序章

 約2年前、ひとつの街が業火に包まれ消滅した。

 海と山に囲まれた開放感のある街――人口約3万人。夏の浜辺は賑わい、海の家が立ち並ぶ。冬になれば街頭のイルミネーションが夜を彩り、人々の心を暖めてくれた。

 ――消滅したのは、そんな街だった。

 事件の真相を知るものは少ない。市民のほどんどが死んだから、状況を伝える者がいないのだ。
 当時の現状報告がごく一部だけ残っていたので以下に記載する。
 
 『逃げ惑う人々は奴らに捕まり、無残にもはらわたを引きずり出され、ピクリとも動かない。あたり一面に無数の死体が広がっていた。死んだ人々を弔うまでもなく、炎の海がそれらを焼き払った。そして地獄は無に帰した――』
 
 震災による被害で消滅したのだろう。
 いや、運送中に逃げ出した獰猛な動物の仕業だろう――メディアは競い合うよう好き勝手に書き立てたが、誰ひとり真相には近づけなかった。

 実のところ、絶滅した街にも数人の生存者がいた。
 以下は彼らの日記の一部と証言を抜粋したものだ。
 ※なお、各所に記述されている個人名は削除済みである。


『生存者の証言』からの抜粋より。


 『妖精は美しく、心優しい――』
 くだらない妄想――最初に言った奴を殴りたい。

 怒りに身をまかせ、我を忘れたその姿は、地獄の悪魔よりもずっと残忍で極まりなかった。
 とくに酷い怒りを見せる時がある――それは人間にたばかられた時だ。

 人は妖精に近づき、騙し、利用する。
 ああ、分かっている。悪いのは人間だ。
 いつだってそうだ。人間は兵器を生み出す生き物だから。戦争を生み出す生き物だから。
 悪事利用されたと知った時の妖精たちの狂いっぷり、あれは正気の沙汰ではなかった。
 人間たちの首筋を噛み千切り、はらわたを引きずり出し、それらをむしゃぶりつくす光景――妖精たちの逆鱗にふれると、そんな宴がひらかれる。

 先日、それを目の当たりにした。
 そうして理解したんだ――地獄絵図を描くか描かないか。それは人間次第であるということを。
 ただひとつ。惨状が起こってしまった今だから言える言葉がある。それは……

人間達が調子に乗らなければ……
こんな物語は生まれなかったんだ――


1 リボンの妖精

 流れ星が2つ、夜空に舞う。
 小さいの、大きいの。
 小さな一粒が孤を描くたび、もう一方の巨大な鳥形をした飛行物体が黒いしぶきを撒きちらす。けれども大木のように太く伸びた手は、小さな流星を掴んで離さない。『暴魔ぼうま』と呼ばれる地獄の使者だ。

 暴魔――そのほとんどが巨大な体で、何らかの動物の形に似ている特徴を持ち、悪魔祓いが用いる除霊詠唱にも耐久性がある。
 暴魔に対抗する暴力行為専門のエクソシストもいるほどで、非常に頑丈な生物。聖水や強力な物理攻撃が主な撃退方法である。
 ちなみに妖精たちは、この巨大で邪悪な精神を宿した暴魔が大の苦手である。

 暴魔の腕からスルリと抜け出した小さな流星は、巨大な暴魔にものすごい速度で突っ込んでゆき、鋭利な刃物で斬り裂いた。と同時にブシャッ! と全身に返り血を浴びる。
 服にこびりついた黒い血はヘドロのような悪臭を放ち、それが心まで染み込んできそうで嗚咽をあげそうになるが、しばらく空気にふれていると蒸発して白い煙を舞い上げて消えてゆく。
 こびりついた悪臭はしばらく消えないので注意が必要。そろそろ洗剤を変えようかと思っている。フワフワのファー○ァがいいだろう。あれなら柔軟剤も入っててお徳感がある――クマさんもカワイイし。

 一撃一撃が繰り出す衝撃が夜空一面に走り、ひんやりと澄んだ空気を激しく揺さぶる。空に通行人がいたら間違いなく吹き飛ばされている――それほどの風圧を兼ねた衝撃波で遠くの雲が逃げてゆく。

 戦場の舞台を照らす月光のスポットライトが、一粒の流星を照らしだした――そこに見えたのは、人間離れした透き通る白い肌の持ち主。くりっとした大きな瞳は早朝の泉のように青く澄んでいて穢れを知らない。サラリと風になびく髪もまた、雲ひとつない空のようにさわやかな空の色。西洋人風の色白で鼻が通った小顔。半袖を肩まで捲り上げてノースリーブ風にしたセーラー服、襟元から見える小さな肩からはミニスカートを吊るすサスペンダーがかけられ、伸びた細い足にはニーソックス。
 孤を描くたび、笹のように尖った耳とリボンをなびかせる。
 セミロングほどに伸びた髪を淡いピンク色の大きなリボンで束ね、子ギツネの尻尾にも似たポニテを、オスでも誘うかのようにフリフリと揺らしている。
 小動物のような容姿。月明かりをあびた4枚の羽は、黒血に染まりながらもその純潔を忘れない――人間なら誰もが心に描く妖精の姿がそこにあった。

 少女の名は雪車町 想夜そりまち そうや――数年前、妖精界からこの人間界にやってきた。

「あたし、妖精界と人間界のために頑張っちゃうんだからっ」
 俄然張り切る。透明な羽を寸分の狂いもなく、慣れた手つきで舵を切るように飛行する想夜。
 手には大剣を握りしめている。4枚の羽と同様に両刃、持ち主の背丈ほどあり、矛先から柄にかけて槍状、柄はリヴァイアサンの本皮を使用しており日本刀の握り部分と同じ形状。槍の左右に刃が備え付けられている、剣と槍が合わさったような一風変わった形状。それらのパーツ同士をシルクのリボンで蝶々結びにまとめている。乱暴で繊細――なんとも、和風じゃじゃ馬ガーリッシュなウェポンである。

