8 ハイヤーハイウェイ


 無数に入り乱れる立体交差の高速道路が国道上空を埋めつくす。
 その真下、御殿のバイクが想夜を乗せて風を切っていた。

 御殿はウインカーを点灯させ大きく右折、ハンドルを大きく切って斜線変更。アクセルを捻りあげ、坂になっているハイウェイ入口を加速しながら登ってゆく。

 体に受ける風の抵抗を軽減させるため、御殿が前かがみになる。
 右へ、左へ、車体を大きく傾ける。同時に御殿もななめに体を傾けると、想夜の体もそれにならった。

「これからハイウェイに乗る。しっかり捕まってて想夜!」
「了解ちゃん!」


 インターチェンジの坂道を登りきり、ふたたび斜線変更。ハイウェイを流れる一般車両の列に素早くバイクを捻り込ませ、長いトンネルの中に突入。

(……ん?)
 突如、想夜は違和感を覚える。誰かの視線。サラっとした殺気がまとわりついてくる感じ。トンネルの壁の向こうから、真横を走ってついてくる。そんな気配がするのだ。
 ミラー越しに想夜の表情をうかがう御殿。
「どうしたの想夜?」
「いえ、なんでもありません。気のせいかなあ?」
 自信なさげに首をかしげる想夜。とりあえず気にしないことにした。

 長いトンネルを抜けてからすぐ。設置されたゲートが開き、そこを通過すると真湘南バイパスに入る。
 御殿はアクセルをさらに捻り、速度を上げながら、車両の群れを縫うように追い越してゆく。

 想夜は全身で風を感じている。なんとも爽快な気分。でも、ちょっぴり怖いバイクの二人乗り――想夜には初めての経験であり、全身を風に打たれる刺激がドキドキ感を増す。自分の羽を使わなくてもこれだけのスピードを味わうことができるなんて、人間の文明には驚かされるばかり。しっかりつかまってないと振り落とされそう。

 海に近づいてゆくたび、潮の香りが想夜の頬をなでる。これが戦闘でなければ素敵な時間なのにとヘソを曲げて残念がるのだ。

 彩乃たちのトレーラーは猛スピードで、ずっと先を走行している。追いつくまでには距離があるが、30キロも走行すれば見えてくるだろう。だがトレーラーには何十匹もの黒妖犬が張りついており、いつトレーラーへの攻撃を始めるか分からない。そんな緊張感が想夜たちを煽ってくる。

 御殿が海に目を向けると、水平線から小さな黒い点が近づいてくるのが見えた。
「あれが暴撃妖精ね」
 御殿の後ろから、想夜がひょっこりと不安そうに顔を出す。
「どうしよう、ダフロマが上陸するまで時間がないよ!」
 今はまだ小さな点だ。が、こちらもダフロマも距離を詰め続けている。暴撃妖精の脅威は徐々に大きな形となって、やがて想夜たちの前に立ちはだかるだろう。
 ダフロマとの接触まで20分もない。
「急がなければ全員血祭りね」

 高速道路での大惨事など想像したくもない。ニュースの餌食なんかにさせてたまるものか――御殿は遥か前方を睨みつけては、何事もないように、と祈るのだ。

『ザッ……』
 叶子から通信が入った。
『御殿、今どこ?』
「こちら咲羅真。たった今、真湘南バイパスに入った」
『なにか変わった動きは?』
「南にダフロマを確認、至急応援を要請する。繰り返す、至急応援を要請する――」
『持ちこたえて、必ず行くから――』

 ヘッドセットから叶子たちのやり取りが頻繁に聞こえてくる――どうやら叶子たちもこちらに向かっているようだが、どこで合流できるか分からない。けれど……必ずやってくる。御殿にはそれが分かる。愛宮叶子は「やる」と言ったら「やる」女だ。

 後部座席の想夜が御殿に話しかけてくる。
「ダフロマ、けっこう大きいかも。あたしの藍鬼化でも耐えられるかどうか……正直、自信がありません」

 藍鬼化の馬力を以ってしても手に負えない脅威――ダフロマを睨みつける御殿の額に汗が伝う。

「叶子と華生さんだけじゃ頭数が足りないってことか」
 御殿がインカムに話しかける。
「咲羅真から焔衣へ――現在ハイウェイで敵と交戦中。狐姫? 聞こえてたら連絡ちょうだい」
「ザッ……」
 ノイズ音が御殿の耳に入ってきただけだった。
 病み上がりの狐姫。駐車場で黒妖犬の群れに囲まれていたが、相方を信じるのも相方の務め。頼りにしている。
 ダフロマと鉢合わせる前に多くの仲間と合流しておく。そのほうが断然有利だ。
 トレーラーの中には八卦の1人、リンが格納されている。

 リンの放つスプライトマインの最大出力はたった一度きりの攻撃。一度ぶっ放すと次撃までのチャージに丸一日かかる。けれど、それ一発でダフロマを仕留める可能性を秘めている。非常に高い破壊力だ。

 ダフロマの進行を止めなければ一つの街が崩壊する。それを引き金に隣の街、さらに隣の街へと被害は連鎖的に拡大し、日本列島は大打撃を受けるだろう。
 いや、大打撃なら復興の可能性もある。だが、ヘタをすれば日本列島が残っているのかさえ疑わしくなる。

 ダフロマの足跡をたどって、多くの暴徒化した妖精やハイヤースペクター達が押し寄せる未来。
 御殿には晴湘市が炎に包まれた時の記憶が存在する。
 その記憶を共有した狐姫でさえ震え上がったほどの地獄。それはまさしく地獄絵図。人々が逃げ惑い、やがては死体の山へと変わる。そんな惨たらしい光景を、ただ指をくわえて見ているほど心は広くない。

 御殿は歯をくいしばる。被災者だからからこそ分かる悲痛がそこにはある。

 罪なき人々の悲鳴を繰り返してはいけない!
 地獄絵図は、もう作らせない!
 なんとしてもスペックハサードの被害を食い止めるのだ!


アクセルを踏み込め!


 ハンドルをにぎる沙々良の目の前に一匹の黒妖犬が降りてきた。
「うわっ、前が見えないっつーの! どけ! どけ! どけええええ!」
 沙々良が運転席で叫びまくり、クラクションを連打。高橋名人もビックリだ。
 黒妖犬がフロントガラスを塞いで視界を遮り、ワイパーを伝って沙々良の横まで来てはサイドに回り込む。ドアに張り付いて窓ガラスの隙間に無理やり手を滑り込ませて、こじ開けてきた。

 ベキッ、バキン!
 ブシャ!

 サイドガラスが割れ、さらに窓の隙間に毛深い剛腕を入れてきては、沙々良の額を引っかいて傷をおわせた。
「沙々良ちゃん!」
 彩乃が叫ぶ。
 沙々良お気に入りのメガネが落ち、さらには飛び散った血が運転席を覆う。
 流れる血が沙々良の視界の邪魔をする。それを乱暴に袖で拭うと、白衣の一部が真っ赤に染まった。
「くそ~う、厄介な連中だな~」

 焦る沙々良。それでも左右にハンドルを切って蛇行運転で敵を振り落とそうとするが、大きな動きをしようものならトレーラーが衝突事故を起こしかねない。リンの体にも影響が出てしまうだろう。もどかしいことこの上ない。

 沙々良は止むを得ず、彩乃が座る助手席のダッシュボードを開けて手を突っ込んだ。
「はいはい主任、ちょっとごめんなさいよ~」
「え? どうする気!?」
 驚いた彩乃がダッシュボードをまさぐる沙々良の手を不思議そうに見ている。
「あったあった!」
 沙々良は中から発炎筒を取り出し、キャップをはずして先端を勢いよく擦った。

 シュッ

 一瞬だけ運転席が煙に包まれる。
「これあげるから、早く家に帰って昼寝でもしてろよ」
 と、沙々良が窓をこじ開けてくる黒妖犬の服の中に発炎筒を突っ込んだ。

 スウェットの中から煙を噴出した黒妖犬がトレーラーから振り落とされてゆく!

 煙幕をまとって落下してゆく黒妖犬を遠めに見る彩乃が心配そうに沙々良に問う。
「大丈夫なの? あの黒い妖精ひと
「いや、高速道路を走るトレーラーから落ちたんですよ? ……きほんアウトでしょ」
 しれっと言う。
 合流トンネルに差し掛かり、沙々良はさらにアクセルを踏み込んだ。


オーバーテイク キャッチアップ


 高速道路に乗った御殿のバイクは、かなりの距離を走ったはずだ。
 やがて想夜の目に飛び込んでくるのは前方を走る大型車。
「御殿センパイ、あれ!」
 想夜が前方を指差す。
「MAMIYAのトレーラー……やっと追いついたか」

 御殿のバイクはトレーラーの後部が見える位置まで来ていた。合流トンネルを抜ければ横に並ぶだろう。

 合流トンネルはいくつもの高速道路の出入口も兼ねている。他のルートからやってきた車との合流地点でもある。

 御殿がアクセルを捻ると、向かい風が全身を叩きつけるように御殿と想夜を阻んでくる。風すらも敵に思えてならない。だが、御殿は徐々に彩乃のトレーラーが距離を縮めていった。
 トンネルを抜ける時、思いもよらない出来事が起こった。
(……?)

 ただならぬ気配を感じた御殿の視線の先、隣の車道からバイクが現れ、あろうことか御殿のバイクへ横付けしてきたのだ。

 不審に思った御殿がチラリと横のバイクに目をやる。瞬間、ゆっくりと時間が流れる感覚に襲われた。
(そんな……!?)

 相手のドライバーと御殿――目と目が合う。

 ドライバーはショートヘアの少女。いやあれは……少年だ!
 御殿の顔が凍りつき、この上ないほどに驚愕する。

 ――相手の少年。あどけなさが残る顔。なにより、過去の御殿と……同じ顔。

 晴湘市でのあの日、あの時、あの時間。御殿は横を走るバイクの少年の顔で生活をしていた。調太郎、源次や碧、街の多くの人々と、目の前の少年の顔で生活していたのだ。

 御殿と少年。2台のバイクが平行走行を保ったまま、直線に続く高速道路を走り抜けてゆく。

 やがて少年が減速しながら御殿の斜め後ろにピッタリ張り付いてきた。そうしてポツリ、少年は女の子のような声で呟く。
「……なんか、渡された写真よりも若いなあ。 ……化粧もしてないや」
 声までが昔の御殿と同じだ。

 御殿が少年のバイクを見ると、日本刀が武装されているのが分かった。

 想夜も少年の顔を見たとたん、絶句する。やっと口を開いたかと思うとお決まりのセリフしか出せなかった。
「え!? ウソ! あの顔って……」

 想夜が何かを言いたそうにしているが、うまく言葉が出てこない。そうやって運転席の御殿と少年を交互に見るのだ。無理も無い。御殿本人だって驚くほどに似ているのだから。

「想夜、気をつけて。あの子が小安班長を襲った人物よ」
「え!? あの子、まだあたしと同じくらいの年齢ですよ!?」
 想夜が身を乗り出し、素っ頓狂な声を出して驚いている。

 少年が日本刀に手をかけた瞬間、危険を察知した御殿が相手のバイクから距離をおく。が、少年はすぐに距離をつめてくる。

 なおも少年のバイクは、御殿の斜め後ろにコバンザメよろしくピッタリと張り付いてくる。
 瞬間、一筋の斬撃が御殿のバイク目がけて飛んできた!

 問答無用の一太刀!

