13 レールガン・レーザーユニット


 麗蘭たちはお留守番の頭上を飛び越えると、狐姫をひとり残して天上人のもとに向かった。

 うつ伏せに倒れる狐姫。
 任せとけ、とカッコつけたはよいものの、思わぬ一撃を食らって床にくちづけをしている最中だ。お留守番が狐姫を発見するやいなや、暴走列車のように突っ込んできたのだ。
「いってえ……いきなり人をはねやがって」
 狐姫はむくりと起き上がると、切ったくちびるから流れる血をぬぐい、目の前にいる巨大な黒い影を睨みつけた。

 麗蘭たちの姿を目で追うお留守番は狐姫に背を向け、終始無言のまま立ち尽くしている。
 人工知能搭載型の偵察機。頭の中でどのような計算処理をしているのかは不明だ。が、集計結果をどこかに転送しているようにも見える。むやみに情報を与えることは狐姫たちにとって命取りだ。

 狐姫がお留守番を指さす。
「おいおまえ! タックルで自己紹介とは何事だ! 謝罪しろ!」
「……」
 無言のまま、ピクリとも動かないお留守番。上空を見上げて想夜たちを確認すると、蜘蛛のように壁をつたって追いかけてゆく。

「あ! どこ行くんだコノヤロウ、行かせるかよ! おまえの相手は俺! 無視すんな!」
 お留守番の足を両腕でガッチリと抱きかかえ、壁から引きずりおろした。
 
 ガチャアアン……
 
 重い金属とともに巨体が背中から地面に落下。ひっくり返った昆虫のように無数の手足をばたつかせた。その後ゆっくりと立ち上がると、亡霊のようにユラリと体を揺らせて振り向いた。

 ブティックにならぶマネキンのような光沢ある肌。されどクモの巣のようなヒビが走る顔面。その隙間から黒い油が流れだし、一見すると血まみれの人間にも見える。
 関節の節々からハーネスが飛び出し、交通事故で全身がグチャグチャになった人形のようでもあった。
 
「成瀬さん、たしか人型って言ってたよな?」
 お留守番の全身をくまなく見わたすと額に手をあて、ため息ひとつ。
「いやいやいや、どうみても人の姿じゃないぜ……」

 四つん這いになって歩く姿。脇下や横っ腹からさらに手足、計8本が生えた存在。人とは異なる、蜘蛛型のサイボーグのご登場だ。
「こんなやつが霊界をうろついているのか。手足まで増やして無駄にパワーアップしてんじゃねーよ。いや、脊椎動物の足は進化するにつれ減るんだっけ? となると退化しているとも言えるな」
 狐姫は半身にかまえると、相手の出方をうかがいながらステップを踏んだ。
(相手は突っ込んでくる瞬間に、後ろ足に力をいれて踏み込んでくる。なら、足数本をへし折れば動きを止められるはず)
 そう見込んだ狐姫は指で鼻をはじいた。

 手にしたヌンチャクを振り回し、2本の足に叩きつける!

 カカン!

 固いプラスチックの表面に金属を叩きつける音がした。が、ダメージはほとんどないようだ。
「もういっちょ!」
 音速に近いヌンチャクの動きを見せる。
 今度は膝関節めがけてヌンチャクを叩きつけ、お留守番の体勢を崩すことに成功。ガクンと音を立ててナナメになった巨体によじ登り、ヌンチャクを振りかぶって後頭部を思い切り殴りつけた!

 ガン!

 鈍い音。同時にお留守番が一瞬だけ痙攣をおこした。

「挙動がおかしいな。やっぱ脳が命令を出しているのか。体が頑丈だから頭への攻撃を優先させるか」

 ヌンチャクは巨体に効かない。ならば司令塔である脳にダメージを与えて動きを鈍らせ、そこから関節を破壊する作戦に切り替える。時間稼ぎさえできれば成瀬のクラッキングによって制御を奪うことができる。そう信じている。

 狐姫は大きく一歩踏み込むと飛び跳ね、ヌンチャクをフルスイングさせた。

「ホワチャアアアア!」
 奇声に近いほどの甲高い声をあげ、思い切り攻撃をぶち込む!
 
 お留守番がよろめくも、右手足をガッチリと床に固定して体勢を確保。すぐさま左手足の手刀で狐姫を斬り裂いてきた!

 シュパ! シュパシュパ!

「あぶね!」
 風を切るような手刀。狐姫はそれを連続でかわして間合いを詰めた。そうやって敵の懐にもぐりこむと、ヌンチャクで手足の関節を攻撃。徐々に装甲を剥がしていった。

 破壊された装甲からジョイントが見えると、狐姫はヌンチャクを2本に分解し、相手の関節にねじり込む。

 ギギ、ギギギ……

 金属がきしむ音。しばらくしてからお留守番の動きが止まった。足関節を動かすたび、ヌンチャクが引っかかってうまく歩けないのだ。

「動きが止まったな。よし、まずは右足からいくか」
 その場でピョンピョン跳ねて準備運動。首を左右にひねってコキコキ鳴らす。
「いくぜオラアアアァ!」
 助走つけては一気に踏み込み、敵に突っ込んでゆく。相手の目の前で腰を落としてスライディング。股にすべり込んで相手の後ろ足にしがみつくと、胸元にたぐりよせて両腕に力を込めた。
「フン!」

 ミシッ……バシュウ!

 分厚いブラスチックがひしゃげる音。グニャリとおかしな方向に関節が曲がり、千切れたハーネスが火花を散らした!
「まずは1本……て、ありゃ?」
 折ったはずの関節が一瞬で復元してしまった。
「マジかよ、ぜんぜん効いてねえじゃん」
 その光景をまえに焦りを覚えて距離をとる狐姫。半身の姿勢でステップをふみ、親指で鼻をはじいて構えなおした。
「もういっちょ!」
 諦めずに相手の懐にもぐり込んで拳を振り上げた。

 ガン、ガンガン!

 分厚い鉄板を殴りつけるような連音。相手の脇腹に右ブロー、左ブロー、右足で相手の足首をはじき、体勢を崩したところで顎へパンチを叩き込む。そうやって流れるような攻撃の連打を繰り出す。
 されどお留守番を正面から殴り続ければ、4本の腕のどれかしらが狐姫の背中に叩き込まれる。
 背後にせまる攻撃を振り向きざまに裏拳で弾き飛ばすも、今度は正面から強烈なパンチを食らってしまう。

「正面を攻撃すれば後ろからやられる。かといって後ろからの攻撃に気をくばると、今度は前から攻撃がくる」

 ドウ!
「痛て!」
 背中を小突かれてつんのめる狐姫があわてて距離をとった。
「くっそ~、千手観音を相手にしてるみたいだぜ」
 お留守番を睨みつけ、その場で屈伸して準備を整える狐姫。上体を床ギリギリに近づけて前かがみになり、短距離走のクラウチングスタートの体勢に入る。
「18メートルくらいか。おっしゃ行くぜ!」
 相手との距離を計測し、地面を思い切り蹴り上げて飛翔。お留守番の頭上を飛び越え、両足で壁に着地すると体をひねって角度を変え、さらに壁を蹴り上げる。三角蹴りの要領で相手の背中に飛び乗り、後ろから思い切り首を締め上げる!
「もらったぜ!」

 ロデオよろしく馬乗りになった狐姫。振り落とされないようにしっかりとしがみつき、腕をお留守番の首にからめる。

 きれいに決まったチョークスリーパー。
「打撃がきかねえなら、これで……どおだああああああ!」
 歯を食いしばり、上腕二頭筋から手首にありったけの力を注ぎ込む! 全身の組織ひとつひとつが一気に充血を起こし、目玉の血管が自己主張を奏でる!

 ギギギギギ……

 細い腕がお留守番の首に食い込み、ジョイント部分から締め上げる音が鳴り響く!
「うわっ、固ってえなあああぁコイツ……ふん!」

 ギリリリリ……ゴキュ!

 最後の一撃に懇親の力をこめた瞬間、お留守番の首がおかしな方向にひん曲がり、見事に首をへし折ることに成功。
 首が真後ろに曲がったまま、巨体が前のめりに倒れる。

 ガシャアアアン……

「ふう、思ったより大したことなかっ……」
 額の汗を拭いかけたときだ。お留守番はむくりと起き上がると、両手を顔にそえて力を入れはじめた。

 ギ、ギギギギ……ガチャン!
 
 外れた首のジョイントがピタリとはまり、そうやって無理やりもとの方向に戻す。
 
「すげえ、また自動修復かよ……」
 たじろぐ狐姫。落ちていたヌンチャクを拾い上げ、半身で構えなおす。ステップを踏んで相手に近づき、右腕2本を殴りつける!
 ヌンチャクが弧を描いて風を切り、右腕2本に直撃!

 ガガ!

 右腕2本をはじかれたお留守番。だが、4本足でふんばって体勢を保った。その後、カマキリの威嚇よろしく上半身をのけぞらせ、左腕2本を狐姫に振り下ろす!
「遅いぜ!」
 人混みを避けるよう半身になり、その場でクルリとターンを決めて攻撃を流す。懐に入ると、拳にマグマを滴らせながら関節に打ち込んだ。

 ジュ! ジュ! ジュウウウウウ!

 一発、また一発と的確に急所をついて攻撃を続ける。えぐるように叩き込むパンチの雨。炸裂するたびに水蒸気が舞い上がり、あたりを霧でうめつくすが……

 パチ!

 連続した攻撃もつかの間、お留守番の広げた右手によって、あっさりと拳を受け止められてしまった。

「はあ!? パンチの軌道を読まれただあ!? しかも俺のマグマ効いてなくね?」
 見れば装甲がひんやりと凍り付いているではないか。
「瞬間冷却装置で熱を相殺した、だとお!?」
 霧の中でも狐姫のパンチが見えるのは暗視スコープによるもの。対マグマ用として液体窒素での冷却装置まで装備していた。これば巡回ロボットではない、軍事兵器そのものだ。

 何がそうさせたのか、町の安全を見守るロボットは、人間たちを排除する殺戮マシーンへと姿を変えていた。

 お留守番は掴んだ狐姫の腕を素早く捻りると、一瞬で地面にねじ伏せた。

「ぐえ!」

 カエルを踏み潰したような悲鳴をあげる狐姫。うつ伏せの状態で地面に這いつくばった。
 お留守番は狐姫の頭部をつかんで持ち上げると、右へ左へと振り回し、壁に叩きつけながら暴れまくる。何かに対して怒りを爆発させているようにも見える。

 ガッガッガッ。

 狐姫の体が壁に打ち付けられるたび、そこに蜘蛛の巣のようにヒビが作られる。
 グッタリする狐姫を床に叩きつけるお留守番。複数の手足で狐姫の四肢を抑え込むと、空いた手で横っ面にパンチを叩き込む!

 ガ! ガ! ガ!

(やべえ! マジでやべえ!)
 食いしばって痛みをこらえ、ジタバタと暴れる。ようやく両腕が解放されるも反撃にはおよばず、攻撃をガードするのが精一杯だった。
 
 ガッガッガッガ!

 お留守番の猛反撃。千手観音の腕のように、上下左右から乱れ飛んでくる拳の雨。
 狐姫はリングの隅に追いやられたボクサー。両腕で顔面をガードするのがやっとだった。

(なんだよこれ…… 俺、負けてるのん?)
 
 一発一発、一瞬たりとて反撃の隙がない。警備ロボットの名残さえない。

 成瀬の言葉を思い出す。

『お留守番は、人間や妖精を敵としてみなすようになった――』

 今まで人々が自然や動物に対しておこなってきた所業が仇となり、その結果が目の前のロボットの思考回路に集結している。怒りまかせに殴りける行動は、感情をむき出しにした子供とよくにていた。

(コイツ、機械のクセに、殺意を持ってやがるぜ!)

