4 波を読む


暴魔の男、アゲイン


 久しぶりのほわいとはうす。

 御殿が玄関のドアを開けようとするが、突然、その手がピタリと止まる。
「――狐姫」
 御殿が目配せをすると、狐姫がそれに対してコクリとうなずく。

(部屋の中に……誰かいる!)

 人の気配を感じる。
 物音が聞こえる。

 黒い影――骨格のまわりを引き締まった筋肉でコーティングした長身の男。無駄な筋肉ではなく、日々の生活習慣においてつけたほどのものであり、トレーニングによってつけられたものではない。とはいえ、アヤシイことには変わりは無い。長時間、頭にまいたタオルを外した時のように乱れた髪は寝癖のようにグシャグシャで、ヘアスタイルには無頓着な人物である。オシャレにはほど遠い、ブルーカラー系の男性に多いタイプといえよう。

 想夜は背中のワイズナーに手をかけていた。
 日帰り手術。想夜の右手がぎこちない。以前ほどの力は発揮できるのだろうか? 獄中生活でなまった体ではあるものの、その戦力に期待するとしよう。

 御殿はゆっくりドアを開け、トラップが無いことを確認。隙間から室内を覗き込み、気配を殺して侵入した。

 御殿のサインで狐姫も後に続く。
 御殿がリビングを覗くと、黒い影が行ったり来たり。
(やばいぜ御殿、暴魔臭がする!)
 ヒソヒソ声の狐姫がささやいてくる。
 見れば暴魔の男が室内をうろついているではないか。

 緊急警報発令! 緊急警報発令!
 慌てふためく一同。

 誰よりも早く想夜の体が動いた!
 鋭い目つきに変貌し、リビングの暴魔に足払いをかまし、床に突っ伏したところをワイズナーで一突き! ……するハズだった。

「――待って!」
 ワイズナーの矛先が床に突っ伏した男の鼻の手前で止まる。御殿が想夜の腕を掴んで止めたのだ。
「御殿センパイ、どうして止めるの!?」
 馬乗りになった想夜が半ば怒りに燃えている。バランサーの業務なのだから無理もない。とはいえ、今は失業中か。
 御殿が暴魔の姿を目にしたとたん、声をあげた。
「あなたは……」

 見たことある顔。以前、廃墟で狐姫が見逃してやったのを覚えている。
 本来なら、コイツに飛び掛っていたのは御殿のほうだ。それがどういう風の吹き回しか、バランサーの矛先から身を挺して魔族を守っているではないか。


「どうして部屋に入ることが出来たの?」
 御殿が警戒を緩めることなく男に質問する。
「いやあ、どうしてって言われても……」

 チラ。男がベランダの奥に目をやると、初老の女性が顔を覗かせてリビングに入ってくるではないか。

「あら、咲羅真さん、おかえりなさい。今までどこいってたの? 誰も帰って来ないから心配しちゃったでしょう?」
「すみません。実家に帰っておりまして……」

 ぺこり。御殿、謝罪。
 想夜、慌ててワイズナーを引っ込める。

「ほんと、心配かけっぱなしね」と、叶子の追い討ち。
 御殿に初老の女性がタッパを差し出す。
「これ煮物。作りすぎちゃったから食べて頂戴」
「ありがとうございます」
 狐姫が首を傾げ、御殿に訪ねた。
「……誰?」
「大家さんでしょ」
 御殿、あきれ顔。

 大家の奥さんが暴魔の男の隣に立った。

「こちらの方が咲羅真さんとお知り合いだって言うものだから、問題ないかと思って鍵を開けたの。ちょうどいいところで帰ってきてくれて助かるわ~」
 大家さんは「それじゃ、失礼」と付け加え、他人事のように出て行った。

「………………………………」

 シンと静まり返ったリビング。
 静寂を打ち破ったのは、もちろんこの娘。

「おい!」


 ズビシィ! 狐姫が男を指差した。
「お知り合い!? いつからお知り合いになったんだよ! 全っ然、お知り合いじゃねーだろ、おまえ!」
「ま、まあ落ち着いて狐姫」

 今にも掴みかかろうとする狐姫を御殿が引き止める。

「落ち着け? 落ち着けだと!? お前もずいぶん丸くなったもんだよな御殿!」
「狐姫ちゃんの言う通りだよ! いつもの御殿センパイならワーワーキャーキャードンパチするのに!」
 確かに。いつもの御殿なら、真っ先に暴魔の頭に一発撃ち込んでいるところだ。それがどういうわけか、目の前にいるこの男を擁護しているようにも見える。

 なぜだろう?
 まわりの者は皆、御殿の態度を疑問視していた。

 御殿もまた、そう考えるのだ。そうしてシュベスタで蜂の巣にされた時のことを思い出す――あの時の御殿は、今まで地獄に送り返してきた悪魔に想いを馳せていた。「嗚呼、自分に撃ち殺された悪魔たちも、こんな痛みを味わっていたんだ」と。

 御殿を留まらせる理由はそれだけではない。目の前の男は狐姫が見逃した人物でもある。それが今になって、ノコノコとエクソシストの巣に入り込んできたのだ。話だけでも聞いてあげようじゃあないか。
 ――ってな感じなわけで。


たのしい(?)晩ゴハン


 夕食時。
 一同はリビングのテーブルを囲んでいた。

 キッチンでは御殿と華生が忙しなく動いている。

 テーブルの上を指先でトントンしながら狐姫がつまらなさそうに頬杖をついている。やがてガマンならなくなったのか、御殿に突っかかってくる。
「おい御殿」
「んー、なーに? あ、華生さん、食器棚からお皿とってくれる?」
「はい、このお皿ですね?」
「ありがとう」
 ゴハンを皿に盛るエプロン姿の御殿。
 華生も手伝ってか、仕度がはかどるはかどる。

 そんな相方を狐姫がジト目で睨む。

「なんで暴魔と俺たちが一緒にメシ食わなきゃいけないの? ねえ、なんなの!?」
「そうですよ御殿センパイ、なんで悠長にカレーよそってるんですかっ」
「落ち着きなさい2人とも」
 狐姫につられて想夜も殺る気満々。叶子の言葉なんか聞いちゃいない。

 食卓が血まみれになりそうな雰囲気――それを破ったのは御殿だった。

「はい、今晩はカレーよ。甘口ですけどどうぞ」
 と、山盛りカレーを男の前に差し出す。
 男がカレーの盛られた皿を受け取る。
「あ、どうも……ほう、火星のお姉様カレーっすか。好きなんスよね~、これ」
「え? なに? この展開――」
 話についていけない狐姫が眉をよせ、口を△型に変形させた。
 