 御殿は車体を倒して地面スレスレまで顔を近づけて回避した。

 一本の白い閃光が走るのと同時に、路上に亀裂が走りバックリと口を開ける!
 物理的な斬り込みよりも、さらにレンジを持った攻撃。刀が作り出す気圧だけでも触れたら大変なことになりそうだ。

「御殿センパイ後ろ! また来る!」
 御殿の耳元で想夜が叫んだ。
 2回目の太刀が飛んでくる瞬間、御殿は腰から空泉地星を引き抜き、少年の攻撃を弾き返した。

 キイイイイイイイイインッ。

 不快な共鳴音がハイウェイにこだまする。
「あわわわっ」
 車体がグラリと大きく揺れては想夜は冷や汗を流す。

 互いの刀から振動が全身に伝わりバイクが安定を崩すも、しっかりとハンドルを握って持ちこたえた。

「……むう」
 少年は「獲物を逃した」とばかりにしかめっ面を作り、アクセルを捻って速度をあげる。

 御殿が後部座席の想夜に叫んだ。
「想夜! わたしの空泉地星だとパワーで負けしてしまう。あなたの右手、厳しいかもしれないけれど、次の攻撃が来たらワイズナーで弾いてちょうだい!」
「わかりました!」
 とか喋っている間に少年が刀に手を伸ばし、御殿のバイク目がけて閃光を走らせてきた!
「させない!」

 キイイイイイイイイイイイン!

 強烈な金属音がした後、少年のバイクがグラリとよろめいた。なんと想夜が少年の一撃を見事に弾き返したのだ。
 少年はすぐさま体勢を立て直し、いったん距離をとりはじめる。

「でかしたわ想夜」
「うまくいきましたね。けど、連続で斬られるとあたしの右手も耐えられません!」
「こちらも距離をとりましょう。想夜、姿勢を低くしていなさい」
「はいはーい」

 御殿は行きかう車のあいだにバイクを割り込ませ、身を隠すように進んでゆく。

 御殿のバイクが何台目かのワゴンを追い越してゆくと、ようやく彩乃の乗った大型トレーラーに追いついた。
 ホッとしたのもつかの間、御殿の後ろから想夜がポツリと問いかけてくる。
「御殿センパイ、あの子の顔……」
「ええ……想夜も見たでしょ?」
 少年の顔は紛れもなく、昔の御殿と瓜二つだった。それを想夜も確信したのだ。

 伊集院が言っていた『暴魔退治の少女』は……実在していた。

 あの子供がたった一人で、シュベスタからあふれ出してきた何千もの暴魔を斬り裂いたのだ。
(一体何者なの?)
 御殿は目を閉じ、思いつく不安を払うために首を左右させた。
(まさか、ね……)

 誰であろうとトレーラーの進行を阻止するものは許さない。リンを無事に病院に送り届けることが目的だ。今は余計な考えを振り払おう。ダフロマという邪魔がなければ尚よいのだが、無数の黒妖犬や、双子のハイヤースペクター、おまけにバイクの少年まで襲い掛かってくる現状。このハイウェイは、すでに戦場と化していた。

 少年がアクセルを捻り上げてトレーラーに近づいてゆく。

「まさかトレーラーを狙っているんじゃ!?」
「トレーラーをやられたらすべての計画がアウトだわ。急ぎましょう!」

 御殿は少年のバイクを追いかけるよう、エンジンの回転数を一気に上げた。

 少年のバイクの後ろで御殿が様子を伺っている。
「トレーラーに向かって何をしているのかしら?」

 どういうわけか、少年がトレーラーに手を伸ばし、触れようとしている。

「まさかトレーラーに飛び移る気じゃ……?」

 ピリピリと想夜と御殿の肌に妖精反応が伝わってくる。

「御殿センパイ! あの子、ハイヤースペックを発動しようとしています!」

 そう言われた御殿が、小安の言ってた言葉を思い出す――「壁や床に滑り込んでいった」と。

「まさか……コンテナの中に滑り込む気!? 正気なの!?」
 御殿の全身の毛が逆立った。
「そんなことされたら、トレーラーの中の人たち、みんな殺されちゃいますよ!」
「あの子をトレーラーに近づけさせるわけにはいかないわね。せめてコンテナの中に狐姫でもいてくれればありがたいのだけれど」

 トレーラーには戦える人間を乗せていない。詩織はすでにラテリアからの能力継承を解き、スペクターではなくなっている。

 御殿が考えている間にも、少年が刀で斬り込んでくる。
 それを想夜が弾いて応戦。

 少年のバイクが邪魔でしょうがない。なんとか引き付けられないものだろうか。頭を悩ませている御殿に想夜が言ってくる。

「御殿センパイ、二手に分かれましょう!」
「え!?」
「あたし、トレーラーに移ります! 御殿センパイはバイクの子をお願い!」
「……わかった!」

 想夜という強力なコマをトレーラーに配置しておけば、ひとまず安心だ。そう思った御殿は、バイクをトレーラーのナナメ後ろに移動させる。コントロールを誤ればトレーラーの後輪に巻き込まれる、それくらいピタリとバイクを張り付けた。

「もうちょい! もうちょい左です!」
 想夜が巨大なタイヤとの距離を計る。

 バイクのカウルとコンテナがギリギリにせめぎ合う距離。トレーラーの走行音と大型タイヤが怪物の雄たけびのように聞こえてきては、想夜と御殿の恐怖心を煽った。

 想夜は頃合を見て、バイクの後部座席に立ち、腰をあげた。
「ストップ! ……それじゃあ行ってきます!」

 後部座席が途端に軽くなる感覚を御殿は覚えた。
 その後、羽を広げ、フワリと足を浮かせ、御殿の肩から両手を離す想夜。道路に落下する直前に羽を大きく広げ、ゆっくりと飛翔しながらトレーラーとの距離を縮めてゆく。そうやってコンテナのロックに指先とつま先を引っ掛け、うまくしがみ付いてよじ登った。

 コンテナの上の想夜が御殿に親指を立てて合図を送ってきた。

(ふう……うまく移動できたようね)
 想夜の着地をバックミラーで確認した御殿は胸を撫で下ろし、徐々にトレーラーとの距離をとって車線変更をした。


狐姫、迷う。


 Nシステムが設置された細い鉄橋の中央、狐姫がひとり応戦していた。が、通路の左右を黒妖犬の群れにふさがれている。愛宮総合病院からここまで乱闘しながらやってきた甲斐あって、かなりの敵を削減できた。ここまでの道のりには、無数の黒妖犬が横たわっているだろう。

 狐姫は黒妖犬のパンチを避けて腹に蹴りをブチ込み、くの字に折れて前のめりになった後頭部にソバットを叩き込む。

 後ろに吹っ飛ぶ黒妖犬が、さらに後ろで構えている群れに突っ込み、黒い塊をドミノ倒しのようにバラけさせた。

 ダウンしている黒妖犬の群れを飛び越えて、さらに奥から黒妖犬の群れが狐姫目がけて飛び掛ってくる。

「くっそー、いくらぶっ飛ばしてもキリがねえぜ」
 無数に飛び掛ってくる黒妖犬を蹴り飛ばしては高速道路に落下させる。道路に落下してもすぐに起き上がっては、犬特有の脚力でジャンプして元の鉄橋まで飛び上がってくる。車に引かれることを知らない攻撃的な妖精たちだ。

 整備用の鉄橋は足場が少ないため、どうしても小回りな攻撃しかできない。狐姫が右から迫る敵にパンチを叩き込むと、左に隙ができてしまい、背後から横っ腹に蹴りを叩き込まれては、狐姫がその場にうずくまる。

「うぐっ、痛ってーなコノ野郎!」
 攻撃を食らった横っ腹を抑えながらも、お返しとばかりに左の敵の顔面に裏拳を叩き込んで遠くの海岸まで吹き飛ばした。

 ヘタに空中戦に持ち込むと、狐姫のほうが猛襲を受けてしまう。そうなれば落下後にタイヤでミンチにされること間違いない。空中では数が多い黒妖犬のほうがはるかに有利だ。

「ぬああああ、マジでキリがねえ!」
 狐姫、向かってくる黒妖犬を蹴って蹴って蹴りまくる。
 右の敵に蹴りを打ち込む狐姫が、左から迫ってくる敵のパンチを横っ面に受けてしまう。

 パチン!

「痛て!」
 頬を拳で弾かれ乾いた音が響く。狐姫は叩かれた反動を活かし、時計の針が高速で回転するよう敵に裏拳を叩き込んだ。
「ほわちゃあああ!」

 バチイイイン! 狐姫の裏拳がみごと黒妖犬の顔面にヒット!

「ざまあっ」
「いい気になるなよクソ狐!」
 黒妖犬が狐姫の軸足に攻撃を叩き込むと、狐姫の体が真後ろに倒れる!

 ドサッ。背中から鉄骨へと激しく倒れ込むが、尻尾がクッションがわりになった。

「よっと!」
 倒れてもなお、狐姫は両手でブリッジの体勢から飛び起きる。そうして再び左右から襲ってくる敵にパンチを叩きつけた。

「ゲームだったら、すっげー経験値もらえるんだけどなあ~。もらえるものといったら、黒妖犬のパンチとダメージだけとか、あんまりだぜ」

 ふと遠くを見ると、大型トレーラーがやってくるのが見えた。

「ん? あれは……MAMIYAのトレーラーじゃん!」

 フロントガラスの中では血相を変えた沙々良がハンドルを握り、助手席には彩乃が座っている。しきりに横や後ろに顔を向けているではないか。コンテナに気をとられているようだが、なにが起っているのか狐姫には検討もつかない。
 ものすごいスピードでトレーラーが迫ってくる! 狐姫の真下を通過するまで10秒もないほどの距離だ!

 狐姫が良く目を凝らしてみると、トレーラーの上に想夜がいる。前後から金髪少女2人に挟まれており、その周りを御殿のバイクがウロウロと走行しているのが確認できた。

「御殿のヤツ、何やってんだ? ……日の出暴走?」
 狐姫には全速力の御殿が元旦の日の出暴走をしているようにしか見えない。
 さらに目を凝らすと、謎のバイクが執拗に御殿とトレーラーを追い回しているではないか。
「うひゃあ~、正体不明のバイク登場~。 ……ありゃ敵っぽいな」

 御殿のバイクの後部座席に叶子がいる。なにやら2人して話しているようだ。
 トレーラーのナナメ後ろには、どこかで見た車が後を追うように走っていた。

「あれは小安の車じゃん。なにやってんのアイツまで」
 なんか知らんが、叶子と華生、それに黒妖犬たちにボンネットをボコボコ踏まれている。修理代がとんでもないことになりそう。
「なんだなんだ? どういう状況?」

 人の事を笑っている場合じゃない。このままでは狐姫も黒妖犬に殺られるのが目に見えている。
 そこで狐姫にも選択肢が迫られる。

 ①トレーラーに飛び移る。
 ②小安の車に飛び移る。
 ③御殿のバイクに飛び移る

 とうぜん、選択肢3つにはリスクがある。
 ①トレーラーに飛び移る → 敵から返り討ちの可能性があるぜ。
 ②小安の車に飛び移る → 空中で黒妖犬とバッティングして道路に落下するぜ。
 ③御殿のバイクに飛び移る → 後部座席の叶子にケツで弾き飛ばされるぜ。
 
「さて……どうするよ、狐姫ちゃん」
 自問自答をする狐姫。黒妖犬と応戦しながら様子を見ていると、叶子が後ろを走る謎のバイクに飛び移ってゆくではないか。それに便乗して華生も謎のバイクの後部座席を陣取った。
「うわっ、あっぶねーことしやがんな。アイツら何考えてんだ!?」
 落下したらミンチだ。

 叶子と華生がバイクのドライバーに向かって攻撃を仕掛けている。何か会話をしているようだが、さすがのケモ耳でも、この位置からだと何をいっているのか聞きとれない。

 やがて叶子が御殿のバイクに戻ったかと思うと、忙しなく小安の車に戻ってゆくのが分かった。と同時に敵のバイクが急ブレーキをかけた。どうやら叶子と華生は振り落とされる前に避難したようだ。

 御殿の後ろが空席になった。チャンスだ狐姫!
「よし、③でイケる!」
 もう時間がない!
「ぬおおおおおりゃあああああああ!!!!!!!」
 御殿のバイクが真下を通過した瞬間、狐姫はNシステムの鉄橋から高速道路にダイブした。


『みんな、いなくなればいいんだ』


 小安の運転する乗用車のボンネットをボコボコと踏んづけてゆく集団がいる。愛宮総合病院から叶子たちを追ってきた黒妖犬たちが、ハイウェイに入り込んできたのだ。

 叶子と華生が小安の車に追いつき、乗り込んだまではいいものの、敵の猛襲によってフロントガラスまで割られてしまう。

「くそっ、人の愛車をボコボコ踏みまくりやがって!」
 小安がハンドルを右へ左へ乱暴に回し、黒妖犬どもを振り落す。
「オープンカーみたいで見晴らしがいいじゃないか。どれ――」
 助手席の宗盛がハンドガンで狙いを定め、

 バンバンバン!!

