6 人間の証明


 ――御殿が沢木の事務所を訪れた1時間ほど後のこと。
 聖色市 流船せいろんし るふな
 沢木が会社を立ち上げてから日も浅く、案件確保に走り回る日々。
 それでも酒の味ははずせない。それが大人。大人の楽しみは夜から始まる。子供が得ることのできない楽しみがそこにある。
 日常では背伸びした学生が深夜のコンビニにたむろする光景が見られるが、夜の世界はそれだけ魅力的な何かを醸し出す。未知なる魅惑に溢れているのは皆も知っているだろう。

 駅前ロータリー端。屋台のおでん屋――。
 赤霧事件であれだけ燃えさかった流船も、少しずつ片付けが進んでいた。
 夜遅くの街角。ぽつんと灯りをともす、駅前にひっそりと店を開く木造のおでん屋台。店のまわりは透明なシートで覆われ虫と寒さ避けを兼ねており、外からの喧騒もやわらかく遮ってくれる。鍋の中ではおでんが静かに煮えて、ほどよい熱気が立ちのぼる。だしの香りが夜気に溶け込み、通りを行き交う人の足をふと止めさせるよう、じんわり食欲をそそっていた。
 『おでん』と書かれた赤い提灯が微風に揺れる。
 少し冷える、そんな夜のこと――。

 頭にタオルを巻いた無精ひげの初老が皿を片手に菜箸でおでんをよそう。
 ここは沢木、行きつけの穴場。だしのしみこんだ大根に甘辛の田楽みそをかけてくれる。これがまた酒と合うんだ。

 獣人の青年とふたりして古い長椅子に肩を並べながら話し込んでいる。
 狼の獣人である彼の名は火雅 氷丞ひが ひょうすけ――チンピラ風の暗い色のスーツを上半身に直にまとい、肉厚な胸元を見せつけているヤカラ系。細身だが引き締まった筋肉と整った体幹は若者特有のバネの通った躍動感を醸し出している。目つきは鋭くオラついており、肩で風を切るように歩いては周囲を寄せ付けない尖った雰囲気を与える。しっかりとした眉毛はキリッと上がり、ビタミンB欠乏症のような顔色の悪さではるが弱さは微塵も感じられない。終始イキリ立っており、町を歩けばケンカを吹っ掛けられることもしばしば。しかしながら律儀でもあり、上下関係には厳しく、特に目上には礼儀正しい。男のプライドからか負けることが嫌いで暴力沙汰の仕事はきっちりこなす。フレイムワークスに所属するほどの実力ある格闘家で、人間に頼られるほどの屈強さを兼ね備えている。23歳。

 氷丞がフレイムワークスの集会で狐姫とひと悶着あったのは記憶に新しい。仕事にあぶれていたところへ、沢木を紹介してもらったのは先日のこと。恋音れおんと同様、氷丞も人間の経営者にどえらい目に合わされた過去を持つ。それなりの力量を持つがゆえに利用されることが多く、えらくこき使われあっさりと捨てられたものだ。そんなことからブラック企業の経営者は悪魔レベルに冷淡で質が悪いことも学んだ。とかく身勝手な人間たちに振り回される暴力祈祷師のひとりである。
 狼は本来、群れを成すもの。だが、一匹狼の獣人として生きてきた氷丞にとって、沢木の会社で仲間と共に同じ釜の飯を食うことは価値ある生活となっている。一時期は人間不信に陥ってはいたが、人間だって悪い奴ばかりじゃないと知った。狐姫のおかげで人間たちの良い一面を垣間見るチャンスを得られた。それは氷丞にとっては大きな進展だ。いつかその恩を返すのだと願っている。

 暴力祈祷師たちの夜――今日一日の疲れを癒す一杯。オトナタイムの始まりでいっ。
「おやじ、熱燗おかわり。氷丞おまえは? もう1本いっとく?」
「あ、はい。いただきます」
 沢木に促された氷丞が首だけ下げておでんにがっつく。若者らしいインスタントお辞儀。そのあと横目を沢木に向ける。
「沢木社長、夜くらいグラサンはずしたらどうすか?」
「オメーは余計なこと言わなくていいんだよ。ほら、もっと食え」
 若者におでんをうながす沢木がおやじから瓶ビールを受け取る。
「沢木の旦那ぁ? こんなご時世に酒で時間つぶしていいのぉ?」
「かてぇこと言うなよ。本日は閉店ガラガラーってな。がははははっ」

 から元気で爪楊枝を加え込む沢木。タイミングよく手前の店でシャッターが静かに降りる夜。男たちの夜。
 氷丞はホロ酔い沢木を横目で見ながら、煮え切らない態度でビールをちびりちびりとやる。人間には心を開かない氷丞だが、沢木が気を使ってくれていることくらいはわかる。それゆえ、おでんの具も遠慮がち。相手の懐を気にしてか昆布や白滝といった安物ばかり注文していた。
 けなげな若者を見てか沢木が漫勉の笑みをつくる。

「若けーのに昆布ばっか食ってんじゃねーよ。タマゴ食えタマゴ! 精力つけろや。おやじ、こいつにタマゴとウインナーと餅巾着、それから……大根? それと、からしマシマシで」
 若者の肩をポンポンやりながら酒臭い息をまきちらす上機嫌の中年の姿がそこにはあった。
「それにしてもおまえみたいな若けーのが俺んとこに来てくれて助かったよ。暴力祈祷師も人手不足だからよお、やっぱスタートアップって重要じゃん? どこの会社も獣人の手はほしいわけよ。ほら飲め飲め、今日は歓迎会だ!」
「どもッス」
 並々注がれるビールの泡に口をつけつつ、敬意があるのかないのかわからない態度でペコリと浅く頭をさげる姿が若者らしい。
獅子しるこのやつは? 誘わなかったんスか?」
「あいつ未成年じゃん」
「あ、そっか」
「それに女飲みに誘うとセクハラって言われるんだぜ、知ってた? 世知辛れー世の中だよなあー」
 と、吐き捨てるようにコンプライアンスに中指を立てる飲兵衛のんべえ。悪魔をぶっとばせても人間同士のめんどくささにはホトホト骨が折れる。

 今回の誘いは氷丞からだった。紹介したい男がおり、待ち合わせ場所で迷っていたところを沢木にここへ連れてこられた。金ぐらいは自分で出せるが、まさか奢られるとは思わなかった。獣人だって申し訳なさくらいは感じている。

 氷丞は口いっぱいにほおばったウインナーをビールで流し込み、端末で時間を確認した。
「――そろそろ時間すね」
 暖簾のれんごしに外をのぞくと、前方から髪を逆立てたテンションアゲアゲのアロハシャツ筋肉男がフラフラと近づいてくるではないか。
「チョリーッス火雅ちゃーん、おまたー?」
 でた! 伊集院カズマ、久々の登場!


