3 愛宮の血


 パーティー会場へと通じる廊下は避難する人々で溢れていた。

 5人が出席者の波に逆らいながら会場への廊下を走り抜ける。
 途中、窓から外の光景が見えた。なんと暴魔の大群が押し寄せてきたのだ。
「なにが起ったというの!?」
「大変! 会場には重役が顔を連ねているわ!」
 御殿の問いに叶子が答えた。
「きっとこの時を狙っていたんだ! MAMIYAの重役を一網打尽にできるチャンスをな!」
「妖精が暴魔を呼び寄せた可能性もあるわね。妖精実験の復讐でもしたいわけ? 無関係な人もいるというのに――」

 妖精界と魔界は仲好し子好し。

 叶子はギリリと歯をかみ締め、前を走る御殿の背中に叫んだ。
「御殿さん、私と華生は一階に避難した人たちの援護に向かうわ。あなた達はパーティー会場に人が残されていないか見てきてちょうだい!」
「了解しました。想夜、狐姫、急ぎましょう!」
「はい!」
「おいっさー」
 御殿たちはパーティー会場へと向かった。

「犠牲者を1人として出さないで! お願い!」
 叶子の願いが廊下にこだました。


 御殿と狐姫がパーティー会場に飛び込んだ。
「想夜は!?」
 想夜の姿が見当たらない。そう言えば、先ほどから返事がない。どこへいったのやら。
 御殿が前方を見ると、会場内の窓ガラスを破り、想夜が外から侵入していた。廊下の窓から羽を使って回り込んだらしい。

 想夜は割れたガラスにまみれながら、ボディーガードに襲い掛かろうとする赤帽子目がけて飛びゲリをかます!
「破っ!」
 間一髪。ボディーガードは隙をついて逃げ延びた。

 想夜は赤帽子と取っ組み合いながら体勢を立て直し、起き上がりざまに近くにいた2体目の赤帽子も蹴り飛ばした。

 赤帽子の懐から光る石のようなものが飛んでいった。が、物陰から出てきた小さな赤帽子がそれを拾って逃げてゆく。狐姫はそれを不思議に思った。

 ボディーガードの何人かは、想夜の援護で難を逃れた。

「総員射撃用意――!!」

 小安が大股でかがんで両脇から銃を取り出し叫んだ!
 それと同時に射撃班が一斉射撃を開始。

 ズガガガガガガ!!

 残りの隊員が一定の扉の開閉を始めた。どの扉を開放し、どの扉を閉鎖するのかを前もって決めているようだ。そうやって安全な道を確保する。もしも愛宮邸が戦場になった際、自分たちが有利に動ける戦場造りができるよう訓練されている。

 兵器がある場所、ハイヤースペックがある場所、そこには必ず戦争が起こる。
 愛宮邸のなか、ついに戦争がはじまった!

「皆さま、早くこちらへ!」

 宗盛にうながされた出席者たちは頭をさげた姿勢を保ちつつ、安全な場所へと避難してゆく。

 そんな中、見知った親子の姿が――。

「ひいいいい! まだ娘の晴れ姿も見てなかったのに人生が終わってしまった! あぁ、最後にドーナツ食べたかったなあ……」
「おとうちゃん……娘の晴れ姿よりドーナツ優先かい」
「え~、だって沙々良、結婚絶望的でしょ? 酒グセ悪いし料理できないし、食べる物といったら丼物ばかり。女の欠片ゼロじゃん。親をバカにしてんの? ……お父ちゃん諦めたんだよね、おまえの晴れ姿」
「おいコラ、諦めんなよクソジジイ。もうちょっと頑張ろうよ」
 お父上、娘に対してヒデー言い方しますね。
 父の背広を引っ張り、会場からひきずり出す沙々良。もたもたしてたら妖精たちの餌食だ。

 会場に何百何千発もの銃声が鳴り響く!

 最初に小安が2丁銃を連続発砲。その背後から何人ものボディーガードが同時に応戦する。
 誰一人として、ひるむものはいない――実践経験があるという理由だけではない。死を受け入れる覚悟を持った者達がそこにいる。

 弾は御殿の指示通り、対妖精弾に変えておいた。弾に書き込まれた術式は妖精が嫌うもの。ヒットすれば軽いスタンブレイク効果がある。想夜に協力してもらった。即席なので効果は薄いが、効き目がない対魔弾よりもはるかにマシだ。
 小安率いる部隊が敵の攻撃を引き付け、その隙に会場内の客は全員逃がした。


 想夜は川の流れの中に立つ杭のように、人混みに流されることなくその場にとどまった。
 人の流れがなくなる頃を狙い、想夜は腕を大きく真横に振る。

「アロウサル! 力と風を紡ぐ!」

 想夜が光のベールに包まれ、ハイヤースペックを発動させた。
「パワーとスピード、あとはゴリ押しでイケる!」

 それをすぐそばで御殿が見つめていた。小さくとも凛と構える姿は巨人のように勇ましく、エクソシストの目を釘付けにするものだ。

 執拗にMAMIYAを攻撃してくる敵。MAMIYAにダメージを与えることで得をする者――魔族、シュベスタ、フェアリーフォース。背後の関係はどのような位置づけになっている? それは今上げた3つの勢力を逆から読めば上下関係は容易く分かる。

「――ワールドワイドな企業に目をつける考えは賛成だけれど、ダイレクトに攻撃してくるとは、やることが大胆ね」
 御殿は腰のホルダーに手を伸ばし、ボニー&クライドを引き抜いた。
 柱を背に御殿、一呼吸。銃を構える。
 続いて想夜がワイズナーを取り出して構える。
「御殿センパイ! 他の人たちは1階へ避難しました!」
「OK。ここを片付けたら、わたし達も一階へ急ぎましょう」

 所々、壊れた照明のせいで部屋が薄暗くなっていた。
 赤帽子がどこに身を隠しているかわからない。

 銃口から発せられる2本のレーザーサイトで見えない赤帽子を煽り続ける御殿。
 真夏の電灯に群がる虫の大群のように、屋敷の外壁に隙間なく張り付いている暴魔の群れ。窓をつき破り、わらわらと雪崩れのように侵入してくる。気色悪い光景が想夜の背筋を震え上がらせた。

 想夜のポケットのなか。警報を発する水晶端末がピコピコピコピコやかましい。
「わーてるって! 敵が現れてから鳴らないでよ!」
 気が利かないピコピコシステム。遅すぎる。なんかこう、予知機能ってやつ? 発動前に知らせてくれないものなの? こんど申請しておこうと想夜は思った。