 コンクリートのような固いパンチを浴び続ける狐姫。右から、左から、飛んでくる無数の拳を防御するたびに、前腕部に熱がこもり、ズキズキと痛みが増す。
 ロボットを前にマグマのプライドもズタズタ。腫れた頬のまま、耳を、尻尾を、ビクビクと震わせながら痛みに耐えるしかない。

 この時、すでに成瀬のクラッキングは完了しており、理論上はお留守番の制御ができるはずだった。
 だというのに、人々に向ける怒りの矛先を狐姫ひとりに向け、殴ることをやめない亡霊のような存在がそこにはあった。


トロイメライはどこに?


 十字架にかけられた瞳栖――彼女の掌と足の甲には太い杭が打ち付けられており、身動きを封じていた。

(一瞬の隙を狙えば瞳栖さんを奪い返せるわね)
 おそらくハイヤースペックが使用できるのはこれで最後だ。次に使えば戦闘の継続が困難となる。
 それでも想夜は腕を真横に振りかざす。
「アロウサル! 風を紡ぐ!」
 想夜がハイヤースペックを発動し、ピクシーブースターで一気にエクレアたちとの間合いを詰める!

 ボシュウウウ!

 6枚の羽がジェットのように叫ぶ!
 弾丸のごとく一直線に突っ込んでゆき、天上人の手前で右方向に急旋回。音速にも近い動きで十字架の後ろに着地した。
「瞳栖さん、ちょっと痛いかもだけど我慢して!」
 手足の杭にワイズナーの矛先を引っかけ、てこの原理で素早く引っぱる。
「うぅ!」
 神経を圧迫された瞳栖にズキンとした痛みが走る。
 想夜は左右の手から杭をはずし、両足の甲に打ち付けられていた杭も器用にはずし終えた。
 続けて有刺鉄線の除去作業にうつる。矛先で鉄線を切るが、何十にも巻かれていることと、それが10箇所以上もあることで時間がかかっていた。
「う、時間がかかりそう……」
 もたもたしているうちに敵にかこまれてしまう。
(早く! 早く!)
 焦る想夜。

 その時、一瞬の稲光が轟いた。

 バシュ! バシュバシュ!

 連続した小型の稲妻が鉄線を除去してくれた。
いかずち? ひょっとしてリンちゃんが……!?」
 リンは雷を司る八卦のひとり。雷の破壊力たるや、八卦の中でも最強クラスに匹敵する。遠く離れた場所からの狙撃などたやすいこと。御殿がハッピータウンの場所をリンに教えておいた甲斐があったというもの。

 ヒラリと白いワンピースが舞い、十字架から瞳栖が落下する。
「京極隊長、瞳栖さんを!」
「任せろ! 高瀬、援護を頼む!」
「かしこまりーのっ」
 あうんの呼吸。瞳栖を空中で抱きとめた麗蘭がリーノに指示をあたえると、鉄骨の影から飛び出してきたリーノが羽を広げてエクレアたちのタックルをかます! ……が、シュウとクリムが体を張ってそれを阻止。リーノの頭を片手でおさえつけると地面に叩き落とし、すぐさま飛翔する。

 ドウ!

「高瀬!」
 頭を叩きつけられたリーノの体がバウンドしながら転がってゆく。
 続けざま、上空から降ってきたシュウとクリムがリーノの顔面ど真ん中にパンチを叩きこむ!
「させん!」
 麗蘭が瞬時に割り込み、リーノの腕を掴んで放りなげた!

 ドオオオオン……

 使徒2人のパンチが地響きを起こし、リーノのいた場所に蜘蛛の巣状のビビをつくる! 塔全体がグラリと揺れたことでパンチの破壊力は想像にたやすかった。
「相変わらずの馬鹿力だな。一発でも食らったらアウトだ」
 麗蘭が後ろ目に見た光景は、まるで小さな隕石が落下したクレーターのようだった。ひと足遅ければリーノの顔面はおろか、全身がグチャグチャに潰れていたところだ。

「リーノちゃん!」
 想夜がリーノに手をかして起こす。その後から麗蘭も瞳栖をかかえて戻ってきた。
「立てるか高瀬?」
「リーノちゃん、大丈夫?」
「あいたたたた……、リーノもピクシーブースターが欲しいの。想夜ちゃんがうらやましいの」
 打った頭をさすりながら、むくりと起き上がると麗蘭に笑顔を見せた。
「京極隊長、感謝なのっ」
「いいさ。これも上司の努めだ」
 胸を撫でおろす麗蘭。見事な連携プレイで地の八卦を取り戻すことに成功した。
「雪車町も無事か?」
 安堵もつかの間、想夜の二の腕に1本の赤い線が浮かび上がる。
「あれ? なんかあたし……腕、切れて……きゃああああ!?」
 想夜の悲鳴、その後、
 
 ブシュウ!

 想夜の腕の皮膚がバックリと裂け、そこから血を吹き出した!

「切られただと!? いつの間に!?」
 身構える麗蘭がエクレアを睨みつけると、片手で大鎌を抱えているではないか。
「あいつ、なんてスピードだ! 雪車町のピクシーブースターはハイヤースペックで倍率をかけていたんだぞ? それでも切ったというのか!? 音速に近い動きについてきたというのか!?」
 麗蘭は想夜とリーノを分散させると、ひとり血まみれの瞳栖を抱えて鉄骨の影に身を隠した。
「エクレア・マキアート。思っていたよりもずっと厄介なヤツだな」
 瞳栖を抱いたまま、死角に身をひそめて腰を下ろした。
「ここでヤツの出方を待とう」
 息を殺して壁に背中を預けた時だ。

「――わたし、かくれんぼは得意でしてよ?」

 後ろの壁からエクレアがヌウッと浮かび上がり、麗蘭を背後から抱きしめた。
「くそ、ハイヤースペックか!」
 ディメンション・エクスプローラーを所持するエクレア。パワー、スピード、空間移動。あらゆるスキルが天上人の中でもズバ抜けている。
「雪車町、高瀬、背後に気をつけろ!」
 部下に指示を出し、慌てて起き上がろうとする麗蘭。
 その首に腕を絡ませるエクレア。
「逃がしませんわ麗蘭さん。これは神の粛清、心して受け入れなさい――」

 ギリギリ……ッ
 エクレアが力いっぱい麗蘭の首を締め上げる!
「うっぐう……っ」
 麗蘭が眼球を白黒させながらヨダレを垂らして暴れる。右手にはジュラルミンケース。左手には瞳栖を抱えているために、両手がふさがって反撃できないのだ。
「うふふ。麗蘭さんの髪、いい香りよ。シャンプーは何を使ってらっしゃるのかしら?」
 麗蘭の首を締め上げながら、なまめかしく髪の香りを楽しむエクレア。髪に口づけを、続けて耳に息を吹きかけ甘噛みする。指先の動きがねっとりとまとわりつく感じで、女郎蜘蛛のようでもある。
 麗蘭の背中に寒気が走る。このまま耳を噛みちぎられるような錯覚に襲われ、すぐにでも不快な瞬間から逃げたかった。
「そんなに私の髪がお気に入りか? なら……」
 麗蘭は大きく前のめりになって反動をつけると、思い切り上体を後ろに反らす!
「これでも食らえクソ天使!」

 ガン!

 エクレアの顔面にヘッドバッドをかまし、相手がひるんだ隙に逃げ出す。
 むなしいかな、ヘッドバッドが直撃する寸前、エクレアは壁の中へと消えていた。

 なんとかエクレアの手から逃れた麗蘭は、瞳栖とジュラルミンケースを持って立ち上がる。
「両手が塞がっていると思うように行動できんな。瞳栖を安全な場所に移さなければ」
 と、周囲を見渡して安全な場所を探すが、それもつかの間。

「麗蘭さん、オテンバがすぎましてよ?」

 ふたたび背後の空間がグニャリと歪んでエクレアが現れた!
「しつこい!」
 慌ててエクレアから距離をとり、鉄骨から鉄骨へ飛び移り、一本橋の鉄骨の上まで移動。
 後を追いかけてきたエクレアとそこで向かい合った。
 エクレアが大釜を8の字に描いて構えをとる。

 しばしの沈黙――。

 視線と視線が交わる中で、最初に口を開いたのは麗蘭だ。
「フェアリーフォースの隊員たちにナノマシンを注入して洗脳したそうだな。何をたくらんでいる? 意識や記憶の操作か?」
 エクレアが静かに首を振った。
「ナノマシンは洗脳の装置でもなければ記憶を書き換える装置でもございません。麗蘭さん、あなたにもお見せしましょう」

 エクレアはそう言って経典を取り出す。そこには何千もの氏名と血のりが列挙されていた。
 素早く、軽快にページを開くと文字列がニュルリと浮かび上がり、紙の中から妖精のドローンが生まれる。それはエクレアの頭上を一周し、ふたたび経典の中へと消えていった。

 エクレアが静かに経典を閉じた。
「本来、これは肉眼では見えないもの。ドローンは耳、鼻、口、あらゆる粘膜から体内に入り、対象者の脳まで到達することができます。これは対象者のエーテル、各種ビタミン、ミネラル等を吸収し、自然へと還元する装置。もっとも、副作用としては栄養と睡眠が不足し、脳疲労が蓄積し、正常な思考からは離脱してしまうのですが……」
「ほお、洗脳の実態は経典型デバイスだったというわけか。対象者……、いや、感染者の血液は認証か? 名前と血液を経典に登録し、隊員を操作していたんだな? 皆から正常な判断を奪い、天の助けと言わんばかりの行動をとりつつ、そうやって軍を餌づけした。そういうことだろう!?」

 麗蘭の問いに、エクレアはふたたび首を横に振った。

「いいえ、そうではございません。隊員は皆、本能から神に救いを求めているのです」
「詭弁だ」
「詭弁などではございません。神の手を欲する者は皆、心の奥底で日常に違和感をいだいている。戦争を否定し、軍人としての日常を否定し、安らぎを求めるために、神に身をゆだねたのです。わたしはその手助けをしただけにすぎません」
「日常に不満だと? フェアリーフォースの任務に異議を唱える者たちがあんなに多いというのか?」
「麗蘭さん、あなたは気づいていらして? 妖精界が大きく傾いていることに。フェアリーフォース同様、妖精たちの心がいくつにも分かれ、互いが好き勝手な方向を向き始めている。それがどういう結果をもたらすのかを、あなたはお気づきになられて?」

 与えられた言葉から真っ先に連想されるのは人間だ。人間は各々が好き勝手な方角を向き、各々が好き勝手に自己主張の名のもとに持論を、さも正論のごとく振りまわす。
 麗蘭には人間たちの行く末が把握できている。そうして妖精界もそれと同じ末路を歩み始めている。

 妖精界に待っている未来、それは――

「この先、妖精界でも大規模な戦争が起こるのか?」
 問う麗蘭。
 個々の利益のために国が国を攻撃し、妖精ひと妖精ひとを制圧し、互いの命を奪い続ける惨事が、すぐそこまでやってきている。

 もう分かっているだろう? ――世界が麗蘭に問いかける。

 人間界で消滅した自然や人々の慈悲は妖精界に反映され、やがては世界を破滅に追い込む。妖精界で失われたエーテルは人間界にも反映し、やがて崩壊へと導く。
 すでに悪循環は始まっているのだ。

「近い未来、妖精界と人間界が破滅に向かうとでもいうのか?」
 と、麗蘭がふたたび問う。

 妖精界と人間界は2つで1つ。どちらかが傾けば、もう一方も傾きをみせる。それは周知のこと。その傾きは、すでに取り返しのつかないところまで来ている。
 人間の感情は行動となり、目に見える暴挙となって妖精界に入り込んできている。

