10 ハイヤースペックハイヤースペック


 愛宮邸 庭園――月明かりを浴びては、ほのかな光りを反射させる芝生。夜空を見上げる一人のボディガード。寒空の下、今日も警備に勤しんでいた。
 リーダー不在のため、代役にあたる。責任過多、超忙しかった。

 ――星が綺麗だ。

(田舎のおふくろ元気にしてっかな……)
 おふくろの味が恋しい。久しぶりに今回の仕事が終わったら、顔見せに行こう――警備中、ボディーガードAはそんなことを考えていた。
 洋物映画だったら真っ先に死亡フラグ。でもここは日本なので大丈夫、と高をくくる。

「……ん?」
 目の前にうっすらと人影が浮かんだ――錯覚かと思い、目頭を押さえて瞬きをする。
「働きすぎかな」
 かすみ目がツライ。
 焦点を絞ると、林の影から誰かがゆっくりと歩いてくる。

 背筋を伸ばし、袴に手を突っ込んでおり、まるで姿勢の正しい昔のスケバンだ。小柄な少女だが、頭には動物の耳らしき物体が突き出ている。

 袴の後ろから飛び出したモフモフとした尻尾にも目を疑った。
「ウソだろ? 耳と尻尾? 昨日飲みすぎたかな……」
 再び目を凝らして見つめるが、やはり獣のような耳と尻尾は見間違いではないと確信した。
「ははーん。分かったぞ、さてはアレだな」
 ここ数日、屋敷に出入りしているエクソシストの話を聞いたことがある。どんなツワモノかと思っていたが、こんな乳臭いガキンチョだったとは片腹痛い。
 ボディーガードAはそう思いながら見下す表情を作った。

 狐姫は無表情のまま近づいてくると男の前で歩みを止め、冷たいトーンの声を放つ。
「セバスチャンに用がある。そこをどけ」
 ギラリ。狐姫の眼光を前に、男は思わず後ずさりそうになったが大人しく道を譲る気もなく、その場に留まった。

 腐っても軍隊あがりの傭兵。血に染まった数々の修羅場を経験してきたつもりだ。喧嘩慣れしたような、血に餓えた狼は瞬時にして見分けが付く。理由は簡単だ。血の匂いがするからさ。そして目の前の少女からもその匂いがしていた……いや、そんな気がする。いやいや、でも本当は甘い少女臭しかしない。ごめんね、昨日の飲みすぎちゃってさ――。

 男は思考が混乱し、自分の嗅覚に自信を失っていた。

 狐姫の周囲に芝生をふみ潰す音、それに狐姫が気づく。振り返ると、幾人もの男達が不気味な気配を出して立っていた。
 そうやって複数の巨体が小柄な妖獣をグルリと取り囲んだ。
 邸内の人間関係について、詳しいことは御殿から聞いている。
 狐姫を囲んでいるのは全員、愛宮邸ボディーガード――ポリ公をクビになったSS、軍人崩れのニート君、etc……。つまり傭兵だ。
「――庭で飼い慣らしたり慣らさなかったり、なんちゃらかんちゃら……とか御殿が言ってたような言ってなかったような。まあいいや、思い出すのメンドクセ」
 御殿の説明は原型すら留めていなかった。興味のないことは覚えないタイプ。
 やがて1人の警備員が口を開いた。
「これはこれはエクソシスト様、アポイントはお取りですか?」
 翻訳――はやく帰って寝ろよクソガキ!
 狐姫が吐き捨てるように言い放つ。
「あ? 取ってねーよカス。電刃少年知らねーの?」
「あいにく子供番組を見る歳じゃないので……」
 男が肩をまわしほぐす。一触即発の緊張感があたりを包むなか、拳で語る者同士のプライドなのか、互いにヤル気オーラ全快だ。
「ほう~、おもしれえじゃねーか」
 狐姫がにやりと笑う。続けて一歩前に踏み出すと、両手の指をボキボキならす。
「いいぜ……相手になってやんよ、かかってきな!!」
 狐姫は鼻をクン! と親指ではじいて半身になり、ファイティングポーズでステップをはじめた。喧嘩慣れか、結構サマになっている。
截拳道ジークンドーベースの格闘術。ガキのクセに……おもしろい――」
 ボディーガード同士が互いの顔を見合わせると意気投合してうなずいた。
「「「「油揚げにしてやるぜええええええ!!!!」」」」
 叫び声をあげた男達が一斉に、狐姫めがけて飛び込んできた!
 1人目――大男が狐姫の顔面に拳を叩き込んでくるが、狐姫は小さい体を数センチだけ捻りスルリとかわす。空振りを作った男の懐に潜り込み、裏拳を顔面に叩き込んだ。ひるんだ所へ筋肉と脂肪でできた鎧のようなドテッ腹にボディブローを叩き込んだ。
「アタァ!」

 ドムッ!!

「ぐえっ」
 鈍い音の後、2メートルの巨体が『くの字』に折れ曲がる。
 狐姫は右足でフラミンゴのように立ち、それを軸として回し蹴りへ転ずる――クルリと髪をなびかせ体を回転、左足で回し蹴りを叩き込むと巨体がぶっ飛んで遠くに落下、ズゥゥゥンと音を立てて芝生に崩れ落ちた。
「うわっ、おまえ軽いなあ~、もっとメシ食ったほうがいいんじゃね?」
 狐姫はクルクルと細い肩を慣らしている。
「な、なんだコイツ……」
 目の前の光景が理解出来ない男Bがたじろく。
「うおおおおおおおりゃああああああああ!!!」
 女狐の雄たけび。Bの隙を見逃さない狐姫が猛ダッシュで突っ込んでゆく。後ずさるBの両足にスライディングをかまし、一気に体勢を崩した。スライディングから起き上がるのと同時にBに足を引っ掛ける。バランスを崩したBの腹に強烈な回し蹴りを一発をブチ込む。
「ゲふっ!?」
 B、目玉が飛び出るかのような表情をつくる。
 狐姫はジャンプし、空中でBのアゴに蹴りを入れてクルリと一回転。サマーソルト蹴りが綺麗に決まる。その反動で巨体の両足が地を離れて吹っ飛び、
「うわあああああああああああん!」

 ピューン………………バシャ――――ン!!