 閑話休題。

 なんだかんだで大人しく食卓を囲むみなさん。
「ははっ。なんで大人のお前がお子様カレー好きなんだよ?」
 おかしくて狐姫が吹いた。

 大人は普通、お子様カレーなんて食べないが、「え? そう? けっこう美味しいよ?」といった、おっきなお友達の声もあったりなかったり。

 男が照れながら頭をかく。
「いやあ、いろいろと事情がね――」
「ひょっとして辛いのダメなんですか? あたしも苦手です!」
「ウソつけ。想夜は何でも食うだろ?」
「ムリムリ! 辛いのダメ、絶対!」
「ほお。じゃあ今度、おまえにキャロライナ・リーパーおごってやるよ。おまえに対する俺の想いがスコヴィル値でわかるぜ?」
 狐姫がケケケと笑う。

 トウガラシの辛さはスコヴィル値という単位で表される。キャロライナ・リーパーは別名『キャロライナの死神』。300万スコヴィル前後。触れるだけでも肌に大ダメージを受けるトウガラシだ。気をつけろ!

 暴魔の男がこれ見よがしに力説する。
「辛いのも好きなんですけどね、このパッケージのカレーって結構マニアが喜ぶんスよね。お子様カレーなのにスパイスに凝ってるっていうか。あ、知ってます? 女子会なんかでもよく出るみたいっスよ?」

 火星のお姉様カレー。甘口のカレー。ほんのり香るスパイスが味の決め手。大人女子にも大人気。

 狐姫がブツブツ言いながら不機嫌そうにしていたものの、各々の前にカレーの皿が置かれるころには、文句のひとつもなかった。

 男がカレーを口に運ぶと頬をほころばせる。
「あっ、うまいッスね~コレ」
「そう?」
 無表情、かつ無愛想に返答する御殿だったが、料理を美味しそうに食べてくれる姿を前にまんざらでもなさそう。ついでに福神漬けの容器まで差し出す気の利きよう。
「はい、福神漬け」
「赤いッスね……人間の真っ赤な血の色みたいッスね」
「ほお、このテーブルをお前の血の色で染めてやろうか?」
 狐姫が睨みつけると男が「すんません」と黙る。やれやれ。

 大家さんからいただきた煮物は大雑把に切った野菜の宝庫。気取った感じがなく、すんなり胃袋に落ちていった。食べる人に構えさせることのない料理が家庭の味なのかもしれない。


 料理を誉められたとはいえ、それとこれとは別問題。いつまでもいい顔をしている御殿ではない。

「――で、シュベスタの鴨原さんからお金はもらえたのかしら?」
 嫌味のひとつでも言ってやりたかった。なので言ってやった。
 すると男から思いもよらない答えが返ってくるではないか。
「ええまあ。先払いで契約してたんで。ちゃんと銀行に振り込まれてましたよ。鴨原さん、支払いはちゃんとしてくれる人ですからね。やっぱ信用第一? みたいな?」

 一同がズッコケた。

「ちょ、なんなのおまえ、エラソーに銀行口座とか持ってんの!? 暴魔のくせに?」
「え? ……まあ一応、住民税も納めてますし」
「住民税? あたし納めてないよ?」
「一定の収入がなければ住民税も発生しないわよ?」
「ションボリ」
 叶子の小話を聞いた想夜がしみじみとスプーンをくわえる。学業との両立だから仕方が無い。

 男が力説を続ける。
「多少でも金があれば欲しいものとか好きに買えるし、病気や怪我の治療費も大変でしょ? それに毎月5の倍数日はポイント2倍デーだし」
 キリッ。暴魔、ドヤ顔。
「聞いてねえよ」
 と狐姫がつっこむものの、想夜はどうかというと……
「あのドラスト! あたしもよく行くー」
「え、マジっすか!?」

 想夜と暴魔が瞳を輝かせてガッツポーズ。しまいにはショップソングを一緒に歌い始めた。

「しかも偶数月のポイント5倍デーは必見!」
「夏は火・木曜日のアイス39円セール!」
「「しかも税込み、やっすう~い♪ サンキューサンキューサンキュッキュー♪」」
 最後は綺麗にハモッた。早くも暴魔と打ち解けるノラ妖精。

 狐姫がテーブルに両手をついて立ち上がる!

「ふざけんなよな! 暴魔のクセに生意気だ! 俺のお小遣いだって御殿が握ってんだぞ! お前にわかるの? ねえ、わかるの? この狐姫ちゃんサマの気持ちが!」
 ブワッ。狐姫涙目、怒り心頭。勢い余って手にした雑巾を食いちぎった。

 男がテーブルに両手をついて立ち上がる!

「わかるよ! 銀行にはダイヤモンドよりも高額なゲンナマが詰まっているもの! 金庫の鍵穴をガリガリ引っかいて開けたい気持ちがあるもの!」
 と、男がキメ顔でそう言った。
「だ れ の マ ネ だああああああああっ」

 可愛くねーんだよ! と、狐姫ふたたび怒り心頭――病院での会話を盗聴していたかの如く、誰かのセリフと被るあたりが馬鹿にされてるようで気に入らない。

「ちょっと狐姫さん落ち着いて」
 今にも男に飛びかかろうとする狐姫を叶子と華生が押さえ込んで座らせた。

 御殿が煮物をつまみながら、口を挟んでくる。
「狐姫の貯金もしてるんだからATMで下ろしてくればいいのに……イヤなの?」
「イヤに決まってんだろ! あいつ俺の手を咬むんだぜ? 爆薬みてーな名前しやがって、ふざけんな!」
 テーブルをバンバン叩いて嫌々をアピール。爆薬とはTNTのことか?

 狐姫は以前、ATMに挑戦したことがある。が暗証番号を入力後、受け取りに失敗し、取り出し口に手を挟まれた。
 安全装置が故障していたらしく、ATMに思い切り指を噛まれる有り様。引き抜くこともできず、焦って動いたら手首の関節にモロに食い込んでしまい、危うく脱臼しかけるところだった。それでも暴れるもんだから警報器を鳴らしてしまうハメに。
 ――そんなわけで、金銭管理はもっぱら御殿の役目。

 男がカレーを口に運びながらとんでもない一言を発してきた。
「貯金は大事ッスよね……一家の主としては、嫁さんと子供に不自由させるわけにはいきませんからね」
 ガタッ!

 ((((((今なんつったの!?))))))