 割れたフロントガラスの隙間から発砲――何匹かの黒妖犬を打ち落とした。

「本当、出撃にはちょうどいいわね」

 割られたフロントガラスに絶賛する叶子が、素早く後部座席から前席へと移動する。その後ろに華生も続く。

「宗盛と小安さん、後はお願いね。華生、私たちも出撃よ」
「かしこまりました、お嬢様」

 叶子と華生がフロントから身を乗り出してボンネットを踏み台にし、トレーラーに飛び移った。
 
 2人の着地を確認した小安がハンドルを切ってトレーラーとの距離をとる。

 叶子の後を追うように、またもや黒妖犬の群れがボコボコとボンネットを踏んづけてトレーラーに群がってゆく。

「人サマんちの車のボンネットをよくもヘコませてくれたじゃないか。あとでキッチリ妖精界に請求書を送りつけるからな!」
 小安、激おこ。フロントガラス用の洗浄液を噴射し、黒妖犬の足を滑らせてボンネットの上で転ばせる。そこへ宗盛がハンドガンの弾を叩き込んで打ち落とした。

 宗盛がにやけた顔をつくっては小安に茶々を入れてくる。
「車なんて何台でも持っているだろう? 女の数と同じくらいに」
「馬鹿なこと言わないでくださいよ。車の台数くらいは決まってますよ。維持費だって馬鹿にならないんですよ」

 付き合う女は1人だけ。よけいな股はかけたくない。けっこう硬派なんだよ俺。誰も信じてくれないけど。と、黙ってハンドルを握る一途な男。

「女の蜜はクセになりますからね。あっという間に下半身がかぶれてしまいますよ」
「ほお。言うじゃないか、若い連中はタフでうらやましいよ」
 宗盛が皮肉めいた。

 ストン。

 応戦中の叶子の太股がボンネットに振ってきた。空中の黒妖犬に苦戦中のご様子。
 ボンネットを舞台代わりに、叶子は振ってくる黒妖犬を蹴って蹴って蹴り飛ばす。突風を受けたスカートがほどよくめくれ、太股を宗盛と小安に見せ付けてくる。まるでどこかのショーダンサーだ。

「お嬢、いい太股してるなあ。こういう時って太ももにチップとかはさまなくてもいいのかな?」
「ははっ、バカなことを言ってるんじゃない。心身ともに成長した証だよ。小さかった頃は華奢だったよ。むかし、よく風呂に入れてやった。小さい頃は大人しかったんだけどな……けっこう変わるものだな」

 宗盛、しみじみ。でも元気なのが一番です。

「一緒に風呂? マ、マジですか?」
「私が何年MAMIYAにいると思ってるんだ?」

 冗談を言っているそばから、一際デカい黒い大型犬がこちらに向かって飛び掛ってくる!

「デカいなありゃ! 避け切れないぜ、どうするよ俺!」
 小安がハンドルを切ろうとした時だ、
「小安さん、そのままハンドルを動かさないでちょうだい」
 ボンネットの叶子が仁王立ちで正面の大型犬と向かい合う。そして――

 ザシュッ!

 叶子は大きく振りかぶり、ネイキッドブレイドで一刀両断! 大型犬が真っ二つに高速道路上に落下していった。

 左右に分裂した大型犬の中央をすり抜け、小安の車は何事もなく直進を続けた。

「すっげー」
 呆気にとられる小安。

 ボンネットを踏みつけた足に力を入れ、叶子はトレーラーに戻っていった。
 それを追うように、またまた華生が、敵の群れが、ボンネットを踏み台にして去ってゆく。

 宗盛がボコボコにへこんだ車体を見つめた後、気の毒そうな表情で小安の顔色を伺ってきた。
「……修理の請求書、MAMIYA宛でいいから」
「……はあ」
 いや、修理どころかもう廃車確定だろ。
 みんな人の車を何だと思っているんだろう。黙ってハンドルを握る小安だった。


晴湘ハイウェイ戦 1


 一般車両が一台もなくなった。
 ある合流地点を抜けてトンネルをくぐり、開けた新しい高速道路に侵入した途端、総員のヘッドセットに通信が入った。

『晴湘ハイウェイに入るよ~! みんな気合入れていこー!』

 死のハイウェイが想夜たちを迎え入れた。にしても、沙々良はいつでものんびり口調である。
 離れてゆく御殿のバイクを見送る想夜。コンテナに手をかけ、よじ登ったその時だ。

 ドッ!

「うぁ!? ……ぶへっ」
 後ろから飛んできた黒妖犬の蹴りで、想夜はコンテナの先頭まで吹き飛ばされてしまった。オマケに顔面からもろに落下する。
 落ちそうになった体をコンテナに引っ掛けた指で懸命に支えていると、上から叶子が顔を覗かせた。
「想夜、大丈夫?」
「痛ったあー、ダイジョばない! 鼻打ったあ~」

 手を差し出してきた叶子に助けられ、ふたたびコンテナによじ登る想夜。
 想夜、叶子、華生が黒妖犬に囲まれた。

 叶子は鏡を覗き込むように、ネイキッドブレイドを顔近くまでかかげた。ネイキッドブレイドに写る黒妖犬を見て一言。
「後ろに立たれると迷惑なのよ!」

 スパーーーーン!

 叶子が振り向きざま、真後ろの黒妖犬の首をブレイドで跳ね上げる!
 黒妖犬の群れが一斉に怯んだ、その瞬間を見逃すほど華生はのんびり屋ではない。音速に近い移動で敵の懐にもぐり込むと、2体3体と続けて斬り潰してゆく。

 叶子が片手を高く上げて叫んだ!
「いらっしゃい、私の可愛い子猫ちゃん達!」

 突如、天から舞い降りた赤帽子のメイド10人が黒妖犬たちに襲い掛かる!

 赤帽子たちの中で華生も一緒に奮闘していた。
「殺れ! 殺れ! 相手は女子供だ! 全員殺せ!」
 黒妖犬が叫ぶなか、トレーラーの上で大乱闘が始まった!

 叶子を含めた12人の赤帽子の戦士たちが、トレーラーを行ったりきたり。入り乱れ、咲き乱れ、斬って、殴って、蹴り飛ばす!

 一気に激減する黒妖犬の群れ。役目を終えた叶子の子猫ちゃん達は、いつまでも長居することなく、さっさとどこかへ消えていった。
「みんなごくろうさま。 ……華生は残業ね」
「かしこまりました、お嬢様」


「破!」
 想夜が飛び掛ってくる黒妖犬にケリを入れて吹き飛ばす。ワイズナーに頼らずとも体術は心得ている。入隊したばかりの新米バランサーは皆、鬼のように厳しい麗蘭から地獄のような指導を受けている。

 黒妖犬が鉤爪を立てて叶子を斬ろうとするも、叶子はそれを2本のブレイドで防ぎつつ、敵の腹を蹴飛ばして後退させ、躊躇なくブレイドを振り下ろして斬り裂いた。

 大群が減ってゆくと同時に、またどこからともなくワラワラと降ってくる。コンテナのあちこちに害虫が群がり、まとわりついている。

 赤帽子のヘルプが入ってもこの状況だ。
「トレーラーに何体しがみついているの!?」
「把握できません! 今は斬り続けるしかありません!」
 手に両刀をぶらさげた叶子と華生。背中を合わせて息をあげている。
「想夜! アローモードで蹴散らしてよ!」
「無理だよ! みんなに当たっちゃう!」
 ヘタクソか。

 落胆する叶子。しかたなく、こまめに1匹づつ片付けてゆく作業を続ける。
「トレーラーのどこかに金髪の人が隠れているかも! 探さなきゃ!」
 想夜が叫んだ、その時だ。

 ガンッ……ガンッ……メキメキ……

 トレーラー後方から異様な音が聞こえてきた。何者かがコンテナを無理やりこじ開けようとしてるのだ。
「あたし、後ろの様子を見てくる!」
 想夜がコンテナの後ろに向かって走り出した。

 コンテナの後戸を覗き込んだと思いきや、想夜がひとりジタバタと暴れはじめる。
 しばらく想夜を待っていた叶子と華生だったが、様子がおかしいことに気づき、想夜に近づいていった。

「どうしたの想夜?」
 叶子が顔を覗かせた先で、想夜とギャル2人が拳を突き出し合っているではないか。
 なんとコンテナの後ろに双子のスペクターが張り付いていたのだ!

 想夜が繰り出す掌を金髪がかわし、想夜が体勢を崩したところへ、今度はギャルがネイルブレイドで斬りつけてくる。

「想夜! 後ろに下がりなさい!」
 叶子の指示で想夜がすぐさま撤退する。
「大丈夫、想夜!?」
「へっちゃらへっちゃら♪」
 尻餅の想夜。笑顔の頬に一筋の赤い線がついていた。ギャルの手刀で斬られたらしい。
 叶子が想夜の頬を手で拭うと、2つの影がコンテナの後ろから飛び出してきた。
 2つの影はコンテナの上に着地後、想夜たちと向かい合った。

 双子のハイヤースペクター、ここに現る――。

「あれが御殿の言っていた双子のハイヤースペクターね。やっとおでましか」

 叶子は双葉を睨みつけた後、横目で御殿の様子を伺う。

「あちらは”姉弟ゲンカ”か」

 叶子の想像だと、分が悪いのは御殿のほうだ。ハンドルを握ったままだと両手がふさがっている。あれじゃまともに戦えないだろう。

「華生、私は御殿を援護するわ。あなたは小安さんの車に移ってちょうだい」
「かしこまりました、お嬢様」
「想夜、ワイズナーを出せる?」
「大丈夫。両手持ちのスキルもあるんだよ? ゴイスーでしょ?」
 右手は心もとないが、両手持ちスキルもゴイスーとのこと。ここは一先ず、リボンの妖精に任せるとしよう。
 叶子と華生がトレーラーから飛び降りた。
 多くの戦士を乗せたまま、トレーラーは走り続ける。


晴湘ハイウェイ戦 2


 トレーラーの向こう側から誰かが飛んできて御殿の後ろに落下する。
(後ろをとられた!?)
 御殿が裏拳を繰り出そうとするが、バックミラーでヘアバンド姿を確認しては胸を撫で下ろした。
「叶子!? 驚かせないでちょうだい」
「お邪魔するわね」
 なんと叶子が後部座席を陣取っていたのだ。
「あら、けっこう乗り心地いいのね。夏とか風が気持ちよさそう。こんど湘南あたりにでも連れてってよ」
「それは理想。夏は地面とエンジンの熱気で汗地獄、冬は凍結した路面で転倒して命を落とすこともある。それがバイクの現実」

 夏は暑いし、冬は寒い。それがバイク。それが現実。そもそも夏の湘南なんて渋滞していて車が前に進まないし、夏の夜の江ノ島は通行止め。DQNが花火両手にヒャッハーしている。健全な日本の若者たちの夢を悉く打ち砕くのがオチなのです。

「真夏のツーリング、あなたと汗だくになるのもいいかもね、御殿?」
「華生さんに叱られるわよ?」
「それじゃあ、今年の夏はみんなで汗をかきましょう」

 このお嬢様は何を企んでいるのだろう。冗談にウンザリしかけた時だ。バックミラーにトレーラーと距離を詰める少年の姿が映る。
 叶子もそれに気づいて相手のバイクを監視していた。

「さっき不審な動きをしているわね。あの子、何をするつもりかしら?」
「あの子もハイヤースペクターよ。物体に溶け込むハイヤースペックを使うみたい」
「へえ。おもしろい能力ね。厄介でもあるけど」
 叶子が眉を細めてしかめっ面をつくる。御殿は少年の様子を伺っていた。
「トレーラーへの浸透は阻止できる。となると、トレーラーのタイヤを斬るつもりかも……マズイわね」
「マズイわね」
 叶子も同意。

 少年がトレーラーのタイヤ目がけて刀に手をかけた瞬間、御殿は素早く腰に手を回すと銃を引き抜き、バックミラー越しに狙いを定める。

 バンバンバンッ!

