10 大好きよ、パパ――


 想夜が狐姫の拳を気づかう。
「狐姫ちゃん、その手……」
「あ?」
 狐姫の拳が真っ赤に染まっている。肉が削げ、指の付け根が骨までむき出しの痛々しい状態だった。

 鋼の鎧を殴りつけた拳。人々のために使った正義の拳。誇りあるマグマの拳――それを見た想夜は、友の拳に敬意を持つのだ。人々のために躊躇なくその身をさらす行為。それが眩しくないわけがない。

 御殿が狐姫を呼んでいる。
「狐姫、こっちにいらっしゃい」
「んだよ?」

 素直に近づいてくる狐姫の手前で、御殿は自分のブラウスの袖を引き千切り、狐姫の拳に巻く。応急処置を済ませるとすぐにコンテナ内の治療室へつれて行く。

「大げさだな御殿。いつから過保護になったんだ? こんなん舐めときゃ治るって」
「ダメ、ちゃんと詩織さんに見てもらうっ」
 ピシャリと言う。
「おまえの手だって出血してんじゃん」

 双葉に撃った弾を弾き返され、水角の刀を握り締めた掌からは出血していた。大量とはいわないまでも、治療が必要である。

「こんなの舐めておけば治るわ」
 狐姫がジト目でニヤリとする。企みのある笑みだ。
「ほお~。ならおまえの傷口に海水すり込んでやんよ。ほら、手ぇ出せやあああ!」
「晩ごはん抜き」
「ふざけんなよなブス! 動物虐待! おっぱい魔人!」
 狐姫がキャンキャン吠える。それだけ元気があれば大丈夫だよね。
 なんやかんやで負傷した戦士たちがコンテナ内へと入っていった。


婦人の会


 後日――。
 御殿の端末に彩乃から連絡が入った。

 リンのブレインチューニングは無事に施術を終え、今は病院で安静にしているとのこと。
 リンの容態も次第に回復へと向かうだろう。その結果に文句を垂れるほど、ロナルドは紳士の道からは外れていない。
 ダフロマとの戦闘後、ロナルドはリンが治療を受けた国立病院に駆けつけた。
 名だたる投資家とはいえど、ただの人間だ。心身ともに衰弱しきっていたようで、やつれた顔を見せながらも彩乃たちに深々と頭をさげている姿は、日本の文化を認めている証拠である。余計なプライドさえも捨てた、ひとりの礼儀正しき父親だった。

 日本の礼儀に倣う。他国をおもんぱかる姿には一種の美を感じるもの。そこに居合わせた誰もが思った。

 晴湘市での災害には大量虐殺が含まれている――メディアの放った速報が世界を賑わせるのに時間はかからなかった。ソースはロナルド。それを知るだけの力を持っている。ロナルドは晴湘市の一連の誤報に関する報告書をまとめ上げ、これを各国政府を通さずに世界に打ち出した。その理由は、政府のフィルターを通すことから生まれる悪意の情報操作を避けるためだ。真実が歪められたまま偽の情報が歩いて行くのが世の常。だからこそ、ありのままの情報を世界の人々と共有するべく、彼は彼なりの戦いに身を投じたのである。

 晴湘市の大量虐殺は直接、世界中の人々の目や耳に入ることとなった。
 黒幕に揺さぶりをかけるロナルドの行動で、近いうちに想夜たちの前に姿を現す者がでてくるだろう。力のぶつかり合いは、リボンの妖精たちに任せておけばいい。

 世に出た情報の中にはハイヤースペックの詳細は記録されてはいなかった。なぜなら、ロナルドは妖精研究には直接関りが無い。ただの投資家だからこそ、余計な口出しをしなかった。情報の混乱を避けたのである。
 それだけではない。ハイヤースペックの存在を公表してしまえば、能力に群がる者たちが我先にと関連企業の株に手を出すだろう。そうなってしまえば逆効果。戦争への引き金にもなりかねない。能力の漏洩だけは避けたかった。

 最近のロナルドの行動に不信感をよせる社員が多かった。つまるところ、ロナルドのビジネスは世界中の企業にケンカを売るようなマネが多かったがため、別の企業に流れてゆく社員が後を絶たなかった。
 晴湘市の暴露が決め手となり、ロナルドは世界中の権力者から腫れ物扱いされ、ビッグビジネスの舞台から干されることとなった。それは黒幕が動き出した証拠ともいえる。

 この件についてロナルドは、「できる限りのことをしたかったのだ」と彩乃に伝えている。

 愛する者のためならば、世界を敵にまわしても恐くない――ロナルドはそれを証明したのだ。

 父親として、娘の命の重さを通し、世界の平和と人々への想いを馳せた日――金に糸目をつけない投資家が、ほんとうの意味で『地球せかい』を愛し始めた日のことだった。


 また、双葉の弟の巧の手術日が決まった。
 多額の手術費用を支払ったのは、なんとロナルド。
 あの日、双葉が病室を間違えてロナルドの部屋に入ったあの時に、未来は現在の結果へと向かっていた。
 双葉との会話の中で、ロナルドが何を思ったのかは周囲の者には分からない。だが、彼の思うところがあって巧の手術は進行することとなった。


 報告はまだある。おそらく、今回の事件においては一番重要な報告かもしれない。
 ロナルドが黒幕への揺さぶりを続けた甲斐あって、ついに婦人会の正体に近づくこととなった。情報提供者は、意外にも柊双葉だった。双葉の情報提供をきっかけに、眠っていた多くの事実が浮き彫りとなる。

 『酒飲みの集まり』――ロナルドが言っていた話はウワサ話などではなく、実在する婦人達の集まりだった。

 酒飲みの集まりは、近いうちに地獄の酒場となって御殿の前に立ちはだかる。

 御殿の端末にロナルドから連絡が入った。
『咲羅真さんですか? 婦人たちの会名を双葉さんから教えていただいたので、アナタにお知らせしたい。婦人たちの名は――』

 

『酔酔会』すいようかい――。


 
「酔酔会……」
 御殿がその名を口にする。

 ババロア・フォンティーヌ――酔酔会のひとりを引きずり出すことに成功した。ついに尻尾をつかんだのだ。

 ただの酒飲みの集まりが晴湘市の災害と関っている。

 タールをかぶったような黒い女。
 馬車の女。
 地獄の妖精。

 御殿の想像を絶するほどの脅威が、ふたたび御殿の前に立ちはだかる!
 復讐の時が近づいているのだ!

