13 あたしのはじめてを、あなたに――
御殿を乗せた黒いカボチャの馬車が晴湘市を走る。
黒い空のもと、馬車馬が闊歩する音がリズミカルに響くたびに御殿のイラつきが増してゆく。思い出の地を踏み荒らされている気がして無性に神経を逆なでされるのだ。
そこに向かい合うよう、ババロアが腰かけている。
「そなた……」
ねっとり、体にまとわりつく視線を御殿に向けながらババロアが口を開いた。
「そなた、この街に来るのは随分と久方ぶりではないか?」
「……」
御殿は触れ腐れた子供のように口を閉じている。
「ふふ、だんまりか。それもよい――」
ババロアの声は、想夜の端末から流れていた歌声とは違った。温もりを帯びた歌声というより晴湘市の空のように曇りのある声。御殿の鼓膜に伝わるたび、不安をかきたて、じわりじわりと安らぎを奪ってゆくノイズとも取れる。声は心を映し出す鏡。
本来の声の持ち主はどのような人物なのか? 御殿はそれを想像せずにはいられなかった。
ババロアを終始無言で睨みつける御殿。ボニー&クライドの片割れは先ほ払い落されてしまった。残る1丁で目の前の悪魔の頭部をブチ抜いたら、さぞスッキリするだろう。
「そなた、退魔業は楽しいか? んん?
「誰かさんのおかげで、モチベーションだけは良好よ――」
挑発ぎみにババロアに食ってかかる御殿。
静まり返るカボチャの中。
時折、ぽつり、ぽつりと、先ほどから世間話が途切れ途切れに続いていた。ババロアが何か質問すれば、御殿が素っ気ない言葉と鋭い眼光を返す。それの繰り返し――。
「どうだ、カボチャの馬車の乗り心地は? シンデレラになった気分だろう」
「季節外れのハロウィン? 10月はずっと先よ? それにケルトの風習ではカボチャは生贄にも使用される。人肉をつめるのが役割だった。気味が悪い」
「ふふふ、教養はあるな。その気味が悪い風習を考えたのは、そなた達人間でもあるがな」
先ほどから御殿は寒気に耐えていた。馬車の中にいると誰かの声が聞こえてくるのだ。まるで隣に大勢の市民が座っている気がする。皆、苦しみを訴えてくるようで落ち着かないのだ。カボチャの中に苦痛が詰まっている気がするのだ。
ふと御殿が窓の外に目を向けると、異様な光景が広がっていた。
「あれは……!?」
目を疑う。晴湘市のど真ん中に、タールを被ったような真っ黒い巨大建築物が君臨しているではないか。
「街の中に、城?」
その黒き牙城――レンガの城壁。左右の監視塔から中央に向かって段を重ねるように屋根が天空へと伸びている。ところどころから垂れ下がる黒い液体が鍾乳洞のつららのよう。全焼した家屋のように炭がこびりつき、「地獄へようこそ」と言わんばかりに黒い牙を立てて威圧的にもてなす。
「そなた、我が城はお気に召したか?」
ババロアも御殿にならい、誇らしげに城を見上げる。
「どうだ、雅なものであろう? もうすぐ我が城は完成する。あれを新たなる拠点とし、人間界をバラダイスに変えて見せよう」
土地を汚染し、子供たちの血を捧げ、そうしてゲッシュ界への道を開く。地獄の妖精はそれをパラダイスと言った。
「アルコールを摂取しすぎじゃないかしら。酔っぱらっているのなら目を覚まさせてあげましょうか?」
と、目の前の悪魔に皮肉を叩きつけ、ホルダーの銃に手を伸ばす御殿。銃口は敵の額を捕らえている。
ババロアは腰を上げて向かいの席に座りなおすと、御殿の手をそっと阻止する。
「そなた、私を追ってここまで来てくれたのだろう。 ……嬉しいわ」
と御殿の顎に手を添え、無理やり引き上げる。
「嬉しいですって? 勘違いしないでちょうだい。殺しにきたのよ」
ふたたびババロアの眉間に銃口を向けるも、圧倒的な腕力によってねじ伏せられてしまう。
「ふふふ。『殺されに来た』、の間違いではないか? そなたと私の力の差は理解しているはず。でも安心しなさい。これからゆうっっっくり可愛がってあげるから」
ババロアは一瞬のうちに御殿の手首を掴んで捻り上げた。
「どうだ? これが力の差だ」
捻った腕に力を入れ、じりじりと詰め寄る。続けて御殿の髪を指でなぞり、やがて太ももへ――指先をスウッと下腹部近くまで這わせる。
「そなた、本当に綺麗な髪をしている……。柔らかい肌、艶やかな唇、くびれた腰、大きくてハリのある乳房。あの時の少年がこんなにも妖艶に仕上がるなんて……一度撤退した甲斐があったというもの。青い果実のままでは楽しみがない。真っ赤に色づいてから食したいものだ」
扇子から軽く顔を突き出し、囁くよう御殿に耳打ちする。
「そそる体――そなたの大事な部分……触ってもいい?」
ババロアの手がキュロットの隙間に忍び込むと、御殿はキュッと唇をかみしめた。
「そう硬くなるな。多くの戦場を越えてきたそなたでも、こういうのは初めてか?」
御殿は無言のまま視線を逸らした。
その背後からババロアが息を吹きかける。
「例えば女同士の時間。相手が同性であったとしても抱かれたいと感じたことはないか? 相手は理想の女、憧れの女、すべてにおいて自身を凌駕している艶色な女……」
息がかかるくらいに御殿とババロアが近づき、見つめ合う。
「女同士、ただ見つめ合った瞬間もそう。目の前の女を抱きたいと感じたことはないか? 可愛い後輩、ペットのように躾甲斐のある女、男に寝取られるくらいなら、それより早くいただいちゃうの。欲望に忠実なまま、ただただ己の感情を走らせることは、決して恥ずべきことではない。胸に聞こえし声に耳を傾けるのだ。己を殺して生きる醜態など、魂を侮辱する行為とは思わないか?」
ババロアの唇が御殿に触れる瞬間、御殿は顔をそむけた。
嫌がる御殿を楽しむように耳元で囁く。
「いつもは一人でするの?」
「……」
「あらぁ? 気持ちいい経験、ないのかしら? 勿体ない……」
後ろから御殿の胸に触れ、下から上へとこね回すように愛撫する。
終始無言の御殿がイラつき、身をよじって拒む。
するとババロア。今度は首筋を唇でなぞり始めた。
「こういうの、はじめて? 気持ちいいでしょう? そなたのために寝室を用意してあげる……朝まで一緒しませんこと?」
「……」
「気持ちのいいこと……しましょう? ……ね?」
ねだるようにババロアがすり寄る。御殿はそれに首を振り、乱暴に捻って嫌がった。
ババロアの指先がふたたび御殿の太ももの奥へと滑ってゆく。
「こんなに硬いのを持っているのね。うふふ、素敵。私のも是非お見せしたいものね――」
御殿の銃に手を回し、銃口を指で撫でまわす。あげく素早く奪い取っては御殿のこめかみに銃口を突き付けた。
「男という生き物はね……」
ババロアがトリガーに指をかける。
「こうやって発射してしまえばそれでおしまい。楽しみなんか一瞬で終わってしまう」
ガッカリ口調。その後、片手でマガジンを器用に抜き、
「けれども、そなたは八卦。人でもあり妖精でもあるハイブリッドハイヤースペクター。私たち妖精と同じ両性。両性具有が何を意味するのか……そなたは分かるかしら?」
滑らかに動く指先でマガジン内の薬莢をスライドさせて足元へと落とす。
金属同士が擦れる音とともに、薬莢がポタリ、ポタリ――まるで男性器から滴る白蜜のよう、
「かつて両性を兼ねた神がおりましたの。名はヘルマプロディートス。ヘルメスを父に。アフロディーテを母に。あまりに美少年であったが故、サルマキスに強姦され、一つとなり、両性具有となった」
サルマキスはギリシャ神話の登場人物。泉の精霊。同性に好かれてしまう力を持った泉に生息している。
「さながら、今の私はサルマキス。沢の八卦よ、そなた、私と一つになれ」
ババロアはマガジンから突き出した薬莢の先端を指先で弄んでは、スライドさせ、落下を続けた。
「この世は男と女、天と地、プラスとマイナス、光あれば闇。表裏一体でできている」
ポトリ……。
1発……
「それ故、表裏を支配する者こそが、世界の頂点に立つにふさわしい。妖精はまさしくそれにあたる――」
2発……
「そなた、理解できて?」
3発、4発、
そうやって空になったマガジンに舌を当て、下から上へと舐め上げた。
「うふふ、打、ち、止、め……。けれども、私もそなたも『女』を持っている。女の楽しみと男の楽しみは違う。連続する荒波のように続くエクスタシー。宇宙の真ん中に放り出された時の浮遊感、そして快楽――溺れてみたいと思うでしょう? ね?」
御殿の首に鼻先を近づけ、体臭を楽しむ。
「……女同士、ゆっくり楽しみましょ? 御殿さん――」
「……」
「いい香り……ようこそ、
と、静かに囁いた。
御殿がキッと睨み返して言葉を吐き捨てる。
「あなたはヘドが出るほど匂うわよ?」
「
(鬼畜が)
御殿の心の中を読んだのか、突如ババロアが険しい顔へと急変し、馬車の外を睨みつけた。
「……私の可愛い騎士たちが止まった。あのギャル子、あのギャル子! せっかく目をかけてあげてというのに恩を仇で返すとは……愚かな」
ババロアは怒りを叩きつけるよう、扇子をピシャリと閉じた後、誰かと会話をするかのように、しばらく独り言をつぶやき続けた。
「あなたにはガッカリ」「親に捨てられた」――いくつもの侮辱の言葉を並べ立て、ひとり怒りに震えている。
ババロアの異常な態度を前に、御殿が挑戦的な眼差しを向けて鼻で笑う。
「JK相手に違法バイトを紹介しただけでしょう? ミネルヴァの相談役も地に堕ちたものね」
続けて追い打ちをかける。
「子供たちの臓器を金持ち相手に売り払う計画――多くの失踪事件や神隠しにミネルヴァ重工が関与している事実。重役どもが児童誘拐事件に手を染め、臓器売買まで行っていたと知れ渡ればステークホルダーはおろか、世界は大騒ぎでしょうね」
ステークホルダーとは利害関係者のこと。企業でいうところの株主、従業員、消費者など。出資した企業が世間から叩かれれば、出資した人物にも余波がくる。企業の裏の顔を知らずに近づけば火傷をするのが今回の例だ。
「それだけじゃない。子供たちの血を晴湘市に捧げることでゲッシュ界を繋げる計画も白紙となった」
「なんですって? そなた、何をした?」
ババロアの血の気が引く。
「子供たちは既に解放させてもらったわ。もはやその企み、継続が困難でしょうね」
奇妙な行動をとる子供たちの解毒は、想夜がぶちまけた調太郎のお菓子によって達成された。
御殿がニヤリとほくそ笑む。
けれどもババロアはたじろぐことなく胸を張る。相談役に君臨する者、腹が座っていなければ女は務まらない。
「子供はいくらでも感染させることができる。それにこの私がステークホルダーを恐れているなどと……いえいえ。私たちミネルヴァ重工、否、酔酔会はそれらを黙らせることができる。私たちは驚異に君臨しているのです。ご覧あそばせ、外に広がる光景を。このように、少しの余興でひとつの街を楽園に変えたではありませんか。私の力を見くびってはなりません」
そう言って口元に手を添えてニヤニヤ笑いながら荒れた街を見渡す。挑発も兼ね、御殿をイラつかせては楽しんでいる。ババロアにとって人間の怒りや苦痛はパワーの源だ。
とうぜん御殿はそれが気に入らない。今にもはらわたが煮えくり返りそうだ。「殺してやりたい、殺してやりたい」――御殿がそれを心に描くたび、ババロアは邪な生気を吸い取ってご満悦。
御殿は食い入るようにババロアの顔を下から睨みつけた。
「『楽園』に変えたですって? あなたの日本語はどうかしている。『地獄』の間違いでしょう?」
ババロアが折りたたんだ扇子を左右させる。
「ノンノン。私にとって地獄は楽園、テーマパークなのです。そなた達も森林の屍骸の上にあぐらをかいて生活しているではないか。この世界は犠牲の上に成り立っている。人間たちは見ぬフリをして誤魔化しているだけ。もっともらしいこじつけをして正義を演じなければ正気を保てない。人間とは……そういう生き物」
と、なかば呆れたようにため息をついた。
「御託はいらない。お前らが一体どれだけの人間や動物を殺したと思っている?」
「殺した? 邪魔なものを排除しただけ。そなた達も害虫駆除をするではございませんか。あれと同じこと。なぜなら我々にとって、人間も動物も害虫と何ら変わりはございません。それに無駄死にではない。多くの魂は我が領域で今も生き続けているではないか」
御殿はそれを真っ向から否定する。
「この地に縛り付けることを『生きる』とは言わない。魂は『活きて』こそ『生きる』ものだ」
ふう……。ババロアはゲンナリとした表情を作り、扇子で口元を覆いながら目を伏せた。そして一言――
「綺麗ごと。
ババロアは遠く、遠く、ずっと遠くを見つめて吐息。
御殿にその心情は把握できない。
話はスペックハザードに移る。
「エーテルポットを汚染したのは何故?」
ババロアは御殿の顎に手を添え、クイッと引き上げ、唇を近づけながら答えた。
「そなたは可愛い可愛い私の八卦。特別に私の能力を教えて差し上げましょう」
ババロアは街にはびこる軍勢を見下げながら言った。
「私のハイヤースペックは『
御殿の額に一筋の汗。
「感染した者を自在に操る……ですって?」
ディアボロスはババロアのハイヤースペックを絶賛していた。なるほど、と御殿は思う。つまり特殊なエーテルとはウイルスのことだ。感染した子供たちは妖精界の果実で作ったお菓子でウイルス駆除され、正常に戻ったのだ。
ババロアの能力は感染者を対象として発動する仕組みだ。
「なら、水角を作成し、
