3 名もなき部


 校内にはホールと呼ばれる広場がある。
 天窓から降り注ぐ日光、自然の恵みに照らされた明るい場所。

 中央には大理石で作られた円形状の噴水設備。泉の音が安堵の波紋となって人々の心にしみ込んでゆく。
 売店や食堂などが充実しており、昼休みには食事やら雑談やらで職員と生徒達が押し寄せ、賑わいを見せる。

 コミュニティーエリアとして学園関係者に大人気のスポット。それがホールだ。

 所々に設置された観葉植物がちょっとした癒しを与えてくれて皆のウケも良い。
 植物とは不思議なものである。眺めているだけで沈んだ心が軽くなる――そう思う人は多い。

 ホールを中心に八方に広がる通路から、小、中、高、大学への行き来が可能。そこはターミナル地点でもある。
 現在は校内工事中のためパーティションで区切られており、他等部への進入や一部の売店使用が制限されている。
 ホールからの移動しかできない場所も何ヶ所かあるので遠回りをしなくてはならないこともあり、いささか面倒くさい時期だ。

 利用者が多い通路とは別に、まったく利用されていない通路もあったりする。
 中・高等部から直行で行けるのにもに関わらず、人々に忘れ去れらた場所だ。
 例えばホールの隅、誰も近づかない薄暗い一本の通路。経費削減か節電か、蛍光灯すら外されていて、人々から忘れ去られた寂しい通路。そこをさらに奥まで進み、突き当たりの非常口を抜けると校舎裏にひっそりと建っている存在。

 掘っ立て小屋の離れ。
 元々は用具置き場、体育倉庫、ニワトリ小屋、ころころ変わる。
 そこを再利用して人の出入りできるスペースを作った物好きな輩がいるらしい。
 土台も敷かず、柱にベニヤ板を打ちつけただけのような造り。隙間風ピューピュー。ボロさなら、どこかのご家庭の犬小屋に負てない。いや、いい勝負だ。

 会議用の長机、パイプ椅子が2つ3つ。それだけで10人も入れば酸欠地獄が待っている。そのくらいこじんまりした部屋だった。
 校舎の外にあるもんだから、非常口を出て小屋に入るまでの間、天井の天国まで続く吹き抜け開放感がハンパない。
 寒空のもと、生徒達から忘れられた地――そんなヘンピな場所に、物好きは営業していた。

 要請実行委員会――。

 委員会とは名ばかりで、ただのなんちゃって部。
 つまり同好会である。
 部員が規定数に達していないもんだから部費すらもらえないのがトホホである。

 部員は2名。
 何の酔狂か、部長の物好きさが転じて開業した同好会だ。
 『委員会』という名も部長が無理やり生徒会を押し通して、勝手に命名していた。
 正確には『要請実行委員会同好会(仮)』だが、めっちゃ長いので最後の何文字かを省いた――ということにしている。部長のちんぷなプライドからか、同好会として見られたくないらしい。それどころか部活動へのランクアップを望んでいる。

 ――んでもって想夜も『ナントカ同好会(笑)』に入部していた。

 要請実行委員会。
 聞こえだけはカタく偉そうだが、直訳すると『要請を実行する委員会』……の同好会。すなわち便利屋である。
 表向きは青春を謳歌する生徒達をサポートするボランティア団体だ。が、おもしろくない依頼は部長がすべて棄却してしまうので、結果的に依頼のほとんどを想夜が担うことになってしまう。
 ちなみに部長は「急な頭痛腹痛生理痛、ならびに親戚のおばさんが急に……ごにょごにょ」でしばらく不在とのこと。
 
 
 ホールの脇に設置された箱がある。
 通称おねだりBOX(主原料:お菓子のダンボールの空き箱)。
 自動販売機の脇に申し訳なさそうに置いてあるのが痛々しい依頼箱だ。

『お手伝いします。要請実行委員会』

 と、箱表面のあちこちにマジックで殴り書きしたかのよう。
 文字のバランスが崩れ、端っこのほうに進むにつれて小さくなったり折り返したり。けれど製作者の想夜は丁寧に書いたつもりでいる。
 どこかの詩人みたいな独特な文字感だが、そこはご愛嬌。象形文字って言われてもいいじゃない、妖精だもの……そをや。
 ワンポイントの猫ちゃんが本人のお気に入り。残念なことにイラストのセンスが全然なく、猫だか豚だかわからない。よりわかり易くするためイラストの横に「ニャー」と書いてあるが、「これは猫ですよー、豚じゃないですよー」と、言い訳的な安全策を考慮しているあたりに全米が涙したとかしないとか。

 おねだりBOXの使い方はいたって簡単。要請書に内容を記入して入れるべし入れるべし! それで受付は完了、あとは想夜が何とかする。部長は高みの見物。

 想夜は部室におねだりBOXを持ち帰り、それをひっくり返して卓上に中身をぶちまけた。
 バサバサと机に広がる要請書の束+α。それら一枚一枚に目を通す。

 ・おねだり1 『別れたカノジョとよりを戻したいの。なんとかしろ、してください。 依頼人:高等部2年 ○岡○子』
 ・おねだり2 『校庭の雑草、早く何とかしろ! 依頼人:匿名希望』
 ・おねだり3 『学食安くしろ 依頼人:匿名』
 ・おねだり4 『お、こんなところにゴミ箱がw』
 ・おねだり5 『(解読不能の意味のない落書き)』
 ・例外    レシート。
 ・ゴミ判定  ペットボトルのキャップ。

 想夜は要請書の束とキャップを持ったままワナワナと震えだした。
「ゴミ箱か!」
 怒りMAX。床にペトボキャップを叩きつけた。
 カッカッカッ、スコーンッ!
「あイタ!」
 カランコロン……
 キャップが壁と床天井で幾度も反射して想夜の後頭部を直撃。転がる音が本人を馬鹿にしてるような笑い声に聞こえた。
「ぐぬぬ……」
 こめかみにピクリと浮かんだ青筋がブチ切れそうだった。

 依頼内容はいつも似たり寄ったり。匿名希望を名乗るほとんどが命令口調であり、暴言でもある。使いっパシリもここまでくるとただの殴られ屋だ。
 おまけに名乗らない生徒からの『ともだち募集』などといった他力本願なものもある。
「友達募集? 友達募集? さっさと自分から近づけばいいのに!」
 悩み事の大きさは問わず、すべてはナントカ委員会に集まってくる。

 散らばった紙の中に目を引くものが一枚。
「ん? なんじゃこれ?」
 想夜はそれを手に取る。
『雪車町へ。転入生くるから~。学校案内すること。あと街も案内すること。先生忙し~から、以上。』
 担任からだ。しかもご指名。
 使えるもんは壊れるまで使う。鬼レベルの心意気に敬意を表したい。
「はは……なんかもう……願望のレベルじゃないね。これってただの命令文なんですけど……」
 肩からサスペンダーがずれ落ち、口元を引きつらせた。
 想夜は要請を表にまとめ、おねだりBOXをホールに戻すため小屋を出る。

 おねだりBOXを元の場所に戻してからホールの食事スペースに向かうと、女子の群れと遭遇する。
 くすっ。
 すれ違いざま、想夜は笑われた気がした。気になって振り向こうとすると、その中の一人の女子に足をかけられ横転する。
 すてーん。
「あ痛っ」
 狭い廊下に爆笑のノイズが走った。
 女子群はおねだりBOXにゴミを投げ捨てると、口汚い言葉を吐いてその場を去っていった。
「えへへ……」
 残された想夜、何事もなかったように笑顔を作り、服の汚れをはたいた。



愛宮 叶子まみや かなこ


 ヘアバンドからながれる黒髪のストレートがさらりと揺れ、それをかき上げる仕草が想夜の目をとらえた。
 中央広場の隅っこのテーブルに知った顔――読みかけの本を閉じ、膝の上において天窓を眺めている。

 愛宮 叶子――学園理事のご令嬢。物静かでクールな見かけとは裏腹の少しおちゃめな性格や、笑うと少し垂れる切れ長の目が印象的。時折、寂しそうに視線を落とすたび、周囲の人達をざわつかせる。薄幸フェイスでさえ好印象だった。
 彼女だけでその場の空気が成り立ってしまう、ひとりで事足りる孤高を謳った存在。コミュニケーション不足というわけではないが、いつも一人でいる。