 少年の刃目がけて何発かぶっぱなした。
 弾丸の軌道が刀とタイヤの隙間へと上手い具合に割って入り、トレーラーから少年のバイクを引き剥がすことに成功した。
「お見事。さすがはエクソシスト様」
「……これしか取り得ないから」
 叶子の目がドンヨリとすわる。

 炊事洗濯掃除――なんでもござれの御殿さんを、これほど嫌な奴に感じることはもうないだろう。

「世界の女を敵にまわしたいの?」
 と、世界を敵に回そうとした女が言う。

 少年がつまらなさそうな顔のまま距離をとり、御殿のバイクのナナメ後ろに張り付いた。急ブレーキ攻撃を避けるための防衛ポイントを確保している。

「バックをとられたわよ御殿」
「わかってる」
 急ブレーキ対策だけではない、御殿の銃口を定めにくい位置に移動するあたりが戦いに慣れている。少年は戦略的思考を充分に兼ね備えていた。
 突如、後ろから水角の太刀が飛んでくる。
 叶子は瞬時に少年の刀をブレイドではじいて御殿を援護した。

 キキキンッ。

 大げさな金属音。
 一振りに見える攻撃だが、一度に何十発も打ち込んでくるのが叶子には分かる。ブレイドが弾く音がそれを語っていた。

 あどけない横顔が御殿にそっくりだ。戦いの中で感情をなくしてしまった表情――冷淡なシステムにも見えるし、悪い里親に洗脳された可愛そうな孤児にも見える――叶子の心がふと沈んだ。

「そうか……あの子は、やっぱり――」
 叶子は諸々の事情を理解した。
 御殿はまだ少年の正体を知らないのだ。同じ細胞から生まれたことも。むしろ似てることが癪にさわるようだ。八卦プロジェクトに嫌悪感を抱いているのだから、それも仕方が無いこと。目の前の少年は脅威の塊だ。
 御殿が真実を知ったらどうなるのだろう。そんな叶子の予感は的中していた――目の前の少年が御殿の弟であり、八卦であるという現実。彩乃が口を噤むのも無理は無い。たくさんの問題に対応できるほど、人間は強くないのだから。

 これは、本当の『きょうだいゲンカ』。つまり、殺し合いだ――。

 こんなの間違っている――叶子が唇をかみ締め、ポツリと呟いた。

「あの子見てると、誰かさんみたいで腹立つわ……」
「え?」
 バックミラーに映る叶子を見つめる御殿。

 キンキンキンッ。

 後部座席で叶子の援護が続く。少々イラつている。
「なにをイラついているの?」
「男のクセに女より美人ってところがよ!」
 叶子は懇親の力をこめて少年に斬り込んだ。

 顔を傷つけるのは勿体無い。手か肩に切り込みを入れればスロットを握ることができなくなり、スピードも落ちるだろう――そう思ってはみたものの、少年は叶子の攻撃に対して10倍返しを繰り出してくるのでタチが悪い。

「あの子の手を斬るつもり?」
かする程度にね」
 後ろの少年を睨みつける叶子がぶっきらぼうに返してくる。
 それに対して御殿がつっこむ。
「スロットを握らなくてもオートメーション機能でスピードを保てるわよ。あの子、さっきから刀を振り回していても速度が落ちてないでしょ?」
「それを先に言ってよ……斬る場所を変えるわ」
 バイクの仕組みをよく知らないお嬢様だった。
「タイヤを斬れば?」
 御殿の言葉に対し、
「いま弾かれたわ」
 とゲンナリ顔の叶子。しばらく考えたのち、御殿の腰に手を回してしがみ付いて耳元で声を上げる。
「御殿、もう少しあの子の手前に近づける?」
「どうする気?」
「あの子のバイクに飛び移るわ」
 無茶なことを言う。
「冗談でしょう? ミンチにされるわよ!?」
「それじゃあ今夜はハンバーグを作ってちょうだい!」
 叶子の肉で? ……洒落にならないことを言う。
 叶子は言い出したらきかないところがある。止めても無駄だろう。
「相手の斬撃距離はかなりのレンジがある。近づきすぎると刀が飛んでくるから気をつけて――」

 御殿は諦めまじりのため息をついた後、アクセルを捻って少年のバイク手前に自分のバイクを移動させた。

 頃合を見計らい、叶子が御殿の肩を叩く。
「おーけーおーけー、上出来だわ。早く帰ってくるからね」

 ちゅっ。

 後ろから御殿の耳にキスをする。大胆行動はアドレナリンが湧いている証拠だ。叶子は叶子で緊張しているらしい。
 そうして叶子は少年のバイク目がけて飛び移っていった。
 バックミラーに映る叶子がしだいに遠くなる。

 ガッ。

 少年のバイクの上の叶子――フロントタイヤを覆うフェンダーに左足をのせ、右足を折り曲げて膝裏をウインドウ部分に上手く引っ掛ける。そんなやり方で体を固定させた。

 着地成功。これで叶子は両手のブレイドを生かすことができる。

 叶子の無事を確認した御殿はバイクを斜線変更させ、小安の車とともに少年のバイクを挟み込む。叶子が振り落とされた時のことを考え、いつでも叶子を拾えるようにするためだ。

 少年の四方をMAMIYAの人間が囲んで走行をはじめた。
 叶子が少年に向かって口を開く。
「はじめまして。私は愛宮叶子。最後の忠告よ。次のエリアで晴湘ハイウェイから外れなさい。さもないと――」
「あ~。太い太股が邪魔だなあ……ぜんぜん前が見えないよ」

 少年は叶子の股の隙間から、前方を走るトレーラーと御殿のバイクを睨みつける。叶子のことなど眼中にない。ターゲットはあくまで彩乃と御殿のようだ。おまけにサラッと嫌味まで混ぜてくる。

「失礼ね。ちゃんと叶子お姉さんを見なさい。そんなに御殿お姉ちゃんが好きなの? このシスコン」

 少年がキョトンとする。どうやら少年も事情を知らないらしい。

「さっきから何を言ってるの? うるさいなオバサンだなあ」

 叶子のこめかみがピクリとした。

「言葉遣いはちっとも姉に似てないわね。黙っていれば可愛いのに」
「オバサンオバサンオバサンオバサーーーーーーーン」
 少年がお経のように連呼する。
「あーあーあー、聞こえませーーーーーーーーーーん」

 ブレイドを持ったまま、指で両耳に栓をする叶子。少年を本気で斬ろうだなんて思わない。けど、一瞬の躊躇で命を奪われかねない。ここは戦場、油断など微塵も用意されていないのだ。

 やり取りの最中、一瞬だけ少年のバイクが揺れた。
 後部座席に振動が走ったのが気になった少年は、横目でバックミラーをチラリと覗いた。
「……1名追加、か」
 なんと後部座席に華生が飛び移ってきたのだ。
「叶子様、お手伝いいたします!」
「OK。私は前から攻めるから。華生は後ろから攻めてちょうだい」
「かしこまりました叶子様。まだあどけない少年を後ろから責めます」
 『せめる』の意味が若干違う。
「後ろから突いて突いて突きまくります!」
「華生ったら……意外と激しいのね」
「2人乗りなのに……ちゃんと法律守ってよオバサンたち」
「なにを言ってるの? 私と華生であなたの上に乗ってるじゃない。『2人乗り』ってそういう意味でしょ?」
 叶子様、意味が違うぜ。
「女2人に愛されて幸せ者よね――」
 叶子と華生がブレイドを振り下ろした。と同時に少年も刀を抜く。

 キンキンキンキンキキンキンキンッ。

 エメラルドブルーの日本刀とブレイドがぶつかり合う金属音。
 前後左右から五月雨のような連撃が振ってくるも、少年は4本のネイキッドブレイドをたった一本の刀で弾き返してくる。

 キキンキンッ。
 カンカン!

 金属音が続く。
 振りそそぐブレイドの方向を先読みしているのか、叶子と華生を見ることなく無表情で攻撃を弾き返す。視線は常にトレーラーと御殿を追いかけている。
 叶子は少年の存在が脅威に思えた。

 突如、少年の顔がパッと明るくなる。
「いいこと思いついた!」
 、と何かをひらめいたらしい。
「ここで問題です。急ブレーキをかけたらお姉さん達はどうなっちゃうのかなあ?」
 叶子の背筋がゾクリとした。

 血、なのだろうか? 少年の考えを誰よりも先に読み取ったのは、離れた場所にいる御殿だった。

「ブレーキアタックがくる! 2人とも! 早くそのバイクから離れなさい!」
 御殿が叶子と華生に向かって叫ぶ!
 一瞬の出来事だった。
 叶子は隣を走っていた御殿のバイクに。華生は小安の車に飛び移った。
 と同時に少年が一気にブレーキをかけてきた!

 キキキキキキキキィィィィィィィッッッ!!

 高速道路上に長く延びるタイヤ痕。あたりにゴムの焦げる匂いが充満する。
 間一髪、叶子と華生は危うく路上に投げ飛ばされるところだった。
 御殿のバイクに飛び移った叶子。後ろ向きになって少年の姿を目で追う。

 みんな消えてなくなればいいんだ――急ブレーキをかける瞬間、ボソリとつぶやいた少年の声を、叶子は聞き逃さなかった。目の前の少年は敵のはずなのに、心なしか胸がチクリと痛んだ。

 速度が低下したが、愛宮のハエ2匹を払うことに成功した少年。無表情のまま再びアクセルを全快させた。ターゲットはあくまで御殿。そして……彩乃の首である。

 ――だが、ここで少年は予定変更をする。突然アクセルを捻ってバイクを走らせ、トレーラーを追い抜いていった。

 華生を拾った小安が運転席から叫ぶ。吹き抜けのフロントガラスから豪風が入ってきて話しづらい。高速道路で大声でのやりとり。さっきから皆、こんな感じだ。

「あのクソガキ、どこへ向かう気だ!?」
 小安が華生に叫ぶ。
「……です!」
 返ってくる華生の声がうまく聞き取れない。
「あん? なんだって!?」

 ボンネットの上の華生が車内へ入りこみ、後部座席へ。息つく暇なく身を乗り出し、前の席の小安に告げる。

「あの少年、水門を上げる気です!」
「水門だと? 貯水エリアの水門ことか? 水道局の施設じゃないか!」

 今は使われていない巨大施設。かつては浄水のため、陸地と海がつながっていた。現在は津波よけのためにプレート上の門が塀のように下がったままだ。それが上がればダフロマは簡単に侵入してくる。

「あの子を止めないとダフロマの上陸が早まります!」
 宗盛の表情に焦りの色が見える。
「えらいことになったな。小安、急いでくれ。あの場所は非常用のために電気の供給が続いている。システムを操作すれば簡単に水門は上がる」
「すぐに下げれば済むでしょう?」
「いや、送電線が古い。一度開けたら焼き切れるだろう。そうなれば手動操作でなければ水門は下がらない。それだと時間がかかりすぎる」
「厄介な坊やだ。誰に頼まれてそんなお使いしてるんだ? おしおきが必要だな」

 どんな罰ゲームをさせてやろうか――小安は一気にアクセルを踏み込んだ。


 御殿のバイクに叶子が飛び乗る。

 御殿はバックミラー越しに、戻ってきた叶子に声をかけた。
「おかえりなさい」
「ただいま」
 ちゅ。
 再び耳元へささやかな贈り物。
「……それ、やめてもらえる?」
「せっかく無事に戻ってきたのに。つれないのね」

