11 力に愛されし無力な脅威の代償


 廃墟の敷地に妖精が舞い降りた。

『はじめて出逢った日に帰りましょう。
あの場所はもう、朽ち果ててしまったけれど――』

 日記の内容と華生とのやり取りが想夜をここへと導いた。
 地面のヒンヤリとした感覚が足裏につたわり、靴を履き忘れてきたことを後悔する。
 ニーソを履いているとはいえ、ゴツゴツした小石や割れたガラスが散乱して踏みつけると非常に痛い。
 足ツボマッサージとかそういう次元の問題ではない、割れたガラスの破片が刺さったりする。
 それでも前へ進んでゆく。


 建物の外は暴魔で溢れかえっていることから、建物内の様子を想像するのは簡単だった。
 一度は潜入を試みたものの、あまりの敵の多さに通路の扉を閉めて退却してきたところだった。
 その甲斐あって、数百体もの暴魔を建物内に閉じ込めることに成功したものの、残り数百体は今もこうして想夜を取り囲んでいた。

「すべてスカウトマンってわけか。叶ちゃんと華生さん大人気デュオだね……ゴメンね、ライブの邪魔しちゃうけど」
 想夜は羽を広げた。ワイズナーの矛先を敵陣に向け、一歩前へ踏み込む。
「友達は、絶対に渡さない」
 今の叶子は深手を負っている。集団で拉致れば魔族側で捕獲できる。そのあとの憑依は容易だろう。
 だが、そんなことはさせない。
「斬る……ゆくぞ!!」
 想夜が羽を輝かせ、ピクシーブースターで一気に斬り込む。
 飛んで火に入る春の妖精――単身、魑魅魍魎ちみもうりょうの中へ突っ込んでいった。


夜を走る


 夜の街。
 御殿の運転するバイクが風を切り、都心へ続く国道を突き進む。

 UFO道に差し掛かったころ、遠くの空から何かが飛んでくるのが見えた。
 飛行物体はドーナツの屋根に着地、ワンバウンドして御殿のバイクへ。後部座席にストンと落下すると、御殿の腰に腕をまわしてムギュ~と体を押し付けた。

 御殿が後部座席の人物をミラー越しに確認する。

「狐姫!」
 後部座席の狐姫に語りかける。速度を上げているため、大きめの声を出さないと風圧でかき消されてしまう。
 振り落とされないよう、狐姫は御殿の細い腰にまわした手を上にずらし、ワガママおっぱいを鷲掴み。デカ過ぎて掴みづらいな、とか少し不満があったりする。
「愛宮邸で収穫はあった?」
「ん? まあな。ちょっと遊んできた」
 友達の家でゲームやって遊んでた。みたく普通に言ってのける。
「何か分かったの?」
 御殿がミラーをチラリと見ると、そこに映る狐姫が身を乗り出して語りかけてくる。

「ああ、わかったぜ。あそこはただの廃墟じゃない、研究所跡だ。それも昔のMAMIYAのな!」

 御殿はオイルの染み込んだ土壌むき出しの部屋を思い出す。
「昔のMAMIYA研究所? そんなはずは……オイルが散乱していたし、渡された資料にも工場跡と書かれていた。研究機材もなかった……」
「他の場所に機材を移し終えたあと、ダミー会社に明け渡すふりをして、工場跡に見えるようにガラクタ集めてオイルぶちまけたんだとよ。全てシュベスタ社がやったことらしい」

 なるほど、と御殿は思った。どうりで工場には似つかわしくない薬の匂いが充満していたわけである。

「なぜそんなことを?」
 狐姫は宗盛から言われたこと――叶子と華生の出会い、MAMIYAの分裂、妖精実験の凍結を御殿に説明した。シュベスタ社には元MAMIYA研究所での出来事を隠さなければならない事情があった。
 それが妖精実験だ。

「――御殿、あそこにはシュベスタの関係者が出入りしている。待ち構えていれば出くわすチャンスに恵まれるはずだ。叶子はそれを狙っているらしい」
「シュベスタ社をはじめとする敵の群れから事情を聞きだし、単独で事件解決を考えているってことか……」
 なんて無謀なことを考える令嬢とメイドなのだろう、と思う。今頃、研究所跡は叶子と華生を仲間に引き入れんがため、スカウトマンの大群が押し寄せているはずだ。

 叶子はそこで眠りにつくとでもいうのか? ――御殿の脳裏にハイヤースペックの話が浮かぶ。

 狐姫は、さらに奇妙なネタも仕入れていた。


 約3年前――

 シュベスタ社には試作段階中、完成ラインに至らなかった製品がある。いわゆる処分対象である。

 失敗対象を廃棄するため、上層部はそれを医療廃棄物としてトラックに詰め込むよう部下達に命令を下した。

 ところが輸送中、廃棄物の入ったタンクを紛失してしまう。あろうことか、山中のどこかに落してしまったのだ。

 事態に気づいたシュベスタは、その時点で全ての研究所を閉鎖。各機関に多額の金をバラまき、それ以上の情報流出を免れた。

 隠蔽の目論見はみごと成功し、結果、誰もその研究に近づくことができないでいた。

 今回の騒動がなければ失敗対象の話は闇の中だった。それを狐姫がうまく掘り返した。


 ふと御殿の脳裏によぎったのは、想夜の話していた妖精兵器のこと。

 ディルファーという妖精がどのような脅威をもってして妖精界を破滅寸前にまで追い詰めたのか、人間である御殿には想像がつかない。が、データが人間の手に渡っている以上、クローン技術による複製は容易であるし、もしもそれが、この世界のどこかに放たれたとしたら、こうしている今にも人間界全域にその災害が広がるかもしれない。

「脅威の複製――」

 失敗対象=脅威。
 御殿は自分の予感が的中しないことを祈った。

 無論、生み出されるほうもいい迷惑だろう。「研究ゴッコでお前を作ったから、企業のために暴力で世界を牛耳れ」と言われても困る。いくらバケモノでもブラック企業の奴隷はゴメンだろう。自力で歩けるのなら自由でありたいのが万物の願いだ。

「廃棄物処理も大変ね」
 某富士山周辺の粗大ゴミが頭に浮かんで嫌な気分になった。使わなくなったテレビ、冷蔵庫、古タイヤにまぎれて、兵器がころがっているのはシャレにならんだろう。核ミサイルの不法投棄は罰金だけじゃ済まされないのだから。

 狐姫から一通りの話を聞いた御殿は、先ほどの想夜とのやりとりも踏まえて推理をはじめた。

 研究所跡の儀式は古いもの。研究当時からの名残りと見ていい。誰も近づかない場所ということもあり、絶好の儀式空間。シュベスタはそこを中心に、街中から妖精のエーテルを集める行為をおこなっている。

「たとえば大量に収集されたエーテルはバッテリーのような装置に蓄えられ、別の場所で保管されている」
 御殿はそう仮定する。
「管理者は少なくとも妖精に関与する者の仕業。それはシュベスタの人間――おそらく魔族との連携がある。その指揮をとっているのがMAMIYAの関係者」
 という情報を先日、MAMIYA研究所でボコった暴魔から得ている。
 犯人の名を聞き出そうにも、あいにく聖水のシャワーに洗い流されてしまったが。

「こうしている今でも、シュベスタ社で妖精実験が続いているのだとしたら……スカウトマンを使って愛宮叶子をシュベスタに引き入れるという手もある。本人は当然嫌がるから、華生さんをダシに使うかもね。強い人ほど弱点は体の外側にあるものでしょ?」
「本人以外を攻撃かよ、卑劣だな。ムカつく奴らだぜ。俺なんてセーブデータ消されたら泣くぜ?」
 探検の書1が消えました。
 探検の書2が消えました。
 探検の書3が消えました。
「――うん、泣き崩れるわ俺。わんわん泣くね」
 また1からやり直し。想像しただけでもゾッとするぜ。と、勇者狐姫は肩を震わせた。

「どんなに強靭な者でも大切な人が傷つくのは耐えられない。心ある人間は特にその傾向が見られる。愛宮叶子は良い例かもしれないわね。被害が拡大するのを恐れて周囲との距離を置いていた。2人が孤立したところを、今度は華生さんを人質に愛宮叶子を取り込むつもりでいたのでしょう。吸集の儀式を破壊されないため、言葉巧みに愛宮叶子を利用して敷地内に護衛として配置させていた。邪魔なわたし達に対して愛宮叶子をぶつけて消す。結果、陣は守られ、プロジェクトは進んでゆく。その後、シュベスタは愛宮叶子と華生さんを取り込む。一石二鳥ね」
「そこまで分かるのかよ」
「となるとシュベスタが暴魔を引き合いに出してる可能性が高いわね」

 さすが俺様の相方、と狐姫は鼻が高い。宗盛の話をすべて打ち明ける前に、研究所跡へ出入りしているシュベスタの思惑や叶子の心情までも先読みしてしまうのだから。

 それに負けじと狐姫の頭脳も奮闘する。
「それに叶子と華生は軍事利用もできそうだしな。シュベスタめ、戦闘用の駒は多いほうがいいってか?」
「そうね、さっき一戦交えたけどハイヤースペックは脅威だった。スペクターが軍隊についたら政府も喜ぶでしょう。なにかとお金を生む能力ね。人間としては扱われないでしょうけど」
 最後、はき捨てるように言う。
 妖精界、人間界、魔界――たった2人でそれらと向き合う叶子と華生が不憫でならなかったのだ。それにフェアリーフォースという厄介なものまで絡んできている。

 敵だらけの戦場。
 怖くはないのか?
 不安はないのか?
 御殿は胸をえぐられる思いに襲われた。そんな背中に漂う感情を読み取る狐姫も同じ心境だった。

 夜空にきらめく星を見た狐姫が何かを思い出した。
「そう言えばここに来る途中、南方になにかが飛んでいったのを見たぞ?」
「なにかが飛んでいった?」
「鳥か? ヒコーキか? いやぁ違うね。ありゃタケちゃんマ……どわ!?」
 話の途中、血相を変えた御殿が車体を大きく傾けた。近道をするために進行方向を変えたのだ。

 バイクから振り落とされないように、しっかりとその背中にしがみつく狐姫。
「冗談でしょ? あの子ひとりで暴魔の群れにケンカ吹っかける気でいるの!?」
 あの子とは無論想夜のこと。ひとりで多くの暴魔に立ち向かう気らしい。
「あっぶねーな御殿! 免許持ってんのかコラ! 出せ! 見せてみろ! そして捨てさせろ!!」
 免停、没収だのと後部座席で叫ぶ被害者。

 御殿はブレーキを踏み込み、車体を地面スレスレまで横倒しにし、コーナーリングを決める。路面とマフラーがガリガリと音を立て、摩擦の火花を散らした。
 すぐ横でスパークする火花を見ながら狐姫が青ざめる。
「こ、御殿さん? ホントあなた、免許お持ちなんでしょうか?」
「……」
「ねえ……持ってる、よね? 免許。ね、ねえ……聞いてる?」
 御殿は力強くグリップを握り直し、器用に対向車や障害物をよけつつ、人気のない歩道に乗り上げても尚、アクセルを緩めることなく突っ走った。


ひとりでは、もう戦えない


 元MAMIYA研究所跡――廃墟の中、想夜が無数の魔族を相手に斬って斬って斬りまくる。
 斬撃無双を演じるものの、所詮は学生バランサー。撃退される暴魔の減りは少なく、非力なものだ。

 秒針のように弧を描くワイズナーで何度も暴魔を払いのけ、前へ前へと突き進む。

 斬りつけるモーションが大きいため、背中の防御がお留守になり、小さな体は敵の打撃一発でグラリとよろけてしまう。
 前のめりになった想夜、つまづく瞬間、中型暴魔にあっさりと腕を取られてしまった。人間につままれた虫みたく、簡単に持ち上げられた体が宙ぶらりんの状態で垂れ下がった。
「さわらないで! 離して!」
 めくれた制服から覗く腰は、簡単に折れてしまいそうなほどに細い。
 むき出しの腹に別の暴魔が突っ込んできた!

 ド!

「ぐえっ!」
 もろにタックルがめり込み、胃袋に激痛が走る!
 胃液が込み上げてくるのを必死にこらえる。本当に折れてしまったのではないかというほどに想夜の体がひしゃげる。
 突き飛ばされた小さな体がカーリングのようにガラクタだらけの地面を滑ってゆき、遠くの壁に激突して止まった。
 それでもなお、地面に立てたワイズナーで体を支え、擦りむいた膝で立ち上がる。
「くっ、敵が……多すぎる!!」
 しかも強い!
 1人じゃムリだ……でも、このままでは叶子と華生に待っているのは能力を駆使した戦争、そして終焉。それはまさしく絶望の宴。

 エーテルバランサーとして、なにより友達として、なんとしても避けねばならない――そんな気持ちが想夜を戦いへと駆り立てるのだ。

 ヨロヨロと立ち上がったのも束の間、想夜はあっさりと囲まれてしまった。
 見渡す限りの魑魅魍魎。
「うっ、く……あたし、弱すぎるの? 1人じゃ……何もできないの?」
 耳と鼻を真っ赤にし、歯を食いしばり、無力を感じることから溢れる悔し涙をこらえ、ふたたび周囲を見渡す。

 小型、中型、人型、ざっと数百体はいる。

(折角ここまで粘ったのに、あたし……こんなにも無力、なの……?)
 何もできない、故、無力を悟る。
 なんか、泣けてきた。
 なんか、ワイズナーが重い。手からすり抜けてゆく感じ。

 気力がなくなると、こんなにも力が入らなくなるものなのか?