 氷丞が伊集院の紹介に入る。
「沢木さん。こちら別案件で知り合ったダチの伊集院カズマさん、情報屋です。何かと重宝すると思うので紹介しておきます」
「おう、よろしく。おやじ、こちらの方にもビール」
「あいよ、ビールね」
 小型冷蔵庫から瓶ビールを取り出して栓を抜く。シュポッと心地よい音が夜の雑踏にこだまする。
「伊集院さん、まあここ座ってくださいよ」
 すっかり酒が回っている沢木が上機嫌で伊集院を席にご招待。
「あ、火雅ちゃんのダチの伊集院カズマでーす。失礼しまーす」

 伊集院はキャバ嬢よろしくキャピキャピしながら腰をおろした。ウェーイ、椅子に座るぜ~。どっこらしょっと。

 哀愁ただよう屋台の長椅子。そこに男3人が肩を並べる。

「――キミ暴魔なの? あぁ、そうだ名刺名刺……」
 沢木は胸ポケットをまさぐり名刺を取り出す。
 氷丞から伊集院のことは聞いていた。過去の古傷もあってか悪魔に容赦のない沢木だが、人間に肩入れする悪魔と聞いて興味がわいた。御殿の知り合いということもあってか、信用はできそうなので甘んじて受け入れることにした。

 伊集院もズボンのポケットから名刺入れを取り出す。
「あ、ご丁寧にすんませーん。伊集院と申しまーす。暴魔でーす。情報屋でーす」
 チャラい口調で箸立てから割り箸を取り出す。悪魔だけど人間の生活にすっかりなじんでいる。
 出逢った時から無礼講。名刺だって片手で交換。礼儀もけっこうだが、狂った世界で戦う者同士、どこかで気を抜かないとやっていけない。飲みの席くらいは気楽にいこう。

 男たちが仕事やら日常話まで、幅広い話題で盛り上がっている――。
「――おでんと酒って合いますよねー。おまえらは酒のために生まれてきたんだろ? 呑気にだし汁なんかに浸かりやがって。知ってんだぞ、ああん?」
 すっかり酔いのまわった伊集院カズマ、おでんを指さし絡み酒。すでに人間と大根の区別もつかなくなっていた。
 そこへ沢木がガハハと笑って便乗。酒臭い息をプンプンさせながら周囲に吹きかける。
「おうよ。おでんなんてのはよぉ、おかずだの主食だのってツラして気取ってやがるけど、テメーら酒の肴こっち側の人間だろってんだよなあ?」
「人間じゃねーし」
 苦笑する氷丞がビールをちびりとやる。クールな俺カッコイイ的な。しらけ世代の大学生のよう。
 沢木が声を張り上げる。
「おやじ、ビームおかわり! なんつって!」
 渾身のおやじギャグ。
「あいよ、ビーム1本」
 ビールを差し出すおやじも手慣れたもの。
 男同士、しょーもない談笑で盛り上がる。

 挨拶やら男子トークはそろそろ済ませて、さっそく本題に入る。

 以前から沢木のもとにくる案件では不可思議なことが起こっていた。それが極端な悪魔の増殖。そして町の魔界化だ。
 ここ数日で起きた事件の数々を改めて氷丞に調査させたところ、サタンコンパイルという言葉を伊集院から聞き出せた。まさか先ほどの御殿との会話において、さっそくその言葉を出すとは思わなかったと驚愕していたところだ。
 トントン拍子に進む出来事に、沢木はただならぬ未来を感じている。天使の招きか、悪魔の招きか。正体不明の危機感からさらなる情報がほしくなり、つい先ほど氷丞を通して伊集院とアポイントを取り付けることにしたわけだ。ネットにゴミ情報がぶちまけられたご時世、情報通を抱えておいて損はない。

 おでんをつまみつつ、氷丞と伊集院の会話が続く。それを沢木は黙って聞き入る。
「さっきカズマさんにメールで伝えた通り、聖色市にはびこる悪霊の数が尋常じゃないことになってきている。やっぱりサタンコンパイルが始まっているってこと? カズマさん、今町では何が起こってんの?」

 氷丞が瓶ビールを伊集院のグラスにそそぐ。酒は口の潤滑油。上司からゴチになっている以上はなるべく話を聞き出したい。

「あー、それねぇ……」
 伊集院がグラスを一口あおり、少し考えてから口を開いた。
「知り合いの暴魔に聞いても首を横に振るだけなんだよねぇ。大規模なサタンコンパイルが始まっているわけでもなさそうなんよ。一部のエリアを覗いてはね」
「一部のエリアではマジで起こっているってこと?」
「うん、そうみたい。だだねえ……」
 伊集院がグラスを見つめながら物思いにふける。
「なんか問題アリ系?」
 氷丞に問われた伊集院は面白くなさそうにおでんをつつく。
「うん。一部の人間が今起きている事態を嗅ぎ付けたらしくて。なんていうの、悪魔狩りデビルハンター? みたいなことを始めちゃってるのよね。こうしている今もネットに情報が出回ってるみたいよ? 静かに暮らしている暴魔たちもビビっちゃっててさ、もう誰が悪者なのかわかんないよね。ははっ……」
 力なく笑う姿は暴魔というより善良な市民そのものだった。

 人間界にも静かに暮らしている悪魔がいる。人間の生活に紛れ、人と手を取って共存し、納税もしている存在。彼らまでもが人の手によって刈られる日々が始まっているというのだ。
 呆れる伊集院の乾いた笑い――それが場の空気を沈黙させた。

 沈黙を破ったのは氷丞だった。暗いトーンでささやくように口を開く。
「マジかよ。なんでそこまで暴力沙汰になってんの? 動画配信が狙い?」
「それもあるけど、面白がって追いかけまわす連中とかさ、暴力に味を占めた連中がストレス発散やら憂さ晴らしに正義の味方ごっこ始めちゃってるわけ。暴力祈祷師ごっこっていうの? 日本の法律だと人間以外なら殴り殺しても大した罪にならないでしょ? 動物殺しても器物破損とか、そんなんじゃん? 人間の中には『裁かれない』とわかったとたん、暴走する奴らであふれかえってるのよね。正義の名を借りた暴走。正義という言葉を免罪符にしてさ、自分たちが悪魔を狩る正義の使者だと思っちゃってるわけ。SNSとかさ、自分たちをこの世の主人公気取りで他者を叩きまくってる奴もいるでしょ。あれのリアル版だよね。タチの悪い正義マンが徒党を組んでネットの世界から出てきちゃったみたいな」

 暖簾の隙間から外界をチラ見する沢木の目に、数人の若者の歩く姿が映る。彼らの手にはバットや鉄パイプ、スタンガンなどが見られた。これが人間の本来の姿なのだと考え始めると、たちまち気が滅入ってくる。
 銃刀法違反ではあるがその暴力的な存在たちを前に、近づく警官さえも危機感を募らせているのが現状だった。
 暴力祈祷師はそういった人間を目の当たりにするたび、「自分たちはいったい何を守っているのか?」とゲンナリとした自問自答を繰り返すのだ。