 叶子は迷惑そうにする御殿の腰に手を回し、甘えるように抱きついた。んでもって、今度は耳を軽~く噛んでくるではないか。アドレナリン全快のご令嬢。いつになくテンション高め。

「いい加減に――」
 御殿がイラつき出した時だ。叶子はその耳元にそっとささやいた。
「やっぱりあなたとあの子、そっくりだわ」

 またそれか。御殿はうんざり顔を作った。得体の知れない不安が御殿の中を漂う。それを認めたくないのだ。

「他人のそら似。誰だって見れば分かることでしょう。何が言いたいの?」
 叶子は御殿の言葉を途中でさえぎった。
「いいえ、あなたはもう薄々気づいているはずよ、御殿――」
「……え?」
「あの子は支えてくれる人を探しているのよ。自分が存在している理由を……探しているのよ」
 叶子は聞いてしまった。少年の本音を。

 「みんな、いなくなればいいんだ」――少年には目の前に散らばる幸福が耐えられないのだ。それらの幸福は少年のために用意されたものではない、どれもこれも他人のために用意されたものだ。少年がどんなに手を伸ばしても手に入らないもの。だからこそ、手を差し伸べる誰かが必要なのだ。手と手を取ってつながること。寄り添うことで幸せは共有できるのだと叶子は願っている。

 きょとんとする御殿に叶子は言う。
「そういう意味では、御殿は恵まれてるわね。いろんな人に支えられているんだもの」

 御殿は叶子の意図がつかめないでいる。が、その言葉を否めなかった。なぜなら脳裏には関ってきた人達の顔が浮かんでいたのだから――想夜、狐姫、叶子、それに多くの人たち。

「だから御殿……あの子の支えになってあげて――」
「どうしてわたしが? そもそもあの子は一体――?」
「……私の口からは言えない。彩乃さんに直接聞くといいわ」
 力なく微笑んではうつむく叶子。
 腰に回された腕に、少しだけ力が入った気がした。
「――ね? お願い」

 御殿の胸がチクリと痛む。理由は分からない。今の御殿には分からない――けど、もうすぐ分かる。

 正体不明の胸の痛みが御殿を執拗に責め続けた。
 叶子はトレーラーに飛び移り、コンテナを横切って小安の車に戻っていった。
 煮え切らない気持ちのままアクセルを回す御殿。目前に小さな鉄橋が迫ってくる。
「Nシステムか。まだ可動はしてないようね」
 念のため、御殿は顔を撮られないように背けた。
 そんな時だ。

 ストン……。

 後部座席に衝撃が走る。敵に乗られたと思い背筋が凍るも、バックミラーに映るブロンドの少女にホッとした。
「狐姫……遅い」

 狐姫は全身切り傷だらけだった。黒妖犬との戦いでけっこう手こずったらしい。病み上がりなのに頑張ってくれている。

「は? せっかく狐姫ちゃんサマが来てやったのに。何なのその態度。バイク揺らしちゃうよ?」

 左右にゆれるバイク。蛇行運転気味になる。

「やめなさい、近所迷惑でしょう?」
「開通してないんだから、誰も走ってねーだろ!」
「そうだけど、危ない運転はしないのっ」
 と言いつつ、御殿は小安の車とトレーラーの間を縫うようにすり抜けてゆく。絶対にトレーラーから離れるわけにはいかない。コンテナの上では想夜が双葉と応戦中だ。何とかして手を貸したいところである。

 次のインターチェンジ付近に差し掛かったところで、道路が大きくカーブしている。
 御殿はバイクを横倒しにして、さらに速度を上げる。

 トレーラーとバイクがカーブに沿って湾曲しながら突っ走る。その後、直線が続くコースに入った。
 そんな時だ。

『水無月先生! リンさんの脳波に異常が出てます!』

 詩織からの通信が入った。
 しばらくすると、助手席のドアが開き、中から彩乃が身を乗り出してくるではないか。
(水無月先生、コンテナに移る気!?)
 御殿の顔が強張った。

 彩乃は全身に風を受けながら、コンテナの下に設置されているガソリンタンクを保護するサイドガードに足をかけ、少しずつ移動をはじめた。

(なんて無茶な人なの!?)
 やがて彩乃はコンテナのハシゴをよじ登り、想夜のいる場所まで到達した。とはいえ、双葉が待ち構えているのも事実。危険な状況が増すだけだ。
 もはや目も当てられない御殿。

 御殿はバイクの体勢を戻し、頃合を見て後部座席に声をかけた。
「狐姫?」
「あん?」
「運転代わって」
「は!? 俺、バイクの運転なんかできねーよ!」
 いきなり何を言うんだこの人。狐姫はクチを△状にしならがら、素っ頓狂な声をあげた。
 それでも御殿は強引に狐姫に言い聞かせる。まるでヘッタクソな悪徳商法の営業マンだ。
「ハンドル持ってアクセル捻れば動くものよ、乗り物ってそういう物なの」
「そんなもんなの? ギアとかクラッチとか色々あるんじゃなかったっけ?」
 その通りです。
 御殿は狐姫を諭す。
「いい狐姫、昨日テレビで見た遊園地特集のゴーカートを思い出しなさい。アレはハンドル、アクセル、ブレーキだけ……ね、簡単でしょ?」
「なるほど! 乗ったことないけど確かに簡単そうだな!」
 狐姫も狐姫で、簡単に詐欺に引っかかる主婦よろしく、瞳を輝かせた。

 御殿は胸元のガゾリンタンクに足をかけて立ち上がると、股の間から狐姫を運転席に移動させ、自分は後部座席に移った。
 しっかりとハンドルを握る狐姫。はじめての運転。ちょっと緊張する。けど、全身に受ける風はなかなか気持ちがいい。

「わたしが戻るまでバイクの速度をトレーラーに合わせていてちょうだい。いいわね?」
「御殿はどうする気だ?」
 ハンドルを握った狐姫がバックミラーに映る御殿に問いかける。
「今からトレーラーに飛び移る」
「そんな面白いこと俺にやらせろよ」
「トレーラーのガソリンタンクに引火したら爆発するでしょう。狐姫だとトレーラーごと吹き飛ばしちゃうでしょ?」
「うん」
 やれやれ。

 御殿はトレーラーに飛び移るため、座席に足をかけて腰をかがめた。

「あ……左手のクラッチと左足のギアは動かさないでね。フロントのドライビングシステムも触らないで。GPS機能のスイッチは絶対に触れないこと、追跡されたら後々面倒だから。燃料少なくなったらヒューエルシステムに気切り替えてちょうだい。バッテリー維持のためにマップ機能は切っておいて」
「やっぱり複雑じゃねーか!」

 御殿はトレーラーに飛び移る瞬間に捨て台詞を吐き、泣き叫ぶ狐姫を無視して行ってしまった。

 遠くなる御殿を目で追っていた狐姫だが、
「チッ、しゃーねーな。腹をくくるか」
 狐姫は諦めてアクセルを捻った。


晴湘ハイウェイ戦 3


 トレーラーの上では2人の双葉相手に、想夜が死闘を繰り広げていた。

 双葉Aの攻撃をバク転でヒラリとかわす想夜。コンテナの端ギリギリに手をついて体を捻り、落下しないようコンテナ右側面に背中をピタリと貼り付けてぶら下がる。攻撃を避けながら、すかさず相手の隙をねらって羽を使い、分度器みたいに弧を描いて逆再生の動きでコンテナの上に舞い戻り、双葉の脳天に蹴りを叩き込んだ。

 ガッ!

 よろめく双葉Aに向かって連続で斬り込んで行く想夜。
「痛っ」
 想夜の右手首に痛みが走る。術後の無理は禁物だ。そこへすぐに反撃が飛んでくる。
「脳天がおるす!」

 想夜は双葉Aの攻撃をワイズナーで受け止めると、すぐ後ろの双葉Bに蹴りを入れる。が、蹴り足を取られてしまい、引っ張られては空中へとブン投げられてしまう。
 高く飛翔する想夜。ブーストを使い、ふたたびトレーラー上の双葉ABに落下しながら斬りこんでゆくが、すでに双葉Bが彩乃の手前まで迫っていた。

「オバサン邪魔っ」
「彩乃さん!」

 双葉Bが彩乃に近づく瞬間、想夜が双葉Bの背中に飛びついた。その反動で双葉Bと一緒にトレーラーの上をゴロゴロと転がってゆく。
 想夜の腕を逃れた双葉Bが彩乃に襲い掛かる寸前、その足に再び想夜が絡みつくも、反対方向から双葉Aが想夜の横っ腹にケリを入れて引き剥がした。

「うっ!」
 蹴り飛ばされた想夜は彩乃との距離を作ってしまう。
「想夜さん!」
「彩乃さん! あたしは大丈夫です! 早くリンさんのところへ行ってあげて!」

 彩乃は後ろ髪を引かれる思いでコンテナの側面ドアへと向かう。リンの命がかかっているのだ。諦めてなるものかと。コンテナに設置された反対側のハシゴを下り、ふたたびタイヤの真横にあるサイドガードを伝ってゆけばドアにたどり着く。そこからコンテナの中に入れる。

 彩乃がハシゴに手をかけ下りてゆく。その瞬間の出来事だった。先ほどの双葉の攻撃でハシゴの溶接部分に亀裂が入っていたらしく、ハシゴの上部がコンテナから外れてグニャリと折れ曲がる。
 と同時に彩乃が体勢を崩し、突風に煽られ、高速道路に投げ出されてしまった!

「彩乃さん!」
 トレーラーから遠のいてゆく彩乃の体。もはや誰の手も届かない。
 が、奇跡を起こしたのは羽の生えたリボンの妖精だった。
「彩乃さん、つかまって!」
 コンテナの上から飛翔する想夜が、彩乃に向かって手を伸ばす!
 その手に向かって、彩乃も手を伸ばした。
 間一髪、想夜の手が彩乃の手首に手が届いた。

 ボシュウッ!!

 想夜はピクシーブースターをうならせて、コンテナの側面に張り付いた。ハシゴに片手をかけ、もう片方の手は彩乃の手を掴んで離さない。
 彩乃をつかんだ右手首に強烈な痛みが走るが、そんなことはお構いなし。想夜は彩乃の体を引き戻すと、ハシゴに彩乃の手をかけさせた。

「彩乃さん、このハシゴにつかまってください!」
「ありがとう、想夜さん!」
 彩乃は無事、体勢を立て直す。
 想夜もコンテナによじ登ってゆく。
「……どっこいしょ!」

 コンテナの上でうつ伏せになった想夜の肩に双葉の刃が突き刺さった。

「おかえりー、サクッと♪」
「うあぁ!?」
 想夜の悲鳴が高速道路に響く。
「あっちのオバサンも邪魔くさいから消しとくか」
 続けて双葉の刃が彩乃に向かう!

 万事休すかと思われた。が、そこに黒い影は舞い降りた――尻餅をつく想夜の手前に御殿が着地し、双葉ABとの間に割って入り、拳を作ってターン。裏拳で威嚇して追い払った。

「御殿センパイ!」
「御殿さん!」

 意を決した彩乃はサイドガードの上に足をかけながら再び移動を続ける。ドアを開け、見事コンテナの中へと入っていった。

「水無月先生は中に入ったみたいね。リンさんのことは先生たちに任せましょう」
 彩乃の無事を確認した御殿が双葉ABを睨み、間合いを詰めた。
「あの黒いの、さっき駐車場にいたヤツ?」
「あの黒いの、さっき駐車場にいたヤツ!」
 互いに相槌を打つ2人の双葉。入れ代り立ち代り、交互に御殿に斬りこんできた!

 御殿はAの攻撃を腰をかがめて避け体勢を戻す。と同時にすかさず突きを入れる。それが避けられると、今度は裏拳で双葉ABを追い払うように距離を取らせた。

「ぬるい」
 御殿は右から迫ってくる双葉Aに回し蹴りをかまして牽制。蹴りがガードされると、体勢を戻し、すぐさま左に立つ双葉Bの腹めがけて回し蹴りを叩き込んだ。

 ドウッ!