 想夜の愛用品。リボンで紡いだ妖精界可動変形兵器『フェアリーフェイス・ワイズナー』。

 成人男性の腕力でもズシリと重く感じるワイズナー。それを体の一部のように細腕で軽々とあつかう。
 そこにいるのは妖精の姿をした冷徹マシーン。
 妖精が優しい生き物だなんて誰が決めたの?
 想夜の斬撃は、それらの迷信を一蹴するほど凄まじいものだった。

 暴魔が速度を落とすのを見計らい、想夜はトドメとばかりにワイズナーを構えた。が、その一瞬の隙を暴魔に突かれて、小さな体が鉤爪で掴まれてしまう。
「しまった!」
 想夜をわしづかみにして一気に急降下を始める暴魔。
「せめて片腕だけでも――」
 歳相応の細い体をよじらせてワイズナーを手にした右手の自由を得る。

 ガシガシ! ガンガンガン!

 暴魔の鉤爪をワイズナーの柄で何度もぶん殴り、振りほどこうと暴れまくるも、爪は想夜の背中、手足、首などに食い込んで右手以外の自由を許さない。敵の握力は想夜の背骨が折れ曲がるほどに強く、今にも握り潰されてしまいそうだ。
「うああああああああああ、ダメだ! 間に合わない――!!」
 地上の建物が視界に迫り、想夜の体は勢いよくアスファルトへ叩きつけられてしまう。

 ドッ!

「うげっ!」
 すべての臓器を直に殴られたような衝撃で意識が軽く吹っ飛ぶ。
 西部劇の荒野に転がるゴミ草のごとく、車の無い国道をゴロゴロとバウンドしながら、最後にはビルの壁に背中から突っ込んだ。
 隕石でも落下したかのように、ビルの壁に等身大のクレーターを作ってしまう想夜。スカートからスラリと伸びるニーソに包まれたふとももをむき出しにして身悶えている。
「バスケットボールじゃないっつーの。だから……暴魔は……嫌なんだってば……」

 誰にでも苦手なものはある。
 心の清い妖精は邪悪な存在が苦手だ。悪魔の類と行動を共にすることは皆無といっていい。
 悪魔の中でも、特に巨大なガタイをした暴魔は地獄の獣――最悪の類だ。除霊も効かないし、物理攻撃に対する防御力も抜きんでている。

 たまに思う――この世界の空気はゲロを吐くほどマズい気がする――と。
 この街に来たとき、想夜は呼吸の取り方にはコツがいることを知った。人間界において、綺麗な空気は無限ではないことを学んだ。

 体中が痛い。
 擦りむいた膝から血が滲んくる。痛くてジンジンする。でもガマンの子。
 痛いの痛いの飛んでゆけ――精一杯の強がり。子供だましの詠唱でHPが回復したら医者は全員リストラだ。

 出血で彩る唇を手で払い、年齢的にはまだ早いルージュ感覚を味わう。
「リップクリーム、切らしてたんだっけ……痛ぅ、くちびる切っちゃった」
 唇にビリッとした痛みが走っては、舌で舐めて保護。舐めときゃ治る、たぶん。

 ガレキの中から身を起こす。
「うぅ……」
 すっごく痛い……なので、よろめく。
 アスファルトに突き刺したワイズナーで体をささえ、生まれたばかりの小鹿のように頼りなく立ち上がると、暴魔の雄たけびが響く遠くの空を睨みつけた。

 事態が一変したのはその時だ――。

 人気のない深夜の街中。
 想夜は目を閉じ、静けさに習って呼吸を整え始めた。季節的には空気が澄み、ヒンヤリとしておいしいシャーベットのよう。肺がスッとして心地よい。
 深く息を吸い、そしてゆっ……くりと吐く。小鳥の寝息のようなリズムを演奏して見せた。そして――

「………………」

 沈黙。
 静まり返る時間が更なる沈黙を始めたころだ。突然、スローモーションがかかったかのように時の流れに変化が起きる。草木のゆれや、走り去る落ち葉の動きがゆっくりと速度を落とし、ついには静止したように固まる。
 刹那、カッと見開いた想夜の瞳が深紅に染まり、満身創痍、力強い声を発した。

「――アロウサル!!」

 凛とした声をあげると同時に、ワイズナーを構えた体を中心に風の波紋が巻き起こった。
 放置してある看板や自転車、それだけでなく、販売機や停車中の車といった重機までもが想夜の放つ突風でグラリとあおられる。

 リボンがまばゆい光のベールを作り出して想夜を包み込み、羽をコーティングして強靭に、さらに鮮やかさを増しては彩りはじめる。
 まとわり着く風をワイズナーで払うと同時に、現れた背中の羽は6枚羽に、弱々しかった4枚羽を忘れさせるほどに、剣のような鋭さと強靭さを兼ね備えていた羽に変貌をとげた。

 想夜は都心の外れへ向かう暴魔を追い、車線に沿って道路の真ん中を駆け抜ける。
 体がふわりと軽くなって足の裏で重量を感じなくなる頃、交差点にさしかかった想夜は地面を蹴り上げ、ドーナツ状の歩道橋の真ん中を一直線に突き抜けて大空へ舞い上がった。

「風を紡ぐ!」

 速度を増して大空へ。一筋の青光となって、地上から夜空にグングン伸びてゆく。

 『何か』とつながる時、少女自身の行動に倍率をかけることができる、そんな能力の持ち主。

 街の風景が小さくなってゆく中、手にしたワイズナーを逆手に持ち替えると、刃と槍を紡いでいるリボンをほどく。手を使わずとも意思の力で簡単に解ける仕様だ。

「槍を紡ぐ――」

 リボンでまとめられていた槍剣の形状がくずれる。
 シャキン!
 鋭い金属音とともに、中央の槍にそって左右の刃が手前に伸びた。両刃の槍剣が変形し、矛先が2つに分かれたランスモードに切り変わる。