「まあ、人なんて所詮はこんなもんよな。正義を振りかざして誰かをぶちのめしたくてウズウズしてるのさ」
 と、沢木がため息をもらす。物騒すぎる世界を見れば舌打ちするしかなく、混沌とする夜の街で、他の2人も深いため息をもらした。爆笑しながら街を闊歩する武装集団を目にした以上、人間とは何なのかと自問せざるを得なかった。


 ほどよく酔いもまわって舌が滑りやすくなってきた頃――。
 無口な氷丞も口数が多くなっていた。
「一部の人間が悪魔化したってことは化けの皮がはがれたってこと? 憑依とかじゃなくて? やっぱサタンコンパイル?」
 立て続けに質問する氷丞に伊集院がコクリとうなずく。
「おそらく。もしくはそれに近い現象が起きてるのは確かなのよね」
「なんでいきなりそんな現象が始まったの?」
 氷丞に問われた伊集院は深く腕を組み、ウ~ンとうなった。
「いきなり、とは言い切れないかな。ずっと前から誰かが計画していたことを実行に移しただけ。って話が暴魔たちの間でウワサになっている。今回は小規模での現象だから、テストとして実行している可能性のほうが高いかもね」
 それを聞いた沢木が肩を乗り出す。
「テスト? 実行犯は酔酔会すいようかいか? なにか心当たりは?」
 問われた伊集院は沈黙後、少し考えてから口を開いた。
「流船の赤霧事件。あれが尾を引いている線が濃厚なんですよねぇ。あの日から急激に悪魔が増えた感じなんスよ」
「でも、暴徒化した人間はみんな正気に戻ったんでしょ?」
 と氷丞が問うと、伊集院がおでんをモグモグしながら大きくうなずいた。
「うん。ほぼね」
「ほぼ? 赤霧事件の患者は全員正気に戻ったわけじゃなかったのか?」
 と、沢木がグラサンの奥にある目を細めた。

 赤霧は金盛から押収した大樽だいそんの壺を使って吸引した。その一連の作業はフェアリーフォースに一任されていた。やがて時間経過とともに狂暴化した人々の症状はおさまった。はずだった――。

「かなり多くの人間が赤霧を吸い込んで狂暴化したわけっすけど、中には狂暴化したまま消息を絶った人間もいるんですよね……」
 伊集院はそう言うとグラスを持ったまま、それを煽るでもなく、テーブルに置くでもなく、何やらポカンと口を開いたまま考えるそぶりを見せた。
「おいおい物騒なこと言わないでくれよ。消えた奴らって本当に人間なのか? まさか赤霧を吸い込んだ人間の中に悪魔モノホンが混ざってたんじゃねーだろうな? だとしたら赤霧ってのは悪魔をあぶり出すための浄化剤か?」
 氷丞も沢木の考えに便乗する。
「それって狂暴化した人間全員、悪魔候補ってことですよね?」
 おおげさにする沢木が灰皿にタバコの灰を落とす。
 氷丞も口をポカンと開けたまま恐怖で言葉が続かなかった。

 人食い絵画からあふれ出した悪霊たちは一匹残らず沢木と御殿、そして宗盛の3人で狙撃した。それは間違いない。
 赤霧で狂暴化した大多数の人間――彼らに悪魔の要素があるとするのなら、人間の生活の中には相当数の悪魔が紛れ込んでいるという証明にもつながってくる。

 氷丞がグラスを見ながらつぶやくように言う。
「もしも沢木さんの言ってることが的中してるなら、人の姿をした悪魔が日本中、いや、世界中に紛れ込んでいることになる。それが事実だとしたら、この世界は地獄と変わらないのではないか? 俺たち暴力祈祷師に、勝ち目はあるのか?」

 あらゆる戦争、非道な事件と惨たらしい結末――それらを想像するに、この世が平和だなんて滑稽な話だ。そしてこの世が地獄の一丁目と仮定するのなら、あらゆる悲しい出来事にも納得がいく。

 他者の苦しみに無関心の人々。
 他者の苦痛に笑みを浮かべる人々。
 それらは果たして人なのか?
 ――いや、それは悪魔と変わらないのではないか?

「――まあよ」
 しばしの沈黙の後に口を開いたのは沢木だ。年長者としては場の空気をいい感じに持ってゆくのも大人の務め。若い者の暗い顔は見たくない。
「所詮この世界は地獄の氷上さ。人間てのは地獄の上に張られた薄い氷の上を歩いているわけさ。俺の女房も悪魔に憑りつかれて息子ガキ殺したあとに自分の首かき切って死んじまってさ。けっきょく俺だけ独り身になっちゃったけど、女房と息子のことがあって今の俺がいるわけだし、それを考えると人の意思が残っている以上は守る価値のある世界だと思うぜ? 親切な奴を見ていて悪い気はしねーからよ」

 沢木はゆっくりとカラーグラサンをはずし、ややぎこちない動きの左目を周囲に見せた。

 若者ふたりが息をのみ、店のおやじだけは黙っておでんを煮込んでいた。
「沢木さん、その目……」
 氷丞と伊集院が、違和感のある沢木の左目を凝視する。
「ああ、義眼さ。悪魔に憑依された家内にえぐられちまってね。まあ暴力祈祷師の過去なんてこんなんばっかりさ。俺なんてまだマシだぜ? 咲羅真なんて育った町を壊滅されていきなり心臓をグサリッ、で一度ポックリいってるからな。氷丞おまえだって悪魔には痛い目にあわされてきたクチだろう?」

 問われた氷丞の脳裏に悪魔への数々の恨みがこみあげてくる。かつての恋人は複数の悪魔に目の前で殺害された。その中には人間も混ざっていた。そんな悪魔たちをのさばらさないために暴力祈祷師となり、かたっぱしからクズどもを地獄に送り返してきた。とうぜん当時の犯人も全員割り出し、この上ない苦痛を与えた後に地獄送りにしている。
 
「だがな、誰かを想う人間が一人でもいる以上、この世界は守る価値のある場所だと思うぜ? 悪魔が侵略してくるのなら俺たちも派手にやってやろうじゃねえか。いつまでもケツ掘られたままってわけにはいかねぇからよ。この世界を股にかけて派手にやってやろうじゃねえか。人生色々ってな。なあおやじ、あんたもそう思うだろ?」
 沢木は人生経験豊富であろう店のおやじに話をふった。

 店のおやじは椅子に腰をおろずと一息ついて、星を見上げて声をもらした。

「そうだねぇ。今までも色々あったけど、なんだかんだで乗り越えられることばかりだったなあ。そりゃあよ、そん時は人生のおしまいだーとか頭かかえて泣き叫んで慌てたけど、結局は乗り越えられるようにできているんだよなあ。失った分だけ出逢いがあって、いい思い出を作ることで嫌な過去に独占されていた気持ちも小さくなっていくもんだよ。それを考えるとぉ、そんな深刻に思い詰める必要もないんだろうなあ」

