3 妖精実行委員会 再び――。


 シュベスタの一件を覚えているだろうか?
 そう、彩乃がメイヴに殺された日のことだ。

 ――いや、正しい言い方をするのなら、メイヴにレーザーで胸を打ち抜かれたはず、とでも言っておこう。

 曖昧な言葉で過去を濁すのにはワケがある。なぜなら水無月彩乃は今、ここにいるからだ。
 レーザーを食らって無傷だったかというと、そうでもない。
 彩乃は体のあちこちに傷を負っている。けれどシュベスタ戦前日、愛宮邸で御殿から渡されたハートプレートがメイヴの攻撃を見事に弾き飛ばしてくれていた。

 メイヴに殺されかけた御殿の手前、手榴弾片手に立ち回った勇敢なる女戦士。フェアリーフォースですらも手を焼いてしまうほどの研究者、水無月彩乃。
 彩乃の背水の陣によって、御殿たちの命はつながれたようなものである。

 おかげで、今もこうして狐姫の治療に専念できている――。

 レーザーを食らったハートプレートは焼け焦げ、ボロボロになりながらも彩乃の命を救った。それは御殿の意志がそうさせたといえよう。

 母に無事であってほしいという、無意識からの行動。子供の願い――。

 いっぽう御殿はというと、鴨原の指示によってフェアリーフォースに蜂の巣にされる有り様。自分の命よりも親の命。
 子供に死なれたら親を泣かせるハメになることが分かっているのだろうか。まったく以って方向音痴な親孝行。全身に弾幕のシャワーをあびた姿は母親には見せられない。

 シュベスタ研究所で爆発が起こる直前、詩織と沙々良に救出された彩乃は脱出する時に、負傷した狐姫を偶然見つけて回収した。

 集中治療室に担ぎ込まれた狐姫の体。傷だらけの体――衰弱が激しい狐姫の治療がはじまる。妖獣とはいえど若年、かよわき少女だ。弾丸を受けたり、八卦の力で覚醒した相方に手を突っ込まれたり。と、けっこう痛い役を演じてきた。体の負傷というよりは、精神に大きな影響があるようだった。もちろん、安静にすることで回復傾向が見られた。

 眠る狐姫はうなされ続ける。
 何にうなされているのか――周囲には検討もつかなかった。

 瀕死の狐姫が目を覚ましたのは運ばれてから3日後のこと。
 何をするでもなく、ただベッドの上でボ~ッと窓の外をながめては、うわごとのように小声を発し、存在しない誰かに文句をぶつけるのだ。


 包帯でグルグル巻きにされた体が痛々しい。スーパー狐姫ちゃんタイム、只今休業中。

 見舞いに来る叶子が差し入れをくれるものの、口に運ぶ食ぺ物はどれも味気ない。決してマズイわけではない。

 何か物足りない気がするけど、それが何なのか狐姫には分からない。そんなもどかしさを胸に、差し入れをモグモグ食べながら今日も叶子に問う。

「――御殿? 想夜? ……誰だ、ソレ?」

 狐姫は記憶障害を起こしていた。ずっとこんな日々が続いている。

 何ということだろう。悲惨なことに、想夜と御殿の存在を忘れているのだ。

 理由は明白だった。想夜も御殿も、狐姫にハイヤースペックで接続した人物だ。それが狐姫の心身に、こうして影響を及ぼしている。

 彩乃は言う――想夜の接続方法に問題はなかった。が、問題は御殿のハイヤースペックにあった。八卦の力が強力かつ不安定なため、接続者の心身にかかる負荷が大きい。狐姫と共鳴したまではいいものの、接続解除がうまくいかなかったために、ハイヤースペックの免疫がない狐姫側に悪影響が出てしまった。

 OSのシャットダウンに失敗したと言えば分かりやすいだろう。無理に電源プラグを引っこ抜いたために記憶に影響が出たのだ。

 御殿のレゾナンスは、他者との精神と肉体を共鳴させ、融合することができる。それ故、不安定な力を発動させた副作用から、狐姫の精神に何らかの影響がでたのは言うまでもない。

 一時的なものではあるようだが、記憶の混乱は今も続いている。


 狐姫は眠る。
 夢を見るたび、いつも同じ顔が浮かぶ――2人の女だ。黒髪ロングとポニーテール。そいつらが胸の傷口に手を突っ込んでくるのだ。痛いのに、血が出てるのに、無理やり捻り込んでくるのだ。

 「友達を助けて」とお願いしているのに、酷いことをする奴ら――狐姫は思う、きっと敵に違いない、と。

 狐姫の中でバラバラに散らばった記憶の破片がデタラメに混ざり合い、ステンドグラスのような不恰好な記憶を作り上げていた。

 そうして狐姫は今日も悪夢にうなされる。

 ――けれど、なぜだろう?

 狐姫は2人の女を求める自分に気づきはじめている。悪夢が事実じゃないことに気づきはじめている。シュベスタ炎上のフラッシュバックが脳内で起るたび、炎の津波が押し寄せる幻覚に襲われるたび、頭痛を走らせては頭を抱え、黒髪とポニーに愛おしさを覚えるのだ。

「会いたい、会いたいよ……」

 誰に?

