに視界がぼやける始末。打つ手なし。
酔酔会すいようかい、バケモノじみた強さだ……足止めにしかならなかったね。ハイヤースペックの発動者本体を叩かなきゃ、この地獄が永遠に繰り返される、よ……」

 何年も何年もハイヤースペックの発動を継続できる実力――酔酔会はこんな奴らばかり集まっているのか? それを思うたび、八卦である水角でさえも絶望のどん底に叩き込まれるのだ。

 マグマの妖獣でさえ太刀打ちできない。
 水の八卦でさえ太刀打ちできない。

 なら、誰がデュラハンの疾走を止めてくれるというのだろう?

 晴湘市はもう、ババロアの手中から逃れることはできないのか?

「朱鷺さん目を開けて! お願い! 目を覚まして!」
 泣きじゃくる春夏が朱鷺にすがり付いている。けれどもブラスターをもろに食らった朱鷺は目を覚ますことはなかった。
「お願い朱鷺さん! 目を……目を……、いやああああ!」
 春夏と朱鷺の体を黒泥が包み込み、続けて狐姫と水角までをも一気に呑み込んだ。
「やべえ……もう、無理ゲーじゃ、ね……?」
 狐姫が瞼と閉じ、諦めかけた時だった――。
「…………ん?」
 ケモ耳を研ぎ澄ます。
 何かが聞こえる――

 ……! ……!

 城内に小さな音が響いてくる。狐姫にしか分からない、とても、とても、小さな音――。

「おい、何か聞こえてくるぜ?」
 狐姫が遠くに視線を向けると、突如、物陰から現れたトロルがのっしのっしと歩いてくるではないか。不格好な着ぐるみのように、足を引きずりながらやってくる。その口元には破れかけた布切れが引っかかっていた。
 狐姫と水角がその光景を見て愕然とする。
「あれは、御殿のパレオ……。今の音はデカい奴の足音だったのか……?」
「そんな……、お姉ちゃん、想夜ちゃん……」
 水角も握った刀を落とした。

 想夜と御殿はトロルの腹の中――誰もがそう思った時だ。デュラハンに向かって歩いてゆくトロルが叫び声を上げた。

「ババロア様あああ! 食ったんだよ! オデ、アイツら食ったんだよ!? なのに! なのになのにいいいいいいい!」
 もがき苦しむトロルを見た狐姫と水角。互いを見ながら、異変に気づく。
「狐姫ちゃん、トロルの様子がおかしい……どうしたんだろう!?」
「シ! 静かに! ……やっぱ何か聞こえるぜ!?」
 狐姫がふたたびケモ耳をすます。

 ……ン……ト……ン……。
 
「なんだ、この音? 何か、聞こえる――」
 聞き覚えのある鼓動――それも2人分。心音が重なるよう、確かに聞こえてくる。

 トクン……トクン……トクン……。

 広く敷き詰められた畳に正座する淑女のように、慎み深く、緩やかに、しなやかに、それでいて何にでも勝るほどの存在感を持った鼓動――。

「……2つ、心臓の音が聞こえる。でも変だ。まるで、1つの心臓みたいに重なって聞こえる――」
 狐姫がしかと鼓動を聴き取った、まさにその時だ――。

「裂ける! 腹が、裂けるうううううう!」

 ス……。
 トロルの脇腹から矛先が飛び出し、右から左にスライドしながら肉を裂く。矛先は左脇腹に到達するとヘソまで戻りゆっくり上昇、胸、首、顔面、そして――

「助けて! オデ死んじゃう! ババロア様、助け……ッ!!!」

 ザシュ!

 ワイズナーが巨大トロルの脳天を一気にぶち抜いた!
 その後、トロルの腹から俊敏に動く矛先。無数のカマイタチを繰り出しながらの連撃!

 巨大トロルの腹の中――矛先が胃袋から体外へ、斬撃が溢れ出るたびに巨体が小刻みに振動を起こす!

 シュバババババババババババババババッ!!

 巨体が肉の塊を空にぶちまけて肉の破片となり、木っ端微塵に地面へと落下してゆく。
「あ、あのデカいのが、一瞬でひき肉みたいに……」
 狐姫をはじめ、見るもの全員を開口させた。


 地獄の使いの腹の中、
 新たな生命が産声を上げる――。


 さらり――空色のロングヘアが風になびいた。
 半透明な水色のパレオをまとい、刃のようなエメラルドの羽を持つ長身の天女。
 右手にはエーテルバランサーの証ともいえる槍剣。フェアリーフェイスワイズナーをひっさげ、腰のホルダーにはボニーとクライド、多段式木刀・空泉地星くうせんちせいを連れ添っている。

 ヒュンヒュンヒュン!
 ワイズナーを高速で振りかぶり、8の字に振り回して風を切る。そうやって剣舞でこびりついた血を振り払う――トロルの腹から生まれたリボンのガンナー。ワイズナーの矛先を地面に当て、半身の姿勢で凛と構えていた。

(わたしのレゾナンスは10秒しかもたない、これが今持っている力のすべて!!)