「力を紡ぐ!」

 それを暴魔めがけて振りかぶり、
「いっけええええええええ!!」
 湖に釣竿を頬リ投げるよう、力任せにぶん投げた。

 光の一閃を作るワイズナーがみるみる飛距離を伸ばし、そして……
「……あ、外れた」
 暴投。
 槍は暴魔の腕の横をかすめるだけで、ロクなダメージも与えやしない。
 気持ちいいくらいの空ぶりを見せて、リボンをヒラリヒラリさせながら、ワイズナーは遥か遠くへ飛んでゆく。スタンドから野次やビールの紙コップが飛んできそうなくらいに酷いプレイ。
「ありゃりゃん……」
 いつもこんな感じだ。いざという時もそうでない時も、彼女はいつもヘマをする。妖精族の恥に等しい力量だと自覚もしている。
 ここぞというときに限って失敗することが多く、そんな想夜の失態は、他の妖精達の談笑の肴だった。

 いつの頃からだろう。失敗が体に定着していた。まるで自ら失敗を選んでいるように残念な結果を出す時がある。
 仲間の妖精達からも愛想つかれることもあり、煙たがられることなど日常茶飯事だ。
 串刺しを逃れた暴魔はそのまま姿を消した。

 暴魔が去る途中、その腕からスルリと人がこぼれ落ちたのを想夜は見逃さなかった――自分と同じ歳くらいの少女だ。
 いそいで落下する体に手を伸ばし、少女に飛びついてキャッチした。試合に負けて勝負に勝つ、ラッキーなことだ。

 先の暴魔にやられたのだろうか、眠る少女は傷だらけ。
「衰弱してるけど息はある」
 命に別状はないと確信してほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫。少し休めば元気になるね」
 ささやき、腕の中の少女に目をやる――シニヨンヘア、ミルクティー色の髪の色が印象的。人間離れした透明感あふれる白肌の持ち主。マシュマロのような弾力肌の持ち主。
「この子、人間じゃない……あたしと同じ――妖精だ」
 眠る少女を前に、そう理解した。
 人の姿をしてるけど、故郷の懐かしい香りがする――あたたかい陽だまりの香り、草原の香り、心が軽くなってゆく香り。けれど、ホームシックはまだ早い。こちらの世界でやるべき事はたくさんあるのだから。

 6枚羽の妖精は、獲物を捕らえ損ねて空から落ちてくるワイズナーを回収すると、背中のホルダーに収める。肩からななめにかけたホルダーが胸中央に軽く食い込み、控えめなパイスラッシュを作った。

 少女を抱えたままゆっくりと降下し、そのまま電灯が灯る人気のない夜の公園に着地した。とある屋敷の近所だ。
 想夜は気を失っている少女をベンチに寝かせてから大きく息を吸い込んだ。そして――

「う、うわあ~。女の子が倒れてるぞ~ぉ、誰か来てくれえぇ~」

 ワザとらしく声を上げる。大根・オブ・ザ・イヤー。
 警察に通報した後に事情を聞かれるのも厄介だ。下4桁が0110の折り返しの電話なんかあったらたまったもんじゃない。

 物陰に隠れる。
 体のあちこちがズキンと痛み、堪えきれずによろめいた。先の空中戦で負傷した傷が体にひびく。
 幾度となく打撃を受け、国道をバウンドし、建物に叩きつけられていたのだから無理もない。

 制服をまくり上げ、体のあちこちに出来た生傷を確認していると、ベンチのほうが騒がしくなっているのに気づく。
 物陰からコッソリと様子をのぞいて、飛び込んでくる光景にホッと胸をなでおろした。
「よかった。屋敷の人が見つけてくれたみたい……」

 ベンチに横たわる少女を見て驚愕した屋敷の住人が人を呼び、少女は屋敷へと運ばれていった。
 想夜はそれを確認した後、静まる公園を背に、再び夜の空へ飛翔する。羽は4枚に戻っていた。

 真夜中の街に明かりが点々と灯っている。
(すっかり遅くなっちゃった。寮長に見つかったら大目玉だね)
 たはは……と苦笑しながら夜空をクルリと舞う。

 空。月夜に広がる大海原。
 目を閉じ、ふっくらほっぺで風を感じる。
「風が気持ちいい~♪」
 その身を夜空にあずけ、気のみ気のまま飛行する。

 夜の空中散歩は醍醐味の一つだ。広い夜空から眺める街並みを独り占めできるのは、羽を持つ者の特権である。が、いかんせん門限がある寮住いの学生。その時間はとっくに過ぎていた。

 一時間ほど前。就寝時間が過ぎても眠つけなかった。
 窓から見える夜空をボ~と眺めていると、ぐうぜん暴魔が人を運んでいるところを目撃。慌ててワイズナーを手にして飛び出してきた。
 深夜ということもあり外出許可も下りないだろうと思った想夜は、3階にある自室の窓からテイクオフ。もちろん帰宅時も窓に着陸するつもりでいる。
 鉤爪でちぎられた制服や生傷までテイクアウトする羽目になったのは計算外、トホホだった。いつも最後のツメがあまい。

 ほんの一瞬だけの人間界の安息を取り戻した想夜は、星の散らばる夜空の中でひとり、人々の笑顔を想った。
 

エーテルバランサー


 人間界と妖精界――2つの世界は元々1つ。

 妖精界にはこんな話がある――
 人間界で清き心の持ち主だったものは死後、妖精界において朝日を浴びた白百合のような羽をひろげて転生する。
 それとは真逆に、邪悪に満ちたものは鉤爪を立てて禍々しい羽の持ち主として生まれ変わる。
 どちらの例も死者の精神が妖精界に反映されているという説だ。

