9 ハイヤースペック・レゾナンス


 マグマの津波がすべてを飲み込む瞬間、叶子と華生は空中を泳いでいた。羽を広げて飛んできた想夜が2人を安全な場所に避難させたのだ。

「想夜!」
「想夜さま!」

 全身で風を受けて上の階まで飛んでゆく感覚、まるでサーカスの空中ブランコのフィニッシュような爽快感。

「2人とも無事でよかった!」
 想夜は1階ギャラリーに2人を下ろすと、自分も身をかがめて下の様子を伺った。視線の先、ホール中央ではマグマに包まれたバケモノが、気狂いのごとく派手に暴れまわっている。

 想夜はバケモノのほうを見ては不安げな表情に戻る。叶子と華生も一緒になってバケモノを監視している。

 熱は上へとのぼる習性がある。炎に包まれたホールはギャラリーまでも蒸し風呂のように熱してくる。
 みな全身の毛穴が開き、一瞬で汗まみれ、水を被ったような酷い状況だ。
「いったい何が起こっているの?」
 叶子は説明が欲しかった。無理もない。誰だって今の状況を把握できていないのだから。

 想夜はバケモノをじっと見つめてこう言った。
「『競合』が起きてエラーが出たんだと思う」
「競合? どういうこと?」
「『ハイヤースペック・コンフリクト』」
 華生が説明に加わった。

 ハイヤースペック・コンフリクト――ハイヤースペック発動時のエラーの一種。能力の競合、または衝突。接続を切らないまま、別の妖精と能力を共有することで起こる能力重複エラー。いちど接続を切ってから未接続の状態に戻して初期化、接続可能状態に肉体を整え、再度接続することで修正することができるが、記憶や体の断片が破損してしまう可能性がある。

 今回のケースでは、無理な接続をおこなった御殿と、それを拒否した狐姫の意思に問題がある。
 ひとつの体で能力を使うとき、複数の意識が働いて異常が出たと予測される。
 ハイヤースペックの発動に成功すると、華生と意思疎通ができる叶子のように爆発的な能力をスムーズに繰り出すことができるのだが、意図しない意識が加わった場合、能力をうまくコントロールできずに異常行動、または異常変形が起こる。

 ハイヤーセルフが意図しない接続は、いわば相手を強姦しているようなものだ。
 ハイヤーセルフはそれを許さない。

 八卦の能力を発動した御殿に取り込まれてゆく狐姫は、それを拒絶した。
 結果、ハイヤースペックの発動は失敗に終り、2人は目も当てられない不気味な姿へと変わっていった。
 それはハイヤーセルフが与えた罰である。

 醜女しこめさえも笑う不気味な形、理解できない不気味な思考。今回は、最悪のケースである。

「狐姫ちゃんに拒絶されたのはもちろんだけど、御殿センパイはなんらかの形で、すでにハイヤースペックを発動させていたんだと思う。そこへさらに狐姫の能力と融合を開始したことで、今回の現象が起こったんだ!」
「すでに能力を発動させていた? 一体どんな?」
「わからない。人間離れした体術かもしれないし、銃を扱う能力かもしれない」

 あふれ出したマグマは狐姫の能力だ。御殿のものではない。御殿の能力は謎のまま。

「そうか。だから性別が不安定なままだったのね。能力も謎、か。見えないものほど怖いものはないわね」
 華生があることに気づいた。
「八卦はディルファーからデータを取り込んだのですから、ディルファーの能力の一部だと思います」
 なるほど。想夜と叶子がうなづいた。
「彩乃さん、データを8つに分断したと言ってたわね。その中の一つか。 ……で、その能力って何?」
「わかりません」
 キッパリ。
 華生の残念な答えに叶子は肩を落とした。一介のメイドにMAMIYAとシュベスタの共同開発がわかるはずもない。

「――ただ、風水に例えているようなので、『天、地、雷、風、水、火、山、沢』のどれかに当てはまると思います」
「火じゃないの? 狐姫さんと相性いいみたいだし。あ、でもよくケンカしてるから火と水? 火と油?」
「それを言うなら水と油ですね、お嬢様」

 僭越せんえつながら叶子様、油なんて属性は八卦にございません。それに火と油はメチャクチャ相性いいです。

 負けじと想夜が割り込んできた。
「あ、あたしだって御殿センパイと相性いいよ? 一緒にゴハン食べたりするもんっ」
「なに張り合ってるのよ。ゴハンならいつも一緒に食べてるじゃない、学校で」
「学校でじゃないもん、『ほわいとはうす』でだもん」
「なんでそこでムキになってるのよ」
 非常事態にもかかわらず、暴投的嫉妬心をむき出してくる。「私と仕事、どっちが大事なの!?」。女ってそういうものなの。


 御殿と狐姫を救済するための策はないのだろうか?
 叶子が思考をたぎらせるも、バランサーほどの知識人には程遠い。

「なんとかならないの?」
 叶子が問う。フェアリーフォースに知恵を借りたいところだが、現状から察するに難しい願いだろう。なにせ、こうしている今でも暴れるバケモノ目がけて砲撃しまくっているのだから。親の仇のごとく、殺す気満々だ。

「ハイヤースペックの切断は可能だけど、それはあくまで人間と妖精――つまり、叶ちゃんと華生さんのような正規の接続方法を使った場合のみ保証されることだから」

 正直自信がない。うつむく想夜の心を汲み取った叶子が話しを付け加えた。

「狐姫さんは妖獣、御殿さんはハイブリッドハイヤースペクター。単純に接続を切るってわけにもいかなさそうね」
「うん。こんなの初めて、だから……」
 無理もない。妖精の力に頼ることなくハイヤースペックを発動する人間なんて見たことがない。まさか人類が八卦なんて産物を作るとは思ってもみなかったのだから。

 想夜は思う――この先、御殿と狐姫に終わりがくるのは明白だ。だったら、抗いながら終わりを迎えたほうが価値のある戦いになるのではないか?

 想夜はワイズナーのグリップを握り締めた。
「御殿センパイと狐姫ちゃんの接続を切ってみる」
「アレと戦うというの!?」
 かつては人の形をしていたはずの御殿と狐姫を『アレ』と、人外扱いしている自分を悔やんだ。

 いつだっただろう、叶子自身もそう言われた時があった。フェアリーテイルを発動させた時、叶子は『アレ』と呼ばれる魔人の姿となった。そして今回、叶子は御殿のことをそう呼んでいる。なぜなら、アレと呼ばれるだけの歪な姿をしているからだ。それは避けようのない事実。

 ――それでも叶子は想夜に未来を託す。

「切断後はどうする気?」
「切って……もう一度、紡いでみる」
「再接続? 出来るの?」
 訝しげな表情の叶子を前に、ワイズナー手にした想夜の瞳に力が入る。

「――やる」
 想夜の瞳に覚悟の光。

 引き返しはしない。
 ただ前進、前進、前進あるのみ。
 でなければ、伸ばした手はどこにも届かないのだ。

 想夜の決意は固い。『できるかもしれない』ではなく『やる』のだ。
 なんとしてもやる。
 成功率は100%。
 成功以外は許さない。
 判決は自分で決める。
 ――それが力を持つ者の特権。

 想夜の信念がつくりだす未来は、もう決まっている――。


 ――灼熱。
 マグマのカーテンが3人の不安を煽る。
「近づけそうもないわね。一時的でもいいから、鎮火の手段があればいいのだけれど……」
 叶子が建物内を見渡しながら策を練っていると、
「あれをご覧ください!」
 叶子の声にかぶせるように、華生は天井を指差す。