 一同、今度は同時に立ち上がった。まるで鳩がバズーカ砲を食らったような顔つきで、だ。
「家族!? ちょっ、おまっ、家族がいんの!?」
「ええ、まあ……写真、見ます?」
「きゃー、見る見る!」

 え、ウソ? マジで!? 見る見る!! ――男が差し出す写真に一同が群がった。

 写真に写っていたのは慎みのありそうな美人の奥さんと可愛い子供。しかも4人。意外と子だくさんなのね。

「綺麗な奥さんね。日本人なのね」
「本当、子供もかわいい~」
 叶子、想夜の顔がほころんでいる。

 一方、御殿と狐姫は面白くなさそうにしている。

「赤ちゃんもいるぜ? お嫁さんのお腹も膨れてるとか……なんだか、だんだん腹が立ってきたな」
「にわかに信じ難い光景ね」

 ――パサッ。男のポケットから何かが落ちた。

「あら? 保険証が落ちましたよ」
 華生が保険証を拾い上げた。と同時に目に入った名前を読み上げる。

「……伊集院、カズマ???」

 それが男の真名まな
「健康保険にも入ってたのね」
「てか、名前まで無駄にかっこいいとかっ」
 エクソシストチームはこの世の不条理を呪っている。

 写真からリア充オーラが溢れてくる。カメラ目線でこっちにシワ寄せ、ニッコリ笑うご一家。幸せいっぱい独り占めって感じ。

「いやあ、ウチのカミさんがね、子供たちと一緒になってオレのことを『パパ、パパ』って言うわけ。それでね――」
 御殿たちは伊集院カズマ(リア充)の幸せ話を延々と聞かされた。
「――でね、火星のお姉様カレーを子供たちと一緒にほおばりながら――」
「ここで火星のお姉様カレーが出てきたか」
 狐姫はもう呆れ顔。なんか、いろいろボロ負けしている感じがした。
 どうしてこうなった――。
 

八卦の吐息


 ――んで、夜もどっぷり。

 御殿と狐姫がほわいとはうすの前で皆を見送る。
「はい、残り物だけれど。ご家族がいるんでしょう? 皆さんで召し上がって」

 伊集院の帰りの際、御殿はタッパーに入れたカレーを持たせた。ご丁寧にビニール袋の中には白米と福神漬けまで一緒に入っていた。

「あ、いろいろすみませんね、気をつかわせちゃって」
 男が礼儀正しく頭をさげてカレーを受け取る。
「――で、なんで俺たちを探してたんだ? 何か用事があったんじゃないのん?」
 腕を組んで壁にもたれる狐姫。

 すんごく遅くなったが本題に入る。

 御殿とすれ違いざま、伊集院がつぶやいた。
「実は、あんたのことを思い出してここに来たんだけどよ……」
 御殿のほうを向き、顔色を伺うように話を切り出した。

「その……、あんたに良く似た顔のヤツ、先日、見たぜ? それを伝えにきた」

 ボソリ……伊集院はドモった感じで言ってくる。なにかに怯えているようにも見える。
 御殿は眉をしかめ、
「他人の空似でしょ? この世には同じ顔の人間が3人いるっていうでしょ」
 と興味なさそうに目を背けた。本当に同じ顔の人間に出くわしたらゾッとする。そいつが自分になりすまして、あんな恥ずかしいことやこんな恥ずかしいことをやらかしてくれようもんなら、こめかみに弾丸の2~3発を叩き込んでいるところだ。

 だが伊集院曰く、少々事情が異なっていた。御殿のセリフを手を左右しながら一蹴する。

「――いや、あんたみたいに大人っぽい感じじゃなくて。なんかこう、もっとガキっぽいというか……髪もショートヘアだったし、身長もこのくらいの少女だった」
 身振り手振りで伝え、御殿の額あたりに手をかざした。
「御殿センパイに良く似た……子?」

 その場にいた者達が伊集院の言葉を分析し、想像する――御殿の顔を幼くさせて、背丈も10センチ近く低い、ショートヘア、ナイチチの少女。服装は純白のパーカーに袴パンツを着用。男とも女とも言えないファッションのようだ。

 ここにきて謎の少女が浮上する。それが何を意味するのか、誰にも分からなかった。

 伊集院の顔が強張った。
「……八卦についてアンタに話しておきたい」
 今度は御殿の顔が強張る。自分のことを指摘されたと思ったからだ。
「なぜ貴方が八卦のことを知っているの?」
「オレは情報屋だぜ? クライアントの知りえぬ情報を提供するのがオレの役目だ」
「わたしは貴方のクライアントではない」
「まあ聞け」
 伊集院が冷静さが欠落した御殿をなだめた。

 忌まわしき話。御殿が向かい合わなければならない話。彩乃との葛藤がチクリチクリと胸を刺してくるので、早く話しを終わらせたかった。

「わたしに似た少女を見たというのは、3年前の話でしょう?」
 シュベスタで生活していた頃の自分が頭に浮かんだ御殿だったが、伊集院はそれを否定した。
「いや、オレがそいつを見たのはつい先日のこと。シュベスタ炎上直後のことだ」
「……なんですって?」
 御殿は耳を疑った。つい最近の事じゃないか。

 追いかけてくる炎の津波。想夜に救助された御殿と狐姫。その直後、伊集院は暴魔を斬り刻んでいる少女の姿を目撃している。

「アイツは危険だ。おそらくあんた達の味方ではない。それにその辺の暴魔の比ではない強さだ。なんたってオレの目の前で大型暴魔を真っ二つにしやがったんだから。それも一瞬でだ」

 少女はシュベスタからあふれ出した研究用暴魔を忍者刀のようなもので斬りまくっていたらしい。
 想夜と御殿が時間をかけて倒した大型暴魔を、たった一撃で倒す存在がすぐ近くまで迫ってきている。

 シュベスタから暴魔がでてくれば、メディアはシュベスタへの攻撃を始める。続いてゴシップでMAMIYA叩きもできれば数字的にオイシイだろう。

 ――その証拠隠蔽をする刺客がいるとでもいうのか?

 ヘタをすればマスコミですら皆殺しにしてしまうのでは?
 そんな奴と出くわしたら、ここにいる全員、生き残れるのか?