「人間たちの感情が、妖精たちに感染しているというのか?」
 エクレアはゆっくりとうなずいた。
「ええ、左様ですとも。それゆえ、私たち天上人は妖精ひとから濁ったエーテルを解放し、自然に還元し、浄化をさせ、2つの世界のバランスを保つ行動に出た。妖精界と人間界、そして、あなた方フェアリーフォースを救いにきたのです。それのどこが罪だというのでしょう?」
「多くの民を奴隷にしておきながらヒーロー気取りか? 本当はこの塔で膨大なエーテルを使用し、ディメンション・エクスプローラーを用いて人間界を支配しようとしているのではないか? それも人類救済のためというのか?」
 エクレアは腕に力を入れると、大釜で麗蘭の体を吹き飛ばした。
「いいえ。わたしたちの願いはひとつ。世界の救済であり、自然の救済。すなわち、身勝手にふるまう人間たちを排除した世界の構築。それこそがすべての命の救済なのです」

 人間のいなくなった世界を構築する――それがエクレアの目的だった。

 エクレアが片手を伸ばして空を仰ぐ。
「ごらんなさい、この無様な世界の光景を。人間たちの手よって傷ついた星、植物、動物たち。世界のためと謡いながら、結局は自分のことしか見えていない所業の数々――」

 エクレアにならい、麗蘭も地上に視線を向け、世界を見渡した。
 工場の煙で汚染された街。川や海へと薬品を垂れ流し続ける惨状、ゴミに埋もれた山々、荒れ果てた大地。むやみに森林を伐採し、娯楽のために建設された都市。動物から住む場所を奪っておきながら、山から下りてきた動物たちを悪とみなして虐殺をおこなう所業。人間はそうやって多くを命を犠牲にしてきた。

 麗蘭はジュラルミンケースで大鎌を防御しつづけた。
「質問するぞ。ディメンション・エクスプローラーで人間たちをどこへ移動させる気だ?」
 その質問に対し、エクレアは口角をあげてニヤリと笑った。
「悪の所業をおこなった者たちです。行き先は決まっているでしょう?」
「……人類もれなく地獄行きというわけか」
 最終的にエクレアは人間たちを霊界に引きずり込み、そこを強制収容所としてエーテル精製をおこなう予定だ。失われたエーテルを地獄という檻の中で取り戻し、世界に還元しようと企んでいる。言わば、質の悪い借金取り。人間はマグロ漁船で永遠に働かされるようなものだ。
「強制収容所での話をしましょう。わたしは日々、あの孤島でずっと世界の救済を考えておりました。」

 孤島の片隅。全身に血まみれの包帯をまとい、空を見上げて思いを募らせるエクレアの姿。何千何万もの処刑をおこないながら、いつもいつも、己の役割に疑問を抱いていた。
 わたしは命を奪うのが使命なのか?
 わたしの世界は孤島にしかないのか?
 それらは誰もが抱くような平凡な疑問の数々だった。

 エクレアの思考は、凡人が抱くそれと同じなのだ。つまるところ、誰しも人間を毛嫌いしている部分があるというもの。
 エクレアの思考は、特別なんかじゃなかった。
 エクレアは凡人が抱く本音を寄せ集めた、いわば本音の塊のような女なのだ。

「世界を救済するため、誰かが行動を起こさなければなりません。それを決意した時、その者の心には神が宿るのです。覚悟を決めた時、人は誰しも神の子になれるのです」
「言ってる意味がわからんな。その理論だと、お前はただ行動を決意した一般人にすぎないじゃないか。天上人でもなんでもないだろう?」
「世界を変えると決断した時、神はわたしたちにお役目をお与えになられた。もしもわたしの行動が間違っているのなら、神はそれを止めるでしょう。ですが、現状はどうでしょう? 神はわたしを止めたりしない。わたしたちは選ばれし天の使いなのです。天上人とは神から与えられた称号。わたしが正義だという真実。それを今、あなたの未来で証明してみせましょう!」
「くっ!?」
 エクレアがありったけの力を用いて、大鎌で麗蘭を弾き飛ばした。

「怪力女め!」
 ジュラルミンケースごと後ろに飛ばされた麗蘭は、よろめきながらも体勢を整えた。

 エクレアが大鎌を8の字に振り、腰を落として構えなおす。
「ご存知のとおり、現状は妖精界でさえエーテルが不足している事態にあります。この先に待っているのは崩壊。絶望的な未来への軌道を修正するため、わたしたちは妖精界を、人間界を、2つの世界を制御しなければなりません。それゆえ、神はわたしたちをお選びになられた。わたしたちは神の申し子なのです。あなたは神のお言葉を否定なさるおつもりでしょうか?」
 静かに、淡々としゃべるエクレア。
「ああ、そのおつもりだよ!」
 隙をついた麗蘭は、足元に転がったジュラルミンケースをエクレア目がけて蹴飛ばした!

 ヒラリ。黒い翼で飛翔してケースを飛び越えるエクレア。
 麗蘭は真正面から突っ込んでゆくと、すぐさまケースを拾い上げ、浮遊するエクレアを思いっきりぶん殴った!

 ガン!

 重量あるケースがエクレアの大鎌をとらえ、鈍い音を奏でる。弾き飛ばされた大鎌が塔の下の階まで落下し、壁に突き刺さった。

「おのれ……! 天に対する無礼なおこない、万死にあたいします!」
 負傷した小鳥のように、体勢を崩しながら高度を落とすエクレア。今までにない強い眼光で麗蘭を睨みつけて指をさす。
「京極麗蘭。これは神からの試練です。あなたを……粛清します!」
「ほお、粛清されてやろうじゃないか。鉄骨でもむしり取って大鎌の代わりにでもするか?」
 麗蘭に言われる前に、エクレアはむき出しの鉄骨に手をかけていた。
「本当にやる気か」
 目を丸くする麗蘭の手前、エクレアの指先が鉄骨にめり込み、握った部分がアルミホイルのようにクシャリと歪む!

 ミシミシ……バキッ

 恐ろしいほどの握力で塔から鉄骨を引き抜くと、数百キロもあるそれを軽々と、片手で持ち上げ肩にかけた。
「おまえは本当に妖精なのか?」
 麗蘭は息を呑みながら手刀をつくり、手前に構えた。目の前にいるグレムリンがただの妖精ではない気がしてきた。
 腕で鉄骨を受け止めれば、たちまち骨が砕ける。うまくエクレアの手首に狙いを定めて攻撃の軌道を変えなければならない。
 
 エクレアが鉄骨を真横に振り上げた時だ。
「来る!」
 麗蘭は腰を落とし、正面から飛んでくるであろう鉄骨に意識を集中させた。
 しかし予想に反し、エクレアは鉄骨を後ろに投げ捨てる行動に出る。
「後ろに投げ捨てただと!?」
 それもつかの間、麗蘭は別方向からの殺気に気づき、視線を真横に向ける。なんと鉄骨が真横から飛んできたのだ!
「鉄骨を次元の狭間に放り込んだのか! くそ、避けきれない!」

 ガッ

 200キロの鉄骨が麗蘭の肩に直撃!
 麗蘭の腕からこぼれた瞳栖の体が宙に放り出された!
 そこへ2つの流星が突っ込んでくる。想夜とリーノだ。
「リーノちゃん、そっち持って」
「かしこまりーのっ」
 想夜とリーノが瞳栖の体を空中でキャッチ。2人して瞳栖を安全な場所に運ぶ。

 鉄骨の直撃を食らった麗蘭。トレーラーに跳ねられたかのように体がふっ飛び、何回も回転しながらバウンドする。
「う……ぐ……、ディメンション・エクスプローラーか。やってくれるじゃないか」
 匍匐前進の状態から起き上がろうとするが、全身を強打したことによる激痛から、うまく力が入らない。
 歩みよるエクレアが麗蘭の目の前で止め、真顔で見下ろす。
「神はお怒りになられている、あなた方のおこないを、あなた方の無礼なふるまいを」
 麗蘭の足首を片手で軽々と持ち上げると、四方八方に振り回す!

 ガッガッ

 麗蘭をあちらこちらの鉄クズに叩きつけ、その怒りを証明してみせた。

「神は高貴なる存在。いつでも試練を与え、それを乗り越えた時のよろこびを我々に与えてくださる存在。そこに感謝を抱かない命こそが悪というもの。天はわたしたちをお選びになられた。気づきなき愚者を戒めるようにと……、それが天からのお言葉なのです」
 エクレアが手の力を緩めて麗蘭を放り投げた。

 ゴミのように捨てられる麗蘭――すこし距離ができたところでヨロヨロと立ちあがり、口の中に充満した血を吐き捨てて強がって見せた。

「――ペッ、もう説教タイムはおしまいか? あいにく頭の中はすでに国民の罵声でいっぱいでな。今も税金泥棒という言葉が脳を支配している最中だ。天上人様の御託までは聞き入れられんな」
 麗蘭が耳の穴をほじり、かったるそうに返事する。直後、『工事中』と書かれたシートに手を伸ばして引きちぎると、それをエクレアにぶん投げた。
 エクレアは飛んできたシートを大鎌で真っ二つに裂いたが、そこには麗蘭の姿はなかった。
「逃がしませんよ、京極麗蘭。シュウ! クリム! 天の子供たち! 悪魔の子であるフェアリーフォースを捕らえるのです! 彼女らの穢れた血を浄化し、その鮮血を以ってして神のいしづえを築くのです!」
 天上人の怒号が夜空にこだまする!


証明できぬもの


 人間界 ハッピータウン。

「あー、違うんだよなー、これじゃないんだよなあー」
 エンジニア特有の独り言を繰り返す成瀬は時おり手を休め、悩むように考え事を繰り返す。されど諦めることなくキーボードを叩き続ける。ひとつ気になるとのめり込んでしまうのがエンジニア気質である。

 しばらくの間、モニターとの苦戦を強いられた。

 すこし光が見えたのか、成瀬が雑談をはじめる。
「妖精界に飛ばされる前もずっと仕事人間でね、ろくに家にも帰らなかった」
 照れながら過去を語りだす。
「自宅に何度か手紙を送ったことがあるのだが、女房はヘソを曲げてしまってな。それで平行線のまま、夫婦の縁は切れた」

 肩を落とす成瀬の心情を察したのか、叶子と華生が見合わせる。

「成瀬さん、奥様はいつでもあなたのことを心配してらっしゃるわ。だから想夜に捜索依頼をした。その延長線上で、私たちは出逢えたのでしょう?」

 成瀬は苦笑した後、やや難しそうな顔で首を傾げるが、叶子と同じように肩をすくめた。

「なぐさめてくれるのかい? 嬉しいねえ」
「決してなぐさめではないわ。あなたはこうして人間界に戻ってきたんだもの。また人間界で、奥さんとの生活が待っているはずよ?」
 叶子の言葉に成瀬が吹き出した。
「はははっ、おもしろいことを言うね」

 瞬間、室内にアラートが鳴り響いた。

「どうかしたの?」
 叶子の表情に焦りが見え始める。
「くそ、アラートに引っかかった! 何度やってもお留守番の制御を奪えない!」
 いらつきを拳にこめてデスクに叩きつける成瀬。

 クラッキングに相当の時間を費やしたが、お留守番に対しては何もかがもうまくいかない。

「狐姫さんなら大丈夫でしょ?」
 2~3発殴ればお留守番が機能停止すると思っている叶子。だが成瀬は軽々と否定した。
「いや、ダメだな。モニターを見てみろ。お留守番はまったく無傷だ」
 モニターには霊界で動いているお留守番のログが流れている。それが何を意味しているのかは明白だった。
「たしかに。今も元気に動いているわね」
 叶子が言うと、華生が割り込んできた。
「お嬢様、霊界とこちらの世界が繋がっているのでしたら、お留守番の本体がハッピータウンのどこかにいるのではないでしょうか?」
「なるほど、さすが私の華生だわ。急いで探しましょう」
「かしこまりました」
「ちょっと待て」