 その時は一巻の終わりだと思っていても、それは視野が狭くなっていて答えにたどり着いていないだけの話。行き止まりではない。必ず乗り越えられる道ってのは用意されていて、ただそれに気づいていない時間が人を焦らせる。されど最後には嫌な出来事もすべては過去のものとなって色あせてゆく。どうしても忘れられない嫌な思い出は、日々の新しい出来事で押しつぶしてしまえばいい。脳のキャパシティーだって限界がある。貴重な脳みそを悪い記憶で埋め尽くすのはもったいないことだ。イラつく記憶など新しい経験で追い出してしまえ。新しい経験をするたびに脳は変化してゆく。変化は新たな道を切り開く力の源。それを理解し実行できれば、それは一流の証さ――と、おやじは熱弁をふるった。

 そしてこう付け加える。
 それでも、どうしても納得のいかないことがあるのなら、命をかけて決着ケリをつけることだ、と――。

「おやじぃ、いいこと言うじゃねーか。聖色市も厄介な事態になってきたけどよ、あんたんとこも気をつけなよ? 子供いるんだろ? 今何してんの? 看護師だっけ?」
 ニタニタ面の沢木がグラスをおやじに向けて質問する。
「ウチの娘かい? 病院辞めて乳羽うばの店でがんばってるよ。耳になんかこう……ジャラジャラつけちゃってさ。今度飲みにいってやってくれや……あ、野郎じゃ入れない店だっけか」
 がははと大口開けた笑い声が深夜の街にこだました。


 みなさん、ロレツが回らないくらいに酔いが回ってまいりました――。
「こんなご時世だ、10万するフグの懐石だの、100グラム1万の松阪牛だの何だの、高いもんはあらかた食ったけど、こんなクソボロい屋台の100円の大根が一番うめぇ」
 沢木の冗談におやじが片眉を吊り上げた。
「こんな店だとお? 言ってくれるじゃねーか。こちとら仕込みから何から命かけてんだってーのっ」
 と、おやじは笑いながら菜箸でつつくマネをする。
「言うねー。俺も冷ややっこに醤油かけちゃおーっと。おっと、カツオ節逃げちゃったぜー」
 沢木がこぼれたカツオ節を皿に戻した。
 氷丞が伊集院に顔を向ける。
「カズマさんて暴魔なんですよね? なんで暴れないの?」
 素朴な質問である。
 確信を突かれた伊集院が照れながら答える。
「え? ほら、人って向き不向きがあるじゃない?」
「人じゃねーし」
 と氷丞が苦笑。
「俺も魔族の看板背負って人間界に来たわけなんだけどさ、こっちの世界で世話になった人間や、こんな俺でもついてきてくれるかみさんがいてくれるわけ。愛する子供たちもいて幸せ独り占めなの。それなのに人間界壊すのって合理的じゃないし、そこに愛ってないじゃん? やっぱ恩は返したいじゃん? 恩を仇で返すなんてのは悪魔のすることじゃん?」
「いや、カズマさん悪魔でしょ?」
「そうだそうだ! 伊集院くん悪魔に向いてない。あきらめて人間こっち側にきなさい!」
 ベロンベロンに酔っぱらった沢木が酒臭い息を吐き散らかして三行半をつきつける。
「ははは……。まあ、そんなわけで悪魔向いてないんすよ俺、てへっ」
 さんざんいじられ頭をポリポリかく。
 沢木、今度は氷丞に話をふる。
「そういやおまえも獣人じゃねーの?」
「あ、忘れてた。俺獣人じゃん。ウチら3人とも種族バラバラっすね」
 沢木、店のおやじにも話をふる。
「ひょっとしておやじも人外? ……おでん妖怪?」
「誰が妖怪だよバカヤロー」
 発砲しそうな顔をした。

 街の一角に男たちの笑い声――狂いはじめた世界でも、まだ平和な時間は残っている。

 沢木は背中を丸めて冷酒のコップをちびりとやる。
「まあよぉ、人間の中にも人間に向いてないヤツらだっているからなあ。人のツラした悪魔ってやつ? それを考えると人の皮なんてのは飾りみたいなもんだよなあ」
 過去に出逢った悪魔のような人間のツラが何人も浮かんでは消えて、ちょっぴり気持ちが暗くなった。
「ひょっとしてカズマさんが赤霧で暴魔にならないのって、すでに中身が人間になってるからじゃないっすか?」
 と氷丞。
「あーそれなー、俺もそう思ってたんだわー」
 沢木がなれなれしく伊集院の肩をもんだ。
 伊集院はだらしなくヘラヘラと笑いながら答えた。
「やっぱそうなんですかねー。魔界に帰りたいとも思わないし、こっちでの生活が続けられるのなら続けたいんですよねー」
 暴魔でも人間界では一家の大黒柱。妻子の写真を取り出すと物思いにふけった。守るものがある男の顔だ。

 そんなやり取りを見て苦笑する伊集院がグラスをあおろうとした。 ――そこで重要なことを思い出す。

「――そういえば、妖精界が何やら慌ただしいらしいっすよ」
 箸で大根を割る伊集院に沢木が体を向けた。
「フェアリーフォースがらみか? 聞かせてくれや」
 と、冷ややっこを大口開けて食しながら耳を傾ける。
「なんでも留置場から脱走者が出たとか。迅速にことが運んだことから考えると内部に手引きしてる隊員がいるね、ありゃあ」
 伊集院はほおばった大根をかみしめ、ビールを煽って流した。
「逃げたのは凶悪犯か?」
「いや、武器を作ったり違法改造したりする……なんだっけ、ブラックスミス? それと赤霧事件のレプラ金盛も行方がわからないそうっすよ」
 それを聞いた沢木がしかめっ面をつくった。
「あちゃー、金盛逃がしちまったかー。何やってんだよフェアリーフォース、ちゃんと仕事してんのかぁ?」
「ブラックスミスのほうは人間界こっちに逃げてきたという情報が入ってきてますね」
「おいおい大丈夫なのかあ? いつも妖精界のトラブルって俺たちが片づけてない? また尻ぬぐい開催のお知らせ?」