 想夜と叶子が天井を見上げると、遥か頭上に小さな装置が設置されているのが見えた。

「あれは……スプリンクラーだ!」
「でも作動しておりません……」
 マグマの熱から遠すぎて作動が遅れているらしい。すぐに作動させることができれば、勝機が見えてくるはずだ。
「あれを使えば突破口が開けるかもね。華生、お願い」
「かしこまりました、お嬢様」
 華生はスカートの裾をつまんで一礼すると、スカートの隙間から太股をさらけ出してギャラリーの柵に飛び乗る。続いて上空へと大きくジャンプ。スプリンクラーの真横にブレイドを突き刺し、ロッククライミングの要領で天上に張り付いた。

 ドスッ。

 もう一本のブレイドの柄で警報装置に打撃を与えると、ふたたび叶子のところへ一直線に戻ってきて着地する。

 スタッ。

 体重知らずの軽快な着地音。足首への負担が少ないやり方だ。
 叶子はブレイドを壁に立てかけ、手で肘を包むような腕組みで一部始終を見ては、横目で華生に「ごくろうさま」と贈る。
「うまく作動するとよいのですが……」
 3人は天井を見上げている。祈る気持ちでいっぱいだ。

「「「……」」」

 故障か。
「なにも起らない……」
 ように思えた。そんな時だ。

 シャアアアアア……。

 緩やかではあるが、ホール一面にスコールが降りそそいだ。
 スプリンクラーは見事に作動し、ホールに広がるマグマを弱らせてゆく。

 途端に白いもやが一面を覆い隠していった。

「酷い水蒸気ね」
 湿度が急上昇し、ドッと汗が吹き出した。
 蒸し風呂状態。一気に干物になってしまいそうで怖い。「ダイエットは明日から」と全国の女子は決めているというのに、すぐにでも体が骨と皮だけになっちゃいそう。
「今だ!」
 想夜に続き、叶子と華生がギャラリーの柵から身を乗り出してホールに飛び降りた。

 想夜が呼吸すると、水蒸気が肺いっぱいに入ってくる。朝靄だったら静かな時間をすごせたものを、まとわりつく熱気が妙に気に障る。脱水症状も近い。この場所に長くいるのは得策とは呼べない。

 想夜たちは視界を見据え、一直線先に絞り込んだ。

 やがて灼熱の炎が消える頃、水蒸気の中からバケモノが姿を現す――。

 間近で見るといっそう不気味で、それでいて神秘的でもある。この世のものとは思えない存在は、甲乙つけがたい容姿をしているものだ。

 常人が届かない感受性は、芸術家にでも語らせておけばいい。いま想夜たちがやることは、ただ一つ――。
「それじゃあ、いきましょうか」
 頃合を見計らい、想夜、叶子、華生はバケモノの前に立ちふさがった。


 バケモノがスコールに打たれながら、3人をジッと見つめている。
 目は退化していて見当たらないが、頭の向きで想夜たちを警戒しているのが分かった。
「目の前で見ると威圧感がハンパないわね」

 全長3メートル以上はあるだろう、中型暴魔のような造型をしており、背筋がピンと伸びていることから思考を持った生き物だということは感じとれる。が、正常な思考を所有しているかどうかは定かではない。

 目の前のバケモノを相手に、はたして3人は無事で帰れるのだろうか?

「3対1……いや、3対2かしら? 御殿さんと狐姫さん、どちらかの意識があるの?」
「わからない。接続に失敗した御殿センパイが我を忘れて破壊衝動に走っているのかもしれない。接続を嫌がった狐姫ちゃんが暴れているのかも」
 叶子が尋ねるも、想夜は曖昧な言葉を返してくる。

 どちらにせよ、時間が経過すれば全員マグマに焼かれる。マグマで溺死する。

「時間は3分ないと思う」
「急がなきゃ、だわね」
 ネイキッドブレイドに写る己の真っ赤な瞳に誓いを立てる。大丈夫、友を救う力は持っている、怯むことはない――「しっかりするの叶子」。そうやって己を奮い立たせる。

 バケモノが天井を睨みつけている。無意識でスプリンクラーの水圧と温度を計算しているらしい。周囲にマグマをブチ込むタイミングを待っているようだ。
 タイムリミットは2、3分。

 ――そう、たったの2、3分だ。それまでに御殿と狐姫の接続を切らなければ、この場にいる全員マグマの餌食となる。

 ――ハイヤースペックを発動させた御殿との戦いが今、始まった。


ハイヤースペック・コンフリクト


「いくよ!」
 まずは想夜が先陣きって立ち向かう。バケモノの懐に潜り込み、ワイズナーを突き刺すも思ったより皮膚が硬く、矛先が入り込まない。まるでアスファルトにカッターナイフを刺した時の感触。刺さる気配が微塵もない。ヘタをすればワイズナーが折れるかもしれない。

 バケモノは想夜の頭をムンズと掴むとカンシャク玉を床に叩きつけるように、乱暴にブン投げる!
 想夜は床スレスレのところで飛翔、羽を使って床への激突から逃れた。叩きつけられたら即死だった。

 御殿センパイに暴力を振るわれたことがちょっとショック。でも、まだやめてあげない。

 ヒラリ。飛んで戻ってきた想夜に叶子が声をかける。
「大丈夫?」
「まだまだ! 諦めてあげないんだから!」
 戦いは始まったばかりだ。

 叶子は焦りを誤魔化すために、首をコキッと鳴らして余裕の笑みを見せる。
「両方から攻めましょう。華生、左、お願い」
「はい、お嬢様」
 叶子は歩きながら、手にしたブレイドで華生に攻撃を指示すると髪をかき上げ、右から弧を描くように突進していった。

 叶子と華生。カーブを描きながら飛んでゆくボールのように、左右からバケモノを斬りつける。

 肩、腕、腹、足――ネイキッドブレイドの連撃がバケモノの肉体を削ってゆく!

 ボケッと突っ立っているかのように思われたバケモノがゆっくりと動き、鉄柱を持った腕を振り回してブレイドの連撃をはじいた。その後、叶子と華生を振り払うように鉄柱を一振り。お嬢様とメイドをハエでもあしらうかのように遠くへ追いやる。

 叶子は想夜のもとへ駆け戻りながら、華生に問いかける。
「ねぇ華生、ブレイドの攻撃利いてた?」
「いえ、皮膚を引っかく程度でした。かなり硬いと思います」
「不利よね。調理が大変」
「鋼鉄アルマジロを調理するとあんな感じですよ? 今度お作りいたしましょう」
「……それは作らなくていいわ」」

 鋼鉄アルマジロは妖精界に生息する生き物だ。
 アゴが疲れそうな料理が出てきそうなので叶子は遠慮しておいた。

 叶子は想夜に向かって毒づいた。
「ねぇ想夜、なにあれ? チートなんじゃないの?」
「あぐりー。あんなに強力なハイヤースペック見たことないよ」
 想夜の顔から余裕さが消えてゆく。
 叶子レベルが標準的なハイヤースペックのパワーだ。だが、目の前にいるバケモノはそれを遥かに上回っている。それだけ人間の作った妖精兵器は脅威を意味していた。その実験体として御殿が生まれてきたというのなら、こんなにも惨い話があるだろうか。だってそうだろう? 友を救うべく、友を切り刻む行為――苦しくないわけがないじゃないか。

 神様は、大切な人すらも想夜から取り上げてしまうというのか?