ババロアがゆっくりと頷いた。
「
玩具に飽きた子供のようだ。既にフェアリーフォースの感染を諦めている。
けれども水角はC&Cによってオモチャの兵隊となっていた。C&Cは八卦を操作できるほどに強力なハイヤースペックらしい。
御殿は怒り任せに拳に力を込めていた。
「フェアリーフォースをC&Cに感染させて妖精界でも乗っ取るつもりだったの?」
「Oui,Oui……。部隊は貧弱ですが、私に操作させれば問題なく事は進む。隊員が負傷しても解体して再利用できる。道具は有効利用しなければ……そう思うでしょう?」
御殿は酔酔会の非道さを理解した。
「酔酔会はお前が率いているのか?」
ババロアは吹き出し、笑いをこらえた。
「まさかまさか……私ごときが酔酔会を導くだなんて、おこがましいにもほどがある」
「黒幕はお前ではないということか?」
「ベラベラと喋るのは性に合いません……と言ってしまえば、必然的に『黒幕は他にいます』と言っているようなもの。ここは『黒幕はわたしです』と言ったほうがいいのかしら? それだとやはり傲慢かしら。困ったものです」
御殿を差し置き、一人芝居のように悩んでいる。
「御託はいい。黒幕は誰? 答えなさい!」
いきり立つ御殿の手前、ババロアが遠い目をして過去を振り返った。
「――あの日、私は晴湘市に出向き、そなたを迎えに来た」
あの日――源氏に追い返された日のことだ。
『アンタ誰だ? 何? 御殿を引き取りたいだと? なんだこの金は? ふざけるな! あいつは物じゃない、早くここから出て行ってくれ! 碧! 塩持ってこい!』
ババロアは源次との交渉の際、いい値を提示したものの、御殿確保に失敗している。
「八卦プロジェクトの末、そなたが生産されたことは既に知っていた。八卦の実力は想像に容易い。その力で軍を率いることもできる。だというのに、どいつもこいつも邪魔ばかり。 邪魔邪魔邪魔邪魔! 馬鳥夫妻はおろか……あの男ときたら! あの男ときたら あーのーおーとーこーときたぁらあああああ!!!」
ババロアは急に怒りに震え、眼球を充血させ、両手で扇子をへし折らんとばかりに握りしめた。
「あの男? まさか……鴨原さんのこと!?」
ババロアが早口でまくし立てて頷く。
「Nom de dieu de putain de bordel de merde de saloperie de connard d'enculé de ta mère!! 鴨原稔――我々の手に八卦が渡ることを面白くないと思ったのでしょう。あの男はあらゆる手段を用いて、そなたを消しにかかった。もっとも、私が酔酔会であることはおろか、酔酔会の存在さえも気づいていなかったみたいですが」
鴨原は叶子やフェアリーフォースを使い、何としても御殿を消そうとしていた。御殿のことになると目くじらを立てて躍起になる鴨原は、御殿が酔酔会の手に渡ることを阻止し続けていたのだ。
「鴨原さんはわたしを破棄したのではなかったというの……? そんな――」
ここまできて御殿は鴨原の行動の真意を理解する。
八卦プロジェクトが失敗に終わったから御殿を破棄したのではない。御殿の成長を見れば誰でも分かるはずだ。
八卦の恐ろしさにいち早く気づいたのは、プロジェクトの発端となった鴨原。
そんな彼の想像を遥かに超越するほどの力を持つ八卦。その脅威が世界に知れ渡るのに時間はかからない。核を手に入れた彼は、それに強く恐怖したのである。
「酔酔会はわたしを手に入れて、どうするつもり?」
「うふふ……酔酔会のお膝元、その力が役に立つのです。世界を晴湘市のように変えていこうではありませんか。こんなにもありがたい役回り、力を所有するそなたにピッタリではありませんこと?」
世界が暗闇に代わってゆくのを想像して胸糞悪くなった。あいにく御殿にその気はない。
「そんな依頼は……願い下げだわ」
「そなたに決定権はございません。C&Cに下僕の意思は必要ない。すべては私の配下にある」
能力自慢をしたものの、ババロアは落胆した。
「けれども、シュベスタから逃れて消息を絶ったそなたは……この晴湘市で、ちゃっかり人間の生活に馴染んでいた」
この世は波長でできている。出会う関係、出来事、すべてにおいて波長が関係してくる。悪者の周りには悪者が溢れている。醜い輩に囲まれている己も醜い。人は出会う必要がある時に、出会うようにできている。
八卦の御殿は清い人間寄りの波長に育ったため、地獄の妖精とは反りが合わない。自然の法則を捻じ曲げることなど、ババロアにさえできないのだ。
ハイヤースペックを制する者こそが、世界を手中に収めることができる。されど、力は自然とともにあらん――。
「八卦を入手できないどころか、せっかく率いてきた我が軍でさえ、そなたの力に慄くばかり。いやはや、まったく……お恥ずかしいかぎりです」
やれやれ。ババロアは首を左右させて出来の悪い奴隷たちを嘆いた。
八卦は弱い悪魔ならば尻尾を巻いて逃げてゆくほどの脅威。ババロアの一度目の訪問の時、御殿が虫除けの役割りを担っていたのは事実。八卦を見た途端に魔軍が慄く事からして、C&Cとは完璧に発動するわけではないようだ。
当時、晴湘市とゲッシュ界をつなぐために訪れたババロアだったが、妹探しで訪れていた朱鷺にも子供たちを解放されている。
結果、臓器売買としての児童捕獲さえも諦め、撤退を余儀なくされた。
何者にも揺るがないパワーを手に入れるため、ババロアにはもっと大量のエーテルが必要となる。そうして晴湘市を火の海に変えて魂たちを地に縛り、時がくるのを待つことにした。
この地に5つの装置を残して――。
今、晴湘市が装置で汚染される頃合い。ババロアは再来した。
ババロアがそこまでして児童に執着する理由を御殿は考え続けた。
黒き牙城とゆかいな仲間たち
牙城に到着した馬車から降りた御殿とババロア。城の正門を抜け、中央に設置された長く伸びる階段を上ってゆく。
ババロアの後ろを歩く御殿。その左右に着ぐるみの動物たちが列をなして出迎える。はしゃぐでもなく、威嚇するでもなく、ただ御殿のほうをジッと見つめたまま微動だにしない。
着ぐるみはセキュリティシステムの役割を担っている。いま御殿が暴れれば動物たちも一斉に牙をむく。
ババロアは主塔の手前で立ち止まると、御殿と向き合った。
「時に御殿さん……?」
御殿が訝し気に首を傾げた。
「そなたは覚えていらして? この街で、ある誘拐犯が消息を絶った出来事を――」
御殿が働いていたダイニングの近所に住む誘拐犯が消息を絶った。それは妖精の子供をさらって陵辱しようとした話に遡る――市民の誰もが忘れかけていた事件。けれど、そこにも地獄の妖精の影がしっかりと根付いていた。
誘拐事件とババロアには、深いつながりがあった。
ババロアは言う。
「誘拐した男は臓器の横流しをおこなっている斡旋業者でした。言葉巧みに子供たちを騙し、誘拐するのが彼等の手口。アンダーグラウンドによくいる人種。生粋の人間です」
「臓器の、斡旋……」
「ウィ。誘拐された妖精の子供が犯人を食したのはご存知でしょう?」
調太郎がマダムから聞かされた内容だ。
「その子供は行方不明になったお友達を探しておりました。お友達の名前はたしか……夢、だったかしらねえ」
忘れていた素振り。だが、しかと覚えている目だ。
「夢さん? まさか……朱鷺さんの妹の!?」
糸目の婦人がニンマリと、何度も頷いた。
「ウィウィ。叢雲夢を探していた子供を捕らえ、私のC&Cを感染させたのはこの時。我が能力は子供の声をトリガーにする事も可能。悲鳴がトリガー。どうです? いいアイディアでしょう? うまく発動してくれて良かったです」
子供の叫びによって日本中から子供たちが押し寄せた。呼んだ子供、呼ばれた子供。皆、C&Cに感染させられていた。
想夜から聞かされた話によれば、トリガーとなった男の子にも妖精の血が流れている。そして今シルキーホームにいる。施設に出入りしていた夢とは仲良しだったのだろう。夢が失踪して間もなくのこと、晴湘市で結界作業をしていることを耳にした男の子は、夢を探しにここまできた。感染した子供はババロアの命によって意識を乗っ取られる。そうしてババロアにコントロールされ、日本中から子供たちを呼び集め、犯人の後始末までさせられた。
不憫な男の子の事を考える度、御殿のはらわたが煮えくり返る。
ババロアが曇った空に目をやり、ずっとずっと遠くを見つめた。
「子供は弱く、もろく、そして儚い――少しのことで泣き、笑い、そして消えてゆく。弱き故、染まりやすく、そして手にしやすい」
ババロアは手前で広げた掌に力を入れ、小さな命を潰すようにギュウッと指を閉じた。
ババロアは何故、そこまで子供執着する? その答えはババロアの中。
「子供をダシに使うことに微塵の罪悪も無いようね。なぜ子供を道具として扱った?」
「私は酔酔会、兼ミネルヴァ重工の相談役。多忙の身ゆえ、いつまでも晴湘市で油を売っているわけにもまいりません。ですので、この地に子供を集めるための代役が必要でした。子供たちの血肉を大地に捧げる役割り。男の子は子供たちを呼び寄せ、それはそれはよく働いてくださいましたよ」
ババロアは三日月をひっくり返したような目でニヤリと、不気味に笑った。
「そなたが声を発すれば夢はやってくる――そんな陳腐な言葉ひとつで簡単に感染してしまう。子供を謀るのは実に簡単な作業」
男の子は犯人に謀られたのではない。ババロアに謀られたのだ。結果、犯人へと牙を向けることとなった。
「私も一度見てみたかったのですよ。妖精の子供が怒り狂う姿を、ね。実験といったところでしょうか。なかなか面白かったですよ? 大の男が子供に食い散らかされる光景。圧巻でした。けれども子供の小さな胃袋には限界がございましてね、残ったお肉は私の
誘拐犯を襲ったのは男の子だけではない。犯人の肉体は悪魔たちの腹の中で消化され、クソに変わっていた。
メイヴもデータを集めることに躍起になっている妖精だが、目の前の女は違う。研究というよりは趣味が高じての悪行、言わば正真正銘の悪魔だ。
ババロアは付け加えた。
「けれども余興は始まったばかり。これからこの地に子供たちの血肉を捧げ、宴を開くのです――」
「……宴?」
御殿が眉をひそめた。
「ゲッシュ界の入り口の一つを封鎖している晴湘市。この街でその扉を開くためには『鍵』が必要。『鍵』とは土地の中でより大きな悲痛を作成すること。より激しい悲痛を生み出せるのが子供たち」
御殿が目を見開いた。
「やはりそうか。児童の人身売買や臓器略奪はおまけに過ぎない。真の目的は子供たちの血と悲鳴――晴湘市は……生贄儀式の場だったのね!?」
その答えにババロアが大きく頷いた。
「そなた達はその儀式に『逆ハーメルン』と名付けた」――。
逆ハーメルン事件の真相――ゲッシュ界の扉を開くための前夜祭。
ここには子供たちの血肉によって開催される地獄絵図が用意されている。
子供はエネルギーの塊。その小さな体から発せられる力は、大人の数千倍にも及ぶ。
ゲッシュ界への扉を開く計画は着々と進んでいる。ババロアを止めなければ、今回の事件は繰り返される。
そこまできて御殿の頭に一つの答えが導き出された。メイヴ達が調査中のダフロマの行動パターンだ。
ダフロマはババロアによってゲッシュ界から解き放たれた。その後は日本を荒らすでもなく海を徘徊していたが、騒ぎになることはなかった――御殿がその答えにたどり着く。
「誘拐した子供たちをコンテナに押し込み、それを一度船で海上へ。海中を移動できるダフロマなら騒ぎにはならない。海の真ん中で船上のコンテナをダフロマに飲み込ませ、日本の防波堤プレート外まで接近後、晴湘市近くで吐き出させる。晴湘市内の魔族がコンテナを受け取り、街へと輸送。そうやって失踪事件は作り出された。晴湘市の海が死んでいるのは、ダフロマがコンテナを吐き出す時に付着した胃液が汚染原因というわけか」
「アーハーン♪」
「知れたこと」と、ババロアが当然のように首を縦に振った。
「日本中に散らばったエーテルポットの中身を回収することでダフロマはエーテルポットの代わりとなる。晴湘市まで誘導し、上陸させればシュベスタがなくなった後でもポットは健在。海の流通も構築され、世界中により多くの臓器をばらまくことができるのです……どう? ステキな考えでしょう?」
「ダフロマをエーテルポットの代わりに? あの暴撃妖精すら道具として見ているのか……!?」
ダフロマの巨体が通った形跡には建物が綺麗になくなり、運搬経路が確保できる。臓器運搬のために、多くの生物や植物が破壊されてゆく一歩手前だった。リンが仕留めなければ日本は荒野と化し、世界屈指の臓器提供国となっていた。運搬作業が済んだダフロマはエーテルポットとして置物とされる。生物に対する情の欠片もない。
御殿の血圧が徐々に上がってゆく。
「多くの人たちが命を落とした。罪なき子供を臓器売買や逆ハーメルン事件に使用したということか?」
「アーハーン♪」
「知れたこと」と、ババロアが当然のように、ふたたび首を縦に振る。
御殿の奥底にフツフツと怒りが燃え上がった。
「わたしは暴力エクソシストになれた事をこんなにも幸せに感じたことはない。なぜなら、ここでお前を葬れるからだ――」
御殿がババロアを真っ直ぐに睨みつけた時だ。
「御殿センパーイ!」
声の方角を横目で見ると、リボンの妖精が飛んでくる。
(想夜……!)