 ふたたび赤霧のような惨事がおこらないことを願う沢木。やれやれと猫背姿勢で煙を吐き出した。

「だいたいさ、あいつら政府だろ? やる気あんの? 俺フェアリーフォースから1円も赤霧事件の対応料もらってねーんだけど?」
「エクソシスト協会が請求したんじゃないすか?」
「氷丞、おまえ今適当に答えただろ」
「あ、はい」
「即答かよ」
 沢木、酒くさい息を氷丞にかけての絡み酒。あげくに、どこかのJCにも八つ当たりを始めだす。
「雪車町想夜ちゃんつったっけ。フェアリーフォースだろ? あの子に請求していいの?」
「アイツまだ中坊っすよ。いくらなんでも請求書の処理とかわからないでしょう」
 淡々と答える氷丞。酔いはまわれど酒には強い。
「かああああ、最近のガキは恵まれすぎだろー。ちゃんと勉強しとけっての。あーあ、俺も愛妃家女学園まなびやの生徒になろっかなー。セーラー服とか着ちゃったりしてよー。な!」
「いや。な! って言われても……フツーにキモいっす」と氷丞。
「俺、女装似合いそうじゃね?」
「にあうにあうー!」
 煽る伊集院。
「いや、秒で警察沙汰でしょ」
 上司のおもりに困り果てる部下。
「あ、咲羅真に請求すっか。あいつならフェアリーフォースに口利きしてくれんじゃねーの?」
「やめておいたほうがいいですよ。あの人バイク修理で今メンタルやばいらしいっすよ」
「おいおい生理かあー?」
「いや、あの人男でしょ。ハイヤースペクターだからよく知らんすけど」
 狐姫の前では御殿を侮辱した氷丞だが、はっきり言って御殿の容姿は女性にしか見えなかったのが本音である。
「てかさー、あいつおっぱいデカすぎじゃね? なに食ったらあんなでっかくなんの?」
 沢木が深刻そうに聞く。
 それに対して氷丞が淡々と答えた。
「さあ。女性ホルモン入った食いもんとかじゃないですか。イソフラボン入ってるやつ……豆腐、とか?」
「おやじー、冷ややっこ追加ー! イソフラボンマシマシでー!」
「沢木さん、飲ーみーすーぎー♪」
 ガハハと笑う沢木を伊集院がキャッキャとなだめる。
「まあよ、咲羅真がマジもんの女になる事態でも起きないかぎり、人間界も安泰だってことよな! な!」
「いや。な! って言われても……」
 騒ぐ上司をなだめる部下。
 男たちの宴はまだまだ続く――。


ドライバー愛宮菫


 一台の軽自動車が夜の産業道路を走る。オトナ女子のかわいらしい軽車両。
 運転席では菫がハンドルを握り、助手席には御殿が静かに座っている。

「――すみません菫さん。こんな時間にお車を出してもらって」
「いいのよ。バイク修理に出しているのでしょう? それにさっきは強く言いすぎちゃったし。そのお詫びといってはなんだけど、今夜は御殿ちゃんの専属運転手よ。なんなりとお申しつけくださいな」
 テヘッ☆ みたいに舌を出す菫の横で、御殿は少しうつむき、行き交うテールランプに目をやる。
 御殿はゆっくりと首を振った。
「いいえ。はっきり言ってもらってよかったです。そうでなければ、想夜の傷ついた心を知ることができませんでした。埋め合わせは考えております」
「それを聞けて安心したわ。想夜のこと、お願いね」
 想夜はあなたのことを想って背伸びをし始めている――菫はその言葉を押し殺して胸にしまった。好きな人への想いは本人の口から言うべきこと。いつか想夜にもその日が来て、その想いを成就してくれることを願う。

 菫に説教をくらったあと、麗蘭れいら瞳栖あいすを連れてミルキィを探しに行った。ふたりとも空を飛べるので効率がよい。
 それにくらべて自分は――と、どうしても他人と比較してしまう暴力祈祷師がここにいる。

 フロントに飾られている白百合の飾りが御殿の視界に入った。
「白百合、お好きなんですね」
 少し間をおいてから菫は微笑んだ。
「……うん、好き。大好きよ。いつか世界中を白百合でいっぱいにして見せるんだから」
 正面を向いたまま満面の笑みを作る。
「なぜ白百合がお好きなんですか?」
「うーん、なんでだろうね。この世のすべてに共通するものの象徴に思えて心を奪われるの。ねえ、白百合の咲く瞬間って見たことある?」
 御殿がだまって首を横に振ると、菫は少しがげりのある口調で答えた。
「咲く瞬間にね、この世の正体というべきか、そういうものが見えてしまうの」
「この世の正体、ですか?」
「うふふ。変な言い方をしちゃったわね。だけど、いつか御殿ちゃんにもわかる日がくるわよ」
 菫は取りつくろった笑顔に戻ると、自慢げに知識を披露しはじめた。
「白百合といっても100種類以上あるのよ。どう? すごいでしょー。私、その中でもカサブランカが好きなの」

 愛宮邸の庭にもカサブランカが植えてある。季節的にはもうすぐ満開の白き花が咲きほこる。シルクのように繊細な白き花びらが印象的だ。

「御殿ちゃん、カサブランカの花言葉はご存じ?」
「いいえ。イメージ的には綺麗な言葉を連想させますね。純粋なイメージとか?」
「あたり。純粋無垢、純潔、高貴、威厳、雄大な愛、祝福、甘美。そして……夢が叶う――」
 菫はそこまで白百合が好きな女性だ。きっと心も花言葉のようなもので形成されているのだろう。いささか落ち着きがなくお茶目ではあるけれど――と、御殿は心の中で苦笑した。
「はじめて白い花びらが開く瞬間を見た時は衝撃的だった。緑色のつぼみが大きくなってね、その緑が裂けて、白い葉がね、ゆっくり、ゆっっっくりと広がってゆくの」
 ごくごく平凡な咲き方だ。


 ……いや、違う。そうではない。
 御殿の気のせいだろうか、菫は話の最後を端折っていた節が強かった。


 緑色のつぼみが裂けて
 白い葉が広がって
 それで……
 それで…………
 そのあとはどうなるのだろう?


 そこまで問うことはしなかった。
 御殿の本能が、あるいは直感が、
 菫の奥底を覗くことを……

 強くためらったのだ――。


 狭い車内では相変わらず菫がマシンガンのようにベラベラしゃべっている。
「想夜がはじめて人間界こっちにやってきた頃はね、まだ小学校を卒業したばかりの頃よ。もうね、背もちっちゃくって大きいお目目がくりっとしてて、髪の毛もサラサラで。素直で不安そうでたどたどしくて、もうすっっっごく可愛いの! 思わず抱きしめちゃった。地方から出てきたと聞いてはいたけれど、妖精の国からやってきたと聞いて驚いたわ」
「わたしも驚きました」

 噴き出す御殿も、想夜の正体を知った時は目をまん丸にさせたものだ。学校で大型暴魔に襲われたとき、体を張って守ってくれた勇姿を思い出しては、雪車町想夜は心の底から純粋で、愛を兼ね備え、強い意思を持った子なのだとわかる。

 菫はフロントガラスの向こうに想夜の姿を思い浮かべながら話を続ける。
「あの子はいつも全力で走っている。そりゃあ空回りも多いけれど、なぜかみんな、あの子に引っ張られてゆくの。リーダーというキャラではないけれど、心もとなくて子猫のようだけれど、それでも、まわりの人を大切にして、自分の信念を絶対に貫く女の子。だからみんな、あの子に希望を見出しちゃうんでしょうね。あの子と一緒に歩いていれば、いつか明るいお日様を見られると信じてしまうのでしょう。きっとそこは戦争のない世界のはずよ。ねえ、御殿ちゃんもそう思わない?」
「ええ、そう思います――」
 簡単に答えたが、御殿自信も想夜に引っ張られ、支えられてきた。それが何よりの答えだ。

