12 天上人の正体


 人間界 ハッピータウン。

 叶子、華生、成瀬がコントロールルームで苦戦をしいられていた。
「――おかしい」
 制御システムを前にした成瀬が唸り声を上げる。
「どうしたの成瀬さん?」
 叶子が質問すると、成瀬はモニターを睨みつけて指をさした。
「一体だけ偵察機の動きが止まらないんだ」
「なんですって?」
 叶子が眉をひそめた。モニターのなかで激しく動くロボットの名を、皆、一度は口にしている。
「システムは掌握した。これで霊界にいる偵察機を止められるはずなのに……」
 成瀬のクラッキングにより、理論上はロボットたちの動きは止められるはず。だというのに、一体だけシステムの掌握をすり抜け、今も動きつづけているのだ。
「そのロボットとは?」
 椅子に腰かけた成瀬は上体を叶子に向けると、まっすぐに見つめて答えた。

「――お留守番だよ」

 理論の通らない存在が今、狐姫の目の前にいる!


麗蘭とリーノ


 塔の内部は空洞。外壁とは違い、光沢ある化学素材が八角形に規則正しく敷き詰められていた。壁の一面一面にひとつずつ、長方形の照明が等間隔に横一列にならんでいる。まるで何かの実験施設である。

 壁に設置された廊下がゆるいカーブで坂道をえがき、それが天上まで螺旋状につづいている。グルグルとのぼってゆけば、やがて屋上へたどりつけるだろう。

 1階の廊下は円状になっており、中央側には柵が設置されている。そこから身を乗り出すと、地中深く掘り下げられた場所、その中央に小さなドーム状の装置が見えた。

「上は見通せないし、地下にはおかしな装置。妙な構造をしている塔だ。いきなり天上人と対面したら厄介だな」
 麗蘭はバッグから三角パック牛乳を取り出し、左右の側頭部より上に装着する。

 ネコ耳爆弾――ミネルヴァ重工の営業から手渡されたネコ耳型の爆弾。持ち主のエーテルを吸収して爆発威力を高めることができる。注意書きが施されており、どれだけ危険なものかがよく分かる。C4プラスチック爆弾ほどの威力は期待できる。先日、華生を脅すときに使用したばかりだ。

 想夜とリーノが不思議そうに見ている。
「京極隊長、なんですそれ?」
「京極隊長、ネコさんなの」
「これか? 対天上人用だ。まるごしでは不安でな」
 と、ネコ耳麗蘭がキメ顔で言うも説得力むなしく、周囲にはコスプレ姉ちゃんにしか見えていない。
「わあ、京極隊長かわい~っ」
「ホントなの、かわいいの!」
 ネコ耳に手を伸ばす想夜とリーノ。まるで動物を愛でる子供のよう。
 それが癪に障ったのか、麗蘭は両腕を伸ばして2人の顔面をつかむと、片腕でひとりずつを持ち上げた。
「ほお、そんなに可愛いか。上司に向かって素晴らしい態度じゃないか、ああ?」

 ギリギリギリ……

 アイアンクローで吊るされる想夜とリーノ。
「あだだだだっ、すみませんごめんなさいごめんなさい!」
「痛いなのっ、ごめんなさいなの!」
 宙に浮いた状態で両足をバタバタさせて悶え苦しむ。こめかみに麗蘭の指先が食い込み、万力で頭蓋骨を挟まれるような激痛に襲われた。
「ふん、まあいい」
 麗蘭は腕の力をゆるめ、2人をゴミのように投げ捨てた。

 麗蘭がホコリを払うように両手をパンパンとはじく。
「それはともかく……、焔衣狐姫ひとりを残してきたが、大丈夫だったのか?」
「し、心配しなくても大丈夫ですよ」
 想夜はこめかみの痛みに耐えながら、むくりと起き上がった。
「狐姫ちゃん、ものすごく強いんだから! あたし信じてるもの」
 心配する麗蘭をよそに、自慢の友達をアピールした。
「そうか、いい友達を持ったな。雪車町がそう言うなら信じよう」