「……わからないよ」

 独りごと。

 悪夢と愛おしさの矛盾に潰されながら、狐姫はいつものようにうなされ、涙し、眠りにつく。時折見せる無口な姿は、魂の抜けた淑女のようであり、狐姫であって狐姫じゃない。まるで別人だった。


「狐姫さん、ケガのほうは心配しなくても大丈夫よ。しっかり栄養とりなさいね」
「はあ、ありがとう、ございます。水無月、先生」
 狐姫は元気の無い返事をしては考える。目の前にいる白衣の女性を見るたび、「何かを誰かに伝えなければいけなかったのに」と後悔の念にかられる。すごく重要なことを忘れている気がする。
 それを思い出そうとするたびに、また胸のあたりに衝撃が走るのだ。まるで銃で撃たれたような痛みが。

 彩乃が忙しなく狐姫の看病をしている。

 事件が起きたのはその日のこと。
 彩乃は想夜が重体で運ばれた旨をナースから聞かされた。
 想夜の容態を知った彩乃は専門医に執刀を依頼した。医療関係にも顔が利く。けれども立ち会うことはできない。今はこれが限界だ。やることは他にもたくさんある。

 それに詩織と沙々良がついているのだから、人工神経等のパーツの管轄は問題ないだろう。そのくらい部下を信用している。


 彩乃が点滴の残量を確認する。

 ――出会いは、その時に起こる。

 コン、コン――。

 誰かが病室のドアをノックする。
「はい、どうぞ」
 狐姫の様子を見ていた彩乃が入り口に目を向け、突然固まった。
「あ――」

 漆黒のジャケットと、マントのように長くて厚いパレオ――。

 なんとそこには愛しき子、御殿が立っているではないか。
「こ……御殿」
 信じられない。こんなことってあるのだろうか。

 ――愛する子が生きていた。
 生きて帰ってきたのだ――。

 彩乃の目が熱くなり、込み上げる思いが涙となってあふれ出る。それを止める術は、彩乃がどんなに優れた研究者といえど見つけることはできなかった。口を覆う両手の上を、瞳からこぼれ落ちる涙が流れてゆく。

 大量の涙。
 安堵の涙。
 幸福の涙。
 ――どんな言葉を使っても、彩乃が流す涙の価値を表すことなどできなかった。

 彩乃はどうしてよいのか分からないでいた。

 抱きしめたい、その身を。わが子を――。

 しかし、である。彩乃はためらうのだ。「自分に母親を名乗る資格があるのだろうか?」と。

 親である責任と、子供を育てることができなかった無責任さ――葛藤が彩乃の行動に規制を作る。

 御殿の後ろから叶子、華生、それに目を覚ました想夜が入ってくる。
 御殿と彩乃のやり取りを見かねた想夜たちだったが、母と子のデリケートな問題を前に、なんの対処もできないでいた。

 御殿と彩乃のために何かできないだろうか? と頭を悩ませても余計なお世話になりかねない。けれど何かできないかと頭を悩ませる。

 いつまでもボケッと突っ立ってるわけにもいかず、彩乃は軽く鼻をすすると御殿たちを室内へ通す。
「みんな、無事でよかった。さ、中に入って――」
 とっさに涙を隠し、彩乃は一同を部屋に招きいれた。


 御殿の中で葛藤がはじまる。

 この人を何と呼べばいいのだろう? 彩乃さん? お母さん? ――御殿は少しだけしぶるようだったが、決して表情には出さない。
 心を殺す御殿に、叶子はふたたび思いを馳せてしまう。

 この人が自分の母親なのだ。八卦プロジェクトによりわたしを作成し、データを収集し、そして破棄した。

 わたしは、この人に捨てられたのだ――そんな思いが御殿の中には少なからずあった。その気持ちを殺し、目をそらし、ぶっきらぼうに口を開いた。

「――水無月先生、狐姫の様子、どうですか?」
 今さら「お母さん」だなんて、簡単に呼べたりしない。人の気持ちは簡単に切り替えることなどできない。ましてや御殿はそんなに器用じゃない。
 御殿の態度はいたって冷淡だった。

 彩乃だって気まずい空気には耐えられない。とはいえ、今はやることがある。

「狐姫さんは無事よ。ただ、ちょっとね――」
 意味あり気にする彩乃。
 御殿はその理由を叶子から聞いている。

 御殿が狐姫のベッドに近づく。

「――狐姫」
「……誰?」

 御殿の顔を見た狐姫が不安な顔を作る。まるで強姦魔に怯える少女のようだ。ベッドの上で半身になって構えている。
「本当に記憶に支障がでているのね。わたしよ、御殿。わかる? 咲羅真御殿……あなたの、相方――」

 御殿が狐姫に手を伸ばした。瞬間――

「ひっ!?」
 とつぜんの悲鳴。狐姫は耳を覆って顔をふとんに埋めた。

 拒否された御殿は現状が理解できないまま、顔が凍りついた。

「やめろ! やめて、もう……聞きたくない。あんな思いは……したくない」
 狐姫の言葉を聞いた御殿は、きっと手を胸に捻り込んだ時の痛覚に怯えているのだと思った。過去の痛みから逃げているのだと思った。が、次の言葉で見当違いをしていたのだと気づく。

「街を焼かないで……人を焼かないで……みんな……逃、げて。調太郎、逃げて――」

「――!?」
 御殿は頭を殴られたようなショックに見舞われた。なんと御殿の記憶の一部が狐姫に上書きされていたのだ。

「神様、こんなの……イヤだ、こんなエンディング……イヤだよ――」

 天井を見上げ涙する狐姫。その小刻みに震える肩を掴んだ御殿がジッと瞳を見つめた。
「狐姫! そこはアナタの居場所じゃない、戻って来なさい狐姫! 戻ってくるの!!」
 ゆっさゆっさと狐姫の小さな肩をゆする御殿。

 やがて焦点が合ってゆくように狐姫の視線が御殿をロックし始めた。

「――御、殿……?」
 続けて視点をずらす。
「それに……想、夜?」
「狐姫!」
「狐姫ちゃん!」
 そこにいた者たちの顔に光りが差した。

 安堵の顔をする御殿。相方が自分の名前を口にしてくれてホッとしたようだ。
 その後ろで想夜も胸を撫で下ろした。
 彩乃たちの看護の甲斐もあってか、混乱状態にあった記憶が正常に戻りつつある。