一足遅く想夜が到着。その後ろに狐姫、水角、朱鷺もそろっていた。
「御殿センパイ、忘れ物です!」
想夜が御殿に向かって銃を投げる。
御殿はそれを片手でキャッチすると、素早く銃口をババロアに向ける! ……が、すでに目の前にババロアの姿はない。
(どこへ消えた!?)
御殿がキョロキョロとあたりを見回すと、背中のほう、少し離れた場所から吐き捨てるような毒舌が聞こえてきた。
「ふん、フェアリーフォースの小娘……まだ生きていたのか。死んでおきなさいと言ったはずなのに……」
ババロアは瞬間移動でもしたかのように御殿の背中に近づくと、イラついた顔で扇子を仰いだ。
「政府はハエのようにしぶとい。一匹残らず潰して差し上げてよ、ふふふ……」
(なんというスピードなの!?)
桁違いの力を前に、後ろ目でババロアを睨みつける御殿の額を冷や汗が伝う。
そこへ朱鷺が割って入ってきた。
「咲羅真どの、遅くなってスマン。助太刀いたそう……」
朱鷺がババロアに問う。
「神威人村では貴様の部下が派手に暴れてくれたそうだな。妹の体にご執心だったようだが、一体何に利用した?」
ニヤリ――扇子の向こうでババロアの目が朱鷺をとらえた途端、その口が裂け、不気味な笑みを浮かべた。
「はてはて? 妹? いもうとイモウト……ああ、思い出したわ。たしか夢ね! 夢さん夢さん、思い出しました。あの娘なら……」
その後に続く言葉で、想夜たちの表情が一斉に凍り付いた。
「世界各国で妖精たちの役に立っておりますよ。バラバラの臓器となり、子供たちの一部として生まれ変わって、ね――」
「キ、サマ……!!」
朱鷺をはじめ、想夜たちの血の気が引いた。
「あはははは、ははははははは! その顔! 実に滑稽滑稽! あまり笑わせないで下さいな!」
ババロアは笑いをこらえながら城内を見渡した。
「世界中に散らばった夢さんの臓器。それらを売りさばくのも、たあああい変っ。骨が折れる作業でした」
「……その口を閉じなさい」
御殿の目が座り、ババロアを殺意丸出しの視線でとらえた。兄である朱鷺があまりにも不憫でならないのだ。
ババロアは扇子をたたむと、ビシッと朱鷺に向けた。
「叢雲朱鷺。そなたも薄々そのことに気づいていたのでは? 兄妹愛というのもネチネチとしていて、なかなか気持ちが悪いものです。私のお口には合いませんわ……」
ホホホッ、ふたたび扇子を広げて火照った顔を扇いだ。
ババロアに向けた銃口。御殿は顔を真っ赤にして怒り狂い、トリガーの指に力を込めた。
(こいつを生かしておくだけでも人間界は地獄に変わる。ここで……殺してあげる――)
殺意――綺麗ごとを拭いし平和への戦闘手段でもある。誰もやらないなら暴力祈祷師がやるしかない。悠長にしている間にも、子供たちはゲッシュ界への供物となるために血肉を奪われ、残った臓器は売られてゆく。児童失踪事件を繰り返さないためにも、何としてもここで食い止めなければならない。
想夜が背中のワイズナーに手をかけた。
「ババロア・フォンテーヌ。シュベスタの牢獄を見張っていた子供を覚えてる? 番犬妖精のことよ?」
ババロアが頷いて即答する。
「ウィ。あの子もなかなか面白い変化を遂げてくれた。強くて元気な子は素敵、実に愉快痛快でございます」
ババロアの玩具と成り果てていた妖精の子供。人間に協力できるのだとババロアに謀られ、データ収集のための実験として弄ばれる。それに直面した想夜は酷く胸を痛めているのだ。
ケタケタ笑うババロアの手前、想夜のはらわたが煮えくり返る。
シュベスタ研究所内、牢獄迷路の監視役として番犬と化した子供。それを帰界させるため、想夜は否応にワイズナーを子供の胸に押し込んだ。今頃は妖精界で蟲の駆除が終わっている頃だ。
想夜が怒りまかせに叫んだ。
「子供にあんな酷いことをさせておいて、あなたは何とも思わないの!?」
今にもババロアに飛び掛かろうと踏み出す想夜。その目は吊り上がり、胸に宿すは殺意。
想夜の声がキャンキャン吠える子犬のように聞こえるババロア。さもウザそうに耳を背けながら口を開く。
「何とも思わないわけがありません。改良の余地が必要だと思いました。馬力を上げることで、もっと優れた番犬ができあがることでしょう。あの番犬、私のペットとしては、いささか力不足でございます。八卦でもありませんし。結局は『弱い子』、つまり……ゴミ? でしょうかねえ」
扇子で口元を隠しながら目を伏せ、残念そうにうつむいた。その態度には「人間も妖精も八卦も道具に過ぎない。それ以外はゴミ」という考えしかない。
ババロアは階段の中央に腰を下ろし、ポンポンと階段の一角を叩くと御殿のほうを見ながら楽しそうに語りだす。
「ここ、ここ。こぉ~こぉ~にぃ♪ フェアリーフォースの娘。その隣にはそなたの相方の狐! その隣は愛宮のご令嬢。いっぱい、いい~っぱい! 娘たちの首を並べる私を見ながら、そなたはどんな顔をするのでしょう? わぁーたぁーくぅーしぃーのぉ、コレクション! ふふふ、楽しみ。素敵でしょう? 素敵だと思いませんか?」
想像しただけでも魂が穢れてしまいそうだと御殿は唇を噛み締めた。下衆と一緒の思考回路など持ち合わせたくもない。そんな感情が顔に出てしまう。
「狂っている」
とたん、ババロアが訝し気に首を傾げる。
「そんなお顔をなさらないで御殿さん。私が聖色市でそなたをお見受けした時は、怯えた仔猫のように無邪気で可愛らしかったでしょう?」
「……なんですって?」
御殿がみるみる青ざめてゆく。
(ババロアが聖色市に来ていた!? いつ? どこで会った!?)
御殿の頭の中をババロアの存在が駆け巡る。そうしてヒットした回答――それが今、御殿の頭の中にある。
「まさか……元MAMIYA研究所?」
御殿が狐姫を連れて初めて聖色市を訪れた時、あの場所にはタールがこびりついた廃墟だった。建物の中で人影を目にしたが、あれは叶子ではなくババロアだったのだ!
「真夜中にあのような暗い場所に出入りするなんて関心しませんでしたが、おかげでそなたの綺麗なうなじをじっくりと拝見できて、とても楽しかったですよ」
御殿は自分の髪に手を滑り込ませ、首の後ろに当てる。死神の鎌が突き付けられている錯覚に陥っているのだ。
「あの時、後ろからずっとわたし達を見ていたというの?」
御殿の問いに不気味な笑みで頷くババロア。それを目にした途端、御殿は敵の強さが桁外れだということを実感させられるのだ。
ババロアは廃墟の中で、ずっと御殿の背中を見ていた――即ち、いつでも殺せたということになる。
ババロアがゆっくりと腰を上げた。
「そこでそなた達は吸集の儀式を破壊した。その後も研究所の召喚陣を破壊。私がフェアリーフォースに入れ知恵した芸術作品を……片っ端から破壊して回った」
メイヴに使わされた赤帽子たちは、一度魔界を通ってから人間界に召喚されている。魔界のルートを提供する代わりに、妖精界の軍事勢力を使用できる状態にする――ババロアはフェアリーフォースに魔界因子を提供し、妖精界内部からジワジワと食らいつくしてゆく計画を目論んでいた。
想夜の鋭い視線がババロアに向けられた。
「そうか、そういうことか……フェアリーフォースの黒い部分。その一部を担っているのが、あなただったというわけね!?」
「ウィ。あのメイヴでさえ私の召喚士をちゃっかり使っていた。お気に召していただけて何より。そうかといって、メイヴが我々の肩を持つようなことがございまして? あの女は何かと感づく女。酔酔会にとっては目の上のコブ。もう少しで
早く、されど遅く、そうやってババロアは口調のテンポを忙しく変化させながら力説した。
「華生さんの命を? それじゃあ
真華龍社から華生によって持ち出されたディルファーのデータ。それを追ってフェアリーフォースは躍起になっている。華生をかくまった妖精界の人々は政府から酷い仕打ちを受けたわけだが、それを裏で指示していたのは酔酔会の線が浮上した。
ディルファーのデータにご執心なババロアの事。その結論には誰もがしっくりきた。
ババロアが想夜を見下しながら答える。
「真華龍社は武器製造にも一役買っている。潰しておいたほうが酔酔会にとっては都合がよろしくてよ? 武器契約なら我がミネルヴァ重工で充ううぅ分」
ホホホ。扇子で口を覆い、三日月形の目でニヤリと笑う。
「利益のために華生さんの家族や大勢のエンジニアを殺したというの!?」
ババロアの笑いがピタリと止まる。しらを切るよう、あちらこちらに視線を投げた。
「私は手を下しておりません。そこまで暇ではございませんので……」
いつだってそうだ。ババロアは人や妖精を率先して殺さない。身近な者に殺させて、それを見て喜んでいる悪魔だ。
ババロアが一歩踏み出し、ゆっくり、ただゆっくりと階段を上って行く。
「――どれくらい前でしょう。私は妖精界で目を覚ました。遥か昔の記憶など興味はございません。過去を持たぬ日々、そのような心での生活は退屈、それはそれは退屈な日々を送っておりました。私はその間、フェアリーフォースの勢力に疑問を抱いておりましたが、そなた達が抱くような強権への疑問とは少し違ったものでした」
想夜は政府の怠慢や洗脳戦略に異議を唱えた。が、ババロアが抱いていた思想は違った。
「私はフェアリーフォースに医療機関の再構築を提示しました。が、棄却されてしまいます。なぜでしょう?」
険しい表情の想夜には、その回答に行き着くことなどできない。そんな頭脳があったら家庭科のテストで苦労していない。
一向に答えが出ない想夜に向けて、ババロアがため息をついた。
「まあ、お子様には分かりませんか? 強い者こそがもっとも正しい。妖精界は人間界を監視する役割も担っている。力ある側から言わせれば、人間界は言わば牧場。人間たちを家畜とし、妖精のために臓器を提供できるなら、これを利用しない手はないではございませんか?」
「な、なんですって? どういう意味?」
想夜の顔がこわばった。
「妖精界のため? 人間界のため? 力を手にした者たちが考える思想としては、あまりにもお粗末すぎませんか? 妖精のハイヤースペック。そんな核ミサイルを手に入れたんですもの。全世界に向けて使ってみたくなるのが世の常ではございませんか。それは愚かな人間たちが一番よく分かっているはず。新しい武器を手に入れれば使いたくなるということを、ね――」
ババロアの真の狙いは、人間界を臓器生育のための牧場にすることだった――。
否、人だけではない。動物でさえ、そのカテゴリーに位置付けられている。ババロアは人間の頭を犬猫の胴体にくっつけて遊びたいのだ。犬猫の手足を人間の四肢につなぎ合わせて遊びたいのだ。
ババロアは、強い
人間界牧場計画――当然のことながら、フェアリーフォースがそれを承諾するはずもない。
想夜は一瞬のうちに血の気が引き、その後、一気に頭に血が上った。
「どうして、どうしてそんな惨いことを考えるの……あなたって人は! あなたって人は!!」
『人』ではない、まさしく地獄の妖精だ。目の前に世界を混沌に変える悪魔がいる。
想夜の中の殺意――抑えきれない憤慨とはこのことを指す。それが漏れ出した時に他者を殺める行為に移行するのだ。
リボンの妖精は目を吊り上げ、目の前に立つ地獄の妖精を睨みつけた。
人間だって動物たちに同じことをしている。農場、牧場、あらゆる飼育場を作り上げているが、そこには自分たちの血や肉に代わってゆく者たちへの感謝と敬意が込められている。
家畜が食用としての肉へと変わってゆく時、人間たちの中で、ふと動物たちへの感情が大きくなり、それに揺さぶられる。
人間たちは動物を愛している。人間たちは、彼らなくして生きられないからだ。
けれども、ババロアの言い分はこうだ――
「人間界にも鮭の腹を裂いて卵を取り出す業者がおりますでしょう?」
闇業者――イクラだけ取り出し、残りは捨てる。それを見ていい気分になれる人間はいないだろう。いや、いないと願いたいだけ。実際は……いる。暗黒に染まった心を持つ者がいるのが現実だ。
「おいしいところだけ持ってゆく。人間も同じことをしているではありませんこと?」
「そ、それは……」
想夜がたじろぐ。ババロアの言葉を論破しなければ、彼女の正当性を認めることになる。それ即ち、「酔酔会が正義だ」と頷かなければならない。
想夜がワナワナと拳を震わせる。
「違う、違うよ……」
まだ13歳だけど、まだ中学生だけど、頭に浮かんだあらゆる言葉をひねり出し、文章を構築してゆく。
想夜は小さく、やがて大きく首を左右させる――胸の中に宿る反発。想夜は子供であって、まだ所有する言葉が足りない。ボキャブラリーが足りない。だけど、頭に思い浮かんだ単語を精一杯かき集め、側頭葉、偏桃体、海馬、前頭前野を突き抜け、フェアリーフォースの誇りにかけて、死に物狂いでアウトプットしてみせる!