 麗蘭は壁に設置された通路をグルリと目で追い、天上を見上げた。

「……ん? なにか落下してくる。月明りと……液体か?」
 上空から一直線のまばゆい光と液体が降ってくる。
「京極隊長、あれを見てください」
 想夜が地下のドームを指さした。
「あの装置がどうかしたのか?」

 ドームは天上から注がれる光を一直線に吸収していた。

「あのドーム、エーテルを取り込んでいるのか。吸収したエーテルを装置の中で処理しているようだな」
「いったい何が入っているのでしょう?」
 首を傾げる想夜。
「装置の正体は分からんが、塔自体は缶テナの役割を担っているようだな」
「缶テナ?」
 ふたたび想夜が首を傾げた。
 
 缶テナ――細長い缶を作ったアンテナ。お菓子などの容器を材料にして作られたアンテナの一種。

 視界が慣れてくるにつれ、天井が見えてきた。中央から赤い液体がにじみ出し、ポタリ、ポタリと落下している。
「あれは……血液? まさか瞳栖あいすのもの?」
 めったな事を言うものではないと分かっている麗蘭だが、それを口にしては見たくもない未来を想像してしまう。

 想夜が羽を広げた。
「だとしたら時間がありません。京極隊長、ここから天井まで飛びましょう!」
 と、腰を落として低くかがむ。
 麗蘭も想夜にならうと思いきや、煮え切らない態度で立ち往生していた。
「どうしたんですか!? なぜ飛ばないんです!? はやくしないと瞳栖さんが!」
 声を張り上げる想夜だったが、麗蘭は羽を広げようとはしなかった。
「すまない雪車町、私は飛べない。先に行ってくれ。私も後から追いつく」
 そう言ってうつむくと、屋上に向かってひとり歩きだす。
 想夜が麗蘭の背中に叫んだ。
「なぜです? そのおっきなケースが原因ですか? ワイズナーが入ってるのでしょう? 取り出して背負えばいいじゃないですか!」
 その言葉を聞いた麗蘭は振り向くと、少しだけ眉をゆるませて苦笑した。
「そうしたいのは山々だが、それだと今までの苦労が水の泡になってしまうのでな」
 麗蘭はジュラルミンケースを手にし、長くつづく廊下を走ろうとした。
 その背中に声がかかる。

「まって」

 声の主はリーノ。
 
「まって、京極隊長」
 リーノは麗蘭の手前までくると、白い歯をみせて笑顔をつくった。無理やりの笑顔だろう、それはぎこちなく、けれでも過去の悲しみを振り払おうと懸命な姿だった。
「京極隊長はリーノにつかまるの。いっしょに屋上まで飛んでいくの」
「キミが私をかかえて飛ぶだと?」
「はいなのっ」
 訝しげな顔をする麗蘭にリーノがうなずく。
「リーノはね、パパとママにはもう会えないかもだけど……」

 いったん深呼吸。
 
「だけどね、想夜ちゃんがマデロム隊長をけちょんけちょんにしてくれたおかげで、ささやかな復讐ができたと思ってるの」

 胸に手をそえ、溢れ出しそうな過去の痛みを抑えた。

「リーノには強くなりたいっていう気持ちなんてない。希望も目標もなにもない。将来、何になりたいかも決めてない。ないないだらけの自分を思うたび、自分てカラッポの存在なんだって理解するの。歩みを止めない想夜ちゃんを見てるとね、さらにそう思っちゃうの。うまくいってる人と、くらべちゃうの。自分の存在なんて、この世の中にはムダなんじゃないかって……そう、思うの」

 人も妖精も同じ。自分と他人をくらべては、足りないものに目をむけて落胆する。そうやって立ち位置を確認しながら、上でもなく下でもない存在として自覚する。「まあこんなもんで上出来か」と、やりきった感じに、さも偉そうに満足する。