 狐姫が珍しそうに見ている。

「なんだ? そのピコピコ。3分たったら元の大きさに戻るのか?」
「へ、変なこと言わないでよ! ただの探知機能だよっ」
 想夜は顔を赤らめ、水晶端末を大事そうに握り締めて身をよじる。
「……俺、変なこと言ったか?」
「言ったぢゃん、狐姫ちゃんのエッチスケッチニュータッチ!」
「カップ麺になっちゃったぜ。俺も干からびたもんだな」
 お湯をかければ戻ります。
 お互い、言葉の齟齬が起きてるようだ。紅潮して訴えてくる想夜を不可思議にながめる狐姫だった。

 こんなときでも能天気な2人。だが3分とは言わないまでもハイヤースペックを静めれば、自然に『男の子』も縮小する。狐姫の言ってることは当たっている。

「……ん?」
 狐姫は会場の外に気配を感じ、そちらに目をむけた。
 廊下を誰かが突っ切る。子供らしき人影。人間の臭いではなかった。まるで腹を空かせた野良犬のようにも見えた――狐姫はそれを見逃さなかった。

 狐姫がテーブルの上のパンを2つ、手に取る。一つをほお張ってエネルギーチャージ。もう1つは乱暴にポケットに突っ込んだ。
「御殿、ここを頼む――」
 真横から飛び掛ってきた小型暴魔を、狐姫は裏拳で弾き飛ばした。パンを口にくわえ、モグモグと口を動かしながら正体不明の輩の尾行を開始する。


ラテリア


 赤帽子の少女、ラテリア。魔族の召還に紛れ込んで人間界へやってきたのには事情がある。

 派閥抗争から再起した真菓龍まかろん社は、人間界で作られたエーテルポットをまねて作られた携帯用エーテルポットの存在にいち早く気づいた。小型化されたエーテルポットがあれば妖精は人間界で暴君のしほうだいだ。量産されればフェアリーフォースは縦横無尽に人間界に送り出され、人間界を手中に治めるだろう。

 危機を感じたエンジニアたちは打開策を打つため、エーテルポットの放電装置を完成させた。
 装置とはいっても小さな水晶。けれどその中には、エーテルポットに蓄積されたエーテルを持ち主の体内へ送り返すための追跡プログラムが詰まっている。と同時にエーテルポット自体を破壊するウイルスも含まれている。妖精界の技術の結晶だ。

 水晶の名は『エーテルリバティ』。

 リバティ。解放。エーテルの解放。自由を得る喜び。

 想夜よりも若いラテリア、エーテルリバティを華生に届けるためにやってきた。妖精界から人間界へ。はじめてのおつかい、にしては荷が重い。

 赤帽子たちがこぞって人間界にやってきたのは、このエーテルリバティが狙いだった。
 いまエーテルポットを破壊されると、妖精界にとっては都合が悪い。一つしかないモデル、それをベースに大量生産に踏み切る予定だ。簡単に破壊されるわけにはいかない。

 赤帽子の群れ相手に子供が立ち回るなど不可能。逃げるのが精一杯。

 手負いの果て、行き倒れたラテリアはMAMIYAの研究員によって救助された。そのおかげでしばらくの間、安全な場所に身を潜めることができた。

 けれど安全とは、いづれ崩壊するもの。

 事件が起きたのは数日前――かくまってくれていた研究員が悪魔に憑依されてしまった。

 憑依される前、彼女から無言の連絡を受けたラテリアは危険を察知し、彼女の部屋からエーテルリバティを持って逃げ出した。

 研究員は言う。「私に何かあったら逃げなさい」と。
 ラテリアはその言いつけをしっかり守った。

 ラテリアは後ろ髪を引かれる思いで逃げ出した。『あの人』を残してきたことに罪悪感を覚えている。けれど、なにもできない無力感が喪失感までをも引き起こす悪循環に陥る。

 ラテリアは逃走中、赤帽子にエーテルリバティを奪われてしまう。が、先ほどの想夜との戦いに紛れ込み、ようやく取り戻すことに成功した。

 この小さな塊をエーテルポットに叩き込めばラテリアの使命は終わる。けど、ポットの表面は堅く覆われており、それを破壊できる力をラテリアは持っていない。
 最初はハイヤースペックを共有した研究員に手伝ってもらう予定だった。けど、憑依された以上、『あの人』に託すことが出来なくなってしまった。

 そこで思い出したのが人間界に逃亡した華生のこと――ラテリアは華生にこれを託すことに全てをかけた。華生がこの聖色市にいると知ったのは数日前だ。


 もう少し、もう少しでゴールにたどり着く。華生に事情を説明し、エーテルリバティを渡せばそれでいい。あとはこの身がどうなろうと関係ない。
 ラテリアのゴールは指先が届くところまで見えていた。

 ぐう~。と音がなる。

「お腹がすいたな……」
 ぽつり、元気なくつぶやく。
 いつもは『あの人』が料理を作ってくれていた。
 1人で逃げてきたラテリアを暖かく迎えてくれた人。多忙なのに一緒に食事をしてくれた人。
 けど、ほんの2~3日でそれは終わった。すぐに平和は乱された。

 人間界に来てから2人の食事に慣れてしまった。安心してゆっくりとれる食事だったから尚のこと、1人になったときの寂しさは、子供にとっていっそう厳しい反動としてやってくる。

 ラテリアは来客用衣類置き場の隅へ身をよせるとタンスの陰に隠れ、膝を抱えてうずくまっていた。

 自分がエーテルリバティを持っていたせいで、『あの人』まで危険に巻き込んでしまった――薄っすらと涙を浮かべながら膝に顔を埋める。

 ――と、真横に誰かが座っていることに気づき、慌てて飛びのいた。

「うわあ!」
 目を丸くさせて驚愕するラテリアの前に、ベルトをジャラジャラさせた袴姿のブロンド少女――狐姫だ。先ほど、野良犬のような薄汚い赤帽子を見つけて先回りをしていたのだ。

 狐姫は体育座りで、幽霊のように目がうつろ。真顔で正面の壁を見ながら呟いた。
「おい、知っているか? 北京ダックって皮しか食べないんだとよ。さっきはじめて知ったぜ――」
 なんか、絶望を感じさせるトーンで言ってくる。

 さらに続ける。

「あまった肉の部分って何に使うんだろうな。 ……まさか捨てたりしないよな!?」
 ガクガクブルブル。狐姫、顔面蒼白で今にも泣きそう。よほど食べたいらしい。

 ラテリアがポツリと答える。
「『ばんばんぢー』とかに、使うんじゃないの?」
 はい。お店によっては頼めば出してくれます。
 目の前の獣に、いちおう答える赤帽子。噛み付かれたらたまらん。ラテリアだってお腹ペコペコなのだ。

 狐姫は少しホッとした表情を作ってはラテリアに呟いた。
「そうだよな? バンバンジーとかに使うんだよな? きっとそうだ、そうに決まってる。そうであってくれえええええ!」
 と、頭をかかえたあげく、意味なく指をワシャワシャ動かす。
 残った鶏肉の行く末をそこまで気にする奴も珍しい。