 諦めるということは、このことをいうのか?

「もういやだ……、あたしの、ばか――」
 ぐすん
 真っ赤にした鼻をすする。

 絶望――。
 それが想夜の心をジワリジワリと支配してゆく。
「ひとりでは、もう……」
 ひとりでは……もうダメだ。


――独りでは、もう戦えない……。



 孤高の戦士が完全に諦めかけた、その時だった――

 ヴオオオオォォン!!!

 一台のレプリカバイクが雄叫びを上げ、フェンスを飛び越えて突っ込んできた!

「到着した! お先にどうぞ――」
 宙を舞うバイクからドライバーが叫ぶと同時に、小さな深紅の人影が元気よく飛び出してきた。
「うおおおおおりゃあああああぁ! 良い子はマネしちゃダメですよおおおおだ!!」
 影は想夜に襲いかかろうとする暴魔の顔面めがけ、空中でターンを決めるとローリングソバットを叩き込んだ!

 ボフッ!

 暗い広場がオレンジ色の光に照らされる。
 鈍い着火音が響いた瞬間、蹴り飛ばされた巨体から焔が舞い上がり、大げさすぎるほどの爆発を周囲に見せつけた。
 影が続けて蹴りを繰り出す!
「よっと!」

 ドッ!

 蹴りをくらった別の一体が爆炎に包まれ、くの字にひしゃげて吹き飛んでゆく。
 呆気にとられた想夜がボケッと見ている。
 小さな影が蹴りを出せば敵が爆発し、巨体がいとも容易く、はるか遠くの鉄骨に頭から突っ込んでゆくではないか。

「まるで……まるで暴魔の体に爆破スイッチでもついているかのよだわ……」

 鉄骨にめり込んだ暴魔の体がメラメラと炎を吐き出し、その後はピクリとも動かなかった。蹴り飛ばされた瞬間に爆死していたようだ。

 蹴る。殴る。殴る。蹴り飛ばす。

「は! フン! ほっ! よっと!」

 ドーン! ドーン! ドーン ど~ん☆

 殴り飛ばされてきた炎の塊が敵陣に突っ込んでは、もらい火から他の数体をメラメラと燃やし尽くした。

 その後も小さな影の攻撃は止むことはない。邪魔な巨体は遠くに殴り飛ばし、殴り飛ばす場所が暴魔でいっぱいなると、今度ははるか上空に蹴り飛ばした。
 人型の腕を捻っては蹴り飛ばし、小型、中型にはボディブローの雨をお見舞いしている。
 被害者は300体ほどにも及んだ。

 そこへバイクが着地してバイクが想夜の真横をかすめると、横向きのままスリップ。その場に留まり、足と前輪を軸に回転をはじめた。
 回転するバイクがドカドカと音を立てながら、車体で何匹もの敵を弾き飛ばす!
 バイクで跳ね飛ばされた暴魔たちは壁に叩きつけられ、動きを鈍らせた。

 そこには交通ルールなんて微塵もなかった。

 想夜は警察がいなくてよかったと思う――警察署の掲示板、交通事故の被害者がカンスト状態なのだから。

 ドライバーはバイクを停止させると、少し離れた場所にいる想夜と向かい合う。
 ヘッドライトに照らされ、眩しくて目を伏せながらも、想夜は必死に目の前で起こる光景を目にする。
「あ、あなた達は――!」

 呆然と立ち尽くす想夜の手前、バイクに跳ねられて横たわる中型暴魔の顔を踏みつける少女が立っている。
 見覚えのある少女、狐のような耳と尻尾を携えている――さわりたい。モフモフしたい。指を挿入したい、第一関節まででいい。先っちょだけでいい。

「狐姫ちゃん!?」
 名前を呼ばれた狐姫は鼻の頭をかきながらモジモジ、頬を染めながら目をそらした。
「あ、あまりジロジロ見るなよな。あと、言っとくけど……助けたわけじゃねーからな。なんつーか、その……お前になんかあったら後々メンドーだし……」
 御殿がうるさいし、ご飯作ってくれなくなるかもだし、etc……ブツブツ呟いている。絵に描いたようなツンデレ。ネット辞典から飛び出してきたみたいでわかりやすい性格。
「つ、つまり……だなっ」
 鼻を指でポリポリかく。狐姫は顔を真っ赤にして意気込んでアレを叫ぶのだ。
「べ、別にアンタのために助けに来たわけぢゃないんだからグヱ!?」
 決め台詞の途中でカエルを踏み潰したような声を上げる狐姫。先ほど天空に蹴り上げた暴魔が振ってきて押し潰されたのだ。ケロケロ声が一段とサマになっていた。
「イテーだろーが、このカス!」
 目の前に横たわる暴魔に思い切り怒りのキックをかます!
 ドカ! ピューン!
 ふたたび遠くに蹴っ飛ばしてやった。

 漆黒の衣装に身を包んだロングヘアの女性がバイクのギアを素早く落とし、エンジンを切って微笑んでいる。
「間に合ったみたいね」
「こ、御殿センパイ!?」
 女性ではなく男性でした。

 御殿がスタンドを立ててからバイクを降り、想夜に歩み寄ってくる。

 想夜と御殿が向かい合う。
 頭のすぐ上まで上げられた拳でゲンコツでも喰らうのかと思い、想夜はビクッと肩をすくめるが――

 ……コツン。

 やはりゲンコツを喰らいました。でも軽く指が触れるくらい軽いもの。
「コラ。ダメでしょう、靴を忘れちゃ」
「え、そっち!?」
 そう言えば窓から飛び出してきたんだっけ? 想夜はニーソのまま飛び出してきたことを思い出す――あの時は叶子のことで無我夢中だったから。でもって、さっきまで足の裏が痛いのを後悔していたのだ。
 ひとりで戦場に赴いたことを怒られるかと思いきや、靴を忘れたことを咎められるだけだった。
 つくづく想像を裏切る人だな、と思いながら想夜は足元に置かれたローファーに足を突っ込んだ。

 御殿が腰のホルダーに手をまわす。
 それを何事かと想夜が見ていると、拳銃を取り出したのでギョッする。しかも2丁。
 なぜそんな物騒なものを持ち歩いているのかが知りたくて、近くの狐姫に助言を求めようとした。
「狐姫ちゃ……」
 話しかけた丁度その時だ、

「フン!」

 倒れた暴魔の頭を踏みつけてる足に、一層の力を込める狐姫。
 踏みつけるタイミングで暴魔の体から派手な爆炎が舞い上がった。
 中華料理の大げさな火力を見て驚いたかのように想夜が後ずさる。そして悟るのだ――この人達は『プロ』なのだ、と。

 喧嘩屋、傭兵、戦闘マシン――呼び方は無数にある。御殿と狐姫はどれかに当てはまる。

 苦笑する御殿。
「学校で襲撃された時はマルゴシだったから厄介だったけど……」
 そう言われた想夜は、学校での出来事――水浸し、おっぱいローション、その他のヘタレイベントを思い出し、たははと肩を落とした。
「――けれど今度は、抜かりない」
 御殿は銃を構えニヤリ、想夜にウインクを贈る。
「頼もしいオプションも着いてきてくれたことだし――」
 そう言って御殿は狐姫に目配せをした。

 狐姫は真顔で想夜と御殿を睨らみ、指をボキボキならしながら毒舌を吐き捨ててくる。
「ふん、最初から大声上げて俺を呼んでりゃよかったんだ。クソ暴魔の1000体2000体の相手なんざ、準備運動にもなりゃしねえ……」
 ふと、一抹の寂しさがこもった言葉だった。

 狐姫の強気の発言。だが、そこには御殿に対する想いがあるのを想夜は感じていた。「どうして俺を呼んでくれなかったんだ、心配してたのによ」――そんな感情が見え隠れしてるのがちょっとヤケた。無論、御殿がそれに気づいてないこともわかってる。

(御殿センパイ、肝心なことには鈍感なんだよなぁ……)

 チラリと鈍感さんに目をむけ、肩をすくめた。
 鈍感さんは両手に携えた銃をまじまじとチェックしている最中。
「ふぅ」
 やれやれ。想夜はふたたび肩をすくめた。
 


 広場の暴魔を一掃した3人は、建物内へ侵入した――。

「叶子さんは? 奥に行ったの?」
 御殿は暗い通路をライトで照らしながら閉じた扉に歩み寄ると、そこに耳を当てて研ぎ澄ました。
「御殿センパイ、その扉は――」

 鉄の扉は先ほど想夜が閉めたもの。中には数百もの暴魔が潜んでいる。

「扉の向こうから邪悪な気配を感じるわね、かなり多いわ」
 奥へと続く細い通路。先を進むにはここを通るしかない。
 御殿は無数の暴魔が群がっているのがわかると、手すり状のノブに手をかけた。
「開けちゃダメ!!」
 御殿を引き止めようとした想夜だったが遅かった。
 御殿は目を閉じながらノブに手をかけ、扉をゆっくりと手前に引く。その立ちふるまいは、まるで結婚式場のプランナーよろしく「新郎新婦のご入場です! 盛大な拍手で……(以下略)」と言わんばかりだ。

 ガチャリ……。

 開いた扉から雪崩の如く新郎新婦――もとい暴魔が溢れてきた!
 瞬間、狐姫が半身になって構える!
 御殿は敵の死角をつくように扉の影に身を潜めている。
「狐姫、よろしく」
「へへへ……大量だな!」
 鼻をクンッと指で弾いてから拳を握りしめると、

 ドウッ!!

 重い音を立て、熱を帯びた拳を真っ赤に発光させた。
 少し離れた想夜にも、肌が焼けるような熱さが伝わってくる。まるで近くに溶けた鉄の塊でもあるかのようだ。
「熱い……」
 たまらずに想夜が額の汗を拭う。ノースリーブの制服が汗でベッタリと肌に張り付き、Bブラまで透けて見える。

「――はい、スーパー狐姫ちゃんタイムの時間です。先着順、暖まりたい方からお先にどうぞ――」

 狐姫、真顔。冗談で言っているのではない。殺る気だ。某カンフー映画みたく、暴魔をクイックイッと手で誘う。

 突進してくる最初の一匹目掛けて狐姫がボディブローを繰り出すと、暴魔の体が腹を軸にくの字の折れ、全身から爆炎を舞い上げた。
「シュッ!」
 軽快なフットワークで追加の蹴りをブチ込む!
 蹴られた暴魔の体が、先ほどの想夜みたいに一直線にふっ飛び、ボーリングのピンよろしく次々と他の暴魔を弾き飛ばした。
 敵の一匹が炎に身を包まれると、他の数匹にも引火してゆき、炎は敵から敵へ――途端に火の海となる。
(なんてデタラメな強さなの……)
 目の前に広がる炎を呆然とみつめ、ふたたび額の汗を拭う。
 そんな想夜に御殿が叫んだ。
「扉の向こうは一本道、後ろから援護射撃をするから、弾の軌道に沿って飛んで行きなさい!」
「2人はどうするの!?」
「先にコレを片付けておく。後々厄介だから」
「俺1人でもいいんだけどね~♪」


 御殿と狐姫は数百もの敵陣と向かい合った。

 先ほどまで暴魔によって塞がれていた一本道――御殿は通路を覗き込むと、魑魅魍魎の群れを前に仁王立ちでふさがり、懐から取り出した地獄笛をくわえた。
 何の音もしない。が、魔族には集合の合図が鳴り続けている。

 メスの尻に群がるオスのように、たちまち御殿のほうへと大群が押し寄せてくる!

 御殿は一匹残らずここで消すつもりでいる。
 頃合を見て、無表情のままトリガーをリズミカルに連射し始めた。

 ドドド!
 ドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド!!!!

 ボニー&クライドがド派手なデュエットを開始する!
 床に落ちる薬莢がリズムを刻み、一瞬にしてあたりが火薬の匂いで充満しはじめた。
 トリガーを引くたび、暗い空間が火花で明るくなる。舞台のスポットライトのような演出。

 最高にクールな演奏会だ!
 弾丸を叩き込まれた暴魔達が挽肉をぶちまけたように飛び散りやがる!

 弾の軌道を中心にルーンが波紋状に広がってゆく。
 中にはギリギリの距離感で弾丸を避けながら突っ込んでくる輩もいたが、そんな素早い敵でさえ、波紋に触れると肉体が溶けて蒸発してしまう。
 それほどに強力な兵器――それが退魔弾の威力だ!

 銃をかまえる御殿のすぐ横に黒い影をみつけた。
「御殿センパイ、右!」
 かろうじて波紋の演奏を逃れてきた人型が御殿に飛び掛る!
 が、御殿は拳銃を素早くホルダーに収め、水面のようにユラリと揺れると、半身の姿勢をとった。その後、相手の蹴りを両手で受け止めると足首を掴む!
「フン!」
 瞬間、自分の腕を大きく広げ、相手の足首をひねってブン投げた。

 ブンブンブンブン!