 菫はこうも言う。
「でもね、強いようでいて、あの子は繊細な13歳の女の子。タンポポの茎のように折れやすい、そのへんにいる普通の女の子なの。だからね、御殿ちゃん――」

 菫はブレーキを優しく踏んで速度を落とし、ハザードをつけて路肩に止めた。

 静かな車内にメトロノームのようなハザード音が溶け込む。
 御殿のほうに体を向けて、まっすぐな視線を送り口を開いた。

「もしも想夜が折れそうになった時は、しっかり支えてあげてね――」


 今のあの子は、
あなたという太陽がないと
枯れてしまう存在だから――。



 御殿の気のせいか。少しだけ、ほんの少しだけ菫の笑みが弱々しく見えた。


 23:00。
 MAMIYA研究所 駐車場――。

 産業道路を走る軽自動車がMAMIYA研究所に到着。
 想夜の話からぎこちない時間が続いてはいたが、それでもふたりの会話ははずんだ。御殿の偏食や、菫のお酒失敗談にもお互い笑いあえた。人の失敗談や恥ずかしい話を聞くと親近感がわいて打ち解けられるものである。誰だって完璧じゃない。抜けてる部分はあるものだ。

 駐車場に車を止めた菫が運転席から建物の明かりを見上げる。
「――彩乃さん、こんな時間までお仕事しているのかあ。見習いたいわねぇ」
「なんでもリンさんの実験がうまくいってないとかで思い詰めているようです」
 ふたり、視線を建物に向けながら会話は進行してゆく。
「へえ。 ……なにが大きな壁にあたっているのかしら? 彩乃さんからは何か聞いてる?」
 ややテンポの悪い切り替えしに違和感を覚える御殿だが、気にせずに話を進める。
「いえ、詳しいことは何も。菫さんは水無月先生のことをご存じなんですか?」
「そりゃあね~。あれだけ有名な学者さんなら誰でも知ってるでしょ~。私だって一応は愛宮の人間ですしぃ。そのくらいは知っているわよ」
 フフンと天狗のように鼻を伸ばす姿が滑稽である。

 抜けてる部分があるけれど菫は列記とした愛宮の血族。しかしながら、愛宮内でこんなにも影が薄い理由は、やはり彼女の人懐っこい人間性だろう。堅苦しい愛宮の存在を忘れさせてくれる無邪気さ、明るさを秘めている。それは堅苦しい愛宮からしてみれば落ち着きのない女性として認定されてしまうため、一部では認められない存在に位置しているようだ。が、それでも御殿は菫のそういうところに好感を抱けた。

 シートベルトをはずす御殿を菫がまじまじと見る。
「それにしても御殿ちゃんは本当に彩乃さんにそっくりよねぇ」
「一応は親子ですから」
 彩乃の卵子から作り出されたのだから当然である。
「将来の夢は? やっぱり学者さん?」
「ふふ、まさか」
 御殿は苦笑した。自分が白衣を着た姿なんて想像もつかない。理系はさっぱり。赤点を免れているのが奇跡だ。今回の任務終了とともに、さっさと学業からおさらばしたいと思っている。
 業界では引っ張りだこの彩乃だが、御殿の本音はやはり面白くなかった。
 彩乃はその界隈では有名な学者。そうかとって子供である御殿の鼻が高くなるはずもなく、駄々っ子御殿ときたら有名人の母親が誰かに取られないかと心の奥では不安いっぱいのかまってちゃん。独占欲がないわけでもないが、ちょっとは大人にならなければならないとも自覚はしている大人未満、子供以上。
 素直になればよいものを、親子の溝が埋まる日はいつになるやら。

 菫が浮かない顔をする。
「彩乃さんの研究、そんなに大変なの?」
「ええ、リンさんを執刀された医師が不明らしくて。どうやってオペをしたのかさえもわからないようです。それが理由で雷の八卦の制御をどう進めたらよいのかプロジェクトの進捗に遅れが生じているようです」
「へぇ……そうなんだ。 ……大変なのね――」
 菫がいつになく険しい顔で考え込んだ。

 菫は他人の痛みがわかる大人の女。幼い子がつらい目にあっていることが心苦しいのだ、と御殿は思った。

「たしか関西の国立病院でブレインチューニングを施されたって、以前に叶子ちゃんから聞いたのだけれど。それでもリンさんは不安定なの?」
「ブレインチューニング前は八卦の力を使うと体内のエーテルバランスが崩れるようで危険な状態でしたが、異常な脳波を安定させることで今のリンさんは平穏を保てているようです。

 リンをトレーラーに乗せて晴湘ハイウェイを走り抜けたシーンを思い出す御殿――双葉、萌香、水角との死闘の末に、よく生きて帰ってこられたものだと自分の強運に感心してしまう。同時にその時一緒に走ってくれた愛車のレディオスは工場でオペの真っ最中。とほほ……。

「ただ――」
 と御殿が言葉を濁す。
「ただ? 今回問題になっていることがあるのね?」
 菫が珍しく食いついてきた。
「はい。リンさんの体から放電される力を雷音ライオットというブローチに蓄電して、その力をトランスフォームとして再利用する検証をおこなっているそうですが……」
「それでもうまく変身できない、というわけね」
「はい」
 御殿は驚いていた。会話のテンポというか菫の察しがあまりにもよいどころか、リンの話にここまで食いついてくるとは思わなかったのだ。普段の菫ときたら難しそうな話はスルーする性格だし、そもそもリンとは接点すらないはず。それなのにこの食いつきよう。やはりMAMIYA関連ともなれば心配が募るものなのだろうか。と勘繰りを入れてしまう。
 御殿は横目で菫をチラ見した。
「リンさんのこと、心配ですか?」
「うん? ……まあ、そうね。子供がつらい目に合うのは、見ていて心が痛むわ」
 と、御殿に暗い顔を見せる。助手席には一度も目を向けることなくハンドルを握りしめ、運転手らしくフロントガラスの向こうに何かを見ていた。その姿は日頃の菫からかけ離れた、理知的でクールな大人の女性が感じられる。それに淡々とした口調から、一種の冷徹さも感じられた。これがいわゆる愛宮の血、一種の冷血という遺伝子だろうか?
 その後も雷音の仕様や、リンがどのような事態に陥っているのかといった話題が続いた。


