8 昨日のあたしにさよならを


 想夜は誰もいない部室に華生を招いた。
「狭いところですが、どうぞ――」
 華生が大人しく部室まで着いてきたのには理由がある――バランサーが逃亡者を確保する権限を持っている事を知っていたからだ。
(あたしを敵視してるのかな?)
 ――というわけでもなさそう。

 チラッ。
 想夜が上目づかいで華生を見る。不安な表情のままだが殺意は持ってないらしい。
「あの……ありがとう、ございます」
 ボソリ。華生が口を開いた。
「……?」
「先日の夜、助けていただいたことに感謝してます」
「ああ、いいのいいの。気にしないで……暴魔、逃がしちゃったし」
 最後のほうは小さめにボソリと言う。けちょんけちょんにされた事実が恥ずかしいので。
 たしかに暴魔に捕われた華生を救ったのは想夜だ。そのことに忠義を覚えているらしい、律儀にお礼を言ってきたりもした。けれども大人しくお縄につくご様子はないみたい。気の緩みを見せようものなら攻撃を仕掛けてくる可能性なんかも考慮する。
 そんなピリピリした緊迫感が想夜の警戒心を満たしてくる。
 が、作戦はフェイズ3に移行しているのだ! ああそうだ、あのフェイズ3に、だ!!
 ちなみにフェイズ1は『心の準備』、フェイズ2は『華生を部屋に招く』だ。テストに出るぞ、覚えとけ!!

 『作戦名 オペレーション・ラグナロク』――名前の由来を知りたいか? そうか知りたいか、よし分かった、教えてやろう……意味なんか無い。世の中ノリだ。ノリだけで生きているヤツもいたりする。想夜はどうだろう? ノリだけで生きているとは言わないまでも、現状況では結構ノリノリだったりする。

「カツ丼食うか?」
 想夜がニッコリ微笑む
「いただきます……」
 メイド、お辞儀をして箸に手を伸ばす。
「どうだ、うまいか?」
 想夜、ほっぺにごはん粒。
 コクリ。うなずくメイド。
「田舎のおふくろさんも――(以下略)」
 想夜、遠い目をして遠くに浮かぶ茜雲を見つめる。
 ※音効さん、なんかBGM流して! 涙そそるヤツ!
 取調室に夕日が差す。←ココちょ~重要。
「か~さんが~、夜ふか~しして~♪」
「うっ、ごめんなさい、私がやりました、うわーん!」
 メイド泣き崩れる。←容疑者、ついにゲロ!
「うんうん。いいんだ……いいんだ」
 過ちは誰にでもある――想夜、もらい泣き。
 震えるメイドの肩をポンポン→まるっと事件解決☆

 ――などと刑事ドラマのようにうまくいくわけもない。

「うう……カツ丼2人前を頼むお金すらも財布が拒否ってる」
 結局、泣き崩れたのは想夜だけだった。苦学生はボンビーなのだ。もらい泣きどころか、格差社会に対して心の底から号泣したくなった。

 想夜は急須で入れた日本茶と煎餅の入った器をススス……と容疑者に差し出した。
「あの、粗茶ですが……」
「……いただきます」
 ちょこんとパイプ椅子に腰を下ろしている華生が会釈し、遠慮がちにお茶をすする。
 パリッ。想夜の白い歯がいい音立てた。
「お煎餅好き? あたしチョー好き。あ、でもでも~、クッキーもチョーおいし~よね~♪ あとあとぉ――」
「……」
「……なんでもない」
 仮にも取調べ中。はしゃぐ時間ではない。

 世界に忘れられたようにゆっくりと時間が流れる。どこかで鳴いたウグイスの声が会話の隙間を埋める。
 時折、上目使いでうかがってくる華生が怯えた小動物に見え、手足を組んで座っている自分が悪者に思えての罪悪感。取調室の事情聴取とお見合いが合体したような異質な空気が続いている。
 ズズズ~と茶をする想夜に向けて華生が口を開く。
「あの……」
「はい!」
 ビクッ。
 消えそうな声で逃亡者が口を開いた瞬間、想夜の体が反応した。繊細な相手に対してはビビリだ。
「私はこの後……どうなるのでしょうか?」

 まるで捕獲された獲物だ。焼いて食べられる宿命を背負ってる、そんな雰囲気。無論、最後の抵抗としてビタビタと尾ヒレを振って暴れる可能性だってある。

「あたしがフェアリーフォースに通報後、強制帰界処置を取らされると思うけど……」

 強制帰界処置――人間界でいうところの強制帰還、強制帰国のこと。つまり人間界からオサラバさせられることだ。妖精界だって人間に迷惑をかけたくない。いつまでも逃亡者を放置しておくわけにもいかない。

「妖精界に連れ戻されたあと、どうなるのでしょうか?」
 身を乗り出して聞いてくる。表情を読み取るに、切羽つまってるようだ。それどころか、己の行く末を知っているかのよう。
 想夜は自分が悪い刑事のように思えてきて、尋問していることに罪悪が増す。
 う~ん、と鼻っ柱をかきながらつぶやいた。
「正式には、刑が確定してからじゃなきゃわからないんだよね……てか、華生さん何で情報漏洩なんかしたの?」

 特定秘密保護データを持ち出した罪――気になることを単刀直入に突いたのには理由がある。データベースには『発見次第、身柄拘束』とだけ記されてあったが、レベル1権限だと詳細を見ることができない。ましてや首をつっこむこともできない。想夜には詳細が報告されないからだ。しかも低時給だ。そしてトホホだ。

「なんか理由があるんでしょ? 聞かせて――」
「それは……今は、お答えできません」
「ありゃ。こ、困ったな……」
 顔を伏せる華生の手前、半笑いで片頬をピクピク痙攣させる想夜。お手上げ状態。
 スタートボタンを押したらすぐにエンディング、というワケにはいかないのが世の常だ。かといって刑事ドラマのように机をぶっ叩いて問いただすのも手が痛そうなのでやらない。
「ふむ」
 ふたたび想夜は腕と足を組んで座りなおした。
 シビレを切らした刑事のように下を向いて難しい表情、ニーソに包まれた足を伸ばしてプラプラと遊ばせている。

 そうやって時間だけが過ぎてゆく――。

 どれだけ両者のダンマリが続いただろう、時計の針の音がうるさく聞こえたころ、想夜の手が湯飲み伸びる。しゃべりすぎて喉も渇いてた。ぬるくなったお茶が食道をほどよく流れて心地よい。
 ぐび、ぐび、ぐびっ……ぷはー。
 と、いこうとした時だった。
「私、逃げたりしません! 愛宮に誓います!」
「ブフォッ!?」
 華生が勢いよく立ち上がったことに仰天した想夜。口にふくんだお茶をブーッと吹きだし、大股びらきで椅子ごと後ろにズッコケた。
「げほげほ! ティッシュ、ティッシュ!」
 器官に入った。咳きこむ咳きこむ。
 ティッシュをたぐり寄せようとテーブルをまさぐるものの、今度はアッツアツの急須をひっくり返し、中身のお茶を頭からバシャーッと浴びた。
「アチッ! アチッ! アチッ!」
 ゲホゲホ、ズッコケ、大股びらき。3コンボに加え、さらなる追い討ちで熱湯プレイ。お茶でへばりついたアッツアツの制服が肌に触れないよう、手で摘まんで身をよじっては悶え続ける。
「――あつ、あつ、あっつ! ふう……よし」
 キリッ。ねじった雑巾ポーズで固まった。

 想夜はフキンであちこち拭きながら、倒れた椅子を戻して座りなおす。

 悲惨な状況の実行委員だったが、ションボリと影を落とす容疑者はもっと深刻そう。かげある面持ちのままクスリとも笑わない。なにかを言いかけようとしているが口には出さず、言葉に詰まり、赤い瞳は潤んでいる。
 嘘の準備をしている目ではない、それは想夜にもわかった。
 妖精にもかかわらず、人間界の企業であるMAMIYAへの忠誠心たるや天晴れだ。

 MAMIYAも妖精の信頼まで得ているのだから大したものである――想夜はそう思った。しかし、華生の様子を見ていると違和感を感じるのだ。険しい表情をしたかと思ったら、ときおり見せる優しげに瞳を潤ませたりする。かといって、情緒不安を起こしているようにも思えない。心ここにあらずというべきか、頬を赤くした後、腹をくくった安堵の笑みをつくったり。そうかと思えば瞳を潤ませる――自分のことよりも他者を思わんとするそぶりを見せつけてくれる。

(華生さん……)
 なにかを隠してるのはわかってる。逃亡うんぬんの事ではなく、それ以外のなにか、だ。
 事の真相を教えてほしいが、いかんせん想夜には打つ手がない。そこで再び考え、結論を出す――
(逃げる様子もないし……通報するのはもう少し様子を見てからでも遅くはない、よね)
 と。

 「よし!」
 想夜は机に両手をつくと立ち上がってコブシを振り上げた。
「要請実行委員会はお悩み相談もやっている! お困りでしたら相談にのります!」
 ヒュー♪ 自信ありあり、眉をつり上げた表情が頼もっしい~! ……と思われたい。
 ちり~ん。悩み相談はじめました――冷やし中華よろしく、脳内で店頭チラシが空しく風になびいた。
 誰かの力になりたい、笑顔の数を増やしたい――この思考だけで体が動いたわけではない。もちろん、野次馬根性で首を突っ込んだわけでもない。

 ――宿命に惹きこまれたのだ。

 最初からシナリオ参加が決まっていた役者のように、本能が血の匂いを感じ取り、それに立ち向かわんとする才覚。想夜は生まれながらにそれが備わっていた。
 炎の津波を前にたじろぐことなく、降りかかる火の粉を振り払う力の持ち主――想夜はまだ、その自覚すら持っていない。
 フンスーと鼻息荒く、ドヤ顔でノン気に意気込んでいる。

 華生と放課後に愛宮邸で会う約束をなかば強引に取りつけた――それが、妖精界と人間界の存亡をかけた戦いの幕開けである、ということも知らずに。


事件現場


 お昼休み。
 死体消失事件が気になった御殿は学校をコッソリ抜け出し、近くの雑居ビルを訪れていた。
 入り組んだ路地に雑居ビルが立ちならぶ――そこが事件現場だ。
 御殿は周囲に人がいないかと警戒する。誰の気配もないことを確認すると、立入禁止の看板を無視してあっさりと侵入した。
 入り口付近のゴミ捨て場にはビショ濡れの服が脱ぎ捨てられている。誰のものだろう?
 昼間だから日光で視界が広がっているものの、夜中に来たい場所ではない。

 ビル内はブレーカーが落としてあり電気は通っていない。蛍光灯も抜けている。日当たりも悪く、暗くてカビ臭い、そんな陰気なビルだった。入居者がいないのも頷ける。
「やっぱり、ただのイタズラだったの?」
 休み時間は限られているので、はやく用事を済ませたい。
 忙しなくあたりを見渡すが怪しいものは何もなく、静けさに煽られ寒気だけが御殿を包んだ。
 暗い通路。奥へ奥へと進んでいくと、突き当たりにステンレス製のドアが見えた。
 御殿はそっとドアに近づいて曇りガラスの向こうを伺うが、何かが動いているようには見えない。
 御殿がドアノブに手をかけた瞬間、違和感を感じた。
「……ん? ノブにホコリが付着していない」
 最近、誰かがノブを握った形跡がある。つまり、誰かがこの部屋に入ったのだ。
「現場確認のために警察が立ち入ったのだろうけれど――」
 にしても、何かが不自然に思えた。
 御殿はゆっくりとドアを開いて部屋の中へと足を踏み入れた。

 侵入すると埃っぽい部屋が広がり、使い古した事務用デスクや椅子、備品が隅のほうで無造作に散らばっているだけだった。争った形跡ではない。
 今、御殿が立っている場所が事件現場である――複数名の遺体が鋭利な刃物でバラバラにされた、との目撃情報を自社を通して入手している。時には警察よりも早く動かなければならないこともあり、警察無線を筒抜けにできる人脈は抱えている。情報の価値は偉大だ。
「派手に切り刻んだ、と言っていたにも関らず……血の匂いがしない」
 妙だ。眉をひそめた。
 悪臭が鼻につく。
「これは……硫黄の匂い?」
 微かな魔臭が鼻腔をつき、御殿をイラつかせた。
 雨漏りで湿った床に目をやるが、違和感だらけのその場所には足跡すらない。水溜り意外の場所には埃が積もってないために痕跡がわからないのだ。長い間放置されているのだから、多少汚れていてもいいハズなのに。酒盛りをする酔っ払いどもが宴会がてらに侵入した形跡もない。

 放置ビルなのにキレイすぎる、それが違和感の正体だった――。

 御殿は屈んで床を凝視する。
 雨漏りだと思っていた水溜り。じつは雨ではない別の水分だということに気づく。
「明らかに聖水を使用した後ね……頻繁に出入りしてたからドアノブにも埃がなかったのか」
 手で床を拭い、指先についた聖水に目を光らせた。

 御殿は推理する――「ここで何者かが殺され、その後、死体を処理した。被害者は魔族の類であり、加害者は死骸に大量の聖水を使用して蒸発させたのだろう。ゴミ捨て場の服は魔族のものであり、犯人が捨てたのだ」と。

 被害者が人間ではない可能性が高いと思い、御殿は胸を撫で下ろした。魔族相手に同情など必要ない。
「しかし……となると、わたし達以外にもエクソシストが行動している? そんな話、コミュニティーからは聞いていないのだけれど」

 ふと、壁に貼られた剥がれかけのポスターが目についた。比較的あたらしい物だ。
 御殿はそれが気になって近づき、剥がれた部分に何気なく手をかけた。
「ん?」
 ペロリ。さらに隅っこをめくると、壁に文字が隠れていることに気づく。
 御殿はポスターをさらに引き剥がし、驚愕した。
「これは……工場跡地で見つけた陣!?」
 なんとポスターで隠れていた壁には見覚えのある陣とよく似た落書きが施されていたのだ。

 ビリッ、ビリリッ。

 御殿は壁に貼られたポスターや張り紙を片っ端から剥がしてまわる。
「ここも、ここも……こんなとこまで!?」
 ポスター剥がしでは物足りず、キャビネットを動かして隠れたカベも調べ、机の引き出しもくまなく調べ上げる――その姿はプロの窃盗団のようだ。
 案の定、全ての張り紙とキャビネットの後ろには大量のラク書きが隠されていた。誰かが意図的に陣を隠しているのは明白だった。
「この場所を、何かの儀式に使っていたのかしら……」
 御殿は目の前の光景を携帯端末カメラで保存した。続けてライトで机の引き出しの中を照らすと、ひとつの赤い斑点に気づく。
「これは……血?」
 人か動物かの判断はできないが、肉眼では見えにくいほど薄っすらとした血痕。よく目を凝らして見ると、床にも数滴の血が垂れていた。
「聖水でも消えない血――」
 となると魔族のものではない。いったい誰の血だろう? 人だろうが動物だろうが穏やかじゃない光景だ。
「また、あそこに戻ってみる価値がありそうね」
 御殿は放課後、ふたたび廃墟に向かうことにした。
「愛妃家での襲撃事件もあったことだし、狐姫を連れいていったほうが無難ね」
 想夜も陣について何か知っているかもしれない。御殿は念のために聞いてみることにした。

 今後の行動を考えながら窓に近づく。
 壊れて斜めに傾いたブラインドの向こうに愛妃家の校舎が見える。屋上では数人の業者が破損したタンクを新品のものに交換している最中だった。放課後には高等部の水は使えるはずなので、わざわざ中等部に足を運ぶこともなくなる。トイレに行列をつくらずに済むのだ。水道が使えないだけで高等部の教室の空気がはりつめていた。つくづく水のありがたみが分かった。
 見晴らしのよい窓に近づいたとき、御殿はあることに気づいた。
「……足跡?」
 窓枠にくっきりと足跡が残っているではないか。それも2つ。見た感じだと靴裏の模様が違う。おそらく2人分の足跡。新しいものだから、最近出来たものだ。同時刻、もしくは同時刻前後に付けられたものだと推測する。
(ここから逃げたってところかな)
 足跡には見覚えがある。御殿は自分の靴を片方脱いで裏を確認する。
(やはり愛妃家のローファーか)
 脱いだローファーを履いた。
 足跡のひとつは愛妃家の生徒だろう。ではもうひとつの足跡は……?
 そう思った時、背後に殺気を感じた。
「――誰!?」
 とつぜん現れた気配。咄嗟に身がまえ、振り向いた先には――
「……」
 誰もいなかった。
 気のせいだったのか――御殿が首をかしげたところへポップでキュートでノリノリなBGM。お昼の校内放送が聞こえてきた。

 チャラッチャッチャッチャ~チャ、チャ♪

『みなさん、こんにちわ~♪ 愛妃家放送部でーす! 本日お届けするヒットナンバーは――』
 学園は平和のご様子。
 御殿は安堵と疑問を抱きつつ、ひとり校舎に戻った。


ハッピーランチ


 ホールに設置されたおねだりBOXは今日も絶好調――空箱だ。ゴミ箱化してないだけ、まだマシなんだよね。
 想夜はホールに戻り、狐姫が待つ席へ歩いてゆく。先ほどトイレの前で、「みんなで昼食を食べよう」と約束していたからだ。みんなというのは想夜、叶子、御殿、狐姫の4人。

「狐姫ちゃん、お待たせー」
「うーい」
 無気力な返事が返ってくる。
 パシリ狐姫が弁当箱を前にテーブルに突っ伏している。どうやら席取り役に使わされたらしく、ブニブニのほっぺがテーブルで押し上げられて面白い顔になっている。けれど、ハラヘリ状態で魂が半分抜けているのが痛々しい。
「――あれ?」
 想夜が周囲を見渡す。
 テーブル席には狐姫以外見当たらない。でもお弁当は人数分ある。
「叶ちゃんと御殿センパイは?」
「御殿は用事があるから遅れるってさ。例のイタズラ事件が気になるんだとよ」
 狐姫がつまらなさそうに言ってくる。
「叶ちゃんは?」
「『飲み物忘れたから』って教室に戻った。ついでにトイレに寄るから遅れるってさ。それにしても遅せーな……便秘か?」
 そんな会話をしていると、ホールの入り口から御殿と叶子が入ってくるのが見えた。
「お、やっと来たか」
 雑居ビルから戻った御殿が昇降口でぐうぜん叶子を見つけた。声をかけ、一緒に食堂まで歩いてきたのだ。
「おまたせ。先に食べててもよかったのに」
 御殿は叶子と同時に席につく。それを合図に狐姫が飛び起きた。
「遅い! 遅すぎる!! 赤い流星を見習えよな! 少しはアズナブることを考えろよな!」

 バンバンッ。狐姫、テーブル叩いてイラつきを見せつける。

「5倍のスピードで動けってことね……できるわけないでしょ。そう言う狐姫はできるの?」
 あきれる御殿。
「ハッ! ザコとは違うんだよザコとは!」
 シュババババ!!
 これでもか! というくらいの勢いで狐姫がジャブを繰り返している。超アズナブっている。
「わぁい、お腹べこぺこー」
「――て、見ろよオイ」
 狐姫をスルー。想夜は買ってきたパンとジュースを取り出した。

 広場の天窓――日差しが強い日はメッシュモードで太陽光を和らげることができる機能が備わっている。MAMIYA研究所のロビーと同じ仕様。そんな気の利いたシステムが作り出す木漏れ日の下、一同はテーブルをかこんだ。
「この時間、ホールはいつもにぎわっているんですよ」
 想夜が簡単な説明をする。昨日の放課後の寂しいホールが本当の姿ではない。いつもはこんなにも楽しい空間なんですよ、と暗い誤解を解くための埋め合わせをしたかったのだ。
 その甲斐もあって、御殿のホールに対する認識は寂しい場所から賑やかな場所へと上書きされた。
「なんだか街なかにいるようね」
 学内のコミュニティーフィールドとあってか、お金をかけた造りである。オシャレへの妥協はないらしく、都内にあるオープンカフェを思わせる雰囲気さえ漂う。私立であり、お嬢様が集うエスカレーター式の学園なので金回りもよい。市との協力のもと、利用者登録を済ませた一般客にも提供しているフリースペースもあるので、時間帯によってはさらに人の行き来が多くなる。本屋や食堂などが主な提供場所だ。

 各々が持参したパンや弁当をテーブルの上に広げていた。
「御殿センパイ、今日も自分で作ったんですか? あ、それ美味しそう……」
 想夜が御殿の弁当箱を覗き込む――思い出すのは昨晩のこと、ごちそうになった手料理のこと。暴魔の奇襲もあったけれど、終わりよければなんとやら。楽しい1日だった。
 昨晩と同様に楽しい昼食。想夜は今もこうして味わっている。

 会話に夢中になりつつも、想夜の体が忙しなく揺れる。時折、目の前に座る御殿に近づきすぎては性別のことを意識してしまい、慌てて視線を逸らすのだ。どうしても『御殿=男子』ということを忘れてしまう。そのくらい、御殿センパイは女子力が高かった。いや、男子要素が抜けているだけかも。
 御殿から「親元を離れて暮らしている」と聞いていたので、「同じ状況下の自分も見習わなくては」と、尊敬の念を覚える想夜だった。

 弁当持参、作る人は御殿か狐姫のどちらかである。ちなみに今日の正解は、『登校ギリギリまで爆睡していた狐姫のかわりに台所で奮闘していた主夫、御殿』だ。
 御殿が2つの弁当を取り出してフタを開ける。1つは普通の大きさ、もう1つはやや大きめ。大きいほうの弁当を狐姫の前に差し出した。
「はい。こっちは狐姫の分ね」
「いや~御殿さん! 本日もお勤めご苦労さんでっす!」
 狐、主夫に敬礼。お勤めご苦労さんって、なんだかムショ帰りみたい。やっぱシャバの空気はウンマイぜー♪
「はいはい。お寝坊さんのためにいつもの5倍のスピードで作りましたとさ」
 狐姫が後ずさる。
「御殿、お前……それって赤い流星じゃん! 超アズナブってるじゃん!!」
「やるわね御殿さん」
「御殿センパイかっこいい!」
 スゲー! と、御殿に向かって3人が親指を立てる。
「そ、そう?」
 御殿が照れ笑い。
「「「「あーっはっはっはー!」」」」
 総員まんべんの笑顔。めでたしめでた――
「……全然めでたくない」
 御殿が真顔に戻る。
 今日のお弁当当番は狐姫だったけど、昨晩、コンビニに行ったっきりなかなか帰ってこなかった。帰ってきてたかと思えば爆睡状態に入ってしまった。
 なので、疲れ果ててグッスリ眠る狐姫を見かねた御殿が気を利かせて代打を努めたのだ。おかげで遅刻寸前。食パンくわえて走るなんて絶対ごめんだ。
 御殿の作った料理を見て無邪気に瞳を輝かせる狐姫――御殿はこれに弱い。「ふう」と諦めモード、笑顔で肩をすくめた。

「狐姫さん、可愛いフォーク持ってるのね」
 叶子は狐姫が握り締めたフォークを見つめている。先日、街を探索したときに買ったものだ。
「これか? この前買ったやつ」
 いいだろ~、と狐の顔がプリントされたフォークを叶子に手渡した。
「……」
 フォークを見つめる叶子はどことなく寂しげな表情をしている。それに誰1人気づくものはいない。

 役者はそろった。みんなで手を合わせて、
『いただきまーす!』
 楽しいランチタイムの始まりだ。
 誰から言うでもなく「おかずを取り替えっこしよう」とか「よかったらこれ食べて」なんて言うものだから、それそれ自分のパンや弁当をテーブル中央によせ、思い思いのおかずに手を伸ばす。持参した食べ物に壁はない。
 団体様によくある風景。

「これおいしー! 御殿センパイ、これどうやって味付けしたんですか?」
「これはね……」
 御殿の言葉を懸命にメモる想夜。
「ボテサラもあるわよ」
「あ、コレおいしいヤツだ!」
 ごはんがススムおいしいやつ。昨日のおみやげは寮生に食べられちゃったけど、みんな喜んでくれた。こんど想夜も料理に挑戦してみる予定だ。

 叶子がポテサラをひとくち。

「うん、美味しい。お酢を入れない派ね」
「ポテトサラダにお酢は許せないだろ~、フツー」
 はははと狐姫が笑う。
「愛宮邸のシェフ達も『お酢入れる派・お酢入れない派(通称:お酢る派・お酢らない派)』に分かれて論争が繰り広げられることがあるのよ」
「お、お酢る派・お酢らない派……なかなか斬新だな」
 御殿のポテサラは酢を使わない、だから御殿はお酢らない派。
「ポテサラにお酢は邪道だろ~」
「まだ言ってる……」
 想夜がほうけた。
「マヨネーズにもお酢が入ってるわよ」
 叶子の素早いツッコミ。
「バッカおまえ、マヨはノーカンだろ?」
「狐姫ちゃんはマヨネーザーなの?」

 はい、皆さん聞きました? すごい言葉がでてきましたよ。

「オイ。普通マヨラーって言わないか? なんだよマヨネーザーって……単語の後ろにERをつければいいてもんじゃないだろ」
 放っておくとケチャラーのことをケチャッパーとか言い出しそう。
「狐姫ちゃん、なんで単語の後ろにラーってつけるの?」
「マヨる、にERをつけたんだよ」
「狐姫さん、後ろにちゃっかりERがついてるわよ」
 さっきERをディスったばかりだというのに。
「ふ~ん……狐姫ちゃんはマヨラーなの?」
 言いなおす想夜の言葉を制止する狐姫。
「いや待てよ想夜。やっぱりマヨネーザーのほうがカッコイイよな。うん、なんかこう……レーザーっぽくて。単語としては最高じゃね?」
「正式にはレーザーは略語だけどね」
 ふたたび叶子の知的ツッコミ。
「え? マジで?」

――愛宮叶子の科学の時間


「今日の授業は『LASERレーザー』。
正式名称は、Light Amprication Stiamlated by Emission of the Radiation.
頭文字をとってLASERね。この装置は光を増幅して放射するんだけど、指向性、収束性に長けていて、おまけに電磁波の波長を一定に保つことができる画期的な装置なの。医療、生産、兵器、etcで大活躍。それに――」

「――長くなるから以下略な」
 狐姫がぶった切る。
 ポテトサラダからレーザーまで――やっぱMAMIYAはスゴかった。

「じゃあ狐姫ちゃんはマヨネーザーのオスラネイヤーね」
 また想夜の不思議ワードがきた。
「うがっ。なんとなく分かっちゃったけど……なんだよ、その『オスラネイヤー』って」
「『お酢らない』にERをつけてみた」
「ほらな、やっぱり」

 OSURANAIERオスラネイヤー

「想夜、おまえ……砂糖入れすぎた時に塩入れれば味が戻ると思ってる派だろ?」
「え? 違うの?」
「……合ってるよ」
 もういいや、訂正すんのメンドクセー。
 「――狐姫」
 御殿が「間違った知識を吹き込むな」と諭す。


 わいわいガヤガヤふじこふじこ。
 楽しい雑談が最高の調味料。
 食事のおいしさをMAX10段階で評価する、という話がある。安心して食事を共にできる相手、またはその場の状況を7ポイント。残り3ポイントは食事自体の味ということらしい。
 好きな相手と安心して食事ができる場所と美味しい食事ならば満点、という仕組みが成り立つ。逆に3つ星レストランで嫌いな奴と一緒に食べる料理は非常に不味く、一流シェフがどんなに頑張っても3ポイント止まりだ。
 中央広場の一角、想夜は10点満点の幸せさんだった。みんなで楽しい食事、とは癒しの代表格なのだ。

「わあ、タコさんウインナーだ。かわいー♪」
 想夜の箸をフォークで弾いた狐姫が素早い動きを見せた。
 ブスリッ!!
 時代劇で人を斬るような鈍い音を立てて、狐姫がフォークでタコを刺殺した。
「タコ救出!!」
「あう!? 狐姫ちゃんズルイよ~」
「イエーイ! 俺は漁師アビリティーにも恵まれてるんだぜ~」

 ニヤリ――狐姫が自分の口へとタコが刺さったフォークを持っていこうとするが、何かが引っかかってそれ以上手が動かない。大口あけたブロンド鮫の前でタコが右往左往している。

 狐姫が大口開けながら横を見ると、隣の漁業組合員がフォークの首を箸でガッチリつまんでいた。
「げ。御殿……」
「狐姫はタコさん2杯も救出してるでしょ?」
 全部で4杯のタコさんウインナー。御殿の中では一人一杯という計算らしい。自分の分は相方にくれてやったので、残り2杯は想夜と叶子の分だ。
 狐姫がヘラヘラと鼻で笑い立ち上がる。
「おいおい御殿さん、他の漁船に獲物を引き渡せってか?」
 ブワッ。
 ブロンドとスカートをひるがえし、拳を振り上げ、なんか変なポーズを決めて叫ぶ。
「法律なんてクソ喰らえだぜ! お隣さんだって日本に入ってきてるじゃねーか! 無問題モーマンタイだぜ!」
 いろいろ問題ではある……ネタ的に。
 御殿の箸と狐姫のフォークの取っ組み合いが始まった。
「少しは、法律、守りなさ、いっ」
「は な せ ! 今日の日課は『狐姫ちゃん、金星人を救う!』って決めてんだよ!」
 救出する気満々だ。それが使命! それが宿命!
「そんなの、いつ、決めt――」
「夢 の 中 で だ!」
 意地でも漁業組合員を振り切ろうとする某国船長。いえーい、面舵いっぱいだぜー♪
 確かに今朝、狐姫がみょうちくりんな寝言をほざいていた。それを弁当を作りながら御殿は耳にしていた。が、そんなことはどうでもいい。個人の主張=全体のルールではないのだから。

 ガシガシッ、キンキン!

 箸とフォークがせめぎ合う。それを前に想夜と叶子が呆れていた。なんてお行儀が悪いんだ、と。
「お前、ドレッシングのこと根に持ってるだろ!」
「持ってない」
「ウソつけ! コンビニの兄ちゃんにドン引きされてネットでつぶやかれた事を根に持ってるだろ!!」
「……」
 御殿が無言で目を伏せた。
「全っっっ力で根に持ってるじゃねーか!!!」
 狐姫に命令されたとおり、本っっっ当にエロい買い方をしてきたのだろうか。謎だ。
 気になった想夜が目をキラキラさせた。
「何のことです、コンビニって?」
「いろんなものが売ってるお店よ」
 と、おすまし顔の御殿。
「何のことです、ドレッシングって?」
「サラダにかける調味料よ」
 にっこり。御殿が笑顔を作る。
「何のことです、根に持つって――」
「怨むことよ」
 御殿の目が鋭く尖った。
「ふぇー、答えてるのに答えになってない!」

 御殿は想夜からの質問をノラリクラリとかわし、意地でも悟られないようにした。触れられたくない黒歴史は誰にでもある。

 箸を持つ御殿の手にいっそう力が入る。
「も ど し な さ い」
「そ れ は 無 理 ! それは無理!!」
「お も て な し……みたいに言わないの」
「ネタ古すぎだろ! ババア! ババアババアババア!」
 東京オリンピックは10年以上前に終わってる。

 箸 VS フォーク。
 漁業組合 VS 密入国。

 御殿の箸が狐姫のフォークの首に喰らいつき、相当の圧力がかかったであろうフォークの首がグニャリと曲がり始めた。まるで超能力のスプーン曲げみたいに――だ。
「あー! フォーク曲がった! フォーク曲がった!!」
 狐姫は折らせまいとフォークに習って身をよじる。腕をねじ上げられているみたいに体がグニャリと曲がった。
「すいませんすいませんホント! 戻します! カンベンしてください!!」
 とは言ってるが戻す気ゼロなのは内緒だ。御殿が箸を離した瞬間を狙う気でいる。
「とは言ってるけど戻す気ゼロなんでしょ? わたしが箸を離した瞬間を狙う気でいるんでしょ」
「くそっ、バレテーラ! オラァ、かかってこいよ乳オバケ!」
 狐姫、挑発。なおも金属がひしゃげる音が続く。

 ギリギリ、ギギギギ………………ボキッ。

 最後に鈍い音がした。頭にフォークの先端が刺さったまま、金星人がポトリと弁当箱に落下する。
「――って、本当に折れちまったじゃねーか!!!」
 涙目で訴える犠牲者。キャッチ&リリース イン 中央広場。
 先の折れたフォークはただの金属棒になった。その存在にはなんの意味もなく、食べることさえできなくなり、狐姫の心もポッキリ折れた。
「…………」
「…………」
 狐姫が手もと、元フォークだった金属片を呆然と見つめる一同。
 日本の漁業組合員もフォークが折れるのは想定外だったらしく、沈黙を続けていた。

 結局、御殿が自分の箸を使って狐姫に食べさせるハメになった。狐姫も頬を染めて恥ずかしそうに、しぶしぶと口を開ける。
 そうやって一気に周囲の視線を集めた。
「ねえねえ、見てアレ」
「あの人たち、何やってんの~?」
「ほら、アレだよ、転入生の――」
「あ~、あんなオモロイ人達だったのね」
 はい、あ~ん。パク。おいし? うん、おいちぃ♪ ――とまでは言わないが、周囲のクスクス笑いの中、2人はバカップルコントに陥った。
「……なあ御殿」
「……ん?」
「なんで俺たちジロジロ見られてるのん?」



吸集きゅうしゅうの儀式


 お昼休みの屋上。
 シャワーのように吹き抜ける風。全身を洗ってくれるようで気持ちいい。
 きのう死闘が繰り広げられた場所も、今はのどかなものだ。

 タンクの修理が済んだ業者が帰ってゆく――そんな場所で想夜と御殿は話し込んでいた。

「ふう、お腹いっぱい。御殿センパイのお弁当、美味しかった~」
 想夜はフェンスに手をかけ、動物園のオランウータンよろしく体をゆっくり前後しては、「また作って欲しい~」の笑顔でおねだりする。
「そう? また作ってくるわね」
 いつものように控えめのニッコリを御殿が作る。それを見るたび想夜は思うのだ。「もっと笑顔を見てみたい」と。御殿の遠慮なき笑顔を想像するたび、ワクワクした感情が溢れては胸踊り、心をときめかせたりする。

 想夜は100%の笑みを持つ御殿を想像する――きっと女神のように、見る者のハートを包み込んでくれる笑顔なのだろう。控えめの笑顔なんてもったいない、と今度は逆に酷く落ち込んだりもする。

 世の中には、「どうせ死ぬのだから、失うのだから」と笑顔を作らない人もいる。戦場に身をおく者はとくにそうだろう。ぬか喜びをするくらいなら、はじめから幸せに浸らないほうがいい。そのほうが落下したときのダメージが小さいから、と幸せになることを避ける癖がついているのだ。
 けど、御殿の遠慮がちな笑顔の理由はそれではない、と想夜は願う。きっと笑うことになれてないのだ、照れ屋さんなのだと。御殿の心の闇など、想夜には到底想像もつかない。似つかわしくない。

 想夜はフェンスに手をかけたまま街を眺めている。そうして時折、この街の笑顔の数を数えるのだ。

 目には見えない笑顔の数――風にのって伝わってくるのを想夜は深呼吸して味わうのだ。ウキウキした風、温もりのある風。妖精たちはそうやって人間の笑顔の数を感じている。

 笑顔の数だけ平和になることを妖精たちは知っている。
「御殿センパイも、もっと笑ってくれたらいいのに――」
 ポツリ。つぶやくも、風が無情に消し去った。
「ん? なにか言った?」
「いえ……なにも」
 想夜は振り返り、力ない笑みを浮かべる。目の前のクールビューティーは不思議そうに首を傾げるだけだった。

 御殿が懐から一枚の写真と端末を取り出して想夜に見せる。
「これ、街はずれの廃墟で撮影した陣。で、こっちはさっき雑居ビルで撮影したもの。見てもらえるかしら?」
「はい、あたしでよければ――」
 御殿は陣が撮影された写真と携帯端末に写る画像を想夜に手渡した。どうしてもそれが気になった御殿は想夜に知恵を求めることにしたのだ。進展がない以上、協力者は必要不可欠。妖精ならなにか知ってるかもしれない。
 誰かに聞かれぬよう、背後をチラチラと気にしながら、近くに生徒がいなくなったのを見はからい話を切り出す。まるで学校に持ってきたエロ本をコッソリのぞいている男子のようだ。

「ああ、これは……」
 ニヤリ。手元の写真を見た途端、想夜の口角が上がる。
「グッジョブですよ御殿センパイ、これ『吸集の儀式』です!」
「吸集の……儀式?」
 御殿が廃墟の陣を足で切ったことを想夜に告げると、「ぶっ壊してくれてあんがとさん!」と言わんばかりに親指を光らせて喜んだ。
「最近、多発してるんですよコレ。あたしも手を焼いてます」
「悪いものなの?」
「多用されると困りますね、ほどほどがいいんです。迷惑がってる妖精たちが破壊して回っているみたいですけど。あ、それにあたしも含まれてます」
 いちおう仕事はキッチリこなすアルバイト公務員。
 廃墟でおこなった自分の行為が正しかったようで、御殿は胸を撫で下ろした。
「破壊しておいてよかったわ。悪寒というインスピレーションは馬鹿にならないのね」
「そうですよ、インスピレーションは大事にしてください。妖精達のささやきかもしれませんから」

 直感に従え、本能のおもむくままに――妖精からのアドバイス。

 お昼に撮影した陣と廃墟の写真を見比べながら想夜が力説する。
「コホン。えー、妖精界からの使者はあたしだけではありません――」
「へえ、興味あるわね、その話。聞かせてくれる?」
 興味津々。御殿は想夜の隣に並び、フェンスに背をあずけ、空を見上げた。
「本来、一つの街に1人のバランサーが配置されているのですが、複数の妖精も暮らしていたりします。あの人って人間離れしたルックスだよね~、うん、そーだよね~、みたいな会話を誰しも聞くことがあるでしょ? 案外、そういう人は『人間』じゃなかったりするものです。妖精たちは、そうやって人間になりすまして生活してたりします」

 百面相で複数キャストを演じる女優っぷりがおかしくて、御殿は思わず吹き出した。

「たしかに、人間じゃないのもいるわね」
 ちなみに「悪魔のようなヤツ」は、本当に悪魔の場合があるので注意すること。
 ※悪魔は決まって人の姿をしています(御殿談)。
「当然、この聖色市にもあたし以外の妖精たちが住んでいます――」
 逃亡者ではある華生もそれに値する。が、話がややこしくなるので今はナイショ。
「吸集の儀式とは、それらの妖精たちからエーテルを吸収し、一点に集める効果をもたらす儀式なんです」
「妖精たちから、エーテルを吸収?」

 想夜は目を閉じ、片腕を背中に回し、もう片方の手で人差し指を作る――どこかの教授みたいにレクチャーをする。

「一例をあげます――戦いなどで深手を負った場合、自分の体に吸集の儀式で使用する陣を描きます。これが非常にありがたい効果を発揮するんです。同じ街にいる他の妖精たちからエーテルを少しづつもらって傷を治せるからです」
「ふーん、便利な術式ね」
「はい、スグレモノです。合言葉は――」
 バッ! 想夜は両腕をいっぱいに広げて太陽にかざした。
「地球のみんな、オラに力を分けてけろ!」
 ちょっとずつ、ちょっとずつでいいんだ!
「へ、へえ……」
 もちろん冗談だ。
 両手を広げた想夜の頭に小鳥が止まる。力は与えてくれなかったが、笑いの神は舞い降りたようだ。
「ただし、あまりにも大きすぎると余計なエーテルを奪ってしてしまうので、他の妖精たちから反感を買うハメになりますけど」
「反感ね……想夜たちが集団で苦情を言ってきたら、さぞかし賑やかでしょうね」
 想像しては苦笑する御殿。
「それだけなら笑い話で済むのですが、命を脅かす危険もあるんです……」
 穏やかじゃない話になってきた。
「命の危険? 例えば?」
「例えばですか? そうですね……」
 想夜がアゴに指を添えて考える。
「例えば、エーテルを奪われるほうは一方的に奪われるわけであって、最悪の場合、頭をハンマーで殴られたみたく気絶したりとか……」
 痛そうだ。
「ふらついてタンスの角に足の小指をぶつけたり……あ、もちろん冬の寒い時期にですよ」
 痛そうだ。
「あと、だんだん衰弱していって死に至るケースとか」

 衰弱、というキーワードまで漕ぎ着けた――どこかで御殿が耳にした言葉だ。

「衰弱か。その儀式は同じ街だけに通用するの?」
「はい。同じ街だけですよ。聖色市の陣は聖色市在住の妖精のみ有効です」
「妖精だけ? 人間は無効?」
「はい、妖精だけです」
 想夜がコクリと頷く。
「ふむ……となると、あの子も妖精か――」
 御殿の中で確信が芽生えた瞬間だった。

 エクソシストが眉をひそめて考える中、手前の想夜が口を開く。
「あの、センパイ、実は……」
 想夜はMAMIYAに潜入した夜の出来事、詩織らしき人物に襲撃されたことを告白した。えっちぃ展開はカッコ悪いので無かったことに。
 それを聞いた御殿は当然おどろく。
「あなたも!?」
「『も』ってなんですか、『も』って!?」
 今度は想夜がおどろいた。
 こんどは御殿が、「自分もMAMIYA研究所で暴魔と一戦を交えた」と想夜に告げる。
「全然気づかなかった! 変わった様子なんか、全然まったく無かったじゃないですか!」
 御殿の目が死んだ魚のようになった。
「思いっきり変わった様子、あったでしょ」
「ええ!?」
 想夜の脳裏にビショ濡れの御殿の姿がうかんだ瞬間、口をつぐんだ。
「…………あ」
「思い出したのね」
「ウィ~♪」
 弾むような発音だけはよかった。けど、フランス語だから許されるわけではない。想夜は申し訳なさそうに上目づかいで御殿を見上げた。
「全然気づきませんでした。ごめんなさい……」
 友達の非常事態には敏感になりたいものだ。
「あたしも深夜のMAMIYAのことでいっぱいいっぱいだったんです」
「――となると、MAMIYA内部から当たってみるか」
 今回の事件、MAMIYA研究所の人間が関与している可能性が高い。まだ詩織が犯人と確定したわけではないが、用心に越したことはない。
 想夜の言葉を整理してゆく御殿。頭の中でバラバラに散っているパスルピースの一部分がカチッと音をたてた。と同時に、想夜に伝えておかなくてはならないことがあった。
「想夜よく聞いて。これは研究所の暴魔が言ってた言葉なのだけれど――」
「……え?」

 『魔界は妖精界と手を組んだ――』。

 御殿は研究所での出来事を想夜に伝えた――妖精である想夜にとっては重要なことだし、大事件につながる可能性も考慮していたので、一応、伝えておいたほうがよいと思ってのことだ。
「……それ、本当のことですか?」
 ハンマーで頭をガツンとやられた気分だろう。案の定、想夜は呆然と立ちつくすしていた。
「そ、そんな……ウソ……」
 魔界は妖精界と手を組んだ――妖精の想夜には信じがたいことだった。
 我に返った想夜は全身で訴える。
「妖精が魔族と関るなど、そんなの絶対にありえないことです!」
「まだ確定したわけじゃないわ。落ち着いて……ね?」

 取り乱す想夜をなだめるが、焼け石に水――。

「妖精はずっとずっと、人間たちを見守ってきたんです! もっともっと人間たちと仲良くしたいんです! 自然が大好きなんです! 自然を愛する人間のことが大好きなんです!」
 胸元で両コブシを作って必死に訴えてくる。それほどまでに妖精は神聖なものであり、人間を愛しているという主張だった。
 誰だって自分の置かれた立場が正しいと思いたい。けれど、必ずしも正しいとは限らない。
 暴魔の言ってた言葉が嘘ならよいのだが、本当だとしたら想夜の中の価値観が一気に崩壊するだろう。かつては絶対的に正しいと思っていたものがウソの塊だったとしたら、想夜はどうなってしまうのだろう。

 一途な者ほど崩壊傾向に走りやすい。まっすぐなヤツほど、ぶつかった時の衝撃で壊れやすい。

 日頃、想夜がとっている行動から察するに、フェアリーフォースという立ち位置は正義を謳ったものであろう。その正しい行いをする組織に13歳の少女は心経を抱いている。でももし、信じていた正義が善でなかったとしたら?
 ――目の前の妖精を気づかう御殿だった。


儀式を狩る


 御殿は狐姫に事情を伝えると、学校から連れ出した。午後の授業には出席しないつもりだ。
 意識不明事件の原因が分かった以上、街中に仕掛けられた吸集の儀式を一刻でも早く破壊しなければ。
 裏門から抜け出す時、見知ったポニーテールが門の隅に寄りかかっていた。御殿と狐姫の姿に気づくと下から見上げるよう、上目づかいで言う。
「あたしもご一緒しますよ」
 御殿の行動の先手を打ってくる頭脳、大した妖精だ。
「授業があるでしょう?」
「平気です。あたし今、保健室で眠ってますから」
 もちろん仮病だ。布団を丸めて、その上から布団をかぶせてきた。即席な身代わりってヤツ。
「それに闇雲やみくもに吸集の儀式を探しても骨が折れるだけだと思いますけど……?」
 チラ。ふたたび上目づかい、イタズラっぽい目の想夜――頼って! もっと頼って! と言わんばかりに甘えてくる。
 そんな子猫を邪険にできるはずもない。御殿は素直に力を借りることにした。


 3人が互いの背を向けた。これから吸集の儀式を破壊してまわる。
 水晶端末に地図を表示させた想夜が他の2人に支持を出す。
 場所の特定は容易だった。ワザと少量のエーテルを解き放ち、吸い寄せられてゆく方角へ足を運んだ。


 空き地や空き家、空いたテナントなど、どこも人気ひとけのない場所に吸集の儀式は施されていた。
 逆説を言えば、御殿が想夜に打ち明けなければ事件終息にはたどりつけなかったかもしれない。また、終息させたとしても、それまでに出る被害者の数は計り知れないだろう。被害者は全て妖精になるわけだが、それでも人間界で健全に生活している以上、悪しき者から守るべき存在に値する。

 儀式は全部で7箇所――想夜、御殿、狐姫の3人は時間短縮のために別々の方角へ走り出し、吸集の儀式を片っ端から破壊してまわった。3手に分かれたおかげで、短時間での処理に成功した。

 残るは一ヶ所。街はずれの方角だが少し距離がある。


 一旦作業を止め、3人が合流する。
「俺のほうは片付いたぜ」
 歩みよる狐姫に御殿が安堵の笑みを送る。
「こっちも破壊した、問題ないわ。想夜のほうは?」
 御殿が振り向くが、想夜の元気がない。
「想夜?」
 想夜の体がフラついた。軽い貧血のような症状。少し大目にエーテルを放出したために体力を消耗していたのだ。だから飛ばずに走って行動していた。羽を使えばさらにエーテルを消耗するからである。
「少し休みましょうか」

 御殿は両手で想夜を軽々と持ち上げると抱きかかえ、そのまま歩き始めた。

「こ、御殿センパイ、これは、ちょっと……は、恥ずかしい、です」
 語尾はモゴモゴと小声になってしまう。でも心の中では、「キャーキャー、お姫様抱っこ♪」と、はしゃいでいたりする。頑張ったご褒美、といったところだろう。
 想夜は結局、本当に保健室で休むハメになった。ちなみに心優しい御殿センパイ、添い寝まではしてくれず。ひとり爆睡する想夜だった。
 想夜をベッドに寝かせた御殿は、進捗状況を宗盛に報告するため、ひと足先に帰宅した。


 愛宮邸 応接室。

 御殿と宗盛は頭を悩ませていた。
 意識不明事件の発端は吸集の儀式によるもの。学園に暴魔が奇襲をかけてきた原因は、エーテルバランサー、もしくはエクソシストの存在を知った魔族が教員に扮しておこなったのは間違いなさそうだ。研究所で華生が誘拐されそうになったことも宗盛には報告済みだ。
「――なるほど、そういう事態に発展していたのですか」
 御殿は想夜から聞いた吸集の儀式の説明を宗盛に伝えた。無論、妖精関連の話は省かせてもらった。想夜の正体を隠しておきたかったのだ。バランサーとはいえ、まだ学生の身分。依頼内容に巻き込むのはご法度。想夜の生活を壊したくはない。
 それに華生の件がある。
 警戒を強める御殿に宗盛が眉を垂らした。
「よく短期間で解決に向かうことができましたね。さすがアングラ住人を唸らせるだけのことはあります」
「情報提供者に恵まれていただけですよ。買被りすぎです」
「ご謙遜を」
 ふぉっふぉっ、と笑う宗盛を前に御殿が話しを続ける。
「それに、まだ一箇所だけ儀式が残っております。それを片付けたら改めてご報告させていただきます」
 今回の意識不明事件は終息に向かっている。解決への糸口をつかめたのも妖精界からやってきた少女、雪車町想夜の協力があってのことだ。
 吸集の儀式付近に設置された防犯カメラの映像から、犯人も割り出せるだろう。愛宮にはその権力がある。そこから魔族が浮上するのは時間の問題だということを御殿は知っている。いちばんの問題は妖精界が絡んでいることなのだが、これ以上深入りすることはしない。「監視カメラの件は愛宮にお任せください」と宗盛も言ってくれてることだし、その言葉に甘えることにした。

 残りの一つを破壊後、愛宮が諸々の後片付けをして不可思議な事件を闇に葬るのだ。そうすることで騒ぎは止む。すべてが無かったことになるのだ。
 聖色市の治安はMAMIYAの治安。いつの時代も裏で動いている存在はいるものである。
 とはいえ、残り一箇所の正確な場所を想夜から聞かされていない。愛宮邸を出たら想夜に電話を入れよう。そして最後の吸集の儀式を破壊して任務完了となる。

 御殿の心に引っかかることがある。MAMIYAで華生が誘拐されかけたことだ。さきほど宗盛に報告したとき、彼は「愛宮で働く人間には珍しくないこと」と言っていた。愛宮の者を誘拐することで金や情報を入手する輩なんてゴマンといるのだから、当然の返答ともいえる。
 御殿が疑問視しているのは、華生だけが執拗に狙われているように見える部分だ。
 九条華生の正体を知っている、あの子は人間ではない。吸集の儀式は妖精からしかエーテルを取り上げない。想夜の言葉通りならば、華生は妖精だ。御殿はそれを理解していた。

 妖精だから誘拐されたのだろうか?
 だとしたら、別の妖精を誘拐しないのはなぜだろう?
 華生じゃなきゃ無意味なのか?
 そもそも華生は何者なのだろう?
 養父の宗盛は何かを隠している?

 御殿の疑問は増すばかり――とはいえ、余計な詮索はクライアントの意思に背く行為。今は宗盛の言葉を素直に受け入れよう。

 しかし、だ。妖精のみに効力がある吸集の儀式。この詳細を伝えたら宗盛はどうでるだろうか。御殿はそれが気になっていた。宗盛は華生について多くを語ることはなかった。

 宗盛はなにかを隠している――そのことについて確信がとれた御殿は思うのだ。「今回の事件、ひと癖もふた癖もありそうだ」と。けれども依頼内容ではそこまで首を突っ込むように命じられていない。さて、愛宮側はどうでるのだろう――。


 深呼吸ひとつ。御殿はモヤモヤした気持ちを切り替え、ソファから立ち上がる。
 あっと言う間だったけれど、もうすぐこの街ともお別れだ。
 もし事件が解決した場合、協力代として想夜になにか買ってあげよう。甘いものが好きと言ってたので、駅前のドーナツセットがいいだろうか? それともケーキ食べ放題がいいだろうか? 少し気が早いお礼を御殿は考えていた。
 よほどエクソシストに感謝をしてくれているのだろう、宗盛が門まで見送ってくれた。


5日間の恋


 学校帰り。想夜は華生との約束のために愛宮邸を訪れていた。
 1~2時間は眠っただろう、なんだかスッキリする。保健室から出る頃には夕暮れ時になっていたが、約束の時間には間に合いそうだ。
 う、う~ん……と、歩きながら大きく伸びをして体をほぐす。
 いつになく絶景の門の手前、チャイムを押そうとした想夜の指がピタリと止まる。
「……」
 誰かいるようだ。

 息を殺して塀の向こう側を感じとる。盗み聞きは罪悪感があるけれど、想夜だって華生に用がある。そうかといって会話の邪魔をしてしまうのも、なんだか悪い気がする。

「ど、どうしよう」
 挙動不審。オロオロしていると、壁向こうの会話が耳に飛び込んでくる。
「思った以上に素早いご対応、感謝しておりますよ――」
「儀式破壊後に改めてご報告させていただきます――」

 緊迫したムード。会話をしているのは物腰のやわらかい声の初老の男性と若い女性――クールな声の持ち主だ。

(あれ? この声……たしか執事長の宗盛さんだ。もう一人は女の人だけど、ひょっとして……)
 想夜が記憶をたぐっていると、壁の向こうから人が迫ってくる。
「――というわけですので、引き続き調査をよろしくお願いします」
「かしこまりました。学園内の警備は明日で切り上げるよう、焔衣にも伝えておきます」
 壁に耳あり障子にナントカ――ヒソヒソと小声ではあったが、想夜の耳にはバッチリ届いていた。
 会話の内容を聞く限りだと、女性は学園内の警備、それと叶子の祖父の件で調査をしている覆面探偵の類だと理解できた。
 気になった想夜がコッソリと門の隅から顔を覗かせると、宗盛に会釈して振り返った女性とちょうど目が合ってしまった。
「「あ……」」
 想夜と制服の女生徒が見つめあい、同時に口を開く。
「御殿センパイ……!?」
「想夜……どうしてここに?」
 ひでぶ。想夜は目をまん丸くした。何の因果か、御殿と同じ場所で出くわしてしまう。宗盛はハプニングに気づくことなく屋敷の中へ戻っていった。


 門の前に残された2人――。
 想夜は咄嗟に柱の影に身を隠す。が道路標識の白柱だったため、体のほとんどがはみ出していた。ブザマ。
 いっぽうの御殿も話を聞かれたとわかって気まずそうにしている。クライアントが愛宮だということを伏せていた為、想夜には内緒で調査するつもりでいたが、まさかこのタイミングで出くわすとは思っていなかった。
「想夜……体、はみ出してる」
 言われてギクリ。テヘヘと笑いながら柱の後ろから出てきた。
「えへへ。なんで先輩がここにいるんですか?」
 問われて逆にギクリとする御殿。
「あの、えーと……転入書類の件でちょっと、ね」
 相手の目が泳いだのを見逃さない要請実行委員会。
「ウソです! いま目が泳いだ。それに、なんか調べてるって言ってました」
 ビシリ。ジト目で指差す想夜だった。が、
「……聞いてたの?」
「うっ」
 御殿の鋭い眼光が突き刺さり、想夜はあわてて指を引っ込めた。そのままにしていたらボキリと折られそうだったもので。

 口封じのため、首の骨をへし折られるかもしれない。ゴレゴ14だったらとっくに撃たれてる。ターゲットになるのはゴメンだ……そう思った想夜がとっさに首を振る。

「いえ。なにも聞いてません」
 それがいい、そうしよう。耳と口をふさいで貝殻モード。あたしは貝になりたい……。
「想夜――」
 詰め寄るように口を開く御殿。
「見てません言いません聞きません!」
 目を閉じ、耳をふさいで首をブンブン振り回す想夜が3匹の猿にならう。
 御殿は想夜の手首を握り、耳から引き剥がした。
「想夜、どこから聞いてたの?」
 さらに詰めよられて観念する。優しい口調の御殿センパイだったのが救いだ。
「愛宮グループから依頼がどうとか……御殿センパイと狐姫ちゃんが学校に入って、それで、誘拐事件と意識不明事件あたりからです。はい、ごめんさない」
「ほとんど聞かれてたのね」
 ふう……御殿はため息交じりで肩をすくめた。自分の不甲斐なさにあきれ果てている。こんなにヘマを重ねたのは初めてだ。1年前、エクソシストの任務に就いた当初は失敗の連続だったが、それでも今よりずっとマシだった――ヤキが回ったのだろうかと不安になる。それとも何か? いくら突き放しても、想夜はこの事件に関ってくる宿命でもあるのだろうか。
「アナタとは何かとご縁がありそうね。調査もバレるし、その……裸も、見られたし……」
 御殿が目をそらすと、
「は、裸見られたのはあたしのほうです!」
 想夜がプゥッと頬を膨らませた。女は被害者になりたい生き物なの……な~んつって。
「台所に入ってきたのはアナタでしょ?」
「なんで台所で裸になってたんですか? 裸エプロンですか? そういう趣味ですか? そういうプレーですか?」
「なに、逆ギレ?」
「キレてませんー。全っ然キレてませんー、う~んキレてなーい、あたしキレさせたら大したもんですぅ~」

 すでに半ギレ状態。とんだお子様だ。 ――13歳はお子様だけどね。

「語尾を伸ばすところが子供みたいね」
「えー、どーせ子供ですよ。御殿センパイと比べたらどーせチッパイですよ、いーだ!」
「小さいなんて言ってないでしょ?」
「口に出さなくっても、そう思ってるんでしょ!?」
「思ってないわよ」
「その顔は思ってますぅー、絶対思ってますぅー」
 うーうー。言動が小学校低学年まで遡っている。
「じゃあ今から思うことにするわ」
「あー、ほら! やっぱり見たんじゃないですか!」
「想夜だって見たでしょ?」
 そして最後に――
「「見られたのはお互い様でしょ!!」」
 綺麗にそろった。
 意味合いとして想夜は女子目線から、御殿は任務目線からの『裸見られました主張』だった。女の子からしてみれば恥ずかしいものだし、性別詐称者からしてみれば正体はバレたくない。
 熾烈な接戦が終わり、お互い無言のまま頬を赤く染めて目を伏せた。

 沈黙のあと、御殿のほうから想夜に近づいた。
「で――」
「ひっ、痛くしないで……」
 殺されると思って身がまえた想夜だが、頭をなでられただけだったので拍子抜けする。
「要請実行委員会さんはどうしてここへ?」
 問われてギクリとする想夜。華生が逃亡者だということを黙っていようと思っての行動だったが、隠蔽を続けるには限界というものがある。
 先日、学園内で起こった暴魔の一戦もあり、御殿には恩を感じている。それに力量も信用できるセンパイだ。なによりMAMIYAとの関係性もあることだし。

 やはり打ち明けるべきだろう――想夜は意を決した。

「御殿センパイ、実は……」
 想夜は華生のことを御殿に話した。もとより御殿には協力してもらうことも考慮していたので、いい機会だと思った。ハイヤースペックの件は回避すべきと思い、その場での説明を避けた。


 華生が妖精界からの逃亡者と聞かされた御殿は考えをめぐらせる。
「――逃亡者、か。あの子がね……一体なにをしでかしたのかしら? 妖精だということはわかっていたけれど――」
 想夜がぶったまげた。
「え? どうして分かったんですか?」
「さっきあなたが言ったじゃない」
「えっえっ、ウソ? ホント? いつ?」

 ロボットみたいなカクカクした動き――おもしろい珍獣みたいで可愛い、と御殿は吹いた。

「ほら、屋上で。吸集の儀式は同じ街の妖精だけに効果がある――って」
「それだけでどうして華生さんが妖精だってわかっちゃうんですか?」
 御殿は意識不明事件での華生の様態を想夜に聞かせた。
「――なるほど。華生さん、衰弱していたんですね。だから暴魔にさらわれた時も抵抗できなかったんだ」
「暴魔に、さらわれた?」
「はい」
「いつ?」
「先日の深夜――」
 今度は想夜が説明する――深夜の暴魔戦での出来事だ。
「――それって工場跡に潜入した時。MAMIYAでの誘拐は2度目だったのか……」
 疑問視していたことが確信に変わってしまった。点と点がつながって線となり、揺らぎようのない固定化がされたのだ。

 ターゲットとして選ばれているのは九条華生、ただひとりなのだ、と。

 御殿は独り言をつぶやいてシャープな顎に手を添えて考える。目線はどこを見るでもないいつもの仕草。そんな時は決まって脳が高速回転で動いている。ひと昔前に流行したハードディスクみたくカリカリ、カリカリ、と音を立てている。少なくとも、御殿の脳裏には、愛宮邸の応接室で会った華生に邪悪な気配を感じなかった――妖精だから当然なのだが。人間離れした容姿が好印象だったことを省いて考えても、虫も殺さないような穏やかな性格はウソをついていないはずだ。とはいえ、人は見かけによらないのは重々承知……といってしまえば、ひとつ前の考えが無になるのでキリが無い。果たして外見と雰囲気が吉とでるか凶とでるか。

 廃墟での夜も、MAMIYA研究所を訪れた際にも、華生は誘拐されかけている。
 九条華生は一体何者なのだろう――?
 華生本人はなぜ誘拐されたのかを知っているはずだ――御殿は想夜に誘拐理由を聞いたたが、想夜は「わかりません」と首を左右するだけだった。

「想夜、他に華生さんについて何か知っていることがあれば教えてほしいの」
「え!? け、華生さんのこと……ですか?」
 どうしよう。想夜は頭を悩ませていた。華生が逃亡者だということを御殿にうちあけるべきか。否、妖精界の事件に人間を巻き込むわけにはいかない。とはいえ、なにも話さなければ次の一手を打てないのも事実。
「なにか隠していることがあるのね?」
 御殿が想夜に詰め寄るも、逃亡者のことやハイヤースペックのことは知られたくない。戦争に巻き込むのはご法度だ。生身の人間では手に負えない能力を敵にさせてはならない。
 もっとも、華生のことでそれ以外に隠していることはない。結局のところ、何も知らないと言うしかなかった。

 なにかを直向ひたむきに隠し通そうとする想夜の態度に、御殿は思うところがある。なにかが引っかかり、首をつっこまずにはいられないのだ。直感というやつだろう。その道を避けていては前進しない、1人分だけの狭い一本道――Bを得るのにAを避けようと躍起になるのは間違いだ。

 その先に何がるのか、と考えても答えはもらえない。ならば……と、通らなくてはいけない道を御殿は通ることに決めた。
「ねえ、わたしも委員会とやらに付き合っていいかしら?」
 想夜の表情がライトに照らされたようにパッと明るくなり、瞳を輝かせた。
「入部ですね! 大 歓 迎 です!! ではコチラの入部届けにサインを……」
 想夜は入部届けをいつも持ち歩いているらしく、ポケットからそれを取り出した。『狙った獲物は逃がさない』が今年の抱負。
 御殿は入部届けを受け取ると、愛宮邸のポストに突っ込んだ。
「――じゃなくて。これから華生さんに会うところだから、付き合ってほしいだけ、OK?」
「……お、OK」
 捕獲失敗。想夜はガックリと肩を落とた。
「ふふふっ」
 笑い声が聞こえる――正門から顔を出し、一部始終を見ていた観客がいた。
「菫さん」
 菫がまんべんの笑みで手を軽く振ってくる、そして手招き――。
 想夜と御殿は互いの顔を見合わせた後、菫に近づいていった。


 愛宮邸 裏庭――

 叶子が華生の手をとり手繰りよせた。
 引かれる反動に逆らうことなく、華生は叶子の胸に身を預ける。2人とも普段は見せることのない無邪気な笑顔。
 信じられないくらいに華奢なウエストラインへと、叶子は傷を負った腕をまわす。腕の包帯は華生が巻いてくれたもの。揺れ動くたび、淡い花の香りが漂う。叶子はそれを楽しんでいた。

 痛いの痛いの飛んでいけ――華生はそう言って、包帯に口づけもしてくれた。不思議と痛みが消えた、最高の特効薬。

 お日様のもと、叶子は最高の笑みを見せた。
「華生知ってる? ロミオとジュリエットの恋は5日間だけなのよ?」
「たった5日、でございますか?」
「そう。たった5日の、永遠の恋――」
 叶子は寂しげな顔の華生に笑顔を送る。

 1日目に2人は出会い、
 2日目に結婚した。
 3日目にジュリエットは別の男性から結婚を迫られる。
 2人の思いはすれ違い。
 4日目に伯爵との婚約を逃れるため、ジュリエットは自殺を装う。
 5日目にジュリエットの死を知ったロミオも自ら死を選んだ――ジュリエットの死が偽りだと知らずに。
 目を覚ましたジュリエットは、もうこの世にいないロミオの横顔を見つめ、絶望し、自ら命を絶った――。

 たった5日のロマンス――それを短く感じるか、永遠と感じるかは人それぞれだろう。

 握った華生の手は、わた菓子のように軽くて白くてやわらかい。ペロリと舐めたらさぞかし甘いことだろう。叶子はその手を高く、そっと引き上げた。
「叶子様、今わたくしの手を舐めようとしましたね?」
 クスリと笑う華生。
「バレちゃった?」
 叶子の導きに従いクルリと回る華生。叶子には前科があるようだ。

 手入れの行きとどいた芝生、そこが2人のダンスホールだった。人目を盗んでは2人、こうしてじゃれ合う。普段は大きな感情の波を表に出さない叶子。今の姿を見たら、愛宮の住人も学園の人達もぶったまげるだろう。その姿を目にできるのは華生だけだった。

「華生、あなたが眠りから覚めないとき、私も一緒に眠りに尽きたかった……」
「叶子様……」
 先日――衰弱してゆく華生のすぐ横、ベッドで涙していたのは叶子だった。応接室で御殿と初対面した際、うっかり口を滑らせてしまうところを慌てて言葉を濁した記憶が華生にはある。

 叶子と使用人以上の関係であることを勘ぐられたくはない――華生は自分の存在が叶子の肩身を縮めてしまうことを気にかけていた。

 叶子の指先が華生の唇をなぞる――
「もしあなたが毒リンゴを食べて深い眠りについたのなら、私の口づけで目覚めてくれる?」
「今度は白雪姫ですか?」
 華生がまたクスリと笑い、
「もちろんです……」
 と、2つ返事で返した。
 それもそのはず。吸集の儀式のなか、日に日に衰弱してゆく華生は叶子の涙を見たくないがために、こうして帰還したのだ。
 華生が目覚めたのは御殿たちが儀式を破壊したという理由だけではない、すべては愛する人の笑顔のために目をさました。
「わたしの中には罪悪感がございます。叶子様を悲しませてしまった罪悪が――」
 華生は胸が痛くなって押さえつけた。
「気づいてたの?」
 叶子は恥ずかしそうに笑みをこぼした。衰弱する華生の横で泣きじゃくっていた自分。あんなにも涙を流すのは子供のとき以来だった。
「愛する人が消えてなくなる、考えただけでも心が崩壊してしまいそうね」
 叶子ははにかむ。愛する者を奪われる時の無力感に抱かれるのはゴメンだ、と。そう言っては華生に手を伸ばした。
「華生、あなたは何も心配しなくていいのよ」
「……?」
 叶子はきょとんとする華生のミルクティー色にきらめく髪を撫でた。頭皮から毛先まで、なんの抵抗もなくスルリと指を抜けてゆく。摩擦から開放された感触は、叶子の指をやみつきにさせた。何度も。何度も。その感触を確かめる。
「叶子様、くすぐったい……」
 たまらず身悶えた。かと思うと、今度は愛しき人にならって自らも相手に同じことをする。叶子のヘアバンドから毛先までをゆっくり愛でていった。
 華生の手作りのヘアバンドが叶子のお気に入り。もう何年も華生の作ったヘアバンドしか身に着けてない。どんなに有名なブランド物にも勝る宝物。九条華生が叶子のお気に入りブランド。
「また、ヘアバンドお作りしますね」
「うんお願い。今度はお揃いのにしてちょうだい」
「まわりの方に詮索されますよ?」
「2人きりの時なら大丈夫でしょ?」
 かしこまった華生の態度は身のほどをわきまえているようだが、そんな態度は叶子にとって不要だと分かっている。

 2人きりの時は常日頃から同じ目線に立っていたい――叶子は華生に告げた。いつもそう想っている。いつもそう願っている。

「叶子様の髪、サラサラしていてシルクのよう……それに甘い香り――」
 そう言って叶子の髪を鼻先へと手繰りよせた。
「味見してみる? 舐めたら甘いわよ、私の髪」
「ご冗談ばかり……」
 2人、クスクス笑う。
 芝生にゴロンと横になり、一緒に雲を眺めている。

 空に浮かぶわた菓子――。

「わた菓子の形……華生の顔みたい」
「あっちは叶子さまの作ってくれた猫のクッキーにそっくり」
「失礼ね、あれは犬のつもりだったのよ?」
 流れ行く雲がうらやましい。自由に形を変えられるから――。

 雲になってフワリフワリと形を変え、やがて一つになりたい――握った手と手から、そんな感情が伝わってくるのは錯覚だろうか? 2人は雲を見つめ続けた。

「……」
「……」
 沈黙――それすら甘美に思えた。

 何をしていても、どんな状況下でも、ふたり、こうして寄り添うことが互いの心に栄養を注ぎ込んでくれる。
 学校での昼食のとき、叶子は御殿と狐姫のやりとりを見ながら華生のことを考えていた。「この場所に華生がいてくれたら、どんなに食事が美味しいことだろう」と。叶子が華生のお弁当を突っつき、それを見かねた華生が叱ってくれる――あり得ない光景だけれど、願わくば叶子もそうなりたかった。それが叶子の10点満点のランチタイムなのだから。
 本来なら、こうして2人だけで寝転んでいること事態、ありえない時間だった。もちろん、誰かに見られたら騒ぎになるだろうが、もうどうでもいい。問題はそんな事ではない。

 なぜなら――2人にはもう、時間がないのだ。

「1日目で華生と出会い」
「1日目で恋に堕ちた」
 あれから何年も経つというのに、互いが結ばれることはない。ロミオとジュリエットはたった5日で恋の行き先を決めたというのに、だ。

 進まないスゴロク――もどかしい。同じ場所をグルグル回るもどかしさ。けれど、それももうすぐ終わる。

「「――!?」」
 遠くから誰かの足音が近づいてくる。気配を感じとった2人はとっさに身がまえた。
「華生、私の部屋に戻りなさい」
 叶子は華生に対し、屋敷に戻るよう促した。
「……かしこまりました」
 叶子の手から華生の指先がスルリと抜けてゆく。まどろみの時間は終わったのだ。
 華生はあわてて叶子の身だしなみを整えた。服に就いた草を払い、髪を整え、包帯に緩みがないかをチェックする。いつも叶子のことを最初に考える。その後、一礼してその場を去っていった。心も顔つきも、いつもの喜怒哀楽の薄いメイドに戻っていた。
 叶子の指先に、いつまでも華生の感触が残っている。華生との時間をたっぷり堪能したはず。それでもまだ恋しかった。

 「華生――」
 叶子の寂しげな表情。

 屋敷の角から人影が現れた。相手は菫だ。
「菫さん……?」
 菫は笑顔で叶子を手招きした。


ルージュの警告


 愛宮邸 裏庭。

 想夜、御殿、叶子の3人が顔をそろえていた。

 想夜と御殿を叶子に引き合わせたあと、菫はさっさと退散してしまった。邪魔者は余計な口を挟まないほうがいいとの気づかいあっての行動。出来た大人の行動。
 他には誰もいない。暗雲立ち込める緊迫した状況下、押し問答の時間が流れていた。
「――ですから、華生さんが誘拐される理由に心当たりがないかお聞きしたいだけなのです」
「そんなこと、私が知っているとでも思って?」
 御殿の質問は叶子をイラつかせた。なぜなら御殿は叶子のテリトリーに侵入しはじめているからだ。

 叶子のテリトリー、デリケートな場所、誰にも入られたくない心の隙間。人間、心の痛い部分に触れられると警戒心が増す。

(こちらの行動を察知しているのか? さすが咲羅真 御殿エクソシスト、とでもいうべきか……)

 先陣切って前へ前へと進む姿勢は拍手喝采だ。が、これ以上深入りすれば命を縮めることになる――叶子はそう言ってやりたかった。

 想夜は辺りを見まわした。本来、会うはずであろう華生の姿はどこにもなく、代役として叶子が対応してきたことに驚いたからだ。仁王立ちで待ち伏せていたといってもよいだろう。歓迎されてないことも叶子の険しい表情から読み取れる。

 華生との約束は果たされなかった。

 普段は見ることのない叶子の冷たい眼差しに息を呑む2人。『叶ちゃん』でも『同級生』でもない――これがMAMIYA本来のオーラなのだと改めさせられた。

 叶子は想夜たちが華生に近づくのを拒んでいるようだ。とくに左腕に右手をそえて、かたくなに防御の姿勢を崩さない。
(叶ちゃん、なにを隠しているの? 華生さんが妖精であることも知っているの? 逃亡者なんだよ? 一緒にいたら危険なんだよ?)
 想夜は言いたいこと、聞きたいことで胸が張り裂けそうだった。
「宗盛から聞いてると思うけど――」

 叶子の体がユラリと揺れて御殿との距離をつめてきた――戦死した亡霊に襲われるような感覚を前に、御殿の額に汗がにじむ。

 叶子の威圧感がビリビリと伝わってきて、想夜は恐怖で後ずさる。
(いつもの面影がない。こんな叶ちゃん見るのは初めて)
 と足が震える。
「御殿さん、あなたには学園警備をお願いしているのよ。愛宮の従業員を尋問する資格なんて与えていないわ。働きすぎは過労死のもとよ? これは忠告」
 と、叶子の挑発的な態度。
 御殿も負けじと反論する。
「意識不明事件の調査もわたくし共の任務です。事件の解決に至ってみれば、愛宮様も同じお考えかと思います。例えばこの場合、華生さんの立場は重要参考人なのではないでしょうか?」
 叶子が吹き出した。
「重要参考人って、あなた刑事にでもなったつもり? 税金泥棒もはなはだしいわね」
「例えば、の話です」

 御殿はあくまで冷静に、穏やかに、やんわりと告げる。叶子はクライエント――お客様は大切に、がモットーだ。退魔業だってしっかりこなしている。税金泥棒なんかと一緒にされたらたまらない。

「華生は『何も知らない』と言ってるのよ」
 叶子の突き刺さるような眼差しが御殿に向けられる。眼光だけで人を刺殺できそうな鋭さだ。叶子の中、すでに御殿は薔薇の刃で串刺しにされてるのかもしれない。
「ですが愛宮叶子様、学園にも被害がでております。放っておくと事態が悪化しかねません。報告書にもそう記載しました」
 微動だにしない御殿が平然と構えている。大人の対応だ――が、それを見た叶子がゲンナリと肩をすくめた。
「御殿さん、もう少し頭のいい方だと思ってたけれど……今のあなた、ただの野次馬にしか見えないわ」
 叶子が御殿の肩に手をかけ、顔を近づけてきた。首筋まわりをなぞるように指を走らせてゆく。そのしぐさは死神のよう。指で線引きされた箇所から切り落とされてしまいそうだ。
 それを見ていた想夜が身震いする。御殿と叶子に挟まれただけでも想夜の華奢な体は掏りつぶされてしまいそうだった。
「わたし達は、ただ華生さんと話をさせてもらえれば――」
「答えはNOよ」

 瞬殺――叶子は御殿の耳元でささやき、挑発的な視線を送り続けている。

「それとも、ウチの華生があなた達に無礼でも働いたのかしら?」
「…………いえ」
 少しの沈黙の後、御殿は押し黙った。
 叶子がため息まじりであざける。
「――違うわよね? なら余計なことまで首を突っ込まないでちょうだい」
「待って叶ちゃん!」

 こらえきれず、想夜が一歩踏み出した。

「お願い、華生さんと話させて……一言でいいの」
「理由は?」
 ギロリ。御殿に向けていた眼光を想夜に移した。
「そ、それは……」

 睨まれ、言葉に詰まる。まるで神話に出てくるメデューサに睨まれたように感じ――想夜の体は石のように固まって動けない。

 華生さんは人間じゃないの――言うべきか、言わざるべきか。自分が妖精界からやって来たバランサーであり、華生が逃亡者であるということを。そして、バランサーは逃亡者を確保する義務があるという事実を。
「う……ぐ」
 言えるわけがない、ただのメンヘラとして扱われるのがオチだ。それに無関係な叶子まで事件に巻き込んでしまう可能性もある。想夜は唇をかみ締め、瞳に涙をためて押し黙った。なにも打ち明けられないことが、無力を突きつけられているようで悔しい。
 いっそのこと力ずくで華生を確保しようかとも考えた想夜だったが、大好きな友達を前にしてその仕打ちは恩を仇で返すようなものだ。一言あるのが礼儀だろう。仕事とはいえ、あとあと罪悪感で押しつぶされてしまうことにもなりかねない――それが恐怖でもあった。

 嫌われたくない――いつものクセが出てしまう。嫌われたくないからいい役を演じる。嫌われたくないからヘラヘラ笑う……そうしていれば、今度会った時にフォローが利く。友達を失わずにすむ。とりあえず、絶交という処刑から逃れることができるのだ。と想夜はひとり勝手に思っている。
 傷つけたくない――叶子を傷つければ、やがては想夜の心の傷となる。とはいえ、解決方法がわからない自分が一層マヌケに思えた。結局のところ、痛いのがいやなのだ。臆病なのだ。

 何も出来ない。何も出来ない無力な子供なのだと想夜は自覚する。
 いつまでも付き合ってられない。叶子はそろそろ切り上げようと思っていた。
「友人ゴッコは疲れるわね……」
「か、叶ちゃん……」
 友人ゴッコ。聞きたくない言葉だった。
(あたしに親切にしてくれたのは、ただの暇つぶしだったの?) ――そんなこと信じたくない。
 もはや聞く耳をもたないのはおろか、口を開くたびに攻撃性が増してゆく叶子を見てるのは耐えられなかった。
「叶ちゃんは……そんなこと言う人じゃないもん」
 それを聞いて叶子がまた吹き出した。
「なら、想夜には私がどういう人間に見えてたの? 困った時にいつも声をかけてくれるお人好し? それとも都合のいい理事長の関係者かしら?」
「ち、違……そんなこと思ってな……ぃ」
 言葉に詰まった想夜の胸に人差し指を当て、叶子がとどめをさしにきた。
「他人の人格は全て、あなたの中の想像にすぎない。勝手に思い込み、決めつけ、結論に達する」

 想夜に向け、最後にこう言った――「自己完結ほど哀れな思考はないわね」、と。

 けれども、それを言い放った瞬間、叶子はハッと口を噤んだ。その後、御殿を睨みつける。
「御殿さん、ご苦労さまでした……調査料は今日中に指定の口座へ振り込んでおくわ。これ以上、”私と華生”に関らないで。続けるようなら法的処置が待ってるわよ? いいわね?」
 MAMIYAの弁護団体は有能、怒らせると厄介だ。最悪、御殿の会社にも飛び火しかねない。
 御殿は押し黙ったまま叶子を見つめている。
「ごきげんよう、黒い番犬さん。相方さんと仲良くね――」
 御殿の名前すら口に出すことすら拒絶し、冷たい言葉で屋敷に戻っていく。
 いつもの叶子ではない。冷静さが欠落しており、動揺してるのは明らかだった。そのことを想夜も御殿も分かっていた。

 想夜と御殿が華生に近づいたときの異常なまでに怯える叶子の態度。近づく人間に牙をむく狂犬のよう。なにかに警戒していることは確かだ。
 叶子の後ろ姿を目で追う御殿だったが、先ほどから違和感を感じていた。
(ケガをしている?)
 叶子がしきりに腕をかばっていたのが気になった。
 想夜も想夜で、ひとつ気になっていることがあった。
 叶子の言葉。「私と華生に関らないで」――なぜ、「MAMIYAに関らないで」と言わなかったんだろう? クライエントはMAMIYAのはずなのに。MAMIYAになら関ってもいいのだろうか? それとも、もう関る必要がなくなるとでもいうのか。
 想夜の勘ぐりは尽きない。


 想夜と御殿から逃れた叶子は詰まる気持ちを吐き出すように深呼吸、息をすべて吐き切って体中の空気を真新しいものと入れ替えた。これでいい。これでいいの。そう自分に言い聞かせながら。
 自室に戻った叶子は気を取り直し、無理に笑顔を作る。
「お待たせ華生、夕食の準備をしてちょうだ――」
 様子がおかしい。
「――華生?」
 誰もいない。部屋はもぬけの殻だった。
 ふと、ドレッサーの鏡を見た叶子が凍りついた。

 『メイドはMAMIYAで保護している』

 ルージュの伝言。殴り書きされた警告を前に、叶子の拳が怒りでワナワナと震えだした。
 続きにはこう書いてあった。

 『無事を願うなら、エーテルバランサーとエクソシストを消せ』


 叶子に門前払いを喰らった2人は帰宅道をはずれ、川原の土手にある一直線のジョギングコースをトボトボあるいていた。少し遠回りだけど、頭の中をリセットするにはちょうどいい場所だ。
 こうして歩いて帰るのは暴魔の奇襲を受けたとき以来だ。ズブ濡れになって帰ったんだっけ。その時の想夜は疲労からションボリと肩を落としていた。今の想夜は目に涙を浮かべている。

 夕暮れ時で涼しいということもあり、チラホラと運動している人が目立つ。そんな場所で無言のまま歩いている2人は、他人から見たら異質な存在に思えるだろう。

 無言に耐えかねたのは想夜のほうで、考え事をしている御殿に話かけるも、味気ない会話や生返事ばかりでイマイチ盛り上がりに欠ける。まあ、盛り上がれる状況下にないことくらいは分かっているけど、お喋りざかりの女の子にとって沈黙という重圧はあまりにも重く感じるものだ。
 さらなる沈黙が続くなか、想夜は空を見上げ、ポツリ……と、あることを話し始めた。
「――昔から、なんですよ」
「……?」
 チラリ。御殿が想夜に横目をやる。
「あたしが本気だすと、みんなあたしの前からいなくなっちゃう」
 他者を詮索する趣味は持ち合わせていないが、話してスッキリするならそれもいいだろうと、御殿は黙って聞き入る。
「学校で暴魔に襲われたとき、頭のなかが沸騰したってゆーか、無我夢中になって……あたし、いつもはあんなに熱くなることないんですよ?」
「あれだけの力を持っているのに、どうして普段から本気で戦わないの? 手加減していればいつか殺されるわよ?」
「そ、それは……」
 想夜は口ごもり、だんまり、うつむいてしまう。
 御殿の耳元、想夜の周囲に群がる者たちの声が聞こえてくる。「お前なんかが私よりも上のはずがない」という見下す態度。皆、自分よりも下の者を作り上げては優越感に浸りたがる。
 
 ――何も言い返さない想夜は恰好の標的だ。故に、周囲から舐められて続ける。
 
 舐められたくなければ、一喝すれば済むこと。うるさいハエを追い払うには虫よけ作業も必要だ。それでもダメなら殺虫剤の代わりとして、相手の顔面ど真ん中にパンチでも叩き込んでやることだ。相手が弱者なら、それでビビッて尻尾を巻く。

 世の中には周囲に傷つけられて自ら命を絶つ者さえいる。けれどもどうせ死ぬなら、敵の首筋に噛みついてから死を選ぶべきだ。相手がおののく態度を前に、きっとスッキリする。手首に当てたカミソリに対しても、学校の屋上から見下ろしたアスファルトに対しても、舌を出しながら中指を立てられる。

 想夜が本気を出した途端に皆がいなくなるのは、自分よりも下の者が消えたことに気づいたからだ。皆、さらに下の者を探しにいったのだ。でなければ、そいつらが一番格下。皆、その事に恐怖している。

 けれど、想夜の煮え切らない態度が象徴する理由は他にもあった――それが何かの呪縛にがんじがらめにされてるように見えた御殿は、立て続けに質問した。

「想夜は……何に対して遠慮してるの?」
「え?」

 遠慮――その言葉に想夜がピクリと反応する。たしかに遠慮している気がする……いや、遠慮している。なにに対しても、想夜は今一歩のところで手加減をしてしまうのだ。全力でぶつかることを避けている。

 数年前、こんな出来事があった。想夜が人間界に来る前の出来事だ――
 想夜の通っていた訓練校は、数々のエーテルバランサーを生み出している。フェアリーフォースへの登竜門だ。


心の代弁者


 あの子はハブられていた。
 想夜と同じくらいの髪の長さの女の子。
 まわりから孤立した女の子。
 名前も知らない女の子。
 もう会うこともないであろう女の子。
 今、どこで何をしているのだろう?

 いつも周囲と違うことをやっていた。周囲と違う考えを持っていた。流されなかった。自分を持っていた。意思が強かった。自由意志を持っていた。
 少女の凜とした姿に想夜は魅入られた。
『どうしてそんなに強くいられるの?』
 想夜の問いに対し、少女は言う――想夜の本音をマネてみたんだよ、と。
 その時の想夜には少女の言った意味がわからなかった。

 この世には爆発的に他者より秀でた感受性を持ったものがいる。他者の心を読み取っては、己の心に刻む者のこと。
 少女は感受性のかたまり。想夜の心の代弁者だった。
 他人は自分のことをよく見ている。
 自分が一番自分のことを知っている。

 前者? 後者? ――真実はどっちだろう?

 辟易へきえき――勢いに押されてたじろぐ。しりごみ。打つ手がなく閉口する。嫌気がさす。
 想夜は鏡を見せられ、心の底に宿る辟易に気づかされる。が、自分の心を認める勇気がなかった。臆病者に言い訳はいらない。弱いという事実だけが全てを語っているのだから。

 やがて女の子はいなくなる。それが想夜のためだとは知らず、想夜は少女が姿を消したことに酷く心を痛めていた。友達がいなくなったことに、深く、深く、傷ついた。
 自分が距離を置くことで、想夜が傷つくことはないだろうとのことだった。けれど、結果として想夜は傷ついた。距離を取られたことで傷ついた。
 間違っていたのは誰だろう?
 そもそも正解と間違いなんてあったのだろうか?
 
 あの子を庇っただけ。
 あの子に味方しただけ。
 けれど、徒党を組んだ政権は右へ倣えのロボットだった。
 翌日には想夜と口を聞くものがいなくなり、今度は想夜が孤立した。

 孤独を愛するでもない者にとってみれば、孤立は拷問だ。
 想夜は独りが不安だった。でも、謝る必要もないのにひたすら謝り続け、やっとの思いで周囲と仲なおりができた。それが嬉しかった――そうして、ただ顔色をうかがっているだけの存在に成り果てた。己のレベルを下げただけだというのに、本人はずっと、そのことにに気づかないでいる。村八分を逃れたことで安心しきっていたのだ。

 『自分の力はこの程度です。弱いです。出る杭じゃないです。だから打たないでください……いじめないでください……仲間はずれにしないで下さい――』

 そうやって、本気の自分にセーブをかけ、隣と頭の位置をあわせ、コビを売ってへつらうのだ。そうすることで相手との距離を調節し、他者からの心ない攻撃を避けてきた。
 村八分はごめんだ。村八分は死を意味する。数年前までの日本のシステムと同じものが妖精界にも生きている。

 己のレベルを下げ、周囲とあわせることで、本当の力を抑えてしまう。そうすることで、まわりに溶け込めると錯覚しているが、それは溶け込んでるとはいわない。無駄に歩幅をあわせてるだけの進化を恐れた存在。退化といっていい。
 孤立を恐れ、嫌われることを恐れ、傷つけることを恐れるあまり、本気を出さずに周囲とペースを合わせ、みんなで仲良く、はいゴール。切られたテープは誰がため?
 持ち前の明るい笑顔でごまかす。笑っていればそれでいい。へつらっていれば、逆らわなければ、友達からは酷い目には合わされないだろう。ハブられないだろう……と勝手に思い込んでいる日々。
 本音で語り合うこともしない、争うことが根っからダメな娘。想夜はそんな娘なのだ。

 ある日から想夜は考える。なぜこのようなシステムが働いているのだろう? 目に見えない鎖で縛られたような気持ち悪さが、ずっと想夜の中にはあった。その正体はなんだろう?
 人間関係にはありがちな話だが、妖精も例外ではないということ。
 本当は分かっている。傷つけることがイヤであり、傷つくことはもっとイヤだということを。
 ふたたび始まる、臆病な偽善者の言い訳。ループ処理。

「あたし……嫌われるのが怖かった。孤立も嫌い。戦うことから逃げてたんだ――」
 流れが変わったのはいつだろう。想夜の中に信念として芽生えるものが宿っていた。否、はじめからそこに芽生えていたのに気づかなかっただけ。見ないフリをしてただけ。

 『ハブ』の語源も『村八分』からきている。すべての者を横一列にピチッと並べ、決して逸脱するような行動を起こしてはならない。はみ出すものは異分子扱いされ、真っ先に攻撃の的にされる。

 村八分のシステムによって出る杭は元に戻される、あるいは引き抜かれて処分される。
 自分を表現するということを許さない鎖を用い、人々を拘束するシステム。我々を縛る牢獄――最近になって、想夜はその正体を特定しはじめている。けれど確信には一歩およばないでいた。潜在意識ではわかっているはずなのに、答えにたどりつけないもどかしさ。
 閉塞感から生まれる「まあいいや」という怠惰に、想夜はいつも元の位置へと引きずり戻されてしまうのだ。考えること、想像することを諦め、解決への突破口を自ら塞ぐよう飼いならされてきた。

 想夜の子供時代を聞かされた御殿がニンマリする。
「神様にこびを売っても、容赦なく試練をあたえてくると思うけど?」
「神様ってイジワルです」
「ええ、とっても。でもね、神様が誉めてくれるのは媚を売ることじゃないと思う。もし、わたしが神様なら、生きることに手加減する人間を恥ずべき存在に思う」
 御殿は空を見上げ――
「たとえ元気をなくして落ち込んだり、過去に受けた心の傷によって身動きがとれない状況に陥り、心身ともにダウンして、這いつくばって、些細な力すら出せないでいようとも、たとえ何もできなくとも、たとえ弱くとも……その時その時を精一杯生きていれば魂は輝きを失わない。きっと神様は、その人を誉めてくれる……そう思う」
 ――想夜にそう告げた。
 けれど想夜の過去を聞く限り、そんな単純な問題でもなさそうに思える。
 例えば力の差を見せ付けられた者のやっかみ、嫉妬、絶望――どんなに努力を積んでも追い越せない超人がこの世にはいる。そういう存在がそばにいる場合、皆、己の無力さに絶望して壊れてゆく。恐怖し、危険を察知し、防衛本能によりそれを淘汰しようとする。『それ』に当たるのが想夜だ。

 御殿は思う。「雪車町想夜という存在は、超人のそれに匹敵しているのではないか?」と。もしそうだとしたら、想夜自身が己の力を自覚した時、我を忘れて力の使用法を誤るととんでもなく恐ろしい事態を招くであろう。
 周囲の妖精たちは本能で想夜の潜在能力を感じ取っていて、恐怖から距離を置いたのではないのだろうか? 御殿自身、学校で暴魔に襲撃された際、想夜にただならぬ気配を感じていた。小動物のような愛らしさ故、怒りに満ちた黒い衝動を見せれば、それが余計に目立ってしまうもの。白は黒を一層目立たせる。いわゆるギャップが作り出す作用。
(想夜の中に『ドス黒い何か』が眠っている?)
 本人が知らず知らずに押し殺した怒りの蓄積、のようなものだろうか? 強いて表現するなら『脅威』という言葉が良く似合う。それがチラリチラリと見えるのは御殿の気のせいだろうか。
 御殿は首をゆっくりと左右させた。 ……ふう、考えすぎね。ひとり肩をすくめる。

「御殿センパイは……あたしに幻滅してますか?」
 好きな人に嫌われるのは怖いもの。想夜は上目でチラりと様子を伺い、ポツリ、ポツリと聞いてくる。
 そんな想夜の頬にそっと右手をそえ、御殿は答える。
「いいえ。あなたは自分が死ぬかもしれないのに全力で暴魔に立ち向かった。帰界させられるかもしれないのに妖精の姿で現れ、戦い、わたしを守ってくれた。孤立することからも、敵を作ることからも逃げなかった」
 御殿の手の温もりが心地よい。想夜は目を閉じ、頬でそれを味わう。
 御殿は言う。

「どんなに敵が多くても、世界に無様な醜態を晒しても、あなたのことを好きでいてくれる人は、ずっとあなたのことを好きでいてくれる。あなたの味方は必ずいる。だって世界はこんなにも広いのだから――」

 ――と、夕空を仰ぎ、弱っている妖精に力ある言葉を注いでいった。
 正直、御殿の胸は重かった。発した言葉に対して罪悪感が伴っていたのだ。その答えは御殿自身が知っている。御殿の無意識が知っている。
「御殿センパイ……」
 想夜の心がふと、軽くなった。全身を縛り付ける拘束具がはずれてゆく感じがしたのだ。自分の体ってこんなにも軽かったんだ、という思いに包まれた。
「学校での想夜、カッコよかったわよ」
「そ、そうかな?」
 カッコよかった、面と向かって言われると照れてしまう。
 想夜はそれまでの暗い気持ちを吹き飛ばすように顔をあげた。そこには笑顔の妖精――長い間、ヘドロのように渦巻いていた感情は姿を消し、フッと体まで軽くなり、心の中でなにかが吹っ切れた。そういう時は決まって瞳が潤むものである。
 想夜は、御殿が言ってくれたパワーワード、してくれたこと、ひとつひとつを胸の中で、リボンで丁寧に紡いでいった。

 ――いつの日か、きっと、素敵な花の冠が完成することを夢見て。

 想夜が御殿に笑顔を向ける。
「センパイ知ってます? ワイズナーって本当は、もっとスゴイことができるんですよ?」
「スゴイこと?」
 例えば? という質問をきいた想夜は後ろで手を組み、御殿の数歩先で立ち止まり、クルッと振りかえる。
「今度……御殿センパイにも見せてあげます!」
「わかったわ」
 たのしみにしてる――御殿は口元を緩め、また歩き出した。


踏み出さなければ始まらない


 ほわいとはうすに戻った御殿だったが、玄関で狐姫とすれ違う。ちょうど外出するところだったようだ。
「待ちなさい狐姫、どこへ行くの?」
 腕を掴んで引き止めた。理由は狐姫の眼光に違和感を覚えたからだ。

 殺気の瞳――あと先考えずに突っ走ると狐姫は目が据わる。獲物を狩るときに集中できるよう、喜怒哀楽を切り捨てているらしい。

「どこでもいいだろ。チンタラやってるのも性にあわねーからな」
「愛宮邸で派手な聞き込みなんてしないでちょうだい。相手はクライアントなんだから」
 狐姫は「ははは」と笑い飛ばした。
「えらそーに慎重派気取りか? 愛宮の人間が隠し事をしているのはオマエも分かってんだろ?」
「妖精の件に首を突っ込む気? 余計な詮索は規約違反でしょう?」
「日頃からピストルぶっ放してるヤツが偉そうに規約とかほざいてんじゃねーよ、バカじゃねーの?」
 睨みつけては御殿の手を乱暴に払う狐姫。いま一歩のところなのに、見えない障害物で足止めを喰らっているのが気に入らないらしく、イラついているご様子。
「単独行動は許可した。けれどクライアントに手を出せとは言ってないわよ」
「考えすぎて足が止まる。御殿、おまえの悪い癖だ。そんなんじゃ何も手に入らないだろ?」
「何も考えないで突っ走るアナタよりはマシでしょ?」
「思考ばかりで地団駄ふんでる頭でっかちより、俺のほうがよっぽどマシだろ!」
「勝手な行動は許さない。コミュニティからペナルティーを受けるわよ?」

 エクソシストコミュニティー。祈祷師団体。除霊や行動を逐一報告するよう定められた協会。登録会員は銃器や格道具が支給される。各種保険も手厚いが、れっきとした正規団体なのでヘタなことをすればペナルティーをくらい、その先に除名処分が待っている。

「そうかよ石頭。ならそこで一生足踏みしてろ。青竹買ってきてやっからよ。足の裏だけでもスポンジみたいにフニャフニャにしとけよ、このノロマ」
 狐姫は乱暴に玄関の扉を開けて出て行った。


 大口叩いたはいいものの、結局のところ狐姫は行動に移しにくかった。
 やはり慎重に動くべきなのか? 思い切って動いたほうがいいという直感は間違っていたのだろうか。

 ほわいとはうすが見えなくなる頃、狐姫の歩みがゆっくりとなる。

 結局は飼い主の言いなり。直感なんて論理的思考の前では脆くも論破される存在なのか?
 狐姫は自分のことを臆病なヤツだと罵った。思い切りがたりない。覚悟がたりない。一歩踏み出しては振り返ることに対し、優柔不断だと感じて嫌悪感を抱く。
 はじめは愛宮邸で強引な聞き込みをしとうと思っていたが、御殿との言い争いで何だかシラけてしまった。結局のところ、御殿に迷惑をかけたくない。自分が無茶を起こすことで御殿の評価に影響を及ぼすから。それが相方である証拠。

 行き先に迷いを感じる狐姫。どこへ行く当てもなく、トボトボと川原を歩いては足を止め、草に腰を下ろした。

 何気なく遠くを見つめていると女生徒の集団が目につく。なにか揉めているようだ。
「ん? あれは――」
 そのなかに知った顔。狐姫は耳を澄ませて会話に聞き入った。


想夜と女子の群れ


 御殿と別れた直後、川原を歩いていた想夜の前に数人の女子が立ちはだかった。

 10人以上はいる――高等部の生徒、下級生、同級生も混じっていた。みんな叶子の取り巻き。とはいっても遠くから見ているだけの存在。

「雪車町、ちょっと顔かして」
 最初に声をかけてきたのは高等部の生徒だ。長身で威勢がいい。たしかバスケ部。けど名前も知らない生徒。
「な、なんでしょう?」
 巨人と小動物といったところか。体格差に圧倒された想夜は、2、3歩後ずさった。

 想夜が問われた内容は、御殿や狐姫のことだった。その関係を面白がらない女子の嫉妬といったところだ。

 転入してきたばかりだけど、御殿ときたら生徒たちの注目の的、それは周知のこと。モデル容姿、クールだけれど面倒見がいい。おまけに英語と家庭科がズバ抜けてデキるもんだから、女子たちの瞳孔をハート型にするのは当然のこと。
 狐姫は狐姫で無愛想だけど八重歯を見せて大口あけて笑う西洋人形みたいな顔つきで情にも厚い。困っている人を放っておけないタイプ。そこに姉御肌の要素も加わり、女子たちに手を差し伸べるもんだから好意をよせる生徒も多い。

 そんな2人に金魚の糞みたくくっついてる想夜のことが気に入らないご様子。それを問う姿はマスコミが弱者を叩くそれと同じだった。

 ――嫉妬とヤッカミの集団。
 それに付け加え、想夜は小動物のような可愛らしさまで兼ねている。それが少女たちをいっそう苛立たせ、二物を与える神までをも叱責している。
 つまりアレだ。サンドバッグが欲しいのだ、苛立ちを叩きつけるための恰好のオモチャが。

 少女たちの話によると「叶子が迷惑しているので、もう近づくな」とのこと。それに対して「そんなことないよ」と言いながらも、想夜は最近の叶子が作り出す心の距離を感じ、不安に駆られるのだ。「やっぱり迷惑だったのかな」と思いながら。

 それでも想夜は近づいてゆくと決めたのだ。さっき決めた。御殿がその勇気を与えてくれた。
 だってそうでしょう? 踏み込まなければ何も見えてこないんだもの。踏み込んで、邪魔だと言われた時に始めて距離をとればいいだけのこと。

(嫌われることは、もう怖くないよ)
 想夜の瞳に力が宿る。
 ましてや想夜にはずっと感じていたことがあった。

 みんな仲良く横一列に並んでいるのに、ひとりだけ違ったことをする――団体様にはそれが気に入らない。
 「私たちはガマンしているのに、なんでアンタだけ――」と、憤怒しては出る杭を叩く。足をつかんで引きずり落す。誰も飛び出さないよう、常にビクビクしながら隣が隣を監視する。そうやって自分と隣人の立ち位置が同じであることにホッと胸をなでおろす奴隷たち。しょうもないことに腹を立て、しょうもないことに一喜一憂しては時間を費やす。
 たとえ自分の意に反する行動であっても、周囲と同じならそれでいいと流され続ける――そこに自由意志はない。自分の意思を殺す行為は魂への冒涜である。
 想夜はそれがとても嫌いだった。

「――だから雪車町、もう叶子様と転入生に近づかないでくれる? 見ていてイラつくから」
 おちょくるように想夜を見下し、あげくにドッと笑い出す少女たち。

 うつむく想夜だったが、やがて顔を上げ、鋭い眼光を少女たちに突きつけた。

「だったら……」
 想夜は声を振り絞った。
「だったら、みんなも声をかければいいじゃん!」

 女子の群れがどよめいた。あの大人しい雪車町想夜が反撃に打って出るとは思わなかったらしい。
 そりゃそうだ。サンドバッグが打ち返してきたらボクサーはビビるだろ? それと同じ。

 そして……ほら、始まった。

「なになに?」と周囲の反応を見ては自分の反応を決める奴隷たち。自分で自分のあり方を決められないが故の愚鈍ぐどんなる存在。自由意志を知らない存在。

「調子に乗ってんじゃねえよブス!」
 バスケ部女子が想夜の肩をついて突き飛ばす!
 小柄な想夜が大きくのけ反り、2歩3歩と後退する。
「なにするんですか!」
 想夜も負けじと反撃。両手を勢いよく突き出してバスケ部を突き飛ばす!
 それを合図に揉みくちゃの泥試合がはじまった。

「生意気なんだよ!」
「ひとりじゃ何もできないクセに!」
「やっちゃえやっちゃえ!」
 参戦する女子。
 高みの見物で威勢だけはよい女子。
 腕をひっぱり、服をひっぱり、想夜ひとりに対して多勢で反撃。
 想夜もバスケ部に飛びかかり、馬乗りになって反撃。
 互いにビンタをかましながら、結局のところは想夜が流れを持っていった。軍人として日々の訓練を積み重ねた結果でもある。
「集団じゃなければ発言もできないくせに! ひとりじゃ食堂だって行けないくせに! ひとりで行動する人を馬鹿にする資格があなた達にあるとでもいうの!?」
「うるせえんだよ!」
「質問してるんだから答えなさいよね!」

 追い討ちをかけるように想夜が叫ぶ!
「遠くからウジウジ見物なんかしてないで声をかければいいのに! 叶ちゃんに近づけばいいのに! 他人の顔色なんか見てないで踏み込めばいいのに!」
 高嶺の花は生き物ではないと思い込んでいるらしい。高嶺の花だって、ただの人間だ。
「御殿センパイも狐姫ちゃんも花じゃないよ! 言葉も喋るし、お弁当だって食べるよ! 人は飾り物じゃないでしょ!?」

 想夜の一喝に誰も何も言えなかった。くちびるを噛んでは反論を試みるが、正当な論破が見当たらない。

 想夜の反撃は続く――

「いつも酷いことばかりしてきて……、あたし知ってるんだからね!」

 前から言ってやりたかったことを、今言おう。そうすることでこれまでの因果を断ち切る。現状に不満があるなら、勇気を出して一歩を踏み出さなければ何も得られない――想夜の意思は決まっていた。

 必要以上に叶子に近づく想夜に嫉妬を抱いていた生徒が何人いただろう。想夜をうらやんでいた生徒が何人いだだろう。
 ひとりで胸を張って行動する想夜のことを、いったいどれだけの女子が足を引っ張り続けてきたのだろう。

 今、それらを断ち切り、新たな一歩を踏み出す――。

「みんなして叶ちゃんに近づかない。ただもてはやして、花瓶に飾っているだけの存在にしているだけでしょ!? 声をかけたら女子からハブられるから怖いんでしょ!? 好きならもっと近づけばいいじゃん! 声に出して伝えればいいじゃん! あたしが黙って耐えているからって変なことばかりしてこないでよ! みんながやることは好きな人に声をかけることでしょ!? まわりの顔色うかがうことじゃないでしょ!? 自分たちに勇気がないからって、力の方向を間違えないでよ! あたし、ずっとイヤだったんだからね! つらかったんだからね!」

 もう嫌われることなど怖くはない。だってそうでしょ? この世のどこかに味方は必ずいるのだから。

「御殿センパイの作ってくれたゴハン食べたでしょ!? おいしかったんでしょ!? あたし、紹介するって言ったじゃん! なのに、どうしてそこで逃げてくの!?」
 口のなかにポテサラの風味がやってきて、少女たちの味覚を独り占めにした。

 想夜は最後にトドメを刺す。
「まわりからはみ出すのが怖いんでしょ!? 他の女の子たちから叩かれるのが怖いからって、本心を殺してるだけなんでしょ!? 誰かを叩いてイジメて、それで何かが解決するわけないでしょ!? みんなのバカ! 臆病者!!」

 ビクッ。肩を震わせる生徒もいた。それだけ激しい口調だった。

 泥まみれの想夜がバスケ部の女子からマウントを解放し、腰を上げた。
「どいて」
 想夜が女子の群れに言う。
「どきなさいよね!」
 今度は強い口調。それを聞いた女子の群れが後退する。

 想夜は女子の群れを引き裂きながら、ど真ん中をズカズカと歩いてゆく。
 十戒のように割れる女子の波。
 誰にも小さなモーゼを止めることはできないでいた。


 少しベソをかいていた。
 想夜だけじゃない。「おまえは臆病者だ」と核心を突かられた者が皆、薄っすらと瞳を潤ませていた。

 涙は恥か?
 ――否、問題はない。舵を取るときがきたのだ。
 たくさん殴ってきたサンドバッグに逆に打ちのめされ、少女たちは目覚める。
 濁流に流されず、己が船を漕ぎ出すとき、人はみな瞳に力が宿る。少女たちの涙の向こう、人が人として生まれてきた意味が宿っていた。
 それはおのが羞恥を拭い去った証。

 漕ぎ出す――船に己の魂を乗せて。
 涙を流す――それはおのれの弱さに気づいたものに与えられた特権だから。己の弱さを認めるのは強さの証。涙は弱さの象徴なんかじゃない。恥ずべきことじゃない。

 壁を乗り越えてこそ、魂は強靭なものへと進化を遂げる。今よりも格段に強くなる。その面白さに魅入られた者はみな、挑戦という名の美酒に依存してゆく。「もっともっと」と火の粉をはらって前進してゆく。成人未成年問わず、その美酒を味わう権利を誰もが持っている。
 昨日までの自分にさよならを告げ、これからの自分の手を取って歩き出す――。
 少女たちしかり。想夜、それに嫉妬を抱えていた少女たちは、もう弱者を名乗る必要なんてないのだから。


妖精反応


 大口叩いたまではいいものの、想夜は正直足が震えていた。あれだけの人数相手によく頑張ったものだ。我ながら驚いている。立ち向かう勇気を与えてくれた人がいるのだから、逃げるなんてもったいないと想夜は思っていた。
 女子寮には直帰せず、ただなんとなく道草していた。すぐにみんなと顔を合わせられるほど図太い神経ではない。

(プラプラしてるところを先生に見つかったら怒られちゃう)

「ぐす……」
 真っ赤にした鼻をすすり、ふて腐れていると、土手の向こうから狐姫が歩いてくるのが見えた。
 想夜に向かって狐姫がかったるそうに手を上げてきた。
「うい~っ」
 涙を悟られぬよう、想夜は咄嗟に頬を拭って笑顔を見せる。
「ウィー!」
 向こうから手を上げてきたので、想夜も真似する。
「どこ行くの狐姫ちゃん? コンビニ?」
「愛宮邸。おまえも来る?」

 何しに行くの? と、いちいち詮索するほど厚かましくはない。いちおう仕事っぽいので、ヘタに首を突っ込むと邪魔になりそう。13歳でも一応は気を使えるのである。

「ん~、今日はやめとく」
 先ほど叶ちゃんに追い出されたばかりだし、とは言えなかった。狐姫のことだ、絶対笑うに決まってる。
「あ、そ。じゃーな」
 さっさと背を向けて歩いてゆく狐姫。途中で振り返り、後ろ歩きのまま想夜に言う。
「さっきのお前、かっこよかったぜ。俺も見習ってみるよ」
「え?」
「踏み出さなければ、何も始まらないってことをさ――」

 狐姫は謎の捨て台詞を残して去っていった。少女たちの喧嘩の仲裁に入るような無粋なマネはしなかった。想夜の船が荒波を越えると信じていたから。

 戦う者の背中はどこかで誰かが見ていてくれる。その背中に魅入られた者達が必ずいる。
 想夜は狐姫に背中を見られていたことを想像し、ちょっと照れた。
(やっぱり寮に戻ろ)
 歩き出そうとした。その時だ――

 ゴゴゴゴゴ――

「肌がビリビリする感じ、これは……妖精反応!?」
 想夜は、いまだかつて感じたことがない強烈な空気の振動に襲われた。


 聖色駅前――。

 端末に連絡が入り、想夜は駅前に来ていた。電話の相手は御殿からだった。先ほどの衝撃波に驚いた御殿が、想夜と駅前で合流を試みたのだ。
「御殿センパイ!」
「なんなの、この衝撃波は!?」

 肌の表面に電圧がはしるようなビリビリとした威圧感、脳に直接語りかけてくる妖精のささやき――妖精反応。想夜はこの現象を何度も経験してきた。

 鳥達がざわめき、ベンチの脇で居眠りをしていた猫は飛び起きてどこかへいってしまった。まるで大地震の前兆である。人智を超えた現象に対し、生物である御殿も身を構えずにはいられなかった。

 と、そこへ想夜の端末に一本の連絡が入った。
「あ、電話――」
 先ほどの女子たちから復讐の電話……ではない。『MAMIYA研究所』と表記されていたからだ。
「MAMIYA研究所!? 御殿センパイ……」
 想夜が不安そうに御殿を見つめた。
「貸して――」
 御殿が想夜の電話に出る。
「……はい」

『……』

 相手は無言だ。
 御殿が口を開いた、
「アナタは一体――」
 プツリ。
『ツー、ツー、ツー』
 途端、通話が切れた。
 電話を見つめる御殿に想夜が身をよせる。
「誰、だったんですか?」
「わからない。一方的に切れた」
「あたしに用があったんじゃないですか? この前の深夜の件もあるし、MAMIYA研究所に来いってことなのかも」
「でしょうね。けれど電話に出たのはわたしだった。だとしたら、相手はわたしが行くことも考慮しているはず」
 先日、MAMIYAに訪れた際、想夜がおふざけ半分でイタ電をしていた。沙々良とのやりとりを覚えている。通話履歴を追えば、研究員なら誰でも想夜に連絡ができる。
「沙々良さん、だったら何か話してきますよね?」
「そうね、下着の色くらいは聞いてくるでしょうね」
「ですよね」
 古賀沙々良の評価って……。
「けれど、研究所の電話を使えば職員以外でもこの端末に連絡を入れられるわ」
 ひょっとしたらMAMIYAとは無関係の人間からかかってきたのかもしれない。
 どの道、この場所で突っ立っていても何も進まないことを2人は理解していた。