 閑話休題。


 狐姫がラテリアに問いかけた。
「華生に話があるんだろ?」

 ……コクリ。無言のラテリアがうなずいた。

 狐姫が袴のポケットをあさり、中からパンを取り出しラテリアに渡す。
「――ほれ。華生が焼いたやつ」

 ラテリアは遠慮がちに狐姫とパンを交互に見つめる。早く食べたい気持ちを抑えられない。生唾を飲み込む。もう……飢えて死にそうだ。

「いいの?」
「ああ。それ食って元気だせよ」
 ラテリアはパンに飛びついてほお張った。ここ数日間、逃げっぱなし。ロクに食事にもありつけてない。「ありがとう」も「いただきます」も言い忘れていた。それくらいお腹が減って死にそうだったんだ。

 涙と鼻水をながしながら嗚咽をあげ、しゃくりあげ、パンにがっついた。

 甘いパンのハズだけど、しょっぱい。
 危険に晒されているのだから味わうことすらできないハズなのに、それでも美味しいと思えるのは、安心という調味料にありつけたからだ。

 ホッとした時に心が軽くなる、あの感じ。調味料はいろんな感情から作り出されるんだとラテリアは知った。


「――俺、焔衣狐姫。ここでボディーガードやってるんだ」
「ひとりで?」
「んにゃ、相方がいる。尻とおっぱいデカくてトロい奴がな。2人とも仕事終わったらすぐ、この街とオサラバだけど」
「戦うのとか、怖くないの? 痛くないの?」

 狐姫は膝を抱えた。

「……怖いよ。スッゲー痛いときもある。さっきもそうだった。いつ殺されるかわからない。ビビッて眠れない時もあった。けど、臆病者のほうが生き残るもんだぜ? 用心深くなるし。相方の受け売りだがな」
「どうして克服できたの?」

 狐姫は少し考えたのち、こう言った。
「命を差し出してもいいという覚悟ができたから、かな」
「覚、悟?」
「そう、今、おまえが持っているやつ」
 狐姫は拳で軽くラテリアの胸を叩いた。
「ここに、しっかりと感じるよ。おまえの覚悟――」
 狐姫は八重歯を見せて笑顔を作った。
「なにがあったか話してみろよ。力になるよ」
 ラテリアの目に光が差し、一言、また一言と話し始めた。

 妖精界から持ってきたエーテルリバティ。フェアリーフォースから逃れてきたこと。人間界で助けてくれた女性の名前。その女性の人格が急変したこと。乱された平和――。

 ラテリアから諸々の事情を聞いた狐姫が爪をかじりながら考える。
 フェアリーフォースは多くの妖精たちを裏切ってきたようだ。それを耳にするたび、狐姫のはらわたは怒りで煮えくり返りそうだ。

 想夜は薄々気づいているようだが、真実をどこまで知っているのだろうか――狐姫はどこまで首を突っ込んでいいか分からないでいた。無論、すでに両足を突っ込んでいる自覚すらない。

 迫り来る脅威が大きければ大きいほど、小さな勢力はその存在すら認識できずに闇に飲み込まれてゆく。弱者の宿命からは逃れられない。

 狐姫たちには選択肢がある。
 闇に飲まれるか、切り裂くか。どちらかを選ばなければならない。
 自由意志があれば、魂の叫びを以ってして、正しい答えを選ぶことができる。

 狐姫が勢い良く立ち上がり、尻をはたいた。

「大体の事情はわかった。後は俺たちに任せておけ」
 狐姫はラテリアから受け取ったエーテルリバティをポケットにしまう。
「おまえを助けた奴、『あの人』で間違いないんだな?」
 ラテリアはしっかりとうなずいた。


愛宮の血


「華生!」
「はい、叶子様!」
「「アロウサル!」」
 叶子と華生は、ハイヤースペックを発動させた。

 ふたり、両手にネイキッドブレイドを握り締め、猛スピードで廊下を走りぬけ、歩みを止めることなく出会い頭の暴魔を斬り刻み、非常階段から1階のエントランスを目指した。

 非常階段も面倒なことになっていた。まだ避難していない者がいたのだ。その人達を救助しつつ、敵に打撃を与えなければならない。少しでも頭数を減らさなければ事態は悪化の一途をたどる。


 戦いの中、叶子は宗盛と合流する。
「宗盛!」
「叶子様! エントランスにいた者は皆、裏口から避難させました、叶子様も避難してください!」
 宗盛がうながすも、叶子は凜とブレイドを構えてニヒルに微笑んだ。
「見くびらないで宗盛、これでも愛宮の戦力を充分に担っているつもりよ? そうでしょ華生?」

 叶子が流し目でうながすと、「はい、叶子様」と華生がうなずく。決意は固いのでございます。

「華生、お前まで……」
 華生のことは信用している。それでも叶子様の身に何かあったら愛宮に顔向けができない――そんな宗盛の気持ちを察しているかのように叶子は諭した。

「心配しないで宗盛、私も華生も充分強いわ。ここで連中の足止めをするから、貴方は外にいる皆を避難させてちょうだい。愛宮の名にかけて、みんなを守り抜くの。いいわね」
「お嬢様……」
 叶子と華生。計4本のブレイドは飾りではない。

 なんと立派になられたことか。時間というものは、これほどまでに人間を成長させるものなのか――いつまでも叶子と華生を子供扱いしていたことを、宗盛は考えを改めざるおえない。

「お嬢様、どうかご無事で。華生……お嬢様をしっかり援護するんだぞ」
「はい、執事長」
「……こんな時はいつもの呼び方でいいんだよ」
 残念そうにする宗盛に「……仕事中ですから」と申し訳なさそうに言う華生。
 そんなやり取りを見かねた叶子が口を挟んできた。
「華生。3秒、休憩あげる」
 叶子に言われ、華生は宗盛に笑顔を贈る。
「――はい、お父さん」
 父親想い。
 叶子も粋なことをする。

 たった一言は3秒あれば充分だ。たった3秒で人の心を和ませてくれる。”一言”とは、そこまで強力なパワーを秘めている。

 言霊は誰にでも使える魔法の力。特別な力――。

 宗盛は心残り多くも、この場を2人に任せることにした。階段を下り、暴魔が群れをなす庭へと出てゆく。手にはスナイパーライフル用のジュラルミンケース。
「腹をくくれ! 覚悟を決めろ――!」
 宗盛の目に力が宿る! ライフルを取り出し、弾をこめた。


 愛宮邸2階。
 パーティー会場内を走り抜ける赤帽子に向けて、弾幕が飛び交う。

 小安班にまざり、援護射撃をする御殿が叫ぶ。
「小安様、対妖精弾では長い足止めができません。少しの時間稼ぎが精々でしょう」
「チッ! 分が悪いな……お嬢様は?」
「一階の援護に向かいました。華生さんが護衛についてます」

 転がったテーブルに身を隠して座り込む御殿と小安。銃を構えながら赤帽子の出方を待つ。

 小安が外の様子を横目でチラリと見る。視線の向こうの異変に気づき、眉をひそめた。
「お嬢様と華生。2人だけであの暴魔クソどもを相手にできると思うか?」
「え?」
「あれを見ろ」
 小安が顎でクイッと窓の向こうを促すと、御殿はそちらへ目を向けた。

 窓の向こう。前方に人影を2つ確認。

「叶子さん!? それに華生さんまで!」
 窓から見える非常階段の踊り場、そこで叶子と華生が敵に囲まれながら大乱闘していた。暴魔を斬っては進み、斬っては進み、そうやって一階へと下りてゆく。

 失敗したと御殿は思った――自分が受けた任務は叶子の安全も含んでいる。最後まで護衛するのが番犬の役目だ。

『犠牲者を1人も出さないで』――叶子の言葉に揺れ動く御殿。ここで赤帽子をしとめなければ犠牲者が出る。だが叶子の護衛が手薄になる。どうする、御殿――?