 狐姫はうな垂れた人形のように御殿を見つめて呟いた。
「どこ行ってたんだよ……」
「……うん」

 御殿は謝るでもなく、ただ狐姫の言葉にうなずき、受け入れる。

「俺、シュベスタで、おまえのことを呼んだんだよ――」
「……うん……うん」
「……ずっと、ずっと、呼び続けたんだよ」
「うん……うん……」

 罪悪感なのか、相方の優しさに触れたからなのか――恐らくは両方だろう。御殿は瞳いっぱいに涙を浮かべてうなずいている。

「想夜がいなかったら、俺たち……どうなってたと思う?」
 押し黙る御殿に狐姫が追い討ちをかけた。
「お前がいなくなったら、俺、どうすんだよ」
「ごめん……ごめんね、狐姫」

 冷静にしているつもりだったが、やはり我慢できなかった。カッとなった狐姫は頭に血が上り、声をあらげた。

「おまえと出会ってから俺、ずっと信用してほしかった。でもおまえは心を開かない。誰にも近づかない。それどころか死に急ぐように突っ走る。そんなに俺たちって信用ないのか?」

 御殿は自分が周囲にしてきた仕打ちを思い出しては悔やんだ。誰にも心を開かず、ただ距離をとる。そうすることで誰も傷つかない、いざとなれば守れると思っていた。

 ――けれど結果はどうだ? 結果的に多くの人達を傷つけてしまった。

 数々の記憶がドッと蘇り、狐姫の頭の中を覆いつくす。それと同時に、感情を一気に吹き上げるのだ。

「いつもいつも、任務を理由に死ぬことばかり考えてただろおまえ! 過去から逃げ続けても、なにも解決なんかしねーんだよ! おまえが立ち向かうべきは死ぬことじゃなくて、おまえや大切な人達にひでぇことした奴らにだろ! めんどくさがって過去から逃げんなよ!」

 師、幻龍偲の言うように、御殿は戦うことで死への近道を欲してきた。
 御殿が所有する『生』への投げやりな態度、狐姫はそのことをよく知っていた。だからこそ、近づくことで御殿の袖をつまんでは引きとめ続けてきた。

 けれども、狐姫は思うのだ――「俺じゃあ御殿の役に立たないんじゃねーの? 余計な世話を焼いただけだったんじゃねーの?」と。そうやって、狐姫はこの戦いから距離をとり、皆との出逢いを綺麗に忘れるつもりでいた。それも記憶障害の原因の一つだった。

「心にぽっかり穴が空いた時の虚無感がお前にわかるのかよ? 胸をえぐられた時のキモチがお前に分かるのかよ? せっかく忘れかけてたっていうのに、出逢いを帳消しに出来たのに、消えたり出てきたり、人の気持ちを弄びやがって! 思い出さなければ楽でいられたのに……おまえはどうしたいんだよ御殿! ふざけんじゃねえ! ふざけんじゃねえ!!」

 狐姫は枕と布団をムンズと掴み、御殿と想夜に思い切り投げつけた!

 狐姫のシグナル。ずっと御殿に送っていたシグナル――もっと寄り添っていいんだぜ? 寄りかかってもいいんだぜ? そういう母性。

 やがて狐姫は勢いをなくし、うな垂れて言う。
「――もう、俺を置いてくなよな。おまえを忘れるなんて言わないからさ。連れてけよ……連れて――」

 御殿は歯を食いしばってうな垂れ、首をゆっくり左右させる。怪我を見る前までは狐姫を連れて帰るつもりだった。けれど、この怪我では先行きが分からない。狐姫がこんな負傷をしたことがなかったからだ。

「わたしの過去に狐姫を引きずりこんで、もしものことがあったら、わたしは気がどうかしてしまう……」
 狐姫が表情を歪ませた。
「はあ!? もっと頼れよ! もっと信用しろよ! 御殿、俺……そんなに弱くねーよ?」

 御殿の顔色を伺うように、哀願する狐姫が覗き込み、そっと見上げてきた。

「……ね、御殿。俺、そんなに弱くねーだろ?」
「でも、怪我が――」
 御殿が今にも泣き出しそうな顔で眉を寄せる。
 叶子も黙って見てはいられなかった。これ以上、狐姫の傷口が開いたら厄介である。
「狐姫さん、御殿の言うことも一理あるわ。入院中も怪我した体でずっとトレーニングをかかさなかったみたいだけど。まだ完治はしていない、体に無理があるわ」

 それでも狐姫は、御殿と叶子の訴えを涙ながらに退けた。

「違う! 俺は弱くない! ブルースリーは常にトレーングをかかさなかった! 俺はこんなもんじゃない! 全身が燃え尽きるまで鍛えたいんだ! 戦うんだ!」
 振り上げた拳で乱暴に涙を拭う。弱い部分を認めたくないという悔しさがそうさせる。置いてきぼりは無力の烙印を押されるようなものだ。そんなの、狐姫のプライドが許さない。

 指一本で腕立て伏せは朝飯前。骨折した過去もあるが、それでもトレーニングはやめなかった。日々の鍛錬こそが心の師への敬意でもある。
「甘えろよ! 俺に甘えろ! もっと信用してよ……もっとこっちへ近づいてきてよ。俺は相方だろ? おまえの相方だろ? いつもそばにいるからさ――」

 出逢ってから数ヶ月だったが、狐姫は御殿を見てきた。ずっと、ずっとそばで見てきた。だからいろんなことがわかるんだ。食事の時のクセ。手を抜いた時なんかは食パン一枚で済ませたりするヤツなんだぜ。コロッケにたっぷりソースを染み込ませたヤツをご飯にのっけてお茶をかけ、お茶漬けみたくすする。あんがい偏食なところもあるんだぜ。

 外人部隊にいた時期はレーションで済ませた日々が多かったらしく、あまりの味気なさで食卓というものがいっそう恋しかった御殿。
 疲れて帰ってきたときには、枕に顔を埋めてイラついた顔を隠したりする。
 狐姫は御殿のそんな態度を見るたび、なにか嫌なことがあったんだなって思う。御殿もストレスを感じる1人の人間だってことさ。