 後がない、その先は力の終着駅!
 ほんの10秒で……すべてが決まる!

 城全体からタールが溢れ出し、動物の着ぐるみや騎士の姿を形成。それらが一斉に殺しにかかる、その数ざっと数千体。リボンのガンナーを取り囲み、逃げ場をふさいだ。
 ガンナーはボニー&クライドを引き抜くと、レーザーポインターで敵の額に狙いを定める。2丁の銃から発射されるのは実弾でも退魔弾でもなく、風の妖精シルフィードの申し子、ザッパーだった。
「――銃奏開始バレットダンス
 ポツリ。ガンナーが呟き、狂乱をはじめる!

 バババババババババババババババババババババッ!!

 右へ左へ、前へ後ろへ! リボンのガンナーが周囲の敵に向けてトリガーを引いて引いて引きまくる!

 バババババババババ、ババババババババババババ!!

 その場で軸足に力を入れて回転しては、両腕を、銃口を、四方八方に振り回し、ザッパーの弾幕を呼び覚ます!

 高性能ロボのよう音速で腕を動かし、2丁の銃を連射する。レーザーポインターをまき散らし、一発一発、ザッパーを外すことなく騎士の頭を打ち抜いてゆく!

 ザッパーが着ぐるみの頭部にめり込み、左目から後頭部を貫いて木っ端みじんに!

 着ぐるみを貫通したザッパーは騎士の甲冑ごと吹き飛ばし、城内に兜や籠手をぶちまける!

 身近にいる悪魔の巨体を鞭のようにリボン1本でたぐり寄せ、背中に銃を突き立てて腹に風穴をあける!

 負傷した着ぐるみが崩れる瞬間、それを乱暴につかみ、盾代わりにしながら正面の敵を綺麗に消し去ってゆく。盾が用済みになるとポイ捨て、前につんのめった死体に向けてトドメに一発死体蹴り、後頭部をブチ抜いた。

 ヘッドショット以外は断じて認めない――鬼神と化した八卦の姿がそこにはあった。

 毒をもって毒を制す。
 悪魔に対抗できるのは鬼しかいない。

 沢の八卦に優しさはいらない――毒々しく、ゾクゾクしく、麗しく――。

 日本の教え――万物には神が宿るという。ならばボニーとクライドにもそれが宿っているはずだ。
 御殿が耳を澄ませば、ボニーとクライドが語り掛けてくる――遥か宇宙の片隅に、蜂の巣にされた男と女の楽しそうな声が記録されているからだ。

『ねえ御殿……トリガーにかけたその指で、私と彼にどんな曲を奏でてくれるの?』
『どうせ引き返すことなんかできないんだろう? 鬼神と化した聖なる暴力祈祷師よ――』
『もしもその指で世界のどこかで泣き続ける人々を勇気づけてくれるというのなら、演奏を続けるべきなんじゃない? 進み続けるべきなんじゃない? ねえクライド?』
『そうさボニー。だから聞かせてくれないか? 俺とボニーに……魂の叫びを、パーティーの始まりを、その指で――』
 ボニーとクライドが地獄の妖精に中指立てて、楽しそうに歓喜する。


 ”目の前にいる、いけ好かねえ悪魔バカどもの頭を吹き飛ばしてやれ!
 演奏を止めるな! 続けるんだ!
 たとえその道が、誰も踏み込まない修羅の道だとしても、
 弾の軌道で未来を切り開け!
 どこまでも、どこまでも続く、真っ直ぐな道を――”



 御殿のターゲットは目の前にある。
 たとえ肉体を切り刻まれても、
 たとえ魂を八つ裂きにされたとしても、
 目の前の悪魔から視線を逸らすな!
 獲物を狩る時に、決してよそ見をするな!
 聖なる鬼と成りて、妖精の姿をした悪魔を食い殺せ!!

 周囲に群がる敵の頭をボニー&クライドで打ち抜き、頭からヘドロ血を垂れなして立ち尽くす体をワイズナーでぶった斬る!
 上空から飛んできたトロルの巨体を片手に持った空泉地星でかち上げ、ふたたび落下してきた巨体を蜂の巣にする。

 何人なんぴとたりともリボンのガンナーに触れる事などできはしない。唯一触れることができるのはボニーとクライドの口笛と成りしザッパーのみ。それを耳にした時、問答無用で地獄に送り返される――。

 たった数秒で一網打尽。数千体の”ボクちゃん達”がタールとなって城から消えた。

 残すはデュラハンひとり!

 御殿がデュラハンの正面に立ち、銃を構えた。腰を落とし、片足を曲げながら、もう一方の足を伸脚して低く構えた。それと同時に銃口を相手の額に向ける!
 御殿の中で想夜の声が聞こえる。

『御殿センパイ、今のあたしにはこれが精一杯。けれど、残された力全てをこの弾一発に紡ぎます。この力を……晴湘市の人達のために捧げます――』

 爆弾のスイッチを入れるかのように、想夜がハイヤースペックを発動させた!