 小安が御殿の肩に手をかけて諭す。
「まあいいさ。叶子様の力を拝見するとしよう」
「余裕がおありなのですね」
 御殿が力なく微笑む。
「愛宮の人間は皆、家族みたいなものだからな」

 御殿は叶子の姿を見てふと感じた。
「――格段に強くなっている」

 先日の叶子とは比べ物にならないくらいパワーアップしていた。なにが叶子をそうさせたのかは分からないが、夜叉の称号を名乗っても違和感はない。
 今、叶子と殺りあったらどうなることやら。あまり想像したくない御殿だった。

 御殿の引きつった顔から何を悟ったのか、小安はニヒルに微笑み、
「つまり愛宮は無敵……そういうことだ!!」
 小安が発砲しながら後退。足元に転がる丸いテーブルを蹴り上げ、飛んでくる赤帽子に叩きつけた。

 きれいに並べてあった料理や食器が宙に散乱し、飛び掛ってくる赤帽子の死角をつく。
 テーブルに激突した弾みで赤帽子が体勢をくずして床に落下する。

 すぐに立ち上がる赤帽子めがけ、御殿が大皿をフリスビーのように投げつけた!
 大皿が直線を描いて飛んでゆき、赤帽子の顔に届く瞬間、銃を引き抜きトリガーを一回だけ引く。

 ドン!
 パリン!

 クレー射撃のように、みごと皿に命中!
 赤帽子の手前で割れた大皿の破片が目くらましとなる。御殿はそうやって鉤爪の攻撃を封じた。

 陶器の粉がお邪魔のよう。両手で顔を覆う赤帽子が乱暴に、周囲の白煙を払いはじめる。隙だらけ意外の何者でもない。

「隙ができたわ! 想夜お願い!」
 御殿が叫ぶとすぐ、天井から想夜が降ってきた!
「斬る!」
 人工衛星から撃たれたサテライトレーザーみたく、赤帽子めがけてワイズナーの一撃が一直線に投下!

 ドオオオン!

 勢いあまって想夜の着地ポイントにクレーターができ、床がベコリとへこむ!
 背中を斬られた赤帽子の動きが鈍り、そのままカーペットに倒れこんだ。と同時にプリズムを作り出して消えてゆく。
 想夜が叫ぶ。
「1人目、帰界させました!」
「でかしたわ!」
「ほお。大したもんだ」
「てへへ……わぷっ!?」

 グワチャアアアン!!

 想夜は誉められてちょっと舞い上がるも、その背中に2匹目からの蹴りをもらってしまう。悲鳴をあげる間もなく、頭からテーブルに突っ込み、派手な音を立てては料理の皿をなぎ倒した。折角のドレスがソースまみれだ。が、それはそれで美味しそうな体に調理された。

 倒れたテーブルの隙間から頭を出す想夜。
「や~ん、ホワイトソースでベトベトする~っ」
 もったいないとか、ちょっと食べたかったとかブゥたれている。
「大丈夫、想夜!?」
「もたもたすんな、殺られるぞ!」
 敵を目で追う小安が猫じゃらしで遊ばれている猫の目の動きをする。
「チッ、思ったより素早いな」

 赤帽子は赤い残像を残し、床から壁へ、壁から天井へ、そして再び天井から床へ――重力無視の動きで走りぬける姿は、動物園の猿か真夏の虫のよう。すばしっこく、目で捉えるのがやっとのこと。

 ババンッ!

 無駄な銃声が響く。御殿がトリガーを引いても弾をスルリと容易くかわされてしまうのだ。

「ぐあ!」
「きゃあ!」
 御殿のすぐ後ろで1人、2人と、ボディーガードが叫び声を上げながら斬られていった。
 御殿は銃を構えながら倒れた2人の首に手を当て、
「大丈夫、息がある」
 生存を確認したのち、比較的安全な場所へと引きずってゆく。

 たったの2匹に戦力が大幅に削られてゆく。愛宮の護衛ですらこのザマだ。妖精の力は人間の力を圧倒的に凌駕していた。


「痛たた……」
 料理に埋もれた想夜が起き上がり、天井を走り抜ける赤帽子に狙いをつけると、それに向かって飛翔した。
「逃がすもんですか!」
 赤帽子の体に飛び掛かり、体全体で押さえ込むことに成功――逃げる者、拘束する者、互いに空中で揉みあい、ぐちゃぐちゃに絡み合ったまま、想夜と赤帽子がテーブルの上に落下した。

 グワシャーン!!

 で、またまた料理が散乱。
 背中を叩きつけられた赤帽子が素早く身をお越こし、爪を大きく振って想夜を追い払う。
「はっ!」
 想夜が羽を使い、宙で体を後転させて攻撃をかわす。
 空振りした赤帽子が体勢を崩してつんのめる。落下したとき、足にダメージを負ったようだ。極端に動きが鈍くなっている。

 赤帽子が懇親の力を足にこめて想夜に突っ込んできた! が、手前に足を引っ張られてグラリと体を揺らす。スケートリンクでひとり勝手に尻餅をつくヘタクソな動きみたいに。

 それと向かい合う想夜も足をとられて前のめりになる。
「おととっ、床が動いた!?」

 想夜が部屋の入り口を見ると、御殿と小安がカーペットの裾を持って引っ張っているではないか。

 赤帽子が転んだ原因は、動いたカーペットに足をとられての事だった。
 向こうのほうで御殿が叫んだ。
「今よ想夜!」

 コクリ。想夜が力強くうなずく。
 羽にブーストをかけ、起き上がったばかりの赤帽子に突っ込んで行き、一直線にワイズナーを叩き込んだ!