 けれども、麗蘭はその考えに否定派だ。

「高瀬、キミが見ているのはうまくいっている時の他人だ。なんだかんだ言ってもみんな鼻水たらして喘いでいるものさ。雪車町だって失敗だらけさ。失敗談すべてを話したら雪車町は大泣きしてしまうぞ」
「京極隊長、あんまりです……」
 す~ん……。想夜、メンタルに大ダメージ。

 リーノはうっすらと浮かべた涙を拭い、沈んだ気持ちを浮上させて気張った。この先の戦闘ではネガティブ思考は不要なもの。腕力の足しにもなりゃしないと理解してのことだ。

「京極隊長のチームにいる想夜ちゃんを、リーノはうらやましいなって思うの。いつまでも悲劇のヒロインは終わりなのっ。ささやかな復讐は終わりなのっ」
「高瀬、その調子だ。笑顔はいつでもキミのそばにいてくれる。キミが笑うのをずっと待っていてくれるものさ。キミが表情筋を許せば、いつだって――」
「はいなのっ、表情筋鍛えてマッチョなのっ」

 リーノに笑顔が戻ったのを見て、麗蘭と想夜は肩をすくめた。

「ささやかな復讐にしては、ヤツのツラをボコボコに殴っていたようだが?」
「もうっ、京極隊長イジワルなのっ、きらいなのっ」
 ムスッとほっぺたを膨らませるリーノ。
 麗蘭はリーノの肩に手をおいた。
「まあ、そんなにマデロムをいじめないでやってくれ。あんな巨体をしているが無理に意地をはってるやつなんだ。子供みたいだろ?」
「そうなのっ、マデロム隊長、子供なのっ」
 2人してクスクスと笑う。

 麗蘭はそっとリーノの手を取った。手首が腫れあがり、動かすのも困難のよう。
「酷いケガだ。マデロムを殴りすぎたようだな。ちょっと待ってろ」

 麗蘭は制服を脱ぐと、ブラウスの袖を食いちぎってリーノの手首を固定した。

「――これで少しはマシになるだろう。フェアリーフォースに戻ったら治療してもらうんだ。いいな?」
 リーノは布が巻かれた手首をボ~っと見つめ、キョトンとした表情を麗蘭に向けた。
「ありがとう……なの。京極隊長、やさしいの」
 そこに元気な声はなく、少し照れながらうつむく姿。

「高瀬。大きなお世話かもしれないが、ご両親の死はまだ確定したわけではない。私も調査してみるよ。確定するまであきらめるな」
 その言葉を聞いたリーノは、瞼をとじて静かに問う。
「パパとママが、生きてる?」
「ここで無責任なことを言うつもりはない。生存しているかどうかは分からないが、少なくとも死は確定していない。高瀬には酷なことだが、両親の死が確定するまでは歩みつづけろ。いいな?」
 コクリ。リーノは弱々しくうつむいた。

 想夜は腰を落として身をかがめ、力いっぱい床を蹴り上げ飛翔する。
「それじゃあ行きますよ!」
「ああ! 高瀬、安全運転でたのむぞ」
 麗蘭がリーノの体にしがみつく。
「かしこまりぃのっ、超特急の暴走コンボイなのっ。壁に激突したら一発死なのっ」
「人の話を聞け」
 麗蘭をかかえたリーノが腰を落として身をかがめる。力いっぱい床を蹴り上げ、高く高く飛翔した。

 はるか上空へ。めざすは天上人のいる場所。一刻もはやく瞳栖を救出し、エクレアの野望を阻止するのだ!