『すべてを紡ぐ!!』
 想夜と御殿の声が重なる!

 レーザーポインターがデュラハンの眉間を捕えた瞬間――

 バアアアアアアアンッ――!!

 速度、力、その想い――リボンで紡がれた弾丸が一発、銃口から発射される!
 スローモーションのように白い煙が舞い上がり、ハンマーがリボンの弾丸を前へと押し出した!

 リボンの弾丸が風をかき分けて軌道を残し、一直線に飛んで行く!
 弾道は地獄の妖精への引導。それはゆっくりではあるが、ジワリジワリと相手の命に手を伸ばし――

 バアアアン!!!

 デュラハンの額に直撃する!
 
「……」
「……」
 
 時間が止まる――。
 
「……」
「……」
 この戦場、どれだけの刹那が重なっただろう。やがて城内が沈黙した。

 けれども……無意味とはこのことを言うのだろうか?

 ――地獄の妖精に弾丸は効かなかった。ただ何事もなく、デュラハンはクスクスと笑っているのだ。

「ふう……ごちそうさま。たとえフェアリーフォースの犬でも、たとえ暴力エクソシストでも、たとえそれが八卦であったとしても……私の前では無力と違いがないよう、で、でッ、す……」
 直後、デュラハンが己の異変に気づき顔をしかめた。
「ん? んん……!?」
 頭を胴体から切り離そうと両手を当ててみたものの、肉体に変化が訪れることはなかった。

 「私の体の中で何が起こっている!?」――デュラハンの頭の中で、そんな疑問が膨らんでゆく。

 服の襟が首に引っかかって脱げなくなった時みたいに、全身を忙しなく前後左右させるデュラハン。やがて暴れ狂ったように、両手で無理やり頭を切り離そうと必死。貴婦人らしからぬ乱れっぷりを周囲に見せつけた。
「取れない! 首が、抜けない! こんな、こんな……こんなことが!? バカな! そんな! こんなことが!?」

 乱れる思考回路――悶えるデュラハン。それを遠くから、狐姫と水角が不思議そうに見ている。そうして答えにたどり着く。

「まさか、あのババア――」
「うん! 想夜ちゃんの能力がデュラハンの体中に侵食しているんだ!」
 2人が想夜のハイヤースペックを確信するのに時間はかからなかった。紡ぐ力がデュラハンの神経をジワリジワリとピンクのリボンで固く結い、四肢をはじめとする全身を支配している!

 なんと想夜はハイヤースペックでデュラハンの首を繋ぎとめ、関節の分離を阻止したのだ!

『デュラハンの頭と胴体を……紡ぎました!!』

 想夜の声がこだまする。
 デュラハンの全身にリボンのウイルスが流れ込んでゆく!

 強力な接着剤で固定されたように、デュラハンの首は胴体から離れない。その全身をピンクのリボンに包まれながら体の自由を奪われる!

 想夜が続けて叫ぶ!

藍ー鬼おーにさーんこーちら!』

 ゲッシュの呪いをその身に掲げ、藍色の鬼を呼び覚ます!
 闇を抱きしダークブルー、それこそが藍鬼!
 御殿の全身を藍色の力が駆け巡り、その身をリボンの鬼神へと変化させた!

『藍鬼の力を紡ぎました! 今です! 御殿センパイ!』

 リボンのガンナー――御殿はワイズナーを構え、矛先をデュラハンへと向ける。腰を落とし、姿勢を低くし、羽を広げながらジェットのようなブーストをかけた!

「――Ná bogadh……Bás dteagmháil、Fairy báis!!」
 ――ソコヲ動クナ……行クゾ、地獄ノ妖精!!
 
 ボシュウウウウウッ!!

 御殿の羽が光のブーストをまき散らし、まばゆいろどりを描く!
 ピクシーブースターが唸りを上げ、きりもみ回転をしながら地獄の妖精へと突っ込んでゆく!

 避ければよいものを、デュラハンはそうしなかった。理由は一つ。
 ふと見上げるデュラハン。その視線の先には空のお菓子箱。想夜が持っていたお菓子の空箱。風に飛ばされ宙を舞い、デュラハンの頭上で開いたのだ。

 お菓子の空箱――それを見たデュラハンがポツリ、呟いた。

「ボクちゃん……」

 ボクちゃん――高く舞う空箱に手を伸ばし、誰よりもそれを欲した婦人。

 隙だらけのデュラハン。
 御殿は水色のパレオをフワリと揺らし、瞬間移動をしたかのように素早くデュラハンの懐にもぐり込む!

 そしてワイズナーを握りなおし……

 真正面からデュラハンの首めがけ、ワイズナーで一気に貫いた!!

 ドスッ!!