 そんな一同の不安に対し、伊集院から手を差し伸べる言葉。
「よく聞けエクソシスト。この先の戦いで生き残りたいのなら、一人でも多く『八卦』を味方につけることだ」

 八卦という単語でさらに御殿の頭に血がのぼる。

「そのプロジェクトは終わった。データはシュベスタの炎上と共に消えたはず――」
 伊集院の言う「八卦を味方につける」とは、『8つのデータを集め、一つでも多くの八卦の能力を身につける』ということ――はじめはそう思っていた御殿だったが、どうやらとんでもない勘違いをしていたようだ。

 伊集院の口から出た言葉は、御殿たちの想像を遥かに上回るものだった。

「八卦とは妖精の存在を得ずしてハイヤースペックを発動させる人間と妖精の合間を生きるハイブリッドハイヤースペクターのことだ」
「それは、知っているわ」
 なぜなら自分が八卦のひとつだからだ。その力の一つ、『沢』がここに眠っている――御殿は痛む胸を押さえつけた。
「でも、八卦のデータはシュベスタと共に消えた。もう存在しないはず……手に入れることなんてできない」
 自信無さげに目を伏せる御殿。

 それを伊集院がさえぎった。

「いいや、八卦は8人だ。すでに8人完成している」
 一同が絶句した。
8人・・!? 8つ・・じゃなくて?」
 伊集院の指す八卦とは、ディルファーから取り出されたデータの数ではない。

 八卦とは……すでに完成された試験者を指す称号だったのだ!

 八卦は全部で8人作成された。

 ひとりは天を舞い――。
 ひとりは地の底でお留守番――。
 ひとりは雷に守られ今も眠る――。
 ひとりは風を詠い――。
 ひとりは水に想いを馳せ――。
 ひとりは火に包まれる――。
 ひとりは山で傍観者――。
 ひとりは沢で迷い子に――。

 八卦はもうただのデータではない。すでに形を変えて具現化し、生物として行動しているのだ。
 シュベスタはそこまで研究を進めていた。シュベスタに出入りしていた伊集院にとって、この程度の情報入手は困難ことではなかった。

「八卦ひとりの能力は1000人のフェアリーフォースを凌駕する。そんな奴らが世界で暴れているのを想像してみろ……あんたら人間も妖精も厄介だろ?」

 シュベスタで暴走した映像が御殿の脳裏を駆け抜けた――胸がさらに痛む。自分が責められているようで辛かった。

「あんたには美味いもんをご馳走になったな。この情報は特別にサービスだ」
 伊集院は御殿をまっすぐに見つめてこう言った。
 
「何者かが八卦をそろえようとしている――」

「八卦をそろえる? 誰が? どういう理由で?」
「それを今調べている最中だ。なにせ鴨原のダンナですら蚊帳の外だったんだから」
 MAMIYAから分裂したシュベスタ。そのシュベスタも内部で分裂をしていたとすれば、先日のシュベスタ炎上は表面の殻を剥がしただけにすぎない。

 伊集院はこんなことも知っていた。
「なあアンタ、晴湘市というところで、誰かに捜索されていなかったか?」

 御殿の脳裏に彩乃の顔が浮かんだ――危険をかえりみず、我が子を探すために炎の中を探し回っていた。

「水無月、彩乃……先生?」
 伊集院の言葉が御殿の予想を裏切る。
「いいや。MAMIYAや聖色市の人間ではない。過去に、あんたのことを引き取ろうとした人物がいたはずだ。おそらく金を提示したと思うのだが、心当たりはあるか?」
 御殿が何かを思い出そうとする仕草をする。そのあと、見る見る表情が強張っていった。

 御殿の全身がざわついた――たしか、源次と碧に会っていた婦人がいたはずだ。怒った源次が追い返したという話を死ぬ直前の碧から聞いている。

「馬車の女……」
「馬車の女?」

 なぜだろう? 御殿の直感が「目の前の男に晴湘市での出来事を話しておいたほうがいい」と促すのだ。それは御殿の本音でもあり、妖精が「この人に話しておいたほうがいいよ」と、耳元で囁いているようでもあった。

「伊集院さん、逆ハーメルン事件を知っているかしら?」
「逆ハーメルン? ああ、大勢の子供たちが晴湘市に押し寄せた事件か」
 さすが情報屋。伊集院は周囲にその博識をアピールした。

 伊集院はしばらく考える素振りを見せた後、神妙な面持ちを御殿に向ける。

「聖色市の意識不明事件や、晴湘市の逆ハーメルン事件では、多くの妖精の子供たちが被害にあっている。その中には人間の子供も混ざっていたらしい」
 伊集院が御殿の目をまっすぐ見つめ、こう言った。

「あんたらの追っている事件て、『子供たち』に関係があるんじゃないのか?」

「子供……多くの、子供たち……」
「誰がどういった理由で子供たちを誘拐したり八卦を集めたりしているかは分からないが、やはりあんた達から打って出ることを考えたほうがいい。見えない敵の一歩先を走るんだ。そうすれば、敵はおのずとついてくる」

 伊集院は最後に言葉を残してゆく。

「腕力、権力、魅力……どの方法で味方につけるか、それはあんたら次第だ。せいぜい食い殺されないように用心するんだな……」
 そして、こう付け加えた。
「八卦の力をあなどるな。八卦は自分の意思で世界を構築することもできるし、自分の意思で世界を滅ぼすことだってできる。けれど、意思を持った生き物だ……それはオレたちと同じだ」

 男はビニール袋を胸元まで上げ、「ごちそうさん」と礼を言って去っていった。

 力を持つものに与えられた特権と責任――その言葉がいつまでも御殿の頭から離れなかった。


想夜の夜


 また第3女子寮に戻れると信じていた。想夜は常に、未来を描くための努力を怠らなかった。こうして、いつものように女子寮の門をくぐる日々が来ることをヴィジョンに描いていた。

 ゲッシュ界、獄中で、毎日毎日、この日が来ることを夢見て、こうして未来を現実のものとして引き寄せたのだ。


「ただいま戻りました」
 申し訳なさそうに謝罪する想夜のことを、寮長はそれはそれは温かく出迎えてくれた……なんて、うまい話はない。
 寮長は玄関に入るなり、想夜の後ろに回りこみ、いきなりジャーマンスープレックスをかましてきたのだ。

 頭が床にめり込んだ想夜。泣く泣く鬼の形相をする寮長に言い訳をはじめて許しを請う。

 事なきを得たものの、やはり周囲に心配をかけたのは事実。生徒が何日も戻ってこないんだもの。そりゃ誰だって心配するよね。

 ついこの間までギスギスしていた女子たちともすっかり打ち解け、想夜にはいつもの女子寮がいっそう温かく感じる。

 あの日、川原で、女子たちと口論した。その結果が今に続いている――想夜が皆に全力でぶつかった賜物だ。


「ふう~、おなかいっぱい。また御殿センパイの料理ごちそうになっちゃった」
 自室へ向かう階段をのぼる想夜。胃袋が御殿のぬくもりで満たされてゆくたび、体の奥まで御殿に近づいてゆく気がして心地よい。
「このまま御殿センパイとひとつになっちゃいたい」
 なんて考えるのは、ませガキのセリフ。ふたたび戦いの幕が開けたのだから、おちおちニヤけてなどいられない。