 御殿の蹴りが双葉Bの腹を捕らえ、重い音が響いた。
 よろけ、腹を両手で押さえながら後退する双葉B。

「う、ぐっ!? この黒いのマジむかつくっ」
「う、ぐっ!? この黒いのマジむかつくっ」
 双葉Bが吐き捨てるように言う。後を追うようにマネをする双葉A。その腹部にはしっかりとダメージ転移が起こっている。

 御殿は双葉Aの懐にもぐり込むと、掌を突き出して腹に叩き込んだ。
 腹に突きを食らってヨロけた双葉Aに追い討ちをかけるように、御殿は左右交互に拳を突き出す。

 御殿の拳をガードしながら、双葉Bはコンテナの後ろへと下がってゆく。

 双葉Bを追い込む御殿の隙をつき、双葉Aが後ろから足払いをかまして御殿を転倒させる。

 ……ドン。

 転倒した御殿はコンテナの上で両手で受身をとり、双葉Aにお返しの足払い。

 ……ドン。

 今度は双葉Aが転倒。
 御殿と双葉Aがそのまま揉みくちゃになり、マウントの取り合いがはじまる。
 殴ってはガードされ、ガードしては蹴りに転じる。

 御殿と双葉A――どちらが優勢か分からない状態。やがて立ち上がると、2人は距離を取った。

 双葉AとB。ふたたび御殿との距離をつめ、斬りこみを仕掛けてくる――そんな動作が何回か続く。

 そうやって、ふたたび最初の御殿の回し蹴りへ。
 永遠に続くと思われるループ処理。相手が2人だろうが100人だろうが、御殿は一歩も引かない。

「なんなのコイツ、異常に強くね? こんな奴がいるなんて聞いてないわ~」
「なんなのコイツ、異常に強いね? こんな人がいるなんて聞いてないよね~」
「「咲羅真……ナントカ?」」
 モノマネがハモる。いいかげんに覚えて欲しい。

 真顔の御殿が双葉ABに答えた。
「なら覚えておきなさい。わたしは焔衣狐姫。食う寝る遊ぶが取り得の食っちゃ寝の妖獣よ。ワケのわからない部活に所属していて今だにクマさんパンツをはいているお子様妖精でもあるわ。ちなみに下着は通販サイト『熱帯雨林』で5着1000円、5着1000円よ。あれは小学生がはくものよね、ロリロリファッションよね、こんなわたしで……ゴメンナサイね」

 狐姫と想夜が顔を真っ赤にして「フザケンナよな巨乳! 自分の乳でも搾ってろ!」とか「御殿センパイのバカ! もうキャラメルあげない!」とか野次が飛びまくっている。パンツの件で2回も言われる筋合いはない。
 御殿の余計な言葉で皆に余裕が生まれた。

 あっちこっちから響く声に翻弄された双葉ABの隙をつき、想夜が体勢を立て直す。
 トレーラーの中央。想夜と御殿が背中を合わせ、互いの敵を直視する。

 想夜は双葉Aを。
 御殿は双葉Bを。
 敵に前後を取られて挟み打ちにされたが、うまい具合に1対1に持ち込めた。

「御殿センパイ、こっちは任せてください」
「夕食までには帰ってくるのよ」
「そうします♪ ……あと、あたしパンツのこと、全っ然気にしてませんから。全っっっ然、気にしてませんから!」
 ニッコリ顔ではるものの、相当ご立腹のご様子。一週間くらい根に持つかもね。

 冗談はさておき、正直、どちらの双葉が本体なのか分からない。
「だったら両方片づければいいだけのこと」
 御殿は拳を前へと突き出して構えの姿勢をとった。


晴湘ハイウェイ戦 4


 想夜が双葉Aと向かい合う――後ろから御殿の黒いネクタイが顔のすぐ横をヒラリと飛んでゆき、空の彼方へと消えていった。

 御殿の頭の中で、ふたたび鴨原が響いてくる――『どうしてそんな窮屈なものを首にぶら下げているんだ? まるで首輪だな』と。

 鴨原の言うように、このほうが身動きがしやすい。こんな時になんだが、ネクタイの意味を考えさせられてしまう。

 チラリ。想夜が御殿を横目で見る。
「御殿センパイはやる気満々ね。あたしだって負けてられないんだから!」
 想夜のひかえめな胸、π/パイスラッシュに食い込んだホルダーからワイズナーを引き抜いた。
 ズシリと重いワイズナーを思い切り振りかぶる。右手首に若干の痛みはあるものの、『紡ぐ』能力で神経とトロイメライを接続しながらカバーする。
「アロウサル!」
 光のベールに包まれた想夜が、6枚羽を作り出した。
「ハイヤースペック! 力を紡ぐ!」
 想夜が叫び、一歩踏み出す!
「斬る!!」
 フェアリーフェイスワイズナー、大振りの一撃!

 ドオオオオオン!

 爆発が起こったような音が響いた。
 双葉Aが刃を作り出して防御したが、想夜の放った一撃は想像以上のパワーだった。なんたってパラメーターに倍率がかかっている。
「はあ!? コイツいきなり強くなった!? これが『紡ぐ』ハイヤースペックか!」
 双葉Aの体が体勢を崩され、スケートみたいにコンテナ後部へすべっていった。

 想定外の力に圧倒された双葉Aはほくそ笑み、挑発に打って出ることにした。

「紡ぐ能力、確かに見せてもらったわ。ズバ抜けたパワーじゃん。ナイチチのクセにパワーだけあるとか、ウッケる~」
 パワーで押された双葉A,想夜を怒らせることで冷静さを欠落させる戦法に出た。アドレナリンが上昇するとIQが下がり論理的行動が損なわれる。はたして双葉Aの作戦は吉と出るか凶と出るか?

「プププーッだ! AとかBとか、モブキャラみたいでかっこわる~い」
 少々頭にきた想夜、IQが下がりつつあるようだ。
 それに対して双葉Aも反論。相手のIQを下げるどころか、自分のIQも下がっちゃってる。

「さっきからあーしらのことAとかBとか言っちゃってるけど、アンタの胸なんかAAじゃん?」
 ”B”の想夜、大激怒。そく反撃に出る。
「うっさいわ水虫! 足かゆいクセに!」
 くわっ。双葉A、たちまち激おこ。
「ムカッ! 水虫ちゃうわ、かゆくないわ! 意味の無いパイスラとかハズいと思えよペチャパイヘッポコ妖精!」
「プププーッ。あなたって双子妖精のブスのほうでしょ?」
「はあ? 何言ってんの? ブスはそっちだろ!」
「そっちがブスぢゃん!」
「何そのポニーテールうけるっ、ゼンマイみたいに回したろか! タ○コブターみたいに飛んでけタコ!」
「羽があるからいらんわ、イカ娘!」
 くわっ。想夜、つられて激おこ。
「カラーリングに失敗して髪の毛痛めばいいのよ! 双子の髪が痛んでいるほう!」
「電線にリボン引っ掛けてハゲろ、ロリ妖精!」
「「ブスブスブスブス! バーカバーカ!」」
 互いに顔を真っ赤にして罵り合う。
 小学生の口ゲンカがはじまると同時に、両者とも武器を力一杯振りかぶる。

 ギンギンギィィィィン!!

 連続して金属音がぶつかり合う音。
 ムチャクチャな攻撃の連打。もはやハイヤースペック関係ないだろ。
「家庭科の成績2のクセに!」
 想夜、図星。
「なんで知ってんのよ、現国と英語が赤点のクセに!」
 双葉A、こちらも図星。
「なんで知ってんだよ、クマさんパンツ!」
 熱帯雨林、5着で1000円。
「なんで知ってんのよ、このノーパン!」
「ブッブー! 正解は――」
「聞きたくないわ! 双子のブスのほう!」
「「ハゲろ! 枝毛! ブスブスブスブス! バーカバーカ!」」
 想夜と双葉A。2人とも一気にIQが低下していた。

 いかんいかん。冷静になれ想夜。と、自分に言い聞かせる。
 いいじゃないか、家庭科2でも。アニマルパンツでも。熱帯雨林で5着1000円でも。ナイチチでも。意味無しパイスラッシュでも。
「うっさいわ天の声!」
 想夜号泣。13歳、心が八つ裂きにされる。
「なに、独り言? ヤバくない? ……よっと!」

 キンッ。

 斬り込んできた双葉Aの刃を弾くと、想夜は相手の股に足を突っ込んで体勢を崩させた。
「やばっ」
 転倒した双葉Aの体にワイズナーを叩きつけるも、双葉Aはコンテナの上で器用に転がって回避する。

 ガッ! ガッ! ガッ!

 転がる双葉Aに何度もワイズナーを振り下ろす想夜。
 双葉Aが距離を取った瞬間、想夜はランスモードに切り替えて一突き。
「武器が変形した!?」
 想夜の槍が双葉Aの二の腕をかすめた。
「痛っ」
 双葉Aの腕から血が噴出し、不意のダメージを負う。ワイズナーが可動変形兵器だという知識を知らなかったようだ。

 柊双葉はフェアリーフェイスワイズナーが、ただの大剣だと思っている――うまくいけば勝機につなげられると想夜は確信し、笑みを浮かべた。


晴湘ハイウェイ戦 5


 御殿が双葉Bと向かい合う――ネクタイを緩め、情事前の淑女よろしく脱ぎ捨てると、ブラウスの隙間からふくよかな谷間を露にさせる。堅苦しい服装では存分に楽しめない。少々ベッドの上が硬いが、その豊満な体を満足させてもらえることを期待している。

 突風にのって流されてゆくネクタイを見送ることなく、御殿は目の前の双葉Bに歩み寄っていった。

「はじめましょう」
 御殿は相手の数歩手前で足を止めると、肩幅よりやや広く歩幅をとり、姿勢を低くして構えた。

 双葉Bがため息交じりで肩をすくめる。
「あ~、あーしそっちの趣味ないんだよね……一応、今は生えてるんだけどさ。なんてゆーの? 女同士じゃ楽しめなくない? いろいろとさ」

 双葉Bがスカートを摘まんでヒラヒラさせると、御殿の口元がニヒルにゆるんだ。
「きっとご満足いただけると思うわよ。いい声で鳴いてあげる――」

 双葉Bがプッと吹き出す。
「そうなん? ほんじゃま、やりますか!」
 双葉Bは躊躇することなく御殿に歩み寄る。瞬間、いきなり拳を突き出して来た。

 御殿は飛んでくる拳を右に避けてかわした。スレスレのところで相手の拳が頬をかすめる。

(速い……少しは楽しめそうね)
 動きが0.1秒遅れていたら、御殿はトレーラーから弾き飛ばされていたかもしれない。あるいは、顔面がミンチになっていたかもしれない。柊双葉は非常に恐ろしいスピードの持ち主でもある。
 続いて左からも同じパンチが飛んでくる。
 御殿はそれを左手で外側へ弾いて受け流し、右手で双葉Bの喉めがけて突きを放つ。
 双葉Bは、先ほどの御殿みたいに首を捻ってスレスレでかわした。

 一連の動作を幾度となく繰り返す御殿と双葉B。

 御殿が足払いで相手の体勢を崩そうとするも、長く伸びた御殿の足を、双葉Bはいとも容易く飛んで避ける。

 双葉Bは足払いが気に入ったらしく、今度はそれをマネて御殿の足元に入れてくる。

 御殿は双葉Bの足払いを縄跳びのように飛んで避けると、着地と同時に体を捻って裏拳を繰り出した。

 風を切って飛んでくる御殿の裏拳を双葉Bが屈んで避ける。姿勢を戻すと再び御殿の突きが飛んでくるので、バックステップで距離をとった。

 いつのまにか双葉Bの腕から血が滲み出していた。若干動きに鈍さが見える。
 御殿がニヤリとした。
「ダメージ転移か。あっちで想夜が頑張ってくれてるみたいね。あなたも頑張りなさい。特に現国と英語」
 御殿が挑発する。あっちの会話が聞こえていたらしい。
「めんどくさい女だなあ……攻撃が一発も当たらないとか、どんだけバケモノじみてるんの?」
「お互い様でしょ」
「あーウザいわー。バーカバーカ! ベロベロバー」

 安い挑発には乗る気はない。御殿は相手との距離を素早く詰めてゆく。相手に作戦を考える隙を与えるつもりもない。

 打つ、
 弾く、
 避ける、
 ふたたび打つ。

 何度も繰り返される互いの攻撃には終わりがないようにも思えたが、双葉Bはジリジリと押されつつあった。

 相手をトレーラーの先端まで追い込むことに成功した御殿は、迷わず腹に前蹴りを叩き込む。
 双葉Bはそれを両手で静止して押し返した。

 一歩後退する御殿が腰をかがめ、相手の横っ面に後ろ回し蹴りを放つが、それも双葉Bは片手で受け止め返してきた。
 御殿は返された反動を逆手にとり、体を捻って双葉Bの側頭部に回し蹴りを決める。

 ガッ!

