12 ゲリラ豪雨は涙で終わる
明け方。
研究所跡から無事帰還した想夜は、愛宮邸に向かっていた。
いっぽう御殿は魔人と化した叶子との戦闘後バイクにまたがり、ヘナヘナと力尽きる狐姫を後部席に乗せてエンジンをふかす。
「狐姫を休ませたいの。後で愛宮邸で合流しましょう」
「いい夢見ろよ想夜~。ヒャッハー!」
後部座席から威勢のいい声を発してくるも、虫の息といったところか。
ぎゅおおおん、がちゃこん☆ ぎゅおおおおおおおん。
エンジンとギアチェンジの音を残して早々に走り去っていった――てな具合だ。
叶子と華生はまだ夢から覚めていない。闇から生還したのだ。素敵な夢を見て欲しいと想夜は願う。
事の重大性を意識した宗盛は一晩中車のなか、元MAMIYA研究所の外でずっと待機していた。執事の任務というよりも、親の代役としての責任を果たしたかったのだ。
菫も同行していた。呑気な笑みを浮かべては、想夜たちにグーパーと手を広げて合図を送ってくる。叶子と華生を気にかけているのも事実だが、心配はしていなかったらしい。
「必ず無事に帰ってくると信じていたのだから、そこに心配や不安の文字はいらないでしょ?」
菫はそう言う。
余計な不安を追い払い、空いたスペースにハッピーな願いを詰め込む。相手を信じるならば、そうするべきだ。
ともあれ、皆、無事であったことに祝福を送ろう。
任務完了
AM7:30 愛宮邸応接室――
御殿と宗盛はソファに座り、テーブルを挟んで向かい合っていた。
最後の吸集の儀式は破壊された。もう衰弱する妖精はいなくなるはずだ。
御殿たちの活躍により、これで意識不明事件は一旦幕を下ろす。
一晩中、待機していた宗盛の心境は計り知れなかった。愛娘と親友の孫にもしもの事があったら、自分は愛宮に顔向けが出来ない――彼の頑なな性格がそうさせていたわけだが、今回の意識不明事件の解決が心の
今日はゆっくり眠れそうだ。が、安心もできない。なぜならMAMIYAに想定外の輩が出入りしていることが発覚したからだ。
華生が想夜に述べたように、MAMIYAの研究が漏洩しているのは間違いない――。
御殿は狐姫をベッドに運んだ後、軽くシャワーを浴びただけで一睡もしていない。無論、睡眠はしっかりとっておいたほうがいい。そんなこともあり、授業中に少し眠ろうと考えている。
そんなたくらみを胸に、愛妃家の制服に着替えてから愛宮邸を訪れた。
――華生はお嬢様の寝室で休んでいる。
ほどなくして、叶子も先ほど目を覚ましたばかり。
それを聞いた御殿は胸を撫で下ろした。任務とはいえ、人の安否は金銭とは関係なく気になるものだ。
宗盛が口をひらく――
「ここ数日、お嬢様の取り乱しようは、目も当てられませんでした。そこまで華生のことを慕ってくださっていたなんて……」
力が周囲に飛び火しかねない状況下だ、叶子が冷静さを欠落させても無理はない。
叶子と華生、慕う以上の感情を互いの胸に秘めている――ということを宗盛は知っているのだろうか?
もし知らないとしても余計なことは言わない。御殿はそう決めていた。人の恋路に首をつっこむと馬に殴り殺されそうだから。
目覚めた叶子は愛宮の従業員に深く頭を下げたらしい。
だが、世界のシステムを変えようとした叶子と華生を責めるものは誰ひとりとしていなかった。皆、2人の『自己犠牲を謳った行動』を理解してくれたのだ。
愛宮に流れ着いた従業員の中には、過去に行き場を失っていた者もいる。そこに手を差し伸べたのは他でもない叶子だ。
その叶子に惜しみない慈悲をあたえてくれた華生。
そんな華生を目かけてくれるMAMIYAの人たち。
愛宮邸の人々はこんなにも大きな慈悲でつながっている。
汚い世界を見てきたとはいえ、叶子はそれを背負って立つ器がある。
人と人との想いが紡ぐ世界――それが今、ここに存在している。
本来の愛宮叶子は冷静沈着であり選択を誤ることなどない。ただ、力をコントロールできないまま、世界を背負おうとした時からズレが生じた。
ハイヤースペックにはアクセルを全快にさせてしまう力がある。
ハンドル操作をあやまれば、そこには死が待っている。
ハイヤースペクターとなった叶子自身までも飲み込んでしまう脅威。
――それが妖精の異能。
「咲羅真さま、引き続き警備のほうをお願いしたいのですが――」
アンダーグラウンドの戦士がいかに優れているかは、御殿と狐姫の活躍により証明された。
宗盛はそれを高く評価している。
提示された契約続行に対し、御殿は二つ返事で答えた。
叶子には一度任務を解かれたが、まだふてぶてしく居座るのもいいだろうと御殿は思うのだ。
(いったい誰の図太さが感染したのやら……)