 久しぶりの自室。想夜はゴロンとベッドに突っ伏して天井を見上げた。
 この部屋に帰ってきたのはシュベスタ戦以来だ。

 見上げた瞳からつう~っと一粒、こめかみを雫が伝う。
 安堵の雫――。

「また、みんなと会えた……よかった……」

 よかった――。

 想夜は噛み千切った右手首を見ながら、シュベスタでの戦闘を思い出している。

 迫り来る炎とのチェイス、ジリジリと背中の羽をあぶり続ける炎の熱さ。後ろから襲い掛かる灼熱の恐怖は、御殿と狐姫をも食らおうとしていた。

 脱出寸前、手元から狐姫の手が抜け落ちたとき、想夜は絶望に襲われた。友達がこの世から消える恐怖に包まれた。救うことも出来ず、ただただ友達が落ちてゆくのを見ているだけの弱者に成り下がった自分を、これでもかと言わんばかりに心の中で罵った。

 御殿の手を離すときも、このままどこかへ一緒に逃げてしまおうとも考えた。叶子と華生じゃないけれど、2人のユートピアを目指すのもいいかな、なんて思った。
 けれど己を罵るのも、ユートピアを目指すのも、想夜にとっては”逃げ”でしかない。

 やるべきことを前にやり遂げないのは、怠惰のすること。強くなりたいなら、やるべきことを1つでも多く成し遂げるべきだ――想夜が己の尻を叩いた瞬間だった。

 フェアリーフォースの戦艦に、単身突っ込んでいったときは不思議と恐くなかった。冷徹なマシーンとなりて腹をくくる。覚悟には己を機戒に変える魔法も備わっている。

 想夜は戦艦を真っ二つにした後、ロクに羽も動かせないまま、遥か遠くに着地した。
 フェアリーフォースに一撃を与えたまではいいものの、体の中で藍鬼が暴れ続けていた。それを鎮めるためには、どこかに隔離するしかなかった。

 思いつく場所はゲッシュ界。妖精界と人間界の狭間にある牢獄世界。暴撃妖精を隔離しておく空間――。

 フェアリーフォースの戦艦が人間界に出現したとき、そして想夜に仕留められて帰界するとき、多くのエーテルに乱れを生じさせた。それが理由でゲッシュ界の透明化が解け、日本各地に入り口が出現していたのだ。妖精たちは人間界で大量のエーテルを消費する。メイヴがエーテルポットに執着する理由がそこにある。

 想夜は「しめた」とばかりにゲッシュ界へと足を踏み入れた――そうやって想夜は自分を鎖でつなぎとめた。もう誰も傷つけないことを願って。

 御殿たちが迎えにきてくれた時、嬉しい反面ゾッとした。藍鬼の恐ろしさは想夜が一番よく知っている。近づくものを片っ端から食い殺しかねない。目の前で大切な人達を、その手で殺めてしまうだなんて、それ以上の拷問はあるだろうか? そんなことをすれば、今度は想夜が藍鬼を食い殺すだろう。そうやって殺意の連鎖は作られてゆく。

 けれども、御殿は想夜の中へと入ってきた。その首に牙をつき立てられても尚、想夜を受け入れてくれた。
 御殿は見事、殺意の連鎖を断ち切ったのだ。

 想夜にとって、こんなにも胸を貫く想い人がいただろうか?

 あたしの全部をあげたい――自分を助けてくれた騎士ナイトを前に、女の子なら誰しも思うこと。

 あたしの全部をあげたい――危険をかえりみず、自分を探してくれた友たちを前に、戦士ならば誰しも思うこと。

 それらも手伝って、想夜は自分の中に藍鬼を胸に住まわせる決断をしたのだ。

「この胸の奥、今でも藍鬼が眠っている――」

 戦士であり女の子でもある想夜。胸に手を当てるたび、『闇を抱きし青』の安らかな寝息が聞こえてくる。目を覚ませば、お腹が空いたと言わんばかりに牙を立てる。

 肉食の君を宿したまま、想夜は妖精の誇りにかけて、頼りなき右手で再びワイズナーを握ると決めた――歩みを共にする友がいることを確信できるから、大丈夫。


 『あんたらの追っている事件て、子供たちに関係があるんじゃないのか?』

 ――さきほど、ほわいとはうすの前で伊集院が御殿に話していたことを想夜は思い出した。

 晴湘市の災害。
 逆ハーメルン事件。
 聖色市の意識不明事件。

 なんの関連性もないと思われていた事件の数々が、緩やかではるが一つに集束してゆく。

 想夜はシュベスタの牢獄迷路に捕われていた妖精たちのことを考える。
 妖精である彼らは、病院での治療のあとに監禁された。
 「謀られた」と言っていたので、おそらく汚染されたエーテルを吸収した妖精の子供たちに対し、「人間たちに協力するために力になってほしい」と吹きかけたのだろう。そうすることで妖精たちはすんなり協力する。結果、子供は番犬妖精と化した。

 シュベスタは治療と偽り、何らかの目的で妖精を利用していたはずだ。それが暴徒化する妖精の作成だとすれば、あらかじめスペックハザードを予測していた人物がいることになる。暴力を欲する者が、それを考えないはずがない。

 シュベスタも内部では分裂をしていた。
 フェアリーフォースと癒着していた鴨原でさえも知り得ないことがあるシュベスタの闇の部分。

 裏で多くのシナリオを描き続けている人物は、すでに想夜たちを警戒しているはずだ。
 だとすれば、その顔を拝める日までのカウントダウンが始まったということ。

 想夜は部屋の明かりをけしてベッドに身を預けた。
「明日、みんなに話してみよう――」

 ふわふわの毛布の中で眠るのは何日ぶりだろう。
 寮のみんなが部屋を掃除してくれていた。布団も干してくれていた。そのおかげもあり、埃ひとつない部屋で、お日様の香りがする毛布に包まれ眠りにつく元エーテルバランサー。