 叶子は委員会や部活にも入っておらず、他者との関係もほとんど築かない。
 一応、学校関係者なので贔屓沙汰にならぬよう、叶子自ら他者との距離を置いているのだろうと周囲の者は推測するが、真相はわからない。
 理事長の親族であり、問題を起こすこともなかったので教員達ですら物申す理由がない。この世で単独行動をとる生徒はめずらしくないのだ。

 ただ、独りでいる叶子を嫌うものは少なく、むしろ好かれる側に位置していた。手中に収められないのなら、いっそのこと1人でいてくれたほうが嫉妬をせずにすむから気が楽なのだろう。
 ――そんなアイドル的扱いもされていた。
 彼女の素振りや容姿にあこがれて真似をする女生徒もいるけれど、当の本人は興味ないご様子。

 他者の行動に心が揺らぐことはない。己というものを確立している。
 高嶺の花――周囲が持つ愛宮叶子の印象だ。

「……」
 叶子の唇がなにかを囁くそぶりを見せた。
 時々、そうやって天窓の向こうに流れる雲を、ひとり見つめては物思いにふけっている。ここ最近、そんな時間が増えた叶子のことを想夜は心配していた。

「叶ちゃーん!」
 想夜は叶子に向かって歩きだす。挨拶がわりに手をグーパーしながら、いつものにっこりフェイスで近づいていった。
 名前を呼ばれた叶子がゆっくりと天窓から視線を落とし、歩いてくる想夜の方を見てニンマリと微笑んだ。
「想夜――」
 その後、ゆっくりと視線を天窓に戻した。
 いつものヘアバンド。叶子のお気に入り。どこぞのブランド品ではないけれど、叶子はこれをいつも愛用している。外した後も綺麗に折りたたんではバッグにしまう愛着っぷり。まるで自分の命そのもののように扱う。大事に。大事に。
「変わった委員会に入ったってウワサを聞いたんだけど……頑張ってる?」
「うぐっ」
 ニンマリの正体はカウンター攻撃の前フリだったのか、想夜は返す言葉を詰まらせた。委員も部活も肩書きであって、現状は奴隷といっても過言ではない。

 浮いた存在とはいえ、叶子は学年主席。頭脳の持ち主であり頭もキレる。おねだりBOXのゴミ箱化という簡単な洞察のみで、想夜の奴隷化など以前から察していた。
 どんなことにも懸命に取り組む想夜に対し、内心、応援している側の人間。入学当初から親身に接してくれる生徒の1人だった。
 人間界に来て右も左もわからない想夜にとっては心強い人脈、大切な友達。でも自分が妖精であることを叶子にも打ち明けていない。

 ご令嬢である叶子の住む愛宮邸は、何十もの使用人が在籍しており、愛宮グループは彼らをいっぺんに雇うほどの富豪。
 過去、想夜も叶子の家に何度かお招きいただいたことがあったが、敷地内で迷子になったり、新米メイドの不祥事で頭上にタライや水バケツが降ってきたり……と、あまりいい思い出がなかった。
 でも、そんなトラップ屋敷でご馳走になったケーキは格別だ。思い出しただけでホッペがとろけてくる。
「ヒャッハー!」妄想の中、想夜はお菓子の世界で宙を舞う。人間も妖精も甘いものには目がないのは万国共通である。
 今ではすっかり常連さん。菫の手伝いのために頻繁に出入りするようにもなった。

 想夜はハッと我に返りヨダレを拭う。
 お菓子の国から帰還した想夜は、担任からの要請書を叶子の前でヒラヒラさせて口を尖らせた。
「も~、こんなん入ってたんだよ、人使いあらいな~」
 妖精だけど……ボソリと一人ツッコミ。大丈夫、誰にも聞こえていない。
「へえ、見せて」
「どーぞー」
 紙を手にした叶子が、サッとそれに目を通す。
「先生からの依頼ね……転入生の街案内?」
「みたい」
 訝しげな顔の叶子に対して想夜が答えた。
 新しくこの街にやってくる人達へ捧げたいものがある――この学校のこと、この街のこと、この街に住まう人々のこと。それらに好意をいだいてくれたら嬉しい。そう伝えたい。かつて自分を迎え入れてくれた時のように。
 人間界に来たばかりの想夜を、叶子はいろいろな場所に連れ出してくれた。
 ひとり人間界にきて、不安でいっぱいの想夜。時には心が折れそうな時もあったけど、そんな想夜に対して贈られた言葉がある。

『ほんのわずかでも望みを捨ててはいけない。それは未来の自分を殺す行為だから』――そう、前に叶子が言ってくれたのを想夜は忘れない。

 『未来』とは『今』の積み重ねなんだ。だから人間界での出来事ひとつひとつを大切にしている。
 未来に優しい栄養を与えたい。「人間界は素敵な世界だった」と、未来の自分に言ってほしいから。

「こんな時期に転入なんて珍しい~」
 と、想夜はテーブルに置かれたフキンを意味なく手にして遊ぶ。
「そう言えば、2人いらっしゃるって先生方が話してたわね」
 叶子の目が何かに思いをめぐらせるよう宙を彷徨う。
 漆黒とブロンド――叶子の脳裏に2人の人物が浮かんだ、御殿と狐姫の姿。
 叶子は富豪の家柄、都合上、アングラ住人と屋敷の中で顔を合わせることがある。とはいえ、ただ廊下ですれ違う程度のものだ。深入りはするつもりはないし、興味もなかった。

 MAMIYAという場所は、あらゆるところで金と権力のやり取りがある。決して綺麗事ばかりではない。むしろ、泥のついた人間を屋敷に招くことのほうが多いくらいだ。
 そんな家柄の娘として、世の中のダーティーな部分にウンザリしていた。それに慣れてくる自分も大概だ。と、叶子は思う。日に日に心が麻痺してくる。自分が自分である実感すら分からなくなる時がある。

 人の面を被った魔物は一般人のすぐ横にいる。いいように利用されないためにも、心に鉄板くらいは装備しておきたい。それでも防御がたりないくらい用心が必要な世界。叶子はそれを垣間見ている。

 心の隙と傷口はよく似ている。えぐられたら最後、地獄のような痛みが待っている。
 叶子のクールな一面もそんなところから芽生えている。
 屋敷に訪れる常人離れした下衆の輩など珍しくもなかった。

 ――しかし、である。
 せんじつ目にした2人は今までに感じたことのない違和感があった。
 黒髪と金髪、2人のどちらか?
 と問われるならば「どちらも」だが、強いて言うなら咲羅真御殿という黒髪の人物だ――。

 叶子は御殿を思い浮かべた。
 顔の若さから推測して自分と同年代か年上だろうと踏んでいる。落ち着きある表情や物腰など、クールな素振りを見せる叶子といい勝負だった。あれだけ落ち着いた同年代がいるのだろうか? いや、きっと自分と同じように若くして闇の部分を見たことがあるのかもしれない。心に鉄の鎧をまとっているのだ。
 高過ぎない鼻や髪質からして東洋人であることには違いない。日本語の発音に違和感がないので、恐らく日本人だろう。
 叶子が特に興味を引いたのは御殿の瞳である。死者のように考えが読めないようでいて、死んだ魚の目とも違う。例えて言うならば、地獄の深淵で無表情のまま月見をしている天使。羽ばたけるのにもかかわらず、地にとどまり続けているような……そんな瞳。
(地獄で誰かと待ち合わせでもしているのかしら? 物分りのよい大人を演じていながらも聞き分けがなくて、親に叱られベソかく子供……大人なのか子供なのかさえ分からないわ)
 美人で力強い、女神のようなしなやかな肉体を持ったマッチョ?
(はあ、もう……性別の概念すら壊れそうね)
 想定外の存在に苦笑する。

 叶子の頭の中で咲羅真御殿の人物像が定まらず、思考は放浪するばかり。年齢、性別、国籍、すべてがピタリとこない。
 考えれば考えるほど、例えるなら例えるほど矛盾だらけの存在。それが叶子が抱く御殿の印象だった。

 叶子は己を勘ぐる。
 パートナーであるブロンドにすら心を開いていないと感じるのは気のせいだろうか? マンネリ化したカップルじゃあるまいし。
 御殿の落ちついた物腰の裏側に感じる執拗な壁。礼儀正しいのは結構だが、他人行儀も度を越えるとただの人間不信だ――友の名に『様』をつける奴などいないように。