 シートベルトをはずした御殿は助手席から颯爽と降りると、運転席側にまわって菫に会釈した
「ありがとうございます。とても助かりました」
「ふふ、どういたしまして。なんなら帰りも送っていこうか?」
 気づかう菫が運転席から顔をのぞかせるが、御殿はゆっくりと首を横に振った。
「ここで十分です。帰りはタクシーをつかまえます。運転お気をつけて」
 深々と頭をさげる御殿が付け加える。
「それから、想夜のことも教えてくださってありがとうございます」
「いいのよ。私こそ、おせっかいだったわよね」
「そんなことありません。想夜との時間は必ず作るようにします。約束――」
 御殿が小指を差し出した。
「ふふふ。そうしてあげて。想夜もきっと喜ぶわ」
 菫は小指を御殿の小指にからめた。かと思えば、両手で御殿の右手をそっと包み込んで凝視する。
「――うん、いい手してる」

 以前にもこんなことがあった。御殿が聖色市に来たばかりの頃。愛宮邸の庭園ではじめて菫と出逢った時だ。思えばMAMIYAの依頼を受けてから多くの人と出逢った。力の限り戦ってはいる。自分は暴力祈祷師として役に立てているのだろうか? いつもそんなことを考えながら歩いてきた。
 御殿は聖色市に来て、多くの人と出逢い、ひとりではないことを学び続けている。

 笑顔の菫に見送られながら、御殿は研究所に入ってゆく。


ミルキィの弱点


 水無月チーム 研究室――。
 深夜近く。人気のない研究室の一か所に明かりが灯っている。
 窓ガラスは割れ、破片は床に散乱。テーブルが不規則に乱れていた。
 ゴミ箱に押し込まれたガラス片が惨劇を物語っている――雷音の実験中、萌香が頼禅星斗七らいぜん せどなにさらわれたことは身分証の記憶から読み取っている。

 彩乃は他の研究員を帰宅させ、自分は室内の掃除をしているところだった。
「ごめんなさいね。夜遅くに呼び出してしまって」
 御殿に向ける笑顔は力ないもの。とても疲弊しているようだ。研究の停滞やら襲撃やらが原因とみられる。
「大変だったようですね。お手伝いしましょうか?」
「ううん、さっきまで水角が手伝ってくれててね、片づけがひと段落したところなの。なにか飲み物出すからそこに座って」
 彩乃は張りのない声で御殿をソファに促した。


 研究室の一角。規則正しく並べられたモニターのすぐそばで、書類に囲まれた御殿がソファに浅く腰をかけている。
 落ち着かない様子の彩乃。ミルキィ・マキアートの件が追い打ちをかけているのだ。緊迫した状況下、冷めかけたコーヒーの湯気だけはおいてけぼりのようにゆらいでいた。
 誘拐された萌香の捜索を継続中の旨は彩乃に説明済だ。

 ソファに腰をおろす彩乃が御殿に質問する。
「叶子さんから新型トロイメライのことを聞いたわ。まずは何が起こっているのか詳しく教えてもらえるかしら?」

 ――御殿から事の経緯を知らされた彩乃は腕を組んで押し黙ると、やっとのことで口を開いた。

「――新型トロイメライがエクレアに強奪されたのは知っていると思うけど、まさか新型機が瞳栖さんの血液で成長を遂げていたなんて……」

 彩乃はキャビネットから取り出した分厚いファイルを御殿に手渡した。

「これは?」
 問う御殿がパラパラとページをめくる。何が書いてあるのかチンプンカンプン。まじめに学校の授業を受けていれば少しは理解できるのだろうか? なんてちょっぴり後悔している。
 難しい顔をする御殿に彩乃が答えた。
「それは新型トロイメライ、つまりミルキィ・マキアートの仕様書。話を聞く限りだと、今のミルキィはとても厄介な存在になっている。人工神経網は自己増殖型。外装は人工皮膚でおおわれており、生物同様に自動修復も可能。運動アルゴリズムがデフォルトで組み込んであるのだけど、さらにエクレアの戦闘アルゴリズムが数千パターンイストールされていると考えられる。もちろんそれをベースに戦闘スタイルを瞬時に構築できるから、戦術にいたっては申し分ない兵器に成長しているはずよ」
「エクレアの戦闘アルゴリズムが数千パターンも? ミネルヴァ重工はエクレアにそんなに多くアルゴリズムを組み込んでいたのですか?」
 彩乃が静かに首を左右させる。
「いいえ、エクレアの開発元はミネルヴァ重工だから断言はできないのだけれど、あのタイプはBTOね。エクレアは出荷段階前に逃げ出したサイボーグだから戦闘アルゴリズムは実装されていなかったはず。作業員を殺してしまったのではプロジェクトが進まないもの」

 BTO(Build To Order)――パソコンなど、注文が入ってからあれこれ実装されるカスタマイズ形式。エクレア・マキアート、シュウとクリムも同じ出荷スタイルだ。

 御殿はすぐさま疑問を抱いた。
「ならエクレアはどこで戦闘訓練を受けたのでしょう? フェアリーフォースでしょうか?」
「サイボーグだから戦い方を覚えるのは容易だけれど、人を殺さないための安全装置は働いていたはず。となれば、おそらくはエクレアを保護した人物が戦闘用サイボーグに変貌させた可能性が高いわね」
「なるほど。エクレアの安全装置を誰かが解除し、そのうえで戦闘訓練を受けさせたわけか。一体誰が……?」

 エクレアを殺人マシーンとして育てた高度な暗殺者がいたのだろうか? ――御殿は顎に手を添えながら、それらを考える。

「ミルキィがエクレアの意思を継いだ殺人鬼になりうる可能性もあるとしたら、とても厄介な人工物ですね」
「ええ、そうならないことを願っているわ」

 彩乃は一呼吸してから話を続ける。

「おまけに天上人の末裔でもある瞳栖さんの血を受け継いでることから考えると、白い翼で飛翔ができる。天の八卦にも選ばれた稀有なる存在。大型のワイズナーを武装。地の八卦の化身でもある経典、その半分まで持っていてディメンション・エクスプローラーを使いこなしているともなれば……まさに無敵の兵器ね」

 とんでもないチート八卦が爆誕してしまったらしい――御殿は冷や汗を流した。

 御殿は瞳栖から聞かされた話を伝える。
「先ほど研究所にいたシュウとクリムはご存じでしょうか?」
「ああ。たしかにぎやかな双子がいたって沙々良ちゃんが言ってたわね」
「その双子が言うには、妖精界で何者かに狙われていたらしいのです。ミルキィが妖精界から脅威対象と見られているのは間違いないようですね」
 それを聞いた彩乃が肩をすくめた。
「当然よね。ミルキィを確保するということは核弾頭を所有するようなものだから」
 低いトーンで会話する彩乃が手元の端末を操作してホログラムを出した。
「そろそろ本題に入るわ。これを見てもらえるかしら」

 御殿がホログラムに目を向けると、そこには複数の組織のロゴと傍受された通信記録が表示されていた。

「これを見てちょうだい。ミネルヴァ重工の通信記録よ」
「ミネルヴァをクラッキングしたのですか?」
「ミネルヴァをクラッキングした人たちが一方的に・・・・データを送り付けてきたの……ということにしておいてちょうだい(すっとぼけ)」
 あ、目をそらした。
 平然と答える彩乃を前に、御殿は押し黙った。企業戦争とは食うか食われるかだと知る。
 MAMIYAはハッカー集団を手名付けている。御殿を聖色市に呼び出した鴨原の暗躍――それを調査した実績を持つほどの実力者集団をMAMIYAが利用しないはずもなく。