 酔酔会。彼女たちは一体何者なのか?

「ババロア・フォンティーヌ。いったい何者なの?」

 ――まあいい。近いうちにその顔を拝見させてもらおう。そして、その眉間ど真ん中に晴湘市の代表として……鉄槌を見舞ってやる。
 御殿の胸に怒りの炎が舞い上がっていた。

 『それからもう一つ』――ロナルドは調査報告を御殿に告げた。

『日本各地で児童失踪事件が頻発しています。近いうちにアナタに調査依頼があるかもしれません』

 ロナルドの情報を前に、御殿は因果のようなものを感じた。

「逆ハーメルン事件――」
 晴湘市の地獄の宴――今回の事件のキーワードには、『子供たち』が関っている。伊集院の言っていたことは的中するのか?
 過去からの招待状は、すでに御殿に届いてる。
 黒いカボチャの馬車が、御殿を迎えに来る。
 深夜12時、御殿を地獄へつれて行く――。


水角の居場所


 MAMIYA研究所はいつものメンバーで溢れていた。そこに少しだけ新顔という調味料が加わっただけで、いつもの賑やかさに倍率がかかる、放課後の女子会。

 行き場を失った水角は彩乃が連れて帰った。是非ともそうしたかった。だって可愛い子供だもの。放っておくわけにはいかないじゃない。
 戸籍登録のため、苗字も水無月を名乗らせることにする。これで正式に彩乃と水角は親子となるだろう。父親の欄が余白だが、彩乃は母親の欄にしっかりと自分の名前を書いた。二度と消えないようにしっかりと。筆跡の力強さには、子供への母の思いがこもっている。

 また一つ、彩乃の元気の源が増えたのだ。良き母であるよう、これからも胸を張ってゆくつもりだ。

「それじゃあ水角ちゃん、ウチでご飯食べましょうか」
「うわあ、やったあ!」
 彩乃の誘いに水角が舞い上がった。
 それとは真逆に青ざめる研究員2名がいた。
「だ、大丈夫っすか、主任? 出前取ったほうが無難だと思いますが? 人間諦めが肝心っていうか、引き際ってものをですね――」
「み、水無月先輩、なんなら私が作りますけど……」

 沙々良と詩織があたふたしている。そんなことはお構いなしの彩乃が、自分の胸をドンッと叩く。

「大丈夫大丈夫! この間、ヤキソバ作れたのよ。カップのやつ。あ、でも、お湯と一緒にソースも入れちゃって……で、結局こぼしたけど。薄味でなかなか美味しかった」
 いや、ダメだろそれ。
「減塩もできて健康的でしょ?」

 ダメだこの人――沙々良も詩織も気が気じゃない。

 以前、彩乃は手料理を振舞ったことがある。その時のチームの断末魔は周知だ。
 けど、かわいいわが子のため、フライパン片手にさらなる戦いに挑む覚悟がある。何事も経験だ。やれ! やるんだ水無月彩乃! たとえ可愛いわが子をモルモットにしたとしても! たとえ可愛い可愛い我が子を、研究材料に使うための可愛そうなモルモットに祀り上げたとしても、だ!
 意気込む彩乃の意思を砕くように、横から声が響いてきた。
「ダメ!」

 声の主は御殿だった――心がざわついたのだ。なんと言えばいいのだろう、この気持ち。つまり、母に弟を取られるのが嫌なのだ。ふて腐れた態度をとるのは無理もない。だってそうでしょ? 姉弟が出来たのだから嬉しくないハズないじゃないか。ずっと1人だと思っていたのに、こんなにも可愛くて素直な弟がいたなんて誰が想像できるだろうか。

 オモチャを独占しようとする子供のように、振舞う態度が大人気ない。しっかり者を演じていても御殿もまだ子供なのだ。
「絶対……ダメ――」

 なかば取り乱すように御殿が強く引きとめた。紅潮した頬を膨らませ、意気込んでいる。ちょっと何か言ったら泣いてしまいそうなくらい、必死さを醸し出していた。
 最初は声を張り上げるようだったが、2回目の「ダメ」は弱々しい。まるで気持ちが沈んでゆくようにトーンが下がった。大切な人を取られたくない気持ちがはっきり周囲に伝わる。

 そんな珍しい光景を前に、一同が唖然とする。

 それを気にせず、御殿は一呼吸してから水角の両肩にそっと手をおき、諭すようにその目をジッと見つめた。
「水角はウチでご飯食べる……OK?」
「――うん……お、OK」
 突然の姉の態度に驚く水角。
「何でも作ってあげる。リクエストを言いなさい、お姉ちゃん、全部作るから」
 お? 御殿お姉ちゃん、ぐいぐいイクね~。

 ガン見してくる姉に尻込む弟だったが、勢いに流されてうなずいた。彩乃の顔色を伺いながら、御殿の顔を上目使いで見上げた。

「お、お姉ちゃんがそう言うんだったら……いいよ、ボク」
 水角、ちょっと照れ屋さん。
 狐姫が呆気にとられている。
「御殿、男なのに『お姉ちゃん』って呼ばれてるぜ? この姉弟、もうワケわからん」

 以心伝心というやつだろう、水角には彩乃の気持ちが分かっていた。子供と離れるのが寂しいということ。

(ボクも同じ心境だよ。本当ならお母さんとも一緒に食べたいんだけど、平常心からはみ出したお姉ちゃんを放っても置けないでしょ?)