「う……がっ……あ……!」
 デュラハンは首に刺さったワイズナーを引き抜こうと苦しみ、悶え、両手でかきむしる。黒舌を垂らしながら嗚咽をあげ、必死になってやいばを抜こうとする。だがその力を以ってしても、信念の刃は簡単には抜けたりはしない。

 ビリヤードボールがはじき出されるように、デュラハンの首からうなじへ、歌姫の声帯が弾き出された。
 ワイズナーの矛先で弾かれた声帯がピンクのプリズムとなって本来の主の声帯へと戻ってゆく。ワイズナーに忍ばせたヴォイスリバティ。その追跡プログラムが上手く起動したのだ。メイヴちゃん大勝利。

「……! ……!! ……!!!」

 ――私の声! 私の声が! 私の! いや、取らないで! ……行かないで!!!

 声帯を追ってゆくように、必死に両手を伸ばすデュラハンの姿があった。

 どこからともなく声が聞こえる――「おいババロア。それは歌姫の声だ。てめえの声じゃねえだろうが。早く返せよ、馬鹿たれが!」――妖精界にいる多くのリスナーからの野次。

「! ……! ……!!」
 もがくデュラハン。声をなくした地獄の妖精。苦痛に満ちた嗚咽が晴湘市全体に響いた。

 想夜の声が聞こえる――。
『御殿センパイのパラメーター、あたしのパラメーター、そのすべてを紡ぎました。藍鬼さんも味方してくれてます。これで……最後です!』

 御殿はデュラハンの首からワイズナーを引き抜くと、その場で大きくターン。時計の針が勢いを増して回転するようにワイズナーを回し、木こりのように両手で握り締めた刃を敵の首に叩きつけた!

 ヒュン!

 デュラハンの首にワイズナーが到達。黒い皮膚に刃が触れる刹那、その場にいた一同は時間が止まったような錯覚に襲われた。
 冷たく、それでいて熱い、御殿の声があたりに響く。
 

「地獄の妖精ババロア・フォンティーヌ。
 神がおまえを許したとしても、
 この咲羅真御殿がおまえを許しはしない」



 首を両手で掻きむしり、苦しむババロアに向けて御殿は言った。


「地獄の深淵で、
 晴湘市の人々に土下座して詫び続けなさい。
 この街が復興を遂げる、
 その時まで――」



 御殿のワイズナーが風を切り、
 スパアアアアアン!!
 ババロアの首を跳ね上げた――。

 高く、
 
 高く、

 高く高く、

 黒く濁った空に、高く、遠く――復讐の鬼と化した御殿の手により、ババロアの首が跳ね上げられた。

 刹那瞬せつなしゅん、ババロアの中で走馬燈がよぎる。

(私の子供……私の赤ちゃん……まだあんなに小さかったのに、またあんなに弱かったのに――)
 身ごもり、産み、育てた。
 世界のどこか、宇宙のどこか――過去を手探りすれば、そこにはババロアの魂の欠片が存在している。
 無限の時間が流れるこの世界、
 永遠の真ん中、
 その1ページ、
 バロアという母親が存在していた――。
(嗚呼、私はこの両手いっぱいに魂をかき集めても、何ひとつ心は満たされなかった。だってそうでしょう? 私の子供はあの子だけなのだから。神様は意地悪だわ……いつも、いつも、私から子供すべてを取り上げてしまうんですもの――)


また会いたいの……私の、ボクちゃんに――。



 デュラハンの頭部が空中で弧を描き、
 しばらく時間を置いて、
 ぬかるんだ地面に落下した。
 御殿は素早くデュラハンの体に背を向け、ワイズナーを背中に収めた。
 首なき地獄の妖精。動きがピタリと止まり、
 両腕をぶらりと垂らし、
 ぬかるんだ地面にベチャリと両膝をつき、
 ヘドロを跳ね上げ、前のめりに倒れる。

 バシャアアアン!

 泥濘ぬかるみに沈んだ体はその後、微動だにしなかった――。
 地獄の妖精ババロア・フォンティーヌ。その体が泥濘ぬかるみに沈むのを待たずして、ヘドロの蒸気とともに消えてゆく。晴湘市の肥やしになることも許されない。まるで大地に拒絶されているようでもあった。それでいて、天に迎えられているようでもあった。

 多くの罪なき命を弄び、街を、人々を業火に包んだ地獄の妖精の断末魔だった――。

 シンと静まり返った戦場に御殿は佇む。
 八卦の力、レゾナンスが解除されてゆく。
 同時に、前のめりになった御殿の体から、力を使い果たしてグッタリとした想夜の体が滲み出してきた。
 御殿は手前に崩れる想夜の背中を抱きかかえ、後ろからそっと耳打ちした。