御殿は叶子の鋭い瞳を思い出しては、くすりと微笑むのだ。
今回の事件をきっかけに、妖精と魔族が関係していることもわかった。そこへMAMIYA、シュベスタの関係者も咬んでいるというのだから複雑怪奇である。
MAMIYA研究所にも複数の部外者が出入りしている。
聖水のスプリンクラーを作動させた人物がいる。口封じのために味方をも犠牲にする冷徹な輩だ。
(敵はMAMIYAを中心に責めてきている。間違いなさそうね)
魔族、妖精、シュベスタ。もっと関係性が分かればこの先の戦略が組めそうだ。
退魔弾や聖水が効かない妖精と対峙した時のことも考えなければならない。奴らと対面するのは時間の問題だろう。
(フェアリーフォースか。もう一度、愛宮鈴道の死を洗ってみる価値がありそうね)
一歩、真相に近づくごとにまた別の疑問が起こる事件――厄介なことにならなければいいと皆、願う。
病死とされていた愛宮鈴道は、フェアリーフォースの手にかけられていた。この真相が分かったのは大きな前進である。
華生がそれを周囲に言わなかったのは、これ以上、人間の犠牲を作りたくなかったからだ。打ち明けたのは叶子にだけ――叶子の力を信じていたから……自分を残して死んだりしないと思っていた。だから打ち明けた。
そうして2人だけで世界に戦いを挑み、消えてなくなろうとした。
2人一緒なら、どこへでもゆける。
たとえこの世の果てだとしても。
たとえ消えて無くなろうとも――。
――その事実を想夜から聞かされた時、御殿は不憫さのあまりに胸が張り裂ける思いに駆られた。
慈悲を持つ者が苦しまなければならない世界に異議を唱えてしまうのだ。
御殿のなかには、まだ不安要素がある。
華生が妖精界から持ち出したデータをMAMIYAは拒んだ。それ故、データはシュベスタの手に渡った。当然、それを軍事利用される恐れがあるので気が抜けない。
叶子を庇って殺されたとされる愛宮頭首。その意思を貫いてまで進めたかった研究とは?
(やはりシュベスタは、ハイヤースペックに執着しているというの?)
ただ営利のため?
軍事目的のため?
叶子の日記に書かれていたMAMIYA研究所の『あの人』とは一体?
研究所跡へ御殿を導くために情報をリークしてきた者とは?
考えれば堂々巡りだが、多くの人に聞きたいことがある。調べたいことが山ほどある。真相を把握するために時間がほしい。それまでの間、御殿は愛妃家の制服を身にまとうつもりでいる。
さてと――。
御殿は紅茶のカップに口をつけようとする。これを飲んだら学校へGO。後はぐっすりタイム。
「あ、咲羅真さま、お待ちを――」
宗盛に引き留められた。
「はい、なんでございましょう?」
御殿が寝ぼけ眼で顔を上げる。
「戦のあとの学業、大変でしょうけどしっかり励んでください。それが学生の本分ですからね」
「え、ええ……」
たちまち御殿の表情が引きつる。でもって視線までそらした。
「授業中の居眠りはペナルティですぞ?」
グイッと宗盛に詰めよられては、たははと苦笑する御殿。ワオ☆バレてーら♪
教科書を立てて壁を作り、机に突っ伏して寝るというお約束――それすら見透かされていたらしい。
けれどその壁は『学生の本分』という巨人に破壊され、御殿の目論見は失敗に終わった。校則までは駆逐できない。睡眠時間は授業の分だけある、などという考えは甘かった。
コンコン――。
ノック音、部屋に誰かが入ってくる。
「やーい、バレてやんの~」
紅茶のお代わりを煎れに来た菫が茶々を入れてくる。
茶を煎れながら茶々まで入れてくれる、茶目っ気たっぷりなお茶目さん。
「御殿ちゃん、私も座りたいからもっと端っこよって」
電車座席の割り込みよろしく、尻で御殿をソファの端っこに追いやる。秀吉の側室みたいにあつかましい……それは”茶々”。
一瞬であろう訪れた安息のとき――目の前に注がれたダージリンの香りが御殿の心をまったりさせる。
愛宮特製の紅茶。眠気覚ましとしては逆効果なのだ。
叶子と華生
同時刻 叶子の自室にて――。
想夜の素っ頓狂な声が部屋中に響いた。いつものことだけど。
「ハイヤースペックが消えない!?」
「ええ……アロウサル――」
叶子が静かに詠唱して腕を振りかざした。二本のブレイドをベッドに置き、空いた両手でスカートを恥ずかしそうに捲りあげる。
「……ね?」
「NOooooooO!」
叶子の股間あたりの小山を見たとたん、想夜はピカソの絵画のような顔をして叫び、ヘナヘナとその場に座り込んだ。
「ハイヤースペックの接続は切ったはずなのにどうして……」
日頃から乱暴に使用したためにワイズナーが壊れてしまったのだろうか?