 水無月水角は心優しい子。どこで習ったのか、他者に想いを馳せることを知っている。そんな子に育っていた。
 水角自身、心境の変化を実感していた。御殿との会話のなかで確信したことがある。それが他者を思う人の気持ち。水角はまだ生まれたばかりの八卦だから学習能力に長けている。思いやりの精神を一瞬で学習したのは喜ばしい結果だ。それは人々との関係を深めてゆくことによりレベルアップしてゆくスキルである。誰でも持っているようなスキルだけど、持ってないヤツもいる。水角は、そのスキルを身につけることができる人間として生まれてきた。それを教えてくれたのは姉だ。刀を握り締め、まっすぐに水角のことを見ていた時の姉の目を、水角は一生忘れないだろう。

 水角は立てかけてある刀を手にすると、姉に向かって笑顔を送った。
「それじゃあ……遠慮なくごちそうになるね、お姉ちゃん」
 それを聞いた御殿がホッと肩の力を抜く。
「楽しみだなあっ」

 屈託の無い笑顔。無邪気な笑顔――子供たちと食事ができないのは残念だけど、彩乃は水角の笑顔を見れただけでも大満足だった。

 御殿が立ち去るときだ。一瞬だけ立ち止まり、彩乃に何かを言いかけようとした。けれど何も言わずにその場を後にした。そうやって後悔するのだ。「お母さんも一緒に来て」――その一言を言えないことに。

 けれども、部屋に残された彩乃は思う――思いやりのある子供達に恵まれたのだ、と。御殿の表情を見れば、何を言いたがっているのかくらいは分かる。

 「生きていてくれてよかった」と御殿から言われた時、胸の奥から洪水のように涙があふれてしまった彩乃。もう1人子供がいると知った時、平常心を保つことなどできなかった。荒れ狂う嵐に胸の中をかき乱されながらも、それでも解決すべき問題がある。立ち向かわなければならない問題がある。いま一度、八卦プロジェクトと向かい合う時が来たのだ。本来なら子供を優先したいのに、己の気持ちを殺さなければならない母親の覚悟は、きっと多くの人々の笑顔へと通じることだろう。

 母の気持ちを御殿は知っているのだろうか? いや、きっと知らないだろう。だって御殿は、子供を持ったことがないのだから。

 親の心、子知らず――。

 子供たちの顔を胸にやどしながら、彩乃は思うのだ――仲良し姉弟になってくれて良かった、と。
 御殿と水角の明るい未来を願いながら、彩乃は窓の向こうに広がる空を見ていた。


 ほわいとはうすへ帰宅する御殿たち。
「あたし雪車町想夜。想夜でいいよ、よろしくね水角クン!」
 想夜が無邪気な笑顔で手を差し出した。ほわいとはうすに初めて来たときのあの笑みだ。
「う、うん。よろしく。想夜ちゃん」

 小さくて柔らかい女の子の手を握る水角クン。やや頬を染めているご様子。年齢的にも同学年だろう。これはひょっとしてひょっとするのか――?

「さ、みんな中に入って」
 玄関を開けた御殿が全員を中へ招いた。
 とくに水角のことを気にかけている御殿。水角を浴室に通す。
「水角、先にお風呂に入りましょう。体、汚れてるでしょ?」

 遠慮がちだった水角が、ドロだらけの廊下に目をやる。自分が歩くたび、廊下を汚してしまうことに罪の意識を感じた。

「……うん、じゃあシャワー借りるね」
 チャチャッと汚れだけ流して出てくるつもりの水角だったが、たちまち姉のうるさい声。
「ダメ。シャワーじゃなくて、ちゃんとお風呂に入る。肩まで湯船につかって温まること、いいわね?」
「う、うん……」
 しぶしぶ水角が浴室に向かう。

 スタスタ……。
 スタスタ……。

 弟の後ろを御殿が無言、無表情で、脱衣所まで当たり前のごとくついてくる。

 水角が振り返り、頬を染めながら上目遣いで御殿を見上げた。
「……なんでお姉ちゃん、ついてくるの?」
「お洗濯しなきゃ。ほら、服脱いで。洗うから」
「え……う、うん」

 御殿お姉ちゃん、水角と話すときだけ鼻息が荒くなるのは周囲の気のせいでしょうか? どうでしょうか?

 しぶしぶ水角がパーカーを脱ぐ。
 男の子なのに、ふわりと香る少女の甘い香りを漂よわせてくる水角。白い肌、鳩胸、淡いピンク色の乳房。
 弟の裸体を目にするたび、昔の自分と同じだと御殿は思う。可愛い弟と血がつながっていることを実感し、まんざらでもないご様子。

 御殿が水角の脱衣を促す。
「下も」
「う、うん」

 水角がしぶしぶ袴パンツを下ろす。トランクス派の姉と違って、弟はボクサーパンツ派。

「パンツも」と、御殿が催促。
「じ、自分で脱げるよ」
「お姉ちゃんが脱がせてあげる」

 ガシッ。

 脱衣所で姉弟パンツレスリングが始まった。
 水角のパンツに両手をかけて無理やり脱がそうとする御殿――真顔が周囲をビビらせる。怖い、怖いですよ。少しは表情筋のストレッチしたほうがいいんじゃないですか?

「やややややっ!?」
 水角が慌ててパンツを引っ張って戻そうとする。

 想夜率いる女子群はその光景を見た途端、『きゃー』とか言ったりなんかして目を手で覆うも、姉弟の行く末を見届ける使命を果たすべく、指の隙間からコッソリ覗き見。女子たちの偽りの悲鳴ってやつ。まあ、ほら、なんて言うんですか? 男の子のアレコレが気になるお年頃といったところでしょうかねえ。どいつもこいつもヤレヤレです。

 結局、誰も水角を助けてくれない。むしろ何かを期待している奴もいるようだ。
 素っ裸になった水角が胸と下半身を手で隠し、ペタンと床にしゃがみ込んでしまう。ちなみに女の子座り。

 少々嫌気がさしたのか、水角が強く出た。
「もう、ちゃんと体洗うから出てってよ!」
「お姉ちゃんが洗ってあげる」
「トイレにも行きたいの!」
「お姉ちゃんが拭いてあげる」
「手のことだよね!? 手のことだよね!?」
 手のことだよね!?
 水角、撃沈。