 想夜は胸の奥に走る苦痛を押し殺して、グリップを握り締める。

 妖精、ふたたび飛翔。ワイズナーの矛先を下に向け、バケモノの上空から急降下。
 肩関節なら皮膚が弱いだろうと思い、巨体の肩にワイズナーを突き刺すがビクともしない。

「これはどうかしら!?」
 バケモノの懐にもぐり、想夜はワイズナーで殴りつけるように切り刻むが、五月雨のような無数の連撃でさえ、すべてが無意味に終わる。しだいに自分の手が痺れてきて、手にした武器でさえ重く感じてくる始末。

「まだよ!」
 続いてフェンシングの構えで半身になり、片手でワイズナーを何発も突き刺すが、すべて硬い皮膚に弾かれた。

 想夜はバケモノとの距離をあけ、アローモードに変形させる。
「光の刃よ……って!」
 無数に広がるレーザービーム。それぞれが身勝手に散らばり、やがてバケモノに襲い掛かる!

 ドドドドドドドドドドドッ!

 ――全弾命中。
 けれど煙幕の中から姿を現したバケモノの肉体には……傷ひとつない。
 それでも諦めることなく、バケモノの全体を見渡しながら弱点らしき場所を追求し続けた。

 あれだけしなやかだった白い肌や艶やかな髪はどこへいったのだろう。ときおり見せる腕のバレルは骨がむき出しているようで痛々しかった。
 その身には狐姫も取り込まれている。狐姫の細い腕やキレイなブロンドですら、歪な形へと変わっていた。

 けれども想夜は自分を奮い立たせる――諦めるんじゃない。何にでも弱点はある。どこかにワイズナーを打ち込める部分があるはずだ、と。

 ふと、想夜の視線がバケモノの胸元に目が行く。

 何かから身を守るように左胸、とくに心臓の部分だけ鋼鉄のように硬い皮膚で執拗に覆われている。右胸はなぜか皮膚が薄い。まるで誰かを受け入れるように、その部分だけ薄いのだ。

 ハートプレートを肌身はなさなかった御殿のことを思い出す想夜。

 御殿は心臓を突かれることに、過剰なまでの恐怖心があるようだ。それでいて、誰かを受け入れたがっている感情が右胸に表れている。「近づきたいけど、酷い目にあったらどうしよう」という人間特有の危機感。心を開くことへの恐怖。

 むき出しになったハートへの打撃は何よりも痛い。そうやって過去に味わった打撃が、人の心を閉ざしてゆくのだ。閉ざしていれば防御ができる。傷つくこともない。けど、他者と交わることもできない。人間はそうやって自分の首をしめ、恐怖の中へ逃げてゆく生き物なのだ。

 御殿に忌まわしい過去があるのなら、お節介と言われようとも、嫌われようとも、想夜は近づきたかった。

 狐姫も同じ。いつだって御殿に近づこうとしていた。けれど距離を保っていたのは、いつだって御殿だった。

 御殿は怖いのだ。人に触れること、寄り添うこと。作られる関係は、やがて壊れてゆくと決め付けているらしい。だから最初から誰にも近づかない。

 御殿は子供だ。
 ひとり、心を閉ざして戦い続ける戦場の子供――。

 想夜は想いを馳せるたび、悔しさで胸がいっぱいになる。苦しみをかかえる御殿の前で、ただただ能天気に振舞っていた自分は、他者の痛みすらわからない、想像力が欠落した存在のようでいて恥ずかしかったのだ。
 苦しいのは自分だけだと思い込んでいた傲慢さを鏡で見せられているようで、恥ずかしさのあまり目を覆いたくなる。
 けれど感傷に浸っている場合じゃない。

 やるべきことはあるでしょう?
 だってあたしはエーテルバランサーなのだから!
 悲劇のヒロインなんかじゃない、飛撃のソルジャーなのだから!
 ――そうやって己を奮い立たせた。

「2人とも、少し痛いかもしれないけれど――」
 想夜はグリップに力を込め、バケモノの右胸にワイズナーを突き刺す! が、やはり硬い。矛先が拒絶されてしまう。
「次! これでどうだ!!」

 体内にブチ込んだワイズナー先――矛先の角度を真横にずらすと、肋骨の隙間にねじり込み、ふたたびグリップを握る手に力を入れる。

「ぐうううううう、固いなぁ、全然動かな……うぐあっ!?」
 御殿の掌が想夜の頭を捕らえた! 頭部全体を包み込み、リンゴを握り潰すように力を入れてくる!

 メキメキメキ……

 想夜の頭蓋骨からおかしな音が響く。締め付けられる痛みで意識が落ちそうになる。それでも歯を食いしばってこらえた。
「負ける……ものか!!」
 想夜が羽に力を加える。

 ボシュゥッ!!

 ピクシーブースターが唸り声を上げた!

 ボシュウッ!! ボシュウウウウウッ!!!!!

 光のバーナーをたぎらせ、ブースターの威力をさらに増幅させる。エンジンならば、とっくにオーバーヒートを起こしているだろう。
 ググググ……。想夜は懇親の力を振り絞り、全体重をかけてバケモノの右胸にワイズナーを捻り込んだ。
 その時だ。


『想夜――』



 誰かの呼ぶ声が聞こえる。


『想夜、救ってくれ――
御殿のことを……救ってくれ――』



 聞き覚えのある声。いつもキャンキャン吠えるようにまくしたててくる、あの声――。

(狐姫ちゃん――)

 声の主は狐姫だった。想夜を受け入れるように、迎え入れるように――そんな思いが右胸の皮膚を薄くし、バケモノの造型に弱点をもたらせた。


『御殿は待っている。
誰かに手を差し伸べてもらえる日を、
ずっとずっと、待っている。
しっかりしているように見えても御殿は甘えん坊だから、
いつも誰かに甘えたがっている。
だから――』



 ――だから、拒絶されるのが怖いのだ。
 嫌われるのが怖いのだ。
 拒絶される、嫌われる。だったらいっそのこと、周囲から一線を置いておいたほうがいい。一歩引いた付き合いのほうが、失った時のダメージが少なくて済む。

 かつて叶子が御殿に対して感じていた疑問はそれだった。御殿は相方である狐姫とも距離を置いていたのだ。

 それがどういうワケだろう、御殿は周囲の者と距離を縮めている。甘えたがっている。素直になりかけている。その理由を作ったのは友達という存在だ。

 想夜も同じだ。
 正体がバレたら妖精界に帰界させられることや孤立への恐怖に立ち向かい、暴魔から御殿を守った。
 叶子に嫌われてもいいという決意を以ってして、想夜は叶子に近づいていった。

 そうやって想夜は、人々の心を虜にしてゆく。水が浸透するように、いつの間にか、徐々に、すうっと、心のデリケートな部分に入り込んで暖めてくれる妖精界の女の子。孤立を恐れることなく、村八分を恐れることなく、人々を家畜のように横一列に並べる世界のシステムからの離脱を促してくれる女の子。

 地球のなか、独りでも戦える力が誰にでも備わっている。それを教えてくれる女の子――雪車町想夜は、そういう妖精なのだ。


 はじめは矛先を拒否していた分厚い皮膚だったが、ドスッという鈍い音を立てたあと、ワイズナーのほとんどがバケモノの体に入っていった。
「よし! 硬い皮膚を貫通したわ」
 叶子が感極まって叫んだ。
「想夜さま、今です!」
 華生の合図で想夜がコクリとうなずく。

「咲羅真御殿と焔衣狐姫の接続を……絶つ!!」

 眩い光――瞬間、バケモノの動きがピタリと止んだ。

 時間が止まった。

 あたりが静まり返る――。

 静寂――。
 そして――

「切断に……成功、したの?」
 叶子と華生が息をのんだ。
「……」
 想夜は目を見開いたまま、硬直していた。
「まさか――」
 叶子は言いかけた口を閉ざした。まさか御殿の心臓が右にあって、それをえぐってしまったのではないのか、などという最悪のケースは認めたくない。

 ホールはシンと静まりかえったまま。

 想夜が、
 バケモノが、
 何がどうなったのか、
 誰にもわからない。
 わかっているのは、想夜だけ。

 睨み付けるような瞳の想夜。その口元が……ニヤリとゆるんだ。
 想夜だけがわかっていたのだ――切断に、成功したことを。

 ワイズナーの矛先からカチッとした心地よい切断音が伝わってくる。照明のスイッチを切るようなスムーズな音――それを確信した時、次の手は打たれる!