 赤帽子と一緒に壁まで一気に突っ込む想夜。ワイズナーの矛先が壁にめり込むほどの勢いだった。

「ギャッ!?」
 体を貫かれた赤帽子が奇声を上げ、プリズムの破片となって消えてゆく。

「――2匹目、帰界させました……ふぅ」
 ふぅ。
 つかの間の安堵。想夜はワイズナーを手にしたまま、汗や料理でよごれた顔を腕で拭った。


 小安が外の異変に気づく。
「なんだ!? 庭が騒がしいな」
「わたくしが見てきます」
「待て、咲羅真御殿」

 素早く動く御殿を小安が引き止め、長いジェラルミンケースを取り出し手渡す。

 御殿がケースの中身を確認した。
「これは……スナイパーライフル?」

 H&Kヘックラーウントコッホ PSG-1。管理が大変なのであまりお目にかかったことはない。
(ミュンヘンオリンピック事件? ”黒い九月”と戦えとでもいうの?)
 それが御殿の最初の感想。
 ちなみに黒い九月とはパレスチナ武装勢力のこと。

「テロを制圧しろとでもいうの?」
「九条さんが貴様に使ってほしいんだとさ」
「九条様が?」
「貴様の腕を見込んでいるのだろう」

 小安は弾の入った小さいケースを御殿に投げてよこした。御殿はそれを片手でキャッチする。

「あと、小安様ではなく班長と呼べ。愛宮との契約期間内、貴様はオレの部下なのだからな」
 なぜか目をそらす小安に御殿は素直に従う。
「わかりました、班長」

 御殿がケースを開けると中にはバイポット、通常弾が2発とアーマーピアッシングが1発収納されていた。すべて退魔弾。大型暴魔に効果が期待できそうだ。

(御殿、覚悟を決めるの――)

 御殿はライフルにバイポットを取り付け、通常弾をセットした。
 手馴れた弾丸転送。御殿は外国での生活を思い出している。
 一部始終を見ていた小安は、御殿のことを気の毒に思った。「コイツも戦争の犠牲者なのだ。血で血を洗う生活を送っているのだ」と。


 くいっ、くいっ。

 スーツの背を引っ張られた小安が振り向くと、想夜が物欲しそうに眺めてくる。
「ねえねえ、小安さん」
「なんだ、妖精娘? トイレならそこの角を右だ。大か? 中か? 小か? よし大か。ちゃんとケツを拭いて来るんだぞ。流し忘れるなよ。音っ娘おとっこボタンを押しすぎるなよ、故障の原因になる。あと『さん』はやめろ『様』をつけろ」

 小安、妖精と目線も合わせない。適当。早口。想夜をウンコのついた子供扱い。
 サイテーな男だな。と周囲にいる全員が思った。もっともここまでデリカシーを無視できるのだから、ある意味大物。

 ちなみに消音機能の『音っ娘ボタン』を押すと小川のせせらぎが聞こえてくる。連打するとナイアガラの滝の大音量になるが、こちらは使用すると恥ずかしい。大半の女性はその理由を聞かれたくない。

 呆れて物も言えない想夜がやっと口を開く。
「……そうじゃなくて、あたしもなんか欲しい。なんかください」
 と、駄々をこねるように手を差し出した。お願い上手はおねだり上手。
 おい小安、なんかくれてやれよ。

 小安はそのへんにあった飲み物を適当に選んだ。

「――ほれ、紅まむしドリンクだ。これ飲んでとっとと屋敷内の敵を一網打尽にしてこい。さっさと行けよノロマ」
 酷い扱い。

 想夜は紅まむしを一気にあおった。
「グビッグビッグビッ。ぷはー」
 斜め45度、腰に手を当てていい飲みっぷり。湯上りだったらサイコーなのに。

「あたしも一応、パーティーに招待されたのに……護衛じゃないのに」
 文句を言いながらもいい飲みっぷりだったぞ。やる気満々じゃないか、ションベン妖精。
「こんなに可愛いドレスだって着てるのに」
 と、裾をつまんでご披露。
「なにを言う貴様。武器を持ったら戦士の証ではないか? 違うか? んん?」

 小安がえらそうに力説を始める。

「そもそもジュネーヴ条約というものがあってだな。つまり、武装しない街や人を攻撃してはいけないんだよー、みたいなクソな条約がある。だが、そんなもんは戦争が始まっちまえばただの口約束、紙切れ一枚の約束事。敵は容赦なく一般人を攻撃してくるだろう。だというのに、貴様はしっかり武装しているではないか。武装しているものが戦いを好物としないでどうする? 弾幕なんてポップコーンみたいなもんだと思っているのだろう? アチッ、アチッとかフライパンから飛んでくるコーンを可愛らしく避けるフリしてつまみ食い。ちょっと塩が足りないな~とか何とかほざきつつ、ドバドバ振りかけては塩分過多。ダイエットに成功した友人を前に、いいなーあたしもダイエットしよーかなー、とか言っておきながら次の日には別の友人とケーキバイキング。焼肉店では決まって血の滴るような生肉を注文して焼かずに歯で食いちぎり、翌朝トイレで大変な事態に陥るのだろう? そう、おまえは血に飢えた犬だ! メス犬だ! 違うか!?」

 くわっ!!!! 小安が振り返った。
 ――が、すでに誰もいなかった。

「…………違うか」
 ぽつーん。
 シンと静まり返った会場。小安は1人、たたずんでいた。


ピンクのマニキュア


小安がブツブツと独りで喋っていたようだが、まあ気にすることは無い。想夜と御殿はパーティー会場を出た。

「想夜、二手に分かれましょう」
「はい。御殿センパイ、気をつけて」
「アナタもね」
 そう言い残し、御殿は想夜に背を向けた。

 ライフルを持って走る御殿はどこか手馴れていて、映画に出てくる軍人みたいに思えた。そうやって戦場へと赴き、生きて帰ってきた者がいる。帰ってこなかった者もいる。でも、それは全部、映画の中の出来事だ。
 きっと無事に帰ってくる。御殿の背中を見つめる想夜だった。


 想夜の膝がガクンと下がる。赤帽子を何体も相手にしたので、今になって体力にこたえてくる。

 2着目のドレスも酷い有様、体のあちこちが痛み、「一人で大丈夫なのか」と単独行動が不安を煽る。周囲に妖精だと打ち明ける前までずっと1人で戦ってきたのだから、単独戦は慣れっこのハズなのに。

 1人になった今になって、友達の温もりを欲する自分がひどく甘えん坊に思えて苛立つ。
 甘えん坊で、温もりが欲しくて、いつも誰かを想っている。けれど、それが正直な気持ちであり、自分をわかってあげられるということ。自分を愛してあげられるということ。甘えん坊の自分でもいいんだと思うことで、また自分のことを好きになる。

 自分のことがわからないということは誰にでもあるけれど、心に正直に向き合えば魂も喜ぶもの。
 心とは不思議なもの。自分のものなのに、他人の心のように感じとれない時がある。だからこそ、分かり合えた時間は貴重なものとなる。

 想夜は自分の心に近づけた気がして、何だかちょっぴり大人になった気がした。


 想夜は警戒を緩めることなく、カーペットが敷かれた長い廊下を走りぬける。
 途中、狐姫の背中に刺さった赤帽子の爪が気になっていた。背中から取り出されたそれを見たとき、少量ではあるが塗料が付着していたのだ。

 見たことある色。
「ピンクのマニキュア……」
 想夜は左小指を見つめた。

 ほんのり色づくピンク――これと同じ色合いの物的証拠。ザッパーを撃ったのは『あの人』なのだろうか?