 物陰から頭を覗かせて一部始終をうかがう女子群。

「やべえ……相方がとんでもねえ変態に成り下がっちまった」
 狐姫の顔面から血の気が引いた――コンビ解消も考慮しておこう。
 御殿が浴室のドアを閉める。
「姉弟でお風呂入っちゃったよ!?」
「本格的にヤベーぜ」
「もはや弟を監禁しているようにしか見えないわね」。
 お手上げ叶子、呆れ顔。

 閉まった浴室のドアに群がる女子の群れ。各々がドアに耳を押し当てた。

 水角のボディラインは女の子のように滑らかで丸みを帯びている。慎みのある胸は姉に似てないが、下にはちゃんと『ラヴリースティック』が生えており、「男の子」という証拠を姉に見せ付けた。
 けれどもスティックの後ろはすっきりしており、「女の子」も兼ね備えている生態。
 ハイヤースペックを発動してから、それほど時間が経過していないため両性体を保ったままだった。そういうところは想夜たち妖精と同じだということを御殿は悟る。
 女の子の想夜とは性が違えど、能力を発動すれば皆同じ。水角は妖精のような存在なのだ。

 なんやかんやで姉弟仲よくお風呂に入る。なかば強引に姉がついてきただけだが。


 浴場に響く2人の声――
『ほら、ここもちゃんと洗う』
『じ、自分で洗えるから』
『ほらここも。大事な部分でしょう? ちゃんと洗う』
『そこはダメ! 自分でやる!』
『あら? なにかしら、この穴――』
『お姉ちゃん、そんなところに指入れないでよ!』
『んんっ、キツイわね』
『だ、だめだよっ、入んないよ、そんなの……無理に入れたら壊れちゃうよぉ』
『大丈夫、ボディソープでスベりやすくなっているから。ゆっくり入れるわね。水角はこういうのはじめて? ふふふ、お姉ちゃんもよ?』
『お姉ちゃんダメ、そんな、そんな……』
『ほら見て、こんなにヌルヌルしてるでしょ?』
『そんな、そんな……スポンジの穴に指なんて入れたらダメだよ!』

 浴室からこだまする声に狐姫たちが耳を傾けていた。
「とんでもない変態が浴室にいるんだが、俺の気のせいか?」
 一同、赤面。もはや何も言うまい。


 浴室のドアが開く頃、脱衣所の扉の向こうに群がる野次馬が騒ぎ出す。
「「「出てきた!!!」」」

 お風呂から出た後も、姉弟は賑やかトーク真っ最中。
 ――んで、いつまで外野の女子たちは覗いてるのん?

 水角がキョロキョロと探し物を始める。
「ボクのパンツは?」
「パンツ? 洗っちゃったわよ」

 水角の濡れた髪をタオルで拭きながら御殿が答える。

「それじゃあボクは何を履けばいいの?」
「お姉ちゃんのパンツを貸してあげる」
 痛トランクス。
「姉弟って下着の貸し借りしたりするの?」
「日本全国で行われているイベントよ。聖ニコラスデーくらい有名。知らなかった?」

 うそーん、知らなかったー。ショックぅ~。
 全員カルチャーショックを受ける中、狐姫だけが「ウソつけ!」と吠えていた。1人だけ常識人がいてよかった。

 聖ニコラス――サンタクロースの原型となった偉人。貧しい人たちに救いの手を差し伸べた富豪家。ドイツでは12月6日がセントニコラスデーとされており、子供たちはお菓子やプレゼントをもらう風習がある。いい子はプレゼントがもらえるが、悪い子は箒でケツを叩かれるという過酷な罰ゲームがある。当然、覗き女子たちはニコラス君の罰ゲーム決定かも。

「聖ニコラスの説明はどうでもいいんだよ!」
「狐姫ちゃん、誰と話してるの?」
「ウザいウンチク妖精の囁きが聞こえるんだよ! ったく。なんなんだよ御殿のヤツ、弟ベッタリじゃねーか」
「きっと嬉しいんだよ。狐姫ちゃん、御殿センパイの引きつった顔見た?」

 喜びを表情に出したくてもできないでいる。笑顔用の表情筋が未発達なのか、ぎこちない顔だった。

「はん! 堕ちたもんだぜ」
「御殿センパイ、喜びをうまく表現できないんだよ」
「変態に喜びなんかやらんでいい!」

 結局、水角は姉から借りたロンTで下半身まで覆い隠すことに。

 その後、変態姉弟と入れ替わりで想夜達もひとっ風呂あびることになった。

 浴室でJC同士の声が響く。
『うわっ。なんなの想夜、また変なのツイてなくね?』
『ダ、ダメだよ狐姫ちゃん! そんなところ触らないで! 狐姫ちゃんこそ、なによコレ!』

 ムギュウウウウウ。

『ら、らめええええ! しょこおおお!』
 浴室から何やら聞こえてくる声を水角の耳が拾う。
「お姉ちゃん、想夜ちゃん達たのしそうだねー。何してるのかな?」
「ほっときなさい。いつものことよ」
 笑顔の水角にシレっと笑顔で返した。


水角の食卓



 いつもより賑やかな食卓。
 やはり彩乃を誘うべきだったのだろうか。御殿はシャモジを握りながら一人思う。後悔という罪悪がある。
「どうしたの、お姉ちゃん?」
 ピタリと止まるシャモジを気にしてか、水角が声をかけてくる。
「ううん、なんでもない……はい、水角の分。たくさん食べなさい」
 御殿が差し出した茶碗を水角が両手で受け取る。
「わあ、ありがとう!」

 想夜と同じリアクション。嬉しい時は容赦なく喜びを伝えてくる。妖精の遺伝子を持つと、みんなこうなるのだろうか? 子供の感情のように非常に分かりやすい。その件に関して彩乃はどう思うだろうか。科学者の彼女のことだ。きっと心理学の視点から突いてくるかもしれない。いや、ひょっとしたら何も考えずに子供の笑顔だけを満喫している可能性も大だ。

 ごはんをほお張る水角を笑顔で見つめる彩乃を想像するたび、やはり誘ったほうがよかったのかな、なんて御殿は思うのだ。
 でも、今はこの時間を楽しもう。御殿にしてみれば、ここにいるみんなの笑顔が極上の調味料なのだから。