VS 天上人


 煙突のように伸びる巨塔の中、羽を広げてひたすら上昇する3人。
 塔をのぼりきり、天井付近にさしかかったところで壁にそなえつけてある通路に着地した。

「ずいぶん飛んだな。地上からどれだけ離れたことやら。落ちたらひとたまりもないな」
 麗蘭が柵から身を乗りだして見下ろす。地下に設置された謎の装置は、もう肉眼では確認できない。
「ここが塔の最上階か」
 通路の奥、屋上へとつづく階段が見えた。
「あの階段から屋上に出られそうだな。急ごう」
 麗蘭が先陣きって進み、その後ろを想夜とリーノがついてゆく。


 黄色と黒のハザードカラーで彩られた屋塔入口。そこから頂上に出る麗蘭たち3人。
 あたりはすっかり暗くなり、無数の星々と満月が夜空を独占していた。
 この場所も塔内部とはつくりが違った。あちらこちらで鉄骨がむき出しになり、工事中の高層ビルのようでもある。
 コンクリートの打ちっぱなしのような、ただただ広い空間がそこにはあった。

 リーノが広がる視界を指さす。
「ねえ想夜ちゃん見て。遠くの景色が綺麗なの」
「わあホントだあ。綺麗な夜景」
 遠くに見える町の明かりがイルミネーションみたいにきらめいている。ここが黒い巨塔でなければ絶好のデートスポットになったろうに。
「おしゃべりはその辺にしておけ。天上人様のご登場だ」
 ぶっきらぼうな麗蘭の言葉を合図に、想夜とリーノがピタリと口を閉じた。

 3人の視線の先には白装束が3人。指を組んでたたずみ、満月に祈りを捧げていた。
 上空に漂うエーテルが嵐のように弧をえがき、ゆっくりと屋上中央に向かってくる。

 麗蘭がゆっくりと天上人のところまで近づいてゆく。

「エクレア・マキアート!」

 麗蘭がエクレアの背に声を荒げると、彼女たちは指を解いてゆっくりと振り向く。まるでフェアリーフォースが来ることを知っていたかのように落ち着いていた。

「お待ちしておりました、京極麗蘭」
 にこりとほほ笑むその表情。女神のような柔らかい雰囲気を醸しだしてはいるものの、瞳に宿る殺気が周囲に訴えてくるのだ。
 立ちはだかる者は皆殺しだ、と――。

 想夜がたじろいだ。
「あれが、天上人?」
 初めて見るその姿に目を疑った。表面は聖人を取り繕ってはいても、ピクリとも動かない表情筋や冷たい視線から読み取れる空気が異質であり、明らかに天使のそれとは違っていたからだ。
(あの人たち、天使なんかじゃないわ!)
 想夜の直感がそう訴えている。あれは清い存在などではない、と。
 妖精ならば誰もが想夜のように気づくはず。だというのに、フェアリーフォースに在籍する多くのものが、口々にエクレアは天の使いだと言う。
 瞳栖の言うように、ナノマシンを用いた洗脳の線が濃厚だった。

 麗蘭が想夜に耳打ちをする。
「雪車町も気づいたか。あれは天上人なんかじゃない。別のなにか・・・・・だ」
「別の、なにか?」
 天上人がなんなのか。それがこれから明らかになる。

「あれを見てなの!」
 とつじょリーノが指をさした。

 天上人の後ろに設置された木製の巨大な十字架。そこに瞳栖ははりつけにされていた。
「瞳栖!」
 手足首を有刺鉄線でグルグル巻きにされて自由を奪われ、てのひらと足の甲に杭を打たれて体を固定されている。体中を鋭利な刃物で切り刻まれ、大量の出血によって十字架の根本に深紅の水たまりをつくっていた。
 瞳栖はぐったりと首を垂らしてピクリとも動かない。もう死んでいるのではないか、と想像してはならないことまで感じさせるほどにおぞましい姿だった。