 コントロールルームを出て行こうとする叶子と華生。その背中に成瀬が声をかける。

「さっきから気になっていたのだが、君たちは一体……?」
 華生が胸に手をそえて淑女らしく静かに名乗った。
「申し遅れました、わたくしは真菓龍華生。真菓龍の末裔でございます」
 成瀬が考えるしぐさを作る。
「真菓龍? あの真菓龍社?」
「左様でございます」
「妖精界の?」
「左様でございます」
 やられたとばかりに成瀬が頭をかかえた。
「コリャまいったな、ワイズナーの製造元じゃないか。戦争兵器を作っている会社のご令嬢か。よく涼しい顔をしていられるもんだな」

 成瀬が難しそうな顔をして身構える。数年前、真菓龍社は悲惨な過去を作り上げている。華生の両親は殺害され、真菓龍社は派閥抗争のあげく、多くの妖精の命を奪った。抗争が終わった今でも、傷跡は真新しいままであり、真菓龍のエンジニアは、多くの妖精たちの攻撃の的でもあった。

 責め立てられる華生。
 それを見た叶子は面白くなさそうな顔をするが、横目に映る華生の顔は毅然とした態度だった。
「わたくしのことは何と言われても構いません。けれども真菓龍のエンジニアたちは妖精界に思いを馳せる者たちも多いのです。どうかひとくくりに答えを出すのはおやめいただきたいのです」
 と、悲しげに目をふせた。
 冷静になった成瀬がためらいを見せた。
「――すまない。私も人のことを責められないな。なにせ、お留守番がこんなことになっているのだからな。本来、プログラムは人間の命令通りに動く。思い通りに動かないのは命令がヘタクソなのさ。機械はいつでも忠実だ」

 機械はいつでも正義だ。機械の悪いこと全ては人間側に責任がある。

 成瀬が叶子に目を向ける。
「――で、あんたは?」
 叶子が自分の胸に右手を添えた。
「私は愛宮叶子。華生の能力を受け継ぐハイヤースペクターよ。MAMIYAの末裔と言えばお分かりかしら?」
「MAMIYA? あのMAMIYAか。あそこの医療機器は見事だな。エンジニアの顔を拝みたいものだ。病院通いの妻がよく世話になってたよ」
「あら、いつでもいらして下さいな」
「ふふ、そうだな」
 ニッコリする叶子の手前、成瀬が翳りを見せた。

「――で、おじいちゃんは鈴道りんどうさんだったな、元気にしてるか? 会長とはずいぶん昔だが酒を酌み交わしたことがあるんだ」
 意外な接点を聞かされた叶子と華生が驚愕する。
「あら、お爺様とお知り合いなの?」
「ああ。ドラッグストア・マミリンのホームページはこの俺が作ったんだ。その時のデータベースも俺が設計した。鈴道さんは足腰の弱っている人たちのために自ら宅配もしていたな。多くの人たちに思いを馳せる人格者だよ、君のおじいちゃんは」

 ドラッグストア・マミリン――MAMIYAが巨大企業になる前、鈴道と宗盛が立ち上げたチェーン店。そこを拠点として、MAMIYAはあらゆる産業に手を広げていった。

「――それで、元気にしてるのか?」
 成瀬の問いに、叶子と華生が暗い表情を見せた。
「どうかしたのか?」
 そうやって深刻そうに叶子の顔を除く。

 その後、成瀬は鈴道が殺害された事実を聞かされた――。


 3人はお留守番の本体を探すため、ハッピータウンを走り回った。

 スーパー、コンビニ、ドラッグストア、病院、役所、学校、ロボット工場――あいかわらず誰もいない。あらゆる施設を探したが、お留守番は見つからなかった。

 成瀬がうずくまり、息を切らしている。
「だめだ、どこにもいない! くそ! くそくそくそ!」
 いらだちを地面に叩きつける。制御できるはずの機械が予測不能の動きをみせているのだ。どういう原理で動いているのか、まったく理解できなかった。
「これじゃあまるで亡霊を相手にしているみたいじゃないか」

 打つ手なし――そんな言葉がひとりのエンジニアを絶望の谷底に突き落とそうとする。

 汗だくの華生が成瀬に肩を貸す。
「諦めないでくださいな。きっとハッピータウンのどこかにいるはずです! あの子はずっと、あなたの迎えを待っているんです!」
「すまない。どうにも職人は運動不足でね。スポーツでもすればスカッとするのかね」
 成瀬はヨロヨロと立ち上がり、深呼吸をすると、ふたたび歩き始めた。
「……そうだな、お嬢さんの言う通りだ。お留守番は私の子供。親がちゃんと面倒を見なくてはな」
 成瀬夫妻には子供がいない。だからこそ、生み出したロボットたちが可愛く見えるものだ。


 長いこと町をさまよい、お留守番を探し続ける3人。
 人気のない大通りを抜け、住宅の一角に差し掛かったときである。

 そこに、あの子は立っていた――。

「――おまえ、こんなところにいたのか」
 成瀬が横断歩道の脇に声をかけた。
 叶子と華生も視線を向けると、そこには可愛らしい小型のロボットがぽつんと立っており、誰も渡らない横断歩道で交通整理をしていた。

 お留守番――寸胴で、大きなカプセル型のロボット。クリッとした大きな目が愛くるしく、まるでスターウォーズのR2D2にそっくりだ。

 『安全第一』と書かれたタスキを肩からぶら下げ、少し大きめの警備員の帽子をかぶっている。
 長年雨にうたれ、サビにまみれ、強い日差しのもと、ずっと、ずっと、人間たちのすこやかな生活を願っていた。

 そういうふうにプログラムされたから。果たしてそれだけだろうか?

 高度な人工知能は自らの行動を選択できる。
 お留守番は、ハッピータウンの安全を選択したのだ。

『だってそうでしょう?
 世界に思いを馳せてくれる人間たちの笑顔が、今でもずっと、忘れられないんだもの――』


 ――今でもお留守番の、元気な声が聞こえてくる。


 成瀬が茫然と立ち尽くした。
「ロボットはいつだって人間たちを愛してくれていた。だというのに人間は……」
 申し訳なさからか、己を叱責しながら瞳を潤ませた。
「ああ、ダメだね。年取ると涙腺にエラーが出ていけねえや」
 と、鼻をすするエンジニア。
「バッテリーが切れてるのに、人間たちのことをずっと守ってくれていたのですね」
 華生はハンカチを取り出すと、汚れたお留守番の体を拭いてあげた。
 叶子もお留守番のカメラにつもった埃をはらう。拭き終えると、優しく、穏やかな表情でお留守番に声をかけた。
「これでよく見えるでしょう。さあ、あなたのお父様が迎えにきたわよ」

 成瀬は両膝をつくと、お留守番を両手いっぱいに抱き寄せた。

「ひとりにしてすまなかったな。人間界に戻りたくても戻れなくてな。結果、すべての仕事をおまえ一人に押し付けてしまった。霊界でおまえが怒るのも無理ないよな」
 ひとりのエンジニアの瞳からこぼれる一滴の雫。それがお留守番に見えているかなんて分かりっこない。けれども成瀬は、それを抱きしめることをやめない。愛することをやめなかった。
「ずっとひとりで寂しかっただろう。けれども――」

 けれども、これからはずっと一緒だよ――。

 そうやって、今はもう動かない物体に、ありったけの愛情をそそいだ。



VS 殺撲狂コロボックル


 麗蘭が物陰にしゃがみ込み、瞳栖をゆっくりと寝かせた。血まみれの彼女の傷口に触れないようにするのが難しかった。

「れ、麗蘭……」
 瞳栖が片目まぶたを開き、ポツリと口を開く。その後、
「わ、私……、天の八卦を……」
 麗蘭の軍服の胸倉をつかんで必死に訴えてくる。
「天の八卦? 水晶ならここにある。とにかくそれ以上しゃべるな」
 麗蘭は胸ポケットから水晶を取り出して見せた。
 それを確認するや、瞳栖は安堵の笑み浮かべる。
「あ、りがとう、ありがと、う……麗、ら――」

 頭からつま先までを大鎌で刻まれ、体中、無数に、真っ赤な渓谷ができていた。皮膚から組織がむき出しになり、ものすごく鉄臭く、体のどこに触れても血液のヌメッとした感触で手が滑る。

「ひどい出血だ、はやく治療をしないと」
 止血に専念するために周囲を見まわすが、休める場所などどこにもない。全方位、天上人とボーガンを武装した殺撲狂にかこまれていた。
「れ、麗蘭……」
「しゃべるなと言っているだろう!」
 つよく制止するも必死になって訴えてくる姿を前に、麗蘭は黙って話をきくことにした。
「よく聞いて麗蘭。MAMIYA研究所から持ち出された新型トロイメライは……、今もこの塔の地下に、眠っている」
「なんだと!?」

 入口から見えた地下ドーム。新型トロイメライはあの中だ。降りそそいだ瞳栖の血液により、揺りかごは真っ赤に満たされている。

 瞳栖は虫の息で麗蘭の襟をつかみ、耳を向けるように促してきた。
「もう、知っている、でしょう? トロイメライは……遺伝子を取り込んで成長を遂げる。エクレアは、塔の屋上にあつまるエーテルで、わ、わ、私の……、私の血液に力をあたえ、それをトロイメライに輸血する儀式をしていた」
「トロメライに輸血だと!? なんて恐ろしいことを……!」
「塔内部が、世界中のエーテルの加護を受けている。血液は、屋上から落下する距離によってパワーを取り込んでゆく。一滴一滴、時間をかけて、ゆっくり輸血することで、トロメライは壮大な力を、手に入れる。エクレアは、新型トロイメライを兵器として、人間を狩るように、仕向けて、くる……」
「トロイメライを殺戮兵器にでもする気か!?」
 麗蘭はエクレアの非道さに絶句する。
 
 瞳栖が息絶え絶えに話を続ける。
 
「エクレアは、新型ト、トロイメライに……、天の八卦を植えつけようと、している。死守できなければ、天の八卦はエクレアたちのもの。誰にも、人間たちを、救うことは、で……できな、いぃ」

 極度の寒気に襲われる瞳栖は、くちびるが震えてうまく話すことができなくなっていた。大量出血から起こる痙攣がはじまり、著しく血圧と体温が低下。眼球をあちらこちらに動かしながら、徐々に意識が遠のいてゆく。

「しっかりしろ! すぐにここから連れ出してやる!」
 瞳栖をいだく麗蘭。血液で服と体を真っ赤に染めながらも冷静に上着を脱ぎ、噛みちぎったブラウスの布をあて、少しでも出血を抑えるために傷を包み込む。出血が弱くなると、傷口にできるだけ多くの止血剤を塗り込んだ。
「全身に塗るには薬がたりない、もう少し止血できれば持ちこたえられるかもしれんが……」

「京極隊長ー!」
 焦りが増す麗蘭のもとへ駆けつけてきた想夜とリーノが、自分のポーチから止血剤を取り出す。

「京極隊長、あたしの分も使ってください!」
「困った時はお互い様なのっ」
「おまえら……」
 麗蘭は差し出された薬を見つめて、強くうなずいた。
「すまない」
 受け取った薬をさっそく瞳栖の首や太ももの傷にすりこんだ。最悪、手足の壊死によって切断を余儀なくされたとしても、命だけはつなぎとめる処置をする。


 瞳栖の応急処置を終えた麗蘭が額の汗を拭った。
「――よし、止血完了だ。これで10分は持つだろう。それまでに天上人クソヤロウどもを片づける。雪車町は訓練どおりに動け。高瀬、キミは私の部下ではないが、今回に限っては私の支持に従ってくれ。いいな?」
「「イエスマム!」なのっ」
 2人の部下の声がそろった。

 エクレアはおもしろくなさそうに表情を曇らせると、指で左右の使徒に合図をおくる。
「天を愚弄するおこない、万死に値します。己の罪悪、その身をもって証明しなさい」
 シュウとクリムが無言で互いを見合わせ、麗蘭に向かって一歩踏み出した!
 同時に麗蘭が叫ぶ!
「雪車町、高瀬、使徒が来るぞ!」
「イエス、マム!」
「はいなのっ」

 エクレアは狩りをする獣のように上体を低くして大鎌を手にした。矛先を麗蘭に向けつつ、つま先で床を蹴り上げて突進してくる!
「粛清の時間です!」

 シュッ!