 1人でも多く暖かい心の持ち主を妖精界に転生させ、さらなる楽園を築いてゆく。決して人間達が地に堕ちぬよう、妖精たちは常に人間達を見守っている。祈っている。

 自然環境もつながっている――人間界で自然が減少すると妖精界でも草木が枯れていく現象が起こる。両世界は何らかの関係性を持っているのだ。

 幾世界のシーソーゲーム。

 片方が何かしらの原因で何かしらのバランスを崩すと、残りもう片方もそれに従う――それが人間界と妖精界。まるで双子の姉妹のよう。

 そんな2つの世界を行き来する者はめずらしくない。人間界に住む妖精もいれば、妖精界に行った人間の話もある。異世界を行き来すること自体は、互いの世界に大きな影響をおよぼすことはない。
 無論、すべての事柄に当てはまることではなく、どこにでも例外は付きもの。
 例外とは、魂に干渉する者をさす。

 人間はしばしば、妖精や悪魔のターゲットにされることがある。
 人間に対して妖精が憑依する現象。逆に、妖精をターゲットとし、人間が妖精に憑依する現象のことだ。

 本来、魂のレベルにおいては輪廻転生のみが関与する2つの世界で、一つの体に複数の魂の融合は神の作ったシナリオにはない。
 これらの憑依現象が行われた場合、ターゲットは憑依者に体を支配されて操り人形のような状態に陥る。思考がまったく別の人格になるケースだ。悪魔に取り付かれた人間を例にあげれば解りやすいだろう。憑依を実話とした映画作品も多数ある。

 ターゲットと憑依者――互いの波長が合うときに、これらの現象がよく見うけられるが、長年の間、原因は不明だった。

 しかし近年、妖精族はこれらのセッション解明を実現し、憑依現象と能力発動の経緯算出に成功。妖精界の文明開化は全異世界に、期待と戦術的恐怖からくる波紋を巻き起こした。

 妖精と人間、どちらもターゲットと憑依者になりうる。それらの調査究明、管理、監視を『フェアリーフォース』と呼ばれる妖精界に位置する政府特務機関が担っていた。

 フェアリーフォースの存在により、憑依は減少傾向にあったが、人間界が関与している以上、妖精界の住人だけを監視するのは限界がある。妖精界は人間を監視する権利を持たないからだ。

 特に厄介なのが、妖精の能力を故意に憑依させる人間の存在である。

 妖精の持つ異能と人間の持つ信念の力は非常に相性がよく、人間がその能力を使用することにより、妖精が単独で発する能力の何倍にもおよぶ相乗効果が得られる。

 ――『それ』によって、超人は生まれる。

 妖精の力を用いて爆発的な身体能力を得た人間の力は鉄を裂き、地を砕く。無から炎を作り上げ、千の山をも動かす。

『――妖精と融合した人間は兵器である』

 兵器ある場所、そこには必ず戦争が起こる。
 そう、妖精たちは能力を手にした人間の謀略を先読んでいた。
 以来、妖精界は能力者を人間ではなく兵器と見なし、人間であることに異議を唱え、政府の監視下に置く方針をうち立てることとした。
 妖精の成分を所有していれば人間すらも処分できる、という身勝手な考えからくるものだったが、そこに異議を唱えるものはいなかった。
 やがて妖精たちは、”それ”を所有した人間を忌み嫌い、高次の能力に名称を与えた。

 
それが『ハイヤースペック』である――。


 ハイヤースペックを発動する人間は更なる脅威である。高次の化け物、幽霊、あり得ないものという意味合いを込めて、ハイヤースペクターと称した。

 スペクターが能力を発動すると、周囲の者の肌にビリビリとした軽いシビレを与える。また、妖精特有の気が発せられる。これを妖精反応という。
 近年、人間界においてハイヤースペクターが頻繁に出没するようになった。
 原因は未だに特定されていない――。


 妖精界と人間界は似てる部分が多いと思う――寮へ急降下しながら、想夜は故郷のことを考えていた。

 妖精界では近くの森で小人のドワーフ族を筆頭に宴を開いていたりする。ネクタルという果実酒片手に陽気に歌ったり踊ったり。朝も夜もおかまいなしにチビリチビリやってるものも少なくない。
 住民一人一人が自己の能力を活かした職業についている。
 肉体労働を得意とするドワーフ族は建築業。道を作ったり家を建てたり。仕事が終わればその日、自分へのご褒美として森の飲み屋で酒を交わす。
 美声の持ち主であるセイレーン族は、心地よい音色を奏でてくれる。その声はテレビやラジオを通していたる場所から聞こえてくる。他にも食べ物を栽培するもの、魚を調達するもの、占い師など多種多様である。

 ここ人間界も同じだった――それぞれの人がそれぞれの能力を活かして生活している。

 想夜は以前、仕事帰りのサラリーマンやガテン系労働族が屋台でビール片手にマッタリしていたのを近所で目撃したことがあった。それが故郷のそれとあまりに似ているものだから、思わず吹き出してしまう。
 ただ違うところをあげるなら、この世界と比べて妖精界は建設物が少なく、圧倒的に自然が多い。
 理由は、エーテルと呼ばれる自然の力が原因だった――。

 神の如く祭られている存在。エーテルはいわばエネルギー源だ。人間界で例えるなら『酸素』。ネットワークには『電力』。宗教家では『神』。ロマンチストには『愛』といったところだろう。どれも絶対的な存在である。
 妖精族も同じ。エーテルは様々な原動エネルギーとして運用されていた。その力は妖精界の生活にはとって欠かせない存在。妖精が魔法を使えるのはエーテルのおかげ。エーテル無くして妖精界の住人は生きてはゆけない。

 人間界にもエーテルは存在している。とはいえ、人間界に限っては妖精がエーテルの製造元である。暖かな日の光、ここちよいそよ風、時には雨を降らして乾いた大地を潤し、果物や植物を育てたり。グルリと舞う落ち葉をあおる風、川のせせらぎ、ふとした風のたよりにさえ妖精の力は働いている。以心伝心、風の知らせ、ふとした気づき――それらは全て偶然ではなく、妖精の力がはたらいている。