 布団を股にはさんで寝るのはお互い様だぜ。あれは意外と気持ちよくてクセになる。
 寝言も多いほうだ。あまりにもうるさい日があったので、御殿の口をテープで閉じたら、誤って鼻まで塞いでしまい、危うく取り返しがつかない事態に発展するところだった。

 ハイヤースペックでつながらなくても共有できるものがある。
 今だってほら、何を考えているのか分かるくらいだ。

 御殿は失うことを恐れている――それは大切な人達を持った証。同時に友を信用していなかった罪悪の証。

「俺たち、自分の身くらい自分で守れるよ。なのにおまえは……どうして分かってくれないんだよ。おまえは俺たちの気持ちなんかこれっぽっちも考えてなかったんだろ!?」

 御殿はベッドに近づき、狐姫の体をギュッと包み込んだ。
 御殿の胸元で狐姫が悶える。狐姫はこんなにも感受性が強い少女だった。
 そばにいたのに、どうしてそんなことに気づかなかったのだろう――そう、御殿は己を恥じるのだ。

 戦うことで死への免罪符を勝ち取り、安らかに眠りたい。もう、晴湘市のような惨劇はゴメンだ――いつの頃からか、御殿は心に蓋をした。

 狐姫は涙を拭って、ふて腐れた態度をとる。
「どうせ俺は、おまえの付録みたいなもんだよな。MAMIYAの依頼だって俺はオマケだった。俺……なんだか御殿に粘着しているキモい奴だな。相手のことなんかこれっぽっちも考えていない、自分勝手なヤツだ」
 ははは……己を叱責する狐姫。

 想夜にはそんな狐姫を見ているのが耐えられなかった。やがて黙っていられなくなり、声を張り上げる。

「そんなことない!」

 狐姫の体がビクンと震えた。怯えるように御殿の胸へ体を沈ませては、想夜を覗き込む。

「あたし、偽者のエーテルバランサーとしてこっちの世界に送られたことを知って、すごくショックだった」

 想夜のバランサーレベルはノーランク。フェアリーフォースでは話にならないレベル。メイヴがゲッシュの実験を施すためだけに、想夜は人間界に配属されただけにすぎなかった。最初から捨て駒扱いだった。

「藍鬼になった時もいっぱいいっぱい、痛かった。苦しかった。けれど、とても嬉しかったの。だってそうでしょ? たくさんの痛みが分かるってことは、たくさんの人の痛みを想像できるということだもん」
「俺、他人の痛みなんか……よく分かんねーよ。相手のことなんかどうでもいいから殴り飛ばせるんだ。相手が痛がっているだなんて、考えていたら殺されるもん」

 想夜は千切れるくらい首を左右に、思い切りふった。

「違う! 違う違う! 違うよ! 狐姫ちゃん!」
「想夜……」
「ダイヤモンドでしょ!? 狐姫ちゃんの心は神経のかよったダイヤモンドだもん! ガリガリ削って、輝いて、痛みに耐えながら、輝きを増してゆくダイヤモンドだもん。人のキモチってそういうもんでしょ? 神経のかよったダイヤモンドでしょ? 輝くために削られなきゃならない。削られれば痛いもん。痛みに耐えながら、輝きを増してゆく宝石だもの! 狐姫ちゃんにはそれが備わっているもん! あたし知ってるんだからね!」

 人の心は神経のかよった宝石だ。ガリガリと削られ、激痛を乗り越え、今よりいっそう輝きを増す。他者に思いを馳せる者は、さらに激痛を伴うだろう。心が浅い者よりも、その何千、何万倍もの激痛を伴い、他者の痛みや喜びに共感し、光り輝くのだ。

「たしかに痛いのは怖いよ。けど、痛みは心を進化させてくれるの。だから、お願い……その痛みを恐れないで――」

 あなたの感受性を罵らないで――それが想夜が抱く狐姫への思いだった。

 御殿の心に近づこうと必死だった狐姫。その行動は、なによりも正しい判断だった。
 放っておいたら御殿は死に急ぐ。そんなことは、この狐姫ちゃんサマが許さねーぜ。寄り添うことで死へと向かう特急列車を引き止めてやる。

 想夜は御殿とも向かい合った。

「御殿センパイ、いつかあたしに言ってくれたでしょ? 神様に媚を売っても神様は容赦なく試練を与えてくるって。御殿センパイがいなくなっても、暴魔が手を休めることなんて無いんだよ? 御殿センパイが天国にいっちゃっても、試練は終わらないんだよ? 御殿センパイがいなきゃ、また誰かが酷い目にあうんだよ? センパイはそれでもいいの? 世界のどこかで御殿センパイに手を差し伸べて欲しがっている人がどれだけいるか……想像してみてよ。お願いだから――」

 想夜の問いにうつむく御殿。

 想夜は静かな口調で問いかける。
「狐姫ちゃんの優しい気持ちで、いったいどれだけ多くの人々が笑顔になったと思う? 御殿センパイの強い信念で、いったいどれだけ多くの人々が平和を取り戻したと思う?」

 2人のエクソシストが歩いてきた道のりに残された足跡のまわりには、きっと多くの笑顔が咲いていたことだろう――想夜にはその光景が鮮明に見えていた。

 叶子が御殿の肩に手を置いた。
「過去に何が起こったの? 教えてくれるわよね? もう、ひとりで背負い込まないで――」

 御殿にためらいはない。記憶しているかぎり、全てを答えるつもりだ。


「この任務に就く前、わたしはエクソシストの外人部隊に所属していた――」

 主に欧米を拠点としていたが、世界各国を練り歩いた。
 御殿たちの部隊が通った脇には、暴魔の屍骸が山のように積まれていた。

 暴力祈祷師が集まる対暴魔用外人部隊。暴力的という意味で有名だ。悪魔退治に核ミサイルを落しかねない連中。容赦のない戦術。隊員は全員、悪魔に恨みの炎を募らせてる。愛する者を殺された者、故郷を焼かれた者、そんな怒りまかせの冷戦を続ける集団である。