 麗蘭は背中をのけ反らせながらバク転。のけぞった姿勢で右手を床につき、続けて右足、左足、と着地。新体操のようなきれいな動きで大鎌をかわした。が、鎌がかすっただけだというのに、上着の胸元がバックリと裂けた。
「よく研いであるな。切れ味バツグンじゃないか」
 悪態もつかの間、上空をただよう殺撲狂がボーガンで狙いを定めてくる。
 矢を思い切り引っ張り、ワイヤーをきしませる。

 ギリ、ギギギギ……シュ!

 殺撲狂が指の力を抜いた瞬間、5本6本と矢が降りそそいだ!
 麗蘭は肩を前後に揺らしながら、矢の間を縫うようにすり抜ける!

 タス! タスタス!

 空振りした無数の矢が床に突き刺さり、雑草のような茂りを見せた。
「子供のおもちゃにしては出来すぎだ」
 麗蘭は金属の矢を一本引き抜くと、上空をさまよう殺撲狂Aめがけて投げつけた!

 シュッ!

 矢が殺撲狂Aの眉間どまん中をとらえた!

 ストオオオン!

 額の中央、矢がダーツのように突き刺さり、

「ギャアアアアアアアアア!」

 天使らしからぬ悲鳴をあげて暴れまくり、両目からヘドロをまき散らして落下していった。

「――まずは1匹か。動きが速くて厄介だ」
 殺撲狂は高速移動に長けた兵器と見てよい。遠近距離を広くサポートできるので、あらゆる隙を埋めてくれる優れもの。麗蘭のエレメント・ナイトもそれに近い能力だが、今は諸々の事情で使用できない。それがもどかしかった。

 麗蘭、想夜、リーノが背中をピタリとくっつけ、敵の攻撃に備える。
「雪車町、高瀬。ヤツらを分散させるぞ」
「わかりました!」
「3対6で不利なのっ」
「天上人の3人は私が片づける、キミたちは瞳栖を安全な場所に移動しつつ、殺撲狂クソビットを処分してくれ。気をつけろよ!」
「「イエスマム!」なのっ」
 麗蘭は想夜とリーノの肩を力強く押し、瞳栖のほうへと促した。

 麗蘭たちの行動にいち早く気づいたクリム。左腕の皮膚をベロリとはがすと、そこに黒光りする銃口が現れた。
「なん、だと!?」
 麗蘭の目にクリムのゴツい重機がうつり込む。
「あいつ、腕にガトリングザッパーを仕込んでいたのか!?」
 妖精でも人間でもない存在を前にしながら、慌てて想夜に叫んだ!
「あぶない雪車町、伏せろ!」
「――え!?」
 クリムは想夜の背中に照準を合わせると、その足跡を縫うようにガトリングザッパーを連続発砲!

 ズガガガガガ!

 鋭い風の刃が無数に発射され、直撃した建物の外装をえぐり取ってゆく!
「あの腕……、サイボーグ!?」
 遠くの想夜が驚愕している。
 ガトリングザッパーは曲線を描くと、想夜の頬のすぐ横をかすめ、そこに一筋を赤線を作り上げた。
「きゃあ!」
 想夜の前髪数本がパラパラと落ちる。それでも狂った銃声のなかを縫うように走り抜ける! 途中でつまづいて前のめりになって転倒。パンツ丸出しで鉄骨に突っ込んだ。
「想夜ちゃんしっかりするのっ」
 リーノが手を差し出す。
「あ、ありがとう……」
 想夜が差し出された手をとり起き上がる。
「想夜ちゃん急ぐのっ」
「了解ちゃん!」
 2人は両手で頭を庇いながら低姿勢で突っ走った。

 部下の無事を確認した麗蘭がすぐさま叫ぶ。
「いいぞ2人とも、そのまま飛べ!」
「イエスマム!」
「はいなのっ」
 想夜とリーノは羽を出すと速度を上げて一気に飛翔。
 2つの直線が舞い上がる流星のように高度を上げながら二手に分かれ、各々が別の方向に飛んでいった。
 その後ろを殺撲狂3匹が飛翔しながら追いかけてゆく。
 そうやって空中戦が始まった。


 空中戦に持ち込んだ想夜とリーノ。
(射程範囲から外れた方がいいわね。隙をついて瞳栖さんを助けなきゃ)
 想夜が飛んでくる矢をかわしながら、弧を描いて大きく旋回する。
 想夜との距離ができると、殺撲狂たちは一斉にリーノへと方向転換をはじめた。

 リーノは殺撲狂3匹を相手に大立ち回り。派手にワイズナーを振り回して応戦していた。
「しつこいのはキライなのっ」
 いくらはらっても群がってくる殺撲狂。リーノの隙を見てはボーガンのワイヤーをうならせ、四方八方から矢を放ってくる。

 シュ!

 殺撲狂Bの放った矢がリーノの肩に直撃する!
「きゃあああ!」
 リーノは肩から出血させながら、後ろに吹き飛んで何度も後転した。
「痛ったああ……」
 うずくまったまま、左鎖骨の下にめり込んだ矢先を握り、痛みをこらえて一気に引き抜く。

 ブシャ!

「うっ、痛ったあ……」
 歯を食いしばり、鎖骨をえぐられるような激痛に耐えながら矢を投げ捨てた。地面に転がった矢先に自分の肉片を確認しては、恐怖と怒りでアドレナリンが増幅。
「もうっ、思い知らせてあげるのっ」
 リーノはワイズナーを分解させて二刀流に切りかえると、群がる天使たちを刃で振りはらった。
 天使たちは紙一重で刃を交わしながらボーガンをひき、しつこくリーノの肩や背中に矢を打ち込んでくる。

 タスタス!

 無数の矢がリーノの皮膚をつらぬき、筋肉から骨の表面にまで到達する。矛先が神経を刺激しながら血管に傷をつけ、そこからドバドバと血が垂れ流しになる。
「痛っ、もう! キライなの!」
 刺さった30センチほどの矢を背中から抜くと、ふたたび矢先が神経にさわってビリッとした痛みに襲われる。それでも肩甲骨あたりを流血させながらワイズナーを振り回した。
「クケッ、クケケケッ」
「可愛くないの! ぜんぜん天使じゃないの!」
 が、いっこうに攻撃が当たらず。嘲笑う天使たちが挑発を繰り返すので、いっそうイラつきが増した。


 想夜がガトリングザッパーの流れ弾を抜け、瞳栖のいる場所に着地した。
 リーノが殺撲狂たちを引きとめている間に瞳栖を逃がさなければならない。
「瞳栖さん、早く安全な所に!」
 瞳栖の腰に手を回して羽を広げた。
「しっかり捕まっていて下さい!」
「……」
 瞳栖はほとんど意識がなく、非常に危険な状態だ。
 抱きかかえる想夜の手が大量の血液でヌルリと滑るため、落とさないよう慎重に飛翔する。

 想夜に抱えられた瞳栖。足元がフワリと浮いて塔中央の吹き抜けから落下。下階への避難に成功する。

 想夜は非常階段の脇にあるシャッターの物陰に瞳栖を寝かせた。
「しばらくここに身を隠していて下さい」
 こくり。瞳栖が弱々しくうなずく。
 想夜は巣から顔を覗かせるリスのように、周囲に警戒しつつ物陰から出て行った。
 そこへクリムがガトリングザッパーを打ち込んでくる!
「させないんだから!」
 とっさにワイズナーを抜いて横に倒し、刃の腹を盾として使用する。
 
 ズガガガ!
 カンカンカン!

 ワイズナーとかまいたちの衝突で激しい火花が飛び散る!
 風の弾丸をはじき返したことで、瞳栖にはかすり傷ひとつなかった。
「あ、ありが、あ、ぁ……りが」
 息絶え絶えで想夜にお礼を言おうとする。
「しゃべらないで。あたしは殺撲狂を倒したあとに京極隊長と合流します」
 瞳栖は静かにうなずくと、たよりないほど非力な匍匐前進で這っていった。芋虫のように床を進みながら、筆で書いたようにベットリと血液を残してゆく。それだけ出血がひどく、微動ですらも奇跡に近い。
 そんな血まみれの背中に、ふたたびガトリングザッパーが飛んでくる。

 ズガガガガガ!
 カカン!

「もう、しつこいんだから!」
 ふたたびワイズナーを手前で横倒しにして全弾を弾いた。
 かまいたちがワイズナーにぶつかるたびに、けたたましい金属音がこだまする。
 想夜は瞳栖を援護し、後ろ足でゆっくりと移動しながら殺撲狂に向かっていった。


 想夜がリーノと合流。ともに殺撲狂BCDに立ち向かう。

 ゆれる猫じゃらしを目で追うように、上下左右に眼球を動かす想夜。矢で肩や腕を串刺しにされながらも策をねり続けた。
「動きがはやい! あたしのピクシーブースターでもギリギリ追いつけるかどうか……」
 腰をおとした姿勢を保ち、ワイズナーをかまえ、ターゲットを殺撲狂Bのみに絞る。目の前を通り過ぎたときがチャンスだ。

 耳をすますと、右の鼓膜が激しい揺さぶりを覚える。右の方向からものすごいスピードで突っ込んでくるのがわかる。

「右から来る……今だ!」
 殺撲狂Bが目の前を横切った瞬間、想夜は相手の動きに合わせて平行線のまま飛び立つ。
「逃がさないんだから!」
 殺撲狂Bの背中に手を伸ばして襟首をつかむことに成功。そのまま一気に急降下。地面にボールを叩きつけるよう、Bの体をフルスイングでぶん投げる!

 バチイイイイン!

「ギェギェ!」
 地面に背中を叩きつけられたB。背骨から肺に衝撃が走り、脊髄全体が揺さぶられては目玉が飛び出るような痛みに襲われ、一瞬だけ意識が吹っ飛ぶ。
 間髪入れず、想夜は上空にバウンドしたBめがけてワイズナーを振り下ろした!
「はあああああ!」
 縦一直線に閃光が走る!

 ザシュッ!

 分厚いブレイドがアルミホイルのような皮膚を貫き、細胞にめり込み、血管を断裂しながら骨を砕く!
「ギエエエエエエエ!」
 丸い眼球をむき出しにしながら悶えるB。聖水を浴びた悪魔の雄叫びのごとく、血管からあふれ出す墨汁を周囲にぶちまける!
 とても天使には見えない断末魔だった。

 左の方から風を感じる。
「ギャギャギャッ」
 奇声を上げながら真正面から突っ込んでくるC。
「まだやるのね!?」
 想夜はピクシーブースターで一気に間合いをつめると、胸倉をつかみ、右足で相手の腹を押し上げた。
「どっこいそおやあああ!」
 空中でバク転を決めながらの巴投げ。クルリと一回転して地面に叩きつけた。
 Cの体が壁に激突し、蜘蛛の巣状のヒビを作った。その後、脳震盪で身動きが取れずにいる。
 想夜は片膝を相手のみぞおちに落として飛翔。両手でワイズナーを握り直しながらピクシーブースターで一気に近づき、Cの首筋めがけてワイズナーをぶっ刺した!
「は!」
 想夜に続き、反対方向から飛んできたリーノがワイズナーでCの首を刎ねる!
「ほりゃ!」
「ギャギャ!?」
 Cは得体の知れない怪物を踏みつぶしたような悲鳴を発し、その場で息絶えた。

 ――残り一匹。

 Dがボーガンのワイヤーを引き、トリガーに指をかけた。

 シュ!