 キリストのようにはりつけにされた地の八卦――生かさず殺さず。生き血を搾り取るエクレアの行為は、まさに死の天使そのものだった。

 想夜はその光景を目にしては両手で口をおさえて息をのんだ。
「なんてひどいことをするの! 京極隊長、天井から装置に落下していたのは瞳栖さんの血液です! はやく助けなくちゃ!」
「まて雪車町、うかつに近づくな。首を捻じ切られるぞ」
 身を乗り出す想夜を引きとめる麗蘭。天上人の馬鹿力は身をもって知っている。

 公務員のやり取りを見ていたエクレアが終始おだやかな態度で肩をすくめ、ゆっくりと首を左右させた。

「神聖なる儀式の邪魔をするなどと……、あなたは神にでもなったおつもりでしょうか?」
 その言葉を耳にした麗蘭がふきだした。
「あいにくだが軍人のままだ。給料も据え置きだ」
 公務員は皮肉たっぷりにものを言うと、続けて質問に入った。
「エクレア・マキアート、いくつか問うぞ。おまえは収容所で死刑執行を行っていた者だな? いったい何者だ? なぜフェアリーフォースで布教活動じみた行為した?」

 エクレアはうつむくと、ゆっくりと首を左右させた。

「布教じみた? うふふ、その問い、心外です。わたしたちは天上人。テロリストでもなければ宗教家でもない。正真正銘、神が使わせた聖なる使者なのです」
「ほお、ならば使者とやらにもう一つ質問だ。MAMIYA研究所から新型トロイメライを盗んだのもお前らだな? どこに隠した?」

 エクレアは鳥の羽のように両手をひろげ、腕を空高く伸ばしてあおぐ。

「――我らの愛しき子は、今もゆりかごの中で安らかに眠っております。時満ちるまで、何人なんぴとたりとも眠りを邪魔することは許されません」
 そう言って穏やかなまなざしで塔を見下ろす。

 エクレアの視線は足元を通り越して地下の装置に向けられている。こうしている今も瞳栖の血液をあびつづけ、深紅の卵のような光沢を生み出しているのだ。
「トロイメライはあの装置の中か……」
 麗蘭がエクレアを指さし叫ぶ。

「人間界時刻 21時37分。エクレア・マキアート。人間界における窃盗、住居不法侵入、破壊工作、公務執行妨害、傷害罪、殺人未遂、ならびに妖精界におけるピコット村での殺人罪で現行犯逮捕する」
 麗蘭が強制執行に踏み切る。
「ひとつ――」
 だがエクレアは麗蘭の言葉を待たずして、人差し指を天高くかかげてこう言った。

「ひとつ、あなたたちフェアリーフォースに宣言しましょう。これは天からのお言葉です。ありがたく耳を傾けるのです」
「ほお、偉そうに説法か。聞こうじゃないか、牢獄の中でゆっくりとな」
 ニヤリと笑う麗蘭。

 エクレアははっきりとした口調で、それでいて言葉を濁すように宣言した。

「これから先、あなたたちには再会という試練が待ち受けるでしょう。それはしんであり、であり、ことわりであるということ。これ即ち、天とあなたたちは、何度でも巡り合う宿命にあるのです。それが神からのお言葉です」
「ああよく分かるよ、おまえの言ってること。牢屋に放り込んだら会いに行ってやるさ、何度でもな」


 エクレアは空に向けた人差し指をクルリと回して円を描いた。するとどうだろう、まばゆい光の環が上空に浮き出てくるではないか。
 光の輪は巨大な懐中時計に姿を変えると、針を何周もした後に姿を消した。
「時として、神は言葉よりも力で示すことを望みます。ごらんなさい、このまばゆい光の環。あなたたちにも見えるでしょう?」
「ああ、はっきりと見えるよ。どんな芸当かは知らんが早くしまえ、目ざわりだ」

 光の環は天高く舞い上がると、強烈な波動で雲を押しのけ、発光する卵となって何かを連れて戻ってきた。

 光の環が連れてきた存在――真っ黒なフキの葉を手にした赤子が4人、塔の屋上に舞い降り、黒い翼を広げて天上人たちの頭上を飛び交う。光沢を失った薄いステンレスのような肌。それをホチキスで一枚一枚ツギハギ状にして全身を覆っている。ちぢれた髪から見え隠れする眼球はむき出しの状態。天使というよりは悪魔のそれに近い存在を、エクレアは殺撲狂コロボックルと呼んだ。