 狐姫の背中に刺さった爪は、外へ向けてザッパーが発動していたので軽症で済んだ。
 ザッパーは強力な飛び道具。その気になれば狐姫は内蔵をズタズタに切り裂かれ殺されていた。

 はじめから殺す気がなかったとでもいうのか?

 もし、叶子の背中に刺さっていたのなら、同じように体の外側へザッパーが発動したのだろうか?

 それとも誰が叶子を消す必要があるのだろうか?

 もしあるとしたら、相手は叶子がスペクターであることを知っているのだろう。でなければ、普通の人間相手にわざわざ強力な能力など使ったりしない。
 そうなると華生を消したほうが効率がよいではないか。華生なくして叶子のハイヤースペックは発動しない。叶子はただの少女になるのだから。

 つまり、敵の目的の一つは、華生に傷を負わせないことが狙いなのだ。が、矛盾しているとすれば、夜の工場跡で華生も一緒に襲われていた。2人してボロボロになって帰ってきたじゃないか。

 ――となると、敵は一つではない。

「複数の勢力を相手にしているとでもいうの?」
 容赦なく殺しにかかってくる赤帽子の大群。
 MAMIYAへの関与をやめるように促してくる勢力。
 深夜のMAMIYAでの襲撃。

 ――『あの人』は別々の勢力なのか?

 それらを推測すると、MAMIYAへの関与をやめれば、一つの勢力を黙らせることができるが、MAMIYAが手薄になる。いっぽう赤帽子の群れはお構いなしに想夜たちを消しにくるだろう。
 叶子の操作に失敗した『あの人』は、次の行動に打って出るはず。

 赤帽子たちはフェアリーフォースが放った駒。シュベスタと関りがあり、MAMIYAの妨害を企てる存在。

 ――なら、愛妃家で奇襲を企んだのは誰だ?

 ――叶子を御殿にぶつけようとした人物とは?
 フェアリーフォースか?
 シュベスタの者か?

 1つ分かっていることがある。
「狐姫ちゃんの背中に爪を仕込んだのは、『あの人』しかいない」

 ――では叶子を煽って道化に仕立てたのは『あの人』なのか?

 『あの人』は複数いる。
 『あの人』≠『あの人』。

「何にせよ、答えはこの先にある」
 想夜はある部屋の前で立ち止まり、ゆっくりドアノブに手をかけた。
 その時――

「――想夜」
 誰かが想夜の肩に手を置いた。
「狐姫ちゃん」
「――1人じゃ無理だろ。手伝うぜ」
「……うん」
 想夜は力なく頷いた。


 想夜がはじめてMAMIYA研究所を訪れたときに思ったことがある。それは、女性研究員の一人が魔族に憑依されているかもしれないという事だった。『あの人』を見たときに妙な違和感があったのだ。けれど自信と確証がなかった。

 狐姫も同様。憑依されたものを嗅ぎ分けることはできれど、魔族が体内で気配を殺してしまえば臭気すら分からない。ましてや他にも暴魔がまぎれこんでいたのだから厄介な事態に陥っていた。

 はじめてMAMIYA研究所を訪れたあの時――想夜と狐姫はそれを対処すべきかどうか、難しい判断を迫られていた。
 結局、放置することを選んだのだ。

 一歩踏み出すことを躊躇したが故の結末――それが、このザマだ。

「あたしがもっと早く気づいていれば――」
「自分ばっか責めるなよ。汚名挽回といこうぜ」
「ふひひ。汚名挽回しちゃうの?」
 想夜がクスリと笑う。
「ん……? 汚名返上か。間違えた。てへぺろ」
 狐姫が殺る気満々でほくそ笑んだ。

 2人がゆっくり、同時に扉を開ける。
 そこで待っていたのは、一人の女性研究員だった――。


愛宮流奥義


 非常階段の下から暴魔の大群がよじ登ってきた。
「こっちは大賑わいね。華生、引き返しましょう」
「はい、お嬢様」
 2人は来た道を引き返し、非常階段から2階のテラスに飛び移る。

 周辺に群がっていた敵を片付けて窓から屋敷に侵入、ふたたび長い廊下を忍のように走り抜けてゆく。

 自宅が広いと運動不足の解消になって健康的だ。
 暴魔が群がる中央階段を避け、遠回りして突き当たりの階段を下ると、一階のエントランスが見えた。

 枝豆の房のような腕から何十発ものパチンコ玉のような硬い弾丸を撃ってくる暴魔がいる。それも何十体。

 射撃暴魔の飛び道具が叶子と華生の行く手を阻んだ。

 叶子が高くジャンプして弾丸を回避。エントランスに飛び込み、落下と同時に暴魔の一体を真っ二つにした。
 叶子の着地後に隙ができ、横から狙撃されるも、飛んでくる数百発の弾幕を華生が2本のブレイドの腹で器用に弾き続ける。右は順手持ち、左手は逆手持ち。右へ左へ。上から下へ。ブレイドをずらして寸分の狂いもなく弾き返す。精密で俊敏な動きは妖精特有のものらしい。

「きゃああああああ!」
 突然の叫び声、叶子がそちらへ振り向くと、女生徒がひとり、恐怖に慄きうずくまっている。

「まだ避難してない人がいたのね!」
 女生徒を丸呑みしようとする暴魔が口を大きく開けていた。
 叶子はブレイドの一本を大口開ける暴魔に向かってブン投げた。

 ブーメランのように回転しながら飛んでゆくブレイドが敵の額に突き刺さり、間一髪――女生徒に被害が及ぶことは無かった。が、プレイドを捨てた叶子の右側に隙ができ、そこへ飛んできた敵の弾が肩をかすめた。

「うっ!」
「叶子さ……きゃぁ!」
 狙撃された叶子の肩から血しぶきが上がり、軸足を中心に体を半転させながらよろめく。

 ハイヤースペックのダメージも共有。衝撃が大きければ、叶子が受けるダメージは華生にも伝わり、華生の受けるダメージは叶子も伝わる。ダメージ転移もハイヤースペックの副作用のひとつだ。

 叶子がよろけた瞬間、華生も同時に悲鳴を発してよろめいた。そこへ今度は、華生のほうに隙ができてしまい狙撃を受けることに――腕に一発、足に一発。
 叶子と華生、2人同時に血しぶきを撒き散らした。