「生き物を粗末に扱うだなんて、そんなの正しいワケがないよ、そんなの……そんなの……」
それは倫理の問題か?
否、想夜の中に芽生えるそれは倫理とは違う。
「そんなの……自分だけを特別視しているだけの……」
そうだ! その言葉だ! 今、頭に浮かんだ単語を解き放つんだ!
想夜よ、言ってやれ!
「寂しん坊と変わらないよ!」
その言葉を耳にした途端、ババロアは口角を吊り上げ、想夜を睨みつけた。
「な、なんですって? この私が寂しいですって? いつ? 誰にかまってほしいというのです?」
この私が……この私が……。ブツブツと、言い訳がましく口ずさむババロア。
もっとこっちを見て! 私を見て! 私の言葉を聞いて! 私こんなに傷ついているの! 誰か! 誰か! ――ババロアの声なき声、想夜にはそう聞こえるのだ。
「偉そうな役職とかついてるクセにさ! ハイヤースペックとか使うクセにさ! ぬいぐるみいっぱい連れて歩いちゃってさ! あたし分かるんだからね! 寂しい時ってぬいぐるみがないとダメだって、分かるんだからね!」
半ベソ想夜がまくし立てた。
つらいことがあった日には、決まって部屋のぬいぐるみを抱きながら眠りにつく。モコモコとした繊維に顔を埋め、無表情の動物に慰めてもらうの。中学生になっても、想夜のクセは抜けない。
「たくさんの魂を両手いっぱいに抱え込まなければ耐えられないんでしょ!? 誰かに振り向いてもらえなきゃ嫌なんでしょ!? ひとりぼっちが寂しいんでしょ!?」
ずっとひとりでもやっていけるか?』
――その問いに、誰が、どう答えられる?
鏡を見て「ひとりで充分だ」と叫んだとしても、そいつが孤独である保証などどこにもない。支えられている事に気づいていないだけかもしれないのだから。
鏡を見て「仲間がいる」と叫んだとしても、そいつが温もりで満たされているとも限らない。裏切者に囲まれているだけかもしれないのだから。
「多くの魂を欲っするあなたの気持ちが間違っているとは言い切れないけれど、魂の独り占めなんて神様にだって許されないんだからね! 寂しがり屋さん! ばかあ!」
想夜が声を張り上げた途端、ババロアは口を噤んだ。
仲間多き戦士は正義か?
なあ想夜、即答してくれよ。
なあババロア、即答してくれよ。
即答できる答えなど、陳腐なものだ。
善と悪の定義を示せ――そう問われた時、13歳のリボンの妖精の胸の奥、確かに芽生える真実がある。
言葉足らずの無垢なる存在。そんな少女でも分かることが、たった一つだけある。
「あなたの描いている価値が正義だとするのなら、あたしの役目はきっと、その価値を否定する悪。あたしはあなたにとっての悪者」
その通りだ。この世界には明確な答えなど存在しない。確信が持てる唯一の存在があるとするなら、今、想夜の胸の奥底で吐息を奏でている本能だけが知っている。
「100人いれば100の正義があるように、きっとあたしもあなたも正義であり悪なんだ……」
本能なんて単純なもの。目の前のそれを許容するか否定するか――それだけだ。
寡黙となったババロアに想夜が言葉を叩きつけた。
「けれど、カッコいい言葉が見つからないけど、あたし……あたし、あなたの事が大嫌い。大っっっ嫌い!!」
ここは戦場だ。論破したところで頭に弾丸を食らえばジ・エンド。言葉遊びが意味を持さないことは、ここにいる誰もが理解している。
考えに考え抜いた想夜の言葉は、誰でも口にできるほど酷く単純なものだった。
そんな単純な言葉でも揺さぶられることがある。単純ゆえ、複雑な思考回路を持った者に深く意味を模索させてしまう。言葉が持つ意味を深々と追求し、やがて確信をつかれたことに気づくのだ。
今まで誰にも知られなかった。ババロア自身でさえも忘れたかった真実。
ババロアは……孤独を隠さなければ生きられない。
ぬいぐるみがなければ生きていられない。
お菓子をねだらなければ、生きてはゆけない。
ババロアの中に、ひとりの子供の姿が浮かんだ。
『ボクちゃん……』
ババロアがポツリ、何かを言いかけた……気がした。
「……え?」
刹那、想夜の動きがピタリと止まる。
心、乱れ、焦り隠さん――ババロアは静まる空気を拭うよう、強い口調で一気にまくし立てた。
「――嫌いで結構。馬鹿で結構。私もそなたを好きにはなれません。なぜなら……」
ババロアの表情に陰り――顔をふせ、再び口を噤んだ。
地獄の妖精 デュラハン
想夜との口論の末、ババロアは何かをごまかすように表情を明るく見せた。
「――そろそろぉ、お話も飽きてきた頃ではございませんのこと?」
チラ。ババロアが御殿を一瞥――御殿の瞳、戦いを望んでいる眼光。血に飢えた者だけが持つ独特の、目の前の敵を八つ裂きにしたくてしたくてたまらない。そんな目で訴えてくる。
ババロアが両手を仰いで深呼吸。瞼を閉じ、しばらくしてから開く。
「静かになったこの地、ようやくそなたとお会いできたのですもの。ドレスアップをしましょうね……」
そのドレス――純白の木綿に墨汁が浸透してゆくように、じわり、じわりと黒い斑点を作り上げてゆく。やがて体全体が黒いシミに覆われると、包み込まれた蛹のように、中からタールを被った黒い女が現れた。
全身の肉が削げ落ち、ただ骸骨に人の皮を被せた姿。暗い緑色に変色した体から発せられるは死臭。活発なミイラのように手を動かして髪をかき上げる。指の隙間にタールがこびりつき、黒い糸を引きながら髪をセットしなおす。
御殿はその姿を見た途端、全身に言葉では表せない熱が走った。それと同時に脳裏に如月の言葉が駆け抜けた。晴湘市で起きた地獄絵図を鮮明に思い出したのだ。
『御殿! タールを被ったような黒い女が馬車に乗ってやってきたの! 首の無い女だった!』
――その言葉、忘れはしない――。
黒い女。
タールを被った黒い女。
首無き女。
それは馬車に乗り、魔軍を率いてやってきた。
そして今、その女が――ついに姿を現した!!
ババロアはタール滴る真新しいドレスで御殿を出迎えた。
「ふう……この姿になるのは晴湘市の時以来でしょうか」
周囲を覆う暗黒雲を見上げ、シャワーを浴びてスッキリした時のように振る舞う。
黒い女は頭に両手をそえると、ゆっくりと頭部をはずし、大事そうに胸元に抱えてこう言った。
「私はデュラハン。酔酔会、地獄の妖精――」
想夜が息を呑んだ。
「デュ、デュラハン……地獄の妖精。実在していたのね」
京極隊長の言っていたことは本当だったんだ――たじろぐ想夜の視線の先、地獄の妖精が姿を現した。
デュラハンを睨みつける御殿。
(わたしはずっと、この女を探していた……)
御殿の脳裏に燃え上がる晴湘市が現れ、己が果たすべき事を確信する――地獄の妖精デュラハン。コイツを生かしておくわけにはいかない。より多くの犠牲者を出さないためにも、ここで葬らなければならない。二度と人間界に戻ってこないよう、妖精の姿をした悪魔に引導を渡すのだ!
「ボクちゃん達、足並みそろえていらっしゃい!」
デュラハンが叫んだ瞬間、城内に着ぐるみが数百体。ウサギやライオンが綺麗に列を作り上げてはウジャウジャと押し寄せてきた!
「コーローセ! コーローセ!」
「ヤーツザキ! ヤーツザキ!」
ザッザッザ! 整った行進。各々がシンバルやドラムを叩いてリズムを奏でる。
「全体いいいい、止まれ!」
ピッ。
空気を切るようなはっきりとした笛の合図で群衆の足並みがピタリと決まった。
ライオンの着ぐるみが指揮をとり、高々と右腕を上げて吠えた。
「死刑えええい執行おおおおーう! 出発ううううう進行おおおおーう! かかれえええええ!」
ジャアアアアン……。
パンダがシンバルを叩いて死刑執行の合図。動物たちが一斉に想夜たちの方に向きを変えた。
狐姫が一歩前に踏み出した。手足を真っ赤に染めてマグマをスタンバイ。相手に触れた場所が爆破スイッチとなる狐姫仕様。触れればマグマの爆発からは免れられない。
「厄介なのが来たな。あいつらは俺が片付けるぜ……」
と、首をコキコキならしながら着ぐるみの群れへと進んでゆく。
「おおおおりゃああああ行くぜえええええ!」
城内中央まで到達すると突然走り出し、助走をつけて飛び蹴りをかます。
「調子にのってんじゃねーぞオラアアアアアアア!」
牙を剥き出し叫ぶマグマの申し子。先頭の一体に蹴りをブチ込むとマグマで着火、後ろに控えていた着ぐるみ集団がドミノ倒しに崩れながら燃えてゆく。
「どうだマグマの味は? もういっちょいくう~?」
クイックイッと手首を動かし挑発すると、着ぐるみ達が泣き叫んで走り回る。
「うわぁ~火事だあああ~」
「い~けないんだ~いけないんだ!」
「そんなことしたらババロア様に怒られちゃうんだからな! 殺されちゃうんだからな!」
狐姫のこめかみがピクリと動き、青筋が立った。
「うるせえええ! マグマの中では俺が法律だっつってんだろうがあああ!」
右の拳を手前で作り、腰を低くして構える。
「デッドエンドオオオオオ……」
床の上。ジワリ、またジワリと深紅の水飴が湧き出してくる。それを右腕にからめとり、ストレートの姿勢に入る。
「――フレイムダウン!」
ドオオオオオオオオン!