 エクレア、そして付き人のシュウとクリムにも変化がおとずれる。背中から勢いよく白翼が生えたかと思いきや、墨汁をこぼしたように一瞬にして黒く染めあげた。
「く、黒い翼!?」
 カラスのような真っ黒い翼をまえに、想夜が息をのんだ。
 天上人3人の頭上に漆黒の輪が浮き出し、天使の輪とはほど遠い存在へと変化を遂げた。
「死神、なの……」
 と、ポカンと口をひらくリーノの本音。それは天上人とは悪魔に近い存在なのだと確信しているものだった。

 麗蘭は目の前で起こったことを瞬時に分析した。
「機械仕掛けである時計を使い、別の空間からガラクタを生み出した……だと? ディメンション・エクスプローラーの応用か……」
 そうやってエクレアの正体にたどり着く。
「そうだったのか……、エクレアの正体はグレムリン。機械を司る妖精だ!」
 麗蘭が声を張り上げると、想夜とリーノが驚愕する。
「グレムリンですって!?」
「妖精なのっ、天上人じゃないの!」

 グレムリン――機械に憑りついて悪さをする妖精。かつては職人たちに知恵を授ける心優しい妖精たちだったが、人間の傲慢さにしびれを切らし、やがて敵となる。すべては人間たちが物や妖精に感謝も敬意も示さないところから始まっている。コンピュータの異常行動をグレムリン効果と呼ぶが、へっぽこエンジニアがPCを前にして言う「何もしてないのに壊れました」は、ただの無知な者の戯言たわごと

 天使の子らをお出迎えしたエクレアが、うっとりと瞳を潤す。
「まあ、なんという歓喜。神の御霊が天使の子となりて、わたしたちをこんなにも祝福してくれる。これを幸福と呼ばすして何と表現すればよいのでしょう。わたしたちは天上人、神に応援され、祝福される天からの使者」
「可愛いエンジェルだな。不気味な造形はおまえらグレムリンにそっくりじゃないか。早く帰らせろ」
 悪態をつく麗蘭が率直な感想をのべた。が、内心、切羽詰まった状況であることは自覚していた。

 7対3――この上なく不利な戦闘。麗蘭はどう切り抜ける?


エクレア様


 フェアリーフォース本部。
 エクレアの所在が不明だと知った隊員たちは奇行に走り出し、取り乱す数は勢いを増していった。

「何という事だ! 我々の信仰心が足りないばかりにエクレア様に見捨てられてしまった!」
「落ち着け! 天はまだ我々を見捨ててない。穀物を差し出せば天上人様は戻ってきてくださるはずだ!」
「穀物? いったい何を差し出せばいいというのだ!?」
「いや、毎日祈りを捧げればいい。きっと天上人が迎えてきてくださるはず」
「街はずれに教会を建てよう。そこに天上人様の像を祭るんだ!」

 おかしな洗脳にかかった者たちは皆、口々に勝手な持論を唱え始めた。
 群集とはおかしなもので、誰かを悪者にして生贄とすることで心の平穏を保とうとする。そうやって結束力を保持する。ターゲットとされるのは決まって立場の弱い者。そして、それは既に決まっていた。

「……そ、そうだ、反逆者だ! 反逆者の血肉を差し出せば、きっとエクレア様もお喜びになられる!」

 ひとりの隊員が声高々にとんでもないことを言い出すと、それをきっかけに次々と声が上がる。
「そ、そうだ! 反逆者を捕らえろ!」
「裏切り者の首を差し出せ!」
 隊員たちの目は獲物を探すときの野獣のごとく、鋭いものへと変わっていった。