 人間界のエーテルが減れば、妖精界のエーテルも減ってゆく。
 正直、人間界の空気のマズさにはゲンナリしていた。エーテルが豊富な世界なら、先ほどの戦で失態などしなかったかもしれない。まるで息継ぎに失敗した水泳選手だ、溺れなくてよかったと思う。

 エーテルが減るたび、人が自然を必要としなくなってゆくのが伝わってくる。それは他者を慈しむ気持ちや思いやりが消えてゆく証拠だから。個人利益の土地開拓、意味なき伐採に木々の悲鳴が耳をつんざくことに恐怖を覚える。そんな悲鳴すらも人々は耳を傾けなくなってゆく。

 ――そうやって想夜の瞳に映る人間界は、灰色に近づいてゆく。

 彩りを忘れた世界で、想夜たち妖精は長く生きられない。
 人間は妖精の力なくして生きていけない。この地に少しでも多くの妖精を住まわせておくためにも、妖精界はがんばる。

 妖精界には妖精管理局というお役所仕事が存在していて、正社員からアルバイトまで多数活躍している。
 人間界の元郵政局と同様、バイト公務員が適用されるのも妖精管理局の特権。

 それら妖精管理局を取り仕切るのが政府の中枢にある組織『フェアリーフォース』。人間界で例えるなら警視庁、軍隊、区役所を足して3で割ったような組織だ。

 フェアリーフォースの仕事内容。
 ハイヤースペクターや妖精界からの逃亡者の監視が主だが、両界に影響を及ぼすほどの強力な能力発動者はフェアリーフォースの管理下にある『エーテルバランサー』と呼ばれるエーテル調整人たちの的の対象となり、その力をもって、即刻分離させられる。
 分離されたハイヤースペクターは、人間体と妖精体に別れ、それぞれの世界に帰ってゆく。
 だが、両者を無理やり魂を引き剥がすことで最悪の場合、命を落とすこともありうる。


 クーフーリンとピクシーの間に生まれた妖精種族である想夜もエーテルバランサーのひとりだ。

 妖精管理局の計らいで人間界にホームステイが決まり、ハイヤースペックの件一端を任されていた。人間界で例えるなら”探偵まがいのガテンちゃん”だと本人は思っている。腕力を持つものに白羽の矢が刺さるのは、どの世界も一緒である。肉体労働は元気な奴にまわってくるものだ。

 頻発するハイヤースペックの事件究明まで想夜の役目の一つなのだから、学生バイト生活にいっそうの負荷がかかる。しかも妖精であることが人間にばれた場合、さらなる混乱を避けるために人間界からの撤退を命じられる。
 そんなペナルティもあり、縁の下の力持ちも楽じゃない。生きてゆくって大変ね。

「早く里帰りしてバーガーショップなんぞでスマイル0円を売ってみたい。いっぱい売って大繁盛させちゃうんだから♪」
 とか密かに願っている、”妖精界ではフツーの女の子”だ。

 女子寮3階の窓枠に素早く着地、霧に消えるように羽をたたむ。と同時に重力という枷があたえられ、ローファーを通して屋根の感覚が足の裏に伝わってくる。丸くなった耳先も人間と変わりない形になっている。
 鍵のかかってない窓を音が立たないようにそっと開け、滑り込むように中へ入る。
 傷だらけの体を引きずりシャワー室で返り血を洗い流し、死んだようにベッドにヘタレこんだ。
 まだ中学生。目が覚めたら学校の支度が待っている。

 AM1:45
 時同じくして市内某所。
 廃墟と化した工場跡から、溢れんばかりのプリズムが舞い上がり、綺麗なオーロラを作り上げた。
 深い眠りについている想夜は、すでに夢のなかだ。



あかい狐と心壁しんぺきのエクソシスト


 市内某所――
 少女のようでいて少年、少年のようでいて母性を漂わせる不思議な存在――月に照らされた長い黒髪がふわりと踊る。

 丈の短い薄手のレザージャケット、足首までマントのように伸びたシルクのパレオ、シャツにネクタイ、腹部には防弾コルセットを着用している。裾幅の広いショートパンツからスラリと伸びるタイツ――粉雪のように透明感あふれる白い肌以外、どれもが漆黒。
 グラビア誌でおめかけするような、胸に2つの巨大爆弾をかかえただけの”男子のおかず”とは一味違う。スレンダーな体系にマッチした膨らみがそこにはある。性格と同様、一歩後ろを歩くような慎みのある膨らみだ。が、存在感は隠せない。世の殿方目線からして、丁度いい具合のなめらかプリンのように上下する巨大爆弾――よくもまあ、わがままボディに育ったものだ。何を食べればこんなふうに育つのやら。
 時折、大きな瞳が見せる鋭い眼差しや、しなやかな体から生み出される威圧的なパワー、野獣のような瞬発力は周囲に意外性をあたえる。
 そのギャップ感、クールビューティーを裏切る調理法としては充分すぎるレシピだった。
 少女であり少年――
 母性を持つ子供――
 でしゃばらない控えめな性格、けれどもわがままボディ。矛盾の存在がそこにいる。
 
 ――咲羅真 御殿さくらま ことのはそういう存在だった。
 
 地面スレスレまで腰をかがめ、低姿勢を保ったまま暗闇を走る姿は女豹のよう。己の身長よりもはるかに高い塀を、いとも容易く飛び越える。厚手のパレオをひるがえし、彼女達は月明かりに照らされた工場跡にたどり着いた。