 咲羅真御殿は簡単に人を信じないアングラ人間なのだと、ひとり納得する叶子。
 こんなにも他人のことを考えるのは想夜と出逢ったとき以来だ。
 叶子にとっては想夜も御殿と同様、不思議な存在だった。もっとも想夜の場合、天真爛漫の可愛い珍獣に見えたので興味をそそられたのが理由だ。
(私は変わったものに興味を抱くタイプのようね)
 ひとり納得する叶子だった。

 叶子が考えをめぐらせていると、想夜が顔を覗かせてきた。
「叶ちゃん、相席いーい?」
「いいわよ」
「わーい」
 要請書を返された想夜は叶子の隣に腰を下ろした。そのあと三角パックにストローをブスリと刺し、
「ちゅううううううううううううううううううううう~」
 おもむろに中身をチューチュー吸い始めた。若者らしい見事な吸いっぷりである。
 スッポン想夜、ここにあり。
 スッポンが袋をあけ、中身のパンにがっつく。
「いやぁ~、今日もMAMIYAのパンはうんまいでふなあ~」
 リスのようにほっぺを膨らませ、体を左右に揺らしてリズムをとる。
「そう? ふふふ、ありがとう。ソース、ついてるわよ」
 口のまわりについたソースを叶子が指摘し、想夜に紙ナプキンを差し出した。

 売店にならぶパンもMAMIYAの経営する食品工場から出荷される。一部の商品は愛宮邸で作られており、数量限定の貴重品。味も然ることながら低価格もウリだった。
 なので、われ先にと群がる野獣がホールでバトる日々である。
 想夜もその野獣の中の一匹――妖精だからってナメてかかるとヤケドするぜぃ、ランチタイムは弱肉強食、心はいつもハードボイルド。サバンナを駆け抜け、食堂という名の戦場で野獣を演じきるのさ、キリッ。

 微笑む叶子の目が傷だらけの想夜の手をとらえる。パンを握るその手、擦りむいたであろう生傷が痛々しく目立つ。
 昨夜の一戦で暴魔の打撃によりアスファルトを転がり、ビルに叩きつけられた時にできたもの。そのことを叶子は知らないはず。
 傷を見た叶子がクスリと笑う。
「お弁当作りに挑戦したけど、包丁さんにやめとけって言われた?」
「ブフォッ!」
 口に含んだジュースを吹き出した。横を向いてなければ叶子の顔面にシャワーをあびせてるところだ。いくらなんでも公共の場での顔射はマニアックすぎる。
 ゲホゲホとむせる背中を叶子がさする。ウィットに富んだシャレですら叶子の育ちのよさが感じられた。
「ち、違うんDEATHデス。近所のノラ猫と、戦ってた、の。魚泥棒なんとかしろ! ……っていう要請がきちゃって……げほっ」
 むせながらしゃべり、ズズズゥ~……ストローを吸ってはぐらかした。
 敵に吹っ飛ばされてビルにめり込みました。当方 15歳、独身、妖精――とは言えまいて。

 半笑いで、2つ目のパンをほおばる想夜。そのパンをドヤッ! と叶子に見せつけた。
「じゃじゃ~ん☆ 伝説の聖色サンド、ゲットしました! 叶ちゃんも食べる?」
 あまりの人気っぷりで、なかなか買えない幻のMAMIYA賄いサンド。
 想夜はそれを一口ほどちぎって叶子に差し出した。
 マジマジとパンを見つめる叶子。

 聖色せいろんサンド――愛宮邸厨房内にて伝説の料理人(笑)が調理過程で余った具材を惜しみなくブチ込んで食べていたコッペパンだ。パンに挟んであるのは調理中に残った具材。ペラッペラのステーキの切れ端と白身魚フライetc。それが周囲の評判を呼び、人から人へ受け継がれていった。伝説はそうして作られる。
 かつては賄い食で影薄だったメニューでさえ、今ではご当地グルメに匹敵する。
 未来は誰にもわからん。聖色サンド目当てに、一体どれだけの生徒達の血が流れたことだろう。しみじみ……。
 つい先ほど、叶子がホールに来た際、ちょうど売店前で生徒達がごった返していた。
 学園の非公式ルールブック。その一説によると、人ゴミから叩き出された軟弱者は、獲物GETに失敗したルーザードッグ。聖色サンドを味わう資格すらない、らしい。
 生徒の中にはチームを組んで挑む輩も出はじめる。影の専門家たちはそれをチームバトルモードと称した。
 伝説から神話へ。神話からお笑いへ――明日も骨肉の争いは続く。

 想夜の力説を聞き入る叶子。
「叶ちゃんもバトる? 明日もあるよ。チーム組む?」
「参戦する気はないけど……考えておくわ」
 遠まわしに拒否った。
「想夜はさっきまであの群れの中に?」
「いました」
 キリッ。
「でも、いつも弾き飛ばされちゃうんだよね~」
 たはは、眉を緩める想夜が子猫のように弱々しく肩をすくめる。
 叶子もそれに習った。
 2人、パンをほおばる。

 ふたたび叶子は天窓を見つめて遠い目を作り、
「淘汰、か……」
 ポツリ、呟く。
「ねえ想夜」
「ん~?」
 もぐもぐ、ズズズッ~。
「外国より遠い国って、どこにあるんだろう?」
 叶子のつぶやきも聞こえていない想夜、慌てて食べ過ぎたので胸につかえて苦しんでいる。胸を叩いて、やっとこさ喉の通りを良くする。
「へ? 叶ちゃん、なんか言った?」
 パックをズズズゥ~とやるスッポン想夜。
 叶子は力なく微笑んで首を横に振った。
「ううん……なんでもない」
 そう言って、いつものように天窓からそそぐ光を見つめていた。

 遠く、遠く。雲の向こうの、あの彼方を見つめていた――。


妖精界の授業


 窓際の席。
 授業中、想夜は鼻下にシャーペンを挟んで窓の向こうに流れる空を眺めていた。
 どこまでも広がる空、いつもの光景――ふと故郷を思い出す。

 妖精界の学校――授業の基本はノートと筆記魔法である。羽ペンから放出される記述光でノートの行をなぞって書き留める方法が主流だ。文字消去も消しゴムなんかは使わない。ペンの羽でこすれば消える。紙は貴重な物資であり、とても高価なものだった。それ一冊で人間界のゲーム機本体が買える。

 資源は有限。そのことを妖精は知っている。

 学校でノートに記録した授業内容を家に持ち帰り、今度は自分の部屋にある四角形の平たい水晶にデータを転送する。そんなやり方が妖精界では一般常識だった。
 学校から直接、自分の部屋の水晶にデータ転送することも可能だが、学校所有の水晶サーバーに負荷がかかるため、これをやると教師に怒られる。
 サイバーシステムを使わない妖精界での生活はアナログといっても間違いではないが、魔力がそれをしりぞけた。高度なサイバー技術も魔術も力であることに変わりはないからだ。

 2034年現在。人間界の授業はどうだろう?
 ――目の前にはディスプレイ化された黒板、半透明のガラス状の机。そこに教科書のデータが映し出されている。

 想夜はディスプレイと化した黒板や机を初めて見た時、「なんじゃこりゃあ!」と、派手にぶったまげた。
 魔法を使わずしてデータのやり取りを行うシステム。当時の想夜はサイバー化された現代の人間社会にタイムスリップした原始人のようだった。
 妖精界と人間界は似てる部分が多い。原動力が魔法か電気かという違いだけだ。

 学校の授業というものは知識の宝庫だが、興味の有無関係なく、教師がこれでもかと言わんばかりに頭に詰め込んでくる。なんとゆーか、好きなお菓子を無理やり口いっぱいに押し込まれている感じがして、ある意味拷問である。
 幸い、知識にはカロリーがないので太らない。知識は荷物にならないらしい。脳と体重は切り離して考えてもいい。乙女の救いだ。

 想夜は人間界の知識にとても興味がある。授業中でもそれ以外の場所でも、妖精界と違うところには真っ先に目と耳がいった。
 人間界にきた当初、想夜なりに人間の基礎知識を詰め込んできたつもりだけれど、百聞は一見にしかず。驚かされることが多い。知るべき情報は山ほどある。

 図書室は知識の宝庫なので、よく本を借りてくる。すっかり常連さんとして図書委員に顔も知られている。現在のお気に入りは歴史学全般。なんてったって人間界の歴史が記されているのだから、興味がわかないわけがない。