「咲羅真御殿と焔衣狐姫を……紡ぐ!!」

 切って、紡ぐ――。

 御殿の体内で沸き起こる、龍脈のような緩やかに、かつ広範囲でやわらかい流れ。
 ――それがハイヤースペックの源だ。

 想夜はワイズナーを用い、御殿の体へ、狐姫の体へと流し込んでゆく。ゆっくりと、小川のせせらぎのように、少しずつ。『女の子の初めての時』のような感覚で。少しずつ、ゆっくりと、力を挿入してゆく。想夜自身、その感覚を味わったことがないけれど、きっとこんな感じなのかな……と想像しながら、御殿と狐姫を一つに結んでゆく。

 突如、想夜は御殿の中へと引き寄せられていった。


八卦・咲羅真御殿


『――の』

 誰かの呼ぶ声がする。

『御殿!』

 聞き覚えのある声、いつもキャンキャン吠えるようにまくし立ててくるあの声――

 御殿が閉じた目をゆっくりと開ける。
「狐姫……」
 声の主は狐姫だった。

 置かれている状況がわからない。まるで上空を漂うように体の位置が定まらない、激流に流されているように、互いの体は離れたまま、惑星が廻るようにグルグルと、時計の針のように一定の距離を保ち、ゆっくり回転しながら2人はそこを漂っていた。

「御殿! こっちだ! 手を伸ばせ!」
 もがき続ける狐姫が両手を伸ばして叫んでいる。
「狐、姫……」
 まどろみの中、御殿は感覚の無い己の指先を伸ばし、狐姫の手に触れようとする。
 届きそうで届かない。指先が触れたと思ったのに、ふたたび離れてしまうもどかしさ。

 ――そこに眩い光は現れた。

「……誰?」
 御殿が目を細めて光を見る。

 リボンとポニーテールの女の子――雪車町想夜だった。

 想夜が手を伸ばす。
 御殿の手を取り、たぐりよせ、
 狐姫の手を取り、たぐりよせ、
 想夜は笑顔でうなずくと、2人の手を握らせた。

 力強く引き寄せられた御殿と狐姫が指をからめて握り合う。そこに想夜も混ざった。指先を絡め合い、3人で輪を作る。
 ゆっくりと、クルクルと、小さな惑星たちが、意識の中で妖精の舞を演じる。

 そうやって一つの接続は完了する。

「御殿センパイ。センパイはあたしに教えてくれた。独りでも大丈夫だということを教えてくれた」
 あの時、想夜に力いっぱいの言葉を託したあの時、御殿の中に眠っていた罪悪感の正体がここにある。想夜に対して言った言葉は、自分の胸に刺さったまま抜けなかったのだ。

「想夜、わたしはアナタに謝らなければならない。拒絶を恐れていたのは、わたしのほうだった――」

 想夜は首をかしげて御殿の言葉に耳を傾けた。

「わたしは欲張りだった。周囲の人々を失ったあの日から、周囲との距離を計ることで失うことの恐怖を避け、痛みから逃げてきた。そのクセ、少しでも縁が続くように、細い関係でもいいからと、出合う人たちを横目でうらめしそうに見ながら悪態をつく。子供だった――」

 その言葉を聞いた想夜がニカッと白い歯を見せて笑った。
「でも……もう大丈夫でしょ? あたしは御殿センパイのことが大好きだよ。世界中を敵に回しても、御殿センパイが大好き。だからね、御殿センパイのことをバケモノだなんて呼ばせない。誰にも呼ばせない。あたしはアナタのことを知っているから。みんなに想いを馳せるエクソシストだということを知っているから。たかがアイスのことでムキになり、狐姫ちゃんの挑発にも簡単に乗っちゃう、無邪気で素直な人だということを知っているから――」

 御殿の目の前から想夜の姿が消えてゆく――。
「想夜――」
 御殿の心の中、懐かしい声が聞こえる――。


――向かい合えよ、
 おまえの過去にこびり付く地獄絵図と。



「調、太郎……」

『今のおまえなら打ち勝つことができる。
 その覚悟があるのなら、どんな状況であろうとも、その先を乗り越えてゆくことができる。
 戦争の仕方は教えてあげられなかったけれど、狂ったサバイバルゲームの中で御殿、おまえは生き残った。自分の力で戦う術を身につけた。

 けれどもそれは、おまえだけの力ではない。多くの人たちに支えられて誕生した、今のおまえ。

 友の想いがおまえを導いた。
 魔族との戦いがおまえを強くした。

 おまえが突き進んできた道、誰一人として無駄な存在はなかったはずだ。

 おまえはもう強い。

 最狂の矛となり、それを以ってして敵を貫け。
 最強の楯となり、それを以ってして友を守れ。

 寄り添うことを糧とし、世界に想いを馳せてみろ。

 地獄の中を這いながら、おまえは戦う力を手に入れた。
 地獄の中を這いながら、おまえは守る力を手に入れた。

 おまえはもう歩いてゆける。
 もはや何も言わないさ。だってそうだろ?

 おまえはもう、大丈夫だよ。御殿ことの――』

 御殿は静かに瞼を開いた。
「うん、忘れない。もう忘れないよ、貴方たちのことを――」

 晴湘市の人々の笑顔が今、御殿の記憶に戻ってくる。

「たくさんの慈悲、たくさんの温もり、無かったことになんか……しないよ――」
 胸の奥。
 ずっとずっと奥に潜む暖炉に、光が灯る――。


 ブワッ!

 マグマのカーテンで想夜の体が吹き飛んだ。が、不思議と熱くなかった。
「狐姫ちゃん! 御殿センパイ!!」
 突風のなか、想夜は宙で体勢を保ちつつ、バケモノの立つあたりを凝視した。
 瞬間、

 バシュッ!

「うあっ!?」
 フェアリーフォースの撃った流れ弾が、想夜の二の腕をかすめた。
「想夜!」
「想夜さま!」
 コントロールを失ったヘリのように墜落する想夜。背中を床に強打し、弱った蝶のように突っ伏しては悶えている。

 落下した想夜に叶子と華生が駆け寄るが、彼女たちに無数の弾幕が襲い掛かった!

「いけない、間に合わない!」
 叶子が叫んだ!