「ありがとう、想夜。人々の笑顔を願い続けるリボンの妖精――」

 力尽きても尚、微笑みを絶やすことのない少女は驚くほど軽く、それでいて頭上に広がる空よりも大きく感じる。リボンの妖精は、それほどまでに純粋で偉大な存在だった。
 

バロア・フォンテーヌ


 その時、波の音が聞こえた――。

 黒い霧に覆われた晴湘市は明るさを取り戻し、陽の光が一斉に大地を浄化してゆく。
 灯台のふもとに立つ御殿たち。各々が花束を手にしている。隣町で買ってきたものだ。

 朱鷺は一命を取り留め、春夏に肩をかしてもらっている。侍という生き物は想像以上にタフなのだと周囲を驚かせた。

 静かに、決して激しさを見せない波が崖に打ち付けられ、穢れた大地をゆっくり、ゆっくりと潤してゆく。

 御殿たちは崖の上で水平線に目を向けている。

 戦いの後、この地にやってきたメイヴが口を開いた。
「妖精界の片隅にある小さな村。かつてそこにはバロア・フォンティーヌという女がおったそうだ。身ごもった彼女は子供を産んで育てた」
「ババロアに……子供?」

 想夜が息を呑んだ。思い当たる節があるからだ。

 メイヴは瞼を閉じて静かに頷いた。
「大そう貧しい家でな、子供に砂糖菓子1つすら買ってやれなかったらしい。月に一度だけ遠方からやってくる菓子職人が小さな袋に菓子を入れ、それを村の子供たちに売っていたそうじゃ。ババロアはなけなしの金をはたいて子供に菓子を買う。子供は買ってもらった菓子を少しずつ少しずつ、大事に大事に口へと運び、空になった袋さえも後生大切に持っていた」
「空の、袋を?」

 想夜は足元に落ちていたお菓子の空箱を拾い上げた。

「母親から買ってもらった唯一の宝物じゃ。子供にとっては空袋でさえもお守りみたいなものじゃて。ババロアの子供はお菓子の袋を大事に握りながら、母の子守歌を聞くのが好きだった」

 想夜は空箱を手にしながら罪悪を感じた――お菓子を食べ終わった後の空箱など気にもとめないからだ。そのデザインが誰によって設計され、どんな流通によって消費者に届けられるかなんて知りもしない。けれども、よくよく思い返してみると、可愛いデザインの空箱を大事に残していたことだってある。空箱だって立派な命、そう思わずにはいられなかった。

 メイヴは本題に入る。
「人間界と同様、妖精界の一角はエーテルの流れが不規則。その影響からか、ババロアの声が次第に枯れてゆく。ハリのある声だった彼女は若年にしながら、徐々に老婆のような声へと変わっていった。子供はその声を聴きながら、いつもベッドの上で悲しい顔をしていたらしい。母親を不憫に思ってのことだ」
 メイヴは空を見上げた。
「――その後、戦争がはじまり、子供の命が奪われる」
「……え?」
 想夜が絶句する。

 メイヴは構わずに続けた。

「手足や顔半分を失った子供を抱きかかえ、あやしながら村をうろつくバロアの姿を目撃した村人達がいる。『ボクちゃん、ボクちゃん……』と、バロアは終始笑顔であやし続け、徘徊していたそうだ」
「そ、そんな!?」

 想夜が悲鳴に近い声を上げ、一同も絶句した。

「うむ、バロアは気が触れてしまったのじゃよ。愛する者を失った世界は想像を絶する苦痛そのもの。気づけば悪魔に魂を売り渡し、地獄の妖精へと変貌を遂げた。無理もない。彼奴きゃつが子供に執着するのは強い嫉妬心からじゃよ。自分の子供だけ酷い目にあう事が許せなかったのだろう」
 それを聞いた想夜が首を傾げた。
「そ、そうなのかな?」
「ん?」
 訝し気な顔のメイヴに向け、想夜が答えた。
「寂しいから、子供たちに囲まれたかったんじゃないかな? ……違う、かな……?」
 自信なさげに言う。
 想夜はババロアの首を刎ねる瞬間、確かに声を聞いたのだ。

『ボクちゃん、お菓子、また買ってあげるからね。子守歌、また唄ってあげるからね――』

 その声がババロアの本心ならば、地獄の妖精とは何なのか? 本当に悪魔だったのだろうか? 悪魔を作る成分とは、何なのだろう?
 幾重もの葛藤が想夜の胸に募りゆく。

「あ、あたし……間違っていたのかな……?」
 と、肩を落として俯く。
 メイヴは想夜の尻をポンと優しく叩いた。
「案ずるな雪車町想夜。ババロアを放っておけばさらなる犠牲が出る。主の行いは正しいよ。子供を殺されたからといって、この世を好き勝手にできる特権など誰にもない。バロアの子供の事は気の毒じゃがの……」

 メイヴの言葉はババロアを突き放すように淡々としている。けれど、不安な想夜の心にそっと寄り添い、支えてくれた。

「戦争を起こしたのはフェアリーフォース。我らが軍隊。まとまり無き世界をまとめるために領土を制圧する。必要悪がいなければ、なにも守り切れないのさ」

 メイヴは想夜を真っ直ぐに見て、こう言った。

「武力なくして世界は守れない。それが原因で多くの民が犠牲になることだってある。犠牲の上に平穏が成り立つことだってある。だから雪車町、お前も軍人であるのなら、石を投げられても胸を張れるだけの誇りを忘れるな」
「誇り……揺ぎ無い意思で、皆を未来に導いてゆく。笑顔に導いてゆく――偉大なる誇り」