「エクソシスト部隊には1年所属していた。仕事は今とほとんど変わらない」

 御殿が部隊に所属する前の話をはじめた――。

「晴湘市という小さな街で、わたしは拾われた――」
 拾われた。その言葉に全員が眉をひそめた。

 ――御殿は捨てられたのだ。

 彩乃の細胞にディルファーのデータを取り入れ、そうやって生まれた御殿――想夜たちが彩乃から聞かされた後日談が始まる。

 保護者の咲羅真調太郎という青年を中心とし、御殿は生活していた。現在の苗字はそこから来ている。
 大した娯楽もない街だったけれど、静かで平和な日々を御殿に与えてくれた。

 御殿はそうやって一つ一つの思い出を周囲の者たちに打ち明けた。

「わたしは、通常の人間ではない」
 御殿はシュベスタで見つけたファイルの詳細をみんなに告げた。

 自分が試験管ベイビーであること――。
 八卦プロジェクトの第一被験者であること――。

「プロジェクトは思うように進行しなかったみたい。原因はわたしの知能の進行度にあった」
 通常、八卦の知能は短期間で一気に増幅する。ディルファーの学習能力は人智を超越しているからだ。ましてや生まれる前からデータを取り込まれた御殿は特別な存在だった。
 しかし、御殿の場合はそれが若干遅れた。

「それが原因で、わたしは廃棄物として処理されたわ」
 それを聞かされ、いい顔をしているものがひとりもいない。
「でも、御殿の知能は普通より高く感じるけど?」
 確かに今の御殿は物覚えもいいし、英字新聞ですらスラスラ読める。一般人と比較すればIQは高い。
「一足遅かったのよ。クリティカルエイジというべきか、八卦特有の超学習能力というべきものがね。八卦の中では発達障害に該当するわね」

 クリティカルエイジ――物心ついた後の子供が一気に学習能力を高める期間。この期間に言語などを一気に習得する。第一次成長期までにクリティカルエイジは終了し、学習スピードは年齢とともに平均値へと下がってゆく。

「破棄された直後にわたしが生き残ったのは、超学習能力の向上で救われたようなものね」
 御殿はダイニングで働くこととなった。そこで超学習能力がようやく目覚め、短期間の内に言葉、常識、基礎学習、料理を覚えた。

 叶子が問う。
「あなたと生活していた晴湘市の人たちは今どうしているの?」
「……みんな死んだわ」

 御殿の言葉に一同が絶句した。

「なんですって?」
 今度は言い聞かせるようにしっかりと一語一句を言った。
「みんな、死んだ。死んだのよ」

 御殿はそこに自分も付け加えた。

「わたしも死んだ。親のように接してくれた人の前で、悪魔に心臓を突かれて殺された。けれど何の因果か、わたしは蘇生術で蘇った」

 死にフラれた戦士、御殿はネクタイを外して服を脱ぐ。露になったブラの隙間から、左乳房の裏側についた傷跡を皆に見せた。

 一度止まった心臓をどういう手術で動かしたのはは分からないが、世の中には命をつなぐ天才がいるものである。

 血塗られた記憶の処理が仕切れず、御殿は記憶を心の奥へと追いやりフタをした――トラウマの完成である。
 思い出されることのないトラウマは、思い出そうとするたびに御殿の頭をガツンと殴りつける。思い出すなと痛めつける。

 いま思い出してみると分かるだろう。聖色市に来てからずっと、御殿はいたるところで激しい頭痛に襲われている。それがトラウマに触れた瞬間だった。

 狐姫は学校に興味を抱いていたが、御殿には学生時代の記憶がない。なぜなら昔の記憶に触れるたびに炎の街が蘇るから。

 叶子のロッカーでも御殿の容態が急変し、想夜に支えられた事があった。
 叶子は平和を求め、華生とともにユートピアを目指したが、御殿の平和な日常は晴湘市で取り上げられてしまった。それが御殿の精神に多大なるダメージを与えていた。

「いったい街で何が起きたの?」
 叶子の問いに、御殿は熱いコップに触れるように、ちょっとずつ過去の記憶に思いをめぐらせ、自分を慣らしてゆく。

「わたしが覚えているのは、得体の知れない生物が街の人々を食い散らかしていたこと。あたり一面は火の海。家族のように接してくれた人もいたけれど、あの災害では生きていないでしょう。知人の遺体も何体か確認した」

 自分を拾ってくれた人、生活の一部だった人、自分を育ててくれた人たち――皆の最後の姿が脳を支配する。

 叶子が訝し気な表情を見せた。
「妙な生物の正体って何? どんな形だったの?」
「今なら分かる。あれは妖精だった。魔族にしては顔立ちが綺麗だった。鬼のように憤怒していたけれど」

 中には魔族も混じっていたが、憤怒した妖精の顔は魔族と違わない。

「妖精と悪魔が暴れていたってこと?」
「ええ。わたしはそれを妖精とは思わず、悪魔の類と一緒くたにしていた。あまりにも恐ろしかったから」

 街を地獄にした魔族。それがキッカケで御殿は執拗に魔族を恨むようになった。

 そこで登場するのが『馬車に乗った女』の存在――タールをかぶったように黒い女。晴湘市を地獄に変えた女。事件の鍵を握っている女。


 八卦の話。
 3年以上も前の話。想夜がまだ人間界に来る前の話――。

「わたしは水無月先生の卵子からつくられた」
 御殿は皆に言う。
「シュベスタで狐姫がわたしに言いかけたわよね? あの日の前日、想夜は狐姫と連絡をとっていた。きっとわたしの話だったのでしょう?」