 Bは悲痛な叫びを上げた後、大げさな水しぶきを上げて頭から池に突っ込んでいった。
「なんだ、おまえも草食系か? ダイエットなんざ罪人のすることだぜ、鯉でも食ってろ! ケケケケケッ!」
 愛宮邸ボディーガードどころか、全国の女子まで敵に回しそうな大胆発言。恐いものなし。
 あざけ笑う狐姫の隙をつき、後ろからCが大木ほどもある太腕を狐姫の体に巻きつけてきた。狐姫の細腕とは比べ物にならないほどの太さだ。
「おわっ、後ろからかよ!?」
 狐姫の細い体と腕に男の太腕がギリギリと食い込み、下手をすると細い両腕と腰がポキリと折れてしまいそうだ。
 男に抱えられ、小さな体が宙に浮いて尻尾が揺れる。
「な、なんだコレ、尻尾? マジで?」
 Cはそれを不思議そうに見つめる。
「なになに? どうしたのー?」
 その周りを男達が物珍しそうな顔で見物しにきた。
「コイツ本当に尻尾生えてないか?」
「耳も本物っぽくねえか?」
「コスプレじゃねーの?」
「いや動いてるだろ、本物だよ」
「写真撮っとこうぜ」
「いや、週刊センテンススプリングに売り込もうぜ」
「ほう、ど、どれ……」
「ほう、どれ……じゃねえ! さわんなカス!」
 狐姫の体に腕を回したままCがドモリドモリつぶやき、尻尾をかじろうと大口開けた顔を近づけてきた。少女を掴んだままだと手が使えないがための行動だったが、周囲にはブロンド少女にイタズラしている変態にしか見えない。
「ひっ!?」
 Cの顔が近づいてくるのを毛嫌う。狐姫はトマトのように顔を真っ赤にすると、顔を引きつらせて全身に鳥肌、ジタバタと暴れだした。
「か、噛むなよ! 噛んだら殺す! 殺した後にまた殺す!! マジで殺すからな!!!」
 狐姫は手、足、尻尾をバタバタさせながらクルリと身をよじらせ、Cの太腕の中で体勢を変えて向かい合った。
「フ、フザケンナよなテメー! こ れ で も……喰らえええええええええええ!!」
 キャンキャン吠える狐姫が上半身を大きく仰け反らせ、Cの額に懇親のヘッドバットを叩き込んだ。

 怒オオオオン……!!

 クリティカルヒット。
 頭突きを喰らったCの額、胴、足へと振動が伝わり、地響きを作り出す。たった今、気象庁が震度8を計測した(ただし愛宮邸内に限る)。

 あまりの激痛にCが跪きそうになるが、それを狐姫は許さない。前のめりになるCの腹にドムッ! と追加で重いパンチをブチ込み、腹にめり込ませた拳で200キロの巨体をすくい上げた。

怒怨悪御汚どおおおおおおおおおおおりゃああああああああ!!!」

 狐姫の奇声が響くなか、巨体が軽々と持ち上がり、Cの足が地を離れた。
 よほどの逆鱗に触れられたのであろう。怒り狂った狐姫は持ち上げた巨体と共に、見物していた別の男達に向かっていった。例えるならば拳に200キロのボクシンググローブを装備した状態。
 狐姫は肉のグローブで別の男の腹にボディブローを入れ、2人目の男もすくい取った!
「ひでぶっ!」
 男の悲鳴。200キロのグローブは大男2人分となり、狐姫は3人目へと向かってゆく!

「あべしっ!」
 3人目も変な叫び声とともに狐姫のグローブの一部となり、

「たわば!」
 肉グローブ3個のまま、方向転換して4人目へ!

「わらば!」
 5人目。

「しゃらべっぽ!」
 6人目。

「をゐんゑん!」
 男たちの意味不明な叫び声。

 池から上がってきたズブ濡れBも、他の男と同様に意味不明な叫び声とともに狐姫の餌食となった。コブシの上に重なり合った男達は、まるで串刺しにされたバーベキューの肉ように段々に連なっている。
 狐姫は拳を天空に振りかざした。

「夜空の散歩でも……してこいやああああああ!!!!!!」

 バーベキューの細串のような腕が怒りまかせて懇親を見せる。勢いよく拳で空を仰ぎ、男達を星空に旅立たせた。

「「「「うわあああぁ―――――――ん!」」」」

 ……きゅぴ~ん☆

 ボディーガード御一行様、季節はずれのオリオン座を作ってくれた。

「フー! フー! ふー!」
 狐姫はゆでダコになった頭に新鮮な空気を入れて冷やす。
「近いうちにオリオン座は一つ消滅するみたいだぜ? お前らで埋め合わせとけカスどもが!」
 と吐き捨てた。


 狐姫の背後に落ち着いた男の声が響く。
「なにを騒いでいるんだ、こんな時間に――」
 騒ぎに気づいた宗盛が屋敷の中から出てきたのだ。
「これは――」
 何事か、と庭全体を見渡す宗盛。
 ボコボコにへこんだ芝生、横たわる部下達を見渡した後、狐姫に歩み寄る宗盛――静まり返る愛宮邸の庭に2人。睨みたぎらせる狐姫と宗盛が向かい合う。

 狐姫と宗盛。こうして向かい合うのは初めてだ。

 狐耳や尻尾を見ても驚かない腹の座り具合、さすがは『MAMIYA』だ。それよりなにより、ダメージを受けた庭のほうを心配している。菫の作業が増えることだろう。彼女に問い詰められるのは宗盛だ。
 当然、先に口を開いたのは短気な狐姫だった。ガー! と一気まくし立てる。
「おいコラ、セバスチャン! コイツらがいきなり襲ってきたんだよ! 見ればわかんだろ、ハゲ!」
 わかんない。だって皆ダウンしてるんだもん――と言わんばかりに表情が悩みを利かせていた。それにまだハゲてない。失礼この上ない。
 宗盛は肩をすくめ、
「やれやれ……最近の若い連中は元気がよろしいですな」
 そう言って、狐姫に笑顔を作った。
「だろ? そう思うよな……ったく!」
「貴方も含めて、ですよ。焔衣様」
「……」
 宗盛は四方から集まってきた部下達に配置に戻るように支持を促す。続けて、「俺、やりすぎ?」と顔に書かれた狐姫を屋敷へ通した。