 地獄の苦しみをくぐり抜けた後の眠りは、きっと素敵な夢が待っている。
 戦士の休息は用意されている。たとえ戦いの予兆が待っていたとしても――。

 いつも目に見えぬ存在が想夜を見守っている。そうやって、いつでも想夜の頭を撫でてくれるのだ。

 おやすみ、想夜。よくがんばったね――。
 

投資家 ロナルド・ルー


 突然こんな難しい話をするのも何だが、投資家は波を読まなければならない。

 波――世界情勢から予測できる波。すなわち、世界の動き。世界経済――。

 金持ちはよく本を読む――否、金持ちが読むのは波である。この世のどこにでも流れゆく波――。

 中国の投資家、ロナルド・ルーは語る。

 波が抱えるトリックは至って単純――危機的状況に煽りを利かせては鯉にエサをやる自演の仕組みである。権力者が考え付きそうなことだ。ロナルドは権力者が作り出す波を読み取るのが上手い。

 世界のあらゆる情報に耳を傾け、目を凝らし、先の先の先を読む。世界中のニュースや新聞、経済の流れ、人間関係が構築する情報交流――あらゆる情報に目を、耳を、研ぎ澄ます。それらを見据えれば、見えてくるバイアス。裏での繋がり。それらに目を光らせ、狙いを定める。そうやって投資を行う。

 無論、メディアを操作しているのも権力者。石油の単価もその日の気分で変動する。金持ちはゴッコ遊びが大好きだ。

 投資は博打という馬鹿もいるようだが、それは違う。波は予測することができるし作ることだって出来る。よって投資は莫大な利息を含む貯蓄ということが裏付けられる――ロナルドは雑誌の取材でそう述べている。

 妻に先立たれてからは、いっそう金の動きに鋭敏になったロナルド。生み出した金の味で全国の権力者たちに舌堤を打たせていた。


 MAMIYA研究所 応接室――。
 モニターの電源だけで灯された薄暗い部屋の中、彩乃とロナルドが立ち話をしている。

 長身に整えた髭、ライトブラウンの角ばったメガネフレーム、髪をワックスでオールバックにした貫禄のある中年男性。スーツはすべて特注。ブランドスーツの価値でさえ、ロナルドから見ればただのハリボテにすぎない。
 シガーケースを持て余し、何をするでもなく手元でクルクルと遊ばせている姿は、まるで地球を手元で転がすような風格さえ醸し出す。

「――ドクター水無月、アナタがシュベスタから手を引いた時、ワタシはシュベスタへの投資の打ち切りを考えました。それがどういうことか分かりますか?」
「――はい」
 彩乃が気まずそうに顔を背けた。

 ロナルドは研究者としての彩乃にご執心だ。彼から見れば、彩乃はさらなる金を生む存在。彩乃あってのシュベスタであることを知っている。
 よってロナルドは彩乃がいるシュベスタに投資し、無能な投資家はシュベスタのみに投資した。
 それが波を読む男とそうでない者たちの違いである。

「――結構。けれど投資は続け、しばらく様子を見ることにしました。なぜならアナタがシュベスタに戻ってくる気がしたからです」

 世界中の投資家が彩乃へ期待をよせている。
 それがどういうわけか、彩乃は長いあいだ大した論文を発表することもなく、数年前から燻った日々を過ごしているだけ。そのことが世界の権力者にはつまらないのだ。

 この数年間、全面的に彩乃に賛同してくれた権力者は愛宮鈴道くらいのものである。メイヴだってヤキモキしていたくらいだ。

 それだけ御殿のことで頭がいっぱいだった彩乃は、研究者の道よりも母親の道を優先させていた。最近になって、やっと研究に力を入れるようになったと思えば、いろんな事件に巻き込まれる有り様。MAMIYA研究所の水無月彩乃は、各界で引っ張りダコだ。

 今朝、水無月班への直通回線にロナルド本人から直々に電話が入った。
 シュベスタが崩壊するなんて、一般の投資家たちには予測不可能だった。結果、世界経済に影響が出たのは周知のこと。

 一夜にして破産した富豪も多いが、一足先にシュベスタの不審な動きを感じ取っていたロナルドは、一歩早くシュベスタへの投資を打ち切り、経済ダメージを最小限にとどめていた。

 ――だが、問題は金の話じゃない。


 ロナルドには11歳になる最愛の娘がいる。
 名はリン・ルー。

 リンは生まれつき心臓が弱かった。
 人工臓器で補修する手段も提案されたが、やはり手術からくる体への負担が重く、治療が難しかった。

 リンの余命は3ヶ月――。

 ロナルドは残された道を選んだ――その方法とは、数値化された補修データを体内に取り込み、自然治癒力を促す治療。

 それらを先導している研究が『八卦プロジェクト』――彩乃たちの産物である。

 無論、シュベスタを後にした彩乃は、リンの手術に関っていない。
 別の執刀医が八卦のデータを細胞培養させ、リンの体内に組み込んだのだが、その執刀医が消息不明になったため、術後のアフターケアが行き届かなくなった。

 焦りが怒りに変わるのに時間はかからなかった。ロナルドは持て余す怒りを受話器を通し、彩乃にぶつけてきたのだ。言い方を変えるのなら、富豪のプライドが「娘を助けて欲しい」という言葉を覆い隠していたのは言うまでもない。

 けれどもロナルドは知っている――リンを助けられるのは、もはや彩乃しかいない、と。

 ディルファーのデータと融合した体は弱い人間のソレではなくなり、ハイヤースペックを発動できる。脅威であり驚異である。

 手術後、愛娘リンは八卦の1人として生まれ変わっていた。


 彩乃には疑問がある。ディルファーの「どのデータ」を用いてリンが八卦になったか、だ。

 八卦には八つの属性がある。
 ひとつひとつに独自の力が備わっており、属性によっては人体と相性が悪いものがある。

 『沢』の属性は距離を縮め融合する性質を持つ。その力を引き継いだ御殿は晴湘市のこともあってか、他人に近づくことが難しい性格だった。それ故、扱えるまでに困難を極めている。最近になってようやく使いこなせるレベルになったくらいだ。

 強い力は弱い肉体を蝕んでゆく。リンの場合、治療どころの騒ぎではない、継承した属性によってはむしろ逆効果だ。それが分かっていないヤブ医者にでも当たれば厄介なことになる。

 さて、リンはどの属性を埋め込まれたのだろう?