心当たりがあるとすれば無理な連続変形。ワイズナーは特殊な形状をしているため、修理にはそれなりの時間と費用がかかる。公務員バイトとはいえど政府が修理費用を全額負担してくれたりしない。世の中そんなに甘くない。リコール対象でない限り、きほん実費が義務となる。
想夜の心とサイフ、大大大ダメージの予感。壊れてなければいいとひたすら願う。
想夜の寂しい懐事情はさておき、今回の事件の真相だ。
「あたしが学園で襲われた時。スカウトマンからあたし達を助けてくれたの、叶ちゃんなんでしょ?」
叶子はコクリとうなずいた。
雑居ビルにあの男性教諭も出入りしていたことを叶子が打ち明ける。彼も人間に扮した暴魔、スカウトマンの1人だった。スペクターである叶子の存在を知ったスカウトマンは学園に潜入し、叶子を捕獲する予定だった。そこで偶然にもエーテルバランサーである想夜を発見したらしい。
スカウトマンにとってバランサーは邪魔だ。想夜を抹殺するため、笛を使って大型暴魔を呼び出したが、エクソシストである御殿の存在は想定外だったらしく、2体の暴魔はあえ無く撃退された。
スカウトマンは愛妃家女学園にもっと大量の暴魔を呼び込もうとしていたようだが、叶子の逆鱗に触れたことによりネイキッドブレイドの錆びとなった。
「――地獄笛のことは華生から聞いたわ」
2体以上暴魔を呼び寄せられたら厄介だ。魔族でにぎわう学園祭など永遠に来なくていい。
とはいえ、この襲撃事件は叶子にとって好都合だった。
愛妃家に近づくと痛い目にあう――見えぬ敵に愛宮の力を知らせるため、自らの手は出さずに御殿を暴魔にぶつけてみた。エクソシストなのだから暴魔の2体くらいは排除してもらいたい。それだけの報酬は払っている。
もっとも、想夜自身にも力を自覚させるキッカケになったのだから言うことはない。
だから叶子は、あえて暴魔2体を倒さずに残しておいたのだ。
叶子のことだ。無論、いざとなれば駆けつけた。その場合、御殿への評価は激減していただろうけど、御殿の活躍は叶子の予想を遥かに上回るものだった。優れた番犬を持つことができてニンマリしているのもまた事実。
それと、これは想夜の憶測でしかなかったが叶子に打ち明けてみた――想夜と御殿が学園で暴魔に襲われたとき、ほわいとはうすで楽しい食事をとった夜のことだ。
「雑居ビルの吸集の儀式は最近施されたもの。誰が何の目的で作ったのかも分からない陣のことだけど……」
暴魔がその場を吸集の儀式として使用していたのは周知のこと。想夜には、それが引っかかっていた。
「あの雑居ビルは数ある司令塔のひとつ」
インスタントの司令塔としていた雑居ビルに暴魔が群れをなしていることを知った叶子と華生は、アジトを殲滅。吸集の儀式を消そうとするも、酔っ払いがビルに入ってきて通報なんかしたもんだから、慌てて窓から飛び出して逃げるハメに。窓に足跡が残っていたことは、すでに御殿が語っている。
叶子は警察が駆けつける数分間でにビルに戻り、誰もいないことを確かめると、聖水で暴魔の残骸を証拠を隠滅した。想夜と御殿がやったよう、見よう見マネ。案外うまくいった。
「それまではいいのだけれど、すべての陣を解除しきれないまま時間だけが過ぎ、止むを得ず撤退。たった数分ですべての陣を排除するのは難しいもん」
設置者は時間稼ぎのため、陣を複数用意していたとしか思えなかった。執拗に何かを成し遂げたがっている。
それを考えると、この事件は底が深く感じられた。