 偉大なる誇り――想夜はババロアの言葉を繰り返し、己の胸に刻んだ。

『あなたのママは悪者になってしまった。けれどもね、こんな狂った世界にいるくらいなら、悪魔になったほうがマシ。狂ってしまったほうがいい。目の前に広がる惨たらしい光景を見なくても済むのだから』

 ババロアは誰よりもこの世界を嫌っていた。壊してしまいたかった。誰よりも子供が弱い事を知っていた。

 いつしかババロアは、怒り狂った子供を見て、反乱する子供を見て、今は亡き我が子と照らし合わせるようになった。亡き子に強い力でこの世を変えて欲しかったのかもしれない。

 ただ元気な子供を見たかっただけかもしれない。

 壊れてゆく自分が弱いことも知っていたからこそ、子供には強くあって欲しかったのかもしれない。

 自分の手から消えてゆく弱い子供に向けて、嫌悪感を抱いていたのかもしれない。

 たくたんの『かもしれない』――ババロアが死んだ今となっては、すべては闇の中――。

 闘いの直前、ババロアが想夜の言葉で揺さぶられたのは子供の特権である単純さからだ。それが記憶の中で眠っていた「ボクちゃん」に作用したのだ。ババロアの中に眠りし母心に働きかけた想夜の言葉、それはどんな優れた武器よりも強力に作用した。
「バロアは地獄に堕ちたのか。はたまた地獄に帰ったのか。本当のところは分からんが……」
 メイヴの言葉を遮った朱鷺が悪態をつく。
「ふん。ババロアにとっては、この世界こそが何百年も続いた地獄だったのさ。死んじまった今、どこかでガキとちゃっかり仲良く暮らしているだろうよ」
 と、シトラススティックを取り出してくわえた。しみったれた時間は嫌いだ。

 水角が崖に立ち、振り返って皆に言う。
「ババロアはミネルヴァ重工でボクを作ってくれた人なんでしょ? 酷い事ばかりしてきた妖精だったけれど……」

 水角は手にした花束を見つめた。

「――だけど、いつまでも忘れないよ。ボクにこの世界を与えてくれた、あなたの事を――」
「待って水角クン」
 想夜と春夏がポケットからお菓子を取り出し、そっと花束に入れた。
「俺のもやる……」
 狐姫も花束にお菓子を突っ込む。
 朱鷺は無言でシトラススティックの箱を花束に突っ込んだ。
「もうボクちゃんとやらも成人してる頃だ。構わんだろう……」
 メイヴも懐から小さな玩具を取り出した。先日、鴨原から買ってもらったお菓子のおまけ。
「ティーセットの玩具じゃよ。女の子用じゃが、なかなかよく出来ておる」

 それらを花束に添える。

 お菓子をボクちゃんと、その母親バロアに――。

 水角は手向けた花束を、ゆっくりと崖から放り投げた。

 花束が風に踊り、遠く、ずっと遠くへ飛んでゆく。

 想夜は宙に舞う花束を見つめながら、バロアという存在に思いを馳せた。

 バロアは地獄に帰ったのだろうか? それともどこか、誰も知らないところで我が子とともに食事をしているのだろうか?

 リボンの妖精は瞼を閉じる――森の木陰の下。そこにはバロアと子供が丸いガーデンテーブルを囲んで楽しそうにしていた。目の前にはティーセット。スコーンにたっぷりのお手製ジャムを塗ってほおばる子供。その汚れた口元をバロアが真っ白いハンカチで拭うのだ。

『ボクちゃん。もう誰も取らないから、もっとゆっくり召し上がれ――』

 そこは戦争の無い世界。
 枯れた声も本来のみずみずしい声を取り戻し、木漏れ日に抱かれ、母と子が楽しそうにしている。
 バロアは日傘をさすと子供の手を引き、暖かな太陽に見守られて草原を歩いてゆく。

 もう二度と、母と子が離れ離れにならないように、子守歌を口にしながら――。

 バロア・フォンティーヌに。
 戦争に奪われたボクちゃんに。
 願わくば、そこに安らぎがあるように、
 願わくば、そこに温もりがあるように、
 願いは必ず叶うものだから――。

 リボンの妖精は暗闇の中にも光があることを信じた。
 バロアにはお節介かもしれない。けれども、そうした。


さよなら、碧さん――。


 ふたたび波の音――。

「――風の八卦に拘束を解かれたとはいえ、この街の住人たちは皆、まだ眠れぬ時間を送っておる」
 メイヴは歌姫のほうを向いて哀願する。
「のう、主の歌声で眠れぬ魂たちを弔ってやってはくれぬか? 微笑みを抱いて、安らかに眠れるように――」