 人間界での調べ物で徹夜した朝、目を真っ赤にして遅刻したことが何回もある。日本に侍や忍者がいないのはガッカリだったが、エレキベースを持った侍がテレビに出演していたのを見てキョトンとしていたのは覚えてる。
 ベースをかき鳴らしてダメ出し毒舌悪態を言ったあと「無念!」と嘆き、最後のシメに自虐ネタで「介錯!」と叫ぶのだ。
 ポカ~ン。ベース侍に呆気にとられてしまった想夜だが、すぐに業界から消えたことで、さらに呆気にとられたのも覚えてる。

 妖精だけど普通の女の子、解せない授業も珍しくなかった。
 例えば、忘れもしない現国のテストで起こったこと。問題の中で『この時の作者の気持ちを20文字以内で表せ』という内容だ。
(……ば、馬鹿な。作者の気持ちなんか作者本人にしか分からんでしょうに……)
 テスト中に固まった想夜ではあったが、いや待てよ? と首を捻るのだ。
(現国の授業を通して相手のハートを盗み取る問題……とか?)
 この世界では超能力者の育成にも力を入れてるんだな、と本気で考えたことがあったくらいだ。今では教師が考えた理不尽な問題だと受け流している。

 授業終了のチャイムと同時に、想夜は職員室に呼び出された。
「想夜、なんかやったのぉ~?」
「んー、なんもやってないけどなあ……」
 悪意ある顔をニヤニヤと向けてくる同級生に構わず、想夜は教室でも浮いた存在だった。
 教室を出てゆく想夜の背中に笑い声が集中した。
 職員室に呼ばれた理由は2つ。一つはおねだりBOXに料金表が張らていた件だ。これが職員の間で問題となっていたらしい。誰かのイタズラなので必死の弁解。いつものことだ。
 もう一つは教師からの依頼。例の要請だった。
 想夜は転入生の住所が書かれた紙を片手に校舎を後にした。


赤帽子


 ちょうど昇降口を出ようとした時だ。想夜の足がピタリと止まる。
「あれは……」
 メイド服に身を包んだ一人の少女が目に入り、とっさに物陰に身を隠した。
 深夜の戦闘で助けた少女だった。
「愛宮邸の子だったのね。この前は夜だったから暗くてよく見えなかったけど、こうしてまじまじと目を凝らしてみると……なかなかの美人さんなんだぁ」
 いっけん、その辺にいる10代の少女と変わらないものの、人間離れした透明感あふれる肌、風に逆らわない流れるようなミルクティー色の長い髪はシニヨン風にすっきりまとめてあり仕事モード、魅力的だが独特な違和感を醸し出す真っ赤な瞳――それらは人間の体では決して表現できない。
 想夜自身と似てるところが多くあり、妖精界の懐かしい香りにほっとする。
「でも、どこかで見たことあるような……」
 頭の中で何かが引っかかり、ポケットから小さめの六角水晶を取り出して詠唱。
 指先を忙しなく動かすと、かすかな光を放つ文字列が浮かび上がり、5インチほどの半透明モニター画面を作り出した。
「よっ、ほ……っと」
 サッサッ、ゆびきたす、ゆびきたす。
 さらに指先を動かし、モニター内に映し出されたデータをテンポよく切りかえる。

 想夜が操作しているのは水晶端末――人間界ではモバイル端末と呼ばれている機械がある。妖精界では水晶端末と呼ばれているアイテムがある、それだけの違い。どちらも会話をしたり情報検索したりできる便利ツール。
 水晶端末の仕組みは、電気代わりにユーザーのエーテルを消費し、手元の水晶で接続する。それを経由して妖精界にある水晶ターミナルにアクセス後、妖精界に設置された水晶サーバー内のデータベースを閲覧できる仕組みだ。小型端末なので最小限の情報しか見られないが、それでも想夜達を支えるだけの充分な機能が備わっている。

 エーテルバランサーである想夜には閲覧権限があり、一番低いレベル1の機密情報を知ることが可能である。
 レベル1の閲覧項目は以下のとおり。
 
 ・ハイヤースペック発動者リスト
 ・ハイヤースペクターリスト
 ・逃亡者リスト
 
 発動者と所有者――ハイヤースペックを所持した妖精と人間を指す。

 逃亡者――何らかの問題があって、妖精界から人間界へ逃亡をした者を指す。

 人間界にやってきた妖精の中には、さまざまな逃亡者がいる。事件を犯して逃亡する者や、やんごとなき事情で逃亡を図る者まで数多い。なかでも厄介なのが、『妖精兵器ディルファー』の存在だった。

 『妖精兵器ディルファー』――その昔、ゴブリン族が反政府デモを起こした時のこと。暴動の最中、妖精界に一匹の兵器が放たれた。
 桁外れの力を持った特殊な存在、最狂最悪のゴブリン。それがディルファーだ。
 ディルファーはひとりの人間との接続に成功し、ハイヤースペクターと共にハイヤースペックを発動させた。妖精界が地獄に変貌を遂げた瞬間だった。

 ――この氾濫がフェアリーフォースとゴブリン族との戦争を招き、妖精界は世界の半分を失った。
 妖精界は滅亡の危機に直面する。
 それほどに最悪のインパクトをあたえる妖精だった。

 ディルファーは戦乱後、禍々しい羽を広げて人間界に逃亡したといわれている。現在、妖精界全域で対策が練られ、フェアリーフォースが血眼になって探している最中だ。

 そんな脅威。当然、想夜の力では手に負えるはずもなく、見つけたら逃げるのが精一杯なので、エンカウントは是が非でも避けたいと常日頃から思っていた。生きて逃げられる保障がない。まさに恐怖の塊である。
 想夜は究極兵器に縁のないヘタレバランサーだけど、日頃の雑用は自分の身の丈に合ったチョイスだと感じていた。

 水晶端末を操作する手が止まる。
「発動者は……誰もいないなあ」
 ハイヤースペックのリストはスッカラカンの空白だ。
 リスト登録はターゲットの所在確認後に記録されるので、確認が取れない場合は未登録となっている。
 想夜は再びつまらなそうに手を動かした。

 現在、この地域での発動者・所有者は確認されていないのはわかった。しかし、気になったのは逃亡者記録の欄だった。
「……ん? お? おおう!?」
 モニターに少女の顔写真が映された、と同時に想夜の目がまん丸になる。無言のまま、写真と目の前のメイドを交互に見る。
「間違いない、あの子……逃亡者だ」
 想夜はモニター内の少女の名を見たが、期待を裏切る結果に終わる。
『権限がないため閲覧不可』
 想夜はぽかんと口をあけた。
「レベル1じゃ名前も見れないってこと? なにそれ?」
 手前のモニターに映し出された少女と昇降口の少女の顔は一致しているというのに、名前すら分からない。
 想夜はため息を洩らした。

 愛妃家女学園 第3女子寮――そこが想夜の住処である。
 通常は2人で一部屋を使用するのだが、今のところ想夜と部屋をともにするものはいない。おかげで一部屋独占状態。ラッキーだ。
 人間界に来る直前、こちらへの入居が決まった。
 手配してくれたのは、なんと愛宮菫だ。愛宮の特権といったところか、菫は想夜のことを気に入ってくれたようで、あれこれ世話をやいてくれる。とうぜん想夜が妖精であることは知らされていないが、叶子同様、想夜のことを気にかけてくれるひとりだ。

「……ふぅ」
 帰宅してからずっと部屋にこもっている。
 部屋はいたってシンプル。ベッドとタンスと勉強机、妖精界から持ってきたきた得体の知れない植物が小さな鉢に植えており、小さな花を咲かせている。
 手ごろな大きさの立てかけ鏡や小物入れの中には、髪を結うためのリボンやシュシュ。可愛いのかそうでないのか分からない変てこなキャラのキーホルダーも混ざってたりするあたりが、いま時の女の子女の子している。
 テーブルの上にはカップに注がれた飲みかけのミルクティーと少し大きめの水晶が置いてある。携帯している水晶端末よりもより多くのデータベースにアクセスができるので、細かい情報収集には重宝する。裏を返せば、わざわざ部屋に戻らないと使えないのが難点だ。