 夕食を済ませたあと、想夜たちは家に帰った。
 一日の作業を終えた御殿が忙しなく水角の仕度をしている。
「今日はもう遅いから、水角はウチに泊まっていく。OK?」
 御殿は水角に言い聞かせるように言った。「NO」という返事を聞くつもりはない。姉、ゴリ押し。
「お、OK」

 水角は考える――ここまで来たんだ。もはや断ることはしない。甘えることも必要だ、と。

 ソファで寝転んでゲームをしている狐姫が聞いてくる。
「水角はどこで寝るんだ?」
「ボク? ソファで寝るよ」
「ダメ!」
 いきなり声を上げたので狐姫と水角がビクリと驚く。
 喜怒哀楽のコントロールがミスると大変だ。それだけ御殿の心は弟の存在に心揺さぶられている。
 御殿は全力で拒否ったあと水角に近づき、顔を抱き寄せて胸に埋めた。
「水角はお姉ちゃんの部屋で寝る。OK?」
「フ、フン(う、うん)」

 む、胸が苦しいっ。胸で息ができないよっ。姉の谷間、2個のジャンボマシュマロの中でもがく弟。

「ぷはっ。苦しいよ、お姉ちゃん……」
 マシュマロの谷間から見上げる弟。水中から上がってきたように息を吸い込んでいる。さぞや息苦しかったのだろう、顔を真っ赤にしたりして。
 そんな水角は御殿にとって愛おしくてたまらない存在。「ご、ごめんなさい」と、腕力を緩めたものの、今度は水角の後ろに回り込み、後頭部を抱き寄せてマシュマロに埋めた。
 ぎゅ……。
「……」
 水角の両耳、両頬を姉のやわらかい山脈が包み込んだ。
「……ふう」

 水角、ため息。もはや諦めモード。姉の行動には少々悩まされることになりそう。やれやれ、である。

 すると狐姫がジド目で目の前の姉弟を突いてきた。
「泊まるのはいいけど、俺の許可は取らんのか?」
「――!?」
 くぅ~ん。御殿が物欲しそうな子犬の表情で鼻を鳴らしそうにしては、狐姫のほうを見てくる。

「おい、なんだよその『おまえのこと忘れてた』みたいな顔は。いい加減にしろよオッパイ魔人」
 ダメだ。完全に相方がぶっ壊れた。明日MAMIYA研究所へ修理に出そう。研究室でネジの2~3本をしめてもらえば直るだろう――狐姫は密かに思うのだ。
「付き合いきれん。俺はもう寝るからな、おまえら電気消しとけよ、おやすみー」
 狐姫が無言の許可を出す。相方の弟の出入りを拒否るような子ではない。ひょっとしたら、狐姫からすれば水角は男としてカウントされてないのかも。おとこっ気ゼロの水角クン、女子から男として見てもらえないのはあまりにも悲しすぎるぜ。
 狐姫は背を向けて頭で後ろ手。寝室に消えていった。


 御殿は水角を自分の寝室へと連れてゆく。

「ベッドひとつしかないから、水角は今日、お姉ちゃんと一緒に寝る。OK?」
「うん、OK」

 御殿は水角のためにあれこれ準備しておいた。

「これが合鍵。この部屋勝手に使っていいから」
「いいの?」
「いい」

 鍵の次は何枚かの札を手渡す。

「これはお小遣い。毎月決まった分だけあげる。でも無駄使いは禁止ね。OK?」
「うん。でも、買うものなんかないよ」
「なら見つけなさい。欲しいものあるでしょ? ゲームとか本とか」
「う~ん……」

 水角は頭を悩ませる。シュベスタにいた時は娯楽などなかった。ずっと訓練シミュレートを行っていたからだ。友達もいない。世間の遊びなど知らない。ただ斬るだけ。斬って斬って斬りまくる。それだけ。栄養補給もほとんど保存用固形食品だった。そこに食卓などない。八卦は人間じゃない、兵器である。よって食卓は必要ないと言われてきた。いまさら欲しいものを買えなんて言われても、欲しい物がわからない。好奇心旺盛の年齢にも関らず、趣味だってないくらいだ。

 水角の過去を聞かされた御殿はすぐさまリビングに走り、置いてあったゲーム機を手にして戻ってきた。電光石火の心意気。

「いい水角、これが携帯ゲーム機プレプレβ。で、これがゲームソフト、これを本体に……こうやって入れる。ここが電源、これがリセットね。ここが――」

 親切丁寧。御殿の説明を興味深々に耳を傾ける弟の姿がそこにある。素直に人の話を聞くタイプ。

 一連の手順で御殿は以前にもこんなことがあったことを思い出す。それは狐姫に娯楽を教えた時だ。その時はこんなに体を密着させたりしなかった。必要以上に接近すると狐姫が頬を染めて拒絶したからだ。それに対して男女の免疫がない御殿は不思議に思っていた。
 狐姫もひとりの女の子なわけで。男に免疫が無いわけで。性別に無頓着の御殿には、狐姫の気持ちは分からないわけで。
 でも、今回は姉弟なわけで。密着してもいいわけで――仲良く身を寄せ合う。といっても一方的に御殿が近づいているだけだが。

 少しぎこちない笑顔の御殿。不器用そうにゲームをプレイする水角の姿が微笑ましく感じる。

 水角ははじめて遊ぶゲームという娯楽に夢中。スタートボタンを押す手がぎこちない。
 それをジッと見つめる御殿。熱心に遊んでいる弟の横顔が可愛くて可愛くて仕方が無いのだ。

 水角が一通りプレイし終わるのを待ってから、今度は本を手渡す。

「これが本、小説よ。愛妃家まなびや女学園という学校の図書室に行けば本がたくさん置いてあるから、そこで借りられる。一般人でも利用可能だから」

 水角は小説をペラペラとめくっては、しかめっ面を作る。

「うわっ、文字ばっかり。しかも英語。読んでて疲れないの?」
「いっぺんに読まなくてもいいのよ。時間はたっぷりあるんだから、少しずつ読みなさい。最初は日本語の本でいいわ」
「いつか英語の本も読まなきゃいけない?」
「読めたほうがいい。そのほうが水角の中の世界が広がるから」
「ボクの中の世界?」
「そう、考え方とか視点が広くなるってこと。英語はお姉ちゃんが教える。分からなかったら何でも聞いて」