 死んだ者はもう蘇らない。いくつもの命が業火に消えた現実は変わらない――歌姫をはじめ、その場にいる者が悲しい顔を隠すようにそむけた。

 泣くな、歌姫。
 泣くのではない。

 鳴いてほしいのだ、皆の心を潤すカナリヤよ――それがメイヴの願いだった。

 コクリ。歌姫は静かに頷くと、喉の調子を整えて踏み出した。

「そのさえずり、再び皆に届けておくれ」
「……はい、メイヴ様」
 女神たちが集う聖なる森に揺蕩たゆたうよう、そこに響くカナリヤの声――人々の心に積もったヘドロを浄化してくれるハミング。今、ここに、歌姫の声が返ってきたのだ。
 歌姫は息を吸い、ゆっくりと吐き出した。
 戦場に歌姫の子守唄が響く。

 眠れ泣き子、母の胸
 幾億の不安を置いてゆきなさい
 それまでずっと見ていてあげる
 抱く苦痛は忘却の彼方へ
 静かに眠るその時に
 黒い夜は明け、御霊はのぼる
 眠れ亡き子、母の手に――。

「見て、御殿センパイ!」
 想夜が指差す。
 多くの魂たちが光をおびながら、プリズムのように天へと上ってゆく。
「縛られていた魂たちが……解放されてゆく――」
 御殿たちの周りを、まるでお礼を言い残してゆくように、ウキウキとしたハミングを奏でながら、晴湘市の人々が旅立ってゆく。

『ありがとう、リボンの妖精。ありがとう、御殿――』

「みんな……」
 聞き覚えのある声。見たことのある顔。御殿の目の前にそれは現れ、消えてゆく。
 多くの魂が舞い上がってゆく中、御殿の目の前にひとりの女性の幻が現れた。

 ――いや、幻なんかじゃない。想夜たちにもはっきりとわかるほど確かに、そこに存在している事を語っているのだから。

 崖の一歩向こう。御殿が手を伸ばしても届かない距離に、彼女はいた。


『御殿――』


 崖の先。御殿が顔を上げて女性を見つめた。
 眉と目じりが下がった、表情だけでも優しさの塊だと分かるような、おっとりとした女性。決して攻撃性を見せることのない態度で、威圧さが微塵もない態度で、生前の姿のまま、彼女はそこにいる。
みどり……さん」

 御殿を拾い、育て、生活を共にしてきた母親のような存在――碧がふたたび御殿の前に現れたのだ。

「御殿、いつまでも泣かないの」
 碧は御殿に近づくと頭に手をおき、何度も、何度も、ゆっくりと撫でた。
「髪、ずいぶん伸びたね。綺麗よ、とっても似合ってる――」
 そう言ってニコリと微笑む。
 御殿は喘ぐように声を絞った。
「碧さん、わたし……わたし……!」

 ――わたし、こういうやり方しか出来なかった。力を力でねじ伏せた。晴湘市の人達は、わたしのやり方を喜んでくれるの?

 御殿のわだかまりを拭うように、碧は御殿の髪をワシャワシャと乱暴に撫でた。
「ほら、そうやって後悔ばかりしない。御殿はよくがんばったんだから、少しは自分を誉めてあげなきゃ……ね?」
 暴力で訴え続けてきた自分のことを、御殿は「これでいいのか? 正しいのか?」と不審に思う。ガンジーのように器用に非暴力を貫いてババロアに勝つことができるのならば、そうしたかった。

 そんな御殿の葛藤を拭うのが碧の声――「それでいいの」と言ってくれる。「それで正しいの」と言ってくれる。迫りくる脅威に対抗できるのは、暴力祈祷師しかいないの。そう言ってくれる。

 それを聞くたび、御殿の罪悪感が軽くなってゆく。自分が存在している重要性を再認識させてくれるのだ。

 多くのプリズムが舞い上がる街で、碧は登ってゆく魂たちを見ながら天を仰ぎ、御殿に言った。
「ほら、見て御殿。こんなにも晴湘市の人達が喜んでいる。みんな、あなたの知っている人達よ? 隣のおばさん。コンビニのお兄さん……あ、ほら見て! あの人は商店街のおじさん、漁師さん。みんな、あなた達のおかげで理不尽な苦痛から解放されてゆく。御殿は頑張ったんだから、もっと自分にも優しくしてあげなきゃ。でなければ、御殿自身の魂が泣いてしまう。そうでしょ?」
「うん……」
 御殿は子供のように小さく頷いた。

 碧は遥か遠くの空を見上げた。空というよりは遠い遠い宇宙。ひょっとしたら宇宙よりも遠い場所かもしれない。

「御殿、私たちはこれから、大きな存在と一つになるために旅立たなければならないの。晴湘市とも、この星とも、お別れをしなくてはいけない」
「いや、いやだ……碧さん……寂しい」
 御殿はすがるように碧の幻に擦り寄る。
 それを碧は制止した。
「ほら、甘えん坊。いつまでもわがままを言わないの。もう子供じゃないんだから。友達だってたくさん出来たのでしょう?」