「以前から競合らしき会社がMAMIYAサーバーの侵入を試みていので、こちらも打って出ることにしたの」

 侵入はさせない。が、敵サーバーに侵入して情報を奪うことだってMAMIYAは容易にできる。目には目を。歯には歯を――2034年現在、憲法第九条などとうに忘れさられている。

「今回の件、すでに人間界でもいくつかの軍事企業が嗅ぎ付けている。その中にはミネルヴァ重工も含まれている。なにせエクレアの製造元だからミルキィに興味を示すのは当然かもね」

 ババロア失脚後もミネルヴァ重工には暗躍するものが残り続けている。麗蘭のレールガン・レーザーユニットもミネルヴァ製品。妖精の麗蘭を使って不祥事をもみ消したことさえ、今となっては周知だ。

「ミルキィを兵器に転用して量産型プロトタイプなんて作られれば世界戦争がはじまるわ。ミルキィはひとりの人間として人生を歩みだしている幼い子。子供の歩むべき道を守るのも私たちの役目よ」

 これは兵器の奪い合いだ。敵が多くなるかもしれない――御殿は少し考えてから問う。

「――となれば、誰よりも早くミルキィを捕まえないといけませんね。弱点はありますか?」
「もちろん。新型トロイメライには人間と同じ感情を持たせるよう設計してある。だからミルキィはただの兵器なんかじゃない」
「ひとりの人間として扱え、ということですね」
「そういうことよ。妖精界で母親を探していたそうだけど、それは大きなチャンスかもね。精神面では母親に甘えたい子供のままなのよ。誰しも持ち合わせる感情、依存欲求ね」

 幼少期に母親に対していだく「安心したい」「守られたい」「世話してほしい」といった感情。成人しても未解決の依存欲求が残っている場合は、無意識で母に甘えたいという感情が出ることがある。
 御殿も彩乃に対してそれを持っていることは自覚しており、ミルキィが母親であるエクレアを求めてしまう気持ちが痛いほど伝わってくる。それゆえ、目の前に母親がいるという恵まれた環境に感謝せずにはいわれなかった。

「ミルキィは母親エクレアを失った事実を受け入れることができず、甘えたい願望だけが強く残った。それを解決しなければ誰にも心は開かないかも。それにしてもここまで人間に似てくるなんて……」
 母体を必要とせずに超人を生み出した気がして、彩乃は己の技術に恐怖を感じた。
「ましてやミルキィはまだ倫理が伴っていない年齢。兵器として戦場に送り込まれたら彼女の精神はおかしくなってしまうわ」

 御殿は自分のことを言われた気がして押し黙ってしまった。御殿だって生まれて間もなく兵器として戦場に駆り出された経験を持つ、狂った一面を持つ戦士でもある。

 表情を曇らせる御殿を見た彩乃が申し訳なさそうに眉尻を下げた。
「――誤解しないで。あなたのことを言っているのではないの。あなたと水角が立派に成長してくれたことに何よりも感謝しているわ」
 そう言ってわが子の手を取り、両手でそっと包み込んだ。
 その手のぬくもりから伝わる愛情が偽物ではないことは御殿も理解している。

 彩乃はモニター越しにこれからの支持を出す。
「エクレア戦からの時間経過を見れば、ミルキィはだんだん生身の肉体に近づいている。彼女が自分を『人間』だと認識し始めるのも時間の問題よ。なんとしてもミルキィ・マキアートを説得して心を開いてちょうだい」
「善処しますが、もしミルキィを説得できなかった場合は?」
「説得できなかった場合は……」
 彩乃がためらう。

 ――説得できなかった場合は、ミルキィ・マキアートを破壊してほしいの。

 彩乃は苦痛の表情を見せながら声を振り絞り、やはり言葉を飲み込んだ。人の親として、その言葉だけはどうしても言えなかった。ミルキィはすでに一人の人間としての道を歩みはじめている。その道を断つことなど人の親として、どうしてできようか? 処分しろだのと軽々しく言えるだろうか?
 ――答えは否だ。

 彩乃は瞼を閉じ、深く深呼吸した――そこに浮かぶのは愛しい我が子たち。御殿と水角の笑顔――。

 彩乃はゆっくりと瞼を開くと、やわらかい口調で御殿に言った。
「説得できなかった場合は次の手段を考えましょう。焦らないで。じっくり彼女と向き合うのよ。大丈夫、きっとうまくいく」
 その言葉を発した瞬間、彩乃の心がふと軽くなった。その答えが正しいと認識したのだ。ミルキィ・マキアートをひとりの女の子として守り抜くのだ!
 彩乃の解説は続く。
「天の八卦のハイヤースペックはミルキーウェイ。手にした武器を強化できる能力だけれど、それだけじゃないの」
「それだけじゃない?」
「ええ。ミルキーウェイの真骨頂は味方と認識した者の能力を引き上げることよ。それも複数人。自分だけではなく他者にも活力を注ぐハイヤースペックといったところね」


 ハイヤースペック・ミルキーウェイの能力は、全体強化である――。


「トモダチバフ効果、か……。敵勢力に回ったらたしかに厄介ですね」
 御殿は軍事利用されることを想像しては身震いした。
「ええ。ミルキィの未来を願うひとりとして、そんなことは絶対にさせないわ。お願い御殿ちゃん、ミルキィを救ってあげて。母親を必死に求めている以上、それはトロイメライではない。ひとりの喜怒哀楽を持った人間なの。生まれてきたトロイメライに人間の証明をさせてあげて」

 哀願する彩乃の切実な思いは、まっすぐな眼差しを見れば手に取るようにわかる。

「――わかりました。ミルキィの捜索を急ぎます」
 御殿が立ち上がった、その時だ。研究室の入り口に気配を感じて振り返る。
 視線の先には影がふたつ立っているではないか。
「邪魔をする」
 麗蘭の低い声が研究室に響いた。
「麗蘭さんと、瞳栖さん……?」

 麗蘭は大きな布袋を肩に背負っていた。まるで季節はずれのサンタクロースだ。

「どうしたんですか? そんな大きな袋なんか抱えて」
 御殿に指摘された麗蘭が大袋を肩から降ろす。
「すまないが水無月先生、まずはコイツらの修理をお願いできないだろうか? 緊急で頼む」
 そう言って大きな袋を逆さまにすると、ラボベンチの上に中身をぶちまけた。

 小さな手、足、胴体。最後にゴロン……と子供の頭部が2つ転がる。

 瞬きを忘れた子供の目と御殿の視線が合う――死んでいる。 ……いや、起動していないというべきか。
 御殿と彩乃は息をのんで一歩引いた。


次回につづく――。