「研究所跡に施された吸集の儀式も華生さんの体力にも影響を及ぼす儀式だから、早々に潰しておきたかったはず。でもシュベスタの刺客をおびき出すためのエサに使えそうなので、そこで待ち伏せをしていた。華生さんが眠っていてもハイヤースペクターは力を発動できる。そこで叶ちゃんは、調査に来た御殿センパイと狐姫ちゃんに出くわした」
叶子はエクソシストを消すよう、何者かに誘導されていたので御殿と狐姫には容赦がなかった。華生が助かるのだから躊躇はない。
各地にあった儀式を綺麗に削除して回っていた叶子と華生。吸集の儀式を放っておけば、無関係な妖精たちに影響を及ぼす――華生、むろん想夜にも。
――以上が想夜の推理だ。
罪無き妖精が食い散らかされる事だけは何としても避けねばならない。たとえ想夜が華生を消すためのデリートシステムだと聞かされても、叶子の大好きな友達であることに変わりないのだから。
消したいのか守りたいのか。そんな矛盾だらけの感情に振り回され続けるも、叶子は突き進んだ。
素っ気無い表情の叶子だが、いつでも想夜を気にかけている。けっこう過保護なのだ。
叶子が口を開いた。
「――要請実行の雪車町想夜は何でもお見通しなのね」
「御殿センパイのおかげだよ」
叶子の一連の行動について、御殿の推理は見事に的中していた。想夜の推測は御殿の受け売りでもある。
一連の出来事を想夜の口から聞かされた叶子は、苦笑しながら力なく息を吐き、肩をすくめた。
「そりゃあね。可愛い想夜に手を出す輩は邪魔だもの。妖精をヘドロの血で汚すのは見るに耐え難いものだわ。醜い輩には早々に撤退してもわらなきゃ」
叶子のスパルタっぷりに内心冷や汗の想夜。
吸集の儀式の一件を経て、想夜は少しずつ己の殻を壊すことができた。一歩一歩、きっと……昨日の想夜よりも強くなる。
想夜は意気込んだ。
「あたし、もっともっと強くなる。大切なものを守るために」
叶子はうつむきぎみに返事をする。
「私、心の中ではね、自分の暴挙を想夜に止めてほしいと思っていた。そのためにもアナタには強くあってほしかったのかも知れない。他者にあわせず、自分の存在に自信と誇りをもってほしいと思ってる。でなければこの先、私みたいに力を持ったスペクターと出合った時に、それを止められないでしょ?」
この先、想夜は幾度となく躊躇することを捨てなくてはならない。
だからこそ、見せかけの優しさに邪魔をされ、力あふれる魂を眠らせてしまうなんてもったいないことだ。
そう叶子は思っていた。
だからこそ、自由意志の大切さをその胸に刻むべきだ。
遠慮せずに己の本音を叫び続けろ。
己が内に眠る野獣の声に耳を傾けろ。
魂に従え。
決して良い子じゃなくていい。
良い人じゃなくていい。
すべてを丸く収めようとしなくていい。
他人にへつらうことなく、媚を売ることなく、顔色をうかがうことなく、凛として空を見据えそびえ立ち、前へ前へと進んでゆけ。
たとえ炎の波が待ち受ける日が来ようとも――。
そうすることで、想夜は今までの自分を捨てて一皮向けた戦士になる――それを叶子は望んでいた。
そして願いは叶った。学園襲撃を見届けた甲斐があったというものだ。
さすがMAMIYAのご令嬢、人より先をゆく思考をお持ちだ――フンスーと想夜が鼻息荒くしてすごんだ。
「まあ、雑居ビルでの戦闘で腕をやられたのは失敗だったわね。おまけに一人逃してしまったし……」
全滅させていたのではなかった。敵を1人逃がしていた。ハイヤースペックを発動した叶子よりも素早い敵がいたというのだ。
叶子の腕の傷は、そいつにやられた。
想夜は息を呑む。
叶子と同じく鋭い武器と素早い動きの持ち主――
華生のハイヤースペックとよく似た能力の持ち主――
となると、敵は赤帽子だろうか?
だとすれば暴魔とともに行動していた理由とは?