 御殿はもう、はじめて晴湘市に来た時のような子供ではない。幾年もの時間と人々との出逢いが、御殿をここまで成長させた。巣立ちの時が刻一刻と近づいている。

「御殿ががんばってきた時間、ちゃんと見ていたよ? 美味しいの、作れるようになったんだね。山篭りも、外国へ行ったことも、ちゃんと、ちゃんと――」
「うん……うん……だけど、寂しさが、心にこびりついて、離れない――」

 心にこびりついたさびを落とせたらどんなにいいことだろう。苦痛を抱く誰もがそう思うもの。御殿だって同じだ。

 不安いっぱいの御殿の口元に、碧が人差し指を置く――言葉を並べなくとも、どこかでちゃんと見ていてくれる存在がある。そのことを教えてくれる。

「わかってる。けれど何も心配はいらない。遠くへ行っても、これからもちゃんと、あなた達のことを見守っているから」
「……うん」
 碧は舞い上がる魂たちをしばらく見つめながら、調太郎と如月に赤ん坊を取り出してもらった時の事を思う。ゆっくり租借そしゃくするように、多くの人たちに支えられてきた時間に感謝している。その後、ふたたび御殿に笑顔を向けた。
「そろそろ時間ね。私はもう、生き残った晴湘市の人たちと一緒には歩いてゆけないけれど……源ちゃんと子供をよろしくね――」

 碧は愛しい我が子をその胸に抱くことができなかった。けれど肉体を失ったこれからも、ずっと、ずっと、我が子を見守り続けるのだ。

 御殿は表情にささやかな力を入れて頷いた。
「うん。まかせておいて……」
 その返事を聞いた碧は笑顔のまま、この星から旅立ってゆく。


「さようなら、御殿――
 さようなら、地球――
 さようなら、旅の途中の人達――。
 この星の中でくれた、たくさんの想い出を……」

 本当に、ありがとう――。



 地球という限りなく広い舞台で、旅を続ける者たちへ贈る祝福と別れの言葉――碧はたった今、自分の台本に綴られたセリフを全て言い終えた。

 魂たちの回帰。
 すべての眠れぬ魂たちが、あるべき場所へと還ってゆく。
 やがて静けさが周囲を包んだ――。
 
 崖に佇む御殿は鼻をすすり、少しだけ潤んだ瞳で振り返り、想夜たちを見上げた。
「こういう時、どうすればいいのかな?」
 御殿が仲間に問う。
「自分の魂に正直になれば……いいと思うよ? 御殿センパイ――」
 と、想夜がその背中に声をかけた。普段は頼もしいけれど、今はとても繊細に見える背中。

 御殿は少し照れながら、呟くように口を開いた。

「少し……泣いてもいい?」
 御殿の言葉に、周囲の者たちが頷いた。
 御殿は崖の向こうを見ながら、その場に突っ伏し、溢れ出す感情を一気に吐き出した。
「う……ああ……うあああああああああああああああああっ!!」

 黒き天女は嗚咽を上げて泣き崩れ、掌の土を握り締めて肩を震わせた。

 いつまでも。いつまでも。
 旅立つ魂たちに捧げられる言葉なんか思いつかない。
 旅立つ魂たちに捧げられるのは、いつだって心から溢れ出してくる不純物ゼロの気持ちだけ。言葉にならない気持ちだけ。
 心が描く不純物ゼロの存在は、御殿の瞳から溢れ出すそれである。
 そうやって、流す涙を以ってして、この地を清き雫で浄化してゆくのだ。

 これでもかと言わんばかりに溢れ出す感情。誰も見たことが無い御殿の感情の嵐――想夜たちにそれが感染し、多くの者が一緒に涙を流した。多くの者たちが晴湘市の浄化に努めた。
 その涙で、旅立つ者たちに手向ける花を描き続けた。  
 

 終わった――。

 世界から虐げられてきた暴力祈祷師が晴湘市の災害に幕を下ろす。
 沢で迷い子だった小さな八卦。
 コードネーム 八卦No.01ナンバーゼロイチ
 『沢』を司る八卦。

 その名は、咲羅真御殿――。

 御殿の活躍により、多くの子供たちが、眠れぬ魂たちが、死んだ街が救われた。
 地獄の妖精たちは街から姿を消し、次第にヘドロの霧が晴れてゆく。

 そして始まるの――。

 晴湘市は息を吹き返すため、ふたたび躍動を始めるの。
 街が復興へと歩み始める。
 ほら、耳を傾けてみて――。


 ……………………ね? 聞こえてくるでしょう?

 街の鼓動。
 街の吐息。

 春になり、眠っていた芽が顔を見せる瞬間。
 魂を宿した器から零れる、新たなる産声――。

 そうやって一つの街が、長い長い暗闇を抜け、夜明けを迎えるの。

 わかっているのでしょう? 永遠に続く暗闇なんてない。
 そうやって再び、誰もが立ち上がれる夜明けがやってくるの――。