 ワンテンポ遅く、空からオリオン座志望たちが振ってきて、頭から地面に埋まった。


 愛宮邸内、エントランスを2人は歩いていた。
 手を後ろに組んで、ゆっくりと歩く姿は歳相応の落ち着きがあり、愛宮邸責任者の貫禄をかもし出していた。
 冷静さを取り戻した狐姫も負けず劣らずの落ち着きっぷりだ。想夜が見たら「狐姫ちゃんオットナ~♪ あと耳と尻尾触らせて~♪」と腹を抱えて笑うだろう。その後、どさくさに紛れて狐姫の体を弄ぶのだ。
 けれど今の狐姫は普段のガキっぽさからかけ離れていて違和感がある。

 ――宴も酣、大人の話といこうか。
 宗盛と会話のなかで、狐姫がいぶかしげな表情をつくる。
「――元研究所? あの廃墟が?」
「左様でございます」
 2階テラスの窓枠を陣取った狐姫は、腕を組んで壁にもたれた。
 宗盛も歩みを止める。

 シンと静まる廊下、最初に口を開いたのは狐姫だった。
「はじめて廃墟に行ったとき、洋酒の匂いがしたんだ。最初は酒の匂いかと思ったよ――」
「ほう」
 宗盛は目じりにシワを作り、ゆっくりうなずいた。
 言葉遊びは好きじゃない。狐姫は直球をなげた。
「でも、あれは違う。御殿の髪についていた愛宮邸の紅茶と同じ香りだ」
「ダージリンですね。あれはシャンパンのような爽やかさが味わえる一品です。研究所跡で焔衣様は、それを酒の香りだと感じたのでしょう。いやはや、貴方のお鼻は実にいい働きをしますね――」
 よろしかったら愛宮の護衛に来ないか? とのお誘いを受けたが狐姫は断った。
「独特の香りだったからな。ここでブレンドされてる特注品なんだろう?」
 この間、御殿から聞いた紅茶うんぬんの内容を宗盛に話す。
 それを聞き、さらなるシワを作ってはにかむ宗盛。
「咲羅真様は紅茶にもお詳しいようですね」
 よろしかったら愛宮のメイドに来ないか? と御殿にお誘いをしてくれたが「頼むから、やめてあげてくれ」と狐姫はキッパリ断った――なんかもう、御殿が不憫になってしまい、全米が涙しそうだ。
「ここでしか調合されない微量のバランスから嗅ぎ分けたんだ。あの夜は鼻が利きすぎて、いろんな匂いが混ざって混乱しちまったけど、廃墟……いや、研究所跡か。そこに出入りしていたのは愛宮邸の関係者だ。それは間違いない」
 俺は獣、嗅ぎわける芸当ができて当然――狐姫は横目で窓の外を見ている。
 やがて、なにかを諦めたように宗盛が静かに息をはいた。
「エクソシストの貴方にこんな話をする日がくるとは、ふむ……」
 事件解決に向けて祈祷師を雇う。事件を解決してもらう。金を払う。また何かあったら依頼をする――それだけの存在。宗盛も最初はそれだけを考えていた。が、もはや隠すことができない状況に追い込まれていた。
 物事を隠蔽すると、それは徐々に発酵し、やがて大きな厄介ごとに膨らんでゆく。企業の不祥事を隠蔽すると後々大きくダメージがくる。今回がその例だ。
 うつむき、首をゆっくりと左右させる宗盛に、狐姫はケモ耳を傾けた。
「話は30年ほど前に遡ります――」


ドラッグストア マミリン


 愛宮グループ創設から30年以上の月日が経った――。

 時を遡る。
 当時、宗盛は薬品倉庫のアルバイトとして働いていた。すでに家庭を持っていた鈴道もそこの契約社員だった。契約が切れれば解雇、家族は路頭に迷う。
 宗盛は前に勤めていた会社が倒産。40過ぎても職にもつけずにバイト生活だ。

 2000年初頭、日本経済は大きく傾き、宗盛もデフレ脱却に向けて勤しんでいたのだが、目処が立たなかった。就職難も国の経済発展に深刻なダメージを与えていた。

 そんな時、鈴道は宗盛を誘い起業する――会社名『ドラッグストア マミリン』。
 愛宮グループの始まりだった――。

 一件の小さな店。
 設立当初は、軌道にも乗らず悪戦苦闘の日々だった。
 取引先に頭を下げ、お互い胃に穴まで開ける有様。中年の相方同士、持病をさかなにグラスを交わして笑い飛ばしたりするものだから、よけい体にガタがくる。
 バカだけど無茶もできる。一心不乱に我武者羅に、どこまでも走れる――若いってのはそういうことだと実感した。40を超えていたが、まだ40代。働き盛りだ。

 守る者ができた――。
 嫁をもらうと無茶な生活もできなくなったが、支えてくれる存在が男をより成長させる。
 酒と金と女――男を良くも悪くもする3代要素だ。宗盛の場合は前者だった。

 やがて経営が軌道に乗ったマミリンは急成長を遂げて全国展開へ。
 そんな中、鈴道に孫ができた。それが叶子である。

 叶子は宗盛によく懐いていた。
 子供に恵まれなかった宗盛にとって、孫特有の可愛さというものが理解できなかったが、歳を重ねるにつれ、「ああ、こういうものか――」と、小さな命に愛しさを感じるようになる。それだけ歳をとったのだと感じた。

 マミリンの忙しさはさらに増し、医療機材、薬品生産、学校経営などの事業拡大へ着手。次々に横展開してゆく。やがてMAMIYAというモンスター企業へと進化を遂げた。
 ちょうどその頃、愛宮邸の警備が必要とのことで、宗盛は用心棒がてら執事兼ボディーガードをするハメになった。妻には病気で先立たれたが、愛宮の盾になれるならそれも悪くない。