 万事休す――誰もがそう思った。

 弾幕で逃げ場を失い、マグマの津波に飲まれかけた想夜たち。
 そんな時、バケモノを包んでいたマグマのカーテンは幕を開ける――。

 ドレスアップは……いま終わった。

 灼熱地獄の中で、それは起こる。

 どこかで見た光――キラキラと光り煌くプリズム。殺意を持ったマグマが、その姿を変えてゆく。

「――誰かいるわ」
 視線の先に人影――叶子がジッと見つめる先。そこにいたのは、長身の狐の妖獣。袴姿、ブロンドロングの戦士。真っ白で清潔な衣に身を委ね、ただただ凜として立っている。

「狐姫、さん?」
 それにしては身長が高すぎる。
 どこかで見たシルエット。でも見たことがない。不思議な違和感。

 ブロンドの戦士が周囲を見渡す。まるで長年の眠りから目覚めた患者のように。それでいて、表情は引き締まっていて余裕が伺えた。
 ブロンドの戦士は向かってくる弾幕を眺めながら、ふと自分の名前を言ってみる。

「御殿、わたしは……咲羅真、御殿――」

 手を閉じたり開いたりする。
 己の細胞、あらゆる神経に異常がないことを確認する。
 あれだけの弾幕を食らっておきながら、かすり傷ひとつ無い。ボニーとクライドが生きていたら、きっと口笛吹いて歓喜の声を上げるだろう。

 御殿の耳元で囁く、碧が最後に残したあの声――。
 「いきなさい、御殿」
 行きなさい、御殿。

 「いきなさい、御殿――」
 生きなさい、御殿――。

 御殿は静かに呼吸をする。

 生きている。わたしは今、ここに生きている――。

 一同が騒然としている。
「御殿センパイ、髪がブロンドになってる。頭に耳もある。でも、狐姫ちゃんの姿は……ない」
「まさか、狐姫さんと融合したとでもいうの!?」
 叶子の額に汗がにじみ出る。それはマグマの暑さからではなく、冷や汗というもの。
「感じます。あのブロンドの戦士から、狐姫さまの心の声が、安らぎに満ちた心の声が――」

 共鳴している。
 力と力。
 気持ちと気持ち。

 ガトリングザッパーは長時間の使用で体力が消耗する。禍々しいバケモノの姿が消えたのをいいことに、実弾ライフルに持ち替えたフェアリーフォースが射撃体勢に入った。
「撃てええええええ!」
 蜂の巣にされる合図。そして弾丸の雨霰あめあられが降りそそぐ。

 ――だが、状況は繰り返されることはなかった。

 御殿の視界――そこに写るすべてがクリアに見えた。
 時間の流れが変わったのだろうか、全てがスローモーションがかって見えるのだ。高速で飛んでくる弾丸でさえ、芋虫よりも遅いスピードに感じた。弾丸が作り出す軌道、軌道が作り出す空気の波紋。それらが鮮明に分かるのだ。

 コツン……
 コツン……
 周囲の動きが止まる中で、ブロンドの足音だけが響いた――。

 ブロンドは片手を伸ばすと、実った葡萄を一粒一粒摘まむように、日差しの中に実るプチトマトを摘まむように、それら一発ずつを摘まんでゆく。素早い動きで千手観音のように周囲の弾に指を伸ばした。

 ブロンドの身の回りの弾幕を。

 想夜のすぐ目の前まで迫っていた弾幕を。

 叶子と華生の逃げ場を塞いでいる弾幕を。

 すべて――果実をもぎ取るように摘まんでは、収穫の間引きのように、その辺に捨ててゆく。

 それでも無数の弾幕は、想夜たちを取り囲んでいた。
 けれど、なんの心配もいらない。
 想夜たちのまわりを取り囲む弾幕へ、それが向かってくるタイミングにあわせ、片手を伸ばし、その場でクルリと円を描くように一回転する。なんとブロンドの戦士は、向かってきた弾丸すべてを片手ですくい取ったのだ!

 弾丸が手の中でパチンコ玉のようにジャラジャラと音を立てていたが、ブロンドに握りつぶされて巨大な鉄の塊に姿をかえる。米粒を片手で握ってオニギリにする要領で、だ。

 ブロンドが鉛の塊を指ではじくと、直球が飛んでゆく!
 地球に落下する隕石のごとく衝撃波を生み出し、何台もの戦車を弾き飛ばした。

 隕石が壁という壁を貫いて遠くの空に飛んでゆく。
 ブロンドの撃った隕石の跡だけ、床以外、一直線に何もなくなった。


 一瞬の隙をついた想夜が叶子と華生を安全な場所へと運んだ。
「想夜、ホールの逃げ場を確保して! みんなを外へ逃がすの!」
「了解ちゃん! でも、暴魔たちが溢れてきてるよ!」
「暴魔はわたくし達で引き止めます! 想夜さまは先を急いで下さい!」
「わ、わかったわ!」
 余計なやり取りをしている時間はない。想夜は心残りのまま、周囲を封鎖する障害物を掴んでは羽に力を入れて引っ張って排除。天井、地上の障害物の除去。肉体労働は想夜におまかせ。

 想夜を見送った叶子と華生。
「行ったわね。華生、私たちも急ぎましょう」
「はい、お嬢様」
 叶子と華生は友を残して先陣切って進み続ける。生き残った者たちを誘導するために。

 大丈夫、御殿たちなら問題ない――友を信じると決めての俊敏な行動だった。


 とたん、ブロンド戦士の動きが鈍くなる。
(3秒が限界か――)
 ブロンドが静かに息を吐いた。
 たった3秒の出来事。されど3秒もある戦場。どう取るかは戦士しだいだ。

 力の加減を悟ったブロンドは、八卦の能力を切断し、ハイヤースペックを解いた。
 すると髪が黒々と色づき、咲羅真御殿へと姿を変える。
 御殿の中からこぼれるように、金色の狐が現れた。
「狐姫、助かったわ。お疲れ様――」
 御殿は狐姫を抱き寄せ、床に寝かす。

 『沢』を司る八卦の力。谷を作り、谷を消す。崖と崖の距離を自在に操っては、他者との共鳴を許す力――『レゾナンス』とでも名づけよう。御殿はその名を胸に刻んだ。

 覚えたての力は不安定だが、八卦の1人として選ばれた者には使いこなせるはず。

 御殿は自分の中に眠りし力、ハイヤースペック・レゾナンスを目覚めさせた。


 上空の想夜が見下ろすと、御殿と狐姫、2人の姿が見えた。

 あれだけ大げさに構えていたフェアリーフォースの姿はどこにもなく、マグマに飲まれた形跡もない。早急に撤退命令が出たのだろうと推測する

 座り込んだ御殿が、泣く子をさとすよう、狐姫の頭を撫でている。ただ、狐姫の様子がおかしい。ピクリとも動かないのだ。
 けれど、御殿は知っている。狐姫の鼓動が伝わってくることを。

 生きている。狐姫の鼓動が手に取るようにわかる。どこまでも暖かな心拍音――御殿は、眠る狐姫の横顔に安堵をいだいていた。

 ギャラリーから覗き込んでいた想夜たちが胸を撫で下ろす。
 御殿は帰ってきたのだ。地獄から戻ってきたのだ。

 ふたたび叶子が宙を舞う想夜に毒づいた。
「なにあれ? チートなんじゃないの?」
「あ、あぐりー」
 御殿の圧倒的な強さ。チートじゃなくてなんだというのだろう?