 プロペラが高速回転しながら風を切る音。
 人型暴魔がキリモミ回転をして宙を舞う。
 それを素早く抜いた銃で撃ちまくると、暴魔の体が空中でバラ肉に変わった。
 格闘技に無頓着な想夜だが、御殿が武術をかじっているのがわかる。それくらいに綺麗な動きだった。

 狐姫が何匹かに囲まれて直立不動のままうつむいている。
 疲れたのだろうか?
 ふと、想夜の視線が狐姫の足元にいく。
「なに……あれ!?」
 そこに目を向ける。炎の泉が作られ、ドロドロとした深紅の水飴がジワリジワリと地面を占領していくのがわかった。

「あ、あれは……マグマ!?」

 狐姫の足元に広がる炎の水飴は、紛れもないマグマだまりだった。
 敵に囲まれて身動きができないのではない。むしろその逆――狐姫を中心として、暴魔たちの足がマグマに捕られて身動きがとれないのだ。

「マグマの中では俺が法律――」

 普段の狐姫ではない、天真爛漫さのカケラもない、無邪気な少女のそれとは違った大人びた冷静さ。よほど戦いに明け暮れてるのか、慣れた様子。蒸発してゆく暴魔たちを道端に落ちているクソのように見下げていた。

「ふん、俺のマグマで溺死しろ」

 溶けてゆく暴魔――燃え上がり、足元からジワジワと溶けて消えゆく暴魔たち。
 想夜にはそれが気の毒に思えてくる。

 狐姫から距離をおいて後ずさる人型の暴魔が想夜の目に止まった。
「……ん?」
 狐姫がゆっくり歩み寄ると、人型が叫び声をあげた。
「ま、待て!」
 想夜がビックリして飛び上がった。
「うわ、喋った! 暴魔が喋った! はじめて見た!」

「あちっ、あちっ……!」
 飛び火を受けた人型。全身火ダルマ状態で悲鳴をあげ、懸命に炎を振り払っている暴魔の男。

 それを目にした想夜が「すごーい」と一種の感動に包まれた。
 そう、何かをはじめて見たときの感動。めずらしいものでも見るかように想夜は凝視し、ついでに人型の炎をパンパン叩いて消しちゃったりして。

 けれども、その感動も慣れてくると大したことはない。
「オアチッ、アチッ」
「もー、動かないでよー。火ぃ消せないでしょ!」
「なに手伝ってんだよ、おまえ」
 鎮火する想夜を見ながら狐姫が呆れている。
「えー、だって……条件反射、的な?」
「的な? じゃねーよ。条件反射で敵のダメージ軽減かよ。笑わせるぜ」

 人型暴魔を包んでいた炎が消える頃、狐姫が冷たい目で男を見下ろす。

 鎮火された男が叫ぶ。
「待ってくれ!」
「『待ってください狐姫ちゃんサマ』――ん!」
 そう言えっ、とアゴで促す狐姫ちゃんサマ。
「待ってください狐姫ちゃんサマ!」
「……ホントに言いやがった」
 ちょっぴり引いた。狐姫は呆けているものの、まんざらでもなさそう。腕を組んで仁王立ち、男を見下げる。

 ――さて、目の前の敵をどうしてくれよう?

 狐姫がそう思ったとき、先に口を開いたのは男だった。
「俺はシュベスタからの依頼で吸集の儀式を撤去するために来ただけだ!」
 彼も人並みの思考がある魔族の一人だった。人の言葉を話し、人の生活に溶け込んでいたらしい。
 少しでも狐姫から距離をとるように後ずさり、命乞いをしてくる。

 事情を聞く限りだと、男の役目は壁に描かれた陣を跡形なく砕いて効力を無くすこと。そのために雇われただけの日雇い労働者だった。
 愛宮叶子とも関係がなく、スカウトマンでもないようだ。
 野暮用で儀式破壊に大幅な遅れが生じ、それを追ってきた想夜たちと鉢合わせ。バッドタイミング。つまり今回の騒動に巻き込まれた側。おまけに儀式に使用した部屋の壁は崩れて入れない、ときたもんだ。悪いことって重なるよね。

 暴魔の男が興味深いことを言った。
「仕事が終わればシュベスタから金を受け取れる」
 その言葉に対して御殿がと忠告する。
「それはどうかしらね」
「え?」
 男は呆けた。

 他の2人とは違って冷たい目の御殿。それだけ魔族に嫌悪感を抱いているのだ。

「吸集の儀式を破壊した後、あなたは他の魔族と一緒にわたし達に殺される――シュベスタの計算内でしょ?」
 ”つまらない男と寝てしまった女”のように、御殿はつまらなさそうに目を背けた。
 男は視線を落とし、キョロキョロとしはじめた。思考が混乱しているのだ。
「――ってことは……オレはシュベスタの、人間の捨て駒にされたってことか?」
「違って?」
「う……ぐ」
 御殿の問いに男は反論できなかった。

 そこへ容赦なく御殿が吐き捨てにかかる。
「魔族相手にフェアな取引なんかするわけないでしょう? 魔族はいつでも裏切る準備をしているのだから」
「俺は仕事をキッチリこなす!」
 暴魔の男、こんどは御殿の言葉を押しのけた。金を受け取る以上、仕事には誠意を持って打ち込む。それが心経らしい。

 けれど、御殿が負けじと男に食ってかかる。

「あなたは他の悪魔と違う? どうかしら? 人間はそうは思ってない。悪魔など信用していない」
 御殿の言葉がトドメだった。
「わたしはあなたを……信用したりしない」
 男が押し黙る。
「どのみち生かしておけば何かをしでかすのでしょう? なら、ここで眠らせてあげる――」

 御殿は冷徹な眼差しを作り、銃口を男の額に押し付けた。
 すかさずトリガーに指をかける。
「やめてくr! やめてくだ、さい、狐、姫ちゃん……サ、ま!」
 噛みまくり、うまく言葉を伝えられないでいる。命乞いのピークというやつか。名前も間違えている。あまりの気持ちよさから、ベッドの上で別の男の名前を叫んでしまう尻軽女のよう。
 うんざり顔の御殿。
「狐姫はあっち。わたしはあなたには名乗らない」

 魔族に名乗る名前などない。御殿の怒り心頭を前に、たぶん無駄に終わる命乞いなんだろうな……と想夜は思っていた。

 シュベスタの捨て駒。
 利用され、捨てられる魔族の男。
 ――可愛そうという上から目線を持った自分は、酷く傲慢な奴だと気づかされる。
 それでいて、自分は恵まれた場所にいるのだと気づかされる。
 もしも自分が目の前の男の立場だったら、と思いを馳せてしまう。
 用済みだと言われてゴミと一緒に捨てられる苦痛。そうやって想夜は答えを出すのだ。
(そんな扱いされたら、悲しくて、きっと泣いちゃうんだろうな、あたし――)
 と。

 男が銃の餌食となる。
 けれど予想は覆された。

「……ちぇっ……しょーがねーな……」
 御殿の手前に狐姫が割り込んできたのだ。不機嫌、眠たそうな表情で頭をかきながら近づいてくる。この状況に対して心にわだかまりがあるようだ。
「邪魔をしないで、狐姫」
 御殿の口調はイラついていた。
「狐姫ちゃん、許してあげるの?」
 腫れ物に触れるかのように、小さな声で想夜が問う。
「うるせ。黙ってろ」
 狐姫は照れながら鼻頭を指でかき、「早くどっかいけよ」と男に声を投げては、つまらなそうに足元の小石を力なく蹴った。

 すまし顔の御殿が、軽蔑するような横目で一部始終を見ていた。

 いつになく鋭くて不満そうな御殿の視線――狐姫の行動に納得していないようだが、想夜にはその心の奥までは読めないでいた。

「あ、ありがてえ! 恩に着る!」
 男は躊躇せずに逃げていった。


 男が去った後のこと。
「……甘いのね」
「うっせ」
「ゴキブリを1匹逃がしたらどうなるか、アナタにだって分かるでしょう?」
「わーってるよ!」
 御殿と狐姫のやり取りがギクシャクしてる。
 こんなこともあるんだなと想夜は少々驚いた。

 許す道を選ぶ狐姫。
 許さない道を選び、許す者すら許さないでいる御殿。

 想夜には分かる。気持ちは感染するということ――狐姫の波長が御殿に浸透してゆくこと。御殿の刺々しい感情が、ゆったりとした波へ変わってゆくこと。そのことに御殿が気づいていないということも。
 そうやって気持ちは波長を打って、世界中に浸透してゆくのだ。嬉しいことも。悲しいことも。

 想夜に見られていたのがシャクに触ったのだろう、ケモ耳まで真っ赤にした狐姫が叫ぶ。
「いつまで見てんだよリボン、早く飛べ!!」
 それが合図だった。
「え、あ、うん!」
 我に返った想夜は地面を蹴り上げ、羽を広げた。
 細い通路へ頭から飛び込み、操縦の上手い紙飛行機のように、無数の暴魔の頭上をスゥ~っと、滑るようにして奥へ奥へと進んでいく妖精。

 その背後から御殿の援護射撃。
 通路の左右隅から中央までを舐めるように、2本のレーザービームが互いの距離を縮めてゆく。暴魔のシルエットがレーザーポインターにヒットするタイミングでトリガーをリズミカル、かつ素早く引きまくる。一直線に進んでいった想夜の軌道以外をボニーとクライドは綺麗に片付けてくれた。
「わたし達も急ぎましょう」
「ああ!」
 御殿が走りだし、狐姫も全速力で後に続く。
 暴魔の群れを蹴散らし、3人は進んでいく。
 叶子のもとへ――。


 暗く細い通路を抜けて間もないころ、3人は突き当たりの階段に差し掛かった。

 想夜は羽の力を抜いて地面に着地した。
 御殿と狐姫も後から追いつく。
「叶子と華生はこの先にいるのか?」
 地下へと続く階段を睨みつける狐姫。奥から異様な殺気があふれ出してくる。

 3人が互いの顔を見合わせてうなずいた。

「行こう……」
 静かにつぶやき、地下へと降りていく。


 階段を下りると、どこまでも空洞が広がっていた。
 上の階とは違い、ただ地面をえぐっただけの雑な造りをしており、黒い鍾乳洞のような雰囲気も伺わせる。
 そこだけ電気が通っていないらしく、視界の悪さが想夜たちの行く手を阻んだ。
 レーザーサイトに実装されたライト、それに崩れた天井から差し込むほんの少しの月明かりだけが頼みの綱だ。

 御殿はライトを照らしながら、ゆっくりと前進する。
「想夜、さっき何か言いかけていたようだけど――」
 ほわいとはうすの暗いリビング。御殿は窓から身を乗り出して飛んでゆく前の出来事を聞いてみた。

 想夜はゆっくり振り返り、寂しそうに微笑んで見せた。

「あたし、分かったんです。きっと叶ちゃんと華生さんは――」
 想夜の言葉を聞いた御殿は、胸の奥が締め付けられる痛みに襲われた。
 3人は足元に気を配りながら、空洞の終点を目指した。


月下のハイヤースペクター


 御殿が照らすライトの明かりに従い、暗く狭い通路を突き進んでゆくと、ひときわ広い空洞にたどり着く。

 天井にひときわ大きな吸集の儀式――最後の陣はここにあった。
 砕けた天井の一部が地上まで貫き、月明かりを届けてくれる。

 高く詰まれたガレキを見上げると、てっぺんに何者かが背を向けて立っている。
 立ち尽くす背中。月を見ているようだ。

 それに向かって想夜が声をかけた。
「叶ちゃん……?」
 声が届いたのだろう、目の前の人物は電池の切れ掛かった人形のようにゆっくりと振り向き、顔を見せた。

 ヘアバンドから流れる長い髪、あどけなさが残る大人びたクールな顔つき。
 そこにいるのは間違いなく叶子だった。

「叶ちゃん!」
 歩み寄ろうとする想夜に向かって叶子が振り向いた。
「おどろいた……まさか、ここまで着いてくる人だったなんて」
 そう呟いてから前言撤回、首を横に振ってつまらなそうに瞳をそらす。

「――いえ……人ではなく妖精、だったわね。想夜」

 はんぶん生気の抜けた目をギラリと光らせブレイドを一振り。刃が触れたわけでもないのに想夜の頬に一筋の赤い線が滲んだ。
「か、叶ちゃん……?」
 そうされて、初めて歩みを止める。

 深紅に染まる叶子の瞳――戦争を欲しがるような、とても好戦的な瞳。もはや人ではない、まぎれもなくハイヤースペックの宿主、ハイヤースペクターだ。

「叶ちゃん、どうして……」
 胸が張り裂けんばかりに痛い。痛みの理由は、いっぱいある。
 友達を殺してしまうかもしれないから?
 友達だと思ってたのに、叶子はそう思ってくれてなかったから?