 仕事上のトラブルが原因で、よくアングラ連中と殴り合いのケンカになった。
 血の気が多く、感情のコントロールも出来るほうが護衛に向いている。鈴道は腫れあがった宗盛の顔を見て「男前だ」と笑っていた。宗盛もその笑みに習った。

 ある日、鈴道が1人の少女を連れてきた。名前は華生。苗字は不明。
『今日からお前が面倒を見てやってくれないか?』
 鈴道に言われた宗盛は、内心不安になるばかりだった。子もなく、内縁にも先立たれた宗盛にとって、家族が出来るといことは嬉しくもあり、同時に別れの辛さも味わうことを知っているから――いつかくるであろう別れ、それが怖かった。
 そんな思いを鈴道に打ち明けると、「上司と部下の関係ならいいだろ?」と、気を利かせてくれた。上司と部下なら、ある程度の距離を保てる。変に肩の力を入れたり、死というものに直面した時に狂うほどに胸を痛めずに済むからだ。妻を亡くした時の心の激痛は二度と御免だ。
 宗盛にとって鈴道は最高の上司であり相方だった。

 時の流れは血を作る――。
 あれだけ上司と部下を気取っていたのに、このザマさ。華生の存在が孫のようにかわいい。いや、娘か? どっちでもいい、愛しいのには変わらないのだから。

 わかっている――あの子の正体を。鈴道から聞かされていた。

 異能を使う妖精――両性をそなえ、ケタはずれの力を発動する生命体。それには正直、頭を悩ませたが、愛宮と二人三脚でやってきた宗盛には他愛のないことだった。

 これからも仲良く暮らしていこう――そう思っていた矢先、突然やってきた鈴道の死。

 死因を聞かされた時、宗盛は直感的に他殺だと思った。愛宮はそういう世界に君臨している。心筋梗塞という病名は都合よく作られた病名だ。この手の死因は”ひとクセある事件”によく用いられる。

 仕事が終わり、誰もいない部屋――宗盛はひとり、グラスを傾けて泣いた。が、幸いにも鈴道が残してくれた華生のおかげで酒に溺れずに済んだ。保護者が呑ん兵衛では子供に示しがつかない。
 守るべき者がそばにいてくれてよかったと思う。
 無鉄砲な宗盛のこと、こんな時のために鈴道は家族を用意してくれたのだ。
 ひとりではないことを知っておいてほしいから。

 ただ悲しいのは、鈴道の存在が無くなったというのに、MAMIYAは普段どおりに機能していることだ。

 もう鈴道の存在はいらないのだと知った時、いっそう若い命が愛しくなる。途端に華生への愛情が増してゆく。

 この世界は無情だ――。
 ある時期をさかいに、叶子の笑顔の数がだんだんと少なくなり、人との関わりを避けるようになっていた。
 そして、今回の意識不明事件が始まった――。


妖精実験


「――意識の戻らないあの子を前に、わたくしは何もできませんでした。人間は本当に弱く、脆く、無力なのです……それでも抗いたいのです」
 狐姫は目を閉じ、宗盛の話に聞き入っていた。

『人でない貴方に、この気持ちがわかりますか?』

 例えばそう言われた時、狐姫は突っぱねることが出来ないだろう。人間の脆さは理解している……つもりだ。人間は弱く、ダサく、カッコ悪い。でも、強く、賢く、麗しい道を目指す生き物……のハズだ――狐姫はそう願う。
「う~ん、上手く言えないけどさ……例えばの話だぞ」
 ケモ耳頭をグシャグシャと掻いた。
「例えば御殿がヒデー目にあったら、俺……やっぱイヤかな。うまく説明できないけど、こう、胸のあたりが痛いっていうかさ。誰かを想う気持ちに性別とか年齢とか国とか、生物の枠なんか関係ないんじゃね? セバスチャンの華生を思う気持ち、正しいんじゃね?」
 頬を染めながら宗盛に白い歯を見せた。
「いいぜ……俺、手伝うよ」
「焔衣様……お心遣い、感謝します」
 深々と頭を下げる宗盛。
「ふん、精神的に参っている老いぼれを相手にしてると……気が滅入るからな」
 という建前を作る。べ、別にアンタのためじゃないんだからね。今さらながらのテンプレ。
 狐姫は誰がために動くのだろうか? 心のやすらぎのため、その身を以ってして――。

 狐姫は応接室に促された。
 宗盛がリモコンのスイッチに手をかける。プロジェクターに映し出されたのはとある研究施設。
「先日、匿名者から連絡を受けました。その時に華生の件に関して『シュベスタ社』の名前が浮上したのです」
「シュベスタ社? なんなのそれ? ……てか、情報通だな。裏社会っぽいな……」

 MAMIYAとシュベスタ社――もともとは一つの会社だったが、鈴道の猛烈な反対を皮切りに進行中だった実験を凍結。その後、会社は分裂した。

 離脱後、独立したシュベスタは隣街に拠点をかまえ、独自の事業を進めているが、現在のMAMIYAはいっさい関与していない。しかし、向こうがちょっかいを出してくるとなると話は別――叶子は祖父を殺した犯人に、一歩一歩ちかづいていたのだ。

「お嬢様が極秘で危険な行動をとっていることは、匿名者を通して存じておりました」
 叶子は常に監視されている。敵なのか、味方なのか。誰かが叶子の誤りを軌道修正をしているようにも思える。
 それだけじゃない。叶子が暴挙に走らなかったのも華生の歯止めがあったからだ。裏社会のひとつひとつを目にするたび、叶子が世界へ向ける感情は冷たいものへと変化してゆく。ましてや妖精界と魔界が叶子をすりつぶす。それを軌道修正しているのが華生の存在なのだ。

『世界はそれだけにあらず』

 悪いところだけじゃないよ、いいことのほうがいっぱいある――華生の口癖で叶子は己を保っていられた。が、今度はその華生までもが手にかけられようとしている。愛宮から奪えるものをすべて奪おうとしている輩がいるのだ。