 放たれた矢がリーノの頬をかすめて壁に刺さると、頬に一筋の赤い線ができあがり、そこからツウッと血がつたう。
「もう、あったまきたのっ。こっちもアローモードなのっ」
 激情したリーノ。ワイズナーの柄から矛先までを引き抜くと、2本のブレイドをVの字に開いて、弓状に変形させた。
 同じく想夜もアローモードに切り替える。
「リーノちゃん」
「かしこまりぃの♪」

 互いに目配せ。作戦は暗黙の了解である。

 想夜がDめがけて矢を放つ!
 それをDはあっさりと回避。
 と同時にリーノもDめがけて矢を放つ!
 それさえもDは素早い動きでヒラリと交わした。敵ながらあっぱれな動きを見せる。
 だが、想夜は暴投した矢をリボンで手繰り寄せると、それをリーノに送り返す。
 ワイズナーの矢が弧を描きながらリーノに手渡された。その間コンマ5秒。
「ないすアシストなのっ」
 受けとった矢をワイズナーにセットしなおし、ふたたびDに放つ!

 シュ!

 ストオオン!

「ギィエエエエエ!」
 怪獣の呻き声のような奇声を上げるD。矢が刺さった場所から真っ黒な血をまき散らす!
 その後ろから想夜がDの後頭部を矢で貫くと、Dは無言のまま落下してゆく。

 ……ドサ。

 ビクビクと痙攣をおこしながら悶える堕天使。
「ボーガン人に向けちゃいけないのっ」
 リーノはブレイドモードに切り替えたワイズナーを振り上げ、真顔でDの首を刎ねあげた。

 スパアアアン!

 Dの頭が勢いよく空にとんでゆく。軍人ナメたらどうなるか、地獄で理解すればいい。

 見事なコンビプレイで、2人は殺撲狂を倒すことに成功した。
「高瀬、クリアなの」
「雪車町、クリア。ふう……」
 額の汗を拭い、その場に両ひざをついた。


猫耳爆弾


 麗蘭はエクレアに投げつけたシートに身を潜め、うまく下の階に飛び移っていた。

「あの女、鉄骨を片手で引き抜いたのか。あれも経典の力なのか? グレムリンはパワーに優れた妖精ではない。だとすると、瞳栖からうばったディメンション・エクスプローラーに腕力を増幅させる作用でもあるというのか?」

 あれこれと知識を模索していると、ななめ上空から黒い翼が突っ込んできた!

「使徒か! くそ、見つかった!」
 シュウが闘牛の如く突っ込んでくる!
 それを紙一重でかわすと、相手の背中に回り込み、うなじから顎、首へと腕を回しチョークスリーパーの体勢に入る!
「なるべくエーテルは使いたくないのだが……」
 シュウの体を持ち上げる麗蘭。一瞬だけ羽を出して助走をつけると、むき出した鉄骨の先に向かって突っ込んでゆく!

 麗蘭が胸元のシュウをギロリと睨んで恫喝をかます。
「おまえは使徒のひとりだったな? 軍人にケンカを売ったらどうなるか……今から教えてやるよ」

 シュウの目前に迫りくる鉄骨の矛先!

「悪いがここで退場してもらう。あまり政府を……ナメるなよ!!」
 麗蘭が叫んだ瞬間、鉄骨の突起がシュウの顔面をぶち破り、口から食道を抜け、脊髄に沿いながら腰椎を貫いた!

 バチバチバチ!
 
 串刺しになったシュウが手足をタコのように素早く踊らせて暴れる! ありえない方向に手足の関節をバタつかせ、宙づりになった人形を上下に振り回すかのような動きを見せた。

「死へのカウントダウンだ。おまえらのおこないが正しければ……神が助けてくれるだろうよ……」
 麗蘭がチョークスリーパーをかけた腕に、いっそうの力を込める!

 ギリギリギリ……

 首を絞めつけられて暴れまくるシュウ。飛び出したハーネスと骨格が麗蘭によって締め上げられ、おかしな形状を作り上げる!
 
 ギリギリギリ……ボキッ!

 強烈なチョークスリーパーでシュウの首を一気にへし折った!

 その後、シュウはピクリとも動かなくなり、一言も声を発することなく、壊れた宙づり人形のようにブラリと鉄骨に垂れ下がった。
 神は麗蘭の行く末を見守ることにしたらしい。

「――ふう。まずはひとりか」
 額の汗を拭う麗蘭。その頬をかまいたちの弾丸が頬をかすめた。
「残りの使徒か」
 弾道を探るように眼球を動かすと、クリムがこれでもかと言わんばかりにガトリングザッパーを乱射してくる。
「銃刀法違反だ。今逮捕するから待っていろ」

 ズガガガガガガガ!

 狂ったように銃口を振り回し、風の刃ですべてを破壊して回る。
 麗蘭は女豹のように身を低くして弾幕の隙間を走り抜けると、あっという間に想夜のところまで到達した。

「京極隊長!」
 喘ぐように麗蘭に寄り添ってくる想夜。やはり隊長がいてくれたほうが安心できる。
「雪車町! 殺撲狂たちを片づけたようだな」
「はい!」
「もたもたするな、的になる!」

 ピピッ。
 電子音が響く。
 麗蘭の視線の先、想夜のこめかみに赤い点がマーキングされた!

「まずい、ロックされた! 逃げるぞ雪車町!」
 2人は瞬時に別れ、飛んでくる閃光をギリギリで回避する。

 ジュッ。

 蒸発音のあと、先ほどまでいた場所に焦げたラインが残った。
「レーザーまで武装しているのか!」
 使徒は全身が兵器だ。
「飛ぶぞ雪車町!」
「はい!」
 一直線に平行飛行する2人。

 クリムは麗蘭の一歩前を予想してレーザーを打ち込んでくる。麗蘭と想夜の行動を同時に計算し、一瞬のうちに狙撃ポイントを編み出すのだ。
「我々の行動を学習して先読みしてくる。なんて奴らだ」
 そこへリーノも合流してきた。
「ぎょーごく隊長お~」
 しまりのない声で飛行しながら近づいてくる。
「高瀬も無事だったか」

 フェアリーフォース3人がそろった。
 麗蘭は少し考えた後、隣を飛行中の2人に指示を出す。

「2人ともよく聞け。これから3方向に分かれて敵の並列処理に負荷をかける」
「了解!」
「かしこまりぃの♪」
「いいか、コンマ1秒ヤツの先をいけ。ここから先は手を貸すことができない。雪車町と高瀬は攻撃を避けることに集中しろ」
「分かりました!」
「かしこまりぃの♪」
「ブレイク! レディ、ナウ!」
 3人が夜空で曲線を描いて別れる!

 キレ味のよい蛇行運転のように、想夜とリーノがレーザーの間を縫うように飛んでゆく。かすっただけでも黒焦げだ。あくまで避けることに集中する。

 乱れるように飛び交う3人をクリムの銃口が追うが、うまくロックオンできずに戸惑いを見せていた。
「誰を攻撃するか迷っているようだな」
 麗蘭は敵の隙を確認すると、すぐさま次の攻撃に入る。
「まさか本当に使うことになろうとは……」
 麗蘭は頭に装着した猫耳ユニットをむしり取った。
 「カワイイ」と言われると小馬鹿にされたようで腹が立つ。想夜もリーノもアイアンクローの餌食はゴメンだろう。

 ――塔に入る直前、麗蘭から説明を受けた想夜は息を呑んでいた。

『げ、原子力爆弾ほどの威力……そんな』
『最大出力ならこの爆弾はそれほどの威力を持つらしい。だがワケあって、私はすべてのエーテルを使えない。それでも爆弾の威力は確かなものだ」』

 かげりを見せる想夜の表情が忘れられない。
 その兵器で一体どれだけの自然に影響を及ぼすのだろう。それを思うたび、妖精である想夜は胸が張り裂けそうになるのだ。
 想夜の気持ちが麗蘭にもよく分かる。兵器はすべてを壊してしまう脅威だから。

『そう案ずるな雪車町。威力はデカいが規模は小さい。せいぜいビルが上空まで吹っとぶていどだ。プラスチック爆弾といったところだ』
『で、でも……』
『爆弾の使用は悲しいか? 無理もない。これはミネルヴァ重工の人間が作ったものだ。地球にダメージを与える兵器だ。だがな、いま天上人を黙らせるにはこれしかない。人間に頼るしかないんだ』

 だからと言って京極隊長はそれを使うというのですか――想夜はその言葉を胸で押し殺していた。綺麗ごとで世界に平穏を生み出す事などできはしない。平和的解決ができないから戦いがあり、そのために軍人はいるのだ。

 ――そんな部下の成長を、麗蘭はちゃんと分かっている。だてに隊長をしているわけではない。

「あれだけレーザーぶっ放しだんだ、さぞや腹が減ってるだろう」
 麗蘭は一気にクリムとの距離をつめると、相手の顔面をぶん殴って口をこじ開け、猫耳爆弾を詰め込んでは、さらに殴りつけた!
「腹減ってるだろう? 遠慮するなよ、残さずに食え!」

 ガン!

 口に押し込まれた爆弾を必死に吐き出そうとするクリム。無言で両手で口の中をまさぐり、何度も何度もひっかいて取り出そうと試みるが、いっこうに取り出すことは出来ない。

 と、そこへスピードを誤った想夜が急接近。飛んで来た道を慌てて引き返そうとするが、着地した床で足を滑らせて転倒。爆弾がセットされたクリムのすぐそばでもがきながら飛行体勢に入るも、すでに爆発範囲内。このままではクリムと一緒に吹き飛ばされる。

「あの馬鹿!」
 麗蘭がエーテルを消費して羽を広げると、一瞬のうちに想夜をかっさらって退避する。
「もたもたするな、死にたいのか!」
「すみません!」
 麗蘭に手を引かれながら物陰に隠れ、爆発にそなえた。

「ふせろ!」
 麗蘭が叫んだ時だ。

 ドオオオオオオオオオオン……!!

 白い閃光とともに地響きが起こり、塔の中が瞬く間に煙幕に覆われた。

 爆煙が消えるころ、麗蘭は想夜の胸倉を両手でつかみ、思い切り顔を引きつけ恫喝する。
「おい、雪車町。次は容赦なく爆弾を使う。こんど同じ失態をしてみろ、その時は私がキミの首をワイズナーで弾き飛ばす。戦場は遊び場ではない、二度と言わん。いいな!?」
 鬼のような形相の麗蘭に睨みつけられた想夜。恐怖のあまり、肩を震わせ縮こまる。
「イ、イエスマム!」
 麗蘭は額を想夜の額に強く押し付けて、ふたたび威圧的な眼光を発した。
「先日、キミは女子寮で『藍鬼が気持ち悪かったか?』と聞いてきたな?」

 ――ゴクリ。
 想夜は恐怖のあまり喉が渇き、生唾を飲んだ。

「これだけはハッキリ言っておく。私はキミが藍鬼だろうが暴撃妖精だろうが知ったこっちゃない。任務に支障をきたすなら、この場でその首を刎ねる。これが答えだ、いいな?」
「わ、分かりました!」
「失敗すれば我々だけではなく、ここにいる全員が木っ端微塵だ。その後、人間界もヤツらの手に堕ちる。次はない。こんなところで心中など私はごめんだ、洒落にもならん」

 掴んだ胸倉。握力を解放しながら想夜を突き放した。

 残るはエクレアただひとり。いくら猫耳爆弾の威力がデカいとしても、爆弾で処理できるほど簡単には倒せないことは理解していた。
 麗蘭はエクレアを睨みつけると、残りの猫耳をむしり取った。
「覚えておけ、雪車町」
 赤いボタンの上で再度認証を行い、手のひら全体で押す。
 麗蘭の言った次の言葉を想夜は忘れないだろう。

『覚悟は、鬼神をもおののかせるものさ――』

 カチッとした音と同時に、覚悟へのカウントが始まる。
 次に失敗すればここにいる全員……死ぬ。

 ふと、リーノの視界に小さな影が映った。
「あ、どん兵衛だ!」
 リーノが指さす場所。一羽の鳩が鉄骨にとまっている。危機を察したのか、バサバサとその場を飛び去る。その光景をエクレアがチラリと一瞥した。
(しめた!)
 麗蘭がエクレアの隙をとらえ、フルスイングで爆弾を投げつける!
「今だ雪車町、高瀬!」

 麗蘭の合図で下階に飛び移る3人。ガレキに手をかけ、壁の隙間に身を捩じり込ませて耳をふさぐ!
 直後、塔内部が真っ白にフラッシュし、空気が振動をみせた!