マグマをまとった狐が着ぐるみ達に突っ込み、トレーラーで跳ね飛ばすように一網打尽にする。瞬く間にあたり一面を火の海に変えた。
「なんだなんだ~!?」
「悪い狐がやってきたぞ~」
騒ぎを嗅ぎつけた着ぐるみ達があちらこちらの扉を蹴破って溢れ出してきては、狐姫めがけて刃物を突き立てた。
ザシュ! ザシュザシュ!
「痛ってーなコノヤロウ!」
串刺しにされる狐姫。サボテンに近い状態。
「御殿たのむ! 早くその首無し女を仕留めろ! ホワチャアア! ホワチャアアア!」
狐姫は怒りまかせのパンチを着ぐるみ達の顔面に叩きこみ、遠くへと弾き飛ばした。
(狐姫、耐えてちょうだい……)
横目でマグマの世界を見送る御殿。
まるで西部劇――頬を撫でる風の中、デュラハンと向かい合う。まとわりつくような生ぬるい風が御殿の頬をなぞる。かつては爽やかだった晴湘市の風も、地獄の妖精に取り上げられてしまった。それが悔しくて悔しくてたまらない。
(返してもらうわ。この街の風を――)
御殿が2丁の銃を抜き、素早く横に移動しながらババロアの顔面めがけて発砲した!
バババン!
黒きパレオを
幾重にも軌道を描く退魔弾が術式の螺旋をまき散らして一直線に飛んで行く。
「悪魔なら退魔弾が効くはず!」
デュラハンは片手で扇子を振りかぶり、狂ったように舞い踊り、御殿の弾幕を片っ端から払ってゆく。
キンキンキンキンキイィィィィン!
金属がはじかれる音とともに、御殿の殺意も払い落とされる。御殿の予想に反し、弾は当たらなかった。
「ぬるいです! ぬるいです温いですヌルいです! フェアリーフォースの小便のように、ぬるい
御殿は諦めることなくトリガーを引きまくった。
バンバンバン……!
幾度となく繰り返されるブローバック!
無数の薬莢が城内に落下し、いくつもの金属音を奏でる!
火薬の匂い、鼻孔をけたたましく刺激。
バンバン……!
あげく、弾切れ。トリガー沈黙。
御殿は姿勢を低く保ち、リロードしながら障害物から障害物へと移り、一気にデュラハンとの距離をつめてゆく。いくら戦場慣れしているとはいえ、相手は酔酔会。一筋縄ではいかない。
バンバンバン……!
「ノンノン! ダメダメダメダメ! 今までの威勢はどこへ消えた、無能な無能なエクソシストォ!」
デュラハンは切り離した首を胴体につなぎ直すと、空いた両手を使って扇子を捻った。
手元の扇子が黒いガムのようにグニャリと変形し鞭を作り上げる。
「そなた、手元がお留守!」
ビシッ。鞭をしならせ御殿の腕に素早く絡めた。
(早い!)
デュラハンは御殿を手前まで引き寄せると、骨がむき出しの手で御殿のネクタイを掴みんで顔を近づけた。
「少しは理解したか? これが……そなたの実力!」
ネクタイを掴んだ手を放し、御殿を乱暴に突き放した。
鞭で手首の自由を奪われ、後ろ足でもたれる御殿。体勢を崩しながら宙づりの姿勢でぶん投げられる!
「重いですね!」
デュラハンを中心に、御殿の体が分度器状の弧を描いて地面に叩きつけられた!
ドウッ! ガシャアアアアン!
パレスの床をまき散らし、肉を叩きつける音があたりに響く!
デュラハンは構うことなく鞭を握った手に力を入れ、ふたたび御殿の体を上空へ引き上げては床に叩きつける!
「このデブ!」
ドウッ! ガシャン!
立て続けに泥水を跳ね上げ、
「ブタ! メスブタ!」
ドウッ!
何度も、何度も。
「脂肪たっぷりバカ女! ラード女! コラーゲンデブ!」
ババロアの罵声が続くなか、突如リボンの妖精が空から降ってきた。
「デュラハン、覚悟!」
天空からワイズナーを持った想夜が落下してきては、ギロチンのようにババロアの首を後ろから斬り落とした!
スパッ……コロン……。
地面に転がるババロアの首。
「やったか!?」
一同の視線がデュラハンの頭部に集まるが期待むなしく、切断されたはずのそれがニヤリと笑った。
「やはり首は……自由に動いたほうが楽ですねえ」
ババロアの体が転がった頭を拾い上げ、大事そうに抱え込んだ。
「首を切断しても無駄。行きますよ! エーテルバランサー!」
バシッ。馬に鞭を入れると、声一つ上げない馬車馬が地面を蹴り上げ台車を引いた。
「フェアリーフォースの小便娘! 踊りなさい!」
今度は想夜近づき鞭をふるった。
パシッ。
「しまった! ……うぐ!」
首に
ギュウッと強く締め上げてくる鞭に首の血管を圧迫され、瞬く間に想夜の顔が紅潮してゆく。
デュラハンは想夜の首に鞭を巻き付けたまま、馬車を加速させた。
グイッ!
さらに首の皮膚に鞭が食い込み、小さな体ごと地面を引きずり回される。
(鞭が邪魔でうまく動けない!)
馬車で引きずられる途中でヨタヨタと足を絡めて転んでしまい、羽を使って飛翔を試みるも無駄に終わった。
「それでも飛びますか。無駄なことを。それ!」
ドオオン!
デュラハンは鞭を器用に動かして想夜の動きを封じ、ふたたび地面に叩きつける。
「はははははっ、どうしました? まだまだです、はい!」
鞭を入れ、馬車をさらに加速させる。デュラハンは乱暴な犬の散歩のように想夜を引きずり回した後、力任せに鞭を手前に引いた。
「ミンチになって、肥料になって、ボクちゃん達の空腹を満たしなさい!」
泥まみれの想夜の目の前に頑丈な柱が迫ってきた!
「ぶつかる!」
両腕で顔を庇う!
ドオオオオオオン……!
想夜の体が柱に激突した直後、車に衝突したかのような衝撃が全身に走り、砂煙をあげて城壁まで弾き飛ばされた。
(え? 何これ? あたし、全然、弱い……)
想夜が土煙を上げながら飛んで行く。
飛んで行く。
どこまでも、どこまでも。
酔酔会を前に現実を突き付けられるリボンの妖精。フェアリーフォースの名を背負った少女。想夜には無力という言葉がピタリと当てはまる。
「うっ……ぐう……」
想夜は城内中央で横たわり、ダメージが蓄積された体に力を入れて起き上がろうと必死。床に手をついて体を起こし、四つん這いになりながら頭をもたげると、目の前に影が近づいてきた。
想夜と目が合うとデュラハンが口を開いた。
「汚い目で見ることを許可した覚えはないぞ、フェアリーフォースの犬……」
一歩踏み出し、想夜の右手を踏みつけた。そうやってジワリジワリと全身の体重を片足にかけては少女の右手に圧をかけてくる。
ぎゅうううう。
「痛っ……たああ……」
グリグリグリ……。デュラハンが足の裏をリズミカルに動かし、想夜の手をすり潰してくる。
手の甲の肉が捻じり上がり、細い指が床にめり込んでゆく。
ベキベキベキ……。
床が割れ、想夜の手から蜘蛛の巣状にヒビを作った。
デュラハンが足に力を込める度、想夜の手に床の破片が突き刺さる。まるでガラスの破片を握らされているような激痛。その上から踏みつけられ、さらなる激痛を味わう。
「ぐ、うううう……」
「ははは、痛いか? 苦しいか?」
想夜は悲鳴にならない声を上げ、のたうち回りながら逃れようとした。
「見苦しいゴミ娘」
デュラハンは伸ばした手で想夜の首を捕らえ、城壁に向かってボールを叩きつけるように振りかぶった。
「そなたの苦痛は……たった今始まったばかり!」
ドオオオオオン!
壁に叩きつけられた想夜から微かなうめき声。壁に打ち付けられる瞬間、少しでもダメージを軽減させるために歯を食いしばって耐えるも、想像以上の痛みが蓄積し、
「愛のために、世界のために……そうやって、もっともらしい言葉を並べては正義を主張する――」
ドオオン!
ドオオオン!
右へ、左へ。デュラハンが想夜の体をぶん回してあちらこちらに叩きつける度に、いたる場所で城壁が崩れてゆく。
「愛、正義、世界平和――存在しているようで存在しないもの。それら免罪符を盾に世界に君臨し、のさばってきたのが……フェアリーフォース、そなた達――」
デュラハンが空いた手を想夜の顔に持っていき、頬を挟み込んだ。
「目を逸らすな。その目でしかと見よ。私の顔が見えるか?」
想夜の目の前に頬が削げた黒いガイコツが迫る。牙を突き出し、今にも食らいつこうと威圧的に迫ってくる。
「今そなたが見ているのは鏡――どうだ、醜いか? だが、これがそなた達の正体。フェアリーフォースとて、なんら我が姿と変わりはない。そなた達がやっていることは秩序のツラを被った暴挙――」
ズィ……。想夜に額をくっつけて囁いた。
「う、ぐぅ……っ」
首を締め上げられた想夜が眼球を白黒させ、上下左右へと忙しなく動かした。
「はははっ。そうかそうか、そんなに醜いか。だが……この醜さこそが真実。フェアリーフォースは幾度となく戦争を繰り返し、小石ほどの民に力を見せつけ、
監視される恐怖を覚えた群衆は時代が進んだ今も暗黙のもと、面白いように政府の手の上で転がされている。それはフェアリーフォースに所属する隊員も同類。その洗脳に異議を唱えた想夜は、危うくフェアリーフォースに消されるところだった。
想夜と同様、デュラハンも同じことに気づいていた。それもずっと昔に、である。
かと言って、デュラハンがこんなにもフェアリーフォースを嫌う理由は謎のまま。想夜の所属する組織は、地獄の妖精にさえ嫌われるほどの正義を持っているのか? ――真相は闇にある。
「あ、あたし達フェアリーフォースは……正義の……ため、人間界、の……た、め――」
正義のために。人間界のために――想夜は床に落ちたワイズナーに手が届かないと分かると、拳を握り締めて振り上げ、デュラハンに向けた。
「負けないんだから……負け、ないんだからね……!」
ポス……ポス……。
小さな拳がデュラハンの腕や肩に当たり、乾いた音を立てる。まるで優しい肩叩き。人間につかまった虫のように暴れては徐々に静かになってゆく。
「ふう……見苦しい、見苦しい、実に見苦しい。見るに堪えない――」
ため息交じりで首をゆっくりと左右させるデュラハン。エーテルバランサーのその無力さ故、だんだんとイラつきが増してゆく。今まで多くの妖精を虐げてきた組織がこんなにも弱く、みすぼらしいものだった事実に、ただただ愕然としてしまうのだ。「我々はこんな貧弱な組織の靴の裏を舐めさせられてきたのか。威張り腐っている政府がこんなにも呆気なくひれ伏すというのか。今まで我々が舐てきた辛酸は何だったというのか――」。それらがデュラハンの脳を支配し、心を虚無にしてゆく。虚しさを確信しては、己の価値までもフェアリーフォースのように落ちてゆく気がして虫唾が走るのだ。
「そなたも政府なら、戦士なら……」
怒り、ここに充ち溢れん――デュラハンは想夜の顔面を片手でつかむと高く持ち上げて言った。
「戦士なら、少しは強さというものを見せたらどうだ?
妖精達 の上に君臨するのなら……偉大なる誇りを見せたらどうだ!」
言い終えたデュラハンは白骨化した腕を怒り任せに、一気に振り下ろした!
ドオオオオオオオン!
「が、はっ……!」
床に隕石が落下したような地響きを上げ、想夜の体が地にめり込んだ。打ち付けられた背中から肺に衝撃が伝わり、細胞の奥底から滲み出してくる鉄分の混ざった液体が器官に入っては咳込む。
「げほっ、がほっ……うげぇ……」
うつ伏せのまま抑え込まれて身動き取れず。それでも想夜はデュラハンの足に指先を伸ばし、パシパシと掌を叩きつけるのだ――地獄の妖精を前に、何もできない弱者を演じて見せ、この上ないカッコ悪さを披露した。
パシッ……パシッ……。
どうあがいても、想夜の無意識の行動は無意味なものだった。
「薄汚い野良犬風情が、どこまでもどこまでも愚弄しおって! 威勢がいいのは最初だけか? 胸を張って持論を述べるのは上手くいっている時だけか? 誇り持てぬというのなら、今すぐここで己の首に刃を突き立てて消え失せろ!」
想夜を見下げるデュラハンはワイズナーを手にすると、想夜の顔の横に突き立てた。
「武器を握るくらいの力はあるだろう。己の刃で……最後を彩れ――」
突如、デュラハンの背中に一閃の太刀が入る。
「想夜ちゃんから離れろ!」
後ろから風を斬る矛先、デュラハンは身を捻ってかわすと振り向いた。
「割り込みはマナー違反だと教えてあげればよろしかったかしら? 出来損ないの
キン!