 皆、眼球を真っ赤にして、それそれが武器を手にし、建物の中をうろつき始めた。
「反逆者はどこにいる! 出てこい!」
「裏切り者を殺せ!」
「反逆者はどいつだ!」
「京極チームだ! 隊員がひとりだけ本部に残っていたはずだ!」
「反逆者はあのガキか! 捕まえろ! 捕まえた者はきっとくらいが上がるぞ!」
「おい、みんな聞いたか!? 位が上がるとよ!」

 位が上がればエクレアと共に行動できるらしい。位が上がれば神に認められて天国にいける――いつの間にかそういう設定が作られていた。

「位を上げなければ! エクレア様のそばにいられるなんて、なんと幸せなことでしょう」
「よおし、私も使徒になるぞ! エクレア様に忠誠を誓うのだ!」
 同僚を血祭りにあげるために崇拝者は皆、瞳を輝かせた。


 フェアリーフォース 別棟

 武器庫の中、継紗つかさは物陰に身を潜め、その場にしゃがみこんだ。
「京極隊長、ウチ、これからどうなっちゃうの……?」
 体育すわりのまま、小さくうずくまる。

 突然、何人かの隊員が継紗に襲い掛かってきたのは1時間前のこと。かくまってくれていたメイヴが席を外した瞬間を狙われたのだ。
 揉みくちゃにされながらも必死で抵抗し、やっとここまで逃げてきた。

「――ウチ、想夜と仲直りするまでは負けないんだから」
 なけなしの勇気をふり絞る。けれど、ガクガクと全身が震えていた。つかまれば半殺しの末に八つ裂き。楽に死ねたらラッキーかも知れない。場合によっては長時間なぶり続けられることも予測できた。恐怖が指先まで浸透してきて震える。

「端末があれば誰かに知らせることが出来るのに……」
 さきほど端末で麗蘭と会話していたところを、狂気を叫ぶ隊員たちに破壊されてしまった。
「ここも、安全じゃなくなる」
 額から流れ落ちる血を拭い、服を食いちぎって二の腕の切り傷をきつく縛る。
 逃げて来るまでに何度も奇襲にあった。体中、アザだらけで熱をおびている。打ち身や切り傷は数えきれないほど。
 そこへ誰かの声が響いた。

『おい、誰かいるのか!? 本部から脱出するぞ、急げ!』

 天の助け。そう思えた。
「よかった! 味方がいたのね!」
 武器庫の中に響いた声につられ、慌てて身を乗り出す継紗。
「待って! ウチも一緒に……!」
 それが災いした。

 武器庫内、継紗の目の前には何百もの群衆。眼球を真っ赤にしたエクレア信者たちで溢れかえっていた。
「しまった、罠だったのね……ウチ、もう無理――」

 一歩、二歩――継紗が後ずさる。

 ひとりの隊員が声を張り上げた。
「いたぞ! 八つ裂きにしろ!」
 ひとりの少女相手に、大勢が武器を手にして一斉に飛びかかる!
「うわああああ!」
 継紗がその場にうずくまって泣き叫んだ。

 ザシュ!

 肉の切れる音。そして血しぶきが舞い上がり、あたりを真っ赤に染めた。

 不思議と痛みは感じない継紗。片方のまぶたをゆっくりと開けると、目の前にはイノシシづらの巨漢が覆いかぶさっているではないか。
「マ、マデロム隊長!?」
 帰界してきたばかりのマデロムがかけつけてきたのだ。
「京極とのゲームに負けてよお。ごらんの通りの罰ゲームだぜ。おお、痛ってえ……」
 背中から血が大量に溢れ出していた。

「裏切り者が増えたぞ! 殺せ! 殺せ! 殺せえええええ!」
 皆、口々に罵声を浴びせながら武器を振り下ろす!
「天上人様のために!」
「エクレア様のために!」
「我々は選ばれた戦士なのだ!」

 ザシュ! ザシュ!