想夜は頭を悩ませた。
「華生の存在は心強いわ。とはいえ、私の力はまだまだ。修行が必要かな? 山篭りでもはじめようかしらね。うふふ――」
明るくふるまう姿には無理がある。令嬢には似合わないテンション――その後、少しの沈黙。
「叶ちゃん……」
ポツリ、沈黙を破った想夜が口を開く。
「もっと早く、あたし達に言ってくれれば…………嬉しかった……」
「そうね――」
叶子は反省の念をこめて頷いた。バランサーの力を証明された今となっては、頷かざるをえなかった。
もっと早く想夜に相談していれば、よけいな血を見ずに済んだかもしれない。それをしなかったということは、想夜の力不足への不信感もあったのだろう。
けれど叶子の不信感はもう吹き飛んでいる。
――そう、叶子も見ていたのだ。あの川原で。想夜と生徒たちの争いを。
連れ去られた華生のことも心配だったが、目の前に広がる想夜の勇姿は叶子の目を奪っていた。
結果、強くなろうと前進する想夜に、叶子は心の奥底で己が未来を託した。その身を想夜に救って欲しかったことに気づくのだ。
叶子も人の子。誰かにすがりたい時だってある。命をかけて軌道修正をしてくれた想夜に対する罪悪感と喜びがある。
叶子が人々と距離を置き出したのは、想夜が言う所の『生け花』にされたと感じた頃だ。
自分は飾りではなく、ひとりの人間だと叶子は叫びたかった。日記の写真のよう、笑顔が似合うごく普通の女の子なのだと。
けれど、誰がそれを理解してくれよう。所詮は高嶺の花、眺められてるだけで、いずれ枯れてゆく。
生け花として朽ち果てるくらいならと、叶子はいろんな人たちと距離を縮めようとも考えていた。自分が近づくことで傷つくものがいるのなら、守ってあげればいいだけの話。
そんな矢先、叶子のハイヤースペックは発動した。
皮肉にも他者に想いを馳せることで、叶子はハイヤースペクターとして開花したのだ。同時に己が能力を持つことで周囲を巻き込みかねないと悟った。
ハイヤースペックがある場所、そこには必ず戦争が起こる。叶子も華生も、それが分かっていた。
2人とも他者が傷つくのを極端に恐れる性分。苦痛の味を知ってるからこそ、他者の痛みに想いを馳せ、他者の苦しむ姿を見ては苦しみを感じる感受性の果実。強い者ほど弱点は外にある。
力は人を傷つける。守ることもできるだろうが、限界というものもある。
だから叶子は決めたのだ――もう誰にも近づかない、と。
結局、叶子は誰にも近づくことが許されなかった。近づこうとしても、怖くてできない臆病者だった。人間なのだから恐怖心だってちゃんと持っている。
けれど叶子は己を叱責するのだ――近づかなければ相手を傷つけることはない、なんて考えは身勝手で傲慢な考えだ。近づかないという行為そのものが相手を傷つけてしまうこともあるのだ、と。
もしも気になる人がいるのなら、試しに近づいてみればいい。拒絶されたら距離を取ればいいだけのこと、死にはしない。拒絶されなかったら、もう一歩近づけばいいだけのこと。そうやって、徐々に隙間を埋めればいい。結論を急ぐことなんてない。
想夜は言う――
「近づくことで渓谷に橋をかけることができるんだよ」
と。
「向こうの崖とこちらの崖――遠いけれど、両者が手を伸ばせば距離は縮まり、やがて橋は掛かるんだよ」
と。
もしも向こうが手を伸ばしてくれないのなら、「あの子も他の誰かに夢中なんだ。今の私のように」と喜べばいい。
想夜は続けて言う。
「淘汰の件もそう。叶ちゃんの行動は矛盾だらけだった。本当にそんなことを考えているなら、身近にいた愛宮の人たちを真っ先に襲うはずだもん」
「……」
叶子の脳裏に宗盛や愛宮関係者の顔が浮かんだ。
「――でも叶ちゃんも華生さんも、愛宮の人たちには手を出さなかった。最初から2人で、どこか遠くへ行っちゃうつもりだったんだね……」
この言葉を御殿センパイに伝えた時も寂しそうな顔をしてたっけ――想夜は御殿の沈んだ表情を思い出す。この上なく哀しげな顔だった。もうあんな哀しい顔は見たくない。
叶子は窓から見える空をみつめた。ずっと、ずっと、遠くの空――。
「……ええ。そうするつもりだった」
先日、「自己完結ほど哀れなものはない」と想夜に言って顔を伏せてしまったことがあった。あの時は内心、「どの口が言うのか」と自分自身を責めた。人間界も妖精界も敵だらけ。焦る気持ちはあれど、誰にも頼らず、ただ身勝手な行動に走ったが恥ずかしかった。
「私、どうして焦っていたのだろう……? 何に焦っていたんだろう……?」
自問自答をする叶子に想夜が微笑む。
「大好きな人たちに危機が迫ってたんだから……誰でも焦るよ」
華生や愛宮の人たち。叶子がスペクターになることで被害が拡散する。それが焦らずにいられようか。
泣く子をなぐさめるように、想夜は静かで優しく言葉を発する。いつも御殿が自分にしてくれるように。
想夜は改めて思う――叶ちゃんは華生さんと2人で静かな場所で暮らしたいだけだった。争いのない時間を求めていたんだ。それが叶ちゃんの本心なんだ、と。だって、そのほうが叶ちゃんの性格にピッタリくるもん、と。
叶子がはじめてバランサーの存在を知ったときのこと。最初は己の力を消してもらうことを望んだ。能力を消されることで、力を用いた探偵ごっこをせずに済むからだ。そうすれば戦闘だけでも回避できる。少なくとも戦いの先にある死という選択から免れることができる。
――華生とともに闇に向かって突き進む。それを拒んでいた日々の
聞くまでもなく、想夜もその意思をくみ取っていた。
叶子はエーテルバランサーが邪魔だったのではない。むしろ逆、必要としていたのだ。なぜなら心までつながった叶子と華生は、能力共有を簡単に切断できないからだ。
たとえ別れが来ようとも、戦争を回避できるのならそれでもいいと叶子と華生は思うのだ。
けど、バランサーの助けを借りるという他力本願に走った時点で、結果は出ていた。
助けてください、私たちにはもう、自分たちを止められません――そういう叫びが想夜の耳に聞こえてくる。すでに叶子は力の制御が不能だったのだ。
強力な諸刃の剣、それがハイヤースペック。
自分の両手にこびりついた血を、ネイキッドブレイドを、必死に引き剥がそうともがく叶子の姿。それを想像しては、例えられない痛みに胸を打たれる想夜。
叶子は言う、
「いっそ嫌って欲しかった……そのほうが楽だもの」
と。
人との絆を切ることで逃れられる痛みもある。
ふわり。
テラスから風が吹き抜けカーテンを揺らす。
風が叶子にささやいてくる――あなたが周囲の者たちをどう思っていようとも、わたし達はいつでもあなた達人間のそばにいるよ。たとえ、その心が怒り、哀しみ、憎しみに晒されようとも、ずっとそばにいるよ、と。
自然界を舞う妖精たちの声に耳を傾けてみて――ほら、見守られているのが分かるでしょう?