 妖精界からの逃亡者は確保後、強制帰界しなければならない。その通報役もバランサーの役目だった。
 妖精界には犯罪者を取り締まる組織が存在し、想夜たちバランサーが通報後、逃亡者を捕獲するための部隊が人間界に送り込まれる。
 フェアリーフォースは妖精界を守るヒーローだ。そこへの正式入隊が想夜の進路――将来は悪者をバッタバッタと投げ飛ばして、平和な妖精界をとりもどすんだ♪
 振り上げた拳に力が入る。バランサーになったのも、それが入隊理由の1つだ。
「逃亡者がなんで叶ちゃん家で働いてるんだろう?」
 光あれば影もあったりなかったり。メイド逃亡者は、使用人として愛宮邸に籍を置いていた。つまり、人間として生活している。
「しかも叶ちゃん家で」
 サスペンスのお約束、犯人は身近な人でした。灯台もと暗し。

 迷探偵想夜は愛宮メイドの事をあれこれと推理する。
 ……が、すぐに飽きた。
「んん~っ」
 両手をあげて体をピンと伸ばし、あぐらをかいたまま後ろのクッションに倒れた。その振動でベッドの上に放置していたティーンズ誌が頭を直撃。
「あうちっ!」
 あまり痛さに転げまわる。
「あ~も~! いつも叶ちゃん家にお邪魔してるのにぃ~、全っ然気づかなかったよ~」
 自分の洞察力の無さに幻滅。クッションに顔をしずめ、足をバタバタさせて悔しがる。

 逃亡する者には理由がある。
 妖精界で罪を犯して人間界に逃れる者、人間界で私欲をつくす者。
 何にせよ、界外逃亡は過去のやましさからの結果というのが世間の考えだ。

 逃亡者には狩る者が必須、だからバランサーが生まれるのも必然である。
 能力者や逃亡者を帰界させればフェアリーフォースからの評価も高い。そんなことから想夜は自分の行いが平和に貢献できると信じている。

 想夜は身を起こし、不思議そうに水晶をのぞきこんだ。
 逃亡者について書かれている項目がある。
「特定秘密保護データの情報漏洩……なんか難しそうだな。この子、一体何をしでかしたんだろう?」
 データを閲覧してみたが、それ以上の詳細が記されていない。どうやら情報が不足しており、未登録の項目が多いようだ。
 想夜は撫でるように指を動かし、水晶内のデータを切り替えてゆく。その姿はタッチパネルを操作する人間そのものだ。名のなき逃亡者だが、気になる点をいくつか見出した。

 ――『ハイヤースペック・ネイキッドブレイド』

「ハイヤースペック・ネイキッドブレイド……? え~と、ねいきっどぶれいど、とは、なにか? 助けてグルグル先生~、おりゃ!」
 検索ボタン、ポチっとな。
 妖精界の検索サイトグルグルで詳細を調べてみる。「聞く人いなきゃ、グルグれカス!」が合言葉。
「お、ヒットした。どれどれ♪」

 ネイキッドブレイド――『2本の刃を操る能力。片刃のカッタータイプ。長く、広く、平たい、薄型のブレイドを作り出す能力。爪が進化したもの。装甲は非常に硬く、撫でるだけでも充分な切れ味を発揮する。本来は二刀流として使う。またはこれら2本をつなげて一本にすることにより、長いギロチンブレイドとしても使用可能』
 使用種族:赤帽子――。

 表示された写真を見た感じだと、カッターナイフ状の刃で大きさは1.2メートル、幅約8センチ、太さ5ミリ未満。もろ文房具のカッターを拡大した形状に似ていた。それを2本も生み出す妖精、赤帽子。
 2本の刃はハイヤースペックであるため、とうぜん能力を人間に託すことができる。使用する人間は、赤帽子単体で使用するよりも強力なネイキッドブレイドを使いこなすことができるということ。

「赤帽子……そうか、だからあんなに赤い目をしていたんだ」
 ルビーのような赤い瞳が想夜の脳裏をよぎる。

 赤帽子は鋭い爪で何でも切り裂く妖精だ。気性は極めて残忍で狂気に満ちている。人々の悲鳴が好きでたまらないのも特徴だ。連続怪奇殺人犯にはこの手の輩が多い。

 ――そんなことを思い出してガクガク身震いする。出来ることならお近づきになりたくないのだが、身近にいる以上、尻込みなんかしていられない。給料泥棒とか言われたくないし。

 先ほど奇襲をかけてきたティーン雑誌の週末占いが目に入る。
 『今週のあなたの運勢――チャンバラ注意。長さも多きさも届かず敗北。残念……』
 想夜の顔から一気に血の気が引いた。
 とはいえ、下校時に目にした赤帽子メイドの表情からは残虐性のカケラも見受けられなかった。それどころか、おっとりしている表情に見え隠れする寂しげな雰囲気が、人間界でひとり孤独に戦う想夜には好感が持てたほどだ。

「うん、捜査の基本は足だわ! あイタッ」
 勢いで屈伸を数回、膝がピキッと変な音を立てた。
 現場100回。情報収集。
「んじゃ、出撃しますか」
 さっそく調査に取りかかろうとした時だった。メールが入ったので確認する。
『ちゃんと街案内しとけよ by ユア・ティーチャー』
 ――はて? 何のことやら。
 テーブルの上に置いた紙切れに目いく。
「……あ、忘れてた。調査はひとまず後回しね」
 それでいいのか公務員。
 教師からの催促メールを受け取った想夜、いそいで寮から飛び出した。

 街から少しそれた国道に沿って目的地へと向かう想夜。
 転入生には「案内役の生徒を向かわせる」との連絡が学校側から伝わっているらしく、想夜が転入生の家に訪問することになっていた。まったくもって人使いのあらい担任である。

 下校前に渡された紙を取り出し、簡単に書かれた地図を見てホッとしたのはつい先ほどのこと。
濡笑ぬわらエリアね。近くてよかった」
 女子寮、愛妃家女学園、転入生のマンションがある濡笑エリア。これらを線で結ぶと正三角形になる。その中央に愛宮邸が位置する。
 女子寮から転入生の家に行くには愛宮邸の近くを通る。

 想夜が地図を片手に駅前をトボトボ歩いていると、反対側から知った顔がやってきたので大手を振ってみる。
「あ、叶ちゃんだ! おーい!」
 いつものクセで大声を上げてしまい、無関係な通行人まで振り返らせてしまう。しかも大きく挙手していたので、『わたしが犯人でーす』と言わんばかりの醜態っぷり。
 プークスクス。
 笑いの的――視線の弾幕が痛い。
 向こうのほうで人混みに混じった叶子もクスクス笑っている。
 想夜は恥ずかしさのあまり赤面、背中を丸めてコソコソと叶子の懐にもぐりこむよう近づいた。

 最初に話しを切り出したのは叶子からだ。
「想夜、転入生さんのとこ行くんでしょ? 付き合うわよ」
「え、いいの?」
「ええ。渡したいものがあるの」
 叶子は笑顔で頷き、手にした紙袋を開いて見せた。
「うわぁ、いい香り……何が入ってるの?」
 想夜が中を覗き込むと、色とりどりの焼きたてパンが詰まっていた。甘い香りがあたりに漂い食欲を刺激してくる。
「お屋敷の者から預かってきたの。想夜の分もあるから、みんなで食べましょう」
 嬉しいお誘いに尻尾を振る想夜。

「叶ちゃん、家に帰ってからここに来たの?」
「ううん。学校からそのまま来たのだけれど?」
「ふ~ん……あっ」
 想夜は昇降口に立っていた赤帽子の少女を思い出した。
(きっとあの子、叶ちゃんにパンを渡すためにやってきたのね)
 そう理解した。
(ということは、まさか……)
 想夜は忍び込んだ猫のようにノソリノソリと首を動かし、あたりをキョロキョロ見回した。
 警戒モード実行中(※ただのビビリモード)。
(……誰もいない、みたい)
 メイドの赤帽子、姿はどこにもなかった。
「ねえ叶ちゃん」
「ん?」
「あの、こう……なんてゆーの? こんなふうに眉がおっとりしてて、髪がこんな感じのストレートでミルクティー色で、目が赤いメイドさんは来てないの?」
 サッサッサッ、リボンを解いて身振り手振りで忙しい。名前が分からないだけで苦労はひとしお。ゼスチャー機能は体力をはげしく消耗した。
「ふふっ、うまいうまい」
 あまりのおかしさに吹き出す叶子。
 念のため聞いてみたが、いらん心配だった。想夜はほどいたリボンをせっせと結ぶ。