(無関係の人間を犠牲にされたんじゃクールな叶子も黙ってないだろうな――怒りまかせに動いた叶子を捕獲する……それが狙いか?)
 狐姫は親指のツメをギリリと咬んで、明日の方向をにらみつけている。胸クソ悪くなると出るクセだ。
「研究所跡の件ですが、最近になって何者かが頻繁に出入りしているようです。その形跡を匿名者が調べていたようです。叶子様はその人物を待ち伏せするために、そこへ出入りしているみたいです」
「誰が出入りしてるんだ?」
「断定はできませんが、推測からしてシュベスタの者かと……」
「分裂したんだろ? どうして今さら……忘れものか?」
「あの場所は昔、お嬢様と華生がはじめて逢った場所です。つまり、『妖精実験』の出発点なのです」
「妖精、実験……だと?」
 宗盛は妖精実験に華生が深く関っていることを狐姫に伝えた。

「――そうか、華生の事情はわかったよ。そんな場所に出入りしている奴らの目的は知らねーけど、調べてみる価値はありそうだ。叶子はシュベスタの奴らから何かを聞きだすつもりなんだろ?」
 狐姫は寄りかかっていたカベから離れた。くすぶっていたが、一歩前に進んだ甲斐があったってもんだ。イラつきをぶつけちまった御殿にいい土産ができた。
「焔衣様」
 不安そうにする宗盛に、狐姫は歯を見せて微笑んだ。
 そういい残し、狐姫はテラスから飛び出す。電柱から民家の屋根へ――器用に飛び移り夜の空に消えていった。


偉大なる魂


 御殿にシャワーをすすめられ、想夜は浴室でよごれを洗い流していた。
 シャワーヘッドから滝のように落ちてくる湯がほほを叩く――まるで意思を持ったかのように、目を覚ませ! しっかりしろ! と叱咤激励を繰り返してくるように感じる。
 暖かな洗礼で体を流すなか、ハイヤースペックを使った際に生えた『男の子』も、今では『女の子』に戻っていた。

 想夜は浴室から出ると、バスタオルを巻きつけリビングへ向かう。
「御殿センパイ、お風呂空きましたよ」
 ちょうど御殿が手馴れた手つきで傷を消毒している最中だった。その背後にそっと近づく。
「まだ痛みますか?」
「ううん、平気……きれいに斬られたから傷は残らないと思う」
 御殿が傷から視線をそらすことなく、返事をかえしてくる。
 その背中に想夜が近づき、包帯を手にした。
「手伝います」
「そう? お願い」
 御殿は首や腰を捻って腕のあちらこちらを止血してゆく。時々、医療用メスで切ったような鋭い切り傷を見るたび、想夜が心配そうに「痛い? 痛い?」を繰り返す。

 治療をおえた御殿が想夜の目をじっとみつめた。
「……」
「……」
 一直線に伸びてくる御殿の視線。見つめられて目をそらす想夜。恋人同士なら最高のシチュエーションだが、想夜にはハイヤースペックの件を催促されるのがわかっていた。

 想夜は視線をそらすことなく御殿と向き合う。

 先に口を開いたのは御殿から。
「愛宮叶子。あれは……人間の動きじゃなかった」
「……はい」
「別の生き物としか思えない」
「……はい」
「叶子さんの行動のひとつひとつに違和感はあったわ。けど同性愛者なんて今の時代じゃ珍しいことじゃない。同性婚も国で認められている」
「……はい」
「起こっている事態がおかし過ぎる。さっきの力は人智を超えてる。今回の事件は、ただの意識不明事件や誘拐事件なんかじゃない。もっと大きな問題があるんじゃないの?」
「……はい」
「叶子さんの日記には、おかしな言葉が書いてあった」
「……」
 挙句、だんまり。
 質問に対し、ただうなずくだけの想夜を見ていると、責めているようで申し訳なく感じる。が、そんな想夜に対して御殿はトドメの一言を放った。

「ハイヤースペックって……何のこと?」

 想夜の覚悟はできている。能力の真相を打ち明けるつもりでいる。それが妖精界のルールから外れたとしても。
 想夜は御殿を真剣な眼差しで見つめ、
「御殿センパイ、今から言うことをよく聞いてください。あたし、人間に話すのはこれが初めてです――」

 想夜は語る――。
「ハイヤースペックとは、妖精が持つ異能のことです。人間に継承することで、その人間はハイヤースペクターとなり、妖精よりも力ある兵器になります」

 それらひとつひとつの言葉に御殿は聞き入った。

 妖精からハイヤースペックを継承した人間がどういう経路で力を発動させるのか。その件については御殿も大いに気になっていた。想夜はそれら一つ一つ、丁寧に答えてゆく。

 人間がこの世に生を受ける時の話――。
 本来、肉体とは操り人形のようなものであり、肉体の中に宿るのが魂とされている。

 小さな魂は『偉大なる魂』と連動している。
 偉大なる魂――魂の収束する場。魂が終息する場。偉大なる魂は己自身。
 肉体に宿る前の魂の話――ある偉大な魂から零れ落ちた一滴の雫、それが我々人間の肉体に宿る命。いわば小さな魂。

 人は生まれ、育ち、何かを残し、そこで終わる。
 役目を終えた肉体は土に帰し、魂は再び偉大な魂へと帰ってゆく。
 肉体から解放された魂は濁流の中に混ざり合い、ふたたび別の一滴が産み落とされる。

 それらの工程を繰り返し行うことで、偉大な魂はより純粋で強大な生命体に進化を遂げる――これが輪廻転生である。
 コップの泥水で例えるなら、一滴を抜き取ってフィルターで浄化し、再びコップの中へ戻す。

 ――そうやって繰り返すうちにコップの泥水は、綺麗で透明な水へと変わる。

 人間界のコンピュータで例えよう。
 惑星という領域に記録媒体を送り、何十年分ものデータを記録させた後、本体である巨大な記録媒体に戻り、保存される。
 旅を終えたデータは地球から離脱し、メインフレームと一つになる。
 より多くのデータで満たされた記録装置は、より効率性を上昇させる処理が施され、知能豊かでスピーディなシステムを構築してゆく。
 洗練されたシステムは洗練された魂を生み出すことができるのだ。