そこには無限の慈悲が宿っている。
あなたを包む羽毛のような――。
――沈黙。
叶子が口を開く。
「――でも、あなた達は私から離れようとしない。私の周りには近づいてくる物好きばかり……不思議ね」
叶子は目を閉じ、風のささやきを信じてみることにした――かつては何度も濡らした頬を、風がそっと撫でてくれる。
想夜が首を傾げた。
「物好き?」
「そう、物好き。だから……好きよ。想夜――」
そうつぶやき、微笑んで見せた。
想夜はちょっと照れた表情で目をそらす。「好き」なんて言葉、友達に面と向かって言われたのは初めてかもしれない。叶子の友達をやっててよかったと思う。
だが安心はできない。いくつかの問題は解決していないのだから。
まずは華生の件。
逃亡者を通報するかしないかで迷うところだが、叶子のハイヤースペックが消えてないのも、想夜からしてみれば想定外だ。
幾度となくスペクターと妖精を分離させてきたが、こんなことはなかった。
腕を組んで唸る想夜。通報するべきか、せざるべきか。
その手前、叶子はベッドに腰を下ろすと、横になる華生の頬を手を添えた。
眠りから覚めたのだろう華生はふたたび瞼を閉じ、叶子の手の温もりに浸っている。子守唄を耳にする子供のように安らかな表情。
それを見た途端、想夜の中で規則という概念がもろくも崩れ去る――そんな感覚に見舞われた。まるで分厚いコンクリートに亀裂が入ってボロボロに崩れてゆく感じだ。
バラバラに砕けた規則と法律でできたコンクリートの破片。そこから何が生まれるかなんて、13歳の子供にはまだ想像できなかった。
(華生さん。なんだか幸せそう……)
妖精である華生は人間の叶子に恋をした。それがおとぎ話に出てくるお姫様に思えて、なんだか羨ましいと想夜は思う。
フェアリーテイルとは、おとぎ話という意味だ。暴走時に発揮される測定不能の威力に対して、「そんなことはあり得ない」という現実逃避的な意味から名づけられた。
けれど、お姫様が主演のおとぎ話はアリだ。
つかの間だけど、叶子と華生はこれからハッピーエンドを迎える。
妖精界の法律よりも己が意思を優先させることにした想夜。本人からしてみれば、思い切った行動だ。自分のとった行動からくる責任も覚悟している。
(でもクビは嫌だなぁ……)
とか思っちゃうところがまだまだお子様。労働者としての覚悟がたりんな、草草草。
(フェアリーフォースへの通報は……少し時間をおいとこ)
なによりフェアリーフォースが愛宮鈴道を手にかけたと聞かされた以上、想夜にとって政府は絶対的正義ではなくなったのだから。
フェアリーフォース本部に探りを入れてみよう――想夜が胸の内を告げようとしたとき、叶子がやや冷たいトーンでささやいた。
「ねえ想夜」
「ん?」
「あなたがこちらの世界に来る時、フェアリーフォースに何か不審な点はなかったの?」
「そ、それは……」
言葉のカウンターをくらった想夜は目をそらした。
そんなこと言われても困る。だって正義の塊だと思っていた存在が実は悪の根源でした、と言われてるようなものだから。
想夜のパラダイムが崩れはじめた瞬間だった。
叶子がやんわりと詰め寄る。
「教えて。あなたが所属するフェアリーフォースの目的って……なに?」
華生という逃亡者を
それを思うと、想夜はいても立ってもいられなくなる。
想夜は疑惑のあがった政府を安易に信じるのが危険に思えた。
信じていた正義はどこを目指しているのだろう――想夜は小さな拳を握り締めた。
それでも想夜の口は、出来損ないのロボットのように動き出す――。
「フェ、フェアリーフォースは……妖精界と人間界のより良い関係を構築。それを基準とし――」
頼りない解説。マニュアル通り。そこに生きる者の自由意志はない。プログラムされただけのお人形。
「――と説明しろって言われた?」
叶子の一声で想夜はうつむき、口をつぐんだ。
第一条、第二条、第三条――バイトの採用時にもらった規則項目を、頭の中でそのまま朗読している。世界に貢献できるのが嬉しくて嬉しくて、ずっと読んでいた。けれど今になって、想夜自身、まるで芸を習った猿みたいで滑稽に思えてくるのだ。