さらに飛んでくる太刀に向けて扇子を横に振りかざし、水角の刀を弾き返して突っぱねる。
水角は崩れた体勢を立て直して叫んだ。
「ハイヤースペック・ソニックウォーター!」
床に滑り込んでゆく水角。抜かぬんだ地面を伝ってデュラハンの背後に回り込み、一気に上昇して下からえぐるように刀を振り上げた!
「斬る!」
エメラルドブルーの刃をデュラハンの顎下に叩きつける!
「……ぬるい」
単調な攻撃に嫌気がさしたのだろう、デュラハンは面倒くさそうに水角の腕を掴んで引き寄せた。
「八卦
水角が深くかがみ込んで腕を横に振りかざした。
「ボクをその日の気分で作っておいて、蟲まで仕込んだクセに何言ってるんだよ! フェアリーテイル・ウォータ……」
ウォーターリーパーを発動させる矢先、
「フェアリーテイルか、無駄なことを」
デュラハンが扇子の先を水角の
ドス!
「ぐう!?」
鈍い音とともに水角は腹を抱え、その場にうずくまった。胃の中からこみ上げてくる
「オモチャにリモコンをつけなければ思うように動かないでしょう? 世の母親たちは子供の取扱説明書を欲している。子供が思うように動いてくれればどれほど楽か。それを願っている。けれども蟲は駆除され、そなたは思うように動かないガラクタに成り果ててしまった。せっかく八卦を手に入れたと思ったのに……」
水角の蟲は御殿の手によって駆除され、今では心も体も母と姉のもとへ帰っている。
一連の会話を聞いていた御殿。頭に血が上って見る見る鬼の形相。トリガーを引きながら足早に近づいてきた。
「デュラハン、その口を閉じなさい」
バンバンバンバン!
可愛い弟をゴミ扱い、過保護の姉なら誰しもカッとなる。
「リンさんの誘拐も失敗に終わって、さぞや悔しいでしょうね。ロナルドさんはその身を顧みず、お前たちを白日の下に引きずり出してくれた」
リンの父ロナルドは、自社の半身を差し出して酔酔会の存在を明らかにしてくれた。
「リンさんを狙ったのはどういう理由? 生死は問わないようだったけど? 答えなさい!」
バンバン……! カチャ。バンバンバン!
弾切れを起こすも素早くリロードしてデュラハンめがけてぶっ放す!
「ぬるいぬるいぬるい!」
キンキンキン!
デュラハンとは対照的に、頭を抱えて慌てる着ぐるみ達。
「うわぁ~退魔弾だあ~、あの弾に当たったら火傷するぞお~」
「波紋詠唱だあ~、逃げろお~」
弾道が作る波紋から詠唱が広がり、周囲の着ぐるみ達にダメージを与える。けれどもデュラハンは大きく扇子を振り乱してそれを払いのけた。
「ご周知とは思いますが私はエーテルポットの中身でフェアリーフォースを感染させ、オモチャの軍隊を率いて妖精界と人間界を地獄に変えることにしました。それがどういうわけか、シュベスタで藍鬼なる暴撃妖精が出てきたではありませんか。んまあ~、なんということでしょう! 恐ろしい子!」
ビシィ! ババロアの扇子の先が横たわる想夜を捕えた。
八卦はフェアリーフォースの隊員1000人に匹敵する強さ。藍鬼ともなれば、その桁が一つ増える――あのダフロマをもゴリ押しする力。理解は容易い。だが藍鬼化する前に阻止してしまえば何の問題もない。想夜はオモチャの兵隊に過ぎない。
(何故? 何故そんなにもフェアリーフォースに執着するの?)
想夜は生まれたばかりの小鹿のようにピクリ、またピクリと四肢を動かしながら立ち上がろうと懸命だった。
デュラハンは想夜に向かってチラリと視線を送った。
「ふん、しぶとい娘だ」
隙をついた水角が三度けしかけたが、デュラハンは振り向きざまに攻撃を受け止めた。エメラルドの矛先を指でつまむと、水角の体ごと宙に持ち上げる。
「指2本でボクの体を!? なんてパワーなんだ!」
驚愕も束の間、フワリと浮いた水角が城の外壁に叩きつけられた。
ガッ!
「うぐっ!?」
壁で大きくバウンドして崩れる水角。それをクソでも見るようにデュラハンが視線を送る。
「水の八卦といえど所詮は生まれたばかりの赤子……知能、戦力、すべてにおいて非常に……ヌルい――」
御殿が腰から空泉地星を引き抜き、デュラハンの背中に叩きつけた!
ギロリ、デュラハンが眼光を放つ――振り向きざまに日傘を横にし、空泉地星と十字に交わるように押し引きを始めた。
「警棒型の木刀、術が刻まれているな。私に向ける豆鉄砲が無意味だと、ようやく理解したかエクソシスト――」
御殿、デュラハン――互いが睨み合うように顔を近づけた。
御殿は地獄の妖精を前にし、彩乃からの伝言を突きつけた。
「リンさんの事もそう――。八卦の体からセルメモリーを抜き取り、それを他の媒体に移植するのが狙いね?」
それを耳にしたデュラハンがニヤリと笑った。
「素晴らしい、ご名答。データの結合。バラバラに散った八卦のデータを一つにまとめ上げることで、ディルファーの力をこの手に握ることができるのです。臓器移植、並びにDNAストレージ研究は私の専門分野ですから」
今の言葉でもう一つ謎が解決する。
デュラハンは一度、御殿を引き取るために晴湘市を訪れ、源次に拒絶されたあげくに引き返した。逆ハーメルン事件。そのわずか一年後、デュラハンは再び晴湘市に足を運んだ。
1年の間でひとつだけ変わったことがあった。
御殿の身の毛がよだつ。
「たった一年で、八卦のセルメモリーを引き出せる技術を生み出したというのね?」
「ウィ。ミネルヴァ重工は脳と肉体があれば戦士の開発が可能となりました。政府を乗っ取る際、八卦を利用しない手はございませんもの。地獄を構築する役回り、うまく立ち回らねば私が叱られてしまいますわ」
「叱られる? ……誰に?」
訝し気に首を傾げる御殿に、デュラハンが答えた。
「企業秘密……と言いたいところですが、そなたには地獄への土産として、特別に教えて差し上げましょう――」
睨みつける御殿に向けて、ババロアが口を開いた。
「我ら酔酔会は、私を含めて5人の貴婦人で成り立っております。何故そなたに会員の人数を打ち明けたと思います?」
チラリ。デュラハンがいたずらっぽい視線を御殿に向けた。
「そなたは私のものにならなかった。故に、後悔してもらいたいのです。そなたの目の前で人間界を地獄に変えてゆく。その時にそなたが抱く無念の表情を思うだけで、私は……私はもう! ……エクスタシーを感じてしまうわけです」
デュラハンはたまらず、吐息を漏らしながら両太腿の間に手を這わせた。
黙って聞く御殿にデュラハンは続ける。
「例えば、世界が平和になり、戦争がなくなったとしましょう。全世界で祝杯を挙げた途端、天から神が降りてきてこう言うのです。『戦争しなきゃノンノン! 戦争するのが人間! 反論するのなら、あなた達の愛する人に地獄の苦痛を与えます』と。そのときの人類の顔を想像してごらんなさい……人間たちの呆けた顔、極上のスパイスだとは思いませんか? もっとも、私に言わせれば4コマ劇場を見せられているようなものですけれども……笑いが止まりません、ホホ、ホホホホホ――」
はぁ……。その後は買ってもらったばかりのオモチャに飽きたかのように、深くため息をついた。
「所詮、人間はモルモット。人間界は牧場。人間は搾取されるためにある。でもどうせ搾取されるだけなら、死ぬ前にたっぷりと苦痛を見たいじゃありませんか」
なぜそんなにも世界の苦痛を求めるの? ――立ち上がる想夜は疑問に思った。人々の苦痛がデュラハンの原動力ならば、エンジンを鎮める因子はなんだというの?
ワイズナーを握り締め、想夜は静かに立ち上がった。
いっぽうで御殿の目がだんだんと憎しみを抱くよう、鋭いものへと変化してゆく。
デュラハンは御殿の表情を指摘しながら歓喜に震えた。
「そうそれ、その感情! それこそが私たちの栄養源! ビタミン! もっと! もっと私にビタミンをちょうだい!」
ねっとりとした
「動物! 御殿さん、そなたは動物が涙を流すのを見たことありますか? 植物が泣き叫ぶ声を聞いたことがありますか? 是非是非、そなたにも聞かせて差し上げたい。見てみたいと思いませんか? 聞きたいと思いませんか? 多くの悲鳴を、多くの苦痛を――」
悪魔からの質問に、何と答える?
『はい、そう思います』
『いいえ、貴方はクズです』
――選ぶ答えによって、そいつが人間か悪魔かなんて決まらない。善も悪も表裏一体だが、その正体は常に暫定的。決まった存在ではなく、見る者によってグミのように変化する。
されど善と悪。それらを天秤に掲げた時、たった一つだけ特別な重力が働いて傾く――それが己に眠りし
御殿はこれから、その答えと向かい合う。
ボクちゃん
狐姫が息を切らしている。マグマの拳で着ぐるみを片付けても、再び地面に散らばった泥から溢れ出してくるからキリがない。
「クッソ~、カッコつけて『あいつらは俺が片付けるぜ……キリッ』とか言っちったじゃん俺」
後悔するも遅く、足元の黒泥が蛇のように足首まで上ってきてはグニャリと手の形に変わってまとわりついてきた。
「をわ? やべえ捕まった!」
黒泥が狐姫の全身を覆い、あれよあれよという間に捕獲する。
「狐姫!」
御殿が空泉地星を振り回して走り出す。着ぐるみの腹に蹴りを入れて空星地泉で殴り飛ばす。
グチャッ。
着ぐるみが音を立てて崩れ、黒い液体に変化する。が、床から染み出してきたヘドロが人型に変形し、再び着ぐるみを再生させた。後から後から湧いてくる着ぐるみの群れ。この地一帯にぶちまけられた黒泥はデュラハンの意思で好きなように造り変えることができる。
「細胞分裂のように増殖しているわね……」
御殿は仕方なく、狐姫にまとわりつく液体の中に手を突っ込み、道着を掴んだ。
頭を抱えてしゃがみ込んだ狐姫が御殿に叫ぶ!
「バカ御殿、無茶す……え? 何すん!?」
御殿は狐姫の道着を乱暴に引っ張って液体から引きずり出すと、体ごと壁の近くまでブン投げた。
(狐姫を少しでも安全な場所へ――)
「をわ!?」
宙を舞う狐姫が遠くの壁に叩きつけられた。
敵陣から距離をとった狐姫を見てホッとする御殿。それも束の間、まさにその真横から馬車が突っ込んできた!
ドッ!
「ぐ!?」
馬車に跳ねられた御殿の体が宙を舞い、落下、そして地面に激突。
(ぬかった!)
痛みをこらえながら体を転がして物陰に身をひそめる。素早い馬車の動きについてゆけず、逃げるのに必死だった。
「これが、地獄の妖精の力……」
落下時に受けた肩の打撲が酷い。肩を手で抑えながら石柱に背中を預け、溢れ出てくる着ぐるみ達に見つからぬようにやり過ごす。見上げれば巨大なトロルの着ぐるみまでうろついていた。
「賑やかね。質の悪い遊園地にいるみたい」
やれやれ、と落胆する。
ウサギ、ライオン、パンダ――キョロキョロと周囲を見渡す着ぐるみ達。御殿を見つけると、徒党を組んで近づいてきた。
「あそこで寝ている悪い子、だぁ~ぁれ♪」
「暴力エクソシストー♪」
「暴力振るう子、悪い子ー♪」
「「「「「「悪い子ー!」」」」」
着ぐるみ達が声をそろえて御殿を指さす。
「ババロア様ああぁ、こっちこっちぃ~、ポテチスコッチパパラッチ♪」
「ボクちゃん達どうしたの? 悪い子見つけてくれたの?」――馬車の上のデュラハンが脇に抱えてた首を後ろに向けた。
デュラハンの視線が御殿を捕らえ、ニヤリと笑う。
「
手綱を思い切り引いて馬車の向きを変えてUターン。ものすごい速度で走ってきた!