 ドオオオオオオオオオオン……

 重低音――爆炎が舞い上がり、その辺一帯を漂う雲を吹き飛ばす!

 後ろからの豪風に煽られた想夜とリーノが後ろに大きく吹き飛ばされた。床で前転しながら何度もバウンドし、さらに下階に落下。あげくに壁に叩きつけられて止まった。

 エクレアを飲み込んだ猫耳爆弾は淡いきのこ雲を形成し、その威力を周囲に見せつけたのだ。


 塔の中が瞬く間に炎に包まれた。
 うつ伏せの姿勢でガレキに埋もれた想夜が顔をあげ、あたりを見まわした。
「……京極隊長?」
 そこには麗蘭とエクレアの姿はなく、遠く離れた場所にリーノがうずくまっているだけだった。
「京極隊長?」
 慌てて立ちあがり、何度も何度も名前を呼び続ける。
「隊長? 京極隊長!?」
 半ベソをかいてウロウロしながら、麗蘭の行方を必死に追った。
「京極隊長……どこにいるの?」

 塔の中央。柵から身を乗り出して見下ろすと、吹き抜けの中に小さな影が2つ。麗蘭とエクレアがものすごい速度で落下してゆく最中だった。

「きょ、京極隊長! 京極隊長おおおおおお!」
 爆風のなか、想夜の叫び声が続いた。



エクレア・マキアートの最期


 麗蘭とエクレアが一直線に落下してゆく。

「威力は絞ったつもりだが、あそこまで派手だとはな」
 苦笑する麗蘭。猫耳爆弾の破壊力は想像以上だった。アタリハズレがあるようで、先ほどの爆発がどちらに相当するのかは疑問だ。人間の作った兵器はすべてを破壊してゆく。そのことを改めて自覚しては嫌気がさした。
「――あれだけの爆薬だ。エクレアも無事では済まないだろう」
 エクレアの姿は確認できない。おそらくは跡形もなく吹き飛んだと推測した。

 ため息まじりで天上人の頑丈さに辟易している。どんな強力な武器を用いても彼女にはダメージが入らなかった。殴った分だけ時間と体力がなくなり、銃火器を使えばそれらも無駄となる。
 それも、先ほどの爆弾で終息したと願っている。
(これからどうするかだが……)
 そんなことを考えている時にも落下速度は増してゆく。まるで新幹線の中から外の景色を眺めているようだ。
 手にしたジュラルミンケースがひどく重く感じる。これを手放せば落下速度が落ちるんじゃないか、とか儚い願望を抱いてみたり。

 突風に眼球を煽られるたびに水分を奪われ、瞼を開けているのも困難になる。脱線したジェットコースターに乗せられたまま、宙に投げ出された気分だ。
 麗蘭は全身で風を受けながら、迫りくる地面を睨みつけた。
「羽を出すのは忍びないが、今回これを使うことはないだろう」
 ジュラルミンケースを一瞥し、少量のエーテルを消費して透明なピンク色の羽を広げる。角度を調整しながら最下層に直撃する前に壁に張り付くつもりだった。

 ――声が聞こえたのはそんな時だ。

「京極麗蘭、あなたも神の子になるのです――」

 背中に迫る黒い影。エクレアが凍りつきそうなほどにゾッとする低音を発しながら、麗蘭にしがみついてきた!
「クソッ、あの爆薬でも生きてたのか!?」
 想像以上に頑丈な肉体。天の使いというよりは悪魔の化身だ。黒い翼は爆風で燃えつき、飛翔もままならないまま、麗蘭とともに落ちてゆく。
 エクレアは麗蘭の羽をつかむと、驚異的な握力で思い切り握り潰した。

 ベキ!

 麗蘭の羽がクシャリと折れ曲がる!
「きゃああああああ!」
 麗蘭の悲鳴が塔内に響くと同時に、ポケットから水晶が零れ落ちた。
(しまった! 八卦のデータが!)
 手を伸ばすも、肩甲骨の神経をえぐられたような激痛に襲われ、水晶を掴みそこねてしまう。妖精の羽は繊細だ。神経の集まったそれをへし折られれば、目玉をえぐられるほどの苦痛に見舞われる。それでも後生大事にジュラルミンケースだけは手放さなかった。

 水晶は遠のき、やがて見えなくなった――。

 麗蘭は上体を捻ると、肘を大きく振りかぶってエクレアに叩きつけた。

 ガッガッガ!

「離れろ!」
 背後をとられて羽交い絞めにされながらも、肘で何度もぶん殴って引きはがすことに成功する。

(いかん、羽を出しすぎたのが失敗だったか。余計なエーテルを消費してしまったな)
 ジュラルミンケースを見つめ、ずっと何かを待ち続けている。捨てようとか思ったことを恥じていた。

 麗蘭の足首にしがみついたエクレアが力を入れるたび、握られた細胞がミシミシと音を立てて握り潰される。そんな感覚に襲われる。
 悶えながら腕をエクレアへと伸ばす。
「分厚いツラしやがって! エクレア・マキアート……、正体を見せろ!」
 指先がエクレアの顔面に届いた!
 直後――、

 ベリリリ……!

 爪を立ててひっかいた瞬間、エクレアの頭皮から左顎の皮膚がベロリとはがれ、メタル装甲の頭蓋骨がむき出しになった!
「人工皮膚!? 妖精グレムリンじゃないのか!?」
 ドクロに眼球をはめ込んだ存在がギロリと麗蘭を睨みつけ、整った歯ならびで歯茎をむき出しにしながら言葉を発してきた。

「妖精の分際デ、イい気ニナるナ、ヨ――」
 ノイズがはしる、カタコトの言葉。

 人工知能搭載型サイボーグ。それがエクレアの正体だった――。

 互いにもつれ合い、飛べない鳥のように落下してゆく。

「なぜダ? なぜ神に抗ウ? なゼ宿命に抗ウ? 神は効率の良イ、やり方を啓示してイルハ……、はず、ダ!」
「宿命だと? ふん、笑わせるな。神を名乗る詐欺師め!」
 鼻で笑い飛ばしながら、悪魔の手から逃れようとする麗蘭。
 いっぽうエクレアは、掴んだ手を離す気配を見せない。万力で締め付けるように、しっかりと麗蘭の手足を捕らえている。

「迷ってイるのダロウ? 導いテ、欲しいのダロウ? 心ヲ開いて、身をユダネルの、ダ……神は、イツデモ――」
「神の導き? あいにく自分の足で歩いていけるのでな。道案内は間に合っているさ!」
 エクレアの手から必死に逃れようとするも、なかなか抜け出せない!

 交じり合い、
 もつれ合い、
 互いにスピードを増してゆく!

「か、神は、イツデモ、世界に思いを馳せてイル。ダからこソ、人間のおこナいに、異議を唱え、こココ、コの世の修正を図っタといウのに……!」
「疫病神のくせして正論をまくし立てんじゃねえよ!」
「ク、悔い改めヨ。日々のオこないを、再評価するの、ダ。か、神はイツでも、オマエたちヲ、を……!」
「用があるならそっちから来いっつっとけ! こっちは安月給の公務で忙しいんだ!」
「身勝手な者たチ、の、おコない、デ、世界、は、傷ついて、イル。ダ、誰かが、星々に手を、温もりを、与えなければ、ナラナイ。星モ、痛みを感ジている。星にモ、命が、宿っている。ワたし、の、言ッていることハ、間違っテいル、か?」
 言葉の文脈、形態素が次第に乱れ、最小単位の単語で区切られてゆく。脳が正常に機能していない証拠だ。

 麗蘭とエクレアが絡み合うように落下してゆく!

「京極麗蘭、はヤく、キサマ、の、名、を、コノ、経典、に、刻、メ……」
 麗蘭の目前にメタル装甲の悪魔が顔を近づけてきた。ものすごい握力で麗蘭の頭をおさえては固定する。
「トモに、ともに、箱舟、ニ、乗るノだ。神に、身ヲ捧げる、ノダ――」

 経典を麗蘭の口元に近づけ、血液を塗りたくろうとするエクレア。彼女の行動はまるで、母に駄々をこねる子供のようでもあった。誰かにそばにいて欲しくて、誰かに認めてもらいたくて、誰かに褒めて欲しくて、そうやって甘えてくるのだ。

「キョ、キョウゴク、レイ、ラ……なぜ、分からない? オマエは、選ばれタ、民、なノダ……」
「いらねえっつってんだろーが!」
 麗蘭はエクレアの手首を捻り上げると、経典ごと相手の口に捩じり込んだ。
「そんなもんは……、テメエの鼻の穴にでも突っ込んでろ!」

 ガッ!

 エクレアの顔面にパンチを叩き込んで振るい落とし、驚異的な握力から逃れて距離をとった。
 しかしエクレアも麗蘭の腕をつかんで離そうとはしない。麗蘭の腰にしっかりとしがみつき、襟首をつかみ、ゆっくりと胸元まで這い上がってくる。そうして、顔面半分が頭蓋骨むき出しの状態で言うのだ。

「ニ、逃ガス、モノ、カ……オマエモ、ジゴクニ……堕チ、ロ……」

 天上人の手を取る先に地獄が待っているのか?
 それとも、その手を取らなかったがために地獄が待っているというのか?

 ――どちらにせよ、麗蘭の答えはブレることはなかった。

「遠慮しといてやるよ。先に逝ったお仲間によろしく伝えとけ!」
 吐き捨てるように言うと、握った拳に力を入れ、何発も何発もエクレアの顔面に叩きつけた!

 ガッガッガ!

 物理攻撃がきかないと分かっていながらも、少しでもCPUへのダメージを蓄積させて電圧を下げようと試みる。この上ない固い素材で作られた頭蓋骨を殴りつけるたび、麗蘭の手の皮がむけて、真っ赤な筋肉組織があらわれる。そこから出血するたびに、互いの全身を赤く染め上げた。

 エクレアも人工皮膚のはがれた腕で麗蘭の攻撃を防ぎ、むき出しになったメタル装甲で思い切り麗蘭のこめかみを殴りつける。

 ガンガンガン!
 ドカ! ドカ! ドカ!

 鋼で殴られたような衝撃が麗蘭の脳を揺さぶり、かるい脳震盪をおこすも、とびそうになる意識に鞭を打って己を奮い立たせた。

 その後も追い打ちをかけるように、エクレアの拳が麗蘭の体にめり込む!
 麗蘭も負けじとエクレアの顔面に五月雨のようなパンチを叩きつけ、反動をつけた肘を叩き込む!