 想夜たちはみんなで話し合った。そうやって御殿に本当のことを伝えようとした。

「あなた達が知っているように、水無月先生は……わたしの――」

 わたしのお母さん――その一言が素直に出なかった。

 今さら母と呼べようか? さきほどの感情が尾を引いている。けれども御殿の脳裏には、シュベスタで見てしまった日記の内容が残っている。子供を育ててゆくという決意、子供を破棄されたという絶望。子供との思い出がたくさん記されていた。

「水無月先生は……わ、わたしの――」
 叶子が御殿の肩に手をそえた。
「もういいわ御殿。今日はそのくらいにしておきましょう」
「ありがとう、叶子。そして、ごめんなさい」

 御殿が深呼吸をする。これからはじまる物語のスターターピストルを打ち鳴らす。
「想夜とフェアリーフォース、愛宮鈴道氏殺害の犯人――解決していないことは山のようにある」
 これから先、戦いは今までよりも困難を極める。八卦プロジェクトが消えても、フェアリーフォースの件は生きている。
「これから、わたしは行動に出る。もし、この戦を続ける人がいるのなら――」
 御殿はかしこまり、耳まで真っ赤にして深々と頭を下げた。
「お願い、みんな。力を貸してちょうだい」
 かなり照れる。けれど、素直が一番だ。

 まだ見ぬ黒幕を引きずり出す――御殿のその胸に秘めた思い、分かってほしいから。

 叶子たちは互いの顔を見合わせ苦笑した。
「乗りかかった船。協力するに決まってるでしょう? むしろ大海原まで来てるけれどね」
「もちろんです! ヒロインを守るのはヒロインの役目です!」
 と想夜、意味不明の発言。自分の身は自分で守れ、とも取れる。
「メイヴがまた姿を現すかもしれません。わたくしもお供いたします」
 華生も意気奮闘。
 御殿が顔をあげる。
「ありがとう、みんな」

 狐姫はどうしよう? 傷が深いし、無理に動かすと今後の生活にも支障がでる恐れがある――そう躊躇していた御殿の脳裏に狐姫の言葉が広がる。「連れてけ……連れてけよ。もっと甘えろよ」と。

 スパックハザードの影響で多くの妖精たちは凶暴化している。よって、より多くのハイヤースペクターと対立することになる。
 今までの戦い方では太刀打ちできないだろう。

 それでも、進まなければならない道が目の前にある――。

 御殿は顔をあげ、狐姫をまっすぐに見つめた。
「死ぬかもしれないわよ? それでも来てくれる?」
「俺が守ってやるよ」
「バカね」
「うっせ」
 御殿はくすりと吹き出し、狐姫に近づくと髪の毛をそっと撫でた。

 御殿にすがるよう、甘える狐姫がボソリと呟く。

「……御殿」
「ん?」
「……おかえり、御殿」
 御殿は狐姫の頭を胸にうずめた。
「ふふ、ただいま」
 ブロンドの頭を御殿の腕が包み込んだ。
 御殿の心にはもう壁はない。シュベスタが炎上した時にヒビが入り、この短期間で取り払われた。

 心が抱える傷は、対処法によって一瞬でふさがる。この数日間のうちに御殿はそれを成し遂げた。激痛をともなうこともあったけれど、治療のまえには体を開かなければならない。苦痛は癒しへのスタートラインだ。

 御殿は今、過去から解放され未来に向かう。

 ――と、その前にやっておくことがあるだろう?
 そう、もっと寄り添うべきだ。

 信じろ。
 どこまでも友を信じるのだ。


 気を取り直し、御殿は狐姫をそっと引き剥がすと、テーブルのプリンに手を伸ばす。
「ほら、狐姫は病人なんだから。ちゃんと食べなきゃ」
 御殿が差し入れのプリンをスプーンですくっては、狐姫の口に運ぶ。
「い、いいよ……自分で食えるってば」
「遠慮しない」
「してねーよ!」
 狐姫はしぶしぶ口を開けるも、口の中では甘くてプルプルな食感が広がりを見せる。

 どうしたことだろう? あんなに味気なかった食べ物がとても美味しく感じる。極上の甘さを奏でてくれる――まるで魔法の調味料を加えたかのようにガラリと、一瞬で味に変化が起きたことを狐姫は忘れない。

 少しだけしょっぱいプリンだったことも、狐姫はきっと忘れないだろう――。

 そこへ想夜が割り込んできた。
「いいな~。御殿センパイ、あたしも御殿センパイのプリン食べたい」
 あ~ん。想夜が大口を開ける。
 それに続いて叶子と華生も加わり、
「今回、私は非常にガンバリました。ご褒美がほしいところだわよね――」
「まことに恐縮ではございますが、わたくしも『あ~ん』させていただきます――」
 御殿の前で大口開けた。
「もう、しょうがないなあ……」
 ヒナ達にエサを与える御殿お母さん。
 元気な鳥達を見届けた後、彩乃は安堵の笑みを浮かべ、そっと部屋を後にした。


「お嬢様、帰り仕度が整いました」
 荷物をまとめた華生が叶子に報告。
「よし、忘れ物はないわよね」
 退院の仕度を済ませ、一同が病室を後にする。

 賑やかだった空間に御殿と彩乃だけ残された。

 母と子が戸惑う。一体なにから話せばいいのだろう、と。

 御殿が無言で彩乃の横を通り過ぎ、病室から出てゆく。
 けれども、込み上げてくる衝動で足が止まる。
 そうして御殿は彩乃に背を向けながら、こう囁くのだ。

「――無事でいてくれて、良かった」
 ――と。

 それを耳にすれば彩乃が泣いてしまうというのに、御殿は口にするのだ。
「生きていてくれて、ありがとう――」と。

「――御殿」
 ほら、泣いた。

 愛されし子よ、あまり親を泣かせるもんじゃない。
 御殿はそのことを知ってか知らずか、振り向くことなく部屋を後にした。


柊 双葉ひいらぎ ふたば


 自分の代わりが世界のどこかにいて、その人が自分の穴埋めをしてくれる。
 つまり、自分はいらない。

 まわりにはたくさん人がいるのに、誰も友達と呼べる存在がない。
 つまり、自分のこともそんなに大切には思えないわけで――。

 明るめに染めた髪をシュシュで束ねてサイドポニーに。学校指定よりも短くしたスカートを腰で結わえたカーディガンで覆い、マスカラ、ファンデ、チークにルージュ……と、メイク具合を手元の鏡でチェック。
 猫のような小顔にツリ目。背伸びはすれど、あどけなさが残る瞳。女豹になるにはまだ早い。女は揉まれて強くなる。
「――よし、抜かりはない」
 抜かりはないが、何のための戦闘準備なのか分からない。男を落す技量も揉まれたこともないクセに。