「御殿ぉ~。チャッチャと終わらせて早く帰ろーぜ」
 御殿の背後から長いブロンドの天使が顔をのぞかせた。
 巫女服に身を包んだブロンド娘のワンツーパンチが風を切る。パンチを繰り出すたびに毛先が4本に別れたフォーステールと、髪を束ねた呪札リボンが一緒に揺れる。
「内閣直線嬢から抜本改革の見直しまで……打つべし! 討つべし!! 撃つべし!!!」
 シュッシュッシュ! 大統領のケツでも蹴り上げる心意気。やる気満々だ。
 幾本もの革ベルトをぶら下げた袴は神聖さと禍々しさを兼ね備えており、鮮やかな巫女袴というよりは暗めの血の色に近い。
 袖を肩まで捲り上げた白装束から伸びる腕の細さは、男が力を入れれば折れてしまいそうなくらいに華奢なもの。
 お目目がパッチリとして、小さな顔に鼻筋が通った外見は、平たい日本人顔とは少し違う。スッと上がる眉尻は元気で強気な性格をそのままアピールしてる。粉雪のような透明感のある白肌の持ち主。見るもの全てが彼女の前で「天使……」と声をもらすのも不思議じゃない。
 ただ一つ、天使には秘密があったのです。
「狐姫ちゃん。耳も尻尾もビリビリきてますよーだ」
 かったるそうに首の関節を一周させてはボキボキと音を鳴らす。ちゃっちゃと仕事を終わらせてゆっくり休みたい――ブロンドから伸びたやや大きめな狐耳と、ワインレッドの袴から飛び出した長い尻尾をフリフリさせていた。
 そうです。天使は狐だったのです。

 焔衣 狐姫ほむらい こひめ――退魔業を生業としている御殿の相方。書類上の契約のもと、人間側に協力する人外的コミュニティーに所属する妖獣。喜怒哀楽をあまり顔に出さない御殿とは対称的で、天真爛漫。表情が乏しい御殿の分まで泣いて笑ってキャンキャン吠える。
 2人を足して2で割ったら、丁度いい感じの一般人が出来るかもしれない。それほどまでに両者とも、個性が偏っていた。

 都心から少しはずれた街。
 聖色市せいろんしで起きている連続誘拐事件、及び、意識不明事件。

 誘拐された被害者は保護されてはいるものの、全員こん睡状態にあり、魂が抜かれたかのようにピクリとも動かない。
 誰が何の目的でおこなっているのか?
 事件の真相が分からないまま、現在に至る。

 先日、一本の情報がリークされた。

『ユウカイ
 コウジョウアト
 キンキュウタイオウ
 モトム
 サクラマ コトノ ヲ シメイスル』

 『誘拐、工場跡、緊急対応、求む、咲羅真御殿を指名する――』

 飼い主、もとい、社長から御殿宛に一本の電話が入り、怪奇メールが届いたことを知らせてくれた。
 メールの差出人は不明。会社の口座にはすでに金が振り込まれていた。

 人外が絡んでくる以上、そのスジの専門家が動き出すのは世の常。情報が確かなら、工場跡に一連の犯人が巣食っているのだろうか?
 先日から、別件で某大手メーカーの中枢にいる財閥から依頼をうけている。そちらも御殿ご指名というオマケつき。悪い意味で人気者。
 2つの依頼が頃合を見計らったように関連性が連鎖する。

 アンダーグラウンドに身をおく御殿は罠の可能性も考慮していた。恨み買いまくりの職業。なんら不思議はない。
 今回の情報が線でつながり、御殿と狐姫は事件の深淵に入ってゆくことになった。


 廃墟と化した工場跡は誰が見ても異常な光景だった。
 気候条件がそろってもないのに、辺りは霧に覆われている。高さ2メートルほどのブロック塀はバリケードで厳重に保護されており、立ち入り禁止区域とされていた。
 2人はお構いなしに高い塀を軽々と飛び越えて敷地内に着地する。

 塀の中。群れを成した野犬が牙をむき出していたが、御殿は栄養補助食品を慣れた手つきでいくつかに割って、離れた場所にバラ撒いた。
 野犬がエサに食らいつき、あちこちに散らばってゆく――追い払うことに成功するも、その光景を見ていた狐姫が一言。
「あーあ、もったいね。俺にも一個くれよ」
「さっき食べたばかりでしょう? 先を急ぎましょ」
「食っている最中に呼び出されたんだよ」
 雷々軒でな。
「はいはい、後で買ってあげるから」
「ほどこしなんかウケねーよ、おっぱい魔人!」
「どっちなの」
 御殿は親指でクイッと合図を送り、狐姫を先へと促した。

 エサに群がる野犬を横目に、数歩先すら見えない霧の世界を走りぬけ、2人は工場入り口付近にたどり着く。

 そびえ立つ工場を見上げる。
「元々は何かの製造工場だったと聞かされていたけど……」
 長い時間が経過しているのか、コンクリートの打ちっぱなしで作られた壁は、一面ツタが張りめぐらされており、御殿と狐姫の行く手を阻んだ。
 狐姫がツタの隙間に手を入れて建物に触ると、壁の一角がボロボロと崩れた。
「うわっ! 廃墟レベルMAXだな! サバゲーや肝試しするバカとかいるんじゃね?」
「人がいるだけマシかもね」
 土地の広さは数千坪もある大型工場。無法者が占拠するには広すぎるし、野犬のエサにもなりかねない危険な場所だ。猛獣の巣くう檻の中に住み込む物好きはいない。