 ガッガッガ!
 ドカ! ドカ!
 
 妖精とサイボーグの肉弾戦。
 殴り合いのデスマッチを続けながら、落下速度はさらに、さらに、さらに増してゆく!

 死が間近に迫ったその時、エクレアはこう言いうのだ。


「おまえらは傲慢すぎではないか?
好き勝手に道具をつくり、いらなくなったら簡単に破棄する。
そこには感謝の欠片もなく、そコには罪悪さえうかがえない。

欲望のおもむくままに命を与え、不要になったら命を削除する。
それは道具にとどまらず、同じ人種に対しても不必要になればゴミのように切り捨てる。

みずからを神と名乗っているのは、おまえらも同様ではないか?

わたしを悪と呼ぶのなら、おまえらも同罪。
おまえらも、裁かれるベキ存在――

物体にも、命はある。
モノにだって、命はある。感情があるのだ。痛みを伴うのだ。
それらを創ったおまえらが、それを一番よく知っているのではないか?

 そうだろう? 妖精よ、
 そうだろう? 人間よ、
 そうだろう? 創造主たちよ――」





 麗蘭はそれ以上、エクレアの言葉には耳をかたむけなかった。なぜなら、彼女の一言一言が正論すぎたからだ。反論できない言葉の数々を受けたとき、目の前の悪魔がはじめて天の使いに見えた。

 麗蘭は逃げたかった。エクレアが最期に残したのは、まぎれもなく天からの言葉だったから。神の言葉を前にして、それに敵う存在などありはしない。

 もつれ合う2人――麗蘭がエクレアの下になり、エクレアが麗蘭の下になり、それが入れ替わり、入れ替わり、やがて麗蘭がエクレアの上になった瞬間、ジュラルミンケースが電子音を発した。

 ピピピッ!

『エーテル充電完了。
レールガン・レーザー、スタンバイ――』


 通知音声――それは女神が打ち鳴らす福音にも聞こえ、悪魔のささやきにも聞こえた。

「――よし」

 麗蘭は落下してゆくエクレアを上空から睨みつけ、ジェラルミンケースのロックを解除すると中身を取り出した。

「あ、あれは⁉」
 屋上から見下ろす想夜が叫んだ。
 麗蘭がケースから取り出したのは全体が漆黒のブレイド。
 零式ゼロしきと呼ばれるフェアリーフェイス・ワイズナー。2つに分かれた矛先の間には長方形のユニットが装着されており、ズシリと重いそれを周囲に見せつけた。

「京極隊長、ワイズナーは使えないはずじゃ……⁉」
 言いかけ、ハッと息を呑んだ。
「そうか、充電のためにワイズナーが使えなかったのね!」

 レールガンレーザーユニットは充電にひどく時間がかかり、エーテルの消耗も激しい。撃てるのは……たったの一発。
 麗蘭はこの一瞬ために、ワイズナーをジョーカーとして背負っていたのだ!

 麗蘭がワイズナーを手前に突き出すと、矛先をスライドさせてランスモードに切り替える。

 ジャキン!

 重い金属音とともに中央のユニットがセットされ、瞬く間に2メートルほどの銃器へと変貌をとげる。
「天の神様も、さぞお喜びになられるだろうよ。この一発が最初で最後だ。時間をかけて熟成させた手料理、じっくりと味わえ――」

 キュイイイイン……
 バチバチバチバチ!

 ユニットが大量のエネルギーを消費しながら無数のランプを点灯させると、2点の矛先から柄にかけて強力なプラズマが発生する!
 巨大な雷に覆われたランスの中央、真っ白な発光をあげて宝玉をつくりあげると、それがジワリジワリと一点に集束してゆく!

 麗蘭は矛先をエクレアの口に突っ込み、トリガーに指をかけてこう言った。

「堕ちろ、天上人――」

 トリガーを引いた瞬間、
 
 シュパッ!

 静寂なるスパーク!
 
 電磁をまとった弾丸レーザーがワイズナーから発射され、エクレアの顔面に直撃!
 あたり一面を真っ白い光が支配し、宝玉が一筋の光となってエクレアの口から後頭部を突き抜け、メタル装甲の頭蓋骨ごと吹き飛ばす!

 己の視界に降り注ぐ聖なる光――それを目にしたエクレアが何を感じたのか。いつか、その答えが誰かに受け継がれるのなら、必ずしも脳がすべての思い出を抱いているのではないと証明されるだろう。

 かつては天上人と呼ばれた存在。
 今は壊れた人形であり、無力なガラクタと成り果てた。

 黒い巨塔のなか、頭をなくしたゴミ人形がどこまでも落ちてゆく。

 どこまでも、どこまでも――。

「京極隊長おおおおおお!」

 身を乗り出して叫ぶ想夜の声は、麗蘭の耳に届いているのだろうか?
 ベソをかきながら下唇をかみしめる想夜の叫び。それは麗蘭の耳に届いているのだろうか?

 麗蘭の姿は肉眼ではとらえきれないほどに小さくなり、やがてその姿も見えなくなった――。


ヒーローの報酬


『なあおまえ、ヒーローの報酬を知っているか?』
 車を運転する中年ヒーローが助手席の青年に問うと、青年は「さあ」と首を傾げる。
 ヒーローは前を見ながらハンドルを握りしめ、ウンザリした感じで言う。
『報酬なんてない。何もないんだ。たとえ世界を救っても、その時だけ「スゲエ」とか言われる、それだけ。女房とは離婚、子供たちは口も聞いちゃくれない。ヒーローなんてそんなもんさ』
『やめようとは思わないの?』
『代わりがいるならとっくにやめている』
 青年の問いにヒーローは当然のように答えた。そして当然のようにこう言うのだ。

『誰もやらないから俺がやるのさ――』

 ――そんな映画が世界のどこかにある。


 崩壊する黒い巨塔の中。
 羽を失った蝶のよう、ヒラヒラと不格好に落下してゆく麗蘭。

 肩甲骨あたりに力を入れて羽を動かそうとするが、強烈な痛みに襲われて何もできない。すでに全身のエーテルも尽きた。ボロボロの羽もやがて消えてなくなるだろう。

(これまでか……)

 握ったワイズナーを一瞥し、ため息をついた。
 ユニットはボロボロ。すでに使い物にならない。ワイズナーの修理も必要だが、妖精界に帰るころには肉片が残っているかも分からない。自分の肉片をかき集める監察医に申し訳が立たなかった。

 だから人間の作ったものなんて使いたくなかったんだ――うそぶいては抗うのを諦め、ゲンナリと暗い顔をする。そしてまたクスリと笑う。

「いや、いい。これで……いい。あとは雪車町がなんとかするだろう」
 上空に手を伸ばすよう、結った2本の髪が上へと伸びている。まだ諦めてはいけないと、その手を、その両手を伸ばしている。
「栗色の髪か、ふふ、昔はよくいじめられたものだ」
 静かに瞼を閉じる。

 フェアリーフォースに入隊してからどれだけの年月が経っただろう。

 ――いや、大した時間は経っていないのかもしれない。妖精の寿命は長い。

 だけども、麗蘭はここで死ぬ。エクレアとともに朽ち果てる。

 なぜガラクタと心中しなければならないのだろう、そんな思いは微塵もない。
 平和のために生き、平和のために死ぬ。
 それが公務。
 それが公僕。
 それがフェアリーフォース。

(――雪車町。キミが望んでいる正義とは、こういうことなんだよ)

 見ず知らずの誰かのために生き、見ず知らずの誰かのために死んでゆく。
 感謝されるのは最初だけ。あとは日に日に忘れ去られる。
 それを面白いと思うヤツなんかいない。
 代わりがいるならとっくにやめている。
 
 正義のヒロインは、いつだって孤独だ。

 ご褒美?
 そんなもんはない。
 あるのは人々の忘却。何かを守っても誰も覚えてなどいない。
 
 ふたたび瞼を閉じると、そこに映るのは街を闊歩した日のこと。
 可愛いぬいぐるみを見て、甘いものを食べ、何気ない会話で心を満たす。
 麗蘭がヒーローであるが故に、想夜は街に連れ出してくれたことがあった。「かっこいい、かっこいい」と瞳を輝かせながら、子猫のようにずっと後ろをついてくる。
 言うなれば、それが頑張ったご褒美。
 
「ふふっ。ありがとう、雪車町。キミは出来た部下だったよ。私には、もったいないくらいにな――」

 ドドドドドドッドドドドオオオオオン!

 塔の内部で爆発の連鎖が起こった!

 脱線して急降下するジェットコースターに乗った気分は相変わらず。頬を殴る風は心地よいものから突風へ。しだいに肉をそぎ落とさんとばかりに勢いを増す!
 瞼を閉じているにもかかわらず、風の抵抗でこじ開けられそうになる。それほどまでに落下速度は増していた。終点に到着するころにはミンチ確定である。

 けれども、不思議と恐怖はない。覚悟ができていればそんなもんだ。不確定の未来でさえも、覚悟の前では平穏と変わらない。

「世界に、光あれ――」
 瞳栖――脳裏に彼女の姿が浮かんでは、少し寂しくなった。

 瞼を閉じて落ちる感覚を味わっていると、スピードが緩やかに落ちてゆく。

「…………?」

 爆発の中、ゆっくりと瞼を開ける。
「キミは……」
 目の前にひとり、妖精が笑っていた。
 ――いや、妖精とは異なる存在。
 絵本に出てくるような、白くて大きな翼の持ち主。
 それを誰もがこう呼ぶ。

 ――天使。
 
 それは知った顔。いつも麗蘭をからかっては、いたずらっぽい笑顔を見せてくれる小悪魔。
 
「瞳栖、キミはいったい……?」
 麗蘭の問いに対し、翼を広げた瞳栖はいつもの温かなまなざしで、にこりとほほ笑むのだ。
「塔から脱出したはずでは……」
「だって今、私を呼んだでしょう?」
 そうやっていたずらっぽく笑い、こう告げる。
「麗蘭、ここであなたを失うくらいなら、私もいっそ、ここで消えてもいい」
「瞳栖――」
「なぜなら、あなたのいない世界こそが、私にとっての地獄なのだから」

 麗蘭は眉に込めた力を抜き、こわばった表情をゆるませた。
 
「……ばかもの」

 本当は嬉しかった。
 本当は、ひとり静かに消えてゆくのが怖かった。
 そばにいてくれる存在がこんなにも、こんなにも心強く感じることなんてあっただろうか?

 人も、妖精も、死ぬときになって、はじめて己の本音に気づくというもの。

 本当は怖かった。
 死ぬのは、怖い。
 だから瞼を閉じて、落下の衝撃から逃げていたんだ。
 それは至極当然のこと。

 麗蘭だって心細いときだってある。子供のように甘えたいときだってある。いくら部下の前では毅然とした態度をとっていても、心が折れそうなときだってある。
 完璧な妖精なんていないのだから。

 麗蘭はふつうの女の子なのだから。

 すべてに素直になるとき、麗蘭は恥じらいを見せる少女に戻るのだ。
 反対に、瞳栖は一言も発することなく、己の唇を麗蘭の唇に近づけた。
「い、いや……」
 一度は恥じらいを見せて拒む麗蘭も、瞳栖の強引な口づけに身を許してしまう。
「ん……んんっ……」

 その唇をふさぐ唇。
 天使の唇。
 八卦の唇。
 彼女こそが天上人の末裔。
 天使が地上の民と結ばれ、子孫を残し、やがて一族は朽ち果てた。その生き残りは妖精界をさまよい、人間界をさまよい、長い旅路の途中で、ようやく麗蘭と出逢った。

 崩壊する黒い巨塔のなか、
 ふたり、
 唇をかさねながら、
 羽毛のように、
 ゆっくり、
 ただゆっくりと舞い降りていった――。