 しかしながら八卦の力は不安定要素が多く、頻繁に使用できる能力ではないことは想夜にも推測できた。

 フェアリーフォースは御殿を危険因子と見なすだろう。想夜にはそれもわかっていた。無論、御殿に手出しするのなら、全力を以って立ち向かうと心に決めている。


 誰もが逃げられるよう、想夜はガレキを片っ端から横にどけては避難通路を完成させていった。

 ふと横に目をやると、暴魔の群れを切り崩していた叶子と1人の男が向かい合っていた。
(あれは確か、鴨原とかいう人――)

 心配になった想夜が叶子のそばに寄る。

 叶子が鴨原に向かって言葉を吐き、突き刺すような声の後、ネイキッドブレイドを向けた。
「お世話になったわね。私も、華生も」

 『あの人』に捧げる言葉。ついに見つけた、あの人を。

 鴨原が苦笑する。
「こうして面と向かってお話できる日がくるとは思ってなかったよ。叶子様」
「宗盛までお世話になったそうね」
「生きていたそうだな。こめかみにも一発入れておくんだったよ」
 と、投げやりな態度をとる。一種の諦めが混じっていた。
「でも、あなたはそうしなかった。宗盛の手術は無事成功よ。あなただって知ってるでしょ、愛宮のドクターが優秀だということを。宗盛は愛宮の病院で療養してるわ」

 ニヤッと笑っては、真顔に戻る叶子。

「詩織さんに悪魔を憑依させて『あの人』を演じさせたのもあなたの仕業?」
「叶子様といい、ハイヤースペックを所有している者は使えるからな。鹿山は水無月主任にも入れ込んでいるみたいだし、いいコマだったよ。おかげで赤帽子達をまとめることができた」

 と、鴨原は吐き捨てるように答えた。

「MAMIYAに貢献している彼女をオモチャにした罪の意識はあるか?」
「九条も言ってただろ? 俺だってMAMIYAに貢献してきたさ……シュベスタにはもっと貢献してきたがね。狂気の世界に貢献できるんだ、手だって汚すさ。血は洗えば落ちるからな」

 この男は過去にも殺人を犯しているのだろうか。人間に向けて躊躇いなく引き金を引く男だ、殺人者だとしても不思議はない。ましてやMAMIYAからシュベスタに移る際、他の者に罪をかぶせている。

 異常であり非情。
 否、自分の手を汚さない奴は正常なのかもしれない。なぜなら、手についた他者の血は洗っても落ちない。それが怖いから自ら手をくださない。そのことは叶子でもわかる。

 ――だが、この男は違う。手についた血は洗えば落ちると思っている。イカれているといえば結論は早いが、思想の自由を謳うならば、彼の思想はどこへ向かってゆくのだろう。何を考えているのだろう――考える価値があるのか、と叶子は疑問を抱く。

「水無月主任も甘いものだ。ゴミ1つを捨てただけで、大げさに悩んでは心療内科でお薬頂戴か。エンジニアらしいがな」
「ゴミ、ですって?」
「ああ、ゴミだ。しょせん咲羅真御殿は廃棄物だ。おまえらも見ただろう。八卦は不安定要素が多すぎる。そんなものを世界に送り出すことはシュベスタの恥だ」
「廃棄物ではない、友達よ」
「はははははっ。ご令嬢がゴミあさりか。MAMIYAも地に落ちたな」

 叶子が腹の底から響くような低い声でもう一度言う。

「廃棄物ではない……友達だ。
――親友だ」


 鴨原がせせら笑った。
「八卦の力は不安定だ。あんなモノをこの先使いこなせるものか。完成したとしても……バケモノだ、ゴミ以下のな」
「ゴミの次は……人をバケモノ呼ばわりか?」

 叶子中の血が一気に頭に上り、一歩前に踏み出す。

「叶ちゃん……ひっ」
 想夜は叶子を見て恐怖のあまり縮こまった。

 ねえ知ってる? 般若は女の顔をモチーフにした表情だということを――叶子の顔が今、それを証明している。

「MAMIYAの顔に、友の顔に泥を塗ったことを、その身をもって知るがいい!!」
 叶子は右の拳に懇親の力を込め、裏切り者の顔面をぶん殴る!
 ご令嬢とはいえ能力発動中。ヘビー級ボクサーの何倍も重いパンチだ。大の男が何メートルも吹き飛ぶ。

 ――はずだった。

 空ぶりに終わった叶子の拳が壁にめり込み、クレーターを作っていた。
 叶子は知っている。殴る価値のない奴を殴ったところで拳が臭くなるだけだ。

 叶子の拳が血で汚れる。それをハンカチで拭う。

 驚いて後ずさった鴨原は、むき出しの鉄骨で頬を負傷。小さな血の滴りを見せた。
「あら、黒い血じゃないのね。ガッカリだわ。悪魔だったら斬り刻んでやったのに――」
 叶子が鴨原に向かって嫌味を連ねた。

 鴨原の血は赤かった。人間らしい赤。墨汁のように黒い血じゃないのが人間たる所以か。所詮、彼も人間ということだ。

 誰だって自分の血を見れば恐れおののく。それが大量なものになればなるほど、隠しきれない恐怖が表面として表れる。通路に突っ立ったまま、鴨原は己の生死に直面する。
「バケモノ風情のご令嬢でも傷害罪は怖いか?」
 誰も何も言わない。それが鴨原には重かった。

 誰も耳を傾けてくれない時の虚無の時間に耐え切れず、鴨原は続けて叫ぶ。
「妖精実験は人類にとって不可欠なものだ。その役割りを我々が担った。罵声を浴びせられ、多くの人間に白い目を浴びせられても、それでも狂気の世界を進まねばならない。誰かがやらなければならない」

 ハイヤースペックの脅威を身を以って知れば、恐怖で足がすくむ。それでも、その足で前進してきた。

「力に飲まれるんだ。おまえらも全員、力に飲まれる。フェアリーテイルのように、俺のようにな」

 叶子、華生、想夜。遠くにいる御殿と狐姫――鴨原が1人ずつ指をさし、せせら笑った。

「華生を誘拐した理由を聞かせてちょうだい。フェアリーフォースのことについても聞かせてもらうわ」
 冷静さを取り戻した叶子が問う。鴨原とフェアリーフォースとの癒着はもう隠すことはできない。

 鴨原は「ふん」と鼻で笑い、うそぶく。

「あいにくだが、俺はファアリーフォースの出動権限を託されただけだ。コンタクトをとってきたのは向こうからさ。妖精実験が明るみになったときにシュベスタの存在を嗅ぎつけたらしい」

「誰に出動権限を託された?」
 間髪入れずに叶子が問う。

「フェアリーフォースにさ。逃亡してきた九条華生の身柄を引き渡すことを条件にな。聞けば九条華生はいいとこのお嬢様だそうじゃないか。その娘ひとりの言葉で妖精界が揺れる。力を欲しがるのはフェアリーフォースも同様なのだよ。愛宮に引き渡さなければ、事はスムーズに流れていたんだ」
「それで暴魔を使って愛宮邸から華生を誘拐しようとしたのか」

 鴨原が一呼吸入れて答える。

「九条華生には利用価値があることは確かだ。シュベスタは妖精界と契約を結ぶ予定でいた。もちろん列記としたビジネスの話さ。MAMIYAの重役にも邪魔者がいてな、フェアリーフォースの入れ知恵もあり、パーティー会場で一気にカタをつけるために妖精と魔族に奇襲させた」

 想夜が暴魔と空中で殺りあったあの夜、華生はフェアリーフォースに引き渡される予定だった。それをエサに叶子も妖精界に引き渡すつもりでいた。フェアリーフォースもスペクターを欲しがっているから。

 シュベスタの邪魔をする人間はMAMIYAにそろっている。まさにフェアリーフォースの攻撃の的となる人物たち。いつ消されてもおかしくはない。パーティー会場は恰好の処刑場だった。

 叶子を信用させるため、『あの人』という謎の人物になりすまし、自分たちで作った吸集の儀式の場所をリークし、破壊させるという根回しを行った鴨原。

 エーテルポットのデバッグ作業員として、多くの妖精たちが無差別に実験に参加させられた。誘拐途中、華生からの攻撃を恐れたため、衰弱させてから誘拐するという計画を打ち出したのも鴨原だ。
 それがどういうわけか、エーテルバランサーに邪魔をされ、あげくには御殿の抹殺さえも失敗に終わった。