 彩乃も人の親。人の子であるリンの命を気づかっては頭を悩ませる。
「ドクター水無月、こういうことを言われれば、アナタはいい気はしないだろうが、先日の事件に関っていた研究員のほとんどがMAMIYAの人間だそうだな」
「――はい」

 鈴道、鴨原、メイヴ、その他大勢――MAMIYAの闇がシュベスタを作り出したといっても過言ではない。

「ドクター水無月、アナタも馬鹿じゃないはずだ。シュベスタは崩壊したが、弁護士を使えばいくらでもMAMIYAの首を世界に晒すことができる――」

 ロナルドが抱える弁護士団体は強力だ。MAMIYAの半身を奪うことくらい容易い。

「ワタシが何を言いたいのか、理解できますね?」
 ロナルドはソファにふんぞり返り、シガーケースから葉巻を取り出した。
 葉巻に火をつけて煙を口に含むが、ゆっくり吐き出している余裕などはなく、さっさと吐き出してしまう。
 せっかくの葉巻でさえ味わえずにいる紳士らしからぬ光景。かなりイラついているご様子。娘の命がかかっているのだ、無理も無い。

「娘の体はコールドスリープケースに入れて保管している。早急に対処してくれたまえ」
 ロナルドは乱暴に葉巻を灰皿にこすり付けて立ち上がる。

 彩乃が灰皿に目をやる――大して口もつけていない葉巻は、生まれたばかりだというのに、すぐに捨てられた感じがして目も当てられなかった。灰皿の葉巻が御殿の姿と重なり、「子供に何もしてあげられなかった」という罪悪感が胸を締め付けてくるのだ。

「アナタも投資を受けている身ならば、少しは我々に面白いオモチャを作って見せてほしいものだな――」
 そう言われ、ふだんは冷静な彩乃の頭に一瞬だけ血が上る。
「私が関った八卦プロジェクトは御殿が最初で最後です。あの子はオモチャではありません。御殿はたった一人の……私の子供です」
 彩乃の険しい顔。

 するとロナルドは、不思議そうに彩乃の顔を覗きこんできた。

「まさか……知らないとでも?」
 とたん、彩乃が眉をしかめる。
「何のことでしょう?」

 彩乃のとぼけた表情を見た途端、ロナルドは「おいおい、冗談だろう?」と、天井を仰いでせせら笑う。

「はははっ、これは驚きだ。母親が子供のことを知らないだなんて――」
 さすがの彩乃も、その言葉にはカチンときた。少しでも御殿のそばにいたいという感情がそうさせた。今まで一緒にいてあげられなかった分だけ、その想いは大きい。
「御殿のことなら知っているわ! あの子は私の子供だもの!」
 いつになく冷静な彩乃が胸に手をそえて叫んだ。そうでもしなきゃ心臓が爆発してしまいそうなくらい興奮したからだ。御殿の存在は彩乃の脈拍を揺さぶるのだ。
 そのくらい、いつも気にかけている。

 ――愛している。わが子を。

 そうは言っても本当は自信がなかった。己の意思とは無関係とはいえ、育児放棄をした自分が御殿の何を知っているというのだろうと思って止まない。

 ――だがロナルドの意図している真相は、彩乃が解釈している内容とは違うものだった。
 彩乃とロナルドの会話は、まったく見当違いの方角を目指してゆく。

 「話にならない」とでも言うように、ロナルドは首を横に振る。

「そうではない、そうではないのだよ」
「――え?」
 次の瞬間、彩乃はロナルドから真実を告げられる。

「もう1人いるのだよ……ドクター水無月、アナタの子供がね――」

 最初、彩乃は何を言われたのか分からなかった。鈍器で頭を殴られたような衝撃。時間が止まったように思えた。

 ようやく搾り出した言葉は、セオリーどおりの言葉だ。

「なんですって……?」
 御殿の他にもう1人。自分の遺伝子を使って作られた子供がいることを彩乃は、このとき初めて知った。
 そうして思い出すのだ。御殿の次に生まれてくる子供がいたことを。

 『名前に水がつくほうがいい――』

 あの時。八卦プロジェクトが凍結したと同時に、生まれてくるはずだった子供の計画も無くなった――はずだった。

 だが運命は、皮肉にも彩乃の意に反して進んでゆく――。

 そう。『あの子』は生まれていたのだ。御殿が生まれたすぐ後に。

「どこにいるの? あの子はどこ!? これ以上、人の遺伝子を使って勝手なことをしないでちょうだい!」

 彩乃はロナルドにすがりついた。

「どこにいるの!? いつ生まれたの!? その子の名前は!? その子に何をしたの? 誰がその子を作ったの!? 返して! 私の子供を返して!!」
「いっぺんに質問しないでください。子供の名前くらい覚えているでしょう?」
 ロナルドはうざったい顔で彩乃を引き剥がす。

 その後、彩乃の口から子供の名前がこぼれた。

「……水角みずの。そう、私は次に生まれてくるはずだった子に、その名前をつけたかった。水角はどこにいるの!? 今何をしているの!?」
「落ち着いてくださいドクター水無月。シュベスタ崩壊の直後、アナタのお子さんがご活躍したそうですよ。暴魔の存在を綺麗に消してくれた。よくできた息子さんだ。いやあ実に見事だった」

 『よくできた息子さん』とは、御殿を指した言葉ではない。御殿は想夜に救助された直後、デパートの屋上で身動きが取れない状態だった。

 彩乃が声を荒げる。
「あれだけの暴魔の大群を綺麗に消した? そんな簡単なことが子供に出来るわけ……まさか――!?」
 ハッと目を見開いた彩乃に、ロナルドは現実を突きつけた。

「はい、その子は妖精兵器ディルファーの『水』の属性を司るハイブリッドハイヤースペクター。八卦のひとりです」

「八卦……? 嫌……嫌よ……嘘でしょう?」
 弱々しく首を左右に振り、肩を震わせる彩乃。もう誰かに御殿のような悲劇を負わせたくはなかった。

 ロナルドは彩乃の両肩に手をおいて諭し、本題に入る。

「いいですかドクター水無月、よく聞いて下さい。何者かがワタシとアナタの首を狙っている」
「ロナルドさんと……私の首? いったい誰が――?」

 彩乃の質問にロナルドが一呼吸してから答えた。

「シュベスタ贔屓の権力者の中にはMAMIYAの存在を面白がらない連中もおりまして。2人目のお子さんも、からぬ者との関りがあるようなのです」
「MAMIYAを面白がらない人間? シュベスタの投資家ですか?」
「いや正直、ワタシも詳しくは分からないのです。ただの酒好きの集まり。婦人会のようですが、みな権力者でしてね……裏で色々と各界を牛耳っている。これがまた厄介な連中なんですよ。頭もキレる」

 荒波の上を歩くロナルドですらも関りたくない厄介者がこの世にはいる。そのことを知った彩乃は得体の知れない恐怖から鳥肌が立った。

 その婦人たちは人間なのだろうか?