 水角が小説をかかげて聞いてくる。

「これ読んで意味あるの? 他人の作った架空の物語なんか意味なくない?」
「たとえ架空だろうと、他人の考え方に思いを馳せるのは大切なことよ。想像力を養えるから」
「想像力が増えるとどうなるの?」

 御殿は天井を見上げた。

「そうね……例えば、『こんなことを言ったら相手が喜ぶかな』とか、『こんなことを言ったら傷つけてしまうかな』とか……他者に対する思考が養えるわ」
「養ってどうするの?」
「多くの人達と関るの。ここですべてを語ることなんて出来ない。たくさんの人と関ってゆくことで、水角自身が理解してゆくことだから。力だけではなく、心を磨かなきゃ」
「小説で?」
「小説じゃなくてもいいのよ。世の中にはいろんな本があるから、少しずつ教養を身につけてゆくの。そうして他人と関ることで心を成長させてゆくの。OK?」
「OK」

 素直に頷く水角。姉の言葉を聞いていたら、なんだかワクワクしてきた。

 水角の世界が広がってゆく――他人と関る。まだ見ぬ人よ、これから出会う人よ、みんなは今、どこで何をしているの? 美味しいものを食べてるの? もうお風呂に入った? ボクは入ったよ。変なお姉ちゃんはいるの? 面白い友達は? そうやって他者の視点に立った時のように、想像を膨らませてゆく。

「それから……」

 御殿は水角の手をとり、その上に自分の手を重ねた。

「わたしも水角も八卦だけれど、ちゃんとした1人の人間です」
「……うん」
「人間は食卓を囲みます。楽しい食事をする権利があります。そして水角、アナタにもその権利があります。OK?」
「……ボクはいいよ、ひとりで食べるから」
 顔を背ける水角。
「ダメ、絶対ダメ」
 姉、断固拒否。
「お姉ちゃんと一緒に食べる、いい? 朝、昼、夜――」

 何が何でも一緒に食事! 御殿の意思は削り節よりも固い。

「ボク、朝と夜はお母さんのところにいるかも。それにお姉ちゃん授業あるでしょ? お昼まで一緒に食べるの、無理でしょ?」
「うぐ……」
 おのれ学校教育。思わぬ強敵出現。銃弾も聖水も効かない強敵。
「お、お姉ちゃん、朝と夜、MAMIYA研究所に行く」
「邪魔しちゃ迷惑だよ?」
 水角が困った顔をする。
「お、お姉ちゃん、お昼だけ学校から抜ける。うん、抜ける!」
「いや、いくらなんでもムチャクチャだよ」
「お姉ちゃん、この世のバイオパワーなんかに負けない。学校を抜けられるように、死ぬ気でがんばる」
「いやいやっ、むしろ力の方向性がおかしいよね? ガンバリどころが間違ってるよ」

 姉の無茶ぶり。何としても願望を押し通す聞き分けのない子供のようだ。気にかけてくれるのは嬉しいが、弟としては年上の幼稚さに困る。

 いっぽう、的確な指摘を受けた姉はというと、
「……」
 ぐぬぬ……。表情に出さないまでも、焦りという大海原に放りこまれた心境だ。
 可愛い可愛い弟に1人ぼっちで昼食を取らせる気か? 考えろ! 考えるんだ御殿! このままでは可愛い可愛い弟と一緒にお昼が食べられない!
 はっちゃけ! はっちゃけろ咲羅真御殿! 逆立ちでもブリッジでも何でもいいからさっさとやれよ! 大股開きででんぐり返しでも何でもいいからやれよ! 思考しろ! 考えろ!

 御殿はしばらく考えを巡らせる。なんとしてでも水角と一緒に食べたいようだ。そこに命を燃やしている。そこに命を萌やしている。

「……そうだ」
 ピコーン! 御殿の頭上で並列直列豆電球が点灯。エジソンもニコラもビックリだ。
「ホールで食べましょう。あそこなら一般人も出入りできるし。あ、ホールっていうのはね――」

 しばらく姉の話に付き合わされる弟――姉が大きな妹に思えてならなかった。


 うつらうつら。睡魔に迎えられておやすみの時間。

 電気の消えた暗い部屋の中、ベッドで添い寝してくれる御殿に水角が問う。
「お姉ちゃんは、ずっとひとりで寂しくなかったの?」
「寂しくなかった。それにひとりじゃなかった。いろんな人に囲まれてたから」

 姉と自分とは違う、水角の脳裏に寂しさがよぎる瞬間、御殿はこう付け加えた。「今の水角みたいに、ね――」と。その言葉を聞いたとたん、水角は「ああそうか」と理解する。「もう、ボクはひとりじゃないんだ」と。日々の喜びは誰かにねだるものではなく、この手で作ってゆくものなのだ、と。

 幸せがほしいなら作ればいい。
 作りたくても作れないだなんて、現状に留まるだけであり、そんなのは勿体無さ過ぎる。
 今、この瞬間に、気持ちを切り替えるだけで幸せは到来する。

 瞼を開け――景色が見える喜びを感じろ。
 耳を澄ませ――音が聞こえる喜びを感じろ。
 手足を動かせ――旅立つことができる喜びを感じろ。
 それらの自由を以ってして、今すぐ捕われた心を解き放つんだ。

 何も難しいことなんてない。「自分にはできない」と思い込んでいるだけだ、そんな考えはゴミ箱にでも捨ててしまえ。誰しもそれができるのだから。

 死闘の先に絶望を見出していた水角だったが、それら一つ一つの出来事は現在いまを作るためのレシピだった。それらが揃うことで未来は構築されてゆくのだ。
 カードをそろえるのには時間がかかるもの。けれど、それが揃う時は誰しも必ずくる。
 神様の計画書は人間には到底理解できない。精密で巧妙で、そんなやり方で、水角にサプライズプレゼントを用意してくれた。