 よほどゼスチャーがおかしかったのか、叶子は笑い涙を指で拭っている。
華生けいきのことね」
「ケーキ?」
 あらま、おいしそうな名前。
「九条華生、別の用事があってね。その途中、わざわざ学校に寄ってパンを届けてくれたの」
 そう言って想夜のリボン結びを手伝った。
(……ほほう、九条華生さんっていうのか)

 想夜は考える――華生が妖精だということを叶子は知っているのだろうか? いや、知るはずもない。一般人が妖精の存在を知れば大騒ぎになる、と自問自答。
(愛宮メイドとして暮らしている理由も気になるんだよなあ)
 想夜の疑問は尽きない。

(焦って大事になってもマズイわ。けれど叶ちゃんの身にもしものことがあったら――)
 赤帽子は残忍な性格の種族であるため、タチの悪い敵の可能性が高い。最悪の場合、必要以上の血を見る戦いも考慮しなければならない。
 勘ぐりすぎても変に思われるので、想夜は平然を装う、
「叶ちゃん家のメイドさんって忙しいんだね」
「普通だと思うわよ。ウチでバイトする?」
「時給は?」
「720円」
 安っ。
(でも、バランサーより高いな……心が揺らぐ)
 揺らいじゃダメだろ。
 そんなこんなで叶子と共に濡笑エリアに向かった。


『ほわいとはうす』へようこそ。


 御殿と狐姫は濡笑エリアを訪れた。
 国道からはずれて小道に入り、人通りの少ない道を2~3分歩くと、車1台が通れるほどの狭い路地がある。車がビュンビュン行きかう大通りとは違い、うるさい無数のエンジン音とは無縁の住宅街。

――そんな静かな場所に小さなマンションはあった。

「……ここね」
 御殿が不動産から手渡されたメモと建物を交互に見比べている。
 入り口であるステンレス製アーチにデカデカと『ほわいとはうす』と書かれたプレートがかかっており、「この物件がそうですが何か?」と、建物自体がドヤ顔で主張していた。
 築20年。鉄筋の建物はいたってシンプルなつくり。タイル張りした外壁、5階建て。玄関通路は外作り。ドアを開ければ目の前に空が広がっていて開放感がある。

「ほわいと、はうす? うへぇ、名前負けにもほどがあるだろ」
 ついアメリカの白い家と比べてしまう。
 狐姫の率直な意見に対し、御殿はあえてノーコメント。
「アメリカの某家は銀幕の中で宇宙人やらテロリストやらに爆破されまくってたよな」
「そうならならきゃいいわね」
 2人は祈った。

 ほわいとはうす。基本、社宅として貸し出しているマンションらしいが、民族大移動と化した社員達の引越しもあり、満室だった建物に空きができた。
 不動産屋から鍵を預かる時に「住人はほとんどいない」と聞かされている。
 そんな理由もあり、愛妃家女学園からほど近い場所を確保できた。
「学校にも愛宮邸にも近いし、幸運ね」
「どうせなら学校前のマンションのほうが楽でいいじゃん」
「贅沢をいわない」
 学校も駅も歩いていける距離にある。ここは最高の秘密基地。

 アーチを潜り抜けて石畳を渡りながら、雑草の入り混じった芝生に目をやる。
「そろそろ雑草、ヤバくね?」
「掃除は管理人さんが定期的にやってるそうよ。夏前には除草するらしいけど、それまでに依頼を済ませてここを出ていくでしょうね」
「おう、ちゃっちゃと済ませて帰ろうぜ!」
 建物入り口のガラス扉を開けて、涼風が抜けるエントランスに入る。そのままエレベーターで上がり、3階にある自分達の部屋へ向かった。

 玄関の戸を開けて中に入る2人。
 明るめなウッディ調のフローリングが目の前に広がり、御殿と狐姫を迎え入れた。
「うはぁ~、見ろよ御殿! けっこう広いんだな!」
 狐姫がスニーカーを脱ぎ捨て飛び込んだ。

 玄関には先に送っておいた数個の引越しダンポールが置かれていて、2人の着替えや狐姫のゲーム機といった必要最小限のものが詰め込んである。もっとも、玩具系は狐姫が暇つぶし用に適当に詰め込んだもの。人間の子供が好むような俗世的な遊びを愛しているらしく、獣であるにも関わらず人間人間している。

 まだ2人が出会って間もない頃の話。
 御殿は狐姫に一つ一つ人間の生活を教えた。テレビゲームの存在は、その知識の中の一つだった。
 高度な文明を遊びに用いるのは地球上で唯一人間だけ。それは人間界が平和である証ともいえる。万人が兵器に力を注がず玩具に力を注ぐ行為は、一見どうしようもない事に力を使っているようでいて、ある意味、世界の安全を認識させる行為でもある。

 膨大な力を誤用しなければ暴発することはない――。

 そうやって御殿は狐姫に語ったことがあった。
 でも狐姫はそんなことどうでもよいらしい。ただ与えられたオモチャに対して、永遠と執着する動物の感覚に等しい素振りを見せている。
 なぜゲームをするのか?
 そう聞かれて、そこにゲームがあるから、と返すような感覚に等しい。つまりは平和を意味している。よって勇者狐姫のレベル上げは今日も続く。
 人間の曲などもよく聴いている。ファッションセンスににじみ出ているように、スピード感あふれる8ビートの洋楽ロックは好物だ。その条件ならばポップもパンクもヘピーもOK。ヘッドホンから「デケデケドンツクドンツク!」と音が漏れ出しているときは、人の話を聞いてない、まったく聞いてない。
 「なぜ人の話を聞かないの?」「そこにロックがあるからさ。ライブハウス武道館へようこそ! せんきゅー♪」。

 御殿はカウンターキッチンに向かう。
「日当たり良好ね」
 引越し経験者ならばわかるであろう。誰しもその場では冒険家、初めてのマイルームは未知なる世界。
 そんな小さい世界を探検する冒険家がここにもいた。

 広さ10畳ほどのリビングに入り見渡す。生活家電一式は全てそろっており、余計な荷物を気にせず引っ越すことができた。

 バス、トイレは必須だった。
 女子校での生活をするにあたって大きな問題点は御殿が男ということだけでない。二足歩行の獣までもがTシャツ姿で寮内を歩き回ってるのを誰かに目撃されたらマスコミの餌食である。
 宗盛曰く、女子寮は部屋にバスとトイレがあるとのことだが、いざという時もふまえ、御殿は冷や汗まみれで丁重にお断りした。
 殿方の矛先を濡らすことができるほどのふくよかな乳房をぶら下げてはいるものの、同時に世の女性達を濡らすことができる機能を下半身に装備しているのだ。たとえそれが立派なモノであれお粗末なモノであれ、バレたら退学では済まされない。三面記事の笑いものである。

 数々の問題のクリアをしたのが今回の物件。用意してくれたのは御殿の飼い主だった。部下達によりよい職場環境を提供してくれる出来た上司である。
 仕事のしやすい環境を社員達に与えるのは法的に義務付けられているし、仕事の効率があがることでその会社の利益上昇にもつながってゆくのが世の常。ブラック企業はその逆である。
 御殿の職場の上下関係はよい見本だった。上は下を可愛がり、下は上を慕う。そんな理由もあり、時として残虐な戦場に身を委ねようとも、御殿は会社に貢献できるのだ。

「♪~」
 御殿は鼻歌まじりでキッチンを吟味している。表情には出さないが、心の中で遠慮がちのガッツポーズを作ってる。
 システム制御でも電気コンロでもなくガスコンロ。火力も然ることながら、微妙な調節も可能なあたりが御殿の料理魂をくすぐるのだ。
 仕事柄、何度も部屋を移り住む御殿だが、たまに出くわす電気コンロという宿敵にはホトホト泣かされていた。火力も思い通りにならず、挙句の果てにはブレーカー落ちという追い討ちコンボまでご披露してくる。世界の料理スキーには愛されない存在――それが電気コンロ! そう、あの忌々しい電気コンロだ!!