 水溜りで転んだ少女のように、両手で這いつくばって必死に立ち上がろうとする叶子。
(大丈夫よ、腕の傷も足の傷もただの擦り傷。水溜りだって、ほら……ただ赤いだけ。ただの鉄の匂いがする赤い水溜り――)

 赤い水溜りはよく滑る。

 叶子は床についた手を滑らせ、その反動で顔半分がベシャリと水溜りに沈んだ。

 ピクリ。
 叶子の指先が何かを求める。細い指のその先に、華生がいる。
「叶子、さま……」
 華生は叶子の指先へと、その手を伸ばしてくる。叶子にとって、その姿がどれだけ愛おしく感じることか。
 指先と指先が触れた瞬間、叶子と華生は笑顔に力が入った。

「こんなところで――」
「――寝ている場合ではございませんね」

 叶子はゆっくりと立ち上がると、スカートの裾をやぶり、足の付け根までに達するほど深いスリットを入れた。
「――この方が動きやすいわ」
 スリットからガーターベルトと白い太股が露になる。

「倒れてもブレイドだけは離さなかった。これは愛するものの手と同じ。離してはいけないもの。ただの二刀流だなんて……思わないでちょうだい――」

 叶子は華生の手からブレイドを受け取ると、自分のブレイドとあわせて一本の長剣を作り上げた。
 あまりの長さでひしゃげるブレイド。それを両手で力いっぱい握り締め、目の前に広がる獣の群れをギロリと睨みつけた。

「おまえら全員……そこへ並べ――」


 叶子がヒールを乱暴に脱ぎ捨てて裸足になる。
 バッターボックスに立つ選手のように大きく足を広げ、ドレスの裾を捲り上げ、シコを踏むよう、その場で踏ん張った。

「せっかくパーティーにいらしたんだから、おもてなしをしなきゃね」

 こぼれた前髪の隙間から赤く鋭い目が覗き、ギラリと光り――

「ご賞味あれ――」

 叶子は長く伸びたネイキッドブレイドを構え、大きく振りかぶった。

「これが愛宮流……ギロチンザッパーだ!!」

 叶子の咆哮がエントランスに響いた!

 タン!!

 叶子は片足を踏み出し、ありったけの力を込めてブレイドをフルスイング――大木に斧を叩きつける木こりのように、上半身に捻りをきかせてエントランスの中で横一線を描く!

 ドレスの裾がヒラリと舞い、花びら開花。赤い瞳が残像を作り出す一瞬の出来事、

 ズパッ、ズバズバズバズバ!! スパーン!!

 横殴りのギロチンが無数の暴魔の首をねあげていった!

 ブレイドに触れた者、触れてない者、両者ともズバズバと首を、胴体を、刎ねられてゆく!

 能力を発動したときのスピードと暴走した時の馬鹿力が合わさった動き。横一文字にスライス、かまいたちを作り上げては遠距離の敵まで一撃で仕留める!

 敵の強弱は関係ない。首を刎ね上げ一網打尽にする技――それが愛宮流奥義・ギロチンザッパーだ!!

 井戸の中から出てきた某女よろしく、うなだれた叶子が乱れ髪をかき上げた。そうして後悔するのだ――想夜の言うとおり、ザッパーは酷く体力を消耗させるのね、と。

 傷ついた体でザッパーを撃ったのだ。常人なら立っていることもできないだろう。
 だが彼女は叶子、愛宮叶子。MAMIYAのご令嬢。そしてハイヤースペクター。ザッパーを撃ってもなお、次の相手にさらなる一撃を! そうでなければ愛宮叶子は務まらない。


 

叶子を演じられる女優は、世界でただ1人!
 
 それが愛宮叶子だ!!



 首を刎ねられて横たわる暴魔の体を踏みつけ、別の暴魔がワラワラと屋敷内に侵入してきた。
 たちまちエントランスが暴魔で溢れかえった。
 叶子と華生は敵の前に立ちはだかった。

 砦となりし2人のジュリエットは己を奮い立たせた――覚悟を決めろ! 腹をくくれ! 敵を一歩たりとも通すな!! と。

 叶子が一歩、前に出る。
「愛宮を――」
 叶子はブレイドを分解、2本の形状に戻して体勢を立て直す。
 そして――
「愛宮を……なめるなあああああああ!!!!」
 ギラリと光る叶子の瞳が、赤いテールランプの残像を作り出して前進――単身、暴魔の群れに突っ込んでいった。


『あの人』


 宗盛の無線は使えない。ここに来る途中でインカムを暴魔にやられたからだ。

 見張り台に立つ宗盛がスナイパーライフルを組み立てていると、大型暴魔の何体かが頭を打ち抜かれ、その場に倒れてゆく。
「ん?」
 宗盛が顔を上げると、少し離れた場所に1人、合図を送ってくる人物がいた。

 宗盛がスコープを覗き込むと、屋根の上に長い髪がなびいている。

「――む? あれは咲羅真さま……」

 照準の中には御殿の姿――その手にスナイパーライフルが握られている。ハンドグローブを装着した手で凛として立つ姿が様になっている。夜風になびく長い髪と衣服が羽衣をまとう天女のようでいて、武器を持たせることで神秘さを軽減させてしまうのではないか、と宗盛は勿体無さを感じた。

 御殿は狐姫に合図をおくるのと同じように、宗盛にハンドサインを送ってくる。インカムが壊れていることを察しているのだ。

『大型暴魔を、わたし達と貴方が撃つ。仕留めた、後は、屋敷内の、援護に、向かう――』
 と、宗盛は御殿のサインを読む。

 宗盛が御殿に向けて合図を送り返す。それと同時に2人のスナイパーはその場にうつ伏せ、スコープの中を覗いて構えた。

 御殿の銃口角度は、大型暴魔の左足首に照準を合わせてた。足止めをして進路を断つつもりだ。

「ならばわたくしは……」
 宗盛は大型暴魔の右足首に狙いを定めた。

 2人、そのまま息を吸い、己の感覚が研ぎ澄まされたのを見計らい息を止めた。瞬間――

 バシュ!

 トリガーを引くタイミングは寸分の誤差もなく、2つの銃弾はそれぞれのポイント目掛けて発射された。
 2箇所で同時に白煙が上がる。ライフルの銃口から放たれた対魔用アーマーピアッシングが風を切り、コーン型のスパイラルを残しながら大型暴魔の両足目がけて突っ込んでいった。

 中庭にヘドロの血が舞い上がり、暴魔の両足首が同時に吹き飛ぶ!