「神様はズルイよね……もったいぶるんだから」

 ずっと無かった水角の居場所。

 水角の居場所なら、今、ここにある。

 孤独な戦いをくぐり抜けてきた少年。水角は布団にもぐりこみ、姉に寄り添って静かに目を閉じた。

「おやすみなさい、お姉ちゃん――」
「おやすみ、水角……わたしの弟――」


双葉と巧


 巧の手術は無事に終わった。今は病室のベッドで眠っている。その横で、両腕に包帯を巻いた双葉が見守っている。

 想夜たちが病室をノックすると、中から双葉の返事がした。
「お見舞いでーす」

 団体様がゾロゾロと病室に入る。あまりにも大勢だから代表で1人だけにしようと思ったが、やっぱりみんなで来てしまった。うるさくならないように、そ~っと、そ~っと中に入る。

「あ、あんた達……」

 最初は驚いてた表情を作っていた双葉だったが、弟の寝顔が愛おしいらしく、視線を戻して笑顔で客人を向かえ入れた。

「巧、お見舞いだってさ。よかったね」
 点滴の管に触れないよう巧の手をそっと握る双葉。柔らかい表情は姉でもあり、母親のようでもあった。

 昨日の敵は今日の友。そんな言葉、現実に起こりうるのだろうか? それはこの瞬間が証明してくれるだろう。

 双葉からの情報によってロナルドは酔酔会の尻尾をつかんだ。それがこの先、どれだけ貴重な情報になるのかは、もはや言うまでもない。

 治療した双葉の両腕の骨にはヒビが入っており、しばらく激しい行動がとれない。よって今は、体を養うときだと思ってのんびりするつもりでいる。


 雑談を終えた想夜たちが帰ったのは、ちょうど1時間前のこと。病室に残された姉と弟。双葉は部屋中に飾られた花束を見ては苦笑する。
「ちょっ……花、多すぎ」

 誰かが代表して持ってくればいいものを、それぞれが花を持ってくるもんだから、何かのお祭りみたいに花束で彩られていた。加減というものを知らない人たちだ。
 想夜、御殿、狐姫、叶子、華生、彩乃、水角、沙々良、詩織、菫、その他大勢。事情を知っているロナルドからも贈られてきた。

 コンコン。

 ふたたびノックの音――。
「はーい」

 ドアを開けて入ってきたのは養父母、それに数人の同級生だった。その手には花束。
「みんな――」

 かつては他人としか見れなかった人たち。他人が何を考えているのか分からない事で悩んでいるのは皆同じ。

 皆、同じ、喘いでいる――今の双葉にはそれだけは分かる。もがき、苦しみ、それを顔に出さない人たちがいるっていうこと。

「血はつながってないけど、私達、双葉と巧のことが心配でならないの」
「あまり母さんを困らせるんじゃないよ。お金のことは大人に任せておきなさい」

 養父の目から察するに、きっと家を売ってでも手術代を作ったのだろう。律儀な性格の養父、これから長い年月をかけてロナルドに返済をしてゆくと決めている。ロナルドがそれを受け取るかどうかは、また別の話ということで。

 泣き崩れそうな養母をかかえ、養父は双葉の髪をクシャクシャと乱暴に撫でる。セットした髪が台無しだ。
 怒られているのに不思議なきぶん。双葉にはそれが嬉しかったのだ。本音で向き合ってくれる養父母に対し、自分も本気で向き合うほうが気持ちいいと判断したのだ。

 自分には何も出来ない。
 でも、本当に何も出来ないのか?

 自分の代わりはどこかにいるかもしれない。
 けれど、その人が登場するまで何日かかる? 10日か? 100年か? 結局のところ、代役なんかいないのだ。

 あーしに与えられた、あーしだけの役割り――巧の姉であること。
 増え続ける花を見つめては、体の中に眠るアインセルと共に思う。

 双葉は真っ赤な目を擦り、弟の手を握った。
「巧、また花が増えたよ――」

 弟の退院祝いには、腕によりをかけてケーキを焼こう。ここに来れなかったクラスのみんなも呼んで楽しくやってやる! あーしが神様からもらった役、みごと演じ切って見せる!

 俄然、張り切る双葉――病室の窓から見上げる空はいつもより眩しく、そして暖かい。

「空が、笑っているみたい――」
 青い空が微笑んでいる。目も口もないはずなのに。笑顔の双葉の目にはそう見えた。

 ――後日、巧は元気な体で退院を果たした。
 そう、これから双葉たちの楽しいパーティーがはじまるのだ――。



ルー家の食卓


 『前略、ロナルドさん。
 この度は弟、巧の手術費用を出していただき、本当にありがとうございます。
 さっそくですが、以前に質問をいただいたことでご連絡したくてお手紙を送らせてもらいました。
 それは、あーしに仕事をくれた婦人についてです。
 声だけしか聞いてないので誰なのかは分からないのですが、気になることを言っていたのでお伝えいたします。
 婦人達の集まりには名前があります。
 今後、あーしの情報が何かのお役にたてるととても嬉しいです。
 巧が元気になったら、また手紙出します。 柊 双葉』

 ロナルドは静かに手紙を閉じた。

「酔酔会、いったい何者の集まりなんだ?」

 ロナルドだけでは手に終えない状況まできている。危険を知らせる波を読めばわかるのだ。

 ロナルドが御殿に事実を告げるのに、時間はかからなかった。ましてや日本での児童失踪事件も気になるところである。

「一体、日本で何が起きているんだ?」
 考えれば考えるほど、多くの問題が荒波となってロナルドを襲う。
「――いや、あとは彼女たちに任せよう」
 ロナルドは投資家であり、戦士ではない。やるべきことは他にあるではないか。