 ましてや、まだ見ぬ自分の子供が得体の知れない連中と関っていると知ったからには、平常心など保てるはずもない。

 悪い子と遊んじゃ駄目よ――世の母親の言うことは往々にして正しい。

「今アナタに死なれたら困るので、ご報告だけさせてもらいましたよ。護衛だけはつかたほうが無難でしょう」
 彩乃に背を向けたロナルドが静かに振り向く。
「アナタも人の親なら、子供の躾けくらいちゃんとしておくんだな。実の子供に首を落されたくはないでしょう――?」
 ロナルドは捨て台詞を吐き、応接室を出ていった。


 小一時間、彩乃は放心状態だった。

 詩織に沙々良――皆、彩乃のことをよく支えてくれている。その人達の顔を思うと胸が痛い。

 彩乃は床に崩れ、壁にもたれたまま、あらゆることに想いを馳せた。

 考えをめぐらせるたび、涙で顔がクシャクシャになる。

 御殿が生きていてくれて嬉しかった。

 御殿とうまくやっていけるだろうか?
 これから御殿とどう接してゆけばいいのか?
 そう考えていたところだった。

 そこへ今度は2人目の子供の存在を提示された。しかもその子が実の母を殺しにくるというではないか。

 彩乃にはもう、何から手をつけていいのか分からなくなっていた。

 ――それでも、いつまでも壊れた人形のように座り込んでいるわけにはいかない。

 彩乃は受話器を取って番号を押し、電話越しに口を開いた。
「もしもし、詩織ちゃん? ちょっと話があるんだけれど――」


真夜中の刺客


 愛宮総合病院――。

 深夜、見回りを終えた小安が明かりの消えた廊下に立っていた。
 重症を負った狐姫も無事退院し、誰かの奇襲を受けることも無いだろう。

 ハイヤースペクターである叶子、それに妖精の華生――愛宮は優秀な戦力によって鉄壁と化している。

 他のボディガード達は、一足早く帰らせた。数週間におよぶ見回り作業も一旦終了となる。


 小安が帰り支度をするためにロッカールームに戻ろうとしたところ、廊下の一角に東洋人らしき人影を見つけた。

 あどけなさが強く残る顔立ち。汚染しらずの透明感ある白い肌。サラサラのショートヘアはどこかの展示会に出展されているような作り物にも見える。まるで妖精絵画から飛び出してきたかと思えるほどに、出来過ぎた造型をしていた。
 白いパーカーに白い袴パンツ。手にした忍者刀は体型に似合わず重量感がうかがえる。鞘からだらしなくベルトを垂らすが終始余裕の笑み。それらの態度が戦闘慣れした印象をあたえてくる。
 忍者刀の内側にはミネラルウォーターホルダー。まるで徳利とっくりぶら下げた侍である。

 鋭い眼光をつくる小安の手前、ショートヘアの少女が窓の外を見ている。そしてゆっくりと振り返り、口を開いた。

「こんばんは」
 ニコリと笑う少女。その透き通るような声。
 向日葵のような明るい笑顔に一瞬ひるむ小安。それもそのはず。少女の顔はどこかで見たことある面影をしていたからだ。

「見舞いの時間はとっくに過ぎている。早く帰りなさい」
 つっけんどんに返す小安に対し、少女の顔がぱあっと明るくなり瞳を輝かせた。
「うわあ、写真どおりの顔をしてるんだね。小安直人さん!」

 名前を出された瞬間、小安の目がすわり、とっさに身構えた。

「キサマ……何者だ?」
 銃を取り出し少女に銃口を向ける。警戒するのも当たり前だ。部外者が突然、小安のフルネームを口にしたのだから。
 他人が知りえない情報を、小安の目の前の少女は知っている。

 少女の手に何かが握られている。
 小安の目に飛び込んできたのは月光に照らされた忍者刀。その刃が彩るのはエメラルドブルー――。

「武器を所有しているな。子供には過ぎたオモチャだ。それを捨てて両手を頭の上に回せ」
 少女が困ったように眉の角度を変える。
「思ったよりもおっかない人だなあ」
「膝もつくんだ、早くしろ――」
「怖い顔しないでよ。まだ何もしてないんだから」

 ゆらり。少女は手元の忍者刀に手をかけ、そして――

 シュッ――。

 一閃、小安の肩めがけて打ち込んできた!
「なに!?」
 エメラルドブルーの閃光の直後、小安の肩にパンッと殴られたような衝撃が走り、腕と一緒に銃口がぶれる。
 とたんに小安の体が固まる。肩に重い違和感が走り何事かと目を向ける。
「クソッ、肩の関節を外された!」
 逃走する少女は、すでに小安と距離をとっていた。

 ぶらりと垂れる右腕を近くのストレッチャーの手すりにはさみ、脱臼した肩を捻ってはめ込む。
「痛てててて! やってくれたな、あのクソガキめ!」
 肩の関節がはまり、関節が動くようになるのを確認した小安は、通路の奥へと走ってゆく少女を追いかける。

(いつ打ち込まれた? ……太刀筋がまったく見えなかったぜ)

 峰打ち。本気で斬られていたら腕を付け根から落されていた。

 やがて少女の背中に追いついた小安は、もう一丁の銃を取り出し、少女めがけてトリガーを引く。

 バンバン!

 2回撃ったのは少女に狂気を感じたからだ。ここで殺しておかないと自分が殺られる――小安の恐怖心を煽ってくる攻撃だった。

 少女は振り向きざま、飛んでくる弾丸に目をやりつつ腰を落して大きく仰け反り、弾の軌道から体を逃す。余計な動きを見せないあたり、戦闘訓練されているのは一目瞭然だった。

「逃げきるつもりか? こっちも疲れているんだ、鬼ごっこは明日にしてくれよ」
 小安が逃走をはかる少女を追いかける。

 小安はいくつもの扉をくぐり抜け、細い通路で少女の背中めがけて再び発砲。
 小安の撃った弾が少女の背中にヒットする瞬間、少女はクルリと振り向いて笑顔を作った。

「ハイヤースペック・ソニックウォーター」

 弾が少女の体を撃ちぬいた瞬間、少女は大きく手前にダイヴ。頭から飛び込んでゆく体勢を見せた。そして――

 スッ……

 砂漠に水が浸透してゆくよう、リノリウムの床の中へと滑り込んでいった。

 少女が飛び込んだ場所に小さな波紋が広がり、まるで建築物の中を泳いでゆくように移動しはじめる。

「何だ! いったい何が起こった!?」
 焦りの色を見せる小安が床や壁、あちこちに銃を向ける。

 どこに移動している?
 どこから出てくる?
 ――小安の焦りむなしく、病院の廊下に静けさだけが残った。