「うっ!」
 双葉Bのこめかみに一発決まった。が、やや浅い。普通なら脳震盪を起こして即倒しているはずだ。
 よろける双葉Bに対し、御殿は続けて左右の拳を叩き込む。

 ガッガッガッ!

 突きの連撃を寸分の狂いもなく受け流す双葉B。

 首、腹、肩、太股、顔面――と、御殿がどこに打ち込んでも切り返される。五月雨のような御殿の攻撃を切り返しては、それをマネて連撃を叩き込んでくるのだ。

 御殿は飛んできた双葉Bの蹴りを両手で包み、大きく捻った。
「フン!」
「しまった!」

 ブンブンブン! ……ドン!

 双葉Bの体が空中でキリモミ回転をしてコンテナに叩きつけられる。転倒した体を即座に起こして御殿と向き合う。
 御殿の容赦ない回し蹴りが双葉Bの腹部を捕らえたものの、双葉Bは御殿の足を両手で包み大きく捻った。
「大車輪!?」

 ブンブンブン! ……ドン!

 御殿の体が宙でキリモミ回転してコンテナに落下。すかさず受身から体勢を立て直した。
 双葉Bを追い詰めたはずの御殿だったが、ふたたび中央まで逆戻り。

 何かおかしい――御殿が訝しげな表情を作る。

 双葉Bは明らかに何らかの格闘技をかじっている。でも何だろう、この違和感――御殿は首を傾げながら拳を打ち込む。そうしてあることに気づく。

「へえ……なるほどね」
 御殿は手刀をつくり、相手の首筋目がけて一直線に軽く叩き込んだ。とても軽く、ダメージすら与えられないほどの簡単な手刀だ。

 双葉Bは当然のように御殿の手刀を避ける。
 御殿の予想が的中したのは次の瞬間だった。なんと双葉Bも同じような弱々しい手刀を御殿に叩き込んできたのだ。

 御殿が双葉Bの手刀が描く軌道を読み取り、相手の手首をつかんだ。
「はあ!?」
「柊双葉……いえ、アインセル。あなたのハイヤースペック……見切ったわ」

 御殿は双葉Bの手首を取り、思い切り捻って体勢を崩させた。

 双葉Bの体がグルンと宙を舞う。

 御殿は双葉Bの体目がけ、背中から体当たりをブチ込んで弾き飛ばした。
「うがっ!?」
 双葉Bの脊髄に車が突っ込んできたような衝撃が走る!

 ドウッ! ドンッ、ドンドンドン……

 双葉Bの体がトレーラーの上でバウンドしながら転がってゆく。そのままピクリともしない。しばらくは動けないだろう。

 御殿は後ろで戦っている想夜に叫んだ。
「想夜、アインセルの能力が分かったわ!」
「え、本当ですか!?」
「相手の能力は『ミラーリング』よ。こちらの攻撃を1つだけマネできる能力」
「1つだけ、ですか?」
「そう、1つだけ。もっとも2人いるから2つかしら。想夜が戦っている柊双葉は赤帽子のネイルブレイドだけを使い続けていることから、新しいスキルを習得するとネイルブレイドは使えなくなる」

 1ターン前の攻撃をマネて攻撃をしかけてくるアインセルの能力。威力も同じ。速度も同じ。まるでワンテンポ映るのが遅い鏡のように。ご丁寧に表情までマネてくるものだから、著作権侵害をされているようで実に腹立たしい。まさに鏡、だ。

「アンタ、マジで腹立つわ」
「アンタ、マジで腹立つね」
 双葉ABが唇から流れ出る血を拭い、睨みを利かせて立ち上がった。


晴湘ハイウェイ戦 6


 コンテナ内。ひしゃげたドアから誰かが入ってくる恐怖の中で、側面のドアがスライドする。

 敵かと思い警戒を強める詩織だったが、彩乃の姿を見て胸を撫で下ろした。
「水無月先生」
「詩織ちゃん、リンさんの容態はどう?」
 スリープケースに近づく彩乃。
 詩織が点滴の確認をしては薬品の調整をしてコードに注入した。
「脳波に乱れがあります! この体でハイヤースペックを発動するのは危険過ぎです!」

 八卦とはいえ、体に負荷がかかればリンの命に影響を及ぼす。八卦は不死ではない。能力を持っているが、逆説的に言えば能力を持っているだけの人間だ。心臓が止まれば、死ぬ。

 彩乃が詩織と一緒にリンの心電図に目を光らせる。

 詩織の視線が脳波計から彩乃へと向けられた。
「水無月先生、安定剤が効いているようです」
「OK。少しずつケース内の室温を上げていきましょう。詩織ちゃん、手伝ってちょうだい」
「分かりました」

 スリープケースの温度が常温に戻ってゆく。

 彩乃と詩織の額に冷や汗が滲む。相変わらず天井の向こうではドスンドスンと賑やかにやっている。想夜たちが負ければ柊双葉が攻め込んでくる。何としても敵の動きを止めてもらわなければならない。
 しばらくすると、

 ズドンッ!

 何かが落下したようだ。大きな音とともに天井がベコリとへこんだ。
 驚いた彩乃たちが頭を庇って姿勢を低くする。
 その後、天井の向こうで会話が続いたかと思うと急に静かになった。

「……終わったんでしょうか?」
「わからない」

 彩乃と詩織が天井を見上げた。

「御殿さんたちを信じましょう」
「そうですね」
 笑顔の彩乃が詩織の頭を撫でた。

 リンを睡眠から解放するために薬品を使わなければならない。薬品を使うたびに彩乃の胸が締め付けられる。

 なぜ幼き少女が戦いに赴かなければならないのか――綺麗ごとだけでは未来はつかめないのだと、彩乃は改めて思った。

 やがてケースの向こうの少女はゆっくりと瞼を開き、眼球を忙しなく動かして周囲の様子をうかがった。

「――おはよう、リンちゃん。つらいだろうけど、貴方の力が必要なの」
 笑顔の彩乃。ケースに両手を置いて囁いた。
「お願いリンちゃん。日本を、みんなを助けてあげて――」

 彩乃の祈りは天に届くのか?

 八卦リン・ルーがスタンバイに入った。
 リンはまだ寝ぼけ眼。意識も朦朧としている。
 と、突如、

 メキメキメキ……パキン!

 後ろの扉がひしゃげ、何者かが侵入してきた!
 

もう馬鹿馬鹿しくって、やってらんない。


 アインセルのミラーリング。相手に合わせて行動をすること。そうやって相手の心に少しでも近づいてゆく。
 受け入れられることで寄り添える。心を少しでも開いてもらえたら、どんなに近づきやすいだろう?

 相手の行動をマネすることで、親近感を増すミラーリングという行動がある。アインセルの格闘術はまさにそれだった。

 双葉は周囲の人たちの心が知りたかった。近づきたかった。相手が何を考えているのか分かれば苦労しない。でも、それはできないことだ。ならばせめて、近づくだけでも見えてくるものがあるはず。

 手を伸ばせば必ず、自分の気持ちが相手の心に届くと信じていた。少しでもいい、蒸発した両親の気持ちが知りたかった。

 ――けど、それは理想に終わった。

 結局のところ、自分は他人にはなれない。他人の考えていることなど分かるはずがないのだ。近づけたと思い込んでいるだけなのだ。
 友達との日々のなか、双葉が誰かのことを強く想っていたとしても、相手は双葉のことを他人としか思ってない。それが現実だった。

 近づけば離れてゆく。遠のけば、よけい遠のく――友達ってなんなんだろう?

 双葉は校舎の屋上で空を見上げては、いつも思うのだ。他人の心を自分の心に書き込むことが出来ればいいのに、と。

 巧や養父母はどう思っているのだろう? こんなあーしの本音を知れば、きっと心を痛めるだろう。結局のところ、空っぽの心に何を注いだらいいのか分からない。愛されている実感がわからない。だからこそ、相手の心が知りたいのだ。自分がどれだけ想われているのか、知りたい。他人の気持ちを確認して、はじめて愛されていることを知る不器用さ。それは人として恥ずべきことではないはずだ。

 天空からプリズムが降りてきたのは、その日のことだった――そうやって柊双葉は、妖精と一つになった。


 双葉ABが歩み寄り、互いの両手を合わせた。途端、妖精が放つプリズムに包まれ2人が1人になる。もはやAでもBでもない、柊双葉の姿がそこにはあった。

「いいよ。2人一緒に相手してあげるよ……かかってきな」

 クイクイッ。双葉は手で挑発すると、首をナナメに捻ってボキボキと音を立てた。今までのは軽い準備運動といったところだ。
 少し遊びすぎた。そろそろ頃合か、双葉は真顔になり淡々と瞳に鋭さを灯す。

「あーしの本気、見せてあげる。アインセルの能力の真骨頂はミラーリングでもコピーでもない。妖精と人間、それぞれの肉体が覚えた記憶を融合させて、より強力な一体を作り上げること。それがアインセルのハイヤースペック、マージナルライド」

 御殿が額の汗をぬぐい構えをとる。
「肉体を2体にすることで学習能力を2倍に引き上げるってことか……」
 なるほど。パー○ンのコ<ピー>ロボットみたいで超便利。
「代わりに授業とか出てもらえる能力とか……うらやましい」
 若干、死んだ目で想夜が言う。
「まったくだわ」
 言わない言わない。

 御殿はウンザリ顔で髪をかき上げた。家庭科の時間をもっと増やしてほしい。化学や生物で手に職をつけるつもりはないので無駄だと思っている。科学者になるわけじゃあるまいし。めんどくさい授業を御殿Bに出てもらいたいものだ。

 正直なところ、想夜と御殿は緊迫していた。
 今の双葉はAとB両方の戦闘力を持っている。想夜と御殿の戦闘を学習した完全体。ワイズナーの変形、御殿の体術も学習した。

 双葉への対応は考えものだ。御殿のハイヤースペック・レゾナンスを想夜に使ったら勝機が出てくるという保障もない。想夜と一つになったらどういう状態になるのかさえ不明だ。シュベスタでの八卦発動時のように、フェイタルエラーが出たらトレーラーごと粉々にしてしまうだろう。八卦の力は安易に使うものではない。

 双葉は両手を高々と掲げて叫ぶ。
「すべてをこの身に吸収していく。あれも、これも、あの人、この人。そうやって完全な存在に生まれ変わるの。そうすることで、足りないもので悩んだりしない、他人の気持ちに振り回されたりしない、そんな日常が待っている」

 足りない。
 足りない。
 あの人にはあるのに、どうしてあーしには無いのだろう?
 分からない。
 解らない。

 どうして人の気持ちは、あーしの想像とは違うものなのだろう?