 ――どちらも違う。

 ずっと近くにいたのに、その胸の痛みを少しもわかってあげられなかった――情けなさが作る心の痛み。想夜の中にはそれがあった。

「叶ちゃん、痛みに気づいてあげられなくて……ごめんね――」
 あたしはどんだけアホなんだろう、想夜の中は罪悪感でいっぱいだ。もっと早くに他者の痛みに気づいていれば余計な涙は流れなかったのに。その思い、止むことはなく――。

 叶子はブレイドをゆっくり下ろし、天井から降る月光を見つめた。
 その直後、すぐに月は雲に隠れてしまう。まるでスペクターにおびえているかのよう。

 お月様のかくれんぼ。

 月明かりが無くなるころ、叶子が口を開いた。

「淘汰について、話をしてあげる」

 「話してもいい?」と許可を聞いているのではない、一方的に話を進めているのだ。それを前に叶子以外の3人は黙った。
「――と、その前に……ずっと昔、まだ私が幼い頃の話――」
 叶子は両手のブレイドをおろし、見えない月を見上げた。
「幼い私は、愛宮の研究所を廻る祖父の後をよく着いていったわ――」

 鈴道は孫の叶子を可愛がってくれた。幼き日の良き思い出に浸っているのだろう、叶子はかすかな安堵感を見せた。


幼き日々――


 好奇心旺盛だった叶子は、よく祖父の後ろにくっついていたものだ。そうやって各地に拠点をおくMAMIYA運営施設をまわった。将来のMAMIYAを背負しょって立つ者として、どのような運営が行われておるのかを見ておきたかったのだ。

 薬の研究や医療機器の開発――幼い叶子は未知の世界である労働の場というものは輝かしく思えた。学校の同級生からは得られない知識や教養を目の当たりにできて、ちょっとだけ大人になった気分。
 大きくなったらMAMIYAの技術でたくさんの人達を助けるんだ――叶子の未来予想図はいつも鮮明だった。

 ある日のこと、祖父とともに訪れた元MAMIYA研究所内、すなわちこの場所での出来事だ。

 鈴道は叶子の背丈に合わせてしゃがみこみ、目線を合わせて言った。
『叶子、おじいちゃんはこの人達と大事なお話があるから、ロビーで待っていなさい』
 祖父はそう告げると、何人かの研究員と部屋にこもった。

 しばらくして、大人たちの怒鳴り合いが始まった――。

 普段は温厚だった祖父や研究員が激しく互いを罵る姿に恐怖を覚えた叶子は、ロビーへは戻らず地下の実験施設へと逃げ込んでしまった。

 それが叶子の今後を大きく変えることとなる。

 その日の研究所はいつになく静かで、社員の数も少なかった。
 なぜだろう? いつもは厳重にロックされた地下のシャッターだが、この時だけは開きっぱなしだった。
 シンと静まり返る地下実験施設。
 叶子は恐る恐る奥へと踏み込んでいった。

 無人の通路。
 寿命を迎えるであろう蛍光灯が消えかけて暗闇が広がる。

 ちょっとしたお化け屋敷の中、叶子はひと部屋ひと部屋を覗いては好奇心を満たした。その姿は他の元気な子供と変わりない。
 難しそうな機材を見ては瞳を輝かせるが、ベッド横のステンレスに並べられた用途不明の器具や注射器は威圧感からか叶子の不安をあおった。

 頃合を見て祖父のところに戻ろうとすると、通路の奥から誰かの声が聞こえてくる。

『――か』

 いや、声ではない。鼓膜に響くというより、脳に直接語りかけてくるようだった。
 つき当たり手前の部屋から聞こえてくる荒々しい呼吸。逃げたい気持ちもあったけど、叶子は吸い込まれるようにいざなわれた。

『……誰か、いるの?』
 暗い部屋を覗き込むとベッドに誰かが横たわっている。
 叶子は目の前の光景を疑った。

 ベッドの少女が無数の管につながれている。
 その姿はまるで、スパゲッティで絡めとられているみたいに少女の体を拘束していた。
 脳波を取るためなのか、頭や額も同じような状態だった。
 どう見ても治療を受けているようには見えなかった。

 医療で用いられるスパゲッティという言葉を耳にしたことがあったが、目の前の光景がそれに当てはまるのか、幼い叶子には理解できない。
 わかっていることがあるとすれば、少女の細い腕には無数の注射跡が残っており、シーツにはおびただしい血痕。まるで拷問でも受けたかのような光景。もはや虫の息――それらが叶子にはとても痛々しく見えた、それだけだ。

 目にする異様な光景。
 叶子は少女を凝視するしかできない。思考が止まると視線も鈍くなる。
 ベッドの少女に対して、ここで、いつ、誰が、なにを、どうやって、起こなっていたというのだ?


 研究には犠牲がつきもの――。


 この時はじめて裏社会の末端を見ることになった。それが綺麗ごとでは成り立たない世界というものだ。

 後ずさりしてその場から逃げようとすると、ベッドの少女がゆっくりと瞼を開くではないか。怯える叶子のことを気遣ってるように、とても静かに、そしてゆっくりと開くのである。

 目と目が合う。

 そうして初めて気づくのだ。
 少女の瞳は燃えるような赤。
 そこに恐怖を感じることはなく、むしろ綺麗な深紅色に引き込まれてゆく。
 ヘッドギアから覗かせるミルクティー色の長い髪も、透明感あふれる白い肌もすべてが絵画。
 スパゲッティの少女は絵画に描かれた妖精のよう。
 同性の叶子ですら魅了されてしまうほどに甘美なる存在。

 魅了――いや、違う。
 これは……、なんだろう?
 叶子はいままで味わったことのない感情に出逢う。
 いとおしさ。
 相手を想う感情。
 相手を求める感情。


 『私たちは出逢うべくして出逢った――』


 そうして恋を知った。
 胸の奥が痛くなるあの感じ。
 痛いけれど心地いい。
 言葉なんかじゃ足りない。
 言葉でも絵でも表現できない感じ。
 一日中、一瞬たりとも頭から離れない感じ。
 その人を想うだけで、世界が一瞬で楽園に変わる。

 ――そんな感じ。

 叶子は少女に問いかける。
『痛くないの?』
 叶子が少女に顔を近づけると、少女は力なく微笑んで見せた。
 衰弱している状態が子供の叶子でもよくわかった。

 少女の名前は真菓龍華生まかろん けいき――。

『どうして入院してるの?』
 叶子の問いに華生が答える。
『研究してるって、あの人たちがいってたよ。人類のために必要なんだって……この実験でたくさんの人間が助かるんだって言ってた。だから、力になりたい……人間たちの……力になりたいの』

 大人達にうまく言いくるめられた子供の姿がそこにはあった。否、人間に謀られた妖精の姿とでもいえばいいのか。
 叶子は妖精界がどのような状況になっているのかを知らされた。

 人助け……デタラメだ。全ては軍事利用のための口実――職員の一部が起こしたMAMIYAの不祥事だった。

 ある日、警告のためにやってきた華生をMAMIYAは口車にのせて拘束し、所持していたデータと華生という妖精の肉体を同時に入手した。

 ”ある研究員ら”が、これらを基に人工兵器を作り出すプロジェクトを提案した。
 これが『妖精実験』の始まりである――後日、叶子はそれを知る。

 妖精実験に関った研究員は後日、解雇処分となった。MAMIYAをおわれた者の一部はシュベスタに流れた。

 悪知恵のはたらく者は解雇となった者に罪を着せ、今もMAMIYAに潜んでいるとの噂だ。

 少女が管を数本を持ち上げて叶子に見せる。
 あの人達、というのはおそらく研究員のことだろう。となると、祖父は華生のことを咎めていたのだ。叶子はそう推測した。
 普段の祖父は社員を叱ったりしない、ましてや社員を罵るといった行為は叶子の記憶では皆無だったから。

 ここは人間界。華生には身寄りもなく、住む家もない。

 叶子は華生が不憫でならなかった。愛おしい故に感情の高鳴りはなおさらだ。
 人間界のためにこの地を訪れ、知らない人間たちに言葉巧みに研究所に拉致され、日々実験の具材とされてしまう。そんなことが許されるのだろうか?
 ――否、許されるわけがない。
 許してはいけないのだ。倫理的な話ではない。
 愛宮の誇りにかけて、許してはいけないのだ。

『みんな貴方のことを騙している。人間のためだなんてウソよ――』
 叶子はそう言い放った。
 少女は一瞬だけ絶望の表情を見せたが、ふたたび元の笑顔になる。叶子には理解できない表情だった。

 なぜ憎むことをしないのだろうか?
 憎悪という感情を持たないのか?
 叶子は疑問に思ったが、真相はそうではなかった。
 少女は謀られたにもかかわらず、『許す』という選択をしたのだ。

 人は生きゆく中で、誰かを憎むことも恨むこともある。けれど、その感情は何かを生み出すだろうか。逆に破壊を繰り返すだけだ。

 叶子と大差ない年齢だというのに、華生は聖母の抱擁という慈悲を持ち合わせていた。
 慈悲を前にした叶子は、聖母マリアを崇拝するように両手を組んでは祈りを捧げる。華生の未来に笑顔があらん事を願って――。

 叶子の頬、自然と涙が伝う――理由はわからないけど、悲しい時にあふれるそれとは違う。胸の内から熱く込み上げてくる想い。
 人間とはなんて傲慢な生き物なのだろうと憤怒しながら、それを許せないでいる叶子は、今まで性善説を謳ってきた自分の偽善さに打ちのめされた。

 無知という言葉を知った。
 同時に性悪説をいう言葉を知った。

 人間は生まれながらに悪だからこそ、生きてゆくうえで善へと進化をとげてゆくもの――そう理解した。

 無知な奴は善を我が物顔で語りだす。
 苦しみも知らずして、自分は愛を知っていると自慢する大嘘つきだ――叶子は自分がそのような人間だったと理解した。理解し、己を叱責し、そして己をギュッと抱きしめた。ひとつ苦しみを知ったことで他者の痛みにも近づけたのだ、と知った。

 突如、叶子の目頭が熱くなり、無意識のうちに心に何かが流れ込んできた。
 とても暖かくって、太陽の香りがたっぷり詰まったカシミアの毛布のような感触。それが叶子を包んでゆく。

 叶子は目を閉じ、まどろみの中で華生を味わった。

 優しい香り――。

 それがどんな成分なのか?
 科学的に解明するのは容易いかもしれないが、それが全てではない。だって嗅覚だけでは得られない鼓動がそこにあったから。

 そこはかとない、誰かとつながる感覚――ほんの一瞬のコンタクトだった。寄り添うもの同士、心の理解に時間はいらなかった。その接続はどんなスーパーコンピュータよりも早くて正確だ。

 その時、叶子は無意識に華生の存在を確信した。純粋な澄み切った心の持ち主、心の底から本物の妖精なのだ――と。

 無意識へのコンタクトが意識へうつり、認識に変わり、やがて妖精の存在を受け入れる。

 けれどハイヤースペックを使う術までには至らなかった。子供は力の脅威までをも認識できていないからだ。
 認識できないものは存在しないのだから、力の使い方が分からない。
 金で人を殺せることすら知らない。

 同時に、善悪すべてを柔らかい羽毛で包み込むことを『慈悲』と認識した。
 まだ幼かった叶子には、この単語変換までが限界だった。

 地球を羽毛で包み込む――。
 すべてを羽毛で包み込む――。

 なんという偉大さなのだろう。華生が世界に目を向ける視点はそれほどまでに広いのだ。

 叶子は少女からスパゲッティをむしり取る。それらは鉄枷のように少女を縛っているように思えたが、お構いなしに引きちぎった。
 と、その時だ。

『叶子――』

 叶子の肩に大きな手が置かれた。
 叶子は恐る恐る振り返っては、相手の顔を見てホッとする。

『おじいさま』

 祖父は華生の腕に刺さった点滴注射をそっと抜き、ヘッドギアを外した。
 同時にピーという電子音と一直線の脳波計に変る。その光景は華生が受けた数々の痛みを丸ごとリセットしてくれたみたいで、やり直すチャンスが与えられたみたいで、叶子はそれが嬉しかった。

 やはりおじいさまはスーパーヒーローだ――その言葉、その胸で、色あせることなく。誇りと成りて芽吹いてゆく。

 衰弱して立つことすらままならない華生を鈴道は抱きかかえ、叶子を連れて足早に去る。
 手を引かれる叶子は、停車中の車で祖父と一緒に研究所を後にした。

『怖くないよ。これあげる。お守りの代わり――』

 そう言って、お気に入りのヘアバンドをはずして華生に。その乱れた髪を綺麗に整えた。
『ここなら安心だから。お屋敷についたらケーキを作ってもらおう? そして――』


そして……そこで一緒に暮らそう――。



 羽ばたくのだ、この牢獄から抜け出すために――。

 遠のいてゆく元MAMIYA研究所を背に、叶子は意を決する。『邪魔な火の粉を振り払い、大切なものを守り抜くためには、戦うことも必要なのだ』と。

 昔のMAMIYAが華生に与えた仕打ちを帳消しにするつもりはない。罪滅ぼしの意味も兼ねていたが、叶子は華生と一緒にいたかった。
 屋敷のベッドに華生を寝かせ、「元気になりますように」と手を握っては離す。
 刹那、ふと恋しさが叶子を襲う。そして再び、こみ上げる自分の気持ちを受け入れた――。


フェアリーテイルと魔人の夢


 地球を柔らかい羽毛で包み込みたかった。
 けれどできなかった。
 力不足だから。
 心不足だから。

「華生を愛している……まだ子供だったけど、そう理解したわ。女の子同士なのにおかしいでしょ?」
 と力ない笑みを浮かべた。

 叶子は女の子と結ばれたいと願うことに苦悩した。生物学的に間違っていると苦悩した。
 それと同時に人間である自分を憎んでいる――とも告げた。

 叶子のなかでは既に、『人間=罪人』という公式が構築されていたのだ。

 慈悲を追いかけたはずだったのに、その尻尾に触れることすらできぬまま、叶子は人間の闇社会を目の当たりにし続けた。
 それがMAMIYAに生まれし宿命だというのなら、全身の血をぶちまけてでも入れ替えるべきなのだ。頭の隅にはその考えがある。