 命の雫を産み落とし、操作し、回収する――その一連の作業を担っている生命体が輪廻転生システム。通称『ハイヤーセルフ』である。

 ハイヤーセルフは銀河系の中に無数に存在しているが、周波数も次元も違うことから肉眼では確認できない。正確な数も不明である。
 また、一体のハイヤーセルフから何粒もの魂を同時に生み出し、各惑星へ送り出すこともできる。

 ――その事実を認めないのは人間だけ。

「妖精界は何十年も前からハイヤーセルフの存在に接触し、長年にわたって研究データを蓄積してきました。これらの研究によって、妖精と人間との間に生まれるハイヤースペック共有理論まで漕ぎ着けたんです」

 いっぽう妖精界は、サイバー社会を取り巻く研究が疎かになり、世界のデジタル進化は人間たちより頭半分の遅れをとっていた。
 その遅れは、ハイヤースペック研究の進化という裏づけでもあることに異論はない。異能解明を果たした妖精界には、もはやサイバー社会を構築する必要がなくなったからだ。

 データ受送信、交通操作、売買取引、金融、電気、ガス、水道などの各インフラ設備、サイバー技術でできることはハイヤー技術で全てまかなえる。

 ――人間界と妖精界の進化は、科学とスピリチュアルに二極化された。

「ハイヤーセルフの存在にいち早く気づき、それを受け入れた妖精界は、さらなる研究を進めました。研究の末、人間は妖精から継承された力を共有することで、さらなる馬力を引き出せることが分かったからです。人間にハイヤースペックを使用させるか否かもハイヤーセルフが許可している。調査はそこまで進みました。力を継承した人間をハイヤースペクターと呼びます。叶ちゃんは紛れも無くハイヤースペクターです」

 パソコンでいうならば、ソフトとハードをつなぐデバイスドライバ。妖精と人間をつなぐ機能をハイヤーデバイスドライバと呼ぶ。

 人間がハイヤースペックを継承中でも、妖精は己の能力を使用することができる。妖精が単独で行動できることもあり、2人以上のパワーが発揮できる。また、妖精が眠っている間でもスペクターは力の発動が可能となる。
 接続を許可しているのは互いのハイヤーセルフ。妖精と人間のハイヤーセルフ同士の認証が必要となる。

 エーテルバランサーはスペクターのハイヤーデバイスドライバを修正、もしくは破壊することで、スペクターからハイヤースペックを削除することができる有能な存在。

「修正、破壊されたハイヤーデバイスドライバは復元され、誰とも異能を共有していない初期状態に戻ります。妖精は本来の能力を所持し、スペクターは元の非力な体に戻るんです。例外があるとすれば、人間と妖精を無理に引き剥がした際、脳と体に負荷が生じて、お互いの精神を破壊しかねない危険性があることです」

 人間も、妖精も――心が壊れたものは廃人となり、正気を保てなくなる。もしくは、ただ息をしているだけの植物状態となる。
 尚、ハイヤーセルフによるデータの回収、行動、ならびに回収後のデータ使用目的は現在も調査中である。

 スケールが壮大すぎる話、御殿は理解に苦しんだ。
 それでも想夜は説明しつづけた。1人じゃ背負いきれない思いを聞いてほしかったのだ。

「――あたしのハイヤースペックは、『紡ぐ』です。何かをくっつけたり離したり、力に倍率をかけたり。ワイズナーをリボンで結って変形させているのもその力の一部なんです。覚醒状態だと力や速度に倍率をかけることができます。力の数値を紡ぐんです」
「リボン操作が能力なの?」
「いえ、リボンはただの道具です、紐状だから使いやすいだけ。ベルトや鎖を使う妖精もいます。物体だけじゃなく、基本的に何かと何かをくっつけたり離したりすることが、あたしのハイヤースペックなんです」
「妖精であるアナタにはドライバは必要ないの?」
「はい。ドライバが必要なのは人間が妖精とつながる時です。あたしは一応、政府のバイトなのでヘタに人間と接続するとペナルティの対象になります。だから誰とも能力を共有してません」

 律儀に何かを守っている。公務員も誓約だらけで大変だ、と御殿は思った。

「スペクターはハイヤーセルフの許可がおりたってこと?」
「はい」
 コクリ。想夜は大きくうなずき、力なく微笑んだ。

 狐に摘ままれたような話。
 誰にも話せない事実。
 人間界で、ひとりで背負ってゆくことの重さ。
 御殿は想夜の孤独感を想像して思いを馳せた。

 だが、どんな理由であれ、起こっている事実を受け入れなくてはならない。ましてや現状を目の当たりにした以上、それを受け入れるべきだ。
 御殿だって修羅場を切り抜けてきたエクソシスト。異能を持つ輩は幾度と目にしてきたのだから、珍しい事ではない。

 ただ、御殿の脳裏にスペクターと化した叶子の姿が映り、その脅威から心拍数を上げてゆくのだ。

「さっきハイヤースペックを発動したスペクターを見せてもらった。それが全てを証明している。能力兵器の使用許可を出している者がいるということも信じましょう。でも……」
 御殿は想夜と向き合った。
「でも、なぜハイヤーセルフがそんな許可を出すの? アレはどう考えても殺戮兵器。想夜だって見たでしょ?」
 御殿は無残に切り刻まれた倉庫や暴魔を想像しながら大げさにあおいだ。クライアント兼友達のことを『アレ』とか『兵器』といった物数えをしてしまい、罪悪感から躊躇いを見せる。けれど、それもしかたないこと。御殿を悩ませるほどに叶子の能力は人間離れしていたのだから。

 なぜ叶子に能力の使用許可が下りたのか? ――想夜は考える。

 ハイヤーセルフは透明純度の高い魂を目指して進化してゆく。そして何より慈悲が大好物だ。だとすれば――。
「叶ちゃんの能力、きっと使い方が理にかなっているんです」
「理にかなっている? 虐殺することが?」
「そ、それは――」
 想夜は口をつぐんだ。虐殺するために叶子と華生は生まれた、などとは考えたくもない。

 なんらかの理由があって善良な人間が脅威となった。
 叶子のハイヤーセルフは、我々人類に戦争でもしろというのか?
 だとしたら、そのセンスを疑う。御殿の眉にいっそう力が入った。
 頭に血がのぼりかけ、想夜につめよる。
 険しい表情を前に怯える想夜を見て、呼吸を整えて頭を冷やす。叶子の問題は想夜の責任ではないから。

 たとえばハイヤーセルフが神に近い存在だとしよう。
 たとえば虐殺をするものがいたとしても、それを咎めるのは人間のエゴであり、神の考えるところではない。
 すべての決定権は神にあり、人類の考えを超越したルールがそこにはある――そんな一神教の考えを考慮するべきなのだろうか?