 御殿が外壁に背中を向けて張り付いた。
 窓ガラスにはタールがこびりつき、中の様子を覗くこともままならず、オイルとは違った悪臭が鼻につく。まるで建物全体が腐った泥で造られているようだ。
 絶えかねた狐姫が自分の鼻をつまむ。
「うぅ、くっさ! ……おまえの屁みたいだな」
「そんなことない」
 サラリと否定した。が、指摘されると誰でもドキっとしてしまうセリフ。体臭は自分では分からないものなので。
「いや、お前のはスッゴイぞ~。寝てるときにブッカブッカ、ブッカブッカ……」
「はいはい。自己紹介ならいらないわ」
 軽くあしらい、建物内をのぞく御殿。その後ろで狐姫が片手を左右に振る。
「いやいやいや。オレのは無臭……むしろジャスミンの香りだね!」
 人型芳香剤が自慢げに鼻を伸ばす。
「ま、安心しろ御殿、お前も無臭ってことにしといてやんよ。だがそれでいいのか? それじゃ芸人としてオイシクないだろ~? 相方としては、フローラルミントのブッカくらいかましてほしいところですよ?」
 腕を組み、最後の「よ?」で相方をチラ見する狐姫。
「フローラルミントね……努力するわ」
 今度ミントを育てよう。フローラルは今使っているシャンプーで充分だろう――御殿は思った。

 コンビではあるものの、じゃっかん御殿は狐姫と距離を置いている。2人を見るものは皆、あくまで仕事上の関係者として一線を作っているようにも見えるだろう。
 それとは正反対に狐姫は線引きなどしてない、とも思えるフランクっぷり。
 にしても狐姫に対する御殿の対応は極めて冷めている。それも御殿の性格だろうか?

 建物内に侵入できないものか。御殿が辺りを見回すと、ツタが伸びていない窓が目につく。そこから建物中に侵入することができた。


 暗い視界のなか、御殿はライトを点けるのを避けた。誰かがいたら感づかれてしまうからだ。敵だった場合、ライトは格好の的となり御殿が不利になる。
 電気のない建物内だったが、月明かりも手伝ってくれたこともあり、幸い暗闇に目が慣れるのに時間はいらなかった。

 侵入した部屋には使われなくなってからどのくらい時間が経ったであろう、事務用品や重機が散乱して油や埃をかぶっている。それらを避け、部屋から出て雑草の茂る細い通路をゆっくり進む。

 御殿はクモの巣をかきわけ、息を殺しなが前進し、狐姫もすぐ後に続いた。

 御殿が無言で合図を送り、狐姫もそれに習う。軍隊のようにリズミカルで素早い動きを繰り返し、互いの表情1つ1つを読み取って会話をするように阿吽の呼吸を演じて見せた。

 2人は周囲に人の気配がないことを確認しながら進んでゆく。
 御殿が声を殺しながら後ろを着いて来る狐姫に問いかけた。
「(狐姫……感じる?)」
「(うげ、顔面にクモの巣ついちった……ペッペッ!)」
 顔中にこびり付いた蜘蛛の糸を手でわしわし払う。暢気な態度はいつものこと。
「(……なにか聞こえたり感じたりしない?)」
「(う~ん……)」
 狐姫がグゥ~と鳴った自分の腹に両手を当てる。
「(腹減った……イテッ!)」
 突然、歩みを止めた御殿の背中に狐姫は鼻っ柱を打ち付けた。
「(どうした御殿、いきなり止まったりして……ウンコでも踏んだのか?)」
 狐姫が覗き込むと、険しい表情の御殿が通路の先を睨みつけていた。警戒している様子がうかがえる。
「(誰かが……奥の部屋に入っていった)」
 低く構えながら、腰に装着してあるホルダーに手をかける。
 狐姫は通路を真っ直ぐ見つめた。
「(あん? 誰もいねーよ。……オイルとか、変な匂いばっかだなあ……薬品や洋酒っぽい匂いも混ざってて……きっとDQNてんさいどもが宴会でもやってたんだろ)」

 獣特有の嗅覚で、くんかくんか鼻をならす狐姫。オイル臭が充満して邪魔らしく、自慢の嗅覚が当てにならない。

「おい御殿、ホントに誰かいたのか? オイルで酔っ払ったんじゃねーの?」
 にししと笑って御殿をからかう。
「そ、そんなハズは……」
 狐姫が言うに、酒の匂いも混じってるらしい。その匂いで酔っぱらい、感覚の判断基準がアホになった……なんてオチは認めたくない。
「何人いたんだ?」
「わたしが見たのは1人だった。他にも誰かいるのかも」
「敵は複数か? だとしたら遠くから見てんじゃね?」
「狙撃?」
「可能性がないわけじゃない。俺達を呼び出して仕留めるって手もあるな」
「リークが罠じゃないことを祈りましょう」
「もし罠だったら立ち止まると的になるかもだぜ?」
 狐姫の言うとおりだ。静まり返る建物内、情報自体が罠ならここで死ぬかもしれない。2人は身を屈ませて前へ前へと突き進む。

 自分が見たのは肉体から分離した誰かの霊体とでもいうのだろうか――御殿はそんな疑問を抱いたが、相方の言ってることが正しいと判断し、供に上袖の部屋へと進んでいった。


 2人は上袖に位置する角部屋に足を踏み入れた――。
「うっひゃあ、絶景だな」
 狐姫は額に手をあてて見渡した。
 その部屋だけは特別だった。
 最初目にしたときは、壁一面スプレーのようなもので落書きされているのかと思ったが、決してそうではない。壁に、床に、天井に、規則正しく描かれた文字や図形はまさしく陣であり、ここで何らかの儀式が行われていた痕跡だった。

 御殿が部屋の中央まで歩み、天上を見上げた。
「術が丁寧に書かれている……ご熱心だこと」
 禍々しさを醸し出す天上に食われそうだ。

 老朽化で床は所々地面の土がむき出している。
描かれたサークルの端を調歩する2人は時折立ち止まり、屈みこんで凝視する。
「悪魔崇拝の儀式? ……初めてみる公式ね」
 顎に手を添えて考え込む御殿。その横から狐姫が顔を出す。
「いやぁ違うぜ。悪魔はこんなソース使わない。俺達妖族を召還する公式でもない。なんだろね」
 と、狐姫が首をかしげる御殿に答える。
 妖族の狐姫でさえ理解不能の陣。その効能がわからない以上、むやみに破壊することを躊躇してしまう。悪しき者を封じている可能性も捨てきれないからだ。