 全身の血肉を抜き取り、華生の血を流し込んだらきっと気持ちがいいだろう。そうやって浄化されてゆきたい――叶子はそれを望んでいた。

「ある日、体の異変に気づいた――女の子である私に男のそれが芽生えた時、不思議と取り乱さなかった……むしろ嬉しかったわ。だって華生と1つになれるのだから――」

 妖精の異能は性別を凌駕する――それ即ち、血を入れ替えることもなく、愛すべき人と一つになれるということ。

 叶子は華生を抱きしめた――姫を守るナイトになりたかった。華生の頬に手を添え、瞳は唇を欲するように潤んでいる。

 いっぽう華生は、先の戦闘で力を使いきったのであろう、魂が抜けたように目もうつろ。立っているのも限界だった。

 力尽きてゆく華生をここまで運んできたのは叶子だ。
 グッタリしている華生の体を、叶子の片腕は頑なに離さない。大切なお人形さんを取り上げられないよう、必死でかかえこんでいる子供にも見えた。


 数分前、こんなことがあった――

 『叶子様、あのバランサーに委ねましょう。わたくにはわかります、想夜様はきっと味方になってくれます』

 一度は叶子を止めようと試みた華生だったが、説得に応じない叶子はもはや冷静さが欠落した暴走機関車だった。
 『華生は何も心配しなくていいのよ』と、うつろな目をして耳を傾けなかった。

「――華生から妖精界のことをたくさん聞いたわ。ハイヤースペックに目覚めたのは、ちょうどその頃。最初は廃屋のコンクリートを切ったりして切れ味を試していたのだけど、だんだんコツが掴めてきた。でも、この力は強力すぎるうえに制御が不安定。MAMIYAでの妖精実験当初、華生の持ち出したデータを参考にして人間すらも実験の道具にする予定だったみたいだけれど、おじいさまはこのやり方を強く却下した」

 不安定な力だから、という理由だけではない。愛宮鈴道は人道をわきまえていた。
『妖精実験をするなら、それでよし。大いに結構――だが、当の妖精たちの気持ちはどうだろうか?』
 それが鈴道の発した言葉だ。

 鈴道の言葉通り、華生は心の底から納得していたのだろうか?
 ――否、それはない。
 鈴道にはそれがわかっていた。

 妖精を謀り、誘拐し、戦争で使用するための兵器としてデータをつくり、実験の伝手つてとして、これを人間に施すという非道さを鈴道は忌み嫌った。
 そうして強行的プロジェクトに異議をとなえ、後日、これらの実験を完全に凍結。

 臨床者の妖精が涙を流すということ――たとえ神が許したとしても、愛宮鈴道が許さない。彼は頭首として、断固信念を貫いた。
 鈴道は頭首しかり、みごと軍事産業への流出を阻止したのである。

 技術と教養と人柄と――それが愛宮一族の埃である。
 数年後。鈴道は叶子を庇い、消された。

 想夜は叶子に訴えた。
「で、でも、犯人がワイズナーを持っていたからといってフェアリーフォースが犯人と決まったわけじゃ――」

 つくづく要領の悪い子ね――ウンザリ顔の叶子がかったるそうに口を開いた。
「おじいさまの横にフェアリーフォースのバッジが落ちているのを見つけた」
「フェアリーフォースのバッ……!?」
 叶子は想夜の言葉をさえぎり、取り出したバッジを指で弾いて渡す。
 想夜は不器用に両手でキャッチしたコイン大のバッジを確認する。

(たしかに、本物のバッジだ。それも上層部が身に着けているもの……)
 バイトの想夜はバッジすら渡されない。

「たしかに想夜と同じ形状の武器を持っていた。でも顔までは確認できなかった。その後、アンダーグラウンドと手を引いていた社員や魔族に片っ端から当たってみたけれど……収穫はなかった」

 ワイズナーを所有しているエーテルバランサーはごまんといる。上層部だって1人や2人じゃない。絞り込むのは不可能だ。
 御殿の目が鋭く光った。
(さすが愛宮叶子、察しがいい)
 アングラ側に金を積めば、誰かが掃除をしてくれる。自らの手を汚す必要もなくターゲットを消すことが出来る。殺る側、殺られる側、そんな輩はごまんといる。しかも金を積む側は一般人として悠々自適に生活を送っている。

 鈴道を殺した犯人はアングラを経由している、叶子の推理は決して間違いではないと御殿は思う。

 だが黒幕を退治した後、叶子はどうするのだろう? ――御殿は先ほど、想夜からその答えを聞いている。


「ある夜のこと、研究所跡で2人のアングラ住人を見たわ――」

 ――叶子の言葉を聞き、御殿と狐姫が目を細めて光らせた。いぶかしげな表情。

「吸集の儀式がどういうものなのか、それは調べ終わっていた。あの日の夜、暴魔を追って研究所に来たまではいいけれど、肝心の華生はいなかった」
 儀式の場所は前もって『あの人』から伝えられていたので容易にたどり着けたようだ。もっとも、誘導されたといってもいいかもしれない。

 疑問に思ったのは御殿と狐姫の存在だ。叶子にとって2人はイレギュラー、計算外だった。

「あなた達の正体が分からない以上、軽く炙ってみるのもアリかと思って――」
「それで……俺たちをミンチにしようとしたのか?」
 揺さぶりをかければ次の行動に出ると叶子は見越していた。
 ゴクリ。狐姫が唾を飲む。ご令嬢の本気を前にして緊迫感に煽られている。

 叶子の中ではアングラに身をおく御殿と狐姫も、祖父殺害の容疑者に入っていた。人間がフェアリーフォースを手引きしている可能性も考慮している。
 そうやってジワリジワリと逃げ場を潰し、敵を追い詰めてゆくのだ。

 まったく持って抜かりないお嬢様である。華生誘拐の一件もあって、神経質かつ疑り深くなっている――と御殿は一種の恐怖を覚えた。

「妖精は暴魔が苦手というとも知っていた。だから、学園にバランサーがいることと嗅ぎつけた魔族が奇襲をかけてきたのは都合がいいと思ったわ。バランサーが消えれば私の行動に規制がなくなる、動きやすくなる。能力を没収されるのはゴメンだわ……今、力を失うわけにはいかないもの」
 想夜が学校で奇襲を受けた事、あと一歩のところで想夜は命を落としていた事、それらを叶子は知っていた。

 想夜の命の揺らぎに向けて、それをさらりと言ってのけるくらいに、叶子の淘汰に対する決意は固いということなのだ。

 冷徹な叶子の瞳を前に、想夜は青ざめた。

「MAMIYAに仇名す者をシラミ潰しにすれば、そのうち私の存在を嗅ぎつけてくるでしょう。その時に犯人を炙り出して……おじいさまの無念を晴らす!」
 叶子はネイキッドブレイドを舐めるように見つめ、凛々しく振りかぶっては下ろす!

 風圧により、カッターで切られた紙のようにコンクリートにピシッと亀裂が入る。

「叶ちゃん……!」
 悲痛の叫びをあげる想夜に叶子が言った。
「エーテルバランサーも例外ではない。この力を取り上げられるくらいなら……」
 矛先を向け、それを乱暴に振り下ろす!
「雪車町想夜、あなたもブレイドの錆びにする!」
「叶ちゃん……」
 二度目の友を呼ぶ声には力がなかった。想夜の頬を涙が伝う。頬の傷に届く頃、血と混ざり合い、赤い涙となってポトリと落ちる。

 能力を切り離す責任、それと友達を壊したくないという任務逸脱――衝突する2つの感情に、想夜の身は引き裂かれそうだった。

「ずっとね、疑問に思ってたことがあるの……」
 と叶子は寂しげな表情をみせる。
「研究所で行われていた実験を目の当たりにした時、私は世間に妖精実験を公表しようとしたわ。でもできなかった。祖父も同意だった。理由は2つ、妖精であるあの子を世間に晒してしまうことになる、当然、野次馬が群れを成してやってくるでしょう」
 華生を見世物にする気はない。そんな思いが伝わってくる。

「――それだけではないわ。人は力を試したがるから、力を試すと支配したくなる生き物だから。人間はこぞってハイヤースペックを欲しがるでしょうね――それが痛いくらいにわかってしまう私は、やはり愛宮の人間なのね……」

 支配するもの、されるもの――MAMIYAは前者だ。

 叶子もまた、『力が持つ危険な魅力』を知る一人だった。
 この世がスペクターであふれてしまえば、もはや戦争は回避不可能である。だから誰にも言えなかったのだ。公表すれば、その能力を利用せんがために人が群がってくる。そんな理由から、叶子はハイヤースペックの被害を減らすため、妖精界側に強力を求めようと考えた。
 しかし、その妖精界ですらも華生の存在を消しにかかっている事実を本人から聞かされ、心底、絶望を抱かずにはいられなかったのである。

「人間界にも妖精界にも居場所がない……。居場所がない者の痛さがわかって? 悔しいけれど、居場所がある私に華生の痛みは分からなかった。恵まれている私には分からなかったの……だから心を共有した。華生だから……共有したかったの」

 慈悲深き愛しき者よ、あなたは一人じゃない――華生の手は私が握る。
 『嗚呼、なんという冷たい手なんだろう。凍える手を私が温めよう。たとえ世界を敵にまわしても』――それが決意。それが覚悟。そうして叶子のハイヤーセルフは華生のハイヤースペックを認証したのだ。

 叶子の選択は賢明だ。同じ状況下、誰しもそうするだろう――その場にいる者たち全員が思った。

 人間は戦うことを覚え、妖精界は華生を消しにかかる。臭いものにフタをしようとしている。
 権力ですべてを捻じ曲げようとしても無駄だ、いずれ矛盾が生じる。そんなことでは両世界の崩壊は免れないのだから。

 叶子の憎しみの矛先は決まっている。侵略のためなら如何なる手段をとろうとも、力を利用しようする人間とそれにつけ込む魔族、そして高みの見物をしながら腹を抱えて笑っているフェアリーフォースだ。

 叶子は華生を神格化している。だからこそ慈悲を持つものを消す行為、それを悪ととらえているのだ。
「私の中は殺意でいっぱい。それでも華生と1つになるたび、華生の気持ちが流れてくる、慈悲という愛のカタチ。そうやって、また自分を取り戻すことができた」

 華生はどんな卑劣な行為にも許しを与える術を持っている。
 憎むべき者を許せないという感情を持つ叶子は己を恥じる。その度に体が痛む――華生の慈悲によって引き裂かれて痛いのだ。


――すごく、すごく、痛いのだ……


 それでも叶子は華生に惹かれてゆく……善悪を包む羽毛になれたら、と思いながら。
 けれども、戦場での慈悲は逃げに値する。
 戦場では戦ってなんぼ。
 戦わないこと、これすなわち敗北。
 敗北が呼び起こすもの、それはこの世の地獄。下衆に甘い言葉をかけた瞬間、背中を刺されるのがこの世界の仕組み。

 叶子は前に進むしかない。斬って、斬って、斬り進むしか道はない。

 斬りながら、戦いながら、それでも優しい気持ちに触れていたい。
 ――そう思うのは、叶子がまだ人間だからか?

 兵器に成り果てても、聖母マリアは叶子が人の子であると諭してくれるというのか?
 叶子の胸の痛みを、
 華生の胸の痛みを、
 血の涙を以ってしてまで、代弁しれくれるというのか?

 聖母が代弁したところで、何かが変わるのか?

 ――涙を流したところで何も変わりはしない。

 変えられるのは前進のみ――誰もが本能で理解していること。
 今の叶子にとって、涙の代弁者は必要ない。

 ネイキッドブレイドの柄に込める握力だけが、叶子の激しい叫びの代役を演じてくれるのだから。

「慈悲とは残酷なものだわ。そんなものがあるから甘い蜜の味を覚えてしまう……そんなもの、最初からなければ『手を差し伸べたい』『救いたい』『許したい』などという欲求は微塵も沸かずに諦めもつくものだから。容赦なく後ろから斬れて、楽になれるから。けれども、私は慈悲の存在を無視できずにいる。華生の甘い甘いシロップ思考を求めてしまうの。だってそうでしょう? 華生と同じことをして、私が嬉しく思わないわけがないもの」
 そう言って力ない笑顔を見せた。

 御殿は想夜が要請実行委員会になった理由を思い出す――「誰かに優しくされると嬉しいから、自分も誰かにそうしたい」。
 波長の連鎖。
 温もりの連鎖。
 叶子の考えは将にそれだった。

 それが今の叶子はどうだろう?
 慈悲を拒絶することで苦しんでいる。
 さらなる力を手に入れようとしている。
 そうすることで、愛するものを守ることができると考えているのだ。

 慈悲では人は守れない、人を守れるのは――そう、力だけだ!

 力こそすべて――短絡的な考えが叶子を支配する中、甘いシロップがそれを妨げいていた。不幸中の幸いだ。叶子も本能では密の味が正しいことを知っている。

「きっと、私の中の遺伝子に組み込まれているのでしょうね。慈悲というシロップを欲してしまうの……甘いものは好きよ。特に心は舌よりも甘党なのかもね」
 華生と叶子。
 慈悲と甘党。
 本当は甘いものが欲しかった。でも、強くなければ守りきれない。優しいだけでは守りきれない――叶子が力を選んだ瞬間だった。

 シロップの甘さは、もう限界にきているのか?