 ズウウウウウウン……

 巨大な体が地面に落下すると、小さな地震が建物を揺らした。

「おっと……」
『九条様!』。狙撃を終えた御殿が身を起こす。
 安心したのが災いだった。宗盛は足をすべらせて、屋根から落下。幸いにも場外に設置された受付用テントの上でバウンドして背中から茂みに着地する。すぐさま立ち上がり、近くで倒れている護衛からインカムを剥ぎ取ると、御殿に向かって叫んだ。
「咲羅真さま、屋敷内に向かってください」
『ザッ……お怪我は?』
「足を少し捻りました。ここで他の敵を食い止めますので、ご心配なく」
 捻った。とはいえ、痛みの経験から察するにすぐには動けないだろう。

 参ったねコリャ――宗盛はハンドガンに持ち替えて応戦を始めた。

 インカムから美女の声が聞こえる。
『了解しました。これから建物内に向かいます』
 ザッ。
 無線が切れた。

「若い子は元気だよね……、頼みましたぞ。漆黒のエクソシスト。いや、黒き天女」
 周囲を黒い影に囲まれる中、宗盛は銃をかまえ、目の前の暴魔に狙いを定めた。


 もはやこれまでだろうか?
 叶子が長い髪を乱して片膝をついていた。息もすっかりあがっており、すぐには動けない。
 すぐ横で華生が寄り添うも、万策が尽きていた。

 何百もの暴魔の首を跳ね上げたのだ、かなりの体力を消耗しているのも無理は無い。それでも叶子は立ち上がらなければならない――MAMIYAのため、華生のため、みんなのために。

 無情にも叶子と華生は暴魔に囲まれてしまった。
「叶子さま……」
「華生……」
 あなただけでも逃げなさい。と言ったところで、華生は命令を無視するだろう。そういうところは頑固なんだから。けど2人で死ねるのなら、それもいいか――な~んて、叶子は力ない笑みを浮かべる。
 大量の出血から視界がぼやけ、指先に力が入らない。

 もはや限界か。
 ]叶子の指先からブレイドが抜け落ちる。
 まさにその瞬間、事態は一変した。

 ――バンッ!

 玄関のドアが勢いよく開く!
 叶子が扉のほうへ視線を向けると、そこに黒い人影。外から銃をぶっ放しながら漆黒のエクソシストが歩いてくるではないか。夜だというのに、光の中から現れた女神にも見えた。
「咲羅真さま!」
「これからいいところだったのに……遅いわよ、エクソシストさん」
 ちょっと膨れっ面の叶子が毒づくが、内心ホッとしている。
 御殿の周囲を暴魔が囲んだ。
 刹那――

 ドンドンドンドンドドドドドドドドッ!!

 エントランスの中央で狂ったように髪とパレオをひるがえらせ、上下左右、360度、御殿は撃って撃って撃ちまくる!

 赤いレーザーサイトが乱れ飛び、空気のスパイラルがあたり一面を突き抜けてゆく。

 ドンドドドドドドン! ドドドドドドンドドドドドッ!!

 四方八方から暴魔が飛び掛ってくるが、一発も外すことなく頭を打ち抜いてゆく!
 薬莢を撒き散らし、煙が充満する中で、1人の踊り子が天女の舞いを披露しながら狂喜乱舞する!

 右の銃でトリガーを引きながら、空いた左手で懐のマガジンを手前に2つ放り投げ、空になったマガジンを切り離し、宙で回転するマガジンと入れ替える。

 打った弾数を覚えているのか、寸分の狂いがないリロード。それも当然のこと。だって御殿はプロなのだから。


 エントランスの暴魔を一掃する頃、銃を構える御殿がゆっくり前進しながら叶子と華生に近づいてくる。
 叶子の手前、御殿はしゃがみこんで叶子の安否を気遣った。

 あたり一面、血の海。酷い光景。

「あまり見ないで御殿さん。月一のお客様が来たのよ」
 叶子の冗談に御殿は呆れ、苦笑する。ピンチの時は決まって冗談を言うご令嬢。まったく、素直じゃないんだから。
「よく持ちこたえたわね、2人とも。立てる?」
「わたくしは、何とも……ございません」
 生まれたての小鹿のように華生が足を震わせながら踏ん張り、叶子の元へと近づいてゆく。
 叶子は華生が差し出した肩に手をかけた。
 手を差し出すつもりの御殿だったが、いらんお世話だったみたい。
「わたしの肩は必要ないみたいね」
「私を……誰だと思っているの?」
 野暮なことは聞かないで。私は愛宮叶子。他人の肩など不要よ(ただし華生は除く)。

 御殿は苦笑しつつ、ため息交じりで言う。
「――そうね。あなたは愛宮叶子だものね」
 と。

「そう、鋼鉄の女、愛宮叶子よ。超合金叶子ちゃんって呼んでちょうだい」
 フフン、どんなもんですか。と、言わんばかりに叶子は鼻高々に笑みを作る。
「叶子さま、先ほどのザッパーの反動で鎖骨にヒビが入っておりますよ」
「い、痛くないもんっ。一網打尽にしてやったんだもんっ」
 プイッと華生から顔をそらした。まるで子供だ。
>  御殿は肩をすくめてから、インカムを手にする。
「――こちら咲羅真御殿。狐姫、今どこ?」

 インカムから甲高い声が響いてきた。

 叶子も御殿の耳に近づいては、インカムからこぼれる声を拾っている。
『ザッ……御殿? 御殿か!? 今どこにいんだよ、そっちは大丈夫か!?』
 インカムに噛り付くように訴えてくる。よほど心配をかけてしまったらしい。御殿は申し訳なく思った。
「叶子様と合流した。華生さんも一緒。そっちは? 今どこにいるの?」
『2階だ! 今、想夜と2階にいる!!』
「様子がおかしいわね」
 叶子の言う通り、インカムから聞こえる狐姫の声は尋常なトーンではない。

 御殿、叶子、華生が互いを見ては息を呑む。

「狐姫、今そっちに向かうわ」
『ダメだ! 来るな! 来るんじゃない! コイツ……かなりヤバイぜ!』
 御殿の顔が凍りつく。インカムの向こうで何か起きているのは明白だ。

 御殿、叶子、華生がふたたび顔を見合わせた後、インカムに話しかけた。

「狐姫、そこで何が起こってるの? 状況を伝えなさい」
『クソ! なんだよコイツ! 早すぎて動きが読めねえ!』
『狐姫ちゃん、上! 伏せて!』

 苦戦をしいられているようだ。ときおり聞こえてくる金属音のぶつかり合う音や、想夜と狐姫の掛け合いが聞こえてくる。

『いま想夜が応戦している! 敵は悪魔に憑依されてるぜ!」
 狐姫の声が続く。
『しかもスペクターだ! ハイヤースペックを使ってきやがる!』
「ハイヤースペックですって!?」
 叶子と華生が険しい顔を見合わせた。

 ――敵は、悪魔に憑依されたハイヤースペクター。

 御殿が叫ぶ。
「狐姫! いったい誰を相手に戦っているの!?」
 インカムから聞こえてきた名前に、御殿と叶子は耳を疑った。

『敵は赤帽子のハイヤースペクター、鹿山詩織だ!』