 何度も、何度も、マデロムの背中に無数の斬撃が走る!
 制服の分厚い布が裂け、露になった皮膚がバックリと裂ける。ムチ打ち刑のように何発も何発も受ける攻撃。それをひたすらジッと耐え続ける。

「隊長だからといって容赦はしないぜ!」
「これは天罰だ! 天上人様に歯向かった罰なのだ!」
「受け入れろ! 神罰を受け入れろ!」
「おまえらは幸せ者だ! エクレア様に血を捧げることができるんだからな!」

 周囲を睨みつけるマデロムが舌打ちした。
「コイツら正気じゃねえな……」
 蹴散らすことは容易だが、殺してしまっては元も子もない。正気に戻させるためにも、今を耐え抜く作業が必要だ。
 ましてや神罰という言葉を受け入れる自分もいた。リーノとその家族。弱者たちをなぶってきた過去が脳裏でチラつくたび、神罰という痛みを受けるたび、過ちが清算できるようで安心するのだ。それはマデロムの勝手な思い込みだが、痛みを知ることで他者の痛みを理解できる手っ取り早い方法でもある。そのやり方にありがたみを覚えるのだ。

 ザシュ! ザシュ! ザシュ!

 耐える、耐える、耐え続ける。

 背中にミミズ腫れが増え、鉄の熊手で引っかかれたような傷が刻まれるたび、大量の血液が流れる。
 エクレア信者であふれる建物内、そこに逃げる場所などない。襲ってくる隊員を蹴散らすか、ただジッと耐えるか。マデロムにはその二択だけが残されていた。

 けれどもマデロムは後者を選んでいる。反撃一つしない。ただ、その身を挺して継紗を守ることに徹する。同時に、今まで自分がおこなってきた愚かさにも何度も目を向け、己を罰する。

 かつての暴君に、守護の天使が舞い降りているようでもあった。

 継紗が泣き叫ぶ。
「マデロム隊長ぉ、逃げて下さいよぉ。このままだと、このままだと……あなたまで殺されちゃいますよお!」
「けどよお、俺が逃げたらおまえも死ぬぜ?」
「ウチのことより自分のことでしょう!? 他人の心配するなんてマデロム隊長らしくないですよお、身勝手なのがマデロム隊長でしょお? 頭でも打ったんですか!?」
「へっ、かもしれねえな。どちらかと言えば、打ったのは顔面だけどな」
 マデロムの脳裏にリーノの姿がよぎった。あのビンタにくらべたら、いま受けている攻撃なんてクソのようなもの。ビンタは深く深く、痛みは皮膚から心に浸透しているのだ。それはリーノが長年背負ってきた痛み。目が覚めた今、それを受け入れる覚悟はできている。

「エクレア様万歳!」
「倒すぞ! 悪魔を倒すんだ! 位が上がるぞ!」

 それを聞いたマデロムが苦笑した。
「俺が悪魔、か。へへ、違いねえ……」
 巨漢がゆっくりと傾き、床に突っ込むように倒れる。

 ズウウウウン……

 マデロムの意識がもうろうとし、ついにはその場に崩れた――。

 継紗の目の前に巨漢が横たわった。
「マ、マデロム隊長!」
 馬鹿デカイ背中をゆするが、もうピクリとも動かなかった。

「殺せ! 血祭に上げろ!」
 正気を失った隊員たちが一斉に、継紗へ飛びかかった!

 死体のようなマデロムの手前、継紗はペタンとしゃがみ込んで頭を抱える!
「京極隊長、ウチもうダメッ……想夜、いじめたりしてゴメンね……、想夜ああああ!」
 両手で頭をかばいながら、張り裂けんばかりの悲鳴を上げる!

 完全に取り囲まれた。あとは八つ裂きにされるだけ。
 継紗とマデロムが隊員たちに血祭に上げられる時がきたのだ。

 ふたり、もう逃げ場はない――。