 神様はイジワルだ。どんなに努力しても与えてくれないものがあるのだから。

 だったら力で奪い取ればいい。神様は見てるだけなんだから、死を覚悟して戦う人間に対して文句を言う資格なんてない。

 ――それが双葉がたどり着いた答えだった。

「神さまなんて……大っキライ!! あーしから巧まで奪おうとするんだから、酷いヤツだ! 本っ当に酷いヤツだ!!」

 叫び、涙――双葉の声は神には届かない。それを双葉は知っている。そう、思い込んでいる。

「なけなしの貯金を保険にかけた! あーしが死ねば巧の手術代の足しくらいにはなる。パパとママに迷惑もかけられない。巧を助けられるのは……あーしだけ――」
 双葉は自分に問うのだ。

 ――結局、あーしの空白を埋めてくれるものって、何だったんだろう?
 双葉が腕を交差した! 最後の戦いだ!

「来い!」
 双葉が挑発した瞬間、想夜と御殿が同時に攻撃をしかけた!
 双葉は想夜のワイズナーを光の刀で弾き返すと、そのまま押し込んでゆく。

「きゃあ!」
 圧倒的にパワー負けしている想夜の体が大きく後ろに吹き飛んだ。
 
 続けて御殿に対し、振り向き際に斬りつける!
 御殿は2丁銃を引き抜いて応戦をはじめた。

 カッカッ! キンキン!

 御殿の銃と双葉の刀がぶつかり合い、激しい金属音を奏でる!

 バンバン!

 御殿が双葉のふともも目がけて発砲するも、双葉は飛んでくる弾丸の軌道を読み取り、刀で弾き返した。すぐさま御殿の銃を弾き飛ばし、腕をつかんでブン投げる。

 背水の陣――何から何までケタ違いの強さ。それが柊双葉の本気だ!

「光のやいばよ……って!」
 双葉めがけ、想夜の放った光の矢が飛んでくる!
「いらない」

 シュッ!

 双葉は光の矢を2本の指でつまむとクルリと反転、想夜に向けて弾き返した。

 ドオオオオオオオン!

 想夜の肩に光の矢が突き刺さり、激しい爆発とともに、悲鳴を上げる間もないまま想夜の体が吹き飛んだ。

 双葉は足元に転がっている御殿の撃った弾丸をつまみ上げると、それをピンッと弾いて御殿の腕に打ち込んだ。
「うっ!?」

 ブシャ!

 御殿の腕を弾丸がかすめ、血が吹き出す! その反動でよろけて後ろに倒れた。

「乳デカいだけかよ、他愛もない」
 双葉は勝利を確信していた。
「――さて、あの子をもらってオサラバね」
 双葉はリンをさらう気でいる。
 ふたたび双葉が分離をした瞬間だった。

 ――「かかったわね!」

 想夜がニヤリと笑う。この時を待っていたかのように長いリボンを双葉に向けて放つ!
 2つに分離する瞬間、想夜がワイズナーのリボンで双葉ABをグルグル巻きにしたのだ。
「なっ!? あのリボンも武器の一部だったのか!?」

 ドカッ!

 リボンでグルグル巻きにされ、ミノ虫のような姿のまま双葉ABはトレーラーの上に叩きつけられた。直後、ふたたび一体へと戻っていた。

「分離する瞬間、もやのような透明の影が姿を見せる。それがアインセルの正体。もう、分離のタイミングは見切ったわ!」
 リボンを引き戻しながら想夜が言った。

 双葉はもう、分離することが出来ない。しようものなら、即、想夜のリボンが飛んでくるだろう。そうしてミノ虫にされるのだ。

 叩きつけられた体の節々が痛むのだろう、双葉は手、膝、足の裏を使いながらヨロヨロと立ち上がる。

「分離が読まれたならば……分離しないまでのこと!」
 双葉は単身、想夜に突っ込んでいった。が、一歩遅かった。

 ブスリ。

 双葉の光の刃が想夜を捕らえた。
 ――いや。数ミリ、想夜のほうが速かった。ワイズナーを双葉の胸元にめがけ、ゆっくりと押し込んでいった。

 胸元に刺さったワイズナーを見つめながら、双葉は唇を震わせた。

 死ぬ? ……死ぬの?
 あーし……死ぬの?

 それが脳裏にこだましたのだ。

 いやだ、死にたくない。
 死にたくないよ――巧。
 死にたくないよ――パパ、ママ。
 大好きな人たちと、一緒にいたいの。
 本当は、死にたくない――。
 生みの親、育ての親、双葉、巧――大好きな人達と一緒に、双葉は大声で笑いたかった。

 その表情を汲み取った想夜がニヤリと口角を吊り上げた。
「安心して……殺しはしない」
 そう言った次の瞬間、脳天までつん裂く勢いで、ワイズナーを思い切り上空に振り上げた。

 胸から頭にかけて斬跡が走る!

「バランサー権限はないけれど……双葉とアインセルを分離する!」

 『紡ぐ』、『分離』のハイヤースペック。政府の権限がなくとも、想夜はその力を持っている。

 想夜のハイヤースペック、発動!!
 双葉の中から、もう1人の双葉を引きずりだし、空高くブン上げた。

 空高く舞い上がりながら、アインセル双葉がトレーラー上の想夜を睨らみつけた。今度は想夜の『紡ぐ』をミラーリングする気でいる。それを用いて、さらなる進化を遂げようとしている。

 ――だが、もうそんなことはさせない。アインセルが落下してきたと同時に、御殿が空高く飛び上がった。
 どうしたことだろう。ニヤリと笑う御殿はトレーラーの走行軌道から外れ、双葉とは見当違いの方角に飛んでいくではないか。

 道路へと落下してゆく御殿。
 トレーラー上の双葉はポカンと口をあけながらも、思わず表情筋を緩ませた。

「デカパイ死亡、か。でも巧が生き残れば……それでいいか」

 嘲る双葉、もう投げやりな態度だった。だが、御殿の落ちてゆく着地ポイントにバイクが走っているのを見てギョッとする。

 運転席には……誰も乗ってない。
「女狐がいない!?」

 視線の先には無人のバイク。一定のスピードを保っていたバイクはドライバーがいなくても直進走行をする。
 では狐姫は一体どこへいったのだろう?

 空中のアインセル双葉がさらに上空の狐姫に気づいた時には、すでに隙を取られていた。

 太陽を背にした黒い影。誰かが上から降ってくる!
 狐姫ちゃんサマのご登場でい!

「こんなヤツ、一発でしとめろよな! フンッ!」
 狐姫は双葉めがけ、上からナックルを振り下ろした。

 ドッ!

 重い音と共に、双葉の体が落下する隕石のごとく一直線にトレーラーへ突っ込んだ。
 分厚い装甲がベコリとへこんでクレーターができあがり、その中心でアインセル双葉が完全にのびていた。

 とても単純な攻撃方法――ミラーリングされる前にダウンさせればいいだけのこと。ただ、それを行う前までに敵のダメージが蓄積されてなければ反撃されてしまう。ダメージが蓄積されていたからこそできた技。仲間のコンビネーションが織り成す一発マル秘攻撃だった。

 トレーラーに着地した狐姫がバイクの御殿に向かって親指を立てた。
 御殿もそれに笑顔で答えてくる。

 一方、双葉本人にも変化が見えていた。
「人間のほうも動きが鈍っているようだな」
 ダメージ転移。アインセルの受けた狐姫の攻撃ダメージが残りの双葉にも伝わっていた。動きが鈍った一瞬の隙をついた想夜が、ワイズナーのグリップの底を双葉のミゾオチに一発決めていた。

 ドサ……。

 想夜の足元に双葉がゆっくり崩れた。

 想夜によって引きずり出されたアインセル。ふたたび双葉本人と交じり合い、ひとつの体へと戻ってゆく。

 目の前に横たわる少女は人間なのか、妖精なのか。スペックハザードによって生まれたスペクターが何人もいるのは確かだ。

 一同はスペックハザードの脅威を想像しては息を呑んだ。

「アインセルは帰界できないのか? ギャル子のハイヤースペックの接続も切ったほうが安全じゃね?」
 狐姫が袴のポケットに手をつっこんだまま近づいてきた。
 想夜は振り向き、それに答える。
「あたし、バランサーの権限がないから帰界できないんだ。それにこの人にはには聞きたいことがあるし。ハイヤースペックの接続は今切るから」

 想夜と狐姫が双葉から目を離した、ほんの一瞬の出来事だった。

「おい、アイツいなくね!?」
 振り向いた狐姫が驚愕。つい今まで、足元でダウンしていたはずの双葉の姿がないことに気づく。
「狐姫ちゃん! あそこ!」

 想夜が指差す方。コンテナの後部に双葉の姿はあった。

「こんな……こんな、ところでくたばったら……巧は、弟は……救えないじゃない――」
 傷だらけのまま、匍匐前進でコンテナの後ろまで這ってゆく双葉。なにがなんでもリンを連れ去ろうとしている。
「やばいぜ! アイツを止めろ!」
 狐姫が叫んだが、時すでに遅し。

 ギギギギギ……パキン!

 双葉がものすごい腕力でコンテナの扉をこじ開け、よろよろと中に侵入してゆく。リボンで巻かれた時に想夜の『紡ぐ』をミラーリングし、腕力を一時的に引き上げたのだ。それ1回使えば、双葉の腕の筋肉と骨は無事では済まないというのに。

 それでも双葉は観音扉の鉄戸を両手で開ききり、コールドスリープケースで眠るリンに近づいてゆく。

 詩織が怯えながらケースに覆いかぶさり、リンを守ろうとする。
「あなたは何を考えているの!? この子はまだ子供――」
「どいて」
「きゃっ」

 ガッ!

 双葉に弾き飛ばされた詩織の体が近くにあった器具に叩きつけられた。
 痛みで悶える詩織。
 その横を双葉が通りすぎて行く。すでに腕の骨はヒビだらけ。だが、ぶらりと垂れ下がる腕をコールドスリープケースへと伸ばすのだ。

 はじめてリンの顔を拝む時がきた。
「ターゲット確認。あとはこの子を連れて帰れば――」

 多額の治療費を目の前にした双葉がニヤリとした時だった。ふと、コールドスリープケースの脇においてあった小さな写真立てに目がいく。
 そうして双葉はボロボロの腕を伸ばし、写真立てを手にし、頭を殴られた気分に打ちのめされるのだ。

「ウソ……なんなの? なんで、こんなクライマックスなの……?」

 双葉は写真を手でなぞる――そこにはロナルドとリンの姿。

「これ、あの時のおじさんじゃん……」

 双葉は写真から目をそらし、眠るリンの顔を見つめた。

「それじゃあ、ターゲットっていうのは……おじさんの娘ってこと?」

 双葉はその場に膝から崩れた。そうして涙するのだ。

「できるわけないじゃん……おじさんの子供、誘拐しようとしてただなんて……なんなの、あーし? なんなの……?」

 力を持つ者は何でもできる。

 ハイヤースペクターは何でもできる。

 ハイヤースペクターだから何をしても許される。

 ハイヤースペクターは……誘拐犯罪の免罪符にはならない――。

「この子を連れ去ったら、あのおじさん……きっと泣いちゃうよ」
 写真を両手で持ったまま、双葉は自分がしようとしていた過ちに気づかされ、この上ない後悔に打ちのめされるのだ。
「誘拐したお金で巧を治療するだなんて……そんなことしたら、巧に嫌われちゃう……」

 ここまで来てやっと気づいた。人の気持ち。
「こんなことしたって、誰も喜ばないじゃん……」
 双葉の瞳から、ボロボロと涙が零れ落ちた。

 そうして、今になって気づくのだ。双葉にはもう、打つ手がないということに。

 何をすればいいのか、もう分からない――完全なる迷子のハイヤースペクター、柊双葉。

「あは、ははははは……」

 もう、馬鹿馬鹿しくってやってらんない――双葉は、乾いた笑い声を発する。

「はは、は……う……うわああああああああん」

 双葉は狭いコンテナの中、負傷した両腕をブラリと垂れ下げ、声にならない嗚咽でしゃくり上げては、天井を見つめたまま泣きじゃくった。

 双葉は確信したのだ――もう、巧は助からないのだ、と。

 何をするでもない双葉――。
 戦う意味を失った戦士を、想夜たちは、ただ黙って見つめていた――。