「見つかったか……」
御殿は体を引きすってそこから遠ざかろうとしたが、馬車が容赦なく石柱に突っ込んできたことで簡単に吹き飛ばされてしまった。
着ぐるみ達が御殿に近づいてくる。
「あのお姉さん死んじゃった?」
「し~! 静かに……まだ息が聞こえてくるよ」
「じゃあ……こうだあああ!」
ドッ! ドカ! ガッ!
グルリと御殿を囲むと、四方八方から代わる代わる殴りつけ、蹴りつけ、御殿をなぶり続けた。
御殿はなけなしの力を振り絞って立ち上がると、着ぐるみ達の腕を脇に挟んで巨体を固定し、掌を叩きつけて遠くへ弾き飛ばす。
ドッ!
くの字に折れた着ぐるみが一直線に吹き飛ぶ!
「うわああああ、あのお姉さんまた乱暴するううう!」
人をボコボコにしておきながら何言ってんの? ――たじろぐ着ぐるみ達にウンザリ目を向けた御殿が髪を整えた。
「ふふ、
冗談交じりで挑発し、着ぐるみ達を1体2体と片付けてゆく――が、そんなことを繰り返すにも限界がある。瀕死の状態で着ぐるみ100体をさばくのは至難の業。
「悪い子にはおしおきぃ~、ターックル♪」
ドッ!
「うっ!?」
3体目から体当たりを食らい、呆気なく力尽きてしまう。
御殿はひとり、その場に崩れた。想夜とも距離が出来てしまい、もはや打つ手なしだった。
朱鷺の一閃
やっとのことで立ち上がった想夜が足を引きずりながら歩いてくる。手足を擦り剥き、皮膚がえぐれて皮下組織が目立つ。
「御、殿、センパ、イ……」
羽は使える。あと数回ピクシーブースターを使ったらそれで終わり。もう、飛べない。
「御殿……センパ……ィ」
切れた額から血が流れ、左瞼を覆う。左の視界が真っ赤に染まり、いま置かれている状況を色で示す。
足を引きずりながら御殿へと向かう想夜のすぐ後ろ、巨大な影がヌゥッと現れた。
「悪い子ぉ~、見ぃ~いつけた!」
想夜が見上げると、そこには全長5メートルほどもあるトロルの着ぐるみ。
(しまった!)
慌てる想夜。猟師に見つかった小動物のよう懸命に逃げるも呆気なく捕まり、指2本で持ち上げられてしまう。
「は、放して!」
片足だけつままれ宙づり状態。ポニーテールがブラリと垂れ下がり、干物のように吊るされた。
そこへデュラハンの声がこだまする。
「ホホホ……、ボクちゃん? そんな
デュラハンが甲高い笑い声を上げ、真顔になる。想夜は無価値なエーテルバランサー。手をかける価値もない。声の主の眼中にすら入っていない。
「おなかピーピーするの?」
シュンとうなだれるトロルの着ぐるみ。つまんだ想夜を空き缶のようにポイッと投げ捨てた。
ドンッ……ドン、ドン……。
コロコロとバウンドしながらゴミとして扱われる想夜。床の上で視界が回る分だけ己の無力さを呪う。それでも床に手をつき上半身だけ起こした。
ビシッ。デュラハンが馬車馬に鞭を入れる。
想夜を無視して馬車は風を切って行く。
「ま、待って……!」
デュラハンに手を伸ばす。届かない手を伸ばす。けれども想夜の目の前を馬車は通り過ぎてゆくのだ。発車した電車においてきぼりを食らったように、ひとりポツンと残される。
馬車は御殿に向かって一直線に突っ込んでゆく。
「これで終わりにしましょう、八卦No.01」
万事休すと思いきや、御殿と馬車の間に朱鷺が立ちはだかった。
「ちっ、この位置からだと絶念刀は入らないか……」
朱鷺は舌打ちして低く身構え、脇に差した絶念刀に手を添えた。その身を投げうったとしても、攻撃を入れるのは難しかった。
「バラバラにされる前に、
馬車に跳ねられるのを覚悟して絶念刀を引き抜こうとした。
そんな時だった――。
突如、御者席に小さな影が現れ、デュラハンの目を手で覆ったのだ!
デュラハンの後ろに立つ少女、ブラウンヘアの猫耳をなびかせながら叫ぶ。
「朱鷺さん、私、鈍臭いから、こんなことしかできないけれど……!」
ステルスで透明化していた春夏が、いつの間にか馬車に乗り込んでいたのだ。
「春夏、どうしてここに!? 大浜市に戻ったのではなかったのか!?」
朱鷺は瞬時に察した。
「そうか、ステルスを使ってずっと拙者たちの後をつけてきたのか!」
そうこうしている間にも馬車は猛スピードで朱鷺めがけて突っ込んでくる!
朱鷺がシトラススティックをペッと吐き捨て、想夜に向けて横目で合図を送った。
「おいリボン……」
「ふぇ!?」
「春夏を……頼む――」
「りょ、了解ちゃんっ」
視線の意味を察した想夜が大きく頷いた。
朱鷺は絶念刀に手をかけ、低く屈んで呼吸を整える。
「見えない! 何も見えない!」
春夏の手を振りほどこうとするデュラハンだったが、手綱の操作を誤ってしまう。
グラリ――。
馬車が大きく傾いた時だ。
(もらった!)
朱鷺はチャンスとばかりに絶念刀を引き抜き、両手で柄を握りしめ、ありったけの力を込めて横一文字にフルスイング!
「冗談はテメエの
スパアアアアン!
絶念刀が下からえぐるように、馬車馬、荷台、車輪をナナメ真っ二つに斬り裂いた。
ズガガガガガガ……ガッ……。
片方の車輪を失った馬車がクラッシュし、斜めに傾いて地面に激突! カボチャの荷台が着ぐるみ達に向かって押し寄せる!
「うわあああ、こっちに来るううう!」
「引かれちゃうよ、死んじゃうよおおお!」
「人身事故発生! 人身事故発生!」
黒いカボチャが慌てふためく着ぐるみ達を巻き込み、ボーリングのピンのよう一気に弾き飛ばした。
馬車が崩壊する瞬間、そこからデュラハンが飛び出し監視塔の上に着地した。
「まだ飛べる!」
ボシュウ!
想夜はピクシーブースターを使って飛翔。馬車から投げ出された春夏の体を空中で見事にキャッチすると、安全な場所に避難させた。
ボロボロになった馬車。
廃車確定。
敗者確定、なるか?
デュラハンが眉間にシワをよせてながら扇子で口元を隠し、睨みつけるように見下ろしてくる。
「叢雲朱鷺……よくも、よくもよくもよくもです!」
「車両保険には入っとくもんだぜ? わき見運転はいけねえよ? ……なあ? クソババア」
朱鷺は乱れ髪のまま絶念刀を横に構え、上目でデュラハンを睨みつけた。
「ここに来る途中、この地に縛られた人々の魂は絶念刀で切り離しておいたぜ? もうテメエの中にあるエーテルの貯蓄も残り少ねえだろう? ざまぁねえな、地獄の妖精さんよお?」
絶念刀を手前で掲げ、矛先をデュラハンに向けた。
「この刀の光が照らす未来が見えるか? テメエらがバラバラに刻んだ我が妹の残した力――これが、夢の残してくれた八卦の力だ」
デュラハンが考える素振りを見せる。
「夢? 夢、夢……ああ、
黒いドレスの裾に手を突っ込んで動物の目玉らしきものを取り出し、朱鷺に見せた。
「な!?」
目玉を前に驚愕する朱鷺。
「可愛い娘でしたよ? こんな姿になるまで兄思いなのですねえ……キャッチボールをしましょうね。受け取りなさい」
手にした目玉を朱鷺の手前に放り投げた。
「貴様!」
落下してきた目玉へと飛びつく朱鷺。その肩へデュラハンの投げた日傘が突き刺さる!
ドス!
「ぐっがあ!」
鈍い音を立てて、傘先が肉にめり込む!
朱鷺のキャッチしそこねた目玉が地面に転がっていった。
デュラハンが監視塔から降りてくる。朱鷺の目の前に立つと、転がる目玉を踏みつけ、それをグシャリと潰した。
「ざああああんねええええん! これは拷問にかけた神威人村の住人から抉り出した目。口を割らないから痛い目にあうのです。無論、そなたの妹になど興味はございません。どこの誰かも興味ございません。バラバラになった臓器に名札がついているわけではございませんですものねええええ!」
朱鷺に吐き捨てるように言う。
怒りに満ち溢れる朱鷺。
「卑劣極まりない……ここで、斬り捨てる!」
ヨロヨロと立ち上がる朱鷺の首にデュラハンの手が伸び、乱暴に床の上へと仰向けに叩きつけた。
「貴様、何を……!?」
「ここに来るまでに、その刀でオイタしたのでしょう? 私から晴湘市の魂を切り離した罰です。ここでそなたの臓物を…………晒せ――」
デュラハンは冷たい眼差しを朱鷺の腹部へと落とし、そこに白骨化した掌を静かに当てた。
想夜が叫ぶ!
「いけない! あの構えは……!」
かつてシュベスタ戦で御殿が食らった攻撃。メイヴのそれとは桁違いの、遥かに大きく、飛び切り強烈な――
「やべえ……ブラスターだ! 強烈なヤツがくるぞ!!」
狐姫が叫んだ瞬間、
ドオオオオオオオオオオオオオオンッ!
遊園地のコースターのような急速落下の感覚。その後、直下型巨大地震でも起きたように街一帯がグラリと揺れた。
朱鷺を中心にアスファルトがベコリとへこみ、城内に巨大なクレーターを作りあげる!
「がっはあ……!!」
朱鷺の体に突き抜ける激痛は人間には到底耐えられない苦痛。胃袋を直に殴られて破壊される激痛、それに加えて肺が空気でいっぱいに満たされ破裂する時の激痛――それらの感覚を味わい、無事で済んだ人間はいないだろう。
朱鷺の全身の血液が頭に上り、吐き気を覚えた後に意識が遠のいてゆく。
メイヴの比じゃないブラスター。まともに受けた者に命などあるのだろうか?
懐に抱えた頭部を大事そうに撫でるデュラハン。目の前で突っ伏して苦しむ朱鷺に向け、汚物を見るような視線を落とした。
「あらあら、ご無理はならさぬように。その状態では臓器はおろか、骨までグチャグチャでしょう? ……とはいえ、八卦の力は欲しいですから、残った臓器と脳だけ回収しましょう……ね!」
ドッ。デュラハンが朱鷺の腹を思い切り踏みつけた。
「ぐっ……がはっ」
朱鷺は口から大量の血を吐き出し、その後、指先さえピクリとも動かなかった。
遠のく――。
遠のいてゆく――。
意識、そこで途絶える――。
それでも朱鷺は絶念刀を握りしめ、侍であることを辞めなかった。
(ゆ、夢……すまねえ。拙者の役目は……ここまでだ。 ……リボン、あとは頼む、ぜ――)
酔酔会が笑みをこぼす足元、朱鷺は静かに瞼を閉じた。
デュラハンは無残に横たわる想夜たちを見渡すと、こう呟いた。
「人間界はもうすぐ地獄に変わる。そなた達の絶望は、ここを拠点に始まるのです――」
あたしのはじめてを、あなたに――
地獄の妖精デュラハン――その桁違いの強さは、誰にも止める事ができなかった。
着ぐるみが想夜たちを取り囲み、牙を突き立てる。
デュラハンが横たわる御殿に近づき、静かに言った。
「悔しいですか? 悔しいでしょう、そうでしょうそうでしょう!」
「う……ぐぅ……っ」
歯を食いしばる。殺してやりたいほどの感情を抱きながらも、何もできずに倒れている。ただ歯を食いしばって、怒りまかせに目玉を充血させるだけ。悔しくって悔しくって、それでも何もできないことが御殿自身を痛めつけ、そうやって無力のドン底まで堕ちてゆく。
こいつをブチのめしてやりたい――生きてゆく過程で、一度は誰もが抱くその感情。心の中で、腹の奥底で、煮えたぎり、焼きただれ、殺意へと変わってゆく。御殿はその感情を持ちながらも、這いつくばっては
デュラハンはうつ伏せ状態の御殿の肩に日傘を突き立て、それをグリグリと捻じり込んでゆく。
「こんなことをされても、そなたは…………何もできない」
傘を握る手に一層の力を込めた。
ブスリ。傘先が御殿の三角筋を貫通し、肩甲骨をかすめながら体内へと侵入してゆく。
「無力! 無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力無力!!」
グリグリグリグリグリグリグリグリグリ!!