 夜の誘拐、研究所での誘拐、学園への奇襲、叶子の部屋での誘拐――想夜と御殿を消すため、魔族に地獄笛を持たせて学園に暴魔を呼び、悪魔に憑依させた詩織を使って叶子に揺さぶりをかけつつ、華生と叶子を手中に収めようと試みた。だが、それさえも返り討ちに会うかのように計画が水の泡と化した。

 華生によって持ち出されたディルファーのデータは、すでに八卦に変換されている。
 フェアリーフォースが人間の進歩に規制をかけるのには一足遅かったのだ。
 人間界でフェアリーフォースが集団行動するためには、大量のエーテルを使用するためエーテルポットの存在が必要。
 けれど、MAMIYAはポットの完成を許さなかった。
 フェアリーフォースにとってみれば、MAMIYAの存在は仇である。

 フェアリーフォースの目論見をことごとく崩してゆくのが『あなたのMAMIYA』なのだ。

 笑顔の数を増やし、世界に想いを馳せる――『MAMIYAは未来の近道』たる所以だ。

 妖精界、シュベスタにとって、MAMIYAは立ちはだかるクイーン。しがないポーンだった愛宮鈴道は長年の企業拡大を行い続け、生まれ変わり、とてつもない鉄壁を人間界に構築した。
 その支えとなっていたのが水無月彩乃である。

 鉄壁は破壊せねばならない。フェアリーフォースの誰かが鈴道に目をつけたのは必然なのだ。

 さらに厄介なことに、クイーンであるMAMIYAにも、叶子というクイーンがいる。フェアリーフォースはすでに叶子がスペクターであることを調べていた。
 なんとしてでも叶子を排除しなければならない。でないと、華生を手中に収めることができないからだ。

 この先、人間界を妖精界に取り込むためにも、叶子は邪魔な存在である。
 それ故、フェアリーフォースは叶子を仲間に取り込むか、抹殺する予定だった。
 ――が、鈴道に計画を台無しにされた。

 鈴道は叶子を庇い、殺された――。

 想夜の考えは当たっていた。鴨原は全てのことに関与していない。それどころか、華生が真菓龍家の末裔ということも知らなかった。

 ――黒幕は別にいる。

 『あの人』が鴨原であることが発覚した途端、別の影が浮上する。必死になって追いかけていた尻尾は、1つではなかった。これが茶番でなくて何と言えよう。


 MAMIYA研究所で御殿が襲われた時、暴魔が言ってた言葉――おまえらの見たことがある人物が犯人。

 それは鴨原のことだったのか?

 それとも別の人物?

 答えは出ている。
 鴨原は妖精実験に関っていた、それだけだ。

 鴨原は両手を広げて天をあおいだ。
「叶子様もご存知だろう? 人間界はすでに収拾がつかないほどに荒さんでしまった。自然も、人の心もね……俺も大概か。こんなゴミのような世界にしたのは、他でもない我々人間だ。そんな哀れな人間のケツ持ちをしてくれるのは、この上ない力と知力を持った生命、それが妖精さ」

 鴨原はゆっくり、こう告げた。

「咲羅真御殿の正体はもう分かっただろう? 八卦には消えてもらわなければならない。でないと世界中に八卦プロジェクトの存在が出回り、シュベスタは致命傷を受けることになる」

 鴨原は続ける。

「八卦プロジェクトは失敗に終わった。笑いの元は、消去するのが正解なのさ」
 だから強靭な兵器をぶつけて消す必要があった。
「だが、どういうわけか……、まさか狐のペットがオマケでついてくるとは、とんだ誤算だったがな――」
 鴨原は肩をすくめた。

「それで、スペクターである私を利用したのね。たしかに御殿相手だと軍ですら歯が立たないものね。あくまでもフェアリーフォースに肩入れするってことか」
「人間界にも必要不可欠になってきたのだよ、ハイヤー技術がね。雪車町想夜も同様、いくらフェアリーフォースの犬とはいえ、目先の情で突っ走る子供には力の価値はわからないだろう。邪魔をされる前に消えてもらったほうが、何かと都合がいい」

 狂気の世界に生きるものは、妖精界の技術を採用した。
 想夜はフェアリーフォースだが、力の悪用と聞けば黙ってないだろう。それが人間の大人には目の上のコブだった。

「――もう分かったと思うが、エーテルポットは完成品には及ばなかった。あれは人間にも使用できるが、妖精がこちらで生活しやすくするための装置にもなる。水無月主任の産物だったが、フェアリーフォースはあれを欲しがっていた、こちらで戦士たちが活動するために。だから委託した。吸集の儀式はエーテルポットのデバッグ作業のために各地に設置させた。俺は身を隠し、叶子様の信用を得るために吸集の儀式の場所を教えて後片付けをさせた。まさに一石二鳥だった」
「なぜこんなことを? 鴨原さん、貴方はMAMIYAを支えて来てくれたでしょ?」

 鴨原は苦笑し、叶子をまっすぐに見つめた。

「妖精に統括してもらうのさ、人間界をね。そのほうが断然、人間界に想いを馳せる行為だとは思わないか? 人間にまかせていたら、いづれこの世は崩壊を遂げる。シュベスタのやってきたことは、人間にも妖精にも優しいことなのさ。もちろん事が運べば戦争に発展するだろう。人間と妖精との、ね。俺はそれでもかまわないと思っている。それだけ価値がある生命体なのさ、妖精たちはね」

 鴨原はポケットから手を出し、華生を指差した。

「九条華生、おまえも貢献しただろう? おまえは研究に貢献したんだ、戦争に貢献したんだ! MAMIYAに仕える者として、ご立派に役目を果たせたじゃないか。大好きな叶子様のために貢献できたわけだ。喜ぶべきじゃないのか?」
 
 パシンッ!
 
 そこへ皮膚を叩く乾いた音――。
 華生の手が鴨原の頬をとらえていた。

「お黙りなさい!」
 叩いたほうが涙を浮かべている。

「もう……お黙りなさい」

 この状況、この結末――華生には不快でたまらかった。MAMIYAへの冒涜、叶子への冒涜、妖精の力をもてあそんだ人間。それを止められなかった自分。人間たちを恐怖の谷底に落そうとした妖精の力に対する自責を、どう償えばよいのか。華生は、その回答の居場所を涙で模索し続けた。

 普段は怒りを露にすることのない華生。それを前にした叶子にも罪悪感がある。本来なら裏切り者の横っ面を叩くのは愛宮の血をひく自分の役目なのに。

 親に叱られた子供のように、無言の鴨原が華生に目を向けた。
 そんな鴨原に華生は言い放つ。

「妖精が持つ異能、ハイヤースペックに目をつけて研究を進めたあなたは確かに優秀です。人間の弱点を補うべく進めた研究でもあったのでしょう。その頭脳ゆえ、研究者にも政府にも愛された――」

 華生が言いたいのは、それじゃない。言いたい言葉はただ一つ――

「あなたは研究者としては優秀です。優秀だけれど……あなたは人間のクズです」
 そういい残し、感情をぶつける場所に迷い、それも見つからず、もどかしさから拳と唇に力が入り、結局うつむくだけしかできなかった。

 その後、ポツリと呟く。

「優秀ならば……本気で人間界に想いを馳せたいのなら……どうか、その頭脳の使い方を間違えないでください。力が描く方向を、間違えないでください。そうして、あなたの頭脳を世界のために使ってください……ハイヤースペックは、オモチャではないのですから――」