 戦争が正しいこともある、と解釈しなければならないのか?

 戦争の後に1000年の至福が待っているとでも言うのか?

 物事の善悪は人間が決めているだけのエゴに過ぎない。となると、今おかれているこの状況は、起るべくして起っているのか?

 この先、自分たちが納得できるよう神は神のやり方で、精密で、巧妙に、効率的に物事を終息へと向かわせてゆくのだろうか?

 いくつもの疑問が御殿を煽り、答えを欲しては無駄な追求へと駆り立てる。神が答えてくれるわけがない。

「――もし叶子さんの行動が理に適っているのだとしたら、今の状況は通るべき道なのかもしれないわね」
 御殿から自信の無さがうかがえた。この行く末を見ることにしたとはいえ、不安に包まれているのは事実。場合によっては叶子の血をみるかもしれない。場合によっては自分たちが血を流すかもしれない。そんな未来が待っているかもしれない。
「胸クソ悪い状況ね」
 御殿のひと声に、想夜がションボリと肩を落す。すべては自分たち妖精の責任だと思っているらしい。

 御殿が小さくなった想夜の肩に手を置いた。

「ごめんなさい、別にアナタを責めてるわけじゃないのよ」
「わかってます。御殿センパイ、優しいもん」
「優しいところしか見てないから、そう言えるのよ」
「優しいとこ以外も、ちゃんと見てますよ」
 と、子供を諭すような優しい口調で想夜が言う。
「そう……?」
 母親に慰められたように力なく微笑んでは、想夜の頭をなでる御殿。
 なでられるほうも子犬のように尻尾を振って遠慮がちに喜んでいた。
 あまりにも気持ちよさそうに喜ぶので、御殿は想夜の頭を胸元へとたぐりよせ、今度は両手で頭全体を包んでもっと撫でた。
 水気をきった妖精の濡れ髪からシャンプーの香り。
「ふふ、御殿センパイ、くすぐったい」
 想夜が身をよじる。
 想夜を元気づけようとする御殿がちょっとだけ悪ふざけ。想夜の顔をわしゃわしゃと拭う。
「もっと? こんな感じ?」
「えへへっ、そこは顔~っ」
 おふざけ半分にじゃれ合う。そうやって互いの緊張をほぐしてゆく。
 御殿は想夜の頭をもっとタオルで拭いてあげる。研究所で彩乃がしてくれたように。
「タオル、お日様のいい匂い……」
「そう?」
 想夜はタオルに顔を埋め、スゥ……と息を吸う。


 想夜の髪が乾き、セミロングほどに伸びた毛先をリボンで束ねる。

 2人は思考を続ける。

「たとえば、虐殺が正しいとしたら、なにを守るために能力を使用しているのかしら?」
「叶ちゃんと華生さんは周囲への飛び火を避けていた。だから――」

 ヒントは『みんな』だ。

「日記に書かれていた通り、叶ちゃんがより良い世界を構築するのなら、ハイヤーセルフも能力使用を容認するハズです。ハイヤーセルフは神聖な存在ですから」

 ハイヤーセルフが人間と同じ価値観を持っているとは限らない。偉大な存在は人間の考えを超越して物事を解決へと導くのだから。

 想夜の脳裏に過去の光景がよみがえる。それは天窓を見上げる叶子の姿だった。

「きっと、叶ちゃんはひとりで世界を背負う気でいるんだ。いつもそうだった。自分の存在で他人が傷つくことを恐れていた。ずっと……ずっと……優しくしてくれた人間だったもん……」
 大切な友達なんだもん――遠ざかる友の背中。感極まって涙が溢れた。クシャリと歪んだ顔を両手で隠し、妖精は訴える。
 良き友との思い出は宝石よりも光り輝く――朝霧でできた雫が朝日を浴びて光反射するようにキラキラと。
 力になりたい。そんなの御殿にだって同じだ。
「でも……相手は脅威。本気で殺しにくる。次はわたし達が殺されるかもしれない」

 御殿の言葉でシンと静まり返った部屋。

 2人――ボロボロになった妖精と慰めの言葉すら浮かばない役立たずのエクソシスト。差し込む月明かりのスポットライトほど惨めな演出はなかった。

「理由はどうあれ、あのような危険な力を野放しにしてたら危――」
 御殿は口をつぐんだ。これから刻まれるであろう多くの犠牲者を想像した瞬間、日記の言葉が脳裏に浮かんだ。

『パラダイムをシフトする――』

 そう書いてあったのを御殿は思い出したのだ。
 想夜も何かを思い出し、ハッと顔を上げる。
「そういえば叶ちゃん、口癖のように言っていた。『世界の価値観は誰が決めているんだろう?』って」
 想夜には叶子と華生の未来が想像できた。それは紛れもない地獄絵図。

 叶子のパラダイムシフト。それは世界をふるいにかけること――慈悲をもつものを見極め、それに値する人間を残し、値しない人間を消していく未来。そこには当然のように淘汰が起こる。

 叶子は負の淘汰。
 叶子は『不要なものを切り捨てる』という道を選んだのか。
 華生が生き残るように……この世に慈悲が残るように。その手をふるいに伸ばそうとしているのか。