 刹那、叶子の中を流れる血液が、まるで地震が起きたかのようにグラリとゆれた。
 己の体にスタンガンの強い電気を流されたような衝撃が走り、それをぐっとこらえる。

 叶子の様子がおかしいことに、叶子以外の全員が気づいていた。

「叶子様……いけない!」
 引きとめようとした華生にかまわず、腰にまわした手に力を入れ、ふたたび手繰り寄せてはナイトを気取って見つめる叶子。華生の震える唇を指でそっとなぞる。

「華生……大丈夫よ、すぐに終わらせてあげるから。そうしたら――」

 華生の深紅の瞳がカッと見開き、上半身が大きく仰け反った。

「そうしたら……一緒に、ゴミを淘汰しましょう。そうしたら2人で……誰もいない世界へ……いきましょう――」

「叶……さ、ま……」
「そこで……一緒に2人で――」
 一瞬の出来事だった。華生の肉体が光る結晶となって叶子の体に吸収されてゆく。

 華生は最後、そっと目を閉じ、皆に何かを伝えたようだった。それが叶子には聞こえない。


そばにいるのに、聞こえない――。


「――私は!」
 私はこう思う、という自己の主張を言葉に込める。その一言は叶子の魂――アイデンティティの塊だ。
 今の叶子にとって他人の思考や立場など、もうどうでもよい。ただ己が信念を貫く――それだけ。

 想夜が後ずさる。
「あれはもう……叶ちゃんじゃない」
 そう言っては首を横に振り、自分を否定する。
「遅い、遅すぎた。あたしエーテルバサンサーなのに……あたし、この街のエーテルバランサーなのに!」
 想夜は叫び、ふたたびび唇を噛んだ。己が愚かさに悔し涙する手前、叶子が叫ぶ。

「華生がいてくれるなら! ハイヤースペックがあるのなら! 華生と2人、この世界を歩み続ける!! この世の果てを目指す!!」

 平常心と自我の崩壊。

 そして……

「私は変える! 見ず知らずの誰かが作ったシステムを! 狂いきったこの世を!! 淘汰の定義を!!!」
 名女優のように両手を振り乱し、大きく天を仰いで舞台を彩った。

「叶ちゃんダメえええええええ!!!」
 いち早くそれに気づいたのは想夜だった。手を伸ばし、前に踏み出して阻止しようとしたが時すでに遅く、場の空気が不規則に乱れ始める!

 ピシッ!

 空洞に金属が裂けるような音が響いた直後、叶子は額を押さえて大きくよろめく。バックリと割れた額から血しぶきをあげ、それを手でおおい、ふらつく体をささえるため、地面に突き刺したブレイドにもたれて踏ん張った。

 ニヤリ、とニヒルに微笑んで叶子が唸る。

「嗚呼、赤い……紅い……素晴らしいわ。こんなにも……こんなにも私は……力に愛されているのね――」

 「ふふ……」力に甘美を覚え、うっとりした表情。額に添える手をどけて、想夜たちにその顔を見せた。

「叶子!?」
 叶子の変わり果てた顔半分、それを目にした3人が後ずさった。
「一体、なにが起こってるの!?」
 御殿がたじろぐ。

 叶子のヘアパンドから下、ちょうど額あたりから顔半分が鋼の塊で覆いつくされ、除々に顔の結晶化が進行してゆく――まるで鉄のアメジストに包まれていくような、そんな変貌を遂げ始めた。

 顔の面積半分を鉄仮面のように覆った時、叶子は両手を広げ、隠れたお月様に向かってこう宣言した――

「私は変える! 私は今、淘汰の基準をシフトする!!」

 華生、愛している……言葉を放ったのが、その場での叶子の声を聞いた最後だった。

 叶子の体が一気に鋼の結晶に包まれ、巨大に膨れ上がってゆく!
 空洞だった広場が、鉄の結晶に占領され、叶子は瞬く間に結晶に覆われた魔人へと姿を変えた。
 壁も、床も、天井も……鋼鉄の魔人が邪魔だと判断したものは、ことごとく砕け散っていった。

 狐姫が唖然とする。
「おい、これが……、妖精の力の結末、なのかよ……?」
 はるか頭上に位置する仮面に覆われた叶子の顔を、3人は緊迫した表情で見上げている。


今、叶子のパラダイムシフトが始まる――。


 狐姫はぼかんと口を開け、後にこう呟く。
「あれは……叶子、なのか?」
 と。

 仮面の隙間から覗かせる赤帽子特有の眼色は、血を想像させる。それを不気味に光らせては、たじろぐ3人を睨みつけた。

 起こった事態を受け入れることができない狐姫がもう一度、見上げ、呟いた。
「あれは……人間、なのか?」
 と。


 目の前のそれは、誰が見ても人間と呼べるものではなかった。

 鋼の結晶につつまれ、巨大な魔人と化した叶子。
 幾本も突き出した結晶の刃が禍々しい怒りとなって、想夜の心に突き刺しては責め立てる――「エーテルバランサーのクセに。何もできないクセに」と。

 鉄仮面からは、かつてネイキッドブレイドだったであろう無数の突起物が飛び出している。不規則にならぶ結晶は、もはやハイヤースペックの制御ができないことを証明していた。
 叶子のしなやかに伸びた白い指先の面影はすでになく、鉄の結晶になった両手の先から鋭利な爪を生やし、力まかせに陣が描かれた壁や天井をバキバキと握りつぶしていった。

 突起した耳はブレイドのように長く、妖精の名残がある。が、どのみち人間ではない。
 学園のなか、中央ホール。寂しげに天窓を見上げていた一生徒の原型を留めてなどいなかった。
 かろうじて原型を留めているのは、いつも分身のように身に着けていたヘアバンドくらいのものである。叶子の大切なものだった。

 ……けれど、もう、そこに叶子はいないのだ。

 巨体が地を揺らすと同時に3人はその場でよろめいた。立っているのもやっとだ。
 揺れが止んでも想夜の肩は震えていた。震えながらある単語を呟いた。

「フェアリーテイル……」

「フェアリーテイル? なんだそれは?」
 狐姫が眉間にシワをよせて聞き返す。
「能力の使用条件に反すると、ハイヤーデバイスの許可が削除されて能力が強制的に使えなくなるの。熱暴走って言われてる。それでも不正使用し続けると、能力に誤作動を引き起こす!!」

 狐姫がすかさず想夜に噛み付いてきた。
「は? フザケンナよな! 誤作動起こすとあんな化け物になるのか!?」
「化け物じゃないよ! 叶ちゃんだよ! 華生さんだよ!」
「化け物だろ! あんなの……もう……もう、叶子じゃねえじゃねーか!」
 哀れんでは魔人に目を向ける狐姫。
「おい叶子、聞いてくれ。これ、これなんの……バツゲームだよ――」
 戦闘中、めずらしく狐姫が取り乱していたが、次第に大人しくなっていった。

 見るに耐えられない姿――狐姫は叶子のことが不憫で仕方なかった。

 瞳いっぱいに涙をため、それを乱暴に拭う狐姫。諦め混じりで、否応いやおうにも理解する――もう、パンをくれた叶子はいないのだ、笑顔を向けてくれた叶子はいないのだ、と。認めたくないが目の前の現実を突きつけられたからには、受け入れるしかなかった。

「叶子と華生、一体どうなっちまうんだよ……」
 狐姫はふて腐れていた。怒りの矛先がわからず、事情に詳しい想夜に向けることしかできない。そんな自分にムカつきを覚え、いっそう腹を立たせた。
 フェアリーフォースの想夜は情報通なゆえ、損な役回りを引き受けなければいけない。
「スペクターによって誤作動は違うけど、わかっていることは……」
 想夜は一瞬口を噤んだが、腹の底から声を振りしぼった。
「スペクターと妖精の、精神の崩壊。または……魂の崩壊」
「魂の崩壊? どういう意味だよ!?」
「存在そのものが跡形もなく消えてゆく。肉体も、魂も……どこにも、あの2人を迎え入れてくれる世界はない」

 ハイヤーセルフにも戻れず、やがて2人は消えてなくなる。
 はじめから存在していなかったかのように――。

「この世にもあの世にも、居場所がないってことか?」
 想夜はゆっくりうなずく。
「……うん、魂そのものがなくなるからね。あの2人の行き先は……完全なる『無』。存在がない者は、どこにもいけない」

 かつてエデンを目指した2人。無駄な争いのない世界を目指した2人には、最初から居場所など用意されていなかった。


 それが『力に愛されし無力な脅威かなこ』が背負いし代償だった――。


 肉体が助かったとしても、廃人同然。植物のように、ただ静かに生きてゆくことを余儀なくされる。

 もう聞くに堪えられない。狐姫が身を乗り出し、はるか頭上に位置する、かつては叶子の顔だったであろう仮面の向こうに叫ぶ。
「おい叶子! 聞こえてんだろ!? こっち向けよ尻デカ女!」
 狐姫キャンキャン吠えて大きく手を振る。

 鉄の魔人は不思議そうに狐姫を見つめる。しばらく考える仕草の後、あろうことか鷲掴みにしようと手を伸ばしてくる。握りつぶすつもりでいる。
 思考という概念が著しく欠落しているようだ。あの優秀な叶子の思考が大きく欠落している。
「おい叶……!」
 狐姫は振り下ろされた拳をすり抜けるも、その小さな体は風圧で吹き飛ばされた。
「くそ!」
 毒づき、宙で一回転して地面でバウンドしながら体勢を立て直した。そしてもう一度叫ぶ。
「俺の声が聞こえないのかよ! でっかい耳ついてるクセに!」
 相手は思考の低下した魔人。耳など飾りに等しかった。

 もう……誰の声も届かない――
 友も。
 家族も。
 愛する人の笑顔さえ。
 もう何も見えない。
 もう何も聞こえない――。

 魔人の精神の中、一糸まとわぬ叶子は目をつむり、膝をかかえて横になる。華生と2人して、羽毛に包まれて気持ちよさそうに眠る。
 でも、それすらも理解できないでいる。

 過度な能力、ハイヤースペックの膨張が引き起こすフェアリーテイルの終焉。
 精神圧迫が生み出す破壊衝動、自我の崩壊。
 強力な戦士でさえ、やがては壊れ、無に帰する。
 それがフェアリーテイルの副作用だ。

 突如、巨人が拳を振り上げ、狐姫に向かって一気に下ろす!

 ドオオオオオン!

 立っていられないほどの地響きとともに土煙が舞い上がり、魔人は拳の重さを主張した。
 それを間一髪のところで狐姫が飛んで避ける。
 巻き込まれないよう想夜も横に飛翔、御殿は大きく横へ跳ね、宙で側転して着地――そうやって物陰に身を隠す。

 諦めのつかなかった狐姫がその場に残った。当然、魔人のターゲットとなる。
「をわ、あぶね!」
 檻の中で逃げ惑うモルモット。
 それを捕まえるかのように、魔人は狐姫の体にゆっくりと両手を伸ばす。耳も、尻尾も、両手で包んで握りつぶす勢いで。
 狐姫は魔人の攻撃を体ギリギリのところまで引き寄せ、ふたたび高く跳んで攻撃をかわした。

 魔人は空振った両手を広げ見つめている。手の中に何もない常態を不思議に感じているのか、いないのか。ただ両手をジッと見つめていた。
 この上ない怪力ではあるが、ひどく動きが鈍い。ネイキッドブレイドをうまく使いこなしていた時の俊敏さとはかけ離れた鈍さ。

 物陰から出てきた御殿が2丁の銃を構え、レーザーポインターの赤線がブレて魔人のあちこちをなぞる。だが、どこを狙えばいいのかわからない。

「御殿、殺すなよ! 叶子を取り戻すんだ! 心を取り戻すんだ! できるだろ!?」
 お前ならできるだろ、頼むよ! 哀願の表情を御殿に向けてくる。いざとなったら御殿にすべて任せておけばいい――狐姫は御殿を信頼している。
 でも現実が狐姫にもどかしさを突きつける。
「わかってる、そうしたい、でも……」
 でも、撃ったところで叶子が死ぬか、実弾が弾かれるか、そのどちらかだ。無論、御殿は後者だと分かりきっていた。

 ためらいが照準を狂わせる。右往左往、無駄に飛び交う2本のビームは御殿の心理を分かりやすく表現していた。

 魔人の耳、妖精のように突起した耳元まで飛んでいくと、そこで想夜が訴える。
「叶ちゃん聞こえる!? 聞こえたら答えて!」
 呼びかけ虚しく、うるさいハエを手で払うかのように、魔人は腕をブンブン振り回す。
「うあ!?」

 ドッ。

 手払いの直撃を喰らった想夜は吹き飛ばされ、体が天井に打ち付けられ、そして落下。
 魔人は地に横たわる想夜を見つめ、虫の死骸を摘むよう指で挟んで持ち上げた。目の前までそれを引きよせ、手にした想夜をジッと見つめている。
「想夜!」
 叩かれた時のダメージが大きかったらしく、片足を摘まれた想夜は宙でグッタリとうなだれている。

「クライアントに実弾を向けることになるなんて――」
 御殿が二丁拳銃を構える。右肩あたりに突起した鉄結晶を打ち抜こうとしたが、キンキンキンッ! と金属音が連続しただけで、実弾すらも弾き返されてしまった。
「くっ、やっぱり硬い」
 御殿はマガジンを抜いてリロード、すかさず次の狙撃箇所に切り替えた。垂れ下がる想夜の体を避けながら、細い足を摘んでいる魔人の指先に狙いを定めて連続発砲。

 バン! バン、バン!

 たちまち周囲に火薬の匂いが充満。
 弾丸の回転が空気を揺らし、無数に広がる気圧のコーンを描いて飛んでゆく。途端にあたりが火薬の匂いで充満する。
 数発の威嚇が無意味とわかり、御殿はトリガーを引きまくった。

 ズガガガガガッ!