エーテルバランサー入隊試験をパスした時の嬉しさだって、今でも覚えている。
はじめて変形可動兵器を託された日のことも。ズシリとくる重さに身を引き締めたんだっけ、自分は戦士なのだ、甘えは許されないんだ、と。
あれから1年以上が経過した。
それらの感情がすべて、誤ったレールの上で吐き出されているのだとしたら、自分はただの道化士。まさに滑稽だ。
そこには正義の価値を語れない少女の姿があった。
思いつめる想夜を前に、叶子が肩をすくめた。
「まあいいわ――」
いま与えられてる時間は小さな戦士を問い詰めるためのものではない。妖精に暗い顔は似合わないと、叶子は気を取り直して話題を変える。
「それより、覚えてないのだけれど……私、夢の中であなたにビンタされた気がした」
「あ、あたしが叶ちゃんを……ビンタ!?」
「ええ。研究所跡の地下で、『早く目を覚ませ!』って」
家族にも叩かれたことないのよ、と付け加えてビンタのマネをした。
「叩かれたことがないのは、叶ちゃんがいい子だから――」
叶子は首を振り否定。
想夜は、無理に笑顔を作る叶子がいじらしく思えた。
「私、いい子なんかじゃない。あのまま……華生と2人、この世界に残ったところで私たちに待っているのは死ぬことだけ。私は華生の瞳だけを見たまま、世界を見ようとしなかった。ネイキッドブレイドを使う時みたいに、私は華生以外の絆を切ろうとした」
叶子は今、はっきりと言える。弱い部分を認めた今だからこそ言える。「自分は高嶺の花ではない」と。時に強く、時に弱く。泣いたり笑ったりする普通の女の子だと。
叶子は自分の両手を想夜の右手に添えた。
小さい手、細い指先――この右手でワイズナーを使いこなしているのだ。少しマメができてる。妖精は努力家のようだ。
「力を持たない人の場所は晴れていて、私と華生のところだけ、いつも大雨……ずっと、そう思っていた。でも……こんなにも……こんなにも素敵な友達がそばにいてくれたというのに、華生も止めてくれたのに……私、バカだ……バカだ……」
無理に作った笑顔を崩し、ついには顔を伏せてしまう叶子。その頬を涙がつたう。
想夜は叶子の頬を両手で包むと、おでこを引き寄せ、そっと自分の額に持っていった。
「想夜……」
額と額をピッタリくっつける。吐息が触れ合うほどに近く。近く――。
「叶ちゃん……もしもね、また雨が降ったら、あたしの部屋に泊めてあげるよ――」
想夜は叶子の頭を撫でながらこう言った。
「雨宿り、していてもいいよ、華生さんと一緒に。雨が止むまで……ゲリラ豪雨が終わるまで――」
「想夜――うん……うん……」
こくり、こくりと叶子は頷き、顔をくしゃくしゃに歪めては、想夜の背中にまわした手にいっそうの力を込める。
涙の意味は
それと同時に、叶子の中に晴れわたる青空が――。
叶子は顔をあげた。
「想夜……私たち、あなたの力になりたい――」
「……え?」
想夜がキョトンとする手前、叶子が華生の手を握りながらこう言う。
「偶然なんかじゃない。これは必然――私たちが出逢ったこと、今も私の中でこうしてハイヤースペックが息をし続けていること。それは『皆と共にあれ』という妖精たちのメッセージだと思うの。あなたが私にしてくれたように、私も友のために命をかける。だから……想夜、あなたも自分が孤独の戦士じゃないということを知ってほしい」
私が言うのもなんだけどね、と舌を出す。
令嬢らしからぬ仕草は激レアカード。こんなの出るとは思わなかった、ヒャッハー!
「叶ちゃん……」
想夜の瞳が潤んだ。
叶子の言うとおり、ハイヤースペクターを味方につければ、この先も強力な戦力になるだろう。もちろん『アナタのMAMIYA』ではなく、『華生の
幸い、叶子はまだリスト登録されていない。危険人物でない限り、フェアリーフォースは人間に関与できない決まりになっている。
スペクターである叶子がヘタな行動でもとらなければ、彼女の平穏な生活は約束される。
――けれど叶子よ、それすらも捨てて戦うというのか?