「うっぐう……っ」
痛みに耐える御殿。
ジャケットの上から御殿の肩肉を抉り出すように、何度も何度も何度も、デュラハンは傘を動かし苦痛を与えてくる。
やがて手を休める。
「エーテルバランサー、そんなところでおネンネかしら?」
足元に横たわる想夜へと手を伸ばし、髪を掴んで軽々と持ち上げる。
「見なさい八卦NO.01。この娘がこんな目にあっても……そなたは何もできない」
デュラハンは想夜の目玉に傘を突き立てると、
「御殿、セン、パ、ィ……」
「やめて……やめ――」
御殿の声虚しく、想夜の顔面を一気に貫いた!
グチャ!
「想夜……っ」
御殿はたまらず瞼を閉じ、顔をそむけた。
肉の塊を地面に軽く叩きつけたような音――肉片が飛び散る音が周囲に響く。
想夜の眼球が落下したのか?
否、傘で目玉を突かれる瞬間、想夜はデュラハンの手首に噛みつき、ピクシーブースターでその右肘から先を斬り落としたのだ。
デュラハンは地面に落ちた自分の腕を呆然と眺めている。
「私の腕が……私の腕があああああ!」
慌てる素振りをするも、その後はケロッとしていた。大袈裟な悲鳴のあと、左手で落ちた腕を拾い、接着剤でくっつけるように腕を治した。
「……なーんてね。首同様、腕もこの通り、元戻り」
『治す』というより『直す』といったところか。そこには生物の仕組みが一切感じられなかった。
けれども想夜は走り出す。想像を超えた悪魔に背を向け、一目散に走り出す。
「センパイ! 御殿センパイ!」
バシャバシャバシャ!
想夜は泥んこまみれの薄汚い犬のように、ヨタヨタとおぼつかない手足で泥水を撥ね上げ、地面を蹴飛ばしながら這ってゆく。涙いっぱいの理由は恐怖から逃れた安心感などではなく、目の前の愛しい人へ捧げる求愛。
あなたの元までたどり着きたい――その強い想い。愛しい人を想うだけで、人は悲しくなくとも、理由なくとも涙する。
「御殿センパイ! う、ぐっ……、御殿センパイ!」
ローファーを脱ぎ捨て、走り続ける。
想夜は両手で力いっぱいに御殿の身を起こし、小さな胸に抱え込んだ。
「御殿センパイ、こんなに酷い目にあって……こんなに泥んこになっちゃって……」
御殿の乱れた前髪を指でそっとどけると、そこには御殿の瞳――想夜は甘いおやつにありつけたかのように、笑顔で真っすぐにそれを見つめた。
「御殿センパイ……」
想夜は力なく、ニコリと笑った。
なぜ笑顔?
なぜ笑える?
まだ13歳だけど、
まだ何も知らないけれど、
不器用ながらも、それでも魂すべてを以ってして表現し、伝えなければならない。そう思うのだ。
13歳の女の子――小さくても、未熟でも、そこには揺ぎ無き覚悟があった。
「あたしのはじめて……御殿センパイに、あげたいの」
御殿が重い瞼を開けて想夜の瞳をとらえた。
「……想夜、なにを、考えているの?」
想夜が腕に力を入れ、御殿の体をギュッとする。
これから殺されるというのにも関わらず、想夜は落ち着いていた。たとえこの戦の先が闇だとしても、それを光で照らす自信に満ち溢れていた。
想夜は鼻をすすり、涙いっぱいになった瞳で告げた。
「受け取ってください……あたしの、はじめてを――」
「想夜……」
せっかくエーテルバランサーとしての役割を手に入れたというのに、想夜は再び重大なペナルティを犯そうとしている――御殿にはそれが分かった。そこに一瞬の罪悪感。されど、罪に加担する覚悟を持たなければならない。覚悟を受け取らなければ乗り越えられない場所にいる。
想夜は御殿の右手を握りしめ、自分の胸に持っていった。
偉大なる誇りを見せたくて――想夜は腹をくくったのだ。
――御殿センパイ。あたし、ずっとセンパイと一つになりたかった――それを簡単に口にできるほど想夜は強くない。死と直面した今でさえ、告白ができないでいる女の子。けれども……けれども……、今は、今だけは、御殿の体に回した手を離したくはなかった。
(神様……、あたしに勇気をください――)
それが想夜の精一杯だ。
「あたしね、シュベスタから脱出した時、狐姫ちゃんがうらやましいと感じたの」
「狐姫が? ……どうして?」
首を傾げる御殿に向けて、躊躇うように身をよじる。
「だって狐姫ちゃんは、いつも御殿センパイのそばにいられるんだもん。あたしだって、御殿センパイのこと、もっと、色々、知りたいの。もっと、もっと、見て欲しいの。心の中にあるあったかいのを処理しきれなくて、いっぱいいっぱい、言葉が溢れてきちゃうの――」
すがるように想夜が言った。
ためらう御殿。だが、答えは出ている。
「OK。この戦いが終わったら、聞かせてちょうだい。想夜のことを、もっと、もっと――」
これは死亡フラグなどではない。地獄の妖精に引導を渡すための……序曲だ!
「御殿センパイ……」
想夜は御殿にそっと身を預けた。
御殿はゆっくり身を起こすと、折れてしまいそうなほどに細い腰へと手をまわし、リボンの妖精を引き寄せた。
「――いくわよ、想夜」
「はい……」
怖い気持ちを振り払い、想夜の瞳に力が入る。
死にぞこない2人が描く光景をデュラハンがつまらなさそうに見ていた。
「ふん、汚らわしい。ボクちゃん、早くあの2人を食い殺しなさい――」
パチンと指をはじくと、巨大トロルに支持を出した。
「いいの? 食っていいのババロア様あ? おなかピーピーしない?」
「脳はピーピーするから食いちぎって吐き出しなさい」
「うん分かった。ほれじゃ、いただきまーしゅ!」
トロルが引っ手繰るように御殿と想夜を片手で握り、大口を開けて丸飲みにした。
「うまっ……ふまっ……」
口いっぱいにほおばるトロル。リボンの妖精と暴力エクソシストを平らげご満悦。
「ふん、たわいもない。エクソシスト、復讐実らず、といったところか……」
デュラハンは吐き捨てるように毒づいた。
「その悔しさ、その苦しさ、我が甘美成り――」
デュラハンは扇子をピシャリと閉じ、暗黒雲を仰いだ。
◇
御殿と想夜。トロルの腹の中、胃液で衣服が溶け出し、互いの肌が徐々に露わになってゆく。肉が解けだすのも時間の問題だ。
死が近づく場所、半裸の2人が見つめ合う。
「あたし達、食べられちゃいましたね?」
御殿に抱かれた想夜が健気にほほ笑む。胃酸で肌がビリビリと刺激を受けている。
御殿は額を近づけ、笑顔で返す。
「怖い?」
想夜が首を振った。
「ううん。死ぬのは怖くないです。ただ――」
想夜は俯き、相手への愛しい想いが溢れ出して消えてしまわぬよう、おまじないをするように、胸元でそっと握り締めた拳に力を入れる。
「ただ、死ぬ恐怖よりも……あなたと1つになることのほうが……ずっと、ずっと――」
潤んだ瞳で真っ直ぐ見つめ、こう言った。
「死んじゃうくらい、嬉しくて、怖いんです――」
恐怖が嬉しいだなんて、そんな矛盾がこの世にはある。
御殿は瞳に力を宿し、詠唱とともに手を横に振りかざした。
「アロウサル……ハイヤースペック・レゾナンス――」
御殿は胸元に寄り添うリボンの妖精へ向けて手刀を突き刺した。
「ひっ……」
ピクリッ。指先が胸に触れた瞬間、想夜は体を震わせる。
「少し痛いかもしれないけれど、ゆっくり入れるから……」
「だ、大丈夫……です。御殿センパイのなら、あたし……頑張れる――」
優しい眼差しで諭すように言う御殿の胸の中、想夜は喘ぐように瞳を潤ませた。
「痛かったら、言ってちょうだい……」
その小さな胸のなかへ、八卦の手刀がゆっくり、ゆっくりと入ってゆく……。
「い、いたっ、痛いっ! うっ、ぐうっ……お、お母さっん……っ」
想夜は唇を噛み締めながら、痛みに耐えている。
「痛い? 少し休む?」
「だ、大丈夫……です……続けて、ください……」
「ゆっくり入れるわね……」
「は、いぃ……」
御殿はゆっくりと手刀をすべらせてゆく。
「う、くうっ……ぜ、全部、入り、ました……か?」
恐る恐る片目を開けて様子を伺う想夜。
「半分、くらい……」
それに答える御殿。想夜の様子をチラリチラリと伺いながら、相手に負担がかからぬよう動きの強弱を調整する。
「痛っ……! きつ、いぃ……」
想夜の体が手刀を拒絶しているようだ。御殿はそれを少しずつ少しずつ、力を入れながら押し込んでゆく。
「もう少し……」
「ま、まだ半分……です、か……痛っ」
息を止めたり、ゆっくり吐き出したり。痛みに耐えるための工夫をしながらも、好きな人と繋がることの至福を味わう。
「OK、想夜。力を抜いて……もう少しで……全部、入るから――」
「は、いぃ……」
噛み締め、なかば絞り出すように返事をする想夜。懸命に痛みに堪える13歳の少女。その胸の奥には、この先に進むための覚悟がある。
「う、キツい……。もうちょっと……お願い、怖くないから、力を抜いて……わたしを受け入れて、想夜――」
「センッパイ……御殿、センパイ……ひとつに、一緒に……なり、たいぃ」
喘ぐよう御殿にすがりつき、瞳いっぱいに涙を浮かべるリボンの妖精。
想夜の小さな胸の中へ、御殿の手刀がスルリと入った時だった――。
視界が眩い光に包まれ、御殿の耳元に囁く声が聞こえた。
初めて耳にするような、それでいて、いつかどこかで聞いたことがあるような声だった――。
ねえ御殿、この声が聞こえる?
すべての者に心を閉ざしていた貴方と、こうしてお話するのはいつ以来?
わたし達はこの日がくることを、ずっと楽しみにしていたの。
これは遠く離れた友人に向けて書く手紙などではなく、今、貴方に贈る言葉。
貴方だけに伝える、とっておきの言葉。
自分が男の子か、それとも女の子か。とても困惑したこともあったみたいだけれど……心配しないで。もうじき答えにたどり着くから。
それより……まずは拍手。
これまで、いろんな人たちに出逢ってきたね。上出来、上出来。
――そこには一人の拍手のようであり、大勢のような拍手喝采の音。
時に笑い、時に喧嘩したりして、そうやって、幾度となく紡いできた貴方の時間たち――そこには何が見えるのかしら?
来た道を振り返り、築いた足跡を目で追ってゆけば、そこに見えるのはまだ小さかった頃の貴方。
晴湘市の出来事はつらかったでしょう。けど、後ろ向きにはならないで。
それらすべての出来事は、今、この時のために用意された必要な出来事。
一方的に扉を閉ざしてしまうなんて、あまりみんなを悲しませないの。
皆、貴方と繋がりたがっている。
その役割として、わたし達は力を持った肉体を貴方に授け、その道を歩ませた。それは貴方自身が生まれる前に決めたことであり、それを許可したのはわたし達。
わたし達はそれが素敵な考えだと感じて許可した。それが魅力的な考えだから許可した。
これから先、幾度となくわたし達は貴方とコンタクトをとることになる。
耳を研ぎ澄まし、わたし達を受け入れてみて。
本気の時間を奏でるの。準備はいい?
……さて、はじめましょうか。
地獄の妖精に引導を渡すのでしょう?
『沢』に生まれし八卦。
大丈夫。あなたはもう一人じゃないでしょう?
……不安?
大丈夫、最後まで見ているから。
ちゃんとついているから。
御殿。わたし達の愛しき、魂の欠片よ――。
妖精――示せよ、その胸に宿る魂の向かう行先を。
八卦――放てよ、沢で迷子になりし、その力を――。
「わたしは咲羅真御殿。八卦No.01。『沢』司りし、ハイブリッドハイヤースペクター」
想夜とふたり、
目の前にいる存在を葬りて、未来の道は開かれん――。
◆
黒泥にまみれた城内。
「ゲエエエエエップ……」
満腹感で感無量のトロルがニヤ付きながら、炭酸飲料を飲み干した時のような激しいゲップを続けた。
「ゲエエエエエエエップ……、 ババロア様ぁゴメンナサイ、アイツらの脳まで食べちゃった。オデ、もうお腹いっぱいだあ」
巨大トロルの腹の中、想夜と御殿の動きが完全に止まった――。