 トリガーを連射。
 ダメージ無効。
 全弾ムダ弾。
 弾切れ。
 マガジンリロード。

 いっけん無駄とも思えた発砲だが、効果はあった。ボニーとクライドの咆哮と同時に魔人の指先に力がゆるんだのだ。

 魔人の指。その隙間から想夜の体がスルリと抜け落ち、チャンスとばかりに飛んで逃げた。解放された蝶のように、弱々しかったがプチッと潰されずに済む。

 無数の薬莢が飛び交う中、魔人は狙撃者と撃たれた自分の掌を交互に見ている。まるでつまみ食いをする手を母に叩かれた子のように悲しそうな雰囲気を醸し出していた。
 御殿を不思議そうに見つめた後、魔人は拳を高々と振り上げ、垂直に叩き落した。

 ズウウウウウウウゥンンン……

 地面が唸る。まるで直下型巨大地震に襲われたかのように、あたりが揺れた。
 2発目がくる瞬間、御殿はパレオをヒラリとひるがえさせて跳び、新体操選手のように空中でクルリと側転して避ける。逆さまの体勢からホルダーの空泉地星を取り出して刀状まで伸ばす。着地後に魔人の懐へ潜り込み、魔人のコブシ目掛けて突っ込んだ。

「ふん!!!!!!!」

 下から上にえぐるように斬り込む。軽自動車なら前輪を浮かせるほどの馬力はある。けど相手は魔族ではないので、刀に施された術が効かない。斬るというより殴り飛ばす行為に近かった。
 懇親の力を込めて魔人の拳に空泉地星を叩きつけたが、きぃぃぃぃん……と高い音だけが響き、御殿は体ごと弾かれてしまった。
「……ぅ」
 後ろによろめく御殿。あまりの硬さに両手が痺れていた。

 御殿の前に狐姫が割って入り、親指でクイックイッと合図する。
「チッ、もう叶子は何も理解できねーっていうのかよ! 御殿、下がれ!」
 相方の好意に甘え、銃口を構えながらゆっくり後退する御殿。
「狐姫、なにか手はあるの?」
「ない」
「どう出る?」
「パンチ入れる」
「気をつけて、堅いから」
 御殿は狐姫を残し、魔人と距離をとった。

「悪く思うなよな叶子!」
 狐姫は拳を握り締めた。
 ちょうど地に着いていた魔人の拳を踏み台にして肘まで駆け上がり、鋼の鎧から剥き出しの結晶肌に灼熱を含んだ深紅の拳を叩きつけた。

 ゴオオオオオオッ!

 狐姫の一撃はどんなに強靭な肉体を持つ戦士にも容赦がない。殴りつけた魔人の腕が燃え上がり、肩を伝って首まで炎が拡散した。

 魔人はとっさに仮面まで登る炎を反対の手でかき消した――その行為に想夜たちは違和感を覚える。

 狐姫は太い腕にしがみ付き、もう一発お見舞いしてやろうと思っていたものの、策略は失敗に終わる。魔人がまとわり付く狐姫を振り落としにかかったのだ。

「よっと」
 狐姫は投げ落とされるも、御殿と同じく体操選手のように綺麗に着地した。

 先ほどの異変に気づいた御殿が狐姫に問う。
「狐姫、今の動きは――」
「ああ、俺の炎を振り払っていたよな。痛覚があったように見えたんだけど、それって思考があるってことか?」
 そう言って振り向き、横に並ぶ想夜に問う。
「おい想夜、ひょっとして叶子はまだ意識があるんじゃねーのか!?」

 全員が魔人の意外な行動に疑問を抱いていた。顔に炎が移る前に消したように見えたのだ。

「そんなハズは……フェアリーテイルの副作用で、心身ともに感覚という概念はなくなるはず――」
 想夜は、その場で口元に手を添えて名探偵のように考え込む。こんな時は決して迷探偵でない。

(なにかがおかしい。記憶という概念も消滅するはずなのに……)

「……ん? あれは――」
 ふと想夜の目に飛び込んでくるものがある。
 先ほどから気になっていた魔人のヘアバンド。想夜はそれに着目した。

「――フェアリーテイルは自我の崩壊を意味します。魔人化が精神を反映した姿形になっているのだとしたら……あのヘアパンドの存在が気になります」
「ヘアバンドがどうかしたの?」
「あれは叶ちゃんが大切にしていたもの。精神が具現化して残っているのは不自然です!」
 叶子の中、全ての思い出がなくなったのにも関らず、ヘアバンドだけが存在している。確かに不自然だ。
(だってあのヘアバンドは、叶ちゃんの大切な人の――)
 その時、想夜の胸がキュンとした。そうして答えにたどり着いた。

「そうか! 顔の炎を消したのは、ヘアバンドに引火させないためだったんだ!」

 想夜は1つの仮説を立て、そこから対策を練ってみた。題して『大好きなあの娘からもらったこのヘアバンド、返してほしい? ねぇ、そんなに返してほしい? 返して欲しかったら取り戻してみせるんだな! きゃっ何するの! 泥水にベチャ! いじめっ子高笑い、想夜の胸キュンドッキドキ大作戦』である! ――長いタイトルだな。

 想夜が魔人の遥か頭上を指差した。
「御殿センパイ! 狐姫ちゃん! 叶ちゃんから、あのヘアバンドを取り上げて!」
 突拍子もないセリフに、他の2人が眉をひそめた。
「ヘアバンド? あれが弱点? 撃てばいいの?」
「だったら超楽勝だぜ! 跡形もなく燃やしてやるぜええええ」
 狐姫がボキボキと指を鳴らしている。目が充血してヨダレまで垂らしている。さっきから攻撃が効かないのでイラついていた。周囲から見ると、非常にヤバイ人に見える。

 一歩踏み出す御殿と狐姫に想夜がストップをかける。撃つだの燃やすだの、必要以上にいきり立つエクソシストに危険を覚える妖精。
「撃たないで! 燃やさないで!」
「「?」」
 あらやだ。どうしちゃったのかしらこの子? という表情で想夜を見る2人。
 想夜は魔人に警戒しつつ、2人に仮説を説明した。

 簡単な仮説――要は思い出の詰まった場所を刺激すれば、それをキッカケに自我を取り戻すのではなかろうか……という安易な発想。「脳の一部を刺激すれば、その細胞を中心とした記憶になんらかの影響がでる……」かもしれないという理屈。簡単で、単純で、おこちゃま的発想。
 けれど想夜の発想は確信をついている。脳の原理なんて所詮はそんなものである。記憶喪失の患者に対し、ペンキの匂いを嗅がせたら記憶が戻った。実は患者の実家の近所にペンキ屋があり、子供の頃からのなじみの記憶が刺激されてのことだった――という実話もあるくらいだ。

 天才と変態は紙一重。馬鹿も利口もクソをする。ブスも美人も死ねば骨――想夜はどれに当てはまることやら。

「つまり、ヘアバンを突っつけばいいんだな?」
「うん、もし攻撃以外のリアクションが魔人にあれば、叶ちゃんの意思は残っているはずだから」
「何らかのリアクションが無かったら?」
 御殿がクールな顔で問うが、心は波打っていた。叶子と華生が助かるかもしれないという淡い期待を胸に抱いているのだから。
 ためらうも、想夜は涙を堪えた。

「その時は……その時は、あの魔人を撃って下さい。その後、あたしがワイズナーで……すべて終わらせます」

 友にとどめをさす役割を御殿と狐姫に押し付けるわけにはいかない。その役目、己が背負う――想夜はそう決めていた。

 想夜の悲痛を察した御殿がにやりと笑い、ふたたび想夜に問う。望みがあるなら動かなきゃ、だ。
「もしも、自己主張的なリアクションがあったらどうするの?」
 その言葉を聞いた想夜は、過去の叶子との会話を思い出した。

『ほんのわずかでも希みがあるなら、それを捨てるな。なぜならそれは、未来の自分を殺す行為だから――』

 未来はあたし達を笑顔で待っててくれる。両手を広げて待っててくれる――それが叶子から教えられた意思だった。今、想夜達はそれを実行しようとしている。

 想夜はすっくと立ち上がり、巨大な魔人を見据みすえた。
「魔人に反応があった時、その時は……もちろん叶ちゃんと華生さんを助けます!」

 ――以前、おねだりBOXにこんな要請書が入っていた。

『ともだち募集!』
 名のない要請書。

 ――今だから分かる。依頼人は……叶子だ。

 友達が欲しいという内容ではない。助けて欲しいという想夜への依頼。
 叶子からのSOS。

 「さっさと自分から近づけばいいのに」――過去に犯した己の愚言が胸に響いた。

「――あたし、叶ちゃんの心に踏み込むのが怖かった。どのくらいまで近づいたらいいのかわからなくて。距離感が分からなかった。嫌われるのも怖かった……でも叶ちゃん、今は違うよ」
 そうやって、想夜は目の前の壁に凛として立ち向かう!

「今こそ、その心に踏み込む時! あたしは怖くない! たとえ叶ちゃんがあたしのことを嫌いになっても……あたしは叶ちゃんのこと、ずっと好きでいられる自信があるから!」

 妖精も人間も、やられたことをやり返す、してもらったことを繰り返す。
 そして想夜も、御殿から言われたことを実行する。
 今こそ、要請実行委員会の出番だ!

 要請実行委員会は『妖精実行委員会』へと姿を変える。依頼主を取り巻く荒波を引き裂く時がきたのだ!

 想夜はフェアリーフェイスワイズナーの矛先を魔人に向けた。
「『ともだち募集!』――その依頼、妖精実行委員会こと、この雪車町想夜が引き受ける!!」

 確信している。「叶ちゃんはまだ助かる」、と。


 御殿が想夜の脇をすり抜けて前進。指をパチパチ弾いて狐姫に行動範囲を伝える。
「狐姫!」
「おう、マト役は俺にまかせろー!」
 合図を確認した狐姫。魔人の懐に接近、突き出した結晶に手をかけた後、振り子のように体を揺らしてスタスタと鉄棒選手のように巨体を登っていった。
 まとわり付く虫を払うように、魔人は腕や体を振り回す。
「ははは! トロいな叶子、こっちだぜ!!」
 挑発しながら上へ上へと登ってゆく中、まだ叶子の意思が残っているようにと狐姫は願っていた。そうやって魔人の隙を作り続けていった。
「狐姫、上出来――」
 よく出来た相方を褒めながら、御殿は両手の銃で狙いを定めている。頃合を見てトリガーを引きまくり、魔人の額に何発もの弾丸をブチ込んだ。

 チュインチュイン!!

 全弾命中。しかもヘアバンドへの直撃を外している正確さ。弾は全て跳ね返されたが、そんなことは想定内。

「よっと!」
 頭上にたどり着いた狐姫がヘアバンドにぶら下がった。その時だ――。
 魔人が焦りを見せ、バランスを崩して跪いた。
 それだけではない。なんと巨大な両手で顔を庇い出したのだ。
「御殿ぉ、顔面撃ちすぎたんじゃね?」
 しょうがねーヤツだなぁ、と上から狐姫の声。
「いいえ違うわ、よく見て!」
 御殿は魔人を指差した。
「あれは顔を庇っているのではなく――」

 異様な光景だった。大切なものを取られないようにと、魔人がヘアバンドを庇っている。かけがえのないモノを大切に扱うように、守るように。

 狐姫はこれでもかと言わんばかりにヘアバンドにかけた腕に力を入れた。
「魔人に! ヘアバンドは! 似合わねーんだよ! とっとと! よこせよ! カス!!」

 狐姫と魔人がヘアバンドの引っ張り合う!

『これは私の! 大切なものなの! 取り上げないで!!!』
そんな叶子の叫びが聞こえてくる。

 想夜の顔に光がさした。
「ヘアバンドを守ってる! 確かな意思があるんだ!! 叶ちゃんも華生も……まだ助かる!!」
 確信が確証に変わった瞬間だった。

 絶えかねた魔人が3人に目掛けて拳を振り下ろす!
 ――が、想夜は大きく振りかぶったワイズナーで、それを容易く打ち返した。
 スーパーバッター想夜。
 場外へ飛んでいくボールのように、魔人の拳が遠くへ跳ね返ってゆく。まるでトレーラーに撥ねられたかのように、魔人の上体が仰け反り、グラリとよろめいた。
「なんてクソ力だ! たった一振りでデカイ拳をふっ飛ばしやがった!」
 狐姫が歓喜するも、魔人はすぐに体勢を立て直す。

 想夜はワイズナーを二刀流に変形させて、巨体の顔面を往復ビンタをするかのごとく斬りつけた。

 ギュイン、ギュイン、ギュイン!

 金属同士がぶつかり合うような音が響きわたり、激しく火花を散らす!

 想夜の連撃で魔人の顔面が左右に揺れ、巨体もそれにならって左右に傾く。
 そうやって相手の体力を消耗させていった。

 大きな手に捕まりそうになると、想夜はヒラリと羽を広げてかわし、空中でアローモードに切り替えてレーザービームの矢を連射。

 空洞のなか一面、光の矢が飛び交う!