友のため、愛する者のため、力に溺れてゆきながらも戦い続けるというのか?
もっとも今となっては、叶子のリスト登録も時間の問題だ。
想夜は力ない笑みを叶子に向けた。
「叶ちゃん、気持ちは嬉しいけど、これ以上ハイヤースペックに関与すればフェアリーフォースは黙ってないと思――」
叶子は想夜の口に人差し指を置いた。
「ひとりで背負うのは無し、でしょ?」
「叶ちゃん……」
いつか想夜が言ってた言葉だ。いきなりの反撃、ふと瞳が熱くなり上を向く。
暖かい雫、今度は想夜の頬を伝った。
上を向けば涙がこぼれないというけれど、ありゃウソだね。ガッツリこぼれるよガッツリね。こう、ツーっと。
想夜はこぼれた涙を乱暴にゴシゴシと拭う。
「あれぇ、おっかしいな~。うれしい時にも涙、出ちゃうんだね」
精一杯の強がり。キュンと胸の奥が熱くなり、想夜は鼻をすすった。
目を赤くした想夜の頭を叶子が胸に引き寄せる。
「想夜、困った時には呼んでちょうだい。華生と2人、あなたにこの身を捧げるわ――」
「うん……うん……」
コクリ、コクリ。叶子の胸の中、今度は想夜のほうが何度も頷いた。
その様子を、華生は顔をほころばせながら見守っていた。逃亡者であっても、戦いに身を捧げる覚悟はすでに出来ている。
一時の感動。
そこにはこれからはじまる戦いへの序曲も含んでいる。
ここにいる者は皆、それがわかっていた。
一時一時が宝物。だからこそ、叶子は言う――
「でも今は……」
想夜から離れた叶子はベッドに腰掛けると、華生の身をそっと抱き寄せ――
『今は、このままがいい……』
2人して見つめ合った。
「……?」
想夜が首を傾げる手前、ベッドの2人がいっそう身をゆだね合う。
「だってそうでしょう? こうしていれば華生を感じることができるから……視線と、ぬくもりと、あなたの鼓動――」
「叶子さま――」
叶子が華生の小さな顎に手を添え、クイッと引き寄せる。
「はう!?」
これから目の前ではじまる光景に、想夜は耳を真っ赤にして目を両手で覆った。いくらなんでも朝から刺激が強すぎるわい。
「え、と……その……ご、ごゆっくり!」
そういい残し、目を泳がせしどろもどろ。想夜は一目散に部屋から出て行った。
今回の事件、フェアリーフォースへの通報は先送りになりそうだ。
――が、数日後、想夜はフェアリーフォース本部へ自ら顔を出すことになる。皆がその事を知るのに時間はかからないだろう。
部屋から飛び出していったあわてんぼう妖精を見て、叶子と華生は肩をすくめて微笑みあう。長い廊下を走りながら涙を拭うのが想像できたからだ――泣いた後のリボンの妖精は、凛として輝く笑顔の君であることも含めて、ね。
戦いは続く。
でも大丈夫。
この先、いかなる敵が待ちうけようとも、叶子と華生は互いの手を取り合い、絆を紡いでゆくことだろう。
『愛している――』
心はひとつ――互いの気持ちが通ずる時、そこに強い絆が産声をあげる。
そうやって叶子の中にハイヤースペックが芽生え、その想いはバランサーの一撃さえも耐え抜いたのだ。
想夜の一撃をくらってもなお、2人の能力が途切れることはない。絆がつながったままであるかのように固く、固く、結ばれ続ける。
最初は拒絶していた殺戮能力でさえ、華生の一部だと思うと愛おしく感じてくる叶子。今となっては受け入れるのは容易い。
かつては破壊を招いたはずの力は、未来を築く力へと変貌を遂げた。それは力を得しハイヤースペクター、愛宮叶子が決めたこと。
力を持つものの責任は、常人が思っているよりもはるかに重い。
けれど大丈夫、うまく使いこなしてみせる。たとえ行き着く先が、この世の果てであろうとも――それが2人の自由意思なのだから。
指を絡めあう姿は、まるで2人のジュリエット。
もう人目を避けることはしない。
ずっと手が届かなかった者同士、指先を通して求めあう有線通信。
その通信手段が指から唇へと移行するまでに時間はいらない。時代の流れは常にハイスピードなんだ。
それが2人の熱暴走――。
ふわり。
レースのカーテンが風に揺れ、柔らかな閉幕が2人の女優を包み込んだ。
これは、そんな朝の出来事でした――。
『Fairy Face Fly High!』
終