 そういい残し、華生はくしゃくしゃになった泣きっ面を叶子の胸に埋めた。スペクターの腕に抱かれた華生は、戦争へ加担した自責の念をはじめとする悔しさに、ずっと肩を震わせていた。

 その場にいた誰一人として、いい気持ちにはなれなかった――これがハイヤースペックに関った者の結末だ。


 鴨原は沈黙したまま、小安たちに連行されてゆく。

 そんな時だ――

「か、鴨原さん」

 想夜が一歩でる。

 鴨原は無言で立ち止まり、振り返らずに視線と耳だけ想夜へと傾けた。
「鴨原さん、あの……、MAMIYA研究所でスプリンクラーを動かしましたか?」
「スプリンクラー?」

 鴨原が訝しげな顔をするのを見て、想夜は察した。

「いいんです。今のは忘れてください。あと――」
 想夜は続ける。
「あたし、その、うまく伝えられないんですけど……」

 想夜は思いつくかぎりの言葉を鴨原に伝えた。

「鴨原さんなら、1+1の答え、きっと見つかると思います」
 今度は力強く、続けて言う。
「スーツとネクタイがいらない意味、きっと見つけられると思います。世界中の誰一人として、鴨原さんを論破できない。あたし、そう思います!」

 13歳の御託――ケツの青いガキが偉そうに。鴨原はそれを耳にし、苦笑する。

「――ふん、九条のヤツに余計な事を吹き込まれたのか。歳をとるとお喋りが好きになると聞くが、ヤツも例外ではなさそうだな」

 鴨原は少し考える素振りを見せたあと、懐に忍ばせたモノを想夜にぶっきらぼうに突き出した。

「これは――?」
 想夜に手渡されたカードキー。両手で大事に包み込む。
「最上階にシュベスタの全システムを停止させるブレーカーがある。あくまで自己責任だ…・・・俺も大概だがな。後はどうなっても知らん。好きにしろ――」
 鴨原はそういい残し、率先してその場を後にした。

 多くは語らない。無口な男――。

 想夜に託されたカードキーは、鴨原の「1+1の先が知りたい」というメッセージでもあった。それは鴨原が長年抱いていた譲れないこだわり。

 男にはプライドがある。壊れやすく、それでいて確固たる信念が生み出しバイタリティー。大切なものだからこそ、包み込むように大事にしておきたい。
 女には永遠に分からない、大切な大切な魂のともしび。不器用な生き方しかできないからこそ、誰にも理解してもらえないからこそ、愛しい子をその手で育むよう、大事に育ててゆきたいのだ。
 こだわりのない個性など、つまらなく、意味を持たないものだから。

 力に飲まれる恐怖は、叶子もその身を以って知っている。力の魅力も恐ろしさも知っている、同じ穴のムジナ。だから、もう、何も言わない。鴨原に対し、何も言う資格がないことに改めて気づかされる。

 不逮捕特権から、議員は逮捕できない。小安たちが直接鴨原の体に聞くか、しかるべき場所に突き出すか、その先のことは誰にもわからない。
 
 なんにせよ鴨原の失脚により聖色市の妖精意識不明事件、ならびに華生誘拐事件は幕を閉じた。

 魔水晶は御殿の手により破壊され、吸集の儀式によるエーテルポットの悪用は阻止された。これにより、聖色市の妖精たちに危害が加えられることはなくなった。

 ――けど、謎は残る。

 想夜の言葉――MAMIYA研究所のスプリンクラーを起動させたのは誰なのか?

 少なくとも鴨原ではなかった。

 煮え切らないまま、事件はいったん閉幕する。


 想夜がホール中央に座り込んでいる影に気づいた。
「御殿センパイ……」

 遠巻きから鴨原との会話を聞いていたはずだ。ゴミだの廃棄物だのと散々な言われようだった。それでも御殿は穏やかな笑みで、それを聞き入っていた。子供のいたずらを母親が笑って許すかのよう、まるで自分がされた所業のすべてを許したようでもあった。

(御殿センパイ……)

 想夜の心配をよそに、御殿が親指を立ててくるではないか。「エーテルバランサー、あとは頼んだわよ」と。

 御殿の膝の上に頭を乗せて狐姫が眠っている。
 戦う力はもう無い御殿だけれど、狐姫の腕を自分の首にまわし、その場から運び出す。

 想夜の視線の先、降ってくるガレキが御殿と狐姫を埋めてゆく。

「御殿センパイ! 狐姫ちゃん!」

 一歩踏み出すも、建物の揺れが想夜の助けを抑制する。落下してきた障害物に行く手を阻まれ、もう御殿と狐姫を助けることはできない。無事に帰ってくれることを望むしかなかった。
(御殿センパイ、後は任せて!)
 想夜は障害物の隙間から覗き込み、御殿にうなずくと羽を広げた。

「叶ちゃんと華生さんは逃げ遅れた人たちの救助をお願い」
「想夜はどうするの?」
 叶子の表情は元に戻っている。いつものクールビューティー。
「屋上にまだ暴魔が残っているはずだから、そっちを片付けてくるね」
「わかったわ。こっちは任せて――」

 手を振る想夜――その小さな背中から、寂しさを感じたのは叶子の気のせいだろうか。もう二度と会えないような気がするのは気のせいだろうか。

 叶子と華生は、大剣を背負った妖精の背中を、消えるまで見送っていた。


 叶子と華生は人々の避難誘導を開始した。
 すべての人間たちを屋外に避難させることに専念。

 避難させたあと、シュベスタ研究所を脱出する。そうして心なしか悔やむのだ――想夜、御殿、狐姫を残してきたのが心苦しい、と。

 ――それでも信じよう。
 友が生きて帰ってくると信じるのだ。

 友の力を……信じるのだ――。

 叶子はあたりを見渡す。
 彩乃の姿が見当たらない。

 叶子の視線の先、裂かれた白衣だけが風に舞って飛んでゆく。
 どこまでも、どこまでも、遠い空に向かって――。

 叶子は亡き祖父、鈴道の面影を見る。
「おじいさま。あなたが残してくれたMAMIYAの信念、よき友に支えられ、共に守り抜くことができました。それでも戦いは続くのです。だからどうか、この先も、叶子のことを見ていてください――」

 背中に声がかかる。

「叶子様、皆が紡いでくれたこの命、次の戦いのために使いましょう」
「ええ……もちろんよ」

 いま立っている場所は決意の場所、寂しい表情はやめましょう――叶子は引き締まった覚悟の表情に切り変えた。

「みんな、必ず生きて帰ってくるのよ。でなければ、この愛宮叶子が許さないんだから――」
 シュベスタ研究所から少し離れた林の中、叶子と華生はいつまでもいつまでも、崩壊してゆくシュベスタを見ていた。


決戦のとき


 想夜はエレベーターで最上階へ向かう。

 最上階に到着し、エレベーターの扉が開くと、狭い通路のずっと先に認証システムが壁に設置されている。
 赤帽子と彩乃のカードキーでセキュリティを解除。
 想夜はひとり、誰もいない通路を進んでゆく。

 ――何かがおかしい。
 心臓のあたり、胸が酷くチクチクする。

 想夜は歩きながら、ささやかな膨らみの上に手をあててみるが外傷はない。

 通路の奥にたどり着き、想夜はポケットから3枚目のカードキーを取り出した。
 鴨原から託されたカードキー。これを使えばこの先に行けるはずだ。
 想夜が認証システムにカードを通すと、純白で巨大なゲートが大げさな音を立てて開いた。

 その先に何が待っているのかを考えるのは愚問だ。すべては起るべくして起ることのみ用意されている。

 その先へ、想夜は一歩を踏み出した――。