「あぶね! 気をつけろヘタクソ! 矢がケツに刺さったぞ!」
「嘘つきなさい」
 狐姫が地面に着地し、御殿と肩を並べた。
 矢は御殿の頬スレスレを通り抜けたり、狐姫の尻に刺さりそうになったりしたが、すべて魔人の体を打ち抜いていた。

 レーザーの弓矢で砕かれた鎧がネイキッドブレイドのような細かい破片となり、ゲリラ豪雨のように御殿と狐姫に降り注ぐ。

 想夜は一瞬で御殿と狐姫の間に割って入る。ワイズナーをヌンチャクモードに切り替え、自分たちに降り注ぐゲリラ豪雨を全て弾き飛ばした。

 安心もつかの間、ゼェゼェと想夜の息が上がりはじめる。
「体力には自信があるんだけど……そろそろ限界かな」
 想夜はワイズナーのリボンを解き、ブレイドモードに戻してかまえた。
「大丈夫、想夜?」
 御殿が想夜の身を案ずる。
「相手は、フェアリーテイルを発動してます。い、一撃一撃が……重すぎます、ケタ違いの重さです。こっちの身が、持たないです」
 想夜は頭を左右に揺すり、フラつく体に鞭を打った。


 ――片膝をつく妖精を横目で見ながら、御殿は頭の中で作戦を練っていた。

「もっと叶子嬢の体力を削らないとダメみたいね……」
 うつむき、考え、狐姫のほうに目を向けた。
「――次で決めましょう。狐姫、アレ、お願いするわ」
 御殿と狐姫は相槌を交わした。
 その後、狐姫がコブシを掌にバチンと打ち付ける。
「よし叶子、お目覚めの時間だ……悪く思うなよ!」
 狐姫がはるか頭上に位置する鉄仮面を見上げてニヤリと笑う。
「一日一発だ。使うの久々なんだよな~。外したら御殿に跳ね返るかもな~、チラッ」
「冗談やめて。殺す気?」
 これから狐姫が繰り出す攻撃、流れ球だけはカンベンだ。
「俺に殺されるなんて御殿、超オシャレじゃん? 火葬代も浮くし」
 そう言って狐姫は腰を屈め、地面に片手を当てた。
「狐姫ちゃん、なにを――?」
 想夜は隣でしゃがみ込む狐姫を眺めた。

 不可思議な現象はその時に起こる――地面に水が吸収していくのとは全く逆の光景。地面からジワリ、ジワリ、深紅色の液体がにじみ出てきた。

 周囲の気温が一気に上昇する。まるで熱風サウナ地獄にいるようだ。
「なにが……はじまるっていうの!?」
 想夜はあたりを見回した。
 地下に流れる湧き水でも呼んだのかと思ったが、そうではなかった。

 湧き出した深紅の液体がドロドロとした水飴のような粘り気をつくり、狐姫の足元に水溜りを作り始める。
 それを見て想夜は悟ったのだ。
「あれは……水じゃない! あれは――マグマだ!!」
 想夜はさっき見たはずだ。狐姫のまわりの暴魔が溶けてゆく光景――それは、いつもこの作業から始まる。

 狐姫は立ち上がり、真顔を作る。冷静沈着、いつものおどけた表情など微塵もない。ブロンド少女の瞳には赤々と燃えるマグマが映りこんでいた。

「マグマの中では俺が法律――」

 深紅の水飴が狐姫の拳に集束され、絡みつき、滝のようなマグマがボトボトとしたたりを見せた。
 狐姫の拳から落ちる滴り、一滴一滴が高熱を帯びているのが想夜にもよくわかる。

 ジュッ……!
 ジュッ……!

 マグマの雫が地面に落ちるたび、刺激的な蒸発音が響き、大げさに白煙をあげる。
 狐姫はすがるような儚げな表情で魔人を見上げた。
「叶子、華生……そこは寒いだろう? ずっと雨に打たれ続けたら、そりゃ寒いよな? 雨宿りも出来ないまま歩き続けたら、そりゃ寒いよな? 風邪、引いちまうよな。いま俺が暖っためてやるよ。心も。体も――」
 雲に隠れていた月が顔を覗かせた。

 月光――未来の光。希望の光。ゲリラ豪雨に抗う戦士に贈られる応援のうたを以ってして、光はとどけられる。

 狐姫が重々しく拳をあげると、その後を着いて来るように、地面から大量のマグマが引きずり出された。
 狐姫は拳で深紅の水飴をからめ取り、マグマを引きずり出して魔人に突っ込んでいった。

 ――今からそれ・・を、魔人に叩き込む!

「今よ、エーテルバランサー! 紡ぎなさい!!!」
 御殿が叫んだ瞬間、想夜は悟った――『攻撃をつなげろ、意思をつなげろ』ということを。

 意思――叶子を助ける! 華生を助ける! そこに躊躇いはない!

「狐姫ちゃん! あたしの背中を使って!!」
 うながされた狐姫、低空飛行を保つ想夜の背中を踏みつけてワイズナーの上に飛び移り、そこに身をおいた。

 両手で握ったワイズナーに若干の重みを感じるも、想夜は腕に目いっぱいの力を込める。

 狐姫を乗せ、想夜は高く高く飛翔。マグマの高温に耐えながら、魔人の攻撃をヒラリヒラリとかわし、ワイズナーを大きく振りかぶり、狐姫をさらに上空へと打ち上げた!
「狐姫ちゃん…………お願い!!」
「まかせとけ!」
 拳に誘われたマグマが野獣の形となり、狐姫の全身を包み込んだ。

 魔人の面めがけ、マグマをたずさえた紅い狐が魔人へと正面から突っ込んでゆく!

「2人だけで世界を抱え込みやがって……俺のコブシで目ぇ覚ませや、この野郎おおおおおおおおおお!!!!」
 強烈な熱圧を作り上げ、牙をむき出したマグマの狐が魔人に襲い掛かる!
 あたりを火の海に変えながら、狐姫は灼熱の一撃をぶち込んだ!

「喰らえ! DEAD END・FLAME DOWNデッドエンド フレイムダウン!!」

 狐姫がマグマの塊を額に叩き込んだ瞬間、

 ドゴオオオオオオオオオオオン!!!!!

 魔人が灼熱の業火に包み込まれた。
 魔人の額を着火地点とし、仮面に蜘蛛の巣状のヒビが入る――そこから巨体全身が燃え上がり、崩れ落ちてゆくその様は、見るものにとっては儚い花びらのようにも思えた。

 ヘアバンドは燃えてしまった。だが問題ない。また作ってもらえばいいだけのこと――愛しき人に。

 ダメージで折れかけた額の角に片手でぶら下がる狐姫――体力つきた体を振り子のように揺らしている。
「へへ、必殺技を使う時に名前を叫ぶのは……芸人的に、おいしいんだ、ぜ――」
 厨二さながら、やがて腕力も限界に近づき、魔人の角が溶けるのと同時に狐姫も落下してゆく。花びらから落ちる雫のように、静かに、しっとりと。
「狐姫ちゃん!」
 想夜が慌ててワイズナーを放り出し、羽を広げて舞い上がる。落ちてくる狐姫の体を両手でキャッチ、地面に着地後、静かに寝かせた。
「ヒント、この技……一日一発な。あと、それから、この技……一日一発な。ガクッ」
「ふふふ、2回言わなくてもいいよ」
 想夜が子供を諭すように優しく微笑んだ。
 奮闘する妖精の手前、力尽きるまで弱さをみせたくないのだ。見せてしまうと想夜が不安になるということを気づかってのこと。
 口の悪さとは裏腹に、思いやりに溢れている狐姫ちゃんサマなのだ。

 火山噴火時のように、あたりに鉄の塊が降ってくる。それらは地面に落下するたび、熱で溶け、蒸発し、消えてなくなる。

 想夜と御殿が頭上を見上げると、魔人を覆う鉄の結晶が溶け出している。
「そうか! マグマの熱で鉄の結晶が溶け出したんだ!」
 鉱物は熱に弱い。ダイヤモンドも熱にひれ伏す!
 叶子の全身を覆う炎が、彼女を包み隠す鉄の塊を溶かしてゆく。
 狐姫の攻撃が相当効いたのだろう。魔人は跪き、しばらく身動きが取れずにいた。

 頃合を見計らったかのように、御殿がズシリと重いワイズナーを両手で引きずり想夜に近づく。生身の人間には骨董品のように重い。

 重いわねコレ、軽いって言ってたのに。さては想夜、嘘ついたな――いや、想夜には軽いのだ。見掛けによらずの怪力妖精。

「妖精実行ナントカさん、”すべき事”があるんでしょ? はい、コレ――」
 そう言って想夜にワイズナーを手渡した。
「……はい!」
 想夜はコクリと頷くと、ふたたび魔人と向かい合い、空いた左腕を真横に大きく振り払った。

「アロウサル! 想いを紡ぐ!」

 叫んだ瞬間、瞳が深紅に染まる!
 ワイズナーを構えた妖精が光のベールに包まれ、生まれたての透きとおる羽がまばゆい光でコーティングされ、剣のように強靭なものへと変化してゆく――。
 突然の突風、さらに衝撃波。舞い上がる竜巻がハミングを奏でて、あたりの物体に揺さぶりをかける――想夜のハイヤースペックが、己の中に流れるありとあらゆる力を紡いだ瞬間だった。

 御殿が後ろ足で一歩引く。
「学校で奇襲を受けた時の姿ね。あとは……まかせたわよ、エーテルバランサー」
 エクソシストには、もうすべきことはない。御殿は座り込み、飛んでくるガレキから狐姫を守ろうと、力尽きた相方を抱きしめて覆いかぶさった。その背中に熱を帯びた無数の破片が落ちてくるのに耐えながら、妖精実行委員会に望みを託すのだ。

 6枚羽の想夜が凛とした姿勢で立ち、巨人を天高く見据えた。
「あたし、もう逃げないよ。たとえ嫌われても、あたしは叶ちゃんと華生のこと……大好きだから。だから――」
 想夜は槍のように伸びたワイズナーを力いっぱい握り締め、助走をつけて叶子の額めがけてぶん投げた。

「うおおおおおおおおりゃあああああああ!!!
 とっとと目ぇ覚ませよ、
 クソったええええええ!!!!!!!」

 愛の罵声――初めての経験。
 初体験――声帯が壊れるほどに雄たけびを上げる! 友のために!!

 閃光と化したワイズナーはぐんぐんと飛距離を伸ばし、鋼鉄の魔人と化した叶子の額を貫いた!

 空間がシンと静まり返る。
 魔人は微動だにしなくなる。
 時間が止まったように思えた。
 そして――

 グウオオオオオオオオオン!!!!

 けたたましい地響きと合わさる悲鳴がこだました。ワイズナーが突き刺さった衝撃で、あれほどの巨体が大きく後ろに仰け反り、額を大きな手で覆いながら、全身で暴れ、乱れ、悶え始めた。

 痛いのか。
 苦しいのか。
 やがて魔人の動作が少しずつ鈍る。
 それと同時に全身が発光――。

「叶ちゃん、華生さん……一緒に帰ろう。あたし達の居場所へ――」
 巨体から溢れる無数のプリズムの中、想夜は両手を広げ、
「どこにも行かなくていいんだよ……ここにいて、いいんだよ――」
 すべてを包み込む笑顔で大切な人達を迎えた。

 御殿は落ちてくるプリズムに身をゆだねる。花びらのようでいて、優しいスコールのようでいて――舞い落りてくる無数の発光体に目を奪われていた。

 散りゆく発光体の中、そこには叶子と華生もいた。二人の肉体がピンクのリボンに包まれながら、ゆっくりと下降してくる。まるで地上に舞い降りた妖精のように、柔らかな輝きを放ち、プリズムの羽毛に包まれながら、ふわり、ふわり。奇跡の洗礼は、そうやって想夜たちの瞳を釘付けにした。

「彼女たちは、こんなにも慈悲に愛されているのね――」
 御殿が降り注ぐプリズムを見渡す。以前もこんな光景を目にしたんだっけ。今回のは安堵を誘う光に思えた。
 御殿が手を差し出すと、その上にプリズムの一つが舞い落ちる。舞い落ちる粉雪のよう。掌にのり、静かに消えてなくなる。
「これは……? そうか、融合していた人間と妖精を分離させたのね」
 狐姫をかかえ、御殿は起こっている状況を少しずつ理解してゆく。そんな光景を前に、こんな事を察した――
<>  フェアリーテイルで我を無くしてしまったハイヤースペクターにとっては『無の世界』が待つ一撃、それがエーテルバランサーの一撃だ。
 しかし、自由意思が残っているスペクターと妖精を切り離すことも出来る……そんな一撃。

 叶子の中に残っていた微かな想いが『すべてを優しく包む羽毛でありたい』と願うのならば、その想いはフェアリーテイルに対抗できる力。
 そして『すべてを包む羽毛』、即ち『慈悲』とは、生ける者たちが造り出せる産物さんぶつでもある。


 この世界は闇にならない。
 だってそうでしょう?
 生ける者、死した者、生まれくる者。誰もが産物を名乗るにふさわしい存在なのだから。

 妖精は愛する――『愛する』という行為を。
 妖精は愛する――慈悲を、慈悲深き者を、陽だまりのようにすべてを包み込む『優しい羽毛』を。
 妖精は決して愛を殺さない。愛ある者、慈悲ある者を守り抜く。そうやって世界のバランスを保っているのだ。

「妖精界と人間界のエーテル調整人――『エーテルバランサー』しかり……ね」
 手元でぐっすりと眠る狐姫の頭を撫でる。子守唄を聞かせるように、御殿は安堵でそうつぶやいた。
 
 月光が笑顔で背を向ける。
 夜明け前が一番暗い。

 けれど大丈夫、心配はいらない。

 夜が明ける。
 暗闇が終わる。

 日が昇る――祝福の光。

 朝日が想夜の羽を照らす。
 半透明な羽の向こうに笑顔の朝日。
 そうやって、愛を謳う彼女たちを称えてくれた――。