 それでもメイクをするのはなぜだろう?
 自分を消したいの?
 別の誰かになりたいの?
 自己主張を消すことで自分という存在から逃れることが出来るの?
 誰かを演じることで、自分の役割りを放棄することは可能なのか?

 ――答えはこうだ。

 別に消えたいわけじゃない。そこまで深くは考えていない。

 誰かになるとすれば……そう、お金持ち?
 自己主張などは相手に拒否されれば、それで終了。口ゲンカの産物にはキョーミなし。
 誰かを演じるのは面白そう。だけど、自分の役割りからは逃げられない。宿命という宿題は誰かにやってもらうものではないってことくらい分かっている。

 ――以上。


 愛宮総合病院 屋上――。
 洗濯されたシーツが、ところ狭しと干されている。

 弟の容態が急変してから何日目だろう。隣街の高校に通う柊双葉は、柵の手前でひとり端末に話しかけている。
「うん……うん。わーたって。女の子を連れていけばいいんでしょ?」

 端末の向こうから女の声――余裕を持て余すような、楽しんでいるような。双葉が焦るほど、女の声が楽しそうに聞こえてくるのは気のせいだろうか。

 世の中には他人が失敗した時に、嬉しそうに慰める輩がいる。それをパラノイアだのサイコパスだのと誰かは言う。

「え? 助っ人? いらない。あーしハイヤースペクターだから……1人でも充分だって」
 端末の向こうから強引に詰め寄る言葉に双葉は口ごもる。
「……わかった。使える味方なら問題ない、援護して。それより――」

 双葉は端末を持ち替え、耳に当てなおす。

「――成功したら、お金……ちゃんと払ってよね。約束したからね――」
 寂しげな声のあと、静かに通信を切った。
「ふう……」
 静かにため息。

 フェンスにもたれ、空を見上げる――。

 ちょっと前までは、そんなに難しいことを考える人間じゃなかった。

 両親が蒸発し、姉弟ともに親戚に引き取られた。
 今の親は子供に恵まれなかったためか、とても良く面倒をみてくれる。
 ただ、金銭面では迷惑をかけたくなかった。甘えすぎると絆が深まる。

 つまるところ、現在の両親とは絆を深める気はなかった。本当の両親ではないと分かっているから遠慮が先立つ。

 学費をバイトで稼ぐ姿を見せるたび、養父母はつらそうな顔をしていた。もっと甘えて欲しいのだろう。それが分かっている双葉にも苦痛だった。

 弟の手術には莫大な費用がかかる。そっちのほうが優先大だ。けれど、とても一般人には払える金額ではない。

 甘えるということが、よく分からない。
 どこまで甘えたらいいのだろう?
 双葉は甘えることがヘタクソだ。

 難しいことを考えるのは性にあわない。即答できるほど頭は良くない。

 適当に授業に出て、かったるくなったらサボって。
 何となく気の合う友達と適当に付き合って、気が合わなくなったらフェードアウト。
 割のいいバイトを探して、家では弟の面倒を見て、ゲームをしたりして遊ぶ。

 その日その日が楽しければそれでいい。未来のことなんか知らない――双葉の一日は投げやりでも、それで充実したものだった。


 双葉の体に異変が起きたのは数週間前。街はずれのシュベスタ研究所の火災直後からだ。
 はじめは自分の体に困惑していた。ただただ取り乱すばかり。だって「男の子」が生えてきたのだから。

 「もしアレが生えてきたらどうする?」――それとなくクラスの女子に聞いてみる。

 当然のことながらドン引きの半笑い。&ドン引きの眼差しを食らう。それを冗談だと言って返すも、双葉の体が「真実」を語っていた。

 時期が重なるように、自分と同じ姿形をした少女が現れる。それが妖精アインセル。

 アインセル――相手そっくりに化ける妖精。その目的や意図がはっきりしない存在である。優しいのか攻撃的なのかも不明。無論、マネた相手の魂を食らうようなこともない。

 スペックハザードをキッカケに、暴徒化した妖精アインセルは双葉に憑依した。双葉が日頃から感じている「自分の代わりはいくらでもいる」という考えと、アインセルの「誰かの代わりを演じたい」という利害が一致したのだ。

 以来、双葉はアインセルからハイヤースペックを継承した。

 暴徒化したスペクターたちを刈り続け、双葉は強さを増してゆく。そこにはアインセルのハイヤースペックが強い効果を発揮していた。

 電話の相手から双葉の端末に画像が送られて来た。
 それを見るなり、双葉が呆れ顔をつくる。
「まだ子供じゃん」

 そこには10代前半のおさげの少女が写っている。ぬいぐるみを抱きかかえ、弱々しい視線をこちらに向けている。

 双葉が端末をしまう。
「力を手に入れたんだから、使わない手はないよね」
 割のいいバイト。
 ハイヤースペクターを消すバイト。
 相手がスペクターなのだから、人間を傷つけることにはならない。

 例え殺したとしても、それは殺人ではない――双葉の中では、そんな公式が成り立っていた。

 ハイヤースペクターである双葉自身、己が生粋の人間ではないことを理解していた。
 ハイヤースペックと引き換えに、人間の仲間にはもう入れない。そんな考えから生まれる疎外感と孤独感をも持っている。
「巧が助かれば……それでいいじゃん――」

 自分あーしはもう、バケモノなのだから……。

 青い空が冷たく見えるのは。双葉の気のせいだろうか?