 カチッ、ボゥ! カチッ、ボゥ!
 コンロを何度も捻っては火力調節、捻っては火力調節。嗚呼、これが感動せずにはいられようか。
「見て狐姫、火力の調節できるのよ。電気コンロでは出来ないはずの素早い火力の調節が出来――」
「そーか良かったな、がんばれよ」
「……」
 淡々と語る御殿を真顔でガン無視、ソファにゴロンと寝転がってゲームに没頭中。
 この感動が分からんとは。御殿はリビングに移動した。
 この部屋では、火力に泣かされている御殿の姿を見ることはないだろう。たぶん。

 カーテンがきれいに束ねてある。最初から備え付けなのが嬉しいじゃないか。
「3階でも絶景ね」
 リビングを照らす窓から光が差し込み、遠方まで見わたせた。数キロ離れたところに位置する山々が連なり、その先に愛妃家女学園がある。
 澄んだ風景が老舗旅館の一室から眺めているようで、御殿の目を通して安らぎを与えてくれた。
 さほど機械に詳しいわけではないものの、御殿もシステムに慣れている現代っ子の1人。システムに頼り切っているせいか、都会の雑踏にまみれていると自然の存在を忘れることがある。

『あなたたち人間は電気やガソリンでは動けない。そのことわりをもう一度見つめ直すべきだ――』

 目から摂る栄養は、現代人にいつも何かを訴えかけている。しかし、その緊急性がどれほどのものなのか、今の御殿には想像できなかった。

 洋室6畳の別室が2部屋。それぞれに備え付けのシングルベッドが設置されていた。
「ベッドがあるじゃん!」
 御殿の横をすり抜け、ベッドに狐姫がダイブ。
「おお~、モッフモフだぜ~、うふふふ……」 
 ひと部屋は狐姫が占拠した。
 ベッドの上でトランポリンのように跳ねたり、枕を抱きながらゴロゴロと仰向けうつ伏せを繰り返している。耳と尻尾をパタパタさせてマッタリ感この上ない。下の階に誰もいないので苦情もない。不気味なくらい静かだった。

 しばらくの間、この部屋が2人のアジトになる。
 
 
 御殿は別室にいた。
 持参したトランクをベッドの上にのせ、ダイヤルキーを素早く回してケース開く――中からドンパチ用の銃器一式が姿を見せた。
 この荷物だけは宅配業者に任せるわけにはいかなかった。

 退魔弾はプラスチック製なので一般人の所持が許されるが、実弾の所持は2034年現在でも認可が下りず、それらは銃刀法違反に該当する。アメリカの深刻な治安悪化からか銃規制も煽りを利かせ、日本政府も武器所持法案に対して厳重に取り組んでいる。

 御殿は過去にも実弾を運んでいたことがあった。
 その時に運悪く職質されたのだが、ポリ公が身体捜査令状を持ってないことを糧に、言葉巧みに逃げきった。
 法律はひとつでも多く知っているほうが強い。
 万が一の時はジェラルミンケースで公安の頭をブン殴って逃げるつもりだった。
 大切な商売道具、死守すること必死である。

 でもね、物騒な世の中。平穏がなにより。銃を使わないに越したことはない。と、御殿は常日頃から思っている。

 御殿はケースから薬莢の詰まった箱を取り出した。
 こちらは実弾ではなく退魔弾。銃にセットしてトリガーを引くと、プラスティック弾が発射される。退魔弾にはサンスクリット文字が刻まれており、術式は悪魔を祓うためのお経のような効果を引き出す。

 チベットに『マニ車』というアイテムが存在する――寺院などで僧侶や村人が手にしているお経アイテム。赤ちゃんを癒すガラガラ玩具の先端に振り子が付いているような形状。筒状の金具に棒が通してあり、筒にはお経がほどこされている。マニ車の筒部分を振り子の遠心力を使って一回しすると、お経を1回唱えた計算になる。

 御殿がブッ放す退魔弾もマニ車と同様の原理だ。術式がほどこされたプラスティック弾が発射されることにより、バレルから飛び出た弾丸は回転しながら術を唱えて前進する。螺旋動作を行う弾は、コーンを描きながら音速の波紋を振りまいて一直線に進んでいく。
 悪魔を標的としたの場合、退魔術が描かれた弾がヒットすれば、もれなく昇天。弾が描く波紋にかすっただけでも火傷跡のように肌が爛れるので、絶大な効果が期待できる優れものだ。

 御殿は退魔弾を2つのマガジンにセットする。その間わずか数秒。コンマ1秒が命取りとなる世界で、リロードを制するものは命を制する。
 マガジンはダブルカラム。ずしりと重くなったマガジンから満腹感が伝わってきて、銃口からゲップが聞こえてきそうだ。

 銃の使用当初、余計な筋力が入るために照準がブレたりすることもあったが、今はもう慣れたもの。その分だけ悪魔を地獄に送り返してきた。
 敵が憎いほど冷静になり、引き金を引くときはトドメを刺すことだけを考える。暴魔を相手にトリガーで躊躇うなど、よほどのことがないかぎりあり得ない。

 ガバメントをカスタマイズ化した作りになっており、男の御殿とはいえ細い指先には少々大降りのグリップ。だが上手く使いこなせていた。
 二丁それぞれに『ボニー&クライド』という名前がついている。どちらがボニーでクライドかは、御殿のみが知る。

 昔、海外のとある武器店に行ったときの出来事だ――仕事がらみで世話になってる同業者から銃を受け取る際、
「ボニーとクライドのように蜂の巣になるなYO、HAHAHA~!」
 と、腹がでっぷりと突き出した腕毛ボーボーの店主に笑われながら銃を受け取った。
 なにせ相手は英会話オンリー。英語にはまだ不慣れだった御殿は、『これらの銃はボニーとクライドという名前の銃です』と、間違った翻訳をしてしまう。

 流暢な英語を話す現在。
 手元にある二丁にはボニー&クライドという名前が定着してしまっている。
 今のところ名前の修正は考えていないが、外国で起こったド派手な銀行強盗から時間が経った今でも、蜂の巣にされた男女の復讐劇のごとく吠え続けている

 ハンドガード直下にはレーザーサイトと高出力フラッシュライトが装備されており、標的のマークや照明ができる。
 軍や警察でも採用されているデフォルト仕様。薄さ5ミリの小型チップバッテリーで、点灯を続けても数時間は持つ。長方形構造で軽量化もされており、装着しても重くならない。ミル規格仕様。
 ※ミル規格とは、米軍で使用できる武器や道具を決める評価基準。試験をパスした武具だけが軍隊で仕様できる。
 ボニーとクライド。御殿は2人の男女を両手でクルクルと器用に弄び、腰のホルダに2人を収めた。
「ボニーとクライド、問題なし」

 続いて柄状の武器を手に取り、手元にあるスイッチを押す。
 シャキン!
 硬い物質同士の摩擦が鋭い音を立てた。
 柄状の物体の中から勢いよく飛び出した3段もの矛先。柄が一瞬で木刀に変化する。

 黒光りする木刀、『空泉地星くうせんちせい』――硬い木で作られた、言わば木刀型の警棒。木刀のハラには退魔弾と同様に術が刻まれており、敵に対しての接近戦、または何らかの形で銃が使えなくなった時に大いに役立つ。矛先を柄に納められることで直径30センチ以下まで縮み、よりコンパクトで持ち運びにも便利である。

 御殿は空泉地星もホルダに挟む。
「空泉地星、問題なし」
 最後にケースから聖水の入った透明な小瓶を取り出す。

 『聖水』――土にまけば悪しき者の侵入を阻止できる。悪魔に直接投げつけることでダメージを与えることもできる。人間の体を清める水でも悪魔から見たら硫酸と同じ。それが身に触れると肌が焼けただれるほどの激痛に襲われる。かつて地獄に足を踏み入れた者が聖水で身を清めて帰還した、などというエピソードまでついている。まさに恵みの水である。万能ウエポン、退魔業者は常備が義務付けられている。

 御殿が小瓶を覗きこむ。聖水は窓から差し込む日の光で煌いていた。
「……」
 ボ~とする。一瞬の安堵、まどろみ――御殿はこれが好きだった。聖水に嫌悪を見せない自分が今、ここにいる。それは己が悪しき者ではないことの証明になるから。
 それでも戦場に身をおく者は皆、同じ穴のムジナだということを認識しなければならない。心を鬼にして挑まなければ、いつか終わりがくるだろう。

『気をつけなさい……闇の深淵を見つめる者は、常に闇の深淵からも見られている――』

 どこかの誰かが言った言葉を思い出す。
 悪を見つめる者は、同時に悪にも魅入られている。

 聖水の癒しは御殿の心がイカレてない証明。そんな確認行動が戦場での習慣になっていた。
「水の女神に感謝します――」
 御殿は胸元で聖水を握り締め、目を閉じ、ベッド下の引き出しに道具一式をしまった。