 気をとりなおしたロナルド。娘に美味しいものを作ってあげたいと意気奮闘。


 ロナルドは格闘していた。台所に立ち、両手には包丁一本にフライパン。エプロンだって娘とお揃い。戦闘体勢はカンペキだ。
 御殿から習った「照り焼き風ステーキ」に挑戦。したまではいいものの、醤油、砂糖、みりん、酒――分量が微妙に違ったらしく、みたらし団子のようなねっとりとした甘いタレができあがってしまう。

 みたらしをステーキと一緒に焼いて絡め、お皿に盛り付ける。
 終始、リンに指摘されながら作業をこなしてゆく髭のお父さん。

 娘との食卓。
 何年ぶりだろうか。妻を失ってから金の波だけを見てきたことを振り返る。

 今は株という荒波に背を向け、ロナルドはリンと向かい合う。
「なんだか教わった料理と違うものができちゃったなあ」
 頭をかいては失敗を恥じる。いい投資家は決していい料理家ではなかった。
「みんな最初は初心者、でしょ? パパ」
「そうだったそうだった」
 娘に一本とられては、ハハハと笑う。

 笑いのある食卓。それが今、ここにある。

 食器をならべて席に着く。
「パパ、エプロン」
「え?」
 エプロンを脱ぐのも忘れて席につくロナルド。初めての手料理で頭がいっぱい。次の手段も打てないくらいに必死の作業だった。食材カット、鮮度確認、鍋の沸騰、連続して押し寄せる荒波には骨が折れる。

「それじゃあ食べようか、リン」
「うん」
 親子同時にステーキを口に運ぶ。
 出来栄えは――
「……なんか、教わった味とは違うな」
「……うん」
 けれども悪くない。「このステーキは、こういう味なのだ」と思えば普通の料理だ。名前をつけるなら、みたらし風ステーキ……といったところだろう。
 2人笑顔でナイフとフォークを動かしている。

 投資家である男を脱ぎ捨て、余裕ができた時間をリンに当てる。
 たった一人の家族。たった一人の親と子。こんなにも貴重な時間を無駄にしていたことを後悔し、こんなにも貴重な時間がまだ残されていたことに感謝した。

 酔酔会の名前を引きずり出したことによって、ロナルドの会社は体のほとんどを見えぬ影によって削り取られた。敵の逆鱗に触れたのだ。だが、やがてくる津波を乗り越えるための小波さざなみだと考えたほうがいい。

 見えぬ影が次第にその姿を現す。
 影との対峙はロナルドの専門外だ。酔酔会の出方が気になるが、それは専門家に任せよう。MAMIYAは優秀な専門家をそろえているのだから。

 ロナルドはステーキを切りながら、リンと雑談を続ける。
「リン、新しいお母さんほしいか?」
 と、唐突に聞く。
「どうして?」

 この先、病弱な娘一人を家に残して仕事に専念するというわけにもいかなかった。メイドをさらに雇えば、多少の問題解決にはつながるだろう。だが、親として本当にそれでいいのか疑問を感じている。金も大切だが、目の前の存在はもっともっと大切。

「う~ん……」
 リンは難しそうな顔をした後、答える。
「リン、今のままでいい」
 続けてこう言った。
「だってリン、ひとりじゃないから。友達たくさんできたし、みんな面白い人達ばかりだから。だから、寂しくないよ」
「そうか」
「それに、八卦ママがリンを守ってくれるから」
「……そうか」
 みたらしステーキを口に運んではヒゲにソースをつける。
「ふふ、パパ、子供みたい」
 娘に口を拭いてもらっては苦笑するパパ。

 ロナルドの地位が目当てだった者は皆、彼の元を去った。金を追いかけていったのだ。それもビジネスではよくあること。

 ロナルドの人柄を見ていた者は、彼の元に残った。また新たな新天地を目指すために。それもビジネスではよくあること。

 歩みを止めなければ、人間関係にもやがて変化が訪れる。

 新たな人達との出会い――それは善悪の基準でははかりしれない宝物。

 金は飛んだが、金に流されない信念は残った。それが今のロナルドという人間。リンのたったひとりの父親。

「今度はパパの会社のみんなも呼んで食事しようか」
「想夜たちも呼んでいい?」
「もちろん」

 みんなで楽しい食事。賑やかな食卓――想像しただけで楽しい世界のはじまりだ。

「なあ、リン」
「なぁに、パパ」
「パパの会社、とても小さくなってしまったけれど――」

 沈んだ表情のもとへ、リンが寄ってきては父親の膝の上に座る。父の目をジッと見つめ、首に手を回して抱きしめた。

「リン」
 会社は縮小した。会社の大半をえぐり取られた。その甲斐あって、酔酔会を引きずり出した。これは大きな前進だ。

 金では買えないものも手に入れた。
 いや、元々持っていたのだ、それに気づいただけだ。見えていなかったものが見えるようになった、それだけだ。
 ロナルドはそれを確信したとたん、いい歳なのに大泣きした。涙が止まらなかった。後悔と感謝がセットの波で押し寄せてきたのだ。

 親子2人、額を合わせた。

「リン、大好きだよ」
「リンも。世界で一番……」

 リンがロナルドの頬にチュッてした。

「大好きよ、パパ――」


 世界に目を向けよう。
 目の前の人に目を向けよう。
 見えないものにも目を向けよう。
 そうやっていろんなものに目を向けるのだ。
 心の目を。

 ……ほら。見えてこないか? 瞼のスクリーンに映る影。

 君には見えているはずだ――君のことを気にかけていてくれる存在たちが。
 君が誰かを想えば、誰かが君を想うだろう。
 君が誰かを想わなくとも、誰かが君を想うだろう。
 どんなに遠く離れていても、まだ出逢ってない人だったとしても、想いを馳せれば見えるはずだ。
 
 ……ほら、聞こえてこないか? 君に近づく出逢いの足音。
 
 君の中に眠りし心の躍動。
 くすぶらせているのなら、もう、すぐ、そこまで、君が熱き焔を灯して立ち上がる時はやってきている。
 今はそれに気づいていないだけだ。
 さあ、心の目が持つ、真の力を解き放て――。
 
 この星にまた1つ、2つ。楽しい食卓が増えた――これは、そんな日の出来事でした。
 
 
第3話
『親、子』