 想夜の恐怖するところが正しければ、これから叶子は、そうやって人類を、妖精を、魔族を虐殺しながら絞り込んでゆくだろう。ふるいの隙間幅は、力を持った者に決定権がある。
「その手始めとして、スカウトマンを狩るのかもしれません」
「スカウトマン?」
「はい。スペクターを魔界側に引き入れる魔族のことです」
「そんな連中がいたの?」
 叶子の日記に書かれていた「ゲスども」の意味がようやく理解できた。魔界もハイヤースペックを手中に収めようとしているという事実。

 スカウト方法は簡単だ。心の隙間に憑依するだけでいい。心に隙がないのなら、口の中に悪魔の血の一滴でも流し込めば簡単に済むこと。

「どの業界もパワーのある人材は必要ですからね」
「魔界からのヘッドハンティングか。厄介ね」
「あと、ハイヤースペックには長所と短所もあるんです」
「長所と……短所?」
「はい。叶ちゃんの場合、スピードとパワー重視のアサルトタイプです。あたしと似てますね。となると、体力は高くないと思います。ブレイドとスピード以外の特殊能力は考えから外していいでしょう」

 ハイヤースペックは基本パラメータで構成されている。大きく分けるならば、腕力、速力、体力、知力の4つ。どれかがズバ抜けて高い場合、別のどれかが足を引っ張り弱点となるうる。
 二物を与えた分だけ鉄枷は重量を増す。可愛い子、カッコイイ奴が『嫉妬の被害』という鉄枷をはめられているように。
 想夜は腕力と速力に重点を置いており、紡ぐ能力も知力として割り当てている。そのため、さらに体力面が著しく低くなる。つまり打たれ弱い。暴魔の一蹴りでも内臓をえぐられるような痛みを感じる。
 叶子は速力ベースため、他のパラメータに余裕がある。想夜よりも腕力は劣るがダメージ耐久は高い。
 力に大きな偏りを持つ者もいれば、均等なバランスタイプもいたりする。人の好みは多種多様である。

「愛宮叶子は腕に深手を負ってる。耐久性を失った彼女は、魔族側からしてみれば落とすチャンスってところね」
 憑依された人間は自制心がなくなる。生きるための選択肢すら与えられない。いくら叶子の力が脅威とはいえ、何百何千の魔族と対峙した時のダメージは致死量に値する。

 とたんに想夜の顔から血の気が引いた。

「叶ちゃんの体が魔界のものに……?」
 事態は深刻極まりない。想夜の中で負の連鎖が起こる。
「さっきの日記の内容。それに華生さんの言ってたこと――」
「日記の内容? 華生さんがどうかしたの?」
 MAMIYA研究所で華生の言ってたこと――『わたくしがいなくなれば、妖精界で傷つく人はいなくなる――』。
 想夜と華生の会話に参加していない御殿には知りえない事実。

 想夜は何かを思い出したかのように声を上げる。
「居場所をなくした者たちは、一体どこへ行くんだろう――?」
 かつて妖精たちは人間界に住んでいた。けれど、人間たちの心が穢れてゆくにつれ、妖精たちは周波数を変えて姿を消すこととなり、妖精界へと居場所を移した。

 だけど、叶子と華生の居場所はもう……。

 想夜は叶子と華生の答えにたどり着いた。
「叶ちゃんと華生さんを……止めなきゃ――」
 心あらず。想夜はボソリと独り言を吐き、月を見上げて歩き出す。
「ちょっ、待ちなさい! ひとりじゃ危険――」
 御殿を振り切った想夜は窓から身を乗り出し、ベランダに足をかけて飛んでゆく。
 羽を広げる背中に御殿が手を伸ばすも、あと一歩のところでつかみそこねてしまう。勢い余って、自分が落下しそうになった。
 想夜は羽を広げ、1人で飛び立って行った。
 遥か遠くへ飛んでいく妖精を見上げ、御殿はギリリと奥歯をかみしめた。
「どこへ行こうというの!? いくらなんでも無謀すぎる!」
 想夜が何かを言いかけたのが気になった。


 叶子と華生はこれからどうするのだろう? 御殿には分からない。

 ベッドの上、無造作に脱ぎ散らかした制服。衣類をキチンとたたむ習慣を持つ御殿にはめずらしい光景。それだけ緊急事態ということだ。

 御殿は制服を脱ぎ、ふたたび漆黒の衣装を身にまとい、ネクタイをキツくしめた。
 一瞬で変身できたらどれだけ楽だろう。美少女戦士や何とか戦隊が羨ましい……と、毒づきたいほどに急いでいた。
 ホルダーから銃を取り出し、マガジンをすばやく引き抜き詰まった弾丸を確認する。
「まさか、こんなにも早くこれを使う時がくるとは――」
 怪訝な顔で実弾に手を伸ばし、懐に忍ばせた。
 手にした実弾はプラスティック仕様の退魔弾とは違い、ズシリと重かった。その重さたるや重量の問題だけでなく、命の重さも加わってるのだと実感する。
 ましてや叶子とはクライアント以上の関係を持ってしまった存在。出会って間もないが、すでに御殿の日常の一部になっている。

 命+α――αが乗るだけで装備重量がズシリと増す。

 とはいえ、叶子はスペクター。覚醒時は半分妖精。生粋の人間ではない。そんな理由から、退魔弾が意味を持さないことは先の戦闘から簡単に予測できた。退魔弾が効くのは魔族だけであり、人間と妖精には無効だ。
(人間相手に実弾入りの銃口を向けるのは予想してなかった……いや、人間ではないのか。いや、人間であることに代わりないのだが……)
 もうワケがわからない。

「ふぅ……」
 深呼吸。銃のスライド部分を額中央に押し当て、目を閉じ、ゆっくりと息を吐く。
 この戦いでどれだけの犠牲者がでるのだろう――いや、犠牲者を出さないことが任務なのだ。
 しっかりしろ御殿! 心の中で叫んで奮い立たせた。
 御殿は厚手のパレオを怪人のマントみたくひるがえして部屋を出る。

 ほわいとはうす、地下駐車場。
 御殿は駐車してあるバイクにまたがりスロットルを全開に捻りあげ、夜の街を走り抜けた。