 見るもの一人一人に対し、違う光景が広がる世界――双葉にとって目に映る世界は……どこまでも薄情で、冷たく感じられた。


「――ふう、巧に飲み物でも買って帰ろう」
 しみったれた時間は大嫌い。

 病室に向かう途中、ロビーで数人の女子の群れと鉢合わせた。

 ヘアバンドをした少女がかるく会釈してくる。重そうな荷物を両手いっぱいにその場を後にする。
 双葉もそれにならって会釈。顔だけは作り笑い。即効で取り繕ったインスタントスマイル。いつものこと。
 隣の病室に入院していた患者と見舞い客の御一行。

(あの子はたしか焔衣さん。もう退院か。シュベスタの火災に巻き込まれた重症患者だったはずなのに……)

 驚異の回復力がうらやましかった。弟もそんなふうに元気だったらよかったのに――双葉は肩を落して廊下を歩いて行く。

 病室に向かうエレベーターの中、ふたたび端末を取り出して少女の画像をチェック。
「やればいいんでしょ? あーしには、これしかできないんだから――」
 刻む階数の数字が高くなるにつれ、まるで天国へ登ってゆくみたいで、ふと、寂しくなった。


愛宮叶子のメイドたち


 一同が愛宮邸に到着。

「あーそうそう。先に紹介しておくわね」
 振り返る叶子を前に、想夜たちが不思議そうに顔を見合わせる。ふたたび叶子に目をやると、いつのまにかメイドがズラリと整列していた。
「うを!? い、いつの間に……」

 狐姫が絶句するのを無視し、叶子がベラベラ喋り始めた。

「私のメイド。私専用のメイド。私が揃えたメイド。私だけの――」
「あーはいはい」
 狐姫がウザそうに耳をほじほじ。自慢話とかウンザリだぜ。
「ちなみに右から、フィファニー&ステファニー、双子ね。エレガノ、オルガノ、マウラ、寿々、シンフォアール、メイ、ランティー。ご存知ラテリア……覚えた?」
「わかるか!」
 電化センターのウザい接客みたく、早口でメイドを紹介してきた。
 やはりツッコミ役がいると場が引き立つ。

「――あ、もう下がっていいわよ。ご苦労様」
 にっこり。叶子の笑みと同時に、

「「「「「「「「「「かしこまりました、お嬢様」」」」」」」」」」」

 メイド達は口を揃えてどこかへ消えた。

「綺麗にそろってる。そろってるけど……うぜぇ」
「合唱団みたい……」
 狐姫に続いて想夜のアホ毛が飛び出す。賑やかになりそうだ。


 多くの赤帽子を匿うのには事情があった。
 スペックハザードが発令されてからというもの、何者かに赤帽子が狩られる事件多発している。
 犯人はハイヤースペクターなのだが、若い女という情報以外、今のところ手がかりがない。

 そんなこともあり、愛宮邸で保護することとなった。

 御殿が問う。
「でも、どうやって想夜の居場所を突き止めたの?」
「そのことなのだけど……」
 御殿の問いに叶子が答える――。

 スペックハザードから数日後、叶子の元へボロボロになった一匹の妖精がやってきた。
 それは羽の生えた小さな妖精。何を言うでもなく、叶子と華生の脳に直接ゲッシュ界のヴィジョンを送ってきては、どこかへ飛んでいった。それと同時にフェアリーフォースからの使いだということも知る。想夜の安否を知らせに来た妖精が敵に思えるはずもなく、叶子はその妖精を『情報屋さん』と呼ぶことにした。

「小さな情報屋さんがね、藍鬼になった想夜の状況を報告しに来てくれたのよ。想夜がゲッシュ界に飛び込んだこともね。おかげで戦略を立てることができたわ。いい仲間を持ったわね。感謝なさい」
「小さな……妖精?」
 想夜には心当たりがあった。
 魔族がワームを使い魔として扱えるように、妖精の中には小さな妖精を伝書鳩として扱う者もいる。
 
 ――それは京極麗蘭きょうごくれいらだ。

「京極隊長……」
 想夜の心がざわついた。
 牢獄の中、想夜に語りかけてきた小さな命は、間違いなく麗蘭が放った妖精。滅多なことでは人間界に送り込むことなどしない。どうしたことか、麗蘭は妖精を媒体として、想夜に語りかけてきたのだ。

 すなわち――

「きっと、妖精界で……何かが起こってるんだ」

 『何か』とは何か――想像できることがあるとすれば、『混乱』である。

 想夜が想像するように、いまフェアリーフォースではちょっとした混乱が生じていた。それは想夜の起こした波紋も含まれるのだが、別件の問題が浮上している最中だった。

 御殿が想夜の肩に手を置いてなだめた。
「想夜、焦る気持ちもあるだろうけど、今はわたし達にできる最善を尽くしましょう」
「御殿センパイ――分かりました」

 今の人間界はスペックハザードにより混沌と化した戦場。
 荒れ狂うハイヤースペクター達を静めるためにも、元エーテルバランサーは行動を起こす。
 役職から解放されたことにより、任務ではなく、ただ人間界の力になりたいという想夜個人の揺るぎなき気持ちで成り立つ役職。

 ――要請実行委員会。改め、妖精実行委員会がふたたび動き出す!

 暴撃妖精ダフロマが逃げ出した。何者がそうさせたのかは分からないが、食い止めなければならない。
 やることは、山積みだ。

「妖精界のことは心配です。けど、あちらの人達に任せます。みんな強いから大丈夫。あたし、信じてます」
 想夜は不安気な顔をやめ、眉に力を入れた。

 不安を拭え。
 今、自分にできることをすればいい。

 自分の中で最善をつくせば、結果はおのずといい方へと向かうもの――想夜は前へと進みだした。