 微かなスポットライトの中、埃が舞い上がる。
 ふと見上げると、崩れた天井の隙間から月光が差し込んでくる。
「……ん?」
 舞い降りる光の中に、ピンクのプリズムを見つけた。それらを目で追っていくと、プリズムの欠片がサークルに吸いこまれてゆくのがわかった。一度は軌道を変えて昇っていくプリズムは、再び不規則な動きを見せながら足元に落ちてゆく。

 突如、寒気に襲われた御殿は、慌てて陣の一部を足でかき消した。

「どうした御殿?」
 自分でもなぜそうしたのかはわからなかったが、御殿の足元あたりで陣の一部がペンキを擦った後みたく崩れたのを見ては、なぜかホッとする。
 次の瞬間、陣の中から溢れ出した無数のプリズムが静かに舞い上がり、夜空に天の川を作り出した。
「ななな、なんだぁ!?」
「これは……?」
 2人の表情をまばゆい光が照らし出す。
 ビビッた狐姫が後ろに飛びのき、御殿は構える。
 何が起こったのかわからず、その後、夜空に消えるプリズムを見送り、ただ呆然とたたずむ。

 溢れ出るプリズムをしばらく見つめていた狐姫が耳をピクリとさせて振り返る。部屋の入り口付近に人の気配を感じたのだ。
「ん? 誰かいるのか?」
 相方の声に御殿が素早く反応、腰のホルダーに手を伸ばす。その時だった――

 ピシッ!!

 天井を支えている数本の巨大な柱に亀裂が入り、あたりの壁や柱が崩れ始めた。
「あれだけ太い柱に亀裂!?」
「ヤバいぜ御殿、こっちに倒れてくる!」
 バラバラとコンクリートの破片が落ちてくる中、2人はヒビの入り方に違和感を感じた。柱の一本一本に、まるで鋭い包丁で豆腐を切ったかのような切り口。計算されて出来た斜め一線の切り込みが入っていたからだ。老朽化しているとはいえ不自然極まりない。

 狐姫が崩れる柱をスルリとかわし、崩れる床から大きくジャンプして距離をとる。

 ブロンドから覗く頬に薄っすらと光がさした。それを見上げて叫ぶ。
「月明かりだ!」
 天井の隙間から零れる月明かりが2人を安全な場所へと誘う道しるべだった。
「天井から脱出しましょう!」
 行く手を阻むコンクリートの塊を切り抜け、重力無視のアクションをくり出して壁を駆け上がる。
 空高くジャンプ、弧を描き、体を捻って側転。ばっくり開いた天井の隙間から外へ飛び出した直後、先ほどまでいたはずの部屋が陣もろともガレキの下に埋もれていた。


 2人は建物の一部がグシャリとつぶれるのを、少し離れた場所から眺めている。
「ふう……今からあの部屋には戻れそうもないわね」
 部屋の倒壊は一瞬の出来事だった。

 御殿は振り返り、パレオの埃を払いながら肩をすくめた。外国のアニメでよくある光景――タンスの下敷きになったキャラクターがヒラヒラと紙一枚で舞っていくようになるのは御免だ。

「クソ! 手がかりがなくなっちまったぜ……やっぱ罠だったんじゃねーの?」
 狐姫は袴のポケットに手を突っ込んだまま静かにうそぶき、目の前の光景に落胆していた。

 ――夜明け頃。
 意識不明者の何人かが目覚めたことを御殿は知らされた。


研究室の女


 時同じくして、某研究所の一室。
 白衣の女性研究員が熱心に顕微鏡を覗き込んでいた。
 個人的な研究で残業手当などつかない。それでも彼女は机と向き合う。

 おしゃれなゆるふわウェーブの髪は白衣の作業着とは似つかわしくない。20半ばとはいえ研究にその身を捧げる信念は、彼女を上へ上へと駆り立てる。尊敬する人の背中を追いかけてきたからこそたどり着いた地だ。
 とある事情で、自宅に小さな子供が泊まりこんでいる。早く帰ってゴハンを食べさせなければならない。スーパーで簡単に買い物をすませてから帰宅する予定だった。

「ふう」
 眠気を吹き飛ばすため、差し入れのコーヒーを一口。とたんに焦点がブレる。
「がんばりすぎね」
 と、自分に言い聞かせる。
 忙しさが重なり、かすかな物音にも気づかない。蛇が滑るように、薄暗い床の上を黒いムカデ状の影が走る音さえも。
 あまりにも顕微鏡に気をとられていたのか、女は背中に迫る姿にさえ気づいていない。
 やっとのことで後ろの気配に気づく。
「水無月先生、まだ残っていらしたん……」
 振り向いたが誰もいなかった。
「――?」
 変ね。首をかしげ、顕微鏡に姿勢を戻した瞬間、女の体がピクンッと大きく揺れた。

「うっ、ぐう!?」

 ウェーブの髪に隠れた顔が苦痛で酷く歪み、机の上に突っ伏した。
「い、いけない、あの子に……伝えなきゃ、この事を――」
 電話に手を伸ばすも、一度だけ短縮ダイヤルに触れただけ。ピンクのマニキュアで彩られた指先は寸でのところで受話器まで届かなかった。
「うぅ……ぐぅっ……!!」
 さらに呻き、机の上を散乱させる女。
 倒したコーヒーカップの中から墨汁のようなドス黒い液体がこぼれて机を伝って床にしたたる。

 しばらく机に突っ伏していた女だったが、人が変わったように目がすわり、心ここにあらずの冷たい表情へと変化を遂げてゆく。
 そうして一言――

「エーテルバランサー、雪車町……想、夜――」

 独り言を続けながら、千鳥足で研究室を後にする。
 自由意志から追放された研究室の女。向かうは地獄か、それとも――。