あなたと出会い、そしてはじまる。


 学園から御殿の端末に連絡が入った。なんでも街を案内してくれる生徒が来るとのこと。

「なあ御殿~、ハラ減った~」
 携帯ゲームに飽きたらしく、枕に顔を埋める狐の猫なで声にクスクスと笑う御殿。時計を見ると、まだ午後3時だ。夕食まで時間がある。
「そうね。食料の買出しにも行くつもりだし、学園からお客様が来るみたい」
「誰か来るのか?」
「ええ。外で待ち合わせしたから、一緒におやつでも食べようか?」
「ホントか!? 俺さ、さっき食べ放題の店見つけたんだよな~!」
 耳をピクリとさせて飛び起きる狐姫。そこへ御殿が待ったをかける。
「ダーメ。夕食食べれなくなるでしょ? 買出しから戻ってきたらゴハン作ってあげるから、食べ放題はまた今度」
 ご飯食べれなくなるでしょ! 子供からおやつを取り上げる全国の母親よろしく、御殿ははつまらなさそうにする狐姫をなだめた。
「俺サマの食欲は無限です」
 キリッ。
「家計は有限です」
 ピシャリと言い切る母役だった。

 部屋を出る2人。
「ほわいとはうす。やっぱ名前負けしてるよな? な?」
 負けてると言え! 狐姫が期待した感じで聞いてくる。
「ノーコメント」
「御殿、おまえ宇宙人が怖いんだろ、そうなんだろ!」
 あくまで宇宙からの侵略者に攻撃される物件にしたいらしい。

 アーチをくぐり、マンションの敷地を出る御殿。
 その数歩手前、後頭部で腕組をしながら歩く狐姫が元気な笑みで振り返る。
「なぁ御殿?」
「ん?」
「学校って楽しいのか?」
 まだ見ぬ世界に胸を躍らせているのだろう、無邪気な笑みから未知への期待があふれている。まるで家族にランドセル姿を見せびらかす子供のように――そうやって狐姫の中の冒険心が瞳を輝かせているのだ。と、御殿は思った。

 御殿自身、学校生活という思い出があるわけではなかった。やんわりではあるが義務教育を受けた記憶がある……気がする……多分……確かではない。
 思い出そうとすると記憶が霧に包まれ、脳内ですっと溶けて消えてしまうのだ。
「学校? そうね……教師と生徒、教室があって、授業があって、部活があって……それから――」
 それからはネット辞書に掲載されている内容の重複作業。基本的な学生生活を説明するのがやっとだった。
 説明を聞き入る狐姫は、「ふ~ん……」と当たり障りのない返事をしたあと、「そっか、楽しみだな!」と八重歯を見せてニッコリ笑った。
 無邪気に笑う相方を前に、一人の人間として知識の力になれない罪悪感が御殿にはあった。記憶の中にある学校に関する知識を片っ端から与えようと試みた。結果、浮かんだキーワードは『友達』だった。

 友達という響きは謎が多い。なにをする関係なのか、どこからどこまでを指す関係なのか、始まりと終わりは? 考えると奥が深い。
「友達、たくさんできるといいね――」
 そう言いかけた瞬間、御殿の頭に激痛がはしった。側頭部をハンマーで殴られたような振動がする。が、何事もなかったように再び歩みだした。

 御殿が細い通りの角を曲がろうとした。
 まさにその時、マンション前でハプニングは起こった。御殿がなにかと正面衝突をしてしまう。
 ドン! ぽよん。
「ぁ……!」
「ブヘッ!」
 御殿の胸になにかがあたりバウンドした。
 続いて変な音の出るクッションを踏んづけたみたく、素っ頓狂な声がこだまする。
 目の前に髪をリボンで結ったポニーテールが尻をさすってヘタレ込んでいる。森からやってきた小動物にも見える。どうやら御殿の胸にバウンドして倒れたようだ。
 ひっくりかえった小動物を狐姫が覗き込んだ。
「ん? おい、なんだコイツ! 見てみろよ御殿、パンくわえてるぞ!? いつのアニメキャラだよ?」
 ぶははははっ! 狐姫が指差して大爆笑している。ネット掲示板なら草ボーボー状態。
「むぐ! むぐう~」
 棒状のパンを苦しそうにくわえ込んでいる。
 御殿が涙目の小動物の顎に手を添え、パンを抜き取る。そう、少女の小さな口から棒を抜く。
「大丈夫?」
「ぷはっ。だ、大丈夫……でふ」
 いっかい深呼吸の小動物。
 御殿の手を取り、立ち上がったまではいいものの、思っていたよりも力強く引っぱられて足がもつれる。そうして、ふたたび御殿の渓谷に顔を突っ込んだ。
「むぐぅ!」
 ぽむ……
「2回目かよ、そんなに御殿の胸がお気に入りか?」
 狐姫が呆れている。

 そこで小動物、にわかオッパイソムリエとして覚醒!

(むむ! ほっぺに吸い付く肌触り。肉まんのようであんまん、大福のようなモッチモチ感。ズシリとしてるクセに軽くてしつこくない)
 オッパイソムリエがカッと目を見開いた。
(このおっぱい……事件じゃないか!!!!!)
 むぎゅっむぎゅっ。御殿の胸を揉みしだくオッパイソムリエ。
「あ、あの……」
(うむ、実に心地よいバウンド、それに包容感……)
 むぎゅ~。
 御殿の胸に埋もれたまま、小動物がピタリと動きを止める。
 スーハースーハ-くんかくんか。今度は香りを嗅ぎ出した。
「すぅ~。い、いい香り……」
「あ、あの……?」
「Fかな? Gにしては少し小さい……」
 御殿の胸元の少女が独り言をつぶやいている。が微動だにしない。
 そんな奇行でもフリフリ揺れるポニテが子ギツネの尻尾みたいで可愛い。御殿の中で愛着が湧いてくる。
「あ、あの……大丈夫?」
 半笑いの御殿がポニーテールに声をかけた時、その場に居あわせたヘアパンドの少女と目が合い、思わず顔が引きつる。
(たしか、愛宮の……)
 御殿は自分の目を疑った。が、間違いない。その場にいるのは愛宮のご令嬢、叶子だ。
 先日、愛宮邸を訪れた時に拝見したばかりだが、ヘアバンドと切れ長の目、それにMAMIYA特有の凛として他者の踏み込みを譲らない貫禄が印象的だったのでよく覚えている。グループの黒い噂とは裏腹に、ご令嬢らしい清楚で、慎ましく、整った顔立ちは世間の期待を裏切らないものを備えていた。

 叶子は苦虫を噛み潰したような気まずい顔で会釈する。驚いた顔を見せないので、前もって御殿達に会うことを知っていたようだ。
 気まずいのは御殿も一緒。
「叶子、さん……」
 愛宮様。と、公共の場で呼ばぬよう、御殿は宗盛から言われていた。他人を演じていたのでは距離がありすぎるし、だからといって「愛宮様、叶子様」と連呼すれば他の生徒から余計な詮索をされてしまう。警備員としてでなく、あくまで一生徒を演じたほうが学園内では行動しやすい。
 それに叶子本人も「愛宮様」を望んでいない。と御殿は宗盛から聞かされている。

 いつまでもボケッと突っ立っているわけにもいかないので、御殿は口を開いた。
「叶子さん、こちらの方は……ご友人でしょうか?」
 御殿はぎこちないセリフを叶子にぶつけ、胸元の少女をひきはがした。
 少女が打ちつけたケツをさすっている。
「叶ちゃんのこと知ってるんですか?」
「ええ……理事長のご子息ですから」
 少女の問いに御殿はぎこちない笑みで答えた。役者業もオプション料に含まれる。骨が折れるけど。
 狐姫は狐姫で訝しげな表情をポニーテールに向ける。
「どんくせー奴……」
「狐姫」
 御殿が狐姫をかるく肘でつつく。
 促された狐姫が言い直す。
「――でございまするわね。叶子、いや、愛宮さんところの叶子さんのご友人、イテッ」
 舌噛んだ。
 話しを合わせるのも骨が折れる。というか日本語まで大変なことになっている。

 大根役者は置いといて――。

 御殿はポニーテールと向かい合った。
「さっき学園から、案内役が来るっていう連絡があったわ。あなたのことでしょう?」
 御殿の目前でポニーテールがビシッと敬礼、転入生に向けて自己紹介をする――
「はい、あたし雪車町想夜です! 要請実行委員会からやってまいりました!」
 屈託のない、ひまわりのような明